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最終更新時間: 2022-12-09 15:40

2016-11-12 Sat

#2756. 読み書き能力は言語変化の速度を緩めるか? [glottochronology][lexicology][speed_of_change][schedule_of_language_change][language_change][latin][writing][medium][literacy]

 Swadesh の言語年代学 (glottochronology) によれば,普遍的な概念を表わし,個別文化にほぼ依存しないと考えられる基礎語彙は,時間とともに一定の比率で置き換えられていくという.ここで念頭に置かれているのは,第一に話し言葉の現象であり,書き言葉は前提とされていない.ということは,読み書き能力 (literacy) はこの「一定の比率」に特別な影響を及ぼさない,ということが含意されていることになる.しかし,直観的には,読み書き能力と書き言葉の伝統は言語に対して保守的に作用し,長期にわたる語彙の保存などにも貢献するのではないかとも疑われる.
 Zengel はこのような問題意識から,ヨーロッパ史で2千年以上にわたり継承されたローマ法の文献から法律語彙を拾い出し,それらの保持率を調査した.調査した法律文典のなかで最も古いものは,紀元前450年の The Twelve Tables である.次に,千年の間をおいて紀元533年の Justinian I による The Institutes.最後に,さらに千年以上の時間を経て1621年にフランスで出版された The Custom of Brittany である.この調査において,語彙同定の基準は語幹レベルでの一致であり,形態的な変形などは考慮されていない.最初の約千年を "First interval",次の約千年を "Second interval" としてラテン語法律語彙の保持率を計測したところ,次のような数値が得られた (Zengel 137) .

 Number of itemsItems retainedRate of retention
First interval685885.1%
Second interval584680.5%


 2区間の平均を取ると83%ほどとなるが,これは他種の語彙統計の数値と比較される.例えば,Zengel (138) に示されているように,"200 word basic" の保持率は81%,"100 word basic" では86%,Swadesh のリストでは93%である(さらに比較のため,一般語彙では51%,体の部位や機能を表わす語彙で68%).これにより,Swadesh の前提にはなかった,書き言葉と密接に結びついた法律用語という特殊な使用域の語彙が,驚くほど高い保持率を示していることが実証されたことになる.Zengel (138--39) は,次のように論文を結んでいる.

Some new factor must be recognized to account for the astonishing stability disclosed in this study . . . . Since these materials have been selected within an area where total literacy is a primary and integral necessity in the communicative process, it seems reasonable to conclude that it is to be reckoned with in language change through time and may be expected to retard the rate of vocabulary change.


 なるほど,Zengel はラテン語の法律語彙という事例により,語彙保持に対する読み書き能力の影響を実証しようと試みたわけではある.しかし,出された結論は,ある意味で直観的,常識的にとどまる既定の結論といえなくもない.Swadesh によれば個別文化に依存する語彙は保持率が比較的低いはずであり,法律用語はすぐれて文化的な語彙と考えられるから,ますます保持率は低いはずだ.ところが,今回の事例ではむしろ保持率は高かった.これは,語彙がたとえ高度に文化的であっても,それが長期にわたる制度と結びついたものであれば,それに応じて語彙も長く保たれる,という自明の現象を表わしているにすぎないのではないか.この場合,驚くべきは,語彙の保持率ではなく,2千年にわたって制度として機能してきたローマ法の継続力なのではないか.法律用語のほか,宗教用語や科学用語など,当面のあいだ不変と考えられる価値などを表現する語彙は,その価値が存続するあいだ,やはり存続するものではないだろうか.もちろん,このような種類の語彙は,読み書き能力や書き言葉と密接に結びついていることが多いので,それもおおいに関与しているだろうことは容易に想像される.まったく驚くべき結論ではない.
 言語変化の速度 (speed_of_change) について,今回の話題と関連して「#430. 言語変化を阻害する要因」 ([2010-07-01-1]),「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1]),「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1]),「#795. インターネット時代は言語変化の回転率の最も速い時代」 ([2011-07-01-1]),「#1874. 高頻度語の語義の保守性」 ([2014-06-14-1]),「#2641. 言語変化の速度について再考」 ([2016-07-20-1]),「#2670. 書き言葉の保守性について」 ([2016-08-18-1]) なども参照されたい.

 ・ Zengel, Marjorie S. "Literacy as a Factor in Language Change." American Anthropologist 64 (1962): 132--39.

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2016-10-23 Sun

#2736. 点字の普及の歴史 [writing][braille][sign_language][hiragana][direction_of_writing][medium][history][japanese][distinctiones]

 「#2717. 暗号から始まった点字」 ([2016-10-04-1]) の記事で見たように,ブライユ点字は,シャルル・バルビエの考案した「夜間文字」の応用である12点点字を,ブライユが6点点字に改良したことに端を発する.19世紀始めには,目の不自由な人々にとっての読み書きは,紙に文字を浮き出させた「凸文字」によるものだった.しかし,指で触って理解するには難しく,広く習得されることはなかった.そのような時代に,ブライユが読みやすく理解しやすい点字を考案したことは,画期的な出来事だった.音楽の得意だったブライユは,さらに点字音符表を作成し,点字による楽譜表記をも可能にした.
 その後,19世紀後半から20世紀にかけて,ブライユ点字は諸言語に応用され,世界に広がっていく.1854年にフランス政府から公式に認められた後,イギリスでは英国王立盲人協会を設立したトーマス・アーミテージがブライユ点字を採用し,改良しつつ広めた.アメリカでは,ニューヨーク盲学校のウィリアム・ウエイトらがやはりブライユ点字に基づく点字を採用した.1915年に標準米国点字が合意されると,1932年には英米の合議により英語共通の点字も定まった(この点では,アメリカとイギリスで異なる体系を用いている手話の置かれている状況とは一線を画する;see 「#1662. 手話は言語である (1)」 ([2013-11-14-1])).
 我が国でも,1887年に東京の盲学校に勤めていた小西信八がブライユ点字を持ち込み,日本語への応用の道を探った.そして,1890年(明治23年)11月1日に石川倉次(=日本点字の父)の案が採用されるに至った.この日は,日本点字制定記念日とされている.
 点字を書くための道具に,板,定規,点筆がセットになった「点字盤」がある.板の上に紙をのせた状態で,穴の空いた定規を用いて点筆で右から左へを点を打っていくものである.通常の文字と異なり,点字は紙の裏側から打っていく必要があり,したがって,発信者の書きと受信者の読みの方向が逆となる.これは点字の読み書きに関する顕著な特徴といってよいだろう.また,日本語点字はかな書きで書かれるため,分かち書きをする必要がある点でも,通常の日本語書記と異なる (see 「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1])) .現代では,伝統的な点字盤のほか,点字タイプライターやコンピュータにより,簡便に点字を書くことができるようになっている.
 日本でも身近なところで点字に出会う機会は増えてきている.電化製品,缶飲料,食品の瓶や容器など,多くの場所で点字が見られるようになった.

 ・ 高橋 昌巳 『調べる学習百科 ルイ・ブライユと点字をつくった人びと』 岩崎書店,2016年.

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2016-09-13 Tue

#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり [punctuation][medium][writing][scribe][distinctiones]

 昨日の記事「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]) に引き続き,分かち書きに関連する話題.
 「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1]) でみたように,分かち書きの慣習の発生には,ラテン語を非母語とするアイルランドの修道僧の語学学習テクニックが関与していた.しかし,分かち書きが定着に貢献した要因は,そればかりではない.Crystal (10--13) によれば,7世紀までに発達していた黙読習慣や,St Augustine によるキリスト教教義の正しい伝授法という文化的・社会的な要因も関与していた.
 黙読習慣が発達するということは,書き言葉が話し言葉とは区別される媒体として機能するようになったということであり,読み手に優しい書き方が模索される契機が生じたということである.別の観点からいえば,続け書きが本来もつ「読みにくさ」への寛容さが失われてきた.このことは,語間空白のみならず句読法 (punctuation) 一般の発達にも関係するだろう.

By the seventh century in England, word-spacing had become standard practice, reflecting a radical change that had taken place in reading habits. Silent reading was now the norm. Written texts were being seen not as aids to reading aloud, but as self-contained entities, to be used as a separate source of information and reflection from whatever could be gained from listening and speaking. It is the beginning of a view of language, widely recognized today, in which writing and speech are seen as distinct mediums of expression, with different communicative aims and using different processes of composition. And this view is apparent in the efforts scribes made to make the task of reading easier, with the role of spacing and other methods of punctuation becoming increasingly appreciated. (Crystal 10)


 次に,キリスト教との関係でいえば,St Augustine などの初期キリスト教の教父が神学的解釈をめぐってテキストの微妙な差異にこだわりを示したことが,後の分かち書きを含む句読法を重視する傾向を生み出したという.

The origins of the change are not simply to do with the development of new habits of reading. They are bound up with the emergence of Christianity in the West, and the influential views of writers such as St Augustine. Book 3 of his (Latin) work On Christian Doctrine, published in the end of the fourth century AD, is entitled: 'On interpretation required by the ambiguity of signs', and in its second chapter we are given a 'rule for removing ambiguity by attending to punctuation'. Augustine gives a series of Latin examples where the placing of a punctuation mark in an unpunctuated text makes all the difference between two meanings. The examples are of the kind used today when people want to draw attention to the importance of punctuation, as in the now infamous example of the panda who eats, shoots and leaves vs eats shoots and leaves. But for Augustine, this is no joke, as the location of a mark can distinguish important points of theological interpretation, and in the worst case can make all the difference between orthodoxy and heresy. (Crystal 12--13)


 また,上記2点とも間接的に関わるが,語間空白なしではとても読むに堪えないジャンルのテキストが現われるようになったことも,分かち書きの慣習を促進することになったろう.例えば,いわゆる文章ではなく,単語集というべき glossary の類いである.この種の単語一覧はそもそも備忘録用,参照用であり,声を出して読み上げるというよりは,見て確認する用途で使われることが多く,語と語の境界を明示することが特に要求されるテキストといってよい (Crystal 10--11) .
 このように互いに関連するいくつかの文化的・社会的水脈が前期古英語の7世紀までに合流し,分かち書きの慣習が,いまだ現代風の完璧さは認められないものの,およそ一般化する契機を獲得したと考えられる,

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

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2016-08-18 Thu

#2670. 書き言葉の保守性について [writing][medium]

 標題の問題に関して「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1]) や「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1]) をはじめ,本ブログでも多く話題にしてきた.文字体系の保守性はいうまでもなく,文字を用いた言語行為,すなわち書き言葉の全体が,話し言葉に比して保守的であることは確かな事実である.だが,なぜそうなのだろうか.答えは様々あるだろうが,本質的な答えを知りたい.
 昨日の記事「#2669. 英語と日本語の文法史の潮流」 ([2016-08-17-1]) で参照した森重 (86) に,書き言葉が当該の時代より前の時代の話し言葉を含む傾向が多い理由を論じているくだりがあり,標題を考察する上でおおいにヒントになる.(原文の旧字体は新字体になおしてある.また,太字による強調は引用者によるもの.)

筆録体の口語文は勿論すでに純粋の口頭語そのままではないがなほいはば発音式仮名遣に似て口頭語に近い。これに対して勝義の口語文も一層口頭語そのままではありえず,すでに文字言語としてあるもの,すなはちその口頭語乃至は筆録体の口語文の前時期乃至は前時代の文字言語に近づく。それは,その言語内容の客観的社会的論理的歴史的な対話性が,前時期語前時代語のもつ時期時代を超えた古典的客観性に必然的に結びつくからである。ここに一層客観的社会的論理的歴史的な対話性をもつ言語内容の文語,勝義の文語が成立する。したがってそれは,決してその時期時代の筆録体の口語文乃至は口頭語と著しい懸隔のあるものでは本来ありえない,と同時に,かならず前時期前時代的な古典語をも含む意味において,決してそれらと同一であることができない。たとへば,勝義の口語文において成立し,さらに勝義の文語において成熟する文字文芸や論説がそれである。その優れた作品とせられるものは,筆録体の口語文乃至は口語的な俗と古典的時期時代語的な雅との混淆,乃至は原文の一致においてしばしば完成せられた。それは個々の一個人としての聞手とともに,聴手一般としてのその集合全体者をも満足せしめる言語内容をもち,個人的にして社会的,主観的にして客観的な基盤に立つ。これらこそ本来の優れた意味において歴史にのこるものである。


 強調した部分が言わんとしていることは,私の理解によれば以下の通りである.書き言葉は話し言葉と比べて「客観的社会的論理的歴史的」な性質をもつべきものであり,その性質を保ち続けるためには,すでにそのような性質を有することが実践を通じて証明されている既存の書き言葉に範を求めるのが妥当だ,ということである.話し言葉は常に変化を続けているものであるから,前時代から続く範例を重んじる傾向のある書き言葉は,相対的に古く,保守的ということになる.換言すれば,人々は,書き言葉として既に成功しているものを使い続ける傾向があるのだ.このように,書き言葉が保守的である理由は,それが本質的に「客観的社会的論理的歴史的」であるという原点に立ち戻ることにより,よく理解できる.

 ・ 森重 敏 「文法史の時代区分」『国語学』第22巻,1955年,79--87頁.

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2016-07-09 Sat

#2630. 規範主義を英語史(記述)に統合することについて [prescriptivism][historiography][medium][writing][language_change]

 Curzan による Fixing English: Prescriptivism and Language History を読んでいる.これは,英語の規範主義 (prescriptivism) の歴史についての総合的な著書だが,新たな英語史のありかたを提案する野心的な提言としても読める.
 従来の英語史記述では,規範主義は18世紀以降の英語史に社会言語学な風味を加える魅力的なスパイスくらいの扱いだった.しかし,共同体の言語に対する1つの態度としての規範主義は,それ自体が言語変化の規模,速度,方向に影響を及ぼしう要因でもある.この理解の上に,新たな英語史を記述することができるし,その必要があるのではないか,と著者は強く説く.この主張は,とりわけ第2章 "Prescriptivism's lessons: scope and 'the history of English'" で何度となく繰り返されている.そのうちの1箇所を引用しよう.

When I began this project, I was not expecting to end up asking one of the most fundamental scholarly questions one can ask in the field of history of English studies. But examining prescriptivism as a real sociolinguistic factor in the history of English raises the question: What does it mean to tell the "linguistic history" of "the English language"? Or, to put it more prescriptively, what should it mean to tell the history of the English language? Attention to prescriptivism in the telling of language history gives significant weight to writing, ideologies, and consciously implemented language change. In so doing, it highlights some inconsistencies within the field about the focus of study, about what falls within the scope of "linguistic" history.
   Re-examining the scope of the linguistic history of English encompasses at least three major issues . . .: the relative importance of language attitudes and ideologies in understanding a language's history; the relative importance of the written and spoken versions of the language in constituting "the English language" whose history is being told; and the relative importance of change above and below speakers' conscious awareness (to use standard terminology in the field) in constituting language change. (42--43)


 Curzan (48) は,第2段落にある3つの観点を次のように換言しながら,新しい英語史記述の軸として提案している.

 ・ The history of the English language encompasses metalinguistic discussions about language, which potentially have real effects on language use.
 ・ The history of the English language encompasses the development of both the written and the spoken language, as well as their relationship to each other.
 ・ The history of the English language encompasses linguistic developments occurring both below the level of speakers' conscious awareness --- what is sometimes called "naturally" --- and above the level of speakers' conscious awareness.


