最近,大学院生の指摘にハッとさせられることが多く,たいへん感謝している.標記の話題も一種の定型文句とみなしており,とりたてて分析的に考えたこともなかったが,指摘を受けて「確かに」と感心した.dear は「親愛なる」を意味する一般の形容詞であるから,my dear friend ならよく分かる.しかし,手紙の冒頭の挨拶 (salutation) などでは,統語的に破格ともいえる Dear my friend が散見される.Dear Mr. Smith なども語順としてどうなのだろうか.
共時的な感覚としては,冒頭の挨拶 Dear は純然たる形容詞というよりは,挨拶のための間投詞 (interjection) に近いものであり,語用標識 (pragmatic_marker) といってよいものかもしれない.つまり,正規の my dear friend と,破格の Dear my friend を比べても仕方ないのではないか,ということかもしれない.CGEL (775) でも,以下のように挨拶を導入するマーカーとみなして済ませている.
It is conventional to place a salutation above the body of the letter. The salutation, which is on a line of its own, is generally introduced by Dear;
Dear Ruth Dear Dr Brown Dear Madam Dear Sir
しかし,通時的にみれば疑問がいろいろと湧いてくる.Dear my friend のような語順が初めて現われたのはいつなのだろうか? その語用標識化の過程はいかなるものだったのだろうか? 近代英語では Dear my lord や Dear my lady の例が多いようだが,これは milord, milady の語彙化とも関わりがあるに違いない,等々.
ただし,現代英語の状況について一言述べておけば,COCA で検索してみた限り,実は「dear my 名詞」の例は決して多くない.歴史的にもいろいろな観点から迫れる,おもしろいテーマである(←Kさん,ありがとう!).
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
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