標題は,「#1365. 古英語における自鳴音にはさまれた無声摩擦音の有声化」 ([2013-01-21-1]) で取り上げ,「#1080. なぜ five の序数詞は fifth なのか?」 ([2012-04-11-1]) や「#2948. 連載第5回「alive の歴史言語学」」 ([2017-05-23-1]) でも具体的な例を挙げて説明した問題の,もう1つの応用例である.wolf の複数形が wolves となるなど,単数形 /-f/ が複数形 /-vz/ へと一見不規則に変化する例が,いくつかの名詞に見られる.例えば,calf/calves, elf/elves, half/halves, leaf/leaves, life/lives, loaf/loaves, knife/knives, self/selves, sheaf/sheaves, shelf/shelves, thief/thieves, wife/wives などである.これはどういった理由だろうか.
古英語では,無声摩擦音 /f, θ, s/ は,両側を有声音に挟まれると自らも有声化して [v, ð, z] となる音韻規則が確立していた.この規則は,適用される音環境の条件が変化することもあれば,方言によってもまちまちだが,中英語以降でもしばしばお目にかかるルールである.必ずしも一貫性を保って適用されてきたわけではないものの,ある意味で英語史を通じて現役活動を続けてきた根強い規則といえる.摩擦音の有声化 (fricative_voicing) などという名前も与えられている.
今回の標題に照らし,以下では /f/ の場合に説明を絞ろう.wolf (狼)は古英語では wulf という形態だった.この名詞は男性強変化というグループに属する名詞で,格と数に応じて以下のように屈折した.
(男性強変化名詞) | 単数 | 複数 |
---|---|---|
主格 | wulf | wulfas |
対格 | wulf | wulfas |
属格 | wulfes | wulfa |
与格 | wulfe | wulfum |
英語史の授業などで,古英語にも文法性 (grammatical gender) があったと知ると驚く学生が多い.現代英語は印欧語族の諸言語のなかでも珍しく文法性を欠いており,むしろ例外的な言語なのだが,ふだん現代英語のみを相手にしていると,その事実に気づかない.印欧語族の大多数の言語が文法性をもっていることは,「#487. 主な印欧諸語の文法性」 ([2010-08-27-1]) で明らかである.そして,古英語もそのような「普通の」印欧語の1つだった.
古英語の名詞の性には,男性 (masculine),女性 (feminine),中性 (neuter) の3つがあった.語形により性の判断が付く場合も確かにあるが,原則として共時的には予測可能性は高くない.意味の基準は多少役に立つ場合があり,稀な例外(wīf "woman" が中性名詞で,wīfmann "woman" が男性名詞など)はあるものの,通常,男性を表わす名詞は男性名詞だし,女性を表わす名詞は女性名詞である.どの程度,古英語の名詞の性が予測できるのか,できないのかは,ランダムに掲げた以下の例を参照されたい.
Masculine | Feminine | Neuter |
---|---|---|
ǣsc "ash tree" | bōc "book" | ǣġ "egg" |
brōðor "brother" | beadu "battle" | ċild "child" |
cyning "king" | benċ "bench" | corn "grain" |
dōm "doom" | clǣnness "cleanness" | ēage "eye" |
enġel "angel" | cwēn "queen" | ġeat "gate" |
feoh "money" | dǣd "deed" | hēafod "head" |
hæle(þ) "warrior" | dohtor "daughter" | hūs "house" |
here "army" | ġiefu "gift" | lamb "lamb" |
hrōf "roof" | hand "hand" | land "land" |
mann "man" | hnutu "nut" | mæġþ "maiden" |
nama "name" | lenġu "length" | scēap "sheep" |
stān "stone" | sāwol "soul" | scip "ship" |
sunu "sun" | sorg "sorrow" | searu "skill" |
wealh "foreigner" | strengþ "strength" | þing "thing" |
wīfmann "woman" | tunge "tongue" | wīf "woman" |
4月は新歓の季節ということで,この話題.wassail /ˈwɒseɪl, ˈwɑːsl/ という語は,名詞として「(主にクリスマスの)祝いの酒」を,動詞として「酒盛りをする;酒で祝う」を意味する.ここには,今はなき be 動詞の命令形が化石的に埋め込まれている(Crystal 21 を参照).
古英語での乾杯の挨拶は,相手が単数の場合には wes hal "(you (sg.)) be in good health",相手が複数の場合には wesað hale "(you (pl.)) be in good health" と言った.wes や wesað は,現在では使われていない be 動詞の一種 wesan の2人称命令形(それぞれ単数と複数)である(cf. 「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1])).hal(e) は,現代英語で「健全な;健康な」を表わす whole や hale の古英語形であり,「万歳」という呼びかけに対応する hail とも同根である(cf. 「#1783. whole の <w>」 ([2014-03-15-1])).古英語のウェストサクソン福音書では,Luke 1.28 で天使がマリアに対して Hal wes ðu と挨拶する箇所がある.
中英語では wesan 系列の be 動詞の命令形は消失していったが,くだんの乾杯の表現は wassail として固定化した状態で生き残った.なお,wassail に対する返しの挨拶は,drinkhail である.
古ノルド語にも同種の表現 ves heill があり,英語表現の語源説としてはむしろこの古ノルド語形の影響が大きいとされるが,現在は wassail はいかにも伝統的なイギリス風の乾杯の仕方として知られている.
・ Crystal, David. The Story of Be. Oxford: OUP, 2017.