 第1点目の,規範主義が実際の言語変化に影響を与えうるという指摘については,確かにその通りだと思っている.英語史研究者はこの問題に真剣に向かい合う必要があるという主張には,大きくうなずく次第である.

 ・ Curzan, Anne. Fixing English: Prescriptivism and Language History. Cambridge: CUP, 2014.

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2016-07-08 Fri

#2629. Curzan による英語の書き言葉と話し言葉の関係の歴史 [writing][medium][historiography][language_change][renaissance][standardisation][colloquialisation]

 昨日の記事「#2628. Hockett による英語の書き言葉と話し言葉の関係を表わす直線」 ([2016-07-07-1]) で示唆したように,英語の書き言葉と話言葉の間の距離は,おおまかに「小→中→大→中(?)」と表現できるパターンで推移してきた.あらためて要約すると,次の通りである.
 書き言葉と話し言葉の距離は,古英語から中英語にかけては比較的小さいままにとどまっていたが,ルネサンスの近代英語期に入ると書き言葉の標準化 (standardisation) が進んだこともあって,両媒体の乖離は開いてきた.しかし,現代英語期になり,口語的な要素が書き言葉にも流れ込むようになり (= colloquialisation) ,両者の距離は再び部分的に狭まってきていると考えることができる.
 両媒体の略歴については,Curzan (54--55) の記述が的確である.

The fluctuating distance between written and spoken registers provides one fascinating lens through which to tell the history of English. For the Old English and Middle English periods, scholars assume a much closer correspondence between the written and spoken, with the recognition that the record does not preserve very informal registers of the written. While there were some local written standards, these periods predate widespread language standardization, and spelling and morphosyntactic differences by region suggest that scribes saw the written language as in some way capturing their individual or local pronunciation and grammar. The prevalence of coordinated or paratactic clause structures in these periods is more reflective of the spoken language than the highly subordinated clause structures that come to characterize high written prose in the Renaissance. . . . The Renaissance witnesses a growing chasm between the spoken and written, with the rise of language standardization and the spread of English to more scientific, legal, and other genres that had been formerly written in Latin. To this day, written academic, legal, and medical registers are marked by stark differences from spoken language, from the prevalence of nominalization (e.g., when the verb enhance becomes the noun enhancement) to the relative paucity of first-person pronouns to highly subordinated sentence structures.
   At the turn of the millennium something interestingly cyclical appears to be happening online, in journalistic prose, and in other registers, where the written language is creeping back toward patterns more characteristic of the spoken language --- a process referred to as colloquialization . . . . In other words, the distance between the structure and style of spoken and written language that has characterized much of the modern period is narrowing, a least in some registers. Current colloquialization of written prose includes the rise of features such as semi-modals (e.g., have to), contractions, and the progressive.


 これは,書き言葉と話し言葉の関係という観点からみた,もう1つの見事な英語史記述だと思う.

 ・ Curzan, Anne. Fixing English: Prescriptivism and Language History. Cambridge: CUP, 2014.

Referrer (Inside): [2016-07-19-1]

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2016-07-07 Thu

#2628. Hockett による英語の書き言葉と話し言葉の関係を表わす直線 [writing][medium][historiography][language_change][colloquialisation][periodisation]

 Curzan の規範主義に関する著書を読んでいて,英語史における書き言葉と話言葉の距離感についての Hockett (1957) の考察が紹介されていた (Hockett, Charles F. "The Terminology of Historical Linguistics." Studies in Linguistics 12 (1957: 3--4): 57--73.) .以下の図は,Curzan (55) に掲載されていた図に手を加えたものなので,Hockett のオリジナルとは多少とも異なるかもしれない.図に続けて,同じく Curzan (55--56) より孫引きだが,Hockett の付した説明を引用する.

Hockett's Timeline of Written and Spoken English

With Alfred, the 'writing' line begins to slope downwards more gently, becoming further and further removed from the 'speech' line. This is because Alfred's highly prestigious writings set an orthographic and stylistic habit, which tended to persist in the face of changing habits of speech. The Norman Conquest leads rather quickly to an end of this older orthographic practice; the new 'writing' line which begins approximately at this time represents the rather drastically altered orthographic habits developed under the influence of the French-trained scribes. I have begun this line somewhat closer to the 'speech' line at the time, on the assumption --- of which I am not certain --- that the rather radical change in writing habits led, at least at first, to a somewhat closer matching of contemporary speech. From this time until Caxton and printing, the 'writing' line follows more or less inadequately the changing pattern of speech, never getting very close to it, yet constantly being modified in the direction of it. But with Caxton, and the introduction of printing, there soon comes about the real deep-freeze on English spelling-habits which has persisted to our own day. (Hockett 65--66)


 この図と解説は,せいぜい20世紀半ばまでをカバーしているにすぎないが,その後,20世紀の後半から現在にかけては,むしろ書き言葉が colloquialisation (cf. 「#625. 現代英語の文法変化に見られる傾向」 ([2011-01-12-1])) を経てきたことにより,少なくともある使用域において,両媒体の距離は縮まってきているようにも思われる.したがって,図中の2本の線をそのような趣旨で延長させてみるとおもしろいかもしれない.
 書き言葉と話し言葉の距離という話題については,「#2292. 綴字と発音はロープでつながれた2艘のボート」 ([2015-08-06-1]) や「#15. Bernard Shaw が言ったかどうかは "ghotiy" ?」 ([2009-05-13-1]) の図も参照されたい.

 ・ Curzan, Anne. Fixing English: Prescriptivism and Language History. Cambridge: CUP, 2014.

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2016-06-27 Mon

#2618. 文字をもたない言語の数は? (2) [world_languages][writing][statistics][language_planning][language_myth][medium]

 「#1277. 文字をもたない言語の数は?」 ([2012-10-25-1]) で,この種の統計を得ることの難しさに触れた.今回は『世界民族百科事典』に「無文字言語」という項を見つけたので,その内容を要約したい.
 無文字言語 (unwritten language) とは,「たんに文字に書かれることがないということではなく,研究者などによって書かれることがあるとしても社会に定着しておらず,それが通信や記録の媒体として機能していない言語」である.無文字言語の数については,本項を書いている梶 (186) も確かなことは言えないようで,Ethnologue による世界の言語の推計を参照しながら,漠然と「文字化された言語は,世界におそらく数%しかないのではないか.実際的に世界のほとんどの文字が無文字言語なのである」と述べている.
 先の記事でも触れたが,無文字言語の母語話者が文字を知らないとは必ずしもいえないことに注意したい.非母語で教育を受け,その非母語の文字を習得している可能性はあるからだ.実際に,世界の多くの人々がそのような状況におかれている.逆に言えば,母語で(あるいは母国語で)教育を受けられる国というのは,少ないのである.
 オーストラリアで無文字言語を話す少数民族の文化を無形文化財として保護しようとする運動が見られるなど,世界のいくつかの地域で少数言語の保持の試みがなされてはいる.しかし,このような言語政策 (language_planning) はいまだ一般的とはいえず,多くの言語が地域の強大な言語からの圧力や差別にさらされているのが実態だろう.
 梶 (187) は,無文字言語に関する言語の神話 (language_myth) に言及しつつ,無文字社会にみられる口頭言語の役割の大きさを指摘している.

 言語に文字がないと表現が散漫になるのではないかと考える向きもあるが,これはむしろ逆であることが多い.言語に文字がないからこそ,表現に一定の形式を与え,コミュニケーションを確かなものにしようという意識が働く.なぜアジアやアフリカの言語に民話が何千とあり,また諺も2,000も3,000もあるのか考えてみよう.例えば諺というのは,社会の英知をコンパクトに表現したものであるが,そこには韻を踏んだり対句を用いたりとさまざまな形式が導入されている.
 〔中略〕文字言語は,さまざまなものを文字の代わりに用いることがある.例えば,人名や地名は出来事の記録媒体として機能することは世界の多くの地域でみられる.例えば,アフリカなどでは「葬式」という名前は,親族が死んで喪に服しているときに生まれた子供,「戦争」は戦いがあったときの子供,「道」は母親が産科に急いだのだが間に合わず道で産んだ子供といった具合である.これらの名前は個人を他の個人と区別するだけでなく同時に命名者(これは主として子供の親)にとって重要な出来事を,子供の名前の中に記録しているのである.また隣人に対して,あたかも手紙を書くようにメッセージを子供の名前に託したものも多い.
 このように,無文字言語そして無文字社会においては,文字がないからこそ豊かな口承文芸が発達しているのである.そして文字の役割が大きくなればなるほど,口承文芸が衰退していくことは今,我々が目にしているとおりである.


 関連して,「#1685. 口頭言語のもつ規範と威信」 ([2013-12-07-1]) を参照.

 ・ 梶 茂樹 「無文字言語」 『世界民族百科事典』 国立民族学博物館(編),丸善出版,2014年.186--87頁.

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2016-06-26 Sun

#2617. "colloquial" というレジスター [register][medium][componential_analysis][prototype]

 "colloquial" というレジスター (register) について考えている.訳語としては「口語(体)の, 話し言葉の;日常会話の,会話体の;形式張らない」ほどが与えられ,関連語としては "conversational", "spoken", "vulgar", "slangy", "informal" などが挙げられる.一方,対比的に "literary" という用語が想定されていることが多い.無教育な人の言葉遣いを表現する形容詞ではなく,むしろ教育のある人が日常会話で使う言葉という含意が強い.いくつかの学習者英英辞書から定義を引用しよう.

 ・ (of words and language) used in conversation but not in formal speech or writing (OALD8)
 ・ language or words that are colloquial are used mainly in informal conversations rather than in writing or formal speech (LDOCE5)
 ・ (of words and expressions) informal and more suitable for use in speech than in writing (CALD3)
 ・ Colloquial words and phrases are informal and are used mainly in conversation (COBUILD)
 ・ used in informal conversation rather than in writing or formal language (MED2)


 共起表現としては a colloquial expression, the colloquial style, a colloquial knowledge of Japanese, colloquial speech などが参考になる.
 上記から,"colloquial" は典型的に,媒体 (mode of discourse) としては話し言葉(音声言語)に属し,スタイル (style (tenor) of discourse) としては形式張らないものに属するといえる (cf. 「#839. register」 ([2011-08-14-1])) .しかし,"colloquial" は原則として段階的形容詞 (gradable adjective) であり,ある表現が "colloquial" であるか否かを二者択一的に決定することは難しい.確かに話し言葉か書き言葉かという媒体の属性はデジタルではあるが,書き言葉を指して "colloquial" と表現することは不可能ではない (ex. The passage is written in a colloquial way.) .また,スタイルについては形式張りの度合いはアナログであるから,"colloquial" と "uncolloquial" の境の線引きはもとより困難である.畢竟,"colloquial" の意味自体が,媒体とスタイルという2項の属性の特定の組み合わせによって成分分析 (componential_analysis) 的に定義されるというよりは,プロトタイプ (prototype) として定義されるのがふさわしいように思われる.
 プロトタイプとしての解釈が妥当であることは,「#611. Murray の語彙星雲」 ([2010-12-29-1]),「#1958. Hughes の語彙星雲」 ([2014-09-06-1]) で示した語彙星雲(「レジスター星雲」と読み替えてもよさそうだ)によっても示唆される.そこに挙げられている "colloquial" ほか "dialectal", "literary", "formal" などのレジスター用語の意味も,すべてプロトタイプ的にとらえておくのがよさそうだ.

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2016-04-06 Wed

#2536. Hobo signs [medium][writing][etymology]

 「#2534. 記号 (sign) の種類 --- 目的による分類」 ([2016-04-04-1]) と「#2535. 記号 (sign) の種類 --- 伝える手段による分類」 ([2016-04-05-1]) の記事で引用・参照した村越の著書を読んでいて,絵文字らしい絵文字としてホボサイン (Hobo signs) というものが存在することを知った.村越 (50) によると,「20世紀に入ったヨーロッパでは,移動民族や浮浪者の間で「ホボサイン」といわれる絵文字が符丁のように使われていました.塀や道にチョークで書かれた絵文字で彼らは様々な情報を交換し合ったようです」.
 しかし,調べてみると,hobo (渡り労働者)も Hobo signs も,典型的にはヨーロッパではなくアメリカにおける存在である.LAAD2 によると,hobo の項には "someone who travels around and has no home or regular job" とある.19世紀末から第二次世界大戦まで,特に1929年に始まる大恐慌の時期に,家と定職をもたない渡り労働者たちが国中を渡り歩いた.渡り労働者どうしが行く先々で生き抜くための情報を交換し合うのに,この絵文字をある程度慣習的に使い出したもののようだ.機能としては(そしてある程度は形式としても),現在日本で策定中のピクトグラムに近い.ホボサインの例は,以下のウェブページなどで見ることができる.

 ・ "Hobo signs" by Google Images
 ・ hobosigns
 ・ CyberHobo's Signs
 ・ Hobo Signs
 ・ Hobo signs (symbols) from Wikipedia

 絵文字やピクトグラムの話題については,「#2244. ピクトグラムの可能性」 ([2015-06-19-1]),「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」([2015-11-11-1]),「#2399. 象形文字の年表」 ([2015-11-21-1]),「#2400. ピクトグラムの可能性 (2)」 ([2015-11-22-1]),「#2420. 文字(もどき)における言語性と絵画性」 ([2015-12-12-1]) を参照されたい.
 なお,hobo は語源不詳の語として知られている.渡り労働者が互いに ho! beau! という挨拶を交わしたとか,188年代の米国北西部の鉄道郵便取扱係が郵便物を引き渡すときに ho, boy と掛け声をかけたとか,様々な説が唱えられている.OED によると初例は,"1889 Ellensburgh (Washington) Capital 28 Nov. 2/2 The tramp has changed his name, or rather had it changed for him, and now he is a 'Hobo'." とある.

 ・ 村越 愛策 『絵で表す言葉の世界』 交通新聞社,2014年.

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2016-04-05 Tue

#2535. 記号 (sign) の種類 --- 伝える手段による分類 [writing][medium][sign][semiotics][communication]

 昨日の記事「#2534. 記号 (sign) の種類 --- 目的による分類」 ([2016-04-04-1]) に続き,今日は村越 (15) より記号(サイン)の「伝える手段による分類」の図を示そう.

Classification of Signs by Medium

 情報の受け手視覚に訴えかけるサインの種類の多いことがわかるが,実にサインの86パーセントを占めるという.村越 (16--17) によると,

その理由は,視覚が光を媒体にしていることから第三者に届く情報が,他の感覚器官より格段に早い,ということなのです(光速は秒速約30万キロ)。/この早い「視覚で」に「聴覚で」という(秒速約300メートル)声とか音を加えると,情報のほとんどすべてが「受け手」に伝えられることになります。音の伝わる早さが光に次ぐことから,ある意図したことを第三者に伝えようとする「情報の送り手」は,その手段として「受け手」の視聴覚に訴えることになるのです。


 なお「視覚で」の「形」の「画像」を目的によってさらに下位分類すると,「美的表示」(抽象絵画,具象絵画,芸術写真,書)と「実用的表示」に分けられる.後者はさらに「対照即応的」なもの(写真,描写,地図,製図),「象徴的」なもの(シンボル,マーク,ピクトグラム,シグナル),「定性定量的」なもの(グラフ,ダイヤグラム,表)に区分されるという(村越,pp. 17--19).
 関連して,ヒトの感覚器官とコミュニケーション手段の関係についての考察は「#1063. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (1)」 ([2012-03-25-1]),「#1064. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (2)」 ([2012-03-26-1]) の記事も要参照.

 ・ 村越 愛策 『絵で表す言葉の世界』 交通新聞社,2014年.

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2016-04-04 Mon

#2534. 記号 (sign) の種類 --- 目的による分類 [writing][medium][grammatology][sign][semiotics][kotodama]

 記号 (sing) は様々に分類されるが,村越 (14) に記号の「目的による分類」の図が掲載されていたので,少し改変したものを以下に示したい.ここでは「サイン」というカタカナ表現を,記号を表す包括的な用語として用いている.

Classification of Signs by Purpose

 この目的別の分類によると,私たちが普段言葉を表す文字を用いているときには,「サイン」のうちの「しるし」のうちの「見分け」として用いていることになろうか.もちろん,文字は「署名」のうちの「記名」にも用いることができるし,「しるし」の他の目的にも利用できる.例えば,厳封の「緘」や「〆」は「証明」の目的を果たすし,護符に神仏の名を記すときには「象徴」となるし,それは言霊思想によれば「因果」ともとらえられる.
 付言しておけば,記号論では記号とは必ずしも人為的である必要はない.人間が何らかの手段で知覚することができさえれば,自然現象などであっても,それは記号となり,意味を持ちうるからである.
 参照した村越の著書は,ピクトグラムに関する本である.2020年の東京オリンピックに向けて日本で策定の進むピクトグラムについては,「#2244. ピクトグラムの可能性」 ([2015-06-19-1]),「#2400. ピクトグラムの可能性 (2)」 ([2015-11-22-1]),「#2420. 文字(もどき)における言語性と絵画性」 ([2015-12-12-1]) を参照されたい.

 ・ 村越 愛策 『絵で表す言葉の世界』 交通新聞社,2014年.

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2016-03-09 Wed

#2508. 書き言葉の自立性に関する Samuels の議論 [writing][medium][grammatology]

 「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1]) とそこに張ったリンク先の記事や「#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2)」 ([2015-09-23-1]),「#2431. 書き言葉の自立性に関する Bolinger の議論」 ([2015-12-23-1]) で扱ってきた話題である.Samuels も書き言葉の自立性という考え方を重要視しており,言語変化に関する古典的な著書で次のように述べている.

The substance of language, from a descriptive point of view, exists in two equally valid and autonomous shapes --- spoken and written. As a code, each exists in its own right, and there has been justifiable insistence, in recent decades, that graphetics and graphemics must in the first instance be studied separately before their relationship with phonetics and phonemics can be considered. This according of equal status to the written language is not to deny that it is ultimately derived from, and dependent on, the spoken language; but it is necessary, if only to disprove the naive speaker's notion that the written language is a mirror-image of what he speaks (or vice versa), or that it is based on contemporary spoken language, and not the spoken language of various periods in the past. (Samuels 4)


 Samuels (5) は書き言葉と話し言葉の相互関係について,次のようにも述べている.

Though there are many differences of convention, the two media both expound what is essentially 'the same language'; and although, for the purpose of describing them at a given point of time they must be kept separate, it may be that for studying their development over a period of time, the interactions between the two media are just as important as their developments as entities.


 書き言葉の自立性という問題については,私も最近の論文のなかで一部論じているので,堀田 (188--92) を参照されたい.

 ・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.
 ・ 堀田 隆一 「英語書記体系の非表音性――理論および歴史的発達――」『文法記述の諸相?』中央大学人文科学研究所(編),2016年.183--216頁.

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2016-02-16 Tue

#2486. 文字解読の歴史 [review][toc][writing][medium][history_of_linguistics][grammatology]

 「#2427. 未解読文字」 ([2015-12-19-1]) の記事で触れたように,未解読文字の解読にはロマンがある.解読成功者の解読プロセスを紹介する書は一級のミステリー小説といってよく,実際に数多く出版されている.多くの文字体系を扱っており読みやすいという点では,矢島(著)がおすすめである.その目次を挙げると,雰囲気をつかめるだろう.

 ・ ロゼッタ石を読む
 ・ 古代ペルシアの楔形文字
 ・ ベヒストゥン岩壁の刻文
 ・ 楔形文字で書かれた「ノアの方舟」
 ・ シュメール文明の再発見
 ・ 古代の大帝国ヒッタイトの文字
 ・ シナイ文字とアルファベットの起源
 ・ エトルリア語の謎
 ・ 東地中海の古代文字
 ・ クレタ=ミケーネ文字の発見
 ・ 線文字Bと建築家ヴェントリス
 ・ シベリアで見つかった古代トルコ文字
 ・ 甲骨文字と殷文明
 ・ カラホト遺跡の西夏文字
 ・ 古代インディオの諸文字
 ・ インダス文字とイースター文字
 ・ ファイストスの円盤と線文字A
 ・ ルーン文字とオガム文字
 ・ 梵字の起源とパスパ文字
 ・ 最古の文字はどこまでたどれるか
 ・ 古代文字はいかに解読されるか

 矢島 (234) は,最終章「古代文字はいかに解読されるか」で,現在までの世界の文字解読の歴史を4段階に分けている.

 (1) 手さぐりの時代(一八世紀以前)
 (2) ロマン主義の時代(一九世紀)
 (3) 宝さがしの時代(二〇世紀前半)
 (4) 科学的探究の時代(二〇世紀後半)


 よく特徴をとらえた時代区分である.文字解読がロマンを誘うのは,それが否応なく異国情緒と重なるからだろうが,(2) の「ロマン主義の時代」の背景には,「ヨーロッパ大国の東方への視線,端的にいえば植民地主義競争」 (239) があったことは疑いない.Jean-François Champollion (1790--1832) のロゼッタ石 (Rosetta stone) の解読には仏英の争いが関わっているし,楔形文字解読に貢献した Sir Henry Creswicke Rawlinson (1810--95) も大英帝国の花形軍人だった.
 (3) の時代は,世界的に考古学的な大発見が相次いだことと関係する.クレタ島,ヒッタイト,バビロニア,エジプト,中央アジア,西夏,殷墟の発掘により,続々と新しい文字が発見されては解読の試みに付されていった.
 現代に続く (4) の時代は,前の時代のように個人の学者が我一番と解読に挑むというよりは,研究者集団が,統計技術やコンピュータを駆使して暗号を解くかのようにして未解読文字に向かう時代である.言語学,統計学,暗号解読の手法を用いながら調査・研究を進めていく世の中になった.もはや文字解読の「ロマン主義」の時代とは言えずとも,依然としてロマンそのものは残っているのである.

 ・ 矢島 文夫 『解読 古代文字』 筑摩書房,1999.

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2016-02-13 Sat

#2483. 書字方向 (4) [writing][grammatology][medium][direction_of_writing][linearity]

 [2016-01-09-1], [2016-01-10-1], [2016-02-12-1] と書字方向の問題を扱ってきたが,「#2448. 書字方向 (1)」 ([2016-01-09-1]) で,異例中の異例として下から上への書字方向の例に言及した.これについて,昨日も引用した矢島 (199--200) が,もう1つの興味深い例と合わせて解説しているので,全体を引用しよう.

 本文で書字方向として縦書き(上から下),横書き(左書きおよび右書き),それに特殊な例として渦巻き方向があることを述べたが,まさか下から上という縦書き方式があろう思っていなかったところ,そのような例を二つ発見したので,ここにつけ加えることにした。
 その一つはいわゆる古代トルコ文字に関するもので,その解読のプロセスはドーブルホーファー著『失われた文字の解読』III(山本書店)七五?一〇九ページに詳しい。ここにはトムセンによる天才的な解読の出発点である,この文字体系の書字方向(右書き)の発見は述べられているが,実際にはこれが下から上へ刻まれている例があることは書かれていなかった。このことを知ったのは藤枝晃氏の『文字の文化史』(岩波書店)中の次の記述によってだった。
 「十九世紀の末にロシアのトルコ語学者ラードロフが外蒙古を探検して この文字の石碑をいくつか発見したが 誰も読むことはできなかった。その内の最大の石碑は宰相キュル・テギンの墓碑で,片側に漢文,その裏にこの文字の文が刻ってあった。ラードロフの報告書を見て,デンマークの言語学者V・トムゼンが最初にこれを解読した。そこで判ったことは,この文字は右横書きなのだが,漢字と調子をそろえるために,右端から縦向きに刻ってあるので,一々の行は右の下端から上に向かって読まねばならない」(同書二〇二ページ)。
 横書きを縦書きに合わせるのならば,左上から下に(つまり字形を逆にして)書いてもよさそうなものだが,そしてじじつ有名な『大秦景教流行中国碑』(八世紀末頃)のシリア文字は上から下への縦書きに書かれているが,ここでの下から上へというのは奇妙な書き方をしたものである。
 ところが,もう一つ,ごくふつうに下から上へ文字を書いている例が見つかった。北アフリカのベルベル人の一部が用いているティフナグ文字がそれで,古代のヌミディア文字の系譜を受けついでいる(この文字については筆者の「アフリカの文字――セム文明の投影」(月刊・「言語」別冊『アフリカの文化と言語』所収,大修館刊,を参照されたい)。この文字が今日でも僅かながら使われていることは,森本哲郎著『タッシリ・ナジェール――遺跡との対話・2』(平凡社カラー新書)中にも書かれているが,このなかに岩壁に書かれたこの文字の写真が含まれている。これらを眺め,また他の文献をあたっているうちに,これらが下から上へ書かれていることに気づいたが,これは書き手が下方から,手のとどくだけ上方に書き,次にまた下方から書くことを示している。書き手によって身長は違うから,出発点を下端にしているわけで,半遊牧民のベルベル人の生活風景を連想させ,興味深い例であると言わねばならない。


 下から上への書字方向が実用的に確立している例は,まずなさそうだが,上記の古代トルコ文字やティフナグ文字のような特殊な状況での事例はあるということになる.もしかすると曼荼羅などにも見られそうだが,たとえあったとしても特殊事情には違いない.原則として,言語に時間軸に沿った線状性 (linearity) があるのと同様に,書字方向には重力に依存する上から下という方向性があるといえるのではないか.

 ・ 矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.
 ・ 藤枝 晃 『文字の文化史』 岩波書店,1971年.1991年.

Referrer (Inside): [2019-06-23-1] [2016-02-19-1]

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2016-02-12 Fri

#2482. 書字方向 (3) [writing][grammatology][medium][alphabet][direction_of_writing][hieroglyph][hebrew][aramaic]

 「#2448. 書字方向 (1)」 ([2016-01-09-1]),「#2449. 書字方向 (2)」 ([2016-01-10-1]) に引き続いての話題.矢島(著)『文字学のたのしみ』の第11章「アルファベット文字体系と書字方向」 (pp. 189--200) を読んだ.今回はアルファベットに限定するが,その書字方向の変遷を簡単に追ってみたい.
 アルファベット文字体系の起源については,「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]),「#490. アルファベットの起源は North Semitic よりも前に遡る?」 ([2010-08-30-1]),「#1822. 文字の系統」 ([2014-04-23-1]),「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]),「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1]),「#1853. 文字の系統 (2)」 ([2014-05-24-1]),「#2398. 文字の系統 (3)」 ([2015-11-20-1]) などで見てきたが,今なお謎が多い.しかし,エジプト聖刻文字 (hieroglyph) が直接・間接の刺激を与えたらしいことは多くの論者の間で一致している.
 エジプト聖刻文字の書字方向は,右書きあり,左書きあり,縦書きありと必ずしも一定していなかったが,普通には右書きが圧倒的に多かったことは事実である.左書きでは,右書きの際の文字が鏡写しのように左右逆転しており,対称性の美しさを狙ったものと考えられる.聖刻文字の右書きについて,矢島 (193) は「なぜ右書きが優勢であったかについては容易に答えられないが,一般的に言えば,右ききが多いこの世で,右手に持った筆記具で右から左へ記号をしるすことはきわめて自然な行為ではなかったかと思える.メソポタミアの楔形文字体系で左書きが行なわれたのは,はじめ縦書きだった書字方向が左に九十度回転した形で書かれるようになったためであり,はじめから左書きが生じたのではない」と述べている.ただし,人間の右利き優勢の事実は,左書きを支持する要因として持ち出す論者もいることから,どこまで説得力を持ちうるかはわからない.
 さて,このエジプト聖刻文字と後のアルファベットを結びつける鍵となるかもしれない文字体系として,ビブロス文字がある.これは音節文字であり,書字方向は右書きだった.一方,アルファベットの元祖の1つではないかと目される原シナイ文字は,縦書きか左書きが多い,ななめ書きなどもあり,全般として書字方向は一定していない.
 これらの後に続いたフェニキア文字では,エジプト聖刻文字やビブロス文字と同様に,右書きが実践された.これがギリシア人の手に渡り,そこで母音文字が付け加えられ,ギリシア文字が生じた.したがって,初期ギリシア語でも右書きが行われたが,その後どうやらヒッタイト象形文字に見られるような牛耕式 (boustrophedon) の段階を経て,左書きへ移行したらしい.この左右転換の契機について,矢島 (195--96) は次のように推測している.

フェニキア文字がギリシア語の表記のために借用された時期(前九世紀頃?)には,このギリシア文字の書字方向は多くは右書きであり,時にはブストロフェドンのような中間的な形式もあったが,その後の数世紀のあゆみのうちに左書きに定着した。その理由ははっきりしないが,フェニキア文字では母音を記さない方式であったから一単語の字数が少なく(平均三?四文字),左右どちらから書いても判読にあまり困難がなかったと考えられるのに対し,ギリシア文字では母音を表記するようになった単語の字数がずっと増えているので,ブストロフェドン方式をやめて左書き方式になったと言えるのではなかろうか。


 ギリシア文字からアルファベットを受け取って改良したエトルリア人も,右書きを標準としながらも,例外的に牛耕式や左書きも見られることから,ギリシア人の混乱を受け継いだように思われる.さらに,ローマン・アルファベットでも多少の混乱が見られたが,紀元前5世紀以降は,ギリシアでもローマでも左書きが定着した.その後,ヨーロッパの種々の文字体系が,この書字方向を維持してきたことは周知の通りである.
 一方,フェニキア文字までの西セム系文字の「由緒正しい」右書きは,その後もヘブライ語,アラビア語,アラム=シリア語などへ継承され,現代に至る.アラム文字経由で中央アジアへ展開したウイグル文字,モンゴル文字,満州文字も,右書きの系統を受け継いだ.ただし,南や東方面へ展開したエチオピア文字,インド系諸文字,カフカス諸文字(アルメニア文字,グルジア文字)など多くは左書きで定着した.
 これまで触れてこなかった変わった書字方向として,「ファイストスの円盤」に認められる「渦巻き方向」もあることを触れておこう.この未解読の文字は,どうやら渦巻きの外から内へ読まれたらしい.具象詩などにも,渦巻き方向の例がありそうだ.ほかに,日本語の色紙や短冊のうえの「散らし書き」も例外的な書字方向といえるだろう.もっとも,このような妙な書字方向は,実用性というよりは美的効果を狙ったものと思われる.

 ・ 矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.

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2016-01-26 Tue

#2465. 書写材料としての紙の歴史と特性 [writing][medium][history][timeline][map]

 書写材料の話題について,「#2456. 書写材料と書写道具 (1)」 ([2016-01-17-1]) と「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) で取り上げた.今回は,書写材料としての紙に注目したい.
 紙が人類の文化に甚大な影響を及ぼした偉大な発明であることは,衆目の一致するところである.紙の発明は,後漢書の記述に基づいた従来の見解によれば,元興元年(105年)に,蔡倫が麻のボロなどを用いて紙を作り,時の皇帝和帝に捧げたのが最初と言われてきたが,近年の発見と研究によれば,前漢の紀元前170年頃にはすでに紙が作られていた.それでも,蔡倫は,製紙技術の大成者としていまだ歴史に名前を残すには値するだろう.  *
 その後,紙は1世紀中に日本にもたらされたと考えられるが,日本における最初の製紙は,高句麗の僧曇徴により技術がもたらされた610年(推古18年)のことだと言われる.一方,製紙技術がシルクロードを経由してヨーロッパ世界へ伝わったのは,蔡倫より千年以上後の12世紀以降のことである.具体的には,1144年に,ムーア人の支配していたスペインのハチバで初めて紙が作られ,そこからフランス,オランダ,ドイツへと北上したほか,1274年には別途地中海経由でイタリアのファブリアノへ製紙法が伝えられた.  *
 小宮 (113) は「製紙産業における四大発明」として,(1) 105年,蔡倫による紙の発明(正確には上記の通り製紙技術の大成),(2) 1798年,フランス人ルイ・ロベールによる抄紙機の発明,(3) 1844年,ドイツ人ケラーによる木材パルプの発明,(4) 1807年,ドイツ人イリッヒによる内添えサイジングの発明,を挙げている.
 その使い勝手の良さから,書写材料としてだけではなく,包装材料(段ボール,包装紙など)や吸収材料(トイレットペーパーなど)としての用途もあり,その種類も古代から現在まで増え続けてきた.
 次に,紙のもっている性質に移ろう.小宮 (3) は以下の8点を挙げている.

 ・ 薄く,平ら,軽くて,適当な強さをもち,折ったり,曲げたり,接着したり,切るなどの加工がしやすい.
 ・ 水や液体を吸収するので,書いたり,印刷がしやすい.
 ・ 無害であり,燃やすことが出来る.
 ・ 土に埋めれば容易に分解してしまう.
 ・ 熱にたえる.
 ・ 他の材料に比べ値段が安い.
 ・ 原料が再生産可能な植物繊維である.
 ・ 使用した紙は再生紙として再利用しやすい.


 小宮 (3) は「人間の発明した素材でこれほど多くの特性をもったものは紙の他にない」と続け,紙のすぐれていることを指摘している.古来,書写材料は,粘土板,パピルス,石,骨,帛(絹布),木簡・竹簡,バイラーン(貝多羅葉;インド,タイ,ミャンマーのパルミラ椰子の葉),羊皮紙,タパとアマテ(無花果や楮の樹皮),通草紙(台湾の通脱木の随)など様々なものが用いられてきたが,それらと比べて,紙が様々なすぐれた性質を程よくもっていることは間違いない.紙は,この2千年間,書写材料の王者であると言ってよい.  *

 ・ 小宮 英俊 『紙の文化誌』 丸善,1992年.

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2016-01-18 Mon

#2457. 書写材料と書写道具 (2) [writing][history][medium]

 昨日の記事 ([2016-01-17-1]) に引き続き,標題のトピックを.
 書写材料と書写道具の問題について,ルネ・ポノによる『コミュニケーションと言語』から引用している文章(「銅と蝋と絹」という題名で矢島が和訳したもの)を,ジャン (148--50) に見つけた.以下,引用する.

銅と蝋と絹

何の上に?
 たとえば,パピルス(エジプト),亜麻布(エジプト),粘土板(メソポタミア),大理石(ギリシア),石(メソポタミア),銅(インド),羊の皮(死海沿岸),鹿の革(メキシコ),白樺の樹皮(インド),竜舌蘭(中央アメリカ),竹(ポリネシア),アガラック(沈香)の靱皮(インド),椰子の葉(インド),木(スカンディナビア),絹(中国,トルコ),象牙(オータン),蠟板(エジプト,西ヨーロッパ)…….
 何を使って?
 当然,どういう素材に書きつけるかによって,筆記具も異なってくる.葦ペン,筆(パピルスや動物の毛),鉄筆,へら,羽ペン…….
 素材と筆記具が変わると,各文字も変わる.たとえば,ここに二人の男がいて,文字の体系をつくりあげようとしているとする.その場合,パピルスに葦のペンで書いた男と,粘土板に鉄筆で書いた男とでは,文字もまったく異なったものになることは容易に推察できるだろう.
 それどころか,その二人が同じ手本を写した場合でさえ,結果は似ても似つかないものになるだろう.ある一定の時が経過すると,素材の性質に変化が起こり,筆記具の残した線もその影響を受ける.そうすると元の文字と筆写した文字はかけ離れたものになる.同一の人物が同一の写本を筆者した文字どうしでさえ,同じことが起こる.
 素材の種類は様々だ.ガラス,骨,鉛,羊皮紙,そしてもちろん紙.すべて,ある時期に重要な役割を果たした素材であることはまちがいない.それはなぜか.たしかに,記号の形態は初期の素材と筆記具によって決まることが多いが,その後の発展の過程もたいへん重要な要素だからだ.その中ですべてが見直されることもありうる.
 たとえば,紙が主流になったとき,あるいは羽ペンの持ち方が変わったとき,それは様式の変わり目ではあるが,新たな文字体系が出現したわけではない.しかし,慣れていない目にはまったく新しい文字に見えてしまうほど,書体が変化することもあるだろう.
 要するに,文字の側に立っていえば,どこからどこまでが素材にかかわる部分なのかはたいへん微妙な問題なのだ.その素材がまったく新たに発明されたものなのか,改良につぐ改良でまったく様変わりしたものなのか見極めることは難しい.
 輝かしい碑銘を残した民族は多い.しかし,現代まで残ったそれらの碑銘を見て,そのほかの書体が使われていなかったとは誰も言えない.碑銘に残された書体は,書記が普段使っていた書体を,たまたま石という素材に合わせて変化させたものなのではないか.そして日常的に使われていた書体は,朽ちやすい素材に書かれていたため,すべて失われたのではないかと考えることもできるからだ.
 文字についての考察は多々ある.しかし,「なぜ,ある言語と文字が跡形もなく消え去ったり,かろうじて小さな遺跡の中に残っているだけなのに,一方では,堅牢な素材に刻まれ,時と季節の繰り返しに耐え,現代まで手付かずのまま残っている言語と文字があるのか」と問うとき,新たに考案された素材であれ,改良された素材であれ,素材そのものについての知識を持つことは,必要かつ欠くべからざるものと言えるだろう.


 私はこれまで,書写材料や書写道具の変化や発展は,しばしば個々の字形,字体,書体の変化にはつながるかもしれないが,文字体系そのものの変化を引き起こすわけではないだろうと考えていた.しかし,上の議論にもあるように,非体系的な変化と体系的な変化の境目は,案外不明瞭なのかもしれないと思い直した.
 また,歴史言語学や考古学の観点からみた材料や道具の重要性は,それによって文字の現存可能性が半ば決まってくるという点にあるとの指摘は本質的であり,納得させられた.この点については,「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]) と「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」([2015-11-11-1]) で引いたように,「文字が地上のどこに生まれたかなどと詮索するのはむなしいことである.ある社会が象徴的事物を描きつつ一連の物質的記号を残そうとし,媒体を選び,そこに表記する,こういった社会がある限り文字出現の地点はどこにもあるのである.いくつもの社会が原始的媒体(洞窟壁画)とか保存不能の媒体(粘土以外のもの)を選択したと思われる」という見解を思い起こさせる.
 現代の電子社会においても,書記言語(をデジタル化したデータ)の媒体が,フロッピーディスク,光磁気ディスク (MO),光ディスク (CD, DVD, BD) などへと変化してきた.媒体によって寿命年数が異なるという問題は,昔も今も変わっていないということだろう.

 ・ ジョルジュ・ジャン 著,矢島 文夫 監修,高橋 啓 訳 『文字の歴史』 創元社,1990年.

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2016-01-17 Sun

#2456. 書写材料と書写道具 (1) [writing][history][medium]

 書記言語とは,文字という視覚に訴えかける痕跡により,ことばを表すものである.そのためには,痕跡を残す材料と道具が必要となる.例えば,砂と指,石と鑿,紙とペン,ディスプレイとキーボードは,それぞれ書写材料と書写道具である.古今東西,書記言語のために様々な材料と道具が用いられてきた.阿辻 (40--42) を引用する.

 世界各地の古代文明で書写材料として使われたもののうち,よく知られているものには石や粘土板,木や竹を削った札(木簡・竹簡),それにパピルスなどがあり,他に特殊なものとして亀の甲羅や動物の骨,象牙,青銅器,あるいは蠟板(四角い木の枠内に蠟を流し固めたもの)などがあった.
 これらの最後に,紙が登場した.キリスト紀元前後に中国で発明された紙は,やがて長い年月をかけて世界中に伝播し,もっとも便利な書写材料として使われるようになった.紙はそれまでのあらゆる素材を淘汰し,世界を席巻した.近頃では紙に文字を書くかわりに,電子技術を使ってコンピュータにつながったブラウン管に文字を表示する方法がよく使われるようになった.しかしそれでも,大多数の人々が日常生活の中で接触する文字は,書籍や新聞・雑誌など紙の上に印刷されたものであり,現在もまだ基本的に紙の時代が続いているといえる.
 木簡や紙のような書写材料とは別に,これらの素材に文字を記録するために使われた道具も,古今東西まちまちであって,実にバラエティにとんでいる.たとえば現在の私たちの周囲を見まわしても,ペンやボールペン,鉛筆など日常的によく使われるおなじみのもののほかに,お習字の稽古や熨斗袋に文字を書く時には毛筆を使うし,看板にペンキで文字を書く時には刷毛を使う.最近ではとんと見かけなくなったが,かつての学校では試験問題の印刷などにガリ版がよく使われた.あれは鉄筆という尖った針状のペンで文字を書いていた.
 アルファベットで文章を綴る欧米では,タイプライターが文章表記での必需品であった.これはもともと日本人にはなじみの薄い道具だったが,しかし最近ではこれから発達したコンピュータのキーボードが,日本でもきわめて普遍的な文房具になりつつある.
 このコンピュータ(ないしはワープロ)を使っての文章表記をめぐっては,日本では賛否両論がいまだにかまびすしい.しかし欧米ではタイプライターを使って文章を書くのはきわめてありふれた行為であって,現在のワープロも,要するに伝統的なその方式にコンピュータによる編集機能を加えたものだといえる.文字を書く道具はこれまでにも各書写材料がもつ条件に合わせて次々と開発されてきており,コンピュータによる文章表記も,人類が太古の昔から繰り返してきた行為の一種にすぎないと考えるべきであろう.


 文字という痕跡を残す「書記」には,主として3種類が認められる.それは,(1) 刻みつける,(2) インクなど有色の液体を塗る,(3) コンピュータなどで画面上に映す,である.砂などに指で文字を記すというのは最も原始的な方法だったと思われるが,立体的にくぼみをつけるという点では「刻みつける」の仲間ととらえたい.ほかには,一般的ではないが,大文字焼,人文字,花火や飛行機雲による文字など,立体的な書記もある.(3) のような電子的な書記に関して,最近ではキーボードに限らずスマホやケータイの文字盤から入力するものも普及してきたし,マイクによる音声入力も可能となってきたので,これは新たな書写道具,あるいは書写方法と呼んでしかるべきだろう.
 いうまでもなく,これらの書写材料・道具は,人類の科学技術の発達とともに移り変わってきた.そのヴァリエーションの広さは,聴覚に訴えかける音声言語には比較するものがないのではないかと思われる.音声言語においては,機械的に合成した言語音の使用,人工喉頭の援用,口笛言語 ([2012-10-29-1]) のような "surrogate" などが考えられるが,ヴァリエーションは決して広くない.

(後記 2016/02/14(Sun):矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.の「印刷術と文字」 (pp. 129--47) にて,矢島 (132) が「書く」とは別の動作として印章や後の印刷に連なる「押す」という動作について指摘している.)

 ・ 阿辻 哲次 『一語の辞典 文字』 三省堂,1998年.

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2016-01-10 Sun

#2449. 書字方向 (2) [writing][grammatology][medium][typology][direction_of_writing]

 昨日の記事 ([2016-01-09-1]) に引き続いて,書字方向について.世界の主たる書字方向を整理すると,次のようになる.これは西田 (242) の図を参照したものであり,書字方向の各タイプについては私が便宜上適当な呼称をあてがった.

                   I. 横書き型                                          II. 縦書き型
                         │                                                   │
     ┌─────┬───┴───┬──────┐                   ┌────┴────┐
     │          │              │            │                   │                  │

    (a)          (b)            (c)            (d)                  (a)                 (b)
  左横書き     右横書き      右左横書き     左右横書き            右縦書き            左縦書き
                             (牛耕式)     (牛耕式)
                                                                 4  3  2  1          1  2  3  4
1 ───→    ←─── 1     ←─── 1    1 ───→            │ │ │ │         │ │ │ │
2 ───→    ←─── 2    2 ───→      ←─── 2           │ │ │ │         │ │ │ │
3 ───→    ←─── 3     ←─── 3    3 ───→            │ │ │ │         │ │ │ │
4 ───→    ←─── 4    4 ───→      ←─── 4           ↓ ↓ ↓ ↓         ↓ ↓ ↓ ↓

 以下,西田 (242) に従って,各々の型の代表的な文字を列挙する.

 ・ I(a) の左横書きは,英語をはじめとするローマン・アルファベット系の文字やインド系の文字(ナーガリー文字,チベット文字)が含まれる.
 ・ I(b) の右横書きは,シリア・アラビア系の文字(アラビア文字,ヘブライ文字,ソグド文字)や突厥文字に採用されている.
 ・ I(c) の右左横書き(牛耕式)には,紀元前2500年頃の未解読のインダス文字や初期のシリア・アラビア系文字などが属する.
 ・ I(d) の左右横書き(牛耕式)は,紀元前1500年頃のヒッタイト象形文字がこの統字法をもっていたと考えられている.
 ・ II(a) の右縦書きは,漢字系文字(漢字,西夏文字,女真文字)や日本語の文字において行なわれている.
 ・ II(b) の左縦書きは,ウイグル系文字(蒙古文字,満州文字)やパスパ文字が代表でなる.

 先の記事で触れたように,複数の型をとることが可能な文字は,古今東西,珍しい.エジプト聖刻文字は縦横両方が可能だったが,日本語は現行の I(a) と II(a) のほか,歴史的には I(b) や II(b) もあった,世界の文字のなかでは特異である.日本語の書字方向の歴史については,屋名池による新書がすこぶる有益であるので,お薦めしたい.

 ・ 西田 龍雄(編) 『言語学を学ぶ人のために』 世界思想社,1986年.
 ・ 屋名池 誠 『横書き登場―日本語表記の近代』 岩波書店〈岩波新書〉,2003年.

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