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grammatology - hellog〜英語史ブログ

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2015-09-24 Thu

#2341. 表意文字と表語文字 [writing][grammatology][typology][sign]

 文字の種類と類型について,「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1]) や「#1822. 文字の系統」 ([2014-04-23-1]) などで考えてきた.文字論の入門的な文献でも,標題に掲げた表意文字 (ideogram) と表語文字 (logogram) は必ず触れられるものの,両者の違いの説明となると,たいてい歯切れが悪い.しばしば両者が混同され同一視されることもあるように,両者のあいだにいかなる違いがあるのかを明確に理解している人は必ずしも多くない.誤解がはびこっていることは,Bloomfield (285) の次の指摘からも知られる.本来の表語文字のことを「表意文字」と理解している向きが多いようだ.

Systems of writing which use a symbol for each word of the spoken utterance, are known by the misleading name of ideographic writing. The important thing about writing is precisely this, that the characters represent not features of the practical world ("ideas"), but features of the writers' language; a better name, accordingly, would be word-writing or logographic writing.


 しかし,正真正銘の表意文字というものもあることは事実である.実際,独立した純粋な表意文字というものは珍しいが,少なくとも表意的な文字の使用はある.
 表語文字とは,音声言語における1語(それより小さい形態素の場合もあるが)に対応した文字である.語は典型的な言語記号の1つであるから,能記 (signifiant) と所記 (signifié) が結びついた単位である.この単位に対して1文字が対応しているとき,それを表語文字と考える.<木> という漢字を例にとると,これは日本語の文脈では,幹を持つ植物を表わす「木」という1語にきれいに対応しているので,表語文字といってよい.語には能記と所記の両方が含まれているので,それを表わす <木> の文字にも,/ki/ という読みと「木」の意味の両方が含まれている.同じことは,形字的により複雑な構造をもつ <松> の漢字についてもいえる.
 <松> の漢字は全体としては <木> と同じ表語文字といえるが,では,構成要素としての木偏の部分だけに注目すれば,その部分は <木> という独立した漢字の場合と同様に表語的といってよいだろうか.木偏は,それ自体は能記をもたず,既存の語にも(形態素にも)対応しないのだから,表語的というのはふさわしくない.しかし,「木に関すること,木の種類」というほどの情報は緩くもっており,その限りにおいて表意的であるといえる.木偏は独立した文字ではないので,表意文字と言い切ることはできないが,表意的な機能をもっているということはいえる (cf. 「#1197. 英語の送り仮名」 ([2012-08-06-1])).
 文字の表語性と表意性は,理論的にはこのように区別して理解しておく必要がある.だが,境目が微妙なケースも確かにある.英語におけるアラビア数字を考えてみよう.<2> という文字(数字)は,英語では two という語に対応し,典型的な表語文字と考えてよいだろう.しかし,<2nd> と表記した場合はどうだろうか.3文字からなる <2nd> という綴字全体としては,英単語 second に対応しており,表語文字と理解してよいが,1文字目の <2> だけを取り出して,これを論じる場合には何といえばよいか.この場合の <2> は,既存の何らかの英単語には対応しておらず,意味としての「2」を表わしているにとどまる.したがって,この <2> は表意文字的に用いられているというべきだろう.これは,<松> における木偏の役割ににている.ちなみに,後続の <nd> は表音文字として機能している.単体としての <2> は表語文字だが,偏のように使われている <2nd> の <2> は表意文字といえる.ここから,「<2> は表語文字である」と一般的に言い切ることはできず,<2> はその用法に応じて,表語的にも表意的にも機能するのである.この辺りが難しい.
 Edgerton (150) が,英語の文脈での <2> について,さらに興味深い分析を加えている.<222> は "two hundred twenty-two" などと読まれるが,例えば "hundred" の読みはどこから発するのだろうか,と.最初の <2> は two hundred という語(厳密には2語の組み合わせ)に対応し,2つめの <2> は twenty という語に対応し,最後の <2> は two という語に対応するというように,各々が表語文字として機能しているのだろうか.だが,この解釈には無理があるように思われる.よりすぐれた考え方は,各文字が緩く「2」に関連する意味(それぞれ2の100倍,10倍,1倍)を表わしている表意文字であるという解釈だ.そして,実際の使用に際しては,慣例として10進法と桁の概念を適用し,全体としてある数字を表わす表語文字となる.
 文字の類型を論じる際には,表語文字であるとか表意文字であるなどとカテゴリカルに論じるよりは,ある文字が使用に応じて表語的になる,あるいは表意的になるというように論じることが必要な場合も多いのではないだろうか.

 ・ Edgerton, William F. "Ideograms in English Writing." Journal of the Linguistic Society of America 17 (1941): 148--50.
 ・ Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984.

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2015-08-26 Wed

#2312. 音素的表記を目指す綴字改革は正しいか? [spelling_reform][spelling_pronunciation_gap][spelling][grapheme][grammatology][alphabet][writing][medium]

 Roman alphabet という表音文字を用いる英語にあって,連綿と続いてきた綴字改革の歴史は,時間とともに乖離してきた綴字と発音の関係を,より緊密な関係へと回復しようとする試みだったと言い換えることができる.標題のように,より厳密な音素的表記への接近,と表現してもよい.
 綴字改革は英語で "spelling_reform" と呼ばれるが,reform とは定義によれば "change that is made to a social system, an organization, etc. in order to improve or correct it" (OALD8) であるから「誤ったものを正す」という含意が強い.つまり,綴字改革を話題にする時点で,すでに既存の綴字体系が「誤っている」ことが,少なくとも何ほどか含意されていることになる.では,いかなる点で誤っているのか.ほとんど常に槍玉にあげられるのは,綴字に表音性が確保されていないという点だろう.実際のところ,現代英語の綴字は,以下の記事でも見てきたとおり,表語的(表形態素的)な性格が強いと議論することができるのであり,相対的に表音的な性格は弱い.

 ・ 「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1])
 ・ 「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1])
 ・ 「#2043. 英語綴字の表「形態素」性」 ([2014-11-30-1])
 ・ 「#2058. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (1)」 ([2014-12-15-1])
 ・ 「#2059. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (2)」 ([2014-12-16-1])
 ・ 「#2097. 表語文字,同音異綴,綴字発音」 ([2015-01-23-1])

 しかし,表音素的表記がより正しいという前提は,そもそも妥当なのだろうか.(漢字がその典型とされる)表形態素的表記は,それほど悪なのだろうか.この点について,安井・久保田 (92) の指摘は的確である.

つづり字改良という仕事は,要するに,「もっと音素的表記への改良」ということに,ほかならない.が,最も純粋に音素的である書記法が,あらゆる点で最良のものであるかというと,この場合も,それが一概によいともいえないのである.特に,書記言語を音声言語と対等な一次的言語の一つと考える立場からすれば,書記言語は言語音声をよく表していなければならなないということさえいえなくなってくる〔中略〕.英語にせよ,日本語にせよ,音素的表記でさえあれば,ただちに最良の表記法であるという考えは修正されるべきである.


 引用で触れられているように,書記言語の独立性というより一般的な問題も,合わせて考慮されるべきだろう.writing という medium の独立性については,「#1665. 話しことばと書きことば (4)」 ([2013-11-17-1]),「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1]) などの記事を参照されたい.

 ・ 安井 稔・久保田 正人 『知っておきたい英語の歴史』 開拓社,2014年.

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2015-06-19 Fri

#2244. ピクトグラムの可能性 [grammatology][writing][double_articulation][lingua_franca][pictogram]

 日本は2020年開催の東京五輪・パラリンピックに向け,図記号「ピクトグラム」 (pictogram) を全国的に統一するとともに,ISO (国際標準化機構)への登録を目指す作業を進めている.
 ピクトグラムは主に災害時の避難場所を示したり,公共機関の所在を表わすなど公的な性格が強く,言語を選ばないという特徴により,1964年の東京五輪の際に活用され,世界に広く知られることとなった.豊かな文字の歴史と文化をもつ日本の生み出した,グローバル・コミュニケーションへの大きな貢献である.日本語を国際語,世界語へ仕立て上げようという試みは,日本にある程度の支持者はいるにせよ,現実的にはほとんどなされていない.しかし,視覚言語という別の側面において,日本は普遍的な記号の創出に積極的に関わっているということは,国内外にもっと宣伝されてよい.この点で2020年に向けてのピクトグラム策定への挑戦も,おおいに支持したい.国土地理院外国人にわかりやすい地図表現検討会 の HP では,去る6月4日に報告された外国人にわかりやすい地図表現 (PDF)と題する資料が得られる.  *
 政府は,緊急時に頼れる場所(病院や交番),便利な場所(観光案内所,コンビニ),外国人がよく訪れる場所(ホテル,トイレ,寺院,博物館)などを中心に実用的なピクトグラムを念頭において策定しているようだが,ピクトグラムの言語を越えた可能性はそれだけにとどまらない.より一般的な意味体系に匹敵するピクトグラム体系というものは可能だろう.人類の生み出した原初の文字がピクトグラムであり,その後,音声言語との結びつきを強めながら表語文字や表音文字が発展してきた文字の歴史を思い返すとき,現在,国際コミュニケーションに供するためにピクトグラムが再評価されてきているという事実は興味深い.ピクトグラムは原始的であるがゆえに,単純で本質的で普遍的である.
 ただし,ピクトグラム体系なるものが考えられるとはいっても,それのみで音声言語のもつ複雑さを再現することは難しい.文字史においても,原初の絵(文字)は,言語上の二重分節 (double_articulation) のいずれかの単位,すなわち形態素あるいは音素と結びつけられることにより,飛躍的に発展し,音声言語に匹敵する複雑な表現が可能となってきたのである.ピクトグラム体系が,絵文字や表意文字の集合という枠からはみだし,表語文字へと飛躍するとき,それはすでに個別言語の語彙体系に強く依存し始めているのであり,ピクトグラムが本来もつユニバーサルな性質が失われ始めているのだ.換言すれば,そのときピクトグラム体系は,媒介言語から群生言語へと舵を切っているのである (cf. 「#1521. 媒介言語と群生言語」 ([2013-06-26-1])) .
 向こう数年のピクトグラム開発国としての日本の役割を,人類の文字の歴史という広い観点から眺めるのもおもしろい.文字の歴史については,「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1]) 及び「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]) と,後者に張ったリンク先の記事を参照.

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2015-02-19 Thu

#2124. 稲荷山古墳金錯銘鉄剣 [kanji][japanese][grammatology]

 英語が歴史上初めて書き表されたのはいつかという問題に対して,「#572. 現存する最古の英文」 ([2010-11-20-1]) でおよその解答を与えた.現存する最古の英文が ルーン文字によって the Undley bracteate に刻まれたのは5世紀後半とされており,その時代以前には英語が書き表されていたことになる.「#736. 英語の「起源」は複数ある」 ([2011-05-03-1]) で触れたように,英語はいつから英語になったのかという解答不可能の問題が一方ではあるものの,英語書記の誕生はおよそ上記の時代以前とみておいてよい.
 では,日本語が書き表された最初の機会はいつだったのだろうか.57年に後漢の光武帝から奴国の王へ授けられた「漢委奴国王」の金印が,1784年に福岡県志賀島にて見つかったが,これが日本における現存する最古の文字(漢字)の資料となっている.だが,これは日本における漢字使用の初例というわけではない.その後,渡来人とともに漢字が日本へ渡ってきて,徐々に日本語を書記するのに利用されるようになってきたことは確かと思われるが,その後数世紀の時代からは日本語を書き表した証拠としての文字資料は出土していない.漢字の移入の時期について,佐藤 (3--4) は次のように述べている.

日本に漢字が移入された時期は,近年の考古学上の発掘によって,すでに紀元前後一世紀と考えられるようにもなっているが,漢字資料が複数の遺跡からまとまって出土するのは三世紀以降である.特に五世紀のものとみられる,埼玉県行田市の稲荷山古墳出土の鉄剣名,熊本県玉名郡菊水町の江田船山古墳出土の大刀銘,和歌山県橋本市の隅田八幡人物画像鏡銘は,長文の漢文で記されていて著名である.これらは,大陸からの渡来人か,その子孫によって記載されたものと推定されている.


 現存する最古の日本語文として記念碑的な存在となっているものの1つに,上の引用でも言及されている埼玉県行田市の稲荷山古墳から発見された鉄剣に彫られた115字の漢字銘文がある.銘文にみられる「獲加多支鹵大王」の文字は「ワカタケルオオキミ」と読みことができ,『日本書紀』で「オオハツセノワカタケルノミコト」と名前が伝わる雄略天皇(倭の五王の5番目の武に相当)のことを指すと考えられている.115字の銘文は比較的長く,歴史的価値が非常に高い.江田船山古墳から発見された大刀にも同王を表すと思われる文字がみられ,合わせて日本古代史の最重要金石文として国宝に指定されている.いずれも5世紀後半のものと推定され(鉄剣銘に記される「辛亥年」は471年に比定される),5世紀後半に大王の権力が東国から九州まで及んでいたことを示唆するものと考えられている.

《銘文》

(表面)辛亥年七月中記,乎獲居臣,上祖名意富比垝,其児多加利足尼,其児名弖已加利獲居,其児名多加披次獲居,其児名多沙鬼獲居,其児名半弖比
(裏面)其児名加差披余,其児名乎獲居臣,世々為杖刀人首,奉事来至今,獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時,吾左治天下,令作此百練利刀,記吾奉事根原也

《銘文の読み下し》

(表面)辛亥の年七月中記す.乎獲居の巨.上祖,名は意富比垝,其の児,多加利の足尼,其の児,名は弖已加利獲居,其の児,名は多加披次獲居,其の児,名は多沙鬼獲居,其の児,名は半弖比,
(裏面)其の児,名は加差披余,其の児,名は乎獲居の臣.世々杖刀人の首と為り,奉事し来たり今に至る.獲加多支鹵大王の寺,斯鬼の宮に在る時,吾天下を左治し,此の百練の利刀を作らしめ,吾が奉事の根源を記す也.

《銘文の現代語訳》

(表面)辛亥の年七月中に書きます.(私の名前は)ヲワケの臣.遠い先祖の名前はオホヒコ,その子(の名前)はタカリのスクネ,その子の名前はテヨカリワケ,その子の名前はタカヒシワケ,その子の名前はタサキワケ,その子の名前はハテヒ,
(裏面)その子の名前はカサヒヨ,その子の名前はオワケの臣です.先祖代々杖刀人首(大王の親衛隊長)として今に至るまでお仕えしてぎました.ワカタケル大王の朝廷(住まい)が,シキの宮におがれている時に,私は大王が天下を治めるのを助けました.何回もたたいて鍛えあげたよく切れる刀を作らせて,私と一族のこれまでの大王にお仕えした由緒を書き残しておくものです.


 英語と日本語で偶然にも時期をおよそ同じくして,現存する最古の書記史料が見つかっているというのはおもしろい.ここから両言語の書き言葉の歴史が始まったのである.
 以下は,国宝の鉄剣銘を一目見たくて約1年前に出かけたときに撮った稲荷山古墳の写真.
 
稲荷山古墳(2014年3月21日)

 鉄剣名については,埼玉県立さきたま史跡の博物館より金錯銘鉄剣や,Wikipedia --- 稲荷山古墳出土鉄剣を参照されたい.  *

 ・ 佐藤 武義 編著 『概説 日本語の歴史』 朝倉書店,1995年.

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2015-02-09 Mon

#2114. 言語の線状性の力 [linearity][linguistics][semiotics][writing][grammatology]

 「#766. 言語の線状性」 ([2011-06-02-1]) の記事で,線状性は「発話において自然界における重力のように重くのしかかる根本的な条件であり,これによって言語の構造が大きく制約されている」と述べた.同様に「#1064. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (2)」 ([2012-03-26-1]) でも,「宿命としての線状性 (linearity) のもたらす欠点」に言及した.いずれも線状性という言語の特性をネガティヴに解した見方だが,記号論の観点からは,考え方次第でポジティヴに解釈することもできる.池上 (136) 曰く,

これは「不便な制約」と考えることももちろんできるが,逆に,それは言語という記号体系がそれだけ対象世界の構造に完全に支配されるのではない自立的な統辞論を有していることであると捉え,そこから派生するいろいろな積極的な意味合いを考えてみることもできる.


 なるほど,言語は線状性に従わざるを得ないことによって,現実の世界とは異なる虚の世界を作り出す力を有しているとも言えるわけだ.例えば,現実世界で同時に生じている A と B という2つのことを表現するのに,線状性をもつ言語では,A と B を同時に言い表すことができない.しかし,この状況をポジティヴにみれば,言語では,現実世界と非相似的に,これを A--B と表現することができる,とも言える.さらには,現実世界で A, B の順に生じていることを,B after A のように逆の順序で表現することすらできる.これは,言語が「「実の世界」への依存から解き放たれて,自らの「虚の世界」を自由に創り出す可能性を持つ」(池上,p. 167)ことを示している.
 上では言語の線状性を考えるのに音声言語 (speech) を念頭においてきたが,書記言語 (writing) ではどうだろうか.書記言語は,時間上ではなく空間上に配置されているという特徴がある.書記言語が用いられる場合,読み手が視線を運ぶ順序は,通常,文字に沿ってであり,結局のところ対応する音声言語の発せられる順序に準ずる.したがって,書記言語も原則として線状性に従っていることが分かる.
 しかし,線状性からの逸脱にポジティヴな意味を求めるのであれば,書記言語にはその可能性が大いに広がっている.書き手にとっては,時間に沿って書き進めるほかないが,読み手にとっては,その気になればどこからでも読み始めることができるし,書かれた面の全体を眺めることもできる.また,書き順や文字を書き進める(読み進める)方向について通言語的に絶対的なものはなく,言語ごとにヴァリエーションが認められることも,書記言語に多少の自由度があることを示している.個々の書記言語に特有の形態論(形字論)や統辞論(統字論)が論じられる所以である.さらに逸脱の度合いが高い意図的な事例としては,具象詩のような試みがある.ついでに書記言語の枠からは大きくはみ出すが,映画,劇画,絵巻物などは,線状性とそれに対する現示性を融合させた高次の記号体系として,独創的な虚の世界を生み出す力をもっている(池上,pp. 140--42).書記言語は,このように線状性の呪縛からある程度解放されているという点で音声言語と異なっており,むしろ現示性を有する絵画や写真に近い側面がある.
 音声言語は線状性に従わざるを得ないからこそ虚の世界を生み出すことができ,書記言語は線状性の呪縛からある程度自由になることができることにより,音声言語とは異なる世界を創出できる.言語は線状性に屈服しているのではなく,むしろそれを食い物にして新たな創造力を獲得したのだ.これこそ,ポジティヴ志向の記号論といえる.

 ・ 池上 嘉彦 『記号論への招待』 岩波書店〈岩波新書〉,1984年.

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2015-01-31 Sat

#2105. 英語アルファベットの配列 [writing][grammatology][alphabet][phonetics][greek][latin][etruscan][grapheme]

 昨日の記事「#2104. 五十音図」 ([2015-01-30-1]) の終わりにアルファベットの配列について触れたので,今回はその話題を.なぜ英語で用いられるアルファベットは「ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZ」という並び順なのだろうか.
 文字の配列の原理として,4種類が区別される(大名, p. 155).

 (1) 音韻論的分類法.音韻論の原理に基づくもので,昨日示した五十音図のほか,サンスクリット語の文字(悉曇,梵字),ハングルなどがある.
 (2) 形態論的分類法.形字の原理に従うもので,漢和辞典の部首索引など.
 (3) 意義論的分類法.意味の関連を考慮したもの.漢和辞典の部首は意符でもあるので,部分的には意義論的分類法に従っている.また,中国最古の字書『説文解字』では,文字の並びそれ自身が意味をもっていたという点で,意義論的分類の一種と考えられる.千字文,「あめつちの詞」,「いろは」 (cf. 「#1005. 平仮名による最古の「いろは歌」が発見された」 ([2012-01-27-1]))なども,字の並びが全体として章句を構成している点で,この分類に属する.
 (4) 年代順的分類法.各文字が派生したり加えられたりした順に並べる原理.例えば,<Z> はラテン・アルファベットにおいて後から加えられたので,文字セットの最後に配されている等々.<G>, <X>, <I--J>, <U--V--W-Y> も同じ.仮名の「ん」も.

 英語アルファベットはラテン・アルファベットから派生したものであり,後者が6世紀末にブリテン等に伝えられて以来,新たな文字が付け加わるなど,いくつかの改変を経て現代に至る.したがって,英語アルファベットの配列は,原則としてラテン・アルファベットの配列にならっている考えてよい.では,ラテン・アルファベットの配列は何に基づいているのか.それは,ギリシア・アルファベットの配列である.ギリシア・アルファベットの配列が基となり,それにいくつかの改変が加えられ,ラテン・アルファベットが成立した.
 ギリシア・アルファベットからラテン・アルファベットに至る経緯には,前者の西方型の変種 (cf. 「#1837. ローマ字とギリシア文字の字形の差異」 ([2014-05-08-1])) やエトルリア語 (Etruscan) が関与しており,事情は複雑である.この過程で <C> から <G> が派生したり (cf. 「#1824. <C> と <G> の分化」 ([2014-04-25-1])) ,その <G> がギリシア・アルファベットでは <Z> の占めていた位置に定着したり,<Z> が後から再導入されたりした.また,<F> は「#1825. ローマ字 <F> の起源と発展」 ([2014-04-26-1]) でみたような経緯で現在の位置に納まった.<I--J> の分化や <U--V--W--Y> の分化 (cf. 「#1830. Y の名称」 ([2014-05-01-1])) も生じて,それぞれおよそ隣り合う位置に配された.このように種々の改変はあったが,全体としてはギリシア・アルファベットの配列が基盤にあることは疑いえない.
 では,そのギリシア・アルファベットの配列の原理は何か.「#1832. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (1)」 ([2014-05-03-1]),「#1833. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (2)」 ([2014-05-04-1]) でみたように,ギリシア・アルファベットは,セム・アルファベット (Semitic alphabets) の1変種であるフェニキア・アルファベット (Phoenician alphabet) に由来する.したがって,究極的にはフェニキア・アルファベットなどの原初アルファベットの配列原理を理解しなければならない.
 「#1832. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (1)」 ([2014-05-03-1]) に掲げた文字表の右端2列が,セム語における文字の名称と意味である.並び合っている1組の文字の意味が,「手」 (yod) と「曲げた手」 (kaf) ,「水」 (mēm) と「魚」 (nūn) のように何らかの関係をもっているところから考えると,少なくとも部分的には意義論的分類法に従っているのではないかと思われる節がある.一方,bet, gaml, delt は破裂音を表し,hé, wau (セム語ではこの位置にあった), zai は摩擦音を表し,lamd, mém, nun は流音を表すなど,音韻論的分類法の原理も部分的に働いているようにみえる.全体としても,およそ子音は調音位置が唇から咽喉へ,母音は低母音から高母音へと並んでいるかのようだ(大名,p. 157).
 以上をまとめると,英語アルファベットの配列は,一部意義論的,一部音韻論的な原理で配列されたと思われるフェニキア・アルファベットに起源をもち,そこへギリシア・アルファベットとラテン・アルファベットの各段階において主として年代順的な原則により新しい文字が加えられるなど種々の改変がなされた結果である,といえる.関連して「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1]) も参照されたい.

 ・ 大名 力 『英語の文字・綴り・発音のしくみ』 研究社,2014年.

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2015-01-30 Fri

#2104. 五十音図 [writing][hiragana][japanese][grammatology][phonetics][vowel][consonant][sanskrit]

 日本語ひらがなの五十音図といえば,言わずと知れた下表を指す.  *

(ゐ) 
 
(ゑ) 


 旧仮名遣いの「ゐ」と「ゑ」を含めても実際には50の異なる音(モーラ)を表してはおらず,表の中に穴もある.だが,5×10の表におよそまとめられるという意味で,五十音図と呼び習わされている.五十音図は,ひらがなの学習に活躍するのみならず,上一段活用や下二段活用など現代日本語や歴史日本語の文法記述にもなくてはならない存在であり,日本語のなかに占める位置は大きい.にもかかわらず,なぜこの並び順なのかが広く問われることはない.
 実は,この見慣れた五十音図の背後には,調音音声学の原理が隠されている.この話題について大名 (2--12) が丁寧かつ易しく解きほぐしているので,是非そちらを参照してもらいたいが,原理の概要のみ以下に記そう.
 まず母音の5段の並びについて,なぜ「あいうえお」の順なのか.「あ」は広い(低い)母音であり,続く「い」と「う」はそれぞれ狭い(高い)母音,最後に来る「え」と「お」はそれぞれ中間的な開き(高さ)の母音である.広→狭→中の順に配置されており,それぞれの内部では前舌母音→後舌母音という順序となっている.(母音四辺形を簡略化した)母音三角形で考えるならば,「あいう」と3つの頂点を押さえてから,中段の「えお」で締めくくっているとみることができる.「えお」が最後に来ているのは,歴史的には五十音図の基盤をなすと考えられているサンスクリット語の音韻論において,/e/, /o/ はそれぞれ二重母音 /ai/, /au/ に基づいており,いわば二次的な母音であるという考え方に基づいているようだ(高島,p. 44).
 次に「あかさたなはまやらわ」の順序について.あ行の母音から始まり,か行からま行まで子音行が続き,や行からわ行までは半母音行となっている.子音行については,調音点が口の奥から口先へと配列されており,その内部では調音様式にしたがって摩擦音,破裂音,鼻音と並ぶ.具体的に見ると,最初のか行(軟口蓋・破裂音)は軟口蓋音で孤立しているが,続くさ行,た行,な行はそれぞれ歯茎音であり,上記の調音様式順に並んでいる.その後,は行(歴史的な /p/ や /ɸ/ を反映)とま行はともに唇音であり,摩擦音(あるいは破裂音),鼻音の順に並んでいる.「やらわ」の3行については,半母音という扱いでいわばオマケである.それでも,調音点は硬口蓋→歯茎→唇と口の奥から先へ整然と並べられている.なお,ら行が半母音とされるのは,母音の r がサンスクリット語に存在することによる(高島,p. 44).
 「#1008. 「いろは」と ABC」 ([2012-01-30-1]) の記事で,「阿吽(あうん)」について触れた.「阿」は口を開く音で字音の初め,「吽」は口を閉じる音で字音の終わりを表わし,両方合わせて万物の初めと終わりを示すとされる.これは,五十音図にも反映されている最初に配置される母音 /a/ と最後に配置される子音 /m/ (hum) に由来している.
 いろはの歴史は「#1005. 平仮名による最古の「いろは歌」が発見された」 ([2012-01-27-1]) で見たとおり紀元1000年前後に遡るようだが,五十音図についてもおよそ同時期の11世紀初めの醍醐寺蔵『孔雀経音義』にみられる図が,現存する最古のものである.起源説については,上ではサンスクリット語(悉曇,梵字)から出た,あるいはそれに基づいて整理されてきたという説を採ったが,漢字音の反切のために作られたとする説,悉曇のひな形として作られたとする説などがあり,諸説紛々としている.なお,「五十音図」の名称は江戸時代の僧契沖によるものである.
 関連して,アルファベットの並びについて,「#1832. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (1)」 ([2014-05-03-1]),「#1833. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (2)」 ([2014-05-04-1]) を参照.

 ・ 大名 力 『英語の文字・綴り・発音のしくみ』 研究社,2014年.
 ・ 高島 淳 「インドの文字と日本」『月刊言語』第34巻第10号,2005年,42--49頁.

Referrer (Inside): [2022-08-05-1] [2015-01-31-1]

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2015-01-23 Fri

#2097. 表語文字,同音異綴,綴字発音 [homography][spelling_pronunciation][grammatology][spelling][homophony][standardisation]

 近代英語期以後,英語の綴字体系が表音的というよりは,表語的(正確には表形態素的)になってきたことについて,以下の記事で取り上げてきた.
 
 ・ 「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1])
 ・ 「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1])
 ・ 「#2043. 英語綴字の表「形態素」性」 ([2014-11-30-1])
 ・ 「#2058. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (1)」 ([2014-12-15-1])
 ・ 「#2059. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (2)」 ([2014-12-16-1])

 考えてみれば,同音異綴 (homophony) や綴字発音 (spelling_pronunciation) という現象は,すぐれて表語文字的な現象である.いずれも表音主義が貫かれていれば,生じる可能性が少ないだろう.ということは,いずれも現代英語の綴字と発音に関する顕著な特徴となっているが,その起源はせいぜい表語主義が発達し始めた初期近代英語期に遡るにすぎないということになる.もちろん,それ以前にも英語の綴字には表語的な用法はなかったわけではないし,原則として表音的だったとはいっても同じ発音の語が写字生次第で様々な綴字として書き表されていたのだから,中英語期にも同音異義や綴字発音という現象そのものは皆無ではなかったろう.ここで主張したいのは,これらの現象が本格的に英語の綴字上の問題として浮かび上がってきたのは近代英語期以降であるということだ.
 もう少し詳しく説明しよう.仮に表音主義が徹底されているとするならば(中英語でも実際には徹底はされていなかったが),同音異義語どうしは異なる語ではあっても書記上同綴字で表されざるを得ない.一方,表音主義にこだわらなければ(したがって表語主義に一歩でも近づくならば),この制限が外されるので,son / sun, plain / plane のような芸当が可能になる.これらの綴字が標準化によって社会的にお墨付きを与えられ固定化すると,書記上同音異義語の区別がつけられるという利便性が感じられることもあり,同音異綴の機能的価値は高まるだろう.
 oftent が読まれるようになってきた例に代表される綴字発音も,その前提に表音主義の衰退(したがって表語主義の発展)が関わっている.発音と綴字が緊密に対応し合っている体系においては,トートロジーだが,発音と綴字がぴたっと一致している.したがって,原則として発音を知っていれば綴字も書けるし,綴字を読めれば発音を再現できる.このような場合には,すべて最初から綴字発音の原則が成り立っているわけであり,取り立てて綴字発音の現象を語るまでもない.取り立てて綴字発音の現象を語る必要が出てくるのは,発音と綴字が大きく乖離し,そのギャップを埋めたいという欲求が感じられるようになってからである.表音主義が崩れているからこそ,表音主義に戻りたいという欲求が働いて綴字発音という現象が生じるのであり,表音主義が健在であればそれは生じるべくもないのだ.この点は,安井・久保田 (75) が鋭く指摘しているとおりである.

つづり字発音なるものは,つづり字と発音が離れていなかった時代においては問題となりえないものであるから,英語のつづり字が表音的でなくなってからのことである.しかも,その非表音的つづり字の語をつづり字どおりに発音しようとする試みが行われうるのは,つづり字法が確立して,特定単語が,それぞれきまった一つのつづり字をもち,また相当に多くの人々が印刷物に親しむようになってからのことであるから,年代的には,そう古いことではない.


 ・ 安井 稔・久保田 正人 『知っておきたい英語の歴史』 開拓社,2014年.

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2015-01-18 Sun

#2092. アルファベットは母音を直接表わすのが苦手 [grammatology][grapheme][vowel][alphabet][greek][latin][spelling][digraph][diacritical_mark]

 「#1826. ローマ字は母音の長短を直接示すことができない」 ([2014-04-27-1]) で取り上げた話題をさらに推し進めると,標記のように「アルファベットは母音を直接表わすのが苦手」と言ってしまうこともできるかもしれない.この背景には3千年を超えるアルファベットの歴史がある.
 「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]) でみたように,古代ギリシア人は子音文字であるフェニキアのアルファベットを素材として今から3千年ほど前に初めて母音字を創案したとされるが,その創案は,ギリシア語の子音表記にとって余剰的なフェニキア文字のいくつかをギリシア語の母音に当ててみようという,どちらかというと消極的な動機づけに基づいていた.つまり,母音を表す母音字を発明しようという積極的な動機があったわけではない.実際,ギリシア語の様々な母音を正確に表わそうとするならば,フェニキア・アルファベットからのいくつかの余剰的な文字だけでは明らかに数が不足していた.だが,だからといって新たな母音字を作り出すというよりは,あくまで伝統的な文字セットを用いて子音と同時にいくつかの母音「も」表わせるように工夫したということだ.フェニキア文字以後のローマン・アルファベットの歴史的発展の記述を Horobin (48--49) より要約すると,次のようになる.

The Origins of the Roman alphabet lie in the script used by Phoenician traders around 1000 BC. This was a system of twenty-two letters which represented the individual consonant sounds, in a similar way to modern consonantal writing systems like Arabic and Hebrew. The Phoenician system was adopted and modified by the Greeks, who referred to them as 'Phoenician letters' and who added further symbols, while also re-purposing existing consonantal symbols not needed in Greek to represent vowel sounds. The result was a revolutionary new system in which both vowels and consonants were represented, although because the letters used to represent the vowel wounds in Greek were limited to the redundant Phoenician consonants, a mismatch between the number of vowels in speech and writing was created which still affects English today.


 この消極的な母音字の創案とその伝統は,そのままエトルリア文字,それからローマ字へも伝わり,結果的には現代英語にもつらなっている.もちろん,英語史を含め,その後ローマ字を用いてきた多くの言語変種の歴史的段階において,母音をより正確に表わす方法は編み出されてきた.英語史に限っても,二重字 (digraph) など文字の組み合わせにより,ある母音を表すということはしばしば行われてきたし,magic <e> (cf. 「#1289. magic <e>」 ([2012-11-06-1])) にみられるような発音区別符(号) (diacritical mark; cf. 「#870. diacritical mark」 ([2011-09-14-1])) 的な <e> の使用によって先行母音の音質や音量を表す試みもなされてきた.だが,現代英語においても,これらの方法は間接的な母音表記にとどまり,ずばり1文字で直接ある母音を表記するという作用は限定的である.数千年という長い時間の歴史的視座に立つのであれば,これはアルファベットが子音文字として始まったことの呪縛とも称されるものかもしれない.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.

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2014-12-16 Tue

#2059. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (2) [etymological_respelling][latin][grammatology][manuscript][silent_reading][standardisation][renaissance]

 昨日の記事「#2058. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (1)」 ([2014-12-15-1]) に引き続いての話題.
 昨日引用した Perret がフランス語史において指摘したのと同趣旨で,Scragg (56) は,英語史における黙字習慣の発展と表語文字への転換とが密接に関わっていることを指摘している.

. . . an important change overtook the written language towards the end of the fourteenth century: suddenly literacy became more widespread with the advent of cheaper writing materials. In earlier centuries, while parchment was expensive and wax tablets were cumbersome, the church easily retained control of education and writing, but with the introduction of paper, mass literacy became both feasible and desirable. In the fifteenth century, private reading began to replace public recitation, and the resultant demand for books led, during that century, to the development of the printing press. As medieval man ceased pointing to the words with his bookmark as he pronounced them aloud, and turned to silent reading for personal edification and satisfaction, so his attention was concentrated more on the written word as a unit than on the speech sounds represented by its constituent letters. The connotations of the written as opposed to the spoken word grew, and given the emphasis on the classics early in the Renaissance, it was inevitable that writers should try to extend the associations of English words by giving them visual connection with related Latin ones. They may have been influences too by the fact that Classical Latin spelling was fixed, whereas that of English was still relatively unstable, and the Latinate spellings gave the vernacular an impression of durability. Though the etymologising movement lasted from the fifteenth century to the seventeenth, it was at its height in the first half of the sixteenth.


 黙字習慣が確立してくると,読者は一連の文字のつながりを,その発音を介在させずに,直接に語という単位へ結びつけることを覚えた.もちろん綴字を構成する個々の文字は相変わらず表音主義を標榜するアルファベットであり,表音主義から表語主義へ180度転身したということにはならない.だが,表語主義の極へとこれまでより一歩近づいたことは確かだろう.
 さらに重要と思われるのは,引用の後半で Scragg も指摘しているように,ラテン語綴字の採用が表語主義への流れに貢献し,さらに綴字の標準化の流れにも貢献したことだ.ルネサンス期のラテン語熱,綴字標準化の潮流,語源的綴字,表語文字化,黙読習慣といった諸要因は,すべて有機的に関わり合っているのである.

 ・ Scragg, D. G. A History of English Spelling. Manchester: Manchester UP, 1974.

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2014-12-15 Mon

#2058. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (1) [french][etymological_respelling][latin][grammatology][manuscript][scribe][silent_reading][renaissance][hfl]

 一昨日の記事「#2056. 中世フランス語と英語における語源的綴字の関係 (1)」 ([2014-12-13-1]) で,フランス語の語源的綴字 (etymological_respelling) が同音異義語どうしを区別するのに役だったという点に触れた.フランス語において語源的綴字がそのような機能を得たということは,別の観点から言えば,フランス語の書記体系が表音 (phonographic) から表語 (logographic) へと一歩近づいたとも表現できる.このような表語文字体系への接近が,英語では中英語から近代英語にかけて生じていたのと同様に,フランス語では古仏語から中仏語にかけて生じていた.むしろフランス語での状況の方が,英語より一歩も二歩も先に進んでいただろう.(cf. 「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1]),「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1]),「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1]),「#1940. 16世紀の綴字論者の系譜」 ([2014-08-19-1]),「#2043. 英語綴字の表「形態素」性」 ([2014-11-30-1]).)
 フランス語の状況に関しては,当然ながら英語史ではなくフランス語史の領域なので,フランス語史概説書に当たってみた.以下,Perret (138) を引用しよう.まずは,古仏語の書記体系は表音的であるというくだりから.

L'ancien français : une écriture phonétique
. . . . dans la mesure où l'on disposait de graphèmes pour rendre les son que l'on entendait, l'écriture était simplement phonétique (feré pour fairé, souvent pour quí) . . . .


 Perret (138--39) は続けて,中仏語の書記体系の表語性について次のように概説している.

Le moyen français : une écriture idéographique
À partir du XIIIe siècle, la transmission des textes cesse d'être uniquement orale, la prose commence à prendre de l'importance : on écrit aussi des textes juridiques et administratifs en français. Avec la prose apparaît une ponctuation très différente de celle que nous connaissons : les textes sont scandés par des lettrines de couleur, alternativement rouges et bleues, qui marquent le plus souvent des débuts de paragraphes, mais pas toujours, et des points qui correspondent à des pauses, généralement en fin de syntagme, mais pas forcément en fin de phrase. Les manuscrits deviennent moins rares et font l'objet d'un commerce, ils ne sont plus recopiés par des moines, mais des scribes séculiers qui utilisent une écriture rapide avec de nombreuses abréviations. On change d'écriture : à l'écriture caroline succèdent les écritures gothique et bâtarde dans lesquelles certains graphèmes (les u, n et m en particulier) sont réduits à des jambages. C'est à partir de ce moment qu'apparaissent les premières transformations de l'orthographe, les ajouts de lettres plus ou moins étymologiques qui ont parfois une fonction discriminante. C'est entre le XIVe et le XVIe siècle que s'imposent les orthographes hiver, pied, febve (où le b empêche la lecture ‘feue’), mais (qui se dintingue ainsi de mes); c'est alors aussi que se développent le y, le x et le z à la finale des mots. Mais si certains choix étymologiques ont une fonction discrminante réelle, beaucoup semblent n'avoir été ajoutés, pour le plaisir des savants, qu'afin de rapprocher le mot français de son étymon latin réel ou supposé (savoir s'est alors écrit sçavoir, parce qu'on le croyait issu de scire, alors que ce mot vient de sapere). C'est à ce moment que l'orthographe française devient de type idéographique, c'est-à-dire que chaque mot commence à avoir une physionomie particulière qui permet de l'identifier par appréhension globale. La lecture à haute voix n'est plus nécessaire pour déchiffrer un texte, les mots peuvent être reconnus en silence par la méthode globale.


 引用の最後にあるように,表語文字体系の発達を黙読習慣の発達と関連づけているところが実に鋭い洞察である.声に出して読み上げる際には,発音に素直に結びつく表音文字体系のほうがふさわしいだろう.しかし,音読の機会が減り,黙読が通常の読み方になってくると,内容理解に直結しやすいと考えられる表語(表意)文字体系がふさわしいともいえる (cf. 「#1655. 耳で読むのか目で読むのか」 ([2013-11-07-1]),「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1])) .音読から黙読への転換が,表音文字から表語文字への転換と時期的におよそ一致するということになれば,両者の関係を疑わざるを得ない.
 フランス語にせよ英語にせよ,語源的綴字はルネサンス期のラテン語熱との関連で論じられるのが常だが,文字論の観点からみれば,表音から表語への書記体系のタイポロジー上の転換という問題ともなるし,書物文化史の観点からみれば,音読から黙読への転換という問題ともなる.<doubt> の <b> の背後には,実に学際的な世界が広がっているのである.

 ・ Perret, Michèle. Introduction à l'histoire de la langue française. 3rd ed. Paris: Colin, 2008.

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2014-11-30 Sun

#2043. 英語綴字の表「形態素」性 [spelling][grammatology][spelling_pronunciation_gap][orthography][morphology][centralisation]

 「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1]),「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1]),「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1]),「#1940. 16世紀の綴字論者の系譜」 ([2014-08-19-1]) でみたように,近現代英語の綴字体系はいくぶん表語的 (logographic) である.もちろん表音文字を標榜するアルファベットを利用している以上,完全に表語的ということはありえないが,先立つ中英語のすぐれて表音的な綴字体系と比較すれば,より表語的な性格を示しているということはできる.
 表「語」的と述べてきたが,正確にいえば表「形態素」的 ("morphographic"?) と表現すべきだろう.1つの形態素にある決まった文字列をあてがい,その関係をいつでもどこでも保持するというのが,表「形態素」性の本質である.これは,生成文法の枠組で形態論を研究する者にとってはありがたい状況だろう.理論的で抽象的な基底形が,一般に使用されている具体的な正書法の綴字とおよそ一致するからだ.
 Carney (18) は,英語綴字の表「形態素」性について,母音と子音それぞれ例を挙げながら的確に説明を与えている.

2.4 LEXICAL SPELLING
Keeping the spelling of a morpheme constant
The English writing system is not simply concerned with mapping phonemes on to letters. To a large extent it tries to offer the reader a constant spelling for a morpheme in spite of the varying pronunciation of the morpheme in different contexts. Children are taught both a long and a short phonemic value for the simple vowel letters. In spite of the very considerable present-day phonetic differences in pronunciation, the pairs /eɪ/ -- /æ/ (sane, sanity), /aɪ/ -- /ɪ/ (mime, mimic), /əʊ/ -- /ɒ/ (cone, conical, /iː/ -- /e/ (diabetes, diabetic) have a constant vowel letter. Only in the pair /aʊ/ -- /ʌ/ (pronounce, pronunciation) do the vowel letters used in the spelling (<ou> -- <u>) sometimes vary to reflect the surface difference. But even here there are long-short differences such as South, Southern where the morpheme keeps its spelling identity. Similarly the different correspondences /s/ ≡ <c>, /k/ ≡ <c>, and /ʃ/ ≡ <c> allow a constant morphemic spelling in words such as electricity, electrical, electrician. The past tense and participle morpheme {-ed} in regular verbs (ignoring forms such as spelt, spent, dreamt) has a constant <-ed> spelling in spite of the phonemic variation /ɪd/ (waited), /d/ (warned) and /t/ (watched).


 上の引用で注目したいのは,<pronounce> と <pronunciation> が表「形態素」性の例外として挙げられていることだ.先日,ある授業で学生からなぜこの動詞と名詞のペアにおいては母音字が異なっているのかという質問を受けていたからだ.歴史的に調べてみる価値はあるだろうが,当面 Carney に基づいて答えることができそうだ.<south> /saʊθ/ と <southern> /sʌðən/ では,母音は異なるが,同じ形態素を一定の綴字で表わそうとする表「形態素」性の原則により,共通して <ou> で綴られる.これが英語綴字の全体としての方針である.しかし,/aʊ/ と /ʌ/ の交替に関しては,例外的に表音主義を採用する <pronounce> vs <pronunciation> のようなものがある.Carney はこのペアが唯一例のように述べているが,<denounce> vs <denunciation>, <renounce> vs <renunciation>, <abound> vs <abundance>, <redound> vs <redundancy> のような例もある.
 このような質問が出るということは,<pronounce> vs <pronunciation> に示される表音主義が現代英語の綴字としては例外という直感があるということだ.逆にいえば,<south> vs <southern> の示す表語主義のほうが原則という直感が働いているのだろう.

 ・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.

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2014-08-19 Tue

#1940. 16世紀の綴字論者の系譜 [spelling][orthography][emode][spelling_reform][mulcaster][alphabet][grammatology][hart]

 昨日の記事「#1939. 16世紀の正書法をめぐる議論」 ([2014-08-18-1]) で,数名の綴字論者の名前を挙げた.彼らは大きく表音主義の急進派と伝統主義の穏健派に分けられる.16世紀半ばから次世紀へと連なるその系譜を,渡部 (64) にしたがって示そう.

Genealogy of C16 Spelling Reformers

 昨日の記事で出てきていない名前もある.Cheke と Smith は宮廷と関係が深かったことから,宮廷関係者である Waad と Laneham にも表音主義への関心が移ったようで,彼らは Cheke の新綴字法を実行した.Hart は Bullokar や Waad に影響を与えた.伝統主義路線としては,Mulcaster と Edmund Coote (fl. 1597; see Edmund Coote's English School-maister (1596)) が16世紀末に影響力をもち,17世紀には Francis Bacon (1561--1626) や Ben Jonson (c. 1573--1637) を経て,18世紀の Dr. Johnson (1709--84) まで連なった.そして,この路線は,結局のところ現代にまで至る正統派を形成してきたのである.
 結果としてみれば,厳格な表音主義は敗北した.表音文字を標榜する ローマン・アルファベット (Roman alphabet) を用いる英語の歴史において,厳格な表音主義が敗退したということは,文字論の観点からは重要な意味をもつように思われる.文字にとって最も重要な目的とは,表語,あるいは語といわずとも何らかの言語単位を表わすことであり,アルファベットに典型的に備わっている表音機能はその目的を達成するための手段にすぎないのではないか.もちろん表音機能それ自体は有用であり,捨て去る必要はないが,表語という最終目的のために必要とあらば多少は犠牲にできるほどの機能なのではないか.
 このように考察した上で,「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1]),「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1]),「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1]) の議論を改めて吟味したい.

 ・ 渡部 昇一 『英語学史』 英語学大系第13巻,大修館書店,1975年.

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2014-07-24 Thu

#1914. <g> の仲間たち [grammatology][grapheme][alphabet][consonant][g][yogh][z]

 英語史における <g> とその仲間の文字の関係は,とりわけ中英語期において,非常に複雑である.古英語期より,<g> という文字素 (grapheme) には,異文字 (allograph) として,平らな頭部をもつ <<Ӡ>> という字形 (insular <g>) と丸い閉じた頭部をもつ <<g>> という字形 (Carolingian <g>) があった.古英語では,前者が普通であり,後者は主としてラテン語を写すのに使われたにすぎない.当時の <g> は,後母音(字)の前では軟口蓋閉鎖音の /g/,前母音(字)の前では硬口蓋摩擦音の /j/ に対応した.<god> (God), <gear> (year) の如くである.しかし,写字生の中には2つの音価の混用を嫌い,/j/ に <i> を当てたり,二重字 <ge> を用いた者もいた.yoke に相当する語を <ioc>, <geoc> などと綴った例がある.
 ノルマン・コンクェストが起こり中英語期に入ると,<<g>> (Carolingian <g>) が一般化した.原則としてその音価は /g/ だったが,「#1651. jg」 ([2013-11-03-1]) で見たように /ʤ/ にも対応することがあった.一方,<<Ӡ>> (insular <g>) は,従来通り硬口蓋摩擦音 /j/ を表わし続けて残ったが,さらに軟口蓋摩擦音 /x/ をも表わすようになった.ここから,両音を中に含む yogh がその呼び名となった.yogh の字形は <<Ӡ>> (insular <g>) から,より数字の <3> やフランス語式の <z> に近い字形である <<ȝ>> へと発展し,中英語期を通じて広く行われたが,15世紀に各々の音価は <y> や <gh> の文字により置き換えられた.<ȝet> (yet), <ȝou> (you), <niȝt> (night), <liȝt> (light) を参照.
 しかし,この <<ȝ>> は,15世紀後半に印刷技術が導入されたときに,Scotland でちょっとしたひねりを加えられた.先に述べたように,その字形はフランス語式の <z> の字形に類似していたため,スコットランドの印刷家たちは見慣れない <<ȝ>> を <<z>> と混同してしまった.そこで,<<ȝ>> と綴るべきところに誤って <<z>> と綴る例が見られるようになる.<zeir> (year), <ze> (ye), <capercailzie> (capercailye) の如くである.固有名詞にもその混同の痕跡を残しており,「#447. Dalziel, MacKenzie, Menzies の <z>」 ([2010-07-18-1]) で見たとおりである.
 このように,insular <g> および yogh は,古英語以来,近代の入り口に至るまで,他の複数の文字と複雑に関わり合い,時に混乱を引き起こしながらも活躍した文字として,英語文字史の一時代を飾ったのである.以上,Horobin (86, 91) を参考にして執筆した.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.

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2014-07-13 Sun

#1903. 分かち書きの歴史 [punctuation][manuscript][writing][grammatology][syntagma_marking][alphabet][distinctiones]

 単語と単語の間にスペースを挿入する書記慣習を分かち書きと呼んでいる.本ブログでは,「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#1114. 草仮名の連綿と墨継ぎ」 ([2012-05-15-1]) の記事で取り上げてきた.分かち書きは,現代英語を含めローマ字を用いる書記体系では当然視されているが,古代ローマのラテン語表記において,分かち書きが習慣的に行われていたわけではない.英語史としてみれば,分かち書きは,古英語期にキリスト教ともにアイルランドの修道僧によってもたらされた慣習であり,その歴史は意外と新しい.Horobin (72) 曰く,

. . . we need to remember that word division and the use of blank spaces between words was a relatively new phenomenon when the Beowulf manuscript was written. In Antiquity manuscripts were written using scriptio continua, a continuous script without any breaks between words at all. The practice of dividing words in the way we do today was introduced by the Irish monks who brought Christianity to the Northumbrians.


 古代ローマの伝統的な続け書き (scriptio continua) に代わり,革新的な分かち書き (distinctiones) が最初にラテン語を解さないアイルランド人,そして後にアングロサクソン人によって採用されることになったことは,偶然ではない.日本語母語話者は,分かち書きも句読点もない,ひらがなだけの文章を非常に読みにくく感じるだろうが,日本語を知っている以上,なんとかなる.しかし,日本語を母語としない学習者にとっては,さらに読みにくく感じられるだろう.同様に,ラテン語を母語とするものは scriptio continua で書かれたラテン語の文章を読むのに耐えられたかもしれないが,非母語としてのラテン語の学習者であった古英語期のアイルランド人やイングランド人は苦労を強いられたろう.そこで彼らは,読みやすさと解釈のしやすさを求めて,句読法に一大革新をもたらすことになったのである.この辺りの事情について,Clemens and Graham より2箇所引用する.

In late antiquity, scribes wrote literary texts in scriptura continua (also sometimes called scriptio continua), that is, without any separation between the words. Moreover, often they did not enter any marks of punctuation on the page. In many cases, punctuation was added by the reader, in particular by the reader who had to recite the text aloud. Such punctuation was often only sporadic, inserted at those points where it was necessary to counteract possible ambiguity (for example, when it was not immediately clear where one word ended and another began). (83)

Irish and Anglo-Saxon scribes made notable contributions to the use and development of the distinctiones system. Following their conversion to Christianity in the fifth and sixth through seventh centuries, respectively, the Irish and the Anglo-Saxons copied Latin texts avidly. Because their native languages were not directly related to Latin, these scribes required more visual cues to understand Latin than did Italian, Spanish, or French scribes. It was Irish scribes who were primarily responsible for the introduction of the practice of word separation, a major contribution to what has been called the "grammar of legibility." Once word separation became common, later scribes sometimes "updated earlier manuscripts by placing a punctus between words in texts originally written in scriptura continua. (83--84)


 イギリス諸島の修道僧たちは,ラテン語の scriptio continua の読みにくさを疎んじ,自らが書くときには語と語の間にスペースを入れる慣習を確立した.すでに scriptio continua で書かれてしまっている文章については,語と語の間に句読点を挿入することで,読みやすさを確保しようとした.したがって,統語的な区切り ("grammar of legibility") を明確にするために,彼らは分かち書き以外にもいくつかの手段を編み出したのだが,その中でもとりわけ有効な慣習として確立したのが,分かち書きだった.
 現在私たちが英語の書き言葉において当然視している分かち書きという慣習は,外国語学習者がその言語の読み書きを容易にするために編み出した語学学習のテクニックに由来するのである.この点では,語句注釈や漢文の訓点とも通じるところがある.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
 ・ Clemens, Raymond and Timothy Graham. Introduction to Manuscript Studies. Ithaca & London: Cornel UP, 2007.

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2014-07-03 Thu

#1893. ヘボン式ローマ字の <sh>, <ch>, <j> はどのくらい英語風か [alphabet][japanese][writing][grammatology][orthography][romaji][j][norman_french][digraph]

 昨日の記事 ([2014-07-02-1]) の最後に,ヘボン式ローマ字の綴字のなかで,とりわけ英語風と考えられるものとして <sh>, <ch>, <j> の3種を挙げた.現代英語の正書法を参照すれば,これらの綴字が,共時的な意味で「英語風」であることは確かである.しかし,この「英語風」との認識の問題を英語史という立体的な観点から眺めると,問題のとらえ方が変わってくるかもしれない.歴史的には,いずれの綴字も必ずしも英語に本来的とはいえないからである.
 まず,<sh> = /ʃ/ が正書法として確立したのは15世紀中頃のことにすぎない.古英語では,この子音は <sc> という二重字 (digraph) で規則的に綴られていた.この二重字は中英語へも引き継がれたが,中英語では様々な異綴りが乱立し,そのなかで埋没していった.例えば,現代英語の <ship> に対応するものとして,中英語では <chip>, <scip>, <schip>, <ship>, <sip>, <ssip> などの綴字がみられる.このなかで,中英語期中最もよく用いられたのは <sch> だろう.現代的な <sh> は,13世紀初頭に Orm が初めてかつ規則的に用いたが,ある程度一般的になったのは14世紀のロンドンで Chaucer などが <sh> を常用するようになってからである.その後,<sh> は15世紀中頃に広く受け入れられるようになり,17世紀までに他の異綴りを廃用へ追い込んだ.このように,二重字 <sh> の慣習は,英語の土壌から発したことは確かだが,中英語期の異綴りとの長い競合の末にようやく定まった慣習であり,英語の規準となってからの歴史はそれほど長いものではない (Upward and Davidson 157) .
 次に,<ch> = /ʧ/ の対応の起源は,疑いなく外来である.この子音は,古英語では典型的に前舌母音の前位置に現われ,規則的に <c> で綴られた.しかし,音韻変化の結果,<c> は同じ音韻環境で /k/ をも表わすようになり,二重の役割をもつに至った.この両義性が背景にあったことと,中英語期に Norman French の綴字慣習が広範な影響力をもったことにより,英語では自然と Norman French の <ch> = /ʧ/ が受け入れられる結果となった.12世紀には,早くも古英語的な <c> = /ʧ/ の対応はほとんど廃れ,古英語由来の単語も以降こぞって <ch> で綴り直されるようになった.二重字 <ch> の受容には,文字と音韻の明確な対応を目指す言語内的な要求と,Norman French の綴字習慣の進出という言語外的な要因とが関与しているのである (Upward and Davidson 100) .
 <j> については,「#1828. j の文字と音価の対応について再訪」 ([2014-04-29-1]) と「#1650. 文字素としての j の独立」 ([2013-11-02-1]) で見たように,フランス借用語を大量に入れた中英語期に,やはりフランス語の綴字習慣をまねたものが,後に英語でも定着したにすぎない.実際,<j> で始まる英単語は原則として英語本来語ではない.
 以上のように,今では「英語風」と認識されている <sh>, <ch>, <j> も,定着するまでは不安定な綴字だったのであり,当初から典型的に「英語風」だったわけではない.<ch> と <j> の2つに至っては,当時のファッショナブルな言語であるフランス語の綴字習慣の模倣であった.英語が当時はやりのフランス語風を受容したように,日本語が現在はやりの英語風を受容したとしても驚くには当たらないだろう.綴字習慣や正書法も,時代の潮流とともに変化することもあれば変異もするのである.そして,言語接触における影響の方向は,流行や威信などの社会言語学的な要因に依存するのが常である.ローマ字の○○式の評価も,歴史的な観点を含めて立体的になされる必要があると考える.

 ・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.

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2014-07-02 Wed

#1892. 「ローマ字のつづり方」 [alphabet][japanese][writing][grammatology][orthography][romaji][language_planning]

 「#1879. 日本語におけるローマ字の歴史」 ([2014-06-19-1]) の記事で触れたように,現代の日本語におけるローマ字使用の慣用は,概ね 1954年に政府が訓令として告示した「ローマ字のつづり方」に拠っている.これは様々な議論の末に昭和29年12月に告示されたものであり,それまでの慣用をも勘案して,第一表(=訓令式)と第二表(=ヘボン式と第一表にもれた日本式)を含めた折衷的な提案だった.「まえがき」によれば,第一表を基準としながらも,国際的関係や慣例によって改め難い場合には第二表によってもよいとしている.以下に,2つの表を掲げよう.

第1表(訓令式)aiueo   
   
kakikukekokyakyukyo
キャキュキョ
sasisusesosyasyusyo
シャシュショ
tatitutetotyatyutyo
チャチュチョ
naninunenonyanyunyo
ニャニュニョ
hahihuhehohyahyuhyo
ヒャヒュヒョ
mamimumemomyamyumyo
ミャミュミョ
ya(i)yu(e)yo   
   
rarirureroryaryuryo
リャリュリョ
wa(i)(u)(e)(o)   
   
gagigugegogyagyugyo
ギャギュギョ
zazizuzezozyazyuzyo
ジャジュジョ
da(zi)(zu)dedo(zya)(zyu)(zyo)
ジャジュジョ
babibubebobyabyubyo
ビャビュビョ
papipupepopyapyupyo
ピャピュピョ

第2表(標準式)〈ヘボン式〉shashishusho 
シャシュショ 
  tsu  
    
chachichucho 
チャチュチョ 
  fu  
    
jajijujo 
ジャジュジョ 
(日本式)didudyadyudyo
ヂャヂュヂョ
kwa    
クワ    
gwa    
グワ    
    wo
    


 「ローマ字のつづり方」の告示に至るまでのローマ字の正書法を巡る議論は熾烈だった.その後も,○○式それぞれの支持者は主張を続けており,論争の火種は今もくすぶっている.昨今は,コンピュータのローマ字漢字変換の普及,日本語の国際化,「#1612. 道路案内標識,ローマ字から英語表記へ」 ([2013-09-25-1]) のような動向がみられることから,ローマ字に関する議論が再燃する可能性がある.
 さて,ここではいずれの方式を採るべきかという問題の核心には入り込むことはせずに,英語の正書法に近いとされるヘボン式のどこが英語的なのかを確認するにとどめよう.訓令式と比較するとすぐにわかるが,ヘボン式が体系的に英語風といえるのは,シャ行,チャ行,ジャ行である.訓令式の <sya>, <syu>, <syo>, <tya>, <tyu>, <tyo>, <zya>, <zyu>, <zyo> は,ヘボン式では <sha>, <shu>, <sho>, <cha>, <chu>, <cho>, <ja>, <ju>, <jo> に対応する.また,これと関連して,体系的というよりは個別的だが,訓令式 <si>, <ti>, <zi> は,ヘボン式 <shi>, <chi>, <ji> に対応する.ほかにヘボン式には <fu> や <tsu> もあるが,ヘボン式の体系的かつ顕著な「英語風」は,とりわけ <sh>, <ch>, <j> の3種の綴字といってよいだろう.しかし,実は,これらの綴字を「英語風」と認識するのは,あくまで近現代の発想である.英語史の観点からみると,これらは必ずしも典型的に「英語風」といえるものではない.これについては,明日の記事で.

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2014-06-19 Thu

#1879. 日本語におけるローマ字の歴史 [alphabet][japanese][writing][grammatology][orthography][romaji][language_planning]

 ローマン・アルファベット誕生の歴史については,アルファベットの派生を扱った「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]),「#1822. 文字の系統」 ([2014-04-23-1]),「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]),「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1]),「#1853. 文字の系統 (2)」 ([2014-05-24-1]) の記事で概観してきた.ラテン語を書き表すために発展したローマン・アルファベットは,その後,西ヨーロッパを中心に広がり,さらに世界史の経緯とともにヨーロッパ外へ拡散し,「#1861. 英語アルファベットの単純さ」 ([2014-06-01-1]) も相まって,現在では世界化している(関連して「#1838. 文字帝国主義」 ([2014-05-09-1]) を参考).日本語におけるローマ字の使用は室町時代後期に遡るが,これもローマン・アルファベットの世界的拡散の歴史の一コマである.以下,日本語におけるローマ字の歴史を,古藤 (118--24) に拠って要約しよう.
 日本に初めてローマ字が伝えられたのは,16世紀後半,室町時代の末である.キリスト教の宣教師とともにもたらされた.1590年(天正18年),イタリア人のワリニャーニ (1539--1609) が島原に活字印刷機をもたらし,それでローマ字による初の書『サントスの御作業の内抜書き』 (1591) を刊行した.続いて,長崎,天草,京都などで数多くのローマ字書きの「キリシタン資料」が出版されることになったが,『ドチリナ・キリシタン(吉利支丹教義)』 (1592) などでは,ポルトガル語の発音に基づいて日本語が表記されており,当時の日本語の発音を知る上で貴重な資料となっている.
 続く江戸時代には鎖国が行われ,一時期,ローマ字の普及が妨げられることとなった.その間に,新井白石 (1657--1725) が1708年(宝永5年)に屋久島に漂流したローマ人宣教師シドッチを訊問してローマ字その他の知識を得て,洋語に対して初めて一貫してカタカナを当てた『西洋紀聞』を世に送ったが,日本におけるローマ字の発展に直接は貢献しなかった.江戸時代後期には蘭学が盛んになるとともにオランダ語式のローマ字が用いられ,やがてドイツ語式やフランス語式も現われたが,明治維新のころには英語式が最も優勢となっていた.英語式ローマ字が一般化したのは,1767年(慶応3年)にアメリカの眼科医・宣教師のヘボン (James Curtis Hepburn; 1815--1911) が著わした日本初の和英辞典『和英語林集成』に負うところが大きい.この第3版で採用されたローマ字表記が「ヘボン式(標準式)」の名で広く普及することになった.
 明治時代になると,ローマ字を国字にしようという運動が高まったが,英語表記に近いヘボン式(標準式)をよしとせず,日本語表記に特化した「日本式」こそを採用すべしと田中館愛橘 (1856--1952) が提唱するに至り,両派閥の対立が始まった.この対立はその後も長く続くことになり,大正時代には文部省,外務省などがヘボン式を,陸海軍,逓信省などは日本式をそれぞれ支持した.政府は統一を目指して臨時ローマ字調査会を組織し,6年の議論の末,1937年に日本式を基礎にヘボン式を多少取り入れた「訓令式」を公布した.
 だが,議論は収まらず,1954年に,政府は第一表(=訓令式)と第二表(=ヘボン式と第一表にもれた日本式)を収録した「ローマ字のつづり方」を訓令として告示することになった.すでに駅名やパスポートの人名に採用されていたヘボン式にも配慮しつつの折衷的な方式だったが,その後,ある程度の承認を得たとはいえるだろう.現在の教育では,ローマ字は小学校4年生で学ぶことになっている.
 町の看板にローマ字があふれ(「#1746. 看板表記のローマ字」 ([2014-02-06-1])),コンピュータのローマ字漢字変換が普及し,日本語の国際化も進んでいる現在,新たな観点から日本語におけるローマ字使用の問題を論じる時期が来ているように思われる.

 ・ 古藤 友子 『日本の文字のふしぎふしぎ』 アリス館,1997年.

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2014-06-01 Sun

#1861. 英語アルファベットの単純さ [writing][grammatology][alphabet][orthography][diacritical_mark]

 「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]),「#1822. 文字の系統」 ([2014-04-23-1]),「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]),「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1]),「#1853. 文字の系統 (2)」 ([2014-05-24-1]) でアルファベットの派生を見てきた.通常の系統図ではローマン・アルファベットあるいはラテン文字以降の派生は省略されることが多いが,実際には英語アルファベット,フランス語アルファベット,ドイツ語アルファベットなど言語ごとに区別されてゆくし,英語でも古英語アルファベット,中英語アルファベット,現代英語アルファベットはそれぞれ異なる.
 これらの様々な派生アルファベットのなかでも,現代英語アルファベットは文字体系としては非常に単純な部類に入る.幾何学的に単純な字形の26文字のみからなり,特殊な発音区別符(号) (diacritical mark; cf. 「#870. diacritical mark」 ([2011-09-14-1])) も原則として用いられない.確かに,文字の組み合わせ方に関する規則,すなわち綴字の正書法は複雑だし,大文字と小文字の区別や句読法の規範もいくらかはある.また,印刷では分綴 (hyphenation) や合字 (ligature) などを考慮する必要もある.運用上は必ずしも単純な文字体系とはいえないということは事実だろう.しかし,種々の規則を考慮に入れても,古今東西の主要な文字体系と比較すれば,現代英語アルファベットという文字体系はやはり単純と言わざるをえない.
 この単純さを,コンピュータ時代に適応させるべくさらに単純化し,標準化した結晶ともいえるのが,ASCIIコード (American Standard Code for Information Interchange) である.もともとはアメリカの規格だが,現在では同じ内容の ISO 646 IRV (International Reference Version) に裏付けられた国際規格である.太田 (45--46) によれば,ASCII の単純さは以下の諸点に帰せられる.

(1) 固定長で,各文字を前後関係に関係なく直接指定できる
 ・ 文字の種類がバイトの大きさに比べて少ない
 ・ 横書き,左端から右に書くだけで,双方向性問題がない
 ・ 文字の図形表現が前後関係で変形しない(リガチャーがない)
(2) 大文字,小文字の対応が規則的ではっきりしている
 ・ 飾り文字がない
(3) 大文字,小文字の区別をするかしないかという場合を除いて,文字同定が完璧で,字形のゆれの範囲に,徹底した共通認識がある
(4) 大文字,小文字の区別をするかしないかを除いて,異なる文字の組み合わせを同じ文字列と考える必要がない
(5) 文字幅が一定でかまわない
(6) デフォールトで利用できる
 ・ 広く普及した国際標準である


 ASCII の単純さは,しかし,その主たる構成要素である現代英語アルファベットの単純さがそのまま反映されたものというよりは,それが電子処理にふさわしく一段と単純に整備された結果と考えるべきだろう.このように,現代英語アルファベットと ASCII 文字セットとは一応のところ区別してとらえる必要はあるが,両者のもつ単純さの根っこは,当然つながっている.
 文字コードを巡る現代の諸問題は,技術者任せにしておくわけにはいかず,言語学の1分野としての文字学が積極的に扱うべき領域である.そこには,古今東西の文字の記述の問題,文字の理論の問題,(多言語主義はもとより)多文字主義の問題,文字帝国主義の問題 ([2014-05-09-1]) ,書き言葉と話し言葉の峻別の問題などが密接に関わってくる.

 ・ 太田 昌孝 『いま日本語が危ない 文字コードの誤った国際化』 丸山学芸図書,1997年.

Referrer (Inside): [2023-01-26-1] [2014-06-19-1]

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2014-05-24 Sat

#1853. 文字の系統 (2) [writing][grammatology][alphabet][family_tree][hieroglyph]

 「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]),「#1822. 文字の系統」 ([2014-04-23-1]),「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]),「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1]) に引き続き,もう1組の文字の系統図を示したい.先の記事でも述べたように,比較言語学の成果として描かれる言語の系統図と同様に,比較文字学の成果としての文字の系統図も,一つの仮説である.もちろん大筋で合意されている部分などはあるが,極端に言ってしまえば,論者の数だけ系統図があるということにもなる.したがって,系統図のようなものは複数見比べる必要がある.今回は,西田 (232--34) による1組の系統図を参照する.以下の4つの系統が区別されている.年代は暫定的なものである.

(1) エジプト象形文字が表音字形として発展した系統

History of Writing Phonographic Derived from Egyptian Hieroglyph

(2) シュメール象形文字が象形字形を保存した系統

History of Writing Derived from Sumerian Hieroglyph

(3) シュメール楔形文字の系統

History of Writing Derived from Sumerian Cuneiform

(4) 東アジアの象形文字の系統

History of Writing Hieroglyph in East Asia

 ・ 西田 龍雄(編) 『言語学を学ぶ人のために』 世界思想社,1986年.

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