標題は,現代英語の統語論でしばしば取り上げられる話題である.付加語 (adjunct) と呼ばれる副詞相当語句が連鎖するとき,どのような順序で配置されるのだろうか.Quirk et al. (§8.87) が "Relative positions of adjuncts" にて概説してくれているので,それを丸々引用したい.
In the relevant sections, we have given indications of the norms of position in respect of each class of adjunct. We turn now to consider the positions of adjunct classes in respect of each other. Two general principles can be stated, applying to relative order whether within a class or between classes:
(i) The relative order, especially of sentence adjuncts, can be changed to suit the demands of information focus . . . .
(ii) Shorter adjuncts tend to precede longer ones, and in practice this often means that adverbs precede noun phrases, which precede prepositional phrases, which precede nonfinite clauses, which precede finite clauses.
Subject to these general principles, where adjuncts cluster in E [= end] position, the normal order is:
respect --- process --- space --- time --- contingency
It would be highly unusual to find all such five at E (or indeed all such five in the same clause), but for the purposes of exemplification we might offer the improbable and stylistically objectional (sic). . .:
John was working on his hobby [respect] with the new shears [process] in the rose garden [place] for the whole of his day off [time] to complete the season's pruning [contingency].
The same point could be made more acceptably (but at greater length) by forming a series of sentences, each with any two of these adjuncts.
Adjuncts that can occur at I (= initial) are usually those that either have relatively little information value in the context (eg in reflecting what can be taken for granted) or are relatively inclusive or 'scene-setting' in their semantic role (eg an adjunct of time). Thus:
That whole morning, he devoted himself to his roses.
Not only is the adjunct at I one of time, but the anaphoric that indicates that the period concerned has already been mentioned. It is unusual to have more than one adjunct at I except where one is realized by a pro-form (especially then), but they would tend to be in the reverse order to that observed at E. In practice, this usually means:
space --- time or process --- time
For example:
In America [A1], after the election [A2], trade began to improve.
Slowly [A1] during this period [A2] people were becoming more prosperous.
とりわけ空間と時間については現代英語ではこの順序で,すなわち「どこでいつ」の順に配置されるのが普通であることはよく知られている.日本語では通常「いつどこで」となるので,反対ということになる.
この問題について英語史の観点からの関心は,昔からこの順序だったのだろうかという疑問である.おもしろいことに,どうやら違ったようなのである.明日の記事で.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
一般に言語において,情報構造 (information_structure) の観点から,主題となる項(主語とは限らない)は文頭,文の前寄りに置くのが望ましいとされる.日本語のような自由な語順をもつ言語であれば,これを実現することはたやすい.実際,日本語と同様に語順が比較的自由だった古英語でも,この情報構造上の要求に応えることは難しくなかった.
しかし,近現代英語のようなおよそ固定化した語順をもつ言語の場合には,何らかの工夫をこらさなければならない.古英語から中英語期にかけて文の文法としてのV2規則が失われ,語順が固定化していくにつれて,主題となる項を文頭にもってくるための方法が手薄になった.このような状況にあって,重要な手段の1つと目されるようになったのが受動文である.能動文における目的語が主題となる場合,その能動文を受動文に換えることにより,元の目的語が主語となり,問題なく文頭に置けるようになるからだ.
語順の固定化と受動文の多用化という一見すると独立した2つの統語的現象は,情報構造という語用論的な概念を仲立ちとして関連づけられ得るのである.これは「#4561. 語順問題は統語論と情報構造の交差点」 ([2021-10-22-1]) で論じた通りである.少なくとも仮説としては興味深い.
この仮説を実証しようとした研究に Seoane がある.Helsinki Corpus の15世紀初期から18世紀初期までの部分(すなわちV2規則が失われた後の時代のサブコーパス)を用いた調査によれば,以下の通り,時代を追って受動文の比率が漸増していることが分かる (Seoane 371) .
Words | Actives | Percent active | Passives | Percent passive | |
M4 (1420--1500) | 44,000 | 2,928 | 81.9 | 647 | 18.0 |
E1 (1500--1570) | 50,000 | 2,236 | 78.5 | 612 | 21.4 |
E2 (1570--1640) | 48,000 | 2,550 | 77.9 | 722 | 22.0 |
E3 (1640--1710) | 55,000 | 2,893 | 78.5 | 2,903 | 21.3 |
Total | 197,000 | 10,607 | 78.5 | 2,903 | 21.3 |
主語 (S),動詞 (V),目的語 (O) の3つの要素の組み合わせ順を考えるとき,現代英語においては SVO が規則だが,英語の歴史においては他の語順も見られたことについては「#132. 古英語から中英語への語順の発達過程」 ([2009-09-06-1]),「#4385. 英語が昔から SV の語順だったと思っていませんか?」 ([2021-04-29-1]) などの記事で取り上げてきた(関連する記事へのリンク集としては「#4527. 英語の語順の歴史が概観できる論考を紹介」 ([2021-09-18-1]) もご覧ください).
さて,古英語においては S, V, O の3要素について論理的に考え得るすべての語順が実際に確認される.SVO, SOV, OSV, OVS, VSO, VOS の6つだ.Molencki (295--96) より,各々の例文を1つずつ挙げよう.
・ SVO: Mathathias ofsloh hine sona 'Mathathias killed him soon' (ÆLS [Maccabees] 224)
・ SOV: Gregorius hine afligde 'Gregory him expelled' (ÆCHom i.22.624)
・ OSV: Fela Godes wundra we habbað gehyred 'many God's wonders we have heard' (ÆCHom i.578.28)
・ OVS: hiene ofslog an efor 'him killed a wild boar' (ChronA 885)
・ VSO: Ða fregn he mec hwæðer ic wiste hwa ðæt wære 'then asked he me whether I knew who that were-SUBJ' (Bede 402.13)
・ VOS: ða andswarudon him sume þara bocera 'then answered him some of the scribes' (Lk [WSCp] 20.30)
今回は S, V, O の3要素の語順に注目しているが,そこにはゲルマン語における "verb second" の語順規則も密接に絡んでおり,語順を巡る規則の実態はもっと複雑である.しかし,古英語が,現代英語のようなガチガチの固定語順をもった言語だったわけではないことは,これらの例文から明らかだろう.
