英語語彙史におけるギリシア語 (greek) の役割は,ラテン語,フランス語,古ノルド語のそれに比べると一般的には目立たないが,とりわけ医学や化学などの学術レジスターに限定すれば,著しく大きい.本ブログでも様々に取り上げてきたが,以下に挙げる記事などを参照されたい.
・ 「#516. 直接のギリシア語借用は15世紀から」 ([2010-09-25-1])
・ 「#552. combining form」 ([2010-10-31-1])
・ 「#616. 近代英語期の科学語彙の爆発」 ([2011-01-03-1])
・ 「#617. 近代英語期以前の専門5分野の語彙の通時分布」 ([2011-01-04-1])
・ 「#1694. 科学語彙においてギリシア語要素が繁栄した理由」 ([2013-12-16-1])
・ 「#3014. 英語史におけるギリシア語の真の存在感は19世紀から」 ([2017-07-28-1])
・ 「#3013. 19世紀に非難された新古典主義的複合語」 ([2017-07-27-1])
・ 「#3166. 英製希羅語としての科学用語」 ([2017-12-27-1])
・ 「#4191. 科学用語の意味の諸言語への伝播について」 ([2020-10-17-1])
Joseph (1720) が,英語とギリシア語の歴史的な関係について次のように総論的にまとめている.
English and Greek share some affinity in that both are members of the Indo-European language family, but within Indo-European, they are not particularly closely related. Nor is it the case that at any point in their respective prehistories were speakers of Greek and speakers of English in close contact with one another, and such is the case throughout most of historical times as well. Thus the story of language contact involving English and Greek is actually a relatively brief one.
However, the languages have not been inert over the centuries with respect to one another and some contact effects can be discerned. For the most part, these involve loanwords, as there are essentially no structural effects . . . and in many, if not most, instances, as the following discussion shows, the loans are either learned borrowings that do not even necessarily involve overt speaker-to-speaker contact, or ones that only indirectly involve Greek, being ultimately of Greek origin but entering English through a different source.
近代英語期以降に,ギリシア語とその豊かな語形成が本格的に英語に入ってきたとき,確かにそれは専門的なレジスターにおける限定的な現象だったといえばそうではあるが,やはり英語の語形成に大きなインパクトを与えたといってよいだろう.極端な例として encephalograph (脳造影図)を取り上げると,これはギリシア語に由来する encephalon (脳) + graph (図)という2つの連結形 (combining_form) から構成される.これを基に encephalography, electroencephalography, electroencephalographologist などの関連語を「英語側で」簡単に生み出すことができたのである.
化学用語においても然りで,1,3-dimethylamino-3,5-propylhexedrine といった(私の理解を超えるが)そのまま化学記号に相当する「複合語」を生み出すこともできる.ちなみに,完全にギリシア語要素のみからなる化学物質の名称として bromochloroiodomethane なる語がある (Joseph (1722)) .
さらに,もう少し専門的な形態論の立場からいえば,ギリシア語要素による語形成は,本来の英語の語形成としては比較的まれだった並列複合語 (dvandva/copulative/appositional compound) の形成を広めたという点でも英語史的に意義がある.例えば otorhinolaryngologist (耳鼻咽喉科医)は,文字通り「鼻・耳・咽喉・科・医(者)」の意である.
dvandva compound については,「#2652. 複合名詞の意味的分類」 ([2016-07-31-1]),「#2653. 形態論を構成する部門」 ([2016-08-01-1]) を参照.
・ Joseph, Brian D. "English in Contact: Greek." Chapter 109 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1719--24.
英語史において高地ドイツ語 (german) が登場する機会は非常に少ない.これは,ある意味では驚くべきことかもしれない.英語もドイツ語も同じゲルマン語派に属する姉妹言語だし,地理的にもイギリスとドイツはさほど隔たっているわけでもないのだから,もっと歴史的な交流があったとしもおかしくないのではないか,という疑問は理解できる.
しかし,英語史においてドイツ語との接触が話題となってくるのは,せいぜい近代に入ってからのことである.英語とドイツ語の間には,確かにゲルマン語派の仲間としての「系統関係」こそあれ,「影響関係」は薄かったといってよい.(系統と影響の区別および German と Germanic の区別の重要性については「#369. 言語における系統と影響」 ([2010-05-01-1]),「#4380. 英語のルーツはラテン語でもドイツ語でもない」 ([2021-04-24-1]),「#4411. German と Germanic の違い --- ややこしすぎる言語名の問題」 ([2021-05-25-1]) を参照.)
上記の事情で,本ブログでもドイツ語の存在感は薄く,「#2164. 英語史であまり目立たないドイツ語からの借用」 ([2015-03-31-1]),「#2621. ドイツ語の英語への本格的貢献は19世紀から」 ([2016-06-30-1]),「#150. アメリカ英語へのドイツ語の貢献」 ([2009-09-24-1]) などで取り上げてきた程度である.
連日引用している Hendriks の論文のタイトルは "English in Contact: German and Dutch" であり,German が Dutch よりも先に立っているわけだが,High German の扱いは,1/3ページにも満たない1段落のみ,以下にすべてを引用してしまえる程度の分量である.(ただし,Hendriks (1660) も本論の最初に明言している通り,焦点は11世紀から17世紀までの言語接触であり,18世紀以降の近現代史は考慮から外していることに注意が必要である.)
4.3 Influence from High German
The 16th century is frequently noted as the starting point for lexical influence from High German (Serjeantson 1961: 179; Viereck 1993: 70; Nielsen 2005: 182). During this period, German miners were brought to England to develop the mineral resources industry; it has been suggested (Luu 2005: 31) that the necessary contacts required to recruit southern German miners were established in the late 15th/early 16th century in the commercial center of Antwerp. Some of the words having entered the language as a result of this connection are zinc, cobalt, shale, and quartz. Regarding German influence on English dialects, Wakelin (1977: 23) states: "There has been contact with Germany since the Middle Ages, but from the dialectal point of view it is not until the seventeenth century that there is much to note". Again, this is a reference to mineralogy. A detailed, OED-based study of High German lexical influence on English is Carr (1934). Briefly noting loans prior to 1600, the study focuses primarily on cultural loans in English from the 17th-19th centuries. The words identified are frequently technical scientific terms or are from other domains of influence such as religion, the military, philosophy and music.
16世紀にドイツの鉱夫が鉱山技術を伝えるべくイングランドにやってきたということ,またそのための商業上の拠点がアントワープにできていたということは初めて知った.
だが,いずれにせよ英語史においては,近代,実質的には後期近代を待たなければ,ドイツ語はまともに現われてこないといってよさそうだ.
・ Hendriks, Jennifer. "English in Contact: German and Dutch." Chapter 105 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1659--70.
昨日の記事「#4444. オランダ借用語の絶頂期は15世紀」 ([2021-06-27-1]) でも触れたように,英語史において低地諸語からの影響は過小評価されてきたきらいがある (cf. 「#3435. 英語史において低地諸語からの影響は過小評価されてきた」 ([2018-09-22-1])).これは英語史記述に関する小さからぬ問題と考えているが,なぜそうだったのだろうか.
Hendriks (1660) によれば,過小評価されてきた理由の1つとして,オランダ語を代表とする低地諸語がいずれも英語と近縁言語であり,個々の単語の語源確定が困難である点を指摘している.積極的にオランダ語由来であると判定できない限り,英語本来語であるという保守的な判断が優先されるのも無理からぬことだ.英語史はまずもって英語の存在を前提とする学問である以上,この点において強気の議論を展開することは難しい.明らかに英語とは異質の語源であると判明しやすいフランス語(そして,ある程度そうである古ノルド語)と比べれば,この点は確かに理解できる.
[C]ontributions from the Scandinavian and French languages to the lexicon of English, for example, are discussed in terms of certainty, whereas contributions from the closely related varieties of "Low Dutch" or "Low German" are couched in terms of "probably" or "possibly" or are simply not discussed.
しかし,それ以上に Hendriks が強調しているのは,従来の英語史の標準的参考書の背景に横たわる "purist language ideologies" (1659) である.Hendriks はさほど過激な物腰で論じていてるわけではないのだが,効果としては伝統的な英語史記述に対する強烈で辛辣な批判となっているといってよい.非常に注目すべき論考だと思う.
Hendriks は議論を2点に絞っている.1つめは,OED の文学テキスト偏重への批判である.OED は伝統的に,中英語における複数言語の混交した "macaronic" なテキストをソースとして除外してきた.実際には,このような実用的で現実的なテキストこそが,まさにオランダ語などからの新語導入の契機を提供していたかもしれないという視点が,OED には認められなかったということである(ただし,目下編纂中の第3版においてはこの点で改善が見られるということは Hendriks (1669) 自身も言及している).
もう1つは上記とも関連するが,OED は現代の標準英語に連なる英語変種にしか焦点を当ててこなかったという指摘だ.オランダ語からの借用語は,むしろ標準英語から逸脱したレジスター,例えば商業分野や通商分野の "macaronic" なレジスターでこそ活躍していたと想定されるが,OED なり英語史の標準的参考書では,そのような非標準的なレジスターはまともに扱われてこなかった.Hendriks (1662) 曰く,
Non-literary sources such as macaronic business writings, however, may be more likely to reflect the vernacular of London than the more pure literary texts selected to compile the atlas. Given the literary emphasis in the OED and the LALME, the range of topics which appear in these sources may be considerably restricted. The consequence of this is that entire semantic fields --- such as those pertaining to industrial or commercial relations, that is, fields where the significant contribution of Low Dutch to the English lexicon would be observed --- remain undocumented.
さらに,近代英語期以降に限れば,OED は "Standard English" 以外のソースを軽視してきたという事実も指摘せざるを得ない.
要するに,オランダ借用語が存在感を示してきたはずのレジスターが,OED を筆頭とする標準的レファレンスのソースには含まれてこなかったということなのだ.これは,英語史の historiography における本質的な問題と言わざるを得ない.
・ Hendriks, Jennifer. "English in Contact: German and Dutch." Chapter 105 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1659--70.
たいていの英語史概説書では,Dutch, Flemish, Afrikaans, Low German などの低地帯 (the Low Countries) の諸言語からの借用語について,多少の記述がある.しかし,ラテン語,古ノルド語,フランス語からの借用語と比べれば規模も影響もずっと小さいため,あくまでオマケ的な位置づけにとどまる.
ところが,昨今の英語史研究では,このように過小評価されてきた事実を受けて,低地諸語との言語接触をより積極的に評価しようという気運が高まってきている.
本ブログでは,関連する記事として以下を書いてきた.
・ 「#126. 7言語による英語への影響の比較」 ([2009-08-31-1])
・ 「#140. オランダ・フラマン語から借用した指小辞 -kin」 ([2009-09-14-1])
・ 「#149. フラマン語と英語史」 ([2009-09-23-1])
・ 「#2645. オランダ語から借用された馴染みのある英単語」 ([2016-07-24-1])
・ 「#2646. オランダ借用語に関する統計」 ([2016-07-25-1])
・ 「#3435. 英語史において低地諸語からの影響は過小評価されてきた」 ([2018-09-22-1])
・ 「#3436. イングランドと低地帯との接触の歴史」 ([2018-09-23-1])
今回は,OED を用いて低地諸言語からの借用語("once-Dutch words" と称されている)を調査した den Otter に依拠した Hendriks (1667) より,13--17世紀に英語に入ってきた借用語のサンプルを示そう.
13th century:
asquint, bouse, gewgaw, muster, pack, scour, scum, slight, slip, slop, welter, wiggle
14th century:
bale, bundle, clamp, clock, fraught, grim, groove, keel, kit, mate, miller, north-north-east, north-north-west, rack, rover, school, scoop, slipper, slap, sled, spike, splint, splinter, tear, wainscot, wig, wind
15th century:
brake, cabbage, cooper, cope, cramer, dapper, deck, excise, freight, gold, graft, hackle, hop, leak, lighter, luck, marline, mart, meerkat, misdeal, mud, nappy, pace, peg, pickle, pink, pip, rack, rumple, rutter, scout, scuttle, slip, sod, stripe, stuff, tattle, warble, whirl
16th century:
aloof, anker, beleaguer, boor, boss, bumpkin, burgomaster, bush, cashier, clump, cramp, dike-grave, dock, dollar, domineer, drawl, ensconce, filibuster, flute, foist, forlorn hope, free-booter, frolic, gripe, gruff, jerkin, kermis, landscape, lazy, manikin, mesh, pad, pickle-herring, pram, push, rant, rash, reef, safflower, sconce, scone, scrabble, scrub, shoal, slap, snap, sniff, snuff, snuffle, span, spatter, stake, steady, stump, stutter, tattoo, uproar, wagon, wagoner, yacht
17th century:
back, balk, beer, blaze, boom, brandy, clank, cruise, cruiser, decoy, drill, duck, easel, enlist, etch, furlogh, gas, gherkin, hovel, hustle, kill, kink, knapsack, masterpiece, morass, outlander, plug, polder, skate, sketch, slim, slurp, smack, smuggle, smuggler, snow, snuff, speck, still life, stink-pot, stoker, tea, trigger (den Otter 1990: 265--266)
den Otter の調査によると,集まった "once Dutch words" の数は1254語であり,その影響の絶頂期は15世紀だったという(続いて,16世紀,18世紀,17世紀という順番) (Hendriks 1667) .オランダ借用語というと16--17世紀の海事用語が多そうなイメージだが,実際には日常的な名詞,動詞,形容詞も多数含まれていることがわかる.
・ den Otter, Alice G. "Lekker Scrabbling: Discovery and Exploration of Once-Dutch Words in the Online Oxford English Dictionary." English Studies 71.3 (1990): 261--71.
・ Hendriks, Jennifer. "English in Contact: German and Dutch." Chapter 105 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1659--70.
「英語史導入企画2021」より本日紹介するコンテンツは,学部生による「変わり果てた「人力車」」という話題です.1874年,日本(語)の「人力車」が英語に jinrikisha として借用されました.その後まもなくの1879年には,英語化し,約まった 形で rickshaw として現われています.いずれも当初はまさに私たちのイメージする「人力車」の意味で用いられていたのですが,1900年には rickshaw はタイのトゥクトゥクなどでお馴染みの,東南アジアなどで日常的にみられる,自転車やバイク駆動の三輪タクシーのようなものを指す語へと進化を遂げています.OED からの情報や写真を豊富に含めて読みやすいコンテンツに仕上がっていますので,もはや全然「人力車」じゃないじゃん,というツッコミとともにご一読ください.
そもそも「人力車」が jinrikisha として英語に入ったきっかけは何だったのでしょうか.Barnhart の語源辞書に参考になる記述があったので,引用しておきます.
jinrikisha or jinricksha (jinrik'shô) n. small, two-wheeled carriage pulled by one or more men. 1874, borrowed from Japanese jinrikisha (jin man + riki power + sha cart, carriage).
It is possible the carriage is the invention of a Baptist missionary named Goble in 1869, who is said to have devised the vehicle for his wife who suffered from arthritis, and the first commercial operation of such vehicles was apparently sanctioned in Tokyo that same year.
確かな記述ではないものの,バプテスト派の愛妻家 Goble さんによる発明品で,その種の乗り物が東京で認可されたのもその年だったらしいということです.だが,これだけではイマイチよく分からないですね.
一方,日本の「人力車」について調べたところ,『ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2010』に上記と関連はするが異なる記述を見つけました.真の発明者は誰なのでしょうか.
客を乗せ,人力で引張る2輪車.東京鉄砲洲の和泉要助と本銀町の高山幸助らが,舶来の馬車の形から案出したもの.明治2 (1869) 年に試運転し,翌年3月に「新造車」として開業を出願した.まず日本橋のたもとに3台おいたという.初期のものは車体に4本柱を立てて屋根をかけ,幕などを張りめぐらした.翌4年に秋葉大助が車体を改良,蒔絵を散らした背板などをつくった.1873年頃までに大流行し,全国に3万4200両も普及したと記録されている.後年タイヤ車に改良され,さらに普及するとともに,中国,東南アジアにも洋車 (ヤンチョ,東洋=日本車) として多く輸出され,「ジンリキシャ」「リキシャ」の英語呼びまでできるほど普及した.1900年3月には発明関係者が賞勲局から表彰されたりしたが,すでにその頃から日本では電車,自動車におされて衰微が始り,やがて花柳界など特殊な世界以外ではすたれた.
いずれにせよ jinrikisha,およびそこから転じた rickshaw は,19世紀末に英語で用いられるようになったわけですが,やがて指示対象となる乗り物自体がズレてきてしまったというのがおもしろい点です.上記コンテンツで「借用語は,往々にして元の意味から少しずれた意味を持ってしまうことが少なくないと考えられるが〔中略〕,rickshaw もそのひとつなのだろうか」と述べられている通りですね.最近の「#4386. 「火鉢」と hibachi, 「先輩」と senpai」 ([2021-04-30-1]),「#4391. kamikaze と bikini --- 心がザワザワする語の意味変化」 ([2021-05-05-1]) でも取り上げられた話題ですが,例はいくらでも挙げられそうです.親のもとから巣立っていった子が,親の手の届かないところで,親の期待とは裏腹に,独自に成長していってしまうことと似ています.
今回のコンテンツは借用語の意味がズレていくという話題でしたが,ズレていくのは意味だけではなく,形式もまたズレるのが普通です.jinrikisha から rickshaw へと短縮されたこともそうですし,日本語「車」 /ʃa/ が,英単語のほうでは /ʃɑː/ あるいは /ʃɔː/ と発音されるようになったのも小さな形式上のズレです.近代英語期以降,他言語の /a/ が入ってくる際には,このように /ɑː/ や /ɔː/ として取り込まれました.しばしば両音の間で揺れることが多く,実際 jinrikisha と rickshaw の語末部においても両母音間で揺れを示しています.その揺れと連動して,綴字のほうも語末音節にて <sha> と <shaw> の揺れを示しているものと考えられます.éclat /eɪˈklɑː/, spa /spɑː/, vase /vɑːz/ などでは現在は /ɑː/ が基本ですが,古くは /ɔː/ もありました (Jespersen 428) .
なお,「リクショー」は,参照したいくつかの国語辞典には載っていませんでしたが,学生時代に東南アジア方面へのパックパッカーをやっていた筆者としては,個人語としての日本語のボキャブラリーのなかにしっかり定着しています.
・ Barnhart, Robert K. and Sol Steimetz, eds. The Barnhart Dictionary of Etymology. Bronxville, NY: The H. W. Wilson, 1988.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.
昨日「英語史導入企画2021」に公表されたコンテンツは,大学院生による「意味深な SIR」でした.伝統的な英語学・英語史研究では,呼びかけ語 (vocative) は周辺的な話題にとどまり,主要な調査対象とはなり得ないとみなされてきました.しかし,(歴史)語用論の台頭により,今では重要な研究テーマととらえられています.今回のコンテンツは,男性に対する敬称 (honorific) の呼びかけ語 sir (と対応する女性版の madam)について,歴史語用論の観点から紹介するものです.呼びかけ語の歴史を追究する魅力に気づいてもらえればと思います.
コンテンツ内で,日本の学校での英語の授業で,英語で学生を呼ぶときにどのような敬称を使うのがふさわしいかという悩みが綴られています.確かに難しいですね.伝統的かつ典型的には Mr. や Miss (or Mz.?) でしたが,昨今様々な事情で使いにくくなっています.私個人としては日本語由来の san 「さん」の使用がふさわしいと思っており,一般の英語使用においても,もっと流行ってくれればよいと期待しています.敬称としての san は,OED でも san, n.3 として見出し語が立てられており,今やれっきとした英単語です.
A Japanese honorific title, equivalent to Mr., Mrs., etc., suffixed to personal or family names as a mark of politeness; also colloquial or in imitation of the Japanese form, suffixed to other names or titles (cf. mama-san n.).
When suffixed to a female personal name, and in more polite endearment, san is often coupled with the prefix O- (see quot. 1922).
1878 C. Dresser in Jrnl. Soc. Arts 26 175/1 Mr. Sakata, or, as they would say Sakata San, who was appointed..as one of my escort through Japan.
. . . .
. . . .
1922 J. Joyce Ulysses ii. xii. [Cyclops] 313 The fashionable international world attended en masse this afternoon at the wedding... Miss Grace Poplar, Miss O Mimosa San.
. . . .
. . . .
1972 J. Ball Five Pieces Jade xiv. 188 It would make me the greatest pleasure, Nakamura san.
san は,大学の同僚等,日本(語)事情に精通した英語母語話者と英語で話すときには,ごく普通に使えます.老若男女問わず一般的に利用できる敬称でもあり,その点でも都合がよいのです.これがもっと国際的に流行ってくれれば,単語としても語用としても,日本語からの大きな貢献になるだろうと思っています.
なお,日本語の「さん」自体は,敬意の高い「さま」の短縮した異形で,その点でも敬意が高すぎず低すぎずちょうどよい位置づけにあります.一方,もっと転訛した異形「ちゃん」は愛称形 (hypocorism) ですね.
「英語史導入企画2021」のために昨日公表されたコンテンツは,大学院生による「Synonyms at Three Levels」でした.これは何のことかというと「英語語彙の三層構造」の話題です.「恐れ,恐怖」を意味する英単語として fear -- terror -- trepidation などがありますが,これらの類義語のセットにはパターンがあります.fear は易しい英語本来語で,terror はやや難しいフランス語からの借用語,trepidation は人を寄せ付けない高尚な響きをもつラテン語からの借用語です.英語の歴史を通じて,このような類義語が異なる時代に異なる言語から供給され語彙のなかに蓄積していった結果が,三層構造というわけです.上記コンテンツのほか,「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) や「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1]) より具体例を覗いてみてください.
さて,「英語語彙の三層構造」は英語史では定番の話題です.定番すぎて神話化しているといっても過言ではありません.そこで本記事では,あえてその脱神話化を図ろうと思います.以下は英語史上級編の話題になりますのでご注意ください.すでに「#2643. 英語語彙の三層構造の神話?」 ([2016-07-22-1]) や「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1]) でも部分的に取り上げてきた話題ですが,今回は上記コンテンツに依拠しながら fear -- terror -- trepidation という3語1組 (triset) に焦点を当てて議論してみます.
(1) コンテンツ内では,この triset のような「類例は枚挙に遑がない」と述べられています.私自身も英語史概説書や様々な記事で同趣旨の文章をたびたび書いてきたのですが,実は「遑」はかなりあるのではないかと考えています.「類例をひたすら挙げてみて」と言われてもたいした数が挙がらないのが現実です.しかも「きれい」な例を挙げなさいと言われると,これは相当に難問です.
(2) 今回の fear - terror - trepidation はかなり「きれい」な例のようにみえます.しかしどこまで本当に「きれい」かというのが私の問題意識です.一般の英語辞書の語源欄では確かに terror はフランス語から,trepidation はラテン語から入ったとされています.おおもとは両語ともラテン語にさかのぼり,前者は terrōrem,後者は trepidātiō が語源形となります(ちなみに,ともに印欧語根は *ter- にさかのぼり共通です).terror はもともとラテン語の単語だったけれどもフランス語を経由して英語に入ってきたという意味において「フランス語からの借用語」と表現することは,語源記述の慣習に沿ったもので,まったく問題はありません.
ところが,OED の terror の語源記述をみると "Of multiple origins. Partly a borrowing from French. Partly a borrowing from Latin." とあります.「フランス語からの借用語である」とは断定していないのです.語源学的にいって,この種の単語はフランス語から入ったのかラテン語から入ったのか曖昧なケースが多く,研究史上多くの議論がなされてきました.この議論に関心のある方はこちらの記事セットをご覧ください.
難しい問題ですが,私としては terror をひとまずフランス借用語と解釈してよいだろうとは考えています.その根拠の1つは,中英語での初期の優勢な綴字がフランス語風の <terrour> だったことです.ラテン語風であれば <terror> となるはずです.逆にいえば,現代英語の綴字 <terror> は,後にラテン語綴字を参照した語源的綴字 (etymological_respelling) の例ということになります.要するに,現代の terror は,後からラテン語風味を吹き込まれたフランス借用語ということではないかと考えています.
この terror の出自の曖昧さを考慮に入れると,問題の triset は典型的な「英語 -- フランス語 -- ラテン語」の型にがっちりはまる例ではないことになります.少なくとも例としての「きれいさ」は,100%から80%くらいまでに目減りしたように思います.
(3) 次に trepidation についてですが,OED によればラテン語から直接借用されたものとあります.一方,研究社の『英語語源辞典』は,フランス語 trépidation あるいはラテン語 trepidātiō(n)- に由来するものとし,慎重な姿勢をとっています.なお,この単語の英語での初出は1605年ですが,OED 第2版の情報によると,フランス語ではすでに15世紀に trépidation が文証されているということです.terror に続き trepidation の出自にも曖昧なところが出てきました.問題の triset の「きれいさ」は,80%からさらに70%くらいまで下がった感じがします.
(4) コンテンツ内でも触れられているように,三層構造の中層を占めるフランス借用語層は,実際には下層を占める英語本来語層とも融合していることが多いです (ex. clear, cry, fool, humour, safe) .きれいな三層構造を構成しているというよりは,英仏語の層をひっくるめたり,仏羅語の層をひっくるめたりして,二層構造に近くなるという側面があります.
さらに「逆転二層構造」と呼ぶべき典型的でない例も散見されます.例えば,同じ「谷」でも中層を担うはずのフランス借用語 valley は日常的な響きをもちますが,下層を担うはずの英語本来語 dale はかえって文学的で高尚な響きをもつともいえます.action/deed, enemy/foe, reward/meed も類例です(cf. 「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1])).英語語彙の三層構造は,本当のところは評判ほど「きれい」でもないのです.
以上,「英語語彙の三層構造」の脱神話化を図ってみました.私も全体論としての「英語語彙の三層構造」を否定する気はまったくありません.私自身いろいろなところで書いてきましたし,今後も書いてゆくつもりです.ただし,そこに必ずしも「きれい」ではない側面があることには留意しておきたいと思うのです.
英語語彙の三層構造の諸側面に関心をもった方はこちらの記事セットをどうぞ.
年度初めから5月末まで開催中の「英語史導入企画2021」も後半戦に入ってきました.昨日大学院生より公表されたコンテンツは「ことばの中にひそむ「星」」です.star や astrology (占星術)を中心とする英単語の語源・語誌エッセーで,本企画の趣旨にピッタリです.まさかの展開で,話しが disaster, consider, desire, influenza, disposition にまで及んでいきます.きっと英単語の語源に興味がわくことと思います.
星好きの私も,星(座)に関係する話題をいくつか書いてきましたので紹介します.まず,上記コンテンツの関心と重なる star の語源について「#1602. star の語根ネットワーク」 ([2013-09-15-1]) をどうぞ.
英語 star とラテン語 stella (cf. フランス語 etoile)を比べると r と l の違いがありますが,これはどういうことかと疑問に思ったら「#1597. star と stella」 ([2013-09-10-1]) をご覧ください.
次に star の形態についてです.古英語では steorra,中英語では sterre などの綴字で現われるのが普通で,母音は /a/ ではなく /e/ だったと考えられます.なぜこれが /a/ へと変化し,語の綴字としてもそれを反映して star とされたのでしょうか.実は,現代英語の heart, clerk, Derby, sergeant などの発音と綴字の問題にも関わるおもしろいトピックです.「#2274. heart の綴字と発音」 ([2015-07-19-1]) をどうぞ.
占星術といえば黄道十二宮や星座の名前が関連してきます.ここに,英語史を通じて育まれてきた語彙階層 (lexical_stratification) の具体例を観察することができます.「うお座」は the Fish ですが,学術的に「双魚宮」という場合には Pisces となりますね.ぜひ「#3846. 黄道十二宮・星座名の語彙階層」 ([2019-11-07-1]) をお読みください.また,英語での星座名の一覧は「#3707. 88星座」 ([2019-06-21-1]) より.
star 周りの素材のみを用いて英語史することが十分に可能です.以上すべてをひっくるめて読みたい場合は,こちらの記事セットを.
印欧語族では「疑い」と「2」は密接な関係にあります.日本語でも「二心をいだく」(=不忠な心,疑心をもつ)というように,真偽2つの間で揺れ動く心理を表現する際に「2」が関わってくるというのは理解できる気がします.しかし,印欧諸語では両者の関係ははるかに濃密で,語形成・語彙のレベルで体系的に顕在化されているのです.
昨日「英語史導入企画2021」のために大学院生より公開された「疑いはいつも 2 つ!」は,この事実について比較言語学の観点から詳細に解説したコンテンツです.印欧語比較言語学や語源の話題に関心のある読者にとって,おおいに楽しめる内容となっています.
上記コンテンツを読めば,印欧諸語の語彙のなかに「疑い」と「2」の濃密な関係を見出すことができます.しかし,ここで疑問が湧きます.なぜ印欧語族の一員である英語の語彙には,このような関係がほとんど見られないのでしょうか.コンテンツの注1に,次のようにありました.
現代の標準的な英語にはゲルマン語の「2」由来の「疑い」を意味する単語は残っていないが,English Dialect Dictionary Online によればイングランド中西部のスタッフォードシャーや西隣のシュロップシャーの方言で tweag/tweagle 「疑い・当惑」という単語が生き残っている.
最後の「生き残っている」にヒントがあります.コンテンツ内でも触れられているとおり,古くは英語にもドイツ語や他のゲルマン語のように "two" にもとづく「疑い」の関連語が普通に存在したのです.古英語辞書を開くと,ざっと次のような見出し語を見つけることができました.
・ twēo "doubt, ambiguity"
・ twēogende "doubting"
・ twēogendlic "doubtful, uncertain"
・ twēolic "doubtful, ambiguous, equivocal"
・ twēon "to doubt, hesitate"
・ twēonian "to doubt, be uncertain, hesitate"
・ twēonigend, twēoniendlic "doubtful, expressing doubt"
・ twēonigendlīce "perhaps"
・ twēonol "doubtful"
・ twīendlīce "doubtingly"
これらのいくつかは初期中英語期まで用いられていましたが,その後,すべて事実上廃用となっていきました.その理由は,1066年のノルマン征服の余波で,これらと究極的には同根語であるラテン語やフランス語からの借用語に,すっかり置き換えられてしまったからです.ゲルマン的な "two" 系列からイタリック的な "duo" 系列へ,きれいさっぱり引っ越ししたというわけです(/t/ と /d/ の関係についてはグリムの法則 (grimms_law) を参照).現代英語で「疑いの2」を示す語例を挙げてみると,
doubt, doubtable, doubtful, doubting, doubtingly, dubiety, dubious, dubitate, dubitation, dubitative, indubitably
など,見事にすべて /d/ で始まるイタリック系借用語です.このなかに dubious のように綴字 <b> を普通に /b/ と発音するケースと,doubt のように <b> を発音しないケース(いわゆる語源的綴字 (etymological_respelling))が混在しているのも英語史的にはおもしろい話題です (cf. 「#3333. なぜ doubt の綴字には発音しない b があるのか?」 ([2018-06-12-1])).
このようにゲルマン系の古英語単語が中英語期以降にイタリック系の借用語に置き換えられたというのは,英語史上はありふれた現象です.しかし,今回のケースがおもしろいのは,単発での置き換えではなく,関連語がこぞって置き換えられたという点です.語彙論的にはたいへん興味深い現象だと考えています (cf. 「#648. 古英語の語彙と廃語」 ([2011-02-04-1])).
こうして現代英語では "two" 系列で「疑いの2」を表わす語はほとんど見られなくなったのですが,最後に1つだけ,その心を受け継ぐ表現として be in/of two minds about sb/sth (= to be unable to decide what you think about sb/sth, or whether to do sth or not) を紹介しておきましょう.例文として I was in two minds about the book. (= I didn't know if I liked it or not) など.
昨日,「英語史導入企画2021」の一環として学部生よりコンテンツ「フォトジェニックなスイーツと photogenic なモデル」がアップされた.日常的な話題で,言語接触とその効果をリアルタイムで眺めているかのような読後感を得られる内容となっている.
英単語 photogenic の意味や語形成については上記コンテンツに詳しいが,3つの学習者英英辞書の定義を示せば次のようになる.
・ OALD8: looking attractive in photographs
・ LDOCE5: always looking attractive in photographs
・ CALD3: having a face that looks attractive in photographs
辞書では「被写体」の限定はなされていない.人でも物でもよいはずだ.しかし,挙げられている例文はすべて人(の容姿)を対象としている.コーパスで検索された多数の例文を眺めてみても,物(特に風景)を対象とした例はあるにはあるが,大多数の用例が写真うつりの良い「人」に関するものである.いくつか典型例を挙げよう.
・ She is very photogenic but fortunately she knows that being photogenic is not enough in this business.
・ There were many pictures of the family as well, they must be a photogenic kind of family because there was so many family shots of them all dressed up.
・ Sarah's eye for a photogenic face has made her fortune.
ところが,昨今日本語に取り込まれてカタカナ語となっている「フォトジェニック」は,インスタグラムの「インスタ映え」の類義語であるかのように多用されている.その際の被写体は,今度は人に用いられることは稀で,圧倒的に物を対象としているのがおもしろい.
photogenic と「フォトジェニック」は,(当たり前ながらも)語源および「写真映えする」という基本的語義を共有しているものの,形容詞として記述・描写の対象としているものが典型的に前者では人,後者では物であるという点で,用法の相違を生み出している.最新の英日語に関する "false friends" (Fr. "faux amis") の例,あるいは少なくともその兆しを見せてくれている例といえないだろうか.
ところで,-genic を始め,ラテン語 gēns (clan, race) と同根であり,かつ英語に入ってきた単語は多いが,gentle, genteel, jauntry, ,そして今回の -genic など語義がポジティヴな(に転じた)ものが多いのは偶然だろうか.
なお,「テレビ映りが良い」は telegenic, 「ラジオ聞こえ(?)が良い」は radiogenic というようで,-genic'' がメディア名に後続する接尾辞 (suffix) として存在感を示し始めている様子が窺える.新語の語形成は目が離せない.
昨日「英語史導入企画2021」にアップされた学部ゼミ生からのコンテンツ「お酒なのにkamikaze」は,すこぶるおもしろい話題であり,同時に心がざわつく話題でもあった.
最近の「#4386. 「火鉢」と hibachi, 「先輩」と senpai」 ([2021-04-30-1]) でも話題となったように,近年でも日本語の単語が英語に借用される例は少なからずあり,しかもその語義が日本語のオリジナルの語義から変化してしまっているものも多い.今回取り上げられた kamikaze (神風)もその1つである.
もちろん英単語としての kamikaze とて,日本語「神風」の原義を示しはする.13世紀末の元寇の折に日本を守ってくれた,かの「神風」の語義はしっかり保持しているし,太平洋戦争時の「神風特攻隊」の語義も保っている.しかし,上記コンテンツにも詳説されているように,比喩的に「危険を顧みずに突っ込んでいく人」という語義は日本語には認められない英語特有の語義だし,それお飲むことが自殺行為であるほどに度数が高いというメタファーに基づいたウォッカベースのカクテルを指す語として,日本語で一般に知られているともいえない.
先の記事「#4386. 「火鉢」と hibachi, 「先輩」と senpai」 ([2021-04-30-1]) でも指摘したように,他言語に取り込まれた単語の意味が,独特の文脈で用いられるに及び大きく変容するということは日常茶飯であると述べた.いわゆる false_friend の例の創出である.いずれの言語にとってもお互い様の現象であり,非難しだしたらキリがないということも述べた.そうだとしても,やはり気になってしまうのが母語話者の性である.他言語に入って妙な意味変化を経ているとなれば,心穏やかならぬこともあろう.「神風」がメタファーとはいえカクテルの名称になっているというのは,やはり心がザワザワする.私としては,バー・カウンターで kamikaze を注文する気にはちょっとなれない.言語学者として語の意味変化を客観的に跡づける必要は認めつつも,その立場から一歩離れれば,おおいに心理的抵抗感がある.
同じようなザワザワ感を,かつて別の単語について感じたことがあったと思い出した.水爆実験地として歴史的に知られる「ビキニ環礁」と女性用水着「ビキニ」の関係である.「#537. bikini」 ([2010-10-16-1]) で紹介した有力な語源説によると,bikini 「(女性用水着)ビキニ」の語義の発生は,1946年に同水着が初めてパリのショーで現われたときの衝撃と同年のビキニ環礁での水爆実験の衝撃とを引っかけたことに由来するという.ここでの語義変化のメカニズムは,言語学的にいえば kamikaze の場合と同様,広く緩くメタファーといってよいだろう.しかし,それとは別に,内心はまずもって悪趣味で不謹慎な語義転用との印象をぬぐえない.
kamikaze が ninja, samurai, fujiyama などとは別次元の「文化語」として英語に取り込まれ,英語において独自の語義展開を示したということは,英語史上の語義変化の話題としては純正だろう.しかし,日本語母語話者として何とも心がザワザワする.
日本語で「火鉢」といえば,歴史文化的な用語なりつつあるものの「灰を入れ,炭火をいけて使う暖房具」(『岩波国語辞典第六版』)であることは本ブログ読者には了解されよう.しかし,この日本語単語をソースとして英語に借用された hibachi は,なんとワビもサビもないバーベキュー道具を指す用語となり下がっていたことをご存じだろうか.LDOCE 第2版2によれば,"a small piece of equipment for cooking food outdoors, over burning charcoal" とある通りである.
暖を取るはずの「火鉢」が料理用具の hibachi として英語で用いられているというのは驚くべきことだが,このような食い違いは,実際には言語間の語の借用においてしばしばみられることである.ある文化に特有の単語が,別の文化に誤解されて吸収されていくというのはまったくの日常茶飯事である.「火鉢」と hibachi のような関係を表わすのに "false friends" (Fr. "faux amis") という名前がつけられているほどだ.このような事態に対して借用元の言語の母語話者が抗議する気持ちは分からないでもないが,借用先の言語にいったん取り込まれてしまえば,もう手遅れというのが言語における借用のならいである.この問題については,お互い様というほかない.
現在進行中とおぼしき類例として,senpai 「先輩」を挙げられるかもしれない.「英語史導入企画2021」のために昨日学部生よりアップされたコンテンツ「『先輩』が英語になったらどういう意味だと思いますか」では,この日本語発の英単語が取り上げられている.
同コンテンツにあるように,senpai 「先輩」は,借用の最初期においては,本来の日本語の語義に忠実に「学校や会社などの社会集団において自分よりも年上の人や,自分よりも早くからその環境に身を置いている人」を意味するものとして借用されていたようだ.しかし,今や新しい語義「(典型的な学園ものの少女マンガにおける男子の先輩のように)自分の気持ちに気づいてくれない人」が発達しつつあるという.下級生の女子生徒が,思いを寄せる先輩男子生徒を senpai 「先輩」と呼ぶ,あの特有の雰囲気から生じてきたものらしい.英単語 senpai は,今やアニメファンの界隈において新しいコノテーションを獲得しつつ,独特な用法をも発達させているようなのだ.
もっとも,senpai という語やその新語義が狭い界隈から抜け出して,より広く用いられることになるかどうかは分からない.いまだ主要な英語辞書にも登録されておらず,日本語からの借用語の最先端の事例といえそうだ.hibachi と似たような語義展開をたどっていくのだろうか.今後の展開が楽しみである.
関連して「#142. 英語に借用された日本語の分布」 ([2009-09-16-1]) も参照.
4月5日にスタートした「英語史導入企画2021」も,3週目に突入しました.学部・院のゼミ生を総動員しての,5月末まで続く少々息の長い企画なのですが,本ブログ読者の皆さんにも懲りずにお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます.毎日,コンテンツを提供する学生のガッツを感じながら,私自身がおおいにインスピレーションをゲットしています.年度初めとして,なかなかフレッシュでナイスなオープニングです.
さて,上の段落では,いやらしいほどにカタカナ語を使い倒してみました.英語が嫌いな人,横文字が嫌いな人には,ケッと吐いて捨てたくなるような文章だろうと思います(うーむ,我ながら軽薄な文章).昨日,本企画ために院生よりアップされたコンテンツは「英語嫌いな人のための英語史」と題する,このカタカナ語嫌いに寄り添った考察です.その冒頭の2つの段落の出だしが,何とも歯切れよく心地よいですね.
「一生英語を使わなくてもいい環境で暮らしてやる」……このような恨みつらみのこもった台詞は,英語嫌いの人間ならば一度は発したことがあるだろう.そして,何を隠そう,十年ほど前,中学生・高校生だったころの筆者自身が毎日のようにこぼしていた言葉でもあった.
英語嫌いの人間が辟易するのは,まずもって,世の中に氾濫している横文字の多さであるだろう.レガシー,コミット,アカウンタビリティ……なぜそこで英語を(あるいは英語由来の和製英語を)使わなければならないのかと,ニュースなどを見ながら突っ込みたくなる日々である.
これは読みたくなるコンテンツではないでしょうか.内容としては,現代日本で英語と向き合っている生徒・学生と,17世紀イングランドでラテン語と向き合っていた庶民とを,空間・時間を超えて比較した英語史の好コンテンツとなっています.
現代日本語におけるカタカナ語とルネサンス期イングランドのラテン借用語を巡る比較対照は,対照言語史 (contrastive_language_history) の観点から興味の尽きないテーマです.一般に2つのものを比較しようとする際には,共通点だけでなく相違点に留意することも重要です.上記コンテンツでは,意図的に両者の共通点を拾い出して近づけて見せているわけですが,あえて相違点に注目することで,先の共通点の意義を浮かび上がらせることができます.以下に2点指摘しておきましょう.
1点目.現代日本で英語と向き合っている生徒・学生,とりわけ「英語なんて嫌い」と吐き捨てるタイプと,17世紀イングランドでラテン語と向き合っていた庶民とでは,各言語に対する思いがかなり異なります.「英語なんて嫌い」の背景には,逆説的に英語に対する「憧れ」があるのではないかというコンテンツでの指摘は当たっていると私も思います.しかし,17世紀イングランドの庶民はラテン語を「嫌い」と吐き捨ててはいなかったでしょう.ラテン語は,もっと純粋な「憧れ」,手に届かないところにいる「スター」に近いものではなかったでしょうか.
両者の違いは,端的にいえば,むりやり学ばされているか否かにあります.現代日本では,たとえ英語が「憧れ」だったとしても,義務教育で強制的に学ばされるという意味では,現実の学習上の「苦労」がセットになっています.学校で学ぶべき「科目」となっていては,好きなものも好きではなくなるはずです.17世紀イングランドでは,庶民にとってラテン語学習はおろか教育の機会そのものがまだ高嶺の花であり,現実の学習上の「苦労」とは無縁なために,「憧れ」は純然たる憧れとして生き延び得たのです.
2点目は,17世紀イングランドではラテン借用語が inkhorn_term として批判されたというのは事実ですが,批判の主は,若い生徒・学生でもなければ庶民でもなく,バリバリの知識人でした.Sir John Cheke (1514--57) のようなケンブリッジ大学の古典語教授が,借用語を批判していたほどなのです.この状況は,どう控えめにみても,日本の英語嫌いの生徒・学生がカタカナ語に悪態をついているのとは比較できないように思われます.
もちろん,2つのものを比較対照するときに,共通点を重視して「比較」の議論にもっていくか,相違点を重視して「対照」の議論にもっていくかは,論者の方針次第でもあり,言ってしまえばレトリックの問題でもあります.いずれにしても比較する場合には相違点に,対照する場合には共通点に注意しておくと考察が深まる,ということを述べておきましょう.
関連する話題は,本ブログとしては「#1999. Chuo Online の記事「カタカナ語の氾濫問題を立体的に視る」」 ([2014-10-17-1]),「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) その他の記事で扱ってきました.いろいろとリンクを張っているので,是非そちらをどうぞ.
「英語を呑み込む 'tsunami'」と題するコンテンツが,昨日「英語史導入企画2021」の第11作目としてゼミ大学院生よりアップされました.英単語としての tsunami の使用について歴史的に迫る好コンテンツです.調査とインスピレーションのために使われているリソースは,Twitter に始まり,COHA (Corpus of Historical American English), GloWbE (= Corpus of Global Web-Based English), OED (= Oxford English Dictionary), 地震データベース,映画と幅広いです.内容としては,自然科学と社会科学と人文科学を融合させた総合的英語史コンテンツというべき,非常に啓発的な出来映えとなっています.まさに「英語史導入企画2021」の趣旨にピッタリ! ぜひ皆さんに読んでもらいたいと思います.
同コンテンツ内でも触れられている通り,日本語「津波」が英語 tsunami として英語に借用され,初めて用いられたのは1897年のことです.明治期には数々の日本語の単語が英語に持ち込まれましたが,この単語もその1つです(cf. 「#3872. 英語に借用された主な日本語の借用年代」 ([2019-12-03-1])).しかし,英語に借用されたからといって,必ずしも当初から頻繁に用いられていたわけではありません.コンテンツ内でも触れられているように,tsunami が「津波」を意味する一般的な語として用いられるようになったのは,つい最近のことといってもよいのです.
それまでは「津波」を意味する英単語としては tidal wave を用いるのが普通でしたし,現在でもこの tidal wave は tsunami と共存しています.しかし,よく考えてみると tidal wave というのは誤解を招きやすい表現です.「潮の(大)波」と言われれば何となく納得しそうにもなりますが,「潮」は津波とは相容れない定期的な海洋現象で,これがなぜ「津波」を意味するようになったのか判然としません.実際,Durkin (397) などは tidal wave を "misleading" と評価しています(←この箇所を教えてくれた学生に感謝!).
A special case is shown by tsunami (1897), which, since it denotes a widespread natural phenomenon, can be used freely in English without any implicit associations with Japanese (or even generalized Eastern) culture, and is now preferred by most speakers to the misleading term tidal wave.
なぜ近年になって,tsunami が tidal wave に代わり急速に用いられるようになってきたのでしょうか.これは,まさに上記のコンテンツが英語史的なアプローチにより解決しようとしている問題です.
以下は私のブレスト結果にすぎませんが,この問題に関わってきそうな他の英語学的な観点をいくつか挙げてみたいと思います.いずれも tsunami という語のインパクト・ファクターに注目する視点です.
・ 意味論的にいえば,tsunami は tidal wave の denotation こそ基本的に受け継いでいるものの,津波の強力さや恐ろしさなどを想起させる種々の connotation が加わっており,独自の存在価値をもつ語として受容されるようになってきたのではないか.
・ 形態論(語形成論)的にいえば,tidal wave のような複合語ではなく,単体語であるということ(日本語としてみれば「津」+「波」の2形態素だが)は,上記の種々の connotation を(分析的ではなく)総合的に含み込んでいることとマッチする.
・ 音韻論的にいえば,「#3949. 津波が現代英語の音素体系に及ぼした影響」 ([2020-02-18-1])」で触れたとおり,onset における /ts/ の生起は英語史的にはかなり新しい現象であり,それだけで多少なりとも異質で目立つことになる.近年の借用語であることが語頭で一発で示されることにもなる.それと連動して,語頭の綴字 <ts> も英語らしくないので,やはり借用語であることが視覚的にも一目瞭然となる.これらが当該単語のインパクトに貢献している.
・ 韻律的にいえば,おもしろいことに同じ3音節でも tídal wàve (強弱強)と tsunámi (弱強弱)は正反対である.このように韻律上の差異があることも,相対的に後者の新鮮さを浮き彫りにしているのかもしれない.
・ 社会言語学的にいえば,地質学や海洋学などの特殊レジスターに属する単語という位置づけから,一般レジスターへ進出したとみることができる.
以上,当の海洋現象は望ましくないものの英単語としては広まってしまった tsunami について,英語史・英語学してみた次第です.tsunami については「#1432. もう1つの類義語ネットワーク「instaGrok」と連想語列挙ツール」 ([2013-03-29-1]) の記事でも軽く触れています.
なお,上記の Durkin の言及について教えてくれた学生から,あわせて「Tsunami or Tidal Wave? --- 舘林信義」というウェブ上の記事も教えてもらいました.たいへん貴重な情報.多謝.
・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.
英語は語彙的に雑食性の言語である.英語史を学ぶとこの意味がすぐに分かるのだが,そうでないとハテナが飛ぶだろう.端的にいうと,英語の語彙の約2/3はよその言語からの借用語である.逆にいえば,真の「英単語」は英単語の1/3しか占めないということだ.
英語は歴史を通じて,ひたすら他言語から単語を借用してきた.その結果,語彙的にはすっかり雑種になってしまった.この英語の歴史的性格を下品に表現すれば「雑食性」 (omnivorousness) となるし,上品にいえば「世界的な語彙」 (cosmopolitan_vocabulary) となる.ソースとなった言語を数えると少なく見積もっても350言語はあり,地理的にも時代的にもまさに「世界的」というにふさわしい.語彙に関していえば「英語は語彙的にはもはや英語ではない」のだ (cf. 「#2468. 「英語は語彙的にはもはや英語ではない」の評価」 ([2016-01-29-1])).この辺りの話題は,本ブログでもたびたび取り上げてきた.関心のある方は,##151,756,201,152,153,390,3308の記事をご覧いただきたい.
さて,英語に語彙を提供してきた数ある言語のなかで,今回はイタリア語を取り上げたい.イタリア語は昨今の日本語でも馴染みが深く,インフルエンザ,オペラ,カジノ,ジェラート,ソナタ,テンポ,ティラミス,トロンボーン,パパラッチ,ビオラ,ピザ,フィナーレ,フォルテ,ブロッコリー,マカロニ,マニフェスト,マラリア,ミネストローネなど多数挙げられる (cf. 「#1896. 日本語に入った西洋語」 ([2014-07-06-1])).では,英語に入ったイタリア単語には何があるか.arcade, balcony, ballot, bandit, ciao, concerto, falsetto, fiasco, giraffe, lava, mafia, opera, scampi, sonnet, soprano, studio, timpani, traffic, violin など,こちらも多数挙がってくる.
しかし,英語語彙において著しく存在感のあるフランス語,ラテン語,古ノルド語などに比べれば,イタリア語の影は薄いといってよい.これは,イギリスとイタリアの濃密な接触は歴史的にはおよそ近代以降のことであり,交流の歴史が浅いためである.それでも,相対的に影が薄いというだけであり,やはりある程度のプレゼンスを認めることができるのも確かだ.イタリア単語の借用に関する考察は##1411,1530,2329,2357,2385,2369,3586を参照されたい.
イタリア語の話しをしておきながら,最も馴染み深いといえる spaghetti 「スパゲティ」に触れていなかった.実は,このイタリア語由来の1単語に注目するだけで,英語史の魅力を垣間見ることができる.一昨日から始まっている「英語史導入企画2021」で,学部ゼミ生が「借用語は面白い! --- "spaghetti" のスペルからいろいろ ---」を発表している.是非ご一読を.
連日の記事で,英語史上の最初の英英辞書の誕生とその周辺について Dixon に拠りながら考察している (cf. 「#4324. 最初の英英辞書は Coote の The English Schoole-maister?」 ([2021-02-27-1]),「#4325. 最初の英英辞書へとつなげた Coote の意義」 ([2021-02-28-1]),「#4326. 最初期の英英辞書のラインは Coote -- Cawdrey -- Bullokar」 ([2021-03-01-1])) .英英辞書の草創期を形成するラインとして Mulcaster -- Coote -- Cawdrey -- Bullokar という系統をたどることができると示唆してきたが,Mulcaster 以前の前史にも注意を払う必要がある.Mulcaster 以前と以後も,辞書史的には連続体を構成しているからだ.
概略的に述べれば,確かに Mulcaster より前は bilingual な羅英辞書の時代であり,以後は monolingual な英英辞書の時代であるので,一見すると Mulcaster を境に辞書史的な飛躍があるように見えるかもしれない.しかし,後者を monolingual な英英辞書とは称しているものの,実態としては「難語辞書」であり,見出し語はラテン語からの借用語が圧倒的に多かったという点が肝心である.つまり,ラテン語の形態そのものではなくとも少々英語化した程度の「なんちゃってラテン単語」が見出しに立てられているわけであり,Coote -- Cawdrey -- Bullokar ラインの monolingual 辞書は,いずれも実態としては "1.5-lingual" 辞書とでもいうべきものだったのだ.つまり,Mulcaster 以後の英英辞書の流れも,それ以前からの羅英辞書の系統に連なるということである.
Dixon (42) に従い,15--16世紀の羅英辞書の系統を簡単に示そう.よく知られているのは,1430年辺りの部分的な写本版が残っている Hortus Vocabulorum である.1500年に出版され,27,000語ものラテン単語が意味別に掲載されている.英羅辞書については,1440年の写本版が知られている Promptorium Parvalorum sive Clericum が,1499年に出版され,以後1528年まで改訂されることとなった.
16世紀前半に存在感を示した羅英辞書は,The Dictionary of Sir Thomas Elyot knight (1538) である(タイトルが英語であるこに注意).これは先行する Hortus Vocabulorum の影響をほとんど受けておらず,むしろ Ambrogio Calepino の羅羅辞書をベースにしている (Dixon 43) .世紀の半ばの1565年に Bishop Thomas Cooper による羅英辞書 Thesaurus Linguae Romanae & Britannicae が出版され一世を風靡したが,世紀後半の1587年に Thomas Thomas により出版された羅英辞書 Dictionarium Linguae Latinae et Anglicanae にその地位を奪われていくことになった.そして,この Thomas Thomas の羅英辞書こそが,Mulcaster より後の Coote -- Cawdrey -- Bullokar ラインの英英辞書 --- すなわち英語史上初の英英辞書群 --- の源泉だったという事実を指摘しておきたい (Dixon 48) .
関連して,「#3544. 英語辞書史の略年表」 ([2019-01-09-1]),「#603. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (1)」 ([2010-12-21-1]),「#604. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (2)」 ([2010-12-22-1]) を参照.
・ Dixon, R. M. W. The Unmasking of English Dictionaries. Cambridge: CUP, 2018.
アジェージュが,専門的な分野の語彙は異なる言語間で貸し借りされ,統一に向かう傾向があると指摘している.
典型的に科学用語を念頭におくと,確かにその語彙は少なくとも様々な西洋語間で,そして多くの場合世界の多数の言語間でも,共通していることが多い.たとえ各言語へ翻訳され語形こそ共通ではなくなったケースでも,その意味(科学的な定義)はほぼ同一に保たれるのが普通である.専門的な分野の語彙が言語境界を越えて伝播していく傾向について,アジェージュ (210--11) は「大いなる模写」という印象的な名前を与えながら指摘している.
大いなる模写
豊富な借用は,ヨーロッパの諸言語の語彙のなかに,言語の壁をこえた同語反復のひろがりを作り出している.ヨーロッパ以外の大陸の諸言語についても同じことがいえる.たしかに,ヨーロッパ以外の諸言語は,語彙を豊かにするために古典的基盤に頼り,つねにそこから語彙の源を汲んでいる.たとえば,ヒンディー語,タイ語,ビルマ語などの東南アジアの諸言語にはサンスクリットとパーリ語,日本語には古典中国語や訓読漢字語,テュルク系言語やモンゴル系言語には古トルコ語と古モンゴル語がそれにあたる.しかし,これらすべての言語はまた同様に,専門用語を作り出す必要に答えるために,英語にも頼っている.そしてこの英語も,多くの学問用語をラテン語,ギリシア語の語根から形成しているのである.
その結果,多くのヨーロッパやその他の地域の言語がギリシア・ラテンの系統に属さないとしても,専門用語は全般的によく似ていることになる.このような相同性が言語の習得を容易にしたり,少なくとも受け身の理解をしやすくしているとしたら,メイエが強調するように〔中略〕,諸言語はそれぞれたがいの巨大で忠実なコピーとなってしまうのだろうか? 各言語の単語がたがいに異質な諸文明のはてしなく多様な支柱ではなくなり――その場合には翻訳はしばしば甘美な難業となる――,すべての文化に共通な概念と対象をいつも同じように表わすできあいの鋳型になっていたのであれば,このような単語の有用性はとくに実用に資するものとなり,経済的に正当化されるであろう.そうなれば,新しい言語の獲得が精神を豊かにするなどとは,見なされなくなるだろう.
しかし実際には,ヨーロッパの諸言語内での大幅な模写は,きわめて専門的な語彙でしか起こっておらず,その意味で語彙の特定の部分に限られている.残りの部分はもとの状態のままであり,とくに慣用表現などがそうである(とはいえ,慣用表現の分野でも収束現象が見られないわけではないが).そして何よりも,ひとつの言語の本質を形づくる文法構造は,それぞれに特有の形でありつづけている.そうである以上,多数の言語が繁茂することは,無機的で取り替え可能な道具が大量に存在するのとはわけがちがうのである.専門的な分野の語彙に統一に向かう傾向があるのは,このような生命の開花と矛盾するどころか,その正当な限界を記しづけているのである.
アジェージュの趣旨は,専門的な分野の語彙に関していえば確かに「大いなる模写」の傾向は見られるが,あくまでそれは部分的で表面的なものにすぎず,言語体系全体に関しての「さらなる大いなる模写」などあり得ない,ということだ.引用最後で,大いなる模写の「正当な限界」にまで言い及んでいる.実は言語の模写の小なることを訴えたい文章だったのではないか,と解釈しなおした.
英語史の立場からの科学用語の造語・伝播の問題については「#1694. 科学語彙においてギリシア語要素が繁栄した理由」 ([2013-12-16-1]),「#3013. 19世紀に非難された新古典主義的複合語」 ([2017-07-27-1]),「#3166. 英製希羅語としての科学用語」 ([2017-12-27-1]),「#3179. 「新古典主義的複合語」か「英製羅語」か」 ([2018-01-09-1]),「#4191. 科学用語の意味の諸言語への伝播について」 ([2020-10-17-1]) などの記事をどうぞ.
・ グロード・アジェージュ(著),糟谷 啓介・佐野 直子(訳) 『共通語の世界史 --- ヨーロッパ諸語をめぐる地政学』 白水社,2018年.
英語の動詞には接頭辞 en- をもつものが多くあります.encourage, enable, enrich, empower, entangle などです.一方,接尾辞 -en をもつ動詞も少なくありません.strengthen, deepen, soften, harden, fasten などです.さらに,語頭と語末の両方に en の付いた enlighten, embolden, engladden のような動詞すらあります.接頭辞にも接尾辞にもなる,この en とはいったい何者なのでしょうか.では,音声の解説をどうぞ.
意外や意外,接頭辞 en- と接尾辞 -en はまったく別語源なのですね.接頭辞 en- は,ラテン語の接頭辞 in- に由来し,フランス語を経由して少しだけ変形しつつ,英語に入ってきたものです.究極的には英語の前置詞 in と同語源で,意味は「中へ」です.この接頭辞を付けると「中へ入る」「中へ入れる」という運動が感じられるので,動詞を形成する能力を得たのでしょう.名詞や形容詞,すでに動詞である基体に付いて,数々の新たな動詞を生み出してきました.
一方,接尾辞 -en はラテン語由来ではなく本来の英語的要素です.古英語で他動詞を作る接尾辞として -nian がありましたが,その最初の n の部分が現代の接尾辞 -en の起源です.形容詞や名詞の基体に付いて新たな動詞を作りました.
このように接頭辞 en- と接尾辞 -en は語源的には無関係なのですが,形式の点でも,動詞を作る機能の点でも,明らかに類似しており,関係づけたくなるのが人情です.比較的珍しいものの,enlighten のように頭とお尻の両方に en の付く動詞があるのも分かるような気がします.
英語史や英単語の語源を学習していると,一見関係するようにみえる2つのものが,実はまったくの別物だったと分かり目から鱗が落ちる経験をすることが多々あります.今回の話題は,その典型例ですね.
今回取り上げた接頭辞 en- と接尾辞 -en について,詳しくは##1877,3510の記事セットをご覧ください.
ゼミ生からのインスピレーションで,標記の行為者接尾辞 (agentive_suffix) に関心を抱いた.この接尾辞をもつ語はフランス語由来のものがほとんどであり,その来歴を反映して,語末音節を構成する接尾辞自身に強勢が落ちるという特徴がみられる.つまり語末の発音は /ˈɪə(r)/ となる.engineer, pioneer, volunteer をはじめとして,auctioneer, electioneer, gazetteer, mountaineer, profiteer などが挙がる.語源的には -ier もその兄弟というべきであり,cachier, cavalier, chevalier, cuirassier, financier, gondolier なども -eer 語と同じ特徴を有する.いずれもフランス語らしい振る舞いを示し,なぜ英語においてこのフランス語風の形式(発音と綴字)が定着したのだろうかという点で興味深い(cf. 「#594. 近代英語以降のフランス借用語の特徴」 ([2010-12-12-1]),「#1291. フランス借用語の借用時期の差」 ([2012-11-08-1])).
Jespersen (§15.51; 243) より,-eer, -ier に関する解説を引用する.
15.51 Words in -eer, -ier (stressed) -[ˈɪə] are mostly originally F words in -ier (generally from L -arius). Most of the OF words in -ier were adopted in ME with -er, and the stress was shifted to the first syllable . . . , as also in a few in which the i was kept . . . .
A few words borrowed in ME times kept the final stress, and so did nearly all the later loans (many from the 16th and 17th c.). The established spelling of most of these, and of nearly all words coined on English soil, is -eer, as in auctioneer, cannoneer, charioteer (Keats 46), gazetteer, jargoneer (NED from 1913), mountaineer, muffineer, 'small castor for sprinkling salt or sugar on muffins' (NED 1806), muleteer [mjuˑliˈtiə], musketeer, pioneer, pistoleer (Carlyle Essays 251), routineer (Shaw D 54), and volunteer, but many of them preserved the F spelling, e.g. cavalier and chevalier, cuirassier, and finanicier.
The recent motorneer, is coined on the pattern of engineer.
Sh in some cases has initial-stressed -er-forms instead of -eer, e.g. ˈenginer, ˈmutiner (Cor I. 1.244), and ˈpioner.
この解説に従えば,-eer は私たちもよく知る行為者接尾辞 -er の一風変わった兄弟としてとらえてよさそうだ.
しかし, -eer には意味論的,語形成的に注目すべき点がある.まず,形成された行為者名詞は,軽蔑的な意味を帯びることが多いという事実がある.crotcheteer, garreteer, pamphleteer, patrioteer, privateer, profiteer, pulpiteer, racketeer, sonneteer などである.
もう1つは,行為者名詞がそのまま動詞へ品詞転換 (conversion) する例がみられることだ.electioneer, engineer, pamphleteer, profiteer, pioneer, volunteer などである.これは上記の軽蔑的な語義とも密接に関係してくるかもしれない.なお,commandeer は,動詞としてしか用いられないという妙な -eer 語である.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part VI. Copenhagen: Ejnar Munksgaard, 1942.
言語における借用 (borrowing) について,特に語の借用,すなわち借用語 (loan_word) について,本ブログでは具体例を多々挙げてきた.また,理論的にも様々に考察してきた(例えば「#44. 「借用」にみる言語の性質」 ([2009-06-11-1]),「#900. 借用の定義」 ([2011-10-14-1]),「#901. 借用の分類」 ([2011-10-15-1]),「#2010. 借用は言語項の複製か模倣か」 ([2014-10-28-1]),「#2663. 「オープン借用」と「むっつり借用」 (1)」 ([2016-08-11-1]),「#2664. 「オープン借用」と「むっつり借用」 (2)」 ([2016-08-12-1]),「#3008. 「借用とは参考にした上での造語である」」 ([2017-07-22-1]),「#3332. Aitchison による借用の4つの特徴」 ([2018-06-11-1]) などを参照.)
最近,借用語のもう1つの異なる見方を Meillet (22--23) から学んだ.ある語が借用語か否かは,よその言語から入ってきたか否かによって決まるわけではなく,その使用が前時代からの継続性に特徴づけられていないかどうかによって決まるという見方だ.例えば,現代標準英語の観点からみれば,ある語の起源こそフランス語やラテン語であっても,それが古英語期や中英語期という古い時代に入ってきたものであれば,以後,近代英語期を通じて現代にまで継続的に用いられてきたわけであるから,これは借用語ではない,ということになる.逆にみれば,古英語や中英語で用いられていた語であっても,歴史の過程で一度廃用となり,何らかの理由で現代英語において復活した語であれば,直前の時代から継続的に用いられてきたわけではないので,借用語ということになる.この借用語の定義によると,問題の単語の起源とされる言語(あるいは方言)が,比較言語学的に同系統であるかどうかは,この際関係ないということになる.
さらにいえば,「前時代」や「起源として参照される言語(あるいは方言)」に関するスケールにも可変性がある.「前時代」を100年前とするのか10年前とするのか,はたまた1年前とするのか.また,「起源として参照される言語(あるいは方言)」も,かなり狭く限定された地域方言,社会方言,レジスターなどを指すこともできる.スケールの取り方次第で,注目している語が借用語か否かが決まってくるという意味では,Meillet の定義はすぐれて相対的な定義といえよう.この相対的な視点こそが驚くほど斬新なのである.少々長いが Meillet (22--23) より核心の部分を引用しておこう.実際には,この後にも Meillet の丁寧な解説や具体例が続く.
Il importe de définir ici ce que l'on entend en linguistique par l'emprunt.
Soit une langue considérée à deux moments successifs de son développement; le vocabulaire de la seconde époque considérée se compose de deux parties, l'une qui continue le vocabulaire de la première ou qui a été constituée sur place dans l'intervalle à l'aide d'éléments compris dans ce vocabulaire, l'autre qui provient de langues étrangères (de même famille ou de familles différentes); s'il arrive que quelque mot soit créé de toutes pièces, ce n'est, semble-t-il, que d'une manière exceptionnelle, et les faits de ce genre entrent à peine en ligne de compte. Soit par exemple le latin à l'époque de la conquête de la Gaule par les Romains et le français (c'est-à-dire la langue de Paris) au commencement de XXe siècle; il y a des mots comme père, chien, lait, etċ, qui continuent simplement des mots latins; il y en a comme noyade ou pendaison qui ont été faits sur sol français avec des éléments d'origine latine, et il y en a d'autres qui sont entrés à des dates diverses: prêtre est un mot qui est entré par le groupe chrétien à l'époque impériale romaine, sous la forme presbyter; guerre, un mot germanique, apporté par les invasions germaniques, et entré dans la langue par le groupe des conquérants qui ont été maîtres du pays, à la suite de ces invasions; camp est un mot italien venu au XVe siècle par les éléments militaires qui ont fait les campagnes d'Italie; siècle est un mot pris dès avant le Xe siècle au latin écrit par les clercs et qui avait disparu de la langue commune; équiper est un terme de la langue des marins normands ou picards; foot-ball est un terme de sport venu de l'anglais il y a peu d'années; mais, par rapport au latin de l'époque de César, tous les mots en question sont également empruntés, car aucun n'est la continuation ininterrompue de mots latins de cette date, ni ne s'explique par des formes qui se soient perpétuées dans la langue sans interruption entre l'époque de César et le commencement du XXe siècle. Il n'importe pas que le mot soit emprunté à une langue non indo-européenne, comme il arrive pour orange, ou à une langue indo-européenne autre que le latin, comme prêtre, guerre, ou au latin écrit comme siècle, cause, ou à un dialecte roman comme camp, camarade, ou même à des parlers français plus ou moins proches du parisien, comme le mot foin, pris à des parlers ruraux, et que sa phonétique dénonce comme n'étant pas parisien; en aucun cas il n'y a eu continuation directe et ininterropmpue du mot latin à Paris depuis l'époque de César jusqu'au début du XXe siècle, et ceci suffit à définir l'emprunt pour la période considérée de l'histoire du français parisien. Donc la notion d'emprunt ne saurait être définie qu'à l'intérieur d'une période strictement délimitée, et pour une population strictement délimitée.
・ Meillet, Antoine. "Comment les mots changent de sens." Année sociologique 9 (1906). 1921 ed. Rpt. Dodo P, 2009.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow