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最終更新時間: 2024-11-22 17:50

2018-03-18 Sun

#3247. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」の第5回「color か colour か? --- アメリカのスペリング」 [slide][ame][ame_bre][webster][spelling][spelling_pronunciation_gap][orthography][hel_education][link][asacul]

 朝日カルチャーセンター新宿教室の講座「スペリングでたどる英語の歴史」(全5回)の第5回を,昨日3月17日(土)に開きました.最終回となる今回は「color か colour か? --- アメリカのスペリング」と題して,スペリングの英米差を中心に論じました.講座で用いたスライド資料をこちらからどうぞ.
 今回の要点は以下の3つです.

 ・ スペリングの英米差は多くあるとはいえマイナー
 ・ ノア・ウェブスターのスペリング改革の成功は多分に愛国心ゆえ
 ・ スペリングの「正しさ」は言語学的合理性の問題というよりは歴史・社会・政治的な権力のあり方の問題ではないか

 以下,スライドのページごとにリンクを張っておきます.各スライドは,ブログ記事へのリンク集としても使えます.

   1. 講座『スペリングでたどる英語の歴史』第5回 color か colour か?--- アメリカのスペリング
   2. 要点
   3. (1) スペリングの英米差
   4. アメリカのスペリングの特徴
   5. -<ize> と -<ise>
   6. その他の例
   7. (2) ノア・ウェブスターのスペリング改革
   8. ノア・ウェブスター
   9. ウェブスター語録
   10. colour の衰退と color の拡大の過程
   11. なぜウェブスターのスペリング改革は成功したのか?
   12. (3) スペリングの「正しさ」とは?
   13. まとめ
   14. 本講座を振り返って
   15. 参考文献

 また,今回で講座終了なので,全5回のスライドへのリンクも以下にまとめて張っておきます.

   第1回 英語のスペリングの不規則性
   第2回 英語初のアルファベット表記 --- 古英語のスペリング
   第3回 515通りの through--- 中英語のスペリング
   第4回 doubt の <b>--- 近代英語のスペリング
   第5回 color か colour か? --- アメリカのスペリング

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2018-01-31 Wed

#3201. アメリカ英語の「保守性」について --- Algeo and Pyles の見解 [ame_bre][ame][colonial_lag][linguistic_ideology]

 標題について,「#1304. アメリカ英語の「保守性」」 ([2012-11-21-1]),「#2926. アメリカとアメリカ英語の「保守性」」 ([2017-05-01-1]) をはじめ,colonial_lagame_bre の各記事で様々に論じてきた.私自身の書いたまとまった記述としては,本ブログ記事以外に,「#2916. 連載第4回「イギリス英語の autumn とアメリカ英語の fall --- 複線的思考のすすめ」」 ([2017-04-21-1]) でも同種の問題について論じている.
 英語の英米差については,英語史研究者による様々なコメントがあるが,英語史の概説書の古典 Algeo and Pyles (205) の所見を紹介したい.英米差の評価として,事実に即しており,的確かつ妥当な見解だと思う.

   On the whole . . . American English is essentially a conservative development of the seventeenth-century English that is also the ancestor of present-day British. Except in vocabulary, there are probably few significant characteristics of New World English that are not traceable to the British Isles. There are also some American English characteristics that were doubtless derived from British regional dialects in the seventeenth century, for there were certainly speakers of such dialects among the earliest settlers, though they would seem to have had little influence.
   The majority of those English men and women to settle permanently in the New World were not illiterate bumpkins but ambitious and industrious members of the upper-lower and lower-middle classes, with a sprinkling of the well-educated---clergymen and lawyers---and even a few younger sons of the aristocracy. It is likely that there was a cultured nucleus in all of the early American communities. Such facts as these explain why American English resembles present standard British English more closely than it resembles any other British type of speech. The differences between the two national varieties are many but not of great importance.


 この引用文では,イギリス(標準)英語とアメリカ英語のあいだに言語学的および歴史社会言語学的な連続性があることが明瞭に述べられている.アメリカ英語について,イギリス(標準)英語からの連続性を強調することは,その保守性を主張することにはなろう.このスタンス自体がある種の言語イデオロギー (linguistic_ideology) である可能性をを認めつつ,私もこの立場を取りたい.

・ Algeo, John, and Thomas Pyles. The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Thomson Wadsworth, 2005.

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2017-10-11 Wed

#3089. 「アメリカ独立戦争と英語」のまとめスライド [slide][ame][ame_bre][history][link][hel_education][asacul]

 (アメリカ)英語史におけるアメリカ独立戦争の意義について,まとめスライド (HTML) を作ったので公開する.こちらからどうぞ.

 1. アメリカ独立戦争と英語
 2. 要点
 3. アメリカ英語の言語学的特徴
 4. アメリカ英語の社会言語学的特徴
 5. アメリカの歴史(猿谷の目次より)
 6. 「アメリカ革命」 (American Revolution)
 7. アメリカ英語の時代区分 (#158)
 8. 独立戦争とアメリカ英語
 9. ノア・ウェブスター(肖像画; #3087)
 10. ウェブスター語録
 11. ウェブスターの綴字改革
 12. まとめ
 13. 参考文献

 他の「まとめスライド」として,「#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド」 ([2017-09-10-1]),「#3068. 「宗教改革と英語史」のまとめスライド」 ([2017-09-20-1]) もご覧ください.

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2017-10-10 Tue

#3088. アメリカ英語の一様性に関する18--19世紀のコメント [ame][witherspoon]

 「#591. アメリカ英語が一様である理由」 ([2010-12-09-1]),「#2784. なぜアメリカでは英語が唯一の主たる言語となったのか?」 ([2016-12-10-1]) でアメリカ英語の一様性について論じたが,このアメリカ英語の特徴については,早くも18世紀後半から気づかれており,さらに19世紀には何度も言及されている.Baugh and Cable (347) に,それらの言及が引用されているので,ここで紹介しよう.
 まず,1781年にスコットランド出身でプリンストン大学の学長 John Witherspoon は,イギリス人と比較してのアメリカ人の mobility に言い及び,次のように述べている(Witherspoon については「#2802. John Witherspoon --- Americanism の生みの親」 ([2016-12-28-1]) も参照).

[B]eing much more unsettled, and moving frequently from place to place, they are not so liable to local peculiarities either in accent or phraseology.


 次に,1822--23年にアメリカを旅行したイングランド人 Isaac Candler は,次のように書いた.アメリカでは,広く「標準的な」英語が話されているという所感である.

The United States having been peopled from different parts of England and Ireland, the peculiarities of the various districts have in a great measure ceased. As far as pronunciation is concerned, the mass of people speak better English, than the mass of people in England. This I know will startle some, but its correctness will become manifest when I state, that in no part, except in those occupied by the descendants of the Dutch and German settlers, is any unintelligible jargon in vogue. We hear nothing so bad in America as the Suffolk whine, the Yorkshire clipping, or the Newcastle guttural. We never hear the letter H aspirated improperly, nor omitted to be aspirated where propriety requires it. The common pronunciation approximates to that of the well educated class of London and its vicinity.


 1828年には,アメリカ人 James Fenimore Cooper も同趣旨のことを述べている.

If the people of this country were like the people of any other country on earth, we should be speaking at this moment a great variety of nearly unintelligible patois; but, in point of fact, the people of the United States, with the exception of a few of German and French descent, speak, as a body, an incomparably better English than the people of the mother country. There is not, probably, a man (of English descent) born in this country, who would not be perfectly intelligible to all whom he should meet in the streets of London, though a vast number of those he met in the streets of London would be nearly unintelligible to him. In fine, we speak our language, as a nation, better than any other people speak their language. When one reflects on the immense surface of country that we occupy, the general accuracy, in pronunciation and in the use of words, is quite astonishing. This resemblance in speech can only be ascribed to the great diffusion of intelligence, and to the inexhaustible activity of the population, which, in a manner, destroys space.


 引用の最後で Cooper は,アメリカ英語の一様性の原因として知の伝播と人々の移動力を挙げている.Cooper のコメントには愛国主義的な響きも感じられるが,いずれにせよアメリカ英語の一様性が19世紀までに広く認識されるようになっていたことは確かなようだ.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

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2017-10-09 Mon

#3087. Noah Webster [biography][webster][ame][spelling_reform][american_revolution][history][lexicography][dictionary]

 象徴的な意味でアメリカ英語を作った Noah Webster (1758--1843) について,主として『英語学人名辞典』 (376--77) に拠り,伝記的に紹介する.  *
 Noah Webster は,1758年,Connecticut 州は West Hartford で生まれた.学校時代に学業で頭角を表わし,1778年,Yale 大学へ進学する.在学中に独立戦争が勃発し,新生国家への愛国精神を育んだ.
 大学卒業後,教員そして弁護士となったが,教員として務めていたときに,従来の Dilworth による英語綴字教本に物足りなさを感じ,自ら教本を執筆するに至った.A Grammatical Institute of the English Language と題された教本は,第1部が綴字,第2部が文法,第3部が読本からなるもので,この種の教材としては合衆国初のものだった.全体として愛国的な内容となっており,国内のほぼすべての学校で採用された.第1部の綴字教本は,後に The American Spelling Book として独立し,100年間で8000万部売れたというから大ベストセラーである.表紙が青かったので "Blue-Backed Speller" と俗称された.この本からの収入だけで,Webster は一生の生計を支えられたという.
 Webster は,言論を通じて政治にも関与した.1793年,New York で日刊新聞 American Minerva (後の Commercial Advertiser)および半週刊誌 Herald (後の New York Spectator)を発刊し,Washington 大統領の政策を支えた.後半生は,Connecticut 州の New Haven と Massachusetts 州の Amherst で過ごした.
 言語方面では,1806年に A Compendious Dictionary of the English Language を著わし,1807年に A Philosophical and Practical Grammar of the English Language を著わした.Compendious Dictionary では,すでに綴字の簡易化が実践されており,favor, honor, savior; logic, music, physic; cat-cal, etiquet, farewel, foretel; ax, disciplin, examin, libertin; benum, crum, thum (v.) / ake, checker, kalender, skreen; croop, soop, troop; fether, lether, wether; cloke, mold, wo; spunge, tun, tung などが見出しとして立てられている.
 1807年からは大辞典の編纂に着手し,途中,作業のはかどらない時期はあったものの,1828年についに約7万項目からなる2巻ものの大辞典 An American Dictionary of the English Language が出版された.これは,Johnson の辞書の1818年の改訂版よりも約1万2千項目も多いものだった.Compendious Dictionary に採用されていた簡易化綴字の多くは,今回は不採用となったが,いくつかは残っており,それらは現代にまで続くアメリカ綴字となった.語源記述に関しては,Webster は当時ヨーロッパで勃興していた比較言語学にインスピレーションを受け,多くの単語に独自の語源説を与えたが,実際には比較言語学をよく理解しておらず,同辞典を無価値な記述で満たすことになった.
 性格としては傲岸不遜な一面があり,人々に慕われる人物ではなかったようだが,アメリカ合衆国の独立を支えるべく「アメリカ語」の独立に一生を捧げた人生であった.
 以下,Webster の主要な英語関係の著作を挙げておく.

 ・ A Grammatical Institute of the English Language: Part I (1783) [and its later editions: The American Spelling Book (1788) aka "Blue-Backed Speller"; The Elementary Spelling Book (1843)]: 綴字教本
 ・ A Grammatical Institute of the English Language: Part II (1784): 文法教本
 ・ A Grammatical Institute of the English Language: Part III (1785): 読本
 ・ Dissertations on the English Language, with Notes Historical and Critical (1789): 綴字改革の実行可能性と必要性を説く
 ・ A Collection of Essays and Fugitive Writings (1790): 独自の新綴字法で書かれた
 ・ A Compendious Dictionary of the English Language (1806): 独自の新綴字法で書かれた
 ・ A Philosophical and Practical Grammar of the English Language (1807)
 ・ An American Dictionary of the English Language, 2 vols. (1828)
 ・ An Improved Grammar of the English Language (1831)
 ・ Mistakes and Corrections (1837)

 その他,Webster については webster の各記事,とりわけ「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」 ([2010-08-08-1]) と「#3086. アメリカの独立とアメリカ英語への思い」 ([2017-10-08-1]) を参照されたい.

 ・ 佐々木 達,木原 研三 編 『英語学人名辞典』 研究社,1995年.
 ・ Kendall, Joshua. The Forgotten Founding Father. New York: Berkeley, 2012.

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2017-10-08 Sun

#3086. アメリカの独立とアメリカ英語への思い [ame][witherspoon][academy][webster][american_revolution][history]

 アメリカの独立前後から,アメリカ人による「アメリカ語」の国語意識が現われてきた.自分たちの英語はイギリスの英語とは異なるものであり,独自の標準をもつべき理由がある,という多分に愛国的な意見である.昨日の記事でも引用した John Witherspoon は,アメリカ独立期に次のように述べている.

Being entirely separated from Britain, we shall find some centre or standard of our own, and not be subject to the inhabitants of that island, either in receiving new ways of speaking or rejecting the old. (qtd. in Baugh and Cable 354)


 次の例として,1774年1月の Royal American Magazine に掲載された,匿名の「アメリカ人」によるアメリカ英語アカデミー設立の提案を取り挙げよう.

   I beg leave to propose a plan for perfecting the English language in America, thro' every future period of its existence; viz. That a society, for this purpose should be formed, consisting of members in each university and seminary, who shall be stiled, Fellows of the American Society of Language: That the society, when established, from time to time elect new members, & thereby be made perpetual. And that the society annually publish some observations upon the language and from year to year, correct, enrich and refine it, until perfection stops their progress and ends their labour.
   I conceive that such a society might easily be established, and that great advantages would thereby accrue to science, and consequently America would make swifter advances to the summit of learning. It is perhaps impossible for us to form an idea of the perfection, the beauty, the grandeur, & sublimity, to which our language may arrive in the progress of time, passing through the improving tongues of our rising posterity; whose aspiring minds, fired by our example, and ardour for glory, may far surpass all the sons of science who have shone in past ages, & may light up the world with new ideas bright as the sun. (qtd. in Baugh and Cable 354)


 「#2791. John Adams のアメリカ英語にかけた並々ならぬ期待」 ([2016-12-17-1]) でみたように,後のアメリカ第2代大統領 John Adams が1780年にアカデミー設立を提案していることから,上の文章も Adams のものではないかと疑われる.
 そして,愛国意識といえば Noah Webster を挙げないわけにはいかない.「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」 ([2010-08-08-1]) で有名な1節を引いたが,今回は別の箇所をいくつか引用しよう.

The author wishes to promote the honour and prosperity of the confederated republics of America; and cheerfully throws his mite into the common treasure of patriotic exertions. This country must in some future time, be as distinguished by the superiority of her literary improvements, as she is already by the liberality of her civil and ecclesiastical constitutions. Europe is grown old in folly, corruption and tyranny....For America in her infancy to adopt the present maxims of the old world, would be to stamp the wrinkles of decrepid age upon the bloom of youth and to plant the seeds of decay in a vigorous constitution. (Webster, Preface to A Grammatical Institute of the English Language: Part I (1783) as qtd. in Baugh and Cable 357)


As an independent nation, our honor requires us to have a system of our own, in language as well as government. Great Britain, whose children we are, should no longer be our standard; for the taste of her writers is already corrupted, and her language on the decline. But if it were not so, she is at too great a distance to be our model, and to instruct us in the principles of our own tongue. (Webster, Dissertations on the English Language, with Notes Historical and Critical (1789) as qtd. in Baugh and Cable 357)


It is not only important, but, in a degree necessary, that the people of this country, should have an American Dictionary of the English Language; for, although the body of the language is the same as in England, and it is desirable to perpetuate that sameness, yet some difference must exist. Language is the expression of ideas; and if the people of our country cannot preserve an identity of ideas, they cannot retain an identity of language. Now an identity of ideas depends materially upon a sameness of things or objects with which the people of the two countries are conversant. But in no two portions of the earth, remote from each other, can such identity be found. Even physical objects must be different. But the principal differences between the people of this country and of all others, arise from different forms of government, different laws, institutions and customs...the institutions in this country which are new and peculiar, give rise to new terms, unknown to the people of England...No person in this country will be satisfied with the English definitions of the words congress, senate and assembly, court, &c. for although these are words used in England, yet they are applied in this country to express ideas which they do not express in that country. (Webster, Preface to An American Dictionary of the English Language (1828) as qtd. in Baugh and Cable 358)


 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

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2017-10-04 Wed

#3082. "spelling bee" の起源と発達 [spelling][ame][history][webster][word_play][spelling_bee]

 Simon Horobin 著 Does Spelling Matter? (堀田による邦訳『スペリングの英語史』も参照)で,いろいろな形で取り上げられているが,アメリカでは伝統的にスペリング競技会 "spelling bee" が人気である.
 スペリング競技会の起こりはエリザベス朝のイングランドにあるが,注目される行事へと発展したのは,独立後のアメリカにおいてであった.Webster のスペリング教本 "Blue-Backed Speller" のヒットに支えられ,アメリカの国民的イベントへと成長した.Webster の伝記を著した Kendall (106--07) が,スペリング競技会の歴史について次のように述べている.

   Webster's speller also gave rise to America's first national pastime, the spelling bee. Before there was baseball or college football or even horse racing, there was the spectator sport that Webster put on the map. Though "the spelling match" first became a popular community event shortly after Webster's textbook became a runaway best seller, its origins date back to the classroom in Elizabethan England. In his speller, The English Schoole-Maister, published in 1596, the British pedagogue Edmund Coote described a method of "how the teacher shall direct his schollers to oppose one another" in spelling competitions. A century and a half later, in his essay, "Idea of the English School," Benjamin Franklin wrote of putting "two of those [scholars] nearest equal in their spelling" and "let[ting] these strive for victory each propounding ten words every day to the other to be spelt." Webster's speller transformed these "wars of words" from classroom skirmishes into community events. By 1800, evening "spelldowns" in New England were common. As one early twentieth-century historian has observed:

The spelling-bee was not a mere drill to impress certain facts upon the plastic memory of youth. It was also one of the recreations of adult life, if recreation be the right word for what was taken so seriously by every one. [We had t]he spectacle of a school trustee standing with a blue-backed Webster open in his hand while gray-haired men and women, one row being captained by the schoolmaster and the other team by the minister, spelled each other down.


 綴字と発音の乖離がみられる英単語のスペリング競技会で勝つためには,並外れた暗記力と語源的な知識が試される.ある意味で,英語らしいイベントといえるだろう.

 ・ Kendall, Joshua. The Forgotten Founding Father. New York: Berkeley, 2012.
 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
 ・ サイモン・ホロビン(著),堀田 隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.

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Referrer (Inside): [2023-06-21-1] [2017-10-07-1]

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2017-06-02 Fri

#2958. ジャガイモ,アイルランド,英語史 [ireland][irish_english][ame][history]

 「#2954. ジャガイモの呼び名いろいろ」 ([2017-05-29-1]) で触れたように,ジャガイモは16世紀中に新大陸から旧大陸へ持ち込まれ,ヨーロッパでは17--18世紀の間に常食される穀物として定着していった.17世紀には,ヨーロッパで戦争がなかったのは4年だけといわれるほどの戦乱期であり,なおかつ気候の寒冷化にも見舞われた時期だったため,耕地の荒廃が進み,飢饉が頻発した.根菜に慣れていなかった当時のヨーロッパ人は,最初はジャガイモも気味悪がって受け付けなかったが,飢えをしのぐのに仕方なしと,徐々にこの新しい穀物を受容していった.
 ヨーロッパ諸国の中で最も早くジャガイモを受け入れたのは,アイルランドだった.アイルランド人に勇気があったというよりは,同地ではそれだけ飢饉が厳しかったということだろう.小麦の育つ肥沃なアイルランド東部の耕地は,17世紀半ばのクロムウェルによる収奪以来,イギリス人が牛耳っており,アイルランド人は狭隘で岩のごつごつした西部へ追いやられていた.ジャガイモはそのような土地でも育つ穀物として,すなわち最後の頼みの綱として,植えられ,食されたのである.
 アイルランドにおけるジャガイモ導入の効果は甚大だった.1780年に約400万人だった人口は,1841年には倍増していた.しかし,その直後の1845--48年にジャガイモ疫病がヨーロッパ中に広まり,アイルランドは最大の打撃を受けた.ジャガイモ単作(モノカルチャー)が仇となったのである.このジャガイモ飢饉 (The Great Famine; An Gorta Mór) は,アイルランドに100万人ともいわれる餓死者を出すとともに,多数の人口がアメリカへ移民する契機ともなった.
 アイルランドのジャガイモ飢饉は,疫病という天災とモノカルチャーが主要因とされるが,伊藤 (64) は「社会構造が生んだ飢饉」であり「英国によってつくられた飢饉」であるという.「アイルランドのジャガイモ単作(モノカルチャー)のゆえに起こったのだといわれる.しかし,英国による土地と作物の厳しい収奪のもと,残された石と岩盤だらけの狭隘な土地でアイルランド国民が生き残るには,ジャガイモ単作という選択しかなかったのだ」.
 では,新穀物の導入から飢饉に至る一連のアイルランド・ジャガイモ史は,英語の歴史とどのような関係にあるだろうか.飢饉を生き延びたアイルランド人は,この後,独立の道を歩み出し,言語的にはアイルランド英語 (irish_english) という独特な英語変種を確立していった.また,飢饉に押し出されるようにアメリカへ移住して生き延びたアイルランド人たちは,著しい民族集団としてアメリカ社会に根を張り,言語的にはアメリカ英語の形成にもおそらく一定の貢献をなした.イギリス人によるアイルランド支配は,皮肉にも,イギリス変種と並んで世界的に知られる2つの母語英語変種の発達を間接的に推進したことになる.
 アイルランド(英語)の歴史については,以下の記事も参照されたい.

 ・ 「#328. 菌がもたらした(かもしれない) will / shall の誤用論争」 ([2010-03-21-1])
 ・ 「#327. Irish English が American English に与えた影響」 ([2010-03-20-1])
 ・ 「#762. エリザベス女王の歴史的なアイルランド訪問」 ([2011-05-29-1])
 ・ 「#2361. アイルランド歴史年表」 ([2015-10-14-1])

 ・ 伊藤 章治 『ジャガイモの世界史』 中央公論新社〈中公新書〉,2008年.

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2017-04-10 Mon

#2905. Benjamin Franklin に影響を受けた Noah Webster [spelling_reform][spelling_pronunciation_gap][webster][franklin][ame][orthography]

 昨日の記事「#2904. 英語史における Benjamin Franklin の役割」 ([2017-04-09-1]) に引き続き,Benjamin Franklin の話題.Franklin が綴字改革運動に関連して Noah Webster に影響を及ぼした旨にを述べたが,これについては Baugh and Cable (359--60) の記述が優れている.

Spelling reform was one of the innumerable things that Franklin took an interest in. In 1768, he devised A Scheme for a New Alphabet and a Reformed Mode of Spelling and went so far as to have a special font of type cut for the purpose of putting it into effect. Years later, he tried to interest Webster in his plan but without success. According to the latter, "Dr. Franklin never pretended to be a man of erudition---he was self-educated; and he wished to reform the orthography of our language, by introducing new characters. He invited me to Philadelphia to aid in the work; but I differed from him in opinion. I think the introduction of new characters neither practicable, necessary nor expedient." Indeed, Webster was not in the beginning sympathetic to spelling reform. . . . But, by 1789, Franklin's influence had begun to have its effect. In the Dissertations on the English Language, published in that year, Webster admitted: "I once believed that a reformation of our orthography would be unnecessary and impracticable. This opinion was hasty; being the result of a slight examination of the subject. I now believe with Dr. Franklin that such a reformation is practicable and highly necessary."


 結果としてみれば,Webster の心変わりは,英語史上非常に稀な綴字改革の成功をもたらした.成功とはいっても,綴字体系が大きく変化したわけではなく,せいぜいマイナーチェンジと呼ぶべきものだったわけだが,その水準での改革ですら,それまではほとんど達成されたことがなかったのである.こうして,Webster は(英語教育史上のみならず)英語史上にも名前を残すことになった.Franklin の「親父の小言」が,冷酒のように後から利いてきたという経緯に,当時の若きアメリカとそこに生きた Webster のエネルギーを感じざるを得ない.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

Referrer (Inside): [2024-07-24-1]

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2017-04-09 Sun

#2904. 英語史における Benjamin Franklin の役割 [spelling_reform][spelling_pronunciation_gap][webster][franklin][ame][orthography]

 昨日の記事「#2903. Benjamin Franklin の13徳における drink not to elevation の解釈」 ([2017-04-08-1]) で取り上げたついでに,Benjamin Franklin (1706--90) の英語史上の貢献について紹介する.Franklin はアメリカの啓蒙思想家として数々の偉業を成し遂げてきた人物だが,英語史においても重要な役割を果たしている.2点を指摘しておきたい.
 1つは綴字改革者としての顔である.Franklin は若い頃印刷屋に奉公しており,英語の綴字と発音の問題には並々ならぬ関心を寄せていた.綴字改革を志し,1768年には A Scheme for a New Alphabet and a Reformed Mode of Spelling を書いた.これは新文字の導入を含めた表音主義の原理に則った改革案だったが,イギリスにおける16世紀の William Bullokar や17世紀の Charles Butler の試みが,18世紀にアメリカの地で繰り返されたかのような代物であり,前例にならって失敗する運命だった(「#1939. 16世紀の正書法をめぐる議論」 ([2014-08-18-1]) を参照).渡部 (271) は「手にかけたことは大抵成功した Franklin が失敗した珍しい例であるが,英語の綴字の体質には合理主義を拒絶する何かがあるのである」と評している.Franklin は Webster を誘って綴字改革への支援を求めたが,そのとき Webster は真に受けなかった.ところが,歴史が示しているように,後に Webster は綴字改革に多大な関心を示し,穏やかながらも綴字改革案のいくつかの項目を実現させることに成功した.このように,Franklin はアメリカ英語の綴字の形成に,間接的ながらも重要な役割を果たしたのである.
 もう1つは,Franklin がアメリカにおける英文法教育の事実上の創始者となったことである.Franklin は1750年に Pennsylvania に English Academy (後の University of Pennsylvania)を設立し,そこで古典語文法と同列に英文法の教育を授けることを主張した.そこでの試みは必ずしも期待通りに成功しなかったが,国語教育の指導理念は他校や他州にも拡がっていき,やがてアメリカに定着するようになる.1756年の入学生に Lindley Murray がいるが,彼の1795年の著書 English Grammar がアメリカのみならず英語圏の統一的文法書になってゆくという後の歴史も興味深い(「#2592. Lindley Murray, English Grammar」 ([2016-06-01-1])).ここにも Franklin から流れる系譜があったのだ(渡部,pp. 491--92).
 ちなみに,若い頃の Franklin は文法,修辞学,論理学を独習するのに James Greenwood の An Essay Towards a Practical English Grammar, Describing the Genius and Nature of the English Tongue. Giving Rational and Plain Account of GRAMMAR in General, with a familiar Explanation of its Terms (1711) を用いていたことが,自伝に書かれている(同文法書の1753年版はこちら).そのほか,Franklin は,上記と同年に出版されている John Brightland の A Grammar of the English Tongue, with Notes, Giving the Grounds and Reason of Grammar in General. To which is added, A New Prosodia; Or, The Art of English Numbers. All adapted to the Use of Gentlemen and Ladies, as well as of the Schools of Great Britain も英文法の推薦図書として挙げている.
 このように,Franklin は啓蒙的な教育家として英語(学)史に名前を残しているのである.

 ・ 渡部 昇一 『英語学史』 英語学大系第13巻,大修館書店,1975年.

Referrer (Inside): [2021-01-09-1] [2017-04-10-1]

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2016-12-28 Wed

#2802. John Witherspoon --- Americanism の生みの親 [ame][americanism][terminology][webster][lexicography][witherspoon]

 「アメリカ語法」を表わす Americanism という語を初めて用いたのは,初期のプリンストン大学の学長 John Witherspoon (1723--94) である.Witherspoon はスコットランド出身で,アメリカにて聖職者・教育者として活躍しただけでなく,独立宣言の署名者の1人でもある.
 この語が造られた経緯について Baugh and Cable (380--81) に詳しいが,Witherspoon は1781年に Pennsylvania Journal 9 May 1/2 において Americanism という語を初めて用いたという.彼がこの表現に与えた定義は "an use of phrases or terms, or a construction of sentences, even among persons of rank and education, different from the use of the same terms or phrases, or the construction of similar sentences in Great-Britain." である.定義に続けて,Witherspoon は,"The word Americanism, which I have coined for the purpose, is exactly similar in its formation and signification to the word Scotticism." と述べている.実際,Scotticism という語は,OED によると時代的には1世紀半近く遡った1648年の Mercurius Censorius No. 1. 4 に,"It seemes you are resolved to..entertain those things which..ye have all this while fought against, the Scotticismes, of the Presbyteriall government and the Covenant." として初出している.
 Witherspoon は Americanism という語を最初に用いたとき,そこに結びつけられがちな「卑しいアメリカ語法」という含意を込めてはいなかった.彼曰く,"It does not follow, from a man's using these, that he is ignorant, or his discourse upon the whole inelegant; nay, it does not follow in every case, that the terms or phrases used are worse in themselves, but merely that they are of American and not of English growth." ここには,イギリス(英語)に対して決して卑下しない,独立宣言の署名者らしい独立心を読み取ることができる.
 タイトルに Americanism の語こそ含まれていなかったが,最初のアメリカ語法辞書が著わされたのは,造語から35年後の1816年のことである.John Pickering による A Vocabulary, or Collection of Words and Phrases which have been supposed to be Peculiar to the United States of America である.しかし,この辞書はむしろイギリス(英語)寄りの立場を取っており,アメリカ語法が正統なイギリス英語から逸脱していることを示すために用意されたとも思えるものである.同じアメリカ人ではあるが愛国主義者だった Noah Webster が,Pickering の態度に業を煮やしたことはいうまでもない.この Pickering と Webster の立場の違いは,後世に続く Americanism を巡る議論の対立を予感させるものだったといえる.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

Referrer (Inside): [2017-10-10-1]

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2016-12-26 Mon

#2800. 学ぶべき英語変種は何か [elt][variety][ame][bre][americanisation][wsse][world_englishes][model_of_englishses]

 日本の英語教育では,アメリカ英語が主流となっている.20世紀後半からはアメリカの国力を背景に,世界的にもアメリカ英語の影響力が増し,アメリカ英語化 (americanisation) が進行してきたことは疑いえない(「#851. イギリス英語に対するアメリカ英語の影響は第2次世界大戦から」 ([2011-08-26-1]) を参照).しかし,一方で歴史的に培われてきた世界におけるイギリス英語の伝統も根強く,「#376. 世界における英語の広がりを地図でみる」 ([2010-05-08-1]) の地図でみたように,その効果はいまだ広範にして顕在である.
 このように,米英2大変種はしばしば対立して示されるが,今後発展していくと想定される英語の世界標準,いわゆる "World Standard (Spoken) English" (wsse) が,米英2大変種のいずれかに一致するということはないだろう.勢いのあるアメリカ英語がその中心となっていくだろうとは予想されるが,あくまでその基盤となるだろうということであり,その上に様々な独立変種あるいは混合変種の要素が加えられ,全体として混交・中和した新たな変種へと発展していくと予想される(関連して,「#426. 英語変種のピラミッドモデル」 ([2010-06-27-1]),「#1010. 英語の英米差について Martinet からの一言」 ([2012-02-01-1]) などの記事を参照).
 このような状況を考えると,何が何でもアメリカ英語をマスターするとか,あるいはイギリス英語にこだわるとか,英語学習において力む必要はなくなってきていると言えるだろう.聴く・読むという受動的な英語能力の観点からいえば,有力な変種に特有な表現などについて,よく学習しておくに越したことはないが,話す・書くという能動的な能力に関しては,それほど「○○英語での言い方」にこだわる必要はない,少なくともその必要性は薄れてきているのではないか.
 上の提案の妥当性を判断するのに,世界における英語使用の展望を要約した Baugh and Cable (394) の文章が参考になる.

The global context of English . . . makes the traditional categories [= American English and British English] more problematic and the choices more complex than they were previously perceived to be. American English may be the most prominent source of emerging global English, and yet it will be American English derancinated and adapted in a utilitarian way to the needs of speakers whose geography and culture are quite different. To the extent that Americans think about the global use of English at all, it is often as a possession that is lent on sufferance to foreigners, who often fail to get it right. Such a parochial attitude will change as more Americans become involved in the global economy and as they become more familiar with the high quality of literature being produced in post colonial settings. Many earlier attacks on American English were prompted by the slang, colloquialisms, and linguistic novelties of popular fiction and journalism, just as recent criticism has been directed at jargon in the speech and writings of American government officials, journalists, and social scientists. Along with the good use of English there is always much that is indifferent or frankly bad, but the language of a whole country should not be judged by its least graceful examples. Generalizations about the use of English throughout a region or a culture are more likely to mislead than to inform, and questions that lead to such generalizations are among the least helpful to ask. In the United States, as in Britain, India, Ghana, and the Philippines, in Australia and Jamaica, one can find plentiful samples of English that deserve a low estimate, but one will find a language that has adapted to the local conditions, usually without looking over its shoulder to the standards of a far-away country, and in so adapting has become the rich medium for writers and speakers of great talent and some of genius.


 もちろん,あえて諸変種のちゃんぽんを学ぶことを心がけるというのも妙なものなので,緩やかに学習のターゲットとなる変種を定めておいた上で,他変種からの混合も自由に受け入れるという柔軟な態度が最良なのかもしれない.そして,そのような英語学習の結果として,世界的で格調高い新しい英語変種の使い手になることが望ましいと考える.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

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2016-12-18 Sun

#2792. Webster の発音への影響 [pronunciation][ame][webster]

 Noah Webster (1758--1843) が,イギリス綴字とは異なるものとして,いくつかの単語でアメリカ綴字を提案したことはよく知られている.しかし,綴字教本の出版を通じて,間接的にアメリカ英語の発音にも影響を与えた可能性があるということは,あまり注目されない.Baugh and Cable (361) は,"Webster's Influence on American Pronunciation" という節を設けて,この点について議論している.

Though the influence is more difficult to prove, there can be no doubt that to Webster are to be attributed some of the characteristics of American pronunciation, especially its uniformity and the disposition to give fuller value to the unaccented syllables of words. Certainly he was interested in the improvement of American pronunciation and intended that his books should serve that purpose. In the first part of his Grammatical Institute, which became the American Spelling Book, he says that the system "is designed to introduce uniformity and accuracy of pronunciation into common schools."


 Webster の発音への影響とは,具体的には,上の引用文にあるように,多音節語における強勢のない音節の母音を完全な音価で明瞭に発音するというアメリカ発音の傾向に関するものである.例えば necessary, secretary はイギリス英語では典型的に necess'ry, secret'ry のように発音されて音節が縮まるが,アメリカ英語では当該の母音が完全な音価値で明瞭に発音される.関連して,アメリカ英語の centénary, labóratory, advértisement にみられる強勢位置も特徴的である.
 このような傾向は,単語を構成する各々の音節は明確に発音すべきである,というアメリカ的な教育的指導の結果と考えられ,その教育の現場で大きく貢献したのが Webster の The American Spelling Book (1783) だったというわけだ.以下は,18世紀末の当時,何千というアメリカの学校でみられたはずの授業風景の記述である.Baugh and Cable (362) が,Letter to Henry Barnard, December 10, 1860 より引いている文章である.

It was the custom for all such pupils [those who were sufficiently advanced to pronounce distinctly words of more than one syllable] to stand together as one class, and with one voice to read a column or two of the tables for spelling. The master gave the signal to begin, and all united to read, letter by letter, pronouncing each syllable by itself, and adding to it the preceding one till the word was complete. Thus a-d ad, m-i mi, admi, r-a ra, admira, t-i-o-n shun, admiration. This mode of reading was exceedingly exciting, and, in my humble judgment, exceedingly useful; as it required and taught deliberate and distinct articulation. . . . When the lesson had been thus read, the books were closed, and the words given out for spelling. If one was misspelt, it passed on to the next, and the next pupil in order, and so on till it was spelt correctly. Then the pupil who had spelt correctly went up in the class above the one who had misspelt. . . . Another of our customs was to choose sides to spell once or twice a week. . . . [The losing side] had to sweep the room and build the fires the next morning. These customs, prevalent sixty and seventy years ago, excited emulation, and emulation produced improvement.


 この教室風景については,「#907. 母音の前の the の規範的発音」 ([2011-10-21-1]) でも関連する話題に触れているので,参考までに.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

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2016-12-17 Sat

#2791. John Adams のアメリカ英語にかけた並々ならぬ期待 [ame][webster][standardisation][academy][prescriptivism][prescriptive_grammar][elf][popular_passage]

 Noah Webster がアメリカ英語の地位を強烈に推進する役割を担ったことは英語史上よく知られているが,その背後で影が薄かったものの,1人の興味深い登場人物がいたことを忘れてはならない.アメリカ第2代大統領 John Adams (1735--1826) である.Adams は,英語を改善すべくアカデミーを設立することに意欲を示していた.ちょっとした Jonathan Swift のアメリカ版といったところか.大統領職に就く以前の話だが,1780年9月5日にアムステルダムから議会議長に宛てて,アメリカにおける英語という言語の役割の重要さを説く手紙を書いている.Baugh and Cable (355) に引用されている手紙の文章を再現しよう.

   The honor of forming the first public institution for refining, correcting, improving, and ascertaining the English language, I hope is reserved for congress; they have every motive that can possibly influence a public assembly to undertake it. It will have a happy effect upon the union of the States to have a public standard for all persons in every part of the continent to appeal to, both for the signification and pronunciation of the language. The constitutions of all the States in the Union are so democratical that eloquence will become the instrument for recommending men to their fellow-citizens, and the principal means of advancement through the various ranks and offices of society. . . .
   . . . English is destined to be in the next and succeeding centuries more generally the language of the world than Latin was in the last or French is in the present age. The reason of this is obvious, because the increasing population in America, and their universal connection and correspondence with all nations will, aided by the influence of England in the world, whether great or small, force their language into general use, in spite of all the obstacles that may be thrown in their way, if any such there should be.
   It is not necessary to enlarge further, to show the motives which the people of America have to turn their thoughts early to this subject; they will naturally occur to congress in a much greater detail than I have time to hint at. I would therefore submit to the consideration of congress the expediency and policy of erecting by their authority a society under the name of "the American Academy for refining, improving, and ascertaining the English language. . . ."


 最後に "refining, improving, and ascertaining" と表現しているが,これは数十年前にイングランドの知識人が考えていた「#2741. ascertaining, refining, fixing」 ([2016-10-28-1]) をすぐに想起させるし,もっといえば Swift の "Correcting, Improving and Ascertaining" のなぞりである.この意味では,Adams の主張はまったく新しいものではなく,むしろ陳腐ともいえる.また,このような提案にもかかわらず,結局はアメリカにおいてもアカデミーは設立されなかったことからも,Adams の主張はむなしく響く.
 しかし,ここで Adams が,イギリスにおいてイギリス英語に関する主張をしていたのではなく,アメリカにおいてアメリカ英語に関する主張をしていたという点が重要である.Adams は,イギリスでのアカデミー設立の議論の単なる蒸し返しとしではなく,アメリカという新天地での希望ある試みとして,この主張をしていた.アメリカ英語への賛歌といってもよい.同時代人の Webster が行動で示したアメリカ英語への信頼を,Adams は彼なりの方法で示そうとした,と解釈できるだろう.
 なお,上の引用の第2段落にある,英語は次世紀以降,世界の言語となるだろうという Adams の予言は見事に当たった.彼が挙げている人口統計,イングランドの影響力,アメリカの国際関係上の優位などの予言の根拠も,適切というほかない.母国に対する希望と自信に満ちすぎているとも思えるトーンではあるが,Adams の慧眼,侮るべからず,である.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

Referrer (Inside): [2017-10-08-1]

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2016-12-10 Sat

#2784. なぜアメリカでは英語が唯一の主たる言語となったのか? [hispanification][ame][official_language][sobokunagimon]

 アメリカは移民の国であり,したがって多言語の国である.近年は hispanification によりスペイン語母語話者が増加しており,その他の諸言語もシェアを増してきているという.とはいえ,一般的にいえばアメリカでは英語が「事実上の唯一の主たる言語」として圧倒的な影響力をもって君臨していることは疑いようがない.
 この事実は一見すると自明のようにも思えるが,なぜそうなのか,立ち止まって考えてみる必要がある.移民によって成り立ってきたアメリカの歴史を振り返ってみると,異なる言語を話す様々な人々が時代ごとに入れ替わり立ち替わりにやってきたのだから,そのまま諸言語が並び立つ社会となってもおかしくなかったはずである.なぜ,英語という1つの言語へまとまるということが生じたのだろうか.
 1つには,単純に母語話者の数の影響力がある.18世紀末に初の人口統計が取られたときに,16州において200万人を超える人口がイングランドかウェールズにルーツをもっていた.さらに,非常に多くのスコットランド系アイルランド人 (Scots-Irish) の数もここに加えられるべきだろう.それに対して,ドイツ,オランダ,フランスにルーツをもつ移民はせいぜい20万人ほどだった.移民史の初期から,アメリカは圧倒的に英語の国だったのである.
 そこに,人々の可動性 (mobility) という要因が加わる.各移民集団が社会的に閉じた集団としてある土地に定住し続けるのであれば,独立した言語共同体が複数でき,諸言語が並び立つ国になっていたかもしれない.しかし,実際には移民集団は縦に横によく動いたのであり,そこから異なる母語をもつ話者間に lingua_franca への欲求が生じた.そこで,当初から優勢な英語が lingua franca として採用されることになった.では,その mobility そのものはどこから来たのか.それは,西部を目指すパイオニア精神であり,"American Dream" という希望だったろう.Gooden (134) は次のように述べている.

More important than mobility, perhaps, was the aspirational nature of the new society, later to be formalized and glamourized in phrases like the 'American Dream'. As Leslie Savan suggests in her book on contemporary US language, Slam Dunks and No-Brainers (2005), the pressure was always on the outsider to make adjustments: 'The sweep of American history tilted towards the establishment of a single national popular language, in part to protect its mobile and often foreign-born speakers from the suspicion of being different.' Putting it more positively, one could say that success was achievable not so much as a prize for conformity but for adaptation to challenging new conditions, among which would be acquiring enough of the dominant language to get by --- before getting ahead.


 上に論じたような,アメリカにおける大雑把な意味での「言語的一元性」というべき事情は,実はアメリカ英語の内部における一様性,すなわち「方言的一元性」とも関連するように思われる.後者については,「#591. アメリカ英語が一様である理由」 ([2010-12-09-1]) を参照.

・ Gooden, Philip. The Story of English: How the English Language Conquered the World. London: Quercus, 2009.

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2016-10-26 Wed

#2739. AAVE の Creolist Hypothesis と Anglicist Hypothesis 再訪 [aave][creole][ame][sociolinguistics][dialect][variety][caribbean]

 AAVE の起源について,Creolist Hypothesis と Anglicist Hypothesis が鋭く対立している経緯に関して,「#1885. AAVE の文法的特徴と起源を巡る問題」 ([2014-06-25-1]) で紹介し,その前後で関連する以下の記事も書いてきた

 ・ 「#1886. AAVE の分岐仮説」 ([2014-06-26-1])
 ・ 「#1850. AAVE における動詞現在形の -s」 ([2014-05-21-1])
 ・ 「#1841. AAVE の起源と founder principle」 ([2014-05-12-1])

 Tagliamonte (9) より,両仮説を巡る論争について要領よくまとめている箇所があったので,引用し,補足としたい.

Among the varieties of English that arose from the colonial southern United States is that spoken by the contemporary descendants of the African populations --- often referred to as African American Vernacular English or by its abbreviation AAVE. This variety is quite distinct from Standard North American English. One of the most vexed questions of modern North American sociolinguistics is why this is the case. Early African American slaves would have acquired their variety of English either en route to the United States or more likely on the plantations and homesteads of the American South. But it is necessary to determine the nature of the varieties to which they were exposed. The fact that AAVE is so different has often been traced to the dialects from Northern Ireland, Scotland and England. However, they have as often been traced to African and Caribbean creoles. There is a long history of overly simplistic dichotomies on this issue which can be summarized as follows: (1) a 'creole origins hypothesis', based on linguistic parallels between AAVE and Caribbean creoles; (2) an 'English dialect hypothesis', based on linguistic parallels with the Irish and British dialects spoken by early plantation staff. In reality, the answer probably lies somewhere in between. Many arguments prevail based on one line of evidence or another. Perhaps the most damning is the lack of evidence of which populations were where and under what circumstances. / The debate over the origins of AAVE still rages on with no consensus in sight . . . .


 北米植民の初期に生じた複雑な言語接触とその言語的余波を巡っての論争は,かれこれ100年間続いており,いまだに解決の目処が立っていない.言語接触に関与した種々の人々に関する,緻密な歴史社会言語学の研究が必要とされている.

 ・ Tagliamonte, Sali A. Roots of English: Exploring the History of Dialects. Cambridge: CUP, 2013.

Referrer (Inside): [2021-07-09-1]

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2016-08-19 Fri

#2671. 現代英語方言における flat adverb の使用 [adverb][flat_adverb][dialect][pidgin][creole][estuary_english][ame]

 現代英語における形容詞と同形の flat_adverb (単純副詞)の使用について,「#982. アメリカ英語の口語に頻出する flat adverb」 ([2012-01-04-1]),「#983. flat adverb の種類」 ([2012-01-05-1]),「#993. flat adverb についてあれこれ」 ([2012-01-15-1]),「#996. flat adverb のきびきびした性格」 ([2012-01-18-1]),「#997. real bad と「すごいヤバい」」 ([2012-01-19-1]) などで触れてきたが,主としてアメリカ英語の口語・俗語で力強い表現として用いられる傾向があると述べた.
 標準英語では flat adverb はそれほど目立たないとされるが,標準英語の外に目をやれば,その使用は20世紀後半においても広く報告されている (Tagliamonte 73--74) .しばしば「非標準的」「口語的」「教養のない」「大衆的」などのレーベルが貼られるが,一方で韻律の都合で「詩的」にも使用される.さらにピジン語,クレオール語,アメリカ南部英語(特に Appalachian and Ozark English)でも聞かれるし,Tristan da Cunha や Channel Islands の英語など世界の諸変種で確認されている.イギリス国内でも,以下に見るように諸方言でごく普通に使用されているし,Estuary English でも典型的に聞かれる.つまり,世界の多くの英語変種で flat adverb は通用されているのだ.このすべてが1つの歴史的起源に遡るとは言い切れないが,歴史的な flat adverb の継続として説明されるケースは少なくないだろうと思われる.
 Tagliamonte は,"Roots Archive" と呼ばれるイギリス諸島の方言による会話コーパスにより,Cumnock (south-west Scotland), Cullybackey (Northern Ireland), Maryport (Cumbria) の3方言での flat adverb の使用率を調査した.flat adverb の生起頻度と,対応する -ly 副詞の生起頻度とを合わせて100%(全761例)としたときの前者の比率は,Cumnock で49%,Cullybackey で47%,Maryport で18%だった (Tagliamonte 77) .方言によって flat adverb の使用率にバラツキはあるし,好まれる副詞自体も異なるようだが,いずれにおいても決して頻度が低くないこと,また flat adverb は具体的で非比喩的な意味で用いられることが多いことが分かったという(最後の点については「#1174. 現代英語の単純副詞と -ly 副詞のペア」 ([2012-07-14-1]) を参照).このように非標準変種に目をやれば,flat adverb は現在も健在といってよさそうだ.
 flat adverb の歴史については,上にリンクを張った記事のほか,「#984. flat adverb はラテン系の形容詞が道を開いたか?」 ([2012-01-06-1]),「#998. 中英語の flat adverb と -ly adverb」 ([2012-01-20-1]),「#1172. 初期近代英語期のラテン系単純副詞」 ([2012-07-12-1]),「#1190. 初期近代英語における副詞の発達」 ([2012-07-30-1]) なども参照.

 ・ Tagliamonte, Sali A. Roots of English: Exploring the History of Dialects. Cambridge: CUP, 2013.

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2015-11-10 Tue

#2388. 世界の主要な英語変種の音韻的分類 [world_englishes][model_of_englishes][ame_bre][ame][bre][irish_english][australian_english][new_zealand_english][scots_english][map]

 世界の主要な英語変種を分類する試みは,主として社会言語学的な視点から様々になされてきた.本ブログでも,model_of_englishes の記事で取り上げてきた通りである.言語学的な観点からの分類としては,Trudgill and Hannah による音韻に基づくものが知られている.概論的にいえば,大きく 'English' type と 'American' type に2分する方法であり,直感的で素人にも理解しやすい.この常識的に見える分類が,結論としては,専門的な見地からも支持されるということである.この 'American' type と 'English' type の2分法は,より積極的に歴史的な視点を取れば,大雑把にいってイングランド内の 'northern' type と 'southern' type の2分法に相当することに注意したい.
 Trudgill and Hannah (10) は,音韻論的に注目すべき鍵として以下の10点を挙げて,英語諸変種を図式化した.

Key
1. /ɑː/ rather than /æ/ in path etc.
2. absence of non-prevocalic /r/
3. close vowels for /æ/ and /ɛ/, monophthongization of /ai/ and /ɑu/
4. front [aː] for /ɑː/ in part etc.
5. absence of contrast of /ɒ/ and /ɔː/ as in cot and caught
6. /æ/ rather than /ɑː/ in can't etc.
7. absence of contrast of /ɒ/ and /ɑː/ as in bother and father
8. consistent voicing of intervocalic /t/
9. unrounded [ɑ] in pot
10. syllabic /r/ in bird
11. absence of contrast of /ʊ/ and /uː/ as in pull and pool

10  9   8   7   6   5        6   7   8   9   11         10         11  5   1   2

|   |   |   |   |   |        |   |   |   |   |          |          |   |   |   |
|   |   |   |   |   |        |   |   |   |   | Northern |          |   |   |   |
|   |   |   |   |   | Canada |   |   |   |   | Ireland  | Scotland |   |   |   |
|   |   |   |   |   |        |   |   |   |   `----------+----------'   |   |   |
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|   |   |   |   |   `--------+---+---+---+--------------+--------------'   |   |
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|   |   |   |   |            |   |   |   `----------,   |                  |   |
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|   |   |   |   |   USA      |   |   |   ,----------+---+------------------'   |
|   |   |   |   |            |   |   |   | Republic |   |                      |
|   |   |   |   `------------'   |   |   |   of     |   |   ,------------------'
|   |   |   |                    |   |   | Ireland  |   |   |
|   |   |   `--------------------'   |   |          |   |   |  England  ,--------------------------------- 3
|   |   |                            |   |          |   |   |           | 
|   |   |                            |   |          |   |   |  Wales    |         ,----------------------- 4
|   |   |                            |   |          |   |   |           | South   | Australia   New
|   |   `----------------------------'   |          |   |   |           | Africa  |             Zealand
|   |                                    |          |   |   |           |         `----------------------- 4
|   |                                    |          |   |   |           |
|   `------------------------------------+----------'   |   |           `--------------------------------- 3
|                                        |              |   |
`----------------------------------------+--------------'   `--------------------------------------------- 2
                                         |
                                         `---------------------------------------------------------------- 1

 この図の説明として,Trudgill and Hannah (10) を引こう.

We have attempted to portray the relationships between the pronunciations of the major non-Caribbean varieties in [this] Figure 1.1. This diagram is somewhat arbitrary and slightly misleading (there are, for example, accents of USEng which are close to RP than to mid-western US English), but it does show the two main types of pronunciation: an 'English' type (EngEng, WEng, SAfEng, AusEng, NZEng) and an 'American' type (USEng, CanEng), with IrEng falling somewhere between the two and ScotEng being somewhat by itself.


 最後に触れられているように,Irish English が2大区分にまたがること,古い歴史をもつ Scots English が独自路線を行っていることは興味深い.

 ・ Trudgill, Peter and Jean Hannah. International English: A Guide to the Varieties of Standard English. 5th ed. London: Hodder Education, 2008.

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2015-07-15 Wed

#2270. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (3) [history][ame][bre][ame_bre][geography][map][demography][rhotic]

 「#2261. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (1)」 ([2015-07-06-1]),「#2262. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (2)」 ([2015-07-07-1]) に引き続いての話題.[2015-07-07-1]では,Fisher を参照した Gramley による具体的な数字も示しながら,初期移民の人口統計を簡単に確認したが,この Fisher 自身は David Hackett Fischer による Albion's Seed (1989年) に拠っているようだ.さらに,この D. H. Fischer という学者は,アメリカ英語史研究者の先達である Hans Kurath, George Philip Krapp, Allen Walker Read, Albert Marckwardt, Raven McDavid, Cleanth Brooks 等に依拠しつつ,具体的な人口統計の数字を提示しながら,イギリス英語とアメリカ英語の連続性を主張しているのである.
 Fischer の記述を信頼して Fisher がまとめた(←名前の綴りが似ていて混乱するので注意!)初期移民史について,以下に引用しよう (Fisher 60) .初期植民地への移民の95%以上がイギリスからであり,それは4波にわかれて行われたという.

1. 20,000 Puritans largely from East Anglia to to New England, 1629--41, to escape the tyranny of the crown and the established church that led to the Puritan revolution;
2. 40,000 Cavaliers and their servants largely from the southwestern counties of England to the Chesapeake Bay area and Virginia, 1642--75, to escape the Long Parliament and Puritan rule;
3. 23,000 Quakers from the North Midlands and many like-minded evangelicals from Wales, Germany, Holland, and France, to the Delaware Valley and Pennsylvania, 1675--1725, to escape the Act of Uniformity in England and the Thirty Years War in Europe;
4. 275,000 from the North Border regions of England, Scotland, and Ulster to the backcountry of New England, western Pennsylvania, and the Appalachians, 1717--75, to escape the endemic conflict and poverty of the Border regions, and especially the 1706--7 Act of Union between England and Scotland, which brought about the "pacification" of the border, transforming it from a combative society in need of many warriors to a commercial and industrial society in need of no warriors, with the consequent large-scale displacement of the rural population.


 Fischer は伝統的なアメリカへの初期移民史の記述を人口統計によって補強したということだが,これは英語変種の連続性を考える上では非常に重要な情報である.
 イギリス変種からアメリカ変種への連続性を論じる際に必ず話題になるのは,non-prevocalic /r/ である.この話題については「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1]) と「#453. アメリカ英語の諸方言における r」 ([2010-07-24-1]) で合わせて導入し,「#1267. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (2)」 ([2012-10-15-1]) で問題の複雑さに言及したとおりだが,Fisher (75--77) も慎重な立場からこの問題に対している.確かに,250年ほど前に non-prevocalic /r/ の消失がロンドン近辺で始まったということと,アメリカへの移民が17世紀前半に始まったということは,アナクロな関係ではあるのだ.それでも,歴史言語学的な連続性に関する軽々な主張は慎むべきであるものの,一方で英語史研究において連続性の可能性に注意を払っておくことは常に必要だとも感じている.

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
 ・ Fisher, J. H. "British and American, Continuity and Divergence." The Cambridge History of the English Language. Vol. 6. English in North America. Ed. J. Algeo. Cambridge: CUP, 2001. 59--85.

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2015-07-07 Tue

#2262. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (2) [history][ame][bre][ame_bre][geography][map][demography]

 昨日の記事「#2261. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (1)」 ([2015-07-06-1]) に引き続いての話題.「#1301. Gramley の英語史概説書のコンパニオンサイト」 ([2012-11-18-1]) と「#2007. Gramley の英語史概説書の目次」 ([2014-10-25-1]) で紹介した Gramley の英語史書は,地図や図表が多く,学習や参照に便利である.イギリスからアメリカへの初期の移民のパターンについても,"Major sources and goals of immigration" (248) と題する有用なアメリカ東海岸の地図が掲載されている.Gramley の地図では,ブリテン諸島からの移民のルートのほか,ドイツ,カリブ諸島,ドイツからの移民の流入の経路なども示されている.

Map of Major Sources and Goals of Immigration from Britain to America (Gramley 248)

 いずれの移民もアメリカ英語の方言形成に何らかの貢献をしていると考えられるが,昨日の記事 ([2015-07-06-1]) および「#1700. イギリス発の英語の拡散の年表」 ([2013-12-22-1]) を参照してわかるとおり,ブリテン諸島からの移民がとりわけ重要な役割を果たしたことはいうまでもない.ブリテン諸島からの移民について,人口統計を含めた要約的な文章が Gramley (246) にあるので,引用しよう.

The English language which the settlers carried along with them was, of course, that of England. The colonists surely brought various regional forms, but it is generally accepted that the largest number of those who arrived came from southern England. Baugh (1957) concludes --- on the limited evidence of 1281 settlers in New England and 637 in Virginia for whom records exist for the time before 1700 --- that New England was predominantly settled from the southeastern and southern counties of England (about 60%) as was Virginia (over 50%). Fisher's figures indicate that 20,000 Puritans came between 1629 and 1641, the largest part from Essex, Suffolk, Cambridgeshire, and East Anglia with fewer than 10% from London, and that 40,000 "Cavaliers" fled especially from London and Bristol during the Civil War and went to the Chesapeake area and Virginia (Fisher 2001: 60). The Middle Colonies of Pennsylvania, new Jersey, and Delaware probably had a much larger proportion from northern England, including 23,000 Quakers and Evangelicals from England, Wales, Germany, Holland, and France. Over 250,000 from northern England, the Scottish Lowlands, and especially Ulster settled in the back country . . . . In each of the areas settled the nature of the language was set by speech patterns established by the first several generations.


 アメリカの New England や南部への移民には,イングランド南部の出身者が多く関与し,アメリカの中部諸州そしてさらに奥地へは,イングランド北部,ウェールズ,スコットランド,アイルランドからの移民が多かったことが改めて確認できるだろう.

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
 ・ Baugh, A. C. A History of the English Language. 2nd ed. New York: Appleton-Century-Crofts, 1957.
 ・ Fisher, J. H. "British and American, Continuity and Divergence." The Cambridge History of the English Language. Vol. 6. English in North America. Ed. J. Algeo. Cambridge: CUP, 2001. 59--85.

Referrer (Inside): [2015-07-15-1]

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