「English ではなく Englic を話せ」と提唱する鈴木は,ある言語がリンガ・フランカとして普及してゆく背景には大きく分けて標題の3つの要素がある,と論じている.たいへん明解な議論なので,そのまま引用して紹介しよう(鈴木,pp. 35--37).
英語が広まったのは英語が言語としてよくできていて習いやすいからだと言う人がいますが,それは大嘘です.習いにくい言語だろうと,支配者がこの言語を勉強しろ,しないなら死ねという,そういう強制的な情況があれば,どの言語でも同じく広まります.
実は人間の言語はどれが決定的に難しいとか易しいとかはないのです.ある言語は他の人間にとってみんな学べる.ただ,小さいときに学ばないと苦労が多いというのは事実ですが.それと,重要なことは背後の文化や宗教の違う言語は学習するのに苦労するということです.しかし言語だけをとってみれば,自分の言語とタイプが違う言語は学ぶのに時間がかかるというだけの話で,本質的な難易度というのは差がありません.
要するに,英語が本質的に易しい言語だったから拡まったのではありません.イギリスという国が世界を征服し,大英帝国の艦隊が七つの海を支配し,地球を覆うユニオンジャックの旗の下では太陽は沈まないという,人類始まって以来の大帝国になったこと,これがまず英語を世界に拡める素地を作ったのです.
そして次に,第二次大戦後アメリカが唯一無傷の資本主義国家として,当時の世界経済の五〇パーセント近くを占めていたわけですが,そのアメリカがその後も全世界に強力な影響を及ぼし続けたがゆえに,さらに英語が今のように広まったのです.経済支配と軍事支配とはほとんどの場合表裏一体の関係にあります.
それからもう一つの原因は宗教です.非常に魅力のある強力な宗教が興ると,その宗教と結びついている言語,たとえばイスラム教はアラビア語,初期のキリスト教はラテン語やギリシア語というふうに,言語が宗教の担い手として広まっていくわけです.けれども,宗教だけというのは人間の世界ではあり得ないので,宗教は必ずその人々の文化を伴い,経済体制をもってきます.
このように言語が世界に広まる原因は,ある面は軍事,ある面は宗教,ある面は経済,この三つといえます.
軍事・経済・宗教のほかにも,言語が普及する(あるいは人々がある言語を学ぼうと努める)要素がもう1つあるように思われる.それは「惰性」である.これらの要素によって言語が国際的に一定程度まで普及すると,その言語の有用性はすでに高まっており,人々がそれを習得することによる利益は多方面に及ぶ.軍事・経済・宗教といった限定された領域にとどまらず,政治,学術,技術,交通,文化など,考えられる多くの分野で,その言語を学ぶことの価値が感じられるようになる.この力学を惰性と呼ぶのがネガティブと感じるならば,積極的に正のスパイラルと呼び替えてもよい.
皮肉をこめていうが,日本における英語教育・学習熱――猫も杓子も英語を学ばなければならないという強迫観念――は,具体的な動機づけに支えられているというよりは,この「惰性」によるところが大きいのではないか.惰性が歴史の成り行きで作り出されてきたことはその通りだが,その大本に標題の3要素があるという事実は銘記しておくべきだろう.
引用の最初にある通り,「英語は簡単だから世界語となった」という俗説は,非常に根強く残っている.この問題については,「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1]),「#1082. なぜ英語は世界語となったか (1)」 ([2012-04-13-1]),「#1083. なぜ英語は世界語となったか (2)」 ([2012-04-14-1]),「#1607. 英語教育の政治的側面」 ([2013-09-20-1]),「#1788. 超民族語の出現と拡大に関与する状況と要因」 ([2014-03-20-1]),「#2487. ある言語の重要性とは,その社会的な力のことである」 ([2016-02-17-1]),「#2673. 「現代世界における英語の重要性は世界中の人々にとっての有用性にこそある」」 ([2016-08-21-1]) 等の記事を参照されたい.
・ 鈴木 孝夫 『あなたは英語で戦えますか』 冨山房インターナショナル,2011年.
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