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language_change - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-12-23 11:02

2015-03-06 Fri

#2139. 言語変化は人間による積極的な採用である (2) [neolinguistics][language_change][causation][history_of_linguistics]

 「#1069. フォスラー学派,新言語学派,柳田 --- 話者個人の心理を重んじる言語観」 ([2012-03-31-1]),「#2013. イタリア新言語学 (1)」 ([2014-10-31-1]),「#2014. イタリア新言語学 (2)」 ([2014-11-01-1]),「#2020. 新言語学派曰く,言語変化の源泉は "expressivity" である」 ([2014-11-07-1]),「#2021. イタリア新言語学 (3)」 ([2014-11-08-1]),「#2022. 言語変化における個人の影響」 ([2014-11-09-1]) で,イタリア新言語学派 (neolinguistics) の言語思想を紹介してきた.コセリウもこの学派の影響を多分に受けた言語学者の1人であり,「#1056. 言語変化は人間による積極的な採用である」 ([2012-03-18-1]) と喝破した.この主張を,コセリウ自身に語らしめよう(以下,原文の圏点は太字に置き換えてある).

話し手によって話されたことが――言語的様式として――対話に用いている言語の中の既存のモデルからはずれる,そのすべての場合を改新と呼んでよい.また,聞き手の側が,その後の表現のためのモデルとして,ある改新を受容すれば,これを採用と呼んでよい.(118)

言語変化(「言語における変化」)とは,ある改新の拡散もしくは一般化であり,したがって必然的に,あいついで生じる一連の採用である.すなわち,あらゆる変化は,帰するところ,採用である. (119)

さて,採用は改新とは本質的に異なる行為である.言語行為のその状況と目的とによって限定されているかぎり,改新は,この語のきわめて厳密な意味において「パロールの事実」であり,したがって言語ラングの使用に属している.ところが,採用の方は――未来の行為を考慮にいれた,新しい形態,変種,選択様式の獲得であるから――「言語ラングの事実」の制定であり,経験を「知識」へと再編することである.つまり,採用とは言語を学ぶことであり,言語活動のまにまにそれを「再編」することである.改新とは言語ラングをのりこえることであり,採用とはデュミナス(言語的知識)としての言語をそれ自らの超克に適合させることである.改新も採用も,言語によって条件づけられてはいる.ただし両者のとる方向は逆である.さらに,改新は生理的な「原因」(整理の必然が自由を阻止するかたちで)をさえも持つことがあるのに,採用の方は――ある言語的モデルや表現の可能性の獲得,変形やとりかえのように――ひとえに精神的活動である.したがって文化的,美的,あるいは機能的といった,もっぱら目的にかかわる限定だけしか持ち得ない. (119--20)

採用は常に表現の必要に応じて行われる.その必要とは,文化的,社会的,審美的,機能的いずれかのものであり得る.聞き手は,それが自分の知らないもの,美的に満足させてくれるもの,自分の社会的たちばをよくしてくれるものであったり,機能的に役に立ってくれるようなものならば,採用する.「採用」とは,したがって,文化の行為でもあれば,好みによる行為でもあり,また実用的な見識の行為でもある. (130)


 ここでは「改新」は変化の種にすぎず,変化が真の意味で変化と呼ばれ得るのはそれが「採用」されたときであると説かれている.「#1466. Smith による言語変化の3段階と3機構」 ([2013-05-02-1]) の用語でいえば,この「改新」は potential for change すなわち variant の発現に対応し,「採用」は implementation に対応するだろう.引用の全体にわたって,イタリア新言語学の言語思想が色濃く反映されていることがわかる.

 ・ E. コセリウ(著),田中 克彦(訳) 『言語変化という問題――共時態,通時態,歴史』 岩波書店,2014年.

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2015-03-01 Sun

#2134. 言語変化は矛盾ではない [saussure][diachrony][language_change][causation][methodology][linguistics]

 最近,言語学者コセリウの言語変化論が新しく邦訳された.言語変化を研究する者にとってコセリウのことばは力強い.著書は冒頭 (19) で「言語変化という逆説」という問題に言及している(以下,傍点を太字に替えてある).

言語変化という問題は,あきらかに一つの根本的な矛盾をかかえている.そもそも,この問題を原因という角度からとりあげて,言語はなぜ変化するのか(まるで変化をしてはならないかのように)と問うこと自体,言語には本来そなわった安定性があるのに,生成発展がそれを乱し,破壊すらしてしまうのだと言いたげである.生成発展は言語の本質に反するのだと.まさにこのことが言語の逆説であるとも言われる.


 この矛盾の源が,ソシュールの共時態と通時態の2分法にあることは明らかである.「#1025. 共時態と通時態の関係」 ([2012-02-16-1]) と「#1076. ソシュールが共時態を通時態に優先させた3つの理由」 ([2012-04-07-1]) で触れたとおり,ソシュールは言語研究における共時態を優先し,通時態は自らのうちに目的をもたないと明言した.以来,多くの言語学者がソシュールに従い,言語の本質は静的な体系であり,それを乱す変化というものは言語にとって矛盾以外の何ものでもないと信じてきたし,同時に不思議がってもきた.
 コセリウ (22--23) は,この伝統的な言語変化矛盾論に真っ向から対抗する.コセリウによる8点の明解な指摘を引用しよう.

(a) 言語変化について言いふらされているこの逆説なるものは実際には存在せず,根本的には,はっきり言うか言わないかのちがいはあるが,言語(ラング)と「共時的投影」とを同じものと考えてしまう誤りから生ずるにすぎないこと.(b) 言語変化という問題は原因の角度からとりあげることはできないし,またそうすべきでもないこと.(c) 上に引いた主張は確かな直感にもとづいてはいるが,あいまいでどうにもとれるような解釈にゆだねられてしまったために,ただただ研究上の要請でしかないものを対象のせいにしていること.上のような主張をなす著者たちがどうにも避けがたく当面してしまう矛盾はすべてここから生じること.(d) はっきり言えば,共時態―通時態の二律背反は対象のレベルにではなく,研究のレベルに属するものであって,言語そのものにではなく,言語学にかかわるものであること.(e) ソシュールの二律背反を克服するための手がかりは,ソシュール自身のもとに――ことばの現実が,彼の前提にはおかまいなしに,また前提に反してもそこに入りこんでしまっているだけに――それを克服できるような方向で発見することが可能であるということ.(f) そうは言ってもやはり,ソシュールの考え方とそこから派生したもろもろの概念とは,その内にひそむ矛盾の克服を阻む根本的な誤りをかかえていること.(g) 「体系」と「歴史性」との間にはいかなる矛盾もなく,反対に,言語の歴史性はその体系性を含み込んでいるということ.(h) 研究のレベルにおける共時態と通時態との二律背反は,歴史においてのみ,また歴史によってのみ克服できるということ,以上である.


 変化すること自体が言語の本質であり,変化することによって言語は言語であり続ける.まったく同感である.「#2123. 言語変化の切り口」 ([2015-02-18-1]) も参照.

 ・ E. コセリウ(著),田中 克彦(訳) 『言語変化という問題――共時態,通時態,歴史』 岩波書店,2014年.

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2015-02-28 Sat

#2133. ことばの変化のとらえ方 [language_change][methodology][causation]

 昨日の記事「#2132. ら抜き言葉,ar 抜き言葉,eru 付け言葉」 ([2015-02-27-1]) でも紹介した井上は,第8章「ことばの変化のとらえ方」で言語変化の切り口として4つの次元を提案している (196--97) .言語,空間,時間,社会の4つである.
 言語の次元とは,言語を文法や語彙などからなる体系としてみる視点をいう.この視点からは,言語変化には言語体系上の原因があるということ,1つの言語変化が別の言語変化を呼びうるということなどが主張される.言語変化における体系的調整 (systemic regulation) も言語の次元の話題である (cf. 「#1466. Smith による言語変化の3段階と3機構」 ([2013-05-02-1])) .
 空間の次元は,ことばの地域差や方言差に着目する視点である.方言分布といった静的な視点だけではなく,地方から中央,あるいは逆方向への言語項の流入といった動的な視点も含む.方言間の接触により言語変化が促進されたり伝播したりする現象に着目する.
 時間の次元は,短い単位でいえば個人の一生の間での言語変化や世代間の言語差,長い単位でいえば数百年から千年にわたる言語の変化を眺める視点をいう.言語変化とは,定義上時間軸上に展開する現象であるから,時間の次元の考慮は必要不可欠だが,短い単位と長い単位とがつながっており連続体をなしているということは言語変化研究でも気づかれにくい.これらを時間の次元としてくくるというのは,重要な洞察である.
 社会の次元は,社会層の間の言語差や文体意識に注目する観点である.使用域 (register) や文体 (style) の差のみならず,言語変異や言語変化そのものをどのように評価するかという視点も含む.ことばの流行,言語の乱れ,純粋主義,規範主義などが,言語変化の発現や伝播にどのような影響を及ぼすのかなども考慮すべき課題である.
 井上は言語変化 (language change) をみる視点として上の4つの次元を与えたが,この4つをむしろ言語変異 (language variation) が発生し広がってゆく次元と考えるほうがわかりやすいかもしれない.もっとも,変異の存在は変化の前提であるから,つまるところ4つの次元は言語変化にも関わってくるには相違ないし,その点では言語変化の原因の4つの分類とみることもできる.いずれにせよ,よく選ばれた4つの切り口だと思う.
 言語変化のモデルとしては,「#1466. Smith による言語変化の3段階と3機構」 ([2013-05-02-1]),「#1600. Samuels の言語変化モデル」 ([2013-09-13-1]),「#1928. Smith による言語レベルの階層モデルと動的モデル」 ([2014-08-07-1]),「#1997. 言語変化の5つの側面」 ([2014-10-15-1]),「#2012. 言語変化研究で前提とすべき一般原則7点」 ([2014-10-30-1]), 「#2123. 言語変化の切り口」 ([2015-02-18-1]) も参照.

 ・ 井上 史雄 『日本語ウォッチング』 岩波書店〈岩波新書〉,1999年.

Referrer (Inside): [2019-04-21-1]

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2015-02-27 Fri

#2132. ら抜き言葉,ar 抜き言葉,eru 付け言葉 [japanese][lexical_diffusion][language_change][verb][conjugation][ranuki]

 現代日本語に生じている言語変化のなかで,メディアなどでも大きく取り上げられて最もよく知られているものに「ら抜き言葉」がある.ら抜き言葉について本ブログでは「#1864. ら抜き言葉と頻度効果」 ([2014-06-04-1]) で取り上げた程度だが,研究も盛んで,変化の起源や過程について多くのことが分かってきている.この問題について重要な洞察を与えてくれる読みやすい議論としては,井上に勝るものはない.
 ら抜き言葉とは,一段動詞の可能形について,伝統的な標準形である「見られる」「起きられる」から「ら」が抜け落ちて「見れる」「起きれる」となってきている現象を指す.確かに「ら」が抜けているように見えるが,そうではないという考え方もある.この変化を音素表記で記すと mirareru → mireru,okirareru → okireru となり,脱落しているのは mi(ra)reru, oki(ra)reru のように ra であるとともみなすことも確かにできるが,一方 mir(ar)eru, okir(ar)eru のように ar が脱落しているとみることもできる.実際,「ar 抜き言葉」という見方は,一段動詞以外の可能形も含めて説明するのに都合がよい.五段動詞の「読む」の標準的な可能形は,古い「読まれる」 (yomareru) に対して「読める」 (yomeru) だが,ここでは「ら」が脱落しているとは言えないものの,yom(ar)eru のように ar 抜きが起こっているとは言える.厳密な意味で可能形から「ら」が抜けるのは,一段動詞,ラ行五段動詞,カ行変格動詞のみであり,その他についてはら抜き言葉という呼称は適切ではないのである.つまり,ar 抜き言葉と呼んでおけば,一段動詞であろうが五段動詞であろうが,動詞の活用型にかかわらず,伝統的な可能形に対して現在広く使われるようになっている新しい可能形の音形を,一貫して正しく記述できることになる.
 このように,ar 抜きという分析は発展途上にある可能動詞の形態を一貫して記述することができるが,さらに単純な記述法がある.可能動詞の終止形は,もととなる動詞の語幹への eru 付けであると表現すればよい.動詞の活用型に限らず,「見る」 (mir-u) から「見れる」 (mir-eru),「起きる」 (okir-u) から「起きれる」 (okir-eru),「読む」 (yom-u) から「読める」 (yom-eru),「取る」 (tor-u) から「取れる」 (tor-eru) を一貫して導き出せる(ただし変格動詞は「来る」 (kur-u) に対して「来れる」 (kor-eru) のように語幹が交替することに注意).aru 抜きの分析は,「見られる」「起きられる」「読まれる」「取られる」「来られる」など伝統的な可能形を経由しないと新しい可能形を導き出せないが,eru 付けの分析は,非可能形のもとの動詞の終止形を基点として新しい可能形を導き出せるという利点がある(井上,pp. 22--23).
 現在進行中の言語変化にはよくあることだが,ら抜き言葉も起源は案外と古い.東京では昭和初期から記録があり,おそらく変化が開始したのは大正期だろう.東京以外に目を移せば,東海地方では明治期から用いられていた.ら抜き言葉の方言分布から伝播の経路を読み解くと,中部地方や中国地方などの周辺部で早く始まり,それが各々関東地方や近畿地方などの中心部へ流れ込んできたもののようだ.さらに長いスパンで考えると,ら抜き言葉化は一段動詞のラ行五段動詞化という潮流の一翼を担っており,それ自体は千年も続いている動詞の活用型の簡略化のなかに位置づけられる.

 ・ 井上 史雄 『日本語ウォッチング』 岩波書店〈岩波新書〉,1999年.

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2015-02-22 Sun

#2127. Martha's Vineyard [sociolinguistics][language_change][phonetics][diphthong]

 Massachusetts の東海岸沖に浮かぶ島 Martha's Vineyard は,Labov の社会言語学の調査で有名な島である.Labov は,島民のあいだで進行している2重母音 [aɪ], [aʊ] の [əɪ], [əʊ] への変化の実態と原因を探った.以下,1972年の Labov の著書で詳述されている調査研究の内容を解説した Aitchison (60--67) に従って要約する.

Martha's Vineyard

 アメリカ本土から3マイルほどの沖合に浮かぶ Martha's Vineyard の美しい風景は,映画 Jaws の舞台となったこともあり,多くの人々の記憶に残っている.しかし,この人口6千人ほどの田舎の島は夏になると本土からの4万人を超える観光客を引きつけるようになり,リゾート地としての開発が進んだ.また,特に島の東側には本土からの定住者も多く住まうようになった.結果として,島の東部は新参者が占める人口密度の高い地域となり,西部は古くからの島民が伝統的な生活を送る地域となった.
 Labov は,当時より30年前の調査の記録と比較して,島民の [aɪ], [aʊ] の発音が [əɪ], [əʊ] へ変化してきていることに着目し,その変化を調査することに決めた.種々の方法で島民から多くのデータを収集すると,Labov は性別,年齢,地域分布,民族分布,文体的変異などのパラメータにより分析を進めた.また,島民自身はこの変化が進行中であることに気づいていないということも判明した.
 分析結果は次の通りだった.年齢のパラメータについて,75歳より上の年齢層ではこの変化は最も少なく,31--45歳の年齢層で最も多かった.しかし,30歳以下では31--45歳ほどは変化が観察されなかった.地理的には,当該変化は田舎風の西部で圧倒的によく進行していた.また,Martha's Vineyard はもともと漁業の盛んな島だったが,当時まで島内に残っていた少ない漁民のほとんどが西部の Chilmark に住んでおり,その漁民たちこそが当該変化の影響を最も顕著に示していることが判明した.全体をまとめると,この変化はおそらく西部の漁民の小集団から始まり,そこから島中の30--45歳の年齢層へ広がっていったらしいことが推測される.
 だが,なぜそのようなことが起こったのだろうか.Labov は,鋭い観察と考察により,次のような筋書きを描いた.「新しい」発音である [əɪ], [əʊ] は,実際にはむしろ漁民の古くからの伝統的な変種に存在していた変異形だった.確かに18--19世紀のアメリカ本土でも [əɪ], [əʊ] が聞かれたのであり,その古い発音が島の片隅に残っていたとしても不思議はない.19世紀以降,アメリカ本土で [əɪ], [əʊ] が [aɪ], [aʊ] へと変化した動きに呼応して,Martha's Vineyard でも平行した変化が生じたと思われるが,島内では古い発音が完全には駆逐されずに,保守的な変異形として残存した.ところが,Labov の調査したとき,この保守的な変異形が島内では再び勢力を盛り返し,拡張し始めていたようである.
 古い発音の復活と拡張については,次の仮説が立てられている.西部の伝統的な漁民は,東部に押し寄せる本土からの観光客と東部にはびこる観光ビジネスに嫌悪感を抱いていたのではないか.観光業とは独立して伝統的な島の生活を営んできた西部の漁民には,自分たちこそが Martha's Vineyard らしさを体現する島民の代表であるという自負があり,その自負により彼らは保守的な変異形,この場合 [əɪ], [əʊ] を用いることを無意識のうちに選んでいるのではないか.そして,そのような漁民の伝統的島民としてのアイデンティティに共感する次世代の島民(30--45歳)が増えてきており,彼らが象徴的に [əɪ], [əʊ] を採用するようになってきているのではないか.
 Aitchison (65) のまとめを読んでみよう.

On Martha's Vineyard a small group of fishermen began to exaggerate a tendency already existing in their speech. They did this seemingly subconsciously, in order to establish themselves as an independent social group with superior status to the despised summer visitors. A number of other islanders regarded this group as one which epitomized old virtues and desirable values, and subconsciously imitated the way its members talked. For these people, the new pronunciation was an innovation. As more and more people came to speak in the same way, the innovation gradually became the norm for those living on the island.


 Labov による Martha's Vineyard の調査は,「#406. Labov の New York City /r/」 ([2010-06-07-1]) の研究とともに,社会言語学史上,重要なケーススタディとして認識されている.

 ・ Aitchison, Jean. Language Change: Progress or Decay. 3rd ed. Cambridge: CUP, 2001.

