英語の歴史と語源・8
「ジョン失地王とマグナカルタ」

堀田 隆一

2020年12月26日
hellog~英語史ブログ: http://user.keio.ac.jp/~rhotta

第8回 ジョン失地王とマグナカルタ

1204年,ジョン王は父祖の地ノルマンディを喪失し,さらに1215年には,貴族たちにより王権を制限するマグナカルタを呑まされました.英語史的にみれば,この事件は (1) 英語がフランス語から独立する契機を作り,(2) フランス話者である王侯貴族の権力をそぎ,英語話者である庶民の立場を持ち上げた,という点で重要でした.この後2世紀ほどをかけて英語はフランス語のくびきから脱していくことになります.

従来イングランド史としても英語史としても地味な扱いを受けてきた13世紀ですが,その後の歴史の方向性をつけた点で実は非常に重要な時代です.この時代のイングランドと英語について見ていきましょう.

* 本スライドは https://bit.ly/2KDC7j0 からもアクセスできます.

目次

  1. ジョン失地王
  2. マグナカルタ
  3. 国家と言語の方向づけの13世紀
  4. 13世紀の英語

1. ジョン失地王

  1. John the Lackland: 1167–1216 (イングランド王在位 1199–1216)
  2. プランタジネット朝父王ヘンリー2世の末子(5男),兄王リチャード1世の末弟
  3. 1204年,フランス王フィリップ2世に敗れ,フランスの領地を喪失
  4. 1209年,史上最強の教皇インノケンティウス3世により破門
  5. 1215年,貴族らに迫られマグナカルタ(大憲章)に署名
  6. 歴代イングランド王のなかで評価は最悪
    • 当時の年代記作者ロジャー・ドゥ・ウェンドーヴァー (没1236) の『史華』
    • 後継者マシュー・パリス(没1259)『大年代記』
    • シェークスピア『ジョン王』 (1596–97)
    • 『ロビンフッド』
    • サー・ウォルター・スコット『アイヴァンホー』 (1819)
    • 現代の数々の映画などで「愚王」
    • 「腰抜け王」 (Softsword) とも
    • 宗教改革の時代には,教皇の強権への反発から「教皇の受難者」として同情の対象に
    • 近年,再評価が進み多少は名誉挽回?
  7. 「失地王」か「欠地王」か
    • 父王に溺愛されたが末子として領土を与えられなかった(貪欲な兄たちの意地悪?)
    • 1204年より前の少年時代からのあだ名

関連略年表 (#3479)

1154年 ヘンリー2世即位(1152年,エレアノール・オブ・アキテーヌと結婚);プランタジネット朝始まる
1170年 カンタベリー大司教ベケット暗殺
1189年 リチャード獅子心王即位
1191年 リチャード獅子心王,ベランガリア・オブ・ナヴァールと結婚;リチャード獅子心王十字軍遠征,アッカーを占領.帰途にオーストリア公の捕虜となる
12–13世紀 英語の文学作品などが現れ始める(Layamon’s Brut, The Owl and the Nightingale, Ancrene Wisse, etc.)
1199年 ジョン王即位(1189年,イザベラ・オブ・グロスターと結婚)
1200年 ジョン,イザベラ・オブ・アングレームと再婚
1204年 ジョン,フランス国内の英領喪失
1209年 ジョン,史上最強の教皇インノケンティウス3世により破門
1215年 ジョン,マグナカルタに署名
1216年 ヘンリー3世即位
1258年 シモン・ド・モンフォールの反乱(政府機関へのフランス人の登用に対する抗議.英語の回復も強く要求される.その結果,ヘンリー3世は布行政改革の宣言書をラテン語,フランス語だけでなく英語でも出すこととなった.)
1265年 シモン・ド・モンフォール,議会設立(下院の起源)
1272年 エドワード1世即位(1254年,エレアノール・オブ・カスティーリャと結婚);イングランド王として初めて英語を使用する.

2. マグナカルタ (#772)

  1. ジョン,対仏戦費の確保のために激しい徴税を繰り返す
  2. 貴族らが「ヘンリー1世が認めた貴族への特権」の復活を要求
  3. 1215年,ジョン,ラニミードにて「マグナカルタ」を承認させられる
  4. ラテン語で書かれた文書,4部が現存(cf. 全体画像
  5. その第39条は現在のイギリスの法律に残る
    • No free man shall be seized or imprisoned, or stripped of his rights or possessions, or outlawed or exiled, or deprived of his standing in any other way, nor will we proceed with force against him, or send others to do so, except by the lawful judgment of his equals or by the law of the land.
  6. 後に「権利請願」(1628年,The Petition of Right),「権利章典」(1689年,The Bill of Rights)と並んでイギリス国制(不成典憲法)の基本文書とされる

マグナカルタの当時および後世の評価

  1. 実際には国王,貴族,教会,人民の4者による勝手な要求が羅列された不統一な文書
  2. 立憲政治の礎という意図はなかった
  3. ジョンが「承認させられた」といわれるが,貴族たちにとっても不十分で不満の内容
  4. 2ヶ月後にジョンにより破棄
  5. Cf. 同時代のヨーロッパの憲章
    • 1205年,カタルーニャのペドロ1世
    • 1220年,神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世
    • 1222年,ハンガリーのアンドラーシュ2世
  6. ヘンリー3世治世下,1217年,1225年に修正版が再発行され,以降,1225年版がたびたび確認されてゆくことになる
  7. 1297年,エドワード1世による確認では,制定法記録簿に収められることになった
  8. しかし,16世紀までは現実政治の場で大きな役割は果たしていない
  9. 17世紀に忘却の淵から呼び覚まされ,新たな意義を付された
  10. アメリカ植民地のマサチューセッツ (1629) からジョージア (1732) に至る各地で憲章として採用
  11. 特に19世紀に神話化され,現代に至る
  12. アメリカ合衆国の最高裁判決でマグナカルタは「個々人の財産の保護と共同体の権利を守る法」としてたびたび引用
  13. ジョンとマグナカルタの評価は反比例

Carta or Charter

  1. ギリシア語 khártēs → ラテン語 charta (パピルスの一葉)→ イタリア語 carta → フランス語 carte → 中英語 carde → 現代英語 card (カード)
  2. ラテン語 c(h)artam (紙,カード) → フランス語 charte → 近代英語 chart (海図)
  3. ラテン語 chartulam (小紙) → フランス語 c(h)artre → 後期古英語 chartre → 現代英語 charter (勅許状)
  4. 日本語の「カード」(英語),「かるた」(ポルトガル語),「カルテ」(ドイツ語),「シャルトル」(フランス語),「チャーター」(英語),「チャート」(英語)
  5. 2重語や多重語の例 (#1027, #569, #1724)

Magna or Great

  1. 日本語訳でも「大」憲章というけれど
  2. 「偉大な」ではなく「物理的に大きい」 (cf. 1217年版で「御料林憲章」 “The Charter of the Forest” が切り離されて独立したため,元の憲章が「大」憲章と呼ばれるようになった
  3. Cf. Great Britain, giant panda (#734)
  4. レトロニム (retronym) (#3639)

ヘンリー3世

  1. ジョンの長男 Henry III: 1207–1272 (イングランド王在位 1216–1272)
  2. 1225年,諸侯大会議にてイギリス議会政治の基礎が築かれる
  3. 以後,ウェストミンスターで議会が開催される慣行
  4. 失地回復の野心と(フランス人の重用による)諸侯との対立
  5. 1258年,シモン・ド・モンフォールが国王に覚書を提出(オックスフォード条款)
  6. それを確認したヘンリー3世の宣言書は,ノルマン征服後初めて英語で発行された王による宣言書(後述)
  7. シモン・ド・モンフォールの反乱と議会

3. 国家と言語の方向づけの13世紀

  1. ジョンとヘンリー3世の治めた13世紀はイングランド史でも英語史でも地味な時代
  2. しかし,1204年のジョン敗北の歴史的意義は大きい
    • 英仏両側に領地をもっていた諸侯が,いずれかを選ばなければならなくなった
    • いずれかの王に臣従しなければならなくなった
    • 片方に決定したら,他方については無関心
    • 「いずれの領土か」=「いずれの言語か」
    • 12世紀末までにイングランドでは貴族も英語を話すようになっており,その流れが加速化
    • Cf. 12世紀のイングランド王たちの「英語力」 (#1204)
  3. さらに失地回復の戦費徴収のために貴族の協力が必要となった
    • 貴族以下から構成される議会の意義が高まった
    • 貴族以下の母語は英語であり,英語復権の道筋がつけられた
  4. また,ジョンとヘンリーはフランス人を重用しすぎ,人々に反フランス(語)の意識が芽生えた(cf. イングランド王の配偶者の出身地 (#3394))
  5. 英語文学も再び現われてきた

4. 13世紀の英語

  1. 中英語 (1100–1500) の前半に当たる初期中英語 (1100–1300)
  2. ノルマン征服後,しばらく本格的な英語文学は書かれなかったが,1200年前後から現われ出す
  3. 標準語はなく,すべての英語文書は方言で書かれた
  4. 古英語由来の文字が多少残存 (ex. <þ> = <th>, <ȝ> = <gh>/<y>, <æ> = <ae>)
  5. 基本的には綴字はローマ字読み
  6. 語彙や文法はぐんと近現代に近づく
  7. 2つのサンプルテキスト
    • The Owl and the Nightingale 『梟とナイチンゲール』
    • “The Proclamation of Henry III” 「ヘンリー3世の宣言書」

The Owl and the Nightingale 『梟とナイチンゲール』の冒頭12行 (#4261)

梟とナイチンゲールが討論を繰り広げる The Owl and the Nightingale は,初期中英語期を代表する英語文学作品の1つとして受容されている.文学のみならず英語史・文献学の観点からも重要なテキストである.1200年前後(1189~1216年辺りとされる)に南部系の方言で書かれた脚韻詩で,London, British Library, Cotton Caligula A ix と Oxford, Jesus College 29 という2つの写本により現代に伝わっている.ここではこの作品の雰囲気を示すために冒頭の12行について,Cotton 写本をベースとした Cartlidge 版の校訂本からテキストとおよび現代英語訳を掲げる.

Ich was in one sumere dale, I was in a summer-valley, in a
In one suþe diȝele hale: really out-of-the-way retreat, when I
Iherde ich holde grete tale heard an owl and a nightingale having
An hule and one niȝtingale. a huge dispute. This controversy was
5 Þat plait was stif & starc & strong, fierce and ferocious and furious, some-
Sumwile softe & lud among; times calm and sometimes noisy; and
An aiþer aȝen oþer sval, each of them swelled up against the
& let þat vole mod ut al; other and vented all her malicious feel-
& eiþer seide of oþeres custe ings, saying the very worst thing they
10 Þat alre worste þat hi wuste; could think of about their antagonist’s
& hure & hure of oþeres songe character; and about their songs, espec-
Hi holde plaiding suþe stronge. ially, they had a vehement debate.

“The Proclamation of Henry III” 「ヘンリー3世の宣言書」 (#2561)

この宣言書はイングランドとアイルランドのすべての州に配布されたようで,そのうち英語版としては2つのみ現存している.1つは Oxfordshire に送られたもので,もう1つは Huntingdon 宛てのものである.後者は,これが原本となってさらなる写しが作られたもののようだ.Huntingdon 宛てのこの写しは,13世紀という早い時期(現存する最古)のロンドン方言を表わしていると考えられ,英語史的にも価値が高い.本来ロンドン方言は南部的な要素が強かったが,14世紀までにはむしろ東中部的な特徴を主として示すようになっていた.この写しのテキストは,したがって,13世紀後半の両方言の混交の過程をまさに示しているという点で重要である.以下は Dickins and Wilson (8–9) より.

A Proclamation

   Henri, þurȝ Godes fultume King on Engleneloande, Lhoauerd on Yrloande, Duk on Normandi, on Aquitaine, and Eorl on Aniow, send igretinge to alle hise holde, ilærde and ileawede, on Huntendoneschire. Þæt witen ȝe wel alle þæt we willen and vnnen þæt, þæt vre rædesmen alle, oþer þe moare dæl of heom, þæt beoþ ichosen þurȝ us and þurȝ þæt loandes folk on vre kuneriche, habbeþ idon and shullen don in þe worþnesse of Gode and on vre treowþe, for þe freme of þe loande þurȝ þe besiȝte of þan toforeniseide redesmen, beo stedefæst and ilestinde in alle þinge a buten ænde. And we hoaten alle vre treowe in þe treowþe þæt heo vs oȝen, þæt heo stedefæstliche healden and swerien to healden and to werien þo isetnesses þæt beon imakede and beon to makien, þurȝ þan toforeniseide rædesmen, oþer þurȝ þe moare dæl of heom, alswo alse hit is biforen iseid; and þæt æhc oþer helpe þæt for to done bi þan ilche oþe aȝenes alle men riȝt for to done and to foangen. And noan ne nime of loande ne of eȝte wherþurȝ þis besiȝte muȝe beon ilet oþer iwersed on onie wise. And ȝif oni oþer onie cumen her onȝenes, we willen and hoaten þæt alle vre treowe heom healden deadliche ifoan. And for þæt we willen þæt þis beo stedefæst and lestinde, we senden ȝew þis writ open, iseined wiþ vre seel, to halden amanges ȝew ine hord. Witnesse vsseluen æt Lundene þane eȝtetenþe day on þe monþe of Octobre, in þe two and fowertiȝþe ȝeare of vre cruninge. And þis wes idon ætforen vre isworene redesmen, Boneface Archebischop on Kanterburi, Walter of Cantelow, Bischop on Wirechestre, Simon of Muntfort, Eorl on Leirchestre, Richard of Clare, Eorl on Glowchestre and on Hurtford, Roger Bigod, Eorl on Northfolke and Marescal on Engleneloande, Perres of Sauueye, Willelm of Fort, Eorl on Aubemarle, Iohan of Plesseiz, Eorl on Warewik, Iohan Geffrees sune, Perres of Muntfort, Richard of Grey, Roger of Mortemer, Iames of Aldithele, and ætforen oþre inoȝe.
   And al on þo ilche worden is isend into æurihce oþre shcire ouer al þære kuneriche on Engleneloande, and ek in-tel Irelonde.

まとめ

  1. ジョン失地王とマグナカルタに代表される13世紀,イングランドと英語のその後の方向性がつけられた
  2. 王権に対する貴族以下の発言力が徐々に増し,英語に復権のチャンスが
  3. 13世紀の英語は現代英語にまだまだ遠いが,見当はつく(?)距離感

参考文献