英語の歴史と語源・9
「百年戦争と黒死病」

堀田 隆一

2021年3月20日
hellog~英語史ブログ: http://user.keio.ac.jp/~rhotta

第9回 百年戦争と黒死病

14世紀のイングランドは,英仏百年戦争 (1337–1453年) の勃発と,それに続く黒死病の蔓延(1348年の第一波)など数々の困難に見舞われました.これらの社会的な事件は,ノルマン征服以来定着していたフランス語による支配を転換させ,英語の復権を強く促す契機となりました.いよいよ英語はイングランドの国語という地位へと返り咲き,近代にかけて勢いを増していくことになります.標題の歴史的大事件のもつ英語史上の意義を考えてみたいと思います.

とりわけ黒死病が英語に与えたインパクトという問題に注目します.目下,新型コロナウィルスにより世界中の政治,経済,社会が大きな影響を受けていますが,英語をはじめとする諸言語もまたその影響下にあり,変容を余儀なくされています.疫病と言語の関わりは一般に思われているよりもずっと深いのです.650年ほど前にヨーロッパを襲った疫病は,いかにして英語とその歴史に衝撃を与えたのか.この問題についても合わせて検討していきたいと思います.

* 本スライドは https://bit.ly/3lvyklT からもアクセスできます.

目次

  1. [特別編]コロナ禍と英語
  2. 英語の地位の下落と復権(1066~1500年)
  3. 百年戦争 (Hundred Years War)
  4. 黒死病 (Black Death)

1. [特別編]コロナ禍と英語

2020年の American Dialect Society による Word of the Year の候補語.(#4339)

OED の特集記事

The Oxford English Dictionary によりコロナ特集記事が組まれてきた. (#4129)

  1. 2020年4月から6月のトレンドワード
  2. 2020年7月に加えられた新語(義)の抜粋
    contact tracing, corona, Covid, physical distancing, triaged, Zoom, medical mask, surgical mask, isolate, shield
  3. 社会変化と言語変化
    Covid-19, WFH, elf-isolation, self-isolating, infodemic, shelter-in-place, social distancing, elbow bump, WFH, PPE, personal protective equipment, pestilence, pest, pox, pock, smallpox, epidemic, Black Plague, Black Death, self-quarantined, yellow fever, Spanish influenza, Spanish flu, poliomyelitis, polio, AIDS, SARS, coronaviruses
  4. コロナ禍の科学用語
    Covid, C-19, CV-19, CV, corona, rona (cf. Zipf’s Law = 「言語要素は,頻度が高いほど形態が短い」)

2. 英語の地位の低下と復権(1066~1500年)

  1. 1066年,ウィリアム1世によるイングランド征服
  2. イングランドの公用語が(ノルマン)フランス語へ
  3. 後期古英語の標準語だった West-Saxon 方言が求心力を失う
  4. 英語が公の場から追い出される (#2047)
  5. 英語は庶民の口頭言語へと下落 (cf. 「方言の時代」 (#2086))
  6. Cf. 自由奔放にして融通無碍な中英語の through の異綴字 (#53)

英語の復権の歩み (#131)

3. 百年戦争 (Hundred Years War)

  1. 1337年,イングランド王エドワード3世がフランスの王位継承権を主張し百年戦争が始まる(~1453年)(#2334)
  2. エドワード3世の母語はフランス語.ただし,英語も理解できた.(#1204, #3394)
  3. エドワード3世,1348年にガーター騎士団を創設
    英国王の大紋章のモットー “HONI SOIT QUI MAL Y PENSE” (#433, #434)
  4. 「英仏百年戦争」といわれるが,当時のイングランド王のアイデンティティはフランス人貴族なので,その意味では「仏仏百年戦争」,あるいはフランス王侯貴族の王座争いと呼ぶべき?
  5. イギリスでは,最終的に百年戦争に勝ったとされている?

百年戦争前後の略年表 (#3478)

百年戦争と英語の復権

  1. イングランド王としては「仏仏百年戦争」でも,イングランド生まれで英語しか話せない兵士たちにとってはやはりフランスは敵.
  2. 指 (30) は,百年戦争による英語の復権の過程と関連して,イングランド軍隊でフランス語使用が禁止されていた点に触れている.

    この戦争によってもたらされた注目すべき変化に、英語の「復権」がある.ノルマン系の王族や貴族たちは,フランス語を常用語とし,宮廷内や公の文書にもフランス語が用いられていた.大陸領土を失っても,フランス語使用の習慣は続いていたが,百年戦争に際し,英語使用への積極的な転換がみられた.敵国の言葉を使うことによる士気の低下を恐れ,エドワード三世は軍隊でのフランス語使用を禁止したのである.これを契機に英語が公の言葉として復活することになったが,二世紀もの間,表舞台から駆逐されていた英語は,その間「書き言葉」としては使用されなかったため,以前の古英語とはかなり異なったものになっていた.

  3. 戦争を契機に,それまでの2世紀間にゆっくりと着実に進んでいた「英語の復権」が勢いを得た.

4. 黒死病 (Black Death)

  1. 百年戦争の最中の1358年にヨーロッパを襲った人類史上最大規模のペスト禍
  2. 中央アジアからクマネズミによってもたらされた (#119伝播経路)
  3. イングランドだけでも,人口の1/2から1/3がペストの餌食に
  4. “Black Death” の語源 (#2990)
  5. Cf. tag [black_death]関連画像
  6. Cf. “quarantine” の語源 (#144)

黒死病の社会(言語学)的影響 (1)

黒死病の勃発

労働者人口の減少

労働者の賃上げ要求

労働者の存在感と発言力の上昇

彼らの母語たる英語の地位の向上

黒死病と社会(言語学)的影響 (2)

  1. 聖職者(フランス語・ラテン語教師)の大量死 (#138, #3055)
  2. 古典尊重の衰退
  3. 英語による教育の始まり(次ページ
  4. 社会の流動化と諸方言の水平化 (#3054)
  5. 農奴制から自由農民制へ
  6. 技術革新と印刷術 (#3056次回の講座「大航海時代と活版印刷術」)

英語による教育の始まり (#1206)

Þis manere was moche i-vsed to fore þe firste moreyn and is siþþe sumdel i-chaunged; for Iohn Cornwaile, a maister of grammer, chaunged þe lore in gramer scole and construccioun of Frensche in to Englische; and Richard Pencriche lerned þat manere techynge of hym and oþere men of Pencrich; so þat now, þe ȝere of oure Lorde a þowsand þre hundred and foure score and fyue, and of þe secounde kyng Richard after þe conquest nyne, in alle þe gramere scoles of Engelond, children leueþ Frensche and construeþ and lerneþ an Englische, and haueþ þerby auauntage in oon side and disauauntage in anoþer side; here auauntage is, þat þey lerneþ her gramer in lasse tyme þan children were i-woned to doo; disauauntage is þat now children of gramer scole conneþ na more Frensche þan can hir lift heele, and þat is harme for hem and þey schulle passe þe see and trauaille in straunge landes and in many oþer places. Also gentil men haueþ now moche i-left for to teche here children Frensche. (from Polychronicon , II, 159 [Rolls Series])

実は当時の英語(中英語)は繁栄していた

  1. ノルマン征服の人口統計 (#338)
  2. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉 (#661)
  3. 13世紀半ば,王侯貴族のフランス語力の低下 (#1212)
  4. 14世紀以前より農業経済の行き詰まり (#3053)
  5. 中英語はフランス語のくびきの下にはなく,繁栄していた (#577)
  6. Cf. 515通りの through の異綴字 (#53)

黒死病は英語の復権に拍車をかけたにすぎない

  1. そもそも「復権」の必要があるほど落ちぶれてはいなかった
  2. 14世紀までに,復権の条件は歴史的に整えられていた (#706)
  3. 百年戦争,黒死病などの事件は英語の復権の促進剤 (#139)

    その意味で,多くの史家の指摘するとおり,黒死病そのものは,時代の担っていた趨勢のなかから,次代へ繋がるものをアンダーラインした上でそれを加速させ,その時代に取り残されるものに引導を渡すという働きをしたにせよ,次代を作り出す何ものかを積極的に生み出したわけではなかった.

    たしかに黒死病は,流行病としては人類の歴史上,おそらく最悪のものの一つであった.しかし,その異常事態の上に映し出されたものは,良かれ悪しかれその時代そのものであって,その時代の要素が,いささか拡大されて見えるにとどまる.逆に見れば,あれほど未曾有の異常な時間も,歴史のなかに呑み込まれてしまえば,一つのエピソードにすぎないのでもある.

    そしてこのことは,ある歴史的時代や事態を見るに当たって,ともすれば,それが次代に対してもつ影響力,次代を導くことになる要素にのみ光を当てがちなわれわれにとって,噛みしめるべき良き教訓である.(村上,pp. 176–77)

まとめ

  1. 歴史的大事件が言語内に及ぼす影響
  2. 英語はそれほど落ちぶれていなかった
  3. 百年戦争は英語の復権に一役買った,ただし数々の要因の1つとして
  4. 黒死病も英語の復権に一役買った,ただし数々の要因の1つとして

参考文献