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evolution - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2022-12-02 14:05

2017-02-08 Wed

#2844. 人類の起源と言語の起源の関係 (2) [language_family][world_languages][anthropology][family_tree][evolution][altaic][japanese][indo-european][origin_of_language]

 「#2841. 人類の起源と言語の起源の関係」 ([2017-02-05-1]) 及び「#2843. Ruhlen による世界の語族」 ([2017-02-07-1]) に引き続き,世界の語族分類について.Ruhlen 自身のものではないが,著書のなかで頻繁に参照・引用して支持している Cavalli-Sforza et al. が,遺伝学,考古学,言語学の知見を総合して作り上げた関係図がある.Ruhlen (33) で "Comparison of the Genetic Tree with the Linguistic Phyla" として掲げられている図は,Cavalli-Sforza らによるマッピングから少し改変されているようだが,いずれにせよ驚くべきは,遺伝学的な分類と言語学的な分類が,完全とは言わないまでも相当程度に適合していることだ.  *
 言語学者の多くは,昨日の記事 ([2017-02-07-1]) で触れたように,遺伝学と言語学の成果を直接結びつけることに対して非常に大きな抵抗を感じている.両者のこのような適合は,にわかには信じられないだろう.特に分類上の大きな問題となっているアメリカ先住民の諸言語の位置づけについて,この図によれば,遺伝学と言語学が異口同音に3分類法を支持していることになり,本当だとすればセンセーショナルな結果となる.
 ちなみに,ここでは日本語は朝鮮語とともにアルタイ語族に所属しており,さらにモンゴル語,チベット語,アイヌ語などとも同じアルタイ語族内で関係をもっている.また,印欧語族は,超語族 Nostratic と Eurasiatic に重複所属する語族という位置づけである.この重複所属については,ロシアの言語学者たちや Greenberg が従来から提起してきた分類から導かれる以下の構図も想起される (Ruhlen 20) .

            ?????? Afro-Asiatic
            ?????? Kartvelian
            ?????? Elamo-Dravidian
NOSTRATIC ─┼─ Indo-European      ─┐
            ├─ Uralic-Yukaghir    ─┤
            ├─ Altaic             ─┤
            └─ Korean             ─┤
                 Japanese           ─┼─ EURASIATIC
                 Ainu               ─┤
                 Gilyak             ─┤
                 Chukchi-Kamchatkan ─┤
                 Eskimo-Aleut       ─┘

 Cavalli-Sforza et al. や Ruhlen にとって,遺伝学と言語学の成果が完全に一致しないことは問題ではない.言語には言語交替 (language_shift) があり得るものだし,その影響は十分に軽微であり,全体のマッピングには大きく影響しないからだという.
 素直に驚くべきか,短絡的と評価すべきか.

 ・ Ruhlen, Merritt. The Origin of Language. New York: Wiley, 1994.
 ・ Cavalli-Sforza, L. L, Alberto Piazza, Paolo Menozzi, and Joanna Mountain. "Reconstruction of Human Evolution: Bringing Together Genetic, Archaeological and Linguistic Data." Proceedings of the National Academy of Sciences 85 (1988): 6002--06.

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2017-02-05 Sun

#2841. 人類の起源と言語の起源の関係 [evolution][origin_of_language][homo_sapiens][anthropology]

 連日,人類の起源や拡散についての話題を取り上げている ([2017-02-02-1], [2017-02-03-1], [2017-02-04-1]) .それは,この話題が言語の起源と拡散というもう1つの話題と関連する可能性があるからだ.人類の起源に関して単一起源説と多地域進化説が対立しているように,言語の起源についても単一起源説と多起源説が唱えられている.この2つの問題を関係づけて論じたくなるのも自然のように思われるかもしれない.
 しかし,言語学の世界では,この関係づけに対する慎重論がことのほか目立つ.1つには,「#515. パリの言語学会が言語起源論を禁じた条文」 ([2010-09-24-1]) で述べたように,1866年にパリの言語学会で言語起源論が公的に禁止されて以来,この話題に対する「怯え」が学界において定着し,継承されてきたという事情がある.また,人類学や考古学が,ホモ・サピエンスの出現以前にまで遡る数十万年以上のタイムスパンを扱えるのに対して,比較言語学で遡れるのはせいぜい1万年ほどと言われるように,想定している時間の規模が大きく異なっているという事情もあるだろう (cf. 「#1313. どのくらい古い時代まで言語を遡ることができるか」 ([2012-11-30-1])) .このような事情から,人類の起源と言語の起源という2つの話題を結びつけようとすることは早計であり,原則として互いに立ち入るべきではないという学問的「謙虚さ」(あるいは「怯え」)が生じたものと思われる.
 この慎重論は,確かに傾聴に値する.しかし,「#231. 言語起源論の禁止と復活」 ([2009-12-14-1]) でも触れたように,近年,人類や言語の起源を巡る関連諸分野がめざましく発展しており,従来の怯えを引きずっているかのような慎重論に物足りなさを感じる進化言語学者や類型論学者が現われてきた.その急先鋒の学者の1人が,「#1116. Nostratic を超えて Eurasian へ」 ([2012-05-17-1]) で触れた,世界諸言語の系統図をまとめ上げようとしている Ruhlen である.Ruhlen は,著書の "An End to Mythology" と題する節で,他の研究者を引用しながら次のように述べている.

Many linguists still believe that there is little correlation between linguistic and biological traits. According to Campbell (1986: 488), "repetition of the obvious seems required: there is no deterministic connection between language and gene pools or culture." However, recent work by L. L. Cavalli-Sforza et al. (1988) shows that the correlations between biological and linguistic classifications are of a most intimate nature: "Linguistic families correspond to groups of populations with very few, easily understood overlaps, and their origin can be given a time frame. Linguistic superfamilies show remarkable correspondence . . . , indicating considerable parallelism between genetic and linguistic development."


 特に説得力のある説明とはなってはいないが,人類と言語の起源の関連を頭ごなしに否定するのは,その関連を初めから前提とするのと同じくらい不適切である,という主張ならば理解できる.
 また,Ruhlen は,比較言語学が数千年ほどしか遡れないとする従来の常識について,"the widely held notion that the comparative method is limited to the last 5,000--8,000 years can be shown to be little more than a cherished myth of twentieth-century linguistics" (14--15) と述べていることも付け加えておこう.

 ・ Ruhlen, Merritt. The Origin of Language. New York: Wiley, 1994.

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2017-02-04 Sat

#2840. 人類の脳容量の変化 [evolution][origin_of_language][homo_sapiens][anthropology][family_tree]

 「#2838. 新人の登場と出アフリカ」 ([2017-02-02-1]) と「#2839. 新人の出アフリカ後のヨーロッパとアメリカへの進出」 ([2017-02-03-1]) に引き続き,人類学の話題.人類の進化を脳容量の変化という観点からたどると,興味深いことに,類人猿までの進化には相当手間取ったらしい.
 ヒトに最も近いチンパンジーの脳の容量は400cc.霊長類の歴史では,ここから500ccの大台に乗るのまでに400万年という時間を要した.逆に,それ以降の進化は早い.300?200万年前のアウストラロピテクス・アフリカヌスの段階で450ccになった後,230?140万年前のホモ・ハビリスでついに550ccを記録.さらに,150?20万年前のホモ・エレクトスでは1000ccとなり,40?2万年前に生存したホモ・ネアンデルターレンシスでは1500ccにも達した.ちなみに現在まで続く新人たるホモ・サピエンスの脳容量はむしろ若干少なく,1350ccである.この進化の過程で,漸進的に顎が後退し,体毛が喪失した.
 霊長類という観点から進化をたどると,およそ次のような図式となる(谷合. p. 223 を参照).

3500万年前 ─┬──────── マーモセット
             │    
             │    
             │    
             │    
2500万年前   └┬─────── ニホンザル・メガネザル
               │  
               │  
               │  
1800万年前     └┬────── テナガザル
                 │
                 │
1200万年前       └┬───── オランウータン
                   │
                   │
700?500万年前 ──┴┬──── ゴリラ
                     │
                     └─┬── チンパンジー
                         │
               サヘラントロプス・チャデンシス
                         │
                         └── ヒト
 その他,谷合より,脳容量の比較(231)や人類の進化系統樹(240)の図も有用.  *  *

 ・ 谷合 稔 『地球・生命――138億年の進化』 SBクリエイティブ,2014年.

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2017-02-03 Fri

#2839. 新人の出アフリカ後のヨーロッパとアメリカへの進出 [evolution][origin_of_language][homo_sapiens][anthropology]

 昨日の記事「#2838. 新人の登場と出アフリカ」 ([2017-02-02-1]) に引き続き,約10万年前にアフリカを出たとされる新人が,その後いかに世界へ拡散したか,という話題.
 昨日の地図を眺めると,アフリカからシナイ半島を渡ってレヴァント地方へ進出した新人のさらなる移動について疑問が生じる.彼らはまもなくアジア方面へは展開していったようだが,距離的には比較的近いはずのヨーロッパ方面への展開は数万年ほど遅れてのことである.この空白の時間は何を意味するのだろうか.ロバーツ (308--09) がある学説を紹介している.

アラビア半島やインド亜大陸から北のヨーロッパへ移動するのは,簡単なように思えるが,スティーヴン・オッペンハイマーによると,過去一〇万年にわたって,アフリカから出る北のルート(シナイ半島とレヴァント地方を通る)を砂漠が阻んでいるのと同様に,インド亜大陸とアラビア半島から地中海沿岸へ至る道もまた,イラン南部のザクロス山脈や,アラビア半島北部のシリア砂漠,ネフド砂漠といった地理的な障害によって閉ざされていた。浜辺の採集者たちが東へ進んでいく一方で,北のヨーロッパへ向かう道は遮断されていたのだ。しかし,およそ五万年前,数千年という短い間だったが,気候が暖かくなった。オッペンハイマーは,この温暖な気候のせいで,ペルシャ湾岸から地中海沿岸まで緑の通路がつながり,ヨーロッパへの扉が開かれたと論じている。


 ヨーロッパへの展開を遅れさせたもう1つの要因として,そこに旧人のホモ・ネアンデルターレンシスがすでに暮らしていたという事実もあったかもしれない.新人のクロマニョン人が約4万年前にヨーロッパに到達したとき,ホモ・ネアンデルターレンシスは栄えていたのだ.このとき両人類が共生・交雑し合ったかどうか,ホモ・ネアンデルターレンシスも言語をもっていたかどうかは,人類学上の最重要問題の1つだが,とにかく彼らが出会ったことは確かなようだ.
 次に,新人が3?1.2万年にアメリカ大陸へ渡ったという画期的な事件について.海面が低くベーリング海峡が地続きだった時代に,シベリアから新世界へと新人の移住が起こった.移住の波が一度だったのか,あるいはいくつかの波で起こったのかについて論争があるようだが,最近の核DNAの研究結果は,一度だったのではないかという説を支持している.これに従うと,人類のアメリカへの移動は次のように解釈される(ロバーツ,p. 431).

ベーリンジアはアジア人が通過した「陸橋」というより,アジアのさまざまな地域からの人々を受け入れた「中継地点」であり,そこで彼らの系統はいったん混ぜ合わされ,それを背負った子孫たちがアメリカ大陸に移住したということだ.そうだとすれば,アジアをアメリカ先住民の故郷と見なすのは,単純すぎるということになる.彼らの祖先はアジアだけでなく,さまざまな地域からベーリンジアにやってきた.言うなればベーリンジアがアメリカ人の故郷なのだ.


 「最初のアメリカ人」は5千人程度だったが,その後アメリカでは2万年前以降に人口が膨張したとされる.こうして,南極大陸以外の地球上の大陸は,新人に満たされることになった.人類の歴史として考えると,遠い昔のことではなく,ごく最近の出来事である.

 ・ アリス・ロバーツ(著),野中 香方子(訳) 『人類20万年 遙かなる旅路』 文芸春秋,2013年.

Referrer (Inside): [2017-02-05-1] [2017-02-04-1]

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2017-02-02 Thu

#2838. 新人の登場と出アフリカ [evolution][origin_of_language][homo_sapiens][anthropology][map]

 新人(ホモ・サピエンス)の起源については,アフリカ単一起源説と多地域進化説がある.後者は,先行して世界に展開していたホモ・ネアンデルターレンシスなどの旧人が,各地で新人へと進化したという仮説である.一方,前者は新人はアフリカに現われたが,その後,旧人や原人が暮らす各地へ進出していったとするものである.
 近年は,ミトコンドリアDNAを利用した遺伝子変異の分布の研究により,約20万年前にアフリカに現われた1人の女性「ミトコンドリア・イブ」の存在を想定したアフリカ単一起源説が優勢となっている.さらに,2003年にはエチオピアで約16万年前のものとされる人骨(ホモ・サピエンス・イダルトゥと名付けられた)が発見されており,現生人類に進化する直前の姿ではないかと言われている.
 ミトコンドリア・イブの年代については諸説あり,上で述べた約20万年前というのは1つの仮説である.ミトコンドリア・イブの子孫たち,すなわち新人がアフリカを出た時期についても諸説あるが,およそ10万年前のことと考えられている.その後の世界展開については,谷合 (241) を参照して作成した以下の地図を参考までに.

Map of Human Exodus

 ホモ・サピエンスがその初期の段階から言語をもっていたと仮定するならば,この移動の地図は,そのまま人類言語の拡散の地図となるだろう.
 関連して,「#160. Ardi はまだ言語を話さないけれど」 ([2009-10-04-1]),「#751. 地球46億年のあゆみのなかでの人類と言語」 ([2011-05-18-1]),「#1544. 言語の起源と進化の年表」 ([2013-07-19-1]),「#1749. 初期言語の進化と伝播のスピード」 ([2014-02-09-1]),「#1755. 初期言語の進化と伝播のスピード (2)」 ([2014-02-15-1]) も参照.また,Origins of Modern Humans: Multiregional or Out of Africa? の記事も参考になる.

 ・ 谷合 稔 『地球・生命――138億年の進化』 SBクリエイティブ,2014年.

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2017-02-01 Wed

#2837. 人類史と言語史の非目的論 [historiography][teleology][anthropology][evolution][language_myth]

 近年,環境問題への意識の高まりから,人類史,地球史,宇宙史といった大きな規模での歴史が関心を呼んでいる.そのような広い視野の歴史からみると,人類の言語の歴史など刹那にすぎないことは,「#751. 地球46億年のあゆみのなかでの人類と言語」 ([2011-05-18-1]) や「#1544. 言語の起源と進化の年表」 ([2013-07-19-1]) でも確認した通りである.しかし,言語史も歴史の一種であるから,より大きな人類史などを参照することで,参考となること,学べることも多い.
 解剖学者アリス・ロバーツの『人類20万年 遙かなる旅路』を読んだ.人類が,故郷のアフリカ大陸から世界へ拡散していった過程を「旅路」(原題は The Incredible Human Journey) と呼んでいるが,そこにはある種のロマンチックな響きが乗せられている.しかし,著者の態度は,実際にはロマンチックでもなければ,目的論的でもない.それは,次の文章からも知られる (39) .

 祖先たちは何度もぎりぎりの状況をくぐり抜け,最も過酷な環境へも足を踏み入れて生きながらえてきた.その苦難に思いを馳せれば,畏怖と賞賛を感じずにはいられない.アフリカに生まれ,地球全体に住むようになるまでの人類の歩みは,たしかに畏敬の念を起こさせる物語である.
 しかし,その旅を,逆境に立ち向かう英雄的な戦いのようにとらえたり,祖先たちが世界中に移住するという目的をもって旅立ったと考えたりするのは,軽率と言えるだろう.よく言われる「人類の旅」とは比喩にすぎず,祖先たちはどこかへ行こうとしたわけではなかった.「旅」や「移住」という言葉は,人類の集団が膨大な年月にわたって地球上を移動した様子を表現するのに便利ではあるが,わたしたちの祖先は積極的に新天地に進出していったわけではない.たしかに彼らは狩猟採集民で,季節に応じて移動していたが,ほとんどの期間,ある場所から他の場所へあえて移ることはなかった.人類であれ動物であれ個体数が増えれば周囲に拡散するというただそれだけのことだったのだ.
 数百万年におよぶ人類の拡散を,抽象的な意味において「旅」や「移住」と呼ぶことはできるだろう.しかし,祖先たちはどこかを目指したわけでもなければ,英雄に導かれたわけでもなかった.環境の変化に押されてではあったとしても,人類という種が生きのびてきたことに,わたしたちは畏怖を覚え,祖先たちの発明の才と適応力に驚きを感じるが,彼らがあなたやわたしと同じ,普通の人間だったということを忘れてはならない.


 この文章は,「人類」をおよそ「言語」に置き換えても成り立つ.人類の発展の経路が最初から決まっていたわけではないのと同様に,言語の歴史の経路も既定路線ではなく,一時ひととき,非目的論的な変化を続けてきただけである.言語とて「積極的に新天地に進出していったわけではない」.個々の言語の「適応力に驚きを感じる」のは確かだが,いずれも「普通の」言語だったということを忘れてはならない.

 ・ アリス・ロバーツ(著),野中 香方子(訳) 『人類20万年 遙かなる旅路』 文芸春秋,2013年.

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2016-12-12 Mon

#2786. 世界言語構造地図 --- WALS Online [web_service][syntax][evolution][typology][word_order]

 The World Atlas of Language Structures (WALS Online) というサイトがある.世界中の多くの言語を様々な観点から記述したデータベースに基づき,その地理的分布を世界地図上にプロットしてくれる機能を有するツールである.進化人類学の成果物として提供されており,進化言語学や言語類型論にも貢献し得るデータベースとなっている.
 検索できる言語的素性の種類は豊富で,音韻,形態,統語,語彙と多岐にわたる.表をクリックしていくことで,簡単に分布図を表示してくれるという優れものだ.素性を組み合わせて分布図を示すこともでき,素性間の相関関係を探るのにも適している.例えば,VO/OV 語順と接置詞 (adposition) 語順の相関について,Feature 83A と 85A を組み合わせると,こちらの分布図が得られる.青と黄緑のマークが目立つが,青は日本語型の「OV語順かつ後置詞使用」を示す言語,黄緑は英語型の「VO語順かつ前置詞使用」を示す言語である.同じように VO/OV と NA/AN の素性 (Feature 83A と 87A) の組み合わせで地図を表示させることもできる(こちら).なお,この2つの例は,名古屋大学を中心とする研究者の方々により出版された『文法変化と言語理論』のなかの若山論文で参照され,論じられているものである.
 いろいろな素性を,単体で,あるいは組み合わせで試しながら遊べそうだ.WALS Online は,本ブログでは「#1887. 言語における性を考える際の4つの視点」 ([2014-06-27-1]) でも触れているので,ご参照を.

 ・ 若山 真幸 「言語変化における主要部媒介変数の働き」『文法変化と言語理論』田中 智之・中川 直志・久米 祐介・山村 崇斗(編),開拓社.294--308頁.

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2016-07-20 Wed

#2641. 言語変化の速度について再考 [speed_of_change][schedule_of_language_change][language_change][lexical_diffusion][evolution][punctuated_equilibrium]

 昨日の記事「#2640. 英語史の時代区分が招く誤解」 ([2016-07-19-1]) で,言語変化は常におよそ一定の速度で変化し続けるという Hockett の前提を見た.言語変化の速度という問題については長らく関心を抱いており,本ブログでも speed_of_change, , lexical_diffusion などの多くの記事で一般的,個別的に取り上げてきた.
 多くの英語史研究者は,しばしば言語変化の速度には相対的に激しい時期と緩やかな時期があることを前提としてきた.例えば,「#795. インターネット時代は言語変化の回転率の最も速い時代」 ([2011-07-01-1]),「#386. 現代英語に起こっている変化は大きいか小さいか」 ([2010-05-18-1]) の記事で紹介したように,現代は変化速度の著しい時期とみなされることが多い.また,言語変化の単位や言語項の種類によって変化速度が一般的に速かったり遅かったりするということも,「#621. 文法変化の進行の円滑さと速度」 ([2011-01-08-1]),「#1406. 束となって急速に生じる文法変化」 ([2013-03-03-1]) などで前提とされている.さらに,語彙拡散の理論では,変化の段階に応じて拡散の緩急が切り替わることが前提とされている.このように見てくると,言語変化の研究においては,言語変化の速度は,原則として一定ではなく,むしろ変化するものだという理解が広く行き渡っているように思われる.この点では,Hockett のような立場は分が悪い.Hockett (63) の言い分は次の通りである.

Since we find it almost impossible to measure the rate of linguistic change with any accuracy, obviously we cannot flatly assert that it is constant; if, in fact, it is variable, then one can identify relatively slow change with stability, and relatively rapid change with transition. I think we can with confidence assert that the variation in rate cannot be very large. For this belief there is descriptive evidence. Currently we are obtaining dozens of reports of language all over the world, based on direct observation. If there were any really sharp dichotomy between 'stability' and 'transition', then our field reports would reveal the fact: they would fall into two fairly distinct types. Such is not the case, so that contrapositively the assumption is shown to be false.


 Hockett (58) は別の箇所でも,言語変化の速度を測ることについて懐疑的な態度を表明している.

Can we speak, with any precision at all, about the rate of linguistic change? I think that precision and significance of judgments or measurements in this connection are related as inverse functions. We can be precise by being superficial, say in measuring the rate of replacement in basic vocabulary; but when we turn to deeper aspects of language design, the most we can at present hope for is to attain some rough 'feel' for rate of change.


 Hockett の言い分をまとめれば,こうだろう.語彙や音声や文法などに関する個別の言語変化については,ある単位を基準に具体的に変化の速度を計測する手段が用意されており,実際に計測してみれば相対的に急な時期,緩やかな時期を区別することができるかもしれない.しかし,言語体系が全体として変化する速度という一般的な問題になると,正確にそれを計測する手段はないといってよく,結局のところ不可知というほかない.何となれば,反対の証拠がない以上,変化速度はおよそ一定であるという仮説を受け入れておくのが無難だろう.
 確かに,個別の言語変化という局所的な問題について考える場合と,言語体系としての変化という全体的な問題の場合には,同じ「速度」の話題とはいえ,異なる扱いが必要になってくるだろう.関連して「#1551. 語彙拡散のS字曲線への批判」 ([2013-07-26-1]),「#1569. 語彙拡散のS字曲線への批判 (2)」 ([2013-08-13-1]) も参照されたい.
 上に述べた言語体系としての変化という一般的な問題よりも,さらに一般的なレベルにある言語進化の速度については,さらに異なる議論が必要となるかもしれない.この話題については,「#1397. 断続平衡モデル」 ([2013-02-22-1]),「#1749. 初期言語の進化と伝播のスピード」 ([2014-02-09-1]),「#1755. 初期言語の進化と伝播のスピード (2)」 ([2014-02-15-1]) を参照.

 ・ Hockett, Charles F. "The Terminology of Historical Linguistics." Studies in Linguistics 12.3--4 (1957): 57--73.

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2016-07-19 Tue

#2640. 英語史の時代区分が招く誤解 [terminology][periodisation][language_myth][speed_of_change][language_change][hel_education][historiography][punctuated_equilibrium][evolution]

 「#2628. Hockett による英語の書き言葉と話し言葉の関係を表わす直線」 ([2016-07-07-1]) (及び補足的に「#2629. Curzan による英語の書き言葉と話し言葉の関係の歴史」 ([2016-07-08-1]))の記事で,Hockett (65) の "Timeline of Written and Spoken English" の図を Curzan 経由で再現して,その意味を考えた.その後,Hockett の原典で該当する箇所に当たってみると,Hockett 自身の力点は,書き言葉と話し言葉の距離の問題にあるというよりも,むしろ話し言葉において変化が常に生じているという事実にあったことを確認した.そして,Hockett が何のためにその事実を強調したかったかというと,人為的に設けられた英語史上の時代区分 (periodisation) が招く諸問題に注意喚起するためだったのである.
 古英語,中英語,近代英語などの時代区分を前提として英語史を論じ始めると,初学者は,あたかも区切られた各時代の内部では言語変化が(少なくとも著しくは)生じていないかのように誤解する.古英語は数世紀にわたって変化の乏しい一様の言語であり,それが11世紀に急激に変化に特徴づけられる「移行期」を経ると,再び落ち着いた安定期に入り中英語と呼ばれるようになる,等々.
 しかし,これは誤解に満ちた言語変化観である.実際には,古英語期の内部でも,「移行期」でも,中英語期の内部でも,言語変化は滔々と流れる大河の如く,それほど大差ない速度で常に続いている.このように,およそ一定の速度で変化していることを表わす直線(先の Hockett の図でいうところの右肩下がりの直線)の何地点かにおいて,人為的に時代を区切る垂直の境界線を引いてしまうと,初学者の頭のなかでは真正の直線イメージが歪められ,安定期と変化期が繰り返される階段型のイメージに置き換えられてしまう恐れがある.
 Hockett (62--63) 自身の言葉で,時代区分の危険性について語ってもらおう.

Once upon a time there was a language which we call Old English. It was spoken for a certain number of centuries, including Alfred's times. It was a consistent and coherent language, which survived essentially unchanged for its period. After a while, though, the language began to disintegrate, or to decay, or to break up---or, at the very least, to change. This period of relatively rapid change led in due time to the emergence of a new well-rounded and coherent language, which we label Middle English; Middle English differed from Old English precisely by virtue of the extensive restructuring which had taken place during the period of transition. Middle English, in its turn, endured for several centuries, but finally it also was broken up and reorganized, the eventual result being Modern English, which is what we still speak.
   One can ring various changes on this misunderstanding; for example, the periods of stability can be pictured as relatively short and the periods of transition relatively long, or the other way round. It does not occur to the layman, however, to doubt that in general a period of stability and a period of transition can be distinguished; it does not occur to him that every stage in the history of a language is perhaps at one and the same time one of stability and also one of transition. We find the contrast between relative stability and relatively rapid transition in the history of other social institutions---one need only think of the political and cultural history of our own country. It is very hard for the layman to accept the notion that in linguistic history we are not at all sure that the distinction can be made.


 Hockett は,言語史における時代区分には参照の便よりほかに有用性はないと断じながら,参照の便ということならばむしろ Alfred, Ælfric, Chaucer, Caxton などの名を冠した時代名を設定するほうが記憶のためにもよいと述べている.従来の区分や用語をすぐに廃することは難しいが,私も原則として時代区分の意義はおよそ参照の便に存するにすぎないだろうと考えている.それでも誤解に陥りそうになったら,常に Hockett の図の右肩下がりの直線を思い出すようにしたい.
 時代区分の問題については periodisation の各記事を,言語変化の速度については speed_of_change の各記事を参照されたい.とりわけ安定期と変化期の分布という問題については,「#1397. 断続平衡モデル」 ([2013-02-22-1]),「#1749. 初期言語の進化と伝播のスピード」 ([2014-02-09-1]),「#1755. 初期言語の進化と伝播のスピード (2)」 ([2014-02-15-1]) の議論を参照.

 ・ Hockett, Charles F. "The Terminology of Historical Linguistics." Studies in Linguistics 12.3--4 (1957): 57--73.
 ・ Curzan, Anne. Fixing English: Prescriptivism and Language History. Cambridge: CUP, 2014.

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2016-05-03 Tue

#2563. 通時言語学,共時言語学という用語を巡って [saussure][terminology][diachrony][methodology][history_of_linguistics][evolution]

 「#2555. ソシュールによる言語の共時態と通時態」 ([2016-04-25-1]) で,共時態と通時態の区別について話題にした.ところで,Saussure (116--17) は Cours で,通時態と共時態の峻別を説いた段落の直後に,標題の2つの言語学の呼称について次のように論じている.

Voilà pourquoi nous distinguons deux linguistiques. Comment les désignerons-nous? Les termes qui s'offrent ne sont pas tous également propres à marquer cette distinction. Ainsi histoire et «linguistique historique» ne sont pas utilisables, car ils appellent des idées trop vagues; comme l'histoire politique comprend la description des époques aussi bien que la narration des événements, on pourrait s'imaginer qu'en décrivant des états de la langue succesifs on étudie la langue selon l'axe du temps; pour cela, il faudrait envisager séparément les phénomènes qui font passer la langue d'un état à un autre. Les termes d'évolution et de linguistique évolutive sont plus précis, et nous les emploierons souvent; par opposition on peut parler de la science des états de langue ou linguistique statique.
   Mais pour mieux marquer cette opposition et ce croisement de deux ordres de phénomènes relatifs au même objet, nous préfèrons parler de linguistique synchronique et de linguistique diachronique. Est synchronique tout ce qui se rapporte à l'aspect statique de notre science, diachronique tout ce qui a trait aux évolutions. De même synchronie et diachronie désigneront respectivement un état de langue et une phase d'évolution.


 ここで Saussure は用語へのこだわりを見せている.Saussure が「歴史」言語学 (linguistique historique) では曖昧だというのは,時間軸上の異なる点における状態を次々と記述することも「歴史」であれば,ある共時的体系から別の共時的体系へと時間軸に沿って進ませている現象について語ることも「歴史」であるからだ.後者の意味を表わすためには「歴史」だけでは不正確であるということだろう.そこで後者に特化した用語として "linguistic historique" の代わりに "linguistique évolutive" (対して "linguistic statique")を用いることを選んだ.さらに,2つの軸の対立を用語上で目立たせるために,"linguistique diachronique" (対して "linguistic synchronique") を採用したのである.
 このような経緯で通時態と共時態の用語上の対立が確立してきたわけが,進化言語学 ("linguistique évolutive") と静態言語学 ("linguistic statique") という呼称も,個人的にはすこぶる直感的で捨てがたい気がする.

 ・ Saussure, Ferdinand de. Cours de linguistique générale. Ed. Tullio de Mauro. Paris: Payot & Rivages, 2005.

Referrer (Inside): [2018-06-05-1] [2016-08-10-1]

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2016-04-14 Thu

#2544. 言語変化に対する三つの考え方 (3) [language_change][evolution][language_myth][teleology][spaghetti_junction]

 [2010-07-03-1], [2016-04-13-1]に引き続き標題について.言語変化に対する3つの立場について,過去の記事で Aitchison と Brinton and Arnovick による説明を概観してきたが,Aitchison 自身のことばで改めて「言語堕落観」「言語進歩観」「言語無常観(?)」を紹介しよう.

   In theory, there are three possibilities to be considered. They could apply either to human language as a whole, or to any one language in particular. The first possibility is slow decay, as was frequently suggested in the nineteenth century. Many scholars were convinced that European languages were on the decline because they were gradually losing their old word-endings. For example, the popular German writer Max Müller asserted that, 'The history of all the Aryan languages is nothing but gradual process of decay.'
   Alternatively, languages might be slowly evolving to more efficient state. We might be witnessing the survival of the fittest, with existing languages adapting to the needs of the times. The lack of complicated word-ending system in English might be sign of streamlining and sophistication, as argued by the Danish linguist Otto Jespersen in 1922: 'In the evolution of languages the discarding of old flexions goes hand in hand with the development of simpler and more regular expedients that are rather less liable than the old ones to produce misunderstanding.'
   A third possibility is that language remains in substantially similar state from the point of view of progress or decay. It may be marking time, or treading water, as it were, with its advance or decline held in check by opposing forces. This is the view of the Belgian linguist Joseph Vendryès, who claimed that 'Progress in the absolute sense is impossible, just as it is in morality or politics. It is simply that different states exist, succeeding each other, each dominated by certain general laws imposed by the equilibrium of the forces with which they are confronted. So it is with language.'


 Aitchison は,明らかに第3の立場を採っている.先日,「#2531. 言語変化の "spaghetti junction"」 ([2016-04-01-1]) や「#2533. 言語変化の "spaghetti junction" (2)」 ([2016-04-03-1]) で Aitchison による言語変化における spaghetti_junction の考え方を紹介したように,Aitchison は言語変化にはある種の方向性や傾向があることは認めながらも,それは「堕落」とか「進歩」のような道徳的な価値観とは無関係であり,独自の原理により説明されるべきであるという立場に立っている.現在,多くの歴史言語学者が,Aitchison に多かれ少なかれ似通ったスタンスを採用している.

 ・ Aitchison, Jean. Language Change: Progress or Decay. 3rd ed. Cambridge: CUP, 2001.

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2016-04-13 Wed

#2543. 言語変化に対する三つの考え方 (2) [language_change][evolution][language_myth]

 人々が言語変化をどう理解してきたか,その3種類の立場について「#432. 言語変化に対する三つの考え方」 ([2010-07-03-1]) で紹介した.そこでも参照した Brinton and Arnovick より,"Attitudes Toward Linguistic Change" と題する節の一部を引用したい (20--21) .くだんの3つの立場が読みやすくまとめられている.

Attitudes Toward Linguistic Change

Jean Aitchison (2001) describes three typical views of language change: as slow deterioration from some perfect state: as slow evolution toward a more efficient state; or as neither progress nor decay. While all three views have at times been held, certainly the most prevalent perception among the general population is that change means deterioration.

Linguistic Corruption

To judge from many schoolteachers, authors of letters to editors, and lay writers on language (such as Edwin Newman or William Safire), language change is always bad. It is a matter of linguistic corruption: a language, as it changes, loses its beauty, its expressiveness, its fineness of distinction, even its grammar. According to this view, English has decayed from some state of purity, its golden age, such as the time when Shakespeare was writing, or Milton, or Pope. People may interpret change in the language as the result of ignorance, laziness, sloppiness, insensitivity, weakness, or perhaps willful rebellion on the part of speakers. Their criticism is couched in moralistic and often emotionally laden terms. For example, Jonathan Swift in 1712 asserted that 'our Language is extremely imperfect; that its daily Improvements are by no Means in Proportion to its daily Corruptions; that the Pretenders to polish and refine it, have chiefly multiplied Abuses and Absurdities; and that in many Instances, it offends against every Part of Grammar' (1957: 6). Such views have prompted critics to try to prevent the decline of the language, to defend it against change, and to admonish speakers to be more careful and vigilant.
   Given the inevitability of linguistic change, attested to by the records of all known languages, why is this concept of deterioration so prevalent? One reason is our sense of nostalgia: we resist change of every kind, especially in a world that seems out of our control. As speakers of our language, we feel that we are the best judges of it, and furthermore that it is something that we, in a sense, possess and can control.
   A second reason is a concern for linguistic purity. Language may be the most overt indicator of our ethnic and national identity; when we feel that these are threatened, often by external forces, we seek to defend them by protecting our language. Tenets of linguistic purity have not been influential in the history of the English language, which has quite freely accepted foreign elements into it and is now spoken by many different peoples throughout the world. But these feelings are never entirely absent. We see them, for example, in concerns about the Americanization of Canadian or of British English.
   A third reason is social class prejudice. Standard English is the social dialect of the educated middle and upper-middle classes. To belong to these classes and to advance socially, one must speak this dialect. The standard is a means of excluding people from these classes and preserving social barriers. Deviations from the standard (which are non-standard or substandard) threaten the social structure. Fourth is a belief in the superiority of highly inflected languages such as Latin and Greek. The loss of inflections, which has characterized change in the English language, is therefore considered bad. A final reason for the belief that change equals deterioration stems from an admiration for the written form. Because written language is more fixed and unchanging than speech, we conclude that the spoken form in use today is fundamentally inferior.
   Of the other typical views towards language change, the view that it represents a slow evolution toward some higher state finds expression in the work of nineteenth-century philologists, who saw language as an evolving organism. The Danish linguist Otto Jespersen, in his book Growth and Structure of the English Language (1982 [1905]), suggested that the increasingly analytic nature of English resulted in 'simplification' and hence 'improvement' to the language. Leith (1997: 260) also argues that the historical study of English was motivated by a desire to demonstrate a literary continuity from Old English to the present, resulting in the misleading impression that the language has steadily evolved and improved toward a standard variety worthy of literary expression. The third view, that language change represents the status quo, neither progress nor decay, where every simplification is balanced by some new complexity, underlies the work of historical linguistics in the twentieth century and forms the basis of our text.


 第1の堕落観と第2の進歩観については,「#1728. Jespersen の言語進歩観」 ([2014-01-19-1]),「#1839. 言語の単純化とは何か」 ([2014-05-10-1]),「#2527. evolution の evolution (1)」 ([2016-03-28-1]) を参照.第3の科学的な立場については「#448. Vendryes 曰く「言語変化は進歩ではない」」 ([2010-07-19-1]),「#1382. 「言語変化はただ変化である」」 ([2013-02-07-1]),「#2525. 「言語は変化する,ただそれだけ」」 ([2016-03-26-1]),「#2513. Samuels の "linguistic evolution"」 ([2016-03-14-1]) を参照されたい.

 ・ Brinton, Laurel J. and Leslie K. Arnovick. The English Language: A Linguistic History. Oxford: OUP, 2006.

Referrer (Inside): [2022-06-29-1] [2016-04-14-1]

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2016-04-03 Sun

#2533. 言語変化の "spaghetti junction" (2) [terminology][pidgin][creole][language_change][terminology][tok_pisin][cognitive_linguistics][communication][teleology][causation][origin_of_language][evolution][prediction_of_language_change][invisible_hand]

 一昨日の記事 ([2016-04-01-1]) に引き続き,"spaghetti junction" について.今回は,この現象に関する Aitchison の1989年の論文を読んだので,要点をレポートする.
 Aitchison は,パプアニューギニアで広く話される Tok Pisin の時制・相・法の体系が,当初は様々な手段の混成からなっていたが,時とともに一貫したものになってきた様子を観察し,これを "spaghetti junction" の効果によるものと論じた.Tok Pisin に見られるこのような体系の変化は,関連しない他のピジン語やクレオール語でも観察されており,この類似性を説明するのに2つの対立する考え方が提起されているという.1つは Bickerton などの理論言語学者が主張するように,文法に共時的な制約が働いており,言語変化は必然的にある種の体系に終結する,というものだ.この立場は,言語的制約がヒトの遺伝子に組み込まれていると想定するため,"bioprogram" 説と呼ばれる.もう1つの考え方は,言語,認知,コミュニケーションに関する様々な異なる過程が相互に作用した結果,最終的に似たような解決策が選ばれるというものだ.この立場が "spaghetti junction" である.Aitchison (152) は,この2つ目の見方を以下のように説明し,支持している.

This second approach regards a language at any particular point in time as if it were a spaghetti junction which allows a number of possible exit routes. Given certain recurring communicative requirements, and some fairly general assumptions about language, one can sometimes see why particular options are preferred, and others passed over. In this way, one can not only map out a number of preferred pathways for language, but might also find out that some apparent 'constraints' are simply low probability outcomes. 'No way out' signs on a spaghetti junction may be rare, but only a small proportion of possible exit routes might be selected.


 Aitchison (169) は,この2つの立場の違いを様々な言い方で表現している."innate programming" に対する "probable rediscovery" であるとか,言語の変化の "prophylaxis" (予防)に対する "therapy" (治療)である等々(「予防」と「治療」については,「#1979. 言語変化の目的論について再考」 ([2014-09-27-1]) を参照).ただし,Aitchison は,両立場は相反するものというよりは,相補的かもしれないと考えているようだ.
 "spaghetti junction" 説に立つのであれば,今後の言語変化研究の課題は,「選ばれやすい道筋」をいかに予測し,説明するかということになるだろう.Aitchison (170) は,論文を次のように締めくくっている.

A number of principles combined to account for the pathways taken, principles based jointly on general linguistic capabilities, cognitive abilities, and communicative needs. The route taken is therefore the result of the rediscovery of viable options, rather than the effect of an inevitable bioprogram. At the spaghetti junctions of language, few exits are truly closed. However, a number of converging factors lead speakers to take certain recurrent routes. An overall aim in future research, then, must be to predict and explain the preferred pathways of language evolution.


 このような研究の成果は言語の発生と初期の発達にも新たな光を当ててくれるかもしれない.当初は様々な選択肢があったが,後に諸要因により「選ばれやすい道筋」が採用され,現代につながる言語の型ができたのではないかと.

 ・ Aitchison, Jean. "Spaghetti Junctions and Recurrent Routes: Some Preferred Pathways in Language Evolution." Lingua 77 (1989): 151--71.

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2016-03-31 Thu

#2530. evolution の evolution (4) [evolution][history_of_linguistics][language_change][language_myth][neogrammarian][saussure][chomsky][diachrony][generative_grammar][terminology]

 過去3日間の記事 ([2016-03-28-1], [2016-03-29-1], [2016-03-30-1]) で,言語変化を扱う分野において "evolution" という用語がいかにとらえられてきたかを考えた.とりわけ,近年の言語学における "evolution" は,一度その用語に手垢がつき,半ば地下に潜ったあとに再び浮上してきた概念であることを確認した.この沈潜は1世紀以上続いていたといってよく,ここから1つの疑問が生じる.言語学者がダーウィンの革命的な思想の影響を受けたのは19世紀後半だが,なぜそのときに言語学は生物学の大変革に見合う規模の変革を経なかったのだろうか.なぜその100年以上も後の20世紀後半になってようやく "linguistic evolution" が提起され,評価されるようになったのだろうか.この間に言語学(者)には何が起こっていたのだろうか.
 この問題について,Nerlich の論文をみつけて読んでみた.Nerlich はこの空白の時間の理由を,(1) 19世紀後半に Schleicher が進化論を誤解したこと,(2) 20世紀前半に Saussure の分析的,経験主義的な方針に立った共時的言語学が言語学の主流となったこと,(3) 20世紀半ばにかけて Bloomfield や Chomsky を始めとするアメリカ言語学が意味,多様性,話者を軽視してきたこと,の3点に帰している.
 (1) について Nerlich (104) は, Schleicher はダーウィンの進化論を,持論である「言語の進歩と堕落」の理論的サポートとして利用としたために,本来の進化論の主要概念である "variation, selection and adaptation" を言語に適用せずに終えてしまったことが問題だったとしている.ダーウィン主義を標榜しながら,その実,ダーウィン以前の考え方から離れられていなかったのである.例えば,ダーウィンにとって生物の種の分類はあくまで2次的なものであり,主たる関心は変形の過程だったが,Schleicher は言語の分類にこだわっていたのだ.ダーウィン以前の個体発生の考え方とダーウィンの種の進化論とが混同されていたといってよいだろう.Schleicher は,ダーウィンを真に理解していなかったといえる.
 (2) の段階は Saussure に代表される共時的言語学者が活躍するが,その時代に至るまでにも,Schleicher の言語有機体説は青年文法学派 (neogrammarian) 等により,おおいに批判されていた.しかし,その批判は,言語変化の研究への関心のために建設的に利用されることはなく,皮肉なことに,言語変化を扱う通時態という観点自体を脇に置いておき,共時態に関心を集中させる結果となった.また,langue への関心がもてはやされるようになると,parole に属する言語使用や話者の話題は取り上げられることがなくなった.言語は一様であるとの過程のもとで,言語変化とその前提となる多様性や変異の問題も等閑視された.
 このような共時態重視の勢いは,(3) に至って絶頂を迎えた.分布主義の言語学や生成文法は意味という不安定な部門の研究を脇に置き,言語の一様性を前提とすることで成果を上げていった.
 この (3) の時代を抜け出して,ようやく言語学者たちは使用,話者,意味,多様性,変異,そして変化という世界が,従来の枠の外側に広がっていることに気づいた.この「気づき」について,Nerlich (106--07) は次の一節でやや熱く紹介している.

Thus meaning, language change and language use became problems and were mainly discarded from the science of language for reasons of theoretical tidiness: meaning and change are rather messy phenomena. Hence autonomy, synchrony and homogeneity finally enclosed language in a kind of magic triangle that defended it against any sort of indeterminacy, fluctuation or change. But outside the static triangle, that ideal domain of structural and generative linguistics, lies the terra incognita of linguistic dynamics, where one can discover the main sources of linguistic change, contextuality, history and heterogeneity, fields of study that are slowly being rediscovered by post-Chomskyan and post-Saussurean linguists. This terra incognita is populated by a curious species, also recently discovered: the language user! S/he acts linguistically and non-linguistically in a heterogenous and ever-changing world, constantly trying to adapt the available linguistic means to her/his ever changing ends and communicative needs. In acting and interacting the speakers are the real vectors of linguistic evolution, and their choices must be studied if we are to understand the nature of language. It is not enough to stop at a static analysis of language as a product, organism or system. The study of evolutionary processes and procedures should help to overcome the sterility of the old dichotomies, such as those between langue/parole, competence/performance and even synchrony/diachrony.


 このようにして20世紀後半から通時態への関心が戻り,変化といえばダーウィンの進化論だ,というわけで,進化論の言語への応用が再開したのである.いや,最初の Schleicher の試みが失敗だったとすれば,今初めて応用が始まったところといえるかもしれない.

 ・ Nerlich, Brigitte. "The Evolution of the Concept of 'Linguistic Evolution' in the 19th and 20th Century." Lingua 77 (1989): 101--12.

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2016-03-30 Wed

#2529. evolution の evolution (3) [evolution][history_of_linguistics][language_change][teleology][invisible_hand][causation][language_myth][drift][exaptation][terminology]

 2日間にわたる標題の記事 ([2016-03-28-1], [2016-03-29-1]) についての第3弾.今回は,evolution の第3の語義,現在の生物学で受け入れられている語義が,いかに言語変化論に応用されうるかについて考える.McMahon (334) より,改めて第3の語義を確認しておこう.

the development of a race, species or other group ...: the process by which through a series of changes or steps any living organism or group of organisms has acquired the morphological and physiological characters which distinguish it: the theory that the various types of animals and plants have their origin in other preexisting types, the distinguishable differences being due to modifications in successive generations.


 現在盛んになってきている言語における evolution の議論の最先端は,まさにこの語義での evolution を前提としている.これまでの2回の記事で見てきたように,19世紀から20世紀の後半にかけて,言語学における evolution という用語には手垢がついてしまった.言語学において,この用語はダーウィン以来の科学的な装いを示しながらも,特殊な価値観を帯びていることから否定的なレッテルを貼られてきた.しかし,それは生物(学)と言語(学)を安易に比較してきたがゆえであり,丁寧に両者の平行性と非平行性を整理すれば,有用な比喩であり続ける可能性は残る.その比較の際に拠って立つべき evolution とは,上記の語義の evolution である.定義には含まれていないが,生物進化の分野で広く受け入れられている mutation, variation, natural selection, adaptation などの用語・概念を,いかに言語変化に応用できるかが鍵である.
 McMahon (334--40) は,生物(学)と言語(学)の(非)平行性についての考察を要領よくまとめている.互いの異同をよく理解した上であれば,(歴史)言語学が(歴史)生物学から学ぶべきことは非常に多く,むしろ今後期待のもてる領域であると主張している.McMahon (340) の締めくくりは次の通りだ.

[T]he Darwinian theory of biological evolution, with its interplay of mutation, variation and natural selection, has clear parallels in historical linguistics, and may be used to provide enlightening accounts of linguistic change. Having borrowed the core elements of evolutionary theory, we may then also explore novel concepts from biology, such as exaptation, and assess their relevance for linguistic change. Indeed, the establishment of parallels with historical biology may provide one of the most profitable future directions for historical linguistics.


 生物(学)と言語(学)の(非)平行性の問題については「#807. 言語系統図と生物系統図の類似点と相違点」 ([2011-07-13-1]) も参照されたい.

Referrer (Inside): [2020-01-05-1] [2016-03-31-1]

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2016-03-29 Tue

#2528. evolution の evolution (2) [evolution][history_of_linguistics][language_change][teleology][invisible_hand][causation][language_myth][drift][terminology]

 昨日の記事 ([2016-03-28-1]) に引き続き,言語変化論における evolution の解釈について.今回は evolution の目的論 (teleology) 的な含意をもつ第2の語義,"A series of related changes in a certain direction" に注目したい.昨日扱った語義 (1) と今回の語義 (2) は言語変化の方向性を前提とする点において共通しているが,(1) が人類史レベルの壮大にして長期的な価値観を伴った方向性に関係するのに対して,(2) は価値観は廃するものの,言語変化には中期的には運命づけられた方向づけがあると主張する.
 端的にいえば,目的論とは "effects precede (in time) their final causes" という発想である (qtd. in McMahon 325 from p. 312 of Lass, Roger. "Linguistic Orthogenesis? Scots Vowel Length and the English Length Conspiracy." Historical Linguistics. Volume 1: Syntax, Morphology, Internal and Comparative Reconstruction. Ed. John M. Anderson and Charles Jones. Amsterdam: North Holland, 1974. 311--43.) .通常,時間的に先立つ X が生じたから続いて Y が生じた,という因果関係で物事の説明をするが,目的論においては,後に Y が生じることができるよう先に X が生じる,と論じる.この2種類の説明は向きこそ正反対だが,いずれも1つの言語変化に対する説明として使えてしまうという点が重要である.例えば,ある言語のある段階で [mb], [md], [mg], [nb], [nd], [ng], [ŋb], [ŋd], [ŋg] の子音連続が許容されていたものが,後の段階では [mb], [nd], [ŋg] の3種しか許容されなくなったとする.通常の音声学的説明によれば「同器官性同化 (homorganic assimilation) が生じた」となるが,目的論的な説明を採用すると,「調音しやすくするために同器官性の子音連続となった」となる.
 言語学史においては,様々な論者が目的論をとってきたし,それに反駁する論者も同じくらい現われてきた.例えば Jakobson は目的論者だったし,生成音韻論の言語観も目的論の色が濃い.一方,Bloomfield や Lass は,目的論の立場に公然と反対している.McMahon (330--31) も,目的論を「目的の目的論」 (teleology of purpose) と「機能の目的論」 (teleology of function) に分け,いずれにも問題点があることを論じ,目的論的な説明が施されてきた各々のケースについて非目的論的な説明も同時に可能であると反論した.McMahon の結論を引用して,この第2の意味の evolution の妥当性を再考する材料としたい.

There is a useful verdict of Not Proven in the Scottish courts, and this seems the best judgement on teleology. We cannot prove teleological explanations wrong (although this in itself may be an indictment, in a discipline where many regard potentially falsifiable hypotheses as the only valid ones), but nor can we prove them right; they rest on faith in predestination and the omniscient guiding hand. More pragmatically, alleged cases of teleology tend to have equally plausible alternative explanations, and there are valid arguments against the teleological position. Even the weaker teleology of function is flawed because of the numerous cases where it simply does not seem to be applicable. However, this rejection does not make the concept of conspiracy, synchronic or diachronic, any less intriguing, or the perception of directionality . . . any less real.


 ・ McMahon, April M. S. Understanding Language Change. Cambridge: CUP, 1994.

Referrer (Inside): [2016-03-31-1] [2016-03-30-1]

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2016-03-28 Mon

#2527. evolution の evolution (1) [evolution][history_of_linguistics][language_change][teleology][language_myth][terminology]

 生物学における用語 evolution の理解と同時に,言語学で使われてきた evolution という術語の意味がいかにして「進化」してきたかを把握することが肝心である.McMahon の第12章 "Linguistic evolution?" が,この問題を要領よく紹介している(この章については,「#2260. 言語進化論の課題」 ([2015-07-05-1]) でも触れているので参照).
 McMahon は evolution には3つの語義が認められると述べている.以下はいずれも Web3 から取ってきた語義だが,1つ目は19世紀的なダーウィン以前の (pre-Darwinian) 語義,2つ目は目的論的な (teleological) 含意をもった語義,3つ目は現在の生物学上の語義を表す.

(1) Evolution 1 (McMahon 315)

a process of continuous change from a lower, simpler, or worse condition to a higher, more complex, or better state: progressive development.


(2) Evolution 2 (McMahon 325)

A series of related changes in a certain direction.


(3) Evolution 3 (McMahon 334)

the development of a race, species or other group ...: the process by which through a series of changes or steps any living organism or group of organisms has acquired the morphological and physiological characters which distinguish it: the theory that the various types of animals and plants have their origin in other preexisting types, the distinguishable differences being due to modifications in successive generations.


 今回は,最も古い語義 (1) について考えてみたい.この意味での "evolution" は,ダーウィン以前の発想を含む前科学的な概念を表す.生物のそれぞれの種は,神による創造 (creation) ではなく,形質転換 (transformation) を経て発現してきたという近代的な考え方こそ採用しているが,その形質転換の向かう方向については,「進歩」や「堕落」といった人間社会の価値観を反映させたものを前提としている.これは19世紀の言語学界では普通だった考え方だが,ダーウィン自身は生物進化論においてそのような価値観を含めていない.つまり,当時の言語学者たち(のすべてではないが)はダーウィンの進化論を標榜しながらも,その言語への応用に際しては,進歩史観や堕落史観を色濃く反映させたのであり,その点ではダーウィン以前の言語変化観といってよい.
 この意味での evolution を奉じた言語学者の代表選手といえば,August Schleicher (1821--68) である.Schleicher は Hegel (1770--1831) の影響を受け,人類は以下の順に発達してきたと考えた (McMahon 320) .

a. The physical evolution of man.
b. The evolution of language.
c. History.


 人類は a → b → c と「進歩」してきたが,c の歴史時代に入ってしまうと,どん詰まりの段階であるから,新しいものは生み出されない.したがって,あとは「堕落」しかない,という考え方である.言語も含めて,現在はすべてが堕落の一途をたどっているというのが,Schleicher の思想だった.
 価値の方向こそ180度異なるが,同じように価値観をこめて言語変化をみたのは Otto Jespersen (1860--1943) である.Jespersen は印欧語にべったり貼りついた立場から,屈折の単純化を人類言語の「進歩」と見た (see 「#1728. Jespersen の言語進歩観」 ([2014-01-19-1]), 「#432. 言語変化に対する三つの考え方」 ([2010-07-03-1])) .
 「#2525. 「言語は変化する,ただそれだけ」」 ([2016-03-26-1]) で McMahon から引用した文章でも指摘されているとおり,現在,多くの歴史言語学者は,この第1の意味での evolution を前提としていない.この意味は,すでに言語学史的なものとなっている.

 ・ McMahon, April M. S. Understanding Language Change. Cambridge: CUP, 1994.

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2016-03-26 Sat

#2525. 「言語は変化する,ただそれだけ」 [language_change][evolution][teleology][language_myth][unidirectionality][history_of_linguistics]

 言語学者でない一般の多くの人々には,言語変化を進歩ととらえたり,逆に堕落とみなす傾向がみられる.言語進化を価値観をもって解釈する慣行だ.この見方については「#432. 言語変化に対する三つの考え方」 ([2010-07-03-1]) や「#1728. Jespersen の言語進歩観」 ([2014-01-19-1]) で話題にした.
 しかし,現代の言語学者,特に歴史言語学者は,言語はそのような価値観とは無関係に,ただただ変化するものとして理解しており,それ以上でも以下でもないと主張する.この立場については「#448. Vendryes 曰く「言語変化は進歩ではない」」 ([2010-07-19-1]) や「#1382. 「言語変化はただ変化である」」 ([2013-02-07-1]) で紹介した.この現代的な立場をずばり要約している1節を McMahon (324) に見つけたので,引用しておきたい.

The modern view, at least of historical linguists if not the general public, is simply that languages change; we may try to describe and explain the processes of change, and we may set up a complementary typology which will include a classification of languages as isolating, agglutinating or inflecting; but this morphological typology has no special status and certainly does not represent an evolutionary scale. In general, we have no right to attack change as decay or to exalt it as progress. It is true . . . that individual changes may aid or impair communication to a limited extent, but there is no justification for seeing change as cumulative progress or decline: modern languages, attested extinct ones, and even reconstructed ones are all at much the same level of structural complexity or communicative efficiency. We cannot argue that some languages, or stages of languages, are better than others . . . .


 ここでは,言語変化は全体として特に進歩や堕落というような価値観を伴った一定の方向を目指しているわけではないが,個々の変化については,限られた程度においてコミュニケーションの助けになったり妨げになったりすることもあると述べられている点が注目に値する.これは,「#2513. Samuels の "linguistic evolution"」 ([2016-03-14-1]) で引用した Samuels (1) の "every language is of approximately equal value for the purposes for which it has evolved" の「およそ等価」という表現と呼応しているように思われる.
 言語(変化)論と言語変化観とは切っても切り離せない.言語変化(論)には,時代の思潮の移り変わりを意識した言語学史的な観点をもって接近していかなければならないだろう.

 ・ McMahon, April M. S. Understanding Language Change. Cambridge: CUP, 1994.
 ・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.

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2016-03-25 Fri

#2524. Samuels の "linguistic evolution" (2) [terminology][evolution][language_change]

 標題は「#2513. Samuels の "linguistic evolution"」 ([2016-03-14-1]) で一度取り上げた話題だが,再考してみたい.なぜ Samuels は本の題名に "linguistic change" ではなく "linguistic evolution" を用いたのか.Samuels にとって,両者の違いは何なのか.20世紀後半から,一度は地下に潜っていた言語の進化という見方が復権してきた感があるが,Samuels の用語使いを理解することは,現在の言語変化理論を考える上で役に立つだろう.先日,勉強会でこの問題について議論する機会を得て,少し理解が進んだように思うので,以下で Samuels が抱いていると思われる "linguistic evolution" のイメージをスケッチしたい.
 前の記事では,私は Samuels にとっての "linguistic evolution" を「継承形態と現在の表現上の要求という相反するものの均衡を保とうとする融通性の高い装置」であり,「言語変化に関する普遍的な方向性を示すというよりは,言語変化に働く潜在的な力学を指していう用語」とみなした.基本的なとらえ方は変わっていないが,理解しやすくするために以下のような図を描いてみた.

                         language-internal and external factors

      │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │
      │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │
      │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │
      │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │    │
      ↓    ↓    ↓    ↓    ↓    ↓    ↓    ↓    ↓    ↓    ↓    ↓    ↓    ↓

       conservatism or 'inertia'                                   the pressures that work
                  │                                           towards clearer communication
                  │                                                        │
                  │                                                        │
                  ↓                                                        ↓
┌──────────────────┐                  ┌──────────────────┐
│        the inherited forms         │                  │the expressive needs of the present │
│           (= the old)              │== equilibrium == │           (= the new)              │
└────────┬─────────┘                  └────────┬─────────┘
                  │                                                        │
                  │                                                        │
                  │             a considerable margin of tolerance         │
                  └──────────────▲─────────────┘
                                                │
                                                │
                                                □

 これは,言語の上皿てんびんと,そこに働く様々な力と機構を図示したものである.言語のてんびんの片方の皿には,古いものをそのまま残そうとする「惰性」の力の働きにより,過去から継承されたものが載せられている.もう一方の皿には,現在の環境に即応しようとする圧力の働きにより,新しく生み出されたものが載せられている.古い惰性にせよ新しい圧力にせよ,その力はより外部に位置する言語内的・外的な様々な要因から発しており,その時々によって左の皿に余計に重みをかけることになったり,逆に右の皿にかけることになったりする.てんびんは常に左に右にガタガタしており(場合によっては水平方向へも回転?),その揺れの速度も幅もその時々で異なるほど十分に,遊び,許容,選択の度合いは大きい.しかし,ある程度の時間幅を与えて全体として見れば,てんびんは常にほぼ釣り合っていると言ってよい.
 Samuels にとって重要な問題は,上の図のなかで起きる個々の出来事,個々の言語変化というよりも,それらの舞台となる上の図全体を前提とすることなのではないか.言語変化を取り巻く環境や装置,もっといえば言語変化のエコロジーのようなものを提案しているのだろうと思う.

  ・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.

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2016-03-14 Mon

#2513. Samuels の "linguistic evolution" [terminology][evolution][language_change]

 言語進化論は,近年盛んに唱えられるようになってきた言語(変化)観であり,歴史言語学において1つの潮流となっている.本ブログでは「#432. 言語変化に対する三つの考え方」 ([2010-07-03-1]),「#519. 言語の起源と進化を探る研究分野」 ([2010-09-28-1]),「#520. 歴史言語学は言語の起源と進化の研究とどのような関係にあるか」 ([2010-09-29-1]),「#2260. 言語進化論の課題」 ([2015-07-05-1]) ほか evolution の各記事で関連する話題を取り上げてきた.
 Samuels (1) は早くから "linguistic evolution" を論じて言語変化を研究した論者の1人だが,その古典的著作の冒頭で "linguistic change" ではなくあえて "linguistic evolution" という用語をタイトルに用いた理由について述べている.

The title of this book ('Linguistic Evolution') was chosen in preference to 'Linguistic Change' although it is about linguistic change. This is because its purpose is to attempt an examination of the large complex of different factors involved, and the title 'Linguistic Change' might have entailed an oversimplification.


 言語変化には複数の要因が複雑に関与しており (multiple causation of language change),その複雑さをあまりに単純化してただ "change" として扱うことに抵抗があるということのようだ.上の引用に続けて,Samuels (1) は "linguistic evolution" という用語が誤解を招きやすいことをも認めており,注意を促している."evolution" が「進歩,前進」という道徳的な含意をもつことがあるからだろう.

Nevertheless 'evolution' is itself open to the misunderstanding that some sort of progress is implied, that a clearer or more effective means of communication has been achieved as a result of it. That meaning of 'evolution' is not intended here. We are not concerned here with the prehistoric origins of human language, and, as has often been pointed out, there is today no such thing as a 'primitive' language, every language is of approximately equal value for the purposes for which it has evolved, whether it belongs to an advanced or a primitive culture.


 では,Samuels のいう "linguistic evolution" とはいかなるものか.それは,継承形態と現在の表現上の要求という相反するものの均衡を保とうとする融通性の高い装置ということのようだ.

. . . it would appear, on the one hand, that both externally and internally in language development an equilibrium must be maintained between the old and the new, between the inherited forms and the expressive needs of the present; but at the same time, that the margin of tolerance and choice in the maintenance of that equilibrium is probably fairly wide, except, that is, for certain especial points of pressure that vary in each era. It is in that sense that 'evolution' is intended here.


 Samuels にとって(そして,現在の多くの言語進化論者にとって),"linguistic evolution" とは,言語変化に関する普遍的な方向性を示すというよりは,言語変化に働く潜在的な力学を指していう用語である.

 ・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.

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