英語の歴史と語源・7
「ノルマン征服とノルマン王朝」

堀田 隆一

2020年10月3日
hellog~英語史ブログ: http://user.keio.ac.jp/~rhotta

第7回 ノルマン征服とノルマン王朝

1066年のノルマン征服はイギリス史上最大の事件といわれますが,英語史の観点からも,その後の英語がたどってゆく進路を大きく方向づけた点できわめて重大な出来事でした.以後,英語はノルマン王朝の公用語であるフランス語との接触を強め,主に語彙,語法,綴字の領域で大きな言語的影響を被ることになりました.また,当時英語が一時的にフランス語のくびきの下で社会的権威を奪われ,標準形をも失ったという事実は,近代以降の英語の世界的な発展を思うとき,実に意味深長です.本講座で,ノルマン征服の英語史上の意義を改めて考えてみましょう.

* 本スライドは https://bit.ly/3jp8azl からもアクセスできます.

目次

  1. ノルマン征服,ten sixty-six
  2. ノルマン王朝,動乱の88年
  3. 英語への社会的影響
  4. 英語への言語的影響

1. ノルマン征服,ten sixty-six

  1. ノルマン征服 (Norman Conquest) — 1066年に起こった英国史上最大の事件
    • 1066 And All That (1931): Yeatman and Sellar の共著になる概説英国歴史物語風の滑稽文学
  2. ノルマンディ公ギョーム (Guillaume) =ウィリアム1世「征服王」 (William I the Conqueror) がアングロサクソン王国を軍事的に征服
  3. ノルマンディに軸足をおくノルマン王朝イングランドの時代 (1066–1154)
  4. イングランドの政治・社会・文化が,それまでのゲルマン的・島嶼的なものからロマンス的・大陸的なものへと大きく転換
  5. 英語にも甚大な社会的・言語的影響が

ノルマン人とノルマンディの起源

  1. ノルマンディはどこ?
  2. 用語の確認: Norman, Normandy, Norsemen, Northman (#1568)
  3. 「ノルマン」 (= Norman) は古代北欧語の Norðmaðr (= Northman) に由来
  4. 8世紀後半からイングランドを苦しめていたヴァイキング(またの名を Norsemen)の末裔
  5. ウィリアム1世の家系図 (#2685; 「エマ」にも注目)
  6. ノルマン征服は,ある意味では2度目のヴァイキングによるイングランド侵略とも

エマ=「ノルマンの宝石」

  1. アングロサクソン王朝とヴァイキング王朝の家系図 (#2620)
  2. イングランドのノルマンディとの関わりはエマから
  3. エマを中心にイングランドはゲルマン的・島嶼的な国からロマンス的・大陸的な国へと大きく転換

1066年

  1. 1月5日,エマの息子,エドワード証聖王 (Edward the Confessor) が死去,自らが再建したウェストミンスター修道院に埋葬
  2. その直後,アングロサクソン系のハロルド2世 (Harold II) が即位.これにノルマンディ公ギョーム(=ウィリアム)が激怒
  3. 4月24日,ハレー彗星が現れる (#88)
  4. 9月25日,ハロルド,王位を狙うノルウェー王ハーラル3世とスタンフォードブリッジの戦いで勝利
  5. 10月14日,ハロルド,ヘイスティングズの戦いでウィリアムに敗北
  6. クリスマスの日,ウィリアム1世がウェストミンスター修道院で即位
  7. その後,数年をかけて軍事力で反乱分子を押さえ,中央集権を確立
  8. 4,000人のアングロサクソン貴族が保有していた領地が200人のノルマン貴族に再配分
  9. 前後の詳細は「バイユーのタペストリー」 (The Bayeux Tapestry) に (#88)
  10. Peterborough Chronicle 『ピータバラ年代記』の1066年の記事(こちらのPDFより

2. ノルマン王朝,動乱の88年

  1. ウィリアム1世「征服王」(在位1066–1087)
  2. ノルマン王朝 (1066–1154) の開祖(ノルマン王朝の4代の王たち)
  3. イギリス王室の父祖でもある (「ウィリアム1世とライオンの図案」「大紋章」)
    • 「わが国は父祖ウィリアム征服王以来云々」(エリザベス女王の来日時,宮中晩餐会での言葉)
  4. 本業はノルマンディ公,イングランド王は副業として
    • イングランドはノルマンディ防衛のための供給源
  5. 母語はノルマン訛りのフランス語 (Norman French)
  6. 43歳で英語を学ぼうとした形跡があるが,習得はならなかった
    • 英語を軽視しなかったのは,すでに長い書き言葉の伝統をもった言語として一目置いていたから?
  7. フランス語による支配,中央集権的封建制の確立,築城(ロンドン塔,ウィンザー城など)
  8. 1086年,不人気な国勢調査台帳 Doomsday Book を整備
  9. 一方,アングロサクソン王朝から引き継いだものも
    • 「ウィリアムの文書」 (William’s writ) にみられる祖法の遵守 (cf. #1461補遺)
    • shire(州)の据え置き (cf. sheriff, #1736)

