[2010-03-12-1]の記事で英語話者人口の「銀杏の葉モデル」を提起したときにも示唆したが,中英語期から近代英語期に移り変わる1500年頃をもって,一見したところ英語史の主要な部分が終焉したかのような印象がある.もっとも,私の関心は特に初期中英語辺りの時代であり,この印象はその視野の偏狭さからくる不当な印象だろうとも疑っている.実際,近年の英語史研究では電子テキストが入手可能になってきた関係で,近代英語期以降の研究もますます盛り上がってきている.その勢いと将来性という点で,私も魅せられるところがある.
しかし,上述の印象は必ずしも理由なきものではない.思いついた理由をいくつか掲げてみたい.
(1) 言語としての型を変えるほどの大変化(総合から分析へのシフト)が中英語期以前に起こっており,それと比較すると近代英語期以降の言語変化は小さいものに見えてしまうのも仕方がない.(←しかし,英語史上のもう一つの大変化である大母音推移は,十分に近代英語期にまで食い込んでいるという指摘はありうる.)
(2) 英語にとりわけ深く影響を与えた古ノルド語とフランス語の影響が,やはり中英語期以前に起こっており,その他の言語接触は本質的でないように見える.(←近代英語期のラテン借用や世界の言語からの影響をどう評価するかにより,異論はありうる.)
(3) 近代英語期以降の研究は,change ( diachronic ) よりも variation ( synchronic, geographic, sociolinguistic ) に焦点を当てる傾向がある.より正確には,各テキストの背景状況が記録されていることが多いこともあり,variation に焦点を当てやすいという事情がある.それゆえに,diachronic な研究であったとしても,diachronic な観点が他の観点によって相対的に薄められるということがあるのかもしれない.
(4) 現代英語そのものが歴史的な存在というよりも地理的な広がりとして存在するという,近年の World Englishes 的な考え方に後押しされて,その地理的な拡大の契機を作った近代英語期あたりから現在までが一つの epoch であるという捉え方が存在する.
Svartvik and Leech を読んでいて,この印象が私だけのものではないということもはっきりした.上記と主旨が重複するものもあるが,三点を引用によって示したい.いずれも,"The 'End of History'?" ( 65--67 ) なる節からの引用である.
. . . the essential ingredients of present-day English had already been determined by 1800. Unlike previous centuries, the nineteenth and twentieth centuries brought no new influences to compare with the profound impact of Old Norse, Norman French, Latin and Greek. (65)
. . . English has moved from being a language mainly under the influence of others to a language which influences others. All around the world, as we will see in Chapter 12, English is impacting on other languages. In the worldwide commerce of vocabulary, English is now primarily a creditor language, not a debtor one. (66)
. . . the last 250 years have seen less dramatic changes in the standard language than occurred in earlier times. . . . The language has not been 'fixed', but it has been codified. (67)
・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006.
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