小学館の『英語便利辞典』に,日本における英語受容史の主要な事項を年代順に列挙した略年表がある (460--61) .1600年から第2次世界大戦直後までの3世紀半に渡る日本と英語との接触の足跡を辿ろう.
年号 | 事項 | 解説 |
---|---|---|
1600(慶長5)年 | ウィリアム・アダムズ(William Adams;三浦按針)豊後海岸に漂着. | ウィリアム・アダムズは日本に最初に来た英国人とされる.家康に重用された. |
1808(文化5)年 | フェートン号事件 (Phaeton Incident) . | イギリスの軍艦フェートン号が長崎港に乱入.この事件をきっかけに,蘭学から英学へ移行. |
1814(文化11)年 | 『暗厄利亜語林大成(あんげりあごりんたいせい)』出版. | 蘭英字書をもとに編まれた日本最初の英和辞書. |
1841(天保12)年 | 中浜万次郎(通称:ジョン万),米捕鯨船に保護される. | 中浜万次郎は出漁中に太平洋上の孤島で遭難.その後米捕鯨船に救助され,アメリカで教育を受け,1851年帰国. |
1855(安政2)年 | 洋学所設立,翌年蕃書調所となる. | 洋学所は幕府の設置する洋学研究所. |
1858(安政5)年 | 日米修好通商条約締結. | 日本が外国と結んだ最初の条約. |
1859(安政6)年 | ヘボン博士来日. | ヘボン (James Curtis Hepburn) 博士はヘボン式ローマ字で有名.辞書編纂,聖書の日本語訳その他日本文化に多大の寄与をした. |
1860(万延1)年 | 咸臨丸アメリカに向け出航. | 日本の軍艦咸臨丸は,日米修好通商条約批准のための遣米使節団を乗せたポウハタン号に随行したが,同船には福沢諭吉,勝海舟なども乗船していた. |
1862(文久2)年 | 『英和對譯袖珍(しゅうちん)辞書』出版. | 堀達乃助他編.日本最初の本格的英和辞書. |
1866(慶応2)年 | 『西洋事情』ベストセラーとなる. | 福沢諭吉が著し,明治開化期の文明に大きな影響を与えた. |
1867(慶応3)年 | 『和英語林集成』出版. | ヘボンによる最初の和英辞典.その後改訂増補された. |
1871(明治4)年 | 津田梅子渡米. | 津田梅子は日本初の女子留学生.1900年女子英学塾(現在の津田塾大の前身)を創設. |
1876(明治9)年 | クラーク博士,札幌農学校に赴任. | クラーク (William Smith Clark) 博士は札幌農学校(現北海道大学)初代教頭を務める.諸説あるが,Boys, be ambitious! で有名.同校は新渡戸稲造(にとべいなぞう),内村鑑三など優秀な人材を輩出する. |
1890(明治23)年 | ラフカディオ・ハーン来日. | ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn;日本名:小泉八雲)は作家,英文学者.松江中学,東京帝国大学などで教鞭をとる.主著『怪談』『心』など. |
1914(大正4)年 | 『熟語本意英和中辞典』出版. | 斎藤秀三郎著.独創的な内容は,その後の英和辞書に大きな影響を与える. |
1918(大正7)年 | 『武信和英大辞典』出版. | 日本初の本格的和英辞典で,現行の研究社『新和英大辞典』の前身.武信(たけのぶ)由太郎編. |
1922(大正11)年 | パーマー (Harold E. Palmer) 来日. | オーラル・メソッド(Oral Method;口頭教授法)を唱え,以後の英語教育に大きな影響を与えた. |
1927(昭和2)年 | 研究社『新英和大辞典』出版. | 日本初の本格的英和大辞典.現在は第6版が出されているが,初版の著者は岡倉由三郎. |
1945(昭和20)年 | 『日米会話手帳』ベストセラーとなる. | 戦後2か月を経ない出版で,360万部の爆発的売れ行きを示した. |
1946(昭和21)年 | 平川唯一,英語会話放送開始. | 平川唯一はNHK放送のいわゆる「カムカム英語」の担当者.第二次世界大戦後の英語ブームの元祖となる. |
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow