[2010-07-30-1]の記事で,英語の <h> の綴字が表わす子音 [h] にまつわる混乱の歴史的背景を見た.そこでは英語語彙における <h> と [h] の関係を3パターンに分けたが,改めて分かりやすく図示してみよう.< > が綴字,[ ] が発音を表わす.
[h] | no [h] | |
<h> | host | hour |
no <h> | ? | able |
正用(形)・標準発音に自信のない人が,正用(形)・標準発音を意識しすぎてかえって誤った形式を用いることで,overcorrection (直しすぎ)とも hyperurbanism (過度都会風)ともいい,この形式を過剰修正形 ( hypercorrect form ) という.
[2010-07-13-1]で触れたように,過剰修正は話者が正用と誤用の差をある程度意識しているからこそ生じる言語現象である.h の場合でいえば,(多く教養のない)話者が <h> と [h] の混乱についてある程度は意識しているからこそ,歴史的に母音のみでよいところを,わざわざ /h/ を先行させて発音してしまうということになる.
この過剰修正を示す英語史上の興味深い例としては,16世紀中葉に書かれた Henry Machyn の Diary からの例がある.これはロンドンの仕立屋の私生活を綴った日記で,私的なだけに必ずしも標準的な綴字を示しているわけではない.そこで現れるのが,本来あるべきでないところに現れる <h> の綴字である.Helsinki Corpus で調査した Nevalainen (127) によると,Machyn が playing とすべきところを playhyng と綴り,ordained とすべきところを hordenyd と綴っている例があるという.
この場合には <h> がしっかりと綴られており,おそらくは [h] が発音されていたものと考えられるので,厳密にいえば playhyng や hordenyd が上のマトリックスの左下マスを埋める例とはなり得ない.しかし,このような非歴史的な /h/ が過剰修正形として私的な言語使用の場で用いられていたということは,標準綴字に <h> がなかったとしても /h/ が発音された例は多くあっただろうことを強く示唆する.現在でも,非標準語法に限れば左下マスは多くの例で埋まるのではないだろうか.
ちなみに,Nevalainen (127) によれば hypercorrect /h/ の使用が公に非難されるようになるのは規範主義の伝統が確立する18世紀終わりからであり,Machyn の時代にはまだ忌むべき誤用とはなっていなかったとのことである.
・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
・ Nevalainen, Terttu. An Introduction to Early Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.
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