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linguistic_imperialism - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2022-12-09 15:40

2018-04-17 Tue

#3277. 「英語問題」のキーワード [linguistic_imperialism][link][hel_education][language_equality]

 本ブログでも何度かその名前に触れているが,英語帝国主義批判の立場から現在の英語問題を斬る論客の1人に中村敬がいる.2004年に出版された『なぜ,「英語」が問題なのか? 英語の政治・社会論』の「まえがきに代えて――『英語問題』とは何か」において,中村は「英語問題」を読み解くためのキーワードとして,以下の17点を挙げている (13) .

 1. 関係の非相互性
 2. 支配と被支配
 3. 英語賛美(英語奴隷)と国粋
 4. (日本における)英語一言語主義と天皇制
 5. 一元化と多元化
 6. アングロサクソン(西洋)中心主義と(政策としての)二国間関係
 7. 植民地主義(教育)
 8. 下からの植民地主義
 9. 精神の植民地化
 10. 強迫観念
 11. 他者観
 12. ことばの身体性と身体化
 13. 英語普遍主義
 14. 再生産
 15. 言語的不平等と社会経済的不平等
 16. 英語帝国主義と英語一極集中状況
 17. 市場原理

 そして,これらを1つのキーワードで要約すれば「社会的不正義(不公正)」だという.中村の立場がよく分かるキーワードが並んでいるが,多くのキーワードが,近代における英語の世界的拡大の歴史を前提とした概念を表わしている点は重要である.もっといえば,これらは英語史上のキーワードでもあるのだ.英語史研究・教育はこれらの問題に対して何を提供できるか.真面目に向かい合うべき問題群である.
 中村の英語(史)観については,以下の記事も参照.

 ・ 「#1067. 初期近代英語と現代日本語の語彙借用」 ([2012-03-29-1])
 ・ 「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1])
 ・ 「#1073. 英語が他言語を侵略してきたパターン」 ([2012-04-04-1])
 ・ 「#1194. 中村敬の英語観と英語史」 ([2012-08-03-1])
 ・ 「#1606. 英語言語帝国主義,言語差別,英語覇権」 ([2013-09-19-1])

 ・ 中村 敬 『なぜ,「英語」が問題なのか? 英語の政治・社会論』 三元社,2004年.

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2018-01-30 Tue

#3200. 後期近代英語期の主要な出来事の年表 [timeline][history][lmode][chronology][world_englishes][linguistic_imperialism]

 Algeo and Pyles の英語史年表シリーズのシメとなる第4弾は,後期近代英語期 (201--02) .著者たちのいう Late Modern English は,1800年以降の英語を指している.これより前の時代の年表は,「#3193. 古英語期の主要な出来事の年表」 ([2018-01-23-1]),「#3196. 中英語期の主要な出来事の年表」 ([2018-01-26-1]),「#3197. 初期近代英語期の主要な出来事の年表」 ([2018-01-27-1]) を参照.

1805A victory over the French at the battle of Trafalgar established British naval supremacy.
1806The British occupied Cape Colony in South Africa, preparing the way for the arrival in 1820 of a large number of British settlers.
1828Noah Webster's American Dictionary of the English Language was published.
1840In New Zealand, by the Treaty of Waitangi, native Maori ceded sovereignty to the British crown.
1857A proposal at the Philological Society of London led to work that resulted in the New English Dictionary on Historical Principles (1928), reissued as the Oxford English Dictionary (1933).
1858The Government of India Act transferred power from the East India Company to the crown, thus creating the British Raj in India.
1861--5The American Civil War established the indissolubility of the Union and abolished slavery in America.
1898The four-month Spanish-American War resulted in the United States becoming a world power with overseas possessions and thus a major participant in international politics.
1906The first radio broadcast, leading in 1920 to the first American commercial radio station in Pittsburgh.
1914--8World War I created an alliance between the United States and the United Kingdom.
1922The British Broadcasting Company (after 1927, Corporation) was established and became a major conveyor of information in English around the world.
1927The first motion picture with spoken dialog, The Jazz Singer, was released.
1936The first high-definition television service was established by the BBC, to be followed by cable service in the early 1950s and satellite service in the early 1960s.
1939--45World War II further solidified the British-American link.
1945The charter of the United Nations was produced at San Francisco.
1947British India was divided into India and Pakistan, and both became independent.
1952The Secretariat building of the United Nations was constructed in Manhattan.
1961The Merriam Webster's Third New International Dictionary was published.
1983The Internet was created.
1991The Union of Soviet Socialist Republics was dissolved, leaving the United States as the world's only superpower.
1992The first Web browser for the World Wide Web was released.


 年表をざっと眺めるだけでも,この時期に英語が世界へ拡大していく様子がわかる.拡大といっても地理的な側面に限らない.話者人口という側面においても拡大したし,使用される状況や場面の範囲,すなわち機能的にも拡大した.Algeo and Pyles (201) の記述が的を射ている.

The history of English since 1800 has been a story of expansion---in geography, in speakers, and in the purposes for which English is used. Geographically, English has been spread around the world, first by British colonization and empire-building, and more recently by the prominence of America in world affairs. The number of its speakers has undergone a population explosion, not alone of native speakers but also of nonnative speakers of English as an additional language. And the uses to which English is put have ramified with the growth of science, technology, and commerce.


 要するに,後期近代英語期は,地理,人口,機能という3面における同時的拡大の時代である.見方によれば,言語帝国主義への道をひた走っていたともいえる.

 ・ Algeo, John, and Thomas Pyles. The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Thomson Wadsworth, 2005.

Referrer (Inside): [2018-02-04-1]

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2017-10-22 Sun

#3100. イングランド宗教改革による英語の地位の向上の負の側面 [reformation][book_of_common_prayer][bible][celtic][linguistic_imperialism][emode]

 「#2927. 宗教改革,印刷術,英語の地位の向上」 ([2017-05-02-1]),「#2937. 宗教改革,印刷術,英語の地位の向上 (2)」 ([2017-05-12-1]),「#3066. 宗教改革と識字率」 ([2017-09-18-1]) を始めとする reformation のいくつかの記事で,16世紀のイングランド宗教改革が英語の地位を向上させた件について考えてきた.要するに,宗教改革を進める人々にとって,伝統的な権威を背負ったラテン語は敵性言語であり,むしろ英語やドイツ語など各々の土着語 (vernaculars) こそが重視されるべきだという雰囲気が醸成された.16世紀中にいくつも出版された聖書の英訳しかり,1549年の Thomas Crammer による The Book of Common Prayer (英語祈祷書)の編纂しかり,宗教改革は土着語たる英語の地位を高めるのに貢献した(「#1427. 主要な英訳聖書に関する年表」 ([2013-03-24-1]),「#1472. ルネサンス期の聖書翻訳の言語的争点」 ([2013-05-08-1]),「#2597. Book of Common Prayer (1549)」 ([2016-06-06-1]) を参照).
 しかし,このような英語の地位の向上は,英語を母語とするイングランドの多くの人々にとってこそ朗報だったろうが,イングランドの周縁部でケルトの言語・文化を保っていた少数派にとっては必ずしも朗報ではなかっただろう.水井 (70) は,この辺りの事情に触れながら宗教改革と英語の地位の向上について説明している.

 言語の問題はイングランドの辺境地域にどのようにして宗教改革を根付かせるかという大きな問題とかかわっていた.エドワード治世の宗教改革は,英語聖書だけでなく英語祈禱書の導入をともなっていたため,アイルランド,ウェールズ,イングランド内でもコーンウォルなどの英語と異なる言語が使用されている地域ほどこれらの導入には困難があったと考えられる.
 しかし,イングランド全国の教区教会ではグレート・バイブルに対する教区民の関心は大変高く,大きな書物の周囲に人だかりができるほどであったという.カトリック教会の信仰にとって最も重要なラテン語は,聖職者や高度な教育を受けた人々に独占された言語であって民衆の信仰の内面化の妨げともみなされたが,プロテスタントの聖書主義はヨーロッパ各地に現地語での信仰生活を根付かせることに成功した.


 ここで注意したいのは,アイルランド,ウェールズ,コーンウォルなどの英語を母語としない地域においても,英語の聖書や祈祷書が導入されたことである.つまり,これらの地域の人々にとってみれば,宗教改革は必ずしも「現地語での信仰生活を根付かせることに成功し」なかったのである.彼らにとっては,宗教の言語がラテン語から英語へシフトしたにすぎず,非母語であるという点では何も変化しなかった.イングランドの宗教改革は,周縁のケルト系の人々にとって,ローマによるラテン語の押しつけから解き放ってくれた解放者かもしれないが,イングランドによる英語の押しつけをもたらした圧制者でもあった.
 水井 (85) 曰く,「ブリテン諸島における宗教改革は,英語という言語の使用を信仰の場で義務づけることにもつながったため,その後のケルト系諸言語の使用状況にも大きな影響を与えたのだといえる」.英語の帝国主義的な性格は,英語が世界語となった20--21世紀に特有のものではなく,早くも近代初期の16世紀からその萌芽が見られたといえるだろう.

 ・ 水井 万里子 『図説 テューダー朝の歴史』 河出書房,2011年.

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2017-08-07 Mon

#3024. 「帝国のサイクル」と英語の未来 [future_of_english][linguistic_imperialism][historiography]

 Harari は Sapiens (邦題『サピエンス全史』)のなかで「帝国のサイクル」 ("The Imperial Cycle") を提案している (226--27) .それは以下の6段階からなる.

 1. A small group establishes a big empire.
 2. An imperial culture is forged.
 3. The imperial culture is adopted by the subject peoples
 4. The subject peoples demand equal status in the name of common imperial values
 5. The empire's founders lose their dominance
 6. The imperial culture continues to flourish and develop

 このサイクルが,ローマ,イスラム世界,ヨーロッパの帝国主義において繰り返し現われたという.また,ヨーロッパの帝国主義にみられる同サイクルは,現在,第4段階辺りにたどり着いているらしい.Harari (225) 曰く,

During the twentieth century, local groups that had adopted Western values claimed equality with their European conquerors in the name of these very values. Many anti-colonial struggles were waged under the banners of self-determination, socialism and human rights, all of which are Western legacies. Just as Egyptians, Iranians and Turks adopted and adapted the imperial culture that they inherited from the original Arab conquerors, so today's Indians, Africans and Chinese have accepted much of the imperial culture of their former Western overlords, while seeking to mould it in accordance with their needs and traditions.


 言語帝国主義 (linguistic_imperialism) の英語批評によれば,英語も帝国(主義的な存在)であるということなので,その展開には「帝国のサイクル」が観察されて然るべきだろう.
 英語はアングロサクソン人の小さな集団から始まり,1500年ほどかけて帝国主義的な言語へと発展してきた(第1段階).その過程で英語文化が育まれ(第2段階),英米の(旧)植民地の人々に受け入れられてきた(第3段階).現在,それら(旧)植民地の人々は,自分たちの使う英語変種を宗主国の英語変種と同等に扱うように求め始めている(第4段階).これにより,将来,宗主国は歴史的に保持してきた自らの英語変種の優位性を手放さざるを得なくなるだろう(第5段階).そして,英語文化そのものは繁栄と発展を続けていくことになる(第6段階).
 「帝国のサイクル」というモデルを,このように単純に英語史に当てはめることが妥当かはわからない.しかし,英語の過去,現在,未来を考えるうえで非常に示唆に富むモデルである.

 ・ Harari, Yuval Noah. Sapiens: A Brief History of Humankind. 2011. London: Harvill Secker, 2014.

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2017-07-26 Wed

#3012. 英語はリンガ・フランカではなくスクリーニング言語? [lingua_franca][linguistic_imperialism][elf][native_speaker_problem]

 連日取り上げているが,『中央公論』8月号の特集「英語1強時代,日本語は生き残るか」より話題を追加.三上喜尊による「日本語は普遍語になりうるか データが示す世界の中の日本語」という記事で,世界における日本(語)のプレゼンスを高めるために,多言語による情報受発信を推進すべきだという提案がなされている.

「英語の世紀」に危機感を覚える者は,英語以外の言語による情報発信にもっと真剣に取り組まなければならないし,英語以外の言語によって発信される情報に対してもっと敏感にならなければならない.世界中の多くの言語の話者に対して,彼らの言葉で語りかけることは,日本に対する共感を呼び覚ます効果が大きい.また,彼らの言語で発せられる情報には,英語あるいは英語話者によるスクリーニングを経ていない重みがある.(57)


 最後にある「英語あるいは英語話者によるスクリーニング」という見方が非常に意味深長である.リンガ・フランカ (lingua_franca) としての英語 (elf) を論じる場合には,当然ながら英語が諸言語(話者)の「橋渡し」の役を果たしているということが前提とされている.ポジティヴな英語観だ.
 しかし,「スクリーニング」という見方は,ネガティヴな英語観を表わす.英語という第三者を経由することで,本来の意図や意味が遮られたり歪められてしまうという含意がある.さらに,権力による検閲という言語帝国主義な含みすら感じられる (cf. native_speaker_problem) .このように英語を見る視点からは,"English as a Language of Censorship" (= ELC) などの呼称が提案されるようになるかもしれない.これは英語を意地悪くとらえているというわけではなく,英語に限らず普遍語の地位にある言語であれば,必ずリンガ・フランカとしての側面と ELC 的な側面を合わせもつものだろうと指摘しているにすぎない.

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2017-07-25 Tue

#3011. 自国語ですべてを賄える国は稀である [japanese][linguistic_imperialism]

 昨日の記事「#3010. 「言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない」」 ([2017-07-24-1]) で,『中央公論』8月号の「英語1強時代,日本語は生き残るか」と題する特集について触れた.その特集で,宇野重規と会田弘継による対談「“ポスト真実”時代の言語と政治」が掲載されている.ここでも,昨日引用した水村美苗と同じように,日本語が言語の植民地化を免れたのがいかに稀なことであるかが論じられている (37) .

会田 日本は英語国の植民地になったわけではありませんから,英語を使わなければできない何かがあるわけではない.近代に統一された国民国家の言語によって,ほとんどすべてのことを賄える国民というのは,世界でも稀なのですから,これほど幸福な国民はいないとも言えます.一億を超える人たちがすべてのことを自分の国語で,そして高等教育まで賄える.これができる国家は,英米を除けば,フランス,ドイツ,イタリア,スペインぐらいではないでしょうか.ヨーロッパでも小国は,高等教育は英語で行っているところが多い.スウェーデンの友人に,「君たちは英語ができていいねとあんたは言うかもしれないけれど,悲しいよ.大学の教科書は採算が合わないからスウェーデン語では作れない.英語の教科書を使うから,結局授業は英語になっちまう」ってぼやかれた.みんな,自ら求めて英語化しているわけではないのです.


 ここで例として出されているスウェーデンはまだ状況がよいほうで,アフリカやアジアの旧植民地の国々では,自国語で高等教育の教科書が書かれているところなど,ほとんどあり得ないのである.
 宇野 (40) も同じ趣旨で次のように述べている.

近代語は,先祖からの伝承や物語を語れるだけでは不十分で,政治も経済も哲学も技術も,すべて語れなければならない.こうした言語は,実は世界にそれほどありません.僕たちは教科書が,高校でも大学でも日本語で書かれていることを当たり前だと思っているけれど,こんなに恵まれていることは珍しいのです.英語以外ではフランス語だって微妙なところです.


 日本語の未来や,それと関連して英語帝国主義を論じ始める前に,まずはこのような事実を確認しておきたい.

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2017-07-24 Mon

#3010. 「言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない」 [linguistic_imperialism][japanese][hel_education][language_myth]

 『中央公論』8月号で「英語1強時代,日本語は生き残るか」と題する特集が組まれている.特集のなかで,問題作『日本語が亡びるとき』の著者である水村美苗が,著書よりもさらに強い警戒心をもって,日本語の行く先を憂えている.その見出しに「言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない」とあるが,これは私もその通りだと思っている.別の角度から見れば,日本がこれまで言語の植民地化を免れてきた歴史が十分に評価されていない,ともいえる.だからこそ,日本人は,世界的な言語である英語にいともたやすく無防備になびくことができるのだろう.まずは,この歴史の理解を促さなければならない.
 水村 (28--29) は,次のように述べている.

世界を見回せば,インテリが読む言語は英語で,それ以外の人が読むのが現地語だという国がいかに多いことでしょう.この一〇年のあいだにいろいろな国をまわりましたが,自国語が植民地化を免れたことに日本ほど自覚を持たない国も,自国語が亡びることに危機感を持たない国も珍しいと感じます.
 私は最近いよいよ,ごく少数を除けば,日本人は日本語が堪能であればよいのではと考えるようになっています.非西洋圏でここまで機能している言語を国語として持っている国は本当に珍しいのです.エリートも庶民も,全員当然のように日本語で読み書きしているという,この状況を守ること自体が,日本という国の使命なのではないかとすら思います.


 水村は,このように日本語の価値が軽視されている傾向を批判的に指摘する一方で,世界語となった英語に関して抱かれやすい誤ったイメージについても論難している (32) .

いくら強調してもし足りないのは,英語そのものに普遍語となった要素があるわけではないことです.英語は,さまざまな歴史的偶然が重なって普遍語として流通するようになった言葉でしかない.でもいったん普遍語として流通し始めると,普遍語で世界を見る人間の尊大さが,英語圏の人にはしばしばつきまとうようになります.それでいて,英語を普遍語たらしめた条件そのものは過去のものとなってしまっている.


 この憂いを吹き飛ばすために存在するのが,英語史という分野である.英語が世界でもっとも影響力のある言語になったのは,英語に内在するいかなる特質ゆえでもなく,単純に歴史の偶然である.このことは,確かに何度強調してもし足りない.私も以下の記事で繰り返してきたので,ご参照ください.

 ・ 「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1])
 ・ 「#1082. なぜ英語は世界語となったか (1)」 ([2012-04-13-1])
 ・ 「#1083. なぜ英語は世界語となったか (2)」 ([2012-04-14-1])
 ・ 「#1607. 英語教育の政治的側面」 ([2013-09-20-1])
 ・ 「#1788. 超民族語の出現と拡大に関与する状況と要因」 ([2014-03-20-1])
 ・ 「#2487. ある言語の重要性とは,その社会的な力のことである」 ([2016-02-17-1])
 ・ 「#2673. 「現代世界における英語の重要性は世界中の人々にとっての有用性にこそある」」 ([2016-08-21-1])
 ・ 「#2935. 「軍事・経済・宗教―――言語が普及する三つの要素」」 ([2017-05-10-1])

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2017-07-18 Tue

#3004. 英語史は英語の成功物語か? [historiography][language_myth][linguistic_imperialism][official_language][complaint_tradition]

 英語史を,1民族言語だった英語が偉大な世界語へと成長していく成功物語であると見る向きは少なくない.中世にはイングランドという一国のなかですらフランス語のもとで卑しい身分の言語にすぎなかったものが,近代以降に一気に世界に躍り出ていったという経緯を知れば,まさにシンデレラ・ストーリーに思えてくるかもしれない.
 しかし,Romaine (54--55) によれば,この物語には3つの大きな皮肉と逆説がある.第1に,英語の母国であるイングランドは,大英帝国を築きあげ,世界中に英語を拡散させたものの,足下にあるともいえるアイルランド,スコットランド,ウェールズで今なお100%の英語化を果たしていないという現実がある.話者人口は少ないとはいえ,そこではケルト系諸語が話されているのだ.灯台下暗し,というべき皮肉だ.
 第2に,英語が公用語として制定されているのは,Outer Circle の地域ばかりであり,Inner Circle の地域ではない(「#217. 英語話者の同心円モデル」 ([2009-11-30-1]),「#427. 英語話者の泡ぶくモデル」 ([2010-06-28-1])).このことは,英語を母語とする Inner Circle の地域(典型的には英米)において英語は事実上の公用語であり,ことさらに公言する必要もないからと説明されるが,アメリカでは,「#1657. アメリカの英語公用語化運動」 ([2013-11-09-1]) や「#256. 米国の Hispanification」 ([2010-01-08-1]) の記事で見た通り,現実的に英語公用語化という社会問題が持ち上がっている.英語を話す筆頭国において,これまで自明だった言語状況が変化してきているというのは,逆説的である.
 第3に,英米をはじめとする主要な英語母語国において,標準英語を巡る "insecurity" が絶えないことが挙げられる.要するに,正用と誤用を巡る "complaint tradition" や "linguistic complaint literature" が今なお産出され続けていることだ.英語が世界的に「成功」したというのであれば,お膝元の英米などにおいて,言語としての基盤が揺らいでいるというのは,皮肉であり逆説でもある.
 一見するところ華やかな「成功物語」の裏には,大いなる陰がある.

 ・ Romaine, Suzanne. "Introduction." The Cambridge History of the English Language. Vol. 4. Cambridge: CUP, 1998. 1--56.

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2017-06-30 Fri

#2986. 世界における英語使用のジレンマ [world_englishes][lingua_franca][linguistic_imperialism][elf][new_englishes][variety]

 日本の文化や歴史などを世界に伝えたりアピールしたりする際に,媒介として英語を用いるべきだという発想は,今や特別ではない.国家や民族のアイデンティティに関する事柄を,英語のような lingua_franca を用いて世界に発信することは,日本では当然のこと,推奨すべきことと考えられている.
 しかし,世界の他の地域ではどうだろうか.特に,アフリカやアジアに多く位置している旧英米植民地の人々が,自らの国家や民族のアイデンティティを世界に向けて切実に表現したいと思うとき,その媒介として旧宗主国の国語たる英語を用いるということは,ある種の矛盾を含んではいないだろうか.同じことは,旧英米植民地ならずとも,独特の英語変種を母語として用いているカリブ海諸地域などにも当てはまる.実際,このジレンマは,日本(人)にとっては無縁の悩みだろうが,世界の少なからぬ地域で激しい論争の的となってきた.最たる文化の表現者である文壇において,論争はことさら熱い.
 Crystal (279--80) より,このジレンマとその克服法を巡る論争の本質について述べられている箇所を引こう.

The problem is greatest for poets, novelists, and dramatists in the newly independent nations, where there is often considerable antagonism towards English, seen as a symbol of colonial oppression. The dilemma is acute. Should they use the 'enemy's' language, with all the alien awkwardness that comes with the use of a second language for literary expression, in order to achieve an international audience? Or should they use their mother tongue, for which they have an immediate sensitivity, but which will place severe constraints on their potential readership? The solution, many writers maintain, is to concentrate on developing the English of their own region, making it into a language which belongs to them, and with which they can identify. 'Our method of expression', wrote the Indian author Raja Rao, 'has to be a dialect which will some day prove to be as distinctive and colorful as the Irish or the American . . . The tempo of Indian life must be infused into our English expression.' And the call for new Englishes, personal, evocative, and dynamic, has been echoed by second-language writers around the world, in South-east Asia, East and West Africa, and by first-language writers in Jamaica, South Africa, and New Zealand.


 議論のきっかけとして,インド人の詩人 Kamala Das の実用主義的な英語観を覗いてみよう (Crystal 280) .

. . . I am Indian, very brown, born in
Malabar, I speak three languages, write in
Two, dream in one. Don't write in English, they said,
English is not your mother-tongue. Why not leave
Me alone, critics, friends, visiting cousins,
Every one of you? Why not let me speak in
Any language I like? The language I speak
Becomes mine, its distortions, its queernesses
All mine, mine alone. It is half English, half
Indian, funny perhaps, but it is honest.
It is as human as I am human, don't
You see? It voices my joys, my longings, my
Hopes, and it is useful to me as cawing
Is to crows or roaring to the lions . . .
                    The Old Playhouse and Other Poems (1973)


 この問題は,世界標準英語を目指す求心力と多様化する英語変種の遠心力が交錯する現代世界において,繊細な感受性を要するディスカッションの格好の題材となろう.

 ・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.

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2017-05-10 Wed

#2935. 「軍事・経済・宗教―――言語が普及する三つの要素」 [elf][sociolinguistics][lingua_franca][linguistic_imperialism][language_myth]

 「English ではなく Englic を話せ」と提唱する鈴木は,ある言語がリンガ・フランカとして普及してゆく背景には大きく分けて標題の3つの要素がある,と論じている.たいへん明解な議論なので,そのまま引用して紹介しよう(鈴木,pp. 35--37).

 英語が広まったのは英語が言語としてよくできていて習いやすいからだと言う人がいますが,それは大嘘です.習いにくい言語だろうと,支配者がこの言語を勉強しろ,しないなら死ねという,そういう強制的な情況があれば,どの言語でも同じく広まります.
 実は人間の言語はどれが決定的に難しいとか易しいとかはないのです.ある言語は他の人間にとってみんな学べる.ただ,小さいときに学ばないと苦労が多いというのは事実ですが.それと,重要なことは背後の文化や宗教の違う言語は学習するのに苦労するということです.しかし言語だけをとってみれば,自分の言語とタイプが違う言語は学ぶのに時間がかかるというだけの話で,本質的な難易度というのは差がありません.
 要するに,英語が本質的に易しい言語だったから拡まったのではありません.イギリスという国が世界を征服し,大英帝国の艦隊が七つの海を支配し,地球を覆うユニオンジャックの旗の下では太陽は沈まないという,人類始まって以来の大帝国になったこと,これがまず英語を世界に拡める素地を作ったのです.
 そして次に,第二次大戦後アメリカが唯一無傷の資本主義国家として,当時の世界経済の五〇パーセント近くを占めていたわけですが,そのアメリカがその後も全世界に強力な影響を及ぼし続けたがゆえに,さらに英語が今のように広まったのです.経済支配と軍事支配とはほとんどの場合表裏一体の関係にあります.
 それからもう一つの原因は宗教です.非常に魅力のある強力な宗教が興ると,その宗教と結びついている言語,たとえばイスラム教はアラビア語,初期のキリスト教はラテン語やギリシア語というふうに,言語が宗教の担い手として広まっていくわけです.けれども,宗教だけというのは人間の世界ではあり得ないので,宗教は必ずその人々の文化を伴い,経済体制をもってきます.
 このように言語が世界に広まる原因は,ある面は軍事,ある面は宗教,ある面は経済,この三つといえます.


 軍事・経済・宗教のほかにも,言語が普及する(あるいは人々がある言語を学ぼうと努める)要素がもう1つあるように思われる.それは「惰性」である.これらの要素によって言語が国際的に一定程度まで普及すると,その言語の有用性はすでに高まっており,人々がそれを習得することによる利益は多方面に及ぶ.軍事・経済・宗教といった限定された領域にとどまらず,政治,学術,技術,交通,文化など,考えられる多くの分野で,その言語を学ぶことの価値が感じられるようになる.この力学を惰性と呼ぶのがネガティブと感じるならば,積極的に正のスパイラルと呼び替えてもよい.
 皮肉をこめていうが,日本における英語教育・学習熱――猫も杓子も英語を学ばなければならないという強迫観念――は,具体的な動機づけに支えられているというよりは,この「惰性」によるところが大きいのではないか.惰性が歴史の成り行きで作り出されてきたことはその通りだが,その大本に標題の3要素があるという事実は銘記しておくべきだろう.
 引用の最初にある通り,「英語は簡単だから世界語となった」という俗説は,非常に根強く残っている.この問題については,「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1]),「#1082. なぜ英語は世界語となったか (1)」 ([2012-04-13-1]),「#1083. なぜ英語は世界語となったか (2)」 ([2012-04-14-1]),「#1607. 英語教育の政治的側面」 ([2013-09-20-1]),「#1788. 超民族語の出現と拡大に関与する状況と要因」 ([2014-03-20-1]),「#2487. ある言語の重要性とは,その社会的な力のことである」 ([2016-02-17-1]),「#2673. 「現代世界における英語の重要性は世界中の人々にとっての有用性にこそある」」 ([2016-08-21-1]) 等の記事を参照されたい.

 ・ 鈴木 孝夫 『あなたは英語で戦えますか』 冨山房インターナショナル,2011年.

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2016-05-21 Sat

#2581. 社会言語学者による言語的介入について [sociolinguistics][language_planning][language_death][language_myth][linguistic_imperialism]

 「#1381. "interventionist" sociolinguistics」 ([2013-02-06-1]),「#1518. 言語政策」 ([2013-06-23-1]),「#2039. 言葉に関する俗説・神話と言語学的介入主義」 ([2014-11-26-1]) の記事で見たように,言語政策 (language_planning) を始めとする言語的介入の是非をめぐっては,社会言語学者の間にも大きな意見の隔たりがある.世界語としての英語を推進するような介入,刻一刻と失われてゆく世界の諸言語を何とか延命し保護しようとする介入,標準語を策定しようという介入,方言使用を奨励する介入,等々.社会言語学者 Wardhaugh は,言語政策と言語学者の介入について論じた章の最後に,次のような慎重な立場を表明している.

There is a paradox here: linguists are sometimes told that they save languages best by not acting at all; certainly they should do nothing to promote English in the world, or to standardize a language, or possibly to help in any kind of language planning anywhere. Yet, there is no assurance that they will save a single language by not acting. An alternative possibility is that intervention actually slows down decline and loss. However, there is really no hard evidence for either position. Each is essentially ideologically driven: if you believe this you do one thing and if you believe that you do another. We do well to remember that because we are involved in socio-linguistic matters, ideology is likely to be at least as potent a factor as scientific findings in determining any approach we may adopt. We will also have to confront issues of identity and power. We might be well advised to tread cautiously.


 人為的な言語的介入の是非を巡る議論や,それに関する態度表明は,それ自体が社会言語学のメタ的な問題であり,研究対象となるのである.社会言語学者は,職業柄,常に自己省察を行なわなければならない立場にいるということになろう.

 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.

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2016-04-19 Tue

#2549. 世界語としての英語の成功の負の側面 [native_speaker_problem][language_death][sociolinguistics][elf][lingua_franca][model_of_englishes][linguistic_imperialism][ecolinguistics]

 英語が世界的な lingua_franca として成功していることは,英語という言語に好意的な態度を示す者にとって喜ばしい出来事だったにちがいないが,世界にはそのように考えない者も多くいる.歴史的,政治的,文化的,宗教的,その他の理由で,英語への反感を抱く人々は間違いなく存在するし,少なくとも積極的には好意を示さない人も多い.英語の成功には正負の両側面がある.広域コミュニケーションの道具としての英語使用など,正の側面は広く認識されているので,今回は負の側面に注目したい.
 英語の負の側面は,英語帝国主義批判の議論で諸々に指摘されている.端的にいえば,英語帝国主義批判とは,世界が英語によって支配されることで人類の知的可能性が狭められるとする意見である(「#1606. 英語言語帝国主義,言語差別,英語覇権」 ([2013-09-19-1]) や linguistic_imperialism の各記事を参照されたい).また,英語の成功は,マイノリティ言語の死滅 (language_death) を助長しているという側面も指摘される.さらに,興味深いことに,英語が伸張する一方で世界が多言語化しているという事実もあり,英語のみを話す英語母語話者は,現代世界においてむしろ不利な立場に置かれているのではないかという指摘がある.いわゆる native_speaker_problem という問題だ.この辺りの事情は,Baugh and Cable (7) が,英語の成功の "mixed blessing" (= something that has advantages and disadvantages) として言及している.

Recent awareness of "engendered languages" and a new sensitivity to ecolinguistics have made clear that the success of English brings problems in its wake. The world is poorer when a language dies on average every two weeks. For native speakers of English as well, the status of the English language can be a mixed blessing, especially if the great majority of English speakers remain monolingual. Despite the dominance of English in the European Union, a British candidate for an international position may be at a disadvantage compared with a young EU citizen from Bonn or Milan or Lyon who is nearly fluent in English.


 英語の世界的拡大の正と負の側面のいずれをも過大評価することなく,それぞれを正当に査定することが肝心だろう.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

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2016-01-19 Tue

#2458. 施光恒(著)『英語化は愚民化』と土着語化のすゝめ [review][linguistic_imperialism][hel][japanese][language_planning][language_myth][hel_education][elt][bible]

 「#2306. 永井忠孝(著)『英語の害毒』と英語帝国主義批判」 ([2015-08-20-1]) で紹介した書籍の出版とおよそ同時期に,施光恒(著)『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』という,もう1つの英語帝国主義批判の書が公刊されていた.ただし,力点は,英語帝国主義批判そのものというよりも日本の英語化への警鐘に置かれている.この分野の書籍の例に漏れず挑発的なタイトルだが,著者が言語学や教育学の畑ではなく政治学者であるという点で,私にとって,得られた知見と洞察が多かった.
 現代日本のグローバル化と英語化の時勢は,近代史がたどってきた流れに逆行しており,むしろ中世化というに等しい,と著者は主張する.西洋近代は,それまで域内の世界語であったラテン語が占有していた宗教的・学問的な特権を突き崩し,英語,イタリア語,スペイン語,フランス語,ドイツ語など土着語の地位を高めることによって,人々の間に分け隔てなく知識を行き渡らせることを可能にした.人々は母語を通じて豊かな情報に接することができるようになり,結果として階級間の格差が小さくなった.これが,近代化の原動力だという.具体的には,聖書の各土着語への翻訳の効果が大きかった.
 もし現代世界で進行している英語化がやがて完了し,かつてのラテン語のような特権を享受するようになれば,英語を理解しない非英語母語話者は情報へのアクセスの機会を奪われ,社会のあらゆる側面で不利益を被るだろう.つまり,多くの人々が中世の下級民のような地位,つまり「愚民」の地位へと落ちていくだろう,という.確かに,日本人にとって,日本語という母語・土着語を通じて情報にアクセスするのが,物事の理解・吸収のためには最も効率がよいはずであり,その媒体が英語に取って代わられてしまえば,能率は格段に落ちるはずだ.
 著者は,今目指すべきは英語化ではなく,むしろ土着語化であるという逆転の発想を押し出している.では,世界中で英語やその他の言語により発信される価値ある情報は,どのように消化することができるだろうか.その最良の方法は,土着語への翻訳であるという.明治日本の知識人が,驚くべき語学力を駆使して,多くの価値ある西洋語彙を漢語へ翻訳し,日本語に浸透させることに成功したように,現代日本人も,絶え間ない努力によって,英語を始めとする外国語と母語たる日本語とのすりあわせに腐心すべきである,と (see 「#1630. インク壺語,カタカナ語,チンプン漢語」 ([2013-10-13-1])) .
 英語が無条件に善いものであるという神話や英語化を前提とする政策の数々が,日本中に蔓延している.この盲目的で一方的な英語観の是正には,英語史を学ぶのが早いだろうと考えている.施 (215) の次の主張も傾聴に値する.

英語の隆盛の一因は,さかのぼれば,イギリス,そしてアメリカの植民地支配の歴史にある。また,第二次世界大戦後,イギリスやアメリカが,植民地を手放す際,旧植民地における実質的な政治力やビジネス上の有利さを残すため,国家戦略の一端として英語の覇権的地位を保ち,推進するよう努めてきた「成果」でもある。


 『英語化は愚民化』よりキーワードを拾ったので,次に示しておこう.英語教育改革,英語公用語化論,オール・イングリッシュ,グローバル化史観,啓蒙主義,新自由主義(開放経済,規制緩和,小さな政府),TPP,ボーダレス化,リベラル・ナショナリズム,歴史法則主義.

 ・ 施 光恒 『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 集英社〈集英社新書〉,2015年.

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2015-12-21 Mon

#2429. アルファベットの卓越性という言説 [language_myth][writing][alphabet][grammatology][sociolinguistics][linguistic_imperialism][grapheme]

 アルファベット (alphabet) あるいは単音文字の文字体系としての卓越性について,多くの言説がなされてきた.数十年前まで,特に西洋ではアルファベットは文字の発展の頂点にあるという認識が一般的だったし,現在でもそのように信じている者は少なくないだろう (cf. 「#1838. 文字帝国主義」 ([2014-05-09-1])) .
 合理性,経済性,分析性という観点からいえば,アルファベットは確かに音節文字よりも,表語文字よりもすぐれているとはいえるだろう.しかし,そのような性質が文字の果たす機能のすべてであるわけではない.むしろ,「#2344. 表意文字,表語文字,表音文字」 ([2015-09-27-1]),「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」 ([2015-11-11-1]),「#2401. 音素と文字素」 ([2015-11-23-1]) の記事などで繰り返してきたように,私は,文字の本質は表語機能 (logographic function) にあると考えている.それでも,アルファベット卓越論は根強い.
 文字体系としてのアルファベット卓越論は,優位に西洋文化優勢論に発展しうる.西洋社会は,アルファベットを採用し推進したがゆえに,民主主義や科学をも発展させることができたのだ,という言説だ.しかし,これは神話であるにすぎない.この問題について,ロビンソン (226--27) は次のように議論している.

 アルファベットは民主主義の発展に不可欠だったとよくいわれる。識字率を大いに高めたからだと。また、現代社会に於ける西洋の勝利、とくに科学分野での成功は、いわゆる「アルファベット効果」に負うところが大きいともいわれる。なぜなら西洋と中国を比較すると、科学はどちらでも発達したが、西洋では分析的な思考が発達し、例えばニュートンやアインシュタインのような人物が輩出して中国をはるかに引き離す結果となった。そういう分析的な思考は、単語が1字1字に分解されるアルファベットの原理によって育まれたというのだ。簡単にいえば、アルファベットは還元主義的な思考を育て、漢字は全体論的な思考を育てるということになる。
 初めに述べた民主主義とアルファベットについての意見には、一片の真実がありそうだ。だがアルファベットが民主主義の発展を助けたのだろうか、それとも、人々に芽生えた民主主義を求める気持ちがアルファベットを誕生させたのだろうか?〔中略〕古代エジプト人は早くも紀元前第3千年紀、母音記号のないアルファベットを知っていた。しかしそれを使おうとはせずに、たくさんの記号を使ってヒエログリフを書くことを選んだ。これは彼らが自分たちの政治体制に、民主主義の必要性を感じていなかったということなのか?
 科学の発展をめぐる二つめの意見は、おもしろいが誤りだ。中国の文字がそのあまりの複雑さのために、読み書き普及の妨げになったというなら話はわかる。しかし分析的な思考が得意かどうかといった深い文化的傾向を、漢字が表語的な文字だということに結びつけるのはばかげている。インド?ヨーロッパ語族の人々が叙事詩を書くということと、牛乳を飲むという事実を結びつけるようなものだろう。中国人は牛乳を飲まないから叙事詩を書かないのだと。ある優れた中国研究者は、皮肉をこめてこれを「牛乳食効果」と読んでいる。文化的な深い違いを論じるには、その文化全体を見なければならない。それがどんなに重要そうでも、文字がどうかといったほんの一面だけを見ても仕方がない。結局のところ重力や相対性理論を理解したニュートンやアインシュタインなら、たとえ漢字で教育を受けていても、いやエジプトのヒエログリフやバビロニアの楔形文字であったとしても、学ぶべきものは学んだに違いないのである。


 また,ロビンソンは別の箇所 (265)で民主主義の問題について次のようにも述べている.

アルファベットと識字能力と民主主義の同時代的な関係も、一見もっともらしいけれど、評価するのは難しい。確かに文字が覚えやすければ、多くの人が習得でき、その人々が社会的な問題に明るくなれば、それに関与したり、何らかの役割を求めるようになるかもしれない。だから確かに今日の民主主義国家の教育政策は、読み書きの能力向上に重点をおき、非識字は進歩の遅れだというのが常識になっている。とはいえ識字の問題には、読み書きのたやすさ以外にも、ひじょうに多くのことが関係している。経済、政治、社会や文化の状況なども、識字能力と民主主義が根付き成長していくには、それに好都合でなければならない。古代エジプトに根本的な社会構造の変化が起きなかったこと、あるいは古代ギリシアにそれが起きたことを、たんにヒエログリフとアルファベットの違いから説明することはできないだろう。それは今日の日本の識字率の高さを、その世界一複雑な文字のせいにはできないのと同じくらい明白なことである。


 文字論という分野がもっと認知され,理解されない限り,標題の言説は今後も繰り返されるのかもしれない.

 ・ ロビンソン,アンドルー(著),片山 陽子(訳) 『文字の起源と歴史 ヒエログリフ,アルファベット,漢字』 創元社,2006年.

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2015-11-05 Thu

#2383. ポルトガル語とルゾフォニア [portuguese][lingua_franca][francophonie][linguistic_imperialism][socio_linguistics][geolinguistics]

 先日,ポルトガル(語)周辺の歴史についてあまりよく知らないままに「#2371. ポルトガル史年表」 ([2015-10-24-1]) や「#2372. ポルトガル語諸国共同体」 ([2015-10-25-1]) の記事を書いた.その後,関連する市之瀬敦(著)『ポルトガルの世界――海洋帝国の夢のゆくえ』を読んで視野が広がったので,今回は,ポルトガル語の世界的な拡がりについて,特に Lusofonia (ルゾフォニア) について,市之瀬を参照しつつ補足的に書き加えたい.

 (1) ポルトガル語諸国共同体 (CPLP) は,言語と文化を強調する点で,イギリス主導の The Commonwealth of Nations よりもフランス主導の La Francophonie に近い (cf. 「#1676. The Commonwealth of Nations」 ([2013-11-28-1]), 「#2192. La Francophonie (1)」 ([2015-04-28-1]),「#2193. La Francophonie (2)」 ([2015-04-29-1])) .しかし,言語や文化を軸とする国際機構の実効性については,懐疑的な見方もある.市之瀬 (113) は,次のような冷めた見解を紹介している.

経済関係をポルトガル語によって発展させるという考えに対し、アンゴラ人作家ペペテラは「最高の取り引きとはしょせん英語で行われるものであり、言語には重要性はない」と、ポルトガルの新聞「エスプレソ」のインタビューに答え、そう述べている。同じ言葉を話しながら取り引きができるのは格別なことであるかのような論調がCPLP発足当時、一部のメディアで見られたが、貿易とは互いの損得に基づくもっと冷徹なものであるだろう。ポルトガルにとり重要な貿易相手国はEU諸国であり、ブラジルもポルトガルやポルトガル語圏アフリカ諸国との貿易に多くは依存していないのである。


 (2) 「ルゾフォニア」という言葉は,サラザール時代に濫用されたため,その後やや忌避されてきたが,20世紀末になって再び蘇ってきた.その理由は「ルゾフォニア」が多義的で便利であるからだという.市之瀬 (127) は,少なくとも3つの語義を認めている.

まずは地理的な概念としてのルゾフォニア。ポルトガル語を母語あるいは公用語とする国々の集合体として理解しうる。それから、もっと感情的な絆に基づくルゾフォニア。共通の言語と文化と歴史を持つという認識が柱である。そして制度的な意味。ポルトガル語や文化を発展させるための組織全体に対する名称である。この多義性故に、ルゾフォニアという言葉はこの一〇年間ほどその使用頻度を拡大してきたが、それはブラジルとアフリカ諸国の政治情勢の変化と平行して進んできたのである。八〇年代後半ブラジルでは民政に移管し、アフリカ諸国にも民主化の流れが押し寄せた。/したがって、ルゾフォニアは文化的な「クレオール論」以上の意味でも使われるのである。つまり、そこには政治的な背景もあるのだ。例えば、八〇年代を通じて、ポルトガルの政府要人がしきりに口にしたのは、ポルトガルはヨーロッパとアフリカの掛け橋になる、あるいはブラジルを介し、ポルトガルはヨーロッパとラテン・アメリカの掛け橋となる、という二つの外交的「掛け橋論」であった。植民地支配が崩壊し、世界の大国の集まりで補助席しか座らせてもらえなくなったポルトガルにとり、自らのレゾンデートルとなる新しいミッションが必要だった。そして、それは周縁国に相応しい役割、「掛け橋」になることだったのである。


 (3) ポルトガル語圏の国・地域の各々は,言語地理学的に孤立している.市之瀬 (134) 曰く,

英語圏、フランス語圏、スペイン語圏という、世界に広がったヨーロッパ諸語が築く言語圏と比べ、ポルトガル語圏の特徴を一つ挙げるとすれば、ポルトガル語を公用語とする国はいずれも周辺にポルトガル語を使う国を持たないということである。ポルトガルはスペイン語とガリシア語に囲まれ、ブラジルはスペイン語に囲まれ、ポルトガル語圏アフリカ諸国は英語、フランス語あるいは海に囲まれる。ここから、ポルトガル語の防衛的性格が生まれる。そして、どの国に住む人々もポルトガル語にアイデンティティーの拠り所を求めるようになる。


 (4) 市之瀬 (138) は,18世紀にフランス語が,19世紀に英語が世界語としての地位を築く前に,ポルトガル語が世界各地で用いられていた事実を取り上げて,ポルトガル語は世界最初の地球語候補だったと述べている.ポルトガル語は,人類史上初の地球規模の lingua_franca になりかけたのである.

 (5) 1930年代,40年代に,ブラジルでは「ブラジル語」論争が国会レベルでなされた.ブラジルの公用語は,ブラジル語なのか,あるいはポルトガル語のブラジル方言なのか.結果として,保守派エリートによる後者の見解が通り,ブラジル語は幻と消えた(市之瀬,pp. 145--46) .この議論は,アメリカ語なのか,英語のアメリカ方言なのかという類似した議論を思い出さずにいられない (cf. 「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」 ([2010-08-08-1])) .

 (6) ポルトガルは言語的に統合度が高いのは事実だが,この国の第2の公用語としてミランダ語 (Mirandese) が制定されている事実を見落としてはならない.この言語派,ポルトガルの北東部,スペイン領に食い込むかのような位置にある Miranda do Douro で12,000--15,000人によって話されている.市之瀬 (182) は次のようにミランダ語の独自性を解説している.

ミランダ語がそのオリジナリティーを主張するのは故なしというわけではない。アラブ人は七一一年イベリア半島に上陸、その後七年間でイベリア半島のほぼ全域を征服してしまったが、ミランダ・ド・ドロはアラブ人の勢力が及ばなかった数少ない地域の一つである。一三世紀、ミランダ地方にはスペイン側のレオン地方から移住が行われ、一種の飛び地のようになったのである。そこで話された(西)レオン語がミランダ語に発展したのであり、したがって、それはポルトガル語の方言でもなければ、スペイン語の方言でもなく、レオン語を介しラテン語に直接由来する言語である。ミランダ語はイベリア半島のロマンス諸語の誕生以来ずっとポルトガル領で話されてきた言語なのである。


 ・ 市之瀬 敦 『ポルトガルの世界――海洋帝国の夢のゆくえ』 社会評論社,2000年.

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2015-10-25 Sun

#2372. ポルトガル語諸国共同体 [portuguese][history][linguistic_imperialism][francophonie][map][lingua_franca]

 連日,「#2370. ポルトガル語からの語彙借用」 ([2015-10-23-1]),「#2371. ポルトガル史年表」 ([2015-10-24-1]) の記事で,ポルトガル語の話題を取り上げてきた.ポルトガル語は,ポルトガルの国語として約1千万人によって話されているが,何よりも2億人近くの人口を擁するブラジルで国語として話されていることの意味が大きい.ほかにも,歴史的な経緯により,ポルトガル語が用いられている国・地域はある.Angola, Brazil, Cape Verde Islands, East Timor, Equatorial Guinea, Guinea-Bissau, Mozambique, Portugal, São Tomé e Príncipe で公用語として用いられており,その他 EthnologuePortuguese によれば一部 Andorra, China-Macao, France, India でも話されている.
 ポルトガル語話者はポルトガルの旧名 Lusitania にちなんで,Lusophone と呼ばれ,また話者共同体は Lusosphere あるいは Lusofoniaルゾフォニア)と言及される.ポルトガル旧植民地はすべて独立し,帝国はすでに解消しているが,1996年にはポルトガル語諸国共同体 (Community of Portuguese Language Countries, or Comunidade dos Países de Língua Portuguesa (CPLP)) が結成されている(本部はリスボン).これは,イギリス主導の「#1676. The Commonwealth of Nations」 ([2013-11-28-1]) や,フランス主導の「#2192. La Francophonie (1)」 ([2015-04-28-1]),「#2193. La Francophonie (2)」 ([2015-04-29-1]) のポルトガル版とみることができ,ポルトガルの新植民地主義の現われと評価する向きもある.
 メンバー国は Angola, Brazil, Cape Verde, East Timor, Equatorial Guinea, Guinea-Bissau, Mozambique, Portugal, São Tomé e Príncipe の9カ国であり,他のいくつかのオブザーバー国も設置されている.実は日本も日系ブラジル人というコネクションをもつことから,2014年7月に CPLP のオブザーバー国となることが承認されている.これについては,2014年7月23日付の外務省による報道を参照されたい.

Map of CPLP

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2015-10-12 Mon

#2359. 英語が非民主的な言語と呼ばれる理由 (3) [history][loan_word][lexicology][borrowing][linguistic_imperialism][language_myth][purism]

 標題と関連して,「#134. 英語が民主的な言語と呼ばれる理由」 ([2009-09-08-1]),「#1366. 英語が非民主的な言語と呼ばれる理由」 ([2013-01-22-1]),「#1845. 英語が非民主的な言語と呼ばれる理由 (2)」 ([2014-05-16-1]) で様々な見解を紹介してきた.今回は,主として英語が歴史的に他言語から多くの語彙を借用してきた事実に照らして,英語の民主性・非民主性について考えてみたい.
 英語が多くの言語からおびただしい語彙を借用してきたことは,言語的純粋主義 (purism) の立場からの批判が皆無ではないにせよ,普通は好意的に語られる.英語の語彙借用好きは,ほとんどすべての英語史記述でも強調される特徴であり,これを指して "cosmopolitan vocabulary" などと持ち上げられることが多い.続けて,英語,そして英語国民は,柔軟にして鷹揚,外に対して開かれており,多様性を重んじる伝統を有すると解釈されることが多い.歴史的に英語国では言語を統制するアカデミーが設立されにくかったこともこの肯定的な議論に一役買っているだろう.また,もう1つの国際語であるフランス語が上記の点で英語と反対の特徴を示すことからも,相対的に英語の「民主性」が浮き彫りになる.
 しかし,英語の民主性に関する肯定的なイメージはそれ自体が作られたイメージであり,語彙借用のある側面を反映していないという.Bailey (91) によれば,植民地帝国主義時代の英国人は,その人種的優越感ゆえに,諸言語からの語彙をやみくもに受け入れたわけではなく,むしろすでに他のヨーロッパ人が受け入れていた語彙についてのみ自らの言語へ受け入れることを許したという.これが事実だとすれば,英語(国民)はむしろ非民主的であると言えるかもしれない.

Far from its conventional image as a language congenial to borrowing from remote languages, English displays a tendency to accept exotic loanwords mainly when they have first been adopted by other European languages or when presented with marginal social practices or trivial objects. Anglophones who have ventured abroad have done so confident of the superiority of their culture and persuaded of their capacity for adaptation, usually without accepting the obligations of adapting. Extensive linguistic borrowing and language mixing arise only when there is some degree of equality between or among languages (and their speakers) in a multilingual setting. For the English abroad, this sense of equality was rare. Whether it is a language more "friendly to change than other languages" has hardly been questioned; those who embrace the language are convinced that English is a capacious, cosmopolitan language superior to all others.


 Bailey によれば,「開かれた民主的な英語」のイメージは,それ自体が植民地主義の産物であり,植民地主義時代の語彙借用の事実に反するということになる.
 ただし,Bailey の植民地主義と語彙借用の議論は,主として近代以降の歴史に関する議論であり,英語が同じくらい頻繁に語彙借用を行ってきたそれ以前の時代の議論には直接触れていないことに注意すべきだろう.中英語以前は,英語はラテン語やフランス語から多くの語彙を借り入れなければならない,社会的に下位の言語だったのであり,民主的も非民主的も論ずるまでもない言語だったのだから.

 ・ Bailey, R. Images of English. Ann Arbor: U of Michigan P, 1991.

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2015-08-20 Thu

#2306. 永井忠孝(著)『英語の害毒』と英語帝国主義批判 [review][linguistic_imperialism][hel][hel_education]

 6月に出版された標題の新書がよく読まれているようだ.出版されて間もない時期に書店に平積みになっているところを購入し,読んでみた.一言でいえば英語帝国主義批判の書である.この種の書物には著者のイデオロギーが前面に出ており,挑発的で,毒々しく,痛ましい読後感をもつものが多い.この著書にもその色が感じられるが,現代日本社会の英語にまつわる事情をうまく提示しながら読者を説得しようとしている点が注目に値する.ただし,著者が,書籍というメディアでこの主張を広めることは難しいと吐露するくだり (p. 169) は,類書と同様,ある種の痛ましさを感じさせずにはおかない.いや,私自身もこの点ではおおいに同情する一人である.
 私も英語帝国主義の議論には関心をもっているが,この問題については,原則として歴史的な観点から迫る必要があると思っている.その理由は,英語が帝国主義的になってきた(とらえられてきた)のは近代以降の歴史においてであり,現代の視点に立っていくら説得しようとしても,根拠が弱いために説得力が持続しないだろうと思うからだ.『英語の害毒』は,現代日本人の多くの直感的な英語観を指摘したり,あるいはその裏をかくような事実を豊富に挙げ,それを起点にして英語帝国主義批判を繰り広げているが,歴史への言及はほとんどない.したがって,瞬発的な説得の効果はあるかもしれないが,持続的な効果はないのではないかと思う.よく読まれているだけに,そこが残念である.だが,突破口としてはよいのかもしれない.この突破力を積極的に認め,読みやすい新書として世に出たことを有意義と評価したい.
 本ブログでは,英語帝国主義の問題に関連して「#1606. 英語言語帝国主義,言語差別,英語覇権」 ([2013-09-19-1]),「#1607. 英語教育の政治的側面」 ([2013-09-20-1]),「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1]),「#1073. 英語が他言語を侵略してきたパターン」 ([2012-04-04-1]),「#1194. 中村敬の英語観と英語史」 ([2012-08-03-1]) ほか,linguistic_imperialism の各記事で触れてきた.私は,この問題に対して,日本を含めた現代世界において,英語には全肯定も全否定もありえないという立場に立っている.ただし,永井氏の主張するように,現代日本の英語観の圧倒的なデフォルトが「英語万歳」であり,バランスが著しく肯定側に偏っているという現実がある以上,バランス是正を念頭に,否定側を擁護する必要があると感じる機会は多い.この意味でも,上にも述べたとおり,読みやすく,かつ突破口を開く新書として本書が出版された意義を認めたい.
 なお,英語帝国主義批判と関連して,英語史という分野が,英語の光と影を浮かび上がらせる貴重な機会を提供してくれる分野であることを添えておきたい.英語の言語内的な変化と言語外的な発展を学ぶことにより,どの点が英語帝国主義の賛成論あるいは反対論において利用されやすいかが見えてくるし,その議論の当否についても自分なりの判断を下すことができるようになる.

 ・ 永井 忠孝 『英語の害毒』 新潮社〈新潮新書〉,2015年.

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2015-04-30 Thu

#2194. フランス語規範主義,英語敵視,国民的フランス語 [french][prescriptive_grammar][standardisation][academy][linguistic_imperialism][language_planning][language_myth][world_englishes]

 フランス語は非常に規範的な言語であるとされる.規範主義の伝統は英語にもあるが,フランス語には英語を上回る強い規範の伝統がある.もしかすると世界一規範主義的な言語といえるかもしれない.このフランス語の規範主義の確立と,それに伴う言語の神話 (language_myth) については,以下の記事で扱ってきた.

 ・ 「#626. 「フランス語は論理的な言語である」という神話」 ([2011-01-13-1])
 ・ 「#1077. Rivarol のフランス語優勢説の迷根拠 (1)」 ([2012-04-08-1])
 ・ 「#1078. Rivarol のフランス語優勢説の迷根拠 (2)」 ([2012-04-09-1])
 ・ 「#1079. Rivarol のフランス語優勢説の迷根拠 (3)」 ([2012-04-10-1])

 Perret (70--71) に従ってフランス語規範主義の発展の歴史を概説すると,以下のようになる.15--16世紀,フランス王たちはラテン語に代わってフランス語を公式の言語として重用した.これはフランス語の標準化の流れを促進させ,17世紀には Academie française の創立(1635年)及び規範的な文法書や辞書の出版が相次ぎ,18世紀のフランス語国際化の重要な布石となった.18世紀末の革命によりフランス語は新生国家のシンボルに仕立て上げられ,フランス語以外の言語や非標準的なフランス語変種は法的に排除されることになり,標準フランス語の絶対主義は20世紀まで続いた.20世紀以降は,英語敵視の潮流が色濃く,1994年の Toubon 法では,英語表現の公的な使用を制限しようとした経緯がある.一昨日,昨日と話題にした La Francophonie ([2015-04-28-1], [2015-04-29-1]) の20世紀後半における発展は,このような英語敵視の観点から位置づけることもできるだろう.一方,フランス語の世界的拡散と定着に伴い,標準的・規範的なフランス語が従来の権威を必ずしも維持できなくなってきたことも事実である.国・地域ごとの国民的フランス語諸変種 (français nationaux) が存在感を強めてきている.これは (World) Englishes (world_englishes) のフランス語版といえるだろう.
 フランス語の規範主義の芽生えとフランス革命の関係については,田中の4章「フランス革命と言語」が読みやすく,示唆に富む.

 ・ Perret, Michèle. Introduction à l'histoire de la langue française. 3rd ed. Paris: Colin, 2008.
 ・ 田中 克彦 『ことばと国家』 岩波書店,1981年.

Referrer (Inside): [2015-07-02-1] [2015-05-01-1]

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2015-04-28 Tue

#2192. La Francophonie (1) [french][history][linguistic_imperialism][francophonie][hfl]

 「#1676. The Commonwealth of Nations」 ([2013-11-28-1]) のフランス(語)版と呼んでよいものに,La Francophonie (フランス語圏連邦)がある.雑誌「ふらんす」の4月号に,「世界に拡がるフランコフォニー Le Monde de la Francophonie」と題する記事をみかけた.その30頁に次のように説明がある.  *

「フランス語の振興と文化的・言語的多様性の振興」「平和、民主主義、人権の推進」「教育と研究の支援」「持続的発展に繋がる協力の開発」を使命とする国際フランコニー機構 (OIF: Organisation internationale de la Francophonie) 。世界80に及ぶ構成国と地域は5大陸すべてに分布するが、そのすべてがフランス語を公用語とする「フランス語圏」というわけではない。「フランコフォニー」とは、フランス語を共通の価値観として上記使命のもと2年ごとにサミットを行ない、さまざまな活動に取り組む国際的組織である。


 言葉尻をとらえるようだが,上の引用内で「フランス語を共通の価値観として」というくだりが理解できない.個別言語に何らかの価値があるとか,個別言語にある価値観が付随しているとかいうことは理解できる.フランス語は素晴らしい言語である,論理的な言語である,平和の言語である等々の価値づけのことだ.フランス語に対するこれらの価値づけが妥当かどうかということではなく,個別言語には往々にしてこのような価値づけがなされるものだという意味で,言語に価値観が付随していることは理解できる.しかし,上の引用では,フランス語に価値観が付随していると述べているのではなく,フランス語という個別言語を「価値観とし」とある.しかも,「共通の価値観とし」とまで述べている.これは一体何を意味するのだろうか.個別言語を価値観とするという言い方は,その表現の奥で何かをすりかえているような気がして,うさんくささを感じざるを得ない.The Commonwealth of Nations も La Francophonie も,言語の求心力を利用して緩やかな国際クラブを作ろうという趣旨だと思われるが,そこに政治性が強く付与されるようになると,イギリスやフランスによる新植民地主義であるとの懸念が生じる.La Francophonie には反英語帝国主義の旗手という側面もあるが,一歩誤れば,それ自身が言語帝国主義 (linguistic_imperialism) の信奉者・実践者となる危うさも帯びているように思う.
 国際政治体としての La Francophonie の淵源は1960年代にあるが,その後,いくつかの段階を経て発展してきた.最初の国際サミットは,1986年にミッテラン大統領の呼びかけによりヴェルサイユで開催された.以後,およそ2年に1度のペースでサミットが開かれている.La Francophonie と OIF の沿革について,Perret のフランス語史のコラム (71) を引用しよう.

La Francophonie et la francophonie

La Francophonie (avec une majuscule), organisation plus politique que linguistique, est née au debut des années 1960 de la volonté de quelques dirigeants de nations francophones devenues indépendeantes, comme Hamani Diori, Habib Bourguiba, Norodom Shihanouk et Leopold Sédar Senghor, malgré les réticences de la France, alor peu désireuse de s'impliquer dans un «Commonwealth français». De Conférence des états francophones (1969) en Organisation commune africaine et malgache (1966) et en Agence de coopération culturelle et technique (1970), l'idée prit corps et le gouvernement canadien finit par accepter que le Québec et le Nouveau-Brunswick soient inclus dans l'organisation naissante. Les sommets francophones ont commencé à se réunir à partir de 1986; ils ne regroupent pas seulement des États dont l'une des langues officielle est le français, mais aussi des régions, des «États associés» et des «États observateur», si bien que cette Organisation internationale de la francophonie compte en son sein des pays non francophones comme l'Albanie, la Bulgarie, La Guinée-Bissau, la Guinée-Équatoriale, la Macédoine, la Moldavie, le Mozambique, la Pologne, la Roumanie, Saint-Thomas-et-Prince, la Serbie et l'Ukraine, pays qui ont choisi le français comme langue d'enseignement, première ou seconde, et/ou comme langue internationale. Aussi ne parle-t-on plus d'États francophones mais d'États ayant le français en partage.


 より詳しい歴史については,La Francophonie の公式サイトより Une histoire de la francophonie - Organisation internationale de la Francophonie に詳しい.

 ・ Perret, Michèle. Introduction à l'histoire de la langue française. 3rd ed. Paris: Colin, 2008.

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