「#3603. 帝国主義,水族館,辞書」 ([2019-03-09-1]) の記事で,イギリス帝国(や大日本帝国)にとって,水族館やそこに展示される様々な生物は,自分たちが世界の海を支配していることを広くアピールする手段だったという議論をみた.安田敏朗(著)『金田一京助と日本語の近代』を読んでいて,よく似た議論に出くわした.日本が,帝国内に行なわれているアイヌ(語)を含めた様々な異質な民族や言語を展示することによって,帝国としての力をアピールしていたのではないかという見方だ.安田は,金田一京助もそのような観点からアイヌ(語)をとらえていたとみている.金田一の最初の本である訳書『新言語学』(1912年)の「自序」に,次のようにある(安田,p. 71--72 より孫引き).
〔漢字・漢文,欧米言語の学習という「苦行は」〕吾々に外国人には容易に得られない尊い資格をつけてゐる.それは,欧羅巴の学者の定説に拠ると,世界の諸国語は無慮数百千の多数に上るが,大観すると其の中に三つ(或は四つ)の大きな典型がある.曲折語・膠着語・孤立語これである.英語・仏蘭西語其の外白色人種の言語は,凡て曲折語に属し,支那語は孤立語に,日本語は膠着語に属する.
して見ると,種々様々な形態を採る世界言語の一般概念は,此の小島国に生れた日本〔人〕は,大人になる迄には自然に把持する様に出来てゐる.
尤も,四つの典型に観る場合には,前の三つの上に,抱合語といふものを加へる.抱合語の例を求めると,これも丁度日本には,アイヌという種族が話して国土の内に行はれてゐる.おまけに台湾には土着の熟蕃が孤立語を話してゐるので,日本といふ国はさながら世界各種の言語の見本を備へつけた,生きた図書館の観がある.実に言語研究の立場に於ては,日本人は生れ乍らに天与の特権をもってゐるものである.
つまり,日本は,帝国の領土を拡張したことにより,そのまま諸言語の博覧会というべき存在となったというわけである.博覧会とは,比喩的な意味だけで言っているわけではない.というのは,1912年10月に上野公園で「拓殖博覧会」が開かれ,そこでアイヌを含め熟蕃,ギリヤーク,オロチョン,朝鮮に関する見世物が実際に展示されたのである.そして,金田一は,展示されるべく東京にやってきたアイヌ語のインフォーマントたちを利用して,自らのアイヌ語研究を進めることができた.
帝国主義と言語学史には,思いのほか接点が多い.この件については「#3020. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (1)」 ([2017-08-03-1]),「#3021. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (2)」 ([2017-08-04-1]),「#3376. 帝国主義の申し子としての英語文献学」 ([2018-07-25-1]) も参照されたい.
・ 安田 敏朗 『金田一京助と日本語の近代』 平凡社〈平凡社新書〉,2008年.
Sir William Jones (1746--94) は,言語学の世界ではいわずとしれた存在である.比較言語学の端緒を開いたのみならず,近代言語学の祖ともされる.彼のキャリアを振り返ろう.
Jones はウェールズ系の家系のもとにロンドンに生まれた.生まれながらの語学の天才というべきで,ヨーロッパの近代諸語はもちろん,オックスフォード大学に入ってからは東洋の諸言語にも親しんだ.大学でアラビア語やベルシア語を学ぶと,1771年にはペルシア語文法書 Grammar of the Persian Language を著わしたほどである.
経済的理由から法律家を志し,1783年に法律家としてインドに赴任.カルカッタの上級裁判官となった.インドでは現地の学者についてサンスクリット語を学ぶなど東洋学を究めようとし,マヌ法典をはじめとする多くの文学作品を翻訳するなど,ヨーロッパにおけるインド学の礎を築いた.『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』の二大叙事詩の翻訳やサンスクリット語文法書の執筆などの構想も抱いていたようで,その学術的な野望たるや,実に遠大だった.
このように個人的に学術研究に没頭する一方,Jones はアジア協会 (Asiatic Society of Bengal) を設立し,自ら会長ともなった.Jones は1786年2月に協会設立3周年記念の際に "On the Hindu's" と題する講演を行なったが,これこそ言語学史上に残る,インスピレーションの塊というべき名講演となった.「#282. Sir William Jones,三点の鋭い指摘」 ([2010-02-03-1]) でその一部を引用したが,伝説的というべき講演である.そこで,Jones は,ギリシア語やラテン語のような西洋諸語とサンスクリット語という東洋語が同起源であること,そしてそこにゴート語,ケルト語,古代ペルシア語も加えてよいだろうと指摘すらしたのである.本人は,これが後の比較言語学という新分野の誕生と発展につながるだろうということは思ってもみなかった.実際,Jones はこの8年後に他界するまで,この仮説を実証しようとした形跡はない.
Jones より前の1767年に,フランスのインド宣教師 G. L. Coeurdoux が同主旨の私信をパリのアカデミーに送っていた.しかし,Coeurdoux の仮説は言語学的な発想から出されたというよりは,キリスト教的な一元論に基づいたものであり,言語学の発展にとって本質的な提案ではなかった.
以上,『英語学人名辞典』と The Oxford Companion to the English Language に依拠して執筆した.活動期の一部重なるもう1人の影響力のある英語史上の人物として「#3087. Noah Webster」 ([2017-10-09-1]) も参照.
・ 佐々木 達,木原 研三 編 『英語学人名辞典』 研究社,1995年.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
大母音推移 gvs を扱った最近の本格的な研究書として,Stenbrenden の Long-Vowel Shifts in English, c. 1150--1700: Evidence from Spelling (2016) がある.従来の大母音推移観に修正を迫る野心的な研究だ.もっとも,著者にいわせれば大母音推移の研究ではなく,長母音推移の研究だと主張するだろう.大母音推移と見ないところに,著者のポイントがあるからだ.
Stenbrenden は,「#3552. 大母音推移の5つの問題」 ([2019-01-17-1]) で挙げた「大母音推移」論の問題点とは部分的に重複するかたちでありながらも,独自の視点から5つの方法論上の問題点を指摘している (1--3) .
1つ目は,"functional explanations seem to be teleological, suggesting that languages in a sense know where they are heading and hence resort to chain-shifts to avoid mergers" (2) という,構造言語学的な発想に基づく連鎖的推移 (chain shift) の目的論 (teleology) に対する本質的な批判である.
2つ目は,"push chain", "drag chain", あるいは同時変化といった,推移の順番に関わる従来の説は,各音素の異音変異の広さを軽視してきたという指摘である.音素と異音の関係はもっと複雑なものであり,従来の見方では単純すぎるというわけだ.
3つ目は,"push chain" や "drag chain" という名付けは,あくまで現象を記述しているにすぎず,その現象を説明しているものではない.それにもかかわらず,名付けによってあたかも説明がなされたかのように錯覚してしまっているという問題がある.ラベルが貼り付けられると満足してしまい,一種の思考停止に陥ってしまうという批判だ.
4つ目は,当該の問題は,音声学的な基盤はそっちのけで,ひとえに音韻論(の類型論)の問題としてとらえられてきたという点である.調音,聴覚,韻律,生理といった音声学的なアプローチが欠如していたのではないか.
5つ目は,最適性理論 (Optimality Theory; ot) を始めとする理論的なアプローチは,勘違いしていることが多いのではないかという批判だ.ある理論によって当該の現象をうまく説明できない場合,常識的には理論側に問題があると考えるのが普通だが,しばしば現象のほうがおかしいのではないかという議論に発展することがあるという.これでは本末転倒である.
なかなか手厳しい批判だ.ここで指摘されているのは,「大母音推移の5つの問題」というよりも「大母音推移論の5つの問題」といったほうがよいだろう.
・ Stenbrenden, Gjertrud Flermoen. Long-Vowel Shifts in English, c. 1150--1700: Evidence from Spelling. Cambridge: CUP, 2016.
ことば遊び(言語遊戯)は,言語学の研究対象としては常にマイナーな地位を占めてきた.分野名も定まっていないし,そもそも「ことば遊び」の総称的な名称も定まっているのかどうか怪しい.英語でも word play, verbal play, speech play, play of language などと様々な言い方が存在する.
しかし,まったく研究されてこなかったわけではなく,修辞学や文体論との関連で扱われてきた経緯はあるし,近年ではコミュニケーション論や語用論的観点からも考察され,分野としての発展可能性が開かれてきた.人工知能研究との関連でも注目されてきているようだ.
中島(編)の『言語の事典』のなかに,滝浦真人による「ことば遊び」と題する1章があり,興味深く読んだ.そのイントロ (396) によると,ことば遊びの基本的特徴として逸脱性と規約性の2面性が挙げられるという.
ことば遊びとは,常にコミュニケーションの規範をすり抜けていく“逸脱的”な営みである.ことば遊びが話の文脈を脱線させ,あるいはメッセージを二重化して隠し,時にあからさまに相手に謎をかけるとき,言語の情報伝達性という大前提は多かれ少なかれ裏切られている.
しかし同時に,ことば遊びは,単に統御を欠いた破壊的な営みであるわけではない.ことば遊びを人が“ともに遊ぶ”ことができるのは,それが常に一定の規約性を基盤とするからである.そして,その基盤が規約=慣習 (convention) であるがゆえに,ことば遊びは個々の言語文化に固有の形態を育む.
ことば遊びが,言語の“型”の問題であることを超えて,広くコミュニケーション一般の問題となるのは,こうした二面性においてである.
ことば遊びは,情報伝達性を前提としたごく普通の言語コミュニケーションとは異なっているが,では何がどの程度どのように異なっているのかが問題となる.形式的な観点はもとより機能的な観点からも迫る必要があるだろう.
英語のことば遊びに関しては,Crystal の英語学入門書が具体例を豊富に挙げつつ解説しており,有用である.
・ 滝浦 真人 「ことば遊び」『言語の事典』 中島 平三(編),朝倉書店,2005年.396--415頁.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
大母音推移 (gvs) の研究は,Jespersen が1909年にこの用語を導入して以来,110年もの間,英語史や音韻論の研究者を魅了してきた.長い研究史のなかでも,この40年ほどは,この変化が本当に「大」であるのか,そして「推移」であるのかという本質的な問題に注目が集まってきた.その過程で GVS の様々な側面が議論されてきたが,特に重要な論題を整理すると5点にまとめられるという.Lass と Stockwell and Minkova を参照した Krug (242--43) より,その5点を示そう.
(i) Inception: where in the vowel space did the series of change begin?
(ii) Order: what is the chronology of individual and overlapping changes?
(iii) Structural coherence: are we dealing with interdependent changes forming a unitary overarching change or with local and independent changes?
(iv) Mergers: is the assumption of non-merger, i.e. preservation of phonemic contrasts, viable for language change in general and met in the specific changes of the GVS?
(v) Dialects: how do we deal with dialects which did not undergo the same changes as southern English or in which the changes proceeded in a different order?
この5点について丁寧に論じているのが,McMahon である.McMahon は,個々の問題に対して単純に答えを出すことはできないとしながらも,従来の「大母音推移」の呼称は妥当なのではないかと結論している.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.
・ Krug, Manfred. "The Great Vowel Shift." Chapter 14 of The History of English. 4th vol. Early Modern English. Ed. Laurel J. Brinton and Alexander Bergs. Berlin: Mouton de Gruyter, 2017. 241--66.
・ Lass, Roger. "Rules, Metarules and the Shape of the Great Vowel Shift". English Phonology and Phonological Theory: Synchronic and Diachronic Studies. Ed. Roger Lass. Cambridge: CUP, 1976. 51--102.
・ Stockwell, Robert and Donka Minkova. "The English Vowel Shift: Problems of Coherence and Explanation." Luick Revisited. Ed. Dieter Kastovsky, Gero Bauer, and Jacek Fisiak. Tübingen: Gunter Narr, 1988. 355--94.
・ McMahon, April. "Restructuring Renaissance English." The Oxford History of English. Ed. Lynda Mugglestone. Oxford: OUP, 147--77.
1980年代以降,勢いのある認知言語学.この新しい言語学が成立した背景には,様々な学問的発展と関与があった.大堀 (8) の分かりやすい図を再現しよう.
元祖ともいえるインプットは,Franz Boaz や Edward Sapir に代表される人類学の影響を受けた言語学である.文化と言語の関係に光を当てた言語相対論の思想は,認知言語学の言語観と調和するところが多い.
その人類学の影響下で生まれたのがアメリカ構造主義言語学である.意味を捨象し,形式の分析を第1の課題として置いた.そこでは言語は自律的なものとしてとらえられ,人の知識や能力から独立したものとして把握された.
1950年代末,アメリカ構造主義言語学を置き換えたのは,Noam Chomsky の生成文法だった.言語を人の知識としてとらえなおし,統語論を数理モデルにより体系化することに功績があった.しかし,意味を軽視し,言語知識を他の知識とは関与しない自律的なものとしてとらえているという点では,構造言語学と異なるところがなかった.
言語知識の自律性に疑問を抱いた派閥が生成意味論を唱え「言語学戦争」が生じたが,この派閥こそが後の認知言語学の立ち上げメンバーとなる.1980年代後半,理論上の指導者として,George Lakoff と Ronald W. Langacker が重要な成果を出し,1990年には国際学会を形成した.
認知言語学のもう1つの影響源は,1970年代後半からの言語類型論の興隆である.諸言語の比較・対照を通じて,言語の法則性の背後にある動機づけについての関心が高まり,認知言語学に刺激を与えた.
現在,認知言語学は広い認知科学のなかに包摂される1領域という位置づけである.また,その領域内部にも様々な立場があり,1つの名前でくくってよいものかという見方もある.しかし,歴史言語学や言語変化論などにも少なからぬインパクトを与えるようになってきており,1つの潮流を形成していることは間違いない
関連して「#2835. 構造主義,生成文法,認知言語学の3角形」 ([2017-01-30-1]) も参照.
・ 大堀 壽夫 『認知言語学』 東京大学出版会,2002年.
ソシュールに始まる20世紀の言語学は,その後数十年で様々な展開を示してきた.展開の仕方はヨーロッパとアメリカとでかなり異なるものの,体系・形式重視の学派と用法重視の学派の対立の歴史とらえるとわかりやすい.当然ながらその中間に位置づけられる折衷的な学派も現われてきて,20世紀から21世紀にかけて多彩な言語学が花咲くことになった.以下,高橋・西原 (pp. 4--5) にしたがって示そう.
まず20世紀のヨーロッパの各言語学派について,体系重視(左側)と用法重視(右側)を両極とする軸の上に位置づけた図を掲げよう.
体系重視 用法重視 ソシュール カザン学派 ←――――――――――――――――――――――――――――――――――――――→ コペンハーゲン フランス・ プラーグ学派 ロンドン学派 学派 ジュネーヴ学派 中間的機能論
形式重視 用法重視 ←――――――――――――――――――――――――――――――――――――――→ 生成文法 構造重視機能論 構文文法 認知文法 談話重視機能論
このように,20世紀のヨーロッパの言語学も,今日のアメリカを中心とする言語学も,心理学・認知科学や社会学・文化人類学など隣接分野と相互に影響し合いながら,構造や形式を重視するか機能や用法を重視するかによって,言語観・文法観が大きく異なり,今後も,1方向のみならず,多方向に振れる振り子のように変化・発展していくものと思われる.
・ 高橋 潔・西原 哲雄 「序章 言語学とは何か」西原 哲雄(編)『言語学入門』朝倉日英対照言語学シリーズ 3 朝倉書店,2012年.1--8頁.
標題は「#3020. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (1)」 ([2017-08-03-1]),「#3021. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (2)」 ([2017-08-04-1]) と関連させての話題.19世紀における英語文献学や英語史という分野の発達は,大英帝国の発展と二人三脚で進んでいたという事実が指摘されてきた.児馬 (43) が同趣旨のことを次のように説明している.
19世紀ヨーロッパのナショナリズムを形成するのに中心的だったのが Oxford English Dictionary (OED) を編纂した James Murray (1837--1915), The English Dialect Dictionary (1896--1905) を編集した Joseph Wright であった.19世紀は英語の辞書・方言学・文献学・文法の黄金時代であり,Murray の OED 編集期間は大英帝国の時代 (The Age of Empire (1875--1914)) と大体一致するのである.OED は,1888年に A New English Dictionary (NED) として第1巻を出版し,1928年に完結し,その後補遺を加えて全11巻として,1933年に完成した.〔後略〕
大英帝国の拡張と言語科学の発展が並行している.Furnivall (1825--1910) が初期英語テキスト協会 (The Early English Text Society: EETS) を設立したのも1864年,イギリス方言協会の設立も1873年のことであった.Anglo-Saxon を Old English と呼び変えたのも,このような国家と言語を一体化する傾向と無関係ではないかもしれない.
OED や EDD の編纂は,形式的には決して国家プロジェクトではなく,個人的な事業にちがいなかったものの,大英帝国を背負ってなされた企画という点では,事実上の国家プロジェクトに近い性格をもっていたということができる.
現在,私たちは英語史を含めた英学の研究において,日々 OED (の改版)の恩恵にあずかり,"Old English" という呼称も当たり前のように使っているが,これらのツールや用語が確立してきた背景に,帝国主義の歴史が深く関わっていることは銘記しておかなければならない.
・ 児馬 修 「第2章 英語史概観」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.22--46頁.
標記の問題は,「#2883. HiSoPra* に参加して (1)」 ([2017-03-19-1]),「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]),「#3203. 文献学と歴史語用論は何が異なるか?」 ([2018-02-02-1]) などで取り上げてきた.この問題について,高田・小野寺・青木(編)が最近『歴史語用論の方法』の序章で議論しているので,覗いてみたい.編者たちは,近年の歴史語用論の発展を日本語史(文献学)の立場から,次のように評価している (20--21) .
これまでの研究の歩みを振り返ると分かるように,「歴史語用論」は英語研究中心の体制で進められてきた.一九九八年の国際語用論会議における初めてのパネルでは,歴史的言語には話しことばデータが存在しない点をいかに乗り越えるかが,大きな問題になったという.しかし,こうした問題は,日本語史研究では,いわば常識といってよい事柄である.亀井ほか (1966) には,「言語史の窮極の目的は,口語の発展の追求にある」が,「過去の言語にせまる場合の第一の材料は,大部分,やはり文字による記録でしめられる」ため,「言語史の研究者は,まず文献学に通じ,その精神を――のぞむらくは深く――理解しえた者であるべきである」と明示的に述べられている.すなわち,文献学的研究によって,資料に現れた言語が何者であるかをまず追究し,資料に顔を出す「口語」を掬い取りながら言語の歴史を編むことが目指されたのであり,これが日本語史(国語史)の王道であった.
この説明は,「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]) で引用した「とっくにやってる」発言と完全に同じものである.ただし,ここで一言付け加えておきたいことがある.上の引用でなされているのは「日本語史ではとっくにやっている」という趣旨の主張だが,実は「英語史でもとっくにやっている」のである.共時的・理論的な英語学の立場からみれば,ようやく最近になって「歴史的言語には話しことばデータが存在しない点をいかに乗り越えるかが,大きな問題になった」のだろうが,英語史・英語文献学の分野では,この問題意識は常に「いわば常識といってよい事柄」だった.
だからといって,歴史語用論が文献学の単なる焼き直しであると主張したいわけではない.編者たちの以下のような受け取り方に,私も賛成する (23) .
従来の日本語史研究の方法に則って進めてきた研究が,“新しい”「歴史語用論」という研究分野の俎上に載せられることを実感しながら進めていくのもよし,「歴史語用論」の方法を自覚的に実践することで,従来見過ごされてきた現象に光を当てることができた,あるいは説明が不十分であった現象に適切な説明を与えることができたと感じられれば,それもまたよいであろう.
・ 高田 博行・小野寺 典子・青木 博史(編) 『歴史語用論の方法』 ひつじ書房,2018年.
・ 亀井 孝・大藤 時雄・山田 俊雄 「言語史研究入門」『日本語の歴史』平凡社,1966年.
標題の2つの言語学の分野は,何かと対比されることが多い.両分野をまたいで仕事をする研究者もいるが,デフォルトの身の置き場はいずれかであるという向きが多い.20世紀の主流は理論言語学であり,そのために単に「言語学」といえば,狭い意味でそちらを指す.21世紀でも,社会言語学から「社会」を省略するわけにはいかないという状況は続いており,まだまだ理論言語学はメジャーである.
一方,大きな潮流ということでいえば,20世紀後半から21世紀にかけて社会言語学的な発想がおおいに強まってきていることは確かである.この言語学史的な背景としては,「#1081. 社会言語学の発展の背景と社会言語学の分野」 ([2012-04-12-1]) や「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]) を参照されたい.
さて,理論言語学と社会言語学とでは,具体的に何がどのように異なるのだろうか.石黒 (34) は,両者の違いを以下のように対比的に示している.
関心の所在 | 言葉の在処 | 分析の対象 | 分析の観点 | 分析の方法 | |
---|---|---|---|---|---|
理論言語学 | 言葉の普遍性・共通性 | 頭のなかにある | 言葉の能力 | 構造と規則 | 演繹的・内省的 |
社会言語学 | 言葉の個別性・差異性 | 社会のなかにある | 言葉の使用 | 種類と選択 | 帰納的・記述的 |
昨日の記事「#3362. International Phonetic Association (IPA)」 ([2018-07-11-1]) に引き続き,この協会が作成した学術遺産たる International Phonetic Alphabet (国際音標文字; IPA)について.「#822. IPA の略史」 ([2011-07-28-1]),「#251. IPAのチャート」 ([2010-01-03-1]) でも概要に触れたが,今回は McArthur (523--24) の英語学辞典より説明を引こう.
INTERNATIONAL PHONETIC ALPHABET, short form IPA. An alphabet developed by the International Phonetic Association to provide suitable symbols for the sounds of any language. The symbols are based on the Roman alphabet, with further symbols created by inverting or reversing roman letters or taken from the Greek alphabet. Such symbols are designed to harmonize as far as possible with standard Roman symbols, so as to fit as unobtrusively as possible into a line of print. The main characters are supplemented when necessary by diacritics. The first version of the alphabet was developed in the late 19c by A. E. Ellis, Paul Passy, Henry Sweet, and Daniel Jones from a concept proposed by Otto Jespersen. It has been revised from time to time, most recently in 1989 (see accompanying charts). The IPA is sufficiently rich to label the phonemes of any language and to handle the contrasts between them, but its wide range of exotic symbols and diacritics makes it difficult and expensive for printers and publishers to work with. As a result, modifications are sometimes made for convenience and economy, for example in ELT learners' dictionaries. Phoneme symbols are used in phonemic transcription, either to provide a principled method of transliterating non-Roman alphabets (such as Russian, Arabic, Chinese), or to provide an alphabet for a previously unwritten language. The large number of diacritics makes it possible to mark minute shades of sound as required for a narrow phonetic transcription. The alphabet has not had the success that its designers hoped for, in such areas as the teaching of languages (especially English) and spelling reform. It is less used in North America than elsewhere, but is widely used as a pronunciation aid for EFL and ESL, especially by British publishers and increasingly in British dictionaries of English. The pronunciation in the 2nd edition of the OED (1989) replaces an earlier respelling system with IPA symbols.
19世紀末の名立たる音声学者・言語学者によって作られた IPA は,その後,日本にももたらされ,英語教育の重要な一端を担うことになった.音声学・音韻論などの学術的な文脈でも確立したが,教育の現場では北米においてメジャーではなかったし,現在の日本の英語教育においても IPA に基づく「発音記号」はかつてほど一般的に教えられているわけではないようだ.
そもそも,ある言語の発音を表記するといっても,そこには様々な立場がある.音声表記と音素表記とでは言語音に対する姿勢がまるで異なるし,それと密接に関連する narrow transcription と broad transcription の区別も著しい (cf. 「#669. 発音表記と英語史」 ([2011-02-25-1])) .
IPA が公表されてから130年ほどが経つが,言語音の表記を巡る問題は,音声学・音韻論の理論と言語教育の実践との複雑な絡み合いのなかで,容易に解決するものではないだろう.言語とは,かくも精妙な記述対象である.
なお,上の引用内では IPA の最新版は1989年となっているが,これは McArthur 編の辞典の出版が1992年のため.現在ではこちらからダウンロードできる2015年版が最新である. *
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
International Phonetic Association (国際音声学協会)という組織と,それが生み出した学術遺産である International Phonetic Alphabet (国際音標文字)について,「#822. IPA の略史」 ([2011-07-28-1]) や「#251. IPAのチャート」 ([2010-01-03-1]) などで取り上げてきた(協会も文字もともに IPA と略記されるので注意).
この組織について,2つの英語学辞典よりで説明書きを引用しておこう.まず,Crystal (251) の説明から.
International Phonetic Association (IPA) An organization founded in 1886 by a group of European phoneticians (Paul Passy (1859--1940) and others) to promote the study of phonetics. In 1889 it published the International Phonetic Alphabet (also IPA) which, in modified and expanded form, is today the most widely used system for transcribing the sounds of a language . . . .
次に,McArthur (525--26) からさらに詳細な説明を挙げよう.
INTERNATIONAL PHONETIC ASSOCIATION, short form IPA. An association that seeks to promote the science of phonetics and its practical applications. It was founded in 1886 in France under the English name The Phonetic Teachers' Association, by a group of language teachers who used phonetic theory and transcription in their work. The journal Dhi Fonètik Titcer started in France in the same year, edited by Paul Passy and printed in English in a phonetic script; its name was changed in 1889 to Le Maître phonétique. At first, the Association was concerned mainly with phonetics applied to teaching English, but interest expanded with the membership to the phonetic study of all languages. It acquired its present name in 1897. Although the Association played an important part in the European movement for the reform of language teaching in the late 19c, it is now best known for its regularly revised alphabet. In addition to such occasional publications as Differences between Spoken and Written Language (Daniel Jones, 1948) and The Principles of the International Phonetic Association (Daniel Jones, 1949), which includes ample transcription of large number of languages, the Association publishes The Journal of the IPA, which evolved from Le Maître phonétique.
起源としては英語教育を念頭に設立されたヨーロッパの組織であること,その後の役割としては,国際音標文字の改善と普及に努めてきたという点が重要である.
協会の公式ホームページはこちら.
・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
標題の「ソシュールのパラドックス」について,「#3245. idiolect」 ([2018-03-16-1]) で触れた通りだが,改めて『新英語学辞典』の "sociolinguistics" の項 (1124) の記述を読んでみよう,
構造言語学では,言語単位の対立関係に基づいて成立している構造を明らかにすることが中心的な課題であり,そのために言語を共時的な静態においてとらえ,資料はできるだけ等質的であることが必要であると考えた.その裏にある言語観は,言語はその理想的な姿においては単一の構造体である (monolithic) とするものである.その単一体を求めるために,個人的なゆれ,場面ごとに変容する部分は自由変異,あるいは乱れ・逸脱として切り捨てた.目標はある言語社会に共通の構造体(=ラング)を求めることでありながら,資料の等質性を求めて,ついには個人言語 (idiolect) を対象とするという状態に至った.Labov (1972a) はこれを 'Saussurian Paradox' と呼ぶ.構造の単一性を求めて言語は実際の使用場面から切り離され,単一の 'ideal speaker-hearer' の言語能力を求めるのだとして,資料は高度に理想化され,現実から遊離した形に整えられた.
言語学史的には,ソシュールの創始した構造言語学は,言語構造が等質的であり単一的であることを意識的に前提とすることで,揺れを考慮しなくてよいという方法論上の正当性を確保したのだろうと考えている.実際には等質的でもなければ単一的でもないし,揺れも存在する.しかし,あえて切り捨てて前進するという行き方もあるだろうと.その行き方は確かに方法論としては悪いことではないだろう.しかし,言語の variation や variability は,あくまで脇に置いたのであって,存在しないわけではない.
理論的理想と実践的現実は常に背反する.理論を扱っている場合には,現実から遊離しすぎていないだろうかという問いかけを,実践的に研究している場合には,あまりに小さな揺れにこだわってはいないかという自問が必要だろう.
関連して「#2202. langue と parole の対比」 ([2015-05-08-1]) を参照.
・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
同一の方言に属する個人の間でも,細かくみれば発音,文法,語彙などの点で個人的な差が見られ,全く同じ言葉遣いをする人は二人といない.この事実に鑑みて,idiolect 「個人(言)語」というものを考えることができる.新英語学辞典の "idiolect" の項には次のようにある.
Bloc (1948) が初めて用いた術語で,1個人のある1時期における発話の総体を指す.それは発音・文法・語彙の全体にわたり,個人的な癖まで含む.
「個人言語」の概念の発展はアメリカの構造言語学の考えかたと強く結び付いている.すなわち,言語の構造性を明らかにするためには資料をできるだけ等質的にすべきだと考え,異なった方言,同一方言の異なった時代の資料の混同を厳に戒め,最も等質的な資料として個人言語にたどりついた.また言語研究は,どのみち具体的な個人言語を出発点とせざるをえないのであるという理解も大きな支えとなっている.〔中略〕
同一の地域的あるいは社会的方言に属する個人間の個人言語の差異の現われ方は言語の部分によっていろいろである.音韻体系では差異が最も少なく,文法体系がそれに次ぐ.語彙体系では差が最も激しい.常連の連語,つまり「ことば癖」の面にも大きい個人差が見られる.
言語学者がラングという社会に共通の構造体を追い求めながらも,idiolect という極めて個人的な地点に行き着いてしまったというくだりは,Labov のいう "Saussurean Paradox" を指している(「#2202. langue と parole の対比」 ([2015-05-08-1]) も参照).
また,引用の最後の段落で個人間の idiolect の差異が話題となっているが,ある1人の話者の idiolect 内部を考えても,はたして本当に等質的なのだろうかという疑問が生じる.たとえば,個人が標準語と非標準語など複数の変種を操れる場合,すなわち linguistic repertoire をもっている場合には,その話者は複数の idiolects をもっていることになり,それは社会言語学的な異質性を示しているにほかならない.ただし,repertoire を構成する一つひとつを仮に style と呼んでおくとすれば,各 style を指して idiolect とみなすやり方はあるだろう.
いずれにせよ「等質的な idiolect」もまた,言語学の作業のために必要とされるフィクションと考えておくのがよさそうだ.
・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
・ Block, B. "A Set of Postulates for Phonetic Analysis." Language 24 (1948): 3--46.
[2018-02-12-1]の記事で通知したように,昨日3月4日に桜美林大学四谷キャンパスにて「言語と人間」研究会 (HLC)の春期セミナーの一環として,「『良い英語』としての標準英語の発達―語彙,綴字,文法を通時的・複線的に追う―」と題するお話しをさせていただきました.足を運んでくださった方々,主催者の方々に,御礼申し上げます.私にとっても英語の標準化について考え直すよい機会となりました.
スライド資料を用いて話し,その資料は上記の研究会ホームページ上に置かせてもらいましたが,資料へのリンクをこちらからも張っておきます.スライド内からは本ブログ内外へ多数のリンクを張り巡らせていますので,リンク集としてもどうぞ.
1. 「言語と人間」研究会 (HLC) 第43回春季セミナー 「ことばにとって『良さ』とは何か」「良い英語」としての標準英語の発達--- 語彙,綴字,文法を通時的・複線的に追う---
2. 序論:標準英語を相対化する視点
3. 標準英語 (Standard English) とは?
4. 標準英語=「良い英語」
5. 標準英語を相対化する視点の出現
6. 言語学の様々な分野と方法論の発達
7. 20世紀後半?21世紀初頭の言語学の関心の推移
8. 標準英語の形成の歴史
9. 標準語に軸足をおいた Blake の英語史時代区分
10. 英語の標準化サイクル
11. 部門別の標準形成の概要
12. Milroy and Milroy による標準化の7段階
13. Haugen による標準化の4段階
14. ケース・スタディ (1) 語彙 -- autumn vs fall
15. 両語の歴史
16. ケース・スタディ (2) 綴字 -- 語源的綴字 (etymological spelling)
17. debt の場合
18. 語源的綴字の例
19. フランス語でも語源的スペリングが・・・
20. その後の発音の「追随」:fault の場合
21. 語源的綴字が出現した歴史的背景
22. EEBO Corpus で目下調査中
23. ケース・スタディ (3) 文法 -- 3単現の -s
24. 古英語の動詞の屈折:lufian (to love) の場合
25. 中英語の屈折
26. 中英語から初期近代英語にかけての諸問題
27. 諸問題の意義
28. 標準化と3単現の -s
29. 3つのケーススタディを振り返って
30. 結論
31. 主要参考文献
「#3231. 標準語に軸足をおいた Blake の英語史時代区分」 ([2018-03-02-1]) の記事で取りあげた,Blake による英語史区分の第6期(1798年?1914年)について考える.ロマン主義の起こりと第1次世界大戦に挟まれたこの時期は,標準英語を念頭においた英語史の観点からは,諸変種や方言的多様性が意識された時代といえる.19世紀が近づくと,18世紀の特徴だった堅苦しい規範主義の縛りからある程度解放されるようになり,自然にして自発的な言葉遣いが尊重され,非標準変種が見直される契機が生じた.英語自由化・英語相対化の思想が発現したといってよいだろう.新時代の到来を告げる狼煙が,象徴的に,Wordsworth and Coleridge による Lyrical Ballads (1798) の出版だった.Blake (13) 曰く,
This collection of poetry [= the Lyrical Ballads] attacked the idea of a prescriptive language for poetry and raised the concept that it should deal with 'the real language of men'. It was inspired in part by the French Revolution of 1789, which had called into question the very bases of the old order and its assumptions of regulation and conformity. This attitude gradually spilled over into language as well, for there seemed to be a profound attack on the nature of authority and the assumption that those at the top could dictate what was right and acceptable to the rest of society. While such attitudes did not change overnight, we can accept that there was a new spirit abroad which provides us with a convenient boundary in 1798.
この1798年に始まり,第1次世界大戦の勃発した1914年までの時期は,長い19世紀と表現してもよいだろう.Blake によれば,この時代は,言語的にみて (1) 多様性と非標準変種の尊重,(2) 歴史的研究の興隆,という2点に特徴づけられる時代だという.それぞれの部分を引用しよう.
Firstly, the previous age had been concerned with regulating language and discovering the principles which underlined a language on the assumption that all languages followed the same structure. The nineteenth century was interested in the diversity of languages and varieties of language. The growth of the empire promoted interest in a whole range of languages other than the classical languages which had hitherto been the model for all linguistic structure. And scholars in England began to record the various regional dialects found in the United Kingdom. Whereas before these dialects may have been considered provincial and little more than barbarous, their use in poetry and the novel and the collections and studies based on these forms gradually meant that they were seen as real means of communication, even if they were not as socially acceptable as the standard. The respect for non-standard varieties increased, though this was a gradual process which even today has not made these dialects socially acceptable. One problem that such varieties faced, and still face, is that they do not usually exist in a regulated written form and thus may be regarded as inferior.
Secondly, the nineteenth century saw an enormous growth in the historical study of language. Many of the changes in English and its ancestors which will be outlined in the book were discovered in the nineteenth century. The development of the concept of a family tree for languages and the recognition that English was a Germanic language which belonged to the Proto-Indo-European family of languages (also known simply as Indo-European) were among the advances made at this time. Not unnaturally this put English and the classical languages into a different perspective. Their nature was not different from that of other languages, and English dialects could be regarded as closely related to standard English in origin and development; they had simply not been chosen to form the standard.
一言でいえば,標準英語を,そして英語そのものを,相対化して捉える視点が生み出された時期といえるだろう.ただし,それによって絶対的な視点が崩れたわけではなく,あくまで相対的な視点も並び立つようになったということである.絶対的な視点は,21世紀の今でも十分に生きているのだ.
・ Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Macmillan, 1996.
昨日の記事 ([2018-02-14-1]) に引き続き,ドーキンスの『盲目の時計職人』で言語について言及している箇所に注目する.今回は,ドーキンスが,言語の分岐と分類について,生物の場合との異同を指摘しながら論じている部分を取りあげよう (348--49) .
言語は何らかの傾向を示し,分岐し,そして分岐してから何世紀か経つにつれて,だんだんと相互に理解できなくなってしまうので,あきらかに進化すると言える.太平洋に浮かぶ多くの島々は,言語進化の研究のための格好の材料を提供している.異なる島の言語はあきらかに似通っており,島のあいだで違っている単語の数によってそれらがどれだけ違っているかを正確に測ることができよう.この物差しは,〔中略〕分子分類学の物差しとたいへんよく似ている.分岐した単語の数で測られる言語間の違いは,マイル数で測られる島間の距離に対してグラフ上のプロットされうる.グラフ上にプロットされた点はある曲線を描き,その曲線が数学的にどんな形をしているかによって,島から島へ(単語)が拡散していく速度について何ごとかがわかるはずだ.単語はカヌーによって移動し,当の島と島とがどの程度離れているかによってそれに比例した間隔で島に跳び移っていくだろう.一つの島のなかでは,遺伝子がときおり突然変異を起こすのとほとんと同じようにして,単語は一定の速度で変化する.もしある島が完全に隔離されていれば,その島の言語は時間が経つにつれて何らかの進化的な変化を示し,したがって他の島の言語からなにがしか分岐していくだろう.近くにある島どうしは,遠くにある島どうしに比べて,カヌーによる単語の交流速度があきらかに速い.またそれらの島の言語は,遠く離れた島の言語よりも新しい共通の祖先をもっている.こうした現象は,あちこちの島のあいだで観察される類似性のパターンを説明するものであり,もとはと言えばチャールズ・ダーウィンにインスピレーションを与えた,ガラパゴス諸島の異なった島にいるフィンチに関する事実と密接なアナロジーが成り立つ.ちょうど単語がカヌーによって島から島へ跳び移っていくように,遺伝子は鳥の体によって島から島へ跳び移っていく.
実際,太平洋の島々の諸言語間の関係を探るのに,統計的な手法を用いる研究は盛んである.太平洋から離れて印欧語族の研究を覗いても,ときに数学的な手法が適用されてきた(「#1129. 印欧祖語の分岐は紀元前5800--7800年?」 ([2012-05-30-1]) を参照).Swadesh による言語年代学も,おおいに批判を受けてきたものの,その洞察の魅力は完全には失われていないように見受けられる(「#1128. glottochronology」 ([2012-05-29-1]) や glottochronology の各記事を参照).近年のコーパス言語学の発展やコンピュータの計算力の向上により,語彙統計学 (lexicostatistics) という分野も育ってきている.生物学の方法論を言語学にも応用するというドーキンスの発想は,素直でもあるし,実際にいくつかの方法で応用されてきてもいるのである.
関連して,もう1箇所,ドーキンスが同著内で言語の分岐を生物の分岐になぞらえている箇所がある.しかしそこでは,言語は分岐するだけではなく混合することもあるという点で,生物と著しく相違すると指摘している (412) .
言語は分岐するだけではなく,混じり合ってしまうこともある.英語は,はるか以前に分岐したゲルマン語とロマンス語の雑種であり,したがってどのような階層的な入れ子の図式にもきっちり収まってくれない.英語を囲む輪はどこかで交差したり,部分的に重複したりすることがわかるだろう.生物学的分類の輪の方は,絶対にそのように交差したりしない.主のレベル以上の生物進化はつねに分岐する一方だからである.
生物には混合はあり得ないという主張だが,生物進化において,もともと原核細胞だったミトコンドリアや葉緑体が共生化して真核細胞が生じたとする共生説が唱えられていることに注意しておきたい.これは諸言語の混合に比較される現象かもしれない.
・ ドーキンス,リチャード(著),中嶋 康裕・遠藤 彰・遠藤 知二・疋田 努(訳),日高 敏隆(監修) 『盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か?』 早川書房,2004年.
「#3198. 語用論の2潮流としての Anglo-American 対 European Continental」 ([2018-01-28-1]),「#3203. 文献学と歴史語用論は何が異なるか?」 ([2018-02-02-1]) の記事で,言語学史的な観点から,近年発展の著しい歴史語用論 (historical_pragmatics) について考えた.関連の深い学問分野として歴史社会言語学 (historical sociolinguistics) も同様に成長してきており,扱う問題の種類によっては,事実上,2つの分野は合流しているといってよい.名前はその分長くなるが,歴史社会語用論 (historical sociopragmatics) という分野が育ってきているということだ.略して "HiSoPra" ということで,1年ほど前に日本でもこの名前の研究会が開かれた(「#2883. HiSoPra* に参加して (1)」 ([2017-03-19-1]),「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]) を参照).
この20--30年ほどの間の「歴史社会言語学+歴史語用論=歴史社会語用論」という学問領域の進展について,Taavitsainen (1469) が鮮やかに記述している1節があるので,引用しよう.
Historical sociolinguistics was launched more than a decade earlier than historical pragmatics . . . . The focus is on the extent to which change in language is conditioned by the social factors identified as characterizing the dataset. In recent years, historical pragmatics and historical sociolinguistics have converged. If for example a recent definition of pragmatics by Mey . . . is taken as the point of departure, "[p]ragmatics studies the use of language in human communication as determined by the conditions of society", the difference between historical sociolinguistics and pragmatics disappears altogether, and pragmatics is always "socio-" in the European broad view of pragmatics. This reflects the European tradition; in the Anglo-American the difference is still valid. The convergence is also acknowledged by the other side as "sociolinguistics has also been enriched by developments in discourse analysis, pragmatics and ethnography" . . . . The overlap is clear and some subfields of pragmatics, such as politeness and power, are also counted as subfields of sociolinguistics. A recent trend is to deal with politeness (and impoliteness) through speech acts in the history of English . . ., but it is equally possible to take a more sociolinguistic view . . . . The two disciplines have very similar topics, and titles of talks in conference programs are often very close. Further evidence of the tendency to converge is the emerging new field of historical sociopragmatics, which deals with interaction between specific aspects of social context and particular historical language use that leads to pragmatic meanings in understanding the rich dynamics of particular situations, often combining both macro- and microlevel analysis.
英語学の文脈でいえば,歴史語用論は1980年代にその兆しを見せつつ,Jucker 編の Historical Pragmatics (1995) で本格的に旗揚げされたといってよい.それから20年余の間に,著しく活発な分野へと成長してきた.結果的には,独立して発生してきた歴史社会言語学との二人三脚が成立し,融合分野としての歴史社会語用論が注目を浴びつつある.そんな状況に,いま私たちはいる.
・ Taavitsainen, Irma. "New Perspectives, Theories and Methods: Historical Pragmatics." Chapter 93 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1457--74.
・ Jucker, Andreas H., ed. Historical Pragmatics: Pragmatic Developments in the History of English. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 1995.
「#3198. 語用論の2潮流としての Anglo-American 対 European Continental」 ([2018-01-28-1]),「#3203. 文献学と歴史語用論は何が異なるか?」 ([2018-02-02-1]) の記事で,言語学史的な観点から,近年発展の著しい歴史語用論 (historical_pragmatics) について考えた.関連の深い学問分野として歴史社会言語学 (historical sociolinguistics) も同様に成長してきており,扱う問題の種類によっては,事実上,2つの分野は合流しているといってよい.名前はその分長くなるが,歴史社会語用論 (historical sociopragmatics) という分野が育ってきているということだ.略して "HiSoPra" ということで,1年ほど前に日本でもこの名前の研究会が開かれた(「#2883. HiSoPra* に参加して (1)」 ([2017-03-19-1]),「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]) を参照).
この20--30年ほどの間の「歴史社会言語学+歴史語用論=歴史社会語用論」という学問領域の進展について,Taavitsainen (1469) が鮮やかに記述している1節があるので,引用しよう.
Historical sociolinguistics was launched more than a decade earlier than historical pragmatics . . . . The focus is on the extent to which change in language is conditioned by the social factors identified as characterizing the dataset. In recent years, historical pragmatics and historical sociolinguistics have converged. If for example a recent definition of pragmatics by Mey . . . is taken as the point of departure, "[p]ragmatics studies the use of language in human communication as determined by the conditions of society", the difference between historical sociolinguistics and pragmatics disappears altogether, and pragmatics is always "socio-" in the European broad view of pragmatics. This reflects the European tradition; in the Anglo-American the difference is still valid. The convergence is also acknowledged by the other side as "sociolinguistics has also been enriched by developments in discourse analysis, pragmatics and ethnography" . . . . The overlap is clear and some subfields of pragmatics, such as politeness and power, are also counted as subfields of sociolinguistics. A recent trend is to deal with politeness (and impoliteness) through speech acts in the history of English . . ., but it is equally possible to take a more sociolinguistic view . . . . The two disciplines have very similar topics, and titles of talks in conference programs are often very close. Further evidence of the tendency to converge is the emerging new field of historical sociopragmatics, which deals with interaction between specific aspects of social context and particular historical language use that leads to pragmatic meanings in understanding the rich dynamics of particular situations, often combining both macro- and microlevel analysis.
英語学の文脈でいえば,歴史語用論は1980年代にその兆しを見せつつ,Jucker 編の Historical Pragmatics (1995) で本格的に旗揚げされたといってよい.それから20年余の間に,著しく活発な分野へと成長してきた.結果的には,独立して発生してきた歴史社会言語学との二人三脚が成立し,融合分野としての歴史社会語用論が注目を浴びつつある.そんな状況に,いま私たちはいる.
・ Taavitsainen, Irma. "New Perspectives, Theories and Methods: Historical Pragmatics." Chapter 93 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1457--74.
・ Jucker, Andreas H., ed. Historical Pragmatics: Pragmatic Developments in the History of English. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 1995.
「#3198. 語用論の2潮流としての Anglo-American 対 European Continental」 ([2018-01-28-1]) で触れたように,特に European Continental 流の歴史語用論は,伝統的な文献学と親和性が高い.また,「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]) で述べたとおり,昨今英語歴史語用論の名のもとに研究されている課題の多くは,従来の英語史の文献学的研究で「とっくにやっている」課題が多い.文献学と歴史語用論は,何を強調するかというポイントや研究者の受けてきた訓練の種類に違いこそあれ,互いに近い位置にいることは確かである.では,両者の間で何が共通しており,何が異なっているのだろうか.Taavitsainen がこの点について考察している.
文献学の強みは,なんといっても個別の言語変種について詳しい知識をもっていることだろう.英語文献学者についていえば,古英語や中英語を精読する訓練をしっかり受けており,原文を読み解く基盤がしっかりしている (Taavitsainen 1463) .
文献学者はまた,同時代の歴史や文化の文脈 (context) にも精通している(ことが期待されている).歴史語用論も広い意味での文脈を重視するわけであるから,両学問分野が結びつくのは当然ともいえる.ただし,歴史語用論では文脈の重視が分野の存立基盤ともいえ,その扱いがすぐれて体系的である点に特徴がある.歴史語用論者としての Taavitsainen (1464) 曰く,"We need to go beyond the text and consider linguistic, non-linguistic, and situation factors that might reveal communicative functions in a systematic and principled fashion. This is a task not addressed by traditional philology or historical linguistics."
文献学者と歴史語用論者のあいだには,研究対象としてどのようなテキストを選ぶかという点でも差がある.文献学者は得てして文学的価値のあるテキストに偏る傾向がある.その意味では,文学史にも近接する.一方,歴史語用論者は,むしろ日常的で「他愛もない」テキストを選ぶ傾向がある.Taavitsainen (1467) は次のように述べている.
In the times of traditional philology, literary, and religious texts, or texts with curiosity value, were considered worthy of study. These choices had consequences for historical linguistics as early studies of the language of past periods were based on these editions. The paradigm has shifted to more everyday and ephemeral materials like the interest in private correspondence, notes, (auto)biographies and handbooks. With contextual assessments, the approaches to data have become more refined, and it is interesting that literary texts are gaining an important position in historical pragmatics . . . .
細かな相違点をとらえればキリがないが,結局のところ,文献学者でもあり歴史語用論者でもある研究者は少なくない.歴史語用論は文献学で培われた伝統を尊重しつつさらに発展していく一方で,文献学は歴史語用論という新しいラベルのもとに活気づいていけばよいのではないか.
・ Taavitsainen, Irma. "New Perspectives, Theories and Methods: Historical Pragmatics." Chapter 93 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1457--74.
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