ノルマン王家の仲違いとその後への影響

  1. (法的ではなく)慣行として長男に郷土ノルマンディを,次男に属国イングランドを,三男にはお金を
  2. 領土の分割,フランス王の介入,防衛の難,両側に土地をもっている貴族にとって政治的分割は不満の種
  3. 王が亡くなったあと,すぐさま駆けつけた者が次の王に
  4. 結果として
    • 王の不在時に効率よく政治を執るために統治機構が発達 (後述するヘンリー1世の諸制度)
    • 莫大な防衛費に充てる税金徴収のために議会(への諮問)が必要となり,議会の権力が強まる

ウィリアム2世「赤顔王」(在位1087–1100)

  1. ウィリアム1世「征服王」の三男がイングランド王位を継承
  2. 長兄ロベールは本拠地ノルマンディを継承
  3. 次男リシャールは早世
  4. ニューフォレストで狩猟中,流れ矢に当たり死去
  5. 末弟ヘンリーによる暗殺説?

ヘンリー1世「碩学王」(在位1100–1135)

  1. 学識の王,しかし公認の庶子は20人にのぼる
  2. 統治機構の確立
    • 宮廷財務室 (Chamber)
    • 尚書部 (Chancery)
    • 宝蔵室 (Treasury)
    • 財務府 (Exchequer)
  3. 御曹司ウィリアムを海難事故で亡くす (悲嘆に暮れるヘンリー1世)
  4. 好色のスタミナ源のヤツメウナギに当たって死去 (#3097)

皇妃マティルダ(生没年1102–1167)

  1. ヘンリー1世の娘にして,神聖ローマ皇帝ハインリッヒ5世の未亡人
  2. イギリス史上初の女王となるべくイングランドに呼び戻された
  3. アンジュー泊ジョフロアと結婚
  4. 息子アンリ(=後のヘンリー2世)へ継承をもくろむ
  5. 従兄弟スティーヴンと18年間に及ぶ内乱を引き起こした

スティーヴン(在位1135–1154)

  1. 世論を味方につけ,皇妃マティルダに対して優勢となり,即位
  2. 皇妃マティルダと王妃マティルダの争い
  3. 長男ユスタス,ヤツメウナギに当たって死去 (#3097)
  4. 自らの死後には,継承者を皇妃マティルダの息子アンリ(=後のヘンリー2世へ)とする旨,約束
  5. 内乱の残したもの — 女性による統治への疑問

ヘンリー2世(在位1154–1181)

  1. ヘンリー2世の即位(=ノルマン王朝の終焉)
  2. プランタジネット朝 (1154–1475) の始まり
  3. フランス王よりもずっと広い領土「アンジュー帝国」を獲得

3. 英語への社会的影響

  1. ノルマン征服により,英語は社会的に下位の言語へ下落
  2. 英語は書記規範を奪われ,話し言葉のみの世界に
  3. しかし,それによってかえって束縛から解放され,自由闊達で天衣無縫に変化し多様化することができた
  4. 「英語はこうして地下に潜ったが,この事実は英語の言語変化が進行してゆくのに絶好の条件を与えた。現代の状況を考えれば想像できるだろうが,書き言葉の標準があり,そこに社会的な権威が付随している限り,言語はそう簡単には変わらない。書き言葉の標準は言語を固定化させる方向に働き,変化に対する抑止力となるからである。しかしいまや英語は庶民の言語として自然状態に置かれ,チェック機能不在のなか,自然の赴くままに変化を遂げることが許された。どんな方向にどれだけ変化しても誰からも文句を言われない,いや,そもそも誰も関心を寄せることのない土着の弱小言語へと転落したのだから,変わろうが変わるまいがおかまいなしとなったのである。」(堀田,p. 74)
  5. 英語はフランス語のくびきの下にあったのではなく,むしろ繁栄していたとすら言える? (#577, #2047)

ノルマン人の流入とイングランドの言語状況

  1. ノルマン・フランス語 (Norman French) を母語とする王侯貴族や高位聖職者がイングランドへ移住
  2. しかし,それもイングランド人口のわずか5%にとどまる (#338)
  3. 95%のイングランド人の母語は英語のまま
  4. 一方,やがて英仏語のバイリンガルも現われるように (#661)
  5. イングランド社会は「フランス語=上位」「英語=下位」の構図に (#1203)
  6. ノルマン征服後,1世紀ほどの間,ほとんど英語でものが書かれることがなくなった
  7. 12世紀のイングランド王たちの「英語力」はいかに? (#1204)
  8. 王たちの英語への無関心が英語を生き延びさせた?

4. 英語への言語的影響

  1. フランス借用語(句)が流入し始め,語彙体系の再編成の兆し
  2. フランス式綴字習慣の導入
  3. ノルマン・フランス語と中央フランス語の関係

語彙への影響

  1. 中英語期 (1100–1500) を中心に1万語が流入 (#1210)
    • 特に1250–1400年に多く借用された (#117, #1205, #2349)
    • 現代英語には7500語ほどが残る
    • 現代英語の語種比率(#1225, #1645
    • 句の借用もあり (#2351)
  2. ノルマン王朝時代には,実はさほど借用されていない (#1209)
    • 古英語のフランス借用語 (#302)
    • 法律用語の置換 (#1240)
  3. ノルマン征服後の英語人名のフランス語かぶれ (#2364)
    • かろうじて残った英語人名 Edward, Edgar, Edmond, Edwin (#3902)

綴字への影響

  1. 古英語 hus → 中英語 house
  2. 古英語 cild → 中英語 child
  3. 古英語 cwic → 中英語 quick
  4. 古英語 lufu → 中英語 love (#374)

ノルマン・フランス語と中央フランス語

  1. 英語(イングランド)のフランス(語)との付き合いの窓口は
    • 中英語の比較的早い時期には,ノルマン・フランス語 (Norman French)
    • 中英語の比較的遅い時期には,中央フランス語 (Central French)
  2. ノルマン・フランス語と中央フランス語の音対応 (#76)

ノルマン・フランス語 中央フランス語
/w/ /g/
/tʃ/ /s/
/k/ /tʃ/
/eɪ/ /oɪ/

  1. 両方言からの2重語 (doublet)

ノルマン・フランス語 中央フランス語
car 「馬車」 1301 chariot 「花馬車」 1358
catch 「捕らえる」 ?a1200 chase 「追いかける」 ?a1300
convey 「運ぶ」 a1383 convoy 「同行する」 1375
launch 「進水させる;発射する;投げつける」 ?a1300 lance 「槍で突く;投げつける」 ?a1300
pocket 「小袋」 1350 pouch 「小袋」 a1325
reward 「報いる」 ?a1300 regard 「みなす」 1348
wage 「賃金」 ?a1300 gage 「抵当物」 ?a1300
wallop 「ギャロップで走る」 1375 gallop 「ギャロップで走る」 a1425
warden 「番人」 ?a1200 guardian 「守護者」 1417
warison 「攻撃開始の合図」 ?a1300 garrison 「駐屯地」 a1250
warranty 「保証(書)」 a1338 guaranty 「保証(書)」 1592
wise 「方法,仕方」 OE guise 「やりかた,流儀」 a1338

  1. Guillaume 「ギョーム」か William 「ウィリアム」か
  2. 「ノルマン・コンケスト」でなく「ノルマン・コンクェスト」 (conquest vs conquer, liquid vs liquor, #383)
  3. gaol か jail か (#94)

ノルマン征服がなかったら,英語は・・・?

  1. 歴史の「もし」ですが・・・ (#3108)
  2.  
  3.  
  4.  
  5.  

まとめ

  1. ノルマン征服は(英国史のみならず)英語史における一大事件.
  2. ノルマン王朝のイングランドにおいて,英語はフランス語のくびきの下に入ったが,かえって生き生きと変化し,多様化する機会を得た.
  3. 英語は語彙や綴字を中心としてフランス語から多大な言語的影響を受け始めた.

補遺: 「ウィリアムの文書」 (William’s writ)

Willm kyng gret Willm bisceop and gosfregð portirefan and ealle þa burhwaru binnan londone frencisce and englisce freondlic· and ic kyðe eow þæt ic wylle þæt get beon eallre þæra laga weorðe þe gyt wæran on eadwerdes dæge kynges· and ic wylle þæt ælc cyld beo his fæder yrfnume æfter his fæder dæge· and ic nelle geþolian þæt ænig man eow ænig wrang beode· god eow gehealde·

(King William greets Bishop William and Port-reeve Geoffrey and all the burgesses within London, French and English, in a friendly way. And I make know to you that I wish you to enjoy all the rights that you formerly had in the time of King Edward. And I want every child to be the heir of his father after his father’s lifetime. And I will not permit any man to do you any wrong. God preserve you.)

参考文献