・ Molencki, Rafał. "Old English: Syntax." Chapter 19 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 294--313.
NHKラジオ講座「中高生の基礎英語 in English」の12月号のテキストが発売となりました.連載中の「英語のソボクな疑問」の第9回は「なぜ英語の語順は SVO なの?」について取り上げました.
6節からなる今回の連載記事の小見出しはそれぞれ以下の通りです.
1. 「私」「話します」「英語」
2. 世界の言語の語順
3. 基本語順とは?
4. 昔の英語は SVO ばかりではなかった!
5. 「助詞」に相当するものが消えてしまって
6. 語順というのは,割とテキトー!?
英語は語順の言語ですね.日本語についての文法用語は多く知らずとも,英語について「5文型」や「SVO」などの用語を聞いたことのない人はいないのではないでしょうか.英文法といえば語順の文法のことだといって大きな間違いはありません.語の並べ方がしっかり決まっているのが英語という言語の著しい特徴です.
しかし,です.確かに現代の英語は語順の言語といってよいのですが,歴史を遡って古い英語を覗いてみると,実は語順は比較的自由だったのです.英語のおよそ千年前の姿である古英語 (Old English) でも SVO 語順は確かに優勢ではあったものの,SOV も普通にみられましたし VSO などもありました.現代ほどガチガチに語順が決まっている言語ではなかったのです.
私も初めてこの事実を知ったときには腰を抜かしそうになりましたね.英語は最初から語順の言語だったわけではなく,歴史を通じて語順の言語へ変化してきたということなのです.
では,いつ,どのようにして,なぜ語順の言語となったのか.これは英語史における最も重要な問題の1つであり,その周辺の問題と合わせて今なお議論が続いています.
今回の連載記事では,英語史におけるこの魅力的な問題をなるべく易しく紹介しました.どれくらい成功しているかは分かりませんが,少なくとも p. 132 の古英語の叙事詩『ベーオウルフ』にちなんだ主人公ベーオウルフと怪物グレンデルのイラストは必見!?(←イラストレーターのコバタさん,いつもありがとうございます)
英語の歴史においては,いかにして語順 (word_order) が変化してきたかという問いが,1つの重要な研究課題となっている.古英語ではそもそも SVO などの固定語順ではなく比較的自由だったわけだが,なぜ,どのようにして現代風の固定語順が発達してきたのか,というのが大きな論題となる.
また,古英語では主語自体が必須ではなく,主語を欠いた文があり得たという点も重要である.では,なぜ後の歴史において主語が必須となったのか,その点が議論の的となるわけだ.
このように,英語史研究の歴史において語順の変化は統語論 (syntax) における第一級の関心事であり続けてきた.しかし,語順といえば統語論の話題である,という一見すると当たり前のとらえ方も慎重に再検討する必要がある.語順は確かに統語論上の問題ではあるが,同時にすぐれて情報構造 (information_structure) に関わる問題でもあるからだ.Fischer et al. (211) は,語順の歴史的変化を扱った章の最後で,次のように結んでいる.
Word order sits at the cross-roads between syntax and information structure. On the one hand, syntax provides the basic templates that speakers can draw on to manage the information flow in and between clauses. On the other hand, the repertoire of syntactic structures available to speakers is attuned to the demands of information management. Unsurprisingly, then, it is by taking into account information structure that most recent progress in understanding word order and word-order change has been made.
情報構造の側からみると,古英語のように語順が比較的柔軟であれば,その柔軟さゆえに表現の自由度や選択肢が広がる.一方,語順が固定化すると,情報構造の操作に制約が課され,その制約による不自由を補うために,別の言語的工夫が必要となってくる.
英語学習者である私たちは英語の語順の歴史的変化や共時的変異の話題を,単に習得しやすい/しにくいという観点からとらえてしまいがちだが,言語にとって語順とは,確かに半分は統語的・形式的な問題ではあるが,もう半分は情報構造・談話に関する問題であることを認識しておきたい.
・ Fischer, Olga, Hendrik De Smet, and Wim van der Wurff. A Brief History of English Syntax. Cambridge: CUP, 2017.
名古屋外国語大学の高橋佑宜氏より,ひつじ書房から先日出版された,田地野 彰(編)『明日の授業に活かす「意味順」英語指導 理論的背景と授業実践』(ひつじ書房,2021年)をご献本いただきました(ありがとうございます!).
「意味順」による英語指導法というものについては,不勉強で知識がありませんでしたが,「意味順」の文法観が固定語順をもつ現代英語のような言語にとってしっくりくるものだということが,よく分かりました.
英語史を専門とする立場からは,高橋氏の執筆した「第4章 英語史からみた『意味順』」をとりわけおもしろく読みました.固定語順をもたない古英語に「意味順」を適用すると,いったいどうなるのか.また,固定語順が芽生え,確立する中英語から近代英語にかけての動的な時代は「意味順」ではどうとらえられるのか.「意味順」を通時軸に乗せてみた理論的実験として読みました.
この第4章は,趣旨としては「意味順」論考ではありますが,実は英語の語順の歴史を短く分かりやすく概説してくれる「英語語順史入門」になっています.英語統語論の歴史は研究の蓄積も豊富で(というよりも豊富すぎて),なかなか概観を得られないものですが,よく選ばれた先行研究への言及が随所にちりばめられており,このテーマの入門として読むことができると思います.ちょうど別件で語順の歴史について書いていたこともあり,私にとってタイムリーでした.
語順問題を扱った hellog 記事として,以下を挙げておきます.他にも word_order の各記事をご参照ください.
・ 「#132. 古英語から中英語への語順の発達過程」 ([2009-09-06-1])
・ 「#137. 世界の言語の基本語順」 ([2009-09-11-1])
・ 「#2975. 屈折の衰退と語順の固定化の協力関係」 ([2017-06-19-1])
・ 「#3124. 基本語順の類型論 (1)」 ([2017-11-15-1])
・ 「#3125. 基本語順の類型論 (2)」 ([2017-11-16-1])
・ 「#3128. 基本語順の類型論 (3)」 ([2017-11-19-1])
・ 「#3129. 基本語順の類型論 (4)」 ([2017-11-20-1])
・ 「#3127. 印欧祖語から現代英語への基本語順の推移」 ([2017-11-18-1])
・ 「#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」」 ([2017-11-22-1])
・ 「#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」」 ([2017-12-21-1])
・ 「#3733.『英語教育』の連載第5回「なぜ英語は語順が厳格に決まっているのか」」 ([2019-07-17-1]) ・
・ 「#4385. 英語が昔から SV の語順だったと思っていませんか?」 ([2021-04-29-1])
・ 田地野 彰(編) 『明日の授業に活かす「意味順」英語指導 理論的背景と授業実践』 ひつじ書房,2021年.
・ 高橋 佑宜 「第4章 英語史からみた『意味順』」田地野 彰(編)『明日の授業に活かす「意味順」英語指導 理論的背景と授業実践」 ひつじ書房,2021年.87-113頁.
英語の存在文 (existential_sentence) といえば,There is/are . . . . の構文が思い浮かぶ.一般に be 動詞の前に来る There は形式上のダミーの主語ととらえられ,意味上の真の主語は be 動詞の後ろに来る名詞句と理解される.真の主語が動詞の後ろに来るというのは,英語の通常の語順に照らせば例外的というほかない.一方,動詞の前に形式上主語らしきものが来なければならないという英語の一般的な統語規則は,ダミーの there によって遵守されている.いずれにせよ,普通でないタイプの構文であることは明らかだ.
Moro (149--50) によると,Jespersen (155) は英語を含めた多くの言語を調査し,いわゆる「存在文」における主語(存在者)が,広く動詞の後ろに来ること,そして典型的な主語らしい振る舞いをしないことを指摘した.
Whether or not a word like there is used to introduce [existential sentences], the verb precedes the subject, and the latter is hardly treated grammatically like a real subject.
例えば,ドイツ語では Es gibt viele Kartoffeln "(lit.) it gives many potatoes; There are many potatoes" のように,真主語は形式的には目的語として表わされる.フランス語でも Il y a beaucoup de livres. "(lit.) it there has lots of books; There are many books" のように表現し,やはり真主語は目的語として表現される.ルーマニア語では Sunt probleme "(lit.) are problems; There are problems" となり,there に相当するものはないが,やはり真主語は動詞の後ろに置かれる.中国語では You gui "(lit.) you have ghosts; There are ghosts" となる.
Moro は英語の there is/are 存在文にみられる主語後置は,むしろ be 動詞のデフォルトの統語的特徴を保持した結果であるという説を唱えている.一般の be 動詞の文の主語,例えば John is in the garden なり John is a student の John は,当然ながら動詞に前置されるわけだが,これは本来的に動詞に後置されていたものが統語操作によって繰り上げ (raising) られた結果であるという立場をとっていることになる.非人称動詞 (impersonal_verb) としての be 動詞という見方に基づく説だ.関心のある向きは,詳しくは Moro の第3章を参照されたい.
存在文のは「#1565. existential there の起源 (1)」 ([2013-08-09-1]) と「#1566. existential there の起源 (2)」 ([2013-08-10-1]) も参照されたい.
・ Moro, Andrea. A Brief History of the Verb To Be. Trans. by Bonnie McClellan-Broussard. Cambridge, Mass.: MIT. P, 2017.
・ Jespersen, O. The Philosophy of Grammar. London: Allen and Unwin, 1924.
NHKラジオ講座「中高生の基礎英語 in English」のテキストにて「英語のソボクな疑問」を連載しています.7月号のテキストが発刊されました.第4回となる今回の話題は「なぜ疑問文に do が現われるの?」です.
be 動詞および助動詞を用いる文は,疑問文を作るのに主語とその(助)動詞をひっくり返して Are you Japanese? とか Can you cook? とかすればよいのですが,その他の一般動詞を用いる文の場合には do (あるいは適宜 does, did)が幽霊のごとく急に現われます.英語初学者であれば,これは何なのだと言いたくなるところですね.
驚くことに,古くは一般動詞も,主語とひっくり返すことにより疑問文を作っていたのです.つまり Do you speak English? ではなく Speak you English? だったわけです.動詞の種類にかかわらず1つのルールで一貫していたので,ある意味で簡単だったことになります.ところが,16世紀以降,初期近代英語期に,一般動詞に関しては do を用いるというややこしい方法が広まっていきます.なぜそのような面倒くさいことが起きたのか,今回の連載記事ではその謎に迫ります.
本ブログでも関連記事を書いてきました.以下の記事,さらにより専門的には do-periphrasis の記事群をお読みください.
・ 「#486. 迂言的 do の発達」 ([2010-08-26-1])
・ 「#491. Stuart 朝に衰退した肯定平叙文における迂言的 do」 ([2010-08-31-1])
標題は,少々ハッタリ的であることは認めながらも,英語史的には真剣に考えておきたいテーマです.
普通の文(平叙文)に関する限り,英語史を通じて主語 (S) +動詞 (V) という SV 語順が優勢だったことは間違いありません.現在,ほぼ完全に SV で固まっているといってよいでしょう.しかし,千年ほど前の古英語期においても同様に SV がほぼ完全なるデフォルト語順だったといえるかというと,必ずしもそうではありません.VS 語順が,まま見られたからです.
目下「英語史導入企画2021」が進行中ですが,昨日大学院生により公表されたコンテンツはこの辺りの問題を専門的に扱っています.「英語の語順は SV ではなかった?」をご覧ください.
このコンテンツでは,1週間ほど前の「#4378. 古英語へようこそ --- 「バベルの塔」の古英語版から」 ([2021-04-22-1]) でも取り上げられた,旧約聖書「バベルの塔」の古英語版,中英語版,近代英語版,現代英語版を用いた通時的比較がなされています (cf. 「#2929. 「創世記」11:1--9 (「バベルの塔」)を7ヴァージョンで読み比べ」 ([2017-05-04-1])).各時代版の「バベルの塔」のくだりに関して,各文の語順を丁寧に比較したものです.その結果,古い時代であればあるほど VS 語順が出現していることが確認されました.古い時代とて,平叙文の基本語順が SV だったことは確かなのですが,マイノリティながら VS 語順も可能だったのです.
この事実は多くの英語学習者にとって衝撃的ではないでしょうか.英語の基本語順は SV であるとたたき込まれてきたはずだからです.しかし,考えてみれば現代英語にも周辺的とはいえ Here comes (V) the train (S). や In no other part of the world is (V) more tea (S) consumed than in Britain. のように,副詞句が文頭に現われる平叙文において語順が VS となる例は存在します.
上記から何が言えるでしょうか.今回のコンテンツにある通り,現代英語の「文型」として8文型や5文型など様々な分類があります.しかし,これらの定式化された語順も歴史を通じて固まってきたものであり,古くはもっと自由度が高かったということです.平叙文ですら SV ならぬ VS が一定程度の存在感を示していた時代があり,しかも後者の余韻は現代英語にも周辺的ながらも残っているという点が重要です.
言語の歴史においては,語順という基本的な項目ですら,変化することがあり得るということです.私が初めてこの事実を知ったのは大学生のときだったでしょうか,腰を抜かしそうになりました.
語順の推移の問題は一筋縄ではいかず,相当に奥が深いテーマです.単に形式的な問題にとどまらず,リズムや情報構造など様々な観点から考察すべき総合的な問題なのです.
いわゆる「剥奪の of」と呼ばれる用法や構文について,「#1775. rob A of B」 ([2014-03-07-1]) の記事で英語史の観点から少し考えてみた.なかなか難しい問題で,英語学的にもきれいには解決していないようである.
Blake (134) が,格 (case) や意味役割 (semantic_role) の観点からこの問題に迫っている議論をみつけたので,そちらを引用したい.
(39) a. The vandals stripped the branches off the tree agent patient source b. The vandals stripped the tree of its branches agent source patient
The roles appropriate for (39a) are noncontroversial. The vandals are clearly the agent, the branches patient and the tree source. Of the two sentences (39a) would appear to be unmarked, since it exhibits a normal association of role and relation: patient with direct object and source with a noncore or peripheral relation. The ascription of roles in (39b) is more problematic. Under a common interpretation of constructions like this the tree in (39b) would still be the source and the branches the patient. But note the different in meaning. (39a) presents the situation from the point of view of the effect of the activity on the branches, whereas (39b) emphasises the fate of the tree. In fact, the phrase of its branches can be omitted from (39b). This makes it problematic for those who claim that every clause has a patient. The problem could be avoided by claiming that the tree in (39b) has been reinterpreted as a patient, but that creates the further problem of finding a different role for the branches.
剥奪の構文の問題について格の理論的観点から議論したものだが,およそ私たちの直感的な問題意識に通じる議論となっており,結局のところ未解決なのである.最後に触れられているように,(39b) において the tree の意味役割を patient とするのであれば,of its branches の意味役割は何になるのか.そして,その意味役割を担わせる前置詞 of の意味・用法はいかなるものであり,それは of の原義や他の主要語義からどのように派生したものと考えるべきなのか.
1つ気になるのは,両文で用いられている前置詞が,起源を同じくする off と of であることだ(ただし,前者は from でも言い換えられる).両語の同一起源については「#55. through の語源」 ([2009-06-22-1]),「#4095. 2重語の分類」 ([2020-07-13-1]) を参照.
・ Blake, Barry J. Case. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2001.
標題は,類型論的な傾向として指摘されている.日本語などの SO 語順をもつ言語は,何らかの形態的な格標示をもつ可能性が高いという.実際,日本語には「が」「を」「の」などの格助詞があり,名詞句に後接することで格が標示される仕組みだ.一方,英語を典型とする SV 語順をもつ言語は,そのような形態的格標示を(顕著には)もたないという.英語にも人称代名詞にはそれなりの格変化はあるし,名詞句にも 's という所有格を標示する手段があるが,全般的にいえば形態的な格標示の仕組みは貧弱といってよい.英語も古くは語順が SV に必ずしも固定されておらず,SO などの語順もあり得たのだが,上記の類型論が予測する通り,当時は形態的な格標示の仕組みが現代よりも顕著に機能していた.
上記の類型論上の指摘は,Blake を読んでいて目にとまったものだが,もともとは Greenberg に基づくもののようだ.Blake (15) より関係する箇所を引用する.
