標題は「#3020. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (1)」 ([2017-08-03-1]),「#3021. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (2)」 ([2017-08-04-1]) と関連させての話題.19世紀における英語文献学や英語史という分野の発達は,大英帝国の発展と二人三脚で進んでいたという事実が指摘されてきた.児馬 (43) が同趣旨のことを次のように説明している.
19世紀ヨーロッパのナショナリズムを形成するのに中心的だったのが Oxford English Dictionary (OED) を編纂した James Murray (1837--1915), The English Dialect Dictionary (1896--1905) を編集した Joseph Wright であった.19世紀は英語の辞書・方言学・文献学・文法の黄金時代であり,Murray の OED 編集期間は大英帝国の時代 (The Age of Empire (1875--1914)) と大体一致するのである.OED は,1888年に A New English Dictionary (NED) として第1巻を出版し,1928年に完結し,その後補遺を加えて全11巻として,1933年に完成した.〔後略〕
大英帝国の拡張と言語科学の発展が並行している.Furnivall (1825--1910) が初期英語テキスト協会 (The Early English Text Society: EETS) を設立したのも1864年,イギリス方言協会の設立も1873年のことであった.Anglo-Saxon を Old English と呼び変えたのも,このような国家と言語を一体化する傾向と無関係ではないかもしれない.
OED や EDD の編纂は,形式的には決して国家プロジェクトではなく,個人的な事業にちがいなかったものの,大英帝国を背負ってなされた企画という点では,事実上の国家プロジェクトに近い性格をもっていたということができる.
現在,私たちは英語史を含めた英学の研究において,日々 OED (の改版)の恩恵にあずかり,"Old English" という呼称も当たり前のように使っているが,これらのツールや用語が確立してきた背景に,帝国主義の歴史が深く関わっていることは銘記しておかなければならない.
・ 児馬 修 「第2章 英語史概観」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.22--46頁.
[2017-05-05-1]の記事で,日本語史上最初のイロハ順国語辞書『色葉字類抄』を取り上げたが,改めてこの話題に触れよう.沖森 (209--10) が『日本語全史』のなかで,この辞書について次のように述べている.
『色葉字類抄』(橘忠兼,三巻)は最初の国語辞書といわれるもので,一一四四?一一八一年の間に補訂を加えて成立した.漢語を含む見出し語を,第一音節の仮名でイロハ順に四七部に分け,さらにそれぞれの内部を,天象・地儀・植物・動物・人倫・人体・人事・飲食・雑物・光彩・方角・員数・辞字・重点・畳字・諸社・諸寺・国郡・官職・姓氏・名字の二一部に分けたものである.語の読みに従って漢字表記を求めるためなど,日常的な実用文や漢詩を作成する際に用いる目的で編纂されたものと考えられる.百科語に類するものが多い中で,日常的に用いる普通語が収められている点でも国語辞書にふさわしい体裁をなしている.
興味深いのは,なぜ12世紀半ばというタイミングで『色葉字類抄』が世に出たのか,という問いだ.これについて,沖森 (210--11) は次のように論じている.
十二世紀ごろになって,このような国語辞書が出現しえた大きな要因に,配列基準としての「いろは歌」が十一世紀前半において成立し,次第に普及してきたことがある.「いろは歌」は仮名を重複させずに網羅したものであるから,その仮名によって語を分類することが可能となる.従って,「いろは歌」の社会的定着によって,ようやく一定の基準で語を配列させた「音引き国語辞書」の成立する条件が整ったのである.
ただ,その音引きによる分類は語の第一音節のみで,第二音節以降には採用されなかった.むしろ,旧来の意義分類の方式(たとえば源順『和名類聚抄』)をも併用することで,その検索の利便性を図ろうとしている.確かに,音引きに慣れれば今日のように引きやすいと感じるかもしれないが,表現辞典としての使用法を考えると,同じような意味を持つ語がまとまって示されている方が便利でもある.語頭の音引きと意義分類との折衷方式は,前代からの流れの中で,実用的な配列基準として採用されたものであり,その便利さゆえに近世の「節用集」に至るまで国語辞書の主流を占めた.
確かに「いろは歌」が先に成立し,確立していなければ,イロハ順の辞書を作ろうという発想も生じ得ないわけだから,このタイミングと因果関係には納得がいく.
ここで英語史に思いを馳せると,いろいろと比較できておもしろい.近現代人にとってイロハ順にせよ五十音順にせよアルファベット順にせよ,音引き辞書の発想は自明だが,その発想の出現や定着は,歴史的には案外新しいものである.英語の世界でも,アルファベット順という原理こそ古英語期から知られていたものの,それが本格的に適用されたのは15世紀になってからのことである(cf. 「#1451. 英語史上初のコンコーダンスと完全アルファベット主義」 ([2013-04-17-1])).同様に,アルファベット順に基づいた最初の英語辞書が現われたのも,1604年と案外遅い(cf. 「#603. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (1)」 ([2010-12-21-1])).しかも,当時は読者にとってまだアルファベット順は自明ではなかった節があるし,さらには厳密にアルファベット順が守られたのは語頭文字のみであり,2文字目以降では必ずしも守られていなかったという,『色葉字類抄』によく似た事情もあった(「#604. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (2)」 ([2010-12-22-1]) の (6) を参照).また,A Table Alphabeticall も『色葉字類抄』も「日常語」を収録した初めての辞書だった点で共通している.いずれもある意味で「現代的国民的国語辞書」の先駆けだったのである.
ちなみに,イロハ順ではなく五十音順の国語辞書の嚆矢は1484年の『温故知新書』(大伴広公)であり,『色葉字類抄』より3世紀以上も遅れている.五十音順は近世でも『和訓栞』(谷川士清)で用いられたが,一般的になるのは大槻文彦の『言海』 (1889--91年)以降のことである.
・ 沖森 卓也 『日本語全史』 筑摩書房〈ちくま新書〉,2017年.
標題は「#1995. Mulcaster の語彙リスト "generall table" における語源的綴字」 ([2014-10-13-1]) で取り上げたが,Mulcaster の <ph> の扱いについて気づいたことがあるので補足する.
Richard Mulcaster (1530?--1611) が1582年に出版した The first part of the elementarie vvhich entreateth chefelie of the right writing of our English tung, set furth by Richard Mulcaster の "Generall Table" には,彼の提案する単語の綴字が列挙されている.この語彙リストは,EEBO TCP, The first part of the elementarie のページの THE GENERAL TABLE CAP. XXV. より閲覧することができる. * *
このリストから <ph> で始まる一群の単語が掲載されている箇所をみると,Phantasie, phantasticall, pheasant, phisician, pharisie, phisiognomie, philip, phrensie, philosophie, phenix の10語に対して一括してカッコがあり,"vvhy not all these vvith f" と注記がある.
概していえば Mulcaster は語源的綴字の受け入れに消極的であり,これらの <ph> 語も,注記から示唆されるように,本心としては <f> で綴りたかったのかもしれない.実際,<f> の項では,fantsie, fantasie, fantastik, fantasticall, feasant, frensie が挙げられている(しかし,これは先の10語のすべてではない).
現代の私たちは歴史の後知恵で結果を知っているが,Mulcaster の <f> に関するこの提案が実を結んだのは,上の10語のうち fantasy, fantastical, frenzy の3語のみである.これは,語源的綴字の後世への影響力が概して大きかったことを物語っているといえよう.
朝日カルチャーセンター新宿教室の講座「スペリングでたどる英語の歴史」(全5回)の第4回が,2月24日(土)に開かれました.今回は「doubt の <b>--- 近代英語のスペリング」と題して,近代英語期(1500--1900年)のスペリング事情を概説しました.講座で用いたスライド資料をこちらにアップしておきます.
今回の要点は以下の3つです.
・ ルネサンス期にラテン語かぶれしたスペリングが多く出現
・ スペリング標準化は14世紀末から18世紀半ばにかけての息の長い営みだった
・ 近代英語期の辞書においても,スペリング標準化は完全には達成されていない
とりわけ語源的スペリングについては,本ブログでも数多くの記事で取り上げてきたので,etymological_respelling の話題をご覧ください.以下,スライドのページごとにリンクを張っておきます.各スライドは,ブログ記事へのリンク集としても使えます.
1. 講座『スペリングでたどる英語の歴史』第4回 doubt の <b>--- 近代英語のスペリング
2. 要点
3. (1) 語源的スペリング (etymological spelling)
4. debt の場合
5. 語源的スペリングの例
6. island は「非語源的」スペリング?
7. 語源的スペリングの礼賛者 Holofernes
8. その後の発音の「追随」:fault の場合
9. フランス語でも語源的スペリングが・・・
10. スペリングの機能は表語
11. (2) 緩慢なスペリング標準化
12. 印刷はスペリングの標準化を促したか?
13. (3) 近代英語期の辞書にみるスペリング
14. Robert Cawdrey's A Table Alphabeticall (1603)
15. Samuel Johnson's Dictionary of the English Language (1755)
16. まとめ
17. 参考文献
昨日の記事「#3223. George Andrews, A Dictionary of the Slang and Cant language (1809)」 ([2018-02-22-1]) で,英語史上初の俗語・隠語の用語集,Thomas Harman の A Caveat or Warening for Common Cursetors (1567) に言及した.英語史上初の英英辞書,Robert Cawdrey の A Table Alphabeticall に30年以上も先駆けて出版されたというのは驚くべきことに思われるかもしれない.普通の英英辞書よりも,裏世界の用語集のほうが早いというのは,何だかおもしろい.
しかし,ルネサンス期以前のイングランドにおける辞書編纂の経緯を振り返ってみると,むしろこの流れは自然である.まず,ある言語について最初に作られる辞書・用語集は,ほぼ間違いなく外国語辞書,つまり bilingual dictionaries/glossaries である.実際,羅英辞書,仏英辞書,伊英辞書などが英語史上,先に現われている.このことは,考えてみれば当然である.何といっても,理解できない言語の単語を母語の単語で教えてくれるのが,辞書の第1の役割である.すでによく知っている母語の単語を母語で言い換えたり説明したりする monolingual dictionaries/glossaries は,現代でこそ価値あるものと了解されているが,近代初期にあっては,いまだその意義は人々にピンとこなかったろう.
そして,外国語辞書に準ずるものとして,次に裏世界の俗語・隠語 (canting language) の用語集が編まれることになった.善良な一般市民にとって,canting language は外国語も同然である.したがって,A Caviat もある種の bilingual glossary だったと言ってよいのである.
続けて,1604年に英語史上初の「普通の英英辞書」と先ほど言及した A Table Alphabeticall が出版されたが,実際には「普通」の英単語を集めたものではなく,主としてラテン借用語などからなる「難語」を集めたものだった.これも見方によっては bilingual dictionary とも言えるものである.その後,17世紀を通じて英語に関する辞書がたくさん出版されたが,いずれも難語辞書であり,bilingual dictionaries の域を出てはいなかったとも考えられる(cf. 「#609. 難語辞書の17世紀」 ([2010-12-27-1])).
上記の経緯を勘案すると,いたずらぽい見方をして,英語史上初の英英辞書・用語集は A Caviat であると宣言することもできるかもしれないのだ.この点について,Blank (231) を引用したい.
In fact the original English-English dictionaries, long preceding those produced in the seventeenth century, were glossaries of the canting language. As Thomas Harman and his followers often noted, cant was otherwise known in the period as 'pedlar's French', a term which again reinforced notions of its 'foreign' nature. Harman's popular pamphlet A Caveat or Warening for Common Cursetors (1567) describes the underworld language as a 'leud, lousey language of these lewtering Luskes and lasy Lorrels . . . a vnknowen toung onely, but to these bold, beastly, bawdy Beggers, and vaine Vacabondes'. As a measure of social precaution, he included a glossary intended to expose the 'vnknowen toung', thereby translating the 'leud, lousey' language into 'common' English:
Nab, a pratling chete, quaromes, a head. a tounge. a body. Nabchet, Crashing chetes, prat, a hat or cap. teeth. a buttocke.
and so on through a list that includes 120 terms.
・ Blank, Paula. "The Babel of Renaissance English." Chapter 8 of The Oxford History of English. Ed. Lynda Mugglestone. Oxford: OUP, 2006. 212--39.
19世紀前半には数十の俗語辞書が編纂されたが,その目的の1つに,ハイカルチャーな語彙しか収録しなかった Johnson の辞書を補完するという狙いがあったろう.しかし,今回取り上げる George Andrews による A Dictionary of the Slang and Cant language (1809) には,もっと「啓蒙的」な役割があった.それは,泥棒の俗語・隠語を世に広く知らしめることにより,犯罪抑止を狙うというものだった.ある種の社会正義を目指した書といってよいかもしれない.Crystal (68) によると,この辞書の売り文句として,次のような宣伝が書かれていたという.
One great misfortune to which the Public are liable, is, that Thieves have a Language of their own; by which means they associate together in the streets, without fear of being over-heard or understood.
The principal end I had in view in publishing this DICTIONARY, was, to expose the Cant Terms of their Language, in order to the more easy detection of their crimes; and I flatter myself, by the perusal of this Work, the Public will become acquainted with their mysterious Phrases; and be better able to frustrate their designs.
Crystal (68) に再掲されている,いくつかの見出し語と定義を以下に挙げよう.19世紀初頭の泥棒の隠語だが,おそらく現在の泥棒には通じないのだろうなあ・・・.
Adam Tylers | pickpockets' accomplices |
badgers | hawkers |
bullies, bully-huffs, bully-rooks | hired ruffians |
bloods | roisterers |
buffers | horse killers (for the skins) |
beau-traps | well-dressed sharpers |
cloak-twitchers | cloak-snatchers (from off people's shoulders) |
clapperdogeons (also spelled clapperdudgeon) | beggars |
coiners | counterfeiters |
cadgers | beggars |
duffers | hawkers |
divers | pickpockets |
dragsmen | vehicle thieves |
filers | coin-filers |
fencers | receivers of stolen goods |
footpads | highwaymen who rob on foot |
gammoners | pickpockets' accomplices |
ginglers (also jinglers) | horse-dealers |
kencrackers | housebreakers |
knackers | tricksters |
lully-priggers | linen-thieves |
millers | housebreakers |
priggers | thieves |
rum-padders | highwaymen |
strollers | pedlars |
sweeteners | cheats, decoys |
spicers | footpads |
smashers | counterfeiters |
swadlers (also swadders) | pedlars |
whidlers (also whiddlers) | informers |
water-pads | robbers of ships |
Historical Thesaurus of the Oxford English Dictionary (HTOED) は,英語の類義語辞典 (thesaurus) として最大のものであるだけでなく,「歴史的な」類義語辞典として,諸言語を通じても唯一の本格的なレファレンスである.1965年に Michael Samuels によって編纂プロジェクトののろしが上げられ,初版が完成するまでに約45年の歳月を要した(メイキングの詳細は The Story of the Thesaurus を参照) .
HTOED は,現在3つのバージョンで参照することができる.
(1) 2009年に出版された紙媒体の2巻本.第1巻がシソーラス本体,第2巻が索引である.Historical Thesaurus of the Oxford English Dictionary (HTOED). Ed. Christian Kay, Jane Roberts, Michael Samuels and Irené Wotherspoon. 2 vols. Oxford: OUP, 2009.
(2) グラスゴー大学の提供する (1) のオンライン版.The Historical Thesaurus of English として提供されている.
(3) OED Online に組み込まれたオンライン版.
各バージョン間には注意すべき差異がある.もともと HTOED は OED の第2版に基づいて編纂されたものであるため,第3版に向けて改変された内容を部分的に含む OED Online と連携しているオンライン版との間で,年代や意味範疇などについて違いがみられることがある.また,OED Online 版は,OED の方針に従って1150年以降に伝わっていない古英語単語がすべて省かれているので,古英語単語について中心的に調べる場合には A Thesaurus of Old English (TOE). Ed. Jane Roberts and Christian Kay with Lynne Grundy. Amsterdam: Rodopi, [1995] 2000. Available online at http://oldenglishthesaurus.arts.gla.ac.uk/ . の成果を収録した (1) か (2) の版を利用すべきである.
HTOED で採用されている意味範疇は,235,249項目にまで細分化されており,そこに793,733語が含まれている.分類の詳細は Classification のページを参照.第3階層までの分類表はこちら (PDF) からも参照できる. *
近代英語期の著名な辞書といえば,Johnson (1755), Webster (1828), OED (1928) が挙がるが,これらの狭間にあって埋没している感のあるのが標題の辞書である.しかし,英語辞書編纂史の観点からは,一定の評価が与えられるべきである.
Charles Richardson (1775--1865) は,ロンドンに生まれ法律を学んだが,後に語学・文学へ転向し,文献学を重視しつつ私塾で教育に携わった.Johnson の辞書に対して批判的な立場を取り,自ら辞書編纂に取り組んだ.Encyclopædia Metropolitana にて連載を開始した後,1835年より分冊の形で出版し始め,最終的には上巻 (1836) と下巻 (1837) からなる A New Dictionary of the English Language を完成させた.1839年には簡約版も出版している.
この辞書の最大の特徴は,単語の意味の歴史的発展を,定義によってではなく歴史的な引用文を用いて跡づけようとしたことである.「歴史的原則」(historical principle) にほかならない.用例採集の範囲を中英語の Robert of Gloucester, Robert Mannyng of Brunne まで遡らせ,歴史的原則の新たな地平を開いたといってよい.そして,後にこの原則を採用し,徹底させたのが OED だったわけだ.
Richardson は Webster には酷評されたという.また,"a word has one meaning, and one only" という極端な原理を信奉したために,様々な箇所に無理が生じ,語源の取り扱いに等にもみるべきものがなかった.しかし,Johnson と Webster という大辞書の後を受け,来るべき OED へのつなぎの役割を果たした存在として,英語史上記憶されるべき辞書(編纂家)ではあろう.
Knowles (141) は,Richardson の OED への辞書編纂史上の貢献を次のように述べている.
The Oxford dictionary was an outstanding work of historical scholarship, but it was not the first historical dictionary. This was Charles Richardson's A new dictionary of the English language, which appeared in 1836--7, and which attempted to trace the historical development of the meanings of words using historical quotations rather than definitions. The original intention of the Philological Society in 1857 was simply to produce a supplement to the dictionaries of Johnson and Richardson, but it was soon clear that a complete new work was required.
以上,『英語学人名辞典』 (288--89) の Charles Richardson の項を参照して執筆した.
・ Knowles, Gerry. A Cultural History of the English Language. London: Arnold, 1997.
・ 佐々木 達,木原 研三 編 『英語学人名辞典』 研究社,1995年.
象徴的な意味でアメリカ英語を作った Noah Webster (1758--1843) について,主として『英語学人名辞典』 (376--77) に拠り,伝記的に紹介する. *
Noah Webster は,1758年,Connecticut 州は West Hartford で生まれた.学校時代に学業で頭角を表わし,1778年,Yale 大学へ進学する.在学中に独立戦争が勃発し,新生国家への愛国精神を育んだ.
大学卒業後,教員そして弁護士となったが,教員として務めていたときに,従来の Dilworth による英語綴字教本に物足りなさを感じ,自ら教本を執筆するに至った.A Grammatical Institute of the English Language と題された教本は,第1部が綴字,第2部が文法,第3部が読本からなるもので,この種の教材としては合衆国初のものだった.全体として愛国的な内容となっており,国内のほぼすべての学校で採用された.第1部の綴字教本は,後に The American Spelling Book として独立し,100年間で8000万部売れたというから大ベストセラーである.表紙が青かったので "Blue-Backed Speller" と俗称された.この本からの収入だけで,Webster は一生の生計を支えられたという.
Webster は,言論を通じて政治にも関与した.1793年,New York で日刊新聞 American Minerva (後の Commercial Advertiser)および半週刊誌 Herald (後の New York Spectator)を発刊し,Washington 大統領の政策を支えた.後半生は,Connecticut 州の New Haven と Massachusetts 州の Amherst で過ごした.
言語方面では,1806年に A Compendious Dictionary of the English Language を著わし,1807年に A Philosophical and Practical Grammar of the English Language を著わした.Compendious Dictionary では,すでに綴字の簡易化が実践されており,favor, honor, savior; logic, music, physic; cat-cal, etiquet, farewel, foretel; ax, disciplin, examin, libertin; benum, crum, thum (v.) / ake, checker, kalender, skreen; croop, soop, troop; fether, lether, wether; cloke, mold, wo; spunge, tun, tung などが見出しとして立てられている.
1807年からは大辞典の編纂に着手し,途中,作業のはかどらない時期はあったものの,1828年についに約7万項目からなる2巻ものの大辞典 An American Dictionary of the English Language が出版された.これは,Johnson の辞書の1818年の改訂版よりも約1万2千項目も多いものだった.Compendious Dictionary に採用されていた簡易化綴字の多くは,今回は不採用となったが,いくつかは残っており,それらは現代にまで続くアメリカ綴字となった.語源記述に関しては,Webster は当時ヨーロッパで勃興していた比較言語学にインスピレーションを受け,多くの単語に独自の語源説を与えたが,実際には比較言語学をよく理解しておらず,同辞典を無価値な記述で満たすことになった.
性格としては傲岸不遜な一面があり,人々に慕われる人物ではなかったようだが,アメリカ合衆国の独立を支えるべく「アメリカ語」の独立に一生を捧げた人生であった.
以下,Webster の主要な英語関係の著作を挙げておく.
・ A Grammatical Institute of the English Language: Part I (1783) [and its later editions: The American Spelling Book (1788) aka "Blue-Backed Speller"; The Elementary Spelling Book (1843)]: 綴字教本
・ A Grammatical Institute of the English Language: Part II (1784): 文法教本
・ A Grammatical Institute of the English Language: Part III (1785): 読本
・ Dissertations on the English Language, with Notes Historical and Critical (1789): 綴字改革の実行可能性と必要性を説く
・ A Collection of Essays and Fugitive Writings (1790): 独自の新綴字法で書かれた
・ A Compendious Dictionary of the English Language (1806): 独自の新綴字法で書かれた
・ A Philosophical and Practical Grammar of the English Language (1807)
・ An American Dictionary of the English Language, 2 vols. (1828)
・ An Improved Grammar of the English Language (1831)
・ Mistakes and Corrections (1837)
その他,Webster については webster の各記事,とりわけ「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」 ([2010-08-08-1]) と「#3086. アメリカの独立とアメリカ英語への思い」 ([2017-10-08-1]) を参照されたい.
・ 佐々木 達,木原 研三 編 『英語学人名辞典』 研究社,1995年.
・ Kendall, Joshua. The Forgotten Founding Father. New York: Berkeley, 2012.
19世紀後半から20世紀前半にかけて,著しく発展した比較言語学や文献学の成果を取り込みつつ OED や EDD の編纂作業が進んでいた.言語学史としてみると実に華々しい時代といえるが,強烈な帝国主義と国家主義のイデオロギーがそれを支えていたという側面を忘れてはならない.Romain (48) は,次のように述べている.
The energetic activities of intellectuals such as James Murray, Joseph Wright, author of the English Dialect Dictionary, and others were central to the shaping of European nationalism in the nineteenth century, a time when, as Pedersen (1931--43) puts it, 'national wakening and the beginnings of linguistic science go hand in hand'. Historians such as Seton-Watson (1977) and Anderson (1991) have observed how nineteenth-century Europe was a golden age of vernacularising lexicographers, grammarians, philologists and dialectologists. Their projects too were conceived as children of empires.
Willinsky (1994) singles out the OED, in particular, as the 'last great gasp of British imperialism'. It captured a history of words that fit well with the ideological needs of the emerging nation-state. As Willinsky observes (1994: 194), the OED speaks to a 'particular history of national self-definition during a remarkable period in the expansion and collapse of the British empire'. Murray's tenure as editor of the OED coincided roughly with the period which historian Eric Hobsbawm (1987) has called the Age of Empire, 1875--1914. With the OED, Murray and other editors were engaged in establishing England and Oxford University Press's claim on the English language and the word trade more generally.
「#644. OED とヨーロッパのライバル辞書」 ([2011-01-31-1]) の冒頭で「19世紀半ば,ヨーロッパ各国では,比較言語学発展の波に乗って,歴史的原則に基づく大型辞書の編纂が企画されていた」と述べたが,「比較言語学発展の波」そのものがヨーロッパの帝国主義の潮流に支えられていたといってよい.帝国主義と比較言語学は蜜月の関係にあったのである.
普段,言語研究に OED を用いるとき,その初版が編纂された時代背景に思いを馳せるということはあまりないかもしれないが,この事実は知っておくべきだろう.
OED についてのよもやま話は,「#2451. ワークショップ:OED Online に触れてみる」 ([2016-01-12-1]) に張ったリンクをどうぞ.EDD については,「#869. Wright's English Dialect Dictionary」 ([2011-09-13-1]),「#868. EDD Online」 ([2011-09-12-1]),「#2694. EDD Online (2)」 ([2016-09-11-1]) を参照.
・ Romaine, Suzanne. "Introduction." The Cambridge History of the English Language. Vol. 4. Cambridge: CUP, 1998. 1--56.
古英語を学習・研究する上で有用な辞書をいくつか紹介する.
(1) Bosworth, Joseph. A Compendious Anglo-Saxon and English Dictionary. London: J. R. Smith, 1848.
(2) Bosworth, Joseph and Thomas N. Toller. Anglo-Saxon Dictionary. Oxford: OUP, 1973. 1898. (Online version available at http://lexicon.ff.cuni.cz/texts/oe_bosworthtoller_about.html.)
(3) Hall, John R. C. A Concise Anglo-Saxon Dictionary. Rev. ed. by Herbert T. Merritt. Toronto: U of Toronto P, 1996. 1896. (Online version available at http://lexicon.ff.cuni.cz/texts/oe_clarkhall_about.html.)
(4) Healey, Antonette diPaolo, Ashley C. Amos and Angus Cameron, eds. The Dictionary of Old English in Electronic Form A--G. Toronto: Dictionary of Old English Project, Centre for Medieval Studies, U of Toronto, 2008. (see The Dictionary of Old English (DOE) and Dictionary of Old English Corpus (DOEC).)
(5) Sweet, Henry. The Student's Dictionary of Anglo-Saxon. Cambridge: CUP, 1976. 1896.
おのおのタイトルからも想像されるとおり,詳しさや編纂方針はまちまちである.入門用の Sweet に始まり,簡略辞書の Hall から,専門的な Bosworth and Toller を経て,最新の Healey et al. による電子版 DOE に至る.DOE を除いて,古英語辞書の定番がおよそ19世紀末の産物であることは注目に値する.この時期に,様々なレベルの古英語辞書が,独自の規範・記述意識をもって編纂され,出版されたのである.
現代風の書き言葉の標準が明確に定まっていない古英語の辞書編纂では,見出し語をどのような綴字で立てるかが悩ましい問題となる.使用者は,たいてい適切な綴字を見出せないか,あるいは異綴りの間をたらい回しにされるかである.大雑把にいえば,入門的な Sweet の立てる見出しの綴字は "critical" で規範主義的であり,最も専門的な DOE は "diplomatic" で記述主義的である.その間に,緩やかに "critical" な Hall と緩やかに "diplomatic" な Bosworth and Toller が位置づけられる.
合わせて古英語語彙の学習には,以下の2点を挙げておこう.
・ Barney, Stephen A. Word-Hoard: An Introduction to Old English Vocabulary. 2nd ed. New Haven: Yale UP, 1985.
・ Holthausen, Ferdinand. Altenglisches etymologisches Wōrterbuch. Heidelberg: Carl Winter Universitätsverlag, 1963.
Holthausen の辞書は,古英語語源辞書として専門的かつ特異な地位を占めているが,語源から語彙を学ぼうとする際には役立つ.Barney は,同じ趣旨で,かつ読んで楽しめる古英語単語リストである.
英語の辞書であれば abc 順に引くのが当然,現代日本語の辞書であれば,あいうえお順で引くのが当然である,と私たちは思っている.同じように,一昔前の日本語であれば,いろは順で引くのが当然だったはず,と思っている.辞書の引き方に関するあまりに自然な発想なので,それ以外に方法があったのかと疑ってしまうほどだが,これもかつて誰かが編み出した画期的な方法だったのであり,歴史の産物である.
日本語の辞書引きに関する以呂波引きの元祖といえば『色葉字類抄』である.平安時代末期(1144--80年頃)に橘忠兼が補訂を重ねながら編んだ字書とされ,日本語の語形をもとに漢字を引き出すための辞書だった.これが語頭音の以呂波順に編纂されているというのが,日本語史として画期的なのである.それ以前の発想としては,漢字書である以上,中国語の音韻によって引くべきである,あるいは少なくともそれに準じた方法で引くべきである,と考えるのが普通だったろう.それを思い切って日本語の音韻体系にべったりの以呂波でもって引くというのだから,発想の大転換といえる.
小松 (208--09) は,編者が中国語の音韻の原理ではなく以呂波の原理を採用したことの重要性を次のように論じている.
現在の常識からするならば,語頭音節を目安にするのが当然であるし,『色葉字類抄』では現にその方法がとられているので,右のようなくどくどとした吟味は,まったく無用の回り道でしかないようにみえるが,そのように考えたのでは,非常に重要な事柄を見すごすことになる.
日本語の語彙を,発音の区別に従って類別したのは,この字書が最初の試みであり,当時の学問のありかたから考えるなら,意識的にも,また無意識にも,中国にその範を求めるのが自然だったから,発音引きの字書を作ろうということであれば,韻書の分類原理を適用できるかどうかという可能性が,まず検討されたはずと考えられる.われわれとしては,この場合,やはりそのことがいちおう検討されたうえで,断念されたのであろうと推測しておきたい.ということは「詞条の初言」,すなわち語頭音節による類別という着想の独創性を,過小評価してはならないという意味でもある.それは,おそらく,模索の末のひらめきなのであろう.発音引きの字書を作ろうとするかぎり,これ以外の方法はありえなかったはずだとか,あるいは,考えるまでもなく,それが常識だったとかいうことなら,序文にこういう表現をしているはずがない.
さて,この画期的な以呂波引きだが,ポイントは『色葉字類抄』において厳密に以呂波順となっているのは語頭音節のみだったことだ.というのは,当時の日本語は,語頭でこそ音節と仮名と関係が1対1できれいに対応していたが,第2音節以下では「ひ」「ゐ」や「へ」「ゑ」など音節と仮名の1対多の関係が見られたからである.このような問題に対処する「仮名遣い」がまだ制定されていない当時にあっては,むしろ第2音節以下で何らかの基準を定めて以呂波順を徹底させることは必ずしも得策ではないと判断されたのだろう.編者は以呂波順の徹底をしようと思えばできただろうし,実際に思いつきもしたかもしれないが,結果として実践するには至らなかった.しかし,この判断を含めて,橘忠兼は間違いなく日本語史上に新しい風を吹き込んだのである.
ここで,上といくらか似たようなケースが英語史にもあったことを思い出さざるを得ない.語頭文字に関してはアルファベット順の配列を厳密に守るが,第2文字以下はその限りではない,という辞書類の編纂方式は中世では当たり前だったし,近代に入ってからも見られた.この辺の話題は,「#1451. 英語史上初のコンコーダンスと完全アルファベット主義」 ([2013-04-17-1]) や,「#604. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (2)」 ([2010-12-22-1]) の (6) を参照されたい.
・ 小松 英雄 『いろはうた』 講談社,2009年.
「アメリカ語法」を表わす Americanism という語を初めて用いたのは,初期のプリンストン大学の学長 John Witherspoon (1723--94) である.Witherspoon はスコットランド出身で,アメリカにて聖職者・教育者として活躍しただけでなく,独立宣言の署名者の1人でもある.
この語が造られた経緯について Baugh and Cable (380--81) に詳しいが,Witherspoon は1781年に Pennsylvania Journal 9 May 1/2 において Americanism という語を初めて用いたという.彼がこの表現に与えた定義は "an use of phrases or terms, or a construction of sentences, even among persons of rank and education, different from the use of the same terms or phrases, or the construction of similar sentences in Great-Britain." である.定義に続けて,Witherspoon は,"The word Americanism, which I have coined for the purpose, is exactly similar in its formation and signification to the word Scotticism." と述べている.実際,Scotticism という語は,OED によると時代的には1世紀半近く遡った1648年の Mercurius Censorius No. 1. 4 に,"It seemes you are resolved to..entertain those things which..ye have all this while fought against, the Scotticismes, of the Presbyteriall government and the Covenant." として初出している.
Witherspoon は Americanism という語を最初に用いたとき,そこに結びつけられがちな「卑しいアメリカ語法」という含意を込めてはいなかった.彼曰く,"It does not follow, from a man's using these, that he is ignorant, or his discourse upon the whole inelegant; nay, it does not follow in every case, that the terms or phrases used are worse in themselves, but merely that they are of American and not of English growth." ここには,イギリス(英語)に対して決して卑下しない,独立宣言の署名者らしい独立心を読み取ることができる.
タイトルに Americanism の語こそ含まれていなかったが,最初のアメリカ語法辞書が著わされたのは,造語から35年後の1816年のことである.John Pickering による A Vocabulary, or Collection of Words and Phrases which have been supposed to be Peculiar to the United States of America である.しかし,この辞書はむしろイギリス(英語)寄りの立場を取っており,アメリカ語法が正統なイギリス英語から逸脱していることを示すために用意されたとも思えるものである.同じアメリカ人ではあるが愛国主義者だった Noah Webster が,Pickering の態度に業を煮やしたことはいうまでもない.この Pickering と Webster の立場の違いは,後世に続く Americanism を巡る議論の対立を予感させるものだったといえる.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
中英語の末期から近代英語の半ばにかけて起こった英語の標準化と規範化の潮流について,「#1237. 標準英語のイデオロギーと英語の標準化」 ([2012-09-15-1]),「#1244. なぜ規範主義が18世紀に急成長したか」 ([2012-09-22-1]),「#2741. ascertaining, refining, fixing」 ([2016-10-28-1]) を中心として,standardisation や prescriptive_grammar の各記事で話題にしてきた.この流れについて特徴的かつ興味深い点は,時代のオーバーラップはあるにせよ,語彙→文法→発音の順に規範化の試みがなされてきたことだ.
イングランド,そしてイギリスが,国語たる英語の標準化を目指してきた最初の部門は,語彙だった.16世紀後半は語彙を整備していくことに注力し,その後17世紀にかけては,語の綴字の規則化と統一化に焦点が当てられるようになった.語彙とその綴字の問題は,17--18世紀までにはおよそ解決しており,1755年の Johnson の辞書の出版はだめ押しとみてよい.(関連して,「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1]),「#2321. 綴字標準化の緩慢な潮流」 ([2015-09-04-1]) を参照).
次に標準化・規範化のターゲットとなったのは,文法である.18世紀には規範文法書の出版が相次ぎ,その中でも「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1]) や「#2592. Lindley Murray, English Grammar」 ([2016-06-01-1]) が大好評を博した.
そして,やや遅れて18世紀後半から19世紀にかけて,「正しい発音」へのこだわりが感じられるようになる.理論的な正音学 (orthoepy) への関心は,「#571. orthoepy」 ([2010-11-19-1]) で述べたように16世紀から見られるのだが,実践的に「正しい発音」を行なうべきだという風潮が人々の間でにわかに高まってくるのは18世紀後半を待たなければならなかった.この部門で大きな貢献をなしたのは,「#1456. John Walker の A Critical Pronouncing Dictionary (1791)」 ([2013-04-22-1]) である.
「正しい発音」の主張がなされるようになったのが,18世紀後半という比較的遅い時期だったことについて,Baugh and Cable (306) は次のように述べている.
The first century and a half of English lexicography including Johnson's Dictionary of 1755, paid little attention to pronunciation, Johnson marking only the main stress in words. However, during the second half of the eighteenth century and throughout the nineteenth century, a tradition of pronouncing dictionaries flourished, with systems of diacritics indicating the length and quality of vowels and what were considered the proper consonants. Although the ostensible purpose of these guides was to eliminate linguistic bias by making the approved pronunciation available to all, the actual effect was the opposite: "good" and "bad" pronunciations were codified, and speakers of English who were not born into the right families or did not have access to elocutionary instruction suffered linguistic scorn all the more.
では,近現代英語の標準化と規範化の試みが,語彙(綴字を含む)→文法→発音という順序で進んでいったのはなぜだろうか.これについては明日の記事で.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
昨日の記事「#2759. Swift によるアカデミー設立案が通らなかった理由」 ([2016-11-15-1]) と関連して,英語アカデミー設立案にインスピレーションを与えたイタリアとフランスの先例と,それに匹敵する Johnson の辞書の価値について論じたい.
イギリスが英語アカデミーを設立しようと画策したのは,すでにイタリアとフランスにアカデミーの先例があったから,という理由が大きい.近代ヨーロッパ諸国は国語を「高める」こと (cf. 「#2741. ascertaining, refining, fixing」 ([2016-10-28-1])) に躍起であり,アカデミーという機関を通じてそれを実現しようと考えていた.先鞭をつけたのはイタリアである.イタリアには様々なアカデミーがあったが,最もよく知られているのは1582年に設立された Accademia della Crusca である.この機関は,1612年に Vocabolario degli Accademici della Crusca という辞書を出版し,何かと物議を醸したが,その後も改訂を重ねて,1691年には3冊分,1729--38年版では6冊分にまで成長した (Baugh and Cable 257) .
フランスでは,1635年に枢機卿 Richelieu がある文学サロンに特許状を与え,その集団(最大40名)は l'Académie française として知られるようになった.この機関は,辞書や文法書を編集することを目的の1つとして掲げており,作業は遅々としていたものの,1694年には辞書が出版されるに至った (Baugh and Cable 257) .
このように,イタリアやフランスでは17世紀中にアカデミーの力により業績が積み上げられていたが,同じ頃,イギリスではアカデミー設立の提案すらなされていなかったのである.その後,1712年に Swift により提案がなされたが,結果として流れた経緯については昨日の記事で述べた.しかし,さらに後の1755年には,アカデミーによらず,Johnson 個人の力で,イタリア語やフランス語の辞書に匹敵する英語の辞書が出版されるに至った.Johnson の知人 David Garrick は,次のエピグラムを残している (Baugh and Cable 267) .
And Johnson, well arm'd like a hero of yore,
Has beat forty French, and will beat forty more.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
ghost word (幽霊語),あるいは ghost form (幽霊形)と呼ばれるものがある.「#912. 語の定義がなぜ難しいか (3)」 ([2011-10-26-1]) で簡単に触れた程度の話題だが,今回はもう少し詳しく取り上げたい.
『英語学要語辞典』によれば,"ghost word" とは「誤記や誤解がもとで生じた本来あるべからざる語」と定義づけられている.転訛 (corruption),民間語源 (folk_etymology),類推 (analogy),非語源的綴字 (unetymological spelling) などとも関連が深い.たいていは単発的で孤立した例にとどまるが,なかには嘘から出た誠のように一般に用いられるようになったものもある.例えば,aghast は ghost, ghastly からの類推で <h> が挿入されて定着しているし,short-lived は本来は /-laɪvd/ の発音だが,/-lɪvd/ とも発音されるようになっている.
しかし,幽霊語として知られている有名な語といえば,derring-do (勇敢な行為)だろう.Chaucer の Troilus and Criseyde (l. 837) の In durryng don that longeth to a knyght (= in daring to do what is proper for a knight) の durryng don を,Spenser が名詞句と誤解し,さらにそれを Scott が継承して定着したものといわれる.
別の例として,Shakespeare は Hamlet 3: 1: 79--81 より,The undiscovered country, from whose bourne No traveller returns という表現において,bourne は本来「境界」の意味だが,Keats が文脈から「王国」と取り違え,fiery realm and airy bourne と言ったとき,bourne は幽霊語(あるいは幽霊語彙素)として用いられたことになる.このように,幽霊語は,特殊なケースではあるが,1種の語形成の産物としてとらえることができる.
なお,ghost word という用語は Skeat の造語であり (Transactions of the Philological Society, 1885--87, II. 350--51) ,その論文 ("Fourteenth Address of the President to the Philological Society") には多数の幽霊語の例が掲載されている.以下は,Skeat のことば.
1886 Skeat in Trans. Philol. Soc. (1885--7) II. 350--1 Report upon 'Ghost-words', or Words which have no real Existence..We should jealously guard against all chances of giving any undeserved record of words which had never any real existence, being mere coinages due to the blunders of printers or scribes, or to the perfervid imaginations of ignorant or blundering editors.
・ 寺澤 芳雄(編)『英語学要語辞典』,研究社,2002年.298--99頁.
「#868. EDD Online」 ([2011-09-12-1]) で紹介したように,Joseph Wright による The English Dialect Dictionary の電子化プロジェクトが Innsbruck 大学で進められていたが,つい最近完成したとの知らせを受けた.これまでウェブ上のサービスではアカウント取得が必要だったが,これで直接自由にアクセスできるようになった.こちらの EDD Online からどうぞ.
機能も充実しており,例えば上のスクリーンショットのように,検索語と関連して辞書内に言及されている方言地域を地図上で確認できる機能がある.ちょうど語源的綴字 (etymological_respelling) に関する調査の関係で,言及されている方言地域が地図上で確認できれば便利だろうと思っていた矢先だったので,嬉しい.
また,紙媒体の元祖 The English Dialect Dictionary のページをイメージとして確認することもできる.検索については,dialect area, part of speech, phonetic, etymology, usage label, source, morphemic, time span など各種カテゴリーによるサーチが可能.
利用マニュアルも閲覧できるので,参照しながらあれこれといじってみることをお薦めする.
・ Wright, Joseph, ed. The English Dialect Dictionary. 6 vols. Henry Frowde, 1898--1905.
Samuel Johnson (1709--84) の A Dictionary of the English Language (1755) は,英語史上の語彙や綴字の問題に関する話題の宝庫といってよい.その辞書とこの大物辞書編纂者については,「#1420. Johnson's Dictionary の特徴と概要」 ([2013-03-17-1]),「#1421. Johnson の言語観」 ([2013-03-18-1]) ほか,johnson の記事ほかで話題を提供してきた.今回は,現代英語の書き手にとって厄介な practice (名詞)と practise (動詞)のような2種類の単語・綴字の区別について,Johnson が関与していることに触れたい.
Horobin (148) によれば,中英語では practice も practise も互いに交換可能なものとして用いられていたが,Johnson の辞書の出版により現代の区別が確立したとしている.Johnson は見出し語として名詞には practice を,動詞には practise を立てており,意識的に区別をつけている.ところが,Johnson 自身が辞書の別の部分では品詞にかかわらず practice の綴字を好んだ形跡がある.例えば,To Cipher の定義のなかに "To practice arithmetick" とあるし,Coinage の定義として "The act or practice of coining money" がみられる.
Johnson が導入した区別のもう1つの例として,council と counsel が挙げられる.この2語は究極的には語源的なつながりはなく,各々はラテン語 concilium (集会)と consilium (助言)に由来する.しかし,中英語では意味的にも綴字上も混同されており,交換可能といってよかった.ところが,語源主義の Johnson は,ラテン語まで遡って両者を区別することをよしとしたのである (Horobin 149) .
さらにもう1つ関連する例を挙げれば,現代英語では非常に紛らわしい2つの形容詞 discreet (思慮のある)と discrete (分離した)の区別がある.両語は語源的には同一であり,2重語 (doublet) を形成するが,中英語にはいずれの語義においても,フランス語形 discret を反映した discrete の綴字のほうがより普通だった.ところが,16世紀までに discreet の綴字が追い抜いて優勢となり,とりわけ「思慮深い」の語義においてはその傾向が顕著となった.この2つの形容詞については,Johnson が直に区別を導入したというわけではなかったが,辞書を通じてこの区別を広め確立することに貢献はしただろう (Horobin 149) .
このように Johnson は語源主義的なポリシーを遺憾なく発揮し,現代にまで続く厄介な語のペアをいくつか導入あるいは定着させたが,妙なことに,現代ではつけられている区別が Johnson では明確には区別されていないという逆の例もみられるのだ.「#2440. flower と flour (2)」 ([2016-01-01-1]) で取り上げた語のペアがその1例だが,ほかにも現代の licence (名詞)と license (動詞)の区別に関するものがある.Johnson はこの2語をまったく分けておらず,いずれの品詞にも license の綴字で見出しを立てている.Johnson 自身が指摘しているように名詞はフランス語 licence に,動詞はフランス語 licencier に由来するということであれば,語源主義的には,いずれの品詞でも <c> をもつ綴字のほうがふさわしいはずだと思われるが,Johnson が採ったのは,なぜか逆のほうの <s> である (Horobin 148) .Johnson は,時々このような妙なことをする.なお,defence という名詞の場合にも,Johnson は起源がラテン語 defensio であることを正しく認めていたにもかかわらず,<c> の綴字を採用しているから,同じように妙である (Horobin 149) .Johnson といえども,人の子ということだろう.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
2月23日付けで,オックスフォード大学の英語史学者 Simon Horobin による A history of English . . . in five words と題する記事がウェブ上にアップされた.英語に現われた年代順に English, beef, dictionary, tea, emoji という5単語を取り上げ,英語史的な観点からエッセー風にコメントしている.ハイパーリンクされた語句や引用のいずれも,英語にまつわる歴史や文化の知識を増やしてくれる良質の教材である.こういう記事を書きたいものだ.
以下,5単語の各々について,本ブログ内の関連する記事にもリンクを張っておきたい.
1. English or Anglo-Saxon
・ 「#33. ジュート人の名誉のために」 ([2009-05-31-1])
・ 「#389. Angles, Saxons, and Jutes の故地と移住先」 ([2010-05-21-1])
・ 「#1013. アングロサクソン人はどこからブリテン島へ渡ったか」 ([2012-02-04-1])
・ 「#1145. English と England の名称」 ([2012-06-15-1])
・ 「#1436. English と England の名称 (2)」 ([2013-04-02-1])
・ 「#2353. なぜアングロサクソン人はイングランドをかくも素早く征服し得たのか」 ([2015-10-06-1])
・ 「#2493. アングル人は押し入って,サクソン人は引き寄せられた?」 ([2016-02-23-1])
2. beef
・ 「#331. 動物とその肉を表す英単語」 ([2010-03-24-1])
・ 「#332. 「動物とその肉を表す英単語」の神話」 ([2010-03-25-1])
・ 「#1583. swine vs pork の社会言語学的意義」 ([2013-08-27-1])
・ 「#1603. 「動物とその肉を表す英単語」を最初に指摘した人」 ([2013-09-16-1])
・ 「#1604. 「動物とその肉を表す英単語」を次に指摘した人たち」 ([2013-09-17-1])
・ 「#1966. 段々おいしくなってきた英語の飲食物メニュー」 ([2014-09-14-1])
・ 「#1967. 料理に関するフランス借用語」 ([2014-09-15-1])
・ 「#2352. 「動物とその肉を表す英単語」の神話 (2)」 ([2015-10-05-1])
3. dictionary
・ 「#603. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (1)」 ([2010-12-21-1])
・ 「#604. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (2)」 ([2010-12-22-1])
・ 「#609. 難語辞書の17世紀」 ([2010-12-27-1])
・ 「#610. 脱難語辞書の18世紀」 ([2010-12-28-1])
・ 「#726. 現代でも使えるかもしれない教育的な Cawdrey の辞書」 ([2011-04-23-1])
・ 「#1420. Johnson's Dictionary の特徴と概要」 ([2013-03-17-1])
・ 「#1421. Johnson の言語観」 ([2013-03-18-1])
・ 「#1609. Cawdrey の辞書をデータベース化」 ([2013-09-22-1])
4. tea
・ 「#756. 世界からの借用語」 ([2011-05-23-1])
・ 「#1966. 段々おいしくなってきた英語の飲食物メニュー」 ([2014-09-14-1])
5. emoji
・ 「#808. smileys or emoticons」 ([2011-07-14-1])
・ 「#1664. CMC (computer-mediated communication)」 ([2013-11-16-1])
英語語彙全般については,「#756. 世界からの借用語」 ([2011-05-23-1]), 「#1526. 英語と日本語の語彙史対照表」 ([2013-07-01-1]) をはじめとして,lexicology や loan_word などの記事を参照.
昨日の記事「#2362. haplology」 ([2015-10-15-1]) でギリシア語の haplo- (one, single) に触れたが,この語根に関連してもう1つ文献学や辞書学の用語としてしばしば出会う hapax (legomenon) を取り上げよう.ある資料のなかで(タイプ数えではなくトークン数えで)1度しか用いられていない語(句)を指す.ギリシア語の hapax (once) + legomenon (something said) からなる複合語だ.複数形は hapax legomena という.
"nonce word" を hapax legomenon と同義としている辞書もあるが,前者は「臨時語」と訳され「その時限りに用いる語」を指す.nonce-word は新語の臨時的な生産性を念頭に用いられることが多いのに対し,hapax legomenon は文献に現われる回数が1度であることに焦点が当てられているという違いが感じられる.nonce (その場限りの)という語の語源については,「#1306. for the nonce」 ([2012-11-23-1]) を参照.
hapax legomenon は,聖書の注釈との関連で,しばしば言及されてきた歴史がある.OED によると英語における初例は1692年のことで,"J. Dunton Young-students-libr. 242/1 There are many words but once used in Scripture, especially in such a sence, and are called the Apax legomena." とある.
文献学や語源学において,hapax legomenon はしばしば問題となる.その語の語源はおろか,意味すら不明であることが少なくない.語彙論や辞書学では,それを一人前の「語」として認めてよいのか,何かの間違いではないか,辞書に掲載すべきか否か,という頭の痛い問題がある (see 「#912. 語の定義がなぜ難しいか (3)」 ([2011-10-26-1])) .一方で,語形成やその生産性という観点からは,hapax legomenon は重要な考察対象となる.というのは,1度だけ臨時的に出現するためには,話者の生産的な語形成機構が前提とされなければならないからである (see 「#938. 語形成の生産性 (4)」 ([2011-11-21-1])) .
だが,実際のところ halax legomenon は決して少なくない.このことは,ジップの法則に照らせば驚くべきことではないだろう (see 「#1101. Zipf's law」 ([2012-05-02-1]), 「#1103. GSL による Zipf's law の検証」 ([2012-05-04-1])) .英語の例としては,Chaucer の用いたnortelrye (education) や Shakespeare の honorificabilitudinitatibus, また Dickens の sassigassity (audacity?) などが挙げられる.
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