hellog〜英語史ブログ

#3065. 都市化,疫病,言語交替[language_shift][black_death][sociolinguistics][geolinguistics][geography]

2017-09-17

 マクニールは著書『疫病と世界史』のなかで,都市を中心とする文明は疫病とそれによる人口減少の脅威にさらされており,都市機能の維持のために常に周辺からの人口流入を必要とすると述べている (116) .

まず第一にこの上なく明白なことは,人的資源の再生産構造が,文明という環境を利用してはびこる病気との絶えざる接触からくる人口の恒常的な減少傾向に,対応するものとならねばならなかったということである.都市というものは,ごく最近まで,周囲の田園地帯から相当な数の流民を絶えず受け入れていなければ,その成員数を維持してゆくことができなかった.ともかく,都市生活は住民の健康にとってそれほど危険が大きかったのだ.


 周辺部から都市への人口の流入により,ときには都市において言語交替 (language_shift) が起こってきたともいう.例えば,古代メソポタミアで紀元前3000--2000年のあいだに,セム語人口が従来のシュメール語人口を置き換えたケースについて,次のように述べている.「恐らくこの種の人口移動の直接の結果である.推測するに,セム語を話す民衆が大量にシュメールの諸都市に流れ込んだので,古い言語を話す住民を圧倒してしまったのだ.〔中略〕この言語交代の要因としてまず考えられるのは,都市の急激な膨張であり,さらに可能性が強いのは病気,戦争,飢餓等による都市住民の異常な現象である.」 (マクニール,p. 118).
 マクニール (119) は,19世紀の東欧からも例を引いている.

およそ一八三〇年代以降そして特に一八五〇年以後,都市の急速な膨張と新種の疫病であるコレラの蔓延という二つの要因が相まって,ハプスブルク帝国に永年の間確立していた文化的構造が崩壊するに到った.ボヘミアとハンガリーの町々に移り住んだ農民は改めてドイツ語を習得しようとするのが長い間の習慣だった.彼らの子孫は,二,三世代後には,言語においても意識においてもドイツ人になりきってしまう.十九世紀に入るとこのプロセスが崩れ始める.帝国内の諸都市に移住したスラブ語とハンガリー語を話す住民の数がある線を越えたとき,新来者が日常用語としてドイツ語を習得する必要はなくなった.やがて,民族主義的理念が根を下ろし,ドイツ的であることは非愛国的とみなされるに到る.その結果,わずか半世紀のうちに,プラハはチェコ語,ブダペストはハンガリー語が使用される都市に変わったのである.


 異なる言語を話す人々が何らかの人口移動により共存するようになると,そこに人口統計学的,社会言語学的なダイナミズムが生まれ,言語交替が起こるということは,自然のことだろう.しかし,「何らかの人口移動」とは,征服や植民地化などに伴うものばかりではなく,疫病による人口減少の埋め合わせであるとか,技術革新にアクセスするための都市への引きつけであるとか,様々なタイプのものがありうる.マクニールは,それらのなかで疫病の流行に関わるものが歴史の普遍的なパラメータの1つであると力説している.

 ・ ウィリアム・H・マクニール(著),佐々木 昭夫(訳) 『疫病と世界史 上・下』 中央公論新社〈中公文庫〉,2007年.

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