Referrer (Inside): [2015-06-17-1]

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2015-02-18 Wed

#2123. 言語変化の切り口 [language_change][causation][diachrony][linguistics][flash][methodology][mindmap]

 言語変化について様々に論じてきたが,言語変化を考察する上での諸々の切り口,研究する上で勘案すべき種々のパラメータを整理してみたい.言語にとって変化が本質的であるならば,言語変化研究こそが言語研究の革新ともいえるはずである.
 以下に言語変化の切り口を,本ブログ内へのリンクを張りつつ,10項目立てで整理した.マインドマップ風にまとめた画像PDF,あるいはノードを開閉できるFLASHもどうぞ.記事末尾の書誌は,最も重要な3点のみに限った.以前の同様の試みとして,「#729. 言語変化のマインドマップ」 ([2011-04-26-1]) も参照.

Perspectives on Language Change



1. 変化は言語の本質
   言語変化の逆説
      ソシュールの2分法
      共時態
         静的な体系
      通時態
         動的な混沌
   共時態と通時態の接点
      変異
      変化
2. 変異は変化の種
   変異から変化へ
      変異(変化の潜在的資源)
      変化(変化の履行=変異の採用)
      拡散(変化の伝播)
   A → B の変化は
      A (100%)
      A (80%) vs B (20%)
      A (50%) vs B (50%)
      A (20%) vs B (80%)
      B (100%)
   変異の源
      言語内
         体系的調整
      言語外
         言語接触
3. いつ?
   時間幅
      言語の起源
      言語の進化
      先史時代
         比較言語学
      歴史時代
      世代間
         子供基盤仮説
      話者の一生
      一瞬の流行
   スケジュール
      S字曲線
         語彙拡散
         分極の仮説
      右上がり直線
         定率仮説
      突如として
         青年文法学派
   速度
   変化の予測
4. どこで?
   範囲
      言語圏
      言語
      方言
         地域方言
         社会方言
      位相
      個人語
   伝播
      波状理論
         方言周圏論
      飛び石理論
      ネットワーク理論
5. 誰が?
   変化の主体
      言語が変化する?
      話し手が言語を刷新させる
      聞き手が言語を刷新させる
      「見えざる手」
   個人
      変化の採用
      「弱い絆」の人
6. 何?
   真の言語変化か?
      成就しなかった変化
      みかけの変化
   どの部門の変化?
      意味
      文法
      語彙
      音韻
      書記
      語用,言語習慣,etc.
   証拠の問題
      インフォーマント
      現存する資料
      斉一論の原則
      記述は理論に依存
7. どのように?
   理論・領域
      形式主義
         構造主義言語学
         生成文法
            普遍文法
            最適性理論
      機能主義
         認知言語学
            使用基盤モデル
         文法化
         語用論
         余剰性,頻度,費用
      社会言語学
         コード
         言語接触
         地理言語学
            波状理論
         言語相対論
      比較言語学
         再建
         系統樹モデル
      類型論
         含意尺度
   体系への影響
      単発
      他の言語項にも影響
      大きな潮流の一端
8. なぜ?
   問いのレベル
      変化の合理性
      一般的な変化
      歴史上の個別の変化
   不変化がデフォルト?
      なぜ変化する?
         変化を促進する要因
      なぜ変化しない?
         変化を阻止する要因
   目的論
      変化の方向性
         偏流
      変化の評価
   要因
      言語内的
         およそ無意識的
            調音の簡略化
               同化
            聴解の明確化
               異化
            対称性の確保
            効率性と透明性の確保
         およそ意識的
            綴字発音
            過剰修正
            類推
            異分析
      言語外的
         言語接触
            干渉
               借用
               2言語使用
            混合
               ピジン語
               クレオール語
               基層言語仮説
            言語交替
            言語の死
         歴史・社会
            新メディアの発明
            語彙における指示対象の変化
            文明の発達と従属文の発達?
         言語の評価
            標準化
               規範主義
               純粋主義
               監視機能
            言語権
      複合的原因
         Samuels の言語変化モデル
9. Weinreich et al. の切り口
   制約
   移行
   埋め込み
   評価
   作動
10. まとめ
   変異は変化の種
   複合的原因
   話し手が言語を刷新させる


 ・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.
 ・ Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.
 ・ Weinreich, Uriel, William Labov, and Marvin I. Herzog. "Empirical Foundations for a Theory of Language Change." Directions for Historical Linguistics. Ed. W. P. Lehmann and Yakov Malkiel. U of Texas P, 1968. 95--188.

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2015-02-10 Tue

#2115. 言語維持と言語変化への抵抗 [sociolinguistics][methodology][variety][language_change][causation]

 言語変化と変異を説明するのに社会的な要因を重視する論客の1人 James Milroy の言語観については,「#1264. 歴史言語学の限界と,その克服への道」 ([2012-10-12-1]),「#1582. 言語内的な要因と言語外的な要因はどちらが重要か? (2)」 ([2013-08-26-1]),「#1992. Milroy による言語外的要因への擁護」 ([2014-10-10-1]) やその他の記事で紹介してきた.私はとりわけ言語変化の要因という問題に関心があり,社会言語学の立場からこの問題について積極的に発言している Milroy には長らく注目してきている.
 Milroy は,言語変化を考察する際の3つの原則を掲げている.

Principle 1 As language use (outside of literary modes and laboratory experiments) cannot take place except in social and situational contexts and, when observed, is always observed in these contexts, our analysis --- if it is to be adequate --- must take account of society, situation and the speaker/listener. (5--6)

Principle 2 A full description of the structure of a variety (whether it is 'standard' English, or a dialect, or a style or register) can only be successfully made if quite substantial decisions, or judgements, of a social kind are taken into account in the description. (6)

Principle 3 In order to account for differential patterns of change at particular times and places, we need first to take account of those factors that tend to maintain language states and resist change. (10)


 この3原則を私的に解釈すると,原則1は,言語は社会のなか使用されている状況しか観察しえないのだから,社会を考慮しない言語研究などというものはありえないという主張.原則2は,個々の言語や変種は社会言語学的にしか定義できないのだから,すべての言語研究は何らかの社会的な判断に基づいていると認識すべきだという主張.原則3は,言語変化を引き起こす要因だけではなく,言語状態を維持する要因や言語変化に抵抗する要因を探るべしという主張だ.
 意外性という点で,とりわけ原則3が注目に値する.個々の言語変化の原因を探る試みは数多いが,変化せずに維持される言語項はなぜ変化しないのか,あるいはなぜ変化に抵抗するのかを問う機会は少ない.暗黙の前提として,現状維持がデフォルトであり,変化が生じたときにはその変化こそが説明されるべきだという考え方がある.しかし,Milroy は,むしろ言語変化のほうがデフォルトであり,現状維持こそが説明されるべき事象であると言わんばかりだ.

Therefore, as a historical linguist, I thought that we might get a better understanding of what linguistic change actually is, and how and why it happens, if we could also come closer to specifying the conditions under which it does not happen --- the conditions under which 'states' and forms of language are maintained and changes resisted. (11--12)


 言語学的な観点からは,言語維持と言語変化への抵抗という問題意識は確かに生じにくい.変わることがデフォルトであり,変わらないことが説明を要するのだという社会言語学的な発想の転換は,傾聴すべきだと思う.
 関連して,言語変化に抵抗する要因については「#430. 言語変化を阻害する要因」 ([2010-07-01-1]),「#2067. Weinreich による言語干渉の決定要因」 ([2014-12-24-1]),「#2065. 言語と文化の借用尺度 (2)」 ([2014-12-22-1]) などで少し取り上げたので,参照されたい.

 ・ Milroy, James. Linguistic Variation and Change: On the Historical Sociolinguistics of English. Oxford: Blackwell, 1992.

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2015-02-05 Thu

#2110. 言語(変化)の使用基盤モデル [cognitive_linguistics][usage-based_model][language_change][frequency][collocation][speed_of_change]

 認知言語学の言語変化に関するモデルとして,使用基盤モデル (usage-based model) というものが提案されている.谷口による説明と図解 (106, 105) がわかりやすい.

あることばの用法の共通性となるスキーマ [A] から,何らかの点で逸脱し拡がった新しい用法 (B) が生じる.はじめ,(B) はスキーマ [A] に合致しない.しかし,(B) の用法が繰り返され定着するにつれて,(B) は [A] と共にその言語のシステムに取り込まれるようになる.すると,(B) を取り込んだ形であらたなスキーマ [A'] が抽出され,それによって (B) が容認されるようになっていくのである.このような変化のシステムを,「使用基盤モデル」あるいは「用法基盤モデル」 (usage-based model) という (Langacker 2000) .(谷口,106)


Language Change in Usage-Based Model

 新しいスキーマの創出は,抽象化であるという点で,文法規則の創出とも比較される.しかし,通常文法規則は静的であるのに対して,スキーマは動的であり,柔軟であるという違いがある.スキーマは,逸脱した事例が徐々に定着するにつれて,常に変更されていく.また,変化の過程において,逸脱した事例が定着する度合いには個人差があるため,必然的にスキーマ自体の個人差も生じることになる.言語変化をこのように位置づけてとらえる使用基盤モデルにおいては,言語の体系そのものが流動的なものにみえるだろう.
 新スキーマの定着度に個人差があるということは,言語変化の速度 (speed_of_change) の問題に直結するし,当該の言語項の使用頻度 (frequency) や共起 (collocation) の問題とも関連が深い.使用基盤モデルは,これらの関係する問題にも注目している.言語変化は定義上ダイナミックなものではあるが,言語そのものが常にダイナミックなものであり,そのダイナミズムの源泉は日常の使用のなかにあるということを改めて強調した理論と評価できるだろう.

 ・ 谷口 一美 『学びのエクササイズ 認知言語学』 ひつじ書房,2006年.

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2014-12-18 Thu

#2061. 発話における干渉と言語における干渉 [contact][borrowing][bilingualism][loan_word][lexical_diffusion][terminology][language_change]

 語の借用 (borrowing) と借用語 (loanword) とは異なる.前者は過程であり,後者は結果である.両者を区別する必要について,「#900. 借用の定義」 ([2011-10-14-1]),「#901. 借用の分類」 ([2011-10-15-1]),「#904. 借用語を共時的に同定することはできるか」 ([2011-10-18-1]),「#1988. 借用語研究の to-do list (2)」 ([2014-10-06-1]),「#2009. 言語学における接触干渉2言語使用借用」 ([2014-10-27-1]) で扱ってきた通りである.
 言語接触の分野で早くからこの区別をつけることを主張していた論者の1人に,Weinreich (11) がいる.

In speech, interference is like sand carried by a stream; in language, it is the sedimented sand deposited on the bottom of a lake. The two phases of interference should be distinguished. In speech, it occurs anew in the utterances of the bilingual speaker as a result of his personal knowledge of the other tongue. In language, we find interference phenomena which, having frequently occurred in the speech of bilinguals, have become habitualized and established. Their use is no longer dependent on bilingualism. When a speaker of language X uses a form of foreign origin not as an on-the-spot borrowing from language Y, but because he has heard it used by others in X-utterances, then this borrowed element can be considered, from the descriptive viewpoint, to have become a part of LANGUAGE X.


 過程としての借用と結果としての借用語は言語干渉 (interference) の2つの異なる局面である.前者は parole に,後者は langue に属すると言い換えてもよいかもしれない.続けて Weinreich は同ページの脚注で,上の区別の重要性を認識している先行研究は少ないとしながら,以下の研究に触れている.

The only one to have drawn the theoretical distinction seems to be Roberts (450, 31f.), who arbitrarily calls the generative process "fusion" and the accomplished result "mixture." In anthropology, Linton (312, 474) distinguishes in the introduction of a new culture element "(1) its initial acceptance by innovators, (2) its dissemination to other members of the society, and (3) the modifications by which it is finally adjusted to the preexisting culture matrix."


 特に人類学者 Linton からの引用部分に注目したい.(言語項を含むと考えられる)文化的要素の導入には3段階が区別されるという指摘があるが,これは「#1466. Smith による言語変化の3段階と3機構」 ([2013-05-02-1]) でみた (1) potential for change, (3) diffusion, (2) implementation に緩やかに対応しているように思われる.借用は,借用語の受容,拡大,定着という段階を経ながら進行していくという見方だ.言語項の借用については,このような複層的で動的なとらえ方が必要である."dissemination" や "diffusion" のステージと関連して,語彙拡散 (lexical_diffusion) の各記事,とりわけ「#855. lexical diffusioncritical mass」 ([2011-08-30-1]) を参照.

 ・ Weinreich, Uriel. Languages in Contact: Findings and Problems. New York: Publications of the Linguistic Circle of New York, 1953. The Hague: Mouton, 1968.

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2014-11-09 Sun

#2022. 言語変化における個人の影響 [neolinguistics][geolinguistics][dialectology][idiolect][chaucer][shakespeare][bible][literature][neolinguistics][language_change][causation]

 「#1069. フォスラー学派,新言語学派,柳田 --- 話者個人の心理を重んじる言語観」 ([2012-03-31-1]),「#2013. イタリア新言語学 (1)」 ([2014-10-31-1]),「#2014. イタリア新言語学 (2)」 ([2014-11-01-1]),「#2020. 新言語学派曰く,言語変化の源泉は "expressivity" である」 ([2014-11-07-1]) の記事で,連日イタリア新言語学を取り上げてきた.新言語学では,言語変化における個人の役割が前面に押し出される.新言語学派は各種の方言形とその分布に強い関心をもった一派でもあるが,ときに村単位で異なる方言形が用いられるという方言量の豊かさに驚嘆し,方言細分化の論理的な帰結である個人語 (idiolect) への関心に行き着いたものと思われる.言語変化の源泉を個人の表現力のなかに見いだそうとしたのは,彼らにとって必然であった.
 しかし,英語史のように個別言語の歴史を大きくとらえる立場からは,言語変化における話者個人の影響力はそれほど大きくないということがいわれる.例えば,「#257. Chaucer が英語史上に果たした役割とは?」 ([2010-01-09-1]) や「#298. Chaucer が英語史上に果たした役割とは? (2) 」 ([2010-02-19-1]) の記事でみたように,従来 Chaucer の英語史上の役割が過大評価されてきたきらいがあることが指摘されている.文学史上の役割と言語史上の役割は,確かに別個に考えるべきだろう.
 それでも,「#1412. 16世紀前半に語彙的貢献をした2人の Thomas」 ([2013-03-09-1]) や「#1439. 聖書に由来する表現集」 ([2013-04-05-1]) などの記事でみたように,ある特定の個人が,言語のある部門(ほとんどの場合は語彙)において限定的ながらも目に見える貢献をしたという事実は残る.多くの句や諺を残した Shakespeare をはじめ,文学史に残るような文人は英語に何らかの影響を残しているものである.
 英語史の名著を書いた Bradley は,言語変化における個人の影響という点について,新言語学派的といえる態度をとっている.

It is a truth often overlooked, but not unimportant, that every addition to the resources of a language must in the first instance have been due to an act (though not necessarily a voluntary or conscious act) of some one person. A complete history of the Making of English would therefore include the names of the Makers, and would tell us what particular circumstances suggested the introduction of each new word or grammatical form, and of each new sense or construction of a word. (150)

Now there are two ways in which an author may contribute to the enrichment of the language in which he writes. He may do so directly by the introduction of new words or new applications of words, or indirectly by the effect of his popularity in giving to existing forms of expression a wider currency and a new value. (151)


 Bradley は,このあと Wyclif, Chaucer, Spenser, Shakespeare, Milton などの名前を連ねて,具体例を挙げてゆく.
 しかし,である.全体としてみれば,これらの個人の役割は限定的といわざるを得ないのではないかと,私は考えている.圧倒的に多くの場合,個人の役割はせいぜい上の引用でいうところの "indirectly" なものにとどまり,それとて英語という言語の歴史全体のなかで占める割合は大海の一滴にすぎない.ただし,特定の個人が一滴を占めるというのは実は驚くべきことであるから,その限りにおいてその個人の影響力を評価することは妥当だろう.言語変化における個人の影響は,マクロな視点からは過大評価しないように注意し,ミクロな視点からは過小評価しないように注意するというのが穏当な立場だろうか.

 ・ Bradley, Henry. The Making of English. New York: Dover, 2006. New York: Macmillan, 1904.

Referrer (Inside): [2021-01-19-1] [2015-03-06-1]

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2014-11-07 Fri

#2020. 新言語学派曰く,言語変化の源泉は "expressivity" である [neolinguistics][hypercorrection][accommodation_theory][language_change][causation][stylistics][history_of_linguistics]

 「#1069. フォスラー学派,新言語学派,柳田 --- 話者個人の心理を重んじる言語観」 ([2012-03-31-1]),「#2013. イタリア新言語学 (1)」 ([2014-10-31-1]),「#2014. イタリア新言語学 (2)」 ([2014-11-01-1]),「#2019. 地理言語学における6つの原則」 ([2014-11-06-1]) に引き続き,目下関心を注いでいる言語学史上の1派閥,イタリア新言語学派について話題を提供する.Leo Spitzer は,新言語学におおいに共感していた学者の1人だが,学術誌上でアメリカ構造主義言語学の領袖 Leonard Bloomfield に論争をふっかけたことがある.Bloomfield は翌年にさらりと応酬し,一枚も二枚も上手の議論で Spitzer をいなしたという顛末なのだが,2人の論争は興味深く読むことができる.
 Spitzer は,言語変化の源泉として "expressivity" (表現力)への欲求があるとし,新言語学の主張を代弁した.とりわけ「民族の自己表現としての文体」という概念を前面に押し出す新言語学派の議論は,言語学の科学性を標榜する Bloomfield にとっては受け入れがたい主張だったが,Spitzer はあくまでその議論にこだわる.例えば,ラテン語からロマンス諸語へ至る過程での音韻変化 e -- ei -- oi -- -- は,ラテン語 e をより表現力豊かに実現するために各民族が各段階で経てきた発展の軌跡であると議論される.この過程において,León や Aragon では揺れの時期が長く続いたのに対し,Castile では比較的早くに の段階で固定化したが,これは前者が後者よりも言語的に "chaotic" であり, より "restlessness" と "anarchy" に特徴づけられていたからであると結論される (Spitzer 422) .別の議論では,Hitler の Deutche Volksgenossen の発音における2つの oa に近い低舌母音として実現されていたことを取り上げ,そこには Hitler が自らのオーストリア訛りを嫌い,標準的な「良き」ドイツ語方言を志向したという背景があったのではないかと論じている.つまり,ドイツ民族主義に裏打ちされた過剰修正 (hypercorrection) という主張だ (Spitzer 422--23) .
 確かに,非常に民族主義的でロマン主義的な言語論のように聞こえる.しかし,近年の社会言語学では同類の現象は accommodation (特に負の accommodation といわれる diversion; cf. 「#1935. accommodation theory」 ([2014-08-14-1]))などの用語でしばしば言及される話題であり,それが生じる単位が個人なのか,あるいは民族のような集団なのかの違いはあるとしても,現在ではそれほどショッキングな議論ではないようにも思われる.新言語学派は,後の社会言語学や地理言語学の重要な話題をいくつか先取りしていたといえる.
 Spitzer は,音韻変化のみならず意味変化においても(いや,意味変化にこそ),"expressivity" の役割の重要性を認めている.より具体的には,言語革新は,"expressivity" に始まり,"standardization" を経た後に,再び次の革新へと続いてゆくサイクルであると考えている.

Moreover in the field of semantics as in that of phonology the same cycle may be noted: first there is the period of creativity in which an individual innovation develops in expressivity, and expands; this period is followed in turn by one of standardization and petrification---which again brings about innovation and expressivity. Historical semantics offers us many parallels of the endless spiral movement in which words that have ceased to be expressive give way to others. (Spitzer 425)


 この議論は,言語に広く見られる「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1]) や「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1]) で見たような言語変化の反復と累積の事例を想起させる.このような点にも,いくつかの種類の言語変化を1つの言語観のもとに統一的に説明しようとした新言語学の狙いが垣間見える.
 話者(集団)の "expressivity" への欲求を言語変化の根本原理として据えている以上,新言語学派が音韻よりも語彙,意味,文体に強い関心を寄せたことは自然の成り行きだった.実際,Spitzer (428) は,言語学の課題は重要な順に,文体論,統語論(=文法化された文体論),意味論,形態論,音韻論であると説いている.

 ・ Spitzer, Leo. "Why Does Language Change?" Modern Language Quarterly 4 (1943): 413--31.
 ・ Bloomfield, Leonard. "Secondary and Tertiary Responses to Language." Language 20 (1944): 45--55.

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2014-10-30 Thu

#2012. 言語変化研究で前提とすべき一般原則7点 [language_change][causation][methodology][sociolinguistics][history_of_linguistics][idiolect][neogrammarian][generative_grammar][variation]

 「#1997. 言語変化の5つの側面」 ([2014-10-15-1]) および「#1998. The Embedding Problem」 ([2014-10-16-1]) で取り上げた Weinreich, Labov, and Herzog による言語変化論についての論文の最後に,言語変化研究で前提とすべき "SOME GENERAL PRINCIPLES FOR THE STUDY OF LANGUAGE CHANGE" (187--88) が挙げられている.

   1. Linguistic change is not to be identified with random drift proceeding from inherent variation in speech. Linguistic change begins when the generalization of a particular alternation in a given subgroup of the speech community assumes direction and takes on the character of orderly differentiation.
   2. The association between structure and homogeneity is an illusion. Linguistic structure includes the orderly differentiation of speakers and styles through rules which govern variation in the speech community; native command of the language includes the control of such heterogeneous structures.
   3. Not all variability and heterogeneity in language structure involves change; but all change involves variability and heterogeneity.
   4. The generalization of linguistic change throughout linguistic structure is neither uniform nor instantaneous; it involves the covariation of associated changes over substantial periods of time, and is reflected in the diffusion of isoglosses over areas of geographical space.
   5. The grammars in which linguistic change occurs are grammars of the speech community. Because the variable structures contained in language are determined by social functions, idiolects do not provide the basis for self-contained or internally consistent grammars.
   6. Linguistic change is transmitted within the community as a whole; it is not confined to discrete steps within the family. Whatever discontinuities are found in linguistic change are the products of specific discontinuities within the community, rather than inevitable products of the generational gap between parent and child.
   7. Linguistic and social factors are closely interrelated in the development of language change. Explanations which are confined to one or the other aspect, no matter how well constructed, will fail to account for the rich body of regularities that can be observed in empirical studies of language behavior.


 この論文で著者たちは,青年文法学派 (neogrammarian),構造言語学 (structural linguistics),生成文法 (generative_grammar) と続く近代言語学史を通じて連綿と受け継がれてきた,個人語 (idiolect) と均質性 (homogeneity) を当然視する姿勢,とりわけ「構造=均質」の前提に対して,経験主義的な立場から猛烈な批判を加えた.代わりに提起したのは,言語は不均質 (heterogeneity) の構造 (structure) であるという視点だ.ここから,キーワードとしての "orderly heterogeneity" や "orderly differentiation" が立ち現れる.この立場は近年 "variationist" とも呼ばれるようになってきたが,その精神は上の7点に遡るといっていい.
 change は variation を含意するという3点目については,「#1040. 通時的変化と共時的変異」 ([2012-03-02-1]) や「#1426. 通時的変化と共時的変異 (2)」 ([2013-03-23-1]) を参照.
 6点目の子供基盤仮説への批判については,「#1978. 言語変化における言語接触の重要性 (2)」 ([2014-09-26-1]) も参照されたい.
 言語変化の "multiple causation" を謳い上げた7点目は,「#1584. 言語内的な要因と言語外的な要因はどちらが重要か? (3)」 ([2013-08-28-1]) でも引用した.multiple causation については,最近の記事として「#1986. 言語変化の multiple causation あるいは "synergy"」 ([2014-10-04-1]) と「#1992. Milroy による言語外的要因への擁護」 ([2014-10-10-1]) でも論じた.

 ・ Weinreich, Uriel, William Labov, and Marvin I. Herzog. "Empirical Foundations for a Theory of Language Change." Directions for Historical Linguistics. Ed. W. P. Lehmann and Yakov Malkiel. U of Texas P, 1968. 95--188.

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2014-10-23 Thu

#2005. 話者不在の言語(変化)論への警鐘 [sociolinguistics][language_change][causation][language_death][language_myth]

 標題について,「#1992. Milroy による言語外的要因への擁護」 ([2014-10-10-1]) の最後で簡単に触れた.話者不在の言語(変化)論の系譜は長く,言語学史で有名なところとしては「#1118. Schleicher の系統樹説」 ([2012-05-19-1]) でみた August Schleicher (1821--68) の言語有機体説や,「#1579. 「言語は植物である」の比喩」 ([2013-08-23-1]) で引用した Jespersen などの論者の名が挙がる.Milroy は,この伝統的な話者不在の言語観の系譜を打ち破ろうと,社会言語学の立場から話者個人の役割を重視する言語論を展開しているのだが,おもしろいことに社会言語学でも話者個人の役割が必ずしも重んじられているわけではない.社会言語学でも,話者の集団としての「話者社会」が作業上の単位とみなされる限りにおいて,話者個人の役割は捨象される.いわゆるマクロ社会言語学では,話者個人の顔が見えにくい(「#1380. micro-sociolinguistics と macro-sociolinguistics」 ([2013-02-05-1]) を参照).
 Milroy のように,言語変化における話者個人の重要性を主張するミクロな論者の1人に Woolard がいる.言語の死 (language_death) を扱った論文集のなかで,Woolard は言語の死のような社会言語学的なドラマは,話者個人を中心に語られなければならないと訴える.死の恐れのある言語においては,地域の優勢言語へと合流・収束する convergence の現象がみられるものが多く,その現象と当該言語の持続 (maintenance) とのあいだには相関関係があるという指摘が,しばしばなされる.さらに議論を推し進めて,優勢言語への合流・収束と瀕死言語の持続とのあいだに因果関係があるとする論調もある.しかし,Woolard はそのような関係を認めることに慎重である.というのは,そのような論調には,言語自体が適応性をもっているとする言語有機体説の反映が認められるからだ.そこにはまた,言語の擬人化という問題や話者個人の捨象という問題がある.2点の引用を通じて Woolard の持論を聞こう.

When we deal with linguistic data as aggregate data, detached from the speakers and instances of speaking, we often anthropomorphize languages as the principal actors of the sociolinguistic drama. This leads to forceful and often powerfully suggestive generalizations cast in agentivizing metaphors: "languages that are flexible and can adapt may survive longer", or "the more powerful language drives out the weaker". If we rephrase findings in terms of what people are doing --- how they are speaking and what they are accomplishing or trying to accomplish when they are speaking that way . . . --- we may find ourselves open to new insights about why such linguistic phenomena occur. (359)

There is a wealth of evidence . . . that is suggestive of a causal relation, or at least a correlation, between language maintenance and linguistic convergence. In this most tentative of attempts to account for the intriguing constellations we find of linguistic conservatism and language death or linguistic adaptation and language maintenance, I have suggested we best begin by anchoring our generalizations in speakers' activities. Human actors rather than personified languages are the active agents in the processes we wish to explain . . . . (365)


 言語内的要因と言語外的要因の区別,言語学と社会言語学の区別,I-Language と E-Language の区別,これらの言語にかかわる対立をつなぐインターフェースは,ほかならぬ話者である.話者は言語を内化していると同時に外化して社会で使用している主役である.
 Woolard の論文からもう1つ大きな問題を読み取ったので,付言しておきたい.瀕死言語が優勢言語へ合流・収束する場合,その行為は "acts of creation" なのか "acts of reception" なのか,あるいは "resistance" なのか "capitulation" なのかという評価の問題がある.しかし,この評価の問題はいずれも優勢言語の観点から生じる問題にすぎず,瀕死言語の話者にとってみれば,合流・収束に伴う言語変化は,相対的にそのような社会言語学的な意味合いを帯びていない他の言語変化と変わりないはずである.そこに何らかの評価を持ち込むということは,すでに中立的でない言語の見方ではないか.社会言語学者は評価的であるべきか否か,あるいは非評価的になりうるか否かという極めて深刻な問題の提起と受け取った.

 ・ Woolard, Kathryn A. "Language Convergence and Death as Social Process." Investigating Obsolescence. Ed. Nancy C. Dorian. Cambridge: CUP, 1989. 355--67.

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2014-10-16 Thu

#1998. The Embedding Problem [language_change][causation][methodology][sociolinguistics][variety][variation][sapir-whorf_hypothesis]

 昨日の記事「#1997. 言語変化の5つの側面」 ([2014-10-15-1]) に引き続き,Weinreich, Labov, and Herzog の言語変化に関する先駆的論文より.今回は,昨日略述した言語変化の5つの側面のなかでもとりわけ著者たちが力説する The Embedding Problem に関する節 (p. 186) を引用する.

   The Embedding Problem. There can be little disagreement among linguists that language changes being investigated must be viewed as embedded in the linguistic system as a whole. The problem of providing sound empirical foundations for the theory of change revolves about several questions on the nature and extent of this embedding.
   (a) Embedding in the linguistic structure. If the theory of linguistic evolution is to avoid notorious dialectic mysteries, the linguistic structure in which the changing features are located must be enlarged beyond the idiolect. The model of language envisaged here has (1) discrete, coexistent layers, defined by strict co-occurrence, which are functionally differentiated and jointly available to a speech community, and (2) intrinsic variables, defined by covariation with linguistic and extralinguistic elements. The linguistic change itself is rarely a movement of one entire system into another. Instead we find that a limited set of variables in one system shift their modal values gradually from one pole to another. The variants of the variables may be continuous or discrete; in either case, the variable itself has a continuous range of values, since it includes the frequency of occurrence of individual variants in extended speech. The concept of a variable as a structural element makes it unnecessary to view fluctuations in use as external to the system for control of such variation is a part of the linguistic competence of members of the speech community.
   (b) Embedding in the social structure. The changing linguistic structure is itself embedded in the larger context of the speech community, in such a way that social and geographic variations are intrinsic elements of the structure. In the explanation of linguistic change, it may be argued that social factors bear upon the system as a whole; but social significance is not equally distributed over all elements of the system, nor are all aspects of the systems equally marked by regional variation. In the development of language change, we find linguistic structures embedded unevenly in the social structure; and in the earliest and latest stages of a change, there may be very little correlation with social factors. Thus it is not so much the task of the linguist to demonstrate the social motivation of a change as to determine the degree of social correlation which exists, and show how it bears upon the abstract linguistic system.


 内容は難解だが,この節には著者の主張する "orderly heterogeneity" の神髄が表現されているように思う.私の解釈が正しければ,(a) の言語構造への埋め込みの問題とは,ある言語変化,およびそれに伴う変項とその取り得る値が,use varieties と user varieties からなる複合的な言語構造のなかにどのように収まるかという問題である.また,(b) の社会構造への埋め込みの問題とは,言語変化そのものがいかにして社会における本質的な変項となってゆくか,あるいは本質的な変項ではなくなってゆくかという問題である.これは,社会構造が言語構造に影響を与えるという場合に,いつ,どこで,具体的に誰の言語構造のどの部分にどのような影響を与えているのかを明らかにすることにもつながり,Sapir-Whorf hypothesis (cf. sapir-whorf_hypothesis) の本質的な問いに連なる.言語研究の観点からは,(伝統的な)言語学と社会言語学の境界はどこかという問いにも関わる(ただし,少なからぬ社会言語学者は,社会言語学は伝統的な言語学を包含する真の言語学だという立場をとっている).
 この1節は,社会言語学のあり方,そして言語のとらえ方そのものに関わる指摘だろう.関連して「#1372. "correlational sociolinguistics"?」 ([2013-01-28-1]) も参照.

 ・ Weinreich, Uriel, William Labov, and Marvin I. Herzog. "Empirical Foundations for a Theory of Language Change." Directions for Historical Linguistics. Ed. W. P. Lehmann and Yakov Malkiel. U of Texas P, 1968. 95--188.

Referrer (Inside): [2015-04-03-1] [2014-10-30-1]

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2014-10-15 Wed

#1997. 言語変化の5つの側面 [language_change][causation][methodology][sociolinguistics][variation]

 Weinreich, Labov, and Herzog による "Empirical Foundations for a Theory of Language Change" は,社会言語学の観点を含んだ言語変化論の先駆的な論文として,その後の研究に大きな影響を与えてきた.私もおおいに感化された1人であり,本ブログでは「#1988. 借用語研究の to-do list (2)」 ([2014-10-06-1]),「#1584. 言語内的な要因と言語外的な要因はどちらが重要か? (3)」 ([2013-08-28-1]),「#1282. コセリウによる3種類の異なる言語変化の原因」 ([2012-10-30-1]),「#520. 歴史言語学は言語の起源と進化の研究とどのような関係にあるか」 ([2010-09-29-1]) で触れてきた.今回は,彼らの提起する経験主義的に取り組むべき言語変化についての5つの問題を略述する.

 (1) The Constraints Problem. 言語変化の制約を同定するという課題,すなわち "to determine the set of possible changes and possible conditions for change" (183) .現代の言語理論の多くは普遍的な制約を同定しようとしており,この課題におおいに関心を寄せている.

 (2) The Transition Problem. "Between any two observed stages of a change in progress, one would normally attempt to discover the intervening stage which defines the path by which Structure A evolved into Structure B" (184) .transition と呼ばれるこの過程は,A と B の両構造を合わせもつ話者を仲立ちとして進行し,他の話者(とりわけ次の年齢世代の話者)へ波及する.その過程には,次の3局面が含まれるとされる."Change takes place (1) as a speaker learns an alternate form, (2) during the time that the two forms exist in contact within his competence, and (3) when one of the forms becomes obsolete" (184).

 (3) The Embedding Problem. 言語構造への埋め込みと社会構造への埋め込みが区別される.通時的な言語変化 (change) は,共時的な言語変異 (variation) に対応し,言語変異は言語学的および社会言語学的に埋め込まれた変項 (variable) の存在により確かめられる.変項は,言語構造にとっても社会構造にとっても本質的な要素である.社会構造への埋め込みについては,次の引用を参照."The changing linguistic structure is itself embedded in the larger context of the speech community, in such a way that social and geographic variations are intrinsic elements of the structure" (185) .ここでは言語変化における社会的要因を追究するのみならず,社会と言語の相互関係(どの社会的要素がどの程度言語に反映しうるかなど)を追究することも重要な課題となる.

 (4) The Evaluation Problem. 言語変化がいかに主観的に評価されるかの問題."[T]he subjective correlates of the several layers and variables in a heterogeneous structure" (186) . また,言語変化や言語変異に対する好悪や正誤に関わる問題や意識・無意識の問題などもある."[T]he level of social awareness is a major property of linguistic change which must be determined directly. Subjective correlates of change are more categorical in nature than the changing patterns of behavior: their investigation deepens our understanding of the ways in which discrete categorization is imposed upon the continuous process of change" (186) .

 (5) The Actuation Problem. "Why do changes in a structural feature take place in a particular language at a given time, but not in other languages with the same feature, or in the same language at other times?" (102) . 言語変化の究極的な問題.「#1466. Smith による言語変化の3段階と3機構」 ([2013-05-02-1]) でみたように,actuation の後には diffusion が続くため,この問題は The Transition Problem へも連なる.

 著者たちの提案の根底には,"orderly heterogeneity" の言語観,今風の用語でいえば variationist の前提がある.上記の言語変化の5つの側面は,通時的な言語変化と共時的な言語変異をイコールで結びつけようとした,著者たちの使命感あふれる提案である.

 ・ Weinreich, Uriel, William Labov, and Marvin I. Herzog. "Empirical Foundations for a Theory of Language Change." Directions for Historical Linguistics. Ed. W. P. Lehmann and Yakov Malkiel. U of Texas P, 1968. 95--188.

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2014-10-11 Sat

#1993. Hickey による言語外的要因への慎重論 [causation][contact][language_change][history_of_linguistics][toc]

 昨日の記事「#1992. Milroy による言語外的要因への擁護」 ([2014-10-10-1]) を含め,ここ2週間余のあいだに言語接触や言語変化における言語外的要因の重要性について複数の記事を書いてきた (cf. [2014-09-25-1], [2014-09-26-1], [2014-10-04-1]) .今回は,視点のバランスを取るために,言語外的要因に対する慎重論もみておきたい.Hickey (195) は,自らが言語接触の入門書を編んでいるほどの論客だが,"Language Change" と題する文章で,言語接触による言語変化の説明について冷静な見解を示している.

   Already in 19th century Indo-European studies contact appears as an explanation for change though by and large mainstream Indo-Europeanists preferred language-internal accounts. One should stress that strictly speaking contact is not so much an explanation for language change as a suggestion for the source of a change, that is, it does not say why a change took place but rather where it came from. For instance, a language such as Irish or Welsh may have VSO as a result of early contact with languages also showing this word order. However, this does not explain how VSO arose in the first place (assuming that it is not an original word order for any language). The upshot of this is that contact accounts frequently just push back the quest for explanation a stage further.
   Considerable criticism has been levelled at contact accounts because scholars have often been all too ready to accept contact as a source, to the neglect of internal factors or inherited features within a language. This readiness to accept contact, particularly when other possibilities have not been given due consideration, has led to much criticism of contact accounts in the 1970s and 1980s . . . . However, a certain swing around can be seen from the 1990s onwards, a re-valorisation of language contact when considered from an objective and linguistically acceptable point of view as demanded by Thomason & Kaufman (1988) . . . .


 言語接触は,言語変化がなぜ生じたかではなく言語変化がどこからきたかを説明するにすぎず,究極の原因については何も語ってくれないという批判だ.究極の原因に関する限り,確かにこの批判は的を射ているようにも思われる.しかし,当該の言語変化の直接の「原因」とはいわずとも,間接的に引き金になっていたり,すでに別の原因で始まっていた変化に一押しを加えるなど,何らかの形で参与した「要因」として,より慎重にいえば「諸要因の1つ」として,ある程度客観的に指摘することのできる言語接触の事例はある.この控えめな意味における「言語外的要因」を擁護する風潮は,上の引用にもあるとおり,1990年代から勢いを強めてきた.振り子が振れた結果,言語接触や言語外的要因を安易に喧伝するきらいも確かにあるように思われ,その懸念もわからないではないが,昨日の記事で見たように言語内的要因をデフォルトとしてきた言語変化研究における長い伝統を思い起こせば,言語接触擁護派の攻勢はようやく始まったばかりのようにも見える.
 上に引用した Hickey の "Language Change" は,限られた紙幅ながらも,言語変化理論を手際よくまとめた良質の解説文である.以下,参考までに節の目次を挙げておく.

Introduction
Issues in language change
   Internal and external factors
   Simplicity and symmetry
   Iconicity and indexicality
   Markedness and naturalness
   Telic changes and epiphenomena
   Mergers and distinctions
   Possible changes
   Unidirectionality of change
   Ebb and flow
Change and levels of language
   Phonological change
   Morphological change
   Syntactic change
The study of universal grammar
   The principles and parameters model
Semantic change
Pragmatic change
Methodologies
   Comparative method
   Internal reconstruction
   Analogy
Sociolinguistic investigations
   Data collection method
   Genre variation and stylistics
Pathways of change
   Long-term change: Grammaticalization
   Large-scale changes: The typological perspective
Contact accounts
Language areas (Sprachbünde)
Conclusion


 ・ Hickey, Raymond. "Language Change." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 171--202.

Referrer (Inside): [2016-05-29-1] [2014-10-26-1]

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2014-10-10 Fri

#1992. Milroy による言語外的要因への擁護 [language_change][causation][sociolinguistics][contact]

 言語変化における言語外的要因と言語内的要因について,本ブログでは ##443,1232,1233,1582,1584,1977,1978,1986 などの記事で議論し,最近では「#1986. 言語変化の multiple causation あるいは "synergy"」 ([2014-10-04-1]) でも再考した.言語外的要因の重要性を指摘する陣営に,急先鋒の1人 James Milroy がいる.Milroy は,正確にいえば,言語外的要因を重視するというよりは,言語変化における話者の役割を特に重視する論者である.「言語の変化」という言語体系が主体となるような語りはあまり好まず,「話者による刷新」という人間が主体となるような語りを選ぶ."On the Role of the Speaker in Language Change" と題する Milroy の論文を読んだ.
 Milroy (144) は,従来および現行の言語変化論において,言語内的要因がデフォルトの要因であるという認識や語りが一般的であることを指摘している.

The assumption of endogeny, being generally the preferred hypothesis, functions in practice as the default hypothesis. Thus, if some particular change in history cannot be shown to have been initiated through language or dialect contact involving speakers, then it has been traditionally presented as endogenous. Usually, we do not know all the relevant facts, and this default position is partly the consequence of having insufficient data from the past to determine whether the change concerned was endogenous or externally induced or both: endogeny is the lectio facilior requiring less argumentation, and what Lass has called the more parsimonious solution to the problem.


 この不均衡な関係を是正して,言語内的要因と言語外的要因を同じ位に置くことができないか,あるいはさらに進めて言語外的要因をデフォルトとすることができないか,というのが Milroy の思惑だろう.しかし,実際のところ,両者のバランスがどの程度のものなのかは分からない.そのバランスは具体的な言語変化の事例についても分からないことが多いし,一般的にはなおさら分からないだろう.そこで,そのバランスをできるだけ正しく見積もるために,Milroy は両要因の関与を前提とするという立場を採っているように思われる.Milroy (148) 曰く,

. . . seemingly paradoxically --- it happens that, in order to define those aspects of change that are indeed endogenous, we need to specify much more clearly than we have to date what precisely are the exogenous factors from which they are separated, and these include the role of the speaker/listener in innovation and diffusion of innovations. It seems that we need to clarify what has counted as 'internal' or 'external' more carefully and consistently than we have up to now, and to subject the internal/external dichotomy to more critical scrutiny.


 このくだりは,私も賛成である.(なお,同様に私は伝統的な主流派の(非社会)言語学と社会言語学とは相補的であり,互いの分野の可能性と限界は相手の分野の限界と可能性に直接関わると考えている.)
 Milroy (156) は論文の終わりで,言語外的要因の重視は,必ずしもそれ自体の正しさを科学的に云々することはできず,一種の信念であると示唆して締めくくっている.

There may be no empirical way of showing that language changes independently of social factors, but it has not primarily been my intention to demonstrate that endogenous change does not take place. The one example that I have discussed has shown that there are some situations in which it is necessary to adduce social explanations, and this may apply very much more widely. I happen to think that social matters are always involved, and that language internal concepts like 'drift' or 'phonological symmetry' are not explanatory . . . .


 引用の最後に示されている偏流 (drift) など話者不在の言語変化論への批判については,機能主義や目的論の議論と関連して,「#837. 言語変化における therapy or pathogeny」 ([2011-08-12-1]),「#1549. Why does language change? or Why do speakers change their language?」 ([2013-07-24-1]),「#1979. 言語変化の目的論について再考」 ([2014-09-27-1]) も参照されたい.

 ・ Milroy, James. "On the Role of the Speaker in Language Change." Motives for Language Change. Ed. Raymond Hickey. Cambridge: CUP, 2003. 143--57.

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2014-10-04 Sat

#1986. 言語変化の multiple causation あるいは "synergy" [causation][contact][language_change]

 昨日の記事「#1985. 借用と接触による干渉の狭間」 ([2014-10-03-1]) で参照した Meeuwis and Östman の言語接触に関する論文に,「言語接触における間接的な影響」 (indirect influence in language contact) という節があった.借用 (borrowing) や接触による干渉 (contact-induced interference) においては,言語Aから言語Bへ何らかの言語項が移動することが前提となっているが,言語項の移動を必ずしも伴わない言語間の影響というのもありうる.典型的な例として言語接触が引き金となって既存の言語項が摩耗したり消失したりする現象があり,英語史でも古ノルド語との接触による屈折体系の衰退という話題がしばしば取り上げられる.そこでは何らかの具体的な言語項が古ノルド語から古英語へ移動したわけではなく,あくまで接触を契機として古英語に内的な言語変化が進行したにすぎない.このようなケースは「間接的な影響」の例と呼べるだろう.「#1781. 言語接触の類型論」 ([2014-03-13-1]) で示した類型において Thomason が "Loss of features" と呼ぶところの例であり,一般に単純化 (simplification) や中和化 (neutralization) などと言及される例でもある (cf. ##928,931,932,1585,1839) .
 「間接的な影響」は,当該の言語接触がなければその言語変化は生じ得なかったという点で,言語変化の原因を論じるにあたって,直接的な影響に勝るとも劣らぬ重要さをもっている.「言語接触という外的な要因に触発された内的な変化」という原因及び過程は一体をなしており,それぞれの部分へ分解して論じることはできない.したがって,内的・外的要因のどちらが重要かという問いは意味をなさない.ここでは,Meeuwis and Östman の言うように "multiple causation" あるいは "synergy" を前提とする必要がある.

. . . there is a host of generalization, avoidance, simplification and other processes at work in second-language acquisition, language shift, language death and other types of language contact, which show no isomorphic or qualitative correspondence with elements in the donor language or in a previous form of the recipient, affected language. These seemingly internal 'creations' of previously non-existent structures occur simply due to the contact situation, i.e. they would not have occurred in the language unless it had been in contact . . . and could thus not be explained without reference to a linguistic and cultural contact. Also, in all these fields, the phenomenon of 'multiple causation' or, as it is also called, 'synergy' has to be taken into account. Synergy refers to changes that occur internally in a language but are triggered by the contact with similar features, patterns, or rules in another language. Here, some qualitative resemblances to features in the donor language or in a pre-contact state of the affected language can be observed: the contact has given rise to a change in existing features. . . . '[S]ynergy' is a widely observable phenomenon that is too often slighted by keeping the distinction between internally and externally motivated language change too rigidly separate. (42)


 このような現象に対しての "synergy" (相乗効果)という用語は初耳だったが,日頃抱いていた考え方に近く,受け入れやすく感じた.関連して,以下の記事も参照されたい.

 ・ 「#443. 言語内的な要因と言語外的な要因はどちらが重要か?」 ([2010-07-14-1])
 ・ 「#1232. 言語変化は雨漏りである」 ([2012-09-10-1])
 ・ 「#1233. 言語変化は風に倒される木である」 ([2012-09-11-1])
 ・ 「#1582. 言語内的な要因と言語外的な要因はどちらが重要か? (2)」 ([2013-08-26-1])
 ・ 「#1584. 言語内的な要因と言語外的な要因はどちらが重要か? (3)」 ([2013-08-28-1])
 ・ 「#1977. 言語変化における言語接触の重要性 (1)」 ([2014-09-25-1])
 ・ 「#1978. 言語変化における言語接触の重要性 (2)」 ([2014-09-26-1])

 ・ Meeuwis, Michael and Jan-Ola Östman. "Contact Linguistics." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 36--45.

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2014-10-03 Fri

#1985. 借用と接触による干渉の狭間 [contact][loan_word][borrowing][sociolinguistics][language_change][causation][substratum_theory][code-switching][pidgin][creole][koine][koineisation]

 「#1780. 言語接触と借用の尺度」 ([2014-03-12-1]) と「#1781. 言語接触の類型論」 ([2014-03-13-1]) でそれぞれ見たように,言語接触の類別の1つとして contact-induced language change がある.これはさらに借用 (borrowing) と接触による干渉 (shift-induced interference) に分けられる.前者は L2 の言語的特性が L1 へ移動する現象,後者は L1 の言語的特性が L2 へ移動する現象である.shift-induced interference は,第2言語習得,World Englishes,基層言語影響説 (substratum_theory) などに関係する言語接触の過程といえば想像しやすいかもしれない.
 この2つは方向性が異なるので概念上区別することは容易だが,現実の言語接触の事例においていずれの方向かを断定するのが難しいケースが多々あることは知っておく必要がある.Meeuwis and Östman (41) より,箇条書きで記そう.

 (1) code-switching では,どちらの言語からどちらの言語へ言語項が移動しているとみなせばよいのか判然としないことが多い.「#1661. 借用と code-switching の狭間」 ([2013-11-13-1]) で論じたように,borrowing と shift-induced interference の二分法の間にはグレーゾーンが拡がっている.
 (2) 混成語 (mixed language) においては,関与する両方の言語がおよそ同じ程度に与える側でもあり,受ける側でもある.典型的には「#1717. dual-source の混成語」 ([2014-01-08-1]) で紹介した Russenorsk や Michif などの pidgincreole/creoloid が該当する.ただし,Thomason は,この種の言語接触を contact-induced language change という項目ではなく,extreme language mixture という項目のもとで扱っており,特殊なものとして区別している (cf. [2014-03-13-1]) .
 (3) 互いに理解し合えるほどに類似した言語や変種が接触するときにも,言語項の移動の方向を断定することは難しい.ここで典型的に生じるのは,方言どうしの混成,すなわち koineization である.「#1671. dialect contact, dialect mixture, dialect levelling, koineization」 ([2013-11-23-1]) と「#1690. pidgin とその関連語を巡る定義の問題」 ([2013-12-12-1]) を参照.
 (4) "false friends" (Fr. "faux amis") の問題.L2 で学んだ特徴を,L1 にではなく,別に習得しようとしている言語 L3 に応用してしまうことがある.例えば,日本語母語話者が L2 としての英語の magazine (雑誌)を習得した後に,L3 としてのフランス語の magasin (商店)を「雑誌」の意味で覚えてしまうような例だ.これは第3の方向性というべきであり,従来の二分法では扱うことができない.
 (5) そもそも,個人にとって何が L1 で何が L2 かが判然としないケースがある.バイリンガルの個人によっては,2つの言語がほぼ同等に第1言語であるとみなせる場合がある.関連して,「#1537. 「母語」にまつわる3つの問題」 ([2013-07-12-1]) も参照.

 borrowing と shift-induced interference の二分法は,理論上の区分であること,そしてあくまでその限りにおいて有効であることを押えておきたい.

 ・ Meeuwis, Michael and Jan-Ola Östman. "Contact Linguistics." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 36--45.

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2014-09-27 Sat

#1979. 言語変化の目的論について再考 [language_change][causation][teleology][unidirectionality][invisible_hand][drift][functionalism]

 昨日の記事で引用した Luraghi が,同じ論文で言語変化の目的論 (teleology) について論じている.teleology については本ブログでもたびたび話題にしてきたが,論じるに当たって関連する諸概念について整理しておく必要がある.
 まず,言語変化は therapy (治療)か prophylaxis (予防)かという議論がある.「#835. 機能主義的な言語変化観への批判」 ([2011-08-10-1]) や「言語変化における therapy or pathogeny」 ([2011-08-12-1]) で取り上げた問題だが,いずれにしても前提として機能主義的な言語変化観 (functionalism) がある.Kiparsky は "language practices therapy rather than prophylaxis" (Luraghi 364) との謂いを残しているが,Lass などはどちらでもないとしている.
 では,functionalism と teleology は同じものなのか,異なるものなのか.これについても,諸家の間で意見は一致していない.Lass は同一視しているようだが,Croft などの論客は前者は "functional proper",後者は "systemic functional" として区別している."systemic functional" は言語の teleology を示すが,"functional proper" は話者の意図にかかわるメカニズムを指す.あくまで話者の意図にかかわるメカニズムとしての "functional" という表現が,変異や変化を示す言語項についても応用される限りにおいて,(話者のではなく)言語の "functionalism" を語ってもよいかもしれないが,それが言語の属性を指すのか話者の属性を指すのかを区別しておくことが重要だろう.

Teleological explanations of language change are sometimes considered the same as functional explanations . . . . Croft . . . distinguishes between 'systemic functional,' that is teleological, explanations, and 'functional proper,' which refer to intentional mechanisms. Keller . . . argues that 'functional' must not be confused with 'teleological,' and should be used in reference to speakers, rather than to language: '[t]he claim that speakers have goals is correct, while the claim that language has a goal is wrong' . . . . Thus, to the extent that individual variants may be said to be functional to the achievement of certain goals, they are more likely to generate language change through invisible hand processes: in this sense, explanations of language change may also be said to be functional. (Luraghi 365--66)


 上の引用にもあるように,重要なことは「言語が変化する」と「話者が言語を刷新する」とを概念上区別しておくことである.「#1549. Why does language change? or Why do speakers change their language?」 ([2013-07-24-1]) で述べたように,この区別自体にもある種の問題が含まれているが,あくまで話者(集団)あっての言語であり,言語変化である.話者主体の言語変化論においては teleology の占める位置はないといえるだろう.Luraghi (365) 曰く,

Croft . . . warns against the 'reification or hypostatization of languages . . . Languages don't change; people change language through their actions.' Indeed, it seems better to avoid assuming any immanent principles inherent in language, which seem to imply that language has an existence outside the speech community. This does not necessarily mean that language change does not proceed in a certain direction. Croft rejects the idea that 'drift,' as defined by Sapir . . ., may exist at all. Similarly, Lass . . . wonders how one can positively demonstrate that the unconscious selection assumed by Sapir on the side of speakers actually exists. From an opposite angle, Andersen . . . writes: 'One of the most remarkable facts about linguistic change is its determinate direction. Changes that we can observe in real time---for instance, as they are attested in the textual record---typically progress consistently in a single direction, sometimes over long periods of time.' Keller . . . suggests that, while no drift in the Sapirian sense can be assumed as 'the reason why a certain event happens,' i.e., it cannot be considered innate in language, invisible hand processes may result in a drift. In other words, the perspective is reversed in Keller's understanding of drift: a drift is not the pre-existing reason which leads the directionality of change, but rather the a posteriori observation of a change brought about by the unconsciously converging activity of speakers who conform to certain principles, such as the principle of economy and so on . . . .


 関連して drift, functionalism, invisible_hand, unidirectionality の各記事も参考にされたい.

 ・ Luraghi, Silvia. "Causes of Language Change." Chapter 20 of Continuum Companion to Historical Linguistics. Ed. Silvia Luraghi and Vit Bubenik. London: Continuum, 2010. 358--70.

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