英語史をはじめ歴史言語学や言語史を学んでいると,しばしば古典語 (classical language) という用語に出くわす.古典語の典型的な例は,西洋(史)の古典文化や古典時代と結びつけられる言語としてのラテン語 (Latin) や古典ギリシア語 (Ancient Greek) である.古典語は現代語 (modern language) と対立するものであり,そこから「古典語=死んだ言語 (dead language)」という等式が連想されそうだが,それほど単純なものではない (cf. 「#645. 死語と廃語」 ([2011-02-01-1])) .古典語の属性としては,活力 (vitality) のほか,自律性 (autonomy) と標準性 (standardisation) も肝要である (see 「#1522. autonomy と heteronomy」 ([2013-06-27-1])) .Trudgill (22) の用語集より説明を引こう.
classical language A language which has the characteristics of autonomy and standardisation but which does not have the characteristic of vitality, that is, although it used to have native speakers, it no longer does so. Classical European languages include Latin and Ancient Greek. The ancient Indian language Sanskrit, an ancestor of modern North Indian languages such as Hindi and Bengali, is another example of a classical language, as is Classical Arabic. Classical languages generally survive because they are written languages which are known non-natively as a result of being used for purposes of religion or scholarship. Latin has been associated with Catholicism, Sanskrit with Hinduism, and Classical Arabic with Islam.
日本においては,古い中国語,いわゆる漢文が古典語として扱われてきた.漢文は,現在では日常的使用者がいないという意味で vitality を欠いているが,そこには autonomy と standardisation が認められ,学問・思想と強く結びつけられてきた書き言葉の変種である.
なお,古典語のもう1つの属性として,上の引用中にも示唆されているものの,歴史的な権威 (historical authority) を明示的に加えてもよいのではないかと思われる.
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
言語・文字と宗教の関係については,本ブログの様々な箇所で触れてきた (例えば「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1]),「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1]),「#1455. gematria」 ([2013-04-21-1]),「#1545. "lexical cleansing"」 ([2013-07-20-1]),「#1546. 言語の分布と宗教の分布」 ([2013-07-21-1]),「#1636. Serbian, Croatian, Bosnian」 ([2013-10-19-1]),「#1869. 日本語における仏教語彙」 ([2014-06-09-1]),「#2408. エジプト聖刻文字にみられる字形の変異と字体の不変化」 ([2015-11-30-1]),「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1]) などを参照) .
宗教にとって,文字には大きく2つの役割があるのではないか.1つは,聖典を固定化し,その威信を保持する役割,もう1つは,宗教を周辺の集団へ伝道する媒介としての役割である.前者が本質的に文字の保守性を強化する方向に働くのに対して,後者においては文字は必要に応じて変容することもある.実際,イスラム教では,イスラム地域でのアラビア文字の威信が高く保たれていることから,文字の前者の役割が優勢である.しかし,キリスト教では,むしろ伝道する先々で,新たな文字体系が生み出されるという歴史が繰り返されてきており,文字の後者の役割が強い.この対比を指摘したのは,「文字と宗教」 (103--27) と題する文章を著わした文字学者の矢島である.関連する部分を3箇所抜き出そう.
人間が文字を発明した直接の動機は――少なくともオリエントにおいては――経済活動と関係のある「記録」のためであったように思われるが,宗教との結び付きもかなり大きな部分を占めているような気がする.オリエントでは上記の「記録」の多くは神殿で神官が管理するものであったし,中国の初期の文字(甲骨文字類)は神命を占うという,広義の宗教活動と切り離せなかったからである.(p. 105)
キリスト教の思想は民族のわくを越えたものであり,その教えは広く述べ伝えられるべきものであった.その中心的文書である『新約聖書』(ヘー・カイネー・ディアテーケー)さえ,イエス・キリストが話したと思われる西アラム語ではなくて,より国際性の強い平易なギリシア語(コイネー)で記された.しかしキリスト教徒は必ずしもギリシア語聖書を読むことを強制されることはない.キリスト教の普及に熱心な伝道者たちが,次々と聖書(この場合『新約聖書』であるが今日では外典とか偽典と呼ばれる文書を含むこともある)を翻訳してくれているからである.その熱心さは,文字がないところに文字を創り出すほどであり,こうして現われ出た文字の代表的なものとしてはコプト文字,ゴート文字,スラヴ文字,そしてカフカスのアルメニア文字,グルジア文字がある. (pp. 110--11)
『コーラン』はイスラム教徒にとってアッラーの言葉そのものであるが,これがアラビア語で表わされたことから,アラビア語はいわば神聖な言語と考えられ,イスラム教徒にはアラビア語の学習が課せられることになった.こうしてイスラム教徒アラビア語は切っても切れないつながりをもつことになり,さらにはアラビア文字の伝播と普及が始まった.キリスト教が『聖書』の翻訳を積極的に行ない,各地の民族語に訳すためには文字の創造をも行なったのに対して,イスラム教は『コーラン』の翻訳を禁じ(イスラム圏では近年に至るまで公けには翻訳ができなかったが,今はトルコ語訳をはじめいくつか現われている),アラビア語による『コーラン』の学習を各地のマドラサ(モスク付属のコーラン学校)で行なって来た.そのために,アラビア語圏の周辺ではアラビア文字が用いられることになった.今日のイラン(ペルシア語),アフガニスタン(パシュトゥ語など),パキスタン(ウルドゥー語など)などのほか,かつてのトルコやトルキスタン(オスマン・トルコ語など),東部アフリカ(スワヒリゴなど),インドネシア(旧インドネシア語,マライ語など)がそれである. (pp. 124--25)
このように,文字の相反する2つの性質という観点からは,キリスト教とイスラム教の対比は著しくみえる.一見すると,キリスト教は開放的,イスラム教は閉鎖的という対立的な図式が描けそうである.しかし,わかりやすい対比であるだけに,注意しなければならない点もある.西洋史を参照すれば,キリスト教でも聖書翻訳にまつわる血なまぐさい歴史は多く記録されてきたし,イスラム教でも少なからぬ地域でアラビア語離れは実際に生じてきた.
言語と同様に,文字には保守性と革新性が本質的に備わっている.使い手が文字のいずれの性質を,いかなる目的で利用するかに応じて,文字の役割も変異する,ということではないだろうか.
・ 矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.
アルファベット (alphabet) あるいは単音文字の文字体系としての卓越性について,多くの言説がなされてきた.数十年前まで,特に西洋ではアルファベットは文字の発展の頂点にあるという認識が一般的だったし,現在でもそのように信じている者は少なくないだろう (cf. 「#1838. 文字帝国主義」 ([2014-05-09-1])) .
合理性,経済性,分析性という観点からいえば,アルファベットは確かに音節文字よりも,表語文字よりもすぐれているとはいえるだろう.しかし,そのような性質が文字の果たす機能のすべてであるわけではない.むしろ,「#2344. 表意文字,表語文字,表音文字」 ([2015-09-27-1]),「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」 ([2015-11-11-1]),「#2401. 音素と文字素」 ([2015-11-23-1]) の記事などで繰り返してきたように,私は,文字の本質は表語機能 (logographic function) にあると考えている.それでも,アルファベット卓越論は根強い.
文字体系としてのアルファベット卓越論は,優位に西洋文化優勢論に発展しうる.西洋社会は,アルファベットを採用し推進したがゆえに,民主主義や科学をも発展させることができたのだ,という言説だ.しかし,これは神話であるにすぎない.この問題について,ロビンソン (226--27) は次のように議論している.
アルファベットは民主主義の発展に不可欠だったとよくいわれる.識字率を大いに高めたからだと.また,現代社会に於ける西洋の勝利,とくに科学分野での成功は,いわゆる「アルファベット効果」に負うところが大きいともいわれる.なぜなら西洋と中国を比較すると,科学はどちらでも発達したが,西洋では分析的な思考が発達し,例えばニュートンやアインシュタインのような人物が輩出して中国をはるかに引き離す結果となった.そういう分析的な思考は,単語が1字1字に分解されるアルファベットの原理によって育まれたというのだ.簡単にいえば,アルファベットは還元主義的な思考を育て,漢字は全体論的な思考を育てるということになる.
初めに述べた民主主義とアルファベットについての意見には,一片の真実がありそうだ.だがアルファベットが民主主義の発展を助けたのだろうか,それとも,人々に芽生えた民主主義を求める気持ちがアルファベットを誕生させたのだろうか?〔中略〕古代エジプト人は早くも紀元前第3千年紀,母音記号のないアルファベットを知っていた.しかしそれを使おうとはせずに,たくさんの記号を使ってヒエログリフを書くことを選んだ.これは彼らが自分たちの政治体制に,民主主義の必要性を感じていなかったということなのか?
科学の発展をめぐる二つめの意見は,おもしろいが誤りだ.中国の文字がそのあまりの複雑さのために,読み書き普及の妨げになったというなら話はわかる.しかし分析的な思考が得意かどうかといった深い文化的傾向を,漢字が表語的な文字だということに結びつけるのはばかげている.インド?ヨーロッパ語族の人々が叙事詩を書くということと,牛乳を飲むという事実を結びつけるようなものだろう.中国人は牛乳を飲まないから叙事詩を書かないのだと.ある優れた中国研究者は,皮肉をこめてこれを「牛乳食効果」と読んでいる.文化的な深い違いを論じるには,その文化全体を見なければならない.それがどんなに重要そうでも,文字がどうかといったほんの一面だけを見ても仕方がない.結局のところ重力や相対性理論を理解したニュートンやアインシュタインなら,たとえ漢字で教育を受けていても,いやエジプトのヒエログリフやバビロニアの楔形文字であったとしても,学ぶべきものは学んだに違いないのである.
また,ロビンソンは別の箇所 (265)で民主主義の問題について次のようにも述べている.
アルファベットと識字能力と民主主義の同時代的な関係も,一見もっともらしいけれど,評価するのは難しい.確かに文字が覚えやすければ,多くの人が習得でき,その人々が社会的な問題に明るくなれば,それに関与したり,何らかの役割を求めるようになるかもしれない.だから確かに今日の民主主義国家の教育政策は,読み書きの能力向上に重点をおき,非識字は進歩の遅れだというのが常識になっている.とはいえ識字の問題には,読み書きのたやすさ以外にも,ひじょうに多くのことが関係している.経済,政治,社会や文化の状況なども,識字能力と民主主義が根付き成長していくには,それに好都合でなければならない.古代エジプトに根本的な社会構造の変化が起きなかったこと,あるいは古代ギリシアにそれが起きたことを,たんにヒエログリフとアルファベットの違いから説明することはできないだろう.それは今日の日本の識字率の高さを,その世界一複雑な文字のせいにはできないのと同じくらい明白なことである.
文字論という分野がもっと認知され,理解されない限り,標題の言説は今後も繰り返されるのかもしれない.
・ ロビンソン,アンドルー(著),片山 陽子(訳) 『文字の起源と歴史 ヒエログリフ,アルファベット,漢字』 創元社,2006年.
標題の ethnomethodology (エスノメソドロジー)は,1967年にアメリカの社会学者 Harold Garfinkel の作り出した用語であり,言語コミュニケーションに関する社会学的なアプローチを指す.日常会話の基礎となる規範,しきたり,常識を探ることを目的とする.人類言語学 (anthropological linguistics),社会言語学 (sociolinguistics),会話分析 (conversation analysis),おしゃべりの民族誌学 (ethnography_of_speaking) などの領域と重なる部分があり,学際的な分野である.Trudgill の社会言語学用語辞典より,関連する4つの用語の解説を与えたい.
ethnomethodology A branch of sociology which has links with certain sorts of sociolinguistics such as conversation analysis because of its use of recorded conversational material as data. Most ethnomethodologists, however, are generally not interested in the language of conversation as such but rather in the content of what is said. They study not language or speech, but talk. In particular, they are interested in what is not said. They focus on the shared common-sense knowledge speakers have of their society which they can leave unstated in conversation because it is taken for granted by all participants.
ethnography of speaking A branch of sociolinguistics or anthropological linguistics particularly associated with the American scholar Dell Hymes. The ethnography of speaking studies the norms and rules for using language in social situations in different cultures and is thus clearly important for cross-cultural communication. The concept of communicative competence is a central one in the ethnography of speaking. Crucial topics include the study of who is allowed to speak to who --- and when; what types of language are to be used in different contexts; how to do things with language, such as make requests or tell jokes; how much indirectness it is normal to employ; how often it is usual to speak, and how much one should say; how long it is permitted to remain silent; and the use of formulaic language such as expressions used for greeting, leave-taking and thanking.
ethnography of communication A term identical in reference to ethnography of speaking, except that nonverbal communication is also included. For example, proxemics --- the study of factors such as how physically close to each other speakers may be, in different cultures, when communicating with one another --- could be discussed under this heading.
conversation analysis An area of sociolinguistics with links to ethnomethodology which analyses the structure and norms of conversation in face-to-face interaction. Conversation analysts look at aspects of conversation such as the relationship between questions and answers, or summonses and responses. They are also concerned with rules for conversational discourse, such as those involving turn-taking; with conversational devices such as discourse markers; and with norms for participating in conversation, such as the rules for interruption, for changing topic, for overlapping between one speaker and another, for remaining silent, for closing a conversation, and so on. In so far as norms for conversational interaction may vary from society to society, conversation analysis may also have links with cross-cultural communication and the ethnography of speaking. By some writers it is opposed to discourse analysis.
ethnomethodology は,言語の機能 (function_of_language) という深遠な問題にも疑問を投げかける.というのは,ethnomethodology は,言語をコミュニケーションの道具としてだけではなく,世界を秩序づける道具としてもとらえるからだ.Wardhaugh (272) 曰く,"people use language not only to communicate in a variety of ways, but also to create a sense of order in everyday life."
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
標題の術語は,特殊な register (使用域,位相)に属する語句を表わす.互いに重なる部分が多いのだが,厳密な定義は難しい.まずは,Williams (203--04) による各用語についての説明を引用しよう.
Cant (related to chant, and originally the whining pleas of beggars) is often used to refer particularly to the language of thieves, gypsies, and such. But it has also been used to refer to the specialized language of any occupation, particularly to the mechanical and mindless repetition of special words and phrases.
Argot (a French word of unknown etymology), usually refers to the secret language of the underworld, though it too has also been used to refer to any specialized occupational vocabulary---the argot of the racetrack, for example. Jargon (once meaning the warbling of birds) is usually used by someone unfamiliar with a particular technical language to characterize his annoyed and puzzled response to it. Thus one man's technical vocabulary is another's jargon. Feature, shift, transfer, artifactual, narrowing, acronym, blend, clip, drift---all these words belong to the vocabulary of semantic change and word formation, the vocabulary of historical linguistics. But for anyone ignorant of the subject and unfamiliar with the terms, such words would make up its jargon. Thus cant, argot, and jargon are words that categorize both by classing and by judging.
Slang (of obscure origin) has many of the same associations. It has often been used as a word to condemn "bad" words that might pollute "good" English---even destroy the mind. . . . / But . . . slang is a technical terms like the terms grammatical and ungrammatical---a neutral term that categorizes a group of novel words and word meanings used in generally casual circumstances by a cohesive group, usually among its members, not necessarily to hide their meanings but to signal their group membership.
Trudgill の用語辞典にエントリーのある,slang, argot, jargon, antilanguage についても解説を引用する.
slang Vocabulary which is associated with very informal or colloquial styles, such as English batty (mad) or ace (excellent). Some items of slang, like ace, may be only temporarily fashionable, and thus come to be associated with particular age-groups in a society. Other slang words and phrases may stay in the language for generation. Formerly slang vocabulary can acquire more formal stylistic status, such as modern French tête (head) from Latin testa (pot) and English bus, originally an abbreviation of omnibus. Slang should not be confused with non-standard dialect. . . . Slang vocabulary in English has a number of different sources, including Angloromani, Shelta and Yiddish, together with devices such as rhyming slang and back slang as well as abbreviation (as in bus) and metaphor, such as hot meaning 'stolen' or 'attractive'.
argot /argou/ A term sometimes used to refer to the kinds of antilanguage whose slang vocabulary is typically associated with criminal groups.
jargon . . . . A non-technical term used of the register associated with a particular activity by outsiders who do not participate in this activity. The use of this term implies that one considers the vocabulary of the register in question to be unnecessarily difficult and obscure. The register of law may be referred to as 'legal jargon' by non-lawyers.
antilanguage A term coined by Michael Halliday to refer to a variety of a language, usually spoken on particular occasions by members of certain relatively powerless or marginal groups in a society, which is intended to be incomprehensible to other speakers of the language or otherwise to exclude them. Examples of groups employing forms of antilanguage include criminals. Exclusivity is maintained through the use of slang vocabulary, sometimes known as argot, not known to other groups, including vocabulary derived from other languages. European examples include the antilanguages Polari and Angloromany.
それぞれの用語の指す位相は,それぞれ重なり合いながらも,独自の要素をもっている.これは,各々が英語の歴史文化において区別される役割を担ってきたことの証左だろう.こうした用語使いそのものが英語の歴史性と社会性をもっており,したがって用語の翻訳は難しい.
・ Williams, Joseph M. Origins of the English Language: A Social and Linguistic History. New York: Free P, 1975.
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
「#2384. polycentric language」 ([2015-11-06-1]) に引き続き,複数の中心をもつ言語 (polycentric, or pluricentric, language) について.このテーマで論文集を編んだ Clyne (1) は,その本の序章において,このような言語の特徴を次のように言い表している.
The term pluricentric was employed . . . to describe languages with several interacting centres, each providing a national variety with at least some of its own (codified) norms. Pluricentric languages are both unifiers and dividers of peoples. They unify people through the use of the language and separate them through the development of national norms and indices and linguistic variables with which the speakers identify. They mark group boundaries . . . indicating who belongs and who does not. National varieties may be seen as symbols of suppressed potential language conflict as the development of a distinct Ausbau language has not gone ahead . . . .
pluricentric language とは,社会言語学的には,複数の言語変種を結束させる要でもあり,それらの変種を異なるものとして区別する仕分け装置でもあるということになる.諸変種を個々の独立した存在と認めつつも,それらを束ねようという意図を含んだ概念ともいえるし,反対に,1つの言語という体裁をしているが,内部には独立に値する変種が複数あることを示唆する概念ともいえる.前の記事でも述べたように,ある言語変種の現実を描写する用語である以上に,そのような現実をいかに解釈・評価するかという用語に近いのではないか.
この問題を突き詰めると,結局のところ,言語変種 (variety) とは何か,言語と方言の境界は何かという問いに行き着いてしまうように思われる.変種の問題については,「#1373. variety とは何か」 ([2013-01-29-1]),「#415. All linguistic varieties are fictions」 ([2010-06-16-1]),「#2116. 「英語」の虚構性と曖昧性」 ([2015-02-11-1]),「#2243. カナダ英語とは何か?」 ([2015-06-18-1]),「#2282. カナダ英語とは何か? (2)」 ([2015-07-27-1]),「#2265. 言語変種とは言語変化の経路をも決定しうるフィクションである」 ([2015-07-10-1]) を参照.
なお,Clyne の著書では,pluricentric languages (の候補)として,以下の言語が取り上げられている.Portuguese, Spanish, Dutch, Tamil, Swedish, German, French, English, Korean, Arabic, Chinese, Armenian, Serbo-Croatian, Hindi-Urdu, Malay, Pacific Pidgin Englishes, Macedonian.
・ Clyne, Michael. "Pluricentric Languages --- Introduction." Pluricentric Languages: Differing Norms in Different Nations. Ed. Michael Clyne. Berlin: Mouton de Gruyter, 1992. 1--9.
複数の「中心」をもつ言語は,標題の通り polycentric language あるいは pluricentric language と呼ばれる.Trudgill (105) の用語辞典から,解説を引用する.
A language in which autonomy is shared by two or more (usually very similar) superposed varieties. Examples include English (with American, English, Scottish, Australian and other standard forms); Portuguese (with Brazilian and European Portuguese standard variants); Serbo-Croat (with Serbian and Croatian variants) and Norwegian (with Bokmål and Nynorsk).
polycentric language とは,換言すれば,各々「Ausbau な言語」と呼びうるほどの標準性を持ち合わせた複数の変種を配下に含む1言語とも定義できるかもしれない.例えば,イギリス英語 (British English) とアメリカ英語 (American English) は,別の歴史的経緯を経ていれば,もしかすると各々イギリス語 (British) やアメリカ語 (American) と呼ばれる独立した言語になっていたかもしれない (cf. 「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」 ([2010-08-08-1])) .実際にはそうならずに,あくまで「イギリス変種の英語」や「アメリカ英語」などと呼称されるようになっているが,「英語」と呼ばれる言語の配下にある,世界的にも重要な役割を果たす2変種とみなされていることは事実である.このような観点から英語という言語をみるとき,英語は "polycentric language" であると言われる.
"polycentric language" という用語遣いは,ある言語変種の autonomy と heteronomy (cf. 「#1522. autonomy と heteronomy ([2013-06-27-1])) の問題に関わるため,その変種の社会言語学的な実態を指すのに用いられるというよりは,その変種を社会言語学的にいかに捉えるかという観点を表わすものではないか.上の引用では,Serbo-Croat の例が触れられているが,セルビア語 (Serbian) とクロアチア語 (Croatian) が互いに独立した言語であるという(社会)言語観の持ち主にとっては,セルボクロアチア語 (Serbo-Croat(ian)) が "a polycentric language" であるという謂いはナンセンスどころか,挑発的に聞こえるかもしれない (cf. 「#1636. Serbian, Croatian, Bosnian」 ([2013-10-19-1])) .
この用語には,別言語へ分裂していきそうだが,分裂していない(とみなされている)言語変種の置かれた状況を表現しようとする意図が感じられる.「互いに似ている2言語」なのか「互いに似ている2変種を配下にもつ1言語」なのか.英語にせよ,セルボクロアチア語やポルトガル語にせよ,いずれの言語変種に関しても,"polycentric language" とは実態というよりは見方を伝えるターミノロジーではないか.その点で,Jenkins (64) が使っているように "pluricentric approach" という表現を用いるのが適切のように思う.
昨日の記事「#2383. ポルトガル語とルゾフォニア」 ([2015-11-05-1]) の (5) で,「ポルトガル語のブラジル方言」か「ブラジル語」かという問題に言及したが,換言すれば,この議論はポルトガル語が "a polycentric language" か否かの議論ということになる.
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
・ Jenkins, Jennifer. World Englishes: A Resource Book for Students. Abingdon: Routledge, 2003.
古ノルド語とフランス語が英語に与えてきた影響は,英語史ではしばしば比較対照される.本ブログでも,「#111. 英語史における古ノルド語と古フランス語の影響を比較する」 ([2009-08-16-1]) や「#126. 7言語による英語への影響の比較」 ([2009-08-31-1]) でも取り上げてきた.その記事でも示したように,両言語の影響は様々な点で著しく対照的である.どの観点からみるか目移りするほどだが,Denison and Hogg (15) は,とりわけ社会言語学的な観点から,両言語の影響に関する重要な対立点を取り上げている.それによると,古ノルド語が地域方言の含意をもつのに対し,フランス語が文体 (style) や使用域 (register) の含意をもつことである.
. . . Scandinavian influence was originally predominant in the Danelaw. . . . [E]ventually many Scandinavian elements entered southern dialects as well, but this is a two-stage process. There is the original contact between the two language which brought Scandinavian features into the English of the Danelaw. Then, later, there is spread within English by means of interdialectal contact. Contact between French and English, on the other hand, shows a much lesser geographical variation. The key here is register. That is to say, the variables which affect English in respect of French are far more to do with a contrast between types of social language than geography. Thus, if a text is concerned with, say, religion or science, or it is a formal piece, then it is probably that it will contain a higher proportion of French loanwords than a text which is purely secular or colloquial, whichever part of the country the text comes from. In this respect we should also note that Scandinavian loans are more likely to be colloquial (or everyday).
換言すれば,古ノルド語の影響が,少なくとも当初の「第1段階」においては地域方言(水平方向の変種)の差異をもたらしたのに対し,フランス語の影響は,主として文体や使用域(垂直方向の変種)の差異を生み出したということである.これは,両言語の影響に関する様々な対立点を要約する謂いとして,言い得て妙である.
・ Denison, David and Richard Hogg. "Overview." Chapter 1 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 1--42.
昨日の記事「#2349. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか (2)」 ([2015-10-02-1]) で引用した Rothwell の論文では,標記の話題が扱われている.よく知られているように,The Canterbury Tales の The General Prologue (ll. 124--26) では,Prioress がイングランド訛りのフランス語 (Anglo-French, or Anglo-Norman) を話す人物として紹介される.
And Frensch she spak ful faire and fetisly,
After the scole of Stratford atte Bowe,
For Frensch of Parys was to hire unknowe.
伝統的に,このくだりは,正統なパリのフランス語を習得せず,洗練されていないイングランド訛りのフランス語のみを話す「田舎者」の気味を描写したもの解釈されることが多い.とすると,ful faire and fetisly には,正統なフランス語の使い手である Chaucer の視点からみて,ある種の皮肉が混じっていることになる.
しかし,Rothwell は,この Prioress にしても,彼女の話すイングランドのフランス語変種にしても,言われるほど地位が低かったわけではないと擁護する.議論は2点ある.
(1) 当時,パリの中央方言の威信が高まり,相対的に他のフランス語変種が低く見られるようになってきたのは事実である.しかし,この方言蔑視は Anglo-French に限らず,フランス国内の諸変種についても同様にあったのであり,Anglo-French がとりわけ軽視されたわけではない.Rothwell 曰く,
As far as continental French is concerned, it is important to recognize at the outset that disparagement and unfavourable comparison with the dialect of the Paris region --- francien --- were not confined to Anglo-Norman but were also the lot of outlying dialects of the continental mainland. Within the bounds of what is now northern France and Belgium dialectal variations were frowned upon as soon as a strong literary tradition began to develop in the Ile-de-France. (40--41)
Chaucer's quip at the expense of his Prioress is to be regarded then as a small reflection of the general movement towards the standardization of the French language that originated in Paris before the end of the twelfth century, a movement whose aim of making the language of the capital the norm for eventually the whole of France was to involve not only the subordination of the vigorous northern dialects, but also the eclipse of the brilliant literary civilization of Provence, built around the langue d'oc. (41--42)
(2) むしろ,フランスの諸変種に比べて Anglo-French はイングランドという独立国によって書き言葉としてある程度制度化されていたのであり,イングランド内では社会的地位を保っていた.語彙や文法の面でも十分に「立派な」変種だったのであり,中央フランス語母語話者にとっても理解不能なフランス語の「崩れ」などではなかった.
It must be emphasized . . . that the general level of competence in most of the Anglo-Norman works that have come down to us is remarkably high, if judged not only by the accurate use of vocabulary, but in the far more searching test represented by the handling of syntax. (42)
There is no suggestion that the living French of England was unable to express with complete adequacy any of the ideas, objects, and shades of meaning required by the civilization it served. In fact, if we are to judge simply from material provided by the standard dictionaries of medieval French, it would appear that in certain technical areas such as the law, Anglo-Norman may well have been more highly developed at an earlier stage than the corresponding language on the continent. (43)
結論として,Rothwell は,Anglo-French がしばしば言われるよりも,パリのフランス語から独立 (autonomous) していたことを主張し,中世英語英文学の研究においてもそのようなものとして再評価されるべきだと論じる.
Insular French, then, was for some considerable time after the Conquest no more than a normal and accepted part of French culture, but had gradually and imperceptibly moved into a position of increasing eccentricity by the time we reach the age of Chaucer. Yet it may perhaps be a mistake to view this apparently aberrant offshoot of French as no more than a failed and vanished imitation of francien. . . . [T]he standing of Anglo-French may well improve once it is viewed not as a peripheral dialect, the inferior linguistic medium of a transplanted culture, destined to disappear after a few centuries, but as an efficient vehicle of a highly-developed civilization, a language that did not really disappear but was absorbed into English, transforming the latter in the process. (45)
・ Rothwell, W. "Stratford atte Bowe and Paris." Modern Language Review 80 (1985): 39--54.
社会言語学の話題として取り上げられる diglossia は,しばしば英語史にも適用されてきた.これについては,本ブログでも以下の記事などで取り上げてきた.
・ 「#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉」 ([2011-02-17-1])
・ 「#1203. 中世イングランドにおける英仏語の使い分けの社会化」 ([2012-08-12-1])
・ 「#1486. diglossia を破った Chaucer」 ([2013-05-22-1])
・ 「#1488. -glossia のダイナミズム」 ([2013-05-24-1])
・ 「#1489. Ferguson の diglossia 論文と中世イングランドの triglossia」 ([2013-05-25-1])
・ 「#2148. 中英語期の diglossia 描写と bilingualism 擁護」 ([2015-03-15-1])
・ 「#2328. 中英語の多言語使用」 ([2015-09-11-1])
単純化して述べれば,古英語は diglossia の時代,中英語は triglossia の時代である.アングロサクソン時代の初期には,ラテン語の役割はいまだ大きくなかったが,キリスト教が根付いてゆくにつれ,その社会的な重要性は増し,アングロサクソン社会は diglossia となった.Nevalainen and Tieken-Boon van Ostade (272) によれば,
. . . Anglo-Saxon England became a diglossic society, in that one language came to be used in one set of circumstances, i.e. Latin as the language of religion, scholarship and education, while another language, English, was used in an entirely different set of circumstances, namely in all those contexts in which Latin was not used. In other words, Latin became the High language and English, in its many different dialects, the Low language.
しかし,重要なのは,英語は当時のヨーロッパでは例外的に,法律や文学という典型的に High variety の使用がふさわしいとされる分野においても用いられたことである.古英語の diglossia は,この点でやや変則的である.
中英語期に入ると,イングランド社会における言語使用は複雑化する.再び Nevalainen and Tieken-Boon van Ostade (272--73) から引用する.
This diglossic situation was complicated by the coming of the Normans in 1066, when the High functions of the English language which had evolved were suddenly taken over by French. Because the situation as regards Latin did not change --- Latin continued to be primarily the language of religion, scholarship and education --- we now have what might be referred to as a triglossic situation, with English once more reduced to a Low language, and the High functions of the language shared by Latin and French. At the same time, a social distinction was introduced within the spoken medium, in that the Low language was used by the common people while one of the High languages, French, became the language of the aristocracy. The use of the other High language, Latin, at first remained strictly defined as the medium of the church, though eventually it would be adopted for administrative purposes as well. . . . [T]he functional division of the three languages in use in England after the Norman Conquest neatly corresponds to the traditional medieval division of society into the three estates: those who normally fought used French, those who worked, English, and those who prayed, Latin.
このあと後期中英語にかけてフランス語の使用が減り,近代英語期中にはラテン語の使用分野もずっと限られるようになり,結果としてイングランドは monoglossia 社会へ移行した.以降,英語はむしろ世界各地の diglossia や triglossia に, High variety として関与していくのである.
・ Nevalainen, Terttu and Ingrid Tieken-Boon van Ostade. "Standardisation." Chapter 5 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 271--311.
中英語における,英語,フランス語,ラテン語の3言語使用を巡る社会的・言語的状況については,これまでの記事でも多く取り上げてきた.例えば,以下を参照.
・ 「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1])
・ 「#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉」 ([2011-02-17-1])
・ 「#1488. -glossia のダイナミズム」 ([2013-05-24-1])
・ 「#1960. 英語語彙のピラミッド構造」 ([2014-09-08-1])
・ 「#2025. イングランドは常に多言語国だった」 ([2014-11-12-1])
Crespo (24) は,中英語期における各言語の社会的な位置づけ,具体的には使用域,使用媒体,地位を,すごぶる図式ではあるが,以下のようにまとめている.
LANGUAGE | Register | Medium | Status |
Latin | Formal-Official | Written | High |
French | Formal-Official | Written/Spoken | High |
English | Informal-Colloquial | Spoken | Low |
ENGLAND | Languages | Linguistic situation |
Early Middle Ages | Latin--French--English | TRILINGUAL |
14th--15th centuries | French--English | BILINGUAL |
15th--16th c. onwards | English | MONOLINGUAL |
本ブログでは,英語史に関する記事と同じくらい言語変化 (language_change) に関する記事を書いてきた.言語変化という用語や概念を当然の前提としてきたが,この前提の背景において理解しておかなければならないことがある.それは,言語変化 (linguistic change) と話者刷新 (speaker-innovation) の区別である (Milroy 77) .言語が変化するのは,話者が言葉遣いを刷新するからである.
話者が言葉遣いを刷新したからといって,それが言語変化に直結するとは限らない.一度きりの繰り返されることのない刷新にすぎないかもしれないし,個人的な変異にとどまるかもしれない.それが言語体系のなかに定着し,言語共同体内に拡がってはじめて,言語変化が生じたといえる.時間順でいえば,話者刷新は言語変化に先行する.また,話者不在の言語変化はありえないということでもある.このことは考えてみれば自明ではあるが,私たちは「言語変化」を論じる際に,しばしば言語体系を自律したものとして扱い,話者を脇に追いやる.意識的にそのような方法論を採っているのであれば問題は少ないと思われるが,言葉遣いの刷新の主体が話者であるという事実は,常に念頭においておく必要がある.
刷新や変化の主体が話者と言語のあいだで容易にすり替わり得るのは,刷新から変化への移行に関するメカニズムがよく解明されていないからでもある.そのメカニズムの1つとして見えざる手 (invisible_hand) が提案されているが,それも含めて,今後の研究課題といってよいだろう.
似たような用語上の懸念として,話者(集団)どうしが接触しているにもかかわらず,しばしば「言語接触」 (language contact) が語られるということがある.言語接触という見方そのものに問題があるわけではないが,それに先だって常に話者接触があるという認識が肝心である.
言語変化と話者刷新の区別や話者不在の言語(変化)論については,以下の記事で話題にしてきたので,参照されたい.
「#546. 言語変化は個人の希望通りに進まない」 ([2010-10-25-1])
「#835. 機能主義的な言語変化観への批判」 ([2011-08-10-1])
「#837. 言語変化における therapy or pathogeny」 ([2011-08-12-1])
「#1168. 言語接触とは話者接触である」 ([2012-07-08-1])
「#1549. Why does language change? or Why do speakers change their language?」 ([2013-07-24-1])
「#1979. 言語変化の目的論について再考」 ([2014-09-27-1])
「#1992. Milroy による言語外的要因への擁護」 ([2014-10-10-1])
「#2005. 話者不在の言語(変化)論への警鐘」 ([2014-10-23-1])
・ Milroy, James. "A Social Model for the Interpretation of Language Change." History of Englishes. Ed. Matti Rissanen et al. Berlin: Mouton de Gruyter, 1992. 72--91.
標題は,長らく気になっている疑問である.現代英語の命令文では通常,主語代名詞 you が省略される.指示対象を明確にしたり,強調のために you が補われることはあるにせよ,典型的には省略するのがルールである.これは古英語でも中英語でも同じだ.
共時的には様々な考え方があるだろう.命令文で主語代名詞を補うと,平叙文との統語的な区別が失われるということがあるかもしれない.これは,命令形と2人称単数直説法現在形が同じ形態をもつこととも関連する(ただし古英語では2人称単数に対しては,命令形と直説法現在形は異なるのが普通であり,形態的に区別されていた).統語理論ではどのように扱われているのだろうか.残念ながら,私は寡聞にして知らない.
語用論的な議論もあるだろう.例えば,命令する対象は2人称であることは自明であるから,命令文において主語を顕在化する必要がないという説明も可能かもしれない.社会語用論の観点からは,東 (125) は「英語は主語をふつう省略しない言語だが,命令文の時だけは省略する.この主語(そして命令された人も)を省略する文法は,ポライトネス・ストラテジーのあらわれだといえよう」と述べている.関連して,東は,命令文以外でも you ではなく一般人称代名詞 one を用いる方がはるかに丁寧であるとも述べており,命令文での主語省略を negative politeness の観点から説明するのに理論的な一貫性があることは確かである.
しかし,ポライトネスによる説明は,現代英語の共時的な説明にとどまっているとみなすべきかもしれない.というのは,初期近代英語では,主語代名詞を添える命令文のほうがより丁寧だったという指摘があるからだ.Fennell (165) 曰く,". . . in Early Modern English constructions such as Go you, Take thou were possible and appear to have been more polite than imperatives without pronouns."
初期近代英語の命令や依頼という言語行為に関連するポライトネス・ストラテジーとしては,I pray you, Prithee, I do require that, I do beseech you, so please your lordship, I entreat you, If you will give me leave など様々なものが存在し,現代に連なる please も17世紀に誕生した.ポライトネスの意識が様々に反映されたこの時代に,むしろ主語付き命令文がそのストラテジーの1つとして機能した可能性があるということは興味深い.上記の東による説明は,よくても現代英語の主語省略を共時的に説明するにとどまり,通時的な有効性はもたないだろう.
この問題については,今後も考えていきたい.
・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.
・ 東 照二 『社会言語学入門 改訂版』,研究社,2009年.
社会言語学に,言語市場 (linguistic marketplace) という概念がある.社会において,言語は文字通りにカネの回る市場であるという考え方だ.言語と経済の関係が密接であることは,私たちもよく知っている.世界経済の「通貨」は英語を筆頭とするリンガ・フランカ (lingua_franca) であるし,多言語を使いこなせる人は市場価値が高いとも言われる.営業マンは言葉遣いが巧みであれば業績が上がるだろうし,通訳や翻訳などは直接に言語で稼ぐ業種である.ほかにも,セネガルにおいて,言葉による挨拶の仕方とその人の経済力が結びついていることは,「#1623. セネガルの多言語市場 --- マクロとミクロの社会言語学」 ([2013-10-06-1]) で見たとおりである.このように,言語,言語能力,言語使用には,市場価値がある.
言語の市場価値という観点から,興味深い指摘がある.ウェブ上のショッピングサイトでは,スペリングの正確さが売上に直結する重要な要素であるということだ.だましサイトには間違えたスペリングやいかがわしい表記が溢れていることはよく知られており,買い物客はサイトにおける綴字ミスには敏感なのである.買い物客は,売り手がいかに「きちんと」商売しているかを,部分的に綴字の正確さで測っているという.Horobin (4--5) が次のように述べている.
. . . there is an economic argument for the importance of correct spelling. Charles Duncombe, an entrepreneur with various online business interests, has suggested that spelling errors on a website can lead directly to a loss of custom, potentially causing online businesses huge losses in revenue (BBC News, 11 July 2011). This is because spelling mistakes are seen by consumers as a warning sign that a website might be fraudulent, leading shoppers to switch to a rival website in preference. Duncombe measured the revenue per visitor to one of his websites, discovering that it doubled once a spelling mistake had been corrected. . . . So the message is clear: good spelling is vital if you want to run a profitable online retail company, or be a successful email spammer.
言語と経済の関係については様々な論考があるが,「#2163. 言語イデオロギー」 ([2015-03-30-1]),「#2166. argot (隠語)の他律性」 ([2015-04-02-1]) で取り上げたものとして Irvine の論文を挙げておこう.
・ Irvine, Judith T. "When Talk Isn't Cheap: Language and Political Economy." American Ethnologist 16 (1989): 248--67.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
標題に関連して,「#2243. カナダ英語とは何か?」 ([2015-06-18-1]),「#2265. 言語変種とは言語変化の経路をも決定しうるフィクションである」 ([2015-07-10-1]),「#415. All linguistic varieties are fictions」 ([2010-06-16-1]),「#1373. variety とは何か」 ([2013-01-29-1]) など,canadian_english を中心に考察してきた.今回は,この議論にもう1つ材料を加えたい.
これまでの記事でも示唆してきたように,カナダ英語に迫るのには,言語学的な方法と社会言語学的な方法とがある.言語学的な考察の中心になるのは,カナダ英語を特徴づけるカナダ語法 (Canadianism) の同定だろう.Brinton and Fee (434) は,"Canadianisms" の定義として "words which are native to Canada or words which have meanings native to Canada" を掲げており,この定義に適う語彙を pp. 434--38 で数多く列挙している.
一方,社会言語学的な方法を採るならば,カナダ英語の母語話者の帰属意識や忠誠心という問題に言い及ばざるをえない.Bailey (160) は,カナダ英語という変種を支える3つの政治的前提に触れている.
. . . "Loyalists" in the Commonwealth; "North Americans" by geography; "nationalists" by virtue of separatism and independent growth. Each political assumption and linguistic hypothesis has adherents, but the facts of Canadian English resist unambiguous classification.
個々の話者によって,3つの前提のいずれを取るのか,あるいは複数の前提をどのような配合で混在させているのかは異なっているのが普通だろう.このような話者集合体の話す変種こそがカナダ英語なのだという,そのようなアプローチも可能である.むしろ,言語変種とは,往々にしてそのように成立していくものなのかもしれないとも思う.
・ Brinton, Laurel J. and Margery Fee. "Canadian English." The Cambridge History of the English Language. Vol. 6. Cambridge: CUP, 2001. 422--40 .
・ Bailey, Richard W. "The English Language in Canada." English as a World Language. Ed. Richard W. Bailey and Manfred Görlach. Ann Arbor: U of Michigan P, 1983. 134--76.
昨日の記事「#2264. カナダ英語における non-prevocalic /r/ の社会的な価値」 ([2015-07-09-1]) で参照した Bailey のカナダ英語に関する1章には,言語における変種 (variety) がいかにして作られ,いかにして育てられ,いかにして社会的影響力をもつに至るかという問いへのヒントが隠されている.カナダ英語とアメリカ英語という2つの変種を例に挙げながら,Bailey (142) は以下のように述べる.
The history of Canadian settlement is immensely significant in determining the origins of English in Canada. Only by romanticizing history are present-day Canadians able to trace their linguistic ancestry to the "United Empire Loyalists," but they are not alone in creating a history to support national sensibilities. In the United States, for instance, some anglophones like to imagine a direct connection with Plymouth Colony (if they are Yankees) or with the First Families of Virginia (if they admire the antebellum South). But a history that is partly fictional may nonetheless be socially significant, and national myths can bolster notions of linguistic prestige and thus influence the course of language change in progress. Hence accounts of settlement history must combine the facts of migration with the beliefs that combine with them to create present-day norms of language behavior.
Bailey によれば,例えばカナダ英語という変種は,それを話す話者集団が,自分たちの歴史と言語とを結びつけることによって生み出すフィクションである.しかし,そのフィクションはやがて自らが威信や規範を生み出し,それ自身が話者集団に働きかけ,その変種の言語変化の進路に影響を与える.これは,神話や宗教の形成にも類する過程のように思われる.「#415. All linguistic varieties are fictions」 ([2010-06-16-1]) で論じたように,変種とはフィクションにすぎない.しかし,フィクションだからこそ,話者集団にとって強力な神話ともなりうるし,その言語変化の経路をも決定する重要な要因になりうるのだろう.
言語に関するフィクションや神話が生み出される過程については,「#626. 「フランス語は論理的な言語である」という神話」」 ([2011-01-13-1]),「#1244. なぜ規範主義が18世紀に急成長したか」 ([2012-09-22-1]),「#1738. 「アメリカ南部山中で話されるエリザベス朝の英語」の神話」 ([2014-01-29-1]) などの記事を参照されたい.また,言語変種のフィクション性を巡る議論については,「#1373. variety とは何か」 ([2013-01-29-1]),「#2116. 「英語」の虚構性と曖昧性」 ([2015-02-11-1]),「#2241. Dictionary of Canadianisms on Historical Principles」 ([2015-06-16-1]),「#2243. カナダ英語とは何か?」 ([2015-06-18-1]) も参照.
・ Bailey, Richard W. "The English Language in Canada." English as a World Language. Ed. Richard W. Bailey and Manfred Görlach. Ann Arbor: U of Michigan P, 1983. 134--76.
「#2242. カナダ英語の音韻的特徴」 ([2015-06-17-1]) の記事において,(5) Retention of [r] について次のように述べた.「SCE 〔Standard Canadian English〕は一般的に rhotic である.歴史的には New England からの王党派 (Loyalists) によってもたらされた non-rhotic な変種の影響も強かったはずだが,rhotic なイギリス諸方言が移民とともに直接もたらされた経緯もあり,後者が優勢となったものだろう.」
この non-prevocalic /r/ に関する予想外の分布と展開をもう少し調べてみた.カナダ英語,とりわけ New England 変種と歴史的な関係の深い沿岸諸州のカナダ英語変種で,結果として rhotic となっていったのは,なぜなのだろうか.Bailey (144) によると,2つの理由があるという.
Two factors doubtless account for the eventual disappearance of New England r-less pronunciations in the Maritimes. One must certainly be the migration that brought other varieties of English to Canada. Since most of the newcomers were from northern England, Scotland, and Ireland (where [r] after vowels was and is a systematic feature of pronunciation), they provided an English that competed with that of the American Loyalists, and apparently these migrants were more influential than those from the south of England, where r-loss was well established in prestige dialects by the early nineteenth century. But a more important reason is to be found in the growing sense of national identity among the new Canadians. Their institutions may have been American in origin, but as keepers of the true Loyalist faith they despised the rebels and were staunch in their defense against attempts by the United States to annex Canada in the War of 1812. In the years that followed, they continued to resist threats of annexation from the south, and though they had not yet formed a nation, they constituted a community. By maintaining Loyalist traditions, they believed that they were preserving Loyalist language. In fact, they reversed the process of change already well established at the time of their exodus northward.
1つは,New England からの移民のほかにも,直接ブリテン諸島からやってきた移民がいたためであるとしている.後者にはとりわけ北部イングランド,スコットランド,アイルランドの出身者が多く,その故郷では「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1]) で見たように,過去にも現在にも rhotic な変種が主として行われている.
しかし,より重要な理由は,New England からカナダへ移民した王党派 (Loyalists) が感じるようになった "national identity" にあるだろうという.彼らは生まれこそアメリカであり,New England であったが,王党派としてカナダへ逃れてからは,むしろカナダを併合しようと企む新生アメリカ合衆国に対して反感を募らせた.1812年に英米間の戦争が再発してからは,彼らはますますアメリカに対する反感を強め,rhotic な発音を採用することによって,non-rhotic な発音をすでに定着させつつあった New England と,社会言語学的に距離を置こうとしたのではないか ("sociolinguistic distancing") .
当時の方言状況や /r/ に関する変化の詳細について不案内なので,この説を適切に評価することはできないが,少なくとも英語の諸変種において non-prevocalic /r/ が社会言語学的な価値を帯びやすいことは歴史的な事実である.この問題については,「#406. Labov の New York City /r/」 ([2010-06-07-1]),「#1050. postvocalic r のイングランド方言地図について補足」 ([2012-03-12-1]),「#1371. New York City における non-prevocalic /r/ の文体的変異の調査」 ([2013-01-27-1]),「#1535. non-prevocalic /r/ の社会的な価値」 ([2013-07-10-1]) を参照されたい.
・ Bailey, Richard W. "The English Language in Canada." English as a World Language. Ed. Richard W. Bailey and Manfred Görlach. Ann Arbor: U of Michigan P, 1982. 134--76.
昨日の記事「#2245. Meillet の "tout se tient" --- 体系としての言語」 ([2015-06-20-1]) を受けて,言語は体系であること,言語においては "tout se tient" であると述べた Meillet の,もう1つの側面,すなわち社会的な言語観をのぞいてみよう.
Meillet (16--18) は,言語の現実は言語的なものであると同時に社会的なものでもあることを強く主張した.この二重性こそが,言語の特徴であると.昨日の引用箇所を含めて,少々長いが,関連する部分を引く.
[La réalité d'une langue] est linguistique : car une langue constitue un système complexe de moyens d'expression, système où tout se tient et où une innovation individuelle ne peut que difficilement trouver place si, provenant d'un pur caprice, elle n'est pas exactement adaptée à ce système, c'est-à-dire si elle n'est pas en harmonie avec les règles générales de la langue.
A un autre égard, la réalité de la langue est social : elle résulte de ce qu'une langue appartient à un ensemble défini de sujets parlants, de ce qu'elle est le moyen de communication entre les membres d'un même groupe et de ce qu'il ne dépend d'aucun des membres du groupe de la modifier ; la nécessité même d'être compris impose à tous les sujets le maintien de la plus grande identité possible dans les usages linguistiques : le ridicule est la sanction immédiate de toutes les déviations individuelles, et, dans les sociétés civilisées modernes, on exclut de tous les principaux emplois par des examens ceux des citoyens qui ne savent pas se soumettre aux règles de langage, parfois assez arbitraires, qu'a une fois adoptées la communauté. Comme l'a très bien dit, dans son Essai de sémantique, M. Bréal, la limitation de la liberté qu'a chaque sujet de modifier son language « tient au besoin d'être compris, c'est-à-dire qu'elle est de même sorte que les autres lois qui régissent notre vie sociale ».
Dès lors il est probable a priori que toute modification de la structure sociale se traduira par un changement des conditions dans lesquelles se développe la langage. Le langage est une institution ayant son autonomie ; il faut donc en déterminer les conditions générales de développement à un point de vue purement linguistique, et c'est l'objet de la linguistique générale ; il a ses conditions anatomiques, physiologiques et psychiques, et il relève de l'anatomie, de la physiologie et de la psychologie qui l'éclairent à beaucoup d'égards et dont la considération est nécessaire pour établir les lois de la linguistique générale ; mais du fait que le langage est une institution sociale, it résulte que la linguistique est une science sociale, et le seul élément variable auquel on puisse recourir pour rendre compte du changement linguistique est le changement social dont les variations du langages ne sont que les conséquences parfois immédiates et directes, et le plus souvent médiates et indirectes.
Il ne faut pas dire qu'on soit par là ramené à une conception historique, et qu'on retombe dans la simple considération des faits particuliers ; car s'il est vrai que la structure sociale est conditionnée par l'histoire, ce ne sont jamais les faits historiques eux-mêmes qui déterminent directement les changements linguistiques, et ce sont les changements de structure de la société qui seuls peuvent modifier les conditions d'existence du langage. Il faudra déterminer à quelle structure sociale répond une structure linguistique donnée et comment, d'une manière générale, les changements de structure sociale se traduisent par des changements de structure linguistique.
Meillet は,言語が "tout se tient" の体系である以上,言語変化とは言語体系の変化のことにほかならず,それは社会体系の変化に呼応して生じるものであると考えている.個々のミクロな社会変化ではなくマクロな社会体系の変化こそが,言語の置かれる環境や条件を変え,結果として間接的に言語体系に揺さぶりをかけるのだ.したがって,本質的な問題は,最後の文にあるように,所与の言語体系がいかなる社会体系に対応しており,社会体系の変化がどのように言語体系の変化となって現われるのかという点にある.
(構造)言語学と社会言語学をつなぐこの問題意識こそが,Meillet の身上だろう.関連して,「#2161. 社会構造の変化は言語構造に直接は反映しない」 ([2015-03-28-1]) も参照.
・ Meillet, Antoine. Linguistique historique et linguistique générale. Paris: Champion, 1982.
昨日の記事「#2242. カナダ英語の音韻的特徴」 ([2015-06-17-1]) でカナダ英語の特徴の一端に触れた.カナダ英語とは何かという問題は,変種 (variety) を巡る本質的な問題を含んでいる (cf. 「#415. All linguistic varieties are fictions」 ([2010-06-16-1]),「#1373. variety とは何か」 ([2013-01-29-1]),「#2116. 「英語」の虚構性と曖昧性」 ([2015-02-11-1]),「#2241. Dictionary of Canadianisms on Historical Principles」 ([2015-06-16-1])) .Brinton and Fee (439) は,カナダ英語の概説を施した章の最後で,カナダ英語とは何かという問いについて,次のような回答を与えている.
Canadian English is the outcome of a number of factors. Canadian English was initially determined in large part by Canada's settlement by immigrants from the northern United States. Because of the geographical proximity of the two countries and the intertwining of their histories, economic systems, international policies, and print and especially television media, Canadian English continues to be shaped by American English. However, because of the colonial and postcolonial history of the British Empire, Canadian English is also strongly marked by British English. The presence of a long-standing and large French-speaking minority has also had an effect on Canadian English. Finally, social conditions, such as governmental policies of bilingualism, immigration, and multiculturalism and the politics of Quebec nationalism, have also played an important part in shaping this national variety of English.
ここでのカナダ英語の定義は,言語学的特徴に基づくものではなく,カナダの置かれている社会言語学的環境や歴史的経緯を踏まえたものである.カナダ英語の未来を占うのであれば,アメリカ英語の影響力の増大は確実だろう.一方で,社会的多言語使用という寛容な言語政策とその意識の浸透により,カナダ英語は他の主要な英語変種に比べて柔軟に変化してゆく可能性が高い.
これまでにゼミで指導してきた卒業論文をみても,日本人英語学習者のなかには,カナダ英語(そして,オーストラリア英語,ニュージーランド英語)に関心をもつ者が少なくない.英米の2大変種に飽き足りないということもあるかもしれないが,日本人はこれらの国が基本的に好きなのだろうと思う.そのわりには,国内ではこれらの英語変種の研究が少ない.Canadian English は,社会言語学的にもっともっと注目されてよい英語変種である.
・ Brinton, Laurel J. and Margery Fee. "Canadian English." The Cambridge History of the English Language. Vol. 6. Cambridge: CUP, 2001. 422--40 .
昨日の記事 ([2015-06-03-1]) に引き続き,マルタの英語事情について.マルタは ESL国であるといっても,インドやナイジェリアのような典型的な ESL国とは異なり,いくつかの特異性をもっている.ヨーロッパに位置する珍しいESL国であること,ヨーロッパで唯一の土着変種の英語をもつことは昨日の記事で触れた通りだが,Mazzon (593) はそれらに加えて3点,マルタの言語事情の特異性を指摘している.とりわけイタリア語との diglossia の長い前史とマルタ語の成立史の解説が重要である.
There are various reasons for the peculiarity of the Maltese linguistic situation: 1) the size of the country, a small archipelago in the centre of the Mediterranean; 2) the composition of the population, which is ethnically and linguistically quite homogeneous; 3) its history previous to the British domination; throughout the centuries, Malta had undergone various invasions, its political history being intimately connected with that of Southern Italy. This link, together with the geographical vicinity to Italy, encouraged the adoption of Italian as a language of culture and, more generally, as an H variety in a well-established situation of diglossia. Italian has been for centuries a very prestigious language throughout Europe, since Italy has one of the best known literary traditions and some of the oldest European universities. Maltese is a language of uncertain origin; it was deeply "restructured" or "refounded" on Semitic lines during the Arab domination, between 870 and 1090 A.D. It has since then followed the same path as other spoken varieties of Arabic, losing almost all its inflections and moving towards analytical types; the close contact with Italian helped in this process, also contributing large numbers of vocabulary items.
現在のマルタ語と英語の2言語使用状況の背景には,シックな言語としての英語への親近感がある.世界の多くのESL地域において,英語に対する見方は必ずしも好意的とは限らないが,マルタでは状況が異なっている.ここには,国民の "integrative motivation" が関与しているという.
The role of this integrative motivation must always be kept in mind in the case of Malta, since the relative cultural vicinity and the process through which Malta became part of the Empire made this case somehow anomalous; many Maltese today simply deny they ever were just a "colony"; young people seem to partake in this feeling and often stress the point that the British never "invaded" Malta: they were invited. There is a widespread feeling that the British never really colonialized the country, they just "came to help"; the connection of the Maltese people with Britain is still quite strong, not only through the British tourists: in many shops and some private houses, alongside the symbols of Catholicism, portraits of the British Royal Family are proudly displayed on the walls. (Mazzon 597)
確かに,マルタはESL地域のなかでは特異な存在のようである.マルタの言語(英語)事情は,社会歴史言語学的に興味深い事例である.
・ Mazzon, Gabriella. "A Chapter in the Worldwide Spread of English: Malta." History of Englishes: New Methods and Interpretations in Historical Linguistics. Ed. Matti Rissanen, Ossi Ihalainen, Terttu Nevalainen, and Irma Taavitsainen. Berlin: Mouton de Gruyter, 1992. 592--601.
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