20世紀後半までの近代言語学の歴史は,抽象化の歴史といってもよい.言語という雑多で切り込みにくい対象を科学するためには,数多くの上皮をはぎ取り,裸にしてかかる必要があった.言語それ自体を取り出すために,文字をはぎ取り,民族や国家を捨象し,最後には話者を追放した.そのようにしてまな板に載せられた裸の言語を相手に,理論化を進めていったのである.それにより理論言語学は大いに発展したのであり,言語学の進歩にとって必要だったことは間違いない.それを踏まえて,20世紀後半からは,言語学は理論から実践へと関心を戻してきたようにみえる.社会言語学や語用論などの興隆は,社会や話者を言語学へ甦らせようとする欲求の結果だろう.
この視点は重要である.音声変化の代表例としてグリムの法則 (Grimm's Law) を例に取ろう ([2009-08-08-1]の記事「グリムの法則とは何か」を参照).そこでは印欧祖語の *p がゲルマン語では *f へ変化したとされるが,「法則」と呼ばれることの意味は何であるかを考えてみたい.この音声変化は原則として例外なくすべての語において生じたとされ,その意味で法則と呼ぶにふさわしい性格があることは確かだ.しかし,これは自然科学的な意味での法則ではあり得ない.なぜならば,話者という人間が介在しなければこの変化は起こりようがなかったし,歴史的に一回限りの出来事であるために再現可能性がないからである.特定の時期の特定の話者(集団)に依存していた変化であるから,熱力学の第2法則のようなものとは本質的に異なる.音声変化の主である話者は,受動的に変化を受けていたわけではなく,能動的に変化を起こしていたと考えなければならない.そこには話者による採用という積極的な行動があったと仮定せざるを得ない.田中 (153--54) のことばで,この主張を聞いてみよう.
人間という動物は、無意識に、なにか人間を超えた法則にしたがって、自分でも気づかずに p を f と発音するほどに法則に従順でなければならないのだろうか。そんなことがあるはずはないし、またあってはならない。人間は法則のために存在するものではないからである。およそ人間に関するできごとのなかに、無意識の法則的変化はあり得ない。p から f への変化は、一団の言語の話し手のなかで各個人の上に一斉に起きたのではなく、ある個人の上に生じた変化が拡散し、社会的に採用されたのだということを、じつによくわかるように説明したのはエウジェニオ・コセリウだった。かれは、あらゆる変化は採用であり、採用は人間の意志の行為であること、ちょうどタイプライターの p の文字を一たび f でとりかえたならば、あとは何度たたいても f が出てくるのは少しもふしぎでないのと同様、それは自然の法則とは無縁なものだと説明してみせた。こうして、音韻法則は、超人間法則の神秘の世界から、やっと人間世界にひきもどされたのである。(引用者注:太字で示した採用は,原文では傍点)
コセリウのように,言語を人間世界にひきもどそうとした日本の学者がある.方言周圏論を提唱した柳田国男である([2012-03-07-1]の記事「#1045. 柳田国男の方言周圏論」を参照).柳田は,蝸牛を表わす種々の語の地理的な伝播を念頭におきながら,新語の拡大は,人々の新語の「採択」に他ならないと論じている.その採択とは,文芸の評価と異なるところのない,好みの反映された積極的な承認であると断じている.やや長い引用だが,「話者集団による積極的な承認」という強い主張を味わうために,1段落をすべて記そう (39--40) .
あるいはこの新陳代謝の状態をもって、簡単に流行と言ってしまえばよいと思う人もあるか知らぬが、それには二つの理由があって、自分たちは従うことが出来ない。「流行」は社会学上の用語として今なおあまりに不精確な内容しか有たぬこと是が一つ、二つには新語の採択には単にそれが新しいからという以上に、遥かに具体的なる理由が、幾つでも想像し得られるからである。たとえば語音が当節の若き人々に、特に愛好せられるものであり、もしくは鮮明なる聯想があって、記憶通意に便であることなども一つの場合であるが、更に命名の動機に意匠があり、聴く者をして容易に観察の奇抜と、表現の技巧を承認せしめるものに至っては、その効果はちょうど他の複雑なる諸種の文芸の、世に行なわるると異なるところがない。一方にはまたその第一次の使用者らが、しばしば試みてただ稀にしか成功しなかった点も、頗る近世の詩歌・俳諧・秀句・謎々などとよく似ていて、今でもその作品から溯って、それが人を動かし得た理由を察し得るのであるが、しかもただ一つの相異はその作者の個人でなく、最初から一つの群であったことである。かつて民間文芸の成長した経路を考えてみた人ならば、この点は決して諒解に難くないであろう。独り方言の発明のみと言わず、歌でも唱え言でもはた諺でも、仮令始めて口にする者は或る一人であろうとも、それ以前に既にそう言わなければならぬ気運は、群の中に醸されていたので、ただその中の最も鋭敏なる者が、衆意を代表して出口の役を勤めたまでであった。それ故にいつも確かなる起りは不明であり、また出来るや否やとにかく直ぐに一部の用語となるのであった。隠語や綽名は常にかくのごとくして現われた。各地の新方言の取捨選択も、恐らくはまた是と同様なる支持者を持っていたことであろう。この群衆の承認は積極的のものである。単に癖とか惰性とかいうような、見のがし聞きのがしとは一つではない。それを自分が差別して、此方を新語の成長力などと名づけんとしているのである。
音声と語彙とでは,変化に際する意識の関与の度合いに差があるだろうが,それは質の差ではなく程度の差ということになろうか.
・ 田中 克彦 『ことばと国家』 岩波書店,1981年.
・ 柳田 国男 『蝸牛考』 岩波書店,1980年.
[2012-03-07-1]の記事「#1045. 柳田国男の方言周圏論」を始め,wave_theory の各記事で波状説 (the wave theory; Wellentheorie) の話題を取り上げてきた.柳田の『蝸牛考』を読みながら,その言語思想が,20世紀に入って西欧で興った美的観念論の言語学と類似していることに気づいた.一言でいえば,それは話者個人の心理を重んじる言語観である.(以下,言語学史にかかわる記述にはイヴィッチ (62--68) を参照する.)
19世紀にも先駆者はいた.Hugo Schuchardt (1842--1928) は,言語変化の発端における個人の役割を重視し,個人の革新が隣人に模倣されることによって言語変化が社会のものとなるということを初めて指摘した.20世紀に入り,Bergson の直観論や Benedetto Croce の美学が提唱されると,Schuchardt の影響と相俟って,個人の心理を重んじる言語学が現われた.彼らは,言語は本質的に個人心理の発現であるから,文体的現象としてとらえなければならないという立場を取った.その具体的な主導者は Karl Vossler (1872--1947) を始めとするフォスラー学派の面々で,人間は言語に関して能動的であり,選択者であると考えた.この点で,[2012-03-18-1]の記事「#1056. 言語変化は人間による積極的な採用である」で引用した柳田の思想と異なるところがない.
一方,イタリアでは,フォスラー学派の美的観念論の流れを継承し,かつ方言地理学にも影響を受けた新言語学 (Neolinguistics) が生じた.Matteo Giulio Bartoli (1873--1946) を筆頭とする新言語学派の面々は,言語に関して実在するのは「話す個人」だけであり,言語の改新は「話す個人」が口火を切ると考えた.また,言語は美的感覚の表現として,芸術,文学,衣服などの他の文化的な事象と同様に,うつろいやすく流行の変化にさらされるとした.[2012-03-18-1]の記事の引用では,柳田は「流行」説に反発しているが,「流行」という用語の定義が定まらないがゆえの反発であり,言語変化が「話す個人」の採用であり選択であるという点では,新言語学派の立場と一致している.新言語学派は方言における歴史・社会・地理の要因を重視し,後に言語周圏論,地域言語学 (areal linguistics) ,基層理論 (substratum theory) と呼ばれることになる重要な概念を導入したという功績もある.柳田がフォスラー学派や新言語学派から直接に影響を受けたかどうかは未調査だが,これらの学派と柳田の間に多くの際立った類似点が見られることは確かである.
個人の心理の重視は,個々の方言語の生長の重視にもつながる.というのは,繊細な個人の心理は,個々の語の選択にもその繊細さを発揮するはずだからである.柳田が方言における語の変異を論じた次の一節 (37--38) は,事実上,言語変化における個人の美的感覚の重要性を指摘していると解釈してよい.
単語の符号化ということは、在来の使用者のみには何でもないことのようであるが、それを一の土地から他の土地に移そうとする場合には、かなり大きな障碍となって現われる。新語の動機のまだ明らかに知られているものには、根を引いて植えかえるような味得があるに反して、此方はただ枝を折って手に持つだけの模倣しかないからであろうと思う。個々の事物によって方言量に多少があり、個々の方言に領域の広狭があるということは、恐らくはこの符号化の遅速、もしくはこれを防止すべき外部の力の、有無強弱によるものであって、言語を一種の社会資料として利用せんとする者には、殊にこの関係を明確にして置く必要があるのである。/私の仮定がもし当っているならば、現在一つの方言の活躍を支持し、殊にその流伝を容易ならしめている力は、同時にまたその語の新生を促した力であった。だから一方の原因が不明になる頃には、他の一方の効果も弱って、後にはただかつて是を育てた人の群れに、符合と化して残る以外には、至って僅少なる模倣者を得るに止まり、何かの機会あるごとに、新しいものに代らるる運命をもつのである。是を単語の生老病死と名づくることは、必ずしも不倫とは言うことが出来ぬ。もとよりその間には寿命の長短があって、古語にも往々にして今も活き、成長しまた征服しつつあるものもあることは事実だが、大体からいうと古いものは失せやすく、後に生まれたものの迎えられるのは常の法則である故に、我々は若干の例外のあるべきことを心に置いて、ほぼ現在の方言の分野から、それぞれの語の年齢長幼を推知することを許されるのである。
上に触れた一群の言語学者たちの共通項をくくり出せば,個人心理の重視,観念的,繊細,方言資料の尊重というところだろう.
・ 柳田 国男 『蝸牛考』 岩波書店,1980年.
・ ミルカ・イヴィッチ 著,早田 輝洋・井上 史雄 訳 『言語学の流れ』 みすず書房,1974年.