It has frequently been observed that there is a correlation between the presence of case marking on noun phrases for the subject-object distinction and flexible word order and this would appear to hold true. From the work of Greenberg it would also appear that there is a tendency for languages that mark the subject-object distinction on noun phrases to have a basic order of subject-object-verb (SOV), and conversely a tendency for languages lacking such a distinction to have the order subject-verb-object (SVO) . . . . The following figures are based on a sample of 100 languages. They show the relationship between case and marking for the 85 languages in the sample that exhibit one of the more commonly attested basic word orders. The notation [+ case] in this context means having some kind of marking, including appositions, on noun phrases to mark the subject-object distinction . . . .
VSO | [+ case] | 3 | SVO | [+ case] | 9 | SOV | [+ case] | 34 |
[- case] | 6 | [- case] | 26 | [- case] | 7 |
The SVO 'caseless' languages are concentrated in western Europe (e.g. English), southern Africa (e.g. Swahili) and east and southeast Asia (e.g. Chinese and Vietnamese).
この類型論的傾向が示す言語学的な意義は何なのだろうか.
・ Blake, Barry J. Case. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2001.
2週間ほど前に通常の hellog 記事「#4186. なぜ Are you a student? に対して *Yes, I'm. ではダメなのですか?」 ([2020-10-12-1]) で取り上げたばかりの素朴な疑問ですが,発音に関わる話題でもありますのでラジオ化し,説明もなるべく簡略化してみました.現役中学生からの質問でしたが,これを聴いて理解できるでしょうか.
ポイントは,単語のなかには弱形と強形という異なる発音をもつものがあるということです.問題の be 動詞をはじめ,冠詞,助動詞,前置詞,人称代名詞,接続詞,関係代名詞/副詞など文法的な役割を果たす語に多くみられます.これらの単語はデフォルトでは弱形で発音されますが,今回の Yes, I am. ように,後ろに何かが省略されていて,文末に来る等いくつかの特別な場合には強形が現われます(というよりも,現われなければなりません).頻出する文法的な語だからこその,ちょっと面倒な現象ではありますが,弱形と強形の2つがあるという点をぜひ覚えておいてください.
関連する話題については##4186,3713,3776の記事セットをご覧ください.
最近,大学院生の指摘にハッとさせられることが多く,たいへん感謝している.標記の話題も一種の定型文句とみなしており,とりたてて分析的に考えたこともなかったが,指摘を受けて「確かに」と感心した.dear は「親愛なる」を意味する一般の形容詞であるから,my dear friend ならよく分かる.しかし,手紙の冒頭の挨拶 (salutation) などでは,統語的に破格ともいえる Dear my friend が散見される.Dear Mr. Smith なども語順としてどうなのだろうか.
共時的な感覚としては,冒頭の挨拶 Dear は純然たる形容詞というよりは,挨拶のための間投詞 (interjection) に近いものであり,語用標識 (pragmatic_marker) といってよいものかもしれない.つまり,正規の my dear friend と,破格の Dear my friend を比べても仕方ないのではないか,ということかもしれない.CGEL (775) でも,以下のように挨拶を導入するマーカーとみなして済ませている.
It is conventional to place a salutation above the body of the letter. The salutation, which is on a line of its own, is generally introduced by Dear;
Dear Ruth Dear Dr Brown Dear Madam Dear Sir
しかし,通時的にみれば疑問がいろいろと湧いてくる.Dear my friend のような語順が初めて現われたのはいつなのだろうか? その語用標識化の過程はいかなるものだったのだろうか? 近代英語では Dear my lord や Dear my lady の例が多いようだが,これは milord, milady の語彙化とも関わりがあるに違いない,等々.
ただし,現代英語の状況について一言述べておけば,COCA で検索してみた限り,実は「dear my 名詞」の例は決して多くない.歴史的にもいろいろな観点から迫れる,おもしろいテーマである(←Kさん,ありがとう!).
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
中学生から寄せられた素朴な疑問です.標題のような yes/no 疑問文への回答で,No, I'm not. は許容されますが,*Yes, I'm. は許容されず,Yes, I am. と完全形で答えなければなりません.英語学習の最初に I am の省略形は I'm であると習うわけですが,省略形が使えない場合があるのです.これはなぜなのでしょうか.
その答えは「文末に省略形を置くことはできない」という文法規則があるからです.もう少し正確にいえば,強形・弱形をもつ語に関しては,節末では強形で実現されなければならない,ということです.強形・弱形をもつ語というのは,今回問題となっている be 動詞をはじめ,冠詞,助動詞,前置詞,人称代名詞,接続詞,関係代名詞/副詞などが含まれます(cf. 「#3713. 機能語の強音と弱音」 ([2019-06-27-1]),「#3776. 機能語の強音と弱音 (2)」 ([2019-08-29-1])).主として文法的な機能を果たす語のことです.
これらの語は,通常の文脈では弱く発音され,省略形で生起することが多いのですが,節末に生起する場合や単独で発音される場合には「強形」となります.am でいえば,標題の回答のように節末(文末)に来る場合には,通常の弱形 /əm, m/ ではなく,特別な強形 /æm/ として実現されなければなりません.
では,なぜ節末で強形とならなければならないのでしょうか.通常,be 動詞にせよ助動詞にせよ前置詞にせよ,補語,動詞,目的語など別の要素が後続するため,それ自体が節末に生起することはありません.しかし,統語的な省略 (ellipsis) や移動 (movement) が関わる場合には,節末に起こることもあります.
・ Are you a student? --- Yes, I am (a student).
・ I am taller than you are (tall).
・ She doesn't know who the man is.
・ Sam kicked the ball harder than Dennis did (kick the ball hard).
・ They ran home as fast as they could (run fast).
・ What are you looking at?
・ This is the very book I was looking for.
このような特殊な統語条件のもとでは,節末にあって問題の機能語は強形で実現されます.これは,通常の場合よりも統語や情報構造の観点から重要な役割を果たしているため,音形としても卓越した実現が求められるからだと考えられます.Yes, I am (a student). のケースでいえば,be 動詞には,後ろに a student が省略されているということを標示する役割が付されており,通常の I'm a student. の be 動詞よりも「重責」を担っているといえるのです.
なお,No, I'm not. が許容されるのは,be 動詞が節末に生起するわけではないからだと考えています.あるいは,「be 動詞 + not」が合わさって後続要素の省略を標示する機能を担っているのではないかとも考えられます (cf. No, it isn't.) .
昨日の記事「#4022. 英語史における文法変化の潮流を一言でいえば「総合から分析へ」」 ([2020-04-27-1]) について一言補足しておきたい.
形態論ベースの類型論という理論的観点からみると確かに「総合」 (synthesis) と「分析」 (analysis) は対置されるが,実際的には100%総合的な言語や100%分析的な言語というものは存在しない.どの言語も,総合と分析を両極とする数直線のどこかしらの中間点にプロットされる.古英語は数直線の総合側の極点にプロットされるわけではなく,あくまでそこに近いところにプロットされるにすぎない.古英語も,それより前の時代からみれば十分に水平化が進んでいるからだ.同様に,現代英語は分析側の極点ではなく,そこに近いところにプロットされるということである.現代英語にも動詞や代名詞の屈折などはそこそこ残っているからだ.
したがって,古英語から現代英語への文法変化の潮流を特徴づける「総合から分析へ」は,数直線の0から100への大飛躍ではないということに注意しなければならない.印象的にいえば,数直線の30くらいから80くらいへの中程度の飛躍だということである.もちろん,これでも十分に劇的なシフトだとは思う.
「#191. 古英語,中英語,近代英語は互いにどれくらい異なるか」 ([2009-11-04-1]) や「#1816. drift 再訪」 ([2014-04-17-1]) で挙げた数直線らしき図からは,0から100への大飛躍が表現されているかのように読み取れるが,これも誇張である.これらの図はいずれもゲルマン語派に限定した諸言語間の相対的な位置を示したものであり,より広い類型論的な視点から作られた図ではない.世界の諸言語を考慮するならば,古英語から現代英語へのシフトの幅はいくぶん狭めてとらえておく必要があるだろう.
Smith (41) が「総合から分析へ」の相対化について次のように述べている.
Traditionally, the history of English grammar has been described in terms of the shift from synthesis to analysis, i.e. from a language which expresses the relationship between words by means of inflexional endings joined to lexical stems to one which maps such relationships by means of function-words such as prepositions. This broad characterization, of course, needs considerable nuancing, and can better be expressed as a comparatively short shift along a cline. Old English, in comparison with Present-day English, is comparatively synthetic, but nowhere near as synthetic as (say) non-Indo-European languages such as Present-day Finnish or Zulu, older Indo-European languages such as classical Latin --- or even earlier manifestations of Germanic such as 4th-century Gothic, which, unlike OE, regularly distinguished nominative and accusative plural forms of the noun; cf. OE hlāfas 'loaves' (both NOM and ACC), Go. hláibōs (NOM), hláibans (ACC). Present-day English is comparatively analytic, but not as analytic as (say) Present-day Mandarin Chinese; a 21st-century English-speaker still marks person, number and case, and sustains grammatical cohesion, with concord between verbal and pronominal inflexions, for instance, e.g. I love bananas beside she hates bananas.
「総合から分析へ」はキャッチフレーズとしてはとても良いが,上記の点に注意しつつ相対的に理解しておく必要がある.
・ Smith, Jeremy J. "Periods: Middle English." Chapter 3 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 32--48.
「#1253. 古ノルド語の影響があり得る言語項目」 ([2012-10-01-1]) で挙げたリストに,Dance (1735) を参照し,いくつか項目を追加しておきたい.いずれも実証が待たれる仮説というレベルである.
(1) the marked increase in productivity of the derivational verbal affixes -n- (as in harden, deepen) and -l- (e.g. crackle, sparkle)
(2) the rise of the "phrasal verb" (verb plus adverb/preposition) at the expense of the verbal prefix, most persuasively the development of up in an aspectual (completive) function
(3) certain aspects of v2 syntax (including the development of 'CP-v2' syntax in northern Middle English)
(4) the general shift to VO order
上記 (1) については,「#1877. 動詞を作る接頭辞 en- と接尾辞 -en」 ([2014-06-17-1]) で関連する話題に触れているので,そちらも参照.
(2) については,関連して「#2396. フランス語からの句の借用に対する慎重論」 ([2015-11-18-1]) を参照.
(3), (4) は統語現象だが,とりわけ (4) は大きな仮説である.これについては拙著『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』(中央大学出版部,2011年)の第5章第4節でも論じている.さらに以下の記事やリンク先の話題も合わせてどうぞ.
・ 「#1170. 古ノルド語との言語接触と屈折の衰退」 ([2012-07-10-1])
・ 「#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」」 ([2017-11-22-1]) (連載記事への直接ジャンプはこちら)
・ 「#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」」 ([2017-12-21-1]) (連載記事への直接ジャンプはこちら)
・ 「#3733.『英語教育』の連載第5回「なぜ英語は語順が厳格に決まっているのか」」 ([2019-07-17-1])
最後にリストに加えるのを忘れていたもう1つの項目があった.
(5) the spread of the s-plural
これは,私自身が詳細に論じている説である.詳しくは Hotta をご覧ください.
・ Dance, Richard. "English in Contact: Norse." Chapter 110 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1724--37.
・ 堀田 隆一 『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』 中央大学出版部,2011年.
・ Hotta, Ryuichi. The Development of the Nominal Plural Forms in Early Middle English. Tokyo: Hituzi Syobo, 2009.
Fischer et al. (4--6) に英語統語論の主要な歴史的変化の一覧表がある.参照用に便利なので,"Overview of syntactic categories and their changes" と題されたこの一覧を再現しておきたい.左欄を縦に眺めるだけでも,英語歴史統語論にどのような話題があり得るのかがつかめる.
Changes in: | Old English | Middle English | Modern English | |
---|---|---|---|---|
case form and function: | genitive | various functions | genitive case for subjective/poss.; of-phrase elsewhere | same |
dative | various functions/PP sporadic | increase in to-phrase; impersonal dative lost | same | |
accusative | main function: direct object | accusative case lost, direct object mainly marked by position | same | |
determiners: | system | articles present in embryo form, system developing | articles used for presentational and referential functions | also in use in predicative and generic contexts |
double det. | present | rare | absent | |
quantifiers: | position of | relatively free | more restricted | fairly fixed |
adjectives: | position | both pre- and postnominal | mainly prenominal | prenominal with some lexical exceptions |
form/function | strong/weak forms, functionally distinct | remnants of strong/weak forms; not functional | one form only | |
as head | fully operative | reduced; introduction of one | restricted to generic reference/idiomatic | |
'stacking' of | not possible | possible | possible | |
adjectival or relative clause | relative: se, se þe, þe, zero subject rel. | new: þæt, wh-relative (except who), zero obj. rel. | who relative introduced | |
adj. + to-inf. | only active infinitives | active and passive inf. | mainly active inf. | |
aspect-system: | use of perfect | embryonic | more frequent; in competition with 'past' | perfect and 'past' grammaticalized in different functions |
form of perfect | BE/HAVE (past part. sometimes declined) | BE/HAVE; HAVE becomes more frequent | mainly HAVE | |
use and form of progressive | BE + -ende; function not clear | BE + -ing, infrequent, more aspectual | frequent, grammaticalizing | |
tense-system: | 'present' | used for present tense, progressive, future | used for present tense and progr.; (future tense develops) | becomes restricted to 'timeless' and 'reporting' uses |
'past' | used for past tense, (plu)perfect, past progr. | still used also for past progr. and perfect; new: modal past | restricted in function by grammaticalization of perfect and progr. | |
mood-system: | expressed by | subjunctive, modal verbs (+ epistemic advbs) | mainly modal verbs (+ develop. quasi-modals); modal past tense verbs (with exception features) | same + development of new modal expressions |
category of core modals | verbs (with exception features) | verbs (with exception features) | auxiliaries (with verbal features) | |
voice-system: | passive form | beon/weorðan + (inflected) past part. | BE + uninfl. past part | same; new GET passive |
indirect pass. | absent | developing | (fully) present | |
prep. pass. | absent | developing | (fully) present | |
pass. infin. | only after modal verbs | after full verbs, with some nouns and adject. | same | |
negative system | ne + verb (+ other negator) | (ne) + verb + not; rare not + verb | Aux + not + verb; (verb + not) | |
interrog. system | inversion: VS | inversion: VS | Aux SV | |
DO as operator | absent | infrequent, not grammaticalized | becoming fully grammaticalized | |
subject: | position filled | some pro-drop possible; dummy subjects not compulsory | pro-drop rare; dummy subjects become the norm | pro-drop highly marked stylistically; dummy subj. obligat. |
clauses | absent | that-clauses and infinitival clauses | new: for NP to V clauses | |
subjectless/impersonal constructions | common | subject position becomes obligatorily filled | extinct (some lexicalized express.) | |
position with respect to V | both S (...) V and VS | S (...) V; VS becomes restricted to yes/no quest. | only S (adv) V; VS > Aux SV | |
object: | clauses | mainly finite þæt-cl., also zero/to-infinitive | stark increase in infinitival cl. | introduction of a.c.i. and for NP to V cl. |
position with respect to V | VO and OV | VO; OV becomes restricted | VO everywhere | |
position IO-DO | both orders; pronominal IO-DO preferred | nominal IO-DO the norm, introduction of DO for/to IO | IO-DO with full NPs; pronominal DO-IO predominates | |
clitic pronouns | syntactic clitics | clitics disappearing | clitics absent | |
adverbs: | position | fairly free | more restricted | further restricted |
clauses | use of correlatives + different word orders | distinct conjunctions; word order mainly SVO | all word order SVO (exc. some conditional clauses) | |
phrasal verbs | position particle: both pre- and postverbal | great increase; position: postverbal | same | |
preposition stranding | only with pronouns (incl. R-pronouns: þær, etc.) and relative þe | no longer with pronouns, but new with prep. passives, interrog., and other relative clauses | no longer after R-pronouns (there, etc.) except in fixed expressions |
連日引用している Space Between Words: The Origins of Silent Reading の著者 Saenger は,中世後期に分かち書き (distinctiones) の慣習が改めて発達してきた背景には,ラテン語から派生したロマンス系諸言語の語順の固定化も一枚噛んでいたのではないかと論じている.
比較的緩やかだったラテン語の語順が,フランス語などに発展する過程でSVO等の基本語順へ固定化していったことにより,読者の語(句)境界に対する意識が強くなってきたのではないかという.また語順の固定化と並行して屈折の衰退という言語変化が進行しており,後者も読者の語(句)の認識の仕方に影響を与えていただろうと考えられる.そして,もう一方の分かち書きの発達も,当然ながら語(句)境界の認識の問題と密接に関わる.これらの現象はいずれも語(句)境界の同定を重視するという方向性を共有しており,互いに補完し合う関係にあったのではないか.さらには,このような複合的な要因が相俟って黙読や速読の習慣も発達してきたにちがいない,というのが Saenger 流の議論展開だ.
興味深い論点の1つは,文章を読解するにあたっての短期記憶に関するものである.語順が比較的自由で,かつ続け書きをする古典ラテン語においては,読者は1文を構成する長い文字列をじっくり解読していかければならない.文字を最後まで追いかけた上で,逆走し,全体の意味を確認する必要がある.この読み方では読者の短期記憶にも重い負担がかかることになるだろう.そこで,朗々と読み上げることによってその負担をいくらか軽減しようとしていると考えることもできる.
一方,中世ラテン語やロマンス諸語などのように,ある程度語順が定まっており,かつ分かち書きがなされていれば,文中で次にどのような要素がくるか予想しやすくなると同時に,単語を逐一自力で切り分ける面倒からも解放されるために,短期記憶にかかる負担が大幅に減じる.わざわざ朗々と読み上げなくとも,速やかに読解できるのだ.語順の自由さと続け書きは平行的であり,語順の固定化と分かち書きも,向きは180度異なるものの,やはり平行的ということである.
もう1つのおもしろい議論は,ちょうど屈折の衰退(と語順の固定化)が広く文法の堕落だと考えられてきたのと同様に,続け書きから分かち書きへのシフトも言語生活上の堕落だと考えられてきた節があるということだ.統語論の問題と書記法の問題は,このようにペアでとらえられてきたようだ.
Saenger (17) のまとめの文は次の通り.
The evolution of rigorous conventions, both of word order and of word separation, had the similar and complementary physiological effect of enhancing the medieval reader's ability to comprehend written text rapidly and silently by facilitating lexical access.
・ Saenger, P. Space Between Words: The Origins of Silent Reading. Stanford, CA: Stanford UP, 1997.
英語史の授業にて尋ねられた質問.まさに直球.答えるのが難しい.
まず英語史的にいえることは,古英語や中英語では,現代的な使い方での「冠詞」 (article) は未発達だったということです.the や a(n) という素材そのものは古英語からあったのですが,それぞれ現代風の定冠詞や不定冠詞としては用いられていませんでした.つまり,古英語にも the や a(n) という単語のご先祖様は確かにいたけれども,当時はまだ名詞に添えるべき必須の項目というステータスは獲得していなかったということです.
ということは,日々私たちが使い分けに苦労している現代英語の「冠詞」という項目は,英語の歴史の歩みのなかで,徐々に獲得されてきたものということになります.冠詞は英語の歴史の最初からあったわけではない.まず,この事実を押さえておく必要があります.
冠詞なるものが歴史のなかで獲得されてきたというのは,なにも英語に限りません.そもそも英語を含めたヨーロッパからインドに及ぶ多くの言語のルーツである印欧祖語には冠詞はありませんでした.しかし,印欧語族に属する古典ギリシア語,アルメニア語,アイルランド語という個別の言語をはじめ,ロマンス語派,ゲルマン語派,ケルト語派の諸言語やバルカン言語連合でも冠詞がみられることから,いずれも歴史の過程で冠詞を発達させてきたことがわかります(「#2855. 世界の諸言語における冠詞の分布 (1)」 ([2017-02-19-1]) を参照).
また,印欧語族から離れて世界の諸言語に目を向けてみても,冠詞という言語項目は世界各地に確認されます(全体としては少数派ではありますが).ただし,地理的にはヨーロッパ,アフリカ,南西太平洋などにある程度偏在しているようで,類型論や地理言語学の立場からは興味深い話題となっています.
さて,英語に話しを戻しましょう.古英語にも冠詞の種となるものはあったにせよ,なぜその後それが現代風の冠詞的な機能を発達させることになったのでしょうか.1つには,英語が中英語以降に語順を固定化させてきたという事実が関係しているように思われます.「#2856. 世界の諸言語における冠詞の分布 (2)」 ([2017-02-20-1]) でも述べたように「語順が厳しく定まっている言語では一般的に名詞的要素の置き場所を利用して定・不定を標示するのが難しいために,冠詞という手段が採用されやすいという事情がある」のではないかと考えられます.
定・不定とは,その表現の指しているものが文脈上話し手や聞き手にとって既知か未知か,特定されるかされないかといった区別のことです.談話の典型的なパターンは,定の要素をアンカーとし,それに不定の要素を引っかけながら新情報を導入していくというものですが,このような情報の流れは情報構造 (information_structure) と呼ばれます.言語は情報構造を標示するための手段をもっていると考えられますが,語順や冠詞もそのような手段の候補となります.語順が自由であれば,定の要素を先頭にもってきたり,不定の要素を後置するなどの方法を利用できるでしょう(cf. 「#3211. 統語と談話構造」 ([2018-02-10-1])).しかし,語順の自由度が低くなると別の手段に訴える必要が生じてきます.英語は中英語期にかけて語順の自由度を失っていった結果,情報構造を標示するための新たな道具として,素材として手近にあった the や a(n) などを利用したのではないかと考えられます.
ただし,これも1つの仮説にすぎません.標題の質問にズバリ答えているわけではなく,我ながらもどかしいところです.
冠詞の発生に関する統語理論上の扱いは,「#2144. 冠詞の発達と機能範疇の創発」 ([2015-03-11-1]) を参照してください.関連して,英語史における語順の固定化について「#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」」 ([2017-11-22-1]),「#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」」 ([2017-12-21-1]),「#3733.『英語教育』の連載第5回「なぜ英語は語順が厳格に決まっているのか」」 ([2019-07-17-1]) をご覧ください.
8月14日に,『英語教育』(大修館書店)の9月号が発売されました.英語史連載「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」の第6回となる今回の話題は,「なぜ一般動詞の疑問文・否定文には do が現われるのか」です.この do の使用は,英語統語論上の大いなる謎といってよいものですが,歴史的にみても,なぜこのような統語表現(do 迂言法と呼びます)が出現したのかについては様々な仮説があり,今なお熱い議論の対象になっています.
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