印欧祖語の基本語順は SOV だったと考えられているが,そこから派生した諸言語では基本語順が変化したものもある.英語も印欧祖語からゲルマン祖語を経て歴史時代に及ぶ長い歴史のなかで,基本語順を SVO へと変化させてきた.生成文法流にいえば,O の移動 (movement) ,とりわけ前置 (fronting) の結果としての語順が,デフォルトとして定着したものと考えることができるだろう.
・ 「#3127. 印欧祖語から現代英語への基本語順の推移」 ([2017-11-18-1])
・ 「#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」」 ([2017-11-22-1])
・ 「#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」」 ([2017-12-21-1])
・ 「#3733.『英語教育』の連載第5回「なぜ英語は語順が厳格に決まっているのか」」 ([2019-07-17-1])
O ではなく V が前置された VSO という変異的な語順が,やがてデフォルトとして定着した言語がある.島嶼ケルト語 (Insular Celtic) だ.Fortson (144) が次のように述べている.
If verb-initial order generated in this way [= by fronting] becomes stereotyped, it can be reanalyzed by learners as the neutral order; and in fact in Insular Celtic, VSO order became the norm for precisely this reason (the perhaps older verb-final order is still the rule in the Continental Celtic language Celtiberian). A similar reanalysis happened in Lycian . . . .
この解釈でいくと,おそらく語用論的な要因による変異語順の1つにすぎなかったものが,デフォルトの語順として再分析 (reanalysis) され,定着したということになろうか.すると,個々の印欧語における基本語順は,およそ基底の SOV から導き出せることになる.
平叙文で VSO という語順に馴染みのない身としては,いきなり動詞で始まるという感覚はイマイチつかめないところだが,「#3128. 基本語順の類型論 (3)」 ([2017-11-19-1]) でみたように,VSO 語順は世界の言語のなかでも決して稀な語順ではない.世界の言語の基本語準については以下も参照.
・ 「#137. 世界の言語の基本語順」 ([2009-09-11-1])
・ 「#3124. 基本語順の類型論 (1)」 ([2017-11-15-1])
・ 「#3125. 基本語順の類型論 (2)」 ([2017-11-16-1])
・ 「#3128. 基本語順の類型論 (3)」 ([2017-11-19-1])
・ 「#3129. 基本語順の類型論 (4)」 ([2017-11-20-1])
・ Fortson IV, Benjamin W. Indo-European Language and Culture: An Introduction. Malden, MA: Blackwell, 2004.
7月14日に,『英語教育』(大修館書店)の8月号が発売されました.英語史連載記事「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」の第5回「なぜ英語は語順が厳格に決まっているのか」が掲載されています.ご一読ください.
標題の問いに端的に答えるならば, (1) 古英語の屈折が言語内的な理由で中英語期にかけて衰退するとともに,(2) 言語外的な理由,つまりイングランドに来襲したヴァイキングの母語である古ノルド語との接触を通じて,屈折の衰退が促進されたから,となります.
これについては,拙著『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』(中央大学出版部,2011年)の第5章第4節でも論じましたので,そちらもご参照ください.言語は,そのような社会的な要因によって大きく様変わりすることがあり得るのです.
関連して,以下の記事もどうぞ.
・ 「#1170. 古ノルド語との言語接触と屈折の衰退」 ([2012-07-10-1])
・ 「#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」」 ([2017-11-22-1])
・ 「#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」」 ([2017-12-21-1])
・ 堀田 隆一 「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ 第5回 なぜ英語は語順が厳格に決まっているのか」『英語教育』2019年8月号,大修館書店,2019年7月14日.62--63頁.
・ 堀田 隆一 『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』 中央大学出版部,2011年.
先日3月9日(土)の15:00?18:15に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて,「英語の歴史」と題するシリーズ講座の第2弾として「北欧ヴァイキングと英語」をお話ししました.参加者の方々には,千年以上前のヴァイキングの活動や言葉(古ノルド語)が,私たちの学んでいる英語にいかに多大な影響を及ぼしてきたか分かっていただけたかと思います.本ブログでは,これまでも古ノルド語 (old_norse) に関する話題を豊富に取り上げてきましたので,是非そちらも参照ください.
今回は次のような趣旨でお話ししました.
英語の成り立ちに,8 世紀半ばから11世紀にかけてヨーロッパを席巻した北欧のヴァイキングとその言語(古ノルド語)が大きく関与していることはあまり知られていません.例えば Though they are both weak fellows, she gives them gifts. という英文は,驚くことにすべて古ノルド語から影響を受けた単語から成り立っています.また,英語の「主語+動詞+目的語」という語順が確立した背景にも,ヴァイキングの活動が関わっていました.私たちが触れる英語のなかに,ヴァイキング的な要素を探ってみましょう.
1. 北欧ヴァイキングの活動
2. 英語と古ノルド語の関係
3. 古ノルド語が英語の語彙に及ぼした影響
4. 古ノルド語が英語の文法に及ぼした影響
5. なぜ英語の語順は「主語+動詞+目的語」で固定なのか?
講座で使用したスライド資料をこちらにアップしておきます.スライド中から,本ブログの関連記事へもたくさんのリンクが張られていますので,そちらで「北欧ヴァイキングと英語」の関係について復習しつつ,理解を深めてもらえればと思います.
1. シリーズ「英語の歴史」 第2回 北欧ヴァイキングと英語
2. 本講座のねらい
3. 1. 北欧ヴァイキングの活動
4. ブリテン島の歴史=征服の歴史
5. ヴァイキングのブリテン島来襲
6. 関連用語の整理
7. 2. 英語と古ノルド語の関係
8. 3. 古ノルド語が英語の語彙に及ぼした影響
9. 古ノルド語からの借用語
10. 古ノルド借用語の日常性
11. イングランドの地名の古ノルド語要素
12. 英語人名の古ノルド語要素
13. 古ノルド語からの意味借用
14. 句動詞への影響
15. 4. 古ノルド語が英語の文法に及ぼした影響
16. 形態論再編成の「いつ」と「どこ」
17. 古英語では屈折ゆえに語順が自由
18. 古英語では屈折ゆえに前置詞が必須でない
19. 古英語では文法性が健在
20. 古英語は屈折語尾が命の言語
21. 古英語の文章の例
22. 屈折語尾の水平化
23. 語順や前置詞に依存する言語へ
24. 文法性から自然性へ
25. なぜ屈折語尾の水平化が起こったのか? (1)
26. なぜ屈折語尾の水平化が起こったのか? (2)
27. なぜ屈折語尾の水平化が起こったのか? (3)
28. 形態論再編成の「どのように」と「なぜ」
29. 英文法の一大変化:総合から分析へ
30. 5. なぜ英語の語順は「主語+動詞+目的語」で固定なのか?
31. 本講座のまとめ
32. 参考文献
とある経緯により,今週末の1月19日(土)の15時より慶應義塾大学三田キャンパス(南校舎446番教室)にて,日本語用論学会関東地区の講演会にてお話しすることになっています.タイトルは「英語の may 祈願文の起源と発達」です.事前申込不要,参加費無料ですので,ご関心の向きはお運びください.
May the Force be with you! (フォースが共にあらんことを!)に代表される may を用いた祈願文の歴史については,ここ数年間,関心を持ち続けてきました.拙著『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』(研究社,2016年)の4.5節でも取り上げましたし,本ブログでも「#1867. May the Queen live long! の語順」 ([2014-06-07-1]),「#2256. 祈願を表わす may の初例」 ([2015-07-01-1]),「#2484. 「may 祈願文ができるまで」」 ([2016-02-14-1]) など optative の各記事で話題にしてきた通りです.
なぜよりによって may という助動詞が用いられているのか,なぜ VS 語順になる必要があるのかなど,共時的に謎が多い問題なのですが,通時的にみるとある程度は理由が分かってきます.しかし,通時的にみても依然として不明な部分が多々残っており,研究の余地があります.本格的に調べてみようと思い立ったのは比較的最近ですので,今度の講演会ではこれまでに分かっていることをまとめたり,目下考えているところをお話しするということになりますが,この不可思議で魅力的な構文について,語用論的な視点も含めつつ議論してみたいと思っています.
自身の拙い発表の宣伝はしにくいのですが,慶應大学文学部の同僚であり,日本語用論学会関東地区を仕切られている井上逸兵先生からのプッシュもあり紹介してみました.ちなみに井上先生は,昨年12月1--2日に開催の日本語用論学会第21回全国大会の2日目に行なわれた第1回 語用論グランプリにて,なんと総合優勝されました.強者です.こちらの右下の勝利の写真を参照.
Stein は英語の2種類の倒置 (inversion) をとりあげ,それぞれが歴史的にいかなる機能上の変化を遂げてきたかを論じている.Stein (135, 139) の扱った倒置構造は,次の type A と type B である .type A は新しい何かを導入する役割を果たし,type B は否定や限定を強める役割を果たす.いずれも近代英語期に台頭してきたものであり,古英語期の倒置構造が直接に受け継がれたものではない.
[ type A ]
・ In came Chomsky.
・ Down with the rebound comes . . .
・ Beyond it rose the peopled hills.
・ Developing offshore drilling in California are two Texas oil men.
[ type B ]
・ Rarely did I hear such overtones of gratitude as went into the utterance of this compound noun.
・ Not until the Book of Splendour did appear in Spain in the thirteenth century did a formidable metaphysical text on cabalism appear.
・ Often did she visit the inhabitants of that gloomy village
・ Only of late have I learned about the complexities of subjectivity
・ Never did I hear about cabalism.
これらの倒置構造の歴史的推移は,Stein (146--47) によれば次の通りである.
Prior to the central structural process, the grammaticalisation of SVO, inversion (or not) did have non-propositional meaning, which is best described as 'textual' or discourse meaning, but no affective meaning. . . After the dissolution of the Old English types of inversions, the late Middle English situation shows an incipient tendency for use as a focussing device. The modern developments include the rise of the B type (the emotional type), expressive and subjective in meaning, as well as the rise of the A type, with a discourse-cum-affective type of meaning. The latter type is in part a renaissance of a discourse meaning that was present in the Old English (VSO) pattern, which did not have the affective component. To that extent the development has gone full circle.
以上をまとめれば,一般的に語順が比較的自由だった古英語では,倒置の機能は談話的なものに特化していたが,SVO語順を指向した中英語では談話的機能は失われて焦点化の機能が発達し,SVO語順が確立した近代にかけては感情的な機能が前面で出てくるとともに,部分的に談話的な機能が復活してきたという流れだ.
語順倒置の形式ではなく機能の歴史的推移というのも,突っ込んでいくとおもしろそう(だが,難しそう)だ.
・ Stein, Dieter. "Subjective Meanings and the History of Inversions." Subjectivity and Sbujectivisation: Linguistic Perspective. Ed. Dieter Stein and Susan Wright. Cambridge: CUP, 129--50.
この2日間の記事「#3517. if を使わずに V + S とする条件節」 ([2018-12-13-1]),「#3518. 条件節と疑問文の近さ」 ([2018-12-14-1]) で,統語的・意味論的な観点から「疑問」「接続法」「願望」「条件」の接点を探ってきた.この仲間に,もう1つ「感嘆」というキーワードも参加させたい.
感嘆文では,疑問文で典型的に起こる V + S の語順がしばしば採用される.Jespersen (499) から例文を挙げよう.
・ Sh Merch II. 2. 106 Lord, how art thou chang'd
・ Sh Merch II. 3.16 Alacke, what heinous sinne is it in me To be ashamed to be my Fathers childe
・ BJo 3.133 what a vile wretch was I
・ Farquhar B 321 What a rogue is my father!
・ Defoe G 44 what fool must he be now that they have given him a place!
・ Goldsm 658 What a fool was I, to think a young man could learn modesty by travelling
・ Macaulay H 2.209 What a generation of vipers do we live among!
・ Thack N 180 What a festival is that day to her | What (how great) was my surprise when they were engaged!
・ Bennett C 2.12 What a night, isn't it?
最後の例文では付加疑問がついているが,これなどはまさに感嘆文と疑問文の融合ともいうべき例だろう.感嘆と疑問が合わさった「#2258. 感嘆疑問文」 ([2015-07-03-1]) も例が豊富である.
また,感嘆と願望が互いに近しいことは説明を要しないだろう.may 祈願文が V + S 語順を示すのも,感嘆の V + S 語順と何らかの関係があるからかもしれない.
may 祈願文と関連して,Jespersen (502) に,Dickinson, European Anarchy 74 からの興味深い例文があったので挙げておこう.
"The war may come", says one party. "Yes", says the other; and secretly mutters, "May the war come!"
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may 祈願は,疑問文に典型的な V + S 語順を,願望や感嘆のためにリクルートした例と考えてみるのもおもしろそうだ.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 5. Copenhagen: Munksgaard, 1954.
昨日の記事「#3517. if を使わずに V + S とする条件節」 ([2018-12-13-1]) で,V + S の条件節(動詞は典型的に接続法)の発達について取りあげた.現代英語で最も普通に V + S の語順をとるのは疑問文である.とすると,条件節と疑問文の間に何らかの接点があるのかないのかという疑問が湧くだろう.これについて考えてみよう.
条件節と疑問文は,確かに近い関係にある.まず,間接疑問を導く接続詞に if が用いられることを思い起こしたい.He asked if I liked Chinese food. (彼は私に中華料理が好きかと尋ねた」や Let me know if she is coming 「彼女が来るか知らせてください」など.後者では if が「?かどうか」の名詞節を導くのか,「?ならば」の副詞節を導くのかは文脈に応じて異なり得るという点で両義的だが,まさにこの両義性こそが「条件」と「疑問」の接点となるのである.日本語訳に現われる係助詞「か」も,典型的に疑問を表わすことに注意.
意味論的あるいは論理的にいえば,条件節も疑問文も "nonassertive" であるという点で共通している.つまり,ある命題について断定していないということである.命題とは別の可能性も含意するという点で,"alternative possible worlds" を前提としていると言い換えてもよいだろう.両者が異なるのは,条件節はそれだけでは何の発話行為にもならないが,疑問文ではそれだけで「疑問・質問」という発話行為となることだ.ついでにいえば,「願望」も命題の表わす事態がまだ起こっていないことを前提とするので nonassertion のもう1つの典型である.may 祈願文などは単独で「願望」の発話行為となる点で疑問文と共通する.
このように考えてくると,なぜ条件節が疑問文と同様に V + S の語順をとるのか,おぼろげながら両者の接点が見えてくるのではないか.昨日の記事でも示唆した通り,「疑問」「接続法」「願望」「条件」というキーワードは互いにリンクしているようだ.
(non)assertion については,「#679. assertion and nonassertion (1)」 ([2011-03-07-1]),「#680. assertion and nonassertion (2)」 ([2011-03-08-1]),「#950. Be it never so humble, there's no place like home. (3)」 ([2011-12-03-1]) の記事を参照されたい.
・ Leuschner, Torsten and Daan Van den Nest. "Asynchronous Grammaticalization: V1-Conditionals in Present-Day English and German." Languages in Contrast 15 (2015): 34--63.
現代英語には,条件節を表わすのに if を用いずに,主語と動詞の倒置で代用する構文がある.例文を挙げよう.
・ Were I to take over my father's business, I would make a drastic reform.
・ Had World War II ended two years earlier, how many lives would have been saved!
・ Should anything happen to him, call me at once.
現代英語では,were, should, had で始まるものに限定されており,意味的にも反事実的条件に強く傾いているが,かつては疑問文の形成と同様に一般の動詞が前置されることもあったし,中立的条件にも用いられた.Leuschner and Nest (2) より,古英語や中英語からの例を挙げよう.
・ Fulga nu se mete ðære wambe willan, & sio wamb ðæs metes, ðonne towyrpð God ægðer. (YCOE: Cura Pastoralis, late 9th cent.)
"If the food now follow.SUBJ the will of the belly and the belly that of the food, God annihilates both."
・ Do þu hit eanes awei; ne schalt tu neauer nan oðer swuch acourin. (PPCME2: Hali Meidhad, c. 1225)
"If you get rid of it once, you will never (re)gain anything like it."
・ Deceyueth me the foxe / so haue I ylle lerned my casus (PPCME2: Caxton's History of Reynard the Fox, 1481)
"If the fox deceives me, I have learned my lesson badly."
最初の2つの例文において,前置されている動詞は接続法の形式である.
なぜ条件節を表わすのに倒置が起こるのかという問題については,Jespersen (373--74) が「疑問文からの派生」説を紹介している.
A condition is very often denoted by a clause without any conjunction, but containing a verb placed before its subject. This construction, which is found in all the Gothonic language, is often explained from a question with implied positive answer: Will you come? [Yes, then] we can start at once.---A clear instance of this is AV 1. Cor. 7.27 Art thou bound vnto a wife? seeke not to bee loosed. Art thou loosed from a wife? seeke not a wife.
しかし,Jespersen (374) は,「疑問文からの派生」説だけでは説明しきれないとも考えており,続けて「接続法としての用法」説の可能性にも言及している.
But interrogative sentences, though undoubtedly explaining much, are not the only sources of our construction. Pretty frequently we find a subjunctive used in such a way that it cannot have arisen from a question, but must be due to a main sentence expressing a desire, permission, or the like: AR 164 uor beo hit enes tobroken, ibet ne bið hit neuer | Towneley 171 Gett I those land lepars, I breke ilka bone | Sh Merch III. 2.61 Liue thou, I liue with much more dismay | Cymb IV. 3.30 come more, for more you're ready | John III. 3.31 and creep the time nere so slow, Yet it shall come, for me to doe these good.
「疑問」「接続法」「願望」「条件」というキーワードが,何らかの形で互いに結びついていそうだという感覚がある.VS 条件節の発達は,最近取り上げてきた may 祈願の発達の問題にも光を投げかけてくれるかもしれない (cf. 「#3515. 現代英語の祈願文,2種」 [2018-12-11-1],「#3516. 仮定法祈願と may 祈願の同居」 ([2018-12-12-1])) .
・ Leuschner, Torsten and Daan Van den Nest. "Asynchronous Grammaticalization: V1-Conditionals in Present-Day English and German." Languages in Contrast 15 (2015): 34--63.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 5. Copenhagen: Munksgaard, 1954.
細江 (158--59) によれば,現代英語には,現在または未来の「ひたすらな願い」を表わす祈願法 (optative) の形式として,2種が認められる.1つは仮定法(歴史的な接続法 (subjunctive))を用いる方法(以下の (a)),もう1つは語頭に may を立てて「主語+動詞」を続ける方法である(以下の (b)).それぞれを示そう.
(a) 通常主語を文頭に立て,叙想法現在の動詞を述語とする.ただし,この際強勢のため形容詞・副詞などを先に立て主語と述語とを転置することも多い.たとえば,
Thy kingdom come. Thy will be done.---Matthew, vi. 10.
God bless and reward you for all your kindness.---Stowe.
God forgive me!---Miss Mulock.
Long live the Duke!---Charles Reade.
Mine be a cot beside the hill!---Rogers.
So be it, O Queen!---H. Hoggard.
So help me God!---Hardy.
このようなものは昔は常に用いられた形ではあるが,現今では詩および少数の固定した言い方のほかはあまり多く用いられない.しかし,ここに一つ特に注意すべきは,次のような呪罵の語では今なお普通に用いられるということである.
Murrain take thee!---Scott.
Devil take me!---Lamb.
Generosity be hanged!---Thackeray.
Dauphin be damned!---Shaw.
(b) 前記の場合,叙想法代用として may+不定詞を用いる.この場合に may はいつも主語より前に立つものである.たとえば,
May no evil dream disturb my rest!---Evening Hymn.
May he rest in peace!---Irving.
So may it be for ages!---William Morris.
仮定法の利用にせよ法助動詞 may の利用にせよ,法 (mood) が強く関わっていることがわかる.しばしば,祈願「法」 (optative mood) と呼ばれる所以である.また,(a) の場合は随意だが,(b) の場合は必ず語順の倒置が起こるという点も特徴的だ.これは,通常の叙述ではなく祈願という有標の発話行為であることを示すマーカーとして機能しているものではないかと思われる.書き言葉では,通常感嘆符 (exclamation mark) を伴うという特徴もある.
なお,may に対応するドイツ語の mögen の接続法第1式も,may と同様の統語的振る舞いを示す.たとえば,Möge das neue Jahr viel Glück bringen! (新しい年が多幸でありますように!」,Möge er glücklich werden! (彼に幸あれ!)など.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
昨日の記事 ([2018-09-10-1]) の記事に続いて,祈願の might の話題.該当の構文が,Visser (III, §1681) に "Faire myght thee befalle!" タイプとして取り上げられている.古英語から現代英語までの例文が挙っており,O(h)! や that が先行する例を含め,構文の発達を考える上で貴重な一覧となっている.以下に引用する.
・ Ælfred, Boeth. (Sedgefield) 34, 6, Eala ðæt ure tida nu ne mihtan weorðan swilce!
・ Blickl. Hom. 69, 7, To hwon sceolde ðeos smyrenes ðus beon to lose ȝedon? eaþe heo mehte beon ȝeseald to þrim hunde peneȝa.
・ c1400--50 Alexander (Ashm.) 1605, 'Ay moȝt he lefe' quod ilka man twyse (OED).
・ c1460 Towneley Myst. 33, Faire myght the[e] befalle!
・ c1460 Wakefield Miracle Play of the Crucifixion (Everym.) Libr. p. 104, That shall I do, so might I thrive!
・ Ibid. p. 105, 29, as might thou the!
・ Ibid. p. 115, 9, as ever might I thrive!
・ 1530 Palsgrave 84, The optative mode which they vse whan they wisshe a dede to be done, as 'bien parle il', well speke he, or well myght he speke.
・ 1575 Gammer Gurton (in: Manly, Spec. II) V, ii, 8, fye on him, wretch! And euil mought he thee for it (Or mought = mote?).
・ 1589--9 Ben Jonson, The Case Is Altered (Everym.) II, i p. 678, That I might live alone once with my gold! O, 'tis sweet companion!
・ 1596 Shakesp., Merch. of Ven. II, ii, 98, Lord worshipt might be, what a beard hast thou got.
・ 1852 M. Arnold, To Marguerite, Cont'd 18, Oh might our marges meet again! (OED).
・ c1920 W. W. Gibson, Waters of Lethe (Coll. Poems 1926), O that we too might stand Amid unrustling reeds, That banner with dark plumes the shadowy strand! . . . O that we two might glide With eager eyes . . . Into the mist that veils the further side!
・ 1931 R. L. Binyon, Prayer (Coll. Poems 1931), O might my love that in one heart has found such hope to cherish . . . O might it grow Till in this clear profound Part of thy peace were seen (Kr).
例文を全体的に見渡すと,might の祈願文は may の祈願文とおよそ同様の統語構造で用いられており,昨日の記事で OED に依拠して紹介した「条件節の倒置」説だけでは,might 構文の発達の全容は説明づけられないように思われる.
1530年の例文には構文に関するメタなコメントが含まれており,注目に値する.そこでは,might 構文が接続法の代替表現として解されている.
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
現代英語では廃れているといってよいが,中英語から近代英語にかけて,祈願の may ならぬ祈願の might という用法があった.OED の may, v.1 の語義24で取り上げられているのを読んで知った.OED より引用しよう.
24. Used (since Middle English with inversion of verb and subject) in exclamatory expressions of wish (sometimes when the realization of the wish is thought hardly possible). poet. Perhaps Obsolete.
This appears to have developed from the hypothetical use (sense 20a).
c1325 (?c1225) King Horn (Harl.) (1901) 166 (MED) Crist him myhte blesse.
c1450 (?a1400) Wars Alexander (Ashm.) 1607 (MED) Ay moȝt [a1500 Trin. Dub. mot] he lefe, ay moȝt he lefe, þe lege Emperoure!
1600 Shakespeare Merchant of Venice ii. ii. 88 Lord worshipt might he be, what a beard hast thou got.
1720 Pope tr. Homer Iliad VI. xxiv. 261 Oh!..might I..these Barbarities repay!
1852 M. Arnold To Marguerite in Empedocles 97 Now round us spreads the watery plain---Oh might our marges meet again!
祈願の might の出現と発達に関連して,祈願の may がどのように関与しているのか,していないのかは,おもしろい問題である.上記の OED の説明として言及されている語義20aというのは条件節における用法であり,つまり If S might V の代替表現としての Might S V という統語構造のことを指す.may 祈願文についてこのような発達の説明は聞いたことがないので,つまるところ,OED は might と may の祈願文はそれぞれ異種の経路で発達したと考えていることになる.確かに,1720年の might I の例のように1人称単数が主語に用いられるケースは may 祈願文では見たことがなく,このような might の用法は厳密にいえば「祈願」とは別の発話行為を表わしているのかもしれない.
ただし,might には倒置されていない用例も見られることから,「条件節の倒置」説だけではすべてを説明することはできなさそうだ.あるいは,その後の段階で may の祈願文と合流したという可能性もあるかもしれない.祈願の might は現代までに事実上の廃用となっているというが,なぜ廃用となったのかにも興味がある.
「#1867. May the Queen live long! の語順」 ([2014-06-07-1]),「#2256. 祈願を表わす may の初例」 ([2015-07-01-1]),「#2484. 「may 祈願文ができるまで」」 ([2016-02-14-1]) でもすでに触れてきたが,祈願の may の構文の成立過程の1つは,従属節における用法(I wish that S may V のような構文)からの発達に求めることができる.少なくとも OED はそのように考えており,松瀬 (82) も Stage 3 から Stage 4 への推移において同じ発達があったとみているようだ.ただ,OED ではその時期を中英語から近代英語への過渡期に置いているのに対して,松瀬はもう少し早めの中英語期に置いているという違いがある.
祈願の may の構文の原型とされる従属節における用法について,OED では古英語から現代英語までの例を,may, v.1 の語義9bに挙げている.以下に引用する.
b. In clauses depending on such verbs as beseech, desire, demand, hope, wish, and their allied nouns. . . .
OE Ælfric Catholic Homilies: 1st Ser. (Royal) (1997) x. 258 Hwæt wilt ðu þæt ic þe do? He cwæð: drihten þæt ic mage geseon.
1432 Charter Educ. Henry VI in Paston Lett. (1872) I. 32 The said Erle desireth..that he may putte hem from..occupacion of the Kinges service.
1549 Bk. Common Prayer (STC 16267) Celebr. Holye Communion f. xxiv Graunt that they maie both perceaue and knowe what thinges they ought to do.
1636 in M. Kytö Variation & Diachrony (1991) 111 I desire they may goe for shares and victuall them selves.
1771 [T. Smollett Humphry Clinker I. 197 But, perhaps, I mistake his complaisance; and I wish I may, for his sake.]
1782 W. Cowper Conversation in Poems 218 He humbly hopes, presumes it may be so.
1908 W. McDougall Introd. Social Psychol. p. vii I hope that the book may be of service to students of all the social sciences.
1970 N.Y. Times 21 Sept. 42/2 Through the new page.., we hope that a contribution may be made toward stimulating new thought.
1984 Guardian 27 Jan. 26 They found a shovel raising hopes that the lost men may have dug themselves into a snow hole.
一方,問題の主節における祈願の may の構文については,OED は語義12のもとで挙げており,初例を1521年としている.一部「#1867. May the Queen live long! の語順」 ([2014-06-07-1]) でも掲載したが,語義12の全体を引用しておこう.
12. Used (with inversion of verb and subject) in exclamatory expressions of wish (synonymous with the simple present subjunctive, which (exc. poet. and rhetorically) it has superseded).
This use developed from sense 9b, as is shown by early examples, such as quot. 1521, in which the subject precedes may, and antecedent formulae (e.g. quot. 1501) which have a that-clause.
[1501 in A. W. Reed Early Tudor Drama (1926) 240 Wherfore that it may please your good lordship, the premisses tenderly considered to graunt a Writ of subpena to be directed [etc.].]
1521 Petition in Hereford Munic. MSS (transcript) (O.E.D. Archive) I. ii. 5 Wherefore it may please you to ennacte [etc.; cf. 1582--3 Hereford Munic. MSS (transcript) II. 265 Maye [it] pleas yo(ur)r worshipes to caule].
1570 M. Coulweber in J. W. Burgon Life Gresham II. 360 For so much as I was spoyled by the waye in cominge towards England by the Duke of Alva his frebetters, maye it please the Queenes Majestie [etc.].
1590 Marlowe Tamburlaine: 1st Pt. sig. A5v Long liue Cosroe mighty Emperour. Cosr. And Ioue may neuer let me longer liue, Then I may seeke to gratifie your loue.
1593 Shakespeare Venus & Adonis sig. Diijv Long may they kisse ech other for this cure.
1611 M. Smith in Bible (King James) Transl. Pref. sig. ⁋3 Long may he reigne.
1637 Milton Comus 32 May thy brimmed waves for this Their full tribute never misse.
1647 Prol. to Fletcher's Womans Prize in F. Beaumont & J. Fletcher Comedies & Trag. sig. Qqqqq2/1 A merry Play. Which this may prove.
1712 T. Tickell Spectator No. 410. ⁋6 But let my Sons attend, Attend may they Whom Youthful Vigour may to Sin betray.
1717 Entertainers No. 2. 7 Much good may it do the Dissenters with such Champions.
1786 C. Simeon in W. Carus Life (1847) 71 May this be your blessed experience and mine.
1841 Dickens Old Curiosity Shop i. viii. 121 'May the present moment,' said Dick,.. 'be the worst of our lives!'
1892 Catholic News 27 Feb. 5/5 May this smash-up of his facts remain as a warning to him.
1946 W. H. Auden Litany & Anthem for S. Matthew's Day May we worship neither the flux of chance, nor the wheel of fortune.
1986 B. Gilroy Frangipani House vii. 30 May your soul never wander and may you find eternal peace.
1712年の例で,Let my Sons attend, Attend may they という部分で勧告の let と祈願の may が言い換えのように並置されているのが示唆的である.「#2478. 祈願の may と勧告の let の発達の類似性」 ([2016-02-08-1]),「#3416. 祈願の may と勧告の let の意味論的類似性」 ([2018-09-03-1]) を参照.
・ 松瀬 憲司 「"May the Force Be with You!"――英語の may 祈願文について――」『熊本大学教育学部紀要』64巻,2015年.77--84頁.
「#2478. 祈願の may と勧告の let の発達の類似性」 ([2016-02-08-1]) で,両構文の意外とも思える類似性について歴史的な観点から紹介した.現代英語の共時的観点からも,Huddleston and Pullum (944) が両者の意味論的な類似性に言及している.
[Optative may C]onstruction . . . , which belongs to somewhat formal style, has may in pre-subject position, meaning approximately "I hope/pray". There is some semantic resemblance between this specialised use of may and that of let in open let-imperatives, but syntactically the NP following may is clearly subject . . . . The construction has the same internal form as a closed interrogative, but has no uninverted counterpart.
may と let が「意味論」的に似ているという点は首肯できる(ここでいう「意味論」は語用論も含んだ「意味論」だろう).発話行為としての「祈願」を行なえば,次に「勧告」したくなるのが人情だろうし,「勧告」の前段階として「祈願」は付きもののはずだ.
一方,「統語」的には,続く名詞句が主格に置かれるか目的格に置かれるかという点で明らかに区別されると指摘されている.確かに,両者はおおいに異なる.しかし,may と let を,対応する発話行為を表わす語用標識ととらえ,その後に来る名詞句の格の区別は無視すれことにすれば,いずれも「語用標識+名詞句(+動詞の原形)」となっていることは事実であり,統語的にも似ていると議論することはできる.少なくとも表面的な統語論においては,そうみなせる.
may も let も,文頭の動詞原形で命令を標示したり,文頭の Oh で感嘆を標示したりするのと同様の語用論的な機能を色濃くもっていると考えることができるかもしれない.「#2923. 左と右の周辺部」 ([2017-04-28-1]) という観点からも迫れそうな,語用論と統語論の接点をなす問題のように思われる.
・ Huddleston, Rodney and Geoffrey K. Pullum. The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: CUP, 2002.
一昨日と昨日の記事 ([2018-08-31-1], [2018-09-01-1]) に補足する.Biber et al (§11.2.3.4, p. 918) によると「主語+助動詞」が「助動詞+主語」となる環境には,先の記事で挙げたものに加えて,もう2種類(以下の A と C)ある.祈願の may の構文 (B) について調べている途中に出くわしたものなので,それと合わせて3点を引用する.A と B は古い用法の残存ということなので,ぜひ歴史的な観点から迫っていきたい構文の問題だ.
11.2.3.4 Special cases of inversion in independent clauses
Some uses of inversion are highly restricted and usually confined to more or less fixed collocations. Types A and B described below are remnants of earlier uses and carry archaic literary overtones.
A Formulaic clauses with subjunctive verb forms
The combination of the inflectionless subjunctive and inversion gives the highlighted expressions below an archaic and solemn ring:
Be it proclaimed in all the schools Plato was right! (FICT)
If you want to throw your life away, so be it, it is your life, not mine. (FICT)
"I, Charles Seymour, do swear that I will be faithful, and bear true allegiance to Her Majesty Queen Elizabeth, her heirs and successors according to law, so help me God." (FICT)
Long Live King Edmund! (FICT)
Suffice it to say that the DTI was the supervising authority for such fringe banks. (NEWS)
B Clauses opening with the auxiliary may
The auxiliary may is used in a similar manner to express a strong wish. This represents a more productive pattern:
May it be pointed out that the teacher should always try to extend the girls helping them to achieve more and more. (FICT†)
May God forgive you your blasphemy, Pilot. Yes. May he forgive you and open your eyes. (FICT†)
The XJS may be an ageing leviathan but it is still a unique car. Long may it be so! (NEWS)
Long May She Reign! (NEWS)
C Imperative clauses
Imperative clauses may contain an expressed subject following don't . . . .
A と B の意味的・統語的類似性に注目すべきである.ともに命令,勧告,祈願などの「強い希望」が感じられる.歴史的には,may などの法助動詞は屈折による接続法の代用として発達してきた側面があり,両者が意味的に近い関係にあることは当然といえば当然である.だが,こうして現代英語にも古風な表現としてではあれ共存しており,かつ統語的にも倒置が生じるという点で振る舞いが似ているのは,非常に興味深い.
・ Biber, Douglas, Stig Johansson, Geoffrey Leech, Susan Conrad, and Edward Finegan. Longman Grammar of Spoken and Written English. Harlow: Pearson Education, 1999.
昨日の記事 ([2018-08-31-1]) に引き続いての話題.Huddleston and Pullum より,現代英語でデフォルトの語順が倒置されて「助動詞+主語」となる9つのケースを紹介した.この9つを大きく2つのタイプに分けると,非主語の句が前置されることにより倒置が引き起こされるものと,そうでないものとに振り分けられる.前者はさらに2分され,そのような句がある場合に必ず倒置しなければならないケースと,倒置が任意であるケースとが区別される.Huddleston and Pullum (97) よりまとめよう.
UNTRIGGERED | TRIGGERED | |
---|---|---|
obligatory | optional | |
Closed interrogatives | Open interrogatives | Exclamatives |
Conditional inversion | Initial negative | Other fronted elements |
Optative may | Initial only | |
Initial so/such |
現代英語の最も普通の語順は「主語+(助)動詞」である.ただし,いくつかのケースでは,統語的,意味的,語用的な動機づけにより,この語順が倒置 (inversion) されることがあり「(助)動詞+主語」となり得る.ここでは動詞を助動詞に限定した上で,どのようなケースがあるか,Huddleston and Pullum (94--96) の分類から要約してみよう.
(1) 閉じた疑問文 (Closed interrogatives)
- Can she speak French?
- Does she speak French?
(2) 開かれた疑問文 (Open interrogatives)
- What did she tell you?
- Where did you go after that?
- What is she doing?
(3) 感嘆文 (Exclamatives) (ただし,主語+助動詞の語順も可能)
- What a fool have I been?
- How hard did she try?
(4) 否定要素が前置される場合 (Initial negative)
- Not one of them did he find useful.
- Nowhere does he mention my book.
(5) only が前置される場合 (Initial only)
- Only two of them did he find useful.
- Only once had she complained.
(6) so/such が前置される場合 (Initial so/such)
- So little time did we have that we had to cut corners.
- Such a fuss would he make that we'd all agree.
- You got it wrong and so did I.
(7) その他の要素が前置される場合 (Other fronted elements)
- Thus had they parted the previous evening.
- Many another poem could I speak of which sang itself into my heart.
- The more wives he had, the more children could he beget.
- Well did I remember the crisis of emotion into which he was plunged that night.
(8) 条件節 (Conditional inversion)
- Had he seen the incident he'd have reported it to the police.
(9) 祈願の may (Optative may)
- May you both enjoy the long and happy retirement that you so richly deserve.
- May the best man win!
- May you be forgiven!
こう見てみると,現代英語でもデフォルトの「主語+助動詞」が倒置されて「助動詞+主語」となる機会は,諸々合わせれば,種類としても頻度として必ずしも少なくないように思えてくる.だが,多いというのは言い過ぎだろう.むしろ,通常と違っているという低頻度性や異質性を利用して,語用的に有用な何かを行なっているのだと考えておきたい.
・ Huddleston, Rodney and Geoffrey K. Pullum. The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: CUP, 2002.
Meillet が語順の固定化を文法化 (grammaticalisation) の事例とみなしたことは,「#1972. Meillet の文法化」([2014-09-20-1]) で触れた.通常,文法化とは語彙的な意味をもった具体的な語(句)が文法的な機能を帯びるようになる変化を指すが,抽象的な語順というものが文法化すると言う場合,それはいかなる点においてそうだと言えるのだろうか.Hopper and Traugott は,Meillet の1912年の記念すべき論文に言及しつつ,この点について解説している (23) .
At the end of the article he opens up the possibility that the domain of grammaticalization might be extended to the word order of sentences (1912: 147--8). In Latin, he notes, the role of word order was "expressive," not grammatical. (By "expressive," Meillet means something like "semantic" or "pragmatic.") The sentence 'Peter slays Paul' could be rendered Petrus Paulum caedit, Paulum Petrus caedit, caedit Paulum Petrus, and so on. In modern French and English, which lack case morphemes, word order has primarily a grammatical value. The change has marks of grammaticalization: (i) it involves change from expressive to grammatical meaning; (ii) it creates new grammatical tools for the language, rather than merely modifying already existent ones. The grammatical fixing of word order, then, is a phenomenon "of the same order" as the grammaticalization of individual words: "The expressive value of word order which we see in Latin was replaced by a grammatical value. The phenomenon is of the same order as the 'grammaticalization' of this or that word; instead of a single word, used with others in a group and taking on the character of a 'morpheme' by the effect of usage, we have rather a way of grouping words" (1912: 148).
引用中の (i) に示唆されているように,語用的・談話的な意味を担っていた語順の役割がより文法的になったと解釈できる点をとらえて,語順の固定化を文法化と呼んでいることがわかる.また,(ii) にあるように,当該言語が新たな「文法的な道具」を獲得したのだという主張も,なるほどと理解できる.
しかし,Hopper and Traugott は,語順の固定化が文法化と浅からぬ関係にあることは認めつつも,それ自体を文法化の事例とみなすのは妥当でないと考えている.その理由の1つは,語順の変化に必ずしも一方向性 (unidirectionality) が認められないことだ (60) .また,語順変化は他の文法化現象を引き起こす力をもっているという,語順変化の文法化に果たす間接的な役割についても,Hopper and Traugott は慎重な立場を取っている (61) .総じて,語順変化を文法化の話題として持ち出すのは控えておきたいというスタンスである.
・ Hopper, Paul J. and Elizabeth Closs Traugott. Grammaticalization. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
・ Meillet, Antoine. "L'évolution des formes grammaticales." Scientia 12 (1912). Rpt. in Linguistique historique et linguistique générale. Paris: Champion, 1958. 130--48.
近年,統語と談話構造の関係を探る研究が増えてきている.一般的にいって,統語論と語用論のインターフェースが注目されてきているようだ.英語史でいえば,例えば古英語に関して,時制・相と談話構造の関係を探ったり,語順と情報構造の相関を追求する研究が現われている.
もう少し具体的に述べよう.古英語で,時制 (tense) と相 (aspect) は形態統語的に標示され,従来はもっぱら文法的な問題として扱われてきた.しかし,テキストの語りの中でそれらの表現が用いられる分布を調べてみると,完了相は情報の前景化を担い,未完了相は情報の背景化を担うという傾向が明らかになる.換言すれば,単一,動的,瞬時,有界の性質をもつ出来事は完了相で表わされ,持続,反復,習慣,無界の性質をもつ出来事は未完了相で表わされるという.以上は,Hopper による Anglo-Saxon Chronicle を対象とした分析結果であり,古英語一般に当てはまるかどうかは別問題だが,形態統語的な形式が談話構造の操作に利用される可能性を示すものとして興味深い.
同じように,比較的自由とされる古英語の語順も情報構造の操作に一役買っていたとみなせる事例が指摘されている.現代英語の "then" に相当する副詞 þa, þonne は,談話のつなぎとして作用することが知られている.同時に,これらの副詞が置かれることにより,その他の文要素の統語的位置が影響を受けることもよく知られている.どうやら問題の副詞の出現,語順の変異,談話構造の3者は,複雑かつ密接に関連し合っているようなのだ.例えば,これらの副詞で文が始まり,その直後に onginnan (to begin) の定動詞形が置かれると,談話の継続が含意されることが多いという.一方,副詞が欠如していれば,談話の非継続が含意されるという.
また,þa, þonne はときに "focus particles" とも称されるように,情報の焦点化にも関わっているとされる.文中に現われるとき,それより前の部分が話題 (topic) となり,後ろの部分が焦点 (focus) となる.
通時的な視点から興味深いのは,古英語から中英語にかけて,形態的統語なヴァリエーションが減少し,語順も固定化していくにつれて,それらが担っていた談話構造を操作する機能も衰退していったはずであるということだ.では,談話構造を操作する機能は,他のいかなる手段によって補われたのか,あるいは補われなかったのか.統語論と語用論のインターフェースそのものに,ダイナミックな変化が生じた可能性がある.
・ Lenker, Ursula. "Old English: Pragmatics and Discourse" Chapter 21 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 325--340.
昨日12月20日付けで,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第12回の記事「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」が公開されました.
前編の最後では,標題の疑問を「なぜ英語は屈折重視型から語順重視型の言語へと切り替わり,その際になぜ基本語順はSVOとされたのか?」という疑問へとパラフレーズしました.後半ではいよいよこの問いに本格的に迫りますが,楽しく読めるように5W1Hのミステリー仕立てで話しを展開しました.
言語変化にかかわらずあらゆる歴史現象の究極の問いは Why です.その究極の答えに近づくためには,先にそれ以外の4W1Hをしっかり押さえ,証拠を積み上げておく必要があります.その上で,総合的に Why への解答を提案するという順序が自然です.今回は,この英文法史上最も劇的な変化を1つの事件と見立て,その5W1Hにミステリー仕立てで迫りたいと思います.
連載記事で展開した説明は仮説です.有力な仮説ではありますが,歴史上の事柄ですから絶対的な説明を提示することはほぼ不可能と言わざるを得ません.それは今回の疑問に限りません.しかし,言語変化を論じる際に,事実をよく調べ,その事実に反しない形で因果関係のストーリーを組み立てることは可能です.今回の説明も,その試みの1つとして理解していただければと思います.以下,連載記事からの引用です.
言語変化は決して偶然生じるわけではないことがわかったかと思います.言語変化の背後には言語内的・外的な諸要因が複合的に作用しており,確かにその一つひとつを突き止めることは難しいのですが,What, When, Where, Who, How の答えを着実に追い求めていけば,最後には究極の問い Why にも接近することができるのです.
今回で連載記事としては最終回となります.これからも本ブログやその他の媒体で,英語の素朴な疑問にこだわっていきたいと思いますので.今後ともよろしくお願い申し上げます.
11月20日付けで,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第11回の記事「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」が公開されました.英語の語順に関する大きめの話題なので,2回にわたって連載する予定です.今回はその前編となります.
前編の概要は以下の通りです.日本語と英語における S, V, O の3要素の語順の違いを取っ掛かりとして,言語における「基本語順」に注目します.言語類型論の知見によれば,世界の諸言語における基本語順を調べると,実は日本語型の SOV が最も多く,次いで現代英語型の SVO が多いという分布が明らかとなります.ところが,英語も古英語まで遡ると,SVO のほか,SOV, VSO など様々な語順が可能でした.つまり,現代的な語順決め打ちではなく,比較的自由な語順が許されていたのです.それは,名詞,形容詞,冠詞,動詞などの語尾を変化させる「屈折」 の働きにより,文中のどの要素が主語であるか,目的語であるか等が明確に示され得たからです.語順に頼らずとも,別の手段が用意されていたということになります.要素間の統語関係を標示するのに語順をもってするか,屈折をもってするかは確かに大きな違いではありますが,いずれが優れている,劣っているかという問題にはなりません.現に英語は歴史の過程で語順の比較的自由な言語から SVO 決め打ちの言語へとシフトしてきたわけですが,そのシフト自体を優劣の観点から評価することはできないのです.
前編の最後では,「なぜ英語はSVOの語順なのか?」という素朴な疑問を,通時的な視点から「なぜ英語は屈折重視型から語順重視型の言語へと切り替わり,その際になぜ基本語順はSVOとされたのか?」とパラフレーズしました.この疑問の答えについては,来月公開の後編にご期待ください.
SOV, SVO などの語順に関しては,「#137. 世界の言語の基本語順」 ([2009-09-11-1]),「#3124. 基本語順の類型論 (1)」 ([2017-11-15-1]),「#3125. 基本語順の類型論 (2)」 ([2017-11-16-1]),「#3128. 基本語順の類型論 (3)」 ([2017-11-19-1]),「#3129. 基本語順の類型論 (4)」 ([2017-11-20-1]) の記事もどうぞ.
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