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最終更新時間: 2019-04-19 09:24

2015-08-15 Sat

#2301. 話し言葉と書き言葉をつなぐスペクトル [pragmatics][methodology][genre][medium][writing][register]

 「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」 ([2009-12-13-1]) で,Koch and Oesterreicher の有名な「近いことば」と「遠いことば」のモデルを紹介した.これは,言語使用域 (register) に関連して,話し言葉や書き言葉などの談話の媒体 (medium) と,新聞記事,日記,説法,インタビューなどの談話の場 (field of discourse) とが互いにどのように連動しているかを示す1つのモデルである(使用域については「#839. register」 ([2011-08-14-1]) を参照).
 また,歴史語用論における証拠の問題と関連して「#2001. 歴史語用論におけるデータ」 ([2014-10-19-1]) でも,談話の媒体と場(あるいはジャンル)の関係を表わすものとして,Jucker による図を示した.
 今回はもう1つ参照用に Svartvik and Leech (200) による "A spectrum of usage linking speech with writing" を導入しよう.

'Typical speech'
       ↑                   Face-to face conversation
       │                   Telephone conversation
       │
       │                   Personal letters
       │                   Interviews
       │                   Spontaneous speeches
       │
       │                   Romantic fiction
       │                   Prepared speeches (such as lectures)
       │
       │                   Mystery and adventure fiction
       │                   Professional letters
       │                   News broadcasts
       │
       │                   Science fiction
       │                   Newspaper editorials
       │
       │                   Biographies
       │                   Newspaper reporting
       │                   Academic writing
       │
       ↓                   Official documents
'Typical writing'

 Koch and Oesterreicher の図のように2次元的でもないし,Jucker の図のように階層的でもない.あくまで単純かつフラットな連続体を表わす図にすぎないので,注意して解釈する必要があるが,参照には簡便だろう.
 Halliday 言語学において使用域を構成する談話の媒体,場,スタイルの3種の区分は,それぞれが精緻な連続体をなしており,しかもお互いが複雑に乗り入れをしている.すべてをまともに図示しようとすれば,何重ものスペクトルになるだろう.
 話し言葉と書き言葉の問題,媒体の問題については,「#748. 話し言葉書き言葉」 ([2011-05-15-1]),「#849. 話し言葉書き言葉 (2)」 ([2011-08-24-1]) ,「#1001. 話しことばと書きことば (3)」 ([2012-01-23-1]),「#1665. 話しことばと書きことば (4)」 ([2013-11-17-1]),「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1]),「#1664. CMC (computer-mediated communication)」 ([2013-11-16-1]) をはじめ,medium の各記事を参照されたい.

 ・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006. 144--49.

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2015-08-06 Thu

#2292. 綴字と発音はロープでつながれた2艘のボート [spelling][pronunciation][spelling_pronunciation_gap][medium][writing][spelling_reform][spelling_pronunciation]

 英語の綴字と発音の関係,ひいては言語における書き言葉と話し言葉の関係について長らく考察しているうちに,頭のなかで標題のイメージが固まったきた.

Two-Boat Model of Spelling and Pronunciation


 まず,大前提として発音(話し言葉)と綴字(書き言葉)が,原則としてそれぞれ独立した媒体であり,体系であるということだ.これについては,「#1928. Smith による言語レベルの階層モデルと動的モデル」 ([2014-08-07-1]) における Transmission や,「#1665. 話しことばと書きことば (4)」 ([2013-11-17-1]) も参照されたい.それぞれの媒体を,時間という川を流れる独立したボートに喩えよう.
 さて,発音と綴字は確かに原則として独立してはいるが,一方で互いに依存し合う部分も少なくないのは事実である.この緩い関係を,2艘のボートをつなぐロープで表現する.かなりの程度に伸縮自在な,ゴムでできたロープに喩えるのがよいのではないかと思っている.
 両媒体が互いに依存し合うとはいえ,圧倒的に多いのは,発音が綴字を先導するという関係である.発音は放っておいても,時間とともに変化していくのが常である.発音のボートは,常に早瀬側にあるものと理解することができる.一方,綴字は流れの緩やかな淵にあって,止まったり揺れ動いたりする程度の,比較的おとなしいボートである.したがって,時間が経てば経つほど,両ボートの距離は開いていく可能性が高い.しかし,2艘はロープでつながっている以上,完全に離れきってしまうわけではない.つかず離れずという距離感で,同じ川を流れていく.
 稀な機会に,綴字のボートが発音のボートと横並びになる,あるいは追い越すことすらあるかもしれない.そのような事態は自然の川ではほとんどありえないが,言葉の世界では,人間が意図的にロープを短くしてやったり,綴字のボートを曳航してやるなどすれば可能である.これは,綴字改革 (spelling_reform) や綴字発音 (spelling_pronunciation) のようなケースに相当する.
 この "Two-Boat Model" は,表音文字体系をもつ言語においてはおそらく一般的に当てはまるだろう.話し言葉と書き言葉の媒体は,半ば独立しながらも半ば依存し合っており,互いに干渉しすぎることなく,つかず離れずで共存しているのである.

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2014-10-19 Sun

#2001. 歴史語用論におけるデータ [historical_pragmatics][methodology][genre][medium]

 昨日の記事「#2000. 歴史語用論の分類と課題」 ([2014-10-18-1]) で,歴史語用論を巡る様々な見方を紹介した.歴史言語研究の他の多くの部門と同様に,歴史語用論もかつての言語,とりわけ話し言葉を可能な限り正確に記述することを目指している.もっとも,歴史語用論は,媒介が話し言葉であれ書き言葉であれ,ジャンルが会話であれ,私信であれ,劇であれ,それぞれを1つの特有の談話 (discourse) として,独立した研究対象とすることを推進してきたのであり,必ずしも話し言葉の復元にこだわっているわけではない.とはいえ,歴史語用論でも,話し言葉の復元が重要な課題の1つであることにはかわりない.
 では,事実上書き言葉を通じてしか過去の言語のありようを知ることのできない歴史語用論を含む歴史言語研究では,そこからどのようにして話し言葉に関する情報を抽出することができるだろうか.書き言葉に埋め込まれている話し言葉の要素を取り出すためには,まず両者の関係に関する理解と理論が必要である.よく知られている理論の1つに,「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」 ([2009-12-13-1]) で取り上げた Koch and Oesterreicher による「遠いことば」 (Sprache der Distanz) と「近いことば」 (Sprache der Nähe) に関わる図式がある.日記,新聞記事,講演,インタビューなど各種の談話が,書き言葉(文字)と話し言葉(音声)の関係のなかでそれぞれどの辺りに位置するのかを示したモデルである.これにより,話し言葉に近い書き言葉が反映された談話を選び出すことができる.
 Jucker and Taavitsainen (23) に,Jucker の提案するもう1つのモデルが示されている."Data in historical pragmatics: The 'communicative view'" と題された図の概要を再現する.

                              ┌─── monologic ──── books, poems
Genuinely written data  ───┤
                              └─── dialogic  ──── letters, pamphlets

                              ┌─── retrospective ──── reports, protocols (e.g. legal); in diaries
                              │
                              │                       ┌── in narratives or poetry
                              │                       │
Written representations ───┼─── fictional ───┼── in academic texts
of spoken language            │                       │
                              │                       └── drama
                              │
                              │                       ┌── in conversation manuals
                              └─── prospective ──┤
                                                       └── in language textbooks

 大区分の1つ目 "Genuinely written data" は,返答のない monologic と,返答のある,したがって(書き言葉とはいえ)対話の体をなす dialogic とに分かれる.dialogic のうち,特に私信 (private letters) は擬似的な対話を再現しており,始めと終わりの挨拶に加え,中盤には話し言葉に近似した私的なコミュニケーションが反映される可能性が高く,資料としての価値が高い.
 大区分の2つ目 "Written representations of spoken language" は,話し言葉を推し量る資料としての価値がさらに高いとされる.まず,"retrospective" なテキストは,多少なりとも忠実に話し言葉が書き言葉のなかに再現されていると期待される.次に "fictional" なテキストは,登場人物間の対話が話し言葉を再現する貴重な資料となる.例えば賢い老人と愚かな若者の掛け合いによる知恵の文学は長い伝統をもつが,読者を引き込む話し言葉の魅力に満ちている."fictional" のなかでも劇は,歴史語用論において特別な地位を占めてきた.それは,劇においては発話の環境が詳しく同定できるからだ.どのような社会的立場の者がどのような状況で発話しているか,発話内行為 (illocution) や発話媒介行為 (perlocution) は何かなど,特定できることが多い.最後に,"prospective" なテキストは,規範的な対話を教える教科書や教本に現われるテキストである.
 テキストの種類により,話し言葉が反映されている程度や質は異なっているが,それぞれの特徴を慎重に考慮することによって,話し言葉を適切に抽出し,歴史語用論における資料として有効に用いることができる.

 ・ Koch, Peter and Wulf Oesterreicher. "Sprache der Nähe -- Sprache der Distanz: Mündlichkeit und Schriftlichkeit im Spannungsfeld von Sprachtheorie und Sprachgeschichte." Romanistisches Jahrbuch 36 (1985): 15--43.
 ・ Jucker, Andreas H. and Irma Taavitsainen. English Historical Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.

Referrer (Inside): [2015-08-15-1]

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2014-04-30 Wed

#1829. 書き言葉テクストの3つの機能 [grammatology][writing][medium][speed_of_change]

 エスカルピ著『文字とコミュニケーション』を読み,序論,第一章「文字」,第二章「読み」に文字論に関する啓発的な指摘をいくつか見つけた.以下に,備忘録的に書き留めておく.
 著者は,文字,書き言葉,テキストの,話し言葉からの自立性を力説する.確かに書き言葉には話し言葉の写しとしての側面があり,その意味では依存しているとは言えるが,いったん書き言葉としての体系が発展すると,相当の自立性を獲得するというのも事実である.著者いわく,「文字法を,話し言葉を構成する音素の何かそのままの文字への置きかえ (transliteration) のように考えるのは錯覚である」 (22) ,さらに「文字を話し言葉の単なる道具と見なすことはできないといいたいし,また,言語学の伝統にみられる支配的傾向,「音声中心主義」 (phonocentrisme) を告発しよう」 (26) .エスカルピのこの主張について,私も賛同する.phonocentrisme については「#748. 話し言葉書き言葉」 ([2011-05-15-1]) で,文字言語の独立性については「#1665. 話しことばと書きことば (4)」 ([2013-11-17-1]) や「#1655. 耳で読むのか目で読むのか」 ([2013-11-07-1]) の記事を参照されたい.
 書き言葉が言語変化を抑止する,あるいは遅めるという点については,規範主義や教育という問題とも関わるが,エスカルピは文字そのものの本質,文字の記憶装置としての役割に帰せられるべきだと考えている.(36)

文字法の出現は話し言語を定着させ、あるいは少なくともその進化を著しくゆるめることに寄与したと指摘されているが、これはきわめて正しい。書かれない言語は急速に変わり、違ったものになっていく傾向があるために、一世代から次の世代にかけて理解しあうことが至難になった場合すら挙げられている。いうまでもなくこの定着は、痕跡の使用によって記憶が導入されたことによっている。とりわけ、何らかの形の痕跡がなければ、語彙総覧を作るこはできない。/とくに単語というものは、本質的に文字言語がもたらしたもののように思われる。


 文字が基本的に表語的 (logographic) な機能を果たすという指摘も重要である.アルファベットのような表音文字体系であっても,文字使用の主目的は表語にあると考えられる(「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1]) や「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1]) も参照).

文字の語記号的性格はタイプライターでの打ち間違いによって証明される。手書きの草書体においては、語は連続したすじであって、書き手が自分のテクストと言説のあいだの絆を掌握していればいるだけ、それが単音文字へと分解されることは少ない。筆相鑑定家たちは、個別的なアルファベット符合が全体的な書き方のうちに消えていく《結合的》な筆蹟を知性のしるしと見なしている。ところで、タイプライターで書くときには単音文字への分解は避けられない。けれども、それは文字の継続的な選択に従ってなされはしない。少なくともいくらかの経験をもつタイピストの場合には。語全体が指の運動の内に《プログラム化》される。そしてこの運動がズレを起こしうるのである。その時 scripteur の代わりに spritceur と書かれることが起こる。語の要素はすべて出現している。外的な要素がまぎれ込むことは非常に珍しい。字の順序は狂うものの、その組成は変化を受けず、意味限定符は一般に無傷のまま残る。/語記号――すなわちそれ自身の綴字で書かれた語――はゆえに、文字言語の最小有意味単位と考えねばならない。(38--39)


 そして,何よりも啓発的なのは,文字の集合からなる書き言葉テクストには基本的な機能が2つあるという指摘である.1つは口頭の言説を写す言説的機能 (discursif) であり,もう1つは情報の記憶装置としての資料的機能 (documentaire) である(41) .前者は話し言葉に依存するが,後者は必ずしもそうではない.先に話題にした書き言葉が話し言葉の写しであるという見解は,テクストの言説的側面のみに着目した意見であり,テキストのもう1つの機能である資料的機能を考慮に入れていない点に問題がある.資料的機能が最大限に発揮されたテクストは,辞書やカタログなどのデータベースと呼びうる参考図書の類いである.そこでは情報が整理されており,相互参照などの機能も実装されている.このような機能は,話し言葉では容易にまねができない.
 エスカルピ (44) は,もう1つ付け加えるべきテクストの機能として図像的機能 (iconique) を挙げている.これは,文字の形や大きさ,文字列の空間的な配列による書き言葉コミュニケーションの働きである.例えば新聞の1頁のレイアウトはテクストの読まれ方に影響を与えるが,これはテクストの図像的な働きゆえである.文字列の配置によって表現力を得ようとする具象詩においても,手紙の末尾の高い位置に宛名を大書する際にも,テクストの図像的機能が活用されている.この機能も,話し言葉に明確に対応するものはなく,書き言葉の自立性を示すものである.

 ・ ロベール・エスカルピ 著,末松 壽 『文字とコミュニケーション』 白水社〈文庫クセジュ〉,1988年.

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2013-12-07 Sat

#1685. 口頭言語のもつ規範と威信 [prescriptive_grammar][writing][medium]

 昨日の記事「#1684. 規範文法と記述文法」 ([2013-12-06-1]) で言語における規範について取り上げたので,今日も関連する話題を.「#430. 言語変化を阻害する要因」 ([2010-07-01-1]) の記事で少し触れたように,言語の規範は言語変化を阻止したり,その速度を遅くするということが言われる.通常,このような規範は書き言葉の存在,とりわけ威信のある書き言葉変種の存在を前提としている.だが,言語の規範を話題にするのに,必ずしもそのような前提は必要ないという指摘がある.Bradley (13) は次のように述べている.

[C]ulture is one of the influences which retard the process of simplification. But it should be remembered that culture may exist without books: there have been peoples in which there was little or no reading and writing, but in which nevertheless the arts of poetry and oratory were highly developed, and traditional correctness of speech was sedulously cultivated.


 規範の源泉は,言語に関わる文化 (culture) や伝統 (tradition) の存在であるという指摘だ.なるほど,規範は書き言葉によって体現されるのが普通ではあるが,(威信のある)話し言葉によって体現される場合もあるというのは納得がいく.口承文学,話芸,雄弁術,レトリックの伝統などは,口頭言語でありながらも,威信という社会言語学的機能を有しているように思われる.
 「#748. 話し言葉書き言葉」 ([2011-05-15-1]),「#849. 話し言葉書き言葉 (2)」 ([2011-08-24-1]) ,「#1001. 話しことばと書きことば (3)」 ([2012-01-23-1]),「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」 ([2009-12-13-1]),「#1665. 話しことばと書きことば (4)」 ([2013-11-17-1]) などの記事で取り上げてきた書き言葉と話し言葉の対比という観点から考えると,口頭言語の威信という上記の例は,書き言葉に典型的である機能が(書き言葉不在のもとで)話し言葉に付されているケースとして解釈できるだろう.

 ・ Bradley, Henry. The Making of English. New York: Dover, 2006. New York: Macmillan, 1904.

Referrer (Inside): [2017-11-09-1] [2016-06-27-1]

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2013-11-17 Sun

#1665. 話しことばと書きことば (4) [writing][medium][linguistics]

 昨日の記事「#1664. CMC (computer-mediated communication)」 ([2013-11-16-1]) で,ヒトの言語の媒体の問題について改めて考える機会をもった.言語の媒体のなかでも,とりわけ話しことば (speech) と書きことば (writing) の比較については,「#748. 話し言葉書き言葉」 ([2011-05-15-1]),「#849. 話し言葉書き言葉 (2)」 ([2011-08-24-1]) ,「#1001. 話しことばと書きことば (3)」 ([2012-01-23-1]),「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」 ([2009-12-13-1]) などで話題にしてきたが,今回はこの話題についてさらに議論を続けたい.
 近代言語学は,文字言語よりも音声言語を優先的な研究対象としてきた.その理由は「#748. 話し言葉書き言葉」 ([2011-05-15-1]) で挙げた通りだが,原則として音声言語は文字言語に時間的に先立つからである.文字言語は音声言語からの派生物であり,2次的な媒体,すなわち従属物であるという立場だ.ここでは,通時的な過程を表わす「派生」と共時的な関係を表わす「従属」とが結びつけられている.
 しかし,ソシュール以来現在に至る共時態を重視する言語学において,共時的な「派生」と通時的な「従属」を区別しないというのは驚くべきことではないか.確かに,日常的な感覚としては「派生物=従属物」という同一視が避けがたいことは事実だろうが,今問題にしているのは学術的な言語の通時態と共時態の区別である.通時態と共時態をいったん切り分けて両媒体の特徴を個別に考慮し,本当に書きことばが話しことばに共時的に「従属」しているのかを確かめるのが,共時言語学の役割ではないだろうか.この作業を省略して,「通時的な派生物=共時的な従属物」という等式に飛びつくことはできないのではないか.
 書きことばが話しことばに共時的に従属しているらしい証拠は1つある.過去にも現在にも,共時的な断面図をみれば,話しことばをもたない言語社会は皆無だが,書きことばをもたない言語は多く存在するということだ.この共時的な事実は,書きことばの従属性に一定の妥当性を与えるもののように思われる.しかし,話しことばと書きことばを両方もっている言語社会に限っていえば,両者の共時的な関係は支配・従属の関係ではなく,互いに影響を授受する対等な関係だろう.話しことばの優位性を主張する根拠は薄い.
 上記の議論をまとめると,(1) 通時的には書きことばは話し言葉から「派生」した,(2) 共時的には,言語社会における両媒体の分布上,書きことばは話しことばに「従属」しているといえる,(3) しかし,同じく共時的な観点ではあるが,両媒体をもつ言語社会に限定すれば,書きことばと話しことばは「対等」である.
 近代言語学以前,書きことば偏重の言語観を示した時代があった.近代言語学以後,振り子が逆に振れて,話しことば偏重の言語観が学界を支配している.今,再び振り子を適切に戻してやることが肝心のように思われる.
 同趣旨の Crystal (148) の議論に耳を傾けよう.

Many linguists came to think of written language as a tool of secondary importance --- an optional, special skill, used only for sophisticated purposes (as in scientific and literary expression) by a minority of communities. It was needed in order to have access to the early history of language . . ., but this was felt to be a woefully inadequate substitute for the study of the 'real' thing, speech. Writing, seen as a mere 'reflection' of spoken language, thus came to be excluded from the primary subject matter of linguistic science. The pendulum swung to the opposite extreme in the new generation of grammars, many of which presented an account of speech alone.
   Writing and speech should never have been allowed to confront each other in this way. There is no sense in the view that one medium of communication is intrinsically 'better' than the other. Whatever their historical relationship, the fact remains that modern society makes available to its members two very different systems of communication, each of which has developed to fulfil a particular set of communicative needs, and now offers capabilities of expression denied to the other. Writing cannot substitute for speech, nor speech for writing, without serious disservice being done to each.


 ・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.

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2013-11-16 Sat

#1664. CMC (computer-mediated communication) [medium][netspeak][writing]

 「#1662. 手話は言語である (1)」 ([2013-11-14-1]) で,ヒトの言語の媒体には4つの形態があると述べた.音声言語 (speech),文字言語 (writing),コンピュータ媒介言語 (CMC = computer-mediated communication),手話 (sign_language) である.speech と writing の共通点と相違点については,これまでも「#748. 話し言葉書き言葉」 ([2011-05-15-1]),「#849. 話し言葉書き言葉 (2)」 ([2011-08-24-1]) ,「#1001. 話しことばと書きことば (3)」 ([2012-01-23-1]),「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」 ([2009-12-13-1]) ほかの記事で取り上げてきたが,今回は電子媒体を通じての言語使用である CMC について考えてみたい.
 電子メール,チャット,ツイッター,SNS (Social Networking Service) ,Web などの電子媒体には,話しことば的な側面と書きことば的な側面が同居しているとしばしば言われる.例えば,電子メールでは,原則として文字を利用しているという点で書きことば的ではあるが,文体・口調はしばしば話しことば的であり,電話に近い用途で用いられることが多い.電子的なグループ討論はさながら書くおしゃべりであるし,本来は話しことばの領域にあった「つぶやき」が,文字に付されて一般に公開されるようにもなっている.
 しかし,CMC は話しことばと書きことばの合の子として定義するだけですむものではない.CMC はこれまでの媒体にないいくつかの重要な特徴をもっており,独立した媒体とみなすのが妥当である.Crystal (153--58) は,CMC がいかに話しことばと異なるか,いかに書きことばと異なるかを指摘しながら,その媒体としての自律性を主張している.

[話しことばと異なる点]

 (1) 同時性フィードバックがない.コンピュータからメッセージを送る際には,「送信」作業が必要であり,送る方向も一方向である.やりとりは一回一回完了させる必要があり,同時のやりとりは起こらない.(ただし,技術的には,タイプするごとに(つまり確定前に)メッセージが送信されるシステムを築くことは可能であり,将来的に実現されることはあるかもしれない.)
 (2) 相手にメッセージがどの程度うまく届くかを測る手段がない.
 (3) チャットルームなどで,複数(の系列)の会話を聴くことができ,参加することができる.すべてに関わることもできるし,取捨選択することもできる.
 (4) やりとりのリズムが遅いことが多い.返信者の都合やコンピュータの技術的な問題により,メールの返事で数時間から数日間待つことは普通である.
 (5) 話ことばにおける会話の順序 (turn) の規範が厳密には守られない.CMC における turn は情報パケットの先着順であり,技術的な問題により,期待される順序と前後する可能性すらある.また,(3) により,複数系列の入り組んだ turn が生じる可能性もある.
 (6) 話ことばにおいて超分節音的な要素がもつ機能をうまく再現できない.ただし,代替手段として,句読点や「#808. smileys or emoticons」 ([2011-07-14-1]) の使用がある.

