昨日の記事[2011-04-18-1]で,初期中英語テキスト The Peterborough Chronicle が英語史上の大変化を垣間見せてくれる貴重な資料であることを紹介した.それぞれ筆記した写字生こそ異なるが,The First Continuation と The Final Continuation のテキストを隔てる20年ほどの短期間に顕著な言語の違いが見られることから,当時,言語変化が激しく生じていたことを疑わざるを得ない.ことに語順において革新性が指摘されることが多い.編者 Clark によると,The Final Continuation の "modernity" は疑い得ないという.
The modernity of this language [The Final Continuation] appears also in its syntax. In studying the morphology we have already noted the great simplification of the case-system, in particular the disuse of the dative, and the corresponding adjustments in syntax, including a great increase in the use of analytic constructions. And Rothstein demonstrated how frequently certain constructions typical of Old English, such as inversion of subject and verb after an introductory adverbial phrase, are here abandoned in favour of word-order nearer to that of Modern English. (lxvi)
しかし,昨日の書誌に挙げた Mitchell の研究によると,PChron の後半部分の言語の "modernity" は過大評価されているという.Mitchell は彼一流の緻密な語順タイプの場合分けにより,語順で見る限り,特に際だって modern である証拠は少ないと論じる.
The word-order of the two Continuations therefore contains much which is common to Old and Modern English, much which cannot occur in Modern English, and nothing which cannot be paralleled in Old English. (138)
もちろん,Mitchell はある語順タイプが例証されるかしないかという binary な問題ではなく,各語順タイプの相対頻度の問題であることは認識しており,全体としては確かに "modern" な方向に進んでいるとは認めている.また,主節において,目的語が代名詞でなく名詞である場合の SOV 構文が The Continuations では皆無である点を指摘し,唯一の際だった "modernity" であるとも認めている.しかし,あくまで Mitchell は古英語からの断絶ではなく連続性のほうを重視している.
進行中の大きな言語変化を体現するテキストとしての PChron の評価は,このように議論含みである.しかし,古英語の最後のテキスト,中英語の最初のテキストとも言われるように,区分線上にあるような資料の評価が様々なのは理解できる.線をまたぐことに関わる問題は,線がどこにあるかという問題と切り離せない.[2009-12-20-1]の記事で Sweet による英語史時代区分を紹介したが,PChron の属する時代を "Transition Old English" と呼びたくなる気持ちが分かる.
古英語から中英語への語順の発達過程については[2009-09-06-1]の記事を参照.
・ Clark, Cecily, ed. The Peterborough Chronicle 1070-1154. London: OUP, 1958.
・ Mitchell, Bruce. "Syntax and Word-Order in The Peterborough Chronicle 1122--1154." Neuphilologische Mitteilungen 65 (1964): 113--44.
英語史では,古英語から中英語にかけてとりわけ大きな言語変化が生じていたことが強調される.言語の類型が synthesis から analysis へと大転換し ( see synthesis_to_analysis ) ,印象としては前後の時代の間に連続性よりも断絶が強く感じられるからである.いや,印象だけでなく,客観的にも確かに断絶を認めることができるのである ([2009-11-04-1]) .文書でしか残されていない当時の言語資料から進行中の言語変化を直接に観察することは難しいが,テキストの言語を慎重に分析すれば言語変化の進行に迫ることができる例もある.そのようなテキストの1つが,The Peterborough Chronicle (以降 PChron )という年代記だ.
PChron は,Bodleian, Laud Misc. 636 に所収されているテキストで,1154年までのイングランドの歴史が年代記として綴られている.King Alfred の治世 (871--99) に編纂の始まった The Anglo-Saxon Chronicle の1ヴァージョン(一般にEヴァージョンとして言及される)である.1121年までの記録を伝える The Copied Annals ,1122--1131年までを記述する The First Continuation ,1132--1154年を扱う The Final Continuation の3部分からなる.後半の2部分は,Peterborough 出身の写字生が同時代の言語で同時代の出来事を記したテキストであり,言語研究上 holograph としての価値がある.そのため,英語史研究でも重要なテキストとしてしばしば取り上げられる.PChron の英語史研究上の価値は,編者 Clark (1958) が次のように的確に表現している.
These Peterborough annals are not merely one of the earliest Middle-English documents: they are also the earliest authentic example of that East-Midland language which was to be the chief ancestor of our modern Standard English. (lxvi)
The Continuations の言語の新しさは,随所に見ることができる.格の体系は古英語のそれから確実に衰退しており,与格は消えつつある.性の体系も同様に崩れてきている.拙論によれば (Hotta 109--15) ,名詞複数形態全体で現代風の -s 語尾をとる割合は,The Copied Annals で4割,The First Continuation で6割,The Final Continuation で8割となっており,変化が目に見えるようだ.統語的には分析的 (analytic) な傾向が強く見られ,古英語に見られた語順のタイプからの逸脱が観察される.重要な語でいえば,PChron の1140年の記録に,人称代名詞 scæ "she" が英語史上初めて現われていることを指摘しておこう( she の語源は不詳であり,諸説紛々としている.[2010-03-02-1]の記事を参照.).
この重要なテキストについては刊本,研究書,論文などがたくさんあるが,Web上でアクセスできるものも含めて,何点か重要と思われるものを示す.
1. Editions
・ Burrow, J. A. and Thorlac Turville-Petre, eds. A Book of Middle English. 3rd ed. Malden, Mass.: Blackwell, 2005.
・ Clark, Cecily, ed. The Peterborough Chronicle 1070-1154. 2nd ed. London: OUP, 1970.
・ Earle, John and Charles Plummer, eds. Two of the Saxon Chronicles Parallel with Supplementary Extracts from the Others. London: OUP, 1892. 2 vols.
・ Garmonsway, G. N., ed. and trans. The Anglo-Saxon Chronicle. London: J. M. Dent, 1972.
・ Irvine, Susan, ed. The Anglo-Saxon Chronicle: A Collaborative Edition, Vol. 7, MS. E. Cambridge: Brewer, 2004.
・ Jebson, Tony, ed. "The Anglo-Saxon Chronicle: An edition with TEI P4 markup, expressed in XML and translated to XHTML1.1 using XSLT." Available online at http://asc.jebbo.co.uk/. Accessed on 18 April 2011.
・ Whitelock, Dorothy, ed. The Peterborough Chronicle. Copenhagen: Rosenkilde and Bagger, 1954.
2. Modern English translations
・ Killings, Douglas B., trans. The Anglo-Saxon Chronicle: Online Medieval and Classical Library Release #17. Available online at http://www.omacl.org/Anglo/. Accessed on 18 April 2011.
・ Whitelock, Dorothy, trans. The Anglo-Saxon Chronicle: A Revised Translation. London: Eyre, 1961.
3. Monographs and articles
・ Behm, O. P. The Language of the Later Part of the Peterborough Chronicle. Diss. Upsala, 1884.
・ Kubouchi, T. and K. Ikegami, eds. Language of Peterborough Chronicle 1066-1154. Tokyo: Gakushobo, 1984. [in Japanese]
・ Mitchell, Bruce. "Syntax and Word-Order in The Peterborough Chronicle 1122--1154." Neuphilologische Mitteilungen 65 (1964): 113--44.
・ Clark, Cecily, ed. The Peterborough Chronicle 1070-1154. London: OUP, 1958.
・ Hotta, Ryuichi. The Development of the Nominal Plural Forms in Early Middle English. Hituzi Linguistics in English 10. Tokyo: Hituzi Syobo, 2009.
[2009-09-06-1]の記事で,英語の語順が古くから SVO で固まっていたわけではないことを示した.SOV の語順に慣れきった日本語母語話者が外国語として英語を学び始めるときに,文法上とりわけ大きな違和感を感じる項目は語順だと思われるが,古い英語では日本語と同じ SOV もごく普通にあり得たことを知ると,英語の見方が変わるかもしれない.
主語 (S),目的語 (O),動詞 (V) という3要素の組み合わせに限定して考えると,論理的には6種類の語順がありうることになる.SOV, SVO, OSV, OVS, VSO, VOS である.「私は妻を愛する」と「妻を私は愛する」,"I love my wife" と "My wife I love" など,同じ言語内でも二つ以上の語順があり得るが,いずれのペアも後者は強調的な意味合いを含む有標 ( marked ) の語順であり,前者の無標 ( unmarked ) の語順とは区別されるべきである.無標の語順は基本語順とも呼ばれ,これによって世界の多くの言語を分類すると,およそ次のグラフのような分布となる.(ここに含まれていない残りの二つの基本語順は,皆無ではないがほぼないと考えてよい.)
Word Order | Rate | Languages |
---|---|---|
SOV | 48% | Japanese, Korean, Turkish |
SVO | 32% | English, French, Spanish |
VSO | 16% | Hebrew, Icelandic, Tahitian |
VOS | 4% | Tagalog |
古英語はで屈折により格が標示されたため,現代英語に比べて語順が自由だったことはよく知られている.例えば,SVO の構文は,特殊な倒置を除いて現代英語では揺るぎない規則といってよいが,古英語ではあくまでよくある傾向に過ぎなかった.従属節では SOV の語順が多かったし,主節でも目的語が代名詞であったり and で始まる文では SOV が多かった.つまり,古英語の語順は,緩やかな傾向をもった上で,比較的自由だったといえる.
だが,この状況が中英語期になって変化してくる.SVO の語順がにわかに発達してくるのである.以下は橋本先生の著書で引かれている Fries の調査結果に基づいた語順の推移である.およそ1000年から1500年までの英語を対象として,OV と VO の語順の比率を示したものである.(c1100のデータはなし.数値データはこのページのHTMLソースを参照.)
ここでは主節と従属節の区別をしていないこともあり,単純に結論づけることはできないものの,14世紀中に一気に SVO が成長したことは確かなようだ.発達曲線は slow-quick-quick-slow を示しており,典型的な 語彙拡散 ( Lexical Diffusion ) の発達過程を経ているように見える.
・Fries, Charles C. "On the Development of the Structural Use of Word-Order in Modern English." Language 16 (1940): 199--208.
・橋本 功 『英語史入門』 慶應義塾大学出版会,2005年. 176頁.
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