ここ数日間,英語史上にもインパクトのあった黒死病 (black_death) について集中的に考えてきた.関連して蔵持著『ペストの文化誌』を読んでいたときに,衛生観念と言語の正誤の観念に似ている側面があることに気づいた.
蔵持 (326) によれば,清潔と不潔という観念が生じたのはルネサンス以降であり,その対立の秩序,すなわち衛生観念が本格的に現われたのは18世紀中葉から19世紀初頭だろうという.その議論で,次のように述べている (325) .
象徴人類学者のメアリー・ダグラスによれば,「汚れとは,絶対に唯一かつ孤絶した事象ではありえない.つまり,汚れがあるところには必ず体系が存在するのだ.秩序が不適当な要素の拒否を意味するかぎりにおいて,汚れとは事物の体系的秩序づけと分類との副産物」だという.ありていにいえば,汚れもまた,それが不潔なものとして除去されるには,汚れを忌避すべきものと意味づけする,集団的ないし個人的な清潔への意識の秩序が存在しなければならない.時には,清浄=祓穢という優れて儀礼的なカタルシスに突き動かされた,感性と想像力の秩序が不可欠ともなる.
汚れを汚れと感じるためには,対置される清潔に対する感受性が必要である.不潔と清潔は「衛生観念」という秩序のもとで常にペアである.これは構造主義の発想そのものだ.
同じことは,文法や語法の正誤についても言える.誤りを誤りと感じるためには,対置される正用に対する感受性が必要である.誤りと正しさは「言語的衛生観念」という秩序のもとで常にペアである.
英語の文法や語法の正誤の観念が明確に現われたのは,奇しくも18世紀中葉から19世紀初頭,次々と規範文法書が出版された時代である.それより前の時代には,明確な意味での言語上の「誤用」と「正用」はなかったといってよい.文法の「誤り」とは,18世紀の文法書が生み出した「不潔」のことだったのである.
・ 蔵持 不三也 『ペストの文化誌 ヨーロッパの民衆文化と疫病』 朝日新聞社〈朝日選書〉,1995年.
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