[書きことばと異なる点]

 (8) 空間的に縛られていない.例えば,ウェブページではメッセージの内容も形式も動的である.メッセージの発信者も受信者も,当たり前のようにメッセージを変更したり,加えたり,消去したりできる.コピーして加工するなど,元のメッセージを使い回すことも容易にできる.CMC のこの性質は,革命的ともいえるメッセージの "framing" を可能にした.複数人の間でやりとりされたメッセージを加工したり,整序したりすることにより,目的に沿った情報の整理と累積が可能となる.
 (9) リンクを張り,ジャンプすることができる.伝統的な書きことばでも脚注や参照の機能は見られるが,その容易さにおいてウェブの hypertext link とは比較にならない.
 (10) 注意深く洗練された文章構成がなされない.場合にもよるし,書き手にもよるが,典型的にいって,CMC では書きことばに典型的な,熟考された文章が書かれることは少ない.
 (11) 無劣化でコピーできる.書写,印刷,光学的コピーと異なり,電子的に無劣化で再現できる.

 CMC は,歴史的にいえば,話しことばと書きことばの両媒体の接触の結果として発生してきたことは確かだろう.しかし,共時的にいえば,CMC は話しことばや書きことばと同列に置かれる自律した媒介とみなしてよい.

 ・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.

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2013-11-15 Fri

#1663. 手話は言語である (2) [sign_language][linguistics][pidgin][medium]

 昨日の記事「#1662. 手話は言語である (1)」 ([2013-11-14-1]) に引き続き,Crystal (164--70) を参照しながら,言語としての手話の話題を取り上げる.古今東西,多くの異なる音声言語が存在してきたように,手話言語にも多くの異なる種類が認められる.初期の歴史はほとんど知られていないが,古代ギリシアや古代ローマの文献に手話への言及がある.近代における手話の研究は,1775年にフランスの教育者 Abbé Charles Michel de l'Epée (1712--89) が,パリの聾学校のために手話体系を開発したことに端を発する.彼の手話が何に基づいているのかはよく分かっていないが,世界各地からの教育者が彼の学校でそれを学び,世界に広めることになった.例えば,アメリカの教育者 Thomas Gallaudet (1787--1851) と Laurent Clerc (1785--1869) はその手話をアメリカに導入し,これが後に American Sign Language へと発展する.
 しかし,これは手話の発生と発展の1つの特殊な例にすぎない.世界各地では多くの手話が自然発生してきた.手話には音声言語と同様に,共時的な変異もあれば通時的な変化もある.手話共同体ごとに方言が発達するし,世代間の変異も認められる.この点でも,手話言語と音声言語とは異なるところがない.
 一方で,手話に特有の発展の仕方があることもまた事実である.音声言語や文字言語からの影響という側面である.手話には,音声言語や文字言語とはほぼ無関係に自然に発生したものも多いが,それらの影響を受けて発展したもの,あるいは意図的に発展させたものも多い.後者では,とりわけ語順における関与が見られる.音声言語・文字言語という異なる媒体から影響を被った手話という意味で,これは手話のピジン語ということができるだろう.
 音声言語に近づける形で既存の手話に変更を加えるという試みが教育者によってなされてきたが,とりわけ英語共同体における事例が豊富である.1960年代後半からの数年間で,音声言語としての英語への歩み寄りを示す計画的な (contrived) 手話言語が続々と現れた.Seeing Essential English (1966) (及びそこから派生した Linguistics of Visual English (1971) と Signing Exact English (1972)),Signed English (1969), Manual English (1972) のごとくである.
 Paget-Gorman Sign System (PGSS) も広く採用された初期の試みである.これは,1951年に Richard Paget が提案し,Pierre Gorman が発展させたもので,片方の手で意味領域を表わし,別の手で識別詞を表わすことで1つの記号を表現するという体系である.漢字の偏と旁をそれぞれの手に対応させるとでも言えば,比喩的に理解しやすいだろうか.
 他の種類の手話としては,北米インディアンの間で共有されてきた Amer-Ind なる比較的簡易な体系がある.また,文字を手話記号に対応させる Finger-spelling という体系は,少なくとも補助的には手話使用者の間で広く採用されている.読唇術・視話法において発音の「読み」を助ける目的での Cued speech という体系も利用されている.
 上記のように計画的に音声言語や文字言語に接近させた手話があるのは事実だとしても,手話がそれ自身で独立した言語の媒体であることは明らかだろう.

 ・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.

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2013-11-14 Thu

#1662. 手話は言語である (1) [sign_language}[linguistics][arbitrariness][double_articulation][medium][iconicity]

 読売新聞10月5日の朝刊38面に「「手話は言語」鳥取県で条例化」の記事が掲載された.「手話言語条例」案によると,手話は「独自の言語体系を有する文化的所産」として認められるとともに,公的にその普及努力が求められることになる.日本の自治体としては初の画期的な条例であり,言語としての手話の認知度が上がる重要な契機となるだろう.  *
 言語学的には,手話は音声や文字を媒介とする言語と同じ緒特徴を共有する記号体系である.言語学の概説書でもそのように話題にされるし,Ethnologue のような言語に関する情報機関でも手話は正式の言語として扱われている.しかし,一般的には,手話は正式な言語というよりは洗練されたジェスチャーであるとか絵画的な表現手段であるなどという認識がいまだ根強く,記号体系としての価値が正当に評価されていないのが事実である.その理由の1つは,手話が典型的に聾者及びその関係者により習得される言語にとどまっており,その他の多くの人々に実態が知られていないためだろう.
 しかし,手話はれっきとした言語である.ヒトの言語の媒体としては,4つの形態が認められる.音声言語 (speech),文字言語 (writing),コンピュータ媒介言語 (CMC = computer-mediated communication),そして手話 (sign_language) である.いずれもヒトの言語を特徴づける諸性質が体系的に認められるがゆえに正当に言語と呼ばれるのであり,手話もその1つとして他と同列である.例えば,手話は2重分節性 (double_articulation) を有しているし,構成する記号には恣意性 (arbitrariness) が備わっている.生産性 (reproductivity) もあれば,異空間・異時間伝達性 (displacement) もある.ほかにも,「#1327. ヒトの言語に共通する7つの性質」 ([2012-12-14-1]) や「#1281. 口笛言語」 ([2012-10-29-1]) で取り上げた言語のもつ性質をすべて示す.
 手話における記号の恣意性について付け加えておこう.一見すると手話記号は恣意的というよりはイコン的・類像的 (iconic) であるように思われるかもしれない.確かに,指示対象に特徴的な形や動きを示すなど,発生としては iconic とみなすことができる記号も多い.しかし,それは手話という媒体に限ったことではなく,音声言語や文字言語にも程度の差はあれ見られるものである.例えば,「馬」という漢字を知っている者にとっては,それは馬をかたどった象形文字に見えるために iconic と呼べそうに思えるが,知らない者にとっては,かの動物を指す文字だとは思いも寄らないだろう.手話記号も,発生としては iconic なものだったとしても,実際上は意味を推測することのできない恣意的な記号だとみなしてよい.したがって,異なる手話体系では,ある記号表現が異なる記号内容を表わすということは普通である.ASL (American Sign Language)日本手話 (JSL = Japanese Sign Language) が互いに通じないのはもとより,ASL と BSL (British Sign Language) も互いに通じないということは,一般にはあまり知られていない.
 言語としての手話の体系性については,音韻論 (phonology) において弁別的な単位である音素 (phoneme) が設定されるのと同様の関係が認められる.手話において対応する弁別的な単位は chereme と呼ばれ,それを研究する分野は cherology と呼ばれることがある.chereme には location, configuration, action の3レベルが認められ,sign space 上にそれらの可能な組み合わせが実現することによって,記号が表現される.記号の体系性という点で,手話と単なるジェスチャーとは,天と地ほど異なるのである.
 以上,Crystal (159--63) を要約する形で執筆した.関連して,「#79. 手話言語学からの inspiration」 ([2009-07-16-1]) を参照されたい.また,「#1064. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (2)」 ([2012-03-26-1]) の記事に対してして頂いた本ブログ読者からのコメントも参照されたい(恥ずかしながら,手話に対する私の無知をさらけ出した発言が含まれていました).

 ・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.

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2012-11-28 Wed

#1311. 綴字の標準化はなぜ必要か [spelling][standardisation][me_dialect][writing][medium][spelling_reform][academy][johnson]

 中英語の綴字の奔放さとその後世への負の影響については,##53,219,193,562を始めとする記事でいろいろと扱ってきた.現代英語学習者にとって,[2009-06-20-1]の記事「#53. 後期中英語期の through の綴りは515通り」でみた異綴りは,嫌気という以上に,狂気を思わせ,同時に驚嘆の念をも催すだろう.綴字というものも,現代のように管理下に置かれていないかぎり,際限なく方言化してゆくのだということを示す好例である.だが,実際に中英語のテキストを読んでいると,異綴りというものに少しずつ慣れてゆくのも事実で,標準がなくとも書き言葉は何とかなるものだという感覚にもなってくる.方言を聞いているうちに耳が慣れてくるのと同じで,異綴りはいわば目で見る方言であるから,目が慣れればそれはそれで案外と機能するのだ.
 とはいっても,不便は大きい.例えば,中英語のテキストを読む現代人は,辞書である語を引くのに,登録されている綴字の当たりをつけてから引かなければならない.テキストに現われる綴字のままで辞書に登録されている保証はないからである.何度も試行錯誤し,結局,登録されていないのだと諦めることもしばしばである.ここには,辞書使用者は標準綴字を求めているにもかかわらず,実際の綴字には標準形がないという涙ぐましい問題がある.
 綴字の標準化が望ましい理由,必要とされる理由は,現代人の都合以外にもある.Schmitt and Marsden (156--57) は3点を挙げている.

 (1) 書き言葉は,時間と空間を越えて無数の相手に情報を伝えるための手段である.この手段を最大限に用いようとすれば,高度な一貫性と普遍性が要求されるはずである.
 (2) 書き言葉には,話し言葉に備わっている身振りや抑揚などの情報伝達に関わる多くの手段が欠けている.したがって,書き言葉において明晰さを確保するためには,語,文法,綴字などの正確さが要求される.
 (3) 書き言葉は,話し言葉とは異なり,意図的な教育により獲得されるものである.教育のために,一貫した綴字体系を定めることは重要である.

 (1) と (2) については writing medium の各記事を参照.興味深いのは,(1) と (3) は綴字の標準化が必要である理由であると同時に,綴字改革が試みられる理由でもあり,またそれがほぼ常に失敗する理由ともなっていることだ(spelling_reform) の各記事を参照).ある程度の体系がすでにある場合,それを変えようとすることは一貫性や普遍性に抵触する恐れがあるからだ.
 実際に,綴字の標準化は近代国家の重要な事業であった.例えば,国家が直接に事業に参与するか否かは別として,西欧諸国は例外なくこの事業に精を出した.イタリア,フランス,スペインはそれぞれ1582年,1634年,1713年にアカデミーを作り,標準的な綴字を統制した.ドイツでは1901年に,オランダ語圏では1883年と1947年に,それぞれ政府による統制があった.イギリスでは,Jonathan Swift (1667--1745) が1712年に提案したアカデミー設立こそ実現しなかったが,Johnson の辞書の出版 (1755) を頂点とする辞書編纂活動の努力により,綴字の標準化が完成した.いずれの近代国家も,上記の理由で,綴字の標準化を強く求めたのである.加えて,国家の威信を求めたことも理由の1つだったろう.

 ・ Schmitt, Norbert, and Richard Marsden. Why Is English Like That? Ann Arbor, Mich.: U of Michigan P, 2006.

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2012-10-29 Mon

#1281. 口笛言語 [communication][linguistics][double_articulation][medium]

 ヒトを含めた動物のコミュニケーション手段には様々なものがあるが,ヒトの言語の最大の特徴は,Crystal (How 9--10) によれば (1) reproductiveness, (2) double articulation, (3) displacement である.かいつまんで言えば,(1) はどんなことでも表現できる自由度と生産性の高さを,(2) は「#767. 言語の二重分節」 ([2011-06-03-1]) の特徴を,(3) は今ここに関与するもの以外のこと(昨日のことや,別の場所で起こっていること)を話題とすることができる性質を,それぞれ表わす.身振り,アイコンタクト,表情などは確かに人同士のコミュニケーション手段ではあるが,表現が固定化されていて自由度や生産性は低く,二重分節のような複雑な構造を示さず,典型的には今ここにあることしか話題にしない.
 だが,コミュニケーション手段によっては,3つの条件を満たしているかどうかは程度の問題にすぎないという側面もある.あるコミュニケーション手段が真の意味で言語と呼ばれてしかるべきか否か,微妙なケースがあるのだ.例えば,口笛によるコミュニケーションがそれだ.中米や南米の部族,ピレネー,トルコやカナリア諸島において,その土地の話し言葉に基づいた口笛によるコミュニケーション手段が確認されている.Crystal (Encyclopedia 404) に引用されている実例を要約しよう.メキシコ Oaxaca 州の部族で Mazateco 語の話者2人の間で交わされた口笛による会話である.
 ある日,Eusebio Martinez は小屋の前に立っていた.彼は,遠く離れたところで道を歩いていたトウモロコシ売りの男に口笛で呼びかけた.市場へ売りにでかける途中だったそのトウモロコシ売りは,口笛でそれに答えた.異なる音色で何度か口笛の交換があり,それが終わるとトウモロコシ売りは,道を少し引き返し Eusebio の小屋のあるところまで上ってきて,一言もしゃべらずに,荷物を下ろした.Eusebio はトウモロコシを物色すると,小屋の中からお金をもってきて,支払いをした.そして,トウモロコシ売りは去っていった.以上のやりとりのあいだ,二人の間には一言も言葉による会話はなされなかったが,値段の取り決めを含めた一切のコミュニケーションは先の口笛のやりとりによって確かに行なわれていたのである.
 二人の口笛での会話は,元となる言語による発話の,音節語ごとの音調に対応した4段階の音色によって表わされていた.文化的,語用論的に会話の文脈や目的は二人とも暗黙のうちによく共有されているので,二人の間での音調の「調律」作業こそ必要だが,音調に対応させて元の発話を復元することは,さほど困難ではないのだろう.元となる言語の発話の写しであるから,この口笛コミュニケーションも,上に定義した厳密な意味での言語とみなすことは一応のところ可能である.ただし,一般的にやりとりは短く,「文」も短く,利用される機会も少なく,男性にのみ用いられるということから,限りなく周辺的な「言語」とみてよいだろう.より正確には,Crystal (How 13) のいうように,言語の代用品として "surrogate" と呼んでおくのがよいかもしれない.
 関連して,音声言語の特徴を論じた ##1063,1064,1065 の記事を参照.

 ・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
 ・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1997.

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2012-03-25 Sun

#1063. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (1) [linguistics][sign_language][writing][medium][origin_of_language][speech_organ][anthropology][semiotics][evolution]

 言語は音声に基づいている.文明においては文字が重視されるが,言語の基本が音声であることは間違いない.このことは[2011-05-15-1]の記事「#748. 話し言葉書き言葉」で論じているので,繰り返さない.今回は,言語という記号体系がなぜ音声に基づいているのか,なぜ音声に基づいていなければならないのかという問題について考える.
 まず,意思疎通のためには,テレパシーのような超自然の手段に訴えるのでないかぎり,何らかの物理的手段に訴えざるをえない.ところが,人間の生物としての能力には限界があるため,人間が発信かつ受信することのできる物理的な信号の種類は,おのずから限られている.具体的には,受信者の立場からすれば,視・聴・嗅・味・触の五感のいずれか,あるいはその組み合わせに訴えかけてくる物理信号でなければならない.発信者の立場からすれば,五感に刺激を与える物理信号を産出しなければならない.当然,後者のほうが負担は重い.
 さて,嗅覚に訴える言語というものを想像してみよう.発信者は意思疎通のたびに匂いを作り出す必要があるが,人間は意志によって匂いを作り出すことは得意ではないし,作り出せたとしても時間がかかるだろう.あまり時間がかかるようだと即時的な意思疎通は不可能であり,「会話」のキャッチボールは望めない.また,匂いを作り出せたとしても,その種類は限られているだろう.手にニンニク,魚,納豆を常にたずさえているという方法はあるが,それならばニンニク,魚,納豆の現物をそのまま記号として用いるほうが早い.仮に頑張って3種類の匂いを作り出すことができたと仮定しても,それはちょうどワー,オー,キャーの3語しか備わっていない言語と同じことであり,複雑な意志疎通は不可能である.3種類を組み合わせれば複雑な意思疎通が可能になるかもしれないが,匂いは互いに混じり合ってしまうという大きな欠点がある.受信者の側にそれを嗅ぎ分ける能力があればよいが,受信者は残念ながら犬ではなく人間であり,嗅ぎ分けは難しいと言わざるを得ない.風が吹かずに空気が停滞している場所で,古い匂いメッセージと区別して新しい匂いメッセージを送りたいとき,発信者・受信者ともに匂いの混じらない安全な場所に移動しなければならないという不便もある(だが,逆にメッセージを残存させたいときには,匂いの残存しやすい性質はメリットとなる).風が吹いていれば,それはそれで問題で,受信者が感じ取るより先ににおいが流されてしまう恐れがある.発信者が体調不良で匂いを発することができない場合や,受信者が風邪で鼻がつまっている場合には,匂いによる「会話」は不可能である(もっとも,類似した事情は音声言語にもあり,声帯が炎症を起こしている場合や,耳が何らかの事情で聞こえない場合には機能しない).人間にとって,嗅覚に訴えかける言語というものは発達しそうにない.
 次に味覚である.こちらも産出が難しいという点では,嗅覚に匹敵する.発信者が意志によって体から辛み成分や苦み成分を分泌し,受信者に「ほれ,なめろ」とかいうことは考えにくい.激しい運動により体に汗をかかせて塩気を帯びさせるなどという方法は可能かもしれないが,即時性の点で不満が残るし,不当に体力を消耗するだろう.受信者の側でも,味覚により何種類の記号を識別できるかという問題が残る.味覚は個人差が大きいし,体調に影響されやすいことも,経験から知られている.さらに,匂いの場合と同様に,味は混じりやすいという欠点がある.味覚依存の言語も,効率という点では採用できないだろう.
 触覚.これは嗅覚や味覚に比べれば期待がもてる.触るという行為は,発信も受信も容易だ.発信者は,触り方(さする,突く,掻く,たたく,つねる等々),触る強度,触る持続時間,触る体の部位などを選ぶことができ,それぞれのパラメータの組み合わせによって複雑な記号表現を作り出すことができそうだ.たたくリズムやテンポを体系化すれば,音楽に匹敵する表現力を得ることもできるかもしれない.複数部位の同時タッチも可能である.ただし,受信者側にとっては触覚の感度が問題になる.人間の識別できるタッチの種類には限界があるし,掻く,たたく,つねるなどの結果,痛くなったり痒くなったりしては困る.痛みや痒みは持続するので,匂いの残存と同じような不都合も生じかねない.触覚に依存する言語というものは十分に考えられるが,より効率の良い手段が手に入るのであれば,積極的に採用されることはないのではないか.さする,なでる,握手する,抱き合うなどのスキンシップは実際に人間のコミュニケーションの一種ではあるが,複雑な記号体系を構成しているわけではなく,主役の音声言語に対して補助的に機能することが多い.
 人間において触覚よりもよく発達しており,意思伝達におおいに利用できそうな感覚は,視覚である.実際に有効に機能している視覚記号として,身振りや絵画がある.特に身振りは発信が容易であり,即時性もある.文字や手話も視覚に訴える有効な手段だが,これらは身振りと異なり,原則として音声言語を視覚へ写し取ったものである.あくまで派生的な手段であり,補助や代役とみなすべきものだ.しかし,補助や代役とはいえ,いくつかの点で,音声言語の限界を超える働きすら示すことも確かである(##748,849,1001).このように音声言語の補助や代役として視覚が選ばれているのは,人間の視覚がことに鋭敏であるからであり,偶然ではない.視覚依存の欠点として,目の利かない暗闇や濃霧のなかでは利用できないことなどが挙げられるが,他の感覚に比べて欠点は少なく,長所は多い.[2009-07-16-1]の記事「#79. 手話言語学からの inspiration 」も参照.
 最後に残ったのが,人間の実際の言語が依存している聴覚である.聴覚に訴えるということは,受信者は音声を聴解する必要があり,発信者は音声を産出する必要があるということである.まず受信者の立場を考えてみよう.人間の聴覚は視覚と同様に非常に鋭敏であり,他の感覚よりも優れている.したがって,この感覚を複雑な意思疎通の手段のために利用するというのは,能力的には理にかなっている.音の質や量の微妙な違いを聞き分けられるのであるから,それを記号間の差に対応させることで膨大な情報を区別できるこはずだからだ.
 次に発信者の立場を考えてみよう.発信者は多様な音声を産出する必要があるが,人間にはそのために必要な器官が進化の過程で適切に備わってきた([2009-10-04-1]の記事「#160. Ardi はまだ言語を話さないけれど」,[2010-10-23-1]の記事「#544. ヒトの発音器官の進化と前適応理論」を参照).人間の唇,歯,舌,声帯,肺などの発音に関わる器官がこのような状態で備わっているのは,言語の発達にとって理想であったし,奇跡とすらいえる.これにより,微妙な音の差を識別できる聴覚のきめ細かさに対応する,きめ細かな発音が可能になったのである.音声に依存する言語が発達する条件は,進化の過程で整えられてきた.
 では,他の感覚ではなく聴覚に訴える手段が,音声に依存する言語が,特に発達してきたのはなぜだろうか.それは,上で各感覚について述べてきたように,聴覚依存,音声依存の伝達の長所と欠点を天秤にかけたとき,長所が欠点を補って余りあるからである.その各点については,明日の記事で.

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2012-01-23 Mon

#1001. 話しことばと書きことば (3) [writing][medium][japanese][internet][netspeak]

 [2011-05-15-1], [2011-08-24-1]に引き続き,標題の話題.両媒体の差異が絶対的なものではないことについては,[2009-12-13-1]の記事「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」で議論したが,一般的な理解としては,両者は対置されるとしておいて問題はないだろう.用語上の対立も,話し言葉と書き言葉,音声言語と文字言語,口頭言語と書記言語,口頭語と文章語,談話と文章など広く認められ,私たちの日常の意識のなかでも二つの媒体は明確に区別されている.
 [2011-08-24-1]の記事で両媒体の特徴の違いを詳しく見たが,語用論的な特徴の指摘に偏っていたきらいがあるので,今回は言語形式上の特徴に焦点を当てて,差異を明らかにしたい.今回参考にしたのは『日本語概説』(204--06) で,日本語からの例を挙げるが,多くの項目は英語にもその他の言語にも対応するものが認められるだろう.

Speech and Writing

 同著 (p. 206) でのまとめは,「話しことばがコミュニケーションのスピードと手軽さに優る社会生活上の利器であるならば,書きことばは高度な思想や深い文学的な妙味をつくりだす点に秀でた表現として,思索する人間の生活を支えている,と言えるであろう。」
 メール,ツイッター,チャットなどの新種のコミュニケーションには,話しことばと書きことばの両方の特徴が混在しているといわれるが,上記の特徴を見比べてゆくと,確かにそのとおりだ.話しことばよろしく待遇表現には気を遣う側面もあるし,かといって互いに同じ場所にいるわけではないので,書きことばのように,指示語の使用は控えることが多い.文学的表現は必ずしも使わずとも,同音異義語や同音類義語を活用することはやぶさかではない.

 ・ 加藤 彰彦,佐治 圭三,森田 良行 編 『日本語概説』 おうふう,1989年.

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2011-08-25 Thu

#850. 書き言葉の発生と論理的思考の関係 [writing][medium][alphabet][grammatology][buddhism][literacy]

 昨日の記事「話し言葉書き言葉 (2)」 ([2011-08-24-1]) の項目 (3) で,典型的にいって,書き言葉は話し言葉より分析的で論理的であると説明した.日本語であれ英語であれ標準的な書き言葉を身につけている者にとって,これは常識的に受け入れられるだろう.書き言葉のほうが正しく権威があるという文字文明のにおける直感は,論理的な思考を体現するとされる書籍,新聞,論文,契約書,法文書などへの信頼によっても表わされている.
 文字の発明が人間の思考様式を変えたというのは結果としては事実だが,その因果関係,特に書き言葉の発展と論理的思考の発展の因果関係がどのくらい直接的であるかについては熱い議論が戦わされている.Kramsch (40--41) から引用する.

. . . as has been hotly debated in recent years, the cognitive skills associated with literacy are not intrinsic to the technology of writing. Although the written medium does have its own physical parameters, there is nothing in alphabet and script that would make them more suited, say, for logical and analytic thinking than the spoken medium. To understand why literacy has become associated with logic and analysis, one needs to understand the historical association of the invention of the Greek alphabet with Plato's philosophy, and the influence of Plato's dichotomy between ideas and language on the whole of Western thought. It is cultural and historical contingency, not technology per se, that determines the way we think, but technology serves to enhance and give power to one way of thinking over another. Technology is always linked to power, as power is linked to dominant cultures.


 確かに,書き言葉のおかげで論理的思考が可能になったというのは全面的に間違いだとはいわないが,直接の因果関係を示すものではなさそうだ.書き言葉と論理的思考は互いに相性がよいことは確かだろうが,一方が必然的に他方を生み出したという関係にはないように思われる.両者のあいだに歴史的偶然のステップが何段階か入ってくる.引用にあるギリシア・アルファベットとプラトンの例で考えると,以下のようなステップが想定される.

 (1) 紀元前1000年頃,ギリシア語に書き言葉(アルファベット)が伝えられた ([2010-06-24-1])
 (2) 論理を重視するプラトン (427?--347?BC) の哲学がギリシアに現われた
 (3) こうして偶然にギリシアで書き言葉と論理性が結びついた
 (4) 両者は一旦結びつきさえすれば相性はよいので,その後はあたかも必然的な関係であるかのように見えるようになった

 人類にとっての文字の発明 ([2009-06-08-1]) や,ある文化への書き言葉の導入は,歴史上常に革命的であると評価されてきた.例えば,[2010-02-17-1]の記事「外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」で取り上げたように,英語へはキリスト教伝来を背景にラテン語経由でローマン・アルファベットが,日本語へは仏教伝来を背景に中国語経由で漢字がそれぞれ導入され,両言語のその後の知的発展を方向づけた.しかし,文字の導入という技術移転そのものがその後の知的発展の直接の推進力だったわけではなく,アルファベットや漢字という文字が体現していた先行の知的文明を学び取ったことが直接の原動力だったはずである.文字はあくまで(しかし非常に強力な)媒体であり手段だったということだろう.「文字の導入はその後の知的発展にとって革命的だった」という謂いは,比喩として捉えておくのがよいのかもしれない.
 このように考えると,昨日の記事の対立項 (3) の内容は,あくまで傾向を示すものであり,特定の時代や文化に依存する相対的なものであると考えるべきなのだろうか.

 ・ Kramsch, Clair. Language and Culture. Oxford: OUP, 1998.

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2011-08-24 Wed

#849. 話し言葉書き言葉 (2) [writing][register][medium]

 話し言葉 (speech) と書き言葉 (writing) の対立についての話題は,[2011-05-15-1]の記事「話し言葉書き言葉」などで取り上げた.また,両者の境は絶対的なものではなく,orality と literacy の特徴はある程度互いに乗り入れ可能であることについて,[2009-12-13-1]の記事「話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」で論じた.
 しかし,話し言葉 (以降 S) と書き言葉 (以降 W) の対置は,W を習得している者にとっては,言語媒体の違いとして自明であるように思える.典型的な S (会話)と W (説明文章)のあいだにどのような特徴の差異があるのかについては,一度ゆっくり考えてみないとすぐには答えが出ないかもしれない.Kramsch (37--41) を参考に,7点の対立項を取り上げよう.

 (1) S は一時的 (transient) だが,W は永続的 (permanent) である.
   W のこの特徴により,W は S よりも大きな権威を帯びる.時空を超えて情報を蓄積・伝達することができるし,書かれている内容そのものも同様に永続的であるという幻想を抱かせるからである.
 (2) S は追加的で感情的 (additive and rhapsodic) だが,W は整然と結束 (ordered and cohesive) している.
   S では対話が交互の発話により積み上げ式に展開するが,対話という形式をもたない W でははじめから高度な結束をもった情報構造が求められる.S はその場で即興で,W はあらかじめ準備して,という差異とも関連する.
 (3) S は社会性が強く交感的 (aggregative and phatic) だが,W は分析的で論理的 (analytic and logical) である.
   S では話者間の雰囲気作りを目的とする表現が多くなるが,W では内容について分析し思考することに集中する表現が多い.
 (4) S は余剰的 (redundant) だが,W は非余剰的 (non-redundant) である.
   (1) の特徴ゆえに,S は話し手と聞き手に短期記憶を強いらざるをえず,誤解を避けるために繰り返しや言い換えが多用される.一方で,W はそのような短期記憶に配慮する必要がないので,むしろ余剰的であることを避ける傾向がある.
 (5) S は文法的に緩んでおり語彙的に希薄 (grammatically loose and lexically sparse) だが,W は文法的に引き締まっており語彙的に凝縮されて (grammatically compact and lexically dense) いる.
   S の「その場で即興で」という性質に対応して,S では後の修正を前提として文法的にも語彙的にも隙を作っておくのが適切である.一方で,W の「あらかじめ準備して」という性質に対応して,W では最初から隙を作らない密度の高い文章を作っておくのが適切である.
 (6) S は人中心 (people-centered) だが,W は話題中心 (topic-centered) である.
   S では話題そのものだけでなく聞き手の感情などにも配慮する必要があるが,W では話題を正確に伝達することに集中できる.
 (7) S は文脈依存的 (context dependent) だが,W は文脈減少的 (context-reduced) である.
   S では文脈がすぐ手近にあるので,それに頼る傾向がある.一方で,W は書いている時点での文脈が読むときには失われている(文脈の鍵が減少している)ことが多いため,文脈に依存しにくい.

 対立項をブレストすれば,この7項目以外にもいろいろと出てくるだろう.実際に授業で何度かブレストしてみたが,おもしろかった.

 ・ Kramsch, Clair. Language and Culture. Oxford: OUP, 1998.

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2011-05-15 Sun

#748. 話し言葉書き言葉 [writing][register][medium]

 ラテン語で uerba uolant, scripta manent 「話し言葉は飛び去り,書き言葉は残る」と言われるとおり,話し言葉は録音されない限り一瞬で音波として流れ去ってしまうが,書き言葉は石板,羊皮紙,紙などの媒体が存続する限り有効である.
 文字をもつ社会においては,書き言葉はその持続的な性質ゆえに話し言葉よりも高い地位を与えられてきた経緯がある.書き言葉をもつ現代の言語共同体でも,文書のほうが口頭よりも正式で有効なものとして優遇される.書かれると「えらく」なるのである.
 しかし,言語学の研究対象は第一に話し言葉 (speech) であり,書き言葉 (writing) の関心は二次的である.昨日の記事 [2011-05-14-1] で,言語学が記述を規範に優先させることについて話題にしたが,同様に言語学は話し言葉を書き言葉に優先させるのが大原則である.この優先づけは,以下の通り,話し言葉のほうがより根源的で本質的であることに基づく.

 ・ ヒトの言語は,話し言葉として発生した.書き言葉の歴史は非常に浅い.([2009-06-08-1]の記事「言語と文字の歴史は浅い」を参照.)
 ・ 個体発生を考えても,幼児はまず話し言葉を習得する.習得に関して,話し言葉は常に書き言葉に先立つ.
 ・ 話し言葉の能力はヒトという種に先天的だが,書き言葉は常に後天的に学習される.
 ・ 過去にも現在にも,文字をもたない言語のほうが文字をもつ言語よりも多い.

 言語学における話し言葉の優位性について,昨日と同様,Martinet から拙訳とともに引用する.現代社会における書き言葉の重要性を指摘した直後の段落である.

  Ceci ne doit pas faire oublier que les signes du langage humain sont en priorité vocaux, que, pendant des centaines de milliers d'années, ces signes ont été exclusivement vocaux, et qu'aujourd'hui encore les êtres humains en majoriteé savent parler sans savoir lire. On apprend à parler avant d'apprendre à lire : la lecture vient doubler la parole, jamais l'inverse. L'étude de l'écriture représente une discipline distincte de la linguistique, enore que, pratiquement, une de ses annexes. Le linguiste fait donc par principe abstraction des faits de graphie. Il ne les considère que dans la mesure, au total restreinte, où les faits de graphie influencent la form des signes vocaux.

 このことゆえに,人間の言語の記号は優先的に音に関するものであること,何千年ものあいだ言語の記号はもっぱら音であったこと,今日でも人類の大半は読めなくとも話せることを忘れることがあってはならない.人は読むことを覚えるまえに話すことを覚える.読むことが話すことを追い越すようになるのであって,決してその逆ではない.書き言葉の研究は,実際上は言語学の付属分野の1つではあるが,独立した1分野を表わしている.したがって,言語学者は原則として書記法の事実を捨象する.書記法の事実は,全体として限られた範囲において,それが発音される記号の形態に影響を及ぼす範囲においてのみ考慮の対象となる.


 一般言語学の観点からは,上記の話し言葉優位の原則に異存はない.しかし,英語史の観点からは,よく斟酌した上でこの原則を理解する必要がある.英語史など歴史言語学の分野では,むしろ最後の「書記法の事実は,全体として限られた範囲において,それが発音される記号の形態に影響を及ぼす範囲においてのみ考慮の対象となる」の部分が重要である.残された文字を通じてしか往時の言語を復元できない歴史言語学においては,音声重視とだけ言っていられない現実があり,文字と音声の関係の考察がとりわけ重要となる.実際に,近年の中英語研究では,発音と綴字の関係の詳細な洗い直しが始まっている.文字について一家言もっている日本人の出番では,と密かに思っているが,どうだろうか.

 ・ Martinet, André. Éléments de linguistique générale. 5th ed. Armand Colin: Paris, 2008.

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2009-12-13 Sun

#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か? [writing][register][medium]

 英語の variety を決めるパラメータの一つに medium媒体」があることは,[2009-12-10-1]の記事で述べた.人間の言語の主要な媒体としては,話しことば ( speech or spoken language ) と書きことば ( writing or written language ) の二種類がありうる.前者は聴覚に,後者は視覚に訴えかけるのを特徴とする.視覚に訴えかけるもう一つの媒体として,[2009-07-16-1]で触れた「手話言語」 ( sign language ) があるが,今回は議論から外す.
 従来,話しことばと書きことばは明確に対置されてきた.このブログで何度か取り上げている発音と綴字の乖離の問題も,話しことばと書きことばが独立した存在であり,ときに相反することすらあることを例証している.また,聴覚依存か視覚依存かという区別は,物理的・生理的に明確な区別であり,この対置は自然のことのように思われる.
 しかし,言語コミュニケーションの送り手と受け手の間の関係が近いか遠いかという「コンセプト」の観点からすると,話しことばと書きことばの境は必ずしも明確でないことに気づく.例えば,講演の言語は口頭でなされるが,書きことばに匹敵する「遠いことば」 ( Sprache der Distanz ) である.逆に,チャットは文字を通じてなされるが,話しことばに匹敵する「近いことば」 ( Sprache der Nähe ) である.Koch and Oesterreicher は mediumconcept を掛け合わせた以下のようなモデルを提唱した.(以下の図は,高田氏の改変を私がさらに改変したものである.)

Koch and Oesterreicher's Medium Model

 このモデルは,(英語)歴史言語学の方法論に示唆を与えてくれる.過去の言語を復元しようとする営みにおいて最大の壁は,話しことばの証拠を直接に得ることが難しいことである.レコーダの出現以前の話しことばを復元するには,現在にまで残っている書きことばの資料を手がかりにして間接的に話しことばを復元するという方法しか残されていない.だが,Koch and Oesterreicher のモデルで明らかなように,書きことばでも話しことば性の高い variety は存在する.そのような書きことば variety に依拠することで,過去の話しことばに接近することが可能ではないか.話しことばと書きことばの対立は,従来いわれてきたほど絶対的なものではないと考えられる.

 ・ 高田 博行 「歴史語用論の可能性 --- 甦るかつての言語的日常」 『月刊言語』386巻12号,2009年,68--75頁.
 ・ Koch, Peter and Wulf Oesterreicher. "Sprache der Nähe -- Sprache der Distanz: Mündlichkeit und Schriftlichkeit im Spannungsfeld von Sprachtheorie und Sprachgeschichte." Romanistisches Jahrbuch 36 (1985): 15--43.

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