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language_change - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-12-23 11:02

2020-12-07 Mon

#4242. ソシュールにとって記号の変化は「ズレ」ではなく「置換」 [terminology][saussure][sign][language_change][diachrony][semiotics]

 ソシュール (Ferdinand de Saussure; 1857--1913) は,言語の共時態 (synchrony) と通時態 (diachrony) を区別したことで知られる (2つの態についてはこちらの記事セットを参照).ソシュールは通時的次元を「諸価値の変動のことであり,それは有意単位の変動ということにほかならない」(丸山,p. 310)と定義している.この「変動」は,フランス語 déplacement (英語の displacement)の訳語だが,むしろ「置換」と理解したほうが分かりやすい.ソシュールは,シニフィエ (signifié) とシニフィアン (signifiant) の結合から成る記号 (signe) の変化は,両者の「ずれ」というよりも,別の記号による「置換」と考えている節があるからだ.
 同じ丸山『ソシュール小事典』より déplacement の項 (284) を繰ってみると訳語としてこそ「ずれ,変動」と記されているが,内容をよく読んでみると実際には「置換」にほかならない.以下,引用する.

déplacement [ずれ,変動]
 ラングなる体系内での辞項 (terme) の布置が変り,その結果として価値 (valeur) の変動が起こること.「辞項と諸価値のグローバルな関係のずれ (frag. 1279) .動詞形の déplacer (ずらす)も用いられた「いかなるラングも(…)変容 (altération) の諸要因に抗するすべはない.その結果,時とともにシニフィエ (signifie) に対するシニフィアン (signifiant) のトータルな関係 (rapport) がずらされる」 (frag. 1259) .このずれは,シーニュ (signe) 内での不可分離な二項がずれるという意味ではなく,シーニュの輪郭を決定する分節線そのものがずれて新しいシーニュが誕生することを意味するが,古いシーニュと新しいシーニュを比較する際,語る主体 (sujet parlant) にとってはシニフィアンとシニフィエがずれたように錯覚されるのである.


 つまり,"déplacement" という用語を,記号内のシニフィエとシニフィアンの関係の「ずれ,変動」を指すものであるかのように使っているが,実際にソシュールが意図していたのは「ずれ」ではなく「置換」なのである(「再生」ですらない).とすると,語の音声変化や意味変化も,シニフィエかシニフィアンの片方は固定していたが他方がずれたのである,とはみなせなくなる.古いシーニュが新しいシーニュに置き換えられたのだと,みなすことになろう.

 ・ 丸山 圭三郎 『ソシュール小事典』 大修館,1985年.

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2020-11-23 Mon

#4228. 歴史言語学は「なぜ変化したか」だけでなく「なぜ変化しなかったか」をも問う [historical_linguistics][language_change][suppletion]

 標題は,英語史を含め歴史言語学的研究を行なう際に常に気に留めておきたいポイントである.通常「歴史」とは変化の歴史のことを指すととらえられており,無変化や現状維持は考察するに値しないと目されている.無変化や現状維持は,いわば変化という絵が描かれる白いキャンバスにすぎない,という見方だ.
 しかし,近年では,変化こそが常態であり,無変化こそが説明されるべきだという主張も聞かれるようになってきている.私としては,両方の見方のバランスをとって,変化にせよ無変化にせよ何かしら原因があると解釈しておくのが妥当だと考えている.
 この問題と関連して,Fertig (9) による短いが説得力のある主張に耳を傾けよう.

Historical linguistics is commonly defined as 'the study of language change'. Some scholars do focus exclusively on changes and assume that if nothing changes, then there is nothing to account for. A large and growing number of scholars, however, recognize that lack of change can sometimes be just as remarkable and worthy of investigation as change (Milroy 1992; Nichols 2003). An obvious example from morphology is the apparent resistance of analogical change in certain highly irregular paradigms, such as English good--better--best; have--has--had; bring--brought; child--children, etc. . . . This all suggests that we should define historical linguistics as the study of language history rather than of (only) language change.


 「なぜ変化しなかったか」を真剣に問うた論者の1人が,引用中にも言及されている社会言語学者 Milroy である.この Milroy の洞察との関連で書いてきた記事として「#2115. 言語維持と言語変化への抵抗」 ([2015-02-10-1]),「#2208. 英語の動詞に未来形の屈折がないのはなぜか?」 ([2015-05-14-1]),「#2220. 中英語の中部・北部方言で語頭摩擦音有声化が起こらなかった理由」 ([2015-05-26-1]),「#2574. 「常に変異があり,常に変化が起こっている」」 ([2016-05-14-1]) を挙げておきたい.

 ・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
 ・ Milroy, James. Linguistic Variation and Change: On the Historical Sociolinguistics of English. Oxford: Blackwell, 1992.
 ・ Nichols, Johanna. "Diversity and Stability in Language." Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Oxford: Blackwell, 283--310.

Referrer (Inside): [2024-01-19-1]

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2020-11-21 Sat

#4226. 言語変化と通時的対応関係 [language_change][diachrony][historical_linguistics][terminology][etymology][oe_dialect]

 Fertig (7) に "Change vs. diachronic correspondence" と題する節をみつけた.この2つは歴史言語学において区別すべき重要な概念である.この区別を意識していないと,思わぬ誤解に陥ることがある.

Linguists often use 'change' to refer to correspondences among forms that may be separated by centuries or millennia, e.g. Old English stān and Modern English stone or Middle English holp and Modern English helped. For purposes of comparative reconstruction, diachronic correspondences that relate forms separated by hundreds of years may be just what one needs, but such correspondences often mask a complex sequence of smaller developments that may have taken a very circuitous route. Linguists who are serious about understanding how change actually happens often point to the fallacies that arise from treating diachronic correspondences as if they directly reflected individual changes. Where plentiful data allows us to examine the course of a change in fine-grained detail, the picture that emerges is often very different from what we would posit if we only had evidence of the 'before' and 'after' states . . . .


 異なる2つの時点において(主として形式について)対応関係が認められる1組の言語項があるとき,その2つの言語項は何らかの通時的な線で結びつけられて然るべきである.この通時的な線こそが,その言語項が遂げた変化の実態である.しかし,時間に沿ってよほど細かな証拠が得られない限り,その線が直線なのか曲線なのか,曲線であればどんな形状の曲線なのか,分からないことが多い.その過程を慎重に推測し,せいぜい点線でつなげることができれば及第点であり,厳密に実線で描けるという幸運な状況は稀のように思われる.否,根本的な問いとして,最初に対応関係を認めた2つの言語項が,本当に対応関係があるものとみなしてよいのか,というところから議論しなければならないかもしれないのである.
 具体例を1つ挙げよう.現代標準英語には「古い」を意味する old という語がある.一方,古英語にも同義の eald という語が確認される.千年の時間の隔たりはあるものの,意味や用法はほぼ一致しており,形式的にも十分に近似しているため,この2つの言語項の間に通時的対応関係が認められるとは言えそうだ.しかし,通時的対応関係を認めたとしても,音変化を通じて直線的に ealdold へと発展したと結論づけるのは早計である.丁寧に音変化を考察すれば分かるが,eald は古英語ウェストサクソン方言における形態であり,現代標準英語の old という形態の直接の祖先ではないからだ.むしろ古英語アングリア方言の ald に遡るとみるべきである.だとすれば,ealdold の関係は,直接的でも直線的でもないことになる.aldold がなす直接的・直線的な関係に対して,eald が初期の部分で斜めに絡んできている,というのが正しい解釈となる.
 点と点を結ぶ線(直線か曲線か)に関して,「点と点」の部分が通時的対応関係を指し,「線」の部分が言語変化を指すと考えておけばよい.

 ・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.

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2020-10-13 Tue

#4187. Meillet が重視した意味変化の社会語用論的側面 [semantic_change][sociolinguistics][register][semantic_borrowing][language_change]

 「#4183. 「記号のシニフィエ充填原理」」 ([2020-10-09-1]) で引用した Meillet は,その重要論文において,意味変化 (semantic_change) に関する社会言語学な原理を強調している.単語は社会集団ごとに用いられ方が異なるものであり,その単語の意味も社会集団ごとの関心に沿って変化や変異することを免れない.そのようにして各社会集団で生じた新たな意味のいくつかが,元の社会集団へ戻されるとき,元の社会集団の立場からみれば,その単語のオリジナルの意味に,新しい意味が付け加わったようにみえるだろう.つまり,そこで実際に起こっていることは,意味変化そのものではなく,他の社会集団からの意味借用 (semantic_borrowing) なのだ,という洞察である.
 Meillet は,先行研究を見渡しても意味変化の確かな原理というものを見出すことはできないが,1つそれに近いものを挙げるとすれば上記の事実だろうと自信を示している.この「社会集団」を「言語が用いられる環境」として緩く解釈すれば,語の意味変化は,異なる意味が異なる使用域 (register) 間で移動することによって生じるものと理解することができる.これは,意味変化を社会語用論的な立場からみたものにほかならない.Meillet (27) が力説している部分を引用しておこう.

Il apparaît ainsi que le principe essentiel du changement de sens est dans l'existence de groupements sociaux à l'intérieur du milieu où une langue est parlée, c'est-à-dire dans un fait de structure sociale. Il serait assurément chimérique de prétendre expliquer dès maintenant toutes les transformations de sense par ce principe: un grand nombre de faits résisteraient et ne se laisseraient interpréter qu'à l'aide de suppositions arbitraires et souvent forcées; l'histoire des mots n'est pas assez faite pour qu'on puisse, sur aucun domaine, tenter d'épuiser tous les cas et démontrer qu'ils se ramènent sans aucun reste au principe invoqué, ce qui serait le seul procédé de preuve théoriquement possible; le plus souvent même ce n'est que par hypothèse qu'on peut tracer la courbe qu'a suivie le sens d'un mot en se transformant. Mais, s'il est vrai qu'un changement de sens ne puisse pas avoir lieu sans être provoqué par une action définie --- et c'est le postulat nécessaire de toute théorie solide en sémantique ---, le principe invoqué ici est le seul principe connu et imaginable dont l'intervention soit assez puissante pour rendre compte de la pluplart des faits observés; et d'autre part l'hypothèse se vérifie là où les circonstances permettent de suivre les faits de près.


 Meillet の上記の考え方については,「#1973. Meillet の意味変化の3つの原因」 ([2014-09-21-1]) でも指摘した.また,関連する議論として「#2246. Meillet の "tout se tient" --- 社会における言語」 ([2015-06-21-1]),「#2161. 社会構造の変化は言語構造に直接は反映しない」 ([2015-03-28-1]) も参照されたい.

 ・ Meillet, Antoine. "Comment les mots changent de sens." Année sociologique 9 (1906). 1921 ed. Rpt. Dodo P, 2009.

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2020-09-08 Tue

#4152. アメリカ英語の -our から -or へのシフト --- Webster の影響は限定的? [webster][ame][spelling_reform][spelling][standardisation][prescriptivism][language_change]

 昨日の記事「#4151. 標準化と規範化の関係」 ([2020-09-07-1]) で引用した文章のなかに,Anson からの引用が埋め込まれていた.Anson 論文は,アメリカ英語における color, humor, valor, honor などの -or 綴字の発展と定着の歴史を実証的に調査した研究である.1740--1840年にアメリカ北東部で発行された新聞からのランダムサンプルを用いた調査の結果が特に信頼に値する.イギリス英語綴字 -our に対するアメリカ英語綴字 -or の定着は,一般に Noah Webster (1758--1843) の功績とされることが多いが,事はそれほど簡単ではない.以下が,Anson (47) による調査報告のまとめの部分である.
 

Most obvious is the appearance of both -or and -our through the century, but gradual change can be detected from the -our extreme in 1740 to the -or extreme in 1840. Only small and sporadic change occurred around the time of Webster's strongest influence, which suggests that if he did contribute to the dropping of -u, his contribution was slow to take effect.
    A key year appears to be 1830 --- after the appearance of Worcester's dictionary and the public attention, during the previous decade, to Webster's and Worcester's battle of dictionaries and spellers. . . .
    On the whole, then, the American usage chart shows a slow but steady movement toward the -or spelling. No doubt the movement spilled at least into the first quarter of the twentieth century, when sporadic cases of -our were still to be seen. Aided by later dictionaries, which have looked to usage or other American authorities, the shift to -or is now virtually complete.


 この調査報告を読むと,Webster (および彼と辞書編纂で争った Worcester)の当該語の綴字への影響は1830年以降に少し感じられはするが,決定的な影響というほどではなかったという.しかも -our から -or へのシフトの完成は,それから優に数十年も待たなければならなかったのである.Webster の役割は,せいぜいシフトの触媒としての役割にとどまっていたといえそうだ.
 この事例研究から,Anson (48) は言語変化の標準化と規範化の関係に関する次の一般論を導き出そうとしている.
 

. . . usage and authority work mutually and each tends to influence the other and be influenced by it. A highly respected dictionary may influence the way an educated public spells debated words; on the other hand, no authority --- even Webster --- can hope to change a firmly entrenched spelling habit among the general public. The chances are good that, had the public not been moving steadily toward -or forms, we might still be spelling in favor of -our, despite Webster. While Webster may have served as a catalyst for some spelling changes, he was not, for spelling reform, the cause celebre many have assumed. Most of his reforms never caught on. Curiously, spelling reform on a large scale, like Esperanto and other synthetic languages, has never appealed to the public as have changes introduced organically and from within. Proponents of spelling reform argue quite convincingly that their proposals meet a real public need for simplicity, precision, and uniformity; yet often the public allows linguistic changes that work in just the opposite direction. Usage, then, is a highly resistant strain when it comes to 'curing the ills' of the language, and it ultimately determines its own future.


  昨日の記事の趣旨に照らせば,この引用冒頭の "usage" を標準化と,"authority" を規範化と読み替えてもよいだろう.

 ・ Anson, Chris M. "Errours and Endeavors: A Case Study in American Orthography." International Journal of Lexicography 3 (1990): 35--63.

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2020-03-11 Wed

#3971. 言語変化の multiple causation 再再考 [language_change][causation][multiple_causation]

 標題については,「#3842. 言語変化の原因の複雑性と多様性」 ([2019-11-03-1]) に張ったリンク先の記事ですでに様々に論じてきたが,今ひとつ Fischer et al. (31) より,趣旨として関連する箇所を引用したい.昨今の言語変化研究において multiple_causation がトレンドであることが分かりやすく述べられている.

The current trend in theory formation is for this multifactorial view of causality to be formulated more and more explicitly. This is true both of models that accommodate multiple language-internal causes, typically with roots in the grammaticalization literature ..., and of models that seek to combine language-internal and language-external explanations of change ....


 私がこれまで言語変化の "multiple causation" について主張してきたのは,引用の最後にあるように言語内的・外的な説明の合わせ技を念頭においてのことだった.しかし,なるほど,引用の半ばにあるように言語内的説明だけ取ってもそれは一枚岩ではなく礫岩的であるというという観点から "multiple" を考えることもできるし,その点でいえば引用で触れられていないが言語外的説明も "multiple" なはずだろう.どのレベルにおいても複合的な要因を前提として言語変化の解明に挑むというのが,昨今のトレンドといってよい.言語(変化)というきわめて複雑な現象を理解するためには,既存の知識を総動員し,さらに想像力を駆使しながら対象に挑むという姿勢が,ますます必要になってきているといえるだろう.
 Fischer et al. (54) のバランスの取れた見方を示す1節を引用しておきたい.

Methodologically, it is most sound to give heed to and study quite a number of aspects of both an external and an internal kind, having to do with the type of contact, the socio-cultural make-up of the speech-community, and the state of the conventional internalized code that individuals in the community have developed during the period of language acquisition and beyond.


 ・ Fischer, Olga, Hendrik De Smet, and Wim van der Wurff. A Brief History of English Syntax. Cambridge: CUP, 2017.

Referrer (Inside): [2021-10-14-1]

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2020-03-10 Tue

#3970. 言語学理論の2つの学派 --- 言語運用と言語能力のいずれを軸におくか [generative_grammar][cognitive_linguistics][grammaticalisation][construction_grammar][linguistics][language_change]

 現代の言語学理論を大きく2つに分けるとすれば,言語運用 (linguistic performance) を重視する学派と言語能力 (linguistic competence) を重視する学派の2つとなろう.言語運用と言語能力の対立は,パロール (parole) とラング (langue) の対立といってもよいし,E-Language と I-Language の対立といってもよい.学派に応じて用語使いが異なるが,およそ似たようなものである.
 言語運用を重視する学派は,文法化理論 (grammaticalisation theory) や構文文法 (construction_grammar) に代表される認知言語学 (cognitive_linguistics) である.一方,言語能力に重きをおく側の代表は生成文法 (generative_grammar) である.両学派の言語観は様々な側面で180度異なり,鋭く対立しているといってよい.Fischer et al. (32) の表を引用し,対立項を浮かび上がらせてみよう.

 EMPHASIS ON PERFORMANCE/LANGUAGE OUTPUTEMPHASIS ON COMPETENCE/LANGUAGE SYSTEM
(a)product-orientedprocess-oriented
(b)emphasis on function (in CxG also form)emphasis on form
(c)locus of change: language uselocus of change: language acquisition
(d)equality of levelscentrality (autonomy) of syntax
(e)gradual changeradical change
(f)heuristic tendenciesfixed principles
(g)fuzzy categories/schemasdiscrete categories/rules
(h)contiguity with cognitioninnateness of grammar


 言語変化 (language_change) に直接的に関わる側面 (c), (e) のみに注目しても,両学派の間に明確な対立があることがわかる.
 印象的にいえば言語運用学派は動的,言語能力学派は静的ということになり,言語変化という動態を扱うには前者のほうが相性がよさそうにはみえる.

 ・ Fischer, Olga, Hendrik De Smet, and Wim van der Wurff. A Brief History of English Syntax. Cambridge: CUP, 2017.

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2020-03-06 Fri

#3966. 英語統語論の主要な歴史的変化の一覧 [syntax][language_change][word_order][timeline]

 Fischer et al. (4--6) に英語統語論の主要な歴史的変化の一覧表がある.参照用に便利なので,"Overview of syntactic categories and their changes" と題されたこの一覧を再現しておきたい.左欄を縦に眺めるだけでも,英語歴史統語論にどのような話題があり得るのかがつかめる.

Changes in:Old EnglishMiddle EnglishModern English
case form and function:genitivevarious functionsgenitive case for subjective/poss.; of-phrase elsewheresame
dativevarious functions/PP sporadicincrease in to-phrase; impersonal dative lostsame
accusativemain function: direct objectaccusative case lost, direct object mainly marked by positionsame
determiners:systemarticles present in embryo form, system developingarticles used for presentational and referential functionsalso in use in predicative and generic contexts
double det.presentrareabsent
quantifiers:position ofrelatively freemore restrictedfairly fixed
adjectives:positionboth pre- and postnominalmainly prenominalprenominal with some lexical exceptions
form/functionstrong/weak forms, functionally distinctremnants of strong/weak forms; not functionalone form only
as headfully operativereduced; introduction of onerestricted to generic reference/idiomatic
'stacking' ofnot possiblepossiblepossible
adjectival or relative clauserelative: se, se þe, þe, zero subject rel.new: þæt, wh-relative (except who), zero obj. rel.who relative introduced
adj. + to-inf.only active infinitivesactive and passive inf.mainly active inf.
aspect-system:use of perfectembryonicmore frequent; in competition with 'past'perfect and 'past' grammaticalized in different functions
form of perfectBE/HAVE (past part. sometimes declined)BE/HAVE; HAVE becomes more frequentmainly HAVE
use and form of progressiveBE + -ende; function not clearBE + -ing, infrequent, more aspectualfrequent, grammaticalizing
tense-system:'present'used for present tense, progressive, futureused for present tense and progr.; (future tense develops)becomes restricted to 'timeless' and 'reporting' uses
'past'used for past tense, (plu)perfect, past progr.still used also for past progr. and perfect; new: modal pastrestricted in function by grammaticalization of perfect and progr.
mood-system:expressed bysubjunctive, modal verbs (+ epistemic advbs)mainly modal verbs (+ develop. quasi-modals); modal past tense verbs (with exception features)same + development of new modal expressions
category of core modalsverbs (with exception features)verbs (with exception features)auxiliaries (with verbal features)
voice-system:passive formbeon/weorðan + (inflected) past part.BE + uninfl. past partsame; new GET passive
indirect pass.absentdeveloping(fully) present
prep. pass.absentdeveloping(fully) present
pass. infin.only after modal verbsafter full verbs, with some nouns and adject.same
negative systemne + verb (+ other negator)(ne) + verb + not; rare not + verbAux + not + verb; (verb + not)
interrog. systeminversion: VSinversion: VSAux SV
DO as operatorabsentinfrequent, not grammaticalizedbecoming fully grammaticalized
subject:position filledsome pro-drop possible; dummy subjects not compulsorypro-drop rare; dummy subjects become the normpro-drop highly marked stylistically; dummy subj. obligat.
clausesabsentthat-clauses and infinitival clausesnew: for NP to V clauses
subjectless/impersonal constructionscommonsubject position becomes obligatorily filledextinct (some lexicalized express.)
position with respect to Vboth S (...) V and VSS (...) V; VS becomes restricted to yes/no quest.only S (adv) V; VS > Aux SV
object:clausesmainly finite þæt-cl., also zero/to-infinitivestark increase in infinitival cl.introduction of a.c.i. and for NP to V cl.
position with respect to VVO and OVVO; OV becomes restrictedVO everywhere
position IO-DOboth orders; pronominal IO-DO preferrednominal IO-DO the norm, introduction of DO for/to IOIO-DO with full NPs; pronominal DO-IO predominates
clitic pronounssyntactic cliticsclitics disappearingclitics absent
adverbs:positionfairly freemore restrictedfurther restricted
clausesuse of correlatives + different word ordersdistinct conjunctions; word order mainly SVOall word order SVO (exc. some conditional clauses)
phrasal verbsposition particle: both pre- and postverbalgreat increase; position: postverbalsame
preposition strandingonly with pronouns (incl. R-pronouns: þær, etc.) and relative þeno longer with pronouns, but new with prep. passives, interrog., and other relative clausesno longer after R-pronouns (there, etc.) except in fixed expressions


 ・ Fischer, Olga, Hendrik De Smet, and Wim van der Wurff. A Brief History of English Syntax. Cambridge: CUP, 2017.

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2020-03-03 Tue

#3963. 「英語は時間とともに古英語から現代英語へ変化した」とは何がどう変化したことなのか? [language_change][meme]

 標題は,英語でなくとも日本語でも何語でもよいのだが,素朴でありながら難しい問題である.「時間を経て古英語が現代英語になった」「歴史的に古英語から現代英語へと変化してきた」というのは日常的な言葉使いとして自然だが,具体的に何が変わったのかと問われると,立ち止まって考えざるを得ない.英語が変わったのだといっても,英語の何が変わったというのだろうか.英語の文法や語彙や発音等々が変わったのだと言えるかもしれない.しかし,変わっていない項目も多々ある.そもそも変わっていない部分がなければ,前の段階と後の段階が英語という同一の言語として存在し続けてきたと主張することはできなさそうだ.英語には変わってきた部分と変わらなかった部分があるのだ.とすると「古英語が現代英語になった/変わった」という言い方は,変わった部分にのみ注目した言い方ということになるのだろうか.
 一方,英語の文法や語彙や発音等々が変わったのではない,変わったのは英語を話す話者集団の言語使用である,と解釈することもできる.この見方は,言語そのものではなく話者を主体に置く言語変化観といっていだろう.私自身は,こちらの後者の見方に親近感を覚えている.
 結局のところ標題の問題は,英語とは何か,言語変化とは何かという根本的な問いへと還元され,回答者は自らの言語(変化)観に従って何らかの答えを出すことになるのだろう.
 Ritt (37--38) は,物議を醸しかねない "selfish sounds" の言語観に基づいて,言語変化を次のように解説している.非常に丁寧な解説ではある.

What is usually called 'Old English' represents a heterogeneous (yet most probably inherently ordered) pool of competences 'in' Old English. These competences will each have been different from one another, but will have shared a sufficient number of properties for making communication among 'Old English' speakers possible. 'Present Day English' represents another pool of competences, once again heterogeneous in an orderly way. Importantly, the mix of competence properties that characterises the pool constituting 'Present Day English' differs considerably from the mix of properties that characterises the 'Old English' competence pool. Some properties that can be found in one pool are absent in the other, and of those which are present in both some will be distributed differently. We assume that these differences are due to 'language change'. This implies that some causal link can be established between the 'Old English' competence pool on the one hand and the 'Present Day English' pool on the other. Most probably, such a link is established via behavioural and textual manifestations of language, as well as by competences of 'intermediate' stages of English. It is supposed that temporally later competences assume their characteristic properties by interpreting the textual output produced on the basis of earlier competences. Linguistic change happens because later competences do not always appear to assume quite the same properties as earlier competences. Thereby, the mix of properties that characterises the competence pool of a speech community is continually altered --- albeit only slightly --- as one new competence after the other assumes first its adult, and ultimately its final state. At the same time earlier competences are continually removed from the pool as the speakers who host them die. Over time, these processes may amount to such differences as those which distinguish 'Present Day English' from 'Old English'. This, then, is what we refer to when we say that 'Old English' has become, or changed into 'Present Day English'.


 Ritt は「言語能力素の一溜まりが宿主である話者に寄生している」という言語観をもっている.ここから,言語変化についても独特な見方をもつに至った.言語項を "meme" に見立てる Neo-Darwinian 的な言語観については,以下の記事も参考にされたい.

 ・ 「#1402. 英語が千年間,母音を強化し子音を弱化してきた理由」 ([2013-02-27-1])
 ・ 「#1403. drift を合理的に説明する Ritt の試み」 ([2013-02-28-1])
 ・ 「#3215. ドーキンスと言語変化論 (1)」 ([2018-02-14-1])
 ・ 「#3216. ドーキンスと言語変化論 (2)」 ([2018-02-15-1])
 ・ 「#3217. ドーキンスと言語変化論 (3)」 ([2018-02-16-1])

 ・ Ritt, Nikolaus. Selfish Sounds and Linguistic Evolution: A Darwinian Approach to Language Change. Cambridge: CUP, 2004.

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2019-11-03 Sun

#3842. 言語変化の原因の複雑性と多様性 [language_change][causation][multiple_causation]

 本ブログでは言語変化の原因 (causation) に関する問題を様々に論じてきた.特に,たいていの変化には複数の込み入った要因があるとして,multiple_causation の原則を主張してきた.たとえば以下の記事である.

 ・ 「#443. 言語内的な要因と言語外的な要因はどちらが重要か?」 ([2010-07-14-1])
 ・ 「#1232. 言語変化は雨漏りである」 ([2012-09-10-1])
 ・ 「#1233. 言語変化は風に倒される木である」 ([2012-09-11-1])
 ・ 「#1582. 言語内的な要因と言語外的な要因はどちらが重要か? (2)」 ([2013-08-26-1])
 ・ 「#1584. 言語内的な要因と言語外的な要因はどちらが重要か? (3)」 ([2013-08-28-1])
 ・ 「#1977. 言語変化における言語接触の重要性 (1)」 ([2014-09-25-1])
 ・ 「#1978. 言語変化における言語接触の重要性 (2)」 ([2014-09-26-1])
 ・ 「#1986. 言語変化の multiple causation あるいは "synergy"」 ([2014-10-04-1])
 ・ 「#3152. 言語変化の "multiple causation"」 ([2017-12-13-1])
 ・ 「#3271. 言語変化の multiple causation 再考」 ([2018-04-11-1])
 ・ 「#3355. 言語変化の言語内的な要因,言語外的な要因,"multiple causation"」 ([2018-07-04-1])
 ・ 「#3377. 音韻変化の原因2種と結果3種」 ([2018-07-26-1])

 言語変化にかかわらず,何事においても原因と結果の関係を探るのは難しい.因果関係とは複雑で多様なものだからだ.ほとんどの場合,シンプルな1つの答えがあるわけではない.これについて,『論証のルールブック』を著わしたウェストン (90--91) による説得力のある文章を読んでみよう.「因果関係は複雑だ」という題の文章だ(原著の傍点は以下で下線にしてある).

 幸福だが結婚していない人は多いし,結婚しているが幸福でない人も多い.だからといって,一般に結婚は幸福に影響しないということではない.幸福か不幸か(そして,結婚か独身か)には原因がたくさんあるのだ.一つの相関関係がすべてではない.ここで問題になるのは,それぞれの原因の重要度の違いである.
 一部の E1 が一部の E2 の原因であると主張するとき,E1 が E2 を引き起こさない場合があること,あるいは別の原因が E2 を引き起こす場合があることは,必ずしも反例とはいえない.たんに E1しばしばあるいは一般に E2 を引き起こすと主張しているだけだからだ.つまり,他の原因はそれほど一般的ではない,あるいは E1 は E2主要な原因の一つであり,全体からすれば複数の原因があり,他にも主要な原因があるかもしれない,というわけだ.世の中にはタバコを一本も吸わないのに肺がんになる人もいれば,一日三箱吸いつづけても病気とは無縁の人もいる.両者とも医学的には興味をそそられるし重要な例だが,いずれにしろ,タバコが肺がんを引き起こす第一の原因なのは変わらぬ事実だ.
 たくさんの異なる原因があいまって影響を及ぼしている.たとえば,地球温暖化にはさまざまな原因があり,その一部には太陽の活動の変化など自然的なものもあるが,だからといって人間が原因ではないとはいえない.何度もいうが,因果関係は複雑なのだ.多種多様な要因が働いている(じつのところ,太陽の活動もまた温暖化に一役買っているのならば,それは人間活動が及ぼしている影響を減じるさらなる根拠となるだろう).
 原因と結果は循環構造にあるのかもしれない.映画会社の独立性は創造性をもたらすかもしれないが,逆に創造性のある映画製作者はそもそも独立性を求め,それがさらなる創造性をもたらす,というループ状になっているわけだ.より自由な活動を求めるがゆえに創造性と独立性の両方を求めることもあるだろうし,とてもすばらしいアイデアを持っていて大会社に売りたくないということもあるだろう.ことほどさように,因果関係は複雑だ.


 言語変化の原因を考慮する際の教訓としたい.

 ・ ウェストン,アンソニー(著),古草 秀子(訳) 『論証のルールブック』第5版 筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉,2019年.

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2019-07-21 Sun

#3737. 「今日の不規則は昨日の規則」 --- 歴史形態論の原則 [morphology][language_change][reconstruction][comparative_linguistics][indo-european][sobokunagimon][3ps][plural][conjugation]

 標題は,英語の歴史形態論においても基本的な考え方である.現代英語で「不規則」と称される形態的な現象の多くは,かつては「規則」の1種だったということである.しばしば逆もまた真なりで,「今日の規則は昨日の不規則」ということも多い.規則 (regular) か不規則 (irregular) かという問題は,共時的には互いの分布により明らかに区別できることが多いので絶対的とはいえるが,歴史的にいえばポジションが入れ替わることも多いという点で相対的な区別である.
 この原則を裏から述べているのが,次の Fortson (69--70) の引用である.比較言語学 (comparative_linguistics) の再建 (reconstruction) の手法との関連で,教訓的な謂いとなっている.

A guiding principle in historical morphology is that one should reconstruct morphology based on the irregular and exceptional forms, for these are most likely to be archaic and to preserve older patterns. Regular or predictable forms (like the Eng. 3rd singular present takes or the past tense thawed) are generated using the productive morphological rules of the language, and have no claim to being old; but irregular forms (like Eng. is, sang) must be memorized, generation after generation, and have a much greater chance of harking back to an earlier stage of a language's history. (The forms is and sang, in fact, directly continue forms in PIE itself.


 英語において不規則な現象を認識したら「かつてはむしろ規則的だったのかもしれない」と問うてみるとよい.たいてい歴史的にはその通りである.逆に,普段は何の疑問も湧かない規則的な現象に思いを馳せてみてほしい.場合によっては,それはかつての不規則な現象が,どういうわけか歴史の過程で一般化し,広く受け入れられるようになっただけかもしれないと.ここに歴史言語学的発想の極意がある.もちろん,この原則は英語にも,日本語にも,他のどの言語にもよく当てはまる.
 「今日の不規則は昨日の規則」の例は,枚挙にいとまがない.上でも触れた例について,英語の歴史から次の話題を参照.

 ・ 「不規則」な名詞の複数形 (ex. feet, geese, lice, men, mice, teeth, women) (cf. 「#3638.『英語教育』の連載第2回「なぜ不規則な複数形があるのか」」 ([2019-04-13-1]))
 ・ 「不規則」な動詞の活用 (ex. sing -- sang -- sung) (cf. 「#3670.『英語教育』の連載第3回「なぜ不規則な動詞活用があるのか」」 ([2019-05-15-1]))
 ・ 3単現の -s (cf. 英語史連載第2回「なぜ3単現に -s を付けるのか?」)

 ・ Fortson IV, Benjamin W. "An Approach to Semantic Change." Chapter 21 of The Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Blackwell, 2003. 648--66.

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2019-05-07 Tue

#3662. "Recency Illusion" と "Frequency Illusion" [language_myth][language_change][frequency]

 現在進行中の言語変化を語るときに,よく「新しい変化」「最近の変化」と呼ぶことがある.日本語でいえば「ら抜き言葉」が典型例だが,この言語変化は決して新しくはない.「#2132. ら抜き言葉,ar 抜き言葉,eru 付け言葉」 ([2015-02-27-1]) で触れたように,東京では昭和初期から記録があり,おそらく大正期から起こり始めていた.英語に関しても,たとえば often の /t/ が発音されるようになってきたことが現在進行中の変化として注目されるが,/t/ 入りの発音そのものは中世以来連綿と続いてきたのであり,厳密にいえば「新しい変化」とは呼びにくい.いずれの例も,現在も進行中の変化ではあるには違いないが,現代に始まった変化ではない.数十年以上,場合によっては数世紀以上前から継続している変化ともいえ,前史をもっているのである(cf. 「#860. 現代英語の変化と変異の一覧」 ([2011-09-04-1])).
 一般的にいえば,多くの人々が新しい変化とみなしているものは,たいていすでにそれなりの歴史のある古い変化である.言語変化に常にアンテナを張っている言語学者ですら,しばしばこの罠の餌食になる.Arnold Zwicky はこの罠を "the Recency Illusion" と呼んだ.実に言い得て妙だ.Denison (158) が Zwicky による"Just Between Dr. Language and I" と題する記事から次の一節を引いている.

[...] the Recency Illusion, the belief that things YOU have noticed only recently are in fact recent. This is a selective attention effect. Your impressions are simply not to be trusted; you have to check the facts. Again and again---retro not, double is, speaker-oriented hopefully, split infinitives, etc.---the phenomena turn out to have been around, with some frequency, for very much longer than you think. It's not just Kids These Days. Professional linguists can be as subject to the Recency Illusion as anyone else.


 関連して,Zwicky は "Frequency Illusion" にも言及している.

[...] Another selective attention effect, which tends to accompany the Recency Illusion, is the Frequency Illusion: once you've noticed a phenomenon, you think it happens a whole lot, even "all the time." Your estimates of frequency are likely to be skewed by your noticing nearly every occurrence that comes past you. People who are reflective about language---professional linguists, people who set themselves up as authorities on language, and ordinary people who are simply interested in language---are especially prone to the Frequency Illusion.


 言語においてはしばしば「新しい変化は思ったより古い変化」であり,「頻繁な現象は思ったより稀な現象」(これについては,逆もまた真なり)であることを銘記しておきたい.

 ・ Denison, David. "Word Classes in the History of English" Chapter 13 of Approaches to Teaching the History of the English Language: Pedagogy in Practice. Introduction. Ed. Mary Heyes and Allison Burkette. Oxford: OUP, 2017. 157--71.
 ・ Zwicky, Arnold. "Just between Dr. Language and I." Language Log. 2005. Accessed May 4, 2006, http://itre.cis.upenn.edu/~myl/languagelog/archives/002386.html .

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2019-03-19 Tue

#3613. 今後の言語変化論の課題 --- 通時的タイポロジーという可能性 [language_change][methodology][typology][diachrony][contact][speed_of_change][hisopra][contrastive_language_history]

 『言語の事典』をパラパラめくっていて「言語変化」の章の最後に「通時的タイポロジー」という節があった.英語でいえば,"diachronic typology" ということだが,あまり聞き慣れないといえば聞き慣れない用語である.読み進めていくと,今後の言語変化論にとっての課題が「通時的タイポロジー」の名の下にいくつか列挙されていた.主旨を取り出すと,以下の4点になろうか.

 (1) 19世紀以来の歴史言語学(特に比較言語学)は,分岐的変化に注目しすぎるあまり,収束的変化を軽視してきたきらいがある
 (2) 斉一論を採用するならば,共時態におけるタイポロジーを追究することによって通時態におけるタイポロジーの理解へと進むはずである
 (3) 言語変化の速度という観点が重要
 (4) 言語変化しにくい特徴に注目してタイポロジーを論じる視点が重要

 いずれも時間的・空間的に広い視野をもった歴史言語学の方法論の提案である.それぞれを我流に解釈すれば,(1) は歴史言語学における言語接触の意義をもっと評価せよ,ということだろう.
 (2) の斉一論 (uniformitarian_principle) に基づく主張は「通時タイポロジー」の理論的基盤となり得る強い主張だが,言語変化の様式の普遍性を目指すと同時に,そこではすくい取れない個別性に意識的に目を向ければ,それは「通時対照言語学」に接近するだろう.こちらも可能性が開けている.
 (3) と (4) は関連するが,言語変化しやすい(あるいは,一旦変化し始めたら素早く進行するもの)か否かという観点から,言語項や諸言語を分類してみるという視点である.これは確かに新しい視点である.本ブログでも,言語変化の速度については speed_of_changeschedule_of_language_change で様々に論じてきたが,おおいに可能性のある方向性ではないかと考えている.
 タイポロジー(類型論)と対照言語学という2分野は,力点の置き方の違いがあるだけで実質的な関心は近いと見ているが,そうすると「通時的タイポロジー」と「通時的対照言語学」も互いに近いことになる.これらは,近々に開催される HiSoPra* の研究会でこれまで提起されてきた「対照言語史」の考え方にも近い.

 ・ 乾 秀行 「言語変化」『言語の事典』 中島 平三(編),朝倉書店,2005年.560--82頁.

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2018-12-31 Mon

#3535. 「ざんねんな言語」という見方もあってよい [language_change][evolution][biology]

 今泉 忠明 (監修)『「おもしろい!進化のふしぎ ざんねんないきもの事典』(高橋書店,2016年)などの,ちょっと間抜けな生物を扱った本が受けているようだ.最近,宣伝が出ていて気になったのが,芝原 暁彦(監修)・土屋 健(著)『おしい!ざんねん!!会いたかった!!!あぁ,愛しき古生物たち --- 無念にも滅びてしまった彼ら ---』(笠倉出版社,2018年)である.
 うならせるほどの奇妙な形態のオパビニア,背中の帆の役割が今もってはっきりしないディメトロドン,宇宙人さながらのマルレラなど,どうしてこんな風に進化したのだろうと想像すると興味がつきない.120種類の古生物が,愛らしいイラストと笑えるコメントをもって紹介されている.
 サイエンスライターの著者が「おわりに」 (pp. 156--67) で次のように述べているのが目を引いた.

 そもそも「進化」とは,どのようなものなのでしょうか?
 簡単に言えば,それはこういうものです.
 「変化が世代を超えて受け継がれていくこと」
 もっと簡単に言えば,「進化とは変化」です.そこにはポジティブな意味も,ネガティブな意味もありません.ただ単純な「変化」なのです.
 さまざまな変化が受け継がれることで,生命は多様化していき,「ちょっ!なんで,こんな生き物になったの!」とも思える愛すべき生物をたくさん生み出してきたのです.


 この文章は,「生物」を「言語」に変えても,ほぼそのまま理解することができる.

 そもそも「(言語の)進化」とは,どのようなものなのでしょうか?
 簡単に言えば,それはこういうものです.
 「変化が世代を超えて受け継がれていくこと」
 もっと簡単に言えば,「進化とは変化」です.そこにはポジティブな意味も,ネガティブな意味もありません.ただ単純な「変化」なのです.
 さまざまな変化が受け継がれることで,言語は多様化していき,「ちょっ!なんで,こんな言葉になったの!」とも思える愛すべき言語をたくさん生み出してきたのです.


 「変化が世代を超えて受け継がれていく」という部分については,生成文法の子供基盤仮説の立場からは反論や修正意見が出されるかもしれないが,緩く解釈すれば,このまま理解できる.言語変化は価値観を伴わないただの変化であり,その結果として多種多様な,ときに驚異的な特徴をもつ愛すべき諸言語が生まれてきたのである.
 「ざんねんな言語」と名指ししたら,その話者に怒られそうだが,この「ざんねんな」は生物の場合と同じように相対主義を前提としての愛情と敬意のこもった修飾語であり,むしろ賛辞だと信じている.日本語も英語も,いろいろと「ざんねんな」部分はあるのだろうが,そこがまた愛しいのだろう.言語の「ざんねん」本もいろいろ出てくるとおもしろそうだなあと夢想する.
 言語変化の価値中立性については「#1382. 「言語変化はただ変化である」」 ([2013-02-07-1]),「#2525. 「言語は変化する,ただそれだけ」」 ([2016-03-26-1]),「#2544. 言語変化に対する三つの考え方 (3)」 ([2016-04-14-1]),「#3354. 「言語変化はオフィスの整理である」」 ([2018-07-03-1]),「#3529. 言語は進歩しているのか,堕落しているのか?」 ([2018-12-25-1]) を参照.

 ・ 芝原 暁彦(監修)・土屋 健(著)『おしい!ざんねん!!会いたかった!!!あぁ,愛しき古生物たち --- 無念にも滅びてしまった彼ら ---』(笠倉出版社,2018年)

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2018-12-26 Wed

#3530. 言語変化は「社会的に望ましい」方向に進んでいるのか否か? [language_change][sociolinguistics]

 昨日の記事「#3529. 言語は進歩しているのか,堕落しているのか?」 ([2018-12-25-1]) に続いての話題.Aitchison は,「完璧な言語」が規定できない以上,言語が進歩しているのか堕落しているのかを判断することはできないと論じた.その議論の後,では,価値観を伴った「進歩」や「堕落」という用語は横に置いておき,言語が何かしら一定の方向へ変化し続けているという証拠はあるのだろうかと問題を設定し直した.しかし,特に一定方向に変化している証拠はないという結論に至る.ということは,言語変化については,「進歩」と「堕落」の対立はおろか,「良い」と「悪い」の対立もなければ,「上」と「下」も,「左」も「右」も何もないということになる.ただただ変化するのが言語である,と.
 ところが,議論の最後で Aitchison (246) は「いくつかの場合には,言語変化は社会的に望ましくないことがある」と述べている.

   Continual language change is natural and inevitable, and is due to a combination of psycholinguistic and sociolinguistic factors.
   Once we have stripped away religious and philosophical preconceptions, there is no evidence that language is either progressing or decaying. Disruption and therapy seem to balance one another in a perpetual stalemate. These two opposing pulls are an essential characteristic of language.
   Furthermore, there is no evidence that languages are moving in any particular direction from the point of view of language structure---several are moving in contrary directions.
   Language change is in no sense wrong, but it may, in certain circumstances, be socially undesirable. Minor variations in pronunciation from region to region are unimportant, but change which disrupts the mutual intelligibility of a community can be socially and politically inconvenient. If this happens, it may be useful to encourage standardization --- the adoption of a standard variety of one particular language which everybody will be able to use, alongside the existing regional dialects or languages. Such a situation must be brought about gradually, with tact and care, since a population will only adopt a language or dialect it wants to speak.

   
 Aitchison は,「完璧な言語」が規定できないために「進歩・堕落」という対立は無意味であると論じた.しかし,「社会的に望ましい・望ましくない」という対立はあり得ると認めているということは,「社会的に望ましい言語」が規定できていることになる.しかし,それを規定することは「完璧な言語」の規定と同じくらい難しいように思われるのだが,どうだろうか.
 時代や地域によって,また個々の言語共同体によって,「社会的に望ましい」言語の姿は異なるだろう.標題も,あくまで相対的な問題設定のように思われる.

 ・ Aitchison, Jean. Language Change: Progress or Decay. 4th ed. Cambridge: CUP, 2013.

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2018-12-25 Tue

#3529. 言語は進歩しているのか,堕落しているのか? [language_change][language_equality]

 言語変化論の入門書として定評のある Language Change: Progress or Decay を著わした Aitchison は,いったい言語変化は進歩なのか,あるいは堕落なのかという問題について様々な角度から議論している.その最終章で,著者は進歩でも堕落でもないと結論づける.その理由は,進歩なり堕落なりという概念には「目指すべき完璧なゴール」の存在が前提とされるが,言語においてそれが何なのかについて一致した見解がないからだ.つまり,「完璧な言語」というものが規定できさえすれば,現実の言語変化がそれに向かっているならば「進歩」であり,逆であれば「堕落」であると述べることもできるだろう.しかし「完璧な言語」がいかなるものかについての共通の了解がない限り,進歩とも堕落とも判断できないはずだ.
 それでも仮に「完璧な言語」を,最大限に単純で効率的にコミュニケーションをこなせる言語と考えることは可能かもしれない.だが,その場合にも大きな問題が立ちはだかる.まず,何をもって言語の単純さ(あるいは複雑さ)を計測するのかという問題がある(cf. 「#293. 言語の難易度は測れるか」 ([2010-02-14-1]) や「#1839. 言語の単純化とは何か」 ([2014-05-10-1]),「#2820. 言語の難しさについて」 ([2017-01-15-1])).同じく,効率的なコミュニケーションといっても計測が難しい.
 直接 Aitchison (237--38) の議論に耳を傾けよう.この辺りの事情が上手に表現されている.

The term 'progress' implies a movement towards some desired endpoint. What could this be, in terms of linguistic excellence? A number of linguists are in no doubt. They endorse the view of Jespersen, who maintained that 'that language ranks highest which goes farthest in the art of accomplishing much with little means, or, in other words, which is able to express the greatest amount of meaning with the simplest mechanism'.
   If this criterion were taken seriously, we would be obliged to rank pidgins as the most advanced languages. As we have already noted, true simplicity seems to be counterbalanced by ambiguity and cumbersomeness. Darwin's confident belief in the 'inherent virtue' of shorter and easier forms must be set beside the realization that such forms often result in confusing homonyms, as in the Tok Pisin hat for 'hot', 'hard', 'hat' and 'heart'.
   A straightforward simplicity measure then will not necessarily pinpoint the 'best' language. A considerable number of other factors must be taken into account, and it is not yet clear which they are, and how they should be assessed. In brief, linguists have been unable to decide on any clear measure of excellence, even though the majority are of the opinion that a language with numerous irregularities should be less highly ranked than one which is economical and transparent. However, preliminary attempts to rank languages in this way have run into a further problem.
   A language which is simple and regular in one respect is likely to be complex and confusing in others. There seems to be a trading relationship between the different parts of the grammar which we do not fully understand. This has come out clearly in the work of one researcher who compared the progress of Turkish and Serbo-Croatian children as they acquired their respective languages. Turkish children find it exceptionally easy to learn the inflections of their language, which are remarkably straightforward, and they master the entire system by the age of two. But the youngsters struggle with relative clauses (the equivalent of English clauses beginning with who, which, that) until around the age of five. Serbo-Croatian children, on the other hand, have great problems with the inflectional system of their language, which is 'a classic Indo-European synthetic muddle', and they are not competent at manipulating it until around the age of five. Yet they have no problems with Serbo-Croatian relative clauses, which they can normally cope with by the age of two.
   Overall, we cannot yet specify satisfactorily just what we mean by a 'perfect' language, except in a very broad sense. The most we can do is to note that a certain part of one language may be simpler and therefore perhaps 'better' than that of another.


 言語は進歩もしていなければ,堕落もしていない.ただただ変化しているのだ.関連して「#1382. 「言語変化はただ変化である」」 ([2013-02-07-1]),「#2525. 「言語は変化する,ただそれだけ」」 ([2016-03-26-1]),「#2544. 言語変化に対する三つの考え方 (3)」 ([2016-04-14-1]),「#3354. 「言語変化はオフィスの整理である」」 ([2018-07-03-1]) の記事も参照.

 ・ Aitchison, Jean. Language Change: Progress or Decay. 4th ed. Cambridge: CUP, 2013.

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2018-12-16 Sun

#3520. 「外適応」を巡る懐疑論 [exaptation][terminology][language_change]

 「#2152. Lass による外適応」 ([2015-03-19-1]) やその他の記事で紹介してきたように,近年の言語変化論では外適応 (exaptation) という用語・概念がしばしば聞かれる.Lass が進化生物学から言語学に取り込んだタームだが,その定義や有用性を巡って,賛否両論さまざまな意見が交わされてきた.Lass は屈折形態論における変化を説明するために外適応を持ち出したのだが,その考えが広まるにつれて,統語変化への適用可能性も指摘されるようになってきた.しかし,外適応の言語学への応用に懐疑的な論者も多い.Velde and Norde (1) によれば,懐疑派の論点は3つある.
 まず,進化生物学の概念を言語学に応用するのは,一般的にいって賢明ではないという立場がある.生物進化と言語変化の間には相当に深い溝があり,やすやすと比較すべきではないという考え方だ.これは,言語学者のなかには,Schleicher の言語有機体に代表される19世紀の「言語=生物」という言語観へと回帰してしまうのではないかと不安を覚える者がいることを示唆しているかもしれない.
 次に,そもそも進化生物学の領域においてすら,外適応は有効な概念ではないという意見がある.Lass は進化生物学をよく理解しないままに,拙速に概念を言語学に応用してしまったのではないかという批判である.
 3つめに,外適応の事例とされる言語変化は,すでに他の用語や概念で十分にカバーできるものであり,新しいタームを導入する必要性はないという批判がある.例えば,古くから提案されてきたものや比較的最近のものを含めて関係の深い用語を挙げれば,regrammaticalization, degrammaticalization, functional renewal, hypoanalysis, renovation, morphologization/grammaticalization-from-below, lateral shift, refunctionalization and adfunctionalization, demorphologization, morphosyntactic emancipation, regrammation, secretion などキリがない (Velde and Norde 10--11) .ここに新たにタームを加えて混乱させるのは,いかがなものか,という意見だ.
 言語変化論にとって外適応はどのように位置づけられるべきか.関心のある向きは,Norde and Velde によって編まれた外適応を巡る諸問題を論じた本格的な論文集があるので,そちらを参照されたい.

 ・ Velde, Freek Van de and Muriel Norde. "Exaptation: Taking Stock of a Controversial Notion in Linguistics." Exaptation and Language Change. Ed. Muriel Norde and Freek Van de Velde. Amsterdam: Benjamins, 2016. 1--35.

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2018-11-27 Tue

#3501. 1552年と1662年の祈祷書の文法比較 [book_of_common_prayer][bible][emode][3sp][personal_pronoun][t/v_distinction][relative_pronoun][be][language_change]

 1549年,Thomas Crammer の編纂した The Book of Common Prayer (祈祷書)が世に出た.1552年には,その改訂版が出されている.この祈祷書の引用元となっているのは1539年の the Great Bible である.一方,およそ1世紀後,王政復古期の1662年に,別版の祈祷書が出版された.現在も一般に用いられているこちらの新版は,1611年の the King James Bible に基づいており,言語的にはむしろ保守的である.つまり,1552年版と1662年版の祈祷書を比べてみると,後者のほうが年代としては100年余り遅いにもかかわらず,言語的には前者よりも古い特徴を示すことがあるということだ.ただし,全部が全部そうなのではなく,後者が予想通り,より新しい特徴を示している例もあり複雑だ.
 Gramley (144) は,Nevalainen (1998) の研究を参照しながら,5点の文法項目を比較している.

feature15521662
3rd person singular endingmixed {-th} and {-s}reversion to {-th}
2nd person singular personalthou/thee but some ye/youlargely a return to thou/thee
nominative ye/youboth ye and youlargely a return to ye
nominative which/who56 who vs. 129 which172 who vs. 13 which
present tense plural be/are52 are vs. 105 be125 are vs. 32 be


 最初の3点は1662年版のほうがむしろ古風な特徴を保持しているケース,最後の2点は時代に即した分布を示しているようにみえるケースだ.2つのケースの違いは,前者が意識的な変化 ("change from above") の結果であり,後者が無意識的な変化 ("change from below") の結果であるとして説明することができるかもしれない.口頭の発話が意図されている文脈ではより新しい語法が用いられているという報告もあるので,おそらく文体の問題と1世紀の間の言語変化の問題とが複雑に絡み合って,それぞれの表現が選ばれているのだろう.聖書を用いた通時言語学的比較は,おおいに注意を要する作業である.
 祈祷書については,「#745. 結婚の誓いと wedlock」 ([2011-05-12-1]),「#1803. Lord's Prayer」 ([2014-04-04-1]),「#2738. Book of Common Prayer (1549) と King James Bible (1611) の画像」 ([2016-10-25-1]),「#2597. Book of Common Prayer (1549)」 ([2016-06-06-1]) を参照.

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
 ・ Nevalainen, T. "Change from Above. A Morphosyntactic Comparison of Two Early Modern English Editions of The Book of Common Prayer." A Reader in Early Modern English. Ed. M. Rydé, I. Tieken-Boon van Ostade, and M. Kytö. Frankfurt: Lang, 165--86.

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2018-07-16 Mon

#3367. 種類,選択,変化 --- 社会言語学の3つの前提 [variation][language_change][sociolinguistics]

 石黒が社会言語学の入門書で,「社会言語学の大切な前提」として (1) 種類,(2) 選択,(3) 変化の3点を挙げている.実に分かりやすい.石黒 (45) のまとめの文章を引用すると,

(1) 種類……言葉は,話し手や聞き手,状況や伝達方法に合った多様な種類がある.
(2) 選択……言葉は,話し手がそうした多様な種類のなかから選ぶものである.
(3) 変化……言葉は,多様な種類のなかから多数の話し手が取捨選択を重ねた結果,社会的に変化する.


 英語でいえば,(1) variation, (2) selection, (3) change といったところだろう.これは確かに variationist を標榜する社会言語学の前提ではあるが,同時に言語変化論における前提でもある.
 言語変化 (language_change) に先だって,まず (1) variation や variants が存在していなければならない(cf. 「#1040. 通時的変化と共時的変異」 ([2012-03-02-1]),「#1426. 通時的変化と共時的変異 (2)」 ([2013-03-23-1]),「#2574. 「常に変異があり,常に変化が起こっている」」 ([2016-05-14-1])).
 次に,話者(集団)がそれらの variants の選択肢のなかからいずれかを選び取る (2) selection の過程がある.
 そして,選択,採用,採択など呼び方は様々だが,この過程を経て真の意味での (3) change が生じることになるのだ(cf. 「#1056. 言語変化は人間による積極的な採用である」 ([2012-03-18-1]) と「#2139. 言語変化は人間による積極的な採用である (2)」 ([2015-03-06-1])).
 この3つの前提は,「#2012. 言語変化研究で前提とすべき一般原則7点」 ([2014-10-30-1]) で取り上げた Weinreich et al. の掲げる諸原則ともおおいに重なる.

 ・ 石黒 圭 『日本語は「空気」が決める 社会言語学入門』 光文社〈光文社新書〉,2013年.
 ・ Weinreich, Uriel, William Labov, and Marvin I. Herzog. "Empirical Foundations for a Theory of Language Change." Directions for Historical Linguistics. Ed. W. P. Lehmann and Yakov Malkiel. U of Texas P, 1968. 95--188.

Referrer (Inside): [2021-06-18-1]

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2018-07-03 Tue

#3354. 「言語変化はオフィスの整理である」 [language_change]

 Aitchison (238--39) は,言語変化は "Progress or Decay" のいずれかかという題を掲げる著書のなかで,標題の比喩を持ち出している.

[E]ven if all agreed that a perfectly regular language was the 'best', there is no evidence that languages are progressing towards this ultimate goal. Instead, there is a continuous pull between the disruption and the restoration of patterns. In this perpetual ebb and flow, it would be a mistake to regard pattern neatening and regularization as a step forwards. Such an occurrence may be no more progressive than the tidying up of a cluttered office. Reorganization simply restores the room to a workable state. Similarly, it would be misleading to assume that pattern disruption was necessarily a backward step. Structural dislocation may be the result of extending the language in some useful way.
   We must conclude therefore that language is ebbing and flowing like the tide, but neither progressing nor decaying, as far as we can tell. Disruptive and therapeutic tendencies vie with one another, with neither one totally winning or losing, resulting in a perpetual stalemate. As the famous Russian linguist Roman Jakobson said over fifty years ago: 'The spirit of equilibrium and the simultaneous tendency towards its rupture constitute the indispensable properties of that whole that is language.'


 結論としては,言語変化は進歩でも堕落でもなく,「ちらかったオフィスの整理」の作業にすぎないという.オフィスの整理はオフィスの使い勝手の良さを保つのに貢献するが,その作業自体が進歩であるとか堕落であるとかいうことは意味をなさない.仕事をしていれば,オフィスがちらかっていくのは必定である.それを定期的に機能的な状態へ回復することは重要である.しかし,回復した秩序も,時間とともに再び乱れていく.そして,また整理する.この繰り返しにすぎない.進歩でも堕落でもなく,永遠のサイクルだ.
 言語変化「#1382. 「言語変化はただ変化である」」 ([2013-02-07-1]),「#2525. 「言語は変化する,ただそれだけ」」 ([2016-03-26-1]),「#2544. 言語変化に対する三つの考え方 (3)」 ([2016-04-14-1]) で述べた言語観にも近いが,言語変化はただのオフィスの整理作業なのである.

 ・ Aitchison, Jean. Language Change: Progress or Decay. 4th ed. Cambridge: CUP, 2013.

Referrer (Inside): [2018-12-31-1] [2018-12-25-1]

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