昨日の記事「#1835. viz.」 ([2014-05-06-1]) に引き続き,英語で namely と読み下す viz. について.今回は,文字論の立場から論じる.
英語において viz. と表記される語の構成要素である3文字(省略を表わす period を除く)は,当然ながらいずれもアルファベット文字(=表音文字)である.しかし,個々の文字で考えても,3文字が合わさった全体で考えても,まるで /neɪmli/ の発音を示唆するところがない.<viz.> はこの点において非表音的である.意味についても同様に,字面を個々に考えても全体で考えても,とうてい「すなわち」の意味は浮かび上がってこない.<viz.> はこの点において非表意的である.つまり,英語の <viz.> は,語源形であるラテン語 videlicet を想起するまれな場合を除き,通常は音も意味も示唆しない.
にもかかわらず,<viz.> は英語の副詞 namely と同等であるとして,英語使用者の意識のなかでは密接に結びついている.言い換えれば,<viz.> は,3文字全体としてむりやりに namely を表語している.<viz.> の綴字は,表音 (phonographic) でも表意 (ideographic) でもなく,表語 (logographic) の機能を果たしているのであり,記号論の用語を使えば,<viz.> が指し示しているものは,namely という記号 (signe) の能記 (signifiant) でも所記 (signifié) でもなく,namely という記号そのものである,ということになる.むりやりの結びつきであるから,英語使用者は,この <viz.> = namely の関係を暗記しなければならない.<viz.> のもつこの表語機能は,「#1042. 英語における音読みと訓読み」 ([2012-03-04-1]) で挙げた,<e.g.> (for example), <i.e.> (that is) にも見られる.
そこで,典型的に表語文字といわれる漢字を使いこなす日本語において,これと比較される類例があるだろうかと考えてみた.しかし,案外と見つからないものだ.漢字は確かに表語的ではあるが,同時に表意機能も果たすのが普通だし,形声文字の場合には表音機能も備わっている.英語の <viz.> の場合のように,発音も意味も示唆すらしないという徹底的な例は,なかなかない.
頭をひねってやっと思いついたのが,熟字訓として /さすが/ と読ませる <流石> という例だ.<流> も <石> も,さらにはそれを組み合わせた <流石> 全体も,なんら /さすが/ の発音を示唆するところがないし,「何といってもやはり」の意味を匂わせるところがない.<流石> は表音的でも表意的でもなく,副詞「さすが」をむりやりに表語しているのである.<viz.> と <流石> の唯一の差異は,前者の構成要素であるアルファベット文字が本質的に表音的であるのに対して,後者の構成要素である漢字は本質的に表語・表意的であるという点だろう.しかし,いずれの表記も全体としては結局のところ非表音的かつ非表意的であり,発現している機能はもっぱら表語機能である点では同じだ.
一見すると,「流石」 に代表される熟字訓は,純粋な表語機能(=非表音かつ非表意かつ表語)の好例を提供してくれそうだが,<私語> /ささやき/,<五月雨> /さみだれ/,<海苔> /のり/,<紅葉> /もみじ/ などでは,漢字の組み合わせが意味を匂わせてしまっており(しかも美しく詩的に),<viz.> = namely の純粋な表語機能には達していない.むしろ英語はアルファベットという表音文字体系をベースに置いている言語であるからこそ,<viz.> = namely のような例において,稀ではあるが純粋な表語機能を獲得し得たのかもしれない.文字論の観点からは,この逆説は興味深い.
なお,<流石> を /さすが/ と訓読するのは,以下の故事によるものとするのが通説である(『学研 日本語「語源」辞典』より).
中国、西晋の国の孫楚が「石に枕し、流れに漱ぐ」というべきところを、誤って「石に漱ぎ、流れに枕す」と言ってしまった。これを聞いた親友の王済が「流れは枕にできないし、石では口をすすげない」と言ってからかうと、孫楚は「流れを枕にするのは耳を洗うためであり、石に漱ぐというのは歯を磨くためである」と言って言い逃れたという。この故事を「さすがにうまいこじつけだ」と評し、「流石」の字が当てられたとする説がある。
上の議論では,一般の日本語話者がこの故事を知らない,あるいは普段は特に意識せずに,<流石> = /さすが/ の関係を了解していることを前提とした.故事を意識していれば,<流石> が非常に間接的ながらも何らかの表意機能をもっていると主張できるかもしれないからである.
文字の表語機能については,「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1]),「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1]),「#1655. 耳で読むのか目で読むのか」 ([2013-11-07-1]),「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1]) を参照.
viz. は "namely" (すなわち)の意を表わす語で,/vɪz/ と読まれることもあるが,普通は namely /ˈneɪmli/ と発音される.もっぱら書き言葉に現れるので,ある種の省略符合と考えてよいだろう.もとの形は,英語でもまれにそのように発音されることはあるが, videlicet /vɪˈdɛləsɪt/ という語で,これはラテン語で「すなわち,換言すると」を意味する vidēlicet に由来する.このラテン語自体は,vidēre licet (it is permitted to see) という慣用表現のつづまったものである.OED によると,英語での初出は videlicet が1464年,省略形の viz. がa1540年である.
viz. の現代英語における用例をいくつか見てみよう.とりわけイギリス英語の形式張った書き言葉において,より明確に説明を施したり,具体例を列挙したりするのに用いられる.
・ four major colleges of surgery, viz. London, Glasgow, Edinburgh and Dublin
・ We both shared the same ambition, viz, to make a lot of money and to retire at 40.
・ The school offers two modules in Teaching English as a Foreign Language, viz. Principles and Methods of Language Teaching and Applied Linguistics.
関連して,ラテン語 scīre licet (it is permitted to know) のつづまった scilicet /ˈsɪləˌsɛt/ とその略形 scil. sc. も,英語でおよそ同じ意味に用いられる.
それにしても,videlicet が viz. と略されるのはなぜだろうか.中世ラテン語の写本では,<z> の文字は,-et, -(b)us, -m などの省略記号として一般に用いられていた.そこで,<z> = <et> と見立て,表記上 <vi(delic)z> とつづめたのである.古くは,<vidz.>, <vidzt>, <vz.> などとも表記された.ラテン語では et は "and" を意味するのでこの <z> の略記は多用され,古英語や中英語の写本でもそれをまねて and の語(あるいはその音価)に代わって頻繁に現れた.実際の <z> の字形は現在のものとは異なり,数字の <7> に似た <⁊ > という字形 (Unicode ⁊) で,この記号は Tironian et と呼ばれた.古代ローマのキケロの筆記者であった Marcus Tullius Tiro が考案した速記システム (Tironian notes, or notae Tironianae) で用いられた速記記号の1つである.これが,後に字形の類似から <z> に置き換えられるようになった.Irish や Scottish Gaelic では現在も Tironian et が使用されるが,英語では viz. にそのかすかな痕跡を残すのみである.
ここ数日間,アルファベットを中心に文字の話題に集中してきた.文字に関連する記事は,grammatology, graphemics, grapheme, alphabet, runic, writing などで書いてきた.中心的な記事を抜き出すと,例えば次のようなものがあった.
(1) 「#41. 言語と文字の歴史は浅い」 ([2009-06-08-1])
(2) 「#751. 地球46億年のあゆみのなかでの人類と言語」 ([2011-05-18-1])
(3) 「#1368. Fennell 版,英語史略年表」 ([2013-01-24-1])
(4) 「#1544. 言語の起源と進化の年表」 ([2013-07-19-1])
(5) 「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1])
(6) 「#490. アルファベットの起源は North Semitic よりも前に遡る?」 ([2010-08-30-1])
(7) 「#1006. ルーン文字の変種」 ([2012-01-28-1])
(8) 「#1005. 平仮名による最古の「いろは歌」が発見された」 ([2012-01-27-1])
(9) 「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1])
(10) 「#1822. 文字の系統」 ([2014-04-23-1])
今回は,カルヴェ (241--42) による文字史略年表を掲げよう.(1)--(4) などの記事で掲げた年表とは年代や順序が若干異なるところもあるが,とりわけ紀元前において文字の成立年代を特定することの困難は勘案すべきだろう.
前30000年頃 [陰画手像] 前4000年頃 スサ(現イラン)で土器に書いた文字が現れる 前3300年頃 メソポタミア南部で絵文字が現れる 前3100年頃 エジプト聖刻文字成立 前2700年頃 シュメールの楔形文字成立 前2500年頃 スサで楔形文字が原エラム文字にとって代る 前2300年頃 インダス川流域で「原インド文字」が現れる 前2200年頃 プズル・インチュチナク王の原エラム文字碑文 前2000年頃 シュメールの首都ウル陥落。以降,メソポタミアではアッカド語が共通語として使用される 前1600年頃 原シナイ文字 地中海で線文字A成立 前1300年頃 ラス・シャムラ(現シリア)のウガリット文字 古代中国で甲骨文字成立 前1000年頃 フェニキア文字成立 同じ頃アラム文字、古ヘブライ文字成立 前8世紀 ギリシア文字、エトルリア文字、イタリア文字成立 前6世紀 ローマ字成立 前3世紀 カロシュティー文字、ブラーフミ文字成立 前2世紀 ヘブライ文字成立 前1--1世紀 中国で漢字が完成 1世紀 最古のルーン文字碑文 3世紀 コプト文字、原マヤ文字成立 4世紀頃 漢字、朝鮮半島に伝来 グプタ文字成立 ゴート文字、アラビア文字成立 5世紀頃 漢字、日本に伝来。オガム文字成立 アルメニア文字、グルジア文字成立 7世紀 チベット文字成立 8世紀 ナーガリー文字成立 9世紀 グラゴール文字成立(その後キリル文字となる) 11世紀 ネパール文字成立
人類最古の文字がいつ発生したかを明言することはできない.今なお未発見の文字は眠っているだろうし,文字の書かれた材質ゆえに永遠に失われしまったものも多くあるだろう.カルヴェ (23) は,楔形文字の研究者,ジャン=マリ・デュランの次の記述を引いている.
「それゆえ文字が地上のどこに生まれたかなどと詮索するのはむなしいことである。ある社会が象徴的事物を描きつつ一連の物質的記号を残そうとし、媒体を選び、そこに表記する、こういった社会がある限り文字出現の地点はどこにもあるのである。いくつもの社会が原始的媒体(洞窟壁画)とか保存不能の媒体(粘土以外のもの)を選択したと思われる」
数々の未解読文字とともに,後世に見られることのない多数の文字に思いを馳せざるをえない.
・ ルイ=ジャン・カルヴェ 著,矢島 文夫 監訳,会津 洋・前島 和也 訳 『文字の世界史』 河出書房,1998年.
昨日の記事「#1832. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (1)」 ([2014-05-03-1]) に引き続き,セム・アルファベットから引き継いだ文字の名称について.昨日の一覧表の最後列に示したが,"alpha", "beta", "gamma" などの名称は, 語源不詳だったり同定されていないものもあるが,セム・アルファベットの有意味な単語に起源をもつと一般に信じられている.
原シナイ文字 (Proto-Sinaitic) から,フェニキア文字 (Phoenician) を含む各種のセム・アルファベット,それから古代ギリシア文字へと至る字形の変化を追っていくと,その連続性がよくつかめるのだが,原初の原シナイ文字の段階ではまだ文字というよりは略画に近い.原シナイ文字の第1字は,確かに「牛」(aleph) の頭部のようにみえる略画であり,これが字形の変化を経てギリシア・アルファベットのΑへと発展した.第2字は,「家」(bet) に見えなくもない字形で,これが後にΒへと発展した.このようにして,各文字は具体的なモノを描いた象形文字に端を発し,そのモノを表わす単語で呼称され,語頭音の音価を獲得するに至った.
セム・アルファベットの起源はたいてい以上のように説明されるのだが,実は1930年代の後半以降に異論が出てきた.異論の首唱者の1人 Hans Bauer は,字形と名称の関係は後付けであると論じている.田中 (40--41) より引用する.
従来の説によれば,古代セム記号は本来絵を表わしているといわれ,‘āleph は牛の頭を,bēth は家の形をというように,すべての記号はある物の形を描いていると考えられている。しかし牡牛の記号は,本来牡牛の絵文字であるから ‘āleph と命名したと解釈すべきでなく,任意に採用した記号が偶々牡牛の形に似ているために,後になってエジプトのアクロフォニーの原理を適用して ‘āleph (牡牛)と呼んだまでのことである。この場合何の名を選ぶかは随意である。現代の児童用「ABC本」などは,例えば,「O は Orange であった,S は Swan であった, B は Butterfly であった」などという風に,文字の形とその文字で始まる物の形との面白い類似によって,文字の記憶を助ける。この場合「O は Olive であった,S は Serpent であった,B は Bee であった」としても一向にかまわない。セム文字の名は,ルーン文字などの名と同様に,単に記憶の便のために付けた mnemonic name である。
冷めた見方ではあるが,mnemonic name 仮説を支持する学者も多いようだ.確かにΒの原型が「家」に見えるかといえば,はなはだ心許ない.そう言われるからそう見えてくるというだけのことかもしれない.
いずれにせよ "alpha", "beta" などの呼称はギリシア・アルファベットへ受け継がれ,ラテン語を経て,英語へも alphabet という語として取り込まれた.蛇足ながら,alphabet という語の由来は,alpha + beta である (Gk alphábētos, LL alphabētum, ME alphabete) .英語での初出は Polychronicon (?a1425) .文字体系の最初の数文字をもって文字一式を表わす例は alphabet のほか,ルーン文字の fuþark(「#1006. ルーン文字の変種」 ([2012-01-28-1]) を参照)や日本語の「いろは」もある(「#1008. 「いろは」と ABC」 ([2012-01-30-1]) を参照).
・ 田中 美輝夫 『英語アルファベット発達史 ―文字と音価―』 開文社,1970年.
エスカルピ著『文字とコミュニケーション』を読み,序論,第一章「文字」,第二章「読み」に文字論に関する啓発的な指摘をいくつか見つけた.以下に,備忘録的に書き留めておく.
著者は,文字,書き言葉,テキストの,話し言葉からの自立性を力説する.確かに書き言葉には話し言葉の写しとしての側面があり,その意味では依存しているとは言えるが,いったん書き言葉としての体系が発展すると,相当の自立性を獲得するというのも事実である.著者いわく,「文字法を,話し言葉を構成する音素の何かそのままの文字への置きかえ (transliteration) のように考えるのは錯覚である」 (22) ,さらに「文字を話し言葉の単なる道具と見なすことはできないといいたいし,また,言語学の伝統にみられる支配的傾向,「音声中心主義」 (phonocentrisme) を告発しよう」 (26) .エスカルピのこの主張について,私も賛同する.phonocentrisme については「#748. 話し言葉と書き言葉」 ([2011-05-15-1]) で,文字言語の独立性については「#1665. 話しことばと書きことば (4)」 ([2013-11-17-1]) や「#1655. 耳で読むのか目で読むのか」 ([2013-11-07-1]) の記事を参照されたい.
書き言葉が言語変化を抑止する,あるいは遅めるという点については,規範主義や教育という問題とも関わるが,エスカルピは文字そのものの本質,文字の記憶装置としての役割に帰せられるべきだと考えている.(36)
文字法の出現は話し言語を定着させ、あるいは少なくともその進化を著しくゆるめることに寄与したと指摘されているが、これはきわめて正しい。書かれない言語は急速に変わり、違ったものになっていく傾向があるために、一世代から次の世代にかけて理解しあうことが至難になった場合すら挙げられている。いうまでもなくこの定着は、痕跡の使用によって記憶が導入されたことによっている。とりわけ、何らかの形の痕跡がなければ、語彙総覧を作るこはできない。/とくに単語というものは、本質的に文字言語がもたらしたもののように思われる。
文字が基本的に表語的 (logographic) な機能を果たすという指摘も重要である.アルファベットのような表音文字体系であっても,文字使用の主目的は表語にあると考えられる(「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1]) や「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1]) も参照).
文字の語記号的性格はタイプライターでの打ち間違いによって証明される。手書きの草書体においては、語は連続したすじであって、書き手が自分のテクストと言説のあいだの絆を掌握していればいるだけ、それが単音文字へと分解されることは少ない。筆相鑑定家たちは、個別的なアルファベット符合が全体的な書き方のうちに消えていく《結合的》な筆蹟を知性のしるしと見なしている。ところで、タイプライターで書くときには単音文字への分解は避けられない。けれども、それは文字の継続的な選択に従ってなされはしない。少なくともいくらかの経験をもつタイピストの場合には。語全体が指の運動の内に《プログラム化》される。そしてこの運動がズレを起こしうるのである。その時 scripteur の代わりに spritceur と書かれることが起こる。語の要素はすべて出現している。外的な要素がまぎれ込むことは非常に珍しい。字の順序は狂うものの、その組成は変化を受けず、意味限定符は一般に無傷のまま残る。/語記号――すなわちそれ自身の綴字で書かれた語――はゆえに、文字言語の最小有意味単位と考えねばならない。(38--39)
そして,何よりも啓発的なのは,文字の集合からなる書き言葉テクストには基本的な機能が2つあるという指摘である.1つは口頭の言説を写す言説的機能 (discursif) であり,もう1つは情報の記憶装置としての資料的機能 (documentaire) である(41) .前者は話し言葉に依存するが,後者は必ずしもそうではない.先に話題にした書き言葉が話し言葉の写しであるという見解は,テクストの言説的側面のみに着目した意見であり,テキストのもう1つの機能である資料的機能を考慮に入れていない点に問題がある.資料的機能が最大限に発揮されたテクストは,辞書やカタログなどのデータベースと呼びうる参考図書の類いである.そこでは情報が整理されており,相互参照などの機能も実装されている.このような機能は,話し言葉では容易にまねができない.
エスカルピ (44) は,もう1つ付け加えるべきテクストの機能として図像的機能 (iconique) を挙げている.これは,文字の形や大きさ,文字列の空間的な配列による書き言葉コミュニケーションの働きである.例えば新聞の1頁のレイアウトはテクストの読まれ方に影響を与えるが,これはテクストの図像的な働きゆえである.文字列の配置によって表現力を得ようとする具象詩においても,手紙の末尾の高い位置に宛名を大書する際にも,テクストの図像的機能が活用されている.この機能も,話し言葉に明確に対応するものはなく,書き言葉の自立性を示すものである.
・ ロベール・エスカルピ 著,末松 壽 『文字とコミュニケーション』 白水社〈文庫クセジュ〉,1988年.
現代英語の綴字と発音を巡る多くの問題の1つに,母音の長短が直接的に示されないという問題がある.英語も印欧語族の一員として,母音の長短,正確にいえば短母音か長母音・二重母音かという区別に敏感である.換言すれば,母音の単・複が音韻的に対立する.ところが,この音韻対立が綴字上に直接的に反映していない.例えば,bat vs bate や give vs five では同じ <a> や <i> を用いていながら,それぞれ前者では短母音を,後者では二重母音を表わしている.確かに,bat vs bate のように,次の音節の <e> によって,母音がいかに読まれるかを間接的に示すヒントは与えられている(「#1289. magic <e>」 ([2012-11-06-1]) を参照).しかし,母音字そのものを違えることで音の違いを示しているのではないという意味では,あくまで間接的な標示法にすぎない.give vs five では,そのヒントすら与えられていない.
母音字を組み合わせて長母音・二重母音を表わす方法は広く採られている.また,長母音補助記号として母音字の上に短音記号や長音記号を付し,ā や ă のようにする方法も,正書法としては採用されていないが,教育目的では使用されることがある.もとより文字体系というものは音韻対立を常にあますところなく標示するわけではない以上,英語の正書法において母音の長短が文字の上に直接的に標示されないということは,特に驚くべきことではないのかもしれない.
しかし,この状況が,英語にとどまらず,ローマン・アルファベットを採用しているあらゆる言語にみられるという点が注目に値する.母音の長短が,母音字そのものによって示されることがないのである.母音字を重ねて長母音を表わすことはあっても,長母音が短母音とまったく別の1つの記号によって表わされるという状況はない.この観点からすると,ギリシア・アルファベットのε vs η,ο vs ωの文字の対立は,目から鱗が落ちるような革新だった.
アルファベット史上,ギリシア人の果たした役割は(ときに過大に評価されるが)確かに革命的だった.「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]) で述べたように,ギリシア人は,子音文字だったセム系アルファベットに初めて母音文字を導入することにより,音素と文字のほぼ完全な結合を実現した.音韻対立という言語にとってきわめて本質的かつ抽象的な特徴を取り出し,それに文字という具体的な形をあてがった.これが第1の革命だったとすれば,それに比べてずっと地味であり喧伝されることもないが,同じくらい本質を突いた第2の革命もあった.それは,母音の音価ではなく音量(長さ)をも文字に割り当てようとした発想,先述の ε vs η,ο vs ω の対立の創案のことだ.ギリシア人はフェニキア・アルファベットのなかでギリシア語にとって余剰だった子音文字5種を母音文字(α,ε,ι,ο,υ)へ転用し,さらに余っていたηをεの長母音版として採用し,次いでωなる文字をοの長母音版として新作したのだった(最後に作られたので,アルファベットの最後尾に加えられた).
ところが,歴史の偶然により,ローマン・アルファベットにつながる西ギリシア・アルファベットにおいては,上記の第2の革命は衝撃を与えなかった.西ギリシア・アルファベットでは,η(大文字Η)は元来それが表わした子音 [h] を表わすために用いられたので,そのままラテン語へも子音文字として持ち越された(後にラテン語やロマンス諸語で [h] が消失し,<h> の存在意義が形骸化したことは実に皮肉である).また,ωの創作のタイミングも,ラテン語へ影響を与えるには遅すぎた.かくして,第2の革命は,ローマ字にまったく衝撃を与えることがなかった.以上が,後にローマ字を採用した多数の言語が母音の長短を直接母音字によって区別する習慣をもたない理由である.
・ 田中 美輝夫 『英語アルファベット発達史 ―文字と音価―』 開文社,1970年.
現代英語で <f> はほぼ常に /f/ に対応している(唯一の例外は of).この安定した関係は中英語にまで遡る.それ以前の古英語では <v> を欠いていたので,<f> は [f] とともに [v] にも対応していたが,中英語期にフランス語の綴字習慣に影響されて <v> が導入されることにより,<f> = /f/ の一意の関係が確立した.この経緯については,「#373. <u> と <v> の分化 (1)」 ([2010-05-05-1]),「#374. <u> と <v> の分化 (2)」 ([2010-05-06-1]),「#1222. フランス語が英語の音素に与えた小さな影響」 ([2012-08-31-1]),「#1230. over と offer は最小対ではない?」 ([2012-09-08-1]) を参照されたい.
英語史の範囲内で見る限り,<f> は特に問題となることはなさそうだが,この文字が無声唇歯摩擦音に対応するようになったのは,ラテン語における革新ゆえである.古代ギリシア語のアルファベットを知っている人は,<f> に対応する文字がないことに気づくだろう.しかし,古代ギリシア語でも西方言には <f> に相当する文字が残っていたし,東方言でも最初期の段階にはそれがあった.後に koiné となる東方言の1変種である Attic ではそれが失われていたので,現代に至るギリシア・アルファベットには <f> が含まれていないのである.
初期ギリシア語には存在した <F> は,Γを上下にずらして2つ並べたような字形だったために,"digamma" として知られていた.これは,セム・アルファベットの第6番目の文字(Yに似た字形で,"wāu" と呼ばれる)を引き継いだもので,ギリシア語では半母音 [w] に近い摩擦音の音価を表わした.しかし,東方言ではこの音は消失し,その文字も捨て去られた.半母音 [w] に対して純正の母音 [u] は同起源のΥの文字で表わされ,これが後にラテン語以降の諸言語で <U>, <V>, <W>, <Y> へと分化していった.つまり,ローマ字の <F>, <U>, <V>, <W>, <Y> はすべてセム・アルファベットの wāu に起源をもつことになる.
さて,ラテン語はギリシア語西方言でまだ生き残っていた <F> = [w] の関係を取り入れた.しかし,ラテン語では [w] は <V> で表わす慣習が確立したので,<F> は不要となった.不要となった <F> はギリシア語東方言のときのように廃用となる可能性もあったが,ラテン語はこの余った文字をギリシア語にはなく,ラテン語にはあった無声唇歯摩擦音 [f] を表わすのに転用することを決めた.当初は,直接の転用には抵抗があったらしく,<F> 単体ではなく <FH> のように2文字を合わせて [f] を標示することを試みた証拠がある.例えば,紀元前7世紀の最古のラテン語で記された「マニオス刻文」には,右から左へ "IOISAMVN DEKAHFEHF DEM SOINAM" (Manios made me for Numasios) とあり,第3語目に "FHEFHAKED" (古典ラテン語の fecit に相当する古い加重形 reduplication)が見える(田中,p. 71).しかし,後には <F> 単体で [f] を表わすことになった.この関係が,ラテン語およびそれ以降の諸言語で保持されている.
ある言語のアルファベットが別の言語に移植される際に,不要な文字が廃用となったり,転用されたり,新しい文字が足されるなど,種々の変更が加えられることは,アルファベット史を通じて何度となく繰り返されてきた.文字と音化の関係は,ときに惰性で保持されることはあっても,その都度変化するのも普通のことだったことがわかるだろう.
以上,田中 (pp. 125--28) を参照して執筆した.
・ 田中 美輝夫 『英語アルファベット発達史 ―文字と音価―』 開文社,1970年.
現代英語で典型的に <c> は /k/, /s/ に,<g> は /g/, /ʤ/ に対応する.それぞれ前者の発音は,古英語期に英語が Roman alphabet を受け入れたときのラテン語の音価に相当し,後者の発音は,その後の英語の歴史における発展を示す(<g> については,「#1651. j と g」 ([2013-11-03-1]) を参照).ラテン語から派生したロマンス諸語でも,種々の音変化の結果として,<c> や <g> が表わす音は,古典ラテン語のものとは異なっていることが多い.しかし,上で規範であるかのように参照したラテン語の <c> = /k/, <g> = /g/ という対応関係そのものも,ラテン語の歴史や前史における発展の結果,確立してきたものである.
ラテン語は,後にローマ字と呼ばれることになるアルファベットを,ギリシア語の西方方言からエトルリア語 (Etruscan) を介して受け取った.ギリシアとローマの両文明の仲介者であるエトルリア人とその言語は,「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]) や「#1006. ルーン文字の変種」 ([2012-01-28-1]) でみたように,アルファベット史上に大きな役割を果たしたが,非印欧語であるエトルリア語について多くが知られているわけではない.しかし,エトルリア語の破裂音系列に有声・無声の音韻的対立がなかったことはわかっている.それにより,エトルリア語では,有声破裂音を表わすギリシア語のβとδは不要とされ廃用となった.しかし,γについては生き残り,これが軟口蓋破裂音 [k], [g] を表わす文字として用いられることとなった.
さて,エトルリア語から文字を受け取ったラテン語は,当初,γ = [k], [g] の関係を継続した.したがって,人名の省略形では,GAIUS に対して C. が,GNAEUS に対して CN. が当てられていた.しかし,紀元前300年頃に,この文字はとりわけ [k] に対応するようになり,純正に音素 /k/ を表わす文字として認識されるようになった.字体も rounded Γ と呼ばれる現代的な <C> へと近づいてゆき,<C> = /k/ の関係が確立すると,対応する有声音素 /g/ を表わすのに <C> に補助記号を伏した字形,後に <G> へ発展することになる字形が用いられるようになった.こうして紀元前300年頃に <C> と <G> が分化すると,後者はギリシア・アルファベットにおいてζが収っていた位置にはめ込まれた.ζは,ラテン語では後に <Z> として再採用されアルファベットの末尾に加えられることになったものの,[z] -> [r] の rhotacism を経て初期の段階で不要とされ廃用とされていたのである.
なお,ローマン・アルファベットでは無声軟口蓋破裂音を表わすのに <c>, <k>, <q> など複数の文字が対応しており,この点について英語を含めた諸言語は複雑な歴史を経験してきた.これは,英語の各文字の名称 /siː/, /keɪ/, /kjuː/ が暗示しているように,後続母音に応じた使い分けがあったことに起因する.エトルリア語では,前7世紀あるいはその後まで,CE, KA, QO という連鎖で用いられていた (cf. Greek kappa (Ka) vs koppa (Qo)) .現在にまで続く [k] を表わす文字の過剰は,ギリシア語やエトルリア語からの遺産を受け継いでいるがゆえである.
以上,田中 (pp. 76--79, 119) を参照して執筆した.
・ 田中 美輝夫 『英語アルファベット発達史 ―文字と音価―』 開文社,1970年.
現代の英語や日本語でも,時々ローマ数字 (Roman numerals) が使われる機会がある.例えば,番号,年号,本のページ,時計の文字盤などに現役で使用されている.現代英語からの例をいくつか挙げよう.
・ It was built in the time of Henry V.
・ For details, see Introduction page ix.
・ Do question (vi) or question (vii), but not both.
・ a fine XVIII-century' English walnut chest of drawers
ローマ数字は,ほんの数種類の文字と組み合わせ方の単純な原理さえ覚えれば,大きな数も難なく表わすことができるという長所をもち,ヨーロッパで2000年以上にわたる伝統を誇ってきた.10進法のなかに5進法が混在しており,後者にはギリシアのアッティカ式の影響が見られる.IV = 4, IX = 9 など減法も利用したやや特異な記数法である.以下に凡例を掲げよう.
1 | I |
2 | II |
3 | III |
4 | IV |
5 | V |
6 | VI |
7 | VII |
8 | VIII |
9 | IX |
10 | X |
11 | XI |
12 | XII |
13 | XII |
14 | XIV |
19 | XIX |
20 | XX |
21 | XXI |
30 | XXX |
40 | XL |
45 | XLV |
50 | L |
60 | LX |
90 | XC |
100 | C |
500 | D |
1000 | M |
1998 | MCMXCVIII |
本ブログで,これまで文字論や文字の歴史に関する話題として,「#41. 言語と文字の歴史は浅い」 ([2009-06-08-1]),「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1]),「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]),「#490. アルファベットの起源は North Semitic よりも前に遡る?」 ([2010-08-30-1]),「#1006. ルーン文字の変種」 ([2012-01-28-1]) などを取り上げてきた.ほかにも,文字論について grammatology,アルファベットについて alphabet,ルーン文字について runic,漢字,ひらがな,カタカナについてそれぞれ kanji, hiragana, katakana で話題にした.
言語の発生 (origin_of_language) については,現在,単一起源説が優勢だが,文字の発生については多起源説を主張する論者が多い.古今東西で行われてきた種々の文字体系は,発生と進化の歴史によりいくつかの系統に分類することができるが,確かにそれらの祖先が単一の原初文字に遡るということはありそうにない.メソポタミア,エジプト,中国,アメリカなどで,それぞれの文字体系が独立して発生したと考えるのが妥当だろう.
最も古い文字体系は,メソポタミアに居住していたシュメール人による楔形文字である.紀元前4千年紀,おそらく紀元前3500年頃に,楔形文字の体系が整い始めた.楔形文字は,紀元前8000年頃にすでに見られたとされる,帳簿に数量を記録するのためのマークがその原型であるといわれ,数千年の時間をかけてゆっくりと文字体系へと成長していったものである.
同じ紀元前4千年紀,あるいはもう少し遅れて,比較的近いエジプトでもヒエログリフ (hieroglyphic) やそこから派生したヒエラティック (hieratic) が現れる.これらは初めて文証された段階で,すでにほぼ完全な文字体系として機能しており,メソポタミアの楔形文字のような漸次的発展の前史が確認されない.
アルファベットの発生については,「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]) で概説したとおりなので記述は省略する.
漢字は,紀元前2000年頃に現れ,紀元前1500年頃に文字としての体裁を整えた.文字体系として完成したのは,漢王朝 (BC202--220AD) の時代である.
文字体系の系統としては,以上の4つ,(1) 楔形文字体系,(2) ヒエログリフ文字体系,(3) アルファベット体系,(4) 漢字体系が区別されることになる.ジョルジュ・ジャン (136--37) の図を参照して作った文字の系統図を示そう.実線矢印は直接的影響を,点線矢印は間接的影響を示す.
(1) 楔形文字体系
(2) ヒエログリフ文字体系
(3) アルファベット体系(図をクリックして拡大)
(4) 漢字体系
以上の4系統に収らないその他の文字体系もある.未解読文字を含むが,朝鮮文字(ハングル),ロロ文字,モソ文字,バヌム文字,インダス文字(紀元前3000年頃),マヤ・アステカ文字,イースター島文字などである.
古今東西の文字体系については,次のサイトが有用.
・ Omniglot: Writing Systems & Language of the World
・ A Compendium of World-Wide Writing Systems from Prehistory to Today
・ 世界の文字(各国文字)
・ ジョルジュ・ジャン 著,矢島 文夫 監修,高橋 啓 訳 『文字の歴史』 創元社,1990年.
社会言語学の概念で,言語環境あるいは言語景観というものがある.「#1612. 道路案内標識,ローマ字から英語表記へ」 ([2013-09-25-1]) および「#1613. 道路案内標識の英語表記化と「言語環境」」 ([2013-09-26-1]) で話題にしたように,街にある標識や看板などの文字の使い方は,街の印象を決定すると同時に,諸々の言語の重要性やその象徴的な威信を反映していると考えられる.このような観点から,日本でも街の看板表記のフィールドワークが行われるようになってきた.
2001--02年にかけて染谷が小田急線沿線の駅周辺で行った店名看板調査も,そのような試みの1つである.日常生活の匂いがする商店街をターゲットに,計千件の看板の文字種を調査した.漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字のうち,どの文字種(の組み合わせ)が看板に用いられているかを示したのが以下の表である(染谷,p. 224 より).
組み合わせ | 看板数(件) |
---|---|
漢字 | 197 |
ひらがな | 21 |
カタカナ | 49 |
ローマ字 | 109 |
1種合計 | 376 |
漢字+ひらがな | 220 |
漢字+カタカナ | 130 |
漢字+ローマ字 | 30 |
ひらがな+カタカナ | 10 |
ひらがな+ローマ字 | 10 |
カタカナ+ローマ字 | 42 |
2種合計 | 442 |
漢+ひら+カタ | 77 |
漢+ひら+ロマ | 27 |
漢+カタ+ロマ | 44 |
ひら+カタ+ロマ | 9 |
3種合計 | 157 |
漢+ひら+カタ+ロマ | 24 |
4種合計 | 24 |
むしろ最近気になるのは、ローマ字表記の縦書き看板である。たとえば、JRの駅の柱には駅名が「Shinjuku」のように横書きで九〇度回転した状態で表示してある。日常こういう表記に慣れていたが、今回の最終で「HOTEL」、「英会話NOVA」、「ZOO」(店名)のようなローマ字の縦書き看板は多くはないが確実に見られる。首を横にしないで見られるローマ字の縦書き看板は今後増える可能性があるかもしれない。とすれば、一般の表記にも影響する可能性がある。縦書きの文章に縦書きのローマ字表記が出てくる時代がくるのだろうか。
染谷 (243) は続けて,危惧をも表明している.
外国語表記を主体としたローマ字だけの店名看板も少なからず見え、日常と関わりの深いところでこのような表記を目にしていると、自ずから日本人の文字生活にも影響を与えるのではないかという危惧がある。特に、一部に見える縦書きローマ字が進出してくれば、綴り字が複雑でない英単語などが漢字仮名交じり文に入り込む可能性も十分考えられ得るのではないか。
通常,言語環境は一般の言語使用の影響を受けていると考えられるが,逆に言語環境が一般の言語使用に影響を及ぼすという方向も十分にありうると思われる.言語環境は,言語使用を反映すると同時に,それに影響を及ぼしもするのだ.2020年の東京オリンピックをにらんで,東京(そして日本全国)にローマ字の標識や看板の増えてくる可能性が高いが,そのような言語環境の変化は,徐々に一般の日本語使用にも影響を及ぼさずにはおかないだろう
・ 染谷 裕子 「看板の文字表記」『現代日本語講座 第6巻 文字・表記』(飛田 良文,佐藤 武義(編)) 明治書院,2002年,221--43頁.
人が書き言葉を読んで理解するとき,そこでは何が起こっているのか.1つの説として,発音を再現する過程を経て,音韻を仲立ち (phonic mediation) として読んでいるとする「耳で読む」説 (reading by ear; bottom-up theory; Phoenician theory) がある.一方,音韻の仲立ちはなく,文字が直接に意味に連結しているとする「目で読む」説 (reading by eye; top-down theory, Chinese theory) がある.後者によると,読者は言語の知識と経験を頼りに,言語内外に関する情報を補いながら文字列を読み解くのだという.数々の実験がなされているが,どちらの説がより有効かを決定づける結果は出ていない.各説にとって有利な結果も不利な結果もあり,決め手がないようである.Crystal (124--26) を参照しつつ,以下にそれぞれの論拠をまとめよう.
[ reading by ear を支持する論拠 ]
(1) 読者は1分間に約250語を,10--20ミリ秒で1文字を認識する.この速度は自然な発話とおよそ合致し,音韻の仲立ちを示唆する.
(2) 書き言葉には,読者にとって未知の,非常に低頻度の語が現れやすく,読者はそれらの語の各々について音韻的な解読を強いられることになる.長く難しい単語を音節に区切って発音してみる経験は,誰しも持っているだろう.
(3) 難しい文章を読むとき,読者はしばしば唇を動かす.たとえ発音に至らないとしても,これは音韻の関与があることを示唆するのではないか.
(4) 手書きや活字の字体や書体には相当な変異があるが,読者はそれに対応することができる.これを説明するのに,目ですべての変異を識別していると想定するのは難がある.むしろ,読者は文字の変異を音韻レベルで統一させることによってこの問題に対応しているのではないか.
(5) 「目で読む」説では,各語がその正書法的表現と結びつけられた状態で脳に格納されていると考えなければならないが,それは脳にとって相当な負担となるのではないか.
[ reading by eye を支持する論拠 ]
(5) 読者は two と too のような同音異綴語に惑わされないし,tear /tɪə/ と tear /tɛə/ のような同綴異音語にも惑わされない.音韻を介する説では,このことは説明しえない.
(6) 音韻的失語症患者のなかには,文字を音韻へは変換できないが,語を読んで理解できる者がいる.これは,目から意味へ直接につながる経路が存在していることを意味する.
(7) 上記 (1) に反して,1分間に500語以上を読む速読家がいる.「目で読む」説では,目で500語以上をとらえていると解釈すれば事足りる.
(8) 読者は文字単位ではなく語単位でのほうが速く認識でき,実際にそのように読んでいる.これは,the word superiority effect と呼ばれている.
(9) 綴字と発音の乖離,すなわち正書法と音韻論が関連していない例が多数ある.認識においても,両者は関係していないのではないか.
(10) でっちあげた無意味語よりも実際に存在する語のほうが認識が容易であることから示唆されるように,音韻過程より高次元の過程があると考えられる.
両説の組み合わせに真実がありそうである.読者は,書き言葉を解読する際に,耳も使っているし,目も使っている.その割合は,読解作業の種類によっても,読者の読む能力によっても異なるだろう.しかし,何よりも文字体系の種類によって大きく異なるのではないか.上記の論拠は,主としてアルファベットで書かれた文章を読むことに関する論拠だが,漢字などの非表音文字の場合には状況はかなり異なるだろう.
表語文字 (logographic) である漢字を日常的に読む日本語の読み手としては,音読できないが意味は分かる漢熟語に遭遇することは日常茶飯事だし,「日本」が /にほん/ か /にっぽん/ か,「明日」が /あした/ か /あす/ かなど,発音はどうであれ読み飛ばすことはしばしばである.直感的にっても,このような場合には音韻を介しているとは思えない.鈴木 (195) が,書き言葉の観点から世界の多くの言語が「ラジオ型」言語であるのに対して日本語は「テレビ型」言語であると述べたが,書き言葉の「型」によって,読者の耳と目の戦略的バランスは相当に変わるのではないだろうか.
関連して「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1]) を参照.英語史的には,「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1]) も関わってくるだろう.
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
・ 鈴木 孝夫 『日本語と外国語』 岩波書店,1990年.
昨日の記事「#1650. 文字素としての j の独立」 ([2013-11-02-1]) のために <j> の歴史を調べていたときに,Scragg (66--67fn) に記されていた <j> と <g> の相補的関係についての洞察に目がとまった.
In Old French orthography, the sound /dʒ/ (Mod. Fr. /ʒ/) was represented <i> (<j>) before <a o u> and <g> before <e i>. The convention was carried into Middle English in French loanwords, and survives, for example, in jacket, join, July, germ, giant. The resulting confusion with <g> for /g/ has sometimes been avoided by extending <j> to positions before <e> and <i>, e.g. jet (cf. get), jig (cf. gig), or alternatively the French convention of using <gu> for /g/ was adopted (guess, guide). In the sixteenth century, <gu> for /g/ was more widespread than it is today (e.g. guift, guirl 'gift, girl'), and some printers followed Caxton, whose long association with the Netherlands led him to use <gh> for /g/ very frequently (e.g. gherle, ghoos, ghes, ghoot 'girl, goose, geese, goat'). Sixteenth-century books often have <gh> where modern spelling has <gu> (e.g., ghess, ghest), and the Oxford English Dictionary even records ghuest. Sixteenth-century familiarity with Italian literature may have contributed here, as Italian has <gh> for /g/. In English it survives only in ghost, ghastly and gherkin.
この説明を私なりに整理すると次のようになる.フランス借用語を大量に入れた中英語では,フランス語の綴字習慣をまねて,/ʤ/ に対する綴字を,後続母音の前舌性・後舌性によって <g> か <j> かに割り当てた.一方,<g> は従来 /g/ を表わしていたので,<g> と <j> の音の対応は原則として以下のようになっていた.
<i> | <e> | <a> | <o> | <u> | |
---|---|---|---|---|---|
<g> | /ʤi/, /gi/ | /ʤe/, /ge/ | /ga/ | /go/ | /gu/ |
<j> | /ʤa/ | /ʤo/ | /ʤu/ |
<i> | <e> | <a> | <o> | <u> | |
---|---|---|---|---|---|
<g> | (/ʤi/, /gi/) | (/ʤe/, /ge/) | /ga/ | /go/ | /gu/ |
<gu> | /gi/ | /ge/ | |||
<j> | /ʤi/ | /ʤe/ | /ʤa/ | /ʤo/ | /ʤu/ |
現代英語でアルファベットの第10番目の文字 <j> は,生起頻度としては「#308. 現代英語の最頻英単語リスト」 ([2010-03-01-1]) でみたとおり,<z>, <q> に続いて最低である.それほどまでに目立たない文字だが,それもそのはず,独り立ちししてから長めに数えても400年と経っていないのだ.
<j> は <i> を下にのばし鉤をつけてできた文字である.歴史的には <j> はローマ時代から存在したが,機能としては <i> と重複しており,文字素 <i> の変異形にすぎなかった.つまり,<j> は独立した文字素としてはみなされていなかったのである.中世英語を通じて,<j> は典型的にはローマ数字におけるように,<i> が連続する際の最後の <i> の代わりに用いられた (ex. iiij) .
ところが,1630--40年に,<i> を母音字として,<j> を /ʤ/ に対応する子音字として用いる現代風の慣習が始まりだす.だが,慣習が始まりだしただけで,すぐに <j> が <i> と区別される独立した地位を獲得したわけではない.それにはさらに時間がかかった.例えば,1755年の Johnson の辞書でも,"I is in English considered both as a vowel and consonant; though, since the vowel and consonant differ in their form as well as sound, they may be more properly accounted two letters" と区別が示唆されてはいるが,実際には <i> で始まる語と <j> で始まる語が同じ見出しのもとに配列されている.つまり,jar, jaw, jay, ice, idol, jealous, jerk, ill などがこの順序で見出しとして現われるのである (Upward and Davidson 184--85) .大文字 <J> と <I> の区別はさらに遅れ,混用は19世初期まで続いた (Crystal 260) .なお,1828年の Webster の辞書では,両文字は完全に区別されている.
<j> が /ʤ/ に対応する子音字として用いられるようになったのは,古フランス語においてその対応があったからである.ラテン語 iacere, iunctus iuvenis などの語頭の <i> は半子音 /j/ を表わしたが,古フランスに至る過程でこの /j/ は音韻過程を経て,最終的に破擦音 /ʤ/ となった.こうして成立した <i/j> = /ʤ/ の対応関係が中英語にも移植され,17世紀前半に,ある程度安定的に現代風の分布で用いられるようになった (Upward and Davidson 133--34) .また,15世紀のスペイン語における母音字 <i> と子音字 <j> の使い分けの慣習も,英語における両文字の分化に関わっている.これについては,<i>, <j> の上の点 (dot) とも関連して,「#870. diacritical mark」 ([2011-09-14-1]) を参照.さらに詳しくは,OED の "J, n. の項を参照されたい.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1]) で略述したように,近代英語の綴字体系の大きな特徴は,より logographic だということだ.語や形態素を一定の綴字で表わすことを目指しており,その内部における表音性は多かれ少なかれ犠牲にしている.これは特徴というよりは緩やかな傾向と呼ぶべきものかもしれないが,的確な記述である.Brengelman (346) は,この特徴なり傾向なりを,さらに的確に表現している.
The specific characteristics of the theory of English spelling which finally emerged were the following: Each morpheme ought to have a consistent, preferably etymological spelling. Each morpheme ought to be spelled phonemically according to its most fully stressed and fully articulated pronunciation (thus n in autumn and damn, d in advance and adventure), and the etymology ought to be indicated in conventional ways (by ch, ps, ph, etc. in Greek words; by writing complexion---not complection---because the word comes from Latin complexus).
要するに,形態素レベルでは主として語源形を参照して一貫した表記を目指し,音素レベルでは (1) 明瞭な発音に対応させるという方針と,(2) 語源を明らかにするための慣習に従うという方針,に沿った表記を目指す,ということである.近現代の綴字体系の特徴をよくとらえた要約ではないだろうか.
興味深いことに,上の方針が最もよく反映されているのは,長くて堅苦しい借用語である.逆にいえば,初期近代英語期にラテン語やギリシア語からの借用語が増加したという背景があったからこそ,上の特徴が発生してきたということかもしれない.この点に関連して,Brengelman の2つの記述を読んでみよう.
Of all the improvements on English spelling made by the seventeenth-century orthographers, none was more important than their decision to spell the English words of Latin origin in a consistent way. Schoolmasters explained the process as showing the historical derivation of the words, but it did more than this: it showed their morphology. It is this development which makes possible a curious fact about English spelling: the longer and more bookish a word is, the easier it is to spell. No rules would lead a foreigner to spellings such as build or one, but he should easily spell verification or multiplicity. (350)
[E]nglish spelling began to be increasingly ideographic as early as the fourteenth century, and by the sixteenth, when the majority of readers and writers knew Latin, understanding was actually enhanced by Latinate spellings . . . . (351)
歴史的にラテン語は英語に多種多様な影響を与えてきたが,また1つ,初期近代英語期の綴字標準化の過程においても大きな影響を与えてきたということがわかるだろう.
・ Brengelman, F. H. "Orthoepists, Printers, and the Rationalization of English Spelling." JEGP 79 (1980): 332--54.
英語における綴字と発音の乖離については spelling_pronunciation_gap の記事を中心に多くの記事で触れてきたが,今まで木を見て森を見ずに論じてきたかもしれない.Jespersen (3) を読んでいて,はっとさせられた.
In the Middle Ages the general tendency was towards representing the same sound in the same way, wherever it was found, while the same word was not always spelt in the same manner. Nowadays greater importance is attached to representing the same word always in the same manner, while the same sound may be differently written in different words.
やや乱暴だが,この引用を一言でまとめれば,「中英語の綴字体系の拠り所と近代英語のそれとの間の本質的な差は,前者がより表音的 (phonographic) であるのに対して,後者はより表語的 (logographic) である」ということになる.現代英語に同音異綴 (homophony) が多い事実を根拠に,現代英語の綴字体系はアルファベットを使用していながらも実は logographic であるという主張はしばしば聞かれるが,文字論の観点と通時的な視点を組み合わせれば,英語の綴字体系の変化は,確かにこのようにまとめられるように思われる.Jespersen も "tendency" と穏やかな言葉遣いをしているとおり,あくまで各時代の英語の綴字体系が向いている方向が指摘されているにすぎないが,言い得て妙だろう.
中英語の綴字体系は,音を表わすのだと主張してうるさいが,実現された語形は多種多様で大雑把である.近代英語の綴字体系は,音は適当に表わせればよいと鷹揚だが,実現される語形は厳格に定まっている.一般に文字の発展の歴史において表意や表語から表音へ向かう流れが認められるが,英語史においてはその逆ともいえる表音から表語への流れが観察されるというのは興味深い.
関連して,「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1]) も参照.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. 1954. London: Routledge, 2007.
日本語の漢字表記には,送り仮名という慣習がある.送り仮名の重要な役割の1つは,原則として直前の漢字が訓読みであることを示すことである.もう1つの重要な役割は,用言の場合に,活用形を示すことである.例えば「語る」の送り仮名「る」は,この漢字が音読みで「ご」ではなく訓読みで「かた」と読まれるべきこと,およびこの動詞が終止・連用形として機能していることを明示している.1つ目の役割は用言以外にも認められ,とりわけ肝要である.「二」であれば「に」と読むが,「二つ」であれば「ふたつ」と読む必要がある.送り仮名は,音訓の問題 ([2012-03-04-1])や分かち書きの問題 ([2012-05-13-1], [2012-05-14-1]) とも関わっており,特異な書記慣習といってよいだろう.
しかし,特異とはいっても,古今東西に唯一の慣習ではない.例えば,シュメール人 (Sumerian) によって紀元前4千年紀の終わりに発明されたとされるメソポタミアの楔形文字 (cuneiform) を紀元前2400年頃に継承したアッカド人 (Akkadian) は,シュメール語に基づく表意文字に,アッカド語の屈折語尾に対応する「送り仮名」を送り,アッカド語として読み下していた.この「送り仮名」は phonetic complement と呼ばれている.紀元前1600年までには,アッカド語を記した楔形文字の一種がヒッタイト語 (Hittite) へも継承され,そこでも似たような phonetic complement が付された (Fortson 160) .
とはいっても,"phonetic complement" あるいは「送り仮名」は,やはり珍しい.そもそも音訓の区別がごく周辺的にしか存在しない英語にあっては([2012-03-04-1]の記事「#1042. 英語におけるの音読みと訓読み」を参照),送り仮名に相当するものなどあるわけがないと思われるが,実は,さらに周辺的なところに類似した現象が見られるのである.一種の略記として広く行なわれている 1st, 2nd, 3rd などの例だ.「二」であれば「に」と読んでください,「二つ」であれば「ふたつ」と読んでください,という日本語の慣習と同じように,1 であれば "one" と読んでください,1st であれば "first" と読んでください,という慣習である.同じ「二」なり 1 なりという(表意)文字を用いているが,送り仮名の「つ」や st の有無によって,発音が予想もつかないほどに大きく異なる.st, nd, rd は,それぞれ,直前の表意文字を「訓読み」してくださいというマーカーとして機能している.
時々,1st, 2nd, 3rd と「送り仮名」部分が上付きで書かれるのを見ることがある.これは,ちょうど漢文で送り仮名をカタカナで小書きするのに似ていておもしろい.メインは表意文字であり,送り仮名はあくまでサブであるという点が共通している.また,この観点から "(phonetic) complement" という用語の意味を考えると味わい深い.OALD8 によると,complement とは "a thing that adds new qualities to sth in a way that improves it or makes it more attractive" である.送り仮名は,チビだが良い奴ということだろうか.
だが,日本語の漢字書きで話題になる送り仮名の揺れの問題(「行なう」あるいは「行う」?)は,さすがに英語にはなさそうだ.1t とか 1rst は見たことがない.
・ Fortson IV, Benjamin W. Indo-European Language and Culture: An Introduction. Malden, MA: Blackwell, 2004.
[2012-05-13-1], [2012-05-14-1]の記事で,分かち書きについて考えた.英語など,アルファベットのみを利用する言語だけでなく,日本語でも仮名やローマ字のみで表記する場合には,句読法 (punctuation) の一種として分かち書きするのが普通である.これは,表音文字による表記の特徴から必然的に生じる要求だろう.おもしろいことに,日本語において漢字をもとに仮名が発達していた時代にも,分かち書きに緩やかに相当するものがあった.
例えば,天平宝字6年(762年)ごろの正倉院仮名文書の甲文書では,先駆的な真仮名の使用例が見られる(佐藤,pp. 54--55).そこでは,墨継ぎ,改行,箇条書き形式,字間の区切りなど,仮名文を読みやすくする工夫が多く含まれているという.一方,真仮名(漢字)を草書化した草仮名の最初期の例は9世紀後半より見られるようになる.当初は字間の区切りの傾向が見られたが,時代と共に語句のまとまりを意識した「連綿」と呼ばれる続け書きへと移行していった.これは,統語的な単位を意識した書き方であり,syntagma marking を標示する手段だったと考えてよい.また,仮名文とはいっても,平仮名のみで書かれたものはほとんどなく,少数の漢字を交ぜて書くのが現実であり,現在と同じように読みにくさを回避する策が練られていたことにも注意したい.
連綿と関連して発達したもう1つの syntagma marker に「墨継ぎ」がある.佐藤 (59) を参照しよう.
墨継ぎでは、筆のつけはじめは墨が濃く、次第に枯れて細く薄くなり、また墨をつけて書くと濃いところと薄いところが生じる。その濃淡の配置は大体において文節あるいは文に対応しているのである。連綿もあるまとまりをつけるものであるが、やはり、語あるいは文節に対応していることが多い。これらはある種の分かち書きの機能を果たしていると考えられる。
ところで,字と字をつなげて書く習慣や連綿は,もっぱら平仮名書きに見られることに注目したい.一方で,片仮名と続け書きとは,現在でも相性が悪い.これは,片仮名が基本的には漢字とともに用いられる環境から発達してきたからである.片仮名は,発生当初から,現在のような漢字仮名交じり文として用いられており,昨日の記事[2012-05-14-1]で説明したように,字種の配列パターンにより文節区切りが容易に推知できた.したがって,syntagma marking のために連綿という手段に訴える必要が特になかったものと考えられる(佐藤, pp. 60--61).
・ 佐藤 武義 編著 『概説 日本語の歴史』 朝倉書店,1995年.
昨日の記事[2012-05-13-1]に引き続き,分かち書きの話し.日本語の通常の書き表わし方である漢字仮名交じり文では,普通,分かち書きは行なわない.昨日,べた書きは世界の文字をもつ言語のなかでは非常に稀だと述べたが,これは,漢字仮名交じり文について,分かち書きしない積極的な理由があるというよりは,分かち書きする必要がないという消極的な理由があるからである.
1つは,漢字仮名交じり文を構成する要素の1つである漢字は,本質的に表音文字ではなく表語文字である.仮名から視覚的に明確に区別される漢字1字あるいは連続した漢字列は,概ね語という統語単位を表わす.昨日述べた通り,語単位での区別は,書き言葉において是非とも確保したい syntagma marking であるが,漢字(列)は,その字形が仮名と明確に異なるという事実によって,すでに語単位での区別を可能にしている.あえて分かち書きという手段に訴える必要がないのである.漢字の表語効果は,表音文字である仮名と交じって書かれることによって一層ひきたてられているといえる.
もう1つは,日本語の統語的特徴として「自立語+付属語」が文節という単位を形成しているということがある(橋本文法に基づく文節という統語単位は,理論的な問題を含んでいるとはいえ,学校文法に取り入れられて広く知られており,日本語母語話者の直感に合うものである).そして,次の点が重要なのだが,自立語は概ね漢字(列)で表記され,付属語は概ね仮名で表記されるのが普通である.通常,文は複数の文節からなっているので,日本語の文を表記すれば,たいてい「漢字列+仮名列+漢字列+仮名列+漢字列+仮名列+漢字列+仮名列……。」となる.漢字仮名交じり文においては,仮名と漢字の字形が明確に異なっているという特徴を利用して,文節という統語的な区切りが瞬時に判別できるようになっているのだ.漢字仮名交じり文のこの特徴は,より親切に読み手に統語的区切りを示すために分かち書きする可能性を拒むものではないが,スペースを無駄遣いしてまで分かち書きすることを強制しない.
日本語の漢字仮名交じり文とべた書きとの間に,密接な関係のあることがわかるだろう.このことは,漢字使用の慣習が変化すれば,べた書きか分かち書きかという選択の問題が生じうることを含意する.戦後,漢字仮名交じり文において漢字使用が減り,仮名で書き表わされる割合が増えてきている.特に自立語に漢字が用いられる割合が少なくなれば,上述のような文節の区切りが自明でなくなり,べた書きのままでは syntagma marking 機能が確保されない状態に陥るかもしれない.そうなれば,分かち書き化の議論が生じる可能性も否定できない.例えば,29年ぶりに見直された2010年11月30日告示の改訂常用漢字表にしたがえば,「文書が改竄され捏造された」ではなく「文書が改ざんされねつ造された」と表記することが推奨される.しかし,後者は実に読みにくい.読点を入れ「文書が改ざんされ,ねつ造された」としたり,傍点を振るなどすれば読みやすくなるが,別の方法として「文書が 改ざんされ ねつ造された」と分かち書きする案もありうる.いずれにせよ,日本語の書き言葉は,syntagma marking を句読点に頼らざるを得ない状況へと徐々に移行しているようである.分かち書きは,純粋に文字論や表記体系の問題であるばかりではなく,読み書き能力や教育の問題とも関与しているのである.
なお,日本語表記に分かち書きが体系的に導入されたのは室町時代末のキリシタンのローマ字文献においてだが,後代には伝わらなかった.仮名の分かち書きの議論が盛んになったのは,明治期からである.現代では,かな文字文,ローマ字文において,それぞれ文節単位,語単位での分かち書きが提案されているが,正書法としては確立しているとはいえない.日本語の表記体系は,今なお,揺れ動いている.
分かち書きとは,読みやすさを考慮して,その言語の特定の統語形態的な単位(典型的には語や文節)で区切り,空白を置きながら書くことである.「分け書き」「分別書き」「付け離し」とも呼ばれ,世界のほとんどすべての言語の正書法に採用されている.対する「べた書き」は日本語や韓国語に見られ,日本語母語話者には当然のように思われているが,世界ではきわめて稀である.
では,日本語ではなぜ分かち書きをしないのだろうか.そして,例えば,英語ではなぜ分かち書きをするのだろうか.それは,表記に用いる文字の種類および性質の違いによる([2010-06-23-1]の記事「#422. 文字の種類」を参照).日本語では,表音文字(音節文字)である仮名と表語文字である漢字とを混在させた漢字仮名交じり文が普通に用いられるのに対して,英語は原則としてアルファベットという表音文字(音素文字)のみで表記される.この違いが決定的である.
説明を続ける前に,書き言葉の性質を確認しておこう.書き言葉の本質的な役割は話し言葉を写し取ることだが,写し取る過程で,話し言葉においては強勢,抑揚,休止などによって標示されていたような多くの言語機能が捨象される.話し言葉におけるこのような言語機能は,メッセージの受け手にとって,理解を助けてくれる大きなキューである.聞こえている音声の羅列に,形態的,統語的,意味的な秩序をもたらしてくれるキューである.別の言い方をすれば,話し言葉には,文の構造の理解にヒントを与えてくれる,様々な syntagma marker ([2011-12-29-1], [2011-12-30-1]) が含まれている.書き言葉は,話し言葉とは異なるメディアであり,寸分違わず写し取ることは不可能なので,話し言葉のもっている機能の多くを捨象せざるを得ない.どこまで再現し,どこから捨象するのかという程度は文字体系によって異なるが,最低限,特定の統語的単位の区切りは示すのが望ましい.それは,多くの場合,語という単位であり,ときには文節のような単位であることもあるが,いずれにせよ文字をもつほとんどの言語で,ある統語的単位の区切りが syntagma marking されている.
さて,表音文字のみで表記される英語を考えてみよう.語の区切りがなく,アルファベットがひたすら続いていたら,さぞかし読みにくいだろう.書き手は頭の中にある統語構造を連続的に書き取っていけばよいだけなので楽だろうが,読み手は連続した文字列を自力で統語的単位に分解してゆく必要があるだろう.読み手を考慮すれば,特定の統語的単位(典型的には語)ごとに区切りをつけながら書いてゆくのが理に適っている.その方法はいくつか考えられる.各語を枠でくくるという方法もあるだろうし,(中世の英語写本にも実際に見られるように)語と語の間に縦線を入れるという方法もあるだろう.しかし,なんといっても簡便なのは,空白で区切ることである.これは話し言葉の休止にも相似し,直感的でもある.したがって,表音文字のみで表記される書き言葉では,分かち書きは syntagma marking を確保する最も普通のやり方なのである.
同じことは,日本語の仮名書きについても言える.漢字を用いず,平仮名か片仮名のいずれかだけで書かれる文章を考えてみよう.小学校一年生の入学当初,国語の教科書の文章は平仮名書きである.ちょうど娘がその時期なので光村図書の教科書「こくご 一上」の最初のページを開いてみると次のようにある.
はる
はるの はな
さいた
あさの ひかり
????????????
?????壔?????
?????壔?????
みんな ともだち
いちねんせい
一種の詩だからということもあるが,空白と改行を組み合わせた,文節区切りの分かち書きが実践されている(初期の国定教科書では語単位の分かち書きだったが,以後,現在の検定教科書に至るまで文節主義が採用されている).これがなければ「はるのはなさいたあさのひかりきらきらおはようおはようみんなともだちいちねんせい」となり,ひどく読みにくい.そういえば,娘が初めて覚え立ての平仮名で文を書いたときに,分かち書きも句読点もなしに(すなわち読み手への考慮なしに),ひたすら頭の中にある話し言葉を平仮名に連続的に書き取っていたことを思い出す.ピリオド,カンマ,句点,読点などの句読法 (punctuation) の役割も,分かち書きと同じように,syntagma marking を確保することであることがわかる.
日本語を音素文字であるローマ字で書く場合も,仮名の場合と同様である.海外から日本に電子メールを送るとき,PCが日本語対応でない場合にローマ字書きせざるを得ない状況は今でもある.その際には,語単位あるいは文節単位で日本語を区切りながら書かないと,読み手にとって相当に負担がかかる.いずれの単位で区切るかは方針の問題であり,日本語の正書法としては確立していない.
それでは,日本語を書き表わす通常のやり方である漢字仮名交じり文では,どのように状況が異なるのか.明日の記事で.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow