hellog〜英語史ブログ     ChangeLog 最新     カテゴリ最新     前ページ 1 2 3 4 / page 4 (4)

evolution - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-04-20 10:59

2012-09-29 Sat

#1251. 中英語=クレオール語説の背景 [creole][me][family_tree][history_of_linguistics][evolution][sociolinguistics][historiography][language_equality]

 ##1223,1249,1250 の記事で,中英語=クレオール語とする仮説を批判的に見てきた.およそ議論の決着はついているのだが,議論それ以上に関心を寄せているのは,なぜこの仮説が現われ,複数の研究者に支持されたのかという背景である.
 Baily and Maroldt が論争を開いた1970年代以降,クレオール語研究が盛んになり,とりわけ言語進化論や社会言語学へ大きな刺激を与えてきたという状況は,間違いなく関与している.
 言語進化論との関係でいえば,Baily and Maroldt は,言語と生物の比喩を強烈に押し出している.

One of the authors has for more than a half-dozen years been contending that internal language-change will result only in new subsystems, while creolization is required for the creation of a new system, i.e. a new node on a family tree. Each node on a family tree therefore has to have, like humans, at least two parents. (22)


 これは,比較言語学の打ち立てた the family tree model の肯定でもあり,同時に否定のもう一つの形でもある.この発想自体が議論の的なのだが,いずれにせよクレオール研究の副産物であることは疑い得ない.
 次に,解放の言語学ともいえる社会言語学の発展との関係では,世界語の座に最も近い,威信のある言語である英語を,社会的には長らく,そして現在も根強く劣等イメージの付されたクレオール語と同一視させることによって,論者は言語的平等性を主張することができるのではないか.特定の言語に付された優勢あるいは劣勢のイメージは,あくまで社会的な価値観の反映であり,言語それ自体に優劣はなく平等なのだ,というメッセージを,論者はこの仮説を通じて暗に伝えているのではないか.
 私は,このような解放のイデオロギーとでもいうような動機が背景にあるのではないかと想定しながら Bailey and Maroldt を読んでいた.そのように想定しないと,[2012-09-27-1]の記事「#1249. 中英語はクレオール語か? (2)」でも言及したように,論者が英語をどうしても creolisation の産物に仕立て上げたいらしい理由がわからないからだ.支離滅裂な議論を持ち出しながらも,「英語=クレオール語」を推したいという想いの背景には,ある意味で良心的,解放的なイデオロギーがあるのではないか,と.
 ところが,論文の最後の段落で,この想定は見事に裏切られた.むしろ,逆だったのだ.creolisation の議論を手段とした世界語としての英語の賛歌だったのである.これには愕然とした.読みが甘かったか・・・.

A closing word on the value of creolization will not be amiss. Just as the evolution of plants and animals became vastly more adaptive, once sexual reproduction became a reality --- because then the propagation of mutations through crossing of strains became feasible --- so creolization enables languages to adapt themselves to new communicative needs in a much less restricted way than is otherwise open to most languages. Thus creolization has the same adaptive and survival value for languages as sexual cross-breeding has for the world of plants or animals. The flexibility and adaptability which have made English so valuable as a world-wide medium of communication are no doubt due to its long history of creolization. (53)


 [2012-04-14-1]の記事「#1083. なぜ英語は世界語となったか (2)」で取り上げた Bragg の英語史観も参照.

 ・ Bailey, Charles James N. and Karl Maroldt. "The French Lineage of English." Langues en contact --- Pidgins --- Creoles --- Languages in contact. Ed. Jürgen M. Meisel. Tübingen: Narr, 1977. 21--51.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2012-03-25 Sun

#1063. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (1) [linguistics][sign_language][writing][medium][origin_of_language][speech_organ][anthropology][semiotics][evolution]

 言語は音声に基づいている.文明においては文字が重視されるが,言語の基本が音声であることは間違いない.このことは[2011-05-15-1]の記事「#748. 話し言葉書き言葉」で論じているので,繰り返さない.今回は,言語という記号体系がなぜ音声に基づいているのか,なぜ音声に基づいていなければならないのかという問題について考える.
 まず,意思疎通のためには,テレパシーのような超自然の手段に訴えるのでないかぎり,何らかの物理的手段に訴えざるをえない.ところが,人間の生物としての能力には限界があるため,人間が発信かつ受信することのできる物理的な信号の種類は,おのずから限られている.具体的には,受信者の立場からすれば,視・聴・嗅・味・触の五感のいずれか,あるいはその組み合わせに訴えかけてくる物理信号でなければならない.発信者の立場からすれば,五感に刺激を与える物理信号を産出しなければならない.当然,後者のほうが負担は重い.
 さて,嗅覚に訴える言語というものを想像してみよう.発信者は意思疎通のたびに匂いを作り出す必要があるが,人間は意志によって匂いを作り出すことは得意ではないし,作り出せたとしても時間がかかるだろう.あまり時間がかかるようだと即時的な意思疎通は不可能であり,「会話」のキャッチボールは望めない.また,匂いを作り出せたとしても,その種類は限られているだろう.手にニンニク,魚,納豆を常にたずさえているという方法はあるが,それならばニンニク,魚,納豆の現物をそのまま記号として用いるほうが早い.仮に頑張って3種類の匂いを作り出すことができたと仮定しても,それはちょうどワー,オー,キャーの3語しか備わっていない言語と同じことであり,複雑な意志疎通は不可能である.3種類を組み合わせれば複雑な意思疎通が可能になるかもしれないが,匂いは互いに混じり合ってしまうという大きな欠点がある.受信者の側にそれを嗅ぎ分ける能力があればよいが,受信者は残念ながら犬ではなく人間であり,嗅ぎ分けは難しいと言わざるを得ない.風が吹かずに空気が停滞している場所で,古い匂いメッセージと区別して新しい匂いメッセージを送りたいとき,発信者・受信者ともに匂いの混じらない安全な場所に移動しなければならないという不便もある(だが,逆にメッセージを残存させたいときには,匂いの残存しやすい性質はメリットとなる).風が吹いていれば,それはそれで問題で,受信者が感じ取るより先ににおいが流されてしまう恐れがある.発信者が体調不良で匂いを発することができない場合や,受信者が風邪で鼻がつまっている場合には,匂いによる「会話」は不可能である(もっとも,類似した事情は音声言語にもあり,声帯が炎症を起こしている場合や,耳が何らかの事情で聞こえない場合には機能しない).人間にとって,嗅覚に訴えかける言語というものは発達しそうにない.
 次に味覚である.こちらも産出が難しいという点では,嗅覚に匹敵する.発信者が意志によって体から辛み成分や苦み成分を分泌し,受信者に「ほれ,なめろ」とかいうことは考えにくい.激しい運動により体に汗をかかせて塩気を帯びさせるなどという方法は可能かもしれないが,即時性の点で不満が残るし,不当に体力を消耗するだろう.受信者の側でも,味覚により何種類の記号を識別できるかという問題が残る.味覚は個人差が大きいし,体調に影響されやすいことも,経験から知られている.さらに,匂いの場合と同様に,味は混じりやすいという欠点がある.味覚依存の言語も,効率という点では採用できないだろう.
 触覚.これは嗅覚や味覚に比べれば期待がもてる.触るという行為は,発信も受信も容易だ.発信者は,触り方(さする,突く,掻く,たたく,つねる等々),触る強度,触る持続時間,触る体の部位などを選ぶことができ,それぞれのパラメータの組み合わせによって複雑な記号表現を作り出すことができそうだ.たたくリズムやテンポを体系化すれば,音楽に匹敵する表現力を得ることもできるかもしれない.複数部位の同時タッチも可能である.ただし,受信者側にとっては触覚の感度が問題になる.人間の識別できるタッチの種類には限界があるし,掻く,たたく,つねるなどの結果,痛くなったり痒くなったりしては困る.痛みや痒みは持続するので,匂いの残存と同じような不都合も生じかねない.触覚に依存する言語というものは十分に考えられるが,より効率の良い手段が手に入るのであれば,積極的に採用されることはないのではないか.さする,なでる,握手する,抱き合うなどのスキンシップは実際に人間のコミュニケーションの一種ではあるが,複雑な記号体系を構成しているわけではなく,主役の音声言語に対して補助的に機能することが多い.
 人間において触覚よりもよく発達しており,意思伝達におおいに利用できそうな感覚は,視覚である.実際に有効に機能している視覚記号として,身振りや絵画がある.特に身振りは発信が容易であり,即時性もある.文字や手話も視覚に訴える有効な手段だが,これらは身振りと異なり,原則として音声言語を視覚へ写し取ったものである.あくまで派生的な手段であり,補助や代役とみなすべきものだ.しかし,補助や代役とはいえ,いくつかの点で,音声言語の限界を超える働きすら示すことも確かである(##748,849,1001).このように音声言語の補助や代役として視覚が選ばれているのは,人間の視覚がことに鋭敏であるからであり,偶然ではない.視覚依存の欠点として,目の利かない暗闇や濃霧のなかでは利用できないことなどが挙げられるが,他の感覚に比べて欠点は少なく,長所は多い.[2009-07-16-1]の記事「#79. 手話言語学からの inspiration 」も参照.
 最後に残ったのが,人間の実際の言語が依存している聴覚である.聴覚に訴えるということは,受信者は音声を聴解する必要があり,発信者は音声を産出する必要があるということである.まず受信者の立場を考えてみよう.人間の聴覚は視覚と同様に非常に鋭敏であり,他の感覚よりも優れている.したがって,この感覚を複雑な意思疎通の手段のために利用するというのは,能力的には理にかなっている.音の質や量の微妙な違いを聞き分けられるのであるから,それを記号間の差に対応させることで膨大な情報を区別できるこはずだからだ.
 次に発信者の立場を考えてみよう.発信者は多様な音声を産出する必要があるが,人間にはそのために必要な器官が進化の過程で適切に備わってきた([2009-10-04-1]の記事「#160. Ardi はまだ言語を話さないけれど」,[2010-10-23-1]の記事「#544. ヒトの発音器官の進化と前適応理論」を参照).人間の唇,歯,舌,声帯,肺などの発音に関わる器官がこのような状態で備わっているのは,言語の発達にとって理想であったし,奇跡とすらいえる.これにより,微妙な音の差を識別できる聴覚のきめ細かさに対応する,きめ細かな発音が可能になったのである.音声に依存する言語が発達する条件は,進化の過程で整えられてきた.
 では,他の感覚ではなく聴覚に訴える手段が,音声に依存する言語が,特に発達してきたのはなぜだろうか.それは,上で各感覚について述べてきたように,聴覚依存,音声依存の伝達の長所と欠点を天秤にかけたとき,長所が欠点を補って余りあるからである.その各点については,明日の記事で.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2010-10-23 Sat

#544. ヒトの発音器官の進化と前適応理論 [speech_organ][evolution][origin_of_language]

 よく知られているように,ヒトの言語の発音器官 ( speech organ ) は言語のために進化してきたわけではない.いずれも主たる機能は生存のための生理的機能である.調音機能はあくまで副次的なものであり,だからこそヒトの言語の獲得は余計に不思議に思われるのである.
 以下は O'Grady (2) より,発音器官の2重機能(生理機能と発音機能)を示す表である.

OrganSurvival functionSpeech function
Lungsto exchange CO2 and oxygento supply air for speech
Vocal cordsto create seal over passage to lungsto produce vibrations for speech sounds
Tongueto move food to teeth and back into throatto articulate vowels and consonants
Teethto break up foodto provide place of articulation for consonants
Lipsto seal oral cavityto articulate vowels and consonants
Noseto assist in breathingto provide nasal resonance during speech


 2重機能や機能転換は生物の進化においては珍しくない.鳥の羽が体温調整という本来の機能から飛翔の機能を派生させた例,魚の浮き袋が浮揚の機能から呼吸の機能を派生させた例などがある.上記のヒトの諸器官において本来の生理的機能から発話という言語的機能が派生したのと同様に,ヒトの言語能力それ自身も脳の本来的な機能から副次的に派生したものと考えられている.
 言語能力の発現については大きく2つの考え方がある(池内,pp. 93--100).1つは,脳が進化して計算能力をもてあますようになり,複雑な計算処理を要求する言語が発現し得る状況が生じたとする説である.言語は脳の増大の副産物として突如として生じたとするこの説はスパンドレル理論と呼ばれ,Chomsky などが抱いているとされる.ここでは機能上の飛躍や非連続性が強調される.
 もう1つは,言語能力に先立つ準言語能力が「前駆体」として存在しており,そこからさらに進化することによって真性の言語能力が発現したとする説である.この説は前適応理論と呼ばれている.ここでも飛躍や非連続性は想定されているが,スパンドレル理論のような突如さはない.
 喧々囂々の議論があるが,池内氏によるとスパンドレル理論には難があるという (99).脳が進化して能力をもてあましたからといって,それが言語の能力につながる必然性がない.とてつもなく複雑な計算処理を要する言語以外の機能が生じる可能性もあり得たところに,なぜ結果的にはそれが言語だったのかを論理的に説明できない.一方で,前適応理論は言語の前駆体を仮定しており,(もちろんそれが何であるかは大問題だが)そこからの言語の発現には論理的な飛躍はないという.
 上に挙げた発音器官に話しを戻そう.ここでも,進化してみたらたまたま発音に都合よくできていたから言語の発音の機能を担うようになった(スパンドレル理論)というよりは,言語の発音の前駆体(一般の動物にもある鳴き,吠え,叫びの類か?)が先に存在しており,そこからの進化によって言語の発音の機能が発現するに至った(前適応理論),と考える方が無理はないのかもしれない.
 関連する記事として[2009-10-04-1]も参照.

 ・ O'Grady, William, John Archibald, Mark Aronoff, Janie Rees-Miller. Contemporary Linguistics: An Introduction. 6th ed. Boston: Bedford/St. Martin's, 2010. (Companion Site based on the 5th edition available here.)
 ・ 池内 正幸 『ひとのことばの起源と進化』 〈開拓社 言語・文化選書19〉,2010年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2010-09-29 Wed

#520. 歴史言語学は言語の起源と進化の研究とどのような関係にあるか [evolution][language_change][variation]

 昨日の記事[2010-09-28-1]で,近年さかんになってきている言語の起源と進化の研究の特徴を話題にした.時間軸に沿ったヒトの言語の流れに注目する点で,歴史言語学や言語史と,言語の起源と進化の研究は共通している.しかし,現生人類が前段階からの進化によって言語を獲得した過程に何が起こったかということと,例えば古英語で様々な形態のありえた名詞の複数形が中英語後期にかけて -s へ一元化してゆく過程にどのような関連があるかと考えると,答えは自明ではない.2つの問題は確かに言語の変化を扱っているにはちがいないが,問題の質あるいは問題の存する層が異なっているようにも思える.前者は普遍言語の問題,後者は個別言語の問題といえばよいだろうか.
 言語と起源と進化の分野でも,(biological) evolution of language と cultural evolution of language を区別しているようである(池内, p. 176).生物学的進化の観点からは,ヒトの言語は発生以来何かが変わってきたわけではないとされる.言語について変わってきたのは,あくまで不変化の生物学的進化の枠内で,文化的な側面が変化してきたというにすぎない.そうすると,歴史言語学や英語史などの個別言語史で扱っているような具体的な言語変化の事例は,すべて「(今のところ)不変化の生物学的進化の枠内での文化的進化」ということになろう.それでも,その生物的進化の枠内で,文化的進化として言語の何がどう変わってきているのかを探ることは,言語の機能の本質,言語の生物学的進化に対する文化的進化の特徴,言語の生物学的進化の兆しの可能性などに光を当てるものと考えられる.
 このようなことを考えていたときに,Weinreich et al. の論文で関連することが触れられていたことを思い出した.この論文は,言語起源論もまだ復活していない1968年という早い時期に書かれているが,変異 ( variation ) の考え方を先取りした現代的な発想で書かれている.新文法学派,構造主義言語学,生成文法などにおける言語変化観を批判し,社会的な観点,特に現在 variationist と呼ばれているアプローチで新しい言語変化理論を構築するための予備論文といった内容である.ここでは,言語変化理論 ( theory of language change ) はさらに大きな言語進化理論 ( theory of linguistic evolution ) の一部となるべきだとの主張がなされている.おおまかにいって,前者が cultural evolution,後者が biological evolution に対応するものと考えられる.

We think of a theory of language change as part of a larger theoretical inquiry into linguistic evolution as a whole. A theory of linguistic evolution would have to show how forms of communication characteristic of other biological genera evolved (with whatever mutations) into a proto-language distinctively human, and then into languages with the structures and complexity of the speech forms we observe today. It would have to indicate how present-day languages evolved from the earliest attested (or inferred) forms for which we have evidence; and finally it would determine if the present course of linguistic evolution is following the same direction, and is governed by the same factors, as those which have operated in the past. (103)


 言語進化理論は「サルからヒトの最初のコミュニケーション形態への発展から現在の言語構造にいたるまでの言語進化を扱い,その進化の方向が過去から現在にかけて一貫したものであるかどうかを問う」ものになろう.Weinreich et al. の視点の広さ,関心の射程,発想の現代性に驚く.
 また,次のように具体例を挙げて,言語変化理論と言語進化理論の接点を示している.

Investigations of the long-range effects of language planning, of mass literacy and mass media, have therefore a special relevance to the over-all study of linguistic evolution, though these factors, whose effect is recent at best, may be set aside for certain limited studies of language change. (103 fn.)


 言語の生物学的進化と文化的進化は峻別すべきであるということが1点,しかしながら両者の観点を合わせて言語の変化を探るべきであるということが1点.私の考えは,まだよくまとまっていない.

 ・ 池内 正幸 『ひとのことばの起源と進化』 〈開拓社 言語・文化選書19〉,2010年.
 ・ Weinreich, Uriel, William Labov, and Marvin I. Herzog. "Empirical Foundations for a Theory of Language Change." Directions for Historical Linguistics. Ed. W. P. Lehmann and Yakov Malkiel. U of Texas P, 1968. 95--188.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2010-09-28 Tue

#519. 言語の起源と進化を探る研究分野 [evolution][origin_of_language]

 ここ20年くらいの間に言語の起源と進化を探る研究が活発化してきた背景については,[2010-09-24-1], [2010-01-04-1], [2010-07-02-1]などで述べてきた.私自身はこの分野に詳しいわけではないが,ことばの起源,進化,変化という,時間軸を前提としたキーワードを考えれば,英語史や歴史言語学と関連しないはずはなく,関心はもっていた.そこへ,今年の6月に近年の言語の起源・進化に関する研究がまとめられた本が出た.池内正幸氏による『ひとのことばの起源と進化』である.興味を抱いたので読んでみたら,いや,おもしろい.非常に平易に書かれていながら,この分野の最先端の知見と動向が盛り込まれており,読み終わったときにはこんなにエキサイティングな分野なのかと目が開かれた感じである.なるほど言語をこれくらい広い視野で眺めようとすれば,言語学の細分化された分野で研究する際にも大きな見方が可能になるのかもしれないなと思わせた.
 この研究分野を何と称するかはまだ決まっていないようで,著者も「ことばの起源と進化の研究」と言っている.今後注目してゆくにあたって,この分野の「困った特徴」が2点挙げられていたのでまとめておきたい (pp. 85--87) .

(1) 言語の起源と進化のプロセスは,地球や人間の長い歴史のある時点で1回だけ起こったことであり,現在において観察することができない.この点で古生物学の研究と類似する問題を抱えているが,古生物学の場合には化石という形で物的証拠が残る.ところが言語の場合には物的証拠というものがない(言語の起源と進化の痕跡がヒトの DNA のなかに物質として埋め込まれていることが判明すれば別だが).客観的な物質に基づいていないのだから,何らかの仮説や理論が提出されても,それはどこまでいってもも推測の域を出ない.せめてなし得ることは,様々な領域の研究結果を総合して「どの程度総合的に妥当な説明が与えられるか」という妥当性 ( plausibility ) を少しずつ上げてゆくことである.科学として強気に出られないところが弱点ということだろう.

(2) この分野は単に学際的なのではなく「超」学際的である.「超」がつくために領域間の共通理解が進みにくいという問題がある.学際的であるということはエキサイティングであるということだが,あまりに広い領域を包み込んでいるので「共通語」が育ちにくいという事情があるようだ.言語の起源と進化の研究に関連しうる既存する学問分野を挙げればきりがない.例えば「言語学,進化学,生物学,心理学,言語獲得,生態学,動物行動学,考古学,遺伝学,脳神経科学,コンピューター・モデリング等々」.ここには英語史や歴史言語学の分野も鋭く切り込んでゆける(はずである).

 上の2点において,言語の起源と進化の研究はしばしば比較される古生物学とは様相が異なっているということだ.

 ・ 池内 正幸 『ひとのことばの起源と進化』 〈開拓社 言語・文化選書19〉,2010年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2010-07-03 Sat

#432. 言語変化に対する三つの考え方 [language_change][evolution][teleology][language_myth][language_equality]

 Aitchison (6--7) によると,言語変化に対する人々の態度は三種類に分けられる.

 (1) 言語変化は完全な状態からの緩慢な堕落である
 (2) 言語変化はより効率的な状態への緩慢な進歩である
 (3) 言語変化は進歩でも堕落でもない

 言語変化を扱う通時言語学では (3) が常識である.言語変化は単に言語の現状を表しているだけであり,堕落でも進歩でもなく,単純化でも複雑化でもない.ある側面で単純化が起こっているように見えても他の側面では複雑化が起こっているものであり,言語としての効率はそれほど変わらない ( see [2010-02-14-1] ) .
 しかし,(1) や (2) の意見はいまだに人口に膾炙している.(1) の論者は,言語がかつての理想的な状態から落ちぶれてきており,現代に起こっている言語変化はおよそ悪であると考える.日本でも,若者の言葉の乱れ,横文字の氾濫がしばしば新聞などで話題にのぼるが,これは (1) の考え方と関係している.イギリスでは,Shakespeare に代表される偉大な文人が現れた16世紀後半の Elizabeth 朝辺りが英語の黄金時代であり,それ以降は理想の姿からゆっくりと堕落してきているのだという考えがあった.往時を偉大とみなすのは人々の常なのかもしれない.
 主に英語について,Brinton and Arnovick は,(1) の考え方がいまだに広く行き渡っているのは次のような理由があるからであると述べている (20--21).

 ・ 往時を偲ぶ郷愁の想い(裏返せば,現世への嘆き)
 ・ 純粋な言語への憧れ(外国語の影響の排除,英語の Americanisation への危惧など)
 ・ 社会的な偏見(ある方言の訛りの蔑視,教養階級の発音への憧れなど)
 ・ ラテン語やギリシャ語などの高度に屈折的な言語のほうが優れているという意識(特に英語は屈折的でない方向へ顕著に変化を遂げてきているので)
 ・ 書き言葉の重視(書き言葉は話し言葉に比べてあまり変化しないので,より優れているという発想につながる)

 (2) については,19世紀の比較言語学者が抱いていた進化論的な言語観を反映している.生物が単純から複雑へと進化してきたように,人類が未開から文明へ進化してきたように,言語も原始の非効率的な形態から現代の効率的な形態へと進化してきたという発想である.私の英語史を受講している学生からのリアクションペーパーでも,英語史における屈折の単純化の過程などを指して「英語は効率的に,使いやすい方向に進化してきたことがわかった」という所感が少なくない.進化論的な言語観が蔓延している証拠だろう.

 ・ Aitchison, Jean. Language Change: Progress or Decay. 3rd ed. Cambridge: CUP, 2001.
 ・ Brinton, Laurel J. and Leslie K. Arnovick. The English Language: A Linguistic History. Oxford: OUP, 2006.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2009-10-04 Sun

#160. Ardi はまだ言語を話さないけれど [anthropology][speech_organ][evolution][origin_of_language]

 東京大学やカリフォルニア大学などの国際チームが,エチオピアで440万年前とされる最古の人類の全身骨格を化石から復元した.この最古の人類は Ardipithecus ramidus 「ラミダス猿人」という種類の人類で,この化石の女性は Ardi と愛称で呼ばれる.人類がチンパンジーから分かれたのは約700万年前とされ,分かれた後の人類の最初の証拠がアルディということになる.人類の起源の研究が新しい段階に入ったとして,米科学誌『サイエンス』が異例の特集を組んでいる.
 [2009-06-08-1]の記事で見たとおり,人類の起源から人類の言語の起源までには,相当な時間的な隔たりがある.言語は長く見積もっても数十万年の歴史をもつに過ぎない.人類は長い間「無言」だったわけだが,進化の過程では言語を獲得するための準備を着々と進めていったことも事実である.
 その準備の一つに,脳の発達がある.言語を操るためには相応の脳の発達が必要だったことは間違いない.ちなみに,アルディの脳は300ccくらいで,まだチンパンジーと同じくらいだったという.
 脳の発達以外にも言語の起源につながるもう一つの重要な準備があった.喉頭 ( larynx ) の発達である.アルディはすでに直立歩行していたようだが,直立することにより喉の空間が縦に長くなり,声帯 ( glottis ) で発せられた音が喉頭で共鳴することができるようになった.これにより,ヒトは音の高さや大きさを調整することができるようになり,そこに感情を載せるなど精妙な表現の手段を獲得したのである.さらに,共鳴器で響いた音が,舌や歯などのより上部の器官で調音され,複雑多岐な子音や母音が発せられるようになった.
 いくら脳が発達して言語能力が高まったとしても,それを表現する手段である声や音の調整が不可能であれば,言語行動 ( speech ) は成り立たなかっただろう.
 現代でも,脳(=表現する内容)と喉頭(=表現する手段)がセットになっていないと言語コミュニケーションは成り立たない.英語という手段だけ身につけようと頑張っても,伝える内容がお粗末ではしかたがない.自戒を込めて,アルディからの教訓.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow