英語には,近代以降の連綿と続く "the complaint tradition" (不平不満の伝統)があり,"the complaint literature" (不平不満の文献)が蓄積されてきた.例えば,「#301. 誤用とされる英語の語法 Top 10」 ([2010-02-22-1]) で示した類いの,「こんな英語は受け入れられない!」という叫びのことである.典型的に新聞の投書欄などに寄せられてきた.
この伝統は,標準英語がほぼ確立した後で,規範主義的な風潮が感じられるようになってきた王政復古あたりの時代に遡る.著名人でいえば,John Dryden (1631--1700) や,少し後の Jonathan Swift (1667--1745) が伝統の最初期の担い手といえるだろう(cf. 「#3220. イングランド史上初の英語アカデミーもどきと Dryden の英語史上の評価」 ([2018-02-19-1]),「#1947. Swift の clipping 批判」([2014-08-26-1])).
Milroy and Milroy によれば,この伝統には2つのタイプがあるという.両者は重なる場合もあるが,目的が異なっており,基本的には別物と考える必要がある.まずは Type 1 から.
Type 1 complaints, which are implicitly legalistic and which are concerned with correctness, attack 'mis-use' of specific parts of the phonology, grammar, vocabulary of English (and in the case of written English 'errors' of spelling, punctuation, etc.). . . . The correctness tradition (Type 1) is wholly dedicated to the maintenance of the norms of Standard English in preference to other varieties: sometimes writers in this tradition attempt to justify the usages they favour and condemn those they dislike by appeals to logic, etymology and so forth. Very often, however, they make no attempt whatever to explain why one usage is correct and another incorrect: they simply take it for granted that the proscribed form is obviously unacceptable and illegitimate; in short, they believe in a transcendental norm of correct English. / . . . . Type 1 complaints (on correctness) may be directed against 'errors' in either spoken or written language, and they frequently do not make a very clear distinction between the two. (30--31)
Type 1 は,いわゆる最も典型的なタイプであり,上で前提とし,簡単に説明してきた種類の不平不満である.「誤用批判」とくくってよいだろう.このタイプの伝統が標準英語を維持 (maintenance) する機能を担ってきたという指摘もおもしろい.
次に挙げる Type 2 は Type 1 ほど知られていないが,やはり Swift あたりにまで遡る伝統がある.
Type 2 complaints, which we may call 'moralistic', recommend clarity in writing and attack what appear to be abuses of language that may mislead and confuse the public. . . . / Type 2 complaints do not devote themselves to stigmatising specific errors in grammar, phonology, and so on. They accept the fact of standardisation in the written channel, and they are concerned with clarity, effectiveness, morality and honesty in the public use of the standard language. Sometimes elements of Type 1 can enter into Type 2 complaints, in that the writers may sometimes condemn non-standard usage in the belief that it is careless or in some way reprehensible; yet the two types of complaints can in general be sharply distinguished. The most important modern author in this second tradition is George Orwell . . . (30)
Type 1 を "the correctness tradition" と呼ぶならば,Type 2 は "the moralistic tradition" と呼んでよいだろう.引用にあるように,George Orwell (1903--50) が最も著名な主唱者である.Type 2 を代表する近年の動きとしては,1979年に始められた "Plain English Campaign" がある.公的な情報には誰にでも分かる明快な言葉遣いを心がけるべきだと主張する組織であり,明快な英語で書かれた文書に "Crystal Mark" を付す活動を行なっているほか,毎年,明快な英語に対して賞を贈っている.
・ Milroy, Lesley and James Milroy. Authority in Language: Investigating Language Prescription and Standardisation. 4th ed. London and New York: Routledge, 2012.
「#3231. 標準語に軸足をおいた Blake の英語史時代区分」 ([2018-03-02-1]) の記事で取りあげた,Blake による英語史区分の第6期(1798年?1914年)について考える.ロマン主義の起こりと第1次世界大戦に挟まれたこの時期は,標準英語を念頭においた英語史の観点からは,諸変種や方言的多様性が意識された時代といえる.19世紀が近づくと,18世紀の特徴だった堅苦しい規範主義の縛りからある程度解放されるようになり,自然にして自発的な言葉遣いが尊重され,非標準変種が見直される契機が生じた.英語自由化・英語相対化の思想が発現したといってよいだろう.新時代の到来を告げる狼煙が,象徴的に,Wordsworth and Coleridge による Lyrical Ballads (1798) の出版だった.Blake (13) 曰く,
This collection of poetry [= the Lyrical Ballads] attacked the idea of a prescriptive language for poetry and raised the concept that it should deal with 'the real language of men'. It was inspired in part by the French Revolution of 1789, which had called into question the very bases of the old order and its assumptions of regulation and conformity. This attitude gradually spilled over into language as well, for there seemed to be a profound attack on the nature of authority and the assumption that those at the top could dictate what was right and acceptable to the rest of society. While such attitudes did not change overnight, we can accept that there was a new spirit abroad which provides us with a convenient boundary in 1798.
この1798年に始まり,第1次世界大戦の勃発した1914年までの時期は,長い19世紀と表現してもよいだろう.Blake によれば,この時代は,言語的にみて (1) 多様性と非標準変種の尊重,(2) 歴史的研究の興隆,という2点に特徴づけられる時代だという.それぞれの部分を引用しよう.
Firstly, the previous age had been concerned with regulating language and discovering the principles which underlined a language on the assumption that all languages followed the same structure. The nineteenth century was interested in the diversity of languages and varieties of language. The growth of the empire promoted interest in a whole range of languages other than the classical languages which had hitherto been the model for all linguistic structure. And scholars in England began to record the various regional dialects found in the United Kingdom. Whereas before these dialects may have been considered provincial and little more than barbarous, their use in poetry and the novel and the collections and studies based on these forms gradually meant that they were seen as real means of communication, even if they were not as socially acceptable as the standard. The respect for non-standard varieties increased, though this was a gradual process which even today has not made these dialects socially acceptable. One problem that such varieties faced, and still face, is that they do not usually exist in a regulated written form and thus may be regarded as inferior.
Secondly, the nineteenth century saw an enormous growth in the historical study of language. Many of the changes in English and its ancestors which will be outlined in the book were discovered in the nineteenth century. The development of the concept of a family tree for languages and the recognition that English was a Germanic language which belonged to the Proto-Indo-European family of languages (also known simply as Indo-European) were among the advances made at this time. Not unnaturally this put English and the classical languages into a different perspective. Their nature was not different from that of other languages, and English dialects could be regarded as closely related to standard English in origin and development; they had simply not been chosen to form the standard.
一言でいえば,標準英語を,そして英語そのものを,相対化して捉える視点が生み出された時期といえるだろう.ただし,それによって絶対的な視点が崩れたわけではなく,あくまで相対的な視点も並び立つようになったということである.絶対的な視点は,21世紀の今でも十分に生きているのだ.
・ Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Macmillan, 1996.
Blake の英語史書は,英語の標準化 (standardisation) と標準英語の形成という問題に焦点を合わせた優れた英語史概説である.とりわけ注目すべきは,従来のものとは大きく異なる英語史の時代区分法 (periodisation) である.英語史の研究史において,これまでも様々な時代区分が提案されてきたが,Blake のそれは一貫して標準語に軸足をおく社会言語学的な観点からの提案であり,目が覚めるような新鮮さがある (Blake, Chapter 1) .7期に分けている.以下に,コメントともに記そう.
(1) アルフレッド大王以前の時代 (?9世紀後半):標準的な変種が存在せず,様々な変種が並立していた時代
(2) 9世紀後半?1250年:ウェストサクソン方言の書き言葉標準が影響力をもった時代
(3) 1250年?1400年:標準語という概念がない時代;標準語のある時代に挟まれた "the Interregnum"
(4) 1400年?1660年:標準語の書き言葉(とりわけ綴字と語彙のレベルにおいて)が確立していく時代
(5) 1660年?1798年:標準語の統制の時代
(6) 1798年?1914年:諸変種や方言的多様性が意識された時代
(7) 1914年?:英語の分裂と不確かさに特徴づけられる時代
(1) アルフレッド大王以前の時代 (?9世紀後半) は,英語が英語として1つの単位として見られていたというよりも,英語の諸変種が肩を並べる集合体と見られていた時代である.したがって,1つの標準語という発想は存在しない.
(2) アルフレッド大王の時代以降,とりわけ10--11世紀にかけてウェストサクソン方言が古英語の書き言葉の標準語としての地位を得た.1066年のノルマン征服は確かに英語の社会的地位をおとしめたが,ウェストサクソン標準語は英語世界の片隅で細々と生き続け,1250年頃まで影響力を残した.少なくとも,それを模して英語を書こうとする書き手たちは存在していた.英語史上,初めて標準語が成立した時代として重要である.
(3) 初めての標準語が影響力を失い,次なる標準語が現われるまでの空位期間 (the Interregnum) .諸変種が林立し,1つの標準語がない時代.
(4) 英語史上2度目の書き言葉の標準語が現われ,定着していく時代.15世紀前半の Chancery Standard が母体(の一部)であると考えられる.しかし,いまだ制定や統制という発想は稀薄である.
(5) いわゆる規範主義の時代.辞書や文法書が多く著わされ,標準語の統制が目指された時代.区切り年代は,王政復古 (Restoration) の1660年と,ロマン主義の先駆けとなる Wordsworth and Coleridge による Lyrical Ballads が出版された1798年.いずれも象徴的な年代ではあるが,確かに間に挟まれた時代は「統制」「抑制」「束縛」といったキーワードが似合う時代である.
(6) Lyrical Ballads から第1次世界大戦 (1914) までの時代.前代の縛りつけからある程度自由になり,諸変種への関心が高まり,標準語を相対化して見るようになった時代.一方,前代からの規範主義がいまだ幅を利かせていたのも事実.
(7) 第1次世界大戦から現在までの時代.英語が世界化しながら分裂し,先行き不透明な状況,"fragmentation and uncertainty" (Blake 15) に特徴づけられる時代.
伝統的な「古英語」「中英語」「近代英語」の区分をさらりと乗り越えていく視点が心地よい.
・ Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Macmillan, 1996.
大英帝国の拡大という世界史的展開は,現代英語と英語の未来を論じる上で避けて通ることのできないトピックです.その英語史上の意義について,スライド (HTML) にまとめてみました.こちらからどうぞ.結論としては次のように述べました.
大英帝国の発展は
(1) 英語の標準化・規範化を後押しして,英語に「求心力」をもたらした一方で,
(2) 英語の多様化を招き,英語に「遠心力」をもたらし,
現在および未来の英語のあり方の基礎を築いた.
詳細は各々のページをご覧ください.本ブログの記事や各種画像へのリンクも豊富に張っています.
1. 大英帝国の拡大と英語
2. 要点
3. (1) 大英帝国の発展
4. 関連年表 (#777, #1377, #2562)
5. (2) 英語の求心力 --- 標準化・規範化
6. 標準化と規範化
7. 18世紀の規範主義
8. 辞書,文法書,発音指南書
9. 規範文法の例
10. (3) 英語の遠心力 --- 世界の様々な英語
11. 様々な英語変種の例
12. 英語変種の諸分類法
13. 21世紀,求心力と遠心力のせめぎ合い
14. まとめ
15. 参考文献
他の「まとめスライド」として,「#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド」 ([2017-09-10-1]),「#3068. 「宗教改革と英語史」のまとめスライド」 ([2017-09-20-1]),「#3089. 「アメリカ独立戦争と英語」のまとめスライド」 ([2017-10-11-1]),「#3102. 「キリスト教伝来と英語」のまとめスライド」 ([2017-10-24-1]),「#3107. 「ノルマン征服と英語」のまとめスライド」 ([2017-10-29-1]),「#3121. 「印刷術の発明と英語」のまとめ」 ([2017-11-12-1]) もどうぞ.
ここ数日間,英語史上にもインパクトのあった黒死病 (black_death) について集中的に考えてきた.関連して蔵持著『ペストの文化誌』を読んでいたときに,衛生観念と言語の正誤の観念に似ている側面があることに気づいた.
蔵持 (326) によれば,清潔と不潔という観念が生じたのはルネサンス以降であり,その対立の秩序,すなわち衛生観念が本格的に現われたのは18世紀中葉から19世紀初頭だろうという.その議論で,次のように述べている (325) .
象徴人類学者のメアリー・ダグラスによれば,「汚れとは,絶対に唯一かつ孤絶した事象ではありえない.つまり,汚れがあるところには必ず体系が存在するのだ.秩序が不適当な要素の拒否を意味するかぎりにおいて,汚れとは事物の体系的秩序づけと分類との副産物」だという.ありていにいえば,汚れもまた,それが不潔なものとして除去されるには,汚れを忌避すべきものと意味づけする,集団的ないし個人的な清潔への意識の秩序が存在しなければならない.時には,清浄=祓穢という優れて儀礼的なカタルシスに突き動かされた,感性と想像力の秩序が不可欠ともなる.
汚れを汚れと感じるためには,対置される清潔に対する感受性が必要である.不潔と清潔は「衛生観念」という秩序のもとで常にペアである.これは構造主義の発想そのものだ.
同じことは,文法や語法の正誤についても言える.誤りを誤りと感じるためには,対置される正用に対する感受性が必要である.誤りと正しさは「言語的衛生観念」という秩序のもとで常にペアである.
英語の文法や語法の正誤の観念が明確に現われたのは,奇しくも18世紀中葉から19世紀初頭,次々と規範文法書が出版された時代である.それより前の時代には,明確な意味での言語上の「誤用」と「正用」はなかったといってよい.文法の「誤り」とは,18世紀の文法書が生み出した「不潔」のことだったのである.
・ 蔵持 不三也 『ペストの文化誌 ヨーロッパの民衆文化と疫病』 朝日新聞社〈朝日選書〉,1995年.
言語に対してとる態度に関して,しばしばプロの言語学者とポピュラーな言語コメンテーターは対立する.言語学者は,記述主義的な立場を取り,言語の変化や変異は言語の本質であり,それを人為的にコントロールすることなどできないと考えている.一方,規範主義的なコメンテーターは,伝統的で正統的な語法や文法の項目から逸脱する例を取りあげ,それを誤用として断罪し,代わりに正用を主張する.
このように両者はしばしば対立するが,実際に火花を散らすということは意外とない.論争に発展するとか,社会的な現象になるということは,あまりないのだ.日本でも英語圏でもそのようなケースは皆無ではないものの,国民的な話題になることは少ない.言語の諸問題を巡って平和が維持されているといえばそうなのかもしれないが,その理由が互いの無関心や無接触にあるというのが寂しい.言語学者が規範主義的言語観とどう向き合うかをしっかり考えた上で,ポピュラーな言語論に参加していくことは,もっとあってよいし,規範主義のコメンテーターも言語の専門家に耳を傾けることが必要だと思う.そうすれば,論争がある用法を巡っての正誤という比較的小さな問題から始まったにせよ,徐々に言語とは何か,どうあるべきかといった核心の議論に迫っていける可能性が高い.結果として,関与者みなが言語について真剣に考えられる機会となる.これは素晴らしいことだ.
Horobin (165--66) も,昨年出版された英語史概説書の締めくくりの章で,次のように述べている.
The dismissive manner in which professional linguists have typically ignored prescriptivist approaches has also contributed to the lack of dialogue and continued misinformation. Since prescriptivist approaches are widely held and have a demonstrable impact upon the use of English and its future, it is clearly incumbent upon professional linguists to accord its proponents due attention and to engage in public debate.
記述言語学と規範主義の関係については,以下の記事も参照されたい.「#1229. 規範主義の4つの流れ」 ([2012-09-07-1]),「#1684. 規範文法と記述文法」 ([2013-12-06-1]),「#1929. 言語学の立場から規範主義的言語観をどう見るべきか」 ([2014-08-08-1]),「#2630. 規範主義を英語史(記述)に統合することについて」 ([2016-07-09-1]),「#2631. Curzan 曰く「言語は川であり,規範主義は堤防である」」 ([2016-07-10-1]) .
・ Horobin, Simon. How English Became English: A Short History of a Global Language. Oxford: OUP, 2016.
英語史における接続法は,おおむね衰退の歴史をたどってきたといってよい.確かに現代でも完全に消えたわけではなく,「#326. The subjunctive forms die hard.」 ([2010-03-19-1]) や「#325. mandative subjunctive と should」 ([2010-03-18-1]) でも触れた通り,粘り強く使用され続けており,むしろ使用が増えているとおぼしき領域すらある.しかし,接続法の衰退は,総合から分析へ向かう英語史の一般的な言語変化の潮流 (synthesis_to_analysis) に乗っており,歴史上,大々的な逆流を示したことはない.
大々的な逆流はなかったものの,ちょっとした逆流であれば後期近代英語期にあった.16世紀末から急激に衰退した接続法は衰退の一途を辿っていたが,18世紀後半から19世紀にかけて,少しく回復したという証拠がある.Tieken-Boon van Ostade (84--85) はその理由を,後期近代の社会移動性 (social mobility) と規範文法の影響力にあるとみている.
The subjunctive underwent a curious development during the LModE period. While its use had rapidly decreased since the end of the sixteenth century, it began to rise slightly during the second half of the eighteenth century and into the nineteenth, when there was a sharp decrease from around 1870 onwards . . . . The temporary rise of the subjunctive has been associated with the influence of normative grammar, and though, this may explain the increased use during the nineteenth century, when linguistic prescriptivism was at its height and its effects must have been felt, in the second half of the eighteenth-century it must have been because of the strong linguistic sensitivity among social climbers rather than the actual effect of the grammars themselves. This is evident in the language of Robert Lowth and his correspondents: in Lowth's own usage, there is an increase of the subjunctive around the time when his grammar was newly published, and with his correspondents we found a similar linguistic awareness that they were writing to a celebrated grammarian . . . .
Tieken-Boon van Ostade は,規範文法の影響力があったとしてもおそらく限定的であり,とりわけ18世紀後半の接続法の増加のもっと強い原因は "social climbers" (成上り者)の上昇志向を反映した言語意識にあるとみている.
かりに接続詞の衰退を英語史の「自然な」流れとみなすのであれば,後期近代英語のちょっとした逆流は,人間社会のが「人工的に」生み出した流れということになろうか.「#2631. Curzan 曰く「言語は川であり,規範主義は堤防である」」 ([2016-07-10-1]) の比喩を思い起こさざるを得ない.
・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.
英文学史上,18--19世紀は "the Age of Prose", "the great age of the personal letter", "the golden age of letter writing" などと呼ばれることがある.人々がいそいそと手紙をしたため,交わした時代である.近年,英語史的において,この時代の手紙における言葉遣いや当時の規範的な文法観が手紙に反映されている様子などへの関心が高まってきている.とりわけ社会言語学や語用論の観点からのアプローチが盛んだ.
18--19世紀に手紙を書くことが社会的なブームとなった背景について,Tieken-Boon van Ostade の解説を引こう (2--3) .
Letter writing became an important means of communication to all people alike, largely as a result of the developments of the postal system. With the establishment of the Penny Post throughout Britain in 1840, postage became cheaper and was now paid for by the writer instead of the receiver. The result was phenomenal: while according to Mugglestone (2006: 276) 'some 75 million letters were sent in 1839', they had increased to 347 million ten years later. Just before the widespread introduction of the Penny Post, the average person in England and Wales received about four letters a year (Bailey 1996: 17), which rose to about eight times as many in 1871, and doubled further at the end of the century. The effects on the language were significant: more people write than ever before, either themselves or, as with minimally schooled writers, through the hands of others who had had slightly more education. Letter-writing manuals, such as The Complete Letter Writer (Anon., 2nd edn 1756), had been appearing in increasing numbers since the mid-eighteenth century, and they gained in popularity during the nineteenth, both in England and in the United States.
このブームは,後期近代英語期に新たな書き言葉のジャンルが本格的に開拓され伸張したことを意味するばかりではない.これまで書いていた人々がますます書くようになったこと,そしてさらに重要なことに,これまで書くことのなかった人々までが書くという行為の担い手となり始めたことをも意味する.さらに,手紙の書き方に関するマニュアルが出版されるようになり,それが社会的なたしなみとして規範化していった時期でもあることを意味する.
この時代は,ドレスコードにせよ言葉遣いにせよ,何事につけても「たしなみ」の時代だった.手紙を書くという行為も,そのような時代の風潮のなかで社会に組み込まれていったもう1つのたしなみだったということになろう.
16世紀から19世紀までの手紙の資料については,Tieken-Boon van Ostade による Correspondences のページを参照.
・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.
昨日の記事に引き続き,18世紀の規範主義と各々の文法家の政治的スタンスについての話題.前の記事で触れたように,18世紀に洪水のように規範文法書が出版され,なかには飛ぶように売れたものもあった.この文法書市場の高まりと各文法家の政治的スタンスとは,いかなる関係にあったのだろうか.
どうやら,特定の政治的スタンスが文法書に埋め込まれ,それが政治的な意味合いをもって受容され,市場を賑わわせた,ということではなさそうだ.むしろ,市場における文法書の人気が潜在的にあるところに,政治的スタンスという要素が加わり,出版や受容という過程が政治化した,ということのようだ.英文法が政争の具となったとも表現できそうだが,実際にはそこまで悪いように具とされたわけでもないようであり,難しい.Beal (101) を引用する.
The 'doctrine of correctness' was thus invoked by writers of all political persuasions, so it would be a mistake to argue that any set of political circumstances created the market for grammars in the eighteenth and nineteenth centuries. It might be wiser to agree with Crowley that 'language becomes a crucial focus of tension and debate at critical historical moments, serving as the site upon which political positions are contested' (2003: 217). Thus, the emergence of these grammars and the accompanying discussions about language and power are symptomatic of the turbulent times in which they were written.
本記事の標題では「18世紀の規範主義」と銘打ったが,Beal の議論は,上の引用にもある通り19世紀にも当てはまるというし,さらに読み進めると,20--21世紀にも等しく通じるとも述べられている.一見すると,文法書と政治性というのは結びつかないように思われるが,文法書を「正しい語法の集大成」と解釈すれば,いかに文法というものが社会的な「正しさ」と結びつけられる政治の問題に近寄りうるかということが理解されよう.ひいては,人類の歴史において言葉の問題は常に政治の問題だったとも言えるのかもしれない.
なお,上の引用で言及されている Crowley は,Crowley, T. Standard English and the Politics of Language. London: Palgrave, 2003. のことである.
・ Beal, Joan C. English in Modern Times: 1700--1945. Arnold: OUP, 2004.
英語史上,18世紀は "doctrine of correctness" に特徴づけられた規範主義の時代であると評価されてきた.確かにこの世紀には,前半だけで50ほどの,後半には200を超える英文法書が出版され,規範英文法書の世紀といっても過言ではない.
しかし,Beal は,著書の第5章 "Grammars and Grammarians" において,18世紀に与えられたこの伝統的な評価について再考を促す.Beal (90) は,18世紀には規範主義の風潮自体は間違いなくあったものの,諸家の立場は,その政治的信条やイデオロギーに応じて様々かつ複雑であり,単に規範的といった評価では不十分であると論じている.
[E]ighteenth-century grammarians had a range of motives for writing their grammars, and . . . these and later grammars, far from being uniformly 'prescriptive', would be better described as occupying different points on a prescriptive-descriptive continuum.
英語に関する著作をものした諸家は,各々の政治的スタンスから英語について発言していた.例えば,Swift は Ann 女王と君主制を守ろうとする保守主義から物を申し,行動もしていた.また,1707年の大ブリテン連合王国の成立を受けて,南部の標準的な英語を正しい英語と定め,スコットランド人などにそれを教育する必要性も感じられていた.規範主義の背景には,政治的思惑があったのである (Beal 97) .
Whilst it is perfectly valid to see eighteenth- and nineteenth-century grammars both as the necessary agents of codification and as self-help guides for the aspiring middle classes, it cannot be denied that many of the authors of these works were politically and/or ideologically motivated.
Beal (111) は,しばしば対立させられる Lowth と Priestley にも言及し,両者の違いは力点の違い(含意として政治的スタンスの違い)であるとしている.
These two grammarians [= Lowth and Priestley] were writing within a year of each other, so any norms of usage to which they refer must have been the same. Although both used a classical system of parts of speech, neither is influenced by Latin here: they both describe preposition-stranding as a naturally occurring feature of English, more suited to informal usage. The difference between Lowth and Priestley is one of emphasis only, far from the prescriptive-descriptive polarization which we have been led to expect.
18世紀(及びそれ以降)の言語的規範主義を巡る問題について,常に政治性が宿っていたという事実に目を開くべきだという議論には納得させられた.しかし,Beal の再評価を読んで,従来の評価と大きく異なっているわけではないように思われた.そこでは,18世紀は規範主義の時代であるという事実に対して,大きな修正は加えられていない.Beal では "prescriptive-descriptive continuum" という表現がなされているが,これは「基本は prescriptive であり,その prescription の定め方として reason-usage continuum があった」と考えることは,引き続きできそうである.この時代を論じるに当たって "descriptive" という形容詞を用いることは,まだ早すぎるのではないか.
関連して,「#141. 18世紀の規範は理性か慣用か」 ([2009-09-15-1]),「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1]),「#2778. Joseph Priestley --- 慣用重視を貫いた文法家」 ([2016-12-04-1]),「#2796. Joseph Priestley --- 慣用重視を貫いた文法家 (2)」 ([2016-12-22-1]) を参照.
・ Beal, Joan C. English in Modern Times: 1700--1945. Arnold: OUP, 2004.
Noah Webster がアメリカ英語の地位を強烈に推進する役割を担ったことは英語史上よく知られているが,その背後で影が薄かったものの,1人の興味深い登場人物がいたことを忘れてはならない.アメリカ第2代大統領 John Adams (1735--1826) である.Adams は,英語を改善すべくアカデミーを設立することに意欲を示していた.ちょっとした Jonathan Swift のアメリカ版といったところか.大統領職に就く以前の話だが,1780年9月5日にアムステルダムから議会議長に宛てて,アメリカにおける英語という言語の役割の重要さを説く手紙を書いている.Baugh and Cable (355) に引用されている手紙の文章を再現しよう.
The honor of forming the first public institution for refining, correcting, improving, and ascertaining the English language, I hope is reserved for congress; they have every motive that can possibly influence a public assembly to undertake it. It will have a happy effect upon the union of the States to have a public standard for all persons in every part of the continent to appeal to, both for the signification and pronunciation of the language. The constitutions of all the States in the Union are so democratical that eloquence will become the instrument for recommending men to their fellow-citizens, and the principal means of advancement through the various ranks and offices of society. . . .
. . . English is destined to be in the next and succeeding centuries more generally the language of the world than Latin was in the last or French is in the present age. The reason of this is obvious, because the increasing population in America, and their universal connection and correspondence with all nations will, aided by the influence of England in the world, whether great or small, force their language into general use, in spite of all the obstacles that may be thrown in their way, if any such there should be.
It is not necessary to enlarge further, to show the motives which the people of America have to turn their thoughts early to this subject; they will naturally occur to congress in a much greater detail than I have time to hint at. I would therefore submit to the consideration of congress the expediency and policy of erecting by their authority a society under the name of "the American Academy for refining, improving, and ascertaining the English language. . . ."
最後に "refining, improving, and ascertaining" と表現しているが,これは数十年前にイングランドの知識人が考えていた「#2741. ascertaining, refining, fixing」 ([2016-10-28-1]) をすぐに想起させるし,もっといえば Swift の "Correcting, Improving and Ascertaining" のなぞりである.この意味では,Adams の主張はまったく新しいものではなく,むしろ陳腐ともいえる.また,このような提案にもかかわらず,結局はアメリカにおいてもアカデミーは設立されなかったことからも,Adams の主張はむなしく響く.
しかし,ここで Adams が,イギリスにおいてイギリス英語に関する主張をしていたのではなく,アメリカにおいてアメリカ英語に関する主張をしていたという点が重要である.Adams は,イギリスでのアカデミー設立の議論の単なる蒸し返しとしではなく,アメリカという新天地での希望ある試みとして,この主張をしていた.アメリカ英語への賛歌といってもよい.同時代人の Webster が行動で示したアメリカ英語への信頼を,Adams は彼なりの方法で示そうとした,と解釈できるだろう.
なお,上の引用の第2段落にある,英語は次世紀以降,世界の言語となるだろうという Adams の予言は見事に当たった.彼が挙げている人口統計,イングランドの影響力,アメリカの国際関係上の優位などの予言の根拠も,適切というほかない.母国に対する希望と自信に満ちすぎているとも思えるトーンではあるが,Adams の慧眼,侮るべからず,である.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
昨日の記事 ([2016-11-28-1]) の続編.今回は,英語史における標準化と規範化の試みが語彙→文法→発音の順序で進んでいったのはなぜか,という問いについて考えてみたい.この順番に関する議論はあまり読んだ記憶がないが,考察してみる価値はありそうだ.
まず,歴史的事実を改めて確認しておくが,昨日説明したように,およそ語彙→文法→発音の順で進んだということは言えそうだ.しかし,注意しなければならないのは,それぞれの部門の標準化・規範化の期間には当然ながらオーバーラップする部分があることだ.語彙が終わってから文法が始まり,文法が終わってから発音が始まった,というような人工的な区切りのよさが確認されるわけではない.規範主義者たちが,最初から問題を3部門に切り分け,数世紀の時間をかけて "divide and conquer" しようと計画していたわけでもなさそうだ.
1つ考えられるのは,この順序は標準化・規範化の取り組みやすさと関連しているのではないかということだ.言語を標準化・規範化するというときに対象となるのは,たいてい話し言葉よりも書き言葉が先である.それは,書き言葉に関する規則ほうが制定・公表・普及しやすいという事情があったろう.その効果も,書き言葉という持続的な媒体に残るほうが,評価しやすい.言語の標準化・規範化の目的が国家の威信を内外に示すという点にあったとすれば,その効果はまさに目に見える形で現われ,残ってくれないと困るのである.そうだとすれば,語彙および綴字が,最も見えやすく,具体的に,手っ取り早く片付けられる部門ということになりそうだ.
次に,語彙よりも抽象的ではあるが,やはり「正しい書き言葉」と強く結びつけられる部門である文法がターゲットとなる.こうして書き言葉の肉(=語彙)と骨(=文法)が完成すれば,初期近代英語からの標準化・規範化の課題は最低限のところ達成されたことになるだろう.
さらにもう一歩進めるとなれば,ターゲットを書き言葉から話し言葉へ移すよりほか残されていない.しかし,人々の話し言葉を統制するということは,古今東西,著しく困難である.実際,「#1456. John Walker の A Critical Pronouncing Dictionary (1791)」 ([2013-04-22-1]) の衝撃は,後に容認発音 (rp) が発達する契機となりはしたが,実際に容認発音を採用するようになった人は,現在に至るまで少数派であり,大多数の一般大衆の発音は「統制」されていない.つまり,発音の標準化・規範化は,語彙や文法に比べて「成功している」とは言い難い(もっとも,語彙や文法とて,どこまで「成功している」のかは怪しいが,相対的にいえばより「成功している」ように思われる).
英語史における言語の標準化・規範化は,上記のように,規制とその効果の見えやすさ,換言すれば取り組みやすさの順で進んだということができるのではないか.
中英語の末期から近代英語の半ばにかけて起こった英語の標準化と規範化の潮流について,「#1237. 標準英語のイデオロギーと英語の標準化」 ([2012-09-15-1]),「#1244. なぜ規範主義が18世紀に急成長したか」 ([2012-09-22-1]),「#2741. ascertaining, refining, fixing」 ([2016-10-28-1]) を中心として,standardisation や prescriptive_grammar の各記事で話題にしてきた.この流れについて特徴的かつ興味深い点は,時代のオーバーラップはあるにせよ,語彙→文法→発音の順に規範化の試みがなされてきたことだ.
イングランド,そしてイギリスが,国語たる英語の標準化を目指してきた最初の部門は,語彙だった.16世紀後半は語彙を整備していくことに注力し,その後17世紀にかけては,語の綴字の規則化と統一化に焦点が当てられるようになった.語彙とその綴字の問題は,17--18世紀までにはおよそ解決しており,1755年の Johnson の辞書の出版はだめ押しとみてよい.(関連して,「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1]),「#2321. 綴字標準化の緩慢な潮流」 ([2015-09-04-1]) を参照).
次に標準化・規範化のターゲットとなったのは,文法である.18世紀には規範文法書の出版が相次ぎ,その中でも「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1]) や「#2592. Lindley Murray, English Grammar」 ([2016-06-01-1]) が大好評を博した.
そして,やや遅れて18世紀後半から19世紀にかけて,「正しい発音」へのこだわりが感じられるようになる.理論的な正音学 (orthoepy) への関心は,「#571. orthoepy」 ([2010-11-19-1]) で述べたように16世紀から見られるのだが,実践的に「正しい発音」を行なうべきだという風潮が人々の間でにわかに高まってくるのは18世紀後半を待たなければならなかった.この部門で大きな貢献をなしたのは,「#1456. John Walker の A Critical Pronouncing Dictionary (1791)」 ([2013-04-22-1]) である.
「正しい発音」の主張がなされるようになったのが,18世紀後半という比較的遅い時期だったことについて,Baugh and Cable (306) は次のように述べている.
The first century and a half of English lexicography including Johnson's Dictionary of 1755, paid little attention to pronunciation, Johnson marking only the main stress in words. However, during the second half of the eighteenth century and throughout the nineteenth century, a tradition of pronouncing dictionaries flourished, with systems of diacritics indicating the length and quality of vowels and what were considered the proper consonants. Although the ostensible purpose of these guides was to eliminate linguistic bias by making the approved pronunciation available to all, the actual effect was the opposite: "good" and "bad" pronunciations were codified, and speakers of English who were not born into the right families or did not have access to elocutionary instruction suffered linguistic scorn all the more.
では,近現代英語の標準化と規範化の試みが,語彙(綴字を含む)→文法→発音という順序で進んでいったのはなぜだろうか.これについては明日の記事で.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
昨日の記事「#2759. Swift によるアカデミー設立案が通らなかった理由」 ([2016-11-15-1]) と関連して,英語アカデミー設立案にインスピレーションを与えたイタリアとフランスの先例と,それに匹敵する Johnson の辞書の価値について論じたい.
イギリスが英語アカデミーを設立しようと画策したのは,すでにイタリアとフランスにアカデミーの先例があったから,という理由が大きい.近代ヨーロッパ諸国は国語を「高める」こと (cf. 「#2741. ascertaining, refining, fixing」 ([2016-10-28-1])) に躍起であり,アカデミーという機関を通じてそれを実現しようと考えていた.先鞭をつけたのはイタリアである.イタリアには様々なアカデミーがあったが,最もよく知られているのは1582年に設立された Accademia della Crusca である.この機関は,1612年に Vocabolario degli Accademici della Crusca という辞書を出版し,何かと物議を醸したが,その後も改訂を重ねて,1691年には3冊分,1729--38年版では6冊分にまで成長した (Baugh and Cable 257) .
フランスでは,1635年に枢機卿 Richelieu がある文学サロンに特許状を与え,その集団(最大40名)は l'Académie française として知られるようになった.この機関は,辞書や文法書を編集することを目的の1つとして掲げており,作業は遅々としていたものの,1694年には辞書が出版されるに至った (Baugh and Cable 257) .
このように,イタリアやフランスでは17世紀中にアカデミーの力により業績が積み上げられていたが,同じ頃,イギリスではアカデミー設立の提案すらなされていなかったのである.その後,1712年に Swift により提案がなされたが,結果として流れた経緯については昨日の記事で述べた.しかし,さらに後の1755年には,アカデミーによらず,Johnson 個人の力で,イタリア語やフランス語の辞書に匹敵する英語の辞書が出版されるに至った.Johnson の知人 David Garrick は,次のエピグラムを残している (Baugh and Cable 267) .
And Johnson, well arm'd like a hero of yore,
Has beat forty French, and will beat forty more.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
Swift による A Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue (1712) は,英語のアカデミー (academy) 設立に向けて最も近いところまで迫る試みだった.すでに17世紀前半には英語アカデミーを求める声は上がっており,18世紀初頭の Swift の提案においてピークを迎えたにせよ,その後の18世紀中もアカデミー設立の要求はそう簡単には消滅しなかった.しかし,歴史を振り返ってみれば,Swift の提案が通らなかったことにより,アカデミー設立案が永遠に潰えることになった,とは言ってよいだろう.では,なぜ Swift の提案は流れたのだろうか.
そこには,個人的で政治的な論争や Anne 女王の死という事情があった.Baugh and Cable (262) に次のように述べられている.
Apparently the only dissenting voice was that of John Oldmixon, who, in the same year that Swift's Proposal appeared, published Reflections on Dr. Swift's Letter to the Earl of Oxford, about the English Tongue. It was a violent Whig attack inspired by purely political motives. He says, "I do here in the Name of all the Whigs, protest against all and everything done or to be done in it, by him or in his Name." Much in the thirty-five pages is a personal attack on Swift, in which he quotes passages from the Tale of a Tub as examples of vulgar English, to show that Swift was no fit person to suggest standards for the language. And he ridicules the idea that anything can be done to prevent languages from changing. "I should rejoice with him, if a way could be found out to fix our Language for ever, that like the Spanish cloak, it might always be in Fashion." But such a thing is impossible.
Oldmixon's attack was not directed against the idea of an academy. He approves of the design, "which must be own'd to be very good in itself." Yet nothing came of Swift's Proposal. The explanation of its failure in the Dublin edition is probably correct; at least it represented contemporary opinion. "It is well known," it says, "that if the Queen had lived a year or two longer, this proposal would, in all probability, have taken effect. For the Lord Treasurer had already nominated several persons without distinction of quality or party, who were to compose a society for the purposes mentioned by the author; and resolved to use his credit with her majesty, that a fund should be applied to support the expense of a large room, where the society should meet, and for other incidents. But this scheme fell to the ground, partly by the dissensions among the great men at court; but chiefly by the lamented death of that glorious princess."
つまり,Swift の提案の内容それ自体が問題だったというわけではないのである.アカデミー設立は多くの人々の願いでもあったし,事は着々と進んでいた.ただ,政治的な点において Swift に反対する人物が声高に叫び,意見の不一致が生まれたということ,そして何よりも,アカデミー設立に向けて動き出していた Anne 女王が1714年に亡くなったことが,Swift の運の尽きだった.
「上から」の英語アカデミーがついに作られなかったことにより,18世紀からは「下から」の言語規範の策定が進んでいくことになる (see 「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1]), 「#1421. Johnson の言語観」 ([2013-03-18-1]), 「#141. 18世紀の規範は理性か慣用か」 ([2009-09-15-1])) .イギリスは,アカデミーを作る意志がなかったわけではなく,半ば歴史の偶然で作るに至らなかった,と評価するのが適切だろう.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
「#2743. 貨幣と言語」 ([2016-10-30-1]) に引き続き,"LANGUAGE IS MONEY" の概念メタファーについて.貨幣と言語の共通点を考えることで,この比喩のどこまでが有効で,どこからが無効なのか,そして特に言語の本質とは何なのかについて議論するきっかけとしたい.以下は,ナイジェル・トッド (152--67) の貨幣論における言語のアナロジーを扱った部分などを参照しつつ,貨幣と言語の機能に関する対応について,自分なりにブレストした結果である.
貨幣 | 言語 |
---|---|
貨幣は社会に流通する | 言語は社会に流通する |
物流の活発化に貢献 | (主として書き言葉により)情報の活発化に貢献 |
貨幣統一(cf. 日本史では家康が650年振りに「寛永通宝」など) | 言語の標準化(cf. 英語史では書き言葉の標準化が400?500年振りに) |
撰銭(種々の貨幣から良質のものを選る) | 言語の標準化にむけての "selection" (cf. 「#2745. Haugen の言語標準化の4段階 (2)」 ([2016-11-01-1])) |
貨幣の改鋳 | 言語の "refinement" (cf. 「#2745. Haugen の言語標準化の4段階 (2)」 ([2016-11-01-1])) |
貨幣システムはゼロサムではない(使用者間の信用創造が可能) | 言語システムはゼロサムではない(使用者間の関係創造が可能) |
貨幣はどのような相互行為においても使用できるわけではない | 言語はどのような相互行為においても使用できるわけではない |
非即時交換性を実現する掛け売り,付けでの支払い(cf. 通帳) | 書き言葉により可能となる非同期コミュニケーション |
貨幣は価値を貯蔵できる(=貯金) | 言語は価値を貯蔵できる(=記憶)? |
金貨,銀貨,銭貨,紙幣のあいだの換金性 | 言語(変種)間の翻訳可能性 |
偽造・変造・私銭の違法性 | 規範から外れた語法に対する批判 |
貨幣の収集(趣味のコレクション;貨幣で貨幣を買う) | 語彙の収集(メタ言語的な関心;言語で言語を説明する) |
貨幣は諸悪の根源 | 言葉は諸悪の根源? |
貨幣の魔術性(魔除け,悪魔払い;cf. 硬貨に記された言葉や絵) | 言語の魔術性 |
商品価値のシンボルのなかのシンボル | 概念価値のシンボルのなかのシンボル? (cf. semantic primitive) |
英語史上有名な Swift による A Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue (1712) では,題名に3つの異なる動詞 correct, improve, ascertain が用いられている.英語を「訂正」し,「改善」し,「確定する」ことを狙ったものであることが分かる.「英語の言葉遣いをきっちりと定める」という点では共通しているが,これらの動詞の間にはどのような含意の差があるのだろうか.correct には「誤りを指摘して正しいものに直す」という含意があり,improve には「より良くする」,そして ascertain には古い語義として「確定させる」ほどの意味が感じられる.
この3つの動詞とぴったり重なるわけではないが,Swift の生きた規範主義の時代に,「英語の言葉遣いをきっちりと定める」ほどの意味でよく用いられた,もう1揃いの3動詞がある.ascertain, refine, fix の3つだ.Baugh and Cable (251) によれば,それぞれは次のような意味で用いられる.
・ ascertain: "to reduce the language to rule and set up a standard of correct usage"
・ refine: "to refine it--- that is, to remove supposed defects and introduce certain improvements"
・ fix: "to fix it permanently in the desired form"
「英語の言葉遣いをきっちりと定める」点で共通しているように見えるが,注目している側面は異なる.ascertain はいわゆる理性的で正しい標準語の策定を狙ったもので,Johnson は ascertainment を "a settled rule; an established standard" と定義づけている.具体的にいえば,決定版となる辞書や文法書を出版することを指した.
次に,refine はいわばより美しい言葉遣いを目指したものである.当時の知識人の間には Chaucer の時代やエリザベス朝の英語こそが優雅で権威ある英語であるというノスタルジックな英語観があり,当代の英語は随分と堕落してしまったという感覚があったのである.ここには,「#1947. Swift の clipping 批判」([2014-08-26-1]) や「#1948. Addison の clipping 批判」 ([2014-08-27-1]) も含まれるだろう.
最後に,fix は一度確定した言葉遣いを永遠に凍結しようとしたもの,ととらえておけばよい.Swift を始めとする18世紀前半の書き手たちは,自らの書いた文章が永遠に凍結されることを本気で願っていたのである.今から考えれば,まったく現実味のない願いではある (cf. 「#1421. Johnson の言語観」 ([2013-03-18-1])) .
18世紀の規範主義者の間には,どの側面に力点を置いて持論を展開しているのかについて違いが見られるので,これらの動詞とその意味は区別しておく必要がある.
最近「美しい日本語」が声高に叫ばれているが,これは日本語について ascertain, refine, fix のいずれの側面に対応するものなのだろうか.あるいは,3つのいずれでもないその他の側面なのだろうか.よく分からないところではある.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
アメリカ英語母語話者はイギリス英語母語話者よりも規範的な文法や語法を重視する傾向が強いといわれる.アメリカ英語に蔓延する規範主義的な性格は,「#897. Web3 の出版から50年」 ([2011-10-11-1]) や「#1304. アメリカ英語の「保守性」」 ([2012-11-21-1]) でも述べたように,伝統といえるものである.これには様々な歴史的理由があると思われるが,古典的英語史書の著者 Algeo and Pyles (209--10) が,英米を対比しながら社会言語学な価値の在処という観点から1つの見解を示している.
Perhaps because pronunciation is less important in America than it is in Britain as a mark of social status, American attitudes toward language put somewhat greater stress on grammatical "correctness," based on such matters as the supposed "proper" position of only and other shibboleths.
Algeo and Pyles は何気なくこの見解を述べたのかもしれないが,この発言の背後には「いずれの共同体においても何らかの社会言語学的な区別はあるものだ」という前提があるように思われる.イギリスには主として階級を標示するものとしての発音の差異があり,アメリカには主として教養や道徳の有無を標示するものとしての文法の差異があるのだ,と.社会言語学的な区別の種類と手段こそ両国のあいだで異なるが,いずれにせよ存在はする,という主張だ.
議論のためにこの見解を受け入れるとしても,なぜその手段がイギリスでは発音であり,アメリカでは文法であるのかという問題は残る.これは英語歴史社会言語学の興味深いトピックになりそうだが,ここでは歴史を離れて通言語的な観点から示唆に富む見解を1つ提示してみよう.それは,「#1503. 統語,語彙,発音の社会言語学的役割」 ([2013-06-08-1]) で紹介した Hudson の遠大な仮説に関係する.
Hudson (45) は,文法,語彙,発音の典型的な社会言語学的役割に,それぞれ「団結を表わす」「相違を表わす」「アイデンティティを表わす」機能があるのではないかと考えている.もしこの仮説を信じるならば,発音の差異が重要な社会的意味をもつイギリスでは,話者が自らの属する階級を標示することを重視する傾向があるということが示唆され,一方,文法の差異が意味をもつアメリカでは,話者が社会的結束の標示を重視する傾向があるということが示唆される.単純化して解釈すれば,イギリスでは所属する階級への帰属意識が重視され,アメリカでは国家への帰順が重視される,ということになろうか.
もちろん Hudson の仮説は純然たる仮説であり,このように議論を進めることは短絡的だろう.しかし,speculation としては実におもしろい.
・ Algeo, John, and Thomas Pyles. The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Thomson Wadsworth, 2005.
・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.
政治的に公正な言語改革 ("politically correct" language reform) は,1970年代以降,英語の世界で様々な議論を呼び,実際に人々の言葉遣いを変えてきた.その過程で "political_correctness" という表現に手垢がついてきて,21世紀に入ってからは,かぎ括弧つきで表わさないと誤解されるほどまでになってきている."PC" という用語は意味の悪化 (semantic pejoration) を経たということであり,当初の言語改革への努力を指示するものとしてではなく,あまりに神経質で無用な言葉遣いを指すものとしてとらえられるようになってしまった.代わりの用語としては,性の問題に関する限り,"nonsexist language reform" という表現を用いておくのが妥当かもしれない.
"PC" が嘲りの対象にまで矮小化されたのは,多くの人々がその改革の「公正さ」に胡散臭さを感じたためであり,その検閲官風の態度に自由を脅かされる危機感を感じたためだろう.Curzan (114) は,現在PC言語改革が低く評価されていることに関して,その背景を次のように指摘している.
Politically correct language and the efforts to promote it are regularly ridiculed in the public arena. Fabricated language reforms such as personhole cover for manhole cover and vertically challenged for short are held up as symptomatic of the movement's excesses. I call these fabricated because I have never actually heard any advocate of nonsexist language reform seriously propose personhole cover or anyone proposing any kind of language reform make a serious case for vertically challenged. Yet they can show up side by side with more common, even at this point mainstream reforms such as Native American for Indian, African American for Black. If Urban Dictionary provides a snapshot of attitudes about the term political correctness, the term's negative connotations have gone beyond silly and unnecessary and now include manipulative, harmful, and silencing. The first definition in Urban Dictionary in Fall 2012 (which means it had the best ratio of thumbs up to thumbs down) read: "Organized Orwellian intolerance and stupidity, disguised as compassionate liberalism." It goes on to note: "Political correctness is most well known as an institutional excuse for the harassment and exclusion of people with differing political views." Subsequent definitions link politically correct language to censorship and "the death of comedy."
PC言語改革の高まりによって言葉遣いに関して何が変わったかといえば,新たな語句が生まれたということ以上に,個人がそのような言葉遣いを選ぶという行為そのものに政治的色彩がにじまざるを得なくなったということが挙げられる.一々の言語使用において,PC term と non-PC term の選択肢のいずれを採用するかという圧力を感じざるを得ない状況になってしまった.個人は中立を示す方法を失ってしまったといってもよい.Curzan (115) 曰く,"Politically correct language efforts force speakers to confront the fact that words are not neutral conveyors of intended meaning; words in and of themselves carry information about speaker attitudes and much more. Politically correct language asks speakers to use care in avoiding bias in their language choices and to respect the preferences of underrepresented groups in terms of the language used to refer to them."
以上の経緯でPC言語改革の社会的な評価が下がってきたのは事実だが,言語変化,あるいは言語使用の変化という観点からいえば,きわめて人為的な変化にもかかわらず,この数十年のあいだに著しい成功を収めてきた稀な事例といえる.一般に,正書法の改革や語彙の改革など言語に関する意図的な介入が成功する例は,きわめて稀である.数少ない成功例では,およそ人々の間に改革を支持する雰囲気が醸成されている.それを権力側が何らかの形でバックアップしたり追随することで,改革が進んでいくのである.非性差別的言語改革は,少なくとも公的な書き言葉というレジスターにおいて部分的ではあるといえ奏功し,非常に短い期間で人々の言葉遣いを変えてきた.このこと自体は,目を見張る結果と評価してもよいのかもしれない.Curzan (116) もこの速度について,"The speed with which some politically responsive language efforts have changed Modern English usage is remarkable." と評価している.
・ Curzan, Anne. Fixing English: Prescriptivism and Language History. Cambridge: CUP, 2014.
昨日の記事「#2630. 規範主義を英語史(記述)に統合することについて」 ([2016-07-09-1]) で,Curzan による新しい英語史観を紹介した.規範主義を英語史記述の欠くべからざる要素としてとらえる視点は,もっと強調されてよい.その Curzan が,"the power of prescriptivism, regardless of its specific aims and desired outcomes, to shape the English language and the sociolinguistic contexts in which the English language is written and spoken" (3--4) を指摘した上で,言語を川に,規範主義を堤防になぞらえる秀逸な比喩を示している.古くから言語を川に喩える謂いは存在しており,「#449. Vendryes 曰く「言語は川である」」 ([2010-07-20-1]),「#1722. Pisani 曰く「言語は大河である」」 ([2014-01-13-1]),「#1578. 言語は何に喩えられてきたか」 ([2013-08-22-1]) で取り上げてきた通りだが,Curzan の比喩は従来のものとは視点が異なっている.
An analogy may be useful here. If we imagine a living language as a river, constantly in motion, prescriptivism is often framed as the attempt to construct a dam that will stop the river in its tracks. But, linguists point out, the river is too wide and strong, too creative and ever changing, and it runs over any such dam. However, if we imagine prescriptivism as building not just dams but also embankments or levees along the sides of the river to control water levels and breakwaters that attempt to redirect the flow of the river, it becomes easier to see how prescriptivism may be able to affect how the language changes. The river may flood the embankment or spill over the breakwater, but that motion will be different due to the sheer presence of the barriers. And even if prescriptivism is seen as only the dam, which is then overwhelmed by the power of the river, the sheer presence of the dam affects the flow of the river. In this way, the consciously created structures around or in the river, like prescriptive language efforts, constitute one of many factors that must be accounted for to understand the patterns of the river's movement --- or of a language's development over time. (Curzan 4)
もちろん,比喩であるから,どこまでも通用するものではない.例えば,言語を川に喩えてしまうと,言語における話者の存在や役割が見えなくなってしまう.言語における話者は,川でいえば何に相当するのだろうか.また,英語という言語は1つの川ではないことに注意が必要である.この点では,多数の支流が同時に流れている複合的な大河を想像するほうが妥当だろう(「#1722. Pisani 曰く「言語は大河である」」 ([2014-01-13-1]) も参照).
堤防やダムが川の流れにどの程度影響を与えうるのかは,その時々によって異なるだろう.しかし,堤防やダムがまったくない場合に比べれば,その効果がいかに小さいものであれ,なにがしか水流は異なるはずだろう.この気づきが肝心のように思われる.
・ Curzan, Anne. Fixing English: Prescriptivism and Language History. Cambridge: CUP, 2014.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow