昨日の記事 ([2018-02-14-1]) に引き続き,ドーキンスの『盲目の時計職人』で言語について言及している箇所に注目する.今回は,ドーキンスが,言語の分岐と分類について,生物の場合との異同を指摘しながら論じている部分を取りあげよう (348--49) .
言語は何らかの傾向を示し,分岐し,そして分岐してから何世紀か経つにつれて,だんだんと相互に理解できなくなってしまうので,あきらかに進化すると言える.太平洋に浮かぶ多くの島々は,言語進化の研究のための格好の材料を提供している.異なる島の言語はあきらかに似通っており,島のあいだで違っている単語の数によってそれらがどれだけ違っているかを正確に測ることができよう.この物差しは,〔中略〕分子分類学の物差しとたいへんよく似ている.分岐した単語の数で測られる言語間の違いは,マイル数で測られる島間の距離に対してグラフ上のプロットされうる.グラフ上にプロットされた点はある曲線を描き,その曲線が数学的にどんな形をしているかによって,島から島へ(単語)が拡散していく速度について何ごとかがわかるはずだ.単語はカヌーによって移動し,当の島と島とがどの程度離れているかによってそれに比例した間隔で島に跳び移っていくだろう.一つの島のなかでは,遺伝子がときおり突然変異を起こすのとほとんと同じようにして,単語は一定の速度で変化する.もしある島が完全に隔離されていれば,その島の言語は時間が経つにつれて何らかの進化的な変化を示し,したがって他の島の言語からなにがしか分岐していくだろう.近くにある島どうしは,遠くにある島どうしに比べて,カヌーによる単語の交流速度があきらかに速い.またそれらの島の言語は,遠く離れた島の言語よりも新しい共通の祖先をもっている.こうした現象は,あちこちの島のあいだで観察される類似性のパターンを説明するものであり,もとはと言えばチャールズ・ダーウィンにインスピレーションを与えた,ガラパゴス諸島の異なった島にいるフィンチに関する事実と密接なアナロジーが成り立つ.ちょうど単語がカヌーによって島から島へ跳び移っていくように,遺伝子は鳥の体によって島から島へ跳び移っていく.
実際,太平洋の島々の諸言語間の関係を探るのに,統計的な手法を用いる研究は盛んである.太平洋から離れて印欧語族の研究を覗いても,ときに数学的な手法が適用されてきた(「#1129. 印欧祖語の分岐は紀元前5800--7800年?」 ([2012-05-30-1]) を参照).Swadesh による言語年代学も,おおいに批判を受けてきたものの,その洞察の魅力は完全には失われていないように見受けられる(「#1128. glottochronology」 ([2012-05-29-1]) や glottochronology の各記事を参照).近年のコーパス言語学の発展やコンピュータの計算力の向上により,語彙統計学 (lexicostatistics) という分野も育ってきている.生物学の方法論を言語学にも応用するというドーキンスの発想は,素直でもあるし,実際にいくつかの方法で応用されてきてもいるのである.
関連して,もう1箇所,ドーキンスが同著内で言語の分岐を生物の分岐になぞらえている箇所がある.しかしそこでは,言語は分岐するだけではなく混合することもあるという点で,生物と著しく相違すると指摘している (412) .
言語は分岐するだけではなく,混じり合ってしまうこともある.英語は,はるか以前に分岐したゲルマン語とロマンス語の雑種であり,したがってどのような階層的な入れ子の図式にもきっちり収まってくれない.英語を囲む輪はどこかで交差したり,部分的に重複したりすることがわかるだろう.生物学的分類の輪の方は,絶対にそのように交差したりしない.主のレベル以上の生物進化はつねに分岐する一方だからである.
生物には混合はあり得ないという主張だが,生物進化において,もともと原核細胞だったミトコンドリアや葉緑体が共生化して真核細胞が生じたとする共生説が唱えられていることに注意しておきたい.これは諸言語の混合に比較される現象かもしれない.
・ ドーキンス,リチャード(著),中嶋 康裕・遠藤 彰・遠藤 知二・疋田 努(訳),日高 敏隆(監修) 『盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か?』 早川書房,2004年.
「#3198. 語用論の2潮流としての Anglo-American 対 European Continental」 ([2018-01-28-1]),「#3203. 文献学と歴史語用論は何が異なるか?」 ([2018-02-02-1]) の記事で,言語学史的な観点から,近年発展の著しい歴史語用論 (historical_pragmatics) について考えた.関連の深い学問分野として歴史社会言語学 (historical sociolinguistics) も同様に成長してきており,扱う問題の種類によっては,事実上,2つの分野は合流しているといってよい.名前はその分長くなるが,歴史社会語用論 (historical sociopragmatics) という分野が育ってきているということだ.略して "HiSoPra" ということで,1年ほど前に日本でもこの名前の研究会が開かれた(「#2883. HiSoPra* に参加して (1)」 ([2017-03-19-1]),「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]) を参照).
この20--30年ほどの間の「歴史社会言語学+歴史語用論=歴史社会語用論」という学問領域の進展について,Taavitsainen (1469) が鮮やかに記述している1節があるので,引用しよう.
Historical sociolinguistics was launched more than a decade earlier than historical pragmatics . . . . The focus is on the extent to which change in language is conditioned by the social factors identified as characterizing the dataset. In recent years, historical pragmatics and historical sociolinguistics have converged. If for example a recent definition of pragmatics by Mey . . . is taken as the point of departure, "[p]ragmatics studies the use of language in human communication as determined by the conditions of society", the difference between historical sociolinguistics and pragmatics disappears altogether, and pragmatics is always "socio-" in the European broad view of pragmatics. This reflects the European tradition; in the Anglo-American the difference is still valid. The convergence is also acknowledged by the other side as "sociolinguistics has also been enriched by developments in discourse analysis, pragmatics and ethnography" . . . . The overlap is clear and some subfields of pragmatics, such as politeness and power, are also counted as subfields of sociolinguistics. A recent trend is to deal with politeness (and impoliteness) through speech acts in the history of English . . ., but it is equally possible to take a more sociolinguistic view . . . . The two disciplines have very similar topics, and titles of talks in conference programs are often very close. Further evidence of the tendency to converge is the emerging new field of historical sociopragmatics, which deals with interaction between specific aspects of social context and particular historical language use that leads to pragmatic meanings in understanding the rich dynamics of particular situations, often combining both macro- and microlevel analysis.
英語学の文脈でいえば,歴史語用論は1980年代にその兆しを見せつつ,Jucker 編の Historical Pragmatics (1995) で本格的に旗揚げされたといってよい.それから20年余の間に,著しく活発な分野へと成長してきた.結果的には,独立して発生してきた歴史社会言語学との二人三脚が成立し,融合分野としての歴史社会語用論が注目を浴びつつある.そんな状況に,いま私たちはいる.
・ Taavitsainen, Irma. "New Perspectives, Theories and Methods: Historical Pragmatics." Chapter 93 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1457--74.
・ Jucker, Andreas H., ed. Historical Pragmatics: Pragmatic Developments in the History of English. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 1995.
「#3198. 語用論の2潮流としての Anglo-American 対 European Continental」 ([2018-01-28-1]),「#3203. 文献学と歴史語用論は何が異なるか?」 ([2018-02-02-1]) の記事で,言語学史的な観点から,近年発展の著しい歴史語用論 (historical_pragmatics) について考えた.関連の深い学問分野として歴史社会言語学 (historical sociolinguistics) も同様に成長してきており,扱う問題の種類によっては,事実上,2つの分野は合流しているといってよい.名前はその分長くなるが,歴史社会語用論 (historical sociopragmatics) という分野が育ってきているということだ.略して "HiSoPra" ということで,1年ほど前に日本でもこの名前の研究会が開かれた(「#2883. HiSoPra* に参加して (1)」 ([2017-03-19-1]),「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]) を参照).
この20--30年ほどの間の「歴史社会言語学+歴史語用論=歴史社会語用論」という学問領域の進展について,Taavitsainen (1469) が鮮やかに記述している1節があるので,引用しよう.
Historical sociolinguistics was launched more than a decade earlier than historical pragmatics . . . . The focus is on the extent to which change in language is conditioned by the social factors identified as characterizing the dataset. In recent years, historical pragmatics and historical sociolinguistics have converged. If for example a recent definition of pragmatics by Mey . . . is taken as the point of departure, "[p]ragmatics studies the use of language in human communication as determined by the conditions of society", the difference between historical sociolinguistics and pragmatics disappears altogether, and pragmatics is always "socio-" in the European broad view of pragmatics. This reflects the European tradition; in the Anglo-American the difference is still valid. The convergence is also acknowledged by the other side as "sociolinguistics has also been enriched by developments in discourse analysis, pragmatics and ethnography" . . . . The overlap is clear and some subfields of pragmatics, such as politeness and power, are also counted as subfields of sociolinguistics. A recent trend is to deal with politeness (and impoliteness) through speech acts in the history of English . . ., but it is equally possible to take a more sociolinguistic view . . . . The two disciplines have very similar topics, and titles of talks in conference programs are often very close. Further evidence of the tendency to converge is the emerging new field of historical sociopragmatics, which deals with interaction between specific aspects of social context and particular historical language use that leads to pragmatic meanings in understanding the rich dynamics of particular situations, often combining both macro- and microlevel analysis.
英語学の文脈でいえば,歴史語用論は1980年代にその兆しを見せつつ,Jucker 編の Historical Pragmatics (1995) で本格的に旗揚げされたといってよい.それから20年余の間に,著しく活発な分野へと成長してきた.結果的には,独立して発生してきた歴史社会言語学との二人三脚が成立し,融合分野としての歴史社会語用論が注目を浴びつつある.そんな状況に,いま私たちはいる.
・ Taavitsainen, Irma. "New Perspectives, Theories and Methods: Historical Pragmatics." Chapter 93 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1457--74.
・ Jucker, Andreas H., ed. Historical Pragmatics: Pragmatic Developments in the History of English. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 1995.
「#3198. 語用論の2潮流としての Anglo-American 対 European Continental」 ([2018-01-28-1]) で触れたように,特に European Continental 流の歴史語用論は,伝統的な文献学と親和性が高い.また,「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]) で述べたとおり,昨今英語歴史語用論の名のもとに研究されている課題の多くは,従来の英語史の文献学的研究で「とっくにやっている」課題が多い.文献学と歴史語用論は,何を強調するかというポイントや研究者の受けてきた訓練の種類に違いこそあれ,互いに近い位置にいることは確かである.では,両者の間で何が共通しており,何が異なっているのだろうか.Taavitsainen がこの点について考察している.
文献学の強みは,なんといっても個別の言語変種について詳しい知識をもっていることだろう.英語文献学者についていえば,古英語や中英語を精読する訓練をしっかり受けており,原文を読み解く基盤がしっかりしている (Taavitsainen 1463) .
文献学者はまた,同時代の歴史や文化の文脈 (context) にも精通している(ことが期待されている).歴史語用論も広い意味での文脈を重視するわけであるから,両学問分野が結びつくのは当然ともいえる.ただし,歴史語用論では文脈の重視が分野の存立基盤ともいえ,その扱いがすぐれて体系的である点に特徴がある.歴史語用論者としての Taavitsainen (1464) 曰く,"We need to go beyond the text and consider linguistic, non-linguistic, and situation factors that might reveal communicative functions in a systematic and principled fashion. This is a task not addressed by traditional philology or historical linguistics."
文献学者と歴史語用論者のあいだには,研究対象としてどのようなテキストを選ぶかという点でも差がある.文献学者は得てして文学的価値のあるテキストに偏る傾向がある.その意味では,文学史にも近接する.一方,歴史語用論者は,むしろ日常的で「他愛もない」テキストを選ぶ傾向がある.Taavitsainen (1467) は次のように述べている.
In the times of traditional philology, literary, and religious texts, or texts with curiosity value, were considered worthy of study. These choices had consequences for historical linguistics as early studies of the language of past periods were based on these editions. The paradigm has shifted to more everyday and ephemeral materials like the interest in private correspondence, notes, (auto)biographies and handbooks. With contextual assessments, the approaches to data have become more refined, and it is interesting that literary texts are gaining an important position in historical pragmatics . . . .
細かな相違点をとらえればキリがないが,結局のところ,文献学者でもあり歴史語用論者でもある研究者は少なくない.歴史語用論は文献学で培われた伝統を尊重しつつさらに発展していく一方で,文献学は歴史語用論という新しいラベルのもとに活気づいていけばよいのではないか.
・ Taavitsainen, Irma. "New Perspectives, Theories and Methods: Historical Pragmatics." Chapter 93 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1457--74.
「#3176. 言語とは動的平衡にあるシステムか? (1)」 ([2018-01-06-1]),「#3177. 言語とは動的平衡にあるシステムか? (2)」 ([2018-01-07-1]) の記事で,動的平衡 (dynamic_equilibrium) の考え方を言語というシステムに応用できるか,という問題について論じた.
福岡の新著では,動的平衡の生物以外への応用例が多く示されている(例えば「動的平衡組織論」や「動的平衡芸術論」など).「動的平衡芸術論」と題するエッセイにおいて,福岡 (170--71) は一般論として次のように述べている.言語変化の因果関係 (causation) を論じる上で示唆的である.
この世界のあらゆる要素は,互いに連関し,すべてが一対多の関係で繋がりあっている.つまり世界にも,身体にも本来,部分はない.部分と呼び,部分として切り出せるものもない.世界のあらゆる因子は,互いに他を律し,あるいは相補している.そのやりとりには,ある瞬間だけを捉えてみると,供し手と受け手があるように見える.しかしその微分を解き,次の瞬間を見ると,原因と結果は逆転している.あるいは,また別の平衡を求めて動いている.つまり,この世界には,本当の意味で因果関係と呼ぶべきものもまた存在しない.世界は分けないことにはわからない.しかし,世界は分けてもわからないのである.私たちは確かに今,パラダイム・シフトが必要なのだ.その手がかりはどこにあるのだろうか.
福岡の動的平衡論においては,生命を筆頭とする動的平衡にあるシステムにとって,時間は本質的なパラメータである.時間のなかで稼働し続けているからこそ,機能を保っているという考え方だ.したがって,そこではパターンというよりもプロセスこそが重視されることになる.静態ではなく動態,共時態ではなく通時態の重視とも言い換えられるだろう.
ソシュール以来の言語学においても,パターン,静態,共時態を明らかにすることに専らエネルギーが費やされてきた.一方で,プロセス,動態,通時態の研究はないがしろにされてきたといってよい.後者の復権を期待する身にとっては,言語学にもパラダイム・シフトが必要のように思われる.とはいえ,「世界は分けないことにはわからない.しかし,世界は分けてもわからない」ということの意味も想像できる.パラダイム・シフトといっても難問である.
・ 福岡 伸一 『動的平衡3 チャンスは準備された心にのみ降り立つ』 木楽社,2017年.
「#3162. 古因学」 ([2017-12-23-1]) や「#3172. シュライヒャーの系統図的発想はダーウィンからではなく比較文献学から」 ([2018-01-02-1]) で参照してきた三中によれば,人間の行なう物事の分類法は「分類思考」 (group thinking) と「系統樹思考」 (tree thinking) に大別されるという.横軸の類似性をもとに分類するやり方と縦軸の系統関係をもとに分類するものだ.三中 (107) はそれぞれに基づく科学を「分類科学」と「古因科学」と呼び,両者を次のように比較対照している.
分類科学 | 分類思考 | メタファー | 集合/要素 | 認知カテゴリー化 |
---|---|---|---|---|
古因科学 | 系統樹思考 | メトニミー | 全体/部分 | 比較法(アブダクション) |
観念論的解釈 | 系統学的解釈 | |
---|---|---|
体系学 (Systematik) | ← | 系統学 (Phylogenetik) |
形態類縁性 (Formverwandtschaft) | ← | 血縁関係 (Blutsverwandtschaft) |
変容 (Metamorphose) | ← | 系統発生 (Stammesentwicklung) |
体系学的段階系列 (systematischen Stufenreihen) | ← | 祖先系列 (Ahnenreihen) |
型 (Typus) | ← | 幹形 (Stammform) |
型状態 (typischen Zuständen) | ← | 原始的状態 (ursprüngliche Zuständen) |
非型的状態 (atypischen Zuständen) | ← | 派生的状態 (abgeänderte Zuständen) |
分類科学 | 古因科学 |
---|---|
構造主義言語学 (structural linguistics) | 比較言語学 (comparative linguistics) |
類型論 (typology) | 歴史言語学 (historical linguistics) |
言語圏 (linguistic area) | 語族 (language family) |
接触・借用 (contact, borrowing) | 系統 (inheritance) |
空間 (space) | 時間 (time) |
共時態 (synchrony) | 通時態 (diachrony) |
範列関係 (paradigm) | 連辞関係 (syntagm) |
パターン (pattern) | プロセス (process) |
紊???? (variation) | 紊???? (change) |
タイプ (type) | トークン (token) |
メタファー (metaphor) | メトニミー (metonymy) |
How | Why |
進化思考をあえて看板として高く掲げるためには,私たちは分類思考に対抗する力をもつもう一つの思考枠としてアピールする必要がある.たとえば,目の前にいる生きものたちが「どのように」生きているのか(至近要因)に関する疑問は実際の生命プロセスを解明する分子生物学や生理学の問題とみなされる.これに対して,それらの生きものが「なぜ」そのような生き方をするにいたったのか(究極要因)に関する疑問は進化生物学が取り組むべき問題だろう.
言語変化の「どのように」と「なぜ」の問題 (how_and_why) については,「#2123. 言語変化の切り口」 ([2015-02-18-1]),「#2255. 言語変化の原因を追究する価値について」 ([2015-06-30-1]),「#2642. 言語変化の種類と仕組みの峻別」 ([2016-07-21-1]),「#3133. 言語変化の "how" と "why"」 ([2017-11-24-1]) で扱ってきたが,生物学からの知見により新たな発想が得られた感がある.
・ 三中 信宏 『進化思考の世界 ヒトは森羅万象をどう体系化するか』 NHK出版,2010年.
言語学における比較法 (the comparative method) の起源はドイツ人 Friedrich Schlegel (1772--1828) に遡るが,その定着に重要な貢献をなしたのはドイツ人 August Schleicher (1821--68) である.シュライヒャーはダーウィンの理論に傾倒して,1860年代前半に「#1118. Schleicher の系統樹説」 ([2012-05-19-1]) で示したような言語系統図を提示したが,その系統図的発想の源泉はおそらくダーウィンではなかった.むしろシュライヒャーが長らく属していた比較文献学の伝統,すなわち写本系統 (stemma, stemmatology) の考え方に起因するものだった可能性が高い.
三中 (99-100) は,ホーニグズワルドを参照しながらシュライヒャーの学問的背景について次のように述べている.
彼はイエナ大学の同僚であり,ダーウィンの進化学をドイツに普及させた最大の功労者であるヘッケルに導かれて,一八六〇年代にダーウィン理論に基づく歴史言語学に傾倒する.しかし,シュライヒャーを言語系統学に導いたのはダーウィンやヘッケルではない.むしろ,それ以前に比較文献学の教育を長く受けてきたことが,彼に言語系統樹の重要性を認識させた根本原因であるとホーニグズワルドは指摘している.
比較文献学では,現存する複数の古写本(異本)間の比較を通じてうしなわれた祖本の構築を目指す.その際,異本のもつ派生的ミス(字句の欠落・重複あるいは段落順の移動など)の共有性を手がかりにして,写本系図 (manuscript stemma) を構築する.シュライヒャーは,この方法論を言語にも適用し,言語間での派生的な特徴(とりわけ音韻論に着目して)の共有に基づく言語系統樹を一八五三年に――すなわち,ダーウィンの『種の起原』の出版(一八五九年)よりもかなり前に――早くも公表している.したがって,シュライヒャーの比較法は,ダーウィンやヘッケルではなく,それ以前の一八世紀に比較文献学においてすでに確立されていた写本系図の構築法の拡大適用とみなすべきであろう.
シュライヒャーがダーウィンの進化論に傾倒していたという事実から,てっきり言語系統図のアイデアは生物進化の新説から得たものだろうと思い込んでいたが,そうではないようだ.むしろ,言語学の側から生物学へとアイデアが流れ込んだという可能性すらある.そして,シュライヒャーの系統図的なアイデアの源泉が,写本の transmission に関する研究の伝統にあっただろうということもたやすく首肯できる(cf. 「#730. 写本文化の textual transmission」 ([2011-04-27-1])).つまり,時間の前後関係と因果関係は,おそらく「写本系統図→言語系統図→生物系統図」だったことになる.
言語学においては,構造主義の統語論で用いられるIC分析や生成文法の統語ツリーなども系統図を彷彿とさせるが,これもシュライヒャーからの伝統に基づくものかもしれない.あるいは,少なくともシュライヒャーから影響を受けた生物学からの2次的な影響によるものと考えることはできそうだ.関連して,「#2471. なぜ言語系統図は逆茂木型なのか」 ([2016-02-01-1]) も参照されたい.
系統図的発想や比較法が異なる学問領域を横断して十分に通用するものであることについては,「#3162. 古因学」 ([2017-12-23-1]) の記事も参照.
・ 三中 信宏 『進化思考の世界 ヒトは森羅万象をどう体系化するか』 NHK出版,2010年.
Francis Bacon (1561--1626) の流れを汲む経験主義の思想家に William Whewell (1794--1866) がいる.この人物は,現代では忘れ去られている「古因学」 (aetiology) を創始した人物である.彼の著書からの引用を,古因学の復権と確立を目指す三中 (101--02) 経由でお届けする.
原因を論じる科学は,ギリシャ語の αιτια(原因)を語源として『因果学』 (aetiology)』と呼ばれることがある.しかし,このことばはわれわれが今から論じようとする推測の学問をうまくとらえきれてはいない.なぜなら,それは前進的な因果関係だけでなく,力学のような永久的因果を論じる科学をも含むだろうからである.私がここで包括しようとする学問諸領域は,可能な過去だけではなく,現実の過去を研究対象とする.われわれがこれから論じようとする地質学の分科は,過去の存在 (παλαι, οντα) たる生物を対象とするという理由で『古生物学』 (palaeontology)』と名づけられている.そこで,このふたつの概念 (παλαι, αιτια) を結びつけることにより,古因学 (palaetiology) という新しい言葉を導入しても不都合はないように思われる.ここでいう古因学とは過去の事象に関して因果法則に基づく説明を試みる推測の学問である」(『帰納諸科学の歴史』)第三巻,p. 397)
この古因学の対象 (object あるいは「進化子」とも)は何でもよいわけで,化石,生物地理,言語,写本,民俗など何でもありである.この学の狙いは文理融合というような表面的なものではなく,まさに知の基本原理を提供するものだろう.共時態に対置される通時態の積極的な売り込みとみることができる.共時態と通時態という視座は,言語にとどまらず,すべての知的営為の両輪である.しかし,この単純明快なはずの両輪思考法がなぜか不在(といわずとも,弱め)なのが現代である.通時態抜きの片輪走行で走っているように思われる.
古因学の提唱は,要するに歴史の復権である.英語史も頑張らねば.
・ 三中 信宏 『系統樹思考の世界 すべてはツリーとともに』 講談社〈講談社現代新書〉,2006年.
イギリスにおける英語史記述の伝統は,19世紀後半に始まったといってよい.対象が英語という言語であるとしても,歴史の記述である以上,その時代のイデオロギーを反映せずにはいられない.19世紀後半の言語観は,標準英語を理想的な変種として称揚し,地域方言を含めた非標準変種はあたかも存在しないかのように扱うというものだった.昨今の variationist な英語史観からみると「政治的に公正でない」偏った立場のように見えるが,名立たる先達の英語(史)学者が公然とそのような立場を取っていたのである.Knowles (142--43) が,この状況について述べている.
In the course of the second half of the nineteenth century, the story of English gradually emerged in its modern form . . . . The study of words was fitted into a familiar account of English history identifying the different events that had led to the enlargement of the vocabulary; the coming of the Saxons, and the Danish and Norman invasions. Caxton could be seen as the harbinger of the new age that dawned at the end of the Middle Ages. A particular interest was taken in the sixteenth century, the growth of the vocabulary at this time being interpreted as an expression of the Renaissance. From an Anglican point of view, the Reformation was a major advance which led to Elizabethan English.
The belief in progress can give the impression that the language has marched onward and upward, while suffering setbacks on the way. Thus West Germanic leads on to late West Saxon, which in turn leads to Elizabethan English, and eventually modern Standard English. The emphasis on literary texts led to an interpretation of major literary figures as creators of the language, with the result that the Beowulf poet, Chaucer, Shakespeare and Milton were taken to illustrate the rise of the language . . . .
As the understanding of language broadened at the end of the nineteenth century, the 'internal' history branched out to cover the attributes of words, including spelling and pronunciation, semantic change and (to a limited extent) their changing grammatical behaviour. This 'internal' history has preserved some older beliefs about language change, including the ambivalence towards dialects. Although the relationship between dialects and Standard English has long been perfectly well understood, and this is made clear in explicit descriptions, conventional accounts of change in English pronunciation, grammar and vocabulary have never quite fitted the known 'external' history. Changes are given precise dates, as though they took place everywhere at about the same time in a standard language. In fact, there are changes usually ascribed to the Anglo-Saxon period which have still not taken place in the rural dialects of Cumbria. This approach to change is consistent with an older story, according to which (standard) Saxon collapsed after the Norman conquest, not to be reestablished until the end of the Middle Ages. Some scholars . . . have even sought to establish a historical link between the old and new kinds of Standard English.
19世紀後半からなされた英語史記述は,標準英語の確立を輝かしいゴールとして掲げた一種のホイッグ史観の産物といってよいだろう.先に述べたように,昨今は variationist な英語史観が広がってきたとはいえ,古英語(以前)から現代英語までの(そして未来の英語を見据える)英語史を記述するあたっての大局的な視点として,標準英語を中心におく伝統的な史観がどれだけ本当に薄まってきているかは疑問である.21世紀の新鮮さを目指す英語史にも,それは死に絶えていないどころか,いまなお色濃く残っているのではないか.
・ Knowles, Gerry. A Cultural History of the English Language. London: Arnold, 1997.
「#3146. 言語における「遺伝的関係」とは何か? (1)」 ([2017-12-07-1]),「#3147. 言語における「遺伝的関係」とは何か? (2)」 ([2017-12-08-1]),「#3148. 言語における「遺伝的関係」の基本単位は個体か種か?」 ([2017-12-09-1]) で,言語における「遺伝」について考えた.この「遺伝」情報に従って,印欧語族の系統図のような family_tree が描かれてきたのだが,このような言語の「遺伝的分類」は,何の役に立つのだろうか.Noonan (51) がこの素朴な疑問に答えている.
. . . it might be worth asking what genetic classification is good for. It has already been stated that genetic classification is not always useful in providing information about the structure of a language or its morpheme inventory, the more so the higher up the taxonomic ladder one goes. Information about where in the world a language is spoken provides more useful information about grammatical structure, but we don't have classifications of languages by region that are comparable to genetic classifications. On the positive side, however, genetic classification has proven a boon to historical linguistics, providing the superstructure around which theories of language change have developed over the last two centuries. Such classifications also, potentially, provide information of considerable historical value. Typologists use genetic classifications to explain similarities among languages and as a consideration in constructing cross-linguistic samples. And, of course, most of us find satisfying the classification of familiar things: typically the first thing a linguist will ask on being told of an unfamiliar language is: "What family does it belong to?"
1つめは,消極的ではあるが,もう1つの言語分類法である類型論 (typology) は,地域分布と言語特徴を関連づけようとする分類法として有望ではあるが,遺伝的分類に匹敵する質のものはいまなお得られていないという点である.
2つめは,歴史言語学において言語変化を研究するための作業場として "superstructure" を与えてくれるという貢献である.印欧祖語からゲルマン祖語を経て,古英語,そして現代英語にまで及ぶ広い意味での英語史や英語の言語変化を研究しようとする際に,すでにこの大きな枠組みが前提となっていなければ研究しにくい.枠組み自体が仮説的なものではあるにせよ,それを設定することで見えてくることも多い.
3つめの回答は,一般的なものである.人間は身の回りのものを分類したがる動物である.ましてや言葉という卑近なものを分類したがる性癖は避けがたい.
・ Noonan, Michael. "Genetic Classification and Language Contact." The Handbook of Language Contact. Ed. Raymond Hickey. 2010. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2013. 48--65.
昨日の記事 ([2017-08-03-1]) で,帝国主義と比較言語学の蜜月関係について触れたが,このことは,世界的ベストセラーとなった Yuval Noah Harari による Sapiens (邦題『サピエンス全史』)でも触れられている.比較言語学の嚆矢となった William Jones の功績は,そのまま帝国主義のエネルギーとなったという論である.Harari (335--36) の議論に耳を傾けよう.
Linguistics received enthusiastic imperial support. The European empires believed that in order to govern effectively they must know the languages and cultures of their subjects. British officers arriving in India were supposed to spend up to three years in a Calcutta college, where they studied Hindu and Muslim law alongside English law; Sanskrit, Urdu and Persian alongside Greek and Latin; and Tamil, Bengali and Hindustani culture alongside mathematics, economics and geography. The study of linguistics provided invaluable help in understanding the structure and grammar of local languages.
Thanks to the work of people like William Jones and Henry Rawlinson, the European conquerors knew their empires very well. Far better, indeed, than any previous conquerors, or even than the native population itself. Their superior knowledge had obvious practical advantages. Without such knowledge, it is unlikely that a ridiculously small number of Britons could have succeeded in governing, oppressing and exploiting so many hundreds of millions of Indians for two centuries. Throughout the nineteenth and early twentieth centuries, fewer than 5,000 British officials, about 40,000--70,000 British soldiers, and perhaps another 100,000 British business people, hangers-on, wives and children were sufficient to conquer and rule up to 300 million Indians.
この論によると,ある側面からみると William Jones は帝国主義的な学者であり,比較言語学も帝国主義的な学問分野であるということになる.
上の文章は "The Marriage of Science and Empire" と題される15章から引いたものである.実のところ著者は(比較)言語学だけを取り上げて帝国主義の申し子とみなしているわけではなく,植物学,地理学,歴史学など当時の「科学」,すなわち諸学問が全体として帝国主義を支えたのだと論じている.言語学もそうした諸学問の1つだったという趣旨である.近代言語学をみる重要な視点だろう.
・ Harari, Yuval Noah. Sapiens: A Brief History of Humankind. 2011. London: Harvill Secker, 2014.
19世紀後半から20世紀前半にかけて,著しく発展した比較言語学や文献学の成果を取り込みつつ OED や EDD の編纂作業が進んでいた.言語学史としてみると実に華々しい時代といえるが,強烈な帝国主義と国家主義のイデオロギーがそれを支えていたという側面を忘れてはならない.Romain (48) は,次のように述べている.
The energetic activities of intellectuals such as James Murray, Joseph Wright, author of the English Dialect Dictionary, and others were central to the shaping of European nationalism in the nineteenth century, a time when, as Pedersen (1931--43) puts it, 'national wakening and the beginnings of linguistic science go hand in hand'. Historians such as Seton-Watson (1977) and Anderson (1991) have observed how nineteenth-century Europe was a golden age of vernacularising lexicographers, grammarians, philologists and dialectologists. Their projects too were conceived as children of empires.
Willinsky (1994) singles out the OED, in particular, as the 'last great gasp of British imperialism'. It captured a history of words that fit well with the ideological needs of the emerging nation-state. As Willinsky observes (1994: 194), the OED speaks to a 'particular history of national self-definition during a remarkable period in the expansion and collapse of the British empire'. Murray's tenure as editor of the OED coincided roughly with the period which historian Eric Hobsbawm (1987) has called the Age of Empire, 1875--1914. With the OED, Murray and other editors were engaged in establishing England and Oxford University Press's claim on the English language and the word trade more generally.
「#644. OED とヨーロッパのライバル辞書」 ([2011-01-31-1]) の冒頭で「19世紀半ば,ヨーロッパ各国では,比較言語学発展の波に乗って,歴史的原則に基づく大型辞書の編纂が企画されていた」と述べたが,「比較言語学発展の波」そのものがヨーロッパの帝国主義の潮流に支えられていたといってよい.帝国主義と比較言語学は蜜月の関係にあったのである.
普段,言語研究に OED を用いるとき,その初版が編纂された時代背景に思いを馳せるということはあまりないかもしれないが,この事実は知っておくべきだろう.
OED についてのよもやま話は,「#2451. ワークショップ:OED Online に触れてみる」 ([2016-01-12-1]) に張ったリンクをどうぞ.EDD については,「#869. Wright's English Dialect Dictionary」 ([2011-09-13-1]),「#868. EDD Online」 ([2011-09-12-1]),「#2694. EDD Online (2)」 ([2016-09-11-1]) を参照.
・ Romaine, Suzanne. "Introduction." The Cambridge History of the English Language. Vol. 4. Cambridge: CUP, 1998. 1--56.
「#2993. 後期近代英語への関心の高まり」 ([2017-07-07-1]) で,近年,後期近代英語期の研究が盛り上がってきていることに触れた.その理由は様々に説明できるように思われるが,Kytö et al. (4--5) の指摘している4点に耳を傾けよう.19世紀の英語が研究に値する理由として,先の記事で触れたものと合わせて確認しておきたい.
(1) 19世紀中に識字率が上がったことにより,多種多様なテキストが豊富に生み出された.とりわけ性差と言語変化の関係がよく調査できるようになった.
(2) Brown Family のような現代英語のコーパスによる研究の成果として,数十年ほどの短期間における言語変化に注目が集まった.ここから,後期近代英語期の社会的・政治的な出来事と,当時の言語変化の関係を探る研究が試みられるようになった.
(3) この時期にジャンルの広がりが見られた.特に,私信,新聞,小説,科学の言説など,現代にかけて重要性を増すことになる諸ジャンルが開拓された時期として重要である.
(4) 19世紀は,イギリス以外の英語変種の多くにとって形成期に相当する.
いずれの項目も,後期近代英語期に特有の特殊な歴史事情を反映していることはいうまでもないが,それ以上に近年のコーパス言語学,社会言語学,語用論といったアプローチが興隆してきた学史的な背景と連動していることが重要である.もとより歴史的な分野であるとはいえ,いま歴史のどの側面に関心を寄せやすいのか,関心があるのかという現在的な動機こそが,歴史研究を駆動していくものだとわかる.
・ Kytö, Merja, Mats Rydén, and Erik Smitterberg. "Introduction: Exploring Nineteenth-Century English --- Past and Present Perspective." Nineteenth-Century English: Stability and Change. Ed. Merja Kytö, Mats Rydén, and Erik Smitterberg. Cambridge: CUP, 2006. 1--16.
この20年ほどの間,特に21世紀に入ってから,英語史の分野では後期近代英語 (Late Modern English; 18--19世紀の英語) への関心が高まってきている.逆にいえば,現代英語に接続する最も「近い」時代の英語が,これまで正当に評価されてこなかったという見方もできるだろう.この見方は,18--19世紀の英語研究を表現する Charles Jones の有名な句 "the Cinderellas of English historical linguistic study" に端的に表わされている (Jones, Charles. A History of English Phonology. London: Longman, 1989. p. 279) .
後期近代英語に関する本格的な研究書は1990年代から現れ始め,2001年にはエディンバラ大学でこの時代に焦点を当てた初めての国際学会が開かれるなど,にわかに活況を呈してきた.この近年の英語史研究の潮流は,いったい何に起因するのだろうか.
Beal (xi--xii) によれば,2つの理由があるという.1つはミレニアム,もう1つは歴史社会言語学とコーパス言語学の発達と熟成である.前者について,次のように述べられている.
Perhaps the most obvious clue is in the millennium itself: the nineteenth century is no longer 'the last century', so that there is the perception that a 'safe' distance now exists between the 'Later Modern' period the the present day.
要するに,研究者が19世紀を「歴史」として捉えられるだけの時間差と心の余裕を得たということになろう.完全かつ安全に過去のものとなった,という認識である.2点目の言語学史的な潮流に関しては,Beal (xii) は次のように指摘している.
A second explanation for the recent upsurge in interest in this period lies in the change of emphasis within historical linguistics from the purely theoretical to socio-historical and corpus-based approaches to the study of language.
"socio-historical" や "historical sociolinguistic" と表わされる「歴史社会言語学」という表現自体が比較的新しいものであり,いまだ定着しつつ過程にあるにすぎないが,1つの有望な領域であるとは私も確信している (cf. 「#2883. HiSoPra* に参加して (1)」 ([2017-03-19-1]),「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1])) .また,コーパス言語学の手法の発達とあらゆるテキストの電子可は,英語史研究者が時代を自由にまたいで越えていくことを可能にし,結果として比較的手薄だった近代英語研究の間口を広げることに貢献したといえる(「#368. コーパスは研究の可能性を広げた」 ([2010-04-30-1]) を参照).近代英語には,中世と現代の双方から歩み寄ることのできる「出会いの場」としての役割も期待されている.
英語史研究で盛り上がりをみせている後期近代英語期に,今後も要注目である.
・ Beal, Joan C. English in Modern Times: 1700--1945. Arnold: OUP, 2004.
ここ1ヶ月ほどの間に,「バベルの塔」絡みの記事をいくつか書いてきた(tower_of_babel) .東京都美術館でブリューゲル「バベルの塔」展が開催されているのに引っかけて書いてきたのだが,先日,ようやくその美術館への訪問を果たした.
ブリューゲルの「バベルの塔」(ボイマンス美術館版)の実物を鑑賞するに当たって,事前にいくつかの評論を参照したが,実に多様な味わい方があるようだ.なぜブリューゲルはあのような塔をあのような背景とともに描いたのか.なぜ1568年頃という時期に描いたのか.その意図は何なのか.聖書に従った悲観的な構想なのか,あるいはそれを逆手に取った楽観的な視点があったのか,あるいは両方か.評論を読んでも実物を見ても,つかめないままである.
ブリューゲルの「バベルの塔」を,16世紀ヨーロッパ諸国の俗語賞揚と国民言語の確立という言語を取り巻く社会的風潮の観点から読み解こうとしたものに,互による議論がある.それを紹介しよう.
当時のヨーロッパの近代国家は,ラテン語のくびきから解放され,代わって俗語 (vernacular) が国語 (national language) として台頭してくるという潮流のなかにあった.国家として独立していることを内外に知らしめる手段として,権威ある国語の盤石な確立が急務と考えられていた.強国であれば,国語を選択・制定したうえで権威づけし,国民に広く教育・強制することが可能だろう.例えば,強国フランスは,フランス語をそのような地位に置くのに,それほどの時間とエネルギーを要しなかった.国家に実力があれば,国語にも実力を持たせられる.
しかし,実力の劣る国々,特にプロテスタント諸国家は,国語の確立に手間取った.そこで,彼らが自国語を権威づける方法として採用したのは,聖書の伝統により神の権威が付随しているみなされ,人類の原初の言語と考えられていたヘブライ語を引き合いに出し,自国語との言語的関連性をまことしやかに説くという戦略だった.こうして,ドイツ語やオランダ語があちらこちらでヘブライ語と結びつけられるようになった.
オランダ語の権威づけの試みについて,互 (83--85) の記述を引用する.
一五六八年以降,スペインの支配から脱するため,八十年に及ぶ独立戦争を強いられたネーデルラントでは,開戦翌年にあたる一五六九年,アントウェルペンで町医者として活動しながら言語および古代の研究に情熱を注いだヨハンネス・ゴロピウス・ベカヌス(ヤン・ファン・ホルプ)(一五一九--七二年)が『アントウェルペンの起源 (Origines Antwerpianae)』を公刊し,原初の言語は「神」から吹き込まれたものであり,そこでは言葉と事物は有縁的な関係をもっていた,そしてそうした関係の典型はオランダ語に見出される,と説いた.理由はといえば,アントウェルペン人の祖先であるキンブリ人はヤペトの直系の子孫であり,ヤペトの子孫は「バベルの塔」の下にいなかったために言語の混乱を免れ,かくしてアントウェルペン人だけがアダムの言語を保存した,というものである.ゴロピウス・ベカヌスは,語源による説明を試みながら,オランダ語が単音節語を多くもっていること,音の豊かさの点で他のあらゆる言語にまさっていること,複合語を生み出す力をもっていることを根拠に自説を証明しようとした.同様の試みは十七世紀に入っても見られ,一六二〇年に刊行されたアドリアン・ファン・デア・スリーク(一五六〇--一六二一年)の『敵対者たちの書 (Adversariorum libri)』では,「いかにヘブライ語は神的で原初のものであるか」,「どのようにしてそのあとすぐにチュートン語〔オランダ語〕が生じるのか」の証明が試みられている.
このとき,今日まで最もよく知られる「バベルの塔」を描いたピーテル・ブリューゲル(一五二五頃--六九年)が,ゴロピウス・ベカヌスと同じ時代に同じアントウェルペンで活動したフランドルの画家だったという事実の意味に気づくだろう.ブリューゲルが描いた現存する二枚の《バベルの塔》は一五六三年の作だが,さらに見渡して十六世紀から十七世紀にかけて多くの「バベルの塔」の絵画を残した者を探すなら,ヘンドリク・ファン・クレーヴ(一五二五--八九年)にしても,アベル・グリマー(一五七〇--一六二〇年)にしても,アントウェルペンで活動したフランドルの画家である.むろん,これは偶然の一致ではない.言語の混乱に象徴される人々の混乱と不安定な状況を,この事実は示している.そうしてヨーロッパでは,各地に「バベルの塔」が乱立した.
俗語賞揚と国民言語の確立を急務と考えていた点では,もちろんイギリスも例外ではない.イギリスも,様々な策を弄して国語たる英語の権威づけに腐心した.いずれの近代国家も,そこに国運の多くをかけていたといっても過言ではない.そして,その後,近代国家間の競争を経て,最終的に優位に立ったのがイギリスであり,それによって国際的な権威の高まったのが英語であった.斜めの角度からではあるが,ブリューゲル「バベルの塔」は,英語史的にも鑑賞しうる.
・ 互 盛央 『言語起源論の系譜』 講談社,2014年.
ユダヤ・キリスト教の伝統によれば,本来唯一のものであった人間の言語,すなわち "the language" は,「バベルの塔」の事件を契機にバラバラに離散し,複数の言語,すなわち "languages" となったとされる.この伝統的言語観は,西洋の言語起源論と言語拡散論において大きな影響を及ぼしてきたが,近代になると,これに対する批判的な見解も立ち現れてきた.
この点において,18世紀の思想家で言語の起源についての書も著わした Jean-Jacques Rousseau (1712--78) の見解は,言語学史的に興味深い.ルソーは,アダムの話していた原初の言語の系列は現在残っていないのではないか,また「バベルの塔」以前にも諸言語が離散していたのではないかと考えていた節がある.Mufwene (20) の解説を引こう.
Rousseau questioned the Adamic hypothesis on the origins of modern language, arguing that the language that God had taught Adam and was learned by the children of Noah perished after the latter abandoned agriculture and scattered. Modern language is therefore a new invention . . . . Rousseau may have been concerned more about the diversification of the language that Noah's children had spoken before they dispersed than about the origins of language itself. He assumed the speciation to have happened before the Tower of Babel explanation in the Judeo-Christian tradition.
もちろん現代の視点からみれば,ルソーのこの見解は,言語史上の知見を深めてくれるというよりは,言語学史上の意義をもつに過ぎない.しかし,言語はある程度の期間,自然状態に置かれれば,離散して多様化していくものであるという,現代の常識的な見方を先取りしたものとして評価に値する.
Mufwene (20) は,昨今,人間の言語能力の発現についての議論は盛んだが,言語の多様化については十分に議論されていないと指摘している.確かに,言語多様化の過程については,マクロにもミクロにも,言語学としてもっと本質的な考察がなされてしかるべきとは感じる.関連して,方言の形成,言語接触,言語地理学などのキーワードが思い浮かぶ.
・ Mufwene, Salikoko S. "The Origins and the Evolution of Language." Chapter 1 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013.
昨日の記事「#2913. 漢字は Chinese character ではなく Chinese spelling と呼ぶべき?」 ([2017-04-18-1]) で取り上げた高島の漢字論,そして日本語論はぶっきらぼうな刺激に満ちている.おもしろい.日本語は,文字との付き合い方に注目すれば,すこぶる畸型の言語である,と高島 (243) は明言する.念頭にあるのは「高層」「構想」「抗争」「後送」「広壮」などの同音漢語のことである.
日本の言語学者はよく,日本語はなんら特殊な言語ではない,ごくありふれた言語である,日本語に似た言語は地球上にいくらもある,と言う.しかしそれは,名詞の単数複数の別をしめさないとか,賓語のあとに動詞が位置するとかいった,語法上のことがらである.かれらは西洋で生まれた言語学の方法で日本語を分析するから,当然文字には着目しない.言語学が着目するのは,音韻と語法と意味である.
しかし,音声が無力であるためにことばが文字のうらづけをまたなければ意味を持ち得ない,という点に着目すれば,日本語は,世界でおそらくただ一つの,きわめて特殊な言語である.
音声が意味をにない得ない,というのは,もちろん,言語として健全な姿ではない.日本語は畸型的な言語である,と言わざるを得ない.
では,日本語のこの問題を解決することができるのか.高島は「否」と答える.畸型のまま成長してしまったので,健全な姿には戻れない,と.「日本語は,畸型のまま生きてゆくよりほか生存の方法はない」 (p. 236) と考えている.
この悲観論な日本語論について賛否両論,様々に議論することができそうだが,私がおもしろく感じたのは,西洋由来の音声ベースの言語学から見ると,日本語は何ら特別なところのない普通の言語だが,音声と文字との関係をかりそめにも考慮する言語学から見ると,日本語は畸型の言語である,という論法だ.高島は日本語の畸型性を力説しているわけだから,音声と文字との関係をかりそめにも考慮する言語学のほうに肩入れしていることになる.つまり,音声を最重要とみなす主流の近代言語学から逸脱しつつ,音声と比して劣らない文字の価値を信じている,とも読める.
文字は音声と強く結びついてはいるが,本質的に独立したメディアである.言語学は,そろそろ音声も文字も同じように重視する方向へ舵を切る必要があるのではないか.書き言葉の自立性については,以下の記事を参照.
・ 「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1])
・ 「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1])
・ 「#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2)」 ([2015-09-23-1])
・ 「#2431. 書き言葉の自立性に関する Bolinger の議論」 ([2015-12-23-1])
・ 「#2508. 書き言葉の自立性に関する Samuels の議論」 ([2016-03-09-1])
・ 「#2819. 話し言葉中心主義から脱しつつある言語学」 ([2017-01-14-1])
・ 高島 俊男 『漢字と日本人』 文藝春秋社,2001年.
昨日の記事[2017-03-19-1]に続いて,3月14日に参加した HiSoPra* の話題.大討論会「社会と場面のコンテクストから言語の歴史を見ると何が見えるか?―歴史社会言語学・歴史語用論の現在そして未来」で,10分程度の発言の機会をいただいた.僭越ながら私が掲げた「テーゼ」は,「21世紀の歴史社会言語学は,古くからある問題に新たな衝撃を与え,言語変化を含む歴史言語学の諸問題に活気をもたらすものである」というもの.特に資料もなしでの口頭発表だったので,以下に備忘録的に内容の概要を残しておきたい.
テーゼをさらに短く要約すると,「古い問題に対する新しいアプローチ」である.これはいろいろなところで聞くフレーズかもしれないが,歴史社会言語学・歴史語用論について,私が考えていることを端的に表現すると,これに行き着く.特に英語史の分野では,HiSoPra 的な研究は連綿と続いてきており,知見も蓄積されてきている.日本語史の立場から,もう1人の討論者である青木氏が「とっくにやってる」と述べた通り,英語史でも「とっくにやってる」のである.ただ,「歴史社会言語学」や「歴史語用論」というラベルが貼られていなかっただけである.しかし,ここで問題は,「たかがラベル」なのか「されどラベル」なのか,である.実際のところは「たかが」かつ「されど」の解釈が正解だと思っているが,討論会の題に「未来」が入っていることもあり,新しい分野としてのラベル貼りは重要だという方向で議論を運んだ.「とっくにやってる」こと,すなわち既存の研究に名前と場所を与えることによって,新たな見方や対し方が生まれ,今まで見えなかった周辺の問題との関連が見えるようになり,思いも寄らない化学反応が生じてくる可能性がある.
18世紀末からの近代言語学の歴史は,「歴史的視点 vs 非歴史視点」「中心領域 vs 周辺領域」の2つの対立軸でみると,きれいに整理できる.以下のマトリックスで表わされるように,19世紀から20世紀後半にかけて,言語学の主たる関心は I → II → III の順序で変化してきて,21世紀に残されたのは第IVステージしかない.このステージは,空白ではあるが,未知のものではない.既存の2つの項「歴史的視点」「周辺領域」を掛け合わせることによって,必然的に埋まるはずの空白である.しかし,意識的な2項の掛け合わせは,歴史上初のものであり,その意味において「新しい」とは言える(以下,伏せ字部分をクリック).
中心領域(音声,音韻,形態,統語,意味) | 周辺領域(社会,語用) | |
---|---|---|
非歴史的視点 | II. 共時的言語理論(構造主義,生成文法)(20世紀) | III. 社会言語学,語用論など(20世紀後半) |
歴史視点 | I. 比較言語学,文献学(19世紀) | IV. 歴史社会言語学,歴史語用論など (21世紀) |
スペインに関係する歴史で,1492年は輝かしい.まず,年初にイベリア半島の最後のイスラム王朝であるグラナダのナスル朝を滅亡させ,ついにイスラム勢力を半島から追い払った.レコンキスタ(国土回復運動)の完了である.さらに,それと関連して得た経済的余裕により,スペイン王室はコロンブスの航海を支援することが可能となり,結果的に新大陸「発見」(同年10月)の威光を獲得することができた.そして,スペインは,その間の同年8月に言語史上にも名を残すことになった.Elio Antonio de Nebrija (1441--1522) による『カスティリャ文法』の出版である.
イベリア半島では,8世紀半ばに北アフリカからイスラム教徒が北上して後ウマイヤ朝を建てた.11世紀以降,キリスト教徒は失地回復に乗り出し,それとともに分立していた諸王国が統合されていった.12世紀,アラゴンがナヴァラとカタロニヤを併合すると,カスティリャも版図を広げ,上述のように,イスラム教徒の勢力はグラナダに限られるまでになった.そして,カスティリャの女王イサベルとアラゴンの王子フェルディナンド2世が結婚して両王国が合併し,半島に強大な国家が出現することになった.このような状況下で,1492年8月,ネブリーハによる『カスティリャ文法』 (Gramática de la lengua castellana) が上梓された.カスティリャ語は,当時のイベリア半島で最も威信のある俗語であり,今日のスペイン語の書き言葉の基となった言語である.
近現代言語史においてこの俗語文法書が出版された意義は,果てしなく大きい.国家と国語の緊密な結びつきの歴史が,まさにここに始まったからである.田中 (59--60) の解説を引用しよう.
ネブリーハはこの「文法」の序文の冒頭のところで,国家の興亡と言語の興亡とがいかに深い関係にあるかを述べ,そのことを,「言語はつねに帝国の伴侶 (compañera del imperio) である」と表現した.この「伴侶」は「つれあい」「朋友」などさまざまに訳すことができるが,注意しておかねばならないのは,帝国(インペリオ)が男性の名詞であるのに対し,伴侶(コンパニェーラ)は女性の形にしてある.それは,ともであるところの言語(レングア)が女性名詞であるからだ.つまりネブリーハは,ここで国家と言語とのきりはなしがたいむすびつきを,一組の男と女の運命的な婚姻にたとえたのである.
ではいったいかれは,何を目的にしてこの俗語文法を書いたのか.
女王様が,さまざまな異なる言語を話す多数の野蛮の諸族や諸民族を支配下に置かれ,その征服によって,かれらが,征服者が被征服者に課する法律を,またそれにともなって我々のことばを受け入れる必要が起きたとき,その時かれらは,ちょう私どもが今日,ラテン語を学ぶためにラテン文法の術を学ぶのと同じ様に,この私の術 (Arte) =文法によって,私たちのことばを理解するようになるでしょう.また,カスティリャ語 (lenguaje castellano) を知る必要のある私たちの信仰の敵のみならず,バスク人,ナヴァラ人,フランス人,イタリア人やそのほか,スペインにおいて,何か交渉や話をせねばならないとか,我々のことばを必要とするすべての人々が,子供のときから,習慣によってそれを学ぶほどにならないまでも,私のこの書物によってそれを知ることができるでありましょう.
この期においてもまたその後においても,俗語が文法を持つことの意味を,これほど明快に説明した例は他にない.「ちょうど私どもがラテン語を学ぶためにラテン文法の術を学ぶのと同じ様に」と述べられているとおり,このカスティリャ文法は,カスティリャ語を母語にしない人たちのために編まれている.それは「女王様の支配下に入って」その法律を書くことばを理解するためであり,また,カスティリャ周辺のヨーロッパ諸民族に使わせることを予定している.そして事実その通り,コロンブスに発見されたアメリカ大陸の諸族と,イベリア半島のカスティリャ外の諸地域が,やがてこの文法の支配をうけることになるのである.
実際,この書を献じられたイサベル女王は,これが何の役に立つのかと問うたとき,ネブリーハの意を汲んでアビラの司教が「言語は帝国の武器です」という趣旨の回答をしたという(中丸,p. 140).
この文法書は俗語文法書としては初のものであり,それ以降の近代期における俗語の発展と台頭を予言するものであった.これ以降,中世の長きにわたって言語的王者として君臨したラテン語の権威は,すぐにではないにせよ徐々に衰えていく.そして,このあと初めてのポルトガル語文法が1536年に,英文法が1586年に著わされることになる.後者については「#2579. 最初の英文法書 William Bullokar, Pamphlet for Grammar (1586)」 ([2016-05-19-1]) を参照.
ちなみに,ネブリーハは改宗ユダヤ人だったという.コロンブスも改宗ユダヤ人だったのではないかという説があり,この辺りの話題は興味深い.
・ 田中 克彦 『ことばと国家』 岩波書店,1981年.
・ 中丸 明 『海の世界史』 講談社,1999年.
セミル・バディル(著)『ソシュールの最大の後継者 イェルムスレウ』を読んで,難解とされる言理学 (glossematics) を概観した(「#1074. Hjelmslev の言理学」 ([2012-04-05-1]) も参照).
イェルムスレウの記号学的認識論の中心に,外示記号,共示記号,メタ記号の区別がある.外示記号はいわば通常の記号を指す.共示記号は,表現部それ自体が記号であるような記号を指す.そして,メタ記号は,内容部それ自体が記号であるような記号を指す.この基本的な対立に,範列的 (paradigmatic) と連辞的 (syntagmatic) というソシュール以来よく知られた対立が組み込まれ,1つの認識論が構成される.
このイェルムスレウの認識論に立って,既存の言語学諸分野の位置づけを整理すると,以下の表のようになるだろう(バディル,p. 205).
留意すべきは,既存の分野名のもとで研究されてきた内容が,そのままイェルムスレウ的な認識論における同名の分野のもとで扱われるとは限らないことだ.例えば,外示記号の表現の連辞を扱う「形態論」は,およそ伝統的な「形態論」で扱されてきた分野を覆うと考えてよいが,音素の統語的変異などを扱う問題も含むという点で少し守備安易が異なる.
この表の個別部分について見ると,特に興味深いのは,「通時」あるいは「歴史」が共示記号の範列の変異に関わる次元の1つとしてとらえられている点である.それと同列に別の次元を構成しているのは「地理」「社会」「心理」「象徴」などである.ここでは,「通時」がとりたてて「共時」に対立するものとして立てられているわけではなく,むしろ「地理」「社会」「心理」「象徴」などとの並列性が強調されている.
バディル (207--08) では,この共時・通時の再解釈について,次のように述べられている.
このように提示された言語分析は,共時的な分析だと見なされる必要はない.通時的分析をも「包含する」からである.この包含関係は,共時態と通時態の対立を定式化し直す必要性を意味する.つまり,通時態とは,共時態の「層」が重なり合って作られるものではない.形式的理論において関与的なのは,むしろその逆である.外示記号の「考古学的」な分析を実行することが可能なのである.したがって,歴史的特徴は,他の個別化をもたらす観点の中で,外示記号の作る一つの次元だということになる.
共時的言語学が圧倒的に優勢な現在,言語学のなかに通時態を復活させようとすることは簡単な試みではないが,イェルムスレウの認識論は1つのヒントになりそうだ.
言語学の諸部門の整理という話題については,「#378. 語用論は言語理論の基本構成部門か否か」 ([2010-05-10-1]),「#1110. Guiraud による言語学の構成部門」 ([2012-05-11-1]),「#1726. 「形態」の紛らわしさと Ullmann による言語学の構成部門」 ([2014-01-17-1]) も参照.
・ セミル・バディル(著),町田 健(訳) 『ソシュールの最大の後継者 イェルムスレウ』 大修館,2007年.
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