先日発売された『英語教育』9月号に,英語史の近著『英語史を学び英語を学ぶ --- 英語の現在と過去の対話』(高橋 英光(著),開拓社)に関する拙論書評が掲載されました.
書評内で本書を「読む英語史演習」と表現しましたが,実際,読んでみると大学の英語史演習の授粟に参加しているかのような錯覚に陥ります.前半の第I部は英語史通史の入門というべき趣旨で,ざっと読むことができます.その補章としてOED入門の解説が施されており,初めてOEDに触るという学習者には有用です.
後半の第II部は,現代英語の諸問題を歴史的にみるという趣旨の内容で,とりわけ17,18章は著者が強調する認知言語学の視点からの記述で,文法変化と意味変化の話題が取り上げられています.
各章末には要領よくまとめられた「要約」が付されているのもポイントです.この「要約」のみを横に読んでいくという学習法もありだと思います.
全体的に,易しい英語史入門書という位置づけの書です.巻末の参考文献にはよく選ばれた論著が並んでいるので,芋づる式に読書していくとよいと思います.
・ 高橋 英光 『英語史を学び英語を学ぶ --- 英語の現在と過去の対話』 開拓社,2020年.
・ 堀田 隆一 「書評:高橋 英光 『英語史を学び英語を学ぶ --- 英語の現在と過去の対話』(開拓社)」 『英語教育』(大修館) 2020年9月号,2020年.93--94頁.
hellog ラジオ版の第18回は,なぜ <w> の綴りのない one が /wʌn/ と発音されるのですか,という素朴な疑問です.英語の綴字と発音の関係はメチャクチャと言われますが,one ほどの基本語でそれが観察されるということは,やはりただ事ではありません.しかも,古今東西 <w> の文字なくして /w/ で発音される単語など他に思いつきません.ちょっとひどすぎる単語ということになります.では,その歴史的背景を覗いてみましょう.
<one> = /wʌn/ は,いくら現代的な観点から共時的に迫っても解決しません.中英語の方言発音とその後のスペリングの標準化の過程に由来する,すぐれて歴史的な問題だからです.言語はこのように,まずもって歴史的な存在なのです.
言語は確かに体系としての側面があります.だからこそ,現代の理論言語学が成り立っているのです.しかし,それがすべてではありません.言語特徴のなかには,前世代から受け継がれ,必ずしも現代的に再編された体系には適応せず,旧来のまま残っているものもあります.一方,現代の言語には,次の世代を見据えて先取りした新しい言語特徴も部分的に反映されています.言語は,世代ごとにゆっくりとバトンリレーを繰り返していく通時的な存在なのです.
本来の /aːn/ が,one とその関連語において歴史の過程で環境に応じて /oʊn/, /wʌn/, /ən/, /ə/ などに発展し,それらが現在も姉妹形として共存しているのです.
そこには半分音声学的な理屈がありますが,もう半分は歴史の戯れです.理屈で説明できるところはしっかり説明し,そうでないところは歴史の戯れとして受け入れる.言語はそれくらいの緩さを示すものなのだと思います.
この問題と関連して,##86,89,3573,831,2723,3551の記事セットをご覧ください
OED のサイトには当然ながら英語史に関する情報が満載である.じっくりと読んだことはなかったのだが,掘れば掘るほど出てくる英語史のコンテンツの宝庫だ.OED が運営しているブログがあり,そこから英語史概説というべき記事を以下に挙げておきたい.
OED らしく語彙史が中心となっているのはもちろん,辞書編纂の関心が存分に反映されたユニークな英語史となっており,実に読み応えがある.とりわけ古い時代の英語の evidence や manuscript dating の問題に関する議論などは秀逸というほかない(例えば Middle English: an overview の "Our surviving documents" などを参照).また,終着点となる20世紀の英語の評論などは,今後の英語を考える上で必読ではないか.
是非,以下をじっくり読んでもらえればと思います.
・ Old English --- an overview
- Historical background
- Some distinguishing features of Old English
- The beginning of Old English
- The end of Old English
- Old English dialects
- Old English verbs
- Derivational relationships and sound changes
- cf. Old English in the OED
・ Middle English: an overview
- Historical period
- The most important linguistic developments
- A multilingual context
- Borrowing from early Scandinavian
- Borrowing from Latin and/or French
- Pronunciation
- A period characterized by variation
- Our surviving documents
・ Early modern English --- an overview
- Boundaries of time and place
- Variations in English
- Attitudes to English
- Vocabulary expansion
- 'Inkhorn' versus purism
- Archaism and rhetoric
- Regulation and spelling reform
- Fresh perspectives: Old English and new science
・ Nineteenth century English: an overview
- Communications and contact
- Local and global English
- Recording the language
- A changing language: grammar and new words
- The science of language
・ Twentieth century English: an overview
- Circles of English
- Convergence: the birth of cool
- Restrictions on language
- Lexis: dreadnought and PEP talk
- Modern English usages
hellog ラジオ版の第17回は,定冠詞 the の発音に関する話題です.一般に the の後に母音が続く場合には [ði ˈæpl] のように発音され,[ðə ˈæpl] とは発音されない,と習います.これは発音のしやすさということで説明されることが多いのですが,若干の疑問が生じます.後者は本当に発音しにくいのでしょうか.私としては特に問題ないように思われるのですが・・・.実際,調べてみると現代の英語母語話者でも [ðə ˈæpl] と発音するケースが珍しくないのです.
では,なぜ [ði ˈæpl] が規範的な発音とされているのでしょうか.以下,私の仮説も含めた解説をお聴きください.
自然の流れに任せていれば,初期近代英語期にごく普通だった th'apple, th'orange などの elision 発音が受け継がれていただろうと想像されますが,後に規範主義的な言語観のもとで the apple (しかもその発音は単語の境目がことさら明確になるように [ði ˈæpl])が「正式な形」として「人為的に復元された」のではないかと疑っています.発音にせよ何にせよ,一度自然の発達で簡略化・省略化されたものが,再びもとの複雑かつ長い形に戻るというのは,常識では考えにくいからです.そこには規範的,教育的,人為的等々と呼びうる非自然的な力が働いたと思われます.ただし,上記はあくまで仮説です.参考までに.
この問題と関連して,##906,907,2236の記事セットを是非お読みください.
The OED in two minutes に,中英語の始まる1150年から2010年までの英語(借用)語彙史を地図上で視覚化してダイジェストで示すコンテンツが公表されている.これは凄いコンテンツ.実にみごとに英語語彙の多様化と拡大の歴史が表現されており,しかもいろいろな意味で考えさせられる.こちらからどうぞ.
地図の下にある色付きの帯は,現代英語における語種ごとの総トークン頻度を表わしている(背後で利用されているデータベースは Google Ngrams の1970--2008年の部分だという).試しに2010年現在の地図に示される統計をみてみると,総トークン頻度にして,ゲルマン系の語彙(青帯)が49%,英語要素に基づく複合語など(白帯)が26%なので,ここまでで全体の3/4である.ロマンス系の語彙(赤帯)が18%,ラテン語が7%,そしてその他が0.2%だ.英語史では語彙の歴史は借用の歴史であるというのが定番だが,トークン頻度で考える限り,現在でも英語の語彙は圧倒的にアングロサクソン(あるいはゲルマン)的であるといってよいことになる.この事実については「#3400. 英語の中核語彙に借用語がどれだけ入り込んでいるか?」 ([2018-08-18-1]) と,そこに張ったリンク先の記事を参照.
地図左下の年号に重なって描かれている灰色のバブルは,高頻度かつ多数の単語が加わった年ほど大きくなり,低頻度かつ少数の単語が加わったにすぎない年には小さくなる.17世紀を通じて相対的に大きかったバブルが,18世紀にかけてしぼんでいく様子も興味深い (cf. 「#2995. Augustan Age の語彙的保守性」 ([2017-07-09-1]),「#203. 1500--1900年における英語語彙の増加」 ([2009-11-16-1]),「#4070. 18世紀の語彙的低迷のなぞ」 ([2020-06-18-1])) .
英語(語彙)史を大づかみするには,このようなダイジェストの視覚コンテンツが威力を発揮する.
hellog ラジオ版の第16回は,多くの英語学習者が「初学者の頃からずっと気になっていた」とつぶやく素朴な疑問です.日本語では「兄」と「弟」の区別はほぼ常に重要ですが,英語では両者を brother と1語にまとめあげるのが普通です.確かに英語にも elder brother や younger brother などの表現はありますが,これは年齢の上下が問題となり得る特殊な状況で用いられる特殊な表現というべきで,やはりデフォルトの表現は brother でしょう.なぜ日英語間には,単語の意味の守備範囲について,このような食い違いがみられるのでしょうか.では,解説の音声をどうぞ.
端的にいえば,各言語(の世界観)には独自の「顕点」があるということです.日本語(文化)は年齢の上下関係を重視する発想をもっており「上下関係」が顕点となっていますが,英語(文化)では「上下関係」は顕点ではありません.日本語にみられる上下関係という顕点は,伝統的な儒教文化に負うところが大きいと思われます.各言語の示す顕点には,しばしば文化的背景が関わっています.
しかし,言語間で単語の意味の守備範囲が異なっている事例のすべてを文化的背景で説明することはできません.文化的背景による安易な説明は,自文化優越論にも発展しやすく,注意が必要だと思っています.日英語から特定の単語を取り上げて,その意味の違いを喧伝し,日本語文化と英語文化の対照を安易に論じることには慎重であるべきと考えます.「一単語文化論」には要注意です.
今回の素朴な疑問は,言語相対論 (linguistic_relativism) やサピア=ウォーフの仮説
(sapir-whorf_hypothesis) などの言語論上の大きな問いに繋がってきます.関連して,##3779,1868,1894,2711,1337の記事セットを是非お読みください.
hellog ラジオ版の第15回は,スペリングと発音の不一致しない事例の1つを取り上げます.women = /ˈwɪmɪn/ は,どうひっくり返っても理解できないスペリングと発音の関係です.単数形は woman = /ˈwʊmən/ となり,まだ理解できるのですが,複数形の women = /ˈwɪmɪn/ は,いったい何なのかという疑問です.以下をお聴きください.
最後のところで英語史の教訓として述べたように,現在不規則にみえるものが歴史的には規則的であり,説明を要しないということは多々あります.むしろ,現在規則的にみえるもののほうが歴史的には問題となってくるパターンが多いのです.
また,今回の話題のように,英語史と音声学の知識はしばしば関わり合います.本格的に英語史を学んでみたいという方は,是非とも音声学もいっしょに学んでください.英語史のおもしろさのかなりの部分は発音の変化にあります.今回取り上げた問題とその周辺については,##223,224の記事セットをどうぞ.
hellog ラジオ版の第14回は,英語初学者から寄せられた素朴な疑問です.人称代名詞において所有格と目的格はおよそ異なる形態をとりますが,女性単数の she に関してのみ her という同一形態が用いられます.これでは学ぶのに混乱するのではないか,という疑問かと思います.
同一形態でありながら2つ異なる機能を担うというのは,一見すると確かに混乱しそうですが,実際上,それで問題となることはほとんどありません.主格と目的格の形態で考えてみれば,you と it は同一形態をとっていますが,それで混乱したということは聞きません.
しかも,英語の歴史を振り返ってみれば,異なる機能にもかかわらず同一形態をとるようになったという変化は日常茶飯でした.例えば現代の人称代名詞の「目的格」は,もともとは対格と与格という別々の形態・機能を示していたものが,歴史の過程で同一形態に収斂してしまった結果の姿です.また,古い英語では2人称代名詞は単数と複数とで形態が区別されていましたが,近代英語以降に you に合一してしまったという経緯があります(cf. 「#3099. 連載第10回「なぜ you は「あなた」でもあり「あなたがた」でもあるのか?」」 ([2017-10-21-1])).もしこのような変化が本当に深刻な問題だったならば,現代英語は問題だらけの言語ということになってしまいますが,現代英語は目下世界中でまともに運用されているようです.
さらに標準英語から離れて英語の方言に目を移せば,主格 she の代わりに所有格・目的格の形態に対応する er を使用する方言も確認されます(cf. 「#793. she --- 現代イングランド方言における異形の分布」 ([2011-06-29-1]),「#3502. pronoun exchange」 ([2018-11-28-1])).日々そのような方言を用いて何ら問題なく生活している話者が当たり前のようにいるわけです.
物事を構造的にとらえる習慣のついている現代人にとって,言語も体系である以上,機能が異なれば形態も異なるはずだし,形態が異なれば機能も異なるはずだと考えるのは自然です.しかし,言語も歴史のなかで複雑な変化に揉まれつつ現在の姿になっているわけですので,必ずしも表面的にきれいな構造を示していないことも多いのです.
今回の疑問は,実に素朴でありながらも,実は2000年という長い時間軸を念頭にアプローチすべき問題であることを教えてくれる貴重な問いだと思います.
この問題とその周辺については,##4080,3099,793,3502の記事セットをご覧ください.
hellog ラジオ版の第13回です.度数を表わす once, twice が基数詞 one, two と関連することはすぐに分かると思います.であるならば,語尾の -ce が「度」を意味するにちがいないと直感されるでしょう.3以上であれば three times, four times などと表現するので,いわば -ce = times なのだろうと.
意味的にはおよそその通りです.しかし,この -ce はいったいどこから来たのでしょうか.その答えは,このスペリングだと騙されてしまうのですが,なんと -s なのです.複数形の -s ではありません,アポストロフィつきの所有格の -'s のことです.では,「?の」を表わす所有格の語尾が,なぜ副詞的に用いられる度数・倍数と関係するのでしょうか.以下をお聴きください.
歴史的には,所有格(英語史の用語では「属格」)は,単に所有を表わすにとどまらず,広く副詞的な機能を担当していました.驚くなかれ,現代英語の always, sometimes, needs などにみられる -s も歴史的には古い属格語尾に由来するのです.複数形の -s に由来するのではないのでご注意を!
この問題については,##81,84,1793,2135,723,1306,1554,4081の記事セットで深く論じていますので,ご参照ください.
hellog ラジオ版の第12回は,1つの公式として学習することの多い標題の構文について.
・ The longer you work, the more you will earn. (長く働けば働くほど,多くのお金を稼げます.)
・ The older we grow, the weaker our memory becomes. (年をとればとるほど,記憶力は衰えます.)
・ The sooner, the better. (早ければ早いほどよい.)
この構文では,比較級を用いた節が2つ並列されるので「?すればするほど?」という意味になることは何となく分かる気がするのですが,なぜ定冠詞 the が出てくるのかしょうか.この the の役割はいったい何なのでしょうか.今回は,その謎解きをしていきます.
実は驚くほど歴史の古い構文なのですね.しかも,the が副詞 (adverb) として機能しているとは! 考え方としては,when . . . then, if . . . then, although . . . yet, as . . . so のような相関構文と同列に扱えばよいということになります.
この問題について詳しく理解したい方は,##812,811の記事セットをご覧ください.
hellog ラジオ版の第11回.今回は,昨年の英語史の授業から飛び出してきた,驚くほどセンスのよい素朴な疑問です.こういうセンスが欲しいと羨ましくなるほどの良問.これについて簡単に音声で解説してみました.
つまり,語源をひもとけば,形容詞(の比較級) less と接尾辞 -less とはまったくの別物ということになるのです.これは驚きですね.類例として,かの形容詞の able と接尾辞 -able もなんと別物です.まさにひっくり返りそうな驚愕の事実.
この辺りの話題を文章でじっくり読みたい方は,##3699,4071の記事セットをどうぞ.
hellog ラジオ版の第10回目です.標題は,学生から素朴な疑問を募ると必ずといってよいほど寄せられてくる問いです.hour, honour, honest, heir その他で h が発音されないという問題ですが,何といっても初級英語で習う hour が代表格であり,当然ながら(ネイティブを含め)英語を学ぶ皆が不思議に思う問題ですね.
ところが,この問題は英語史のなかでも一,二を争うといってよいくらい難解なトピックなのです.学術的には未解決といってよいでしょう.しかし,背景はすこぶるおもしろい.そのおもしろさのエッセンスだけでも伝えようと,音声化してみました.
改めて,英語史研究においても「無音の h」は厄介な問題です.複雑ながらも魅力的な世界の一端を覗きたいという方には,##3941,461,462,1292,1675,1899,1677の記事セットをお薦めします.そもそも英語において歴史的に h は存在してきたのかという「h 幽霊説」まで登場し,百家争鳴.たかがハ行音,されどハ行音なのです.
BLM 運動が,世界で雪崩をうったように拡がっている.英米などでは,黒人差別への抗議のジェスチャーとして,奴隷制に関わる歴史的(英雄的)人物の銅像を破壊・撤去する動きが繰り広げられている.平行的に,言葉の問題への波及も見逃せない.7月13日のウェブ上の記事「IT用語も『奴隷』廃止の動き 『slave』は『フォロワー』や『レプリカ』にを読んで,おっと思った.master, slave, whitelist, blacklist などの表現が不適切であるとして,IT業界において leader, follower, allowlist, denylist 等の別の表現に置換される動きが起こってきているという.
銅像破壊・撤去と,この「新しいPC」 (political_correctness) というべき2つの現象は,とてもよく似ている.まず,社会の潮流により,既存の伝統的な表現形式が,部分的に自主的に取り下げられているという点が共通している.
もう1つの共通点は,もとの表現形式が取り下げられたことにより,確かに一見すると問題はなくなったようにみえるが,決して問題が解決されたわけではないということだ.ネガティブにいえば,そのモノが見えなくなることでかえって何が問題だったのかが思い出せなくなるわけであり,時間をかけて意識的な問題解決が試みられなかっただけに,いつか容易に再燃する可能性もあるという点だ.
一方,銅像破壊・撤去と「新しいPC」には簡単に比較できない点もある.銅像はいったん取り下げられば,確かに人々が目にする機会はなくなる.しかし,master や slave という表現は,IT用語としては控えられるようになるかもしれないが,別の(本来の)語義としては現役であり,今まで通り人々の口にものぼるし耳にも入ってくる.換言すれば,銅像は視界から消えればその意義(歴史的英雄性)も同様に見えなくなる(ように思われる)が,言葉はすぐに完全に消えることはなく,別の語義としてではあれ,相変わらず用いられ続けるということだ.むしろ,言葉自体は根強く生き残ることが多い(cf. 「#1338. タブーの逆説」 ([2012-12-25-1])).
目下の銅像破壊・撤去に関して,その銅像を博物館に保管・展示することで教育・研究の素材として活かすべきだと論じている識者もいる.これは良案だと思う.
では,言葉についてはどうだろうか.IT用語における master と slave の置換については,別の表現に置換して「ハイ終わり」では,やはり満足できない.銅像を博物館に保管・展示するのと同様に,言葉の博物館が欲しい.それは,英語の場合でいえば OED のような歴史的原則に基づいた辞書に「差別的」語義を記録しておくことだろう.私は OED は専門的には奇跡的なレベルの辞書だと思っているが,それでもやはり物理的存在感のある博物館とは異なり,一般的にいえば存在感が薄い.英語に限らずだが,もっと物理的な存在感のある「言葉の博物館」が本当にあるとよいなと常々思っている.
hellog ラジオ版,第9回目です.be to blame は受験英語では「責めを負うべきである,責任がある,悪い」の意で熟語として暗記することになっているので,普通は深く考えないと思いますが,よく考えると変です.主語の He は誰かに非難される人であって,誰かを非難する人ではないからです.英語は interesting と interested のような分詞形容詞においてもそうですが,動詞の意味について能動と受動を厳しく区別するというのが建前ではなかったのでしょうか.
関連してややこしいのは,やはり受験英語で暗記することになっている be to do という熟語との関係です.「予定」「運命」「義務・命令」「可能」「意志」などの用語で種々の用法が説明されますが,この熟語では,いずれの用法においても,確かに文の主語が do するという「態」 (voice) の関係なのです.
・ 「予定」用法: The concert is to be held this evening.
・ 「運命」用法: He was never to see his family again.
・ 「義務・命令」用法: You are not to smoke in this room.
・ 「可能」用法: The camera was not to be found.
・ 「意志」用法: If we are to get there by noon, we had better hurry.
ということは「彼は責めを負うべきだ」は,やはり He is to be blamed. のほうが適切で,He is to blame. はおかしいということになりそうです.
しかし,歴史的にみれば,後者で正しいのです.英語は能動態や受動態など「態」にうるさいと述べましたが,古い英語では,特に今回のような不定詞(および動名詞)に関するかぎり,態の意識はずっと緩かったのです.では,こちらの音声をどうぞ.
熟語というのはたいてい古くから固定化されてきた定型句であることが多いので,今回の be to blame も,「態」に緩かった古き良き時代の名残だったわけです.ぜひ関連する以下の記事もご覧ください(##3611,3604,3605の記事セット).
hellog ラジオ版の第8回目として,英語(史)の専門家にも意外と知られていない事実を紹介します.前回の第7回 ([2020-07-15-1]) でも実は少し触れたのですが,今回は詳しく取り上げます.
現在,世界の約20億人によって話されるともいわれる lingua franca たる英語.現代における威信が注目されるあまり,その最古の姿がいかなるものだったかについては関心をもたれません.しかし,調べてみるとメチャクチャおもしろいのです.英語の現存する最古の証拠の1つに "Undley bracteate" があります.これは1982年に Suffolk の Undley で発見された直径2.3cmの金のメダルに付けられた名前で,年代は紀元450--80年のものとされます.メダルの円周に沿って,ルーン文字で反時計回りに,つまり「右から左に」書かれています.まさにロマンを掻きたてるメダルです.
実におもしろいでしょう."gægogæ mægæ medu" とは何なのか? 呪文? 祈祷? 無味乾燥な散文? 今を時めく英語という言語が,いわば少数民族の言語だった最初期の時代の証拠です.
関連する記事を挙げておきましょう.ぜひ##572,1435,1453の記事セットをじっくりご覧ください.
hellog ラジオ版の第7弾.当たり前すぎて,むしろほとんど誰も問わないのではないかという素朴な疑問ですが,よく考えると眠れなくなるほど不思議です.
日本語は伝統的に縦書きなので,私たちは,まずもってなぜ英語は横書きなのかという疑問を抱いてしかるべきです.百歩譲って横書きを容認するにせよ,次になぜ右から左ではなく左から右なのかという疑問が浮かんできます.というのは,過去にも現在にも,右から左に書く習慣をもつ書記体系がいくらでも存在するからです.
上記は取りとめもない疑問のように思いますが,これが実に奥深いのです.ということで,手軽な音声コンテンツを心がけると宣言しながら,10分を超える録音になってしまいました.ですが,ぜひ聴いてください.なんと最古の英文は右から左に書かれていたという,驚くべき事実があるのですから!
いかがでしたか.縦書きか横書きか,横書きだとしたら右から左なのか,左から右なのか.これは相当におもしろい問題です.
音声の後半で触れましたが,日本語にも戦前から戦中にかけて右から左への書字方向があり得ました.ここには興味深い社会言語学的な背景があったのですね.
種々の論点を含めて,関連する記事を挙げておきましょう.関心のある方は##572,2448,2449,2482,2483,2688の記事セットをご一読ください.英語史や言語学では,当たり前のことを掘り下げていくのが最もおもしろい,ということが分かったかと思います.
hellog ラジオ版の第6弾.非常によく尋ねられる素朴な疑問です.確かに go と went では重なるところがまったくないわけで,頭の上にハテナが飛ぶのは無理もないところです.まずは,こちらを聴いてください.
音声でも触れているように,go のような「超」のつく高頻度語には,補充法 (suppletion) をはじめ,とかく不規則なことが起こってしまうものです.これは古今東西の言語で普遍的にみられる現象といえます.
ということは,残念ながらどんな語学も学び始めの時期がとりわけキツいということになります.初級段階でこそ,go -- went のような理不尽な暗記項目がやたらと出てくることになるからです.
では,このようなことがどの言語にも普遍的にみられるというのは,なぜなのでしょうか.その議論も含め関連する記事を集めてみました.関心のる方は##43,1482,764,67,2600,2090,765,3254,694の記事セットをご覧ください.深い(社会)言語学的な背景があることがわかるかと思います.
hellog ラジオ版の第5弾.不規則動詞に関する素朴な疑問は多く寄せられますが,そのなかでも標題の put のような無変化の動詞は,とりわけ異端な雰囲気を放っています.英語には過去形や過去分詞形などいろいろとうるさい変化があって,そのポイントは,原形(現在形)と異なっている点にあったはず.それなのに,なぜ変化しないのか,と二重の憤りをもって突っ込みたくなる気持ちはわかります.
みなさんも put をはじめ,このような異端な動詞をいくつか暗記してきたはずです.put, cut, hit, hurt, let, set, shut, etc. しかし,これらの共通点について考えた人は少ないのではないでしょうか.わりと日常的な動詞が多いという点には気づくと思いますが,音韻形態的な共通点についてどうでしょうか.何となく分かってきましたか? では,音声をどうぞ.
じっくり文章で読んで理解を深めたい方は,ぜひ##1854,1858,3777,3339の記事セットをご覧ください.
日曜日なので気軽に英語史ネタを.ということでhellog ラジオ版の第4弾です.今回は学校文法でも必ず習う,現在完了形と yesterday のような時の副詞との相性の悪さについて,なぜなのかを考えてみました.
英語の(現在)完了というのは,イマイチ理解しにくい文法事項の代表格ですね.現在完了は「?した」とか「?してしまった」と訳すことが多いので,過去と区別がつきにくいのですが,両者は時制・相としてまったく異なるのだと説諭されるわけです.だから,過去の世界に属する yesterday のような時の副詞は,現在完了と同居してはいけないのだと説明を受けるわけですが,やはりよく理解できません.
この問題は,理論的にも厄介で "Present Perfect Puzzle" とも呼ばれています.私たちがピンと来ないのも無理はないといえます.今回の音声でも,スッキリと解決ということにはなりませんので,あしからず.その上で,以下の音声をどうぞ.
今回の内容を含め,そもそも完了形とは何かという問題について詳しく知りたいという方は,ぜひ##2633,2492,2749,534,2750,2763,2747,2490,2634,2635の記事セットをご覧ください.
英語史は教養的な科目であり,英語学や言語学を専攻とする学生にも広く開かれている.とはいっても,英語史のおもしろさを理解するためには,ある程度の言語学の知識があったほうがよいことは間違いない.では,どのくらい言語学を知っていればよいのか.この問題について Blockley (18) が論じており,"the minimal amount of linguistics needed to convey change in English over at least the last thousand years" について考える必要性を説いている.論考の冒頭部分を,省略しながら引用する.
My approach in this overview is rather to direct attention to a few disparate linguistic objects of various sizes, from the phoneme to the sentence, and a few terms for the linguistic descriptions that are claimed to affect such objects. . . .
These topics are therefore "essential" not so much in representing core concepts of linguistics as a science, but rather in the paramedic sense of indispensable --- whether or not these perceived units and processes turn out to be central to the history of English, you cannot describe the set of language changes that encompass English without knowledge of and reference to them. . . . The selection here is therefore relentlessly practical . . . . I hope that even those who find this cross-training teasingly minimalist may consider these and other combinations that raise questions of definition. Such questions lead us across disciplines, theoretical orientations, and sub-periods of English. (Blockley 18--19)
Blockley が自身の提案として以下の10のキーフレーズ・概念を示している.
・ Palatalization
・ Allophones
・ Regularized DO
・ Stress Shift
・ Grammaticalization
・ Phonemic Length
・ Complementation
・ Diphthongization
・ "You was" Declared Ungrammatical Though Not Plural
・ Raising and Fronting
いずれも英語史の異なる時代の異なる現象を説明する際に,繰り返し使わざるを得ない重要な語句あるいは概念であるとして,Blockley が自らの「英語史」の背骨として設定したベスト10というわけだ.
やや音声学的知識にウェイトがかかっているリストだが,私自身も英語史のおもしろさの半分以上は音声(とその周辺)にあると考えているので,共感はできる.もちろん,英語史を教える(学ぶ)者が10人いれば10通りのベスト10のキーフレーズがあがってくるだろうし,各々考えてみることが重要であり,おもしろいのだと思う.英語史の通史を書く場合や,講義を準備する場合にも,多かれ少なかれこのような少数の要点をくくり出すことがどうしても必要となってくるはずだろう.
・ Blockley, Mary. "Essential Linguistics." Chapter 3 of A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2008. 19--24.
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