「#2654. a six-foot man や a ten-mile drive に残る(残っていない?)古英語の複数属格形」 ([2016-08-02-1]) で触れたように,現代英語では無屈折形にみえるものの,それはかつての屈折形が音の弱化・消失を経た結果の形態であるというような例が,ときに確認される.a six-foot man の foot や whilom, seldom,そして Lady Chapel, ladybird などにおける第1要素 lady.いずれも一見すると屈折などしていない裸の形態とみえるが,それぞれかつての複数属格形,複数与格形,単数属格形に由来する.いずれも後に語尾が弱まったり失われたりして,結果的に無屈折形であるかのようにとらえられるようになったものである.
最近,mother tongue (母語)もそのような例の1つらしいと知った.現代英語では複合語という認識だが,語源的には第1要素 mother はこのままで単数属格形だという.つまり,現代英語の発想で置き換えれば,まさに "mother's tongue" と言っているようなものだったのだ.「#703. 古英語の親族名詞の屈折表」 ([2011-03-31-1]) でみたように,mother は特殊な屈折をする女性名詞の1つで,単数主格形 mōdor と同形で単数属格形ともなりうる.mother tongue という表現の初例は,中英語後期の Wyclif に moder tonge として出現し,ほぼ同じ時期に modir langage も現われている.これらの形態が,遠く古英語の無屈折形を反映・踏襲しているというわけだ.また,近現代的な明確な属格語尾を伴った modiris langage も同時期に文証されていることを付け加えておこう.
とはいうものの,気になる点がある.これらの "mother" が,古英語の無変化の属格形に遡ると言える積極的な根拠は何だろうか.中英語で初出した当初から,現代英語と同じ感覚で,複合語としてとらえられたという可能性はないのだろうか.上記のように modiris langage が併存していたということは,議論の1つのポイントになるかもしれないが,確言できるほど強い根拠はないようにも思われる.OED でも,属格形に由来するという解釈には "Probably" が添えられている.この辺りは,後期中英語の複合語形成のパターンについてよく学ばないと,判断できなさそうだ.
「#2869. 古ノルド語からの借用は古英語期であっても,その文証は中英語期」 ([2017-03-05-1]) でも取り上げた話題だが,改めてこの問題について考えてみたい.
現代英語の語彙には古ノルド語からの借用語が多数含まれている.その歴史的背景としては,9世紀後半以降に古ノルド語を母語とするヴァイキングがイングランド北部・東部に定住し,そこで英語話者と混じり合ったという経緯がある.しかし,そこで借用されたはずの多くの古ノルド語からの単語が文献上に初めて現われるのは,ヴァイキングの定住が進んだ古英語後期においてではなく,少なからぬ時間を空けた初期中英語期以降,とりわけ13世紀以降のことなのである.歴史的状況から予想される借用年代と実際に文証される年代との間にギャップがあるというこの問題は,英語史でもしばしば取り上げられるが,その理由は一般的に次のように考えられている(Blake, p. 92 より).
It is a feature of the history of the English language that there are a considerable number of Old Norse loans in the language, but the appearance of these loans in writing occurs mainly from the thirteenth century onwards and not from the pre-Conquest period which is when the Viking invasions and settlements occurred. The usual explanation for this is as follows. Most Old English literature which has survived is written in the West Saxon dialect, and the dialect represents those areas of England which were least affected by the Scandinavian invasions and settlements. Hence Scandinavian influence in these areas cannot have been very significant. Even in those areas where the Danes had settled, they continued to live in their own communities and would only gradually have become absorbed among the Anglo-Saxon population. This implies that the new settlers were for a long time regarded as foreigners and no attempt was made to assimilate them. Consequently the introduction of Old Norse words into English was delayed in the Anglian dialects, and their southward drift would be even later than that. It is hardly surprising in this view that words of Scandinavian origin are not found in English in any numbers until the thirteenth century.
つまり,ヴァイキングは確かにイングランド北部・東部にしたが,必ずしもすぐには先住のアングロサクソン人と混じり合ったわけではなく,語彙借用を含めた言語的な融合は案外遅かったというわけだ.また,後期古英語の文献として残っているものの多くはイングランド南西部 West Saxon の方言で書かれているため,ヴァイキングの言語的影響は古英語期中には文証されにくいのだという.
しかし,Blake (93--94) はこの一般的な見解が本当に正しいかどうかは非常に怪しいとみている.
The continuity of West Saxon as Standard Old English would have discouraged the adoption of new words from other varieties and even from other languages. The tenth-century reforms were a continuation of the policies introduced by Alfred, and it is not surprising that the attitude towards standardisation and conservatism should have become more rigid as the standard grew in importance.
Blake の考え方はこうだ.話し言葉のレベルでは,歴史的経緯から自然に予想されるとおり,古ノルド語からの借用語の多くがすでに後期古英語期に入っていた.しかし,標準的で保守的な West Saxon 方言の書き言葉においては,口語的で略式的な響きをもつ当時の新語ともいうべき古ノルド語借用語を使用することはふさわしくないと考えられ,排除されたのではないか.つまり,人々の口からは発せられていたが,文章には反映されなかったということではないか.
書き言葉の保守性はよく知られた事実だが,さらに標準的な書き言葉ともなればますます保守的になるということは,確かに考えられる.
・ Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Macmillan, 1996.
古英語について標準化 (standardisation) を論じる際に主たる話題となるのは,(1) 初期古英語の "Early West Saxon" あるいは "Alfredian Old English" の正書法,(2) 後期古英語の "Late West Saxon", "Ælfrician Old English" あるいは "Standard Old English" の正書法,(3) "Winchester vocabulary" の3点だろうか.そのほかにも,"Mercian literary language" なども標準化という項目のもとで扱い得る話題かもしれない.
これらの古英語の「標準語」は,「#2745. Haugen の言語標準化の4段階 (2)」 ([2016-11-01-1]) や「#3209. 言語標準化の7つの側面」 ([2018-02-08-1]) で紹介した Haugen や Milroy and Milroy の標準化の理論的な基準に照らしてみれば,あくまで限定的な意味での「標準語」にすぎないとはいえるだろう.例えば Late West Saxon が古英語の標準語(少なくとも正書法において)であるという捉え方が一般的になっているが,それは Haugen のいう Selection の段階を経た程度に過ぎず,Codification, Elaboration, Acceptance という側面についてはほぼ何も関わっていない.厳密にいうのであれば,「標準語」などではないということになる.Late West Saxon については,正書法ではなく,むしろ屈折形態論における標準(化)を論じるほうが適切ではないかという意見もある (Kornexl 231) .
しかし,英語史全体の流れのなかで標準化を考える上では,やはり古英語の状況も比較対象として押さえておくのがよい.例えば,初期古英語の Early West Saxon と後期古英語の Late West Saxon については,それぞれ正書法上の限定的な標準化を論じることができるが,両者の間には必ずしも通時的な連続性はないとされている点は重要である (Kornexl 230) .また,中英語後期から発達する標準語も,これらの古英語の標準語のいずれとも連続性がない.つまり,英語の標準化は,歴史上,独立して何度か生じている.
語彙に関する古英語の標準化の事例としては,"Winchester vocabulary" が挙げられる.10--11世紀に "Winchester group/circle" と名付けられた学派が Winchester に集って書いた文章のなかに,策定されたとおぼしき一定の語彙が確認される.その学派のなかで最も典型的な著者は Ælfric であり,彼のテキストにおいては "Winchester vocabulary" の採用率は98.3%にも上るという.この標準的語彙の起源がどこにあるのかについては議論があるが,ラテン語テキストからの古英語翻訳の際に訳語として定着したものが多いということが言われている.したがって,ある意味では外からの圧力による標準化の事例ということになろうか.
・ Kornexl, Lucia. "Standardization." Chapter 12 of The History of English. Vol. 2. Ed. Laurel J. Brinton and Alexander Bergs. Berlin/Boston: De Gruyter, 2017. 220--35.
近年,統語と談話構造の関係を探る研究が増えてきている.一般的にいって,統語論と語用論のインターフェースが注目されてきているようだ.英語史でいえば,例えば古英語に関して,時制・相と談話構造の関係を探ったり,語順と情報構造の相関を追求する研究が現われている.
もう少し具体的に述べよう.古英語で,時制 (tense) と相 (aspect) は形態統語的に標示され,従来はもっぱら文法的な問題として扱われてきた.しかし,テキストの語りの中でそれらの表現が用いられる分布を調べてみると,完了相は情報の前景化を担い,未完了相は情報の背景化を担うという傾向が明らかになる.換言すれば,単一,動的,瞬時,有界の性質をもつ出来事は完了相で表わされ,持続,反復,習慣,無界の性質をもつ出来事は未完了相で表わされるという.以上は,Hopper による Anglo-Saxon Chronicle を対象とした分析結果であり,古英語一般に当てはまるかどうかは別問題だが,形態統語的な形式が談話構造の操作に利用される可能性を示すものとして興味深い.
同じように,比較的自由とされる古英語の語順も情報構造の操作に一役買っていたとみなせる事例が指摘されている.現代英語の "then" に相当する副詞 þa, þonne は,談話のつなぎとして作用することが知られている.同時に,これらの副詞が置かれることにより,その他の文要素の統語的位置が影響を受けることもよく知られている.どうやら問題の副詞の出現,語順の変異,談話構造の3者は,複雑かつ密接に関連し合っているようなのだ.例えば,これらの副詞で文が始まり,その直後に onginnan (to begin) の定動詞形が置かれると,談話の継続が含意されることが多いという.一方,副詞が欠如していれば,談話の非継続が含意されるという.
また,þa, þonne はときに "focus particles" とも称されるように,情報の焦点化にも関わっているとされる.文中に現われるとき,それより前の部分が話題 (topic) となり,後ろの部分が焦点 (focus) となる.
通時的な視点から興味深いのは,古英語から中英語にかけて,形態的統語なヴァリエーションが減少し,語順も固定化していくにつれて,それらが担っていた談話構造を操作する機能も衰退していったはずであるということだ.では,談話構造を操作する機能は,他のいかなる手段によって補われたのか,あるいは補われなかったのか.統語論と語用論のインターフェースそのものに,ダイナミックな変化が生じた可能性がある.
・ Lenker, Ursula. "Old English: Pragmatics and Discourse" Chapter 21 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 325--340.
英語歴史語用論の研究者で,古英語の発話行為 (speech_act) を専門としている Thomas Kohnen によれば,アングロサクソン文化においては現代的な意味での negative politeness はほとんど存在しなかったという.特に命令や指令の発話行為において,古英語では現代的なポライトネス戦略は用いられず,直接的な Ic bidde eow þæt . . . (I ask you to . . . ) や þu scealt . . . (thou shalt . . .) が専ら用いられたという.アングロサクソン文化では,negative politeness は事実上確認されないようだ.
一方,solidarity に訴えかける positive politeness の戦略は,uton (let us) などの表現がキリスト教的な文脈などである程度認められるが,それとて目立って使用されるわけではなかった.どうやらアングロサクソン文化や古英語では,いずれの様式のポライトネスであれ現代に比べて影が薄かったということだ.通言語的にある程度は普遍的だろうと想定されていたポライトネスが,英語の古い段階において事実上不在だったということは,ある意味でショッキングな発見である.Lenker (328) がこれについて,次のように述べている.
Politeness as face work may thus not have played a major role in Anglo-Saxon society. This highlights the intrinsically culture-specific nature of phenomena like politeness and suggests in accordance with other cross-cultural studies that the universal validity or significance of politeness theory --- as devised by Brown and Levinson . . . --- is a gross mistake. Negative politeness in particular is fundamentally culture-specific, reflecting the typical patterns of today's Western, or even more particular, Anglo-American, politeness culture . . . . The study of Anglo-Saxon pragmatics thus does not only affect our understanding of the historicity of verbal interaction but also challenges issues of universality.
・ Lenker, Ursula. "Old English: Pragmatics and Discourse" Chapter 21 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 325--340.
Algeo and Pyles (86--87) より,古英語期の主要な出来事の年表を示そう.
449 | Angles, Saxons, Jutes, and Frisians began to occupy Great Britain, thus changing its major population to English speakers and separating the early English language from its Continental relatives. |
597 | Saint Augustine of Canterbury arrived in England to begin the conversion of the English by baptizing King Ethelbert of Kent, thus introducing the influence of the Latin language. |
664 | The Synod of Whitby aligned the English with Roman rather than Celtic Christianity, thus linking English culture with mainstream Europe. |
730 | The Venerable Bede produced his Ecclesiastical History of the English People, recording the early history of the English people |
787 | The Scandinavian invasion began with raids along the Northeast seacoast. |
865 | The Scandinavians occupied northeastern Britain and began a campaign to conquer all of England. |
871 | Alfred became king of Wessex and reigned until his death in 899, rallying the English against the Scandinavians, retaking the city of London, establishing the Danelaw, and securing the position of king of all England for himself and his successors. |
991 | Olaf Tryggvason invaded England, and the English were defeated at the Battle of Maldon. |
1000 | The manuscript of the Old English epic Beowulf was written about this time. |
1016 | Canute became king of England, establishing a Danish dynasty in Britain. |
1042 | The Danish dynasty ended with the death of King Hardicanute, and Edward the Confessor became king of England. |
1066 | Edward the Confessor died and was succeeded by Harold, last of the Anglo-Saxon kings, who died at the Battle of Hastings fighting against the invading army of William, duke of Normandy, who was crowned king of England on December 25. |
ゲルマン祖語が紀元前3世紀頃に西,北,東のグループへ分裂していく際に,それぞれ独自の言語変化が生じた.結果として,起源を同じくする言語項の間に,ある種の対応関係が見いだされることになった.Algeo and Pyles (82--83) にしたがって,主要な変化と対応関係を6点挙げよう.
(1) ゲルマン祖語ではいくつかの名詞の主格単数形は *-az で終わっていた (ex. *wulfaz 「狼」) .この語尾は西ゲルマン語群では失われ (Old English wulf),北ゲルマン語群では -r となり (Old Icelandic ulfr),東ゲルマン語群では -s となった (Gothic wolfs) .
(2) ゲルマン祖語では動詞の2・3単現形がそれぞれ区別されていた.西・東ゲルマン語群では区別され続け,OE では bindest (you bind), bindeþ (he/she/it binds) となり,Go では bindis, bindiþ のごどくだったが,北ゲルマン語群では2単現形の -r が3単現形をも呑み込み,ともに bindr となった.
(3) 北ゲルマン語群では定冠詞が名詞に後続するようになった (ex. ulfrinn (the wolf)) が,西・東ゲルマン語ではそのような変化は起こらなかった.
(4) Verner's Law の出力としての *z は,西・北ゲルマン語群では r となった (= rhotacism) が,東ゲルマン語群では s となった.例として,OE ēare (ear), OIc eyra, Go auso.
(5) 西・北ゲルマン語群では i-mutation が生じて,例えば OE mann (man) に対してその複数形 menn (men) となったが,Go では単数形 mannan に対して複数形 mannans となり母音変化を反映していない.
(6) 西ゲルマン語群では Verner's Law の出力としての *ð は d となったが,北・東ゲルマン語群では摩擦音にとどまった.例として,OE fæder (father) に対して,OIc faðir, Go faðar (ただし綴字は fadar).
・ Algeo, John, and Thomas Pyles. The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Thomson Wadsworth, 2005.
英語音韻史では慣例として,古英語の West-Saxon 方言において <æ> で綴られる長母音は,その起源に応じて2種類に区別される.それぞれ伝統的に ǣ1 と ǣ2 として言及されることが多い(ただし,厄介なことに研究者によっては 1 と 2 の添え字を逆転させた言及もみられる).この2種類は,中英語以降の歴史においても方言によってしばしば区別されることから,方言同定に用いられるなど,英語史研究上,重要な役割を担っている.
中尾 (75--76) によれば,ゲルマン語比較言語学上,ǣ1 と ǣ2 の起源は異なっている.ǣ1 は西ゲルマン語の段階での *[aː]- が鼻音の前位置を除き West-Saxon 方言において前舌化したもので,non-West-Saxon 方言ではさらに上げを経て [eː] となった (ex. dǣd "deed", lǣtan "let", þǣr "there") .一方,ǣ2 は西ゲルマン語の *[aɪ] が古英語までに [ɑː] へ変化したものが,さらに i-mutation を経た出力である (ex. lǣran "teach", dǣlan "deal") .これは,West-Saxon のみならず Anglian でも保たれたが,Kentish では上げにより [eː] となった.したがって,ǣ1 と ǣ2 の音韻上の関係は,West-Saxon では [æː] : [æː],Anglian では [eː] : [æː],Kentish では [eː] : [eː] となる.まとめれば,以下の通り.
PGmc aː > OE WS æː NWS æː > eː WGmc aɪ > OE ɑː > (i-mutation) WS, Angl æː K æː > eː
・ 中尾 俊夫 『音韻史』 英語学大系第11巻,大修館書店,1985年.
英語の分かち書きについて,以下の記事で話題にしてきた.「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]),「#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり」 ([2016-09-13-1]),「#2970. 分かち書きの発生と続け書きの復活」 ([2017-06-14-1]),「#2971. 分かち書きは句読法全体の発達を促したか?」 ([2017-06-15-1]) .
現代的な語と語の分かち書きは,古英語ではまだ完全には発達していなかったが,語の分割する方法は確かに模索されていた.しかし,ある方法をとるにしても,その使い方はたいてい一貫しておらず,いかにも発展途上という段階にみえるのである.1例として,空白とともに中点 <・> を用いている Bede の Historia Ecclesiastica, III, Bodleian Library, Tanner MS 10, 54r. より冒頭の4行を再現しよう(Crystal 19).
ÞA・ǷÆS・GE・WORDENYMB
syx hund ƿyntra・7feower7syxtig æft(er) drihtnes
menniscnesse・eclipsis solis・þæt is sunnan・aspru
ngennis・
then was happened about
six hundred winters・and sixty-four after the lord's
incarnation・(in Latin) eclipse of the sun・that is sun eclipse
まず,空白と中点の2種類の分かち書きが,一見するところ機能の差を示すことなく併用されているという点が目を引く.また,現代の感覚としては,分割すべきところに分割がなく(7 [= "and"] の周辺),逆に分割すべきでないところに分割がある(題名の GE・WORDENYMB にみられる接頭辞と語幹の間)という点も興味深い.
空白で分かち書きする場合,手書きの場合には語と語の間にどのくらいの空白を挿入するかという問題があり,狭すぎると分割機能が脅かされる可能性があるが,中点は(前後の文字のストロークと融合しない限り)狭い隙間でも打てるといえば打てるので,有用性はあるように思われる.
中点は,英語に限らず古代の書記にしばしば見られたし,自然な句読法の1つといってよいだろう.現代日本語でも,中点は特殊な用法をもって活躍している.
・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.
現代英語のアルファベットは26文字と決まっているが,英語史の各段階でアルファベットを構成する文字の種類の数は,多少の増減を繰り返してきた.例えば古英語では,現代英語にある文字のうち3つが使われておらず,逆に古英語特有の文字が4つほどあった.26 - 3 + 4 = 27 ということで,古英語のアルファベットには27の文字があったことになる.
PDE | a | b | c | d | e | f | g | h | i | j | k | l | m | n | o | p | q | r | s | t | u | v | w | x | y | z | ||||
OE | a | æ | b | c | d | e | f | g | h | i | (k) | l | m | n | o | p | (q) | r | s | t | þ | ð | u | ƿ | (x) | y | (z) |
古英語を学習・研究する上で有用な辞書をいくつか紹介する.
(1) Bosworth, Joseph. A Compendious Anglo-Saxon and English Dictionary. London: J. R. Smith, 1848.
(2) Bosworth, Joseph and Thomas N. Toller. Anglo-Saxon Dictionary. Oxford: OUP, 1973. 1898. (Online version available at http://lexicon.ff.cuni.cz/texts/oe_bosworthtoller_about.html.)
(3) Hall, John R. C. A Concise Anglo-Saxon Dictionary. Rev. ed. by Herbert T. Merritt. Toronto: U of Toronto P, 1996. 1896. (Online version available at http://lexicon.ff.cuni.cz/texts/oe_clarkhall_about.html.)
(4) Healey, Antonette diPaolo, Ashley C. Amos and Angus Cameron, eds. The Dictionary of Old English in Electronic Form A--G. Toronto: Dictionary of Old English Project, Centre for Medieval Studies, U of Toronto, 2008. (see The Dictionary of Old English (DOE) and Dictionary of Old English Corpus (DOEC).)
(5) Sweet, Henry. The Student's Dictionary of Anglo-Saxon. Cambridge: CUP, 1976. 1896.
おのおのタイトルからも想像されるとおり,詳しさや編纂方針はまちまちである.入門用の Sweet に始まり,簡略辞書の Hall から,専門的な Bosworth and Toller を経て,最新の Healey et al. による電子版 DOE に至る.DOE を除いて,古英語辞書の定番がおよそ19世紀末の産物であることは注目に値する.この時期に,様々なレベルの古英語辞書が,独自の規範・記述意識をもって編纂され,出版されたのである.
現代風の書き言葉の標準が明確に定まっていない古英語の辞書編纂では,見出し語をどのような綴字で立てるかが悩ましい問題となる.使用者は,たいてい適切な綴字を見出せないか,あるいは異綴りの間をたらい回しにされるかである.大雑把にいえば,入門的な Sweet の立てる見出しの綴字は "critical" で規範主義的であり,最も専門的な DOE は "diplomatic" で記述主義的である.その間に,緩やかに "critical" な Hall と緩やかに "diplomatic" な Bosworth and Toller が位置づけられる.
合わせて古英語語彙の学習には,以下の2点を挙げておこう.
・ Barney, Stephen A. Word-Hoard: An Introduction to Old English Vocabulary. 2nd ed. New Haven: Yale UP, 1985.
・ Holthausen, Ferdinand. Altenglisches etymologisches Wōrterbuch. Heidelberg: Carl Winter Universitätsverlag, 1963.
Holthausen の辞書は,古英語語源辞書として専門的かつ特異な地位を占めているが,語源から語彙を学ぼうとする際には役立つ.Barney は,同じ趣旨で,かつ読んで楽しめる古英語単語リストである.
「#2942. ゲルマン語時代の音変化」 ([2017-05-17-1]) に引き続き,Hamer (15) より,標題の時代に関係する2つの音変化を紹介する.
Sound change | Description | Examples |
---|---|---|
D | The diphthongs all developed as follows: ai > ā, au > ēa (ēa = ǣa), eu > ēo, iu > īo. (This development of eu and iu was in fact very much later, but it is placed here in the interests of simplification.) | |
E | a > æ unless it came before a nasal consonant. | dæg, glæd, but land/lond. |
The effects can be seen in comparing say OE dæg, OFr deg with Go dags, OIc dagr, OHG tag. (The original [æ] was later raised in Frisian.)
In outline, AFB turns low back */留/ to [æ], except before nasals (hence OE, OHG mann but dæg vs. tag. It is usually accepted that at some point before AFB (which probably dates from around the early fifth century), */留/ > [留̃] before nasals, and the nasalized vowel blocked AFB.
AFB は古英語の名詞屈折などにおける厄介な異形態を説明する音変化として重要なので,古英語学習者は気に留めておきたい.
・ Hamer, R. F. S. Old English Sound Changes for Beginners. Oxford: Blackwell, 1967.
・ Lass, Roger. Old English: A Historical Linguistic Companion. Cambridge: CUP, 1994.
英語の音韻史を学ぼうとすると,古英語以前から現代英語にかけて,あまりに多数の音変化が起こってきたので目がクラクラするほどだ.本ブログでも,これまで個々には多数の音変化を扱ってきたが,より体系的に主要なものだけでも少しずつ提示していき,蓄積していければと思っている.
今回は,Hamer (14--15) の古英語音変化入門書より,古英語に先立つゲルマン語時代の3種の注目すべき母音変化を紹介する.
Sound change | Description | Examples |
---|---|---|
A | u > o unless followed by a nasal consonant, or by u or i/j in the following syllable. (By this is meant if the vowel element of the following syllable consisted of any u sound, or of any i sound or of any combination beginning with j.) | bunden, holpen are both OE p.p. of Class III Strong Verbs, the u of bunden having been retained, because of the following n. god, gyden = 'god', goddess. gyden had earlier had i instead of e in its ending, and this i first caused the u to survive, then later caused it to change to y by i-mutation (see I below). Thus both the o and y in these forms derive from Gmc. u. |
B | e > i if followed by a nasal consonant, or by i/j in the following syllable. | bindan, helpan are both OE infin. of Class III Strong Verbs. helpan has 3 sg. pres indic. hilpþ < Gmc. *hilpiþi. |
C | eu > iu before i/j in the following syllable. |
「#2893. Beowulf の冒頭11行」 ([2017-03-29-1]) で挙げた11行では物足りなく思われたので,有名な舟棺葬 (ship burial) の記述も含めた Beowulf 冒頭の52行を引用したい.舟棺葬とは,6--11世紀にスカンディナヴィアとアングロサクソンの文化で見られた高位者の葬法である.
原文は Jack 版で.現代英語訳は Norton Anthology に収録されているアイルランドのノーベル文学賞受賞詩人 Seamus Heaney の版でお届けする.
OE | PDE translation | ||
---|---|---|---|
a-verse | b-verse | ||
Hwæt, wē Gār-Dena | in geārdagum, | So. The Spear-Danes in days gone by | |
þēodcyninga | þrym gefrūnon, | and the kings who ruled them had courage and greatness. | |
hū ðā æþelingas | ellen fremedon. | We have heard of those princes' heroic campaigns. | |
Oft Scyld Scēfing | sceaþena þrēatum, | There was Shield Sheafson, scourge of many tribes, | |
5 | monegum mǣgþum | meodosetla oftēah, | a wrecker of mead-benches, rampaging among foes. |
egsode eorl[as], | syððan ǣrest wearð | This terror of the hall-troops had come far. | |
fēasceaft funden; | hē þæs frōfre gebād, | A foundling to start with, he would flourish later on | |
wēox under wolcnum, | weorðmyndum þāh, | as his powers waxed and his worth was proved. | |
oðþæt him ǣghwylc þ[ǣr] | ymbsittendra | In the end each clan on the outlying coasts | |
10 | ofer hronrāde | hȳran scolde, | beyond the whale-road had to yield to him |
gomban gyldan. | Þæt wæs gōd cyning! | and begin to pay tribute. That was one good king. | |
Ðǣm eafera wæs | æfter cenned | Afterward a boy-child was born to Shield, | |
geong in geardum, | þone God sende | a cub in the yard, a comfort sent | |
folce tō frōfre; | fyrenðearfe ongeat | by God to that nation. Hew knew what they had tholed, | |
15 | þ[e] hīe ǣr drugon | aldor[lē]ase | the long times and troubles they'd come through |
lange hwīle. | Him þæs Līffrēa, | without a leader; so the Lord of Life, | |
wuldres Wealdend | woroldāre forgeaf; | the glorious Almighty, made this man renowned. | |
Bēowulf wæs brēme | ---blǣd wīde sprang--- | Shield had fathered a famous son: | |
Scyldes eafera | Scedelandum in. | Beow's name was known through the north. | |
20 | Swā sceal [geong g]uma | gōde gewyrcean, | And a young prince must be prudent like that, |
fromum feohgiftum | on fæder [bea]rme, | giving freely while his father lives | |
þæt hine on ylde | eft gewunigen | so that afterward in age when fighting starts | |
wilgesīþas | þonne wīg cume, | steadfast companions will stand by him | |
lēode gelǣsten; | lofdǣdum sceal | and hold the line. Behavior that's admired | |
25 | in mǣgþa gehwǣre | man geþēon. | is the path to power among people everywhere. |
Him ðā Scyld gewāt | tō gescæphwīle, | Shield was still thriving when his time came | |
felahrōr fēran | on Frēan wǣre. | and he crossed over into the Lord's keeping. | |
Hī hyne þā ætbǣron | tō brimes faroðe, | His warrior band did what he bade them | |
swǣse gesīþas, | swā hē selfa bæd, | when he laid down the law among the Danes: | |
30 | þenden wordum wēold | wine Scyldinga; | they shouldered him out to the sea's flood, |
lēof landfruma | lange āhte. | the chief they revered who had long ruled them. | |
Þǣr æt hȳðe stōd | hringedstefna | A ring-whorled prow rode in the harbor, | |
īsig ond ūtfūs, | æþelinges fær; | ice-clad, outbound, a craft for a prince. | |
ālēdon þā | lēofne þēoden, | They stretched their beloved lord in his boat, | |
35 | bēaga bryttan | on bearm scipes, | laid out by the mast, amidships, |
mǣrne be mæste. | Þǣr wæs mādma fela | the great ring-giver. Far-fetched treasures | |
of feorwegum, | frætwa gelǣded; | were piled upon him, and precious gear. | |
ne hȳrde ic cȳmlīcor | cēol gegyrwan | I never heard before of a ship so well furbished | |
hildewǣpnum | ond heaðowǣdum, | with battle-tackle, bladed weapons | |
40 | billum ond byrnum; | him on bearme læg | and coats of mail. The massed treasure |
mādma mænigo, | þā him mid scoldon | was loaded on top of him: it would travel far | |
on flōdes ǣht | feor gewītan. | on out into the ocean's sway. | |
Nalæs hī hine lǣssan | lācum tēodan, | They decked his body no less bountifully | |
þēodgestrēonum, | þon þā dydon | with offerings than those first ones did | |
45 | þe hine æt frumsceafte | forð onsendon | who cast him away when he was a child |
ǣnne ofer ȳðe | umborwesende. | and launched him alone out over the waves. | |
Þā gȳt hie him āsetton | segen g[yl]denne | And they set a gold standard up | |
hēah ofer hēafod, | lēton holm beran, | high above his head and let him drift | |
gēafon on gārsecg. | Him wæs geōmor sefa, | to wind and tide, bewailing him | |
50 | murnende mōd. | Men ne cunnon | and mourning their loss. No man can tell, |
secgan tō sōðe, | selerǣden[d]e, | no wise man in hall or weathered veteran | |
hæleð under heofenum, | hwā þǣm hlæste onfēng. | knows for certain who salvaged that load. |
Ælfric の説教集の第3弾とされる The Lives of the Saints は,998年までに書かれたとされる.そのなかから Life of King Oswald の冒頭部分をサンプル・テキストとして取り上げよう.King Oswald は633--641年にノーサンブリアを治めた王で,その子孫とともに十字架を篤く崇拝した者として知られている.ルーン文字の刻まれたノーサンブリアの有名な Ruthwell Cross も,そのような十字架崇拝の伝統の所産だろう.
Ælfric の説教集は多くの写本で現存しているが,以下の Smith 版テキストは,MS London, British Library Cotton Julius E.vii のものである.現代英語訳も付けて示す (Smith 132--33) .
Æfter ðan ðe Augustīnus tō Engla lande becōm, wæs sum æðele cyning, Oswold gehāten, on Norðhumbra lande, gelȳfed swyþe on God. Sē fērde on his iugoðe fram his frēondum and māgum tō Scotlande on sǣ, and þǣr sōna wearð gefullod, and his gefēran samod þe mid him sīðedon. Betwux þām wearð ofslagen Eadwine his ēam, Norðhumbra cynincg, on Crīst gelȳfed, fram Brytta cyninge, Ceadwalla gecīged, and twēgen his æftergengan binnan twām gēarum; and se Ceadwalla slōh and tō sceame tūcode þā Norðhumbran lēode æfter heora hlāfordes fylle, oð þæt Oswold se ēadiga his yfelnysse ādwǣscte. Oswold him cōm tō, and him cēnlīce wið feaht mid lȳtlum werode, ac his gelēafa hine getrymde, and Crīst gefylste tō his fēonda slege. Oswold þā ærǣrde āne rōde sōna Gode tō wurðmynte, ǣr þan þe hē tō ðām gewinne cōme, and clypode tō his gefērum:`Uton feallan tō ðǣre rōde, and þone Ælmihtigan biddan þæt hē ūs āhredde wið þone mōdigan fēond þe ūs āfyllan wile. God sylf wāt geare þæt wē winnað rihtlīce wið þysne rēðan cyning tō āhreddenne ūre lēode.' Hī fēollon þā ealle mid Oswolde cyninge on gebedum; and syþþan on ǣrne mergen ēodon tō þām gefeohte, and gewunnon þǣr sige, swā swā se Eallwealdend heom ūðe for Oswoldes gelēafan; and ālēdon heora fȳnd, þone mōdigan Cedwallan mid his micclan werode, þe wēnde þaet him ne mihte nān werod wiðstandan.
After Augustine came to England, there was a certain noble king, called Oswald, in the land of the Northumbrians, who believed very much in God. He travelled in his youth from his friends and kinsmen to Dalriada ("Scotland in sea"), and there at once was baptised, and his companions also who travelled with him. meanwhile his uncle Edwin, king of the Northumbrians, who believed in Christ, was slain by the king of the Britons, named Ceadwalla, as were two of his successors within two years; and that Ceadwalla slew and humiliated the Northumbrian people after the death of their lord, until Oswald the blessed put an end to his evil-doing. Oswald came to him, and fought with him boldly with a small troop, but his faith strengthened him, and Christ assisted in the slaying of his enemies. Oswald then immediately raised up a cross in honour of God, before he came to the battle, and called to his companions: "Let us kneel to the cross, and pray to the Almighty that he rid us from the proud enemy who wishes to destroy us. God himself knows well that we strive rightly against this cruel king in order to redeem our people." They then all knelt with King Oswald in prayers; and then early on the morrow they went to the fight, and gained victory there, just as the All-powerful granted them because of Oswald's faith; and they laid low their enemies, the proud Ceadwalla with his great troop, who believed that no troop could withstand him.
・ Smith, Jeremy J. Old English: A Linguistic Introduction. Cambridge: CUP, 2009.
何回目かになる,古英語のテキストとその現代英語訳を挙げるシリーズ(oe_text) .今回は,The Anglo-Saxon Chronicle のE写本,いわゆる Peterborough Chronicle からのテキストで,ブリテン島の地理,民族,言語,歴史が述べられている部分を抜粋する.初学者用に綴字の標準化された市川・松浪版 (86--89) より,現代英語訳も合わせて示そう.
Brytene īeȝland is eahta hund mīla lang, and twā hund mīla brād. And hēr sind on þȳs īeȝlande fīf ȝeþēodu: Englisc, and Brytwilisc, and Scyttisc, and Pyhtisc, and Bōclæden. Ǣrest wǣron būend þisses landes Bryttas; þā cōmon of Armenia, and ȝesǣton sūðewearde Brytene ǣrest. Þā ȝelamp hit þæt Pyhtas cōmon sūþan of Scithian, mid langum scipum, nā manigum. And þā cōmon ǣrest on Norþ-Ibernia ūp, and þǣr bǣdon Scottas þæt hīe ðǣr mōsten wunian. Ac hīe noldon him līefan, for ðǣm hīe cwǣdon þæt hīe ne mihten ealle ætgædere ȝewunian þǣr. And þā cwǣdon þā Scottas, `Wē ēow magon þēah hwæðere rǣd ȝelǣran, wē witon ōþer īeȝland hēr bē ēastan, þǣr ȝē magon eardian ȝif ȝē willað, and ȝif hwā ēow wiðstent, wē ēow fultumiað þæt ȝē hit mæȝen ȝegān.'
ðā fērdon þā Pyhtas, and ȝefērdon þis land norþanweard, and sūþanweard hit hæfdon Bryttas, swā wē ǣr cwǣdon. And þā Pyhtas him ābǣdon wīf æt Scottas, on þā ȝerād þæt hīe ȝecuren hiera cynecynn ā on þā wīfhealfe. Þæt hīe hēoldon swā lange siððan. And þā ȝelamp hit ymbe ȝēara ryne þæt Scotta sum dǣl ȝewāt of Ibernian on Brytene, and þæs landes sumne dǣl ȝeēodon. And wæs hiera heretoga Reoda ȝehāten, from þǣm hie sind ȝenemnode Dǣl Reodi.
The island of Britain is eight hundred miles long, and two hundred miles broad. And here in this island are five languages: English, British, Pictish, and Latin. At first the inhabitants of this island were Britons; they came from Armenia, and first occupied Britain in the south (i.e. the southern part of Britain). Then it happened that the Picts came from the south from Scythia, with warships, not many. And they first landed in North Ireland, and there begged the Scots that they might dwell there. But they (= the Scots) would not allow them, because they said that they could not live there all together. And then the Scots said, `We can, however, give you advice: we know another island to the east from here, where you can dwell, if you wish; and if anyone resists you, we will help you that you may conquer it.'
Then the Picts went away, and conquered the northern part of this land, and the Britons had the southern part of it, as we have said before. And the Picts asked wives for them from the Scots, on the conditions that they should choose their royal line always on the female side. They kept it for a long time. And it happened then, in the course of years, that some portion of the Scots departed from Ireland to Britain, and conquered some part of the land, And their leader was called Reoda; from him they are named (the people) of Dal Rialda.
・ 市河 三喜,松浪 有 『古英語・中英語初歩』 研究社,1986年.
「#2895. 古英語聖書より「岩の上に家を建てる」」 ([2017-03-31-1]) に引き続き,新約聖書を古英語訳で読んでみよう.今回は,同じくよく知られた Matthew 13: 3--8 の「種をまく人の寓話」を紹介する.市川・松浪 (84--86) より,現代英語訳も付して示す.
Sōþlīċe ūt ēode se sāwere his sǣd tō sāwenne. And þā þā hē sēow, sumu hīe fēollon wiþ weȝ, and fuglas cōmon and ǣton þā. Sōþlīċe sumu fēollon on stǣnihte, þǣr hit næfde miċle eorþan, and hrædlīċe ūp sprungon, for þǣm þe hīe næfdon þāre eorþen dēopan; sōþlīċe, ūp sprungenre sunnan, hīe ādrūgodon and forscruncon, for þǣm þe hīe næfdon wyrtruman. Sōþlīċe sumu fēollon on þornas, and þā þornas wēoxon, and forþrysmdon þā. Sumu sōþlīċe fēollon on gōde eorþan, and sealdon wæstm, sum hundfealdne, sum siextiȝfealdne, sum þrītiȝfealdne.
Truly the sower went out to sow his seeds. And while he was sowing, some of them fell along the way, and birds came and ate them. Truly some fell on stony ground where it had not much earth, and quickly sprang up, because they had not any deep earth; truly, the sun (being) risen up, they dried up and shrank up, because they had not roots. Truly some fell on thorns, and the thorns grew, and choked them. Some truly fell on good ground, and gave fruit, some hundredfold, some sixtyfold, (and) some thirtyfold.
・ 市河 三喜,松浪 有 『古英語・中英語初歩』 研究社,1986年.
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