hellog〜英語史ブログ     ChangeLog 最新     カテゴリ最新     前ページ 1 2 3 4 5 次ページ / page 4 (5)

pragmatics - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2020-02-18 07:53

2014-10-07 Tue

#1989. 機能的な観点からみる借用の尺度 [borrowing][contact][pragmatics][discourse_marker][subjectification][intersubjectification][evolution]

 言語接触の分野では,借用されやすい言語項はあるかという問題,すなわち借用尺度 (scale of adoptability, or borrowability scale) の問題を巡って議論が繰り広げられてきた.Thomason and Kaufman は借用され得ない言語項はないと明言しているが,そうだとしても借用されやすい項目とそうでない項目があることは認めている.「#902. 借用されやすい言語項目」 ([2011-10-16-1]),「#1780. 言語接触と借用の尺度」 ([2014-03-12-1]) などで議論の一端をみてきたが,いずれも形式的な基準による尺度だった.およそ,語を代表とする自立性の高い形態が最も借用されやすく,次に派生形態素,屈折形態素などの拘束された形態が続くといった順序だ.そのなかに音韻,統語,意味などの借用も混じってくるが,これらは順序としては比較的後のほうである.
 自立語が最も借用されやすく統語的な文法項目が最も借用されにくいという形式的な尺度は,直感的にも受け入れやすく,個々の例外的な事例はあるにせよ,およそ同意されているといってよいだろう.ところで,形式的な基準ではなく機能的な基準による借用尺度というものはあり得るだろうか.この点について Matras (209--10) が興味深い指摘をしている.

. . . it was proposed that borrowing hierarchies are sensitive to functional properties of discourse organization and speaker-hearer interaction. Items expressing contrast and change are more likely to be borrowed than items expressing addition and continuation. Discourse markers such as tags and interjections are on the whole more likely to be borrowed than conjunctions, and categories expressing attitudes to propositions (such as focus particles, phrasal adverbs like still or already, or modals) are more likely to be borrowed than categories that are part of the propositional content itself (such as prepositions, or adverbs of time and place). Contact susceptibility is thus stronger in categories that convey a stronger link to hearer expectations, indicating that contact-related change is initiated through the convergence of communication patterns . . . . In the domain of phonology and phonetics, sentence melody, intonation and tones appear more susceptible to borrowing than segmental features. One might take this a step further and suggest that contact first affects those functions of language that are primary or, in evolutionary perspective, primitive. Reacting to external stimuli, seeking attention, and seeking common ground with a counterpart or interlocutor. Contact-induced language change thus has the potential to help illuminate the internal composition of the grammatical apparatus, and indeed even its evolution.


 付加詞や間投詞をはじめとする談話標識 (discourse_marker) や態度を表わす小辞など,聞き手を意識したコミュニケーション上の機能をもつ表現のほうが,命題的・指示的な機能をもつ表現よりも借用されやすいという指摘である.だが,談話標識はたいてい文の他の要素から独立している,あるいは完全に独立してはいなくとも,ある程度の分離可能性は保持している.つまり,この機能的な基準による尺度は,統語形態的な独立性や自由度と関連している限りにおいて,従来の形式的な基準による尺度とは矛盾しない.むしろ,従来の形式的な基準のなかに取り込まれる格好になるのではないか.
 と,そこまで考察したところで,しかし,上の引用の後半で述べられている言語音に関する借用尺度のくだりでは,分節音よりも「かぶさり音韻」である種々の韻律的要素のほうが借用されやすいとある.従来の形式的な基準では,分節音や音素の借用への言及はあったが,韻律的要素の借用はほとんど話題にされたことがないのではないか(昨日の記事「#1988. 借用語研究の to-do list (2)」 ([2014-10-06-1]) の (6) を参照).韻律的要素が相対的に借用されやすいという指摘と合わせて,引用の前半部分の内容を評価すると,機能的な借用尺度の提案に一貫性が感じられる.話し手と聞き手のコミュニケーションに直接関与する言語項,言い換えれば(間)主観性を含む言語項が,そうでないものよりも借用されやすいというのは,言語の機能という観点からみて,確かに合理的だ.言語の進化 (evolution) への洞察にも及んでおり,刺激的な説である.
 このように一見なるほどと思わせる説ではあるが,借用された項目の数という点からみると,discourse marker 等の借用は,それ以外の命題的・指示的な機能をもつ表現(典型的には名詞や動詞)と比べて,圧倒的に少ないことは疑いようがない.形式的な基準と機能的な基準が相互にどのような関係で作用し,借用尺度を構成しているのか.多くの事例研究が必要になってくるだろう.

 ・ Matras, Yaron. "Language Contact." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 203--14.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-10-06 Mon

#1988. 借用語研究の to-do list (2) [loan_word][borrowing][contact][pragmatics][methodology][bilingualism][code-switching][discourse_marker]

 Treffers-Daller の借用に関する論文および Meeuwis and Östman の言語接触に関する論文を読み,「#1778. 借用語研究の to-do list」 ([2014-03-10-1]) に付け足すべき項目が多々あることを知った.以下に,いくつか整理してみる.

 (1) 借用には言語変化の過程の1つとして考察すべき諸側面があるが,従来の研究では主として言語内的な側面が注目されてきた.言語接触の話題であるにもかかわらず,言語外的な側面の考察,社会言語学的な視点が足りなかったのではないか.具体的には,借用の契機,拡散,評価の研究が遅れている.Treffers-Dalle (17--18) の以下の指摘がわかりやすい.

. . . researchers have mainly focused on what Weinreich, Herzog and Labov (1968) have called the embedding problem and the constraints problem. . . . Other questions have received less systematic attention. The actuation problem and the transition problem (how and when do borrowed features enter the borrowing language and how do they spread through the system and among different groups of borrowing language speakers) have only recently been studied. The evaluation problem (the subjective evaluation of borrowing by different speaker groups) has not been investigated in much detail, even though many researchers report that borrowing is evaluated negatively.


 (2) 借用研究のみならず言語接触のテーマ全体に関わるが,近年はインターネットをはじめとするメディアの発展により,借用の起こる物理的な場所の存在が前提とされなくなってきた.つまり,接触の質が変わってきたということであり,この変化は借用(語)の質と量にも影響を及ぼすだろう.

Due to modern advances in telecommunication and information technology and to more extensive traveling, members within such groupings, although not being physically adjacent, come into close contact with one another, and their language and communicative behaviors in general take on features from a joint pool . . . . (Meeuwis and Östman 38)


 (3) 量的な研究.「#902. 借用されやすい言語項目」 ([2011-10-16-1]) で示した "scale of adoptability" (or "borrowability scale") の仮説について,2言語使用者の話し言葉コーパスを用いて検証することができるようになってきた.Ottawa-Hull のフランス語における英語借用や,フランス語とオランダ語の2言語コーパスにおける借用の傾向,スペイン語とケチュア語の2限後コーパスにおける分析などが現われ始めている.

 (4) 語用論における借用という新たなジャンルが切り開かれつつある.いまだ研究の数は少ないが,2言語使用者による談話標識 (discourse marker) や談話機能の借用の事例が報告されている.

 (5) 上記の (3) と (4) とも関係するが,2言語使用者の借用に際する心理言語学的なアプローチも比較的新しい分野である.「#1661. 借用と code-switching の狭間」 ([2013-11-13-1]) で覗いたように,code-switching との関連が問題となる.

 (6) イントネーションやリズムなど韻律的要素の借用全般.

 総じて最新の借用研究は,言語体系との関連において見るというよりは,話者個人あるいは社会との関連において見る方向へ推移してきているようだ.また,結果としての借用語 (loanword) に注目するというよりは,過程としての借用 (borrowing) に注目するという関心の変化もあるようだ.
 私個人としては,従来型の言語体系との関連においての借用の研究にしても,まだ足りないところはあると考えている.例えば,意味借用 (semantic loan) などは,多く開拓の余地が残されていると思っている.

 ・ Treffers-Daller, Jeanine. "Borrowing." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 17--35.
 ・ Meeuwis, Michael and Jan-Ola Östman. "Contact Linguistics." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 36--45.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-10-02 Thu

#1984. 会話的含意と意味変化 [semantic_change][pragmatics][implicature][polysemy][cooperative_principle][metonymy][metaphor]

 「#1976. 会話的含意とその他の様々な含意」 ([2014-09-24-1]) で,異なる種類の含意 (implicature) を整理した.このなかでも特に相互の区別が問題となるのは,Grice の particularized conversational implicature, generalized conversational implicature, conventional implicature の3種である.これらの含意は,この順序で形態との結びつきが強くなり,慣習化あるいはコード化の度合いが高くなる.
 ところで,これらの語用論的な含意と意味変化や多義化とは密接に結びついている.意味変化や多義化は,ある形態(ここでは語を例にとる)と結びつけられている既存の語義に,新しい語義が付け加わったり,古い語義が消失していく過程である.意味変化を構成する基本的な過程には2つある (Kearns 123) .

 (1) Fa > Fab: Form F with sense a acquires an additional sense b
 (2) Fab > Fb: Form F with senses a and b loses sense a

 (1) はある形態 F に結びつけられた語義 a に,新語義 b が加えられる過程,(2) はある形態 F に結びつけられた語義 ab から語義 a が失われる過程だ.(1) と (2) が継起すれば,結果として Fa から Fb へと語義が推移したことになる.特に重要なのは,新らしい語義が加わる (1) の過程である.いかにして,F と関連づけられた a の上に b が加わるのだろうか.
 ここで上記の種々の含意に参加してもらおう.particularized conversational implicature では,文字通りの意味 a をもとに,推論・計算によって含意,すなわち a とは異なる意味 b が導き出される.しかし,それは会話における単発の含意にすぎず,形態との結びつきは弱いため,定式化すれば F を伴わない「a > ab」という過程だろう.一方,conventional implicature は,形態と強く結びついた含意,もっといえば語にコード化された意味であるから,意味変化の観点からは,変化が完了した後の安定した状態,ここでは Fab という状態に対応する.では,この2つの間を取り持ち,意味変化の動的な過程,すなわち (1) で定式化された「Fa > Fab」の過程に対応するものは何だろうか.それは generalized conversational implicature である.generalized conversational implicature は,意味変化の過程の第1段階に関わる重要な種類の含意ということになる.
 会話的含意と意味変化の接点はほかにもある.例えば,意味変化の典型的なパターンである一般化 (generalisation) と特殊化 (specialisation) (cf. 「#473. 意味変化の典型的なパターン」 ([2010-08-13-1])) は,協調の原則 (cooperative principle) に基づく含意という観点から論じることができる.Grice を受けて協調の原則を発展させた新 Grice 派 (neo-Gricean) の Horn は,一般化は例外なく,そして特殊化も主として R[elation]-principle ("Make your contribution necessary.") によって説明されるという (Kearns 129--31) .
 Kearns は,implicature と metonymy や metaphor との関係についても論じている.そして,意味変化における implicature の役割の普遍性について,次のように締めくくっている.

. . . if implicature is construed broadly to subsume all the inferential processes available in language use, then most, perhaps all of the major types of semantic change can be attributed to implicature. Differentiating more finely, metaphor and metonymy (which are themselves not always readily distinguishable) produce the ambiguity or polysemy pattern of added meaning, in contrast to the merger pattern, which is commonly attributed to information-strengthening generalized conversational implicature . . . . On an alternative view, implicature (narrowly construed) and metonymy are grouped together in contrast to metaphor, on the grounds that the two former mechanisms are based on sense contiguity, while metaphor is based on sense comparison or analogy. (139)


 ・ Kearns, Kate. "Implicature and Language Change" Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 123--40.

Referrer (Inside): [2019-04-07-1] [2015-04-14-1]

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-09-24 Wed

#1976. 会話的含意とその他の様々な含意 [pragmatics][implicature][cooperative_principle]

 語用論で話題とされる含意 (implicature) には様々なものがある.最もよく知られているのは Grice 流の会話的含意 (conversational implicature) だが,その位置づけは,他の種類の含意との関係において理解する必要がある.様々な種類の含意は,Levinson に拠った春木 (45) が以下のように整理している.

System of Implicature

 まず,発話 (utterance) は,意味論的に解釈される文字通りの意味 (what is said) と,語用論的に解釈される含意 (implicature) とに分かれる.含意は,大きく慣習的含意 (conventional implicature) とそれ以外に分かれる.Grice 以降,慣習的含意の有無については議論があるが,but のもつ対比や逆接の意味などが慣習的含意の典型とされる.John is rich but he is modest. という文における butand に置き換えても,命題の真理条件は影響を受けない.しかし,butand とでは文の意味は直感的に明らかに異なる.Grice は,but の使用によって生じる対比や逆接の意味は,but が語としてもっている(記号化している)慣習的含意によるものだと考えた.協調の原則 (cooperative principle) や会話の公準 (maxims of conversation) を経由しない,語に埋め込まれた含意である
 次に,非慣習的含意の下に,有名な会話的含意 (conversational implicature) が位置づけられるが,それと並んであまり知られていない非会話的含意 (non-conversational implicature) なるものがある.これは,Grice の協調の原則と会話の公準からは漏れるが,その他に認められる種々の公準 ("Be polite" であるとか,"aesthetic, social, or moral in character" などの特徴をもつもの)による含意のことである.
 さて,会話的含意の下には,特定の会話内で単発に生じる特殊化された会話的含意 (particularlized conversational implicature) と,より広く頻繁に観察される一般化された会話的含意 (generalized conversational implicature) が区別される.例えば,夫婦喧嘩で妻が I'm very happy to have married you. と言えば皮肉となるが,幸せな結婚10周年のお祝いでは皮肉とならない.これは,場合によって皮肉の含意が生まれるという意味で,一般化されたものではなく特殊化された会話的含意の例である.一方,I ate some of the apples on the table. などの数量表現を含む文において典型的に,一般化された会話的含意が観察される.この文は,論理的にはテーブルにあるすべてのリンゴを食べた場合にも発することができる.しかし,その場合,嘘とはいわずとも妙な感じがするのは,"some" というからには "all" ではないはずだという一般化された会話的含意が汲み取られるからである.このような数量表現に関する一般化された会話的含意は,特に尺度含意 (scalar implicature) と呼ばれる.
 上記のように位置づけられる会話的含意には,7つの興味深い特性があるといわれる.

 (1) 取り消し可能性 (cancellability) .例えば,I ate some of the apples on the table. の直後に,In fact, I ate all of them. と付け加えて,上述の尺度含意を打ち消すことができる.
 (2) 発話内容からの分離不可能性 (non-detachability) .テストで0点を取った Jack に対して,You are a genius. は皮肉となるが,同じ文脈である限りにおいて You must win a Nobel prize. などの類義の文でもやはり皮肉となる.
 (3) 計算可能性 (calculability) .会話的含意は推論・計算であるから,時間や空間を越えて適用される.状況が同じであれば,推論・計算の過程も同じはずである.
 (4) 非慣習性 (non-conventionality) .会話的含意は,語に慣習的にエンコードされているのではなく,あくまで推論によって導かれるものである.
 (5) 伝達後明示可能性 (reinforceability) .The soup is warm. は尺度含意により "not hot" を含意するが,その後に付け加えて The soup is warm, not hot. としても冗長さは感じられない.含意の内容を後から実際に発話によって示すことが許容されるのである.
 (6) 普遍性 (universality) .言語を越えて,おそらく普遍的である.
 (7) 完全特定化不可能性 (not fully determinable) .推論・計算により生まれる含意なので,一意に特定することはできない.転義表現など,聴者だけでなく話者ですら含意を特定することができないケースもありうる.

 ・ 春木 茂宏 「会話における推論」 『語用論』(中島信夫(編)) 朝倉書店,2012年,33--52頁.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-09-23 Tue

#1975. 文法化研究の発展と拡大 (2) [grammaticalisation][unidirectionality][pragmatics][subjectification][invisible_hand][teleology][drift][reanalysis][iconicity][exaptation][terminology][toc]

 昨日の記事「#1974. 文法化研究の発展と拡大 (1)」 ([2014-09-22-1]) を受けて,文法化 (grammaticalisation) 研究の守備範囲の広さについて補足する.Bussmann (196--97) によると,文法化がとりわけ関心をもつ疑問には次のようなものがある.

(a) Is the change of meaning that is inherent to grammaticalization a process of desemanticization, or is it rather a case (at least in the early stages of grammaticalization) of a semantic and pragmatic concentration?
(b) What productive parts do metaphors and metonyms play in grammaticalization?
(c) What role does pragmatics play in grammaticalization?
(d) Are there any universal principles for the direction of grammaticalization, and, if so, what are they? Suggestions for such 'directed' principles include: (i) increasing schematicization; (ii) increasing generalization; (iii) increasing speaker-related meaning; and (iv) increasing conceptual subjectivity.


 昨日記した守備範囲と合わせて,文法化研究の潜在的なカバレッジの広さと波及効果の大きさを感じることができる.また,秋元 (vii) の目次より文法化理論に関連する用語を拾い出すだけでも,この分野が言語研究の根幹に関わる諸問題を含む大項目であることがわかるだろう.

第1章 文法化
1.1 序
1.2 文法化とそのメカニズム
1.2.1 語用論的推論 (Pragmatic inferencing)
1.2.2 漂白化 (Bleaching)
1.3 一方向性 (Unidirectionality)
1.3.1 一般化 (Generalization)
1.3.2 脱範疇化 (Decategorialization)
1.3.3 重層化 (Layering)
1.3.4 保持化 (Persistence)
1.3.5 分岐化 (Divergence)
1.3.6 特殊化 (Specialization)
1.3.7 再新化 (Renewal)
1.4 主観化 (Subjectification)
1.5 再分析 (Reanalysis)
1.6 クラインと文法化連鎖 (Grammaticalization chains)
1.7 文法化とアイコン性 (Iconicity)
1.8 文法化と外適応 (Exaptation)
1.9 文法化と「見えざる手」 (Invisible hand) 理論
1.10 文法化と「偏流」 (Drift) 論


 文法化は,主として言語の通時態に焦点を当てているが,一方で主として共時的な認知文法 (cognitive grammar) や機能文法 (functional grammar) とも親和性があり,通時態と共時態の交差点に立っている.そこが,何よりも魅力である.

 ・ Bussmann, Hadumod. Routledge Dictionary of Language and Linguistics. Trans. and ed. Gregory Trauth and Kerstin Kazzizi. London: Routledge, 1996.
 ・ 秋元 実治 『増補 文法化とイディオム化』 ひつじ書房,2014年.

Referrer (Inside): [2015-11-01-1] [2015-02-01-1]

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-09-17 Wed

#1969. 語の意味の成分分析の問題点 [componential_analysis][semantics][semantic_field][pragmatics][cognitive_linguistics][prototype]

 昨日の記事「#1968. 語の意味の成分分析」 ([2014-09-16-1]) で導入した componential_analysis には,語彙的関係や統語的・形態的な選択制限をスマートかつ経済的に記述できるという利点があるが,理論的には問題も多い.以下,厳しい批判を加えている Bolinger に主として依拠しながら,問題点を挙げる.

 (1) 理想的な成分分析が可能な意味場は限られており,大部分の語彙にはうまく適用できないのではないかという疑問がある.昨日の bachelor, spinster, woman, wife などに関する意味場において相互の概念的関係を表現するには,[MALE], [FEMALE], [UNMARRIED], [MARRIED] (より経済的には [±MALE], [±MARRIED])など比較的少数の成分を用いれば済む.同様に,親族名称 (kinship terms) など閉じられた意味場では,一般に効力を発揮するだろう.しかし,たいていの意味場はもっと開かれているし,そのなかの語彙関係を少数の成分で(否,実際には多数の成分をもってしても)的確に分析するのは極めて困難である.例えば,bird の意味場において,sparrow, penguin, ostrich は,それぞれどのように成分分析すれば互いの関係をスマートに示せるだろうか.上位語の bird に [+CAN FLY] を認めるならば,下位語の penguin はその成分をキャンセルして [-CAN FLY] としなければならないだろう.また,別の下位語 ostrich のために [±CAN RUN FAST] などという成分を認めるべきかなどという問題も生じるかもしれない.

 (2) 1つの語の多義をどのように表現するかという問題がある.bachelor には「独身男子」のほかにも,「若い騎士」「学士」「相手のいないオットセイ」の語義もある.これらを統一的に記述する方法はあるだろうか.Bolinger (557) は,Katz and Fodor の分析を引いて示している.

Componential Analysis of

 Katz and Fodor は,(Human), (Animal) などのかっこ付きで示される意味成分を "marker" と呼び,[who has never married] などの角かっこ付きで示される,その語義に固有の意味成分を "distinguisher" と呼んで区別した(distinguisher は,固有で特異であるとしてそれ以上分析することのできない要素とされているので,結局のところ,成分分析で押し切ることはできないことを認めてしまっていることになる!).しかし,どのレベルまでが marker で,どのレベルからが distinguisher かについて客観的に定めることは難しい.例えば,「若い騎士」と「相手のいないオットセイ」は,ともに「若い」という意味成分を共有していると考えられるので,(Young) という marker をくくり出すことも可能である.実際,Katz and Fodor は次のような成分分析を新提案として出している (Bolinger 559) .

Componential Analysis of

 だが,そうなると,どこまでも marker を増やしていき,distinguisher を下へ下へと追いやることも可能となってくる.例えば,「若い騎士」と「学士」はそれぞれ騎士制度と学位制度のなかで「低い階位」の意味成分を共有しているので,(Hierarchic), (Inferior) などの marker を設定することができるともいえる.半ば強引に marker を増やしていくと,例えば Bolinger (563) が批判混じりに示しているように,次のようなばかげた分析が可能となってくる.

Componential Analysis of

 distinguisher の領分を広げれば成分分析の手法そのものの価値が問われるし,marker を増やしていけば,このようにばかげた結果になってしまう.

 (3) "Henry became a bachelor in 1965." という文の bachelor の語義は「学士」以外にはありえないことを,話者は知っている.「(一度も結婚したことのない)独身男子」になる(ステータスを変える)ことはできないし,1965年には騎士制度はなかったし,Henry は人間だから,他の語義は自動的に排除される.しかし,とりわけ1965年に騎士制度はなかったという百科事典的な知識は,意味成分として埋め込むことは不適当のように思われる.semantics と pragmatics の境目,辞書的知識と百科事典的知識の境目という問題になってくるが,Katz and Fodor など成分分析を支持する生成意味論者はこの問題に正面から取り組んでいない.

 (4) 成分分析では,成分の有無,プラスかマイナスかという二項対立を基盤にしており,程度,連続体,中心と周辺,プロトタイプ (prototype) といった概念を取り込むことができない.また,成分分析はあくまで静的な分析なので,比喩など意味生成の動的な過程を扱うことができない.(それなのに,Katz and Fodor は「生成」意味論を標榜することができるのか?)

 上記の問題点は,新しく登場した認知意味論によって解決の糸口を与えられてゆく.とはいえ,成分分析のもつ記述のスマートさと経済性は,大きな魅力であり続けている.語の意味のすべてを成分の束として表現することは困難だとしても,特定の意味場において関連する語彙との異同関係を明示するという目的においては,威力を発揮する分析であることは間違いない.

 ・ Bolinger, D. "The Atomization of Meaning." Language 41 (1965): 555--73.

Referrer (Inside): [2015-10-27-1]

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-07-21 Mon

#1911. 黙説 [rhetoric][terminology][pragmatics][cooperative_principle]

 昨日の記事「#1910. 休止」 ([2014-07-20-1]) で触れたので,修辞学のトポスの1つとしての黙説(断絶法,頓絶法,話中頓絶,黙過;reticence, aposiopesis, silence)についれ触れておきたい.昨日は,発話における無音区間を言語学的機能という観点から取り上げたが,今日はそれを修辞的技法という観点から眺めたい.
 黙説とは,語らぬことによって語る言葉のあやだが,最初から語らないのでは話しにならない.語っている途中で突然黙ることに意味がある.続きが期待されるところで実際には続かないことにより,聞き手はサスペンス状態におかれる.聞き手は,続きを自らの力で補う立場に立たされる.いわば,いままで話し手の調子に合わせて気持ちよく波に乗っていたのに,予期せぬタイミングでバトンを渡されたという感じである.余韻や余情を感じさせられる程度で済むならばよいが,穴を埋めなければならない責任感を感じるほどにサスペンス状態に追い込まれたとすれば,聞き手はその後で主体的なメッセージ解読作業に参与していかざるをえない.こうなれば話し手にとっては,してやったりで,語らぬことにより実際に語る以上の効果を示すことができたというものである.
 以上の黙説の解説は,佐藤 (41) の秀逸な論考を拝借したものにすぎない.

すぐれた《黙説》表現は、表現の量を減少させることによって、意味の産出という仕事を半分読者に分担させる。受動的であった想像力に能動的な活動をもとめる。聞き手が謎解きに参加することによってはじめてことばの意味は活性化する……という原理は、なにも黙説のばあいだけのことではなく、そもそも言語による表現が成立するための根源的な条件であるが、レトリックの《黙説》はその原理を極端なかたちで表現しようとする冒険にほかならない。
 私たちはとかく、メッセージとは相手から受けとるものだと考えがちである。が、《黙説》は――すぐれた黙説は――、メッセージをその真の正体である「問いかけ」に変えるのだ。疑問文ばかりが問いかけなのではない。すべてのメッセージが問いかけなのである。


 黙説を含むレトリック技法の本領は,Grice の「#1122. 協調の原理」 ([2012-05-23-1]) (cooperative principle) に意図的に反することにより,会話の参与者にショックを与えることである.話し手は,聞き手の期待を裏切ることによって,聞き手を,それまで常識として疑うことのなかった会話の原理・原則にまで立ち返らせるのだ.佐藤が「すべてのメッセージが問いかけなのである」と述べているとおり,発せられるすべての文の先頭には,言外に "I ask you to understand what I am going to say: " や "Tell me what you have to say to what I am going to say: " が省略されていると考えることができる.語用論では,このような前置きに相当する表現を IFID (Illocutionary Force Indicating Device) と呼んでいるが,効果的に用いられた黙説は,それだけで強力な IFID の機能を果たしているということになる.
 休止や黙説は,すぐれて話し言葉的な現象と思われるかもしれないが,むしろ書き言葉にこそ巧みに応用されている.音声上はゼロにもかかわらず,書記上に反映されることがあるのだ.日本語の「……」しかり,英語の ". . . ." しかり.休止や黙説の担うコミュニケーション上の価値が無であるとすれば,表記する必要もないはずである.しかし,あえてそれが表記されるというのは,そこに談話上の意味がある証拠だろう.

 ・ 佐藤 信夫 『レトリック認識』 講談社,1992年.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-06-07 Sat

#1867. May the Queen live long! の語順 [word_order][syntax][auxiliary_verb][subjunctive][pragmatics][optative][may]

 現代英語には,助動詞 may を用いた祈願の構文がある.「女王万歳」を表わす標題の文のように,「may + 主語 + 動詞」という語順にするのが原則である.現在ではきわめて形式張った構文であり,例えば May you succeed! に対して,口語では I hope you'll succeed. ほどで済ませることが多い.中間的な言い方として,that 節のなかで may を用いる I hope you may succeed.I wish it may not prove true.Let us pray that peace may soon return to our troubled land. のような文も見られる.may の祈願(及び呪い)の用法の例を挙げよう.

 ・ May you be very happy! (ご多幸を祈ります.)
 ・ May the new year bring you happiness! (よいお年をお迎えください.)
 ・ May it please your honor! (恐れながら申し上げます.)
 ・ May he rest in peace! (彼の霊の安らかに眠らんことを.)
 ・ May you have a long and fruitful marriage. (末永く実りある結婚生活を送られますように.)
 ・ May all your Christmases be white! (ホワイトクリスマスでありますように.)
 ・ May I never see the like again! (こんなもの二度と見たくない.)
 ・ May his evil designs perish! (彼の邪悪な計画がくじかれますように.)
 ・ May you live to repent it! (今に後悔すればよい.)
 ・ May you rot in hell! (地獄に落ちろ.)


 しかし,上記の語順の原則から逸脱する,Much good may it do you! (それがせいぜいためになりますように.),Long may he reign. (彼が長く統治せんことを.),A merry Play. Which this may prove. (愉快な劇,これがそうあらんことを.)のような例もないわけではない.
 歴史的な観点からみると,法助動詞 may の祈願用法は,先立つ時代にその目的で用いられていた接続法動詞の代わりとして発展してきた経緯がある.また,先述の I hope you may succeed. のように,祈願の動詞に後続する that 節における用法からの発達という流れもある.これらの伏流が1500年辺りに合流し,近現代の「祈願の may」が現われた.OED では may, v. 1 の語義12がこの用法に該当するが,初例は16世紀初めのものである.最初期の数例を覗いてみよう.

   [1501 in A. W. Reed Early Tudor Drama (1926) 240 Wherfore that it may please your good lordship, the premisses tenderly considered to graunt a Writ of subpena to be directed [etc.].]
   1521 Petition in Hereford Munic. MSS (transcript) (O.E.D. Archive) I. ii. 5 Wherefore it may please you to ennacte [etc.; cf. 1582--3 Hereford Munic. MSS (transcript) II. 265 Maye [it] pleas yo(ur)r worshipes to caule].
   1570 M. Coulweber in J. W. Burgon Life Gresham II. 360 For so much as I was spoyled by the waye in cominge towards England by the Duke of Alva his frebetters, maye it please the Queenes Majestie [etc.].


 it may please . . .may it please . . . の定型文句ばかりだが,「may + 動詞 + 主語」の語順は必ずしも原則とはなっていないようだ.
 その後,倒置構造が一般的になってゆくが,その経緯や理由については詳らかにしない.近現代英語における接続法の残滓が,Suffice it to say . . ., Be that as it may, Come what may などの語順に見られることと何か関係するかもしれない.
 Quirk et al. (§3.51) によれば,祈願の用法で前置される may は "pragmatic particle" として機能しているという.3人称に対する命令といわれる Let them come hereLet the world take notice. における文頭の let も同様の語用論的な機能を果たすと論じている.通時的な語用論化という視点からとらえるとおもしろい問題かもしれない.

 ・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-04-05 Sat

#1804. gradable antonym の意味論 [markedness][antonymy][semantics][pragmatics]

 「#1800. 様々な反対語」 ([2014-04-01-1]) の記事で,もっとも典型的な反対語として "gradable antonym" と称される種類について触れた."contrary" とも呼ばれるが,典型的な程度の形容詞のペアを思い浮かべればよい.good / bad, big / small, hot / cold, old / young, long / short, happy / sad, clean / dirty 等々である.それぞれ見かけは単純なペアだが,意味論的に本格的に扱おうとすると,なかなか複雑な問題を含んでいる.
 これらの反意語ペアについてよく知られている現象は,先の記事でも触れたように,ペアのうち一方が無標 (unmarked) で,他方が有標 (marked) であることだ.例えば,年齢を尋ねる疑問文では,How old are you?old を用いるのが普通である.How young are you?young をあえて用いる場合には,「あなたが若いということはすでに知っているが,尋ねたいのはどれだけ若いかだ」という特殊な前提を含んだ疑問となる.old の場合にはそのような前提はなく,通常,中立的に使われる.一見すると oldyoung はそれぞれ同等の資格でペアをなしている反意語のように見えるが,実際には old は中立的な働きも担っており無標であるのに対して,young は場合によっては特殊な前提を要求する点で有標である.oldyoung に見られるこのような差は,語用論的に現れる差ではなく,意味論的に規定されている差であると考えられ,意味論の領域の問題とされる.
 反意語の有標と無標の対立が表出するのは,程度を尋ねる疑問文という文脈に限らない.例えば,派生名詞も,反意語形容詞の無標メンバーに基づくものが多い.long / short に対応する中立的な名詞は length だ.shortness としてしまうと,意味の重心が短い方へ傾き,中立的ではない.同様に,deep / shallow に対して depth が,strong / weak に対して strength が,それぞれ中立的な派生名詞だろう.
 有標と無標の対立が表出する環境として疑問文と派生名詞の2点を上で挙げたが,Lehrer (400) はさらに6つの項目を挙げて,この対立が反意語の意味論に深く根を下ろしていることを論じた.全8項目を以下に示す.

I Neutralization of an opposition in questions by unmarked member.
II Neutralization of an opposition in nominalizations by unmarked member.
III Only the unmarked member appears in measure phrases of the form Amount Measure Adjective (e.g. three feet tall).
IV If one member of the pair consists of an affix added to the antonym, the affix form is marked.
V Ratios can be used only with the unmarked member (e.g. Twice as old).
VI The unmarked member is evaluatively positive; the marked is negative.
VII The unmarked member denotes more of a quality; the marked denotes less.
VIII If there are asymmetrical entailments, the unmarked member is less likely to be 'biased' or 'committed'. Cf.
   A is better than B. A and B could be bad.
   B is worse than A. B must be bad, and A may be as well.


 I と II についてはすでに触れた.III は,five feet tall, two years old, three metres wide などの単位量にかかわる表現で通常用いられるのが無標メンバーとされる.
 IV は,典型的に否定接頭辞のつくメンバーが有標であるということで,lucky / unlucky, important / unimportant などの例がある.ただし,impartial / partialunbiased / biased のペアでは,他の属性に照らすと,むしろ否定接頭辞のつく前者が無標となり,反例を構成する.
 V は,twice as long as . . ., ten times as heavy as . . . などの倍数表現で用いられるメンバーが無標ということである.
 VI は,ポジティヴな評価を担当するメンバーが無標であるというものだ.good, strong, happy, clean などをみる限り,確かにその傾向が強いように思われるが,文化による揺れや語用による変異はあり得るだろう.たとえば,clean / dirty の対立において,ポルノ雑誌の編集者にとってポジティヴな評価を担当するのは dirty のほうだろう.
 VII は,客観的に量化した場合に,より大きくなるほうが無標であるというものだ.big, long, heavy, wide などについてはこの基準はよく当てはまるが,clean / dirty の場合,前者が後者に比べて何の量が大きいのかはよく分からない.ちらかっているゴミの量でいえば,dirty のほうが大きいということになる.safe / dangerous, sober / drunk, pure / impure,, accurate / inaccurate にも同様の問題が生じる.
 VIII は,含意 (entailment) に関わる興味深い観点だ.例えば good / bad の対立において,The steak is better than the chicken, but both are bad. は許容されるが,* The chicken is worse than the steak, but both are good. は許容されないという.これは,goodbad と異なり,中立的な意味を担うことができることを表わす.逆に,bad は非中立的であり,特定の方向を向いているということになる.bad のこのような特性は,"committed" と表現される.この点で,hot / cold, happy / sad などでは両メンバーとも "committed" であるから,片方のメンバーのみが "committed" である good / bad, long / short のようなペアとは性質が異なることになる.
 上記8項目は,全体として gradable antonyms が無標と有標の対立を有する傾向があることを示すものにとどまり,すべてのペアが必ず8項目のすべてを満たすということにはならない.I を最も強力な属性とみなすことまではできるが,それ以外の属性は個々の反意語ペアに応じて満たされたり満たされなかったりとまちまちだ.
 上記が英語以外の言語にも広く観察される現象なのか,またそもそもなぜ反意語ペアに無標と有標の対立があるものなのかという,一般的な問題も浮かんでくる.反意語の意味論は,見かけ以上に深遠である.

 ・ Lehrer, A. "Markedness and Antonymy." Journal of Linguistics 21 (1985): 397--429.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-03-03 Mon

#1771. 言語の本質的な機能の1つとしての phatic communion [pragmatics][function_of_language][phatic_communion]

 この2日間の記事「#1769. Ogden and Richards の semiotic triangle」 ([2014-03-01-1]) と「#1770. semiotic triangle の底辺が直接につながっているとの誤解」 ([2014-03-02-1]) で,Ogden and Richards の The Meaning of Meaning から話題を取った.同著に影響を受けた言語論として,ポーランド生まれの米国の社会人類学者 Malinowski を挙げないわけはにいかない.Malinowski は,phatic communion という用語の生みの親である.
 言語の機能の1つとしての phatic communion については,「#523. 言語の機能と言語の変化」 ([2010-10-02-1]) や「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1]) で触れた程度だが,Malinowski によれば,この機能は言語の諸機能のなかでも最も原始的,本質的なものである.一般に言語は "an instrument of thought" とみなされがちだが,むしろそれ自体が社会的な行為であるところの "a mode of action" であると,Malinowski は主張する.phatic communion は後者の代表例であり,とりわけ原始社会における言語機能の大部分を占める.西洋近代に代表される文明社会では,phatic communion は,言語の "an instrument of thought" としての機能の陰で比較的目立たなくなっているように思われるが,実際には挨拶,相づち,無駄話しなどの形態で脈々と生き続けている.
 Malinowski (315) による,phatic communion のオリジナルの定義を示そう.

   There can be no doubt that we have here a new type of linguistic use---phatic communion I am tempted to call it, actuated by the demon of terminological invention---a type of speech in which ties of union are created by a mere exchange of words. Let us look at it from the special point of view with which we are here concerned; let us ask what light it throws on the function or nature of language. Are words in Phatic Communion used primarily to convey meaning, the meaning which is symbolically theirs? Certainly not! They fulfil a social function and that is their principal aim, but they are neither the result of intellectual reflection, nor do they necessarily arouse reflection in the listener. Once again we may say that language does not function here as a means of transmission of thought.
   But can we regard it as a mode of action? And in what relation does it stand to our crucial conception of context of situation? It is obvious that the outer situation does not enter directly into the technique of speaking. But what can be considered as situation when a number of people aimlessly gossip together? It consists in just this atmosphere of sociability and in the fact of the personal communion of these people. But this is in fact achieved by exchange of words, by the specific feelings which form convivial gregariousness, by the give and take of utterances which make up ordinary gossip. The whole situation consists in what happens linguistically. Each utterance is an act serving the direct aim of binding hearer to speaker by a tie of some social sentiment or other. Once more language appears to us in this function not as an instrument of reflection but as a mode of action.


 狭い意味での phatic communion は,話者と聴者の間に,言語による通信の回路が開かれているかどうかを確認・追認するための言語使用とも言いうる.例えば,マイクテストでの「本日は晴天なり,本日は晴天なり」や,電波状況の悪い通話での「おーい,聞こえるか」も phatic communion と言えるだろう.しかし,Malinowski の念頭にある phatic communion は,内容ではなく言語使用それ自体が社会的な意味をもつケースにおける言語機能を広く指している.挨拶,相づち,無駄話しなどは,言語によって実現されるという特殊事情があるだけで,人と人との交感に資するという点では,飲み会,デート,団らん,スキンシップなどの行為と同じ目的をもっているのである.

 ・ Malinowski, Bronislaw. "The Problem of Meaning in Primitive Languages." Supplement 1. The Meaning of Meaning. C. K. Ogden and I. A. Richards. San Diego, New York, and London: Harcourt Brace Jovanovich, 1989. 296--336.

Referrer (Inside): [2017-01-13-1] [2016-09-17-1]

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-10-31 Thu

#1648. adjacency pair [pragmatics][ethnography_of_speaking][cooperative_principle][adjacency_pair]

 2人の話者の会話において,互いにペアをなす発話が交わされる場合がある.質問に対して回答,申し出に対して受諾あるいは拒否,挨拶に対して挨拶,依頼に対して応諾,呼びかけに対して返事といった習慣的なペアである.通常,両発話の間に無関係の内容の発話がはさまることはなく,隣り合うものなので,これを adjacency pair と呼ぶ.英語からの例を示そう.

adjacency pair (A and B)AB
question-answerWhat time is it?Seven o'clock.
offer-acceptanceWould you like a baked potato?Yes, please.
greeting-greetingGood morning.Morning Mattie.
request-complianceCan I have a jam sandwich then please dad?Yes sunshine.
summons-acknowledgementMum, mum, mum, mum, mum?Yes?


 これらの adjacency pair は,「#1122. 協調の原理」 ([2012-05-23-1]) (cooperative principle) の諸公理にかなった発話の例として説明される.会話の参加者は,暗黙の規則として,このペアワークを実践していると考えられる.
 しかし,adjacency pair のペアワークが成り立たない場合もある.adjacency pair で一般にAという発話に対してBという発話が対応するとき,何らかの理由でBの発話が欠けることがある.そのような場合に起こり得ることは,以下のいずれかだろう.(1) B が返されるまで A が繰り返し発せられる,(2) Bの欠如の理由が明示的に説明される (ex. I don't know.), (3) 別の adjacency pair が埋め込まれた上でBが補充され,問題解消に至る.(3) について,ペアの中にもう1つのペアが埋め込まれる例を示そう.

Q1 S: What color do you think you want?
Q2 C: Do they just come in one solid color?
A2 S: No. They're black, blue, red, orange, light blue, dark blue, gray, green, tan[pause], black.
A1 C: Well, gimme a dark blue one, I guess.


 Bの発話が欠ける場合がある理由については「#1134. 協調の原理が破られるとき」 ([2012-06-04-1]) で見たような理由が挙げられるかもしれないが,それ以前に,言語文化によっては当該の adjacency pair が原理や規則として存在しないこともあるのではないか.つまり,上記のような adjacency pair は一見するとどの言語文化にも普遍的に存在しているものと思われがちだが,実際には各言語文化に依存する社会的に慣習化された規範 (norm or "normative requirement") にすぎないのではないか.
 「#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2)」 ([2013-10-27-1]) でも見たとおり,発話に関する慣習のなかには文化に依存するものがある.ある adjacency pair がその文化において有意味かどうかは個別に調べなければならないし,たとえ有意味であったとしても特にBの返答について文化ごとに好まれるパターンが異なるということがあり得るのではないか.例えば,前の記事で,日本語や中国語では申し出に対して一度はそれを断るという反応が好まれることがあるし,質問に対して答えをはぐらかす傾向を示す Madagascar の言語共同体の例もみた.adjacency pair のあり方が文化間で変異し得るという指摘は,「協調の原理」が示唆する語用論的普遍性に対する1つの挑戦となるだろう.記述的な ethnography of speaking の研究のもつ役割は,普遍性と傾向,言語的規則と社会的規範といった問題に対して具体的な事例を与えるということにあるのではないか.

 ・ Pearce, Michael. The Routledge Dictionary of English Language Studies. Abingdon: Routledge, 2007.
 ・ Bussmann, Hadumod. Routledge Dictionary of Language and Linguistics. Trans. and ed. Gregory Trauth and Kerstin Kazzizi. London: Routledge, 1996.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-10-29 Tue

#1646. 発話行為の比較文化 [ethnography_of_speaking][speech_act][pragmatics][face][performative][adjacency_pair]

 「#1632. communicative competence」 ([2013-10-15-1]),「#1633. おしゃべりと沈黙の民族誌学」 ([2013-10-16-1]),「#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2)」 ([2013-10-27-1]) の記事で,ethnography of speaking の分野がカバーする領域を垣間見た.今回は,発話の比較文化という観点から,もう1つの話題を取り上げる.発話行為 (speech act) の異文化比較である.
 発話行為の類型は,Austin の古典的なものやそこから発展させた Searle のものが知られている(Huang, pp. 106--08 を参照).そのような類型への関心は,種々の発話行為があらゆる言語とその話者に共有されていることを示唆しているようにも聞こえるが,実際には多くの発話行為は文化に依存する.結婚などの儀礼的,慣習的な場面での発話行為が文化によって異なることは容易に理解されるだろうが,それほど慣習化されていない場面における発話行為にも文化間の相違は見られる.以下,Huang (119--25) に従って,4種類を取り上げよう.

 (1) ある文化に存在する発話行為が,別の文化に存在しない場合.例えば,約束という発話行為は,日本語にも英語にもあるし,他の多く言語にも存在する.しかし,フィリピンのイロンゴト族 (Ilongot) にはそれがない.イロンゴト族の社会では誠実さや真実よりも社会的な関係のほうが重視され,結果として約束という発話行為がそもそも存在しないのだと考えられている.もう1つ例を挙げれば,オーストラリアのアボリジニー,ヨロンゴ族 (Yolngu) では,感謝という発話行為がないといわれる.
 また,他にみられない特殊な発話行為をもつ文化もある.オーストラリアのアボリジニー,Walmajarri において,「親戚関係に基づく権利あるいは義務として要求する」という特異な発話行為があり,遂行動詞 (performative verb) japirlyung によって表わされる.この遂行動詞は,"I ask/request you to do X for me, and I expect you to do it simply because of how you are related to me" ほどの意味を表わす.これらの例は,主として西洋文化の視点から組み立てられた発話行為の類型論の有効性に異を唱えるものとなる.

 (2) 同じ状況に対して,文化によって異なる発話行為がなされる場合.例えば,人の足を踏んでしまったとき,西洋でも東アジアでも,通常は謝罪という発話行為がおこなわれる.ところが,西アフリカのアカン族 (Akan) では,謝罪ではなく同情の発話行為がなされる.また,食事会に招待されて,最後においとまするとき,英語では食事への感謝と賛辞を述べるのが通常だが,日本語では「お邪魔いたしました」と侵入行為を認める発言をする.同様に,日本語では,贈り物をもらったときなどには,感謝よりも「すみません」の謝罪のほうを好む.

 (3) 同じ発話行為に対して,文化によって異なる反応が示される場合.褒め言葉を述べられると,英語では感謝しながら受け入れるのが普通だが,中国語,日本語,ポーランド語などでは受け入れを拒否する(例:「まあ,すてきなお庭をおもちですね」「いえいえ,まったく手入れをしていないもので」).ちなみに,依頼に対してノーといえない日本語話者が,自分に向けられた褒め言葉にはノーということを好むというのがおもしろい.
 また,申し出に対して1度は儀礼的な拒否がなされることが多いのも中国語や日本語の伝統的にして典型的な反応である.「申し出→儀礼的な拒否→申し出→儀礼的な拒否→受諾」という流れ (adjacency pair) そのものが,文化的に埋め込まれていると考えられる(cf. 三顧の礼).

 (4) 同じ発話行為であっても,直接的になされるか間接的になされるか,その度合いが文化によって異なる場合.依頼,謝罪,不平などの face-threatening act (FTA) について異なる言語間の比較研究が,1980年代以降,とりわけ Cross-Cultural Speech Act Realization Project (CCSARP) の名の下で推し進められてきた.依頼についていえば,8つの言語変種 (German, Hebrew, Danish, Canadian French, Argentinian Spanish, British English, American English, Australian English) を比較したところ,Argentinian Spanish が最も直接的で,Australian English が最も間接的だった.
 日本語の「善処します」は,文字通りには「じょうずに処理する」という意味を表わすが,政治家が用いれば間接的な拒否の発話行為となる.これは,相手の依頼に対して直接ノーと言いにくい日本語にとって,間接的,語用論的な方略なのである.実際に,これが日米の外交問題に発展した事例がある.1974年,ニクソン大統領が佐藤首相に対して日本の繊維市場の自由化を求めた.佐藤首相は否定的な意味合いで「善処します」と答え,それは I do my best. と通訳された.その後,何も動かない日本に対してアメリカがいらだちを募らせ,抗議をするに至った.当時までに,発話行為の ethnography of speaking がよく研究され,その成果が日米異文化理解に役立つ知恵として両首脳の耳に達していれば,このような誤解は生じなかったろう.

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-10-11 Fri

#1628. なぜ code-switching が生じるか? [code-switching][sociolinguistics][diglossia][pragmatics]

 昨日の記事「#1627. code-switchingcode-mixing」 ([2013-10-10-1]) で,code-switching の背景には様々な要因が作用していると述べた.今回は,code-switching はなぜ生じるのか,どのようなときに生じるのかという問題について,主として東 (27--36) に拠りながら,社会言語学的な観点から迫りたい.
 まず,意思疎通を確実にするための code-switching というものがある.例えば,ある言語で対象を指示する語句が思い浮かばない場合に,別の言語の語句を使うということがある.これは典型的な語句借用の動機の1つだが,code-switching の場合にもそのまま当てはまる.referential function と呼ばれる機能だ.
 もう1つ意思疎通に関わる動機としては,単純に聞き手全体が理解する言語へ切り替えるという code-switching を想像することができる.国際的な食事会で,右隣に座っている日本人には日本語で話すが,左隣の英語話者を含めて3人で話しをする場合には英語に切り替えるといった場面を思い浮かべればよい.また,その左隣の人に聞かれたくないような話題を右隣の日本人にのみ持ちかけるときに,再び日本語に切り替えるということもありうる.このような code-switching の機能は,directive function と呼ばれる.
 しかし,上記の2つのように,意思疎通そのものが問題になる code-switching と異なる種類の code-switching も多く存在する.いずれの言語で話しても互いに通じるにもかかわらず,code-switching が起こることがある.そこには,4つの動機づけが提案されている.

 (1) 状況に応じての code-switching (situational code-switching)
  場面,状況,話題,話し相手など(複合的に domain と呼ばれる)に応じて使用言語を切り替えてゆくケースである.例えば,diglossia のある社会において,上位変種 (high variety) と下位変種 (low variety) とは domain によって使い分けられるが,話題が日常的なものから学問的なものへ移行するに応じて,使用する言語や方言も切り替わるといった例が挙げられる.具体的には,Paraguay の Spanish と Guaraní の diglossia において,酒場で飲んでいる男性どうしは最初は下位変種であり親しみのある Guaraní で会話をしていたが,アルコールが回ってくると上位変種で権威や権力と結びつけられる Spanish へ切り替えるといったことが起こりうる (Wardhaugh 96).
  日本語でも,友人2人で非敬語で話していたところに目上の人が加わることで,もとの友人2人の間でも敬語による会話が交わされ始めるといった例がある.これも,code-switching につらなる例と考えられる.

 (2) メンバーシップを確立するための code-switching
  多言語・多民族社会において,地域の共通語と自らの母語とを織り交ぜることによって,dual identity を示そうとする例がある.例えば,日系アメリカ人は,英語を話すことでアメリカ社会の一員であるということを示すと同時に,日本語を話すことで日系人であるという民族的所属を示そうとする.両方のアイデンティティを維持するために,会話の中に両言語の要素を紛れ込ませていると考えられる.act of identity の1例といだろう.
  同じような code-switching を実践する話者の間では,同じ dual identity で結ばれた団結感が生じるだろう.自分と同種の code-switching 能力を有する者は,自分と同種の言語環境で育ってきたにちがいないからである.彼らの code-switching は,互いの仲間意識を育て,保つ積極的な役割がある.とはいえ,多くの場合,この code-switching は無意識に行われているということにも注意する必要がある.
  短い語尾や,特に日本語の場合には終助詞を加えることにより,dual identity を表明するタイプの code-switching がある."You don't have to do that よ." とか,"He's so nice ねぇ." など.これは,emblematic switching (象徴的切替)と呼ばれる.

 (3) 利害関係の交渉の手段としての code-switching
  いずれかの言語の役割を積極的に利用して,話者が自らにとって望ましい状況を作り出そうとするケースがある.以下は,ケニアの田舎町のバーで,農夫が知り合いの会社員にお金を無心する場面である.地元の言語であるルイカード語,および媒介言語であるスワヒリ語と英語が切り替わる.

農夫:
 Inzala ya mapesa, kambuli (ルイカード語)
 (お金がなくて困っているんだ)
会社員:
 You have got land. (英語)
 Una shamba. (スワヒリ語)
 Uli nu mulimi. (ルイカード語)
 (畑を持っているだろう。)
農夫:
 Mwana mweru . . . (ルイカード語)
 (親しい仲じゃないか)
会社員:
 Mbula tsiendi. (ルイカード語)
 (お金なんか、ないよ。)
 Can't you see how I am heavily loaded? (英語)
 (手が一杯なんだよ、わかるだろう?)


 会社員は農夫の無心をかわすのに英語を用い始めている.これは,仲間うちの言語であるルイカード語を使うと,目線が農夫と同じになり,団結を含意するので,無心に屈しやすくなってしまうからである.高い教養や権威を象徴する上位言語である英語を用いることによって,農夫との間に心理的な距離を作り出し,無心を拒否する姿勢が鮮明になる.
 類例として,ナイロビの職探しをしている若者と雇用者の言語選択に関わる神経戦を見てみよう (Graddol 13) .

Young man: Mr Muchuki has sent me to you about the job you put in the paper.
Manager: Ulituma barua ya application? [DID YOU SEND A LETTER OF APPLICATION?]
Young man: Yes, I did. But he asked me to come to see you today.
Manager: Ikiwa ulituma barua, nenda ungojee majibu. Tukakuita ufika kwa interview siku itakapafika. Leo sina la suma kuliko hayo. [IF YOU'VE WRITTEN A LETTER, THEN GO AND WAIT FOR A RESPONSE, WE WILL CALL YOU FOR AN INTERVIEW WHEN THE LETTER ARRIVES. TODAY I HAVEN'T ANYTHING ELSE TO SAY.]
Young man: Asante. Nitangoja majibu. [THANK YOU. I WILL WAIT FOR THE RESPONSE.]


 ここでは,若者は教養と能力を象徴する英語で面談に臨むが,雇用者はそれに応じず下位言語であるスワヒリ語での会話を求めている.交渉に応じないことを言語選択により示していることになる.最後に,失意の若者は雇用者の圧力に屈して,スワヒリ語へ切り替えている.それぞれが自分の有利な状況を作り出すために,言語選択という戦略を利用しているのである.
 日本語でも,それまで仲良くくだけた口調で会話していた母娘が,娘の無心の場面になって,母が「お金は一切あげません」と改まった表現で返事をする状況を想像することができる.改まった表現を用いることによって,相手との間に距離感を作り出し,拒否の姿勢を示していると考えられる.相手との心理的距離を小さくする変種を "we-code",大きくする変種を "they-code" と呼ぶことがあるが (cf. Wardhaugh 102) ,この母は娘に対して we-code から they-code へ切り替えたことになる.

 (4) どちらの言語にするかを探るための code-switching
 自分も相手も多言語使用者である場合,どの言語を用いて会話を進めればよいかを確定するために,いくつかの言語を試して探りを入れるという状況がある.互いに最もしっくりくる言語を選ぶべく,相手の反応を見ながら交渉するのだ.日本語でも,相手に対して敬語で対するべきか否か迷っているときに,敬語と非敬語を適当な比率で織り交ぜて話す場合がある.それによって,相手の出方を探り,今後どのような話し方で会話を進めてゆけばよいかを見極めようとしている.

 上記のいずれの動機づけについても,社会言語学的な意味があることがわかる.code-switching は,人間関係の構築・維持という,高度に社会言語学的な役割を担っている.

 ・ 東 照二 『社会言語学入門 改訂版』,研究社,2009年.
 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.

Referrer (Inside): [2013-10-14-1]

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-07-27 Sat

#1552. T/V distinction と face [face][politeness][pragmatics][personal_pronoun][honorific][t/v_distinction]

 「#1126. ヨーロッパの主要言語における T/V distinction の起源」 ([2012-05-27-1]) で,T/V distinction の起源に関する Brown and Gilman の古典的な学説を紹介した.Brown and Gilman 以来,ヨーロッパの主要言語以外でも2人称単数に対する呼称の T/V distinction が広く観察されることが知られるようになり,理論においても politeness や face という概念が育ってきたことで,新しい観点からこの問題に迫ることができるようになってきている.
 先の記事[2012-05-27-1]でも既に示唆したが,敬称 (V) のもつ本来的な複数性が丁寧と結びつけられるのは,複数性が相手に権力を認めることになるからだとされる.一方で,同じ複数性は,実際には1人である相手への指示の度合いをぼかしたり弱めたりするということにもなる.矛盾する2つの力が働いているのだとすれば,互いに打ち消し合って敬称を用いる効果が減じてしまうように思われるが,これはどう説明されるのか.
 一見矛盾する2つの力は,ポライトネス理論の face という観点から無理なく融合させることができる.複数性のもつ,相手に権威を付すという機能は相手の positive face を守る役割としてとらえることができ,指示対象をぼかし,「敬して遠ざく」ことにより敬意と遠慮と示すという複数性の機能は相手の negative face を守る役割としてとらえることができる.両者は方向こそ異なっているが,ともに相手の顔を立てようとしている点で一致している.これを,Hudson (124) は次のように要約している.

Their [Penelope Brown and Stephen Levinson's] explanation is based on the theory of face . . . . By using a plural pronoun for 'you', the speaker protects the other person's power-face in two ways. First, the plural pronoun picks out the other person less directly than the singular form does, because of its ambiguity. The intended reference could, in principle, be some group of people rather than the individual actually targeted. This kind of indirectness is a common strategy for giving the other person an 'out', an alternative interpretation which protects them against any threats to their face which may be in the message. The second effect of using a plural pronoun is to pretend that the person addressed is the representative of a larger group ('you and your group'), which obviously puts them in a position of greater power.


 複数性を利用した意味のぼかしが権威付与と敬意に通じるという洞察は,広い言語現象に応用できるように思われる.日本語に多いぼかし表現の例である「〜など」や「〜みたいな」は,「〜」だけではないことを柔らかく示しながらも,「〜」に代表としての特別な地位を与えているともいえるのである.

 ・ Brown, R. W. and A. Gilman. "The Pronouns of Power and Solidarity." Style in Language. Ed. Thomas A. Sebeok. Cambridge, Mass.: MIT P, 1960. 253--76.
 ・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2012-12-23 Sun

#1336. なぜ thou ではなく you が一般化したか? (2) [pragmatics][personal_pronoun][honorific][dutch][t/v_distinction][sobokunagimon]

 標記の問題について,[2012-05-28-1]の記事に追加して述べたい.Bloomfield (401--02) で,親称が敬称によって駆逐されるという過程は,英語のみならずオランダ語にも見られ,オランダ語ではさらに次の段階に進んできたという.

There is an advantage, often, in applying well-favored terms to one's hearer. The habit of using the plural pronoun 'ye' instead of the singular 'thou,' spread over Europe during the Middle Ages. In English, you (the old dative-accusative case-form of ye) has crowded thou into archaic use; in Dutch, jij [jej] has led to the entire obsolescence of thou, and has in turn become the intimate form, under the encroachment of an originally still more honorific u [y:], representing Uwe Edelheid [ˈy:we ˈe:delhejt] 'Your Nobility.' (401--02)


 オランダ語で生じたことは,「#185. 英語史とドイツ語史における T/V distinction」 ([2009-10-29-1]) で触れた「敬意逓減の法則」のもう一つの例といえるだろう.同族の言語でこのような過程が確認されるということは,英語における過程も平行的だったのではないかと疑いたくなるのも自然である.
 敬意逓減の法則は,敬意を表わすはずの語から敬意が失われてゆくために,真正な敬意を表わすべく次なる語が導入されるということを述べているが,そこで前提とされているのは,何らかの語句よって相手に敬意を表わしたいという話者の意図である.敬意の語は下落してゆくのが常だが,それでも敬意を表わすこと自体はやめたくない,とでもいおうか.もしこの前提が普遍的だとすれば,thouyou の選択に迷った場合に,より安全に,より丁寧な you を選ぶことは理に適っているように思われる.もともと下落傾向があるなかで,あえて非敬称の thou を選ぶことは,不合理だろう.

 ・ Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2012-06-04 Mon

#1134. 協調の原理が破られるとき [pragmatics][cooperative_principle][implicature][rhetoric]

 協調の原理 (the Cooperative Principle) について,[2012-05-23-1], [2012-06-03-1]の記事で取り上げてきた.談話の参加者が暗黙のうちに遵守しているとされるルールのことであるが,あくまで原則として守られるものとしてと捉えておく必要がある.原則であるから,ときには意識的あるいは無意識的に破られることもある.例えば,Grice (30) によれば,原理 (principle) あるいは公理 (maxims) は以下のような場合に破られることがある.適当な例を加えながら解説しよう.

 (1) 相手に知られずに公理を犯す場合.結果として,聞き手の誤解を招くことが多い.嘘をつくことがその典型である.嘘は,質の公理を犯すことによって,聞き手に誤ったメッセージを信じさせる行為である.嘘に限らず,誤解を生じさせることを目的とした意地悪な物言いなども,このタイプである.
 (2) 原理や公理から意図的に身を引く場合.質問に対して「その質問には答えません」と返したり,「ところで・・・」と話しをそらすようなケース.
 (3) ある公理に従うことで他の公理を犯すことになってしまう場合.「○○さんはどこに住んでいるんだろうね?」に対して,具体的な住所は知らずに「東北地方のどこか」と答えるようなケース.量の公理によれば,質問に対して必要なだけ詳しい回答を与えることが期待されるが,質の公理によれば,知らないものは口にすべきではないということになり,後者の遵守が前者の遵守を妨げる結果となる.
 (4) 公理をあえて無視し,それにより特定の含意 (implicature) を生み出す場合.[2012-05-23-1]の記事で挙げた,"How is that hamburger?" --- "A hamburger is a hamburger." のような例.別の例を挙げよう.

A: Smith doesn't have a girlfriend these days.
B: He has been paying a lot of visits to New York lately.


このやりとりで,B の発言は額面通りに取れば A の発言に呼応しておらず,関係の公理を犯しているかのようにみえる.しかし,B が対話から身を引いているようには思われない以上,B は A の発言に有意味な発言をしているにちがいない.B はあえて関係の公理を破り,そのことを A もわかっているはずだとの前提のもとに,A に言外の意味を推測するよう駆り立てているのである.「Smith はニューヨークに新しい彼女がいる」という含意 (implicature) が生まれるのは,このためである.公理の力を利用した裏技といえるだろう.皮肉や機知や各種の修辞的技法はこのタイプである.
 原理とは,破られるときにこそ,その力がはっきりと理解されるものかもしれない.

 ・ Grice, Paul. "Logic and Conversation." Studies in the Way of Words. Cambridge, Mass.: Harvard UP, 1989. 22--40.

Referrer (Inside): [2015-04-14-1] [2013-10-31-1]

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2012-06-03 Sun

#1133. 協調の原理の合理性 [pragmatics][cooperative_principle]

 [2012-05-23-1]の記事で紹介した「#1122. 協調の原理」 (the Cooperative Principle) は,語用論における重要な原理として広く認められており,直感や会話の実際にも沿うものである.しかし,それを遵守することが話し手と聞き手のあいだで暗黙のうちに前提とされているのはなぜだろうか.協調の原理には,合理的な根拠があるのだろうか.
 経験から導かれる答えは以下のようなものだろう.人々は協調の原理にもとづいて行動している.子供の頃からそのように行動しているし,大人になってからもその習慣を捨てていない.むしろ,この習慣から大きく逸脱するには多大な労力が必要だろう.例えば,質の公理に従って真実を述べ続けることのほうが,嘘をつき続けるよりも楽なはずである.しかし,この回答は,惰性により習慣を守り続ける説明にはなっていても,協調の原理がなぜ最初に存在するのかの合理的な説明にはなっていない.
 Grice は,協調の原理を最初に提起した1975年の論文(1989年の論文集で再掲された)で,合理性の問題を論じている.Grice は,当初,談話における協調の原理を,他の人間活動にもみられるような契約の一種としてとらえた.談話の参加者は,ある目的を共有し,その目的を達成するために互いに貢献し合い,しばしば暗黙のうちにそのやりとりを打ち切る合意ができるまで継続する.
 目的達成のための暗黙の契約であるとするこの見方は,確かに合理的ではあるが,これが当てはまらないやりとりは数多く存在する.例えば,口喧嘩や手紙を書くという行為は,共通の目的を達成するための契約という考え方とどのように関わり合うのか不明である.そこで,Grice は次のように考え直した.

So I would like to be able to show that observance of the Cooperative Principle and maxims is reasonable (rational) along the following lines: that anyone who cares about the goals that are central to conversation/communication (such as giving and receiving information, influencing and being influenced by others) must be expected to have an interest, given suitable circumstances, in participation in talk exchanges that will be profitable only on the assumption that they are conducted in general accordance with the Cooperative Principle and the maxims. (29--30)


 先の契約論では参加者の共通の目的が強調されていたが,新しい説では必ずしも共通で同一の目的は仮定されておらず,極端な場合には参加者によって具体的な目的の異なっていることもありうるだろう.より一般的な "the goals that are central to conversation/communication" が共有されていさえすればよい.これは,より自己中心主義の説ということができるかもしれない.なお,Grice も,この説はいまだ仮説の段階であるとしている.
 Grice の協調の原理は言語学というよりも哲学の議論から生じてきたものであり,原理の見かけは単純だが,原文に戻るとなかなか難解である.

 ・ Grice, Paul. "Logic and Conversation." Studies in the Way of Words. Cambridge, Mass.: Harvard UP, 1989. 22--40.

Referrer (Inside): [2015-04-14-1] [2012-06-04-1]

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2012-05-28 Mon

#1127. なぜ thou ではなく you が一般化したか? [pragmatics][personal_pronoun][honorific][t/v_distinction]

 昨日の記事[2012-05-27-1]では「#1126. ヨーロッパの主要言語における T/V distinction の起源」を概説し,T/V distinction に関するかつての記事へのリンクを張った.英語における T/V distinction の最大の問題の1つとして,近代英語期以後に親称 thou と敬称 you の対立が解消される際に,なぜ thou ではなく you のほうが一般化したのかという問題がある.T/V distinction の解消については,初期近代英語期の社会に平等主義の潮流が生じてきたとする説があるが,仮にそれを受け入れるとしても,なぜ thou の方向ではなく you の方向へ解消したのかは不明である.平等主義が "power semantics" に基づく T/V distinction の排除を促したと考えるのであれば,"power semantics" を体現する you こそが切り捨てられて然るべきではないか.加えて,thou こそが古英語以来の純正の2人称単数代名詞であり,単数の「あなた」を表わすにはふさわしいはずである.実際に,人民の平等を目指したフランス革命期には,上流階級の頻用する vous は忌避され,tu が汎用の2人称単数代名詞として好まれた事実がある (Brown and Gilman 264--65) .
 英語が you を一般化させた背景には,ある社会言語学的状況が関与していたのではないかという説がある.1650年代にイングランドの聖職者 George Fox (1624--91) が創始したキリスト教の一派フレンズ会 (The Society of Friends) の信徒たち(俗称 Quakers)は,習慣的に,互いに thou を用い合った.神の前には,信徒に上下はなく,みな平等であるという思想に基づいている.この点では,上述のフランス革命期の tu の一般化と軌を一にしていたことになる.現在でも多くのクエーカー教徒たちは thouthee を用いており,なかには仲間内では thou を,外部の人々に対しては you を使い分ける者もいる.
 さて,クエーカー教徒や,同じく平等主義を掲げるより急進的な水平派 (Leveller) は,社会の中では少数派であり,敵意をもって見られることもあった.そこで,多数派の社会は,クエーカー教徒たちの標榜する平等主義の象徴ともいえる特徴的な thou 使用を煙たがり,自らはそれを忌避したのではないか.social distancing の作用が働いて thou が消えていったとするこの説は,しばしば英語史概説書でも説かれるが,定説として受け入れられているわけではなく,1つの可能性として提示されていることに注意しておきたい.
 Brown and Gilman (266) が合わせて触れているもう1つの要因として,"a general trend in English toward simplified verbal inflection" がある.[2010-02-12-1]の記事「#291. 二人称代名詞 thou の消失の動詞語尾への影響」では,「thou の消失が,英語の屈折衰退の流れに一押しを加えた」としたが,もしかすると因果関係は逆かもしれないということになる.動詞の屈折衰退の流れが2人称単数現在の屈折語尾 -(e)st にまで及び,その衰退とともに,対応する人称代名詞 thou も衰退した,という筋書きかもしれない.
 いずれにせよ,標題の問いに対する定説といえるような答えは,いまだ提案されていない.2人称代名詞の you への一本化の問題は,英語史上の大きな課題である.

(後記 2013/06/30(Sun):solidarity を表わすのにフランス革命では上述のように T を双方向で用いたが,ロシア革命では V を双方向で用いたということが,Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010. p. 208 に書かれていた.)

 ・ Brown, R. W. and A. Gilman. "The Pronouns of Power and Solidarity." Style in Language. Ed. Thomas A. Sebeok. Cambridge, Mass.: MIT P, 1960. 253--76.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2012-05-27 Sun

#1126. ヨーロッパの主要言語における T/V distinction の起源 [pragmatics][personal_pronoun][honorific][latin][history][iconicity][t/v_distinction][solidarity]

 [2012-03-21-1]の記事「#1059. 権力重視から仲間意識重視へ推移してきた T/V distinction」で Brown and Gilman の画期的な研究を間接的に紹介した.Brown and Gilman の論文には,ヨーロッパの主要な言語で T/V の区別が生じてきた経緯,諸言語間の用法の比較,英語での区別の喪失とその語用的な残滓などに至る話題がちりばめられており,非常に刺激的な論考である.
 なぜヨーロッパの主要な言語で,2人称代名詞における T/V distinction の用法が共有されているのか.T/V distinction の起源についてはいくつかの説があるが,Brown and Gilman (255) による記述に従えば次のようになる.
 古代のラテン語では,2人称単数を示す代名詞として tu のみが用いられていた.しかし,4世紀に,ローマ皇帝を指す代名詞として,対応する複数形 vos が特別に用いられるようになった.これには諸説あるが,当時,Constantinople とRome のそれぞれに皇帝がおり,皇帝は文字通り複数だったことが関与しているといわれる.Diocletian 皇帝の改革により,ローマ皇帝の座には2人が占めていたが,行政的には1つに統合されることになった.いずれかの皇帝に呼びかけることは,含みとして,2人の皇帝に呼びかけることと同じとされたのである.vos の使用は,この含みとしての複数性を反映しているといわれる.
 また,別の説によれば,1人の皇帝が複数形と結びつけられたのは,統治される帝国民の統合と考えられたからではないか.イギリス君主が "royal we" を用いるのと同じ理屈で,ローマ皇帝は自らを指して nos と言ったのであり,それに対応して vos で呼びかけられたのだろう.もう1つの考え方として,指示対象が単数か複数かという文字通りの数とは別に,偉大な権力はそもそも複数性を喚起しやすいということがある.偉大であることと複数性は,iconicity により容易に結びつけられそうだ.
 以上の説のいずれか,あるいは組み合わせにより,2人称複数形で1人の皇帝を指し示す慣用が発達した.やがて,この慣用は,皇帝のみならず権力者一般に適用されるようになった.ただし,その後発達したロマンス諸語においては,T/V distinction はそれほど体系的に守られていたわけではなく,数世紀の間,用法の揺れがみられた.言語間で時期に差はあるが,およそ12--14世紀に,"power semantics" に基づく体系的な T/V distinction が確立した.
 英語へは中英語の時代に youthou の区別が導入された.関連記事としては,以下の記事,あるいは personal_pronoun pragmatics 辺りを参照.

 [2009-10-11-1]: #167. 世界の言語の T/V distinction
 [2009-10-29-1]: #185. 英語史とドイツ語史における T/V distinction
 [2010-02-12-1]: #291. 二人称代名詞 thou の消失の動詞語尾への影響
 [2010-07-11-1]: #440. 現代に残る敬称の you
 [2011-03-01-1]: #673. Burnley's you and thou
 [2011-07-06-1]: #800. you による ye の置換と phonaesthesia
 [2012-02-24-1]: #1033. 日本語の敬語とヨーロッパ諸語の T/V distinction
 [2012-03-21-1]: #1059. 権力重視から仲間意識重視へ推移してきた T/V distinction

 ・ Brown, R. W. and A. Gilman. "The Pronouns of Power and Solidarity." Style in Language. Ed. Thomas A. Sebeok. Cambridge, Mass.: MIT P, 1960. 253--76.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2012-05-23 Wed

#1122. 協調の原理 [pragmatics][implicature][cooperative_principle][philosophy_of_language]

 協調の原理 (cooperative principle) とは,哲学者 H. Paul Grice (1912?--88) によって提案された会話分析の用語で,会話において正しく効果的な伝達を成り立たせるために,話し手と聞き手がともに暗黙のうちに守っているとされる一般原則を指す.会話の含意 (conversational implicature) ,すなわち言外の意味が,なぜ適切に理解されるのかという問題にも関わる原則で,近年の語用論の発展の大きな拠り所となっている.Huang (25) に掲載されている "Grice's theory of conversational implicature" を示す.

Grice's theory of conversational implicature

a. The co-operative principle
   Make your conversational contribution such as is required, at the state at which it occurs, by the accepted purpose or direction of the talk exchange in which you are engaged.
b. The maxims of conversation
   Quality: Try to make your contribution one that is true.
     (i) Do not say what you believe to be false.
     (ii) Do not say that for which you lack adequate evidence.
   Quantity:
     (i) make your contribution as informative as is required (for the current purposes of the exchange).
     (ii) Do not make your contribution more informative than is required.
   Relation: Be relevant.
   Manner: Be perspicuous.
     (i) Avoid obscurity of expression.
     (ii) Avoid ambiguity.
     (iii) Be brief (avoid unnecessary prolixity).
     (iv) Be orderly.


 協調の原理は,4つの公理 (maxim) を履行することによって遵守されると言われる.その4つとは,質の公理,量の公理,関係の公理,様態の公理である.聞き手は,話し手が会話において協力的であること,上記の原則と公理を守っていることを前提として,話し手の発話を解釈する.例えば,話し手 A の "How is that hamburger?" という疑問に対して聞き手 B が "A hamburger is a hamburger." と答えたとする.B の発話はそれ自体では同語反復であり情報量はゼロだが,A は B が協調の原理を守っているとの前提のもとで B の言外の意味(会話の含意)を読み取ろうとする.協調の原理のもとでは,B は A の質問に対して relevant な答えを返しているはずであるから,A はその返答を「そのハンバーガーはごく平凡なハンバーガーであり,それ以上でも以下でもない」などと解釈することになる.この会話が有意味なものとして成り立つためには,B による会話の含意の読み取りが必要であり,読み取るに当たっては A が協力的であるという前提が必要である.この前提は事前に両者で申し合わせたものではなく,あくまで暗黙の了解であるから,これは会話の一般原則として仮定する必要がある,ということになる.

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow