hellog〜英語史ブログ

#3315. 「ラモハン・ロイ症候群」[linguistic_imperialism][india]

2018-05-25

 英語帝国主義批判に対する典型的な再批判として,次のようなものがある.イギリスなどの宗主国が,植民地の政治・宗教・教育の言語として英語を押しつけたというのは正しい理解ではない.むしろ,植民地側が宗主国のもつ高い技術や文化を得るために,自ら積極的に英語を習得しようとしたと理解すべきである,と.1820年代のインドで,英語の位置づけに関する論争が起こっていたとき,西洋の文明を礼賛してやまないインド人の小集団があった.この影響力のある集団のなかに,ベンガル出身のラモハン・ロイ (Ram Mohan Roy; 1772--1833) がいた.彼によって書かれた1823年12月11日の手紙は,英語帝国主義批判への再批判の根拠とされ,しばしば引用されてきた.平田 (142) による訳を示す.

この(カルカッタの)学校が提案されれば,イングランド政府は膨大な資金をつぎ込んで,毎年インド臣民の教育に貢献するでしょう.この資金は,ヨーロッパの才能と教養を持つジェントルマンを雇って,インドの現地民に,数学,物理学,化学,天文学,他の有益な諸科学を教えるために意図されたものと真に期待しますし,諸科学を持つからこそ,ヨーロッパの人々は世界の他の人々よりも完璧なまでに優れた民となったのです.……われわれは,政府が[これらを教育する]サンスクリット語学校を設立して,いまやインドにも流布しているこれらの知識を教えてくれるものと考えます.


 サンスクリット語学校とあるが,そこで優先的に教育のために使用されるべき言語は英語だとラモハン・ロイは主張していたのである.ここから,インド側から積極的に英語の受け入れを表明する態度は「ラモハン・ロイ症候群」と呼ばれるようになった.
 今から200年ほど前のインドでの一幕に由来する「ラモハン・ロイ症候群」は,21世紀の現在,世界中できわめてありふれた症候群となっているように思われる.日本も例外ではない.それどころか,日本には多数のラモハン・ロイ症候群に罹った人々がいて,日本の英語教育政策や英語観の形成に大きな影響力をもっているのである.

 ・ 平田 雅博 『英語の帝国 ―ある島国の言語の1500年史―』 講談社,2016年.

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