本日は『中高生の基礎英語 in English』の12月号の発売日です.連載「歴史で謎解き 英語のソボクな疑問」の第21回では「「マジック e」って何?」という疑問を取り上げています.
綴字上 mate と mat は語末に <e> があるかないかの違いだけですが,発音はそれぞれ /meɪt/, /mæt/ と母音が大きく異なります.母音が異なるのであれば,綴字では <a> の部分に差異が現われてしかるべきですが,実際には <a> の部分は変わらず,むしろ語尾の <e> の有無がポイントとなっているわけです.しかも,その <e> それ自体は無音というメチャクチャぶりのシステムです.多くの英語学習者が,学び始めの頃に一度はなぜ?と感じたことのある話題なのではないでしょうか.
一見するとメチャクチャのようですが,類例は多く挙げられます.Pete/pet, bite/bit, note/not, cute/cut などの母音を比較してみてください.ここには何らかの仕組みがありそうです.少し考えてみると,語末の <e> の有無がキューとなり,先行する母音の音価が定まるという仕組みになっています.いわば魔法のような「遠隔操作」が行なわれているわけで,ここから magic e の呼称が生まれました.
今回の連載記事では,なぜ magic e という間接的で厄介な仕組みが存在するのか,いかにしてこの仕組みが歴史の過程で生まれてきたのかを易しく解説します.本ブログでもたびたび取り上げてきた話題ではありますが,連載記事では限りなくシンプルに説明しています.ぜひ雑誌を手に取ってみてください.
関連して以下の hellog 記事を参照.
・ 「#1289. magic <e>」 ([2012-11-06-1])
・ 「#979. 現代英語の綴字 <e> の役割」 ([2012-01-01-1])
・ 「#1827. magic <e> とは無関係の <-ve>」 ([2014-04-28-1])
・ 「#1344. final -e の歴史」 ([2012-12-31-1])
・ 「#2377. 先行する長母音を表わす <e> の先駆け (1)」 ([2015-10-30-1])
・ 「#2378. 先行する長母音を表わす <e> の先駆け (2)」 ([2015-10-31-1])
・ 「#3954. 母音の長短を書き分けようとした中英語の新機軸」 ([2020-02-23-1])
・ 「#4883. magic e という呼称」 ([2022-09-09-1])
昨日午後1時より Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて,khelf(慶應英語史フォーラム)主催の生放送「英語に関する素朴な疑問 千本ノック(矢冨弘&堀田隆一) 第2弾」をお届けしました(予告記事も参照).
今回も hellog の読者や heldio のリスナーの方々には,多数の質問(120本ほど!)を寄せていただき,また生放送にも参加していただきまして,ありがとうございました.おかげさまで,第1弾にもまして実りある回となりました.
生放送を収録した音声を今朝の heldio にてアーカイヴとして配信しましたので,以下よりお聴きください(60分間と長めです).本編16:10辺りからは,たまたま居合わせた(?)専修大学の菊地翔太先生にも参加していただきました.また,本編39:48辺りからの「推し英単語は何ですか?」という愉快な問いを巡って,一部暴走者(?)も現われながら,おおいに盛り上がりました.本編後の10分間の「楽屋トーク」まで含めてお楽しみいただければと思います.出演者としてもたいへん楽しく,かつ勉強になる会となりました.
全体として様々な角度から質問が寄せられ,良問ぞろいでした.また今回はとりわけ「英語史研究者の言葉の見方」が繰り返し話題となっていました.参考になればと思います.
今回の「千本ノック」についてご感想やご意見などがありましたら,ぜひ Voicy のコメント機能を通じてお寄せください.よろしくお願いします.
今回千本ノックに回答者として参戦していただいた矢冨弘先生(熊本学園大学)と菊地翔太先生(専修大学),そして司会のまさにゃん(慶應義塾大学大学院)の運営するウェブリソースへのリンクを,以下にご紹介します.英語史の学びのために,ぜひご訪問ください.
・ 矢冨弘先生のホームページ:英語史関連のブログ記事や YouTube 講義動画が公開されています
・ 菊地翔太先生のホームページ: 英語史関連の授業資料や講習会資料が公開されています
・ まさにゃんによる YouTube チャンネル「まさにゃんチャンネル【英語史】」: 「毎日古英語」や「語源で学ぶ英単語」のシリーズなど英語史や英語学習に関する動画が満載です
標記の通り,熊本学園大学の矢冨弘先生と堀田隆一とで「英語に関する素朴な疑問 千本ノック 第2弾」を企画しています.10月27日(木) 13:00--14:00 に Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の生放送という形でお届けする予定です.khelf(慶應英語史フォーラム)主催の企画となります.今回も司会を務めるのは,khelf 会長にして日本初の古英語系 YouTube チャンネル「まさにゃんチャンネル」を運営するまさにゃん (masanyan) です.
さる9月21日に「第1弾」を Voicy 生放送でお届けしました (cf. 「#4886. 「英語に関する素朴な疑問 千本ノック(矢冨弘&堀田隆一)」のお知らせ(9月21日(水)16:00--17:00 に Voicy 生放送)」 ([2022-09-12-1])).その生放送また翌日のアーカイヴ配信も合わせ,非常に多くの方に聴取していただき好評を賜わりましたので,このたび第2弾を企画した次第です.
前回と同様,今回の第2弾のためにも,事前に皆さんより「英語に関する素朴な疑問」を募集したいと思います.日々英語について抱いている疑問をお寄せください.矢冨&堀田が主に英語史の観点から回答したり議論したりする予定です.
生放送でお聴きいただける場合には,ライブの投げ込み質問(Voicy アプリ経由で)も受け付ける予定ですので,ぜひご参加ください.なお,生放送でお聴きいただけない場合でも,翌日に収録した音源をアーカイヴ配信する予定ですので,そちらでお聴きください.
・ 皆さんが日々抱いている「英語に関する素朴な疑問」をこちらのフォームよりお寄せください.生放送でなるべく多く取り上げたいと思います.
・ Voicy 生放送への予約済みリンクはこちらとなります.「英語に関する素朴な疑問」は,事前あるいは生放送中に,こちらのリンク先より Voicy のコメント機能を通じて寄せていただいてもけっこうです.
前回の第1弾をまだ聴いていないという方は,ぜひアーカイヴ配信よりお聴きください.雰囲気がつかめるかと思います.
第2弾もどうぞお楽しみに!
なお,Voicy の千本ノックシリーズ全体はこちらからどうぞ.
『中高生の基礎英語 in English』の11月号が発売されました.連載「歴史で謎解き 英語のソボクな疑問」も第20回となります.今回はなかなか本質的な問い「なぜ英語の文には主語が必要なの?」を取り上げています.
素朴な疑問であるからこそ,きれいに答えるのが難しいですね.特に日本語は主語がなくて済む場合のほうが多いので,それと比較対照すると,英語の「主語は絶対に存在しなければならない」という金科玉条は理解しにくいですし説明もしにくいわけです.なぜ英語はそんなに主語の存在にうるさいのか,と.
ところが,英語史を振り返ってみると,古英語や中英語という古い時代には,必ずしも主語が存在しない文もあったのです.しかも,存在すべきなのに省略されているというケースだけでなく,そもそも主語の存在が想定されていない(つまり省略しようにも省略すべきものがない)ケースすらあったのです.
今回の連載記事では,その辺りの事情を語りました.記事の最後では,疑問文で主語と動詞をひっくり返したり,命令文で主語を省略する統語規則についても言及しました.ぜひ11月号を手に取ってみてください!
1週間前の10月3日に khelf(慶應英語史フォーラム)よりウェブ上で発行された『英語史新聞』第3号について,改めてご案内します.こちらの PDF よりご覧ください (cf. 「#4908. 『英語史新聞』第3号」 ([2022-10-04-1])).
4ページほどの短いパンフレットのような新聞ですが,記事は多彩です.記事内容について私の YouTube 「heltube --- 英語史チャンネル」(←割と最近ひそかに不定期で始めています)および Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」 でも「第3号の歩き方」のような趣旨で簡単に紹介していますので,以下よりどうぞ.
・ YouTube (heltube) 「#2. khelf(慶應英語史フォーラム)による『英語史新聞』第3号が2022年10月3日ウェブ上で公開されました」(2022年10月8日)
・ Voicy (heldio) 「#495. 『英語史新聞』第3号が出ました!」(2022年10月8日)
『英語史新聞』のバックナンバー(号外を含む)も紹介しておきます.khelf HP のこちらのページからもバックナンバーにアクセスできます.
・ 『英語史新聞』第1号(創刊号)(2022年4月1日)
・ 『英語史新聞』号外第1号(2022年4月10日)
・ 『英語史新聞』第2号(2022年7月11日)
・ 『英語史新聞』号外第2号(2022年7月18日)
昨日,khelf(慶應英語史フォーラム)による『英語史新聞』第3号がウェブ上で公開されました.こちらよりPDFでどうぞ.
khelf 公式ツイッターアカウント @khelf_keio によるこちらのツイートでも第3号公開を案内しています.ぜひそちらなどを通じて広めていただければ幸いです.
今回も力の入った英語史周辺の記事が満載です.ラインナップを紹介します.
・ GloWbE という世界英語コーパスを用いた「誤用」かとおぼしき discuss about の調査
・ OED でみる,日本語から英語に借用された ikigai
・ 現代英語で拡がる「単数の they」
・ 「グーグー」と zzz のオノマトペ
・ 古英詩 Beowulf で英雄がたどった道筋・パターン
・ 英語史関連の文献案内
・ khelf ミッションステートメント
最後の「khelf ミッションステートメント」は,2020年1月に活動を始めた khelf(慶應英語史フォーラム)の活動指針をまとめたものです.先日9月20日の khelf-conference-2022 における khelf 総会での承認を経て決定し,このたび公開する運びとなりました.『英語史新聞』の制作・公表は,まさに khelf ミッションステートメントに適う活動ですし,今後も継続していく所存です.
改めて『英語史新聞』のバックナンバー(号外を含む)も紹介しておきます.そちらも合わせてご一読ください(khelf HP のこちらのページにもバックナンバー一覧があります).
・ 『英語史新聞』第1号(創刊号)(2022年4月1日;10月3日現在1398プレビュー)
・ 『英語史新聞』号外第1号(2022年4月10日;282プレビュー)
・ 『英語史新聞』第2号(2022年7月11日;615プレビュー)
・ 『英語史新聞』号外第2号(2022年7月18日;174プレビュー)
昨日 Twitter で,フランス語初学者を念頭に2件のツイートを次のように投稿しました
1件目: 新学期でフランス語を学ぼうという方も多いと思います.ある程度英語を勉強した上で仏語に臨む方も多いと思います.たいてい誰も教えてくれませんが,だまされたと思って「英語史」をかじってみてください.仏語学習の効率が3倍はアップします.英語史入門書10選です→ http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2021-10-18-1.html
2件目: なぜフランス語を学ぶのに「英語史」が有用なのか,英語史研究者として3点指摘します.(1) 英語語彙の3割までが仏語(正確にはラテン・仏語系)です,(2) 英語はイタリック化したゲルマン語,仏語はゲルマン化したイタリック語です,(3) 英語の妙な綴字の何割かは仏語の綴字習慣を真似たものです.
こちらのツイートに多くの反響をいただいています.たいていの大学で新学期が始まり,第2外国語などとしてフランス語を学び始める,あるいは学びなおす方が多いのではないかと推測しています.
フランス語と英語の深い関係については,これまでもこの「hellog~英語史ブログ」や Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」でたびたび発信してきました.両言語の関係を表面的にではなく本当の意味で理解するには,どうしても英語史の知識が必要です.英語史の,とりわけ外面史について入門的な知識さえあれば,フランス語(学習)がぐんとおもしろくなりますし,加えて英語(学習)もおもしろくなります.当然ながら英仏史,ヨーロッパ史,世界史も一緒に学べますし,言語は変化し変異するものだというしなやかな言語観も身につきます.一石二鳥どころではありません.
そこで,主にフランス語を学び始める/なおす方々を念頭に,関連する記事や放送へのリンクをまとめてみました.
1. 上記の趣旨について heldio で2回かけて語っています.まずはこの2つをお聴きください.「#327. 新年度にフランス語を学び始めている皆さんへ,英語史を合わせて学ぶと絶対に学びがおもしろくなると約束します!」および「#329. フランス語を学び始めるならば,ぜひ英語史概説も合わせて!」です.なぜフランス語を学ぼうとしているのに「英語史」なのかという疑問が解決します.
2. とりわけフランス語の単語学習や語源に関心がある方は,すでにもっている英単語の知識を活用しない手はありません.「#4787. 英語とフランス語の間には似ている単語がたくさんあります」 ([2022-06-05-1]) の記事とその先のリンク集を活用してください.この趣旨で heldio 放送からより抜くと,次の3点が挙がります.
・ 「#26. 英語語彙の1/3はフランス語!」
・ 「#368. 英語とフランス語で似ている単語がある場合の5つのパターン」
・ 「#370. 英語語彙のなかのフランス借用語の割合は? --- リスナーさんからの質問」
3. 「英語史」はおもしろそうだと思ったら,ぜひ入門書を手に取ってみてください.推薦書リストとして「#4557. 「英語史への招待:入門書10選」」 ([2021-10-18-1]) および「#4727. 英語史概説書等の書誌(2022年度版)」 ([2022-04-06-1]) をどうぞ.
拙著の宣伝となって恐縮ですが,後期が始まった大学も多いかと思いますし,英語史入門書の1つとして紹介いたします.目下7刷りとご愛読いただいていますが,つい先日電子版 (Kindle) も登場しましたので,このタイミングでお知らせ致します.
2016年の本書の出版時に,研究社のウェブサイト上にコンパニオン・サイトも特設されましたので,本書と合わせて以下のリンクよりご参照ください.とりわけ連載「現代英語を英語史の視点から考える」の12回は,英語史のおもしろさを伝えるべく,かなりの力を入れて執筆しましたので,ぜひどうぞ.
・ 本書の紹介
・ 著者の紹介
・ 補足資料とリンク集(中途半端なリンク張りで止まっています,すみません)
・ 連載「現代英語を英語史の視点から考える」
この新学期に英語史を学び始める方も多いと思いますが,(拙著はさておいても)まず「#4873. 英語史を学び始めようと思っている方へ」 ([2022-08-30-1]) をご一読ください.そして,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の「#444. 英語史を学ぶとこんなに良いことがある!」も,ぜひお聴きください.やる気が湧いてくるはずです.
実りある英語史の学びを!
・ 堀田 隆一 『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』 研究社,2016年.
20日(火),21日(水)と充実の「khelf-conference-2022」(堀田ゼミ合宿)が開催され,すべての公開・非公開セッションが無事に終了しました.公開セッションに一般から参加された皆さん,講師の方々,2日間をともにした khelf(慶應英語史フォーラム)メンバーには,大会運営にご協力いただきました.御礼申し上げます.
一般公開セッションとしては2つの Voicy の生放送,部分公開セッションとしては2つの講義と「英語史コンテンツ展覧会2022」,非公開セッションとしては学部4年生(卒業論文執筆予定者)による「質問会議」,および3年生・大学院生による「ポスターなしポスターセッション」と,盛りだくさんのメニューでしたが,いずれも学びの多い濃密な時間となりました.今回の大会の様子は,今後 khelf ホームページの特設ページや khelf 発行の『英語史新聞』などで記録として残していく予定です.
一般公開セッションの2つの Voicy 生放送は,多くの方々にライヴで聴取いただきました(ありがとうございました!).それぞれ収録した音声をすでにアーカイヴ放送としてお届けしていますので,まだお聴きでない方は,ぜひライヴの雰囲気を感じつつお聴きください.また,各回の放送について,Voicy のほうからご感想やコメントなどをいただけますと幸いです.
・ 9月20日(火)14:50--15:50 の生放送 「英語ヴァナキュラー談義(岡本広毅&堀田隆一)」(予告記事も参照)
・ 9月21日(水)16:00--17:00 の生放送 「英語に関する素朴な疑問 千本ノック(矢冨弘&堀田隆一)」(予告記事も参照)
最後に khelf-conference-2022 のセッションにご参加いただいた講師の方々の関連ページも,こちらで紹介させていただきます.
- 岡本広毅先生(立命館大学)のHP(cf. 映画『グリーン・ナイト』)
- 菊地翔太先生(専修大学)のHP より eWAVE 講習会@khelf-conference-2022 (eWAVE 3.0 (The electronic World Atlas of Varieties of English) そのものへのアクセスはこちらより.合わせて「#4532. 英語史を学べる菊地翔太先生(専修大学)の HP」 ([2021-09-23-1]) も参照.)
- 矢冨弘先生(熊本学園大学)のHP
以上,khelf-conference-2022,これにて終了.
昨日 ([2022-09-20-1]) に引き続き,堀田ゼミ合宿こと,khelf(慶應英語史フォーラム)主催の「khelf-conference-2022」のご案内とご報告です.
昨日,無事に1日目を終えました.とりわけ Voicy 生放送「英語ヴァナキュラー談義(岡本広毅&堀田隆一)」では,岡本広毅先生より映画『グリーン・ナイト』の字幕監修の舞台裏について,また『ガウェイン卿と緑の騎士』が14世紀後半にヴァナキュラーである英語で書かれた意義について伺うことができました.ライヴでお聴きいただいた皆様,またご質問を寄せていただいた皆様には,感謝致します.
ライヴで聴取できなかった方のために,生放送を収録したものを今朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で配信しましたので,こちらよりお聴きください.
さて,本日は khelf-conference-2022 の2日目となります.朝から夕方までいろいろなセッションが予定されていますが,一般の hellog 読者の皆さんには,ぜひもう1つ Voicy の生放送をお聴きいただければと思います.
・ 本日 9月21日(水)16:00--17:00 「英語に関する素朴な疑問 千本ノック(矢冨弘&堀田隆一)」(さらに詳しくはこちらの記事を参照)
生放送はウェブ経由でも Voicy アプリからでもお聴きいただけますが,Voicy アプリを使うと生放送中の質問投げ込みなども可能となりますのでお薦めです.特に本日の生放送は,リスナーの皆さんに「英語に関する素朴な疑問」を寄せていただき,それを英語史の観点から考えるという趣旨で企画していますので,ライブ中の質問投稿も歓迎します.なお,生放送をお聴きになれない場合でも,後日アーカイヴの放送としてお届けする予定です.
今回の「khelf-conference-2022」については khelf 公式ツイッターアカウント @khelf_keio でも広報していますので,そちらもご参照ください.
1年のこの時期,慶應義塾大学文学部英米文学専攻では多くのゼミが「ゼミ合宿」を開催しています.本来は2泊ほど泊まりがけでの合宿なのですが,コロナ禍により過去2年間は完全オンライン合宿を余儀なくされました.今回も泊まりがけこそ諦めましたが,少なくとも大学の教室にて対面で実施することが可能となり,状況が改善しました.対面形式にオンライン形式も加え,本日と明日の2日間開催の予定です.
さて,実質的には「ゼミ合宿」という内輪のお祭りにすぎないのですが,これを khelf(慶應英語史フォーラム)主催の「khelf-conference-2022」と呼び変え,一般ぽいイベントに仕立て上げています.一般の hellog 読者の皆さんも,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の生放送を通じて khelf-conference-2022 の2つのセッションに参加していただけますので,ご都合がよろしければどうぞ.その2つのセッションとは以下の通りです.
・ 本日 9月20日(火)14:50--15:50 「英語ヴァナキュラー談義(岡本広毅&堀田隆一)」(さらに詳しくはこちらの記事を参照)
・ 明日 9月21日(水)16:00--17:00 「英語に関する素朴な疑問 千本ノック(矢冨弘&堀田隆一)」(さらに詳しくはこちらの記事を参照)
生放送はウェブ経由でも Voicy アプリからでもお聴きいただけますが,Voicy アプリを使うと生放送中の質問投げ込みなども可能となりますのでお薦めです.なお,生放送をお聴きになれない場合でも,後日アーカイヴで聴けるようになります.
今回の「khelf-conference-2022」については khelf 公式ツイッターアカウント @khelf_keio でも広報していますので,ご参照ください(ちょっとした実況中継?も予定しています).
この秋『ジーニアス英和辞典』が8年ぶりに全面改訂され,第6版として大修館書店より刊行されます.こちらの特設サイトをご覧ください.試し読みも可能となっています.
今回の改訂版で,新設されたコラム「英語史Q&A」の執筆を担当させていただきました.このコラム企画について,9月14日に発売された『英語教育』(大修館書店)の10月号にて,裏話などを書いております.「コラム「英語史Q&A」の導入 --- 英語の裏世界への入り口として」という題の2ページの文章ですが,よろしければ10月号を手に取ってお読みいただければと思います (pp. 42--43) .
辞典のなかに,36個の単語と関連づけられた36個のコラムがちりばめられています.私は英語史研究者ですので,学習者用英和辞典に,英単語の語源や英語史の話題が盛り込まれることはたいへんに嬉しいことです.昔から今に至るまで語源から学ぶ英単語という趣旨のボキャビル本は人気がありますが,一般に学習者用英和辞典には語源的・英語史的記述はあまりみられません.英語史の知見がもっと学習者用英和辞典に反映されていくとよいなと,(英語史びいきの身としては)思っています.今回のコラムも,そのような方向への一歩となればよいなと.
『中高生の基礎英語 in English』の10月号が発売となりました.連載「歴史で謎解き 英語のソボクな疑問」の第19回は「なぜ単語ごとにアクセントの位置が決まっているの?」です.
英単語のアクセント問題は厄介です.単語ごとにアクセント位置が決まっていますが,そこには100%の規則がないからです.完全な規則がないというだけで,ある程度予測できるというのも事実なのですが,やはり一筋縄ではいきません.
例えば,以前,学生より「nature と mature は1文字違いですが,なんで発音がこんなに異なるのですか?」という興味深い疑問を受けたことがあります.これを受けて hellog で「#3652. nature と mature は1文字違いですが,なんで発音がこんなに異なるのですか?」 ([2019-04-27-1]) の記事を書いていますが,この事例はとてもおもしろいので今回の連載記事のなかでも取り上げた次第です.
英単語の厄介なアクセント問題の起源はノルマン征服です.それ以前の古英語では,アクセントの位置は原則として第1音節に固定で,明確な規則がありました.しかし,ノルマン征服に始まる中英語期,そして続く近代英語期にかけて,フランス語やラテン語から大量の単語が借用されてきました.これらの借用語は,原語の特徴が引き継がれて,必ずしも第1音節にアクセントをもたないものが多かったため,これにより英語のアクセント体系は混乱に陥ることになりました.
連載記事では,この辺りの事情を易しくかみ砕いて解説しました.ぜひ10月号テキストを手に取っていただければと思います.
英語のアクセント位置についての話題は,hellog よりこちらの記事セットおよび stress の各記事をお読みください.
2日間の記事 ([2022-09-13-1], [2022-09-14-1]) に続き,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)について編者自らが紹介するという企画の第3弾(最終回)です.
ドイツ語史が専門の高田博行氏による本書紹介文です.英語に慣れてしまうと気づかなくなってしまいますが,英語はなかなか「変な」言語であるという議論です.ご本人の許可をいただき,こちらに掲載致します.
言語はそれぞれ固有な構造をしていて,言語Aの話者から見ると任意の言語Bは常に「変な」言語に見えてきます.英語話者から見て,同じゲルマン系の言語であるドイツ語がどう変に見えるのかについては,マーク・トウェイン(1835~1910年)による古典的な見立てがあります.トウェインは,ドイツ,スイス,フランス,イタリアを旅したときの体験に基づいて Tramp Abroad(1880年,日本語訳『ヨーロッパ放浪記』彩流社 1999年)を書きましたが,その補遺のひとつとして The Awful German Language (「恐ろしいドイツ語」)というエッセイを残しています.トウェインは,ドイツ語のどこが「恐ろしい」と言っているのでしょうか.名詞に性があること(「木」は男性,「つぼみ」は女性,「葉」は中性なのはどうして?),名詞と形容詞の語尾変化が複雑であること,parenthesis 「括弧入れ」(大事な要素が文の最後に置かれるために,結果的に文全体が枠で囲まれるようになること.現在のドイツ語文法でいう「枠構造」のこと)のために語順が英語と大きく異なること,そして Unabhängigkeitserklärung「独立宣言」 のような長々しい複合語が遠慮なく作られることが,トウェインの言う恐ろしいドイツ語の正体のようです.
英語の歴史からすると,名詞の性,そして名詞・形容詞の語尾変化については,英語が時間の経過のなかでいわば「無駄な部分」をそぎ落としていった結果,元来のゲルマン語に近いドイツ語の姿が変に見えるわけです.「括弧入れ」語順については,I think that his father will come to Japan next year.という語順で話す英語話者にとって,同じ文がドイツ語では I think that my father next year to Japan come will. (Ich denke, dass sein Vater nächstes Jahr nach Japan kommen wird.) という並び方になってしまうのは,たしかに反転した鏡像を見ているようで 気持ちが悪いというのも共感できます.これは,ドイツ語の独自の展開の中で枠構造という遠隔配置的な文法規則が形成され,最終的に17世紀に確定したものです.
このような文法に関わる部分とは異なり,語彙に関わる面については人為的介入の余地がありえます.Unabhängigkeitserklärung 「独立宣言」という複合語が長く見えるのは,Unabhängigkeits-erklärung のようにハイフンを入れたり,Unabhängigkeits Erklärung のように分けて綴ったりすれば可視性が高まるのにそうはしないからです.しかし,このドイツ語の書法上の習慣(規則)だけが,複合語を長々しくする理由ではありません.そもそもドイツ語母語話者たちが長年にわたって,概念を言い表すときにラテン語やフランス語などから語を借用することなく,ドイツ語の造語力を信じて本来の(ゲルマン系の)ドイツ語で言い切ろうとしてきた取り組みの結果が,この複合語の長さを生んでいるのです.「独立宣言」という概念は,英語では declaration of independence のように,近世初期にラテン語から借用された語を用いて分析的に言い表されます.それに対して,ドイツ語の Unabhängigkeitserklärung はその構成部分がすべてドイツ語(ゲルマン系の語)から成り立っています.Unabhängigkeitserklärung は,un(英 un)「否定の接頭辞」+ ab(英 off)「下方へ」+ häng(英 hang)「垂れる」+ ig(英 y)「性質を表す形容詞を派生する接尾辞」+ keit(英 hood)「抽象名詞を派生する接尾辞」+ s(英 s)「語をつなぐ接合辞(本来は所有を表す)」+ er 「獲得・創造を意味する動詞を派生する接頭辞」+ klär(英 clear)+ ung(英 ing)「抽象名詞を派生する接尾辞」から成っています.「独立」を「垂れ下がるような性質ではないこと」のように,「宣言」を「広く明確にすること」のように説明的に表現しています.これはちょうど日本のかつてローマ字主義者が作成した漢語のやまとことば化の提案(福永恭助・岩倉具実『口語辞典 Hanasikotoba o hiku Zibiki』森北出版 1951年)に従うと,「独立宣言」は「ひとりだち いいたて」のように説明的で長くなるのと平行的だと言うこともできるでしょう.
上に述べたように母語による語彙形成(造語)という意識的な取り組みが際立っているドイツ語史から見ると,なぜ英語は母語の要素による語彙形成を放棄したのかが大変に気になってきます.ノルマン・コンケスト(1066年)のあとフランス語語彙が生活の基本部分に深く入ってきたことで,ゲルマン系言語としての英語のいわば自意識が弱まったことが大きな英語史上の原因であると推測しますが,きっとその後の英語史の展開においても相応の理由があって現在のような語彙の構造になっているものと思います.ちょうど12月10日(土)に日本歴史言語学会で,日中英独仏の5言語について「語彙の近代化」をめぐって言語史を対照するシンポジウムを開催します.そのときにこのあたりのお話を,われらが堀田先生から伺えればと思っています.
Mark Twain の「英語からみるドイツ語の変なところ」,高田氏の「ドイツ語からみる英語の変なところ」,それぞれお互い様のようなところがあって,おもしろいですね.「日本語からみる諸外国語の変なところ」であれば,無数に指摘できそうです.言葉が異なるのだから変に決まっているという側面はもちろんありますが,言葉のたどってきた歴史がそれぞれ異なっていたからこそ余計に変なのだ,という側面もおおいにあると思います.変である理由を探れるというのも,対照言語史のおもしろさと可能性ではないでしょうか.
最後の部分で私の名前を言及していただきましたが,12月10日(土)午後に編者3名を含む日中英独仏の5言語史の専門家5名が集まり,日本歴史言語学会にてシンポジウム「日中英独仏・対照言語史―語彙の近代化をめぐって」を開催します(学習院大学でハイブリッド開催予定.案内はこちらです).
シンポジウムでは,本書で扱った言語標準化と関連させつつも,独立して議論できるテーマとして「語彙の近代化」が選ばれています.上で高田氏が指摘している英独語の語彙の「行き方」の違いについても,何かしら議論することになりそうです.この問題について,私自身もじっくり考えてみようと思います.
以上,3日間にわたり編者による『言語の標準化を考える』の紹介文を掲載してきました.ぜひ本書を手に取っていただければ幸いです.
昨日の記事 ([2022-09-13-1]) に引き続き,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)について,編者自らが紹介するという企画です.第2弾は日本語史が専門の田中牧郎氏による本書紹介文です.ご本人の許可をいただき,こちらに掲載致します.
日本語史において,「標準化」や「標準語」というと,近代(19~20世紀)に展開された,政府による標準語政策が強く想起される(本書の11章で,田中克彦氏が論じている).私が執筆した第5章「書きことばの変遷と言文一致」においても,江戸時代までを標準化の前史と見て,言文一致が進む明治・大正期を標準化の時代と扱った.
本書の第1章や,第6章・第7章などで取り上げられる,標準化を,「統一化」(言語の変種を統一していこうという動き),「規範化」(あるべき言語の形に統制していく動き),「通用化」(多くの人が通じ合える言語の形に共通化・簡略化していく動き)の3つに分ける見方を,日本語史にあてはめて,通史としての大きな流れを見出していこうという発想は,持ったことがなかった.
しかしながら,本書の編集作業を通して,その枠組みから日本語史をとらえてみることもできるのではないかと考えるようになった.本書執筆中には十分整理ができず書けなかったその点について,少し記したい.
「統一化」にあてはまりそうな出来事としては,まず,奈良時代(8世紀)に漢字による日本語表記法を編み出したこと,次いで,平安時代(10世紀)に仮名を発明して話し言葉に基づく日本語を自在に書けるようにしたこと,さらに,鎌倉時代(12世紀)までに,漢字と仮名を適度に交えて書く漢字仮名交じり文(和漢混淆文)を一般的なものにしたことが,指摘できる.この一連の「統一化」の過程で,外国語の文字だった漢字を自国語の文字として飼い慣らし,漢字から派生させた2種類の仮名(平仮名・片仮名)のいずれかと混ぜ用いる,日本語独自の表記法を確立させ,現代まで使われ続ける書き言葉のシステムを作ったのである.
こうして作られた書き言葉を安定的に運用していくために,平安時代以降,漢字辞典(『色葉字類抄』『文明本節用集』など)や,実用文の模範文例集(『明衡往来』『庭訓往来』など)が盛んに編纂され,鎌倉時代以降には,仮名の使い方を論じる仮名遣い書(『仮名文字遣』『和字正濫鈔』など)も書かれるようになっていく.これらは,「規範化」の動きと見ることができ,その流れが,江戸時代までの日本語の書き言葉を高度に洗練させていく結果をもたらした.
そして,「通用化」の出来事が,明治時代(19~20世紀)に進んだ言文一致運動による口語体書き言葉の確立である.国定教科書や出版・放送によって,国民各層に均質な日本語を広める動きや,日清・日露戦争や第一世界大戦で版図を拡大するなか植民地に日本語を広める動きが強まるのも,その流れを受け継いだものである.
以上は,標準化の前史と扱った出来事(江戸時代まで)を「統一化」「規範化」,標準化(明治時代)と扱った出来事を「通用化」とする見方である.研究を進めれば,江戸時代以前にも「通用化」にあたる出来事を指摘したり,明治時代以降に「統一化」「規範化」にあたる出来事を見ることもできると予想され,それは,日本語史を立体的にとらえることにつながっていくと期待できる.
ここでは,本書第7章「英語標準化の諸相――20世紀以降を中心に」(寺澤盾)で提示された英語標準化の3つの側面(統一化,規範化,通用化)を,日本語標準化歴史に当てはめてみるとどうなるか,というすぐれて対照言語史的なアプローチが示されていると思います.ある個別言語の歴史にみられるパターンやモデルを,異なる言語の歴史にも「あえて強引に」当てはめてみようとするところに,新たな気づきが生まれるということは,本書の企画段階から何度も経験していました.悪くいえば牽強付会,我田引水,引喩失義となり得ますが,ポジティヴにいえば豊かな創造性を生み出してくれます.もちろん編者たちの狙いは後者です.
明日は第3弾をお届けします.
昨日の記事 ([2022-09-13-1]) に引き続き,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)について,編者自らが紹介するという企画です.第2弾は日本語史が専門の田中牧郎氏による本書紹介文です.ご本人の許可をいただき,こちらに掲載致します.
日本語史において,「標準化」や「標準語」というと,近代(19~20世紀)に展開された,政府による標準語政策が強く想起される(本書の11章で,田中克彦氏が論じている).私が執筆した第5章「書きことばの変遷と言文一致」においても,江戸時代までを標準化の前史と見て,言文一致が進む明治・大正期を標準化の時代と扱った.
本書の第1章や,第6章・第7章などで取り上げられる,標準化を,「統一化」(言語の変種を統一していこうという動き),「規範化」(あるべき言語の形に統制していく動き),「通用化」(多くの人が通じ合える言語の形に共通化・簡略化していく動き)の3つに分ける見方を,日本語史にあてはめて,通史としての大きな流れを見出していこうという発想は,持ったことがなかった.
しかしながら,本書の編集作業を通して,その枠組みから日本語史をとらえてみることもできるのではないかと考えるようになった.本書執筆中には十分整理ができず書けなかったその点について,少し記したい.
「統一化」にあてはまりそうな出来事としては,まず,奈良時代(8世紀)に漢字による日本語表記法を編み出したこと,次いで,平安時代(10世紀)に仮名を発明して話し言葉に基づく日本語を自在に書けるようにしたこと,さらに,鎌倉時代(12世紀)までに,漢字と仮名を適度に交えて書く漢字仮名交じり文(和漢混淆文)を一般的なものにしたことが,指摘できる.この一連の「統一化」の過程で,外国語の文字だった漢字を自国語の文字として飼い慣らし,漢字から派生させた2種類の仮名(平仮名・片仮名)のいずれかと混ぜ用いる,日本語独自の表記法を確立させ,現代まで使われ続ける書き言葉のシステムを作ったのである.
こうして作られた書き言葉を安定的に運用していくために,平安時代以降,漢字辞典(『色葉字類抄』『文明本節用集』など)や,実用文の模範文例集(『明衡往来』『庭訓往来』など)が盛んに編纂され,鎌倉時代以降には,仮名の使い方を論じる仮名遣い書(『仮名文字遣』『和字正濫鈔』など)も書かれるようになっていく.これらは,「規範化」の動きと見ることができ,その流れが,江戸時代までの日本語の書き言葉を高度に洗練させていく結果をもたらした.
そして,「通用化」の出来事が,明治時代(19~20世紀)に進んだ言文一致運動による口語体書き言葉の確立である.国定教科書や出版・放送によって,国民各層に均質な日本語を広める動きや,日清・日露戦争や第一世界大戦で版図を拡大するなか植民地に日本語を広める動きが強まるのも,その流れを受け継いだものである.
以上は,標準化の前史と扱った出来事(江戸時代まで)を「統一化」「規範化」,標準化(明治時代)と扱った出来事を「通用化」とする見方である.研究を進めれば,江戸時代以前にも「通用化」にあたる出来事を指摘したり,明治時代以降に「統一化」「規範化」にあたる出来事を見ることもできると予想され,それは,日本語史を立体的にとらえることにつながっていくと期待できる.
ここでは,本書第7章「英語標準化の諸相――20世紀以降を中心に」(寺澤盾)で提示された英語標準化の3つの側面(統一化,規範化,通用化)を,日本語標準化歴史に当てはめてみるとどうなるか,というすぐれて対照言語史的なアプローチが示されていると思います.ある個別言語の歴史にみられるパターンやモデルを,異なる言語の歴史にも「あえて強引に」当てはめてみようとするところに,新たな気づきが生まれるということは,本書の企画段階から何度も経験していました.悪くいえば牽強付会,我田引水,引喩失義となり得ますが,ポジティヴにいえば豊かな創造性を生み出してくれます.もちろん編者たちの狙いは後者です.
明日は第3弾をお届けします.
近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)について,本ブログや Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で,様々に紹介してきました(まとめてこちらの記事セットからどうぞ).
本書は,5言語の標準化の歴史を共通のテーマに据えて「対照言語史」 (contrastive_language_history) という新たなアプローチを提示し,さらに脚注で著者どうしがツッコミ合うという特殊なレイアウトを通じて活発な討論を再現しようと試みました.この企てが成功しているかどうかは,読者の皆さんの判断に委ねるほかありません.
このたび高田博行氏(ドイツ語史),田中牧郎氏(日本語史),堀田隆一(英語史)の編者3名が話し合い,各々の立場から本書を紹介する文章を作成し公開しようという話しになりました.そして,公開の場は,お二人の許可もいただき,この「hellog~英語史ブログ」にしようと決まりました.結果として,英語(史)に関心をもって本ブログをお読みの皆さんを意識した文章になったと思います.
今日はその第1弾として,まず堀田の文章をお届けします.
私たちが学習・教育の対象としている「英語」は通常「標準英語」を指す.世界で用いられている英語にはアメリカ英語,イギリス英語,インド英語をはじめ様々な種類があるが,学習・教育のターゲットとしているのは最も汎用性の高い「標準英語」だろうという感覚がある.しかし,「標準英語」とは何なのだろうか.実は皆を満足させる「標準英語」の定義はない.比較的よく参照される定義に従うと,外国語として学習・教育の対象とされている類いの英語を指すものとある.明らかに循環論法に陥っている.
つまり,私たちは「標準英語」というターゲットが何なのかを明確に理解しないままに,そこに突き進んでいることになる.とはいえ「標準英語」という概念・用語は便利すぎて,今さら捨てることはできない.私たちは「標準英語」をだましだまし理解し,受け入れているようなのである.
実のところ,筆者は「標準英語」を何となくの理解で受け入れておくという立場に賛成である.それは歴史的にも「揺れ動くターゲット」だったし,静的な存在として定義できるようなものではないと見ているからだ.「標準英語」は1600年ほどの英語の歴史のなかで揺れてきたし,それ自身が消失と再生を繰り返してきた.そして,英語が世界化した21世紀の現在,「標準英語」は過去にもまして揺れ動くターゲットと化しているように思われるのである.
歴史を通じて「標準英語」が揺れ動くターゲットだったことは,本書の第6章と第7章で明らかにされる.第6章「英語史における「標準化サイクル」」(堀田隆一)では,英語が歴史を通じて標準化と脱標準化のサイクルを繰り返してきたこと,標準英語の存在それ自体が不安定だったことが説かれる.さらに同章では,近現代英語期にかけての標準化の様相が,日本語標準化の1側面である明治期の言文一致の様相と比較し得ることが指摘される.これは,言語や社会や時代が異なっていても,標準化という過程には何か共通点があるのではないか,という問いにつながる.
第7章「英語標準化の諸相――20世紀以降を中心に」(寺澤盾)では,まず標準化を念頭に置いた英語史の時代区分が導入され,続いて「標準化」が「統一化」「規範化」「通用化」の3種類に分類され,最後に20世紀以降の標準化の動きが概説される.過去の標準化では「統一化」「規範化」の色彩が濃かった一方,20世紀以降には「通用化」の流れが顕著となってきているとして,現代の英語標準化の特徴が浮き彫りにされる.
本書は「対照言語史」という方法論を謳って日中英独仏5言語の標準化史をたどっている.英語以外の言語の標準化の歴史を眺めても「標準語」は常に揺れ動くターゲットだったことが繰り返し確認できる.各言語史を専門とする著者たちが,脚注を利用して紙上で「ツッコミ」合いをしている様子は,各自が動きながら揺れ動くターゲットを射撃しているかのように見え,一種のカオスである.しかし,知的刺激に満ちた心地よいカオスである.
冒頭の「標準英語」の問題に戻ろう.「標準英語」が揺れ動くものであれば,標準英語とは何かという静的な問いを発することは妥当ではないだろう.むしろ,英語の標準化という動的な側面に注目するほうが有意義そうだ.英語学習・教育の真のターゲットは何なのかについて再考を促す一冊となれば,編著者の一人として喜びである.
明日,明後日も編者からの紹介文を掲載します.
近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)について,本ブログや Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で,様々に紹介してきました(まとめてこちらの記事セットからどうぞ).
本書は,5言語の標準化の歴史を共通のテーマに据えて「対照言語史」 (contrastive_language_history) という新たなアプローチを提示し,さらに脚注で著者どうしがツッコミ合うという特殊なレイアウトを通じて活発な討論を再現しようと試みました.この企てが成功しているかどうかは,読者の皆さんの判断に委ねるほかありません.
このたび高田博行氏(ドイツ語史),田中牧郎氏(日本語史),堀田隆一(英語史)の編者3名が話し合い,各々の立場から本書を紹介する文章を作成し公開しようという話しになりました.そして,公開の場は,お二人の許可もいただき,この「hellog~英語史ブログ」にしようと決まりました.結果として,英語(史)に関心をもって本ブログをお読みの皆さんを意識した文章になったと思います.
今日はその第1弾として,まず堀田の文章をお届けします.
私たちが学習・教育の対象としている「英語」は通常「標準英語」を指す.世界で用いられている英語にはアメリカ英語,イギリス英語,インド英語をはじめ様々な種類があるが,学習・教育のターゲットとしているのは最も汎用性の高い「標準英語」だろうという感覚がある.しかし,「標準英語」とは何なのだろうか.実は皆を満足させる「標準英語」の定義はない.比較的よく参照される定義に従うと,外国語として学習・教育の対象とされている類いの英語を指すものとある.明らかに循環論法に陥っている.
つまり,私たちは「標準英語」というターゲットが何なのかを明確に理解しないままに,そこに突き進んでいることになる.とはいえ「標準英語」という概念・用語は便利すぎて,今さら捨てることはできない.私たちは「標準英語」をだましだまし理解し,受け入れているようなのである.
実のところ,筆者は「標準英語」を何となくの理解で受け入れておくという立場に賛成である.それは歴史的にも「揺れ動くターゲット」だったし,静的な存在として定義できるようなものではないと見ているからだ.「標準英語」は1600年ほどの英語の歴史のなかで揺れてきたし,それ自身が消失と再生を繰り返してきた.そして,英語が世界化した21世紀の現在,「標準英語」は過去にもまして揺れ動くターゲットと化しているように思われるのである.
歴史を通じて「標準英語」が揺れ動くターゲットだったことは,本書の第6章と第7章で明らかにされる.第6章「英語史における「標準化サイクル」」(堀田隆一)では,英語が歴史を通じて標準化と脱標準化のサイクルを繰り返してきたこと,標準英語の存在それ自体が不安定だったことが説かれる.さらに同章では,近現代英語期にかけての標準化の様相が,日本語標準化の1側面である明治期の言文一致の様相と比較し得ることが指摘される.これは,言語や社会や時代が異なっていても,標準化という過程には何か共通点があるのではないか,という問いにつながる.
第7章「英語標準化の諸相――20世紀以降を中心に」(寺澤盾)では,まず標準化を念頭に置いた英語史の時代区分が導入され,続いて「標準化」が「統一化」「規範化」「通用化」の3種類に分類され,最後に20世紀以降の標準化の動きが概説される.過去の標準化では「統一化」「規範化」の色彩が濃かった一方,20世紀以降には「通用化」の流れが顕著となってきているとして,現代の英語標準化の特徴が浮き彫りにされる.
本書は「対照言語史」という方法論を謳って日中英独仏5言語の標準化史をたどっている.英語以外の言語の標準化の歴史を眺めても「標準語」は常に揺れ動くターゲットだったことが繰り返し確認できる.各言語史を専門とする著者たちが,脚注を利用して紙上で「ツッコミ」合いをしている様子は,各自が動きながら揺れ動くターゲットを射撃しているかのように見え,一種のカオスである.しかし,知的刺激に満ちた心地よいカオスである.
冒頭の「標準英語」の問題に戻ろう.「標準英語」が揺れ動くものであれば,標準英語とは何かという静的な問いを発することは妥当ではないだろう.むしろ,英語の標準化という動的な側面に注目するほうが有意義そうだ.英語学習・教育の真のターゲットは何なのかについて再考を促す一冊となれば,編著者の一人として喜びである.
明日,明後日も編者からの紹介文を掲載します.
昨日の記事「#4885. 「英語ヴァナキュラー談義(岡本広毅&堀田隆一)」のお知らせ(9月20日(火)14:50--15:50 に Voicy 生放送)」 ([2022-09-11-1]) に引き続き,もう1つ Voicy 生放送のご案内です.
9月21日(水)の 16:00--17:00 に,熊本学園大学の矢冨弘先生と堀田隆一とで「英語に関する素朴な疑問 千本ノック」をライヴでお届けします.事前に一般の方々から寄せられてきた英語に関する素朴な疑問に,2人(+α)が主に英語史の観点から次々と回答する,という企画です.
「正しい解答を与える」などというエラそうなことはまったく考えていません(そんなことは不可能です!).むしろ,ノックを受ける側ですから「しどろもどろながらも回答の練習をする」くらいのものに終わると思います.
ただ,企画を通じて「楽しく英語史する」雰囲気が伝わればよいなと思っています.むしろ一緒に質問への回答を考えてみませんか? 奮って生放送にご参加ください.
・ 生放送へのリンクはこちらです
・ 皆様が日々抱いている英語に関する疑問をこちらのフォームよりお寄せください(疑問が寄せられてこないと企画そのものが成り立ちませんで・・・)
・ 生放送時の投げ込み質問にもなるべく対応できればと思っています
・ 生放送の収録は後日アーカイヴとして一般公開もする予定です
回答者の1人となる矢冨弘先生は,近代英語期の歴史社会言語学ほかを専門とされており,YouTube での講義やブログを含めウェブ上でも積極的に活動されています.heldio にも1度ご出演いただいています.今年の4月7日に「#311. 矢冨弘先生との対談 グラスゴー大学話しを1つ」と題して対談しました.
今回の「千本ノック」は,khelf(慶應英語史フォーラム)主催の khelf-conference-2022 という小集会(←実質的には夏の「ゼミ合宿」)の一環として企画されているものです.9月20日,21日の両日にかけて開催される集会で,各日 Voicy の生放送が企画されています.2つの生放送企画について詳しくはこちらの特設ページをご覧ください.また,両企画は以下でもご案内していますので是非お聴きください.
khelf-conference-2022 に関係する各種セッションについては,khelf 公式ツイッターアカウント @khelf_keio でも広報しています.そちらもフォローのほどよろしくお願いいたします.
(後記 2022/09/22(Thu):上記の生放送は予定通りに終了しました.以下のアーカイヴ配信よりお聴きください.)
標記の通り,9月20日(火)14:50--15:50 に,岡本広毅先生(立命館大学)と堀田隆一による Voicy 生放送「英語ヴァナキュラー談義」が予定されています.ご都合が合いましたら,奮って生聴取のほどよろしくお願いいたします.
・ 生放送へのリンクはこちらです
・ 事前に対談へのご質問や取り上げて欲しいトピックなどがありましたらこちらのフォームから自由にお寄せください
・ 生放送時の投げ込み質問にもなるべく対応できればと思っています
・ 生放送の収録は後日アーカイヴとして一般公開もする予定です
本ブログの音声版・姉妹版である Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」 では,これまでも様々な対談を