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最終更新時間: 2024-04-22 09:31

2016-07-15 Fri

#2636. 地域的拡散の一般性 [linguistic_area][geolinguistics][contact][language_change][causation][grammaticalisation][borrowing][sociolinguistics]

 この2日間の記事(「#2634. ヨーロッパにおける迂言完了の地域言語学 (1)」 ([2016-07-13-1]) と「#2635. ヨーロッパにおける迂言完了の地域言語学 (2)」 ([2016-07-14-1]))で,迂言完了の統語・意味の地域的拡散 (areal diffusion) について,Drinka の論考を取り上げた.Drinka は一般にこの種の言語項の地域的拡散は普通の出来事であり,言語接触に帰せられるべき言語変化の例は予想される以上に頻繁であると考えている.Drinka はこの立場の目立った論客であり,「#1977. 言語変化における言語接触の重要性 (1)」 ([2014-09-25-1]) で別の論考から引用したように,言語変化における言語接触の意義を力強く主張している.(他の論客として,Luraghi (「#1978. 言語変化における言語接触の重要性 (2)」 ([2014-09-26-1])) も参照.)
 迂言完了の論文の最後でも,Drinka (28) は最後に地域的拡散の一般的な役割を強調している.

   With regard to larger implications, the role of areal diffusion turns out to be essential in the development of the periphrastic perfect in Europe, throughout its history. The statement of Dahl on the role of areal phenomena is apt here:
   
Man kann wohl sagen, dass Sprachbundphänomene in Grammatikalisierungsproessen eher die Regel als eine Ausnahme sind---solche Prozesse verbreiten sich oft zu mehreren benachbarten Sprachen und schaffen dadurch Grammfamilien. (Dahl 1996:363)

Not only are areally-determined distributions frequent and widespread, but they constitute the essential explanation for the introduction of innovation in many cases.


 このような地域的拡散という話題は,言語圏 (linguistic_area) という概念とも密接な関係にある.特に迂言完了のような統語的な借用 (syntactic borrowing) については,「#1503. 統語,語彙,発音の社会言語学的役割」 ([2013-06-08-1]) で触れたように,社会の団結の標識 (the marker of cohesion in society) と捉えられる可能性が指摘されており,社会言語学における遠大な仮説を予感させる.
 なお,言語内的な要因と言語外的な要因を巡る議論は,本ブログでも多く取り上げてきた.「#2589. 言語変化を駆動するのは形式か機能か (2)」 ([2016-05-29-1]) に関連する諸記事へのリンク集を挙げているので,そちらを参照されたい.

 ・ Drinka, Bridget. "Areal Factors in the Development of the European Periphrastic Perfect." Word 54 (2003): 1--38.

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2016-07-14 Thu

#2635. ヨーロッパにおける迂言完了の地域言語学 (2) [perfect][syntax][wave_theory][linguistic_area][geolinguistics][geography][contact][grammaticalisation][preterite][french][german][tense][aspect]

 昨日の記事 ([2016-07-13-1]) で,ヨーロッパ西側の諸言語で共通して have による迂言的完了が見られるのは,もともとギリシア語で発生したパターンが,後にラテン語で模倣され,さらに後に諸言語へ地域的に拡散 (areal diffusion) していったからであるとする Drinka の説を紹介した.昨日の記事で (3) として触れた,もう1つの関連する主張がある.「フランス語やドイツ語などで,迂言形が完了の機能から過去の機能へと変化したのは,比較的最近の出来事であり,その波及の起源はパリのフランス語だった」という主張である.
 ここでは,まずパリのフランス語で迂言的完了が本来の完了の機能としてではなく過去の機能として用いられるようになったことが主張されている.Drinka (22--24) によれば,パリのフランス語では,すでに12世紀までに,過去機能としての用法が行なわれていたという.

It is here, then, in Parisian French, that I would claim the innovation actually began. In the 12th century, the OF periphrastic perfect generally had an anterior meaning, but a past sense was already evident in vernacular Parisian French in the 12th and 13th c., connected with more vivid and emphatic usage, similar to the historical present . . . . During the 16th c., perfects had already begun to emerge in French literature in their new function as pasts, and during the 17th and 18th centuries, the past meaning came to replace the anterior meaning completely in the language of the French petite bourgeoisie . . . .


 他のロマンス諸語や方言は遅れてこの流れに乗ったが,拡散の波は,語派の境界を越えてドイツ語にも広がった.特に文化・経済センターとして早くから発展したドイツ南部都市の Augsburg や Nürnberg では,15世紀から16世紀にかけて,完了が過去を急速に置き換えていった事実が指摘されている (Drinka 25) .フランスに近い Cologne や Trier などの西部都市では,12--14世紀というさらに早い段階で,完了が過去として用いられ出していたという証拠もある (Drinka 26) .
 もしこのシナリオが事実ならば,威信をもつ12世紀のパリのフランス語が,完了の過去機能としての用法を一種の流行として近隣の言語・方言へ伝播させていったということになろう.地域言語学 (areal linguistics) や地理言語学 (geolinguistics) の一級の話題となりうる.

 ・ Drinka, Bridget. "Areal Factors in the Development of the European Periphrastic Perfect." Word 54 (2003): 1--38.

Referrer (Inside): [2016-07-15-1]

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2016-07-13 Wed

#2634. ヨーロッパにおける迂言完了の地域言語学 (1) [perfect][syntax][wave_theory][linguistic_area][geolinguistics][geography][contact][grammaticalisation][preterite][greek][latin][tense][aspect]

 英語を含むヨーロッパ諸語では,havebe に相当する助動詞と動詞の過去分詞形を組み合わせて「完了」を作ることが,広く見られる.ヨーロッパ内でのこの言語項の地域的な分布を地域言語学 (areal linguistics) や地理言語学 (geolinguistics) の立場から調査して,その発生と拡大を歴史的に明らかにしようとした論文を見つけた.
 論者の Drinka は,まずヨーロッパの言語地図を見渡したうえで,(1) have による完了を発達させたのは西側であり,東側では be が優勢であることを指摘した.次に,(2) 西側の have 完了の発生と,過去分詞形が受動的な意味から能動的な意味へと再解釈された過程の起源は,ともに古代ギリシア語に遡り,それをラテン語が真似たことにより,後のロマンス諸語やその他の言語へも広がっていったと議論している.最後に,(3) フランス語やドイツ語などで,迂言形が完了の機能から過去の機能へと変化したのは,比較的最近の出来事であり,その波及の起源はパリのフランス語だったと論じている.
 (2) について,もう少し述べよう.ギリシア語では元来,迂言的完了は「be +完了分詞」で作っていた.しかし,「have + 中間分詞」の共起がときに完了に近い意味を表わすことがあったために,徐々に文法化のルートに乗っていった.紀元前5世紀までには「have +アオリスト分詞」という型が現われ,それまでは構文を作らなかった他動詞も参入するほどの勢いを示し,隆盛を極めた.ラテン語や後の西側の言語にとっては,このギリシア語ですでに文法化していた「have + 分詞」のパターンが,文語レベルで模倣の対象となったという.have 完了が世界の言語では比較的まれな構造であることを考えると,ラテン語(やその他の西側の言語)で独立して発生したと考えるよりは,ギリシア語との接触によるものと考えるほうが自然だろうと述べられている (16) .Drinka (20) が have 完了のギリシア語起源論について以下のように要約している.

My claim, then, is that the actual concept of HAVE periphrasis owes its existence largely to the Greek model, that the development of the HAVE perfect in Latin is tied closely to that of Greek, that it arose especially in literary contexts and in the language of educated speakers, and continued to be connected to the formal register in its later history. As a result of this learned calquing of the HAVE perfect from Greek into Latin, including ecclesiastical Latin, the Western European languages were, in turn, given a model to aspire to, a more elaborate temporal-aspectual system to imitate. The Romance languages, of course, all inherited these perfect structures, and, as I will argue elsewhere, most of the Germanic languages appear to have developed their HAVE perfect categories on the basis of this elaborated model, as well . . . . What is particularly fascinating to note is that the western languages have preserved and innovated upon this pattern to different extents, but continually show patterns of areal diffusion as these innovations spread from one language to another.


 英語史との関連で気になるのは,英語の have による迂言的完了の起源と発展について,Drinka が明示的にはほとんど述べていないことである.Drinka は,英語での例も,ヨーロッパ西側の「地域的な拡散」 (areal diffusion) の一環と見ているのだろうか.とすると,従来の説とは異なる,かなり大胆な仮説ということになる.英語史上の関連する話題としては,「#2490. 完了構文「have + 過去分詞」の起源と発達」 ([2016-02-20-1]) と「#1653. be 完了の歴史」 ([2013-11-05-1]) も参照されたい.
 また,上の議論では,ラテン語が迂言用法をギリシア語から「借用」したという言い方ではなく,"model" という「模倣」に近い用語が用いられている.この点については「#2010. 借用は言語項の複製か模倣か」 ([2014-10-28-1]) の議論も参考にされたい.

 ・ Drinka, Bridget. "Areal Factors in the Development of the European Periphrastic Perfect." Word 54 (2003): 1--38.

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2016-06-05 Sun

#2596. 「小笠原ことば」の変遷 [japanese][world_englishes][pidgin][creole][creoloid][code-switching][bilingualism][sociolinguistics][contact]

 「#2559. 小笠原群島の英語」 ([2016-04-29-1]) で,かつて小笠原群島で話されていた英語変種を紹介した.この地域の言語事情の歴史は,180年ほどと長くはないものの,非常に複雑である.ロング (134--35) の要約によれば,小笠原諸島で使用されてきた様々な言語変種の総称を「小笠原ことば」と呼ぶことにすると,「小笠原ことば」の歴史的変遷は以下のように想定することができる.
 19世紀にはおそらく「小笠原ピジン英語」が話されており,それが後に母語としての「小笠原準クレオール英語」へと発展した.19世紀末には,日本語諸方言を話す人々が入植し,それらが混淆して一種の「コイネー日本語」が形成された.そして,20世紀に入ると小笠原の英語と日本語が入り交じった,後者を母体言語 (matrix language) とする「小笠原混合言語」が形成されたという.
 しかし,このような変遷は必ずしも文献学的に裏付けられているものではなく,間接的な証拠に基づいて歴史社会言語学的な観点から推測した仮のシナリオである.例えば,第1段階としての「小笠原ピジン英語」が行なわれていたという主張については,ロング (134--35) は次のように述べている.

まずは,英語を上層言語とする「小笠原ピジン英語」というものである。これは19世紀におそらく話されていたであろうと思われることばであるが,実在したという証拠はない。というのは,当時の状況からすれば,ピジンが共通のコミュニケーション手段として使われていたと判断するのは最も妥当ではあるが,その文法体系の詳細は不明であるからである。言語がお互いに通じない人々が同じ島に住み,コミュニティを形成していたことが分かっているので,共通のコミュニケーション手段としてピジンが発生したと考えるのは不自然ではない〔後略〕。


 同様に,「小笠原準クレオール英語」の発生についても詳細は分かっていないが,両親がピジン英語でコミュニケーションを取っていた家庭が多かったという状況証拠があるため,その子供たちが準クレオール語 (creoloid) を生じさせたと考えることは,それなりの妥当性をもつだろう.しかし,これとて直接の証拠があるわけではない.
 上記の歴史的変遷で最後の段階に相当する「小笠原混合言語」についても,解くべき課題が多く残されている.例えば,なぜ日本語変種と英語変種が2言語併用 (bilingualism) やコードスイッチング (code-switching) にとどまらず,混淆して混合言語となるに至ったのか.そして,なぜその際に日本語変種のほうが母体言語となったのかという問題だ.これらの歴史社会言語学的な問題について,ロング (148--55) が示唆に富む考察を行なっているが,解決にはさらなる研究が必要のようである.
 ロング (155) は,複雑な言語変遷を遂げてきた小笠原諸島の状況を「言語の圧力鍋」と印象的になぞらえている.

 小笠原諸島は歴史社会言語学者にとっては研究課題の宝庫である。島であるゆえに,それぞれの時代において社会的要因を突き止めることが比較的簡単だからである。その社会言語学的要因とは,例えば,何語を話す人が何人ぐらいで,誰と家庭を築いていたか,日ごろ何をして生活していたか,誰と関わり合っていたかなどの要因である。
 小笠原のような島はよく孤島と呼ばれる。確かに外の世界から比較的孤立しているし,昔からそうであった。しかし,その代わり,島内の人間がお互いに及ぼす影響が強く,島内の言語接触の度合いが濃い。
 内地(日本本土)のような一般的な言語社会で数百年かかるような変化は小笠原のような孤島では数十年程度で起こり得る。島は言語変化の「圧力鍋」である。


 ・ ロング,ダニエル 「他言語接触の歴史社会言語学 小笠原諸島の場合」『歴史社会言語学入門』(高田 博行・渋谷 勝巳・家入 葉子(編著)),大修館,2015年.134--55頁.

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2016-03-10 Thu

#2509. Intralinguistic, Extralinguistic, Intrasystemic, Extrasystemic [terminology][language_change][causation][plural][lexical_diffusion][contact]

 「#1600. Samuels の言語変化モデル」 ([2013-09-13-1]) で少し触れたが,Samuels は言語変化とそれを引き起こす諸要因を考える上での基本的な対立として,Intralinguistic と Extralinguistic を考えており,前者はさらに Intrasystemic と Extrasystemic に分けられる.Samuels (7) による関係図を少々改変して示すと,以下の通りである.

Intralinguistic ─────┬───── Intrasystemic
                          │
                          └───── Extrasystemic 1 (linguistic sense only)

Extralinguistic ─────────── Extrasystemic 2 (non-linguistic sense, here not used)

 やや混乱を招く用語使いではあるが,ほとんどの言語変化がこれらの用語で記述されうるために,よく理解しておくことが重要である.Intrasystemic な要因とは,単一の言語体系の内部に働く要因である.この場合の言語体系とは,英語や日本語などの言語レベルのものを指すこともあれば,その下位区分の方言やさらに小さなレベルを指すこともある.Extrasystemic は要因とは,ある言語体系に対して,他の言語体系との接触の結果として影響を及ぼす外から働く要因である.この2つは直接的に言語体系に関わる要因であるから,上位レベルで Intralinguistic な要因とまとめ上げることができる.一方,言語体系に直接関わるものではないが,言語変化に間接的に関与するという意味で,言語を取り巻くその他諸々の環境について検討する必要もある.この諸要因のことを,Extralinguistic な要因と呼ぶ.厳密に論理的に考えれば,Extrasystemic は Extralinguistic を包含するものであり,したがって図の Extrasystemic 1 と Extrasystemic 2 を足した部分を覆うことになるが,Extrasystemic 2 は,すなわち Extralinguistic に等しいのであるから,その部分を指示するには用語の節約のために後者を専ら用いることにするのがよい.通常の用語としては,"Extrasystemic" とは Extrasystemic 1 を指すものと理解しておけばよいだろう.
 例えば,英語史における名詞複数の -s 語尾がイングランド南部方言において拡大した事例を,上の用語で記述してみよう (see 「#946. 名詞複数形の歴史の概要」 ([2011-11-29-1])) .本来複数形に -s 語尾を取らなかった名詞が -s 語尾を取るようになってゆく過程は,類推作用 (analogy) などの Intrasystemic な過程としてとらえられる.しかし,より早い段階に -s 複数を一般化していたイングランド北部方言からの影響があったのではないかという観点からこの問題を眺めると,2種類の方言体系間の接触について考察する必要があり,これは Extrasystemic な話題だろう.また,当該の言語項の北部から南部への伝播を社会言語学的に考えるならば,両方の方言話者集団の移動や接触といった Extralinguistic な側面にも注意を払う必要がある.
 このように考えると,あらゆる言語変化の研究は,以上の用語を参照して総合的に行うことができることがわかる.標題は,視野を限定するための用語群ではなく,むしろ視野を広げるための用語群である.

 ・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.

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2016-02-24 Wed

#2494. 漢字とオリエント文字のつながりはあるか? [writing][grammatology][contact][origin_of_language]

 文字の歴史に関する各記事で示唆したように,現代の多くの文字論者は,漢字とオリエント文字(エジプト聖刻文字,楔形文字,アルファベット)の間に直接のつながりはないとみている (cf. 「#1822. 文字の系統」 ([2014-04-23-1]),「#1853. 文字の系統 (2)」 ([2014-05-24-1]),「#2398. 文字の系統 (3)」 ([2015-11-20-1])) .言語の発生についてはいまだ諸説紛々としているが,文字の起源については多元発生説 (polygenesis) が前提とされているといってよい.しかし,これは漢字とオリエント文字が「間接的に」関係する可能性までを排除しているものではないと解釈することもできる.このように希釈された関係ということでいえば,両者の接点を探ろうとする論者はいまでも少なからずいるかもしれない.実際,矢島 (58--59) は「漢字とオリエント文字」と題する章 (49--62) で,この議論に乗り気である.

筆者としては人類文化史のある時期に,文字への意志という何らかの知的努力が互いに多少の関連性のもとに現われたであろうという考えを否定するつもりはない.こうした考えは現代の文字学者I・J・ゲルプによって表明されているものである.〔中略〕ゲルプは,中国文字の創出には,「文化接触に基づく刺激 (stimulus)」があったのではないかと考える.つまり文字そのものというよりももっと高い次元での伝播があったのであろうとする.ゲルプはこれは人類学者A・L・クローバー (Kroeber) の「刺激伝播 (Stimulus Diffusion)」という考え方にあたるものであり,彼自身の考えも間接ながらクローバーの考えに負っていることを認めている./筆者としては,もし中国文字とオリエント系文字に何らかのつながりがるとすれば,他の文化のうちにつながりのあるものを発見できるであろうし,また逆に他の文化のうちにつながりが確認できれば,文字の点でのつながりもありうることとして検証に値いすることと考える.


 「文字への意志」という表現が印象的である.時間に幅はあるが,紀元前四千年紀から二千年紀にかけて,洋の東西に共通して(おそらく連絡して)「文字への意志」が芽生えていたというのは,ロマンチックな響きはあるが,にべもなく破棄すべき仮説ではないように思われる.
 では,文字への意志とは何か.それは,文字を編みだし,使ってみるべき必要性に駆られたということだろう.世界各地で文明が芽生え,栄えたおよそ同じ時期に,同じ政治的,経済的,技術的な状況下において,類似した要求が生じたとしてもまったく不思議はない.諸文明の互いの交流のなかで文字の発明につながるインスピレーションが生まれ育ったということは,十分にあり得る.

 ・ 矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.

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2016-02-21 Sun

#2491. フランス語にみられる20進法の起源説 [french][latin][celtic][old_norse][numeral][contact][substratum_theory][hfl]

 「#2473. フランス語にみられる20進法の残滓」 ([2016-02-03-1]),「#2474. 数字における「底の原理」」 ([2016-02-04-1]),「#2477. 英語にみられる20進法の残滓」 ([2016-02-07-1]) で,フランス語と英語などの記数法について考えた.今回は,先の記事でも少し触れたフランス語の20進法の起源(説)に関する話題である.
 フランス語では,10 (dix), 20 (vingt), 30 (trente), 40 (quarante), 50 (cinquante), 60 (soixante) までは各々ある程度独立した形態を示すが,70は soixante-dix (60+10),80は quatre-vingts (4x20),90は quatre-vingt-dix (4x20+10) というややこしい作りである.また,61から79までの端数,81から99までの端数は,例えば79の soixante-dix-neuf (60+10+9) や99の quatre-vingt-dix-neuf (80+10+9) のように,一層ややこしい.端数の足し算にせよ,80を表わす表現にせよ,背後に20を単位とした考え方,すなわち20進法が潜んでいるということになる.フランス語の数詞体系は,10進法と20進法の混在とみなすことができそうだ.
 しかし,上記はあくまで現代標準フランス語における数詞体系の記述であって,歴史的に固定していたわけではないし,現在でもフランス語諸変種を見渡せば異なる記数法が見いだされる.まず歴史を振り返ると,842年の『ストラスブールの誓約書』に始まる最初期のフランス語から数世紀の間,すでに20進法に基づく記数法が用いられていたようだ.12世紀には,quatre-vins (80) が見られたし,中世の北フランスのオイール語では dis huit vins (360) などの大きな数にも20進法が利用されている.一方で,ラテン語に由来する10進法を用いた setante, septante (70); oitante, uitante, octante (80); nonante (90) も併用されていたことに注意が必要である.この併用状態は,1539年の「ヴィレール=コトレの勅令」以降少しずつ整理されていったが,その整理の仕方は必ずしも一貫したものではなかった.識者の間で議論はあったようだが,17世紀には常識的には自然なものと思われそうな septante, octante, nonante は捨てられ,現行のものにほぼ落ち着いた.
 一方,南仏のオック語,ベルギーのフランス語,スイスのフランス語など周辺の変種では,伝統のある quatre-vingts こそ採用されたものの,10進法に基づく septantenonante が,soixante-dixquatre-vingt-dix に対して勝利し,標準的な記数法として定着している.これらの変種での septante, octante, nonante の使用について,松田 (28) は Douzat の興味深い発言として次の文を引いている.「これらの数字はフランスの南部,東部,スイスのフランス語地域,ベルギーのような,もっともラテン語化され,ゴール語の基層浸透の最も少ない地域にしか定着していない.」
 さて,フランス語に見られる20進法の記数法のそもそもの起源についてはどうだろうか.フランス語史のほぼ初めから例証されるものであるから,さらに前の時代に遡らなければならないだろう.松田 (27) は,バスク語,ブルトン語,デンマーク語に20進法の記数法が観察されることを述べた後で,次のように議論している.

このようにみてくると,20進法はフランス語に特有のものではなく,ヨーロッパの西部に今でも残る現象であることがわかる。ところでこうした環境の中にあって,祖語のラテン語にはない20進法を,フランス語はどこからとり入れたのだろうか。quatre-vingts や soixante-dix は,ヴァルトブルクやニュロップが12世紀に初出としているのであるが,実際にはそれよりかなり前から人口にのぼっていたはずである。その起源について,学者たちの意見はほぼ一致している。ローマ人がガリアの地に侵入する以前の住先民族ケルト人がもたらしたものとする説である。いくつかの部族に分かれていたケルト民族の中には,確かに20進法を採用していた部族もいた。特にウェールズのケルト人については,非常に古い写木によって確認されているという。しかしその昔ガリア地方にいたケルト人に関する資料は残っていない。それゆえ,フランス人の祖先であるガロ=ロマン人にケルト人から数詞が伝わったことを換証することは今のところ不可能なのである。ケルト起源説以外には,ロマンス語文献学者として知られているロールフス G. Rohlfs によるノルマン起源説がある。ヴァイキングと呼ばれたノルマン人は,紀元800年頃英仏海峡に出没しはじめたが,彼らの原住地はスカンディナヴィアとデンマークであった。彼らは,911年にシャルル3世との間で交わした取り決めによって,現在ノルマンディー地方と呼ばれている地域に定住した。Marcel Cohen によれば,ノルマンディー地方のカルヴァドス県の町 Bayeux には,12世紀までデンマーク語が残っていたという。定住後のノルマン人は,1066年にイギリスに攻め込むのであるが,同じ頃その一部はイタリア南部とシチリア島に向かい,サラセン人を駆遂してここにもノルマン王国を建設した。現在の南部イタリアやシチリアの方言に20進法がみられることを文法家たちは指摘している。フランス語の20進法がどこから来たかについて,ケルト説,ノルマン説のどちらをとるにせよ,問題はフランス語の誕生以前にさかのぼることであり,検証は困難なようである。


 ・ 松田 孝江 「フランス語の数詞について」『大妻女子大学紀要(文系)』27巻,1995年.19--32頁.

Referrer (Inside): [2018-04-19-1]

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2016-02-03 Wed

#2473. フランス語にみられる20進法の残滓 [french][latin][numeral][indo-european][contact][etymology]

 フランス語の数詞体系が複雑であることはよく知られている.1例として,vingt (20) は,80を表わす quatre-vingts 「4つの20」にも見られるように,独立した単位を形成している.これはかつての20進法の名残といわれる.英語でも,古風な表現として three scores (60) のように20を単位とする score という語があるが,個別的で周辺的な20進法の事例にすぎない.フランス語などよりも体系的に20進法の数詞体系を保持しているのは,ヨーロッパではケルト語系のみだが,世界を見渡せばアステカ語が厳密な20進法の数詞体系をもつことが知られている.20を底とする数え方は,人間の手足の指の数に基づくと考えられる.
 フランス語でも,20進法の残滓は,時代を遡れば現代よりも広範に見られたようだ.イフラー (37--38) は古いフランス語を引き合いに出し,次のように述べている.

ラテン語と同じくフランス語では <vingt (20)> という語の形は(ラテン語では viginti,後期ラテン語では vinti),20をもとにして数えた伝統の名残をなしている。なぜなら,この語は明らかに <deux (2)> (duo), <dix (10)> (decem) とは無関係だからである。それに,古いフランス語では,現代フランス語の quatre-vingts (80) のような形〔訳者註:〈四つの20〉の意味〕が,かなりたくさん見られた。例えば60, 120, 140は,一般に trois-vingts (三つの20),six-vingts (六つの20),sept-vingts (七つの20)と言われていた。そうしたわけで,パリ市の220名の警察官隊の通称が,〈11の20人隊 Corps des Onze-Vingts〉となったのである。さらに,ルイ9世治世下の13世紀,盲目の老兵300人を収容するため建てられた病院には,〈15の20人病院 Hôpital des Quinze-Vingts〉という奇妙な名が付けられた(このまま現在に至っている)。


 引用内の記述によれば,ラテン語 viginti は,duo (2) とも decem (10) とも無関係とされているが,再建された印欧祖語形 *wīkmtī は,*wi- (two) + *dkmt- (ten) に遡るので,実は語源的に無関係ではない.ただし,共時的な機能としては,2とも10とも関連づけられて解釈されてはいなかったと思われるので,やはりラテン語 viginti やフランス語 vingt は事実上独立した単位としてみてよい.なお,英語の vicennial (20年の)は,2と10のそれぞれの語根に現われる子音(字) (v, c) を保持している.
 フランス語に部分的ながらも20進法の数詞体系が含まれているのは,いかなる理由によるのか.その歴史については詳しく調査していないが,言語接触に帰する諸説が唱えられてきたようだ.
 英語史に関わる他の数詞の問題に関しては,「#100. hundred と印欧語比較言語学」 ([2009-08-05-1]),「#1150. centumsatem」 ([2012-06-20-1]),「#2240. thousand は "swelling hundred"」 ([2015-06-15-1]),「#2285. hundred は "great ten"」 ([2015-07-30-1]),「#2286. 古英語の hundseofontig (seventy), hundeahtatig (eighty), etc.」 ([2015-07-31-1]),「#2304. 古英語の hundseofontig (seventy), hundeahtatig (eighty), etc. (2)」 ([2015-08-18-1]) を参照.

 ・ イフラー,ジョルジュ(著),松原 秀一・彌永 昌吉(訳) 『数字の歴史 人類は数をどのようにかぞえてきたか』 平凡社,1988年.

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2015-11-18 Wed

#2396. フランス語からの句の借用に対する慎重論 [french][loan_translation][borrowing][contact][phraseology][ormulum][old_norse][phrasal_verb]

 「#2351. フランス語からの句動詞の借用」 ([2015-10-04-1]) と昨日の記事「#2395. フランス語からの句の借用」 ([2015-11-17-1]) で話題にしたように,英語は中英語期にフランス語の単語のみならず句や表現を借用してきたと主張されてきた.一方,この主張に対して慎重な立場を取る論者もいる.その1人が Sypherd である.Sypherd はフランス語法借用説を主張する Sykes による論文 French Elements in Middle English (1899) を厳しく批判し,慎重論を展開した.
 Sypherd の論の進め方は明解である.Sykes がフランス語の影響があると指摘している英語の句や表現の多くが,Sykes の取り上げている諸文献よりも早い時期に書かれた Ormulum に現われていることを,実証的に示したのである.Ormulum は,East Midland 方言で1200年頃に書かれたとされる長大な宗教詩で,方言的にも時代的にもフランス語の影響が少ないとされるテキストである.このテキストは,むしろ古ノルド語の言語的影響を強く示すものとして知られている.そこで,Sypherd (6--7) は,Sykes のいう「フランス語法」とは,むしろ古ノルド語法とすら考えられるのではないかと,逆手を取る.

Now, if in the Ormulum, a poem free from French influence, these phrases which Mr. Sykes ascribes to the Old French occur with considerable frequency, we are surely justified in denying the overwhelming French phrasal influence on Middle English. Furthermore, the justification of this denial is strengthened when we find that in Old-Norse literature anterior to or contemporary with Orm there exist in comparative abundance many of the identical phrases found in the Ormulum and in other Middle-English literature. And finally, though I do not urge it, the probability of considerable Old-Norse phrasal influence on Orm demands consideration, especially if we bear in mind the following facts: (1) the marked Old-Norse influence in general on Orm; (2) the Old-Norse literature in which these phrases occur in homiletic, sermonic; (3) much of the literature antedates the Ormulum.


 もちろん,Sypherd はこの後論文のなかで,古ノルド語の文献から問題の英語の語法におよそ対応する表現を取り出して,提示してゆく.対象となったのは "bear witness", "take baptism", "take flesh, humanity", "take death", "take example", "take heed, take keep, take ȝeme", "take end", "take wife", "take rest", "take cross" に相当する句動詞であり,種類は必ずしも多くないが,議論と例示は全体として盤石で説得力がある.
 昨日の記事の末尾でも述べたように,句の借用を実証することは案外難しい.Sypherd も,論文の読後感としては,フランス語からの借用とする説そのものを鋭く批判しているように聞こえるが,おそらく主張したいのは,そのような説には慎重に向き合うべきであり,別の可能性も考慮すべきである,ということだろう.

 ・ Sypherd, W. Owen. "Old French Influence on Middle English Phraseology." Modern Philology 5 (1907): 85--96.

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2015-11-17 Tue

#2395. フランス語からの句の借用 [french][loan_translation][borrowing][contact][phraseology][proverb][methodology]

 「#2351. フランス語からの句動詞の借用」 ([2015-10-04-1]) の話題と関連して,Prins の論文 "French Influence in English Phrasing" を紹介する.Prins はこの論文で,フランス語の影響が想定される英語の表現が多数あることを,豊富な具体例を挙げながら主張する.Prins の言葉をそのまま借りると,". . . besides the numerous isolated words which English has borrowed from French, there are also a great many cases in which complete phrases and turns of speech, proverbs and proverbial sayings were taken over from French and incorporated in the English language" (28) ということである.
 論文の大半は,フランス語と英語の文献から集めた文脈つきの対応表現リストである.本記事では,その一覧を再現するのは控え,Prins が結論として指摘している3点を要約するにとどめたい.1点目は,フランス語由来と目される英語の句・表現が,14世紀にピークを迎えているという事実である.前の記事 ([2015-10-04-1]) で参照した Iglesias-Rábade も述べていたように,単体のフランス借用語のピークと時間的におよそ符合するという事実が重要である.ただし,Iglesias-Rábade は句の借用のピークを14世紀後半とみているのに対して,Prins は14世紀前半とみているという違いがある.Prins (81) が挙げている統計表を再現しておこう.

PeriodItemsN. B.
1000--11001 
1100--12000 
1200--130013(3 of which ins S. E. Leg.. c 1290)
1300--140029(during the first half of the century twice as as many as during the second. Brunne comes in for 8, Cursor Mundi for 5, Chaucer for 4 items)
1400--150012(of which 5 in Caxton)
1500--16008 
1600--17003 
1700--18001 
1800--19001 


 次に,上掲の表に示される数の句の多くが,現代まで残っているという事実が指摘されている.現在までに廃用あるいは古風となっているものは15個にすぎず,残りの53個は現役で,"part and parcel of every day speech" (81--82) であるという.残存率は77.9%と確かに高い.
 3点目として,借用された句の意味領域に注目すると,様々ではあるが,主たるところを挙げれば戦争関係が17個,騎士道が11個,法律が9個となる.文学史的にはフランス語の散文の文体が英語に恩恵を与えたのは15世紀後半といわれることが多いが,これらの表現の借用も文体的な含みがあることを考えれば,問題の恩恵は実際にはもっと早い時期から始まっていたと考えることができるかもしれない.
 問題の多くの句は,フランス語の句の翻訳借用 (loan_translation) として提示されている.つまり,英語側の表現には,フランス借用語ではなく英語本来語の含まれているものが多い.そのような場合には,本当にフランス語からの「なぞり」なのか,あるいは英語で自前で作り上げられた表現なのか,確定するのが難しいケースもままある.単語単体ではなく,複数の単語を組み合わせた句や表現の借用に関する研究は,文法的な借用の研究とともに,方法として難しいところがある.

 ・ Prins, A. A. "French Influence in English Phrasing." Neophilologus 32 (1948): 28--39, 73--83.

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2015-10-09 Fri

#2356. フランス語が複数形の -s の拡大に無関係と考える根拠 [french][contact][plural][inflection][me_dialectology]

 昨日の記事「#2355. フランス語の語彙以外への影響 --- 句,綴字,派生形態論,強勢」 ([2015-10-08-1]) で引いた Denison and Hogg (17) からの文章では,英語の名詞複数形の -s が中英語期に拡大した要因として,フランス語の影響が考えられるかもしれないとのことだった.この説は,諸文献でもしばしば唱えられてきており,最近では安井・久保田 (p.43 fn) でも「複数の -s 伝播にはフランス語の複数の形の影響も,ある程度,あずかっていたかもしれない」と触れられている.
 しかし,この問題について調べた Hotta (268) のなかで,私はこの説に対して強く否定的な立場を取っている.Jespersen に拠りながら,次のように議論した.

For the reasons why Old French could not be relevant, refer to Jespersen (Chapters 33). To summarise the main grounds against the hypothesis of Old French influence on the English s-plural:

   1. Considering that the genitive singular -s spread earlier and faster than the nominative plural -s, French should first have influenced genitive singular forms, which is however impossible because Old French had no s-ending for the genitive singular.
   2. The extension of the s-plural started before the Norman Conquest, making it unnecessary to propose French influence.
   3. The fact that -s prevailed earlier in the northern dialects than in the southern is against the expectation if French influence was assumed. Such French influence would have been felt first and foremost in the South.
   4. The s-ending was just one of the various plural endings available in Old French, and it was usually an accusative plural ending instead of a nominative plural.
   5. In English, adjectives rarely took the s-plural after the Old French model. If French influence had been at work, not only nouns but also adjectives might have been affected.
   6. The English s-ending was usually preceded by a vowel typically spelled e, while in Old French such a vowel spelling never occurred. We might note that the forms -es and -s were kept distinct well into Late Middle English.


 なお,重要な先行研究である Roedler も,中英語期における -s 複数の拡大に関連して,(フランス語を念頭に置きながら)言語外的な影響の可能性を "überflüssig" と切って捨てている.フランス語影響説にはほとんど妥当性がない.
 関連して,「#946. 名詞複数形の歴史の概要」 ([2011-11-29-1]),「#1250. 中英語はクレオール語か? (3)」 ([2012-09-28-1]) も参照.

 ・ Denison, David and Richard Hogg. "Overview." Chapter 1 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 1--42.
 ・ 安井 稔・久保田 正人 『知っておきたい英語の歴史』 開拓社,2014年.
 ・ Hotta, Ryuichi. The Development of the Nominal Plural Forms in Early Middle English. Hituzi Linguistics in English 10. Tokyo: Hituzi Syobo, 2009.
 ・ Jespersen, Otto. Chapters on English. London: George Allen, 1918. Rpt. of Progress in Language.
 ・ Roedler, Eduard. "Die Ausbreitung des 's'-Plurals im Englischen." Vol. 1. PhD thesis, Christian-Albrechts University, 1911; Vol. 2. Anglia 40 (1916): 420--502.

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2015-10-08 Thu

#2355. フランス語の語彙以外への影響 --- 句,綴字,派生形態論,強勢 [french][contact][borrowing][derivation][stress][hybrid][rsr]

 英語史では,フランス語は語彙の領域には多大な影響を及ぼしたが,それ以外では見るものが少ないと言われることがある.しかし,「#2351. フランス語からの句動詞の借用」 ([2015-10-04-1]) で見たように句の単位でも少なからぬ影響を及ぼしてきたし,綴字の領域にも大きな衝撃を与えてきた.
 とはいえ,文法や音韻については,フランス語がたいした影響を与えて来なかったことは事実だろう.以下にリンクを張った記事で触れてきたように,影響が考えられ得る項目もいくつか指摘されているが,強い証拠のないものが多い.一方,ノルマン征服以後,フランス語は英語の社会的な地位をおとしめることにより,結果として下位言語としての英語の文法変化を促進させたという意味で,間接的な影響を及ぼしたと言うことはできるだろう.

 ・ 「#204. 非人称構文」 ([2009-11-17-1])
 ・ 「#1171. フランス語との言語接触と屈折の衰退」 ([2012-07-11-1])
 ・ 「#1208. フランス語の英文法への影響を評価する」 ([2012-08-17-1])
 ・ 「#1222. フランス語が英語の音素に与えた小さな影響」 ([2012-08-31-1])
 ・ 「#1815. 不定代名詞 one の用法はフランス語の影響か?」 ([2014-04-16-1])
 ・ 「#1884. フランス語は中英語の文法性消失に関与したか」 ([2014-06-24-1])
 ・ 「#1924. フランス語は中英語の文法性消失に関与したか (2)」 ([2014-08-03-1])
 ・ 「#2047. ノルマン征服の英語史上の意義」 ([2014-12-04-1])
 ・ 「#2347. 句比較の発達におけるフランス語,ラテン語の影響について」 ([2015-09-30-1])

 さて,連日,参照・引用している Denison and Hogg (17) は,フランス語の語彙以外への影響という問題に関して,全体的には僅少であることを前提としながらも,派生形態論と強勢の領域においては見るものがあると指摘する.

. . . we should . . . look at French influence outside the borrowing of vocabulary. It is best to start by saying that French influence is largely absent from inflectional morphology. The only possibilities concern the eventual domination of the plural inflection -s at the expense of -en (hence shoes rather than shoon) and the rise of the personal pronoun one. Although there are parallels in French, it is virtually certain that the English developments are entirely independent.
   The strongest influence of French can be best seen in two other areas, apparently unrelated but in fact closely connected to each other. These are: (i) derivational morphology; (ii) stress.


 フランス語の派生形態論への影響を確認するには,「#96. 英語とフランス語の素材を活かした 混種語 ( hybrid )」 ([2009-08-01-1]) に挙げたような混種語 (hybrid) の例を見れば十分だろう.強勢については,「#718. 英語の強勢パターンは中英語期に変質したか」 ([2011-04-15-1]) や rsr (= Romance Stress Rule) に関する各記事を参照されたい.派生形態論と強勢という2つの領域が "closely connected" であるというのは,現代英語の語形成規則と強勢規則の適用が,語根がゲルマン系かロマンス系かによって層別されている事実を指すものと理解できる.
 まとめると,フランス語の語彙以外への影響として,ある程度注目すべきものといえば,句,綴字,派生形態論,強勢といったところだろうか.

 ・ Denison, David and Richard Hogg. "Overview." Chapter 1 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 1--42.

Referrer (Inside): [2015-10-09-1]

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2015-10-07 Wed

#2354. 古ノルド語の影響は地理的,フランス語の影響は文体的 [old_norse][french][contact][dialect][register][style][sociolinguistics]

 古ノルド語とフランス語が英語に与えてきた影響は,英語史ではしばしば比較対照される.本ブログでも,「#111. 英語史における古ノルド語と古フランス語の影響を比較する」 ([2009-08-16-1]) や「#126. 7言語による英語への影響の比較」 ([2009-08-31-1]) でも取り上げてきた.その記事でも示したように,両言語の影響は様々な点で著しく対照的である.どの観点からみるか目移りするほどだが,Denison and Hogg (15) は,とりわけ社会言語学的な観点から,両言語の影響に関する重要な対立点を取り上げている.それによると,古ノルド語が地域方言の含意をもつのに対し,フランス語が文体 (style) や使用域 (register) の含意をもつことである.

. . . Scandinavian influence was originally predominant in the Danelaw. . . . [E]ventually many Scandinavian elements entered southern dialects as well, but this is a two-stage process. There is the original contact between the two language which brought Scandinavian features into the English of the Danelaw. Then, later, there is spread within English by means of interdialectal contact. Contact between French and English, on the other hand, shows a much lesser geographical variation. The key here is register. That is to say, the variables which affect English in respect of French are far more to do with a contrast between types of social language than geography. Thus, if a text is concerned with, say, religion or science, or it is a formal piece, then it is probably that it will contain a higher proportion of French loanwords than a text which is purely secular or colloquial, whichever part of the country the text comes from. In this respect we should also note that Scandinavian loans are more likely to be colloquial (or everyday).


 換言すれば,古ノルド語の影響が,少なくとも当初の「第1段階」においては地域方言(水平方向の変種)の差異をもたらしたのに対し,フランス語の影響は,主として文体や使用域(垂直方向の変種)の差異を生み出したということである.これは,両言語の影響に関する様々な対立点を要約する謂いとして,言い得て妙である.

 ・ Denison, David and Richard Hogg. "Overview." Chapter 1 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 1--42.

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2015-10-04 Sun

#2351. フランス語からの句動詞の借用 [french][loan_translation][borrowing][contact][phrasal_verb][phraseology]

 中英語期におけるフランス語彙借用については,本ブログでも「#117. フランス借用語の年代別分布」 ([2009-08-22-1]),「#1210. 中英語のフランス借用語の一覧」 ([2012-08-19-1]) ほか french loan_word の各記事で様々に扱ってきた.しかし,フランス語からの句動詞 (phrasal_verb) の借用,より正確には翻訳借用 (loan_translation or calque) についてはあまり取り上げてこなかったので,ここで話題にしたい.
 フランス語の句動詞をはじめとする複数語からなる各種表現が,少なからず英語に翻訳借用されてきたことについては,種々の先行研究でも触れられてきた.例えば,Iglesias-Rábade の参照した F. H. Sykes (French Elements in Middle English. Oxford: 1899.) や A. A. Prins (French Influence in English Phrasing. Leiden: 1952.) によれば,623ほどの句がフランス語由来と推定できるとしている (ex. take lond (< OF prendre terre (disembark))) .しかし,実証的な研究は少なく,本当にフランス語の表現のなぞりなのかどうか,実は英語における自然な発達としてとらえることも可能ではないか,など議論が絶えない.
 そこで,Iglesias-Rábade は nime(n)/take(n) を用いた句動詞表現に的を絞り,この動詞が "light verb" あるいは "operator" として作用し,その後に動詞派生名詞あるいは前置詞+動詞派生名詞を伴う構文を MED より拾い出したうえで,当時のフランス語に対応表現があるかどうかを確認する実証的な研究をおこなった.研究対象となる2つの構文を厳密に定義すると,以下の通りである.

 (1) Verbal phrases made of a 'light' V(erb) + deverbal noun: e.g. take(n) ende, take(n) dai, nime(n) air
 (2) The 'light' verb nime(n)/take(n) + a 'prepositional' deverbal: e.g. take(n) in gree, take(n) to herte, take(n) in cure

 (1) の型については,306の句が収集され,そのうち49個がフランス語からの意味借用であり,156個がフランス語に似た表現がみつかるというものであるという (Iglesias-Rábade 96) .(1) の型については,型自体は古英語からあるものの,フランス語の多くの句によって英語での種類や使用が増したとはいえるだろうとしている (99) .

. . . this syntactic pattern acquired great popularity in lME with extensive use and a varied typology. I do not claim that this construction is a French imprint, because it occurred in OE, but in my opinion French contributed decisively to the use of this type of structure consisting of a light verb translated from French + a deverbal element which bears the action and the lexical meaning and which usually kept the French form and content.


 (2) の型については,Iglesias-Rábade (99) は,型自体も一部の句を除けば一般的に古英語に遡るとは言いにくく,概ねフランス語(あるいはラテン語)の翻訳借用と考えるのが妥当だとしている.

This pattern, too, dates from OE, though it was restricted to the verb niman + an object preceded by on, e.g. on gemynd niman ('to bear in mind'). However, this construction came to be much more frequent in lME, particularly with sequences which had no prototype in OE, and, more intriguingly, most of them were a calque in both form and content from French and/or Latin.


 興味深いのは,いずれの型についても,句の初出が14世紀後半から15世紀にかけてピークを迎えるということだ.単体のフランス借用語も数的なピークが14世紀後半に来たことを考えると,その少し後を句の借用のピークが追いかけてきたように見える.実際,句に含まれる名詞は借用語であることが多い.Iglesias-Rábade (104) は,より一般化して "It seems plausible that the introduction of foreign single words precedes the incorporation of foreign phrases, turns of speech, proverbial sayings and idioms." ととらえている.
 これらの句が英語に入ってきた経路について,Iglesias-Rábade は,英仏語の2言語使用者が日常の話し言葉においてもたらしたというよりは,翻訳文書において初出することが多いことから,主として書き言葉経由で流入したと考えている (100).結論として,p. 104 では次のように述べられている.

To conclude, I believe that English had borrowed from French an important bulk of phrases and turns of speech which today are considered to be part of daily speech. In my opinion phrasal structures of this type must have been rather artificial and removed from everyday speech when they first appeared in late ME works. I base this conclusion on the fact that such phrases were not common in a contemporary specimen of colloquial speech, the Towneley Plays . . . . I thus suggest that most of them made their way into English via literature and the translation process, rather than through the natural process of social bilingual speech. It is worth noting that most ME literature is based on French patterns or French matter. Most of this phrasal borrowing was the natural product of translation and composition.


 Iglesias-Rábade の議論を受け入れて,これらのフランス語の句が書き言葉を経由した借用だったとして,次の疑問は,それが後に話し言葉へ浸透していったのは,いかなる事情があってのことだろうか.
 関連して,「#2349. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか (2)」 ([2015-10-02-1]) と,そこに張ったリンク先の記事も参照.

 ・ Iglesias-Rábade, Luis. "French Phrasal Power in Late Middle English." Multilingualism in Later Medieval Britain. Ed. D. A. Trotter. Cambridge: D. S. Brewer, 2000. 93--130.

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2015-10-03 Sat

#2350. Prioress の Anglo-French の地位はそれほど低くなかった [anglo-norman][popular_passage][chaucer][sociolinguistics][contact]

 昨日の記事「#2349. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか (2)」 ([2015-10-02-1]) で引用した Rothwell の論文では,標記の話題が扱われている.よく知られているように,The Canterbury TalesThe General Prologue (ll. 124--26) では,Prioress がイングランド訛りのフランス語 (Anglo-French, or Anglo-Norman) を話す人物として紹介される.

And Frensch she spak ful faire and fetisly,
After the scole of Stratford atte Bowe,
For Frensch of Parys was to hire unknowe.


 伝統的に,このくだりは,正統なパリのフランス語を習得せず,洗練されていないイングランド訛りのフランス語のみを話す「田舎者」の気味を描写したもの解釈されることが多い.とすると,ful faire and fetisly には,正統なフランス語の使い手である Chaucer の視点からみて,ある種の皮肉が混じっていることになる.
 しかし,Rothwell は,この Prioress にしても,彼女の話すイングランドのフランス語変種にしても,言われるほど地位が低かったわけではないと擁護する.議論は2点ある.

 (1) 当時,パリの中央方言の威信が高まり,相対的に他のフランス語変種が低く見られるようになってきたのは事実である.しかし,この方言蔑視は Anglo-French に限らず,フランス国内の諸変種についても同様にあったのであり,Anglo-French がとりわけ軽視されたわけではない.Rothwell 曰く,

As far as continental French is concerned, it is important to recognize at the outset that disparagement and unfavourable comparison with the dialect of the Paris region --- francien --- were not confined to Anglo-Norman but were also the lot of outlying dialects of the continental mainland. Within the bounds of what is now northern France and Belgium dialectal variations were frowned upon as soon as a strong literary tradition began to develop in the Ile-de-France. (40--41)


Chaucer's quip at the expense of his Prioress is to be regarded then as a small reflection of the general movement towards the standardization of the French language that originated in Paris before the end of the twelfth century, a movement whose aim of making the language of the capital the norm for eventually the whole of France was to involve not only the subordination of the vigorous northern dialects, but also the eclipse of the brilliant literary civilization of Provence, built around the langue d'oc. (41--42)


 (2) むしろ,フランスの諸変種に比べて Anglo-French はイングランドという独立国によって書き言葉としてある程度制度化されていたのであり,イングランド内では社会的地位を保っていた.語彙や文法の面でも十分に「立派な」変種だったのであり,中央フランス語母語話者にとっても理解不能なフランス語の「崩れ」などではなかった.

It must be emphasized . . . that the general level of competence in most of the Anglo-Norman works that have come down to us is remarkably high, if judged not only by the accurate use of vocabulary, but in the far more searching test represented by the handling of syntax. (42)


There is no suggestion that the living French of England was unable to express with complete adequacy any of the ideas, objects, and shades of meaning required by the civilization it served. In fact, if we are to judge simply from material provided by the standard dictionaries of medieval French, it would appear that in certain technical areas such as the law, Anglo-Norman may well have been more highly developed at an earlier stage than the corresponding language on the continent. (43)


 結論として,Rothwell は,Anglo-French がしばしば言われるよりも,パリのフランス語から独立 (autonomous) していたことを主張し,中世英語英文学の研究においてもそのようなものとして再評価されるべきだと論じる.

Insular French, then, was for some considerable time after the Conquest no more than a normal and accepted part of French culture, but had gradually and imperceptibly moved into a position of increasing eccentricity by the time we reach the age of Chaucer. Yet it may perhaps be a mistake to view this apparently aberrant offshoot of French as no more than a failed and vanished imitation of francien. . . . [T]he standing of Anglo-French may well improve once it is viewed not as a peripheral dialect, the inferior linguistic medium of a transplanted culture, destined to disappear after a few centuries, but as an efficient vehicle of a highly-developed civilization, a language that did not really disappear but was absorbed into English, transforming the latter in the process. (45)


 ・ Rothwell, W. "Stratford atte Bowe and Paris." Modern Language Review 80 (1985): 39--54.

Referrer (Inside): [2015-12-18-1] [2015-10-27-1]

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2015-10-02 Fri

#2349. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか (2) [reestablishment_of_english][language_shift][french][loan_word][borrowing][bilingualism][borrowing][lexicology][statistics][contact]

 標記の問題については,以下の一連の記事などで取り上げてきた.

 ・ 「#117. フランス借用語の年代別分布」 ([2009-08-22-1])
 ・ 「#1205. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか」 ([2012-08-14-1])
 ・ 「#1209. 1250年を境とするフランス借用語の区分」 ([2012-08-18-1])
 ・ 「#1540. 中英語期における言語交替」 ([2013-07-15-1])
 ・ 「#1638. フランス語とラテン語からの大量語彙借用のタイミングの共通点」 ([2013-10-21-1])
 ・ 「#2069. 言語への忠誠,言語交替,借用方法」 ([2014-12-26-1])

 この問題に関連して,Rothwell の論文を読んだ.Rothwell (50) によると,中英語のあいだに公的な記録の言語が,ラテン語からフランス語へ,フランス語から英語へ目まぐるしく切り替わった言語交替 (language_shift) という社会言語学的な視点を考慮しなければならないという.

If the English language appears to embark on a far more extensive campaign of lexical borrowing from the later fourteenth century, this is because French had become the second official language of record in England, alongside and often in replacement of Latin. This means in effect that from the thirteenth century onwards French is called upon to cover a much wider range of registers than in the earlier period, when it was used in the main for works of entertainment or edification. This change in the role of French took place at a time when English was debarred from use as a language of record, so that when English in its turn began to take on that role in the later fourteenth century, it was only to be expected that it would retain much of the necessary vocabulary used by its predecessor --- French. . . . For successive generations of countless English scribes and officials the administrative vocabulary of French had been an integral part of their daily life and work; it would be unrealistic to expect them to jettison it and re-create an entirely new Germanic set of terms when English came in to take over the role hitherto played by French.


 13--14世紀にかけて,フランス語が法律関係を始めとする公的な言語としての役割を強めていくことは,「#2330. 13--14世紀イングランドの法律まわりの使用言語」 ([2015-09-13-1]) でみた.このようにイングランドにおいてフランス語で公的な記録が取られる慣習が数世代にわたって確立していたところに,14世紀後半,英語が復権してきたのである.書き言葉上のバイリンガルだったとはいえ,多くの写字生にとって,当初この言語交替には戸惑いがあったろう.特に政治や法律に関わる用語の多くは,これまでフランス単語でまかなってきており,対応する英語本来語は欠けていた.このような状況下で,写字生が書き言葉を英語へとシフトする際に,書き慣れたフランス語の用語を多用したことは自然だった.
 後期中英語における各言語の社会言語学的な位置づけと,言語間の語彙借用の様相は,このように密接に結びついている.関連する最近の話題として,「#2345. 古英語の diglossia と中英語の triglossia」 ([2015-09-28-1]) も参照.

 ・ Rothwell, W. "Stratford atte Bowe and Paris." Modern Language Review 80 (1985): 39--54.

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2015-10-01 Thu

#2348. 英語史における code-switching 研究 [code-switching][me][emode][bilingualism][contact][latin][french][literature][borrowing][genre][historical_pragmatics][discourse_analysis]

 本ブログでは code-switching (CS) に関していくつかの記事を書いてきた.とりわけ英語史の視点からは,「#1470. macaronic lyric」 ([2013-05-06-1]),「#1625. 中英語期の書き言葉における code-switching」 ([2013-10-08-1]),「#1941. macaronic code-switching としての語源的綴字?」 ([2014-08-20-1]),「#2271. 後期中英語の macaronic な会計文書」 ([2015-07-16-1]) で論じてきた.現代語の CS に関わる研究の発展に後押しされる形で,また歴史語用論 (historical_pragmatics) の流行にも支えられる形で,歴史的資料における CS の研究も少しずつ伸びてきているようであり,英語史においてもいくつか論文集が出されるようになった.
 しかし,歴史英語における CS の実態は,まだまだ解明されていないことが多い.そもそも,CS が観察される歴史テキストはどの程度残っているのだろうか.Schendl は,中英語から初期近代英語にかけて,複数言語が混在するテキストは決して少なくないと述べている.

There is a considerable number of mixed-language texts from the ME and the EModE periods, many of which show CS in mid-sentence. The phenomenon occurs across genres and text types, both literary and non-literary, verse and prose; and the languages involved mirror the above-mentioned multilingual situation. In most cases Latin as the 'High' language is one of the languages, with one or both of the vernaculars English and French as the second partner, though switching between the two vernaculars is also attested. (79)

CS in written texts was clearly not an exception but a widespread specific mode of discourse over much of the attested history of English. It occurs across domains, genres and text types --- business, religious, legal and scientific texts, as well as literary ones. (92)


 ジャンルを問わず,様々なテキストに CS が見られるようだ.文学テキストとしては,具体的には "(i) sermons; (ii) other religious prose texts; (iii) letters; (iv) business accounts; (v) legal texts; (vi) medical texts" が挙げられており,非文学テキストとしては "(i) mixed or 'macaronic' poems; (ii) longer verse pieces; (iii) drama; (iv) various prose texts" などがあるとされる (Schendl 80) .
 英語史あるいは歴史言語学において CS (を含むテキスト)を研究する意義は少なくとも3点ある.1つは,過去の2言語使用と言語接触の状況の解明に資する点だ.2つめは,CS と借用の境目を巡る問題に関係する.語彙借用の多い英語の歴史にとって,借用の過程を明らかにすることは,理論的にも実際的にも極めて重要である (see 「#1661. 借用と code-switching の狭間」 ([2013-11-13-1]),「#1985. 借用と接触による干渉の狭間」 ([2014-10-03-1]),「#1988. 借用語研究の to-do list (2)」 ([2014-10-06-1]),「#2009. 言語学における接触干渉2言語使用借用」 ([2014-10-27-1])) .3つめに,共時的な CS 研究に通時的な次元を与えることにより,理論を深化させることである.

 ・ Schendl, Herbert. "Linguistic Aspects of Code-Switching in Medieval English Texts." Multilingualism in Later Medieval Britain. Ed. D. A. Trotter. Cambridge: D. S. Brewer, 2000. 77--92.

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2015-09-30 Wed

#2347. 句比較の発達におけるフランス語,ラテン語の影響について [comparison][french][latin][contact][register]

 昨日の記事「#2346. more, most を用いた句比較の発達」 ([2015-09-29-1]) で,句比較の発達に,フランス語やラテン語の対応する構造が関与していた可能性に触れた.特にフランス語影響説はしばしば議論されてきたが,英語とフランス語の句比較の構造が異なっていたこと,本来語かフランス借用語かという語種にかかわらず句比較が使用されていたことなどから,影響説を認めない立場もある.
 Mustanoja (280) は,フランス語,ラテン語から影響の可能性について慎重に議論しつつも,興味深い視点を与えている.

It is not easy to assess the influence of Latin and French on the development of English comparison. It is perhaps not altogether impossible that Latin influence has played a part in this process, particularly in the earlier stages. And considering the fact that periphrastic comparison begins to gain ground in English at a time when French influence is particularly strong, it seems reasonable to assume that the influence of this language has considerably strengthened the position of more and most in the English system of comparison. Another point which seems to speak for foreign influence is that the periphrastic mode of comparison does not seem to be favoured by living popular speech. 'The comparison of adjectives is formed in the [modern English] dialects by adding the comparative suffix -er and the superlative -est to practically all adjectives, polysyllabic as well as monosyllabic. More and most are as a rule only used to supplement or intensify the regular comparison, as more beautifuller, most worst' (Elizabeth M. Wright, Rustic Speech and Folk-lore, London 1913, p. 145).


 もし最後の点が正しいとすれば,屈折比較の句比較の使い分けは,本来,語の音節数云々というよりは媒体 (medium) や文体 (style) などの使用域 (register) に依存していたことになる.また,その使い分けは,中英語期のイングランドにおける本来語とフランス語,ラテン語の社会的な地位の差に対応するという議論にもつながっていくだろう.実証的な研究が望まれる.

 ・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.

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2015-09-29 Tue

#2346. more, most を用いた句比較の発達 [comparison][french][latin][contact][synthesis_to_analysis]

 現代英語には,形容詞や副詞の比較級と最上級を作るのに,通常2つの方法がある.語尾に -er, -est を付す屈折比較と,more, most を前置する迂言的な句比較である(「屈折比較」の呼称については,「#456. 比較の -er, -est は屈折か否か」 ([2010-07-27-1]) を参照).両手段の分布や使い分けの歴史については,「#403. 流れに逆らっている比較級形成の歴史」 ([2010-06-04-1]) と「#773. PPCMBE と COHA の比較」 ([2011-06-09-1]) で関連する話題を取り上げた程度だったので,今回はもう少し掘り下げたい.
 屈折比較は,ゲルマン語に特徴的な手段であり,英語においても古英語以来の伝統である.古英語では屈折比較しかなかったが,13世紀に初めて ma, mo, mara, more; mast, most などによる句比較が現われる.その起源は,古英語における , bet, swīþor; betst, swīþost などの副詞が動詞の分詞形に前置された構造にあるとされる.
 句比較の発達の背景には,いくつかの要因があっただろう.1つには古英語にみられた inemest (inmost), norþmest (northmost) などの接尾辞 -mest の影響があったと思われる.語源的,形態的には -mest は,ともに最上級を表わす mest が結びついたいわば2重最上級の語尾であり,独立した副詞 mæst とは関係がないのだが,両者が混同されるに至った(関連して「#1307. mostmest」 ([2012-11-24-1]) と「#1320. LAEME で見る most の異形態の分布」 ([2012-12-07-1]) も参照).ほかに,フランス語やラテン語の対応する句比較の影響もあったかもしれない (ex. plus beau, le plus beau; magis dignus, maxime dignus) .より一般的には,総合から分析へという英語の類型的な変化という観点からも,句比較の発展をみることができるだろう.さらに,韻律上の要因も考慮すべきである.
 句比較は14世紀までは散発的だったが,15世紀になるときわめて頻繁となった.-ly 語尾をもつ副詞の句比較も初期中英語で初出し,しばらくは稀だったが,北部方言を除き,14世紀末頃に頻繁となった.
 なお,句比較の初期の使用においては,現代英語の傾向とは異なり,むしろ1,2音節の短い語の用例が多いことが興味深い.また,less, least による句比較は古英語に遡り,more, most よりも早いというのもおもしろい.以上,中尾・児馬 (13) と Mustanoja (278--80) を参照して執筆した.

 ・ 中尾 俊夫・児馬 修(編著) 『歴史的にさぐる現代の英文法』 大修館,1990年.
 ・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.

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2015-09-12 Sat

#2329. 中英語の借用元言語 [borrowing][loan_word][me][lexicology][contact][latin][french][greek][italian][spanish][portuguese][welsh][cornish][dutch][german][bilingualism]

 中英語の語彙借用といえば,まずフランス語が思い浮かび (「#1210. 中英語のフランス借用語の一覧」 ([2012-08-19-1])),次にラテン語が挙がる (「#120. 意外と多かった中英語期のラテン借用語」 ([2009-08-25-1]), 「#1211. 中英語のラテン借用語の一覧」 ([2012-08-20-1])) .その次に低地ゲルマン語,古ノルド語などの言語名が挙げられるが,フランス語,ラテン語の陰でそれほど著しくは感じられない.
 しかし,実際のところ,中英語は上記以外の多くの言語とも接触していた.確かにその他の言語からの借用語の数は多くはなかったし,ほとんどが直接ではなく,主としてフランス語を経由して間接的に入ってきた借用語である.しかし,多言語使用 (multilingualism) という用語を広い意味で取れば,中英語イングランド社会は確かに多言語使用社会だったといえるのである.中英語における借用元言語を一覧すると,次のようになる (Crespo (28) の表を再掲) .

LANGUAGESDirect IntroductionIndirect Introduction
Latin--- 
French--- 
Scandinavian--- 
Low German--- 
High German--- 
Italian through French
Spanish through French
Irish--- 
Scottish Gaelic--- 
Welsh--- 
Cornish--- 
Other Celtic languages in Europe through French
Portuguese through French
Arabic through French and Spanish
Persian through French, Greek and Latin
Turkish through French
Hebrew through French and Latin
Greek through French by way of Latin


 「#392. antidisestablishmentarianism にみる英語のロマンス語化」 ([2010-05-24-1]) で引用した通り,"French acted as the Trojan horse of Latinity in English" という謂いは事実だが,フランス語は中英語期には,ラテン語のみならず,もっとずっと多くの言語からの借用の「窓口」として機能してきたのである.
 関連して,「#114. 初期近代英語の借用語の起源と割合」 ([2009-08-19-1]),「#516. 直接のギリシア語借用は15世紀から」 ([2010-09-25-1]),「#2164. 英語史であまり目立たないドイツ語からの借用」 ([2015-03-31-1]) も参照.

 ・ Crespo, Begoña. "Historical Background of Multilingualism and Its Impact." Multilingualism in Later Medieval Britain. Ed. D. A. Trotter. Cambridge: D. S. Brewer, 2000. 23--35.

Referrer (Inside): [2015-10-22-1]

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