ジュニア向けの新書をよく読む.一流の研究者が分野のエッセンスを示してくれることが多く,学びの効率がよいからである.その分野が,自分にとって入門の分野であれ,ある程度馴染みの分野であれ,気づきが多い.池上俊一(著)『王様でたどるイギリス史』もそのような一冊である.
同書ではイギリス史のエッセンスが多々示されているが,なかでも近代的な「イギリス国民」のアイデンティティが形成された時期と経緯についての1節が印象に残っている.pp. 125--26 より引用する.
「イギリス国民」の形成
リンダ・コリーという現代イギリスの歴史家は,一七〇七年のイングランドとウェールズへのスコットランド合併を定めた合同法からヴィクトリア時代が正式に始まる一八三七年までの歴史を扱い,この時期に「イギリス国民」のアイデンティティが形成されたと述べています.
そしてこの国民意識の形成は,何よりフランスとの間で約一三〇年もの間,断続的かつ熾烈な戦争(スペイン継承戦争,オーストリア継承戦争,七年戦争,ナポレオン戦争その他)に代表される,根深い敵対感情に負っているとしています.
つまりフランスとの対立がイギリス人の国民意識を創るとともに,イングランド銀行,効率的で全国的な財務システムおよび巨大軍事機構を創ったとも述べ,さらにこのフランスとの敵対が同時にプロテスタント対カトリックの宗教戦争でもあり,単に政治家や帰属の問題ではなく,大衆の同意を得て彼らの積極的協力で危機に対処するしかなくなったことが,この時期にグレートブリテンの住民が一つの「国民」となった根本的要因だ,としています.
文化的にも民族的にも不均質,いつも不安定で揺れ動いていたアイデンティティが,やっと「世界最強のカトリック国に対抗して,生き残りをかけて戦っているプロテスタントとして自己規定した」のです.これはより長いタイムスパンで考えるといささか相対化しなくてはならないかもしれませんが,この時期の仇敵がフランスであり,近代イギリス文化・社会が,反フランス文化・社会というフランスの陰画にほかならなかったというのは,その通りでしょう.以後イギリスは,フランスと対峙しつつ植民地戦争に勝利し,一九世紀には「パックス・ブリタニカ」(イギリス支配による平和),大英帝国を築いていきます.
国民と言語を軽々に比較することはできないが,イギリス国民のアイデンティティのみならず,近現代英語の社会的位置づけもまた「長い18世紀」にフランス(語)との対決と勝利を通じて決定されてきたとみることも可能かもしれない.
この長い18世紀の英仏対立は「第2次百年戦争」と呼ばれることもあるが,歴史的には3--4世紀ほど前の中世末期の「第1次百年戦争」 (hundred_years_war) の尾を引いていることは間違いない.そして,英語とフランス語の交流と対立の歴史も,同じように中世後期にさかのぼる.英語が反フランス語というフランス語の陰画であるという見方も一考する価値がありそうだ.
・ 池上 俊一 『王様でたどるイギリス史』 岩波書店〈岩波ジュニア新書〉,2017年.
近刊書,高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年の紹介と関連して,ここしばらくの間,言語の標準化 (standardisation) について議論する機会が多くなってきている.しかし,そもそも standard の語源は何なのか.これまで hellog で取り上げてきたことがなかったので,今回注目してみたい.
OED で standard, n., adj., and int. を引いてみると,語形欄,語源欄,語の比較言語学的事実,そして語義記述に至るまで詳細な情報が与えられていることに圧倒される.これを読み解くだけでも一苦労だ.日々英語という言語と格闘している OED 編者たちの,この語への思い入れの強さが,ひしひしと伝わってくる.彼らにとって standard は様々な意味で「重い」単語なのだろう. *
standard は古仏語からの早い借用語で,英語での初出は12世紀半ばのことである.中英語の最初期の文献とされる The Peterborough Chronicle (pchron) の The Final Continuation より,1138年の記述のなかで「軍旗」の意味で初出する.
?a1160 Anglo-Saxon Chron. (Laud) (Peterborough contin.) anno 1138 Him [sc. the king of Scotland] com togænes Willelm eorl of Albamar..& to [read te] other æuez men mid fæu men & fuhten wid heom & flemden þe king æt te Standard.
古仏語/アングロノルマン語の estandart, standarde を借用したものということだが,このフランス単語自体の語源に諸説あり,事情は複雑なようである.OED の語源欄より引用する.
Origin: A borrowing from French. Etymons: French standarde, estandart.
Etymology: < Anglo-Norman standarde, Anglo-Norman and Old French estandart, Old French estendart (Middle French estandart, estendart, French étendard) military flag or banner, also as a (fortified) rallying point in battle (c1100), (figuratively) person worth following (c1170), upright post (a1240), large candle (a1339, only in Anglo-Norman), of uncertain origin, probably either (a) < a West Germanic compound with the literal sense 'something that stands firm' < the Germanic base of STAND v. + the Germanic base of HARD adv., or (b) < classical Latin extendere to stretch out (see EXTEND v.), or (c) < a Romance reflex of classical Latin stant-, stāns, present participle of stāre to stand (see STAND v.) + Old French -ard -ARD suffix.
3つの語源説が紹介されているが,(a) 説をとれば,西ゲルマン語の stand + hard がフランス語に入り,これが後に改めて英語に入ったということになる.また,原義の観点からいえば「直立しているもの」か「伸びているもの」かという2つの語源説があることになる.
中英語を読んでいると,it の用法が現代英語よりも広くて戸惑うことがある.例えば there is 構文のような存在文 (existential_sentence) における there の代わりに it が用いられることがある(cf. フランス語 il y a, ドイツ語 es gibt).Mustanoja (132) から解説と例文を示そう.動詞が it ではなく意味上の主語に一致していることに注意.
In many instances it occurs in a pleonastic function carried out by there in Pres. E: --- of hise mouth it stod a stem, Als it were a sunnebem (Havelok 591); --- of þe erth it groues tres and gress (Cursor 545, Cotton MS); --- it es na land þat man kan neven ... þat he ne sal do þam to be soght (Cursor 22169, Cotton MS); --- bot it were a fre wymmon þat muche of love had fonde (Harley Lyr. xxxii 3); --- hit arn aboute on þis bench bot berdles chylder (Gaw. & GK 280); --- bot hit ar ladyes innoȝe (Gaw. & GK 1251).
関連して「#1565. existential there の起源 (1)」 ([2013-08-09-1]),「#1566. existential there の起源 (2)」 ([2013-08-10-1]),「#4473. 存在文における形式上の主語と意味上の主語」 ([2021-07-26-1]) を参照.
もう1つは,事実上 they に相当するような it の用法だ.こちらも Mustanoja (132--33) より解説と例を示そう.
Another aspect in the ME use of the formal it is seen in the following cases where it is virtually equivalent to 'they:' --- holi men hit were beiene (Lawman B 14811; cf. hali men heo weoren bæien, A); --- it ben aires of hevene alle þat ben crounede (PPl. C vi 59); --- thoo atte last aspyed y That pursevantes and heraudes ... Hyt weren alle (Ch. HF 1323). --- to þe gentyl Lomb hit arn anioynt (Pearl 895); --- hit arn fettled in on forme, þe forme and þe laste ... And als ... hit arn of on kynde (Patience 38--40); --- þei ... cownseld hyr to folwyn hyr mevynggys and hyr steringgys and trustly belevyn it weren of þe Holy Gost and of noon evyl spyryt (MKempe 3). This use goes back to OE. Cf. also German es sind ... and French ce sont ...
いずれもフランス語やドイツ語に類似した構文が見られるなど興味深い.中英語の構文は,フランス語からの言語接触という可能性はあり得るが,むしろ統語論的な要請に基づくものではないかと睨んでいる.どうだろうか.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
一昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」 にて「#368. 英語とフランス語で似ている単語がある場合の5つのパターン」という題でお話ししました.この放送に寄せられた質問に答える形で,本日「#370. 英語語彙のなかのフランス借用語の割合は? --- リスナーさんからの質問」を公開しましたので,ぜひお聴きください.
英語とフランス語の両方を学んでいる方も多いと思います.Voicy でも何度か述べていますが,私としては両言語を一緒に学ぶことをお勧めします.さらに,両言語の知識をつなぐものとして「英語史」がおおいに有用であるということも,お伝えしたいと思います.英語史を学べば学ぶほど,フランス語にも関心が湧きますし,その点を押さえつつフランス語を学ぶと,英語もよりよく理解できるようになります.そして,それによってフランス語がわかってくると,両言語間の関係を常に意識するようになり,もはや別々に考えることが不可能な境地(?)に至ります.英語学習もフランス語学習も,ともに楽しくなること請け合いです.
実際,語彙に関する限り,英語語彙の1/3ほどがフランス語「系」の単語によって占められます.フランス語「系」というのは,フランス語と,その生みの親であるラテン語を合わせた,緩い括りです.ここにフランス語の姉妹言語であるポルトガル語,スペイン語,イタリア語などからの借用語も加えるならば,全体のなかでのフランス語「系」の割合はもう少し高まります.
さて,その1/3のなかでの両言語の内訳ですが,ラテン語がフランス語を上回っており 2:1 あるいは 3:2 ほどいでしょうか.ただし,両言語は同系統なので語形がほとんど同一という単語も多く,英語がいずれの言語から借用したのかが判然としないケースもしばしば見られます.そこで実際上は,フランス語「系」(あるいはラテン語「系」)の語彙として緩く括っておくのが便利だというわけです.
このような英仏語の語彙の話題に関心のある方は,ぜひ関連する heldio の過去放送,および hellog 記事を通じて関心を深めていただければと思います.以下に主要な放送・記事へのリンクを張っておきます.実りある両言語および英語史の学びを!
[ heldio の過去放送 ]
・ 「#26. 英語語彙の1/3はフランス語!」
・ 「#329. フランス語を学び始めるならば,ぜひ英語史概説も合わせて!」
・ 「#327. 新年度にフランス語を学び始めている皆さんへ,英語史を合わせて学ぶと絶対に学びがおもしろくなると約束します!」
・ 「#368. 英語とフランス語で似ている単語がある場合の5つのパターン」
[ hellog の過去記事(一括アクセスはこちらから) ]
・ 「#202. 現代英語の基本語彙600語の起源と割合」 ([2009-11-15-1])
・ 「#429. 現代英語の最頻語彙10000語の起源と割合」 ([2010-06-30-1])
・ 「#845. 現代英語の語彙の起源と割合」 ([2011-08-20-1])
・ 「#1202. 現代英語の語彙の起源と割合 (2)」 ([2012-08-11-1])
・ 「#874. 現代英語の新語におけるソース言語の分布」 ([2011-09-18-1])
・ 「#2162. OED によるフランス語・ラテン語からの借用語の推移」 ([2015-03-29-1])
・ 「#2357. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計」 ([2015-10-10-1])
・ 「#2385. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計 (2)」 ([2015-11-07-1])
・ 「#117. フランス借用語の年代別分布」 ([2009-08-22-1])
・ 「#4138. フランス借用語のうち中英語期に借りられたものは4割強で,かつ重要語」 ([2020-08-25-1])
・ 「#660. 中英語のフランス借用語の形容詞比率」 ([2011-02-16-1])
・ 「#1209. 1250年を境とするフランス借用語の区分」 ([2012-08-18-1])
・ 「#594. 近代英語以降のフランス借用語の特徴」 ([2010-12-12-1])
・ 「#1225. フランス借用語の分布の特異性」 ([2012-09-03-1])
・ 「#1226. 近代英語期における語彙増加の年代別分布」 ([2012-09-04-1])
・ 「#1205. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか」 ([2012-08-14-1])
・ 「#2349. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか (2)」 ([2015-10-02-1])
・ 「#4451. フランス借用語のピークは本当に14世紀か?」 ([2021-07-04-1])
・ 「#1638. フランス語とラテン語からの大量語彙借用のタイミングの共通点」 ([2013-10-21-1])
・ 「#1295. フランス語とラテン語の2重語」 ([2012-11-12-1])
・ 「#653. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」 ([2011-02-09-1])
・ 「#848. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別 (2)」 ([2011-08-23-1])
・ 「#3581. 中英語期のフランス借用語,ラテン借用語,"mots savants" (1)」 ([2019-02-15-1])
・ 「#3582. 中英語期のフランス借用語,ラテン借用語,"mots savants" (2)」 ([2019-02-16-1])
・ 「#4453. フランス語から借用した単語なのかフランス語の単語なのか?」 ([2021-07-06-1])
・ 「#3180. 徐々に高頻度語の仲間入りを果たしてきたフランス・ラテン借用語」 ([2018-01-10-1])
昨日の記事「#4764. 慣用的な懸垂分詞の起源と種類」 ([2022-05-13-1]) に続き,懸垂分詞の起源について.
この構文を Jespersen (407) は "dangling participle" や "loose participle" と呼び,数ページにわたって議論している.とりわけ pp. 409--10 では,"perfectly established" したものとして allowing for, talking of, speaking of, judging by, judging from, saving, begging your pardon, strictly speaking, generally speaking, counting, taking, considering の例が挙げられている.
pp. 410--11 では,さらに慣習化して前置詞に近くなったものがあるとして,中英語以降からの豊富な例文とともに挙げられている.今後の考察のためにも,ここに引用しておきたい.
22.29. A loose participle sometimes approaches the value of a preposition. This use is with possibly doubtful justice ascribed to French influence by Ross, The Absolute Participle, 30. Examples: Ch B 4161 as touching daun Catoun | More U 64 Now as touchyng this question . . . But as concernyng this matter . . . | Caxton R 11 touchyng this complaint | Hawthorne S 247 I am utterly bewildered as touching the purport of your words | Caxton R 54 alle were there sauyng reynard | Gay BP 40 . . . a Jew; and bating their religion, to women they are a good sort of people | Hawthorne Sn 51 barring the casualties to which such a complicated piece of mechanism is liable | Quincey 116 one may bevouack decently, barring rain and wind, up to the end of October | Scott I 31 incapable of being removed, excepting by the use of the file | Di Do 239 Edith, saving for a curl of her lip, was motionless | Dreiser F 292 what chance would he have, presuming her faithfulness itself | Defoe R 2.190 his discourse was prettily deliver'd, considering his youth | Hope D 77 Considering his age, your conduct is scandalous | Thack N 5 there may be nothing new under and including the sun.
Cf. also regarding, respecting (e.g. Ruskin S 1.291) | according to (Caxton R 57, etc.) | owing to | granting (Stevenson JHF 103 even granting some impediments, why was this gentleman to be received by me in secret?).
Cf. pending, during, notwithstanding 6.34.
On the transition of seeing, granting, supposing, notwithstanding with or without that to use as conjunctions, see ch. XXI; on being see above 6.35.
これによると,慣習化した懸垂分詞はフランス語の対応構文からの影響の結果とみなす説もあるようだが,昨日の記事でもみたとおり古英語にルーツを探ることができる以上,少なくともフランス語からの影響のみに依拠する説明は妥当ではないだろう.
引用の最後の部分にあるように,現代までに完全に前置詞化,あるいは接続詞化したものも数例あるので,judging from 問題を考察するに当たって,そのような事例にも目を配っていく必要がある.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 5. Copenhagen: Munksgaard, 1954.
英語が各時代に接触してきた言語との関係を通じて英語の語彙史を描くことは,英語史のスタンダードの1つである.本ブログでも「#1526. 英語と日本語の語彙史対照表」 ([2013-07-01-1]),「#2615. 英語語彙の世界性」 ([2016-06-24-1]),「#2966. 英語語彙の世界性 (2)」 ([2017-06-10-1]),「#3381. 講座「歴史から学ぶ英単語の語源」」 ([2018-07-30-1]),「#4130. 英語語彙の多様化と拡大の歴史を視覚化した "The OED in two minutes"」 ([2020-08-17-1]) などで繰り返し紹介してきた.
これとおよそ連動はするのだが独立した試みとして,英語が各時代に接触してきた言語との関係を通じて英語のスペリング史を描くこともできる.そして,この試みは必ずしもスタンダードではなく,英語史のなかでの扱いは小さかったといってよい.
英語のスペリング史と言語接触 について Horobin (113) が次のように述べている.
English spelling is a concoction of written forms drawn from a variety of languages through processes of inheritance and borrowing. At every period in its history, the English lexicon contains words inherited from earlier stages, as well as new words introduced from foreign languages. But this distinction should not be applied too straightforwardly, since inherited words have frequently been subjected to changes in their spelling over time. Similarly, while words drawn from foreign language may preserve their native spellings intact, they frequently undergo changes in order to accommodate to native English spelling patterns.
語彙史とスペリング史は,しばしば連動するが,原則とした独立した歴史である,という捉え方だ.これはとても正しい見方だと思う.Horobin は同論考のなかで,英語史の各時代ごとにスペリングに影響を及ぼした言語・方言について次のような見取り図を示している.論考のセクション・タイトルを抜き出す形でまとめてみよう.
先日の講演「世界の "English" から "Englishes" の世界へ」でお世話になった立命館大学の岡本広毅先生より,たいへんおもしろい話題を提供してもらいました.William Caxton (1422?--91) の egges/eyren の逸話において,なぜ南部の農夫の奥さんは北部訛りを理解できないだけでなく,それを「フランス語」と勘違いしたのか,という疑問です.
簡単に背景を解説しておきますと,史上初の英語の印刷家である Caxton が,1490年に出版した Eneydos の序文のなかで,英語方言に関する逸話が紹介されています.イングランド北部出身とおぼしき商人が,イングランド南部のテムズ川で船を停留させ,陸に上がって,ある農夫の奥さんに食事を求めたときの話しです.商人は egges (卵)を所望したのですが,奥さんはこの単語を理解せず,フランス語は分からないと答えました.商人は商人でフランス語など話していない,なぜ egges を理解できないのかと怒ったところ,別の者が割って入り,商人が言っている(北部方言の) egges とは(奥さんの理解する南部方言でいうところの) eyren のことだと解説してあげて一件落着といった小話しです.
当時の英語の方言差を指摘しているメタコメントとして,英語史ではよく知られている逸話です.本ブログでも「#337. egges or eyren」 ([2010-03-30-1]) でそのくだりを中英語の原文で引用しました.改めて,以下に引用しておきます.
And one of theym named Sheffelde, a mercer, cam in-to an hows and axed for mete; and specyally axed after eggys. And the goode wyf answerde, that she coude speke no frenshe. And the marchaunt was angry, for he also coude speke no frensche, but wolde have hadde egges, and she understode hym not. And thenne at laste a nother sayd that he wolde have eyren. Then the gode wyf sayd that she understode hym wel. Loo, what sholde a man in thyse dayes wryte, egges or eyren?
岡本先生の疑問は,なぜ南部の農夫の奥さんは北部訛りを理解できないだけでなく,それを「フランス語」と勘違いしたか,というものです.とてもおもしろい質問だと思い,私なりに考えてみました.
まず根本的な点ですが,この逸話は事実に基づく話しというよりは,Caxton による創作ではないかという疑念があります.egges (北部方言)と eyren (南部方言)の方言分布は事実ですので,根も葉もない言説ではないとはいえ,小話しとしてうまくできすぎている感があり,多かれ少なかれ Caxton が「盛った」ネタである可能性が高いと考えています(語幹と複数形語尾の両形態素が方言間で相当異なるこの単語を意図的に選んだのではないか,という疑惑).ただ,もし創作だとしても,同時代の読者の間に当時の言語・方言事情の知識が共有されていることが前提となっているはずなので,「フランス語」を引き合いにして逸話におかしみを加えようとした狙いそのものは,読み解く価値がありそうです.
では,なぜ奥さんは egges をフランス語と勘違いしたのでしょうか.おそらく商人は北部訛りで "Can I ask for eggs?" に相当する発言をしたのではないかと想像されます.奥さんは,肝心の eggs の部分は理解できずとも,その他の部分は訛っているけれども英語は英語だと認識できたはずなので,なぜこの人は肝心の部分だけ理解不能の単語で表現するのだろうといぶかしく思ったに違いありません.そこで,奥さんは,この理解不能の単語は当時のイングランドにおける筆頭外国語であるフランス語の単語に違いないと疑ってみたのではないでしょうか.
奥さんが egges と聞いて,最初に英語の北部方言の単語ではなく,フランス語の単語と勘ぐった辺りが,話しとしてはおもしろいところです.南部方言話者の奥さんにとって,外国語であるフランス語よりも英語の北部方言のほうが理解不能だったということになるからです.それほどまでに英語の南部方言と北部方言は異なるのだということを,Caxton は示したかったのではないでしょうか.誇張といえば誇張のようにも感じられます.
また,この逸話は,後期中英語期のイングランドにおける筆頭外国語がフランス語だったという前提をも示唆しているように思われます.ノルマン征服から3世紀以上経っており,もはやイングランドにおいてフランス語は公私の場ともに実用言語の地位をほぼ完全に失い,英語が完全復活を遂げていた時代ではありますが,フランス語はいまだ文化語としての威信は保っていました.ちょうど現代日本において英語が国際語として威信を保っているのと似たような状況です.現代日本で英語が筆頭外国語として位置づけられているのと同様に,後期中英語期のイングランドではフランス語が筆頭外国語として位置づけられていたわけです(cf. 「#2622. 15世紀にイングランド人がフランス語を学んだ理由」 ([2016-07-01-1])).奥さんも商人もフランス語はできなかったようですが,フランス語がイングランドの第1外国語であるという認識は共有しており,だからこそフランス語が引き合いに出されたということではないでしょうか.
以上,私の解釈です.岡本先生,みなさん,いかがでしょうか.
ちなみに,今回の話題と連動して,本日の「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて,上記の逸話を中英語の原文で読み上げてみました.ぜひお聴きください.
日曜日ということで,ちょっとした謎掛けを.北米英語とかけてバスク語ととく,そのこころは? 答えは,北はフランス語,南はスペイン語に迫られています?♪
バスク語 (Basque) は,印欧語族に属していないヨーロッパの孤立した言語の1つである.フランス(北側)とスペイン(南側)の国境付近の一角で約100万人の母語話者により話されている言語だ.話者の大多数はおよそバイリンガルであり,スペイン側のバスク州に居住している.周囲ではスペイン語やフランス語といった世界的大言語が幅をきかせているため,バスク語は相対的な意味で小数民族の話す小言語とみなされている.
では,なぜこのようなバスク語が北米英語と引っかけられるのか.北米(アメリカ合衆国とカナダ)で主として話されている言語は,世界語たる英語である.話者人口の点ではバスク語とは比べようもないが,北米英語は,その植民史と地理に照らすと,カナダのケベックに代表されるフランス語圏(北側)と,メキシコをはじめとする中南米のスペイン語圏(南側)に挟まれている.現在でも,この言語地理学的環境は北米英語に少なからぬインパクトを与え続けており,カナダ英語はフランス語から,アメリカ英語はスペイン語から少なからぬ言語的影響を被っている(cf. 「#4529. 英語とメキシコの接点」 ([2021-09-20-1])).
この他愛もないインスピレーションは,Hall-Lew (373) を読んでいて出会った次の1文からヒントを得たものである.
Today, Spanish influence, versus French influence, is one major historical difference between Englishes in the Unite States and in Canada.
上記の共通点を除けば,(北米)英語とバスク語の関係はむしろほとんどないといってよいだろう.
・ Hall-Lew, Lauren. "English in North America." Chapter 18 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 371--88.
英語史では,ヴァイキング時代(8世紀半ばから11世紀まで)における英語と古ノルド語 (old_norse) の濃密な言語接触 (contact) がしばしば話題となる.本ブログでも関連する多くの記事を書いてきたが,そこで前提としてきたのは両言語(話者)がおよそ対等の関係にあったということだ.
2言語の関わる言語接触の多くのケースでは,社会言語学的な上下の区別が明確である.アングロサクソンのブリテン島侵略時の英語とケルト語の言語接触では,英語が上位 (superstratum) でケルト語が下位 (substratum) だった.また,ノルマン征服以後の英語とフランス語の言語接触では,英語が下位 (substratum) でフランス語が上位 (superstratum) だった.
しかし,社会言語学的な上下が明確ではなく,2つの言語が横並び (adstratum) となるケースもある.上記の英語と古ノルド語の言語接触は,その典型例として挙げられることが多い.
このような例をもう1つ挙げるとすると,ローマンケルト語とフランク語の言語接触が候補となる.一見すると支配者たちの母語であるフランク語が上位で,被支配者たちの母語であるローマンケルト語が下位という社会言語学的な関係が成立していただろうと考えられるかもしれないが,Millar (4--5) によると横並びと考えるのが最も適切だという.
In post-Roman Gaul, for instance, the relationship between the military dominant Franks and the Romano-Celtic population whom they ruled was not one of a genuinely superstratal versus substratal type. Instead, the relationship between the two groupings are best described as adstratal. While the military power of the Franks was considerable, their administration for Roman tradition and lifestyle was perpetually present; they were often bilingual. By the same token, the Gallo-Roman elite appear to have been happy to take on aspects of Frankish culture --- in particularly, names --- from an early period. No doubt they were more than aware of the centre towards which power, influence and capital of various sorts was now flowing. The Frankish influence upon the ancestor of modern French are visible, therefore, but they tend to be concentrated in particular semantic fields, such as the technology and practice of warfare and fortification, where the Franks' primary expertise and power base lay. A good example of this is Modern French maréchal 'supreme war leader', but originally 'leader of the cavalry', borrowed early on from Frankish.
英語史とフランス語史に関わる "adstratal relationship" を示す2例として銘記しておきたい.
・ Millar, Robert McColl. Contact: The Interaction of Closely Related Linguistic Varieties and the History of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2016.
Trudgill (23) が,1763年を英語の世界的拡大を語る上で重要な年とみている.1763年の英語史上の意義とは何か.
Then in 1763 a very significant event occurred: Britain gained control of the Cape Breton Island area of Nova Scotia, which had remained in French hands until then. This meant that for the first time the English language had effected a complete takeover of a very long contiguous stretch of the east coast of the North American continent: There was now an English-language presence all along the coast from Newfoundland in the north, right down to the border between Georgia and (Spanish-controlled) Florida in the south.
そう,イギリスが,そして英語が,北米大西洋岸の長いストレッチを押さえた年だったのである.「長いストレッチ」を確認するのには,ボンヌ図法の地図を用いるとなかなか効果的 ((C)ROOTS/Heibonsha.C.P.C) .
この年は,世界史でいうところの七年戦争(1756--1763年; Seven Years' War)が終結した年である.イギリスが財政支援するプロイセンと,オーストリア・ロシア・フランスなどとの間の戦争で,プロイセンのフリードリヒ2世の好指揮などにより前者が勝利した.この戦争には英米植民地戦争という側面もあり,北アメリカとインドにおいて両国が激突した.
この北アメリカでの戦いはフレンチ・インディアン戦争 (French and Indian War) とも呼ばれるが,英仏の角逐について『世界大百科事典 第2版』の解説がとてもわかりやすい.
比喩的にいえば,点(交易所)をつなぐ線(水路)で半弧状にイギリス植民地を包囲したフランス植民地と,これを面(農業地)の拡大によってのみこもうとしたイギリス勢力とが,オハイオ川流域で衝突して起こった重商主義戦争で,これにこの地方のインディアン諸部族がまきこまれた.
初期の戦局ではフランスとインディアンの軍が優勢を保ったが,1758年にイギリスのピット首相が強力な指導力を発揮するに及び,戦局は逆転.イギリスがケベックやモントリオールを奪取し,勝敗が決せられた.そして,1763年のパリ講和会議により,フランスは北アメリカにおける領土を失うことになった.こうしてイギリスはカナダを含めた北アメリカ(の大西洋岸のことではあるが)の支配権を獲得した.
これ以前にも,イギリスは1713年に New Brunswick を獲得しており,1732年に Georgia の植民も成功させている.1740--50年代には Nova Scotia に本国から移民を多く送り込んだ.さらに1758年には Prince Edward Island を占拠している.そして,最後に上記のように1763年に Nova Scotia を,そして Cape Breton Island を獲得し,上記の「長いストレッチ」がつながったわけだ.
上記の英仏植民地戦争の帰趨と,結果としての各言語の勢力分布は,およそ一致していると考えてよい.ただし,イギリスの支配下に入ったケベックでは,言語文化としてはフランス的な要素が色濃く継承され現在に至っているなど,例外もないわけではない.もう1点挙げれば,「#1733. Canada における英語の歴史」 ([2014-01-24-1]) で触れたように,上記戦争中に Nova Scotia などから追放されたフランス系の人々住民がアメリカ南部の Louisiana などへ移住しており,現在でも彼らの子孫たちが Louisiana で Cajun (< Acadian) と呼ばれるフランス語の変種を話している.
・ Trudgill, Peter. "The Spread of English." Chapter 2 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 14--34.
英語は,現代世界のリンガ・フランカ (lingua_franca) として世界中に分布を拡大させている.英語はある意味では,はるか昔,紀元前の大陸時代より,ブリテン諸島のケルト民族や新大陸の先住民をはじめ世界中の多くの民族の言語の分布を縮小させ,自らの分布を拡大させてきた歴史をもつ.
一見すると「負け知らず」の言語のように思われるかもしれないが,必ずしもそうではない.他の言語との競争に敗れて分布を縮小させたり,ときに不使用となる場合すらあったし,現在もそのような事例がみられるのである.今回は,この英語(史)の意外な事例をいくつかみていきたい.参照するのは Trudgill の "English in Retreat" と題する節 (27--29) である.
歴史的に古いところから始めると,12--15世紀のアイルランドの事例がある.Henry II は,1171年にアングロ・ノルマン軍を送り込んでアイルランド侵攻を狙い,その一画に英語話者を入植させた.しかし,彼らはやがて現地化するに至り,英語が根づくことはなかった.英語としては歴史上初めて本格的な分布拡大に失敗した機会だったといえる(cf. 「#1715. Ireland における英語の歴史」 ([2014-01-06-1]),「#2361. アイルランド歴史年表」 ([2015-10-14-1])).
ぐんと現代に近づいて19世紀のことになるが,私たちにとって非常に重要な --- しかしほとんど知られていない --- 英語の敗北の事例がある.舞台はなんと小笠原群島である.この群島はもともと無人だったが,1543年にスペイン人により発見され,その後,主に欧米系の人々により入植が進み,19世紀には英語ベースの「小笠原ピジン英語」 (Bonin English) が展開していた.しかし,19世紀後半から日本がこの地の領有権を主張し,島民の日本への帰化を進めた結果,日本語が優勢となり,現在までに小笠原ピジン英語はほぼ廃用となっている.詳しくは「#2559. 小笠原群島の英語」 ([2016-04-29-1]),「#2596. 「小笠原ことば」の変遷」 ([2016-06-05-1]),「#3353. 小笠原諸島返還50年」 ([2018-07-02-1]) を参照されたい.
現在の事例でいえば,カナダのケベック州が挙げられる.フランス語が優勢な同州において,英語が劣勢に立たされていることはよく知られている(cf. 「#1733. Canada における英語の歴史」 ([2014-01-24-1])).住人の帰属意識を巡る政治・歴史問題が関わっており,「世界の英語」といえども単純に分布を広げられるわけではないことをよく示している.
また,あまり知られていないが,中央アメリカのカリブ海沿岸にも,英語母語話者集団でありながら言語的・社会的に劣勢に立たされている人々の住まう土地が点在している.彼らのルーツは19世紀後半よりジャマイカなどから中央アメリカの大陸沿岸地域へ展開した人々で,しばしば奴隷として社会的地位の低い集団とみなされていた.現在でも,関連する各国の公用語であるスペイン語のほうが威信が高く,当地では英語使用に負のレッテルが張られている.関連する記事として「#1679. The West Indies の英語圏」 ([2013-12-01-1]),「#1702. カリブ海地域への移民の出身地」 ([2013-12-24-1]),「#1711. カリブ海地域の英語の拡散」 ([2014-01-02-1]),「#1713. 中米の英語圏,Bay Islands」 ([2014-01-04-1]),「#1714. 中米の英語圏,Bluefields と Puerto Limon」 ([2014-01-05-1]),「#1731. English as a Basal Language」 ([2014-01-22-1]) を挙げておく.
ほかにも,19世紀半ばにアメリカ南北戦争で敗者となった南部人がブラジルに逃れた子孫が,今もブラジルに英語母語話者集団として暮らしているが,同国の公用語であるポルトガル語に押されて劣勢である.また,1890年代に社会主義的ユートピアを求めてパラグアイに移住したオーストラリア人の子孫が今も暮らしているが,若者の間では土地の言語である Guaraní への言語交替が進行中である.
英語は過去にも現在にも「負け知らず」だったわけではない.
・ Trudgill, Peter. "The Spread of English." Chapter 2 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 14--34.
「コーヒー」は coffee /ˈkɒfi/ だけれども,その飲料に含まれる興奮剤の「カフェイン」は caffeine /ˈkæfiːn/ となる.最初の母音(字)が異なるのはなぜだろうか.こんな素朴な疑問が先日ゼミ生から寄せられた.確かになぜだろうと思って調べてみた.
コーヒーは茶やビールなどと並んで世界で広く通用する文化語の1つである.飲用としてのコーヒーが文献上初めて現われるのは,10世紀前後のイスラムの医学書においてである.11世紀にアラブ世界で飲用され始め,13世紀半ばには酒を禁じられているイスラム教徒の間で酒に代わるものとして愛飲されるようになった.その頃から酒の一種の名前を取ってアラビア語で qahwa と呼ばれるようになった.16世紀にトルコのエジプト遠征を機に,この飲料はトルコ語に kahve として入り,1554年にイスタンブールに華麗なコーヒー店 Kahve Khāne が開かれた.
ヨーロッパ世界へのコーヒーの導入は,16世紀後半にトルコを経由してなされた.17世紀になるとヴェネチアやパリなど各地に広まり,イギリスでは1650年にオックスフォードで,1652年にロンドンで最初のコーヒー店がオープンした.政治談義の場としても利用される文化現象としてのコーヒーハウス (coffee house) の誕生である.
さて,飲料としてのコーヒーはこのようにしてイギリスに入ってきたわけだが,それを表わす名前や語形についてはどうだったのだろうか.OED によると,アラビア語 qahwah からトルコ語に kahveh として入った後,イタリア語 caffè を経てヨーロッパ諸言語に借用されたのではないかという.
仮にイタリア語形を基準とすると,前舌母音(字)a が保たれたのが,フランス語 café,スペイン語 café,ポルトガル語 café,ドイツ語 Kaffee,デンマーク語・スウェーデン語の kaffe ということになる.一方,後舌母音(字)をもつ異形として定着したのが,英語 coffee,オランダ語 koffie,古いドイツ語 coffee/koffee,ロシア語 kophe/kopheĭ である.後者の o については,アラビア語やトルコ語の ahw/ahv が示す唇音 w/v が調音点の同化 (assimilation) を引き起こしたものと推測される.Barnhart の語源辞書の記述を参照しよう.
coffee n. 1598 chaoua, 1601 coffe, 1603-30 coffa, borrowed from Turkish kahveh, or directly from Arabic qahwah coffee, originally, wine. Two forms of this word (with a and with o) came into most modern languages about 1600: the first is represented by French, Spanish, and Portuguese café, Italian caffè, German Kaffee, Danish, Norwegian, and Swedish kaffe. The second form is represented by English coffee, Dutch koffie, Russian kofe. The forms with o may have had earlier au (see the earliest English form chaoua), from Turkish -ahv-- or Arabic -ahw-.
OED によると英語での初例は1598年の Chaoua であり,17世紀中にも a をもつ語形が散見される.初期近代英語期の大規模コーパス EEBO で検索しても cahave, kauhi などがわずかではあるが見つかった.しかし,17世紀の早い段階で o をもつ語形にほぼ切り替わったようではある.17世紀前半には coffa が,17世紀後半には coffee が主要形として定着した.
さて,フランス語では café が「コーヒー」のみならず「コーヒー店,カフェ」を意味するが,このフランス語としての単語が,前者の語義で1763年に,後者の語義で1802年に英語に入ってきた.現代英語の cafe /ˈkæfeɪ/ は通常は後者の語義に限定して使われており,日本語でも同様である.
最後に caffeine だが,これは1830年にフランス語 caféine から英語に入ってきた.a をもっているのは,フランス語での語形成だからということになる.
・ Barnhart, Robert K. and Sol Steimetz, eds. The Barnhart Dictionary of Etymology. Bronxville, NY: The H. W. Wilson, 1988.
本ブログでは,英語史における語彙借用について数多くの記事で紹介してきた.英語史研究では,英語がどの言語からどのような/どれだけの語を何世紀頃に借りてきたのかという問題は,主に OED などを用いた調査を通じて詳しく取り扱われてきており,多くのことが明らかにされている.(具体的には borrowing statistics などの各記事を参照されたい.)
では,英語史とも関連の深いフランス語について,同様の問いを発してみるとどうなるだろうか.フランス語はどの言語からどのような/どれだけの語を何世紀頃に借りてきたのか.私は英語史を専門とする者なので直接調べてみたことはなかったが,たまたま Jones and Singh (31) に簡便な数値表を見つけたので,それを再現したい(もともとは Guiraud (6) の調査結果を基にした表とのこと).
Century | 12th | 13th | 14th | 15th | 16th | 17th | 18th | 19th |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Arabic | 20 | 22 | 36 | 26 | 70 | 30 | 24 | 41 |
Italian | 2 | 7 | 50 | 79 | 320 | 188 | 101 | 67 |
Spanish | 5 | 11 | 85 | 103 | 43 | 32 | ||
Portuguese | 1 | 19 | 23 | 8 | 3 | |||
Dutch | 16 | 23 | 35 | 22 | 32 | 52 | 24 | 10 |
Germanic | 5 | 12 | 5 | 11 | 23 | 27 | 33 | 45 |
English | 8 | 2 | 11 | 6 | 14 | 67 | 134 | 377 |
Slavic | 2 | 1 | 4 | 6 | 11 | 10 | ||
Turkish | 1 | 2 | 13 | 9 | 6 | 14 | ||
Persian | 2 | 2 | 1 | 5 | 3 | 1 | ||
Hindu | 1 | 4 | 8 | 5 | ||||
Malaysian | 4 | 10 | 6 | 5 | ||||
Japanese/Chinese | 36 | 25 | 21 | 7 | ||||
Greek | 8 | 4 | 5 | 3 | 1 | 2 | ||
Hebrew | 9 | 1 | 2 | 5 | 2 | 2 | 1 | 1 |
主に中英語期に入ってきたフランス借用語について,ラテン借用語と見分けがつかないという語源学上の頭の痛い問題がある.これについては以下の記事で取り上げてきた.
・ 「#653. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」 ([2011-02-09-1])
・ 「#848. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別 (2)」 ([2011-08-23-1])
・ 「#3581. 中英語期のフランス借用語,ラテン借用語,"mots savants" (1)」 ([2019-02-15-1])
・ 「#3582. 中英語期のフランス借用語,ラテン借用語,"mots savants" (2)」 ([2019-02-16-1])
では,フランス語か英語かの見分けがつかない語というものはあるだろうか.フランス語と英語は属している語派も異なり,語形は明確に区別されるはずなので,そのような例は考えられないと思われるかもしれない.
しかし,先のフランス借用語とラテン借用語の場合とは異なる意味合いではあるが,しかと判断できないことが少なくない.語形が似ている云々という問題ではない.語形からすれば明らかにフランス単語なのだ.ただ,その語が現われているテキストが英語テキストなのかフランス語テキストなのか見分けがつかない場合に,異なる種類の問題が生じてくる.もし完全なる英語テキストであればその語はフランス語から入ってきた借用語と認定されるだろうし,完全なるフランス語テキストであればその語は純然たるフランス語の単語であり,英語とは無関係と判断されるだろう.これは難しいことではない.
ところが,現実には英仏要素が混じり合い,いずれの言語がベースとなっているのかが判然としない "macaronic" な2言語テキストなるものがある.いわば,書かれた code-switching の例だ.そのなかに出てくる,語形としては明らかにフランス語に属する単語は,すでに英語に借用されて英語語彙の一部を構成しているものなのか,あるいは純然たるフランス単語として用いられているにすぎないのか.明確な基準がない限り,判断は恣意的になるだろう.英仏語のほかラテン語も関わってきて,事情がさらにややこしくなる場合もある.この問題について,Trotter (1790) の解説を聞こう.
Quantities of medieval documents survive in (often heavily abbreviated) medieval British Latin, into which have been inserted substantial numbers of Anglo-French or Middle English terms, usually of course substantives; analysis of this material is complicated by the abbreviation system, which may even have been designed to ensure that the language of the documents was flexible, and that words could have been read in more than one language . . ., but also by the fact that in the later period (that is, after around 1350) the distinction between Middle English and Anglo-French is increasingly hard to draw. As is apparent from even a cursory perusal of the Middle English Dictionary (MED, Kurath et al. 1952--2001) it is by no means always clear whether a given word, listed as Middle English but first attested in an Anglo-French context, actually is Middle English, or is perceived as an Anglo-French borrowing.
2言語テキストに現われる単語がいずれの言語に属するのかを決定することは,必ずしも簡単ではない.ある言語の語彙とは何なのか,改めて考えさせられる.関連して以下の話題も参照されたい.
・ 「#2426. York Memorandum Book にみられる英仏羅語の多種多様な混合」 ([2015-12-18-1])
・ 「#1470. macaronic lyric」 ([2013-05-06-1])
・ 「#1625. 中英語期の書き言葉における code-switching」 ([2013-10-08-1])
・ 「#1941. macaronic code-switching としての語源的綴字?」 ([2014-08-20-1])
・ 「#2271. 後期中英語の macaronic な会計文書」 ([2015-07-16-1])
・ 「#2348. 英語史における code-switching 研究」 ([2015-10-01-1])
・ Trotter, David. "English in Contact: Middle English Creolization." Chapter 114 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1781--93.
中英語期にフランス語からの借用語が大量に流入したことは,英語史ではよく知られている.とりわけ中期から後期にかけて,およそ1250--1400年の時期に,数としてピークに達したことも,英語史概説書では広く記述されてきた.本ブログでも以下の記事などで,幾度となく取り上げてきた話題である.
・ 「#117. フランス借用語の年代別分布」 ([2009-08-22-1])
・ 「#1205. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか」 ([2012-08-14-1])
・ 「#1209. 1250年を境とするフランス借用語の区分」 ([2012-08-18-1])
・ 「#1638. フランス語とラテン語からの大量語彙借用のタイミングの共通点」 ([2013-10-21-1])
・ 「#2349. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか (2)」 ([2015-10-02-1])
・ 「#2162. OED によるフランス語・ラテン語からの借用語の推移」 ([2015-03-29-1])
・ 「#2357. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計」 ([2015-10-10-1])
・ 「#2385. OED による古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計 (2)」 ([2015-11-07-1])
・ 「#4138. フランス借用語のうち中英語期に借りられたものは4割強でかつ重要語」 ([2020-08-25-1]),
フランス借用語の数についていえば,OED などを用いた客観的な調査に裏づけられた事実であり,上記の「定説」に異論はない.しかし,当然ながらすべて書き言葉に基づく調査結果であることに注意が必要である.もし話し言葉におけるフランス借用語のピークを推し量ろうとするならば,ピークはもっと早かった可能性が高い.Trotter (1789) が次のように論じている.
In charting the chronology of the process, we are again at the mercy of the documentary evidence. The key period of lexical transfer appears to be the 14th century; but that may be, as much as anything else, because of the explosion of available documentation in both Anglo-French and, more particularly, Middle English at that time. In other words, the real dates of the transfers may not be the dates at which they are documented. Some evidence that this is not so is available in the form of English surnames, of Anglo-French origin . . . , and indeed in the capacity of some early Middle English texts to generate hybrids from Anglo-French and Middle English (forpreiseð; propreliche; priveiliche from Ancrene Wisse . . .).
1つは,一般的にピークとされてきた14世紀は,たまたま書き言葉の記録が多く残された時代であり,そのためにフランス借用語の規模も大きく見えがちになるということだ.
もう1つは,書き言葉に初出した年代をもって,そのまま英語に初出した年代と理解することはできないということだ(cf. 「#2375. Anglo-French という補助線 (2)」 ([2015-10-28-1])).普通の語ではなく姓(人名)として借用されたフランス語要素を考え合わせるならば,より早い時期に入っていた証拠がある.また,初期中英語期に文証される混種語の存在は,通常のフランス借用語が当時までにそれだけ多く流通していたことを示唆する(cf. 「#96. 英語とフランス語の素材を活かした 混種語 ( hybrid )」 ([2009-08-01-1])).
英語史におけるフランス借用語のピークは,書き言葉の証拠から量的に調査した限りにおいては,従来通りに14世紀といってよいが,話し言葉を含めた実態としては,それより早い時期にあったものと推測されるのである.
・ Trotter, David. "English in Contact: Middle English Creolization." Chapter 114 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1781--93.
伝統的な英語史記述では,中英語期は英語が(アングロ)フランス語のくびきの下にあった時代として描かれる.1066年のノルマン征服の結果,英語はイングランド社会において自律性を失い,代わってフランス語が「公用語」となった.しかし,12世紀以降,英語の復権はゆっくりではあるが着実に進み,14世紀後半には自律性を回復するに至った.このように,中英語期に関しては,浮かんでいた英語がいったん沈み,再び浮かび上がる物語として叙述されるのが常である.
しかし,Trotter (1782) は,このような中英語期の描き方は神話に近いものだと考えている.当時の英語と(アングロ)フランス語の関係は,浮き沈みの関係,あるいは時間軸に沿って交替した関係ではなく,むしろ共存・接触の関係とみるべきだと主張する.この時代にフランス語が英語に与えた言語的影響を考察する上でも,共存・接触関係を前提とすることが肝要だと説く.
In much which is still being written on the history of medieval English, the specialist scholarship from the Anglo-French perspective has not been taken into account. Even in quite recent publications, Middle English scholarship continues to recycle a history of Anglo-French to which Anglo-French specialists would no longer subscribe. A particular example in the persistence of the traditional "serial monolingualism" model . . ., according to which Anglo-Saxon gives way to Anglo-French, pending the revival of Middle English, with each language succeeding the other. Born out of the 19th-century nationalist ideology which accompanied and prompted the emergence of philology in England and elsewhere . . ., this model ignores the reality of the long-term coexistence of languages, and of language contact . . . . Prominent amongst the areas in which language contact, going far beyond the limited "cultural borrowing" model, is evident, are (a) wholesale lexical transfer, (b) language mixing, (c) morphosyntactic hybridization, and (d) syntactic/idiomatic influences.
確かに中英語期にフランス語が英語に与えた言語的影響の話題を導入する場合,まずもって文化語の借用から話しを始めるのが定番だろう.典型的には「#1210. 中英語のフランス借用語の一覧」 ([2012-08-19-1]) や「#331. 動物とその肉を表す英単語」 ([2010-03-24-1]) などを提示するということだ.しかし,そこで止まってしまうと,両言語の接触に関して表面的な理解しか得られずに終わることになる.一歩進んで,引用の (a), (b), (c), (d) のような,より深い言語的影響があったことまで踏み込みたいし,さらに一歩進んで両言語の関係が長期にわたる共存・接触の関係だったことに言及したい.
・ Trotter, David. "English in Contact: Middle English Creolization." Chapter 114 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1781--93.
言語接触 (contact) の概説書を書いている Winford は,文法項目の借用可能性を否定はしていないものの,従来指摘されてきた文法借用の事例の多くは,通常の語彙借用をベースとしたものであり,その発展版という程度のものではないかという考え方を示している.
例えば,一般に中英語期にはフランス語から多くの派生接辞が借用されたといわれる.接尾辞 (suffix) に限っても -acioun, -age, -aunce, -erie, -ment, -ite; -ant, -ard, -esse, -our; -able, -al, -iv, -ous, -ate, -ify, -ize などが挙げられる (Winford 57) .しかし,英語話者は,これらの接尾辞をフランス語語彙からピンポイントで切り取って受容したわけではない.あくまでこれらの接尾辞をもつ単語を大量に受容し,その後に接尾辞を切り出して,英語内部の語形成に適用したのだろう.結果的にフランス語から派生接辞を借用したかのように見えるが,実際のプロセスは,語彙借用の後に接辞を切り出し適用したということなのだろう.
同様に,一見すると統語的な借用に見える事例も,問題の統語構造を構成する語彙項目の借用がまず生じ,それと連動する形で結果的に統語構造そのものもコピーされた結果とみなすことができるかもしれない.
例えば,Winford (66) は Silva-Corvalán の1994年の研究を参照して,標準スペイン語と,英語と濃厚接触しているロサンゼルス・スペイン語の構文を比較している.英語でいえば they broke my jaw に相当する統語構造が,前者では与格 me を伴う y me quebraron la mandibula となるものの,後者では英語風に属格 mi を伴う y quebraron mi, mi jaw となるという.ロサンゼルス・スペイン語の構文において英語からの統語借用が生じているようにみえるが,厳密にいえば「借用」というよりは,英語の統語構造を参照した上でのロサンゼルス・スペイン語としての統語用法の拡張というべきかもしれない.というのは,標準スペイン語でも,後者の構造は不自然ではあるが,影響を受ける対象が「あご」のような身体の部位ではなく,身体から切り離せる一般の所有物の場合には,普通に用いられるからだ.つまり,もともとのスペイン語にあった語用・統語的な制限が,対応する英語構造に触発されて,緩まっただけのように思われる.これを「借用」と呼ぶことができるのか,と.この問題に対する Winford の結論を引こう (68) .
Silva-Corvalán (1998) discusses several other examples like these, and argues that the changes involved are not the outcome of direct borrowing of a syntactic structures or rules from one language into another (1998: 225). Rather, what is involved is a kind of "lexico-syntactic calquing" (ibid.) triggered by partial congruence between Spanish and English words. This results in Spanish words assuming the semantic and/or subcategorization properties of the apparent English equivalents (faux amis). Her findings lead her to the conclusion that "what is borrowed across languages is not syntax, but lexicon and pragmatics" (1998: 226) This claim certainly seems to hold for cases of language maintenance with bilingualism such as that in LA.
「統語借用」を "lexico-syntactic calquing" (cf. loan_translation) として,あるいは統語的 "faux amis" (cf. false_friend) としてとらえる視点はこれまでになかった.目が開かれた.
・ Winford, Donald. An Introduction to Contact Linguistics. Malden, MA: Blackwell, 2003.
・ Silva-Corvalán, Carmen. Language Contact and Change: Spanish in Los Angeles. Oxford: Clarendon, 1994.
・ Silva-Corvalán, Carmen. "On Borrowing as a Mechanism of Syntactic Change." Romance Linguistics: Theoretical Perspectives. Ed. Shwegler, Armin, Bernard Tranel, and Myriam Uribe-Etxebarria. Amsterdam: Benjamins, 1998. 225--46.
目下開催中の「英語史導入企画2021」より今日紹介するコンテンツは,昨日学部生より公表された「先生,進行形の ing って現在分詞なの?動名詞なの?」です.動詞の進行形の歴史をひもとき,形式上は現在分詞の構文の流れを汲んでいるが,機能上は動名詞の構文の流れを汲んでいることを指摘したコンテンツです.
be + -ing として表現される進行形 (progressive form) の起源と発達については,英語史上多くの議論がなされてきました.諸説紛々としており,今なお定説と呼べるものがあるかどうかも怪しい状況です.研究史については Mustanoja (584--90) によくまとまっています.以下,それに依拠して概略を述べましょう.
古英語には,現代英語の be + -ing の前駆体というべき構文として wesan/beon + -ende がありました.当時の現在分詞は -ende という形態を取っており,後に込み入った事情で -ing に置き換えられたという経緯があります(cf. 「#2421. 現在分詞と動名詞の協働的発達」 ([2015-12-13-1]),「#2422. 初期中英語における動名詞,現在分詞,不定詞の語尾の音韻形態的混同」 ([2015-12-14-1])).古英語の wesan/beon + -ende は,確かに継続を含意する文脈で用いられることもありましたが,そうでないことも多く,機能的には後世の進行形に直接つながるものかどうかは不確かです.また,起源としてはラテン語の対応する構文の模倣であるとも言われています.中英語期に入ると,この構文はむしろ目立たなくなります.方言によっても生起頻度に偏りがみられました.しかし,中英語後期にかけて着実に成長し始め,近現代英語の進行形に連なる流れを作り出しました.典型的に継続を表わす現代的な用法が発達し確立したのは,16世紀以降のことです.
進行形の起源と発達をざっと概観しましたが,その詳細は実に複雑で,英語史研究上,喧喧諤諤の議論が繰り広げられてきました.古英語の対応構文からの地続きの発達であるという説もあれば,後世の「on + 動名詞」の構文からの派生であるという説もあります.この2つの説を組み合わせた穏当な第3の説も提案されており,これが今広く受け入れられている説となっているようです.
他言語からの影響による発達という議論も多々あります.上述の通り,古英語の wesan/beon + -ende はラテン語の対応構文を模倣したものであるというのが有力な説です.中英語期での使用については,古フランス語の対応構文の影響も疑われています.さらに,ケルト語影響説まで提案されています(cf. 「#3754. ケルト語からの構造的借用,いわゆる「ケルト語仮説」について」 ([2019-08-07-1])).
進行形は,このように英語史研究の魅力的な題材であり続けています.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
「英語史導入企画2021」のために昨日公表されたコンテンツは,大学院生による「Synonyms at Three Levels」でした.これは何のことかというと「英語語彙の三層構造」の話題です.「恐れ,恐怖」を意味する英単語として fear -- terror -- trepidation などがありますが,これらの類義語のセットにはパターンがあります.fear は易しい英語本来語で,terror はやや難しいフランス語からの借用語,trepidation は人を寄せ付けない高尚な響きをもつラテン語からの借用語です.英語の歴史を通じて,このような類義語が異なる時代に異なる言語から供給され語彙のなかに蓄積していった結果が,三層構造というわけです.上記コンテンツのほか,「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) や「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1]) より具体例を覗いてみてください.
さて,「英語語彙の三層構造」は英語史では定番の話題です.定番すぎて神話化しているといっても過言ではありません.そこで本記事では,あえてその脱神話化を図ろうと思います.以下は英語史上級編の話題になりますのでご注意ください.すでに「#2643. 英語語彙の三層構造の神話?」 ([2016-07-22-1]) や「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1]) でも部分的に取り上げてきた話題ですが,今回は上記コンテンツに依拠しながら fear -- terror -- trepidation という3語1組 (triset) に焦点を当てて議論してみます.
(1) コンテンツ内では,この triset のような「類例は枚挙に遑がない」と述べられています.私自身も英語史概説書や様々な記事で同趣旨の文章をたびたび書いてきたのですが,実は「遑」はかなりあるのではないかと考えています.「類例をひたすら挙げてみて」と言われてもたいした数が挙がらないのが現実です.しかも「きれい」な例を挙げなさいと言われると,これは相当に難問です.
(2) 今回の fear - terror - trepidation はかなり「きれい」な例のようにみえます.しかしどこまで本当に「きれい」かというのが私の問題意識です.一般の英語辞書の語源欄では確かに terror はフランス語から,trepidation はラテン語から入ったとされています.おおもとは両語ともラテン語にさかのぼり,前者は terrōrem,後者は trepidātiō が語源形となります(ちなみに,ともに印欧語根は *ter- にさかのぼり共通です).terror はもともとラテン語の単語だったけれどもフランス語を経由して英語に入ってきたという意味において「フランス語からの借用語」と表現することは,語源記述の慣習に沿ったもので,まったく問題はありません.
ところが,OED の terror の語源記述をみると "Of multiple origins. Partly a borrowing from French. Partly a borrowing from Latin." とあります.「フランス語からの借用語である」とは断定していないのです.語源学的にいって,この種の単語はフランス語から入ったのかラテン語から入ったのか曖昧なケースが多く,研究史上多くの議論がなされてきました.この議論に関心のある方はこちらの記事セットをご覧ください.
難しい問題ですが,私としては terror をひとまずフランス借用語と解釈してよいだろうとは考えています.その根拠の1つは,中英語での初期の優勢な綴字がフランス語風の <terrour> だったことです.ラテン語風であれば <terror> となるはずです.逆にいえば,現代英語の綴字 <terror> は,後にラテン語綴字を参照した語源的綴字 (etymological_respelling) の例ということになります.要するに,現代の terror は,後からラテン語風味を吹き込まれたフランス借用語ということではないかと考えています.
この terror の出自の曖昧さを考慮に入れると,問題の triset は典型的な「英語 -- フランス語 -- ラテン語」の型にがっちりはまる例ではないことになります.少なくとも例としての「きれいさ」は,100%から80%くらいまでに目減りしたように思います.
(3) 次に trepidation についてですが,OED によればラテン語から直接借用されたものとあります.一方,研究社の『英語語源辞典』は,フランス語 trépidation あるいはラテン語 trepidātiō(n)- に由来するものとし,慎重な姿勢をとっています.なお,この単語の英語での初出は1605年ですが,OED 第2版の情報によると,フランス語ではすでに15世紀に trépidation が文証されているということです.terror に続き trepidation の出自にも曖昧なところが出てきました.問題の triset の「きれいさ」は,80%からさらに70%くらいまで下がった感じがします.
(4) コンテンツ内でも触れられているように,三層構造の中層を占めるフランス借用語層は,実際には下層を占める英語本来語層とも融合していることが多いです (ex. clear, cry, fool, humour, safe) .きれいな三層構造を構成しているというよりは,英仏語の層をひっくるめたり,仏羅語の層をひっくるめたりして,二層構造に近くなるという側面があります.
さらに「逆転二層構造」と呼ぶべき典型的でない例も散見されます.例えば,同じ「谷」でも中層を担うはずのフランス借用語 valley は日常的な響きをもちますが,下層を担うはずの英語本来語 dale はかえって文学的で高尚な響きをもつともいえます.action/deed, enemy/foe, reward/meed も類例です(cf. 「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1])).英語語彙の三層構造は,本当のところは評判ほど「きれい」でもないのです.
以上,「英語語彙の三層構造」の脱神話化を図ってみました.私も全体論としての「英語語彙の三層構造」を否定する気はまったくありません.私自身いろいろなところで書いてきましたし,今後も書いてゆくつもりです.ただし,そこに必ずしも「きれい」ではない側面があることには留意しておきたいと思うのです.
英語語彙の三層構造の諸側面に関心をもった方はこちらの記事セットをどうぞ.
印欧語族では「疑い」と「2」は密接な関係にあります.日本語でも「二心をいだく」(=不忠な心,疑心をもつ)というように,真偽2つの間で揺れ動く心理を表現する際に「2」が関わってくるというのは理解できる気がします.しかし,印欧諸語では両者の関係ははるかに濃密で,語形成・語彙のレベルで体系的に顕在化されているのです.
昨日「英語史導入企画2021」のために大学院生より公開された「疑いはいつも 2 つ!」は,この事実について比較言語学の観点から詳細に解説したコンテンツです.印欧語比較言語学や語源の話題に関心のある読者にとって,おおいに楽しめる内容となっています.
上記コンテンツを読めば,印欧諸語の語彙のなかに「疑い」と「2」の濃密な関係を見出すことができます.しかし,ここで疑問が湧きます.なぜ印欧語族の一員である英語の語彙には,このような関係がほとんど見られないのでしょうか.コンテンツの注1に,次のようにありました.
現代の標準的な英語にはゲルマン語の「2」由来の「疑い」を意味する単語は残っていないが,English Dialect Dictionary Online によればイングランド中西部のスタッフォードシャーや西隣のシュロップシャーの方言で tweag/tweagle 「疑い・当惑」という単語が生き残っている.
最後の「生き残っている」にヒントがあります.コンテンツ内でも触れられているとおり,古くは英語にもドイツ語や他のゲルマン語のように "two" にもとづく「疑い」の関連語が普通に存在したのです.古英語辞書を開くと,ざっと次のような見出し語を見つけることができました.
・ twēo "doubt, ambiguity"
・ twēogende "doubting"
・ twēogendlic "doubtful, uncertain"
・ twēolic "doubtful, ambiguous, equivocal"
・ twēon "to doubt, hesitate"
・ twēonian "to doubt, be uncertain, hesitate"
・ twēonigend, twēoniendlic "doubtful, expressing doubt"
・ twēonigendlīce "perhaps"
・ twēonol "doubtful"
・ twīendlīce "doubtingly"
これらのいくつかは初期中英語期まで用いられていましたが,その後,すべて事実上廃用となっていきました.その理由は,1066年のノルマン征服の余波で,これらと究極的には同根語であるラテン語やフランス語からの借用語に,すっかり置き換えられてしまったからです.ゲルマン的な "two" 系列からイタリック的な "duo" 系列へ,きれいさっぱり引っ越ししたというわけです(/t/ と /d/ の関係についてはグリムの法則 (grimms_law) を参照).現代英語で「疑いの2」を示す語例を挙げてみると,
doubt, doubtable, doubtful, doubting, doubtingly, dubiety, dubious, dubitate, dubitation, dubitative, indubitably
など,見事にすべて /d/ で始まるイタリック系借用語です.このなかに dubious のように綴字 <b> を普通に /b/ と発音するケースと,doubt のように <b> を発音しないケース(いわゆる語源的綴字 (etymological_respelling))が混在しているのも英語史的にはおもしろい話題です (cf. 「#3333. なぜ doubt の綴字には発音しない b があるのか?」 ([2018-06-12-1])).
このようにゲルマン系の古英語単語が中英語期以降にイタリック系の借用語に置き換えられたというのは,英語史上はありふれた現象です.しかし,今回のケースがおもしろいのは,単発での置き換えではなく,関連語がこぞって置き換えられたという点です.語彙論的にはたいへん興味深い現象だと考えています (cf. 「#648. 古英語の語彙と廃語」 ([2011-02-04-1])).
こうして現代英語では "two" 系列で「疑いの2」を表わす語はほとんど見られなくなったのですが,最後に1つだけ,その心を受け継ぐ表現として be in/of two minds about sb/sth (= to be unable to decide what you think about sb/sth, or whether to do sth or not) を紹介しておきましょう.例文として I was in two minds about the book. (= I didn't know if I liked it or not) など.
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