昨日の記事[2017-03-19-1]に続いて,3月14日に参加した HiSoPra* の話題.大討論会「社会と場面のコンテクストから言語の歴史を見ると何が見えるか?―歴史社会言語学・歴史語用論の現在そして未来」で,10分程度の発言の機会をいただいた.僭越ながら私が掲げた「テーゼ」は,「21世紀の歴史社会言語学は,古くからある問題に新たな衝撃を与え,言語変化を含む歴史言語学の諸問題に活気をもたらすものである」というもの.特に資料もなしでの口頭発表だったので,以下に備忘録的に内容の概要を残しておきたい.
テーゼをさらに短く要約すると,「古い問題に対する新しいアプローチ」である.これはいろいろなところで聞くフレーズかもしれないが,歴史社会言語学・歴史語用論について,私が考えていることを端的に表現すると,これに行き着く.特に英語史の分野では,HiSoPra 的な研究は連綿と続いてきており,知見も蓄積されてきている.日本語史の立場から,もう1人の討論者である青木氏が「とっくにやってる」と述べた通り,英語史でも「とっくにやってる」のである.ただ,「歴史社会言語学」や「歴史語用論」というラベルが貼られていなかっただけである.しかし,ここで問題は,「たかがラベル」なのか「されどラベル」なのか,である.実際のところは「たかが」かつ「されど」の解釈が正解だと思っているが,討論会の題に「未来」が入っていることもあり,新しい分野としてのラベル貼りは重要だという方向で議論を運んだ.「とっくにやってる」こと,すなわち既存の研究に名前と場所を与えることによって,新たな見方や対し方が生まれ,今まで見えなかった周辺の問題との関連が見えるようになり,思いも寄らない化学反応が生じてくる可能性がある.
18世紀末からの近代言語学の歴史は,「歴史的視点 vs 非歴史視点」「中心領域 vs 周辺領域」の2つの対立軸でみると,きれいに整理できる.以下のマトリックスで表わされるように,19世紀から20世紀後半にかけて,言語学の主たる関心は I → II → III の順序で変化してきて,21世紀に残されたのは第IVステージしかない.このステージは,空白ではあるが,未知のものではない.既存の2つの項「歴史的視点」「周辺領域」を掛け合わせることによって,必然的に埋まるはずの空白である.しかし,意識的な2項の掛け合わせは,歴史上初のものであり,その意味において「新しい」とは言える(以下,伏せ字部分をクリック).
中心領域(音声,音韻,形態,統語,意味) | 周辺領域(社会,語用) | |
---|---|---|
非歴史的視点 | II. 共時的言語理論(構造主義,生成文法)(20世紀) | III. 社会言語学,語用論など(20世紀後半) |
歴史視点 | I. 比較言語学,文献学(19世紀) | IV. 歴史社会言語学,歴史語用論など (21世紀) |
3月14日に学習院大学にて,歴史社会言語学・歴史語用論の研究会 HiSoPra* (= HIstorical SOciolinguistics and PRAgmatics) の第1回研究会が開催された.2つの比較的新しい,緩く関連づけられた分野における国内初のフォーラムである.40名ほどの参加者があり,2つの個人発表と,「社会と場面のコンテクストから言語の歴史を見ると何が見えるか?―歴史社会言語学・歴史語用論の現在そして未来」と題する2時間にわたる「大討論会」がプログラムに組まれていた.
私は,討論会の5名の指定討論者の1人ということで参加する機会をいただいた(学習院の高田博行先生をはじめ,開催と準備に関わる各位に感謝いたします).各指定討論者が,この分野の現在と未来にむけて「提題」を提示し,それをネタにフロア全体で議論し,意見交換して盛り上がる,という趣旨の会である.司会の先生方も裁き方が難しかったのではないかと思うけれども,事前打ち合わせも特になかったために本音トークや自由意見が活発に飛び交い,刺激的な会となった.
いくつかの議論がなされたが,(1) 中黒やスラッシュで結ばれた「歴史社会言語学」と「歴史語用論」がいかなる関係にあり,各々がいかに定義づけられるのか,(2) これらが(特に日本語史や英語史の分野において)本当に「新しい」分野なのか,(3) (少なくとも名前としては)新しいこれらの学問分野は,どのような新たな知見をもたらしてくれると見込まれるのか,といったところが主たる話題だった.
討論を通じて,上記のような疑問への「答え」が必ずしも明らかになったわけではないが,この分野に緩く関係している研究者諸氏の間に様々な見解があり,そうした見解が諸々の言葉に対する姿勢や学問的伝統を反映しているのだということを知ることができた.この点だけでも,大きな収穫だったのではないか.
少なくとも,「○○さんの研究って,基本的に HiSoPra ぽいよね」などと一言で表現できるようになるのはとても便利だと思っている.
「#2674. 明示的遂行文の3つの特徴」 ([2016-08-22-1]) で述べたように,文には,ある主張を言明する陳述文 (constative) と,その上に行為も伴う遂行文 (performative) の2種類がある.しかし,考えようによっては,陳述文も「陳述」という発話行為 (speech_act) を行なうものであるのだから,1種の遂行文であるとも言えそうだ.遂行文には,その「遂行」を動詞で直に表わす明示的遂行文 (ex. I command you to surrender immediately.) と,そうでない暗示的遂行文 (ex. Surrender immediately.) があることを考えれば,例えば You're a stupid cow. のような通常の陳述文は,文頭に I hereby insult you that . . . などを補って理解すべき,「陳述」という遂行を表わす暗示的遂行文なのだと議論できるかもしれない.このように,あらゆる陳述文は実は遂行文であり,文頭に「I hereby + 遂行動詞 (performative verb) 」などが隠れているのだと解釈する仮説を,performative hypothesis と呼んでいる.
しかし,この仮説は広くは受け入れられていない.上に例として挙げた I hereby insult you that you're a stupid cow. という文を考えてみよう.この文は統語論的,意味論的には問題ないが,通常の発話としてはかなり不自然である.語用論的には非文の疑いすらある.さらに,統語的に隠されているとされる主節部分の遂行動詞が「嘘をつく」 (lie) や「脅す」 (threaten) などの文を想像してみるとどうだろうか.ますます文全体の不自然さが際立ってくる.さらに,隠されている遂行動詞が何かを聞き手が正確に特定する方法はあるのだろうか,という問題もある.
この仮説は1970年代に提起されたが,1980年代以降,統語論,意味論,語用論それぞれの立場から数々の問題が指摘され,批判されてきた.すでに過去の仮説と言ってもよいと思われるが,冒頭に挙げた「命令」の例など,一部の遂行動詞に関しては,簡潔な統語的説明として使えるのかもしれない.以上,Huang (97--98) を参照して執筆した.
・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.
[2017-01-16-1]の記事に引き続き,my pleasure という表現について.OED によると,Thank you. への応答としての (it is) my pleasure の初出は1950年とあり,新しい語法であることが分かる.しかし,原型となる用法は以前からあった.pleasure が my などの所有格とともに用いられると「?の意志・望み」 ("that which is agreeable to or in conformity with the wish or will of the person specified; will, desire, choice.") の意となり,15世紀より次のような例が見られる.
・ 1485 Caxton tr. Lyf St. Wenefryde 2 Whiche..aroos & humbly demaunded hym what was his playsir.
・ a1500 (c1370) Chaucer Complaint to his Lady 120 With right buxom herte hooly I preye, As your moste plesure, so doth by me.
MED でいえば,plēsīr(e (n.) の 1(d) の語義が,これに相当する.この語義は現代でも I'd go out and dance the hootchie-kootchie buck naked if that was her pleasure and mine. のような例文に見られ,現役である.この語義を基盤として,標題の会話における語用的表現が現代英語期に発達したのだろう.この語義と関連する句としては,at one's pleasure, to one's pleasure なども中英語期から使われていた.
一方,標題の「どういたしまして」の用法ほど新しくはないが,申し出に対する応答としての「喜んで」を意味する With pleasure. も初出はかなり遅い.OED では初出が1836年の Dickens となっている.
1836 Dickens Pickwick Papers (1837) ii. 12 'Glass of wine, Sir?' 'With pleasure,' said Mr. Pickwick---and the stranger took wine; first with him..and then with the whole party together.
My pleasure. にせよ With pleasure. にせよ,pleasure という語を含む句が,比較的最近になって,ある種のポライトネス (politeness) を含意しつつ語用化したということになる.動詞形 please に由来するポライトネスを標示する同形の間投詞が,初期近代英語以降に発達した事実と合わせて,pleasure 周辺はここ数世紀の間「語用づいている」と言えるだろう.please の発達については,「#2644. I pray you/thee から please へ」 ([2016-07-23-1]) を参照.
Thank you. に対しては,You are welcome., Don't mention it., Not at all., No problem., など様々な応対の仕方がある(adjacency_pair を参照).変種,格式・略式の別,状況によってどれがふさわしいかは異なるが,日本語の「どういたしまして」に相当する.実際には,日本語では「ありがとう」に対して「どういたしまして」と返す機会は多くなく,無言だったり,せいぜい「いえいえ」で済ましたりすることも多い.
英語でのもう1つのよくある言い方として It's a pleasure. や My pleasure. や The pleasure is mine. という表現がある.用例を見てみよう.
・ Thanks for doing that. --- It's a pleasure.
・ Thanks for coming. --- My pleasure.
・ It was so kind of you to give us a lift. --- Don't mention it - it was a pleasure.
よくよく考えると,my pleasure という表現は,なかなか味わい深い.No problem. や「どういたしまして」ほど控えめではなく,You are welcome. ほど積極的でもなく,自分に引きつけて「我が喜び」と表現するあたり,すがすがしく感じが良い.これまで,私も英語を話すときには You are welcome. や No problem. くらいしかヴァリエーションがなかったが,もっと積極的に My pleasure. を使っていこうと思った次第である.
そんなことを思ったのは,柳家小三治『ま・く・ら』に所収の「「マイ・プレジャー」のすすめ」を読んで爆笑したからである.小三治が,聞き知った件のフレーズを,ある機会に使ってみようと思い立ったが,なぜか口から出てしまったのは「ユア・ピース」だったという落ちである(ネタバレ,すみません).いや,温かい.さすが人間国宝.
なお,pleasure /pˈlɛʒə/ という発音の発達は複雑なようだ.14世紀後半にフランス語から plesir(e) /pleˈziːr;/ として借用されたが,世紀の変わり目までに散文では強勢が第1音節へ移り /ˈpleziːr/ となった.次に,1500年頃に語尾が measure などにつられて -ure となり,さらにその後に第1音節母音が短化して,現在の発音の原型が成立したという.
関連して,pleasure に対応する動詞は please だが,please のポライトネス (politeness) について「#2644. I pray you/thee から please へ」 ([2016-07-23-1]) を参照されたい.
・ 柳家 小三治 『ま・く・ら』 講談社,1998年.
「#2122. コンテクストの種類」 ([2015-02-17-1]) で扱った話題について再考する.言語におけるコンテクスト (context) と一言でいっても,その内容や分類法については様々な立場がある.今回は,Crystal (322--23) の与えている3要素を紹介しよう.
・ Setting: The time and place in which a communicative act occurs, such as in church, during a meeting, at a distance, or upon leave-taking.
・ Participants: The number of people who take part in an interaction, and the relationships between them, such as the addressee(s) and bystander(s).
・ Activity: The type of activity in which a participant is engaged, such as cross-examining, debating or having a conversation.
それぞれ,言語行動に関する when/where, who, what におよそ相当すると考えてよいだろう.これら3要素の組み合わせにより広い意味での「文脈」が定まり,それにより,話者は言語使用に際して何らかの制限が課されることになる.どのような点について制限されるかといえば,例えば次の4項目が考えられる.
・ Channel: They influence the medium chosen for the communication (e.g. speaking, writing, signing, whistling, singing, drumming) and the way it is used.
・ Code: They influence the formal systems of communication shared by the participant, such as spoken English, written Russian, American Sign Language, or some combination of these.
・ Message form: They influence the structural patterns that identify the communication, both small-scale (the choice of specific sounds, words, or grammatical constructions) and large-scale (the choice of specific genres).
・ Subject matter: They influence the content of the communication, both what is said explicitly and what is implied.
これらを総合すると,例えばキリスト教の説教師が置かれる典型的なコンテクストは,次のようなものとなる.説教師 (participant) が,日曜日の朝に教会 (setting) で,信徒の集団 (participants) に向かって,英語の独り言 (code) という話し言葉 (channel) で,説教 (activity) を行なう.その際,宗教を語るにふさわしい文体や構成 (message form) で,精神的な話題 (subject matter) について語るだろう.逆からみれば,このようなすべての要件が合わさると,いかにも「説教」というコンテクストができあがるともいえる.
当然ながら,コンテクストは,使用域 (register) やジャンル (genre) の問題とも不可分である(「#839. register」 ([2011-08-14-1]) を参照).また,より広い立場から,「#1996. おしゃべりに関わる8要素 SPEAKING」 ([2014-10-14-1]) や「#1326. 伝え合いの7つの要素」 ([2012-12-13-1]) も関連するだろう.
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
多くの言語に,方向に関わる直示性 (deixis) がある.直示的方向表現には,hither や thither などを意味する接辞や形態素や小辞で表わされるものもあれば,come や go のように移動動詞 (motion verb) などで表わされるものもある.
よく知られているように,英語の go/come の使い分けは,日本語の「行く/来る」の使い分けとは若干異なる.話し手が聞き手に近づく動作は,日本語では「私はあなたのところへ行きます」と表現するのに対して,英語では I'll come to you と表現する.これは,英語 come と日本語「来る」の方向に関する直示性が異なっていることを示している.
英語 come は,Fillmore の著名な研究によれば,少なくとも以下の5つの条件のもとで用いられるとされる(以下,Huang 161 より).
(i) movement towards the speaker's location at CT [= coding time]
(ii) movement towards the speaker's location at arrival time
(iii) movement towards the addressee's location at CT
(iv) movement towards the addressee's location at arrival time
(v) movement towards the home-base maintained at CT by either the speaker or the addressee.
具体的に John will come to the library next week. という文で考えてみよう.この文を発することができるのは,まず話し手が今図書館にいる場合である (= (i)) .次に,これは話し手が来週 John がやってくる時間に図書館にいる場合にも成立する (= (ii)) .さらに,聞き手が今図書館にいる場合 (= (iii)),あるいは来週の John がやってくる時間に図書館にいる場合 (= (iv)) にも使える.最後に,話し手や聞き手が実際に今あるいは来週に図書館にいるかどうかにかかわらず,図書館が話し手や聞き手の名目上の "home-base" (例えば,職場)である場合には,この文は成立する.例えば,話し手と聞き手がともにその図書館の司書であると仮定すると,次の文は問題なく成立する.John will come to the library next week, but both of us will be on holiday then.
通言語的に come におよそ相当する移動動詞の直示性の条件が異なっているように,ある言語に限っても,通時的にその条件が変化してきたという可能性はある.後者は歴史語用論の話題となるが,そのような研究はすでにあるのだろうか.英語史でこの問題を探ってみるのもおもしろそうだ.
deixis 一般については「#2680. deixis」 ([2016-08-28-1]) を参照.
・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.
概説書の目次シリーズ (toc) に,語用論のテキストとして定評のある Huang を加えたい.主として英語の語用論を扱っているものの,諸言語への言及も多く,丁寧で読みやすいテキストである.以下の目次では省いているが,各章末に "Key concepts", "Exercises and essay questions", "Further readings" が付されており,役立つことを付け加えておく.
1. Introduction
1.1. What is pragmatics?
1.1.1. A definition
1.1.2. A brief history of pragmatics
1.1.3. Two main schools of thought in pragmatics: Anglo-American versus European Continental
1.2. Why pragmatics?
1.2.1. Linguistic underdeterminacy
1.2.2. Simplification of semantics and syntax
1.3 Some basic notions in semantics and pragmatics
1.3.1 Sentence, utterance, proposition
1.3.2. Context
1.3.3. Truth value, truth condition, entailment
1.4 Organization of the book
Part I Central topics in pragmatics
2. Implicature
2.1. Classical Gricean theory of conversational implicature
2.1.1. The co-operative principle and the maxims of conversation
2.1.2. Relationship between the speaker and the maxims
2.1.3. Conversational implicatureO versus conversational implicatureF
2.1.4. Generalized versus particularized conversational implicature
2.1.5. Properties of conversational implicature
2.2. Two neo-Gricean pragmatic theories of conversational implicature
2.2.1. The Hornian system
2.2.2. The Levinsonian system
2.3. Conventional implicature
2.3.1. What is conventional implicature?
2.3.2. Properties of conventional implicature
2.4. Summary
3. Presupposition
3.1. What is presupposition?
3.2. Properties of presupposition
3.2.1. Constancy under negation
3.2.2. Defeasibility
3.2.3. The projection problem
3.3. Analyses
3.3.1. The filtering-satisfaction analysis
3.3.2. The cancellation analysis
3.3.3. The accommodation analysis
3.4. Summary
4. Speech acts
4.1. Performatives versus constatives
4.1.1. The performative/constative dichotomy
4.1.2. The performative hypothesis
4.2. Austin's felicity conditions on performatives
4.3. Locutionary, illocutionary, and perlocutionary speech acts
4.4. Searle's felicity conditions on speech acts
4.5. Searle's typology of speech acts
4.6. Indirect speech acts
4.6.1. What is an indirect speech act?
4.6.2. How is an indirect speech act analysed?
4.6.3. Why is an indirect speech act used? Some remarks on politeness
4.7. Speech acts and culture
4.7.1. Cross-cultural variation
4.7.2. Interlanguage variation
4.8. Summary
5. Deixis
5.1. Preliminaries
5.1.1. Deictic versus non-deictic expression
5.1.2. Gestural versus symbolic use of a deictic expression
5.1.3. Deictic centre and deictic projection
5.2. Basic categories of deixis
5.2.1 Person deixis
5.2.2. Time deixis
5.2.3. Space deixis
5.3. Other categories of deixis
5.3.1. Social deixis
5.3.2. Discourse deixis
5.4. Summary
Part II Pragmatics and its interfaces
6. Pragmatics and cognition: relevance theory
6.1. Relevance
6.1.1. The cognitive principle of relevance
6.1.2. The communicative principle of relevance
6.2. Explicature, implicature, and conceptual versus procedural meaning
6.2.1. Grice: what is said versus what is implicated
6.2.2. Explicature
6.2.3. Implicature
6.2.4. Conceptual versus procedural meaning
6.3. From Fodorian 'central process' to submodule of 'theory of mind'
6.3.1. Fodorian theory of cognitive modularity
6.3.2. Sperber and Wilson's earlier position: pragmatics as Fodorian 'central process'
6.3.3. Sperber and Wilson's current position: pragmatics as submodule of 'theory of mind'
6.4. Relevance theory compared with classical/neo-Gricean theory
6.5. Summary
7. Pragmatics and semantics
7.1. Reductionism versus complementarism
7.2. Drawing the semantics-pragmatics distinction
7.2.1. Truth-conditional versus non-truth-conditional meaning
7.2.2. Conventional versus non-conventional meaning
7.2.3. Context independence versus context dependence
7.3. Pragmatic intrusion into what is said and the semantics-pragmatics interface
7.3.1. Grice: what is said versus what is implicated revisited
7.3.2. Relevance theorists: explicature
7.3.3. Recanati: the pragmatically enriched said
7.3.4. Bach: conversational implicature
7.3.5. Can explicature/the pragmatically enriched said/implicature be distinguished from implicature?
7.3.6. Levinson: conversational implicature
7.3.7. The five analyses compared
7.4. Summary
8. Pragmatics and syntax
8.1. Chomsky's views about language and linguistics
8.2. Chomsky's binding theory
8.3. Problems for Chomsky's binding theory
8.3.1. Binding condition A
8.3.2. Binding condition B
8.3.3. Complementarity between anaphors and pronominals
8.3.4. Binding condition C
8.4. A revised neo-Gricean pragmatic theory of anaphora
8.4.1. The general pattern of anaphora
8.4.2. A revised neo-Gricean pragmatic apparatus for anaphora
8.4.3. The binding patterns
8.4.4. Beyond the binding patterns
8.4.5. Logophoricity and emphaticness/contrastiveness
8.5. Theoretical implications
8.6. Summary
・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.
「#2680. deixis」 ([2016-08-28-1]) に関わる文法範疇 (category) の1つに,人称 (person) がある.ただし,直接 deixis に関係するのは,1人称(話し手)と2人称(聞き手)のみであり,いわゆる3人称とはそれ以外の一切の事物として否定的に定義されるものである.「私」と「あなた」の指示対象は,会話の参与者が変わればそれに応じて当然変わるものであり,コミュニケーションにとって,このように相対的な指示機能を果たす1・2人称代名詞が是非とも必要だが,3人称については,絶対的にそれを指し示す名詞(句)だけを使っても用を足すことはできる.例えば代名詞「彼」や「彼女」を用いる代わりに,「鈴木」や「山田」と名前を繰り返し用いて済ませることも可能である.したがって,諸言語の人称代名詞体系において最も本質的なものは1,2人称であり,3人称は場合によってなしでも可である.
Huang (137) は,3人称代名詞を欠く言語がありうる理由について,次のように述べている.
Third person is the grammaticalization of reference to persons or entities which are neither speakers nor addressees in the situation of utterance, that is, the 'participant-role' with speaker and addressee exclusion [-S, -A] . . . . Notice that third person is unlike first or second person in that it does not necessarily refer to any specific participant-role in the speech event . . . . Therefore, it can be regarded as the grammatical form of a residual non-deictic category, given that it is closer to non-person than either first or second person . . . . This is why all of the world's languages seem to have first- and second-person pronouns, but some appear to have no third-person pronouns.
具体的に Huang が3人称代名詞を欠く言語として言及しているのは,Dyirbal, Hopi, Yéli Dnye, Yidiɲ, 及びコーカサス諸語である.
実は,日本語にしても,人称代名詞をどのように考えるかという議論はあるが,3人称代名詞については古来指示代名詞の転用が一般的であり,独自のものはなかったといってよい.1人称はア・アレ,ワ・ワレ,2人称ではナ・ナレが固有の語幹としてあったのに対し,3人称は少なくとも独自の語幹をもつほどには発達していなかったからだ.
ところで,日本語でも英語でも小さい子供が自分のことを1人称代名詞ではなく固有名詞で呼ぶ現象があるが,あれは相対的なものの見方や自我の発達と関係があるのだろうか.deixis は,その時々の立ち位置を定めた上での相対的な指示機能であるから,認知能力の発達と関係しそうではある.これは絶対敬語の問題とも関係し,広い意味で語用論の話題,deixis の話題といえる.
・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.
語用論の基本的な話題の1つに deixis (ダイクシス,直示性)がある.この用語は,ギリシア語で「示す,指し示す」を意味する deikunúnai に由来する.Huang (132) の定義によれば,deixis とは "the phenomenon whereby features of context of utterance or speech event are encoded by lexical and/or grammatical means in a language" である.直示表現 (deictic (expression)) には,指示詞 (demonstrative),1・2人称代名詞 (1st and 2nd personal_pronoun),時制標識 (tense marker),時や場所の副詞 (adverb of time and place),移動動詞 (motion verb) が含まれる.
何らかの deixis をもたない言語は存在しない.それは,deixis を標示する手段がないと,人間の通常のコミュニケーション上の要求を満たすことができないからだ.確かに「私」「ここ」「今」のような直示的概念なしでは,いかなる言語も役に立たないだろう.海辺で拾った瓶のメモに "Meet me here a month from now with a magic wand about this long." と書かれていても,誰に,どこで,いつ,どのくらいの長さの杖をもって会えばよいのか不明である.これは読み手が書き手の意図した deixis を解決できないために生じるコミュニケーション障害である.
英語の直示表現の典型例として you を挙げよう.通常,話し相手を指して you が用いられ,時と場合によって you の指示対象は変わるものであるから,これは典型的な直示表現といえる.しかし,If you travel on a train without a valid ticket, you will be liable to pay a penalty fare. のように一般人称として用いられる you では,本来の直示的な性質はなりをひそめており,2人称代名詞 you の非直示的用法の例というべきだろう.
直示表現のもう1つの典型例として,this を挙げよう.指さしや視線などの物理的なジェスチャーを伴って this table と言うとき,この this はすぐれて直示的な用法といえるが,物理的な行動を伴わずに this town と言うときには,この this は直示的ではあるがより象徴的な用法といえる.後者は前者からの発展的,派生的用法と考えられ,実際,ジェスチャー用法 (gestural) でしか用いられず,象徴的 (symbolic) な用法を欠いているフランス語の voici, voilà のような直示表現もある.言い換えれば,象徴的用法のみをもつ直示表現というのはありそうにない.
以上より,直示表現の用法は以下のように分類される (Huang 135 の図を改変).
┌─── Gestural │ ┌─── Deictic use ───┤ │ │ Deictic expression ───┤ └─── Symbolic │ └─── Non-deictic use
言語接触に伴う借用 (borrowing) は,音韻,語彙,形態,統語,意味の各部門で生じており,様々に研究されてきた.しかし,「#1988. 借用語研究の to-do list (2)」 ([2014-10-06-1]) で触れたように語用論的借用についてはいまだ研究が蓄積されていない.「#1989. 機能的な観点からみる借用の尺度」 ([2014-10-07-1]) で論じたように,談話標識 (discourse_marker) や態度を表わす小辞の借用などはあり得るし,むしろ生じやすくすらあるかもしれないと言われるが,具体的な研究事例は少ない.
少ないケーススタディの1つとして,Prince の論文を読んだ.Yiddish の背景をもつ英語変種 (Yiddish English) において,目的語や補語などを文頭にもってくる 語順が標準英語における焦点化の機能とは異なる機能で利用されている事実があり,それは Yiddish において対応する語順のもつ談話機能が借用されたものではないかという.
標準英語では,目的語や補語を頭に出す Focus-Movement は文法的である.例えば,
(1) Let's assume there's a device which can do it --- a parser let's call it.
では,let's call it の部分が旧情報として前提とされており,情報構造の観点から新情報 a parser が文頭に移動されて,焦点を得ている.
Yiddish English でみられる対応する移動 (Yiddish-Movement) でも,似たような前提と焦点化は確認されるが,少し様子が異なっている.例えば,Yiddish English から次のような例文を挙げてみよう.
(2) "Look who's here,' his wife shouted at him the moment he entered the door, the day's dirt still under his fingernails. "Sol's boy." The soldier popped up from his chair and extended his hand. "How do you do, Uncle Louis?" "A Gregory Peck," Epstein's wife said, "a Montgomery Clift your brother has. He's been here only 3 hours, already he has a date."
ここで a Montgomery Clift your brother has と移動が起こっているが,標準英語の (1) の場合と異なるところがある.両例文ともに,程度の差はあれ前提や焦点化の機能が働いていると解釈できるが,(1) では前提部分が聞き手の意識の中にある,すなわち顕著 (salient) であるのに対して,(2) では前提部分が顕著でない.したがって,標準英語の使い手にとって,(2) は語順文法として違反はしていないが,なぜ顕著でない文脈において目的語をわざわざ頭に出すのだろうと,話者の意図を理解しにくいのである.標準的な Focus-Movement と Yiddish English に特有の Yiddish-Movement では,その談話機能が若干異なっているのである.
Yiddish-Movement の談話機能の特徴は,前提部分が salient でなくても,とにかく焦点化として用いられる点にある.では,この Yiddish-Movement の談話機能はどこから来ているのかといえば,いうまでもなく Yiddish であるという.Prince (515) 曰く,". . . Yiddish-English bilinguals presumably found English Focus-Movement to be syntactically analogous to Yiddish Focus-Movement and associated with the former the discourse function of the latter."
このような談話機能の借用を定式化すると,次のようになるだろう (Prince 517) .
Given S1, a syntactic construction in one language, L1, and S2, a syntactic construction in another language, L2, the discourse function DF1 associated with S1 may be borrowed into L2 and associated with S2, just in case S1 and S2 can be construed as syntactically 'analogous' in terms of string order.
これは統語・語用的な借用とでもいうべきものだが,単語における意味借用 (semantic_borrowing) と似ていなくもない.言語において後者が広く観察されるように,前者の例も少なくないのかもしれない.
・ Prince, E. F. "On Pragmatic Change: The Borrowing of Discourse Functions." Journal of Pragmatics 12 (1988): 505--18.
Austin の発話行為 (speech_act) の理論によれば,文には,ある主張を言明する陳述文 (constative) と,その上に行為も伴う遂行文 (performative) とが区別される.例えば,My daughter is called Elizabeth. は陳述文だが,I name this ship the Princess Elizabeth. は遂行文と理解される.
遂行文には,その行為を表わす動詞を明示的に含む明示的遂行文 (explicit performative) と,含まない暗示的遂行文 (implicit performative) がある.例えば,I command you to surrender immediately. は明示的遂行文だが,Surrender immediately. は暗示的遂行文である.明示的遂行文におおける行為を表わす動詞(先の例文の場合には command)を遂行動詞 (performative verb) という.
Austin は,英語における明示的遂行文の統語意味的な特徴として,次の3点を挙げている.(1) 遂行動詞を含んでいる(これは特徴というよりは定義というべきか),(2) 副詞 hereby を付け加えることで遂行文たることを強調することができる,(3) 1人称単数の主語が立ち,能動態で直説法の単純現在形の動詞が用いられる.3つの特徴を合わせもつ典型的な遂行文をいくつか挙げておこう.
・ I hereby christen this ship the Princess Elizabeth
・ I now pronounce you husband and wife.
・ I sentence you to ten years in prison.
・ I promise to come to your talk tomorrow afternoon.
・ I apologize for being late.
しかし,Austin 自身も認めているように,(3) の特徴を有しない明示的遂行文もある.Huang (97) から取った以下の例文にみられるように,1人称複数の主語が立つ場合もあるし,それ以外の人称の主語が立つことも可能である.遂行動詞が非人称であることもありうるし,現在進行形や受動態の遂行文もありうる.
・ We suggest that you go to the embassy
・ You are hereby warned that legal action will be taken.
・ Passengers are hereby requested to wear a seat belt.
・ Notice is hereby given that the Annual General Meeting of O2 plc will be held at The Hexagon, Queens Walk, Reading, Berkshire RG1 7UA on Wednesday, 27 July 2005 at 11.00 am for the following purposes: . . . .
・ The management hereby warns customers that mistakes in charge cannot be rectified once the customer has left the counter.
・ It is herewith disclosed that the value of the estate left by Marcus T. Bloomingdale was 4,785,758 dollars.
・ Are you denying that the government has interfered? --- I am denying that.
・ You are being discharged on the grounds of severe temperamental unsuitability for service in the Royal Navy.
だが,さすがに過去時制の遂行文はないようだ.もし I christened this ship the Princess Elizabeth last Sunday. と言ったとしても,これは陳述文であり,遂行文とはなりえない.
・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.
Austin や Searle の語用論では,発話行為 (speech_act) が適切に遂行されるためにいくつかの条件,適切性条件 (felicity conditions) があると論じられる.発話行為はそのような条件が事前に満たされた上ではじめて実現されるものであり,さらに Searle によれば,そのような条件は発話行為を作り出す規則 (constitutive rules) そのものでもある,とも言われる (Huang 104;塩田, pp. 101--02) .
具体的には,ある発話行為の適切性条件は,(i) 命題 (propositional content), (ii) 事前条件 (preparatory condition), (iii) 誠実性条件 (sincerity condition), (iv) 本質条件 (essential condition) の4種類からなる.話し手を S,聞き手を H,行為を A,言語表現を e とするとき,例えば「約束」 (promising) という発話行為に対する適切性条件は,以下のようになる (Huang 105) .
Searle's felicity conditions for promising
(i) Propositional content: future act A of S
(ii) Preparatory:
(a) H would prefer S's doing A to his not doing A, and S so believes
(b) It is not obvious to both S and H that S will do A in the normal course of events
(iii) Sincerity: S intends to do A
(iv) Essential: the utterance of e counts as an undertaking to do A
(i) の命題は,発話の中核をなす命題内容のことであり,発話行為に関する部分を取り除いたあとに残る発言の本体を指す.約束の場合には「S が A を行なうこと」になる.(ii) の事前条件は,現実的な必須条件のことであり,H が A の遂行を望んでいるということや,放っておいても A が起こらないということを S も H も知っていることなどに相当する.(iii) の誠実性条件は,S が A を遂行する意志があることである.(iv) の本質条件は,e が S の遂行の意志が伝わるものとして発言されているか否かという条件に相当する.これらの条件のすべてが満たされなければ,適切な約束の行為とはならない.
同様に,依頼 (requesting) という発話行為の適切性条件も挙げてみよう (Huang 105) .
Searle's felicity conditions for requesting
(i) Propositional content: future act A of S
(ii) Preparatory:
(a) S believes H can do A
(b) It is not obvious that H would do A without being asked
(iii) Sincerity: S wants H to do A
(iv) Essential: the utterance of e counts as an attempt to get H to do A
例えば Can you drive me home? という依頼の発話行為が適切に成立するためには,「あなたが私を車で家まで送る」という命題について,「私」が「あなた」が運転できる状態にあり,頼まなければ送ってくれないだろうということを知っており,本当に送ってもらいたいとも思っており,かつその発話によりその意図が相手に伝わるはずだと信じている,などの諸条件が満たされなければならない.
・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.
・ 塩田 英子 「発話行為」 『語用論』(中島信夫(編)) 朝倉書店,2012年,93--107頁.
「#2289. 命令文に主語が現われない件」 ([2015-08-03-1]) の最後に簡単に触れたように,初期近代英語での依頼のポライトネス・ストラテジーとしては,Shakespeare に頻出するように,I pray you/thee, prithee, I beseech you, I require that, I would that などがよく用いられた.しかし,後期近代英語になると,これらは特に口語体において衰退し,代わりに17世紀より散発的に現れ始めていた please (< if you please < if (it) please you) が優勢となってきた.依頼に用いられる表現がこのように変化してきた背景には,何があったのだろうか.
この疑問については,please の成立に関する語順や文法化の問題として言語内的に考察しようという立場がある一方で,社会(言語)学や歴史語用論の観点から説明を施そうという立場もある.後者の立場からは,例えば,19世紀に pray が語感として強い宗教的な含意をもつようになったために,通常の依頼の表現としてはふさわしくないと感じられるようになった,という提案がある.
Busse も歴史語用論の立場からこの変化の問題に接近し,この時期に焦点を話し手から聞き手へと移すというポライトネス・ストラテジーの転換が起こったのではないかと推測している.古い I pray you のタイプの適切性条件 (felicity condition) は「話し手が聞き手に○○をしてもらいたいと思っている」ことであるのに対して,新興の (if you) please のタイプでは,「話し手が聞き手に○○をしようという意図があるかどうかを訊ねる」ことであるという違いがある.後者の適切性条件は,Can/could you pass the salt? のような疑問の形式を用いた依頼にも見られるものであり,確かに I pray you などよりも現代的な響きが感じられる.
Busse (31--32) はこの推測を次のようにまとめている.
Pragmatically, the redressed command and the question have in common that they ask for the willingness of the listener to do X (willingness on the part of the hearer being a felicity condition for imperatives to be successful). Yet, indirect requests with pray/prithee put the focus on the speaker and assert his/her sincerity: Speaker sincerely wants X to be done.
The diachronic comparison of requests with pray to those with please on the basis of the OED and the Shakespeare Corpus has led me to the assumption that the disappearance of pray in polite requests and the subsequent rise of please as a concomitant can be explained pragmatically. This is to say that at least in colloquial speech a shift in polite requests has taken place from requests that assert the sincerity of the speaker (I pray you, beseech you, etc.) to those that question the willingness of the listener to perform the request (please). . . .However, in more formal types of dialogue, verbs that express the speaker's sincere wish that something be done, such as I beseech, entreat, implore, importune, solicit, urge, etc. you still persist.
もしこの変化が初期近代英語から後期にかけてのポライトネス・ストラテジーの大きな推移――話し手から聞き手への焦点の移行――を示唆しているとすれば,それは英語歴史社会語用論の一級の話題となるだろう.
・ Busse, Ulrich. "Changing Politeness Strategies in English Requests --- A Diachronic Investigation." Studies in English Historical Linguistics and Philology: A Festschrift for Akio Oizumi. Ed. Jacek Fisiak. Frankfurt am Main: Peter Lang, 2002. 17--35.
「#2492. 過去を表わす副詞と完了形の(不)共起の歴史 」 ([2016-02-22-1]) で取り上げた Present Perfect Puzzle と呼ばれる英文法上の問題がある.よく知られているように,現在完了は過去の特定の時点を指し示す副詞とは共起できない.例えば Chris has left York. という文法的な文において,Chris が York を発ったのは過去のはずだが,過去のある時点を指して *Yesterday at ten, Chris has left York とすると非文法的となってしまう.この "past-adverb constraint" がなぜ課されているのかを説明することは難しく,"puzzle" とされているのだ.
1つの解決法として提案されているのが,"scope solution" である.現在完了を作る助動詞 have が現在を指し示しているときに,過去を指し示す副詞の作用域 (scope) がその部分を含む場合には,時制の衝突が起こるという考え方だ.素直な説のように見えるが,いくつかの点で難がある.例えば,Chris claims to have left York yesterday. では,副詞 yesterday の使用域は to have left York までを含んでおり,その点では先の非文の場合の使用域と違いがないように思われるが,実際には許容されるのである.また,この説では,現在完了は,過去どころか現在の時点を指し示す副詞とも共起し得ないことを説明することができない.つまり,*Chris has been in Pontefract last year. が非文である一方で,*Chris has been in Pontefract at present. も非文であることを説明できない.
次に,根強く支持されているい説として "current relevance solution" がある.現在完了とは,現在との関連性を標示する手段であるという考え方だ.あくまで過去から現在への継続を示すのが主たる機能なのであるから,過去を明示する副詞との共起は許されないとされる.母語話者の直感にも合う説といわれるが,過去と現在の関連性は,実は過去形によって表わすこともできるではないかという反論がある.例えば,Why is Chris so cheerful these days? --- Well, he won a million in the lottery. では,現在と過去の関連性がないとは言えないだろう.また,過去と現在の関連性が明らかであっても,*Chris has been dead. は許されず,Chris was dead. は許される.
Klein (546) は従来の2つの説を批判して,語用論的な観点からこの問題に迫った.TT (= "topic time" = "the time for which, on some occasion, a claim is made" (535)) と TSit (= time of situation) という2種類の時間指示を導入して,1つの発話のなかで,TT と TSit の表現が,ともに独立して過去の定的な時点を明示 (p-definite (= point-definite)) してはならない制約があると仮定した.
P-DEFINITENESS CONSTRAINT
In an utterance, the expression of TT and the expression of TSit cannot both be independently p-definite.
ここで Klein の議論を細かく再現することはできないが,主張の要点は Present Perfect Puzzle を解く鍵は,統語論にはなく,語用論にこそあるということだ.上に挙げてきた非文は,統語的に問題があるのではなく,語用的にナンセンスだからはじかれているのである."p-definite constraint" は,このパズルを解くことができるだけではなく,例えば *Today, four times four makes sixteen. がなぜ許容されないのか(あるいはナンセンスか)をも説明できる.ここでは,動詞 makes (TT) と副詞 Today (TSit) の両方が独立して,現在の時点を表わしている (p-definite) ために,語用論的に非文となるのだという.
"p-definiteness constraint" は,もう1つのパズルの解き方の提案である.
・ Klein, Wolfgang. "The Present Perfect Puzzle." Language 68 (1992): 525--52.
驚きや狼狽を表し,「ちくしょう,くそっ,なってこった」ほどと訳される間投詞としての Jesus がある.God や goddamn などと同様の罵り言葉であり,明らかに宗教的な名前に起源をもつが,それが時とともに語用標識 (pragmatic marker) へと発展したものである.いうまでもなく元来 Jesus は神の子イエス・キリストを指すが,"Jesus, please help me." のように非宗教的な嘆願の文脈でもしばしば用いられたことから,祈り,呪い,罵りの場面と密接に関係づけられるようになった.その結果,単独で間投詞として用いられるに至り,この用法としては,もはやイエス・キリストを指示する機能はきわめて希薄である.ある特定の文脈で繰り返し用いられることにより,この語に当該の語用的な含意が染みついた語用化 (pragmaticalisation) の例である.以下,Jucker and Taavitsainen (134--38) に拠って,この現象を覗いてみよう.
イエスの指示,嘆願における呼びかけ,そして間投詞としての Jesus の用法のグラデーションは,以下の例文により共時的にも感じ取ることができる (qtd. in Jucker and Taavitsainen 134).
・ I went through the motions, but I still prayed to Jesus at night, still went to church. (COCA, ABC_20/20, 2010)
・ Oh, Jesus please bless her. Here goes another one, little lady. (COCA, CNN_King, 1997)
・ He flicks on the TV. Nothing. Goddamn box. Not even plugged in. Jesus. He can't be prowling around looking for a socket. Shit. (COCA, Gologorsky, Beverly. The things we do to make it home, 1999)
古英語でもイエスを指示したり,イエスに嘆願するのに Iesus の語が用いられていたが,宗教的な文脈に限られていた.しかし,中英語ではすでに非宗教的な文脈で用いられている.例えば,1377年には "Bi iesus, with here ieweles, howre iustices she shendeth." とあり,語用化の道,間投詞への道をすでに歩んでいることがうかがえる.語用化の前後で共通しているものは話者の運命を左右する何者かへの訴えかけであり,その者とは神だったり,上位の者だったり,運命だったりするわけだ.
後期中英語より後では,罵り言葉としての Jesus の用法が明確になってくるが,それでも元来の用法との境目が曖昧な例は数多い.Jucker and Taavitsainen (136) は,曖昧な領域をまたぐこの語用化の道筋を誘導推論 (invited_inference) の観点から説明している.
The expression is regularly used with both the original meaning of religious invocation and the invited inference that the speaker also wants to communicate a certain amount of surprise and annoyance, and, therefore, the invited inference becomes part of the coded meaning of the expression, while the original meaning is increasingly backgrounded.
語用化の過程は,文法化 (grammaticalisation) や主観化 (subjectification) とも密接に関わっており,実際 Jesus の経た変化は,話者の感情を伝えるようになった点で主観化の例とみることもできる.また,嘆願の呼びかけとして文頭に現われやすいことが,文の他の要素からの独立を促し,間投詞化を推し進めたととらえることもできそうである.
・ Jucker, Andreas H. and Irma Taavitsainen. English Historical Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
祈願の may について,「#1867. May the Queen live long! の語順」 ([2014-06-07-1]),「#2256. 祈願を表わす may の初例」 ([2015-07-01-1]),「#2478. 祈願の may と勧告の let の発達の類似性」 ([2016-02-08-1]) で扱ってきたが,この問題について,最近,松瀬の論文が公刊された.初期近代英語の may 祈願文の確立は,古英語以来の種々の歴史言語学的な要因が積み重なった結果であり,一朝一夕に成ったものではないという趣旨だ.総合的な視点から同問題に迫った好論である.
議論の詳細には触れないが,松瀬 (82) が「may 祈願文ができるまで」と題する節で図式的に要約した部分を引用する.
a. STAGE 1: OE ?
I wish that NP-Nom[inative]. + V-S[u]BJ[unctive]. 〔従属節〕
... (so) that NP-Nom. + V-SBJ. 〔従属節〕
b. STAGE 2: OE ?
NP-Nom. + V-SBJ. 〔主節〕 ex) God bless you!
X + V-SBJ. + NP-Nom. 〔主節〕 ex) Long live the Queen!
c. STAGE 3: Late OE ?
I wish that NP-Nom. + MAY + Inf[initive]. 〔従属節〕
... (so) that NP-Nom. + MAY + Inf. 〔従属節〕
d. STAGE 4: ME ? *EModE/ME ?
NP-Nom. + MAY/MIGHT + Inf. 〔主節〕 ex) Thy voyce may sounde in mine eres.
*X + NP-Nom. + MAY/MIGHT + Inf. 〔主節〕 ex) from dyssese he may us saue.
X + MAY/MIGHT + NP-Nom. + Inf. 〔主節〕 ex) ai mighte he liven.
Cf. (X) + MOTE + NP-Nom. + Inf. 〔主節〕 ex) mote þu wel færen
Cf. LET + NP-Nom. + Inf. 〔主節〕 ex) late we hine welden his folc ...
e. STAGE 5: EModE ?
MAY + NP-Nom. + Inf. 〔主節〕 ex) May the force be with you!
一連の流れに関わっている要因は,祈願動詞の従属節の法と語順,祈願の接続法を用いた主節の用法,接続法の代用としての助動詞 may の発達,類義の助動詞 motan の祈願用法の影響,let 構文との類推,"pragmatic particle" としての may とその語順の発達,など多数にわたる.これらが複雑に絡み合い,ある1つの特徴ある用法が生まれたというシナリオに,英語史や歴史英語学の醍醐味を感じる.
・ 松瀬 憲司 「"May the Force Be with You!"――英語の may 祈願文について――」『熊本大学教育学部紀要』64巻,2015年.77--84頁.
「#1867. May the Queen live long! の語順」 ([2014-06-07-1]) の最後で触れたように,may 祈願文と let 勧告文には類似点がある.いずれも統語的には節の最初に現われるという破格的な性質を示し,直後に3人称主語を取ることができ,語用論的には祈願・勧告というある意味で似通った発話行為を担うことができる.最後の似通っている点に関していえば,いずれの発話行為も,古英語から中英語にかけて典型的に動詞の接続法によって表わし得たという共通点がある.通時的には,may にせよ let にせよ,接続法動詞の代用を務める迂言法を成立させる統語的部品として,キャリアを始めたわけだが,そのうちに使用が固定化し,いわば各々祈願と勧告という発話行為を標示するマーカー,すなわち "pragmatic particle" として機能するに至った.may と let を語用的小辞として同類に扱うという発想は,前の記事で言及した Quirk et al. のみならず,英語歴史統語論を研究している Rissanen (229) によっても示されている(松瀬,p. 82 も参照).
The optative subjunctive is often replaced by a periphrasis with may and the hortative subjunctive with let:
(229) 'A god rewarde you,' quoth this roge; 'and in heauen may you finde it.' ([HC] Harman 39)
(230) Let him love his wife even as himself: That's his Duty. ([HC] Jeremy Taylor 24)
Note the variation between the subjunctive rewarde and the periphrastic may . . . finde in (229).
Of these two periphrases, the one replacing hortative subjunctive seems to develop more rapidly: in Marlow, at the end of the sixteenth century, the hortative periphrasis clearly outnumbers the subjunctive, particularly in the 1 st pers. pl. . ., while the optative periphrasis is less common than the subjunctive.
ここで Rissanen は,may と let を用いた迂言的祈願・勧告の用法の発達を同列に扱っているが,両者が互いに影響し合ったかどうかには踏み込んでいない.しかし,発達時期の差について言及していることから,前者の発達が後者の発達により促進されたとみている可能性はあるし,少なくとも Rissanen を参照している松瀬 (82) はそのように解釈しているようだ.この因果関係や時間関係についてはより詳細な調査が必要だが,一見するとまるで異なる語にみえる may と let を,語用(小辞)化の結晶として見る視点は洞察に富む.
関連して祈願の may については「#2256. 祈願を表わす may の初例」 ([2015-07-01-1]) を,勧告の let's の間主観化については「#1981. 間主観化」 ([2014-09-29-1]) も参照.
・ Rissanen, Matti. Syntax. In The Cambridge History of the English Language. Vol. 3. Cambridge: CUP, 1999. 187--331.
・ 松瀬 憲司 「"May the Force Be with You!"――英語の may 祈願文について――」『熊本大学教育学部紀要』64巻,2015年.77--84頁.
先日,掲示板にて "It is . . . that . . . ." の型をもつ分裂文 (cleft sentence),いわゆる強調構文の歴史について質問が寄せられた.これについて,以下のように粗々に回答した.
分裂文(いわゆる強調構文)の発展や,要素間の統語的一致の推移については,複雑な経緯と種々の説があり,一言では説明できません.相当するものは古英語からあり,主語には it のみならず that やゼロ形が用いられていました.現代英語における分裂文という現象を,共時的な観点にこだわらず,あえて通時的な観点から分析するのであれば,that は関係詞であり,it はその先行詞であると述べておきたいと思います.つまり,"It is father that did it." という例文でいえば,「それを為したところのもの,それは父です.」ということになります.人でありながら中性の it を用いるのも妙な感じはしますが,"Who is it?" の it などからも理解できると思います(古英語でも同じでした).ところが,後に "It is I that am wrong." にみられるように,that の先行詞は文頭の It ではなく直前の I であるかのような一致を示すに至りました.以上,取り急ぎ,かつ粗々の回答です.
この問題について,細江 (245--46) が次のように論じている.
注意を引くために用いられた It is... の次に来る関係代名詞が主格であるとき,その従文における動詞は It is I that am wrong. のようにこれに対する補語と人称数で一致する.たとえば,
It is you who make dress pretty, and not dress that makes you pretty.---Eliot
But it's backwaters that make the main stream. ---Galsworthy.
It is not I that bleed---Binyon.
これは今日どんな文法家でも,おそらく反対するものはないであろう.しかも that の先行詞は明らかに It である.それではなぜこの一致法が行なわれるかといえば,〔中略〕It は文法の形式上 that の先行詞ではあるけれども,一度言者の脳裏にはいってみれば,それは決して次に来る叙述中に含まれる動作もしくは状態などの主たり得る性質のものではない.すなわち,換言すれば It is I that am wrong. と言うとき,言者の脳裏にある事実は I am wrong. にほかならないからである.
細江は p. 246 の注で,フランス語の "Nous, nous n'avons pas dit cela." と "Ce n'est pas nous qui avons dit cela." の2つの強調の型においても,上記と同じことが言えるとしている.関連して,「#1252. Bailey and Maroldt による「フランス語の影響があり得る言語項目」」 ([2012-09-30-1]) を参照.
私の回答の最後に述べたことは,歴史の過程で統語的一致の様式が変化してきたということである.これを別の観点からみれば,元来,統語的な型として出発したものが,強調や対比という語用的・談話的な役割を担う手段として発達し,その結果として,統語的一致の様式も変化にさらされたのだ,と解釈できるかもしれない.細江の主張を,回答内の例文において繰り返せば,話者の頭の中には did it (それを為した)のは明らかに father (父)という観念があるし,wrong (間違っている)のは明らかに I という観念があるはずである.それゆえに,この観念に即した統語的一致が求められるようになったのだろう.そして,現代英語までに,この一致の様式をもつ統語的な型そのものが,語用的な機能を果たす構造として確立してきたのである.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
標題の ethnomethodology (エスノメソドロジー)は,1967年にアメリカの社会学者 Harold Garfinkel の作り出した用語であり,言語コミュニケーションに関する社会学的なアプローチを指す.日常会話の基礎となる規範,しきたり,常識を探ることを目的とする.人類言語学 (anthropological linguistics),社会言語学 (sociolinguistics),会話分析 (conversation analysis),おしゃべりの民族誌学 (ethnography_of_speaking) などの領域と重なる部分があり,学際的な分野である.Trudgill の社会言語学用語辞典より,関連する4つの用語の解説を与えたい.
ethnomethodology A branch of sociology which has links with certain sorts of sociolinguistics such as conversation analysis because of its use of recorded conversational material as data. Most ethnomethodologists, however, are generally not interested in the language of conversation as such but rather in the content of what is said. They study not language or speech, but talk. In particular, they are interested in what is not said. They focus on the shared common-sense knowledge speakers have of their society which they can leave unstated in conversation because it is taken for granted by all participants.
ethnography of speaking A branch of sociolinguistics or anthropological linguistics particularly associated with the American scholar Dell Hymes. The ethnography of speaking studies the norms and rules for using language in social situations in different cultures and is thus clearly important for cross-cultural communication. The concept of communicative competence is a central one in the ethnography of speaking. Crucial topics include the study of who is allowed to speak to who --- and when; what types of language are to be used in different contexts; how to do things with language, such as make requests or tell jokes; how much indirectness it is normal to employ; how often it is usual to speak, and how much one should say; how long it is permitted to remain silent; and the use of formulaic language such as expressions used for greeting, leave-taking and thanking.
ethnography of communication A term identical in reference to ethnography of speaking, except that nonverbal communication is also included. For example, proxemics --- the study of factors such as how physically close to each other speakers may be, in different cultures, when communicating with one another --- could be discussed under this heading.
conversation analysis An area of sociolinguistics with links to ethnomethodology which analyses the structure and norms of conversation in face-to-face interaction. Conversation analysts look at aspects of conversation such as the relationship between questions and answers, or summonses and responses. They are also concerned with rules for conversational discourse, such as those involving turn-taking; with conversational devices such as discourse markers; and with norms for participating in conversation, such as the rules for interruption, for changing topic, for overlapping between one speaker and another, for remaining silent, for closing a conversation, and so on. In so far as norms for conversational interaction may vary from society to society, conversation analysis may also have links with cross-cultural communication and the ethnography of speaking. By some writers it is opposed to discourse analysis.
ethnomethodology は,言語の機能 (function_of_language) という深遠な問題にも疑問を投げかける.というのは,ethnomethodology は,言語をコミュニケーションの道具としてだけではなく,世界を秩序づける道具としてもとらえるからだ.Wardhaugh (272) 曰く,"people use language not only to communicate in a variety of ways, but also to create a sense of order in everyday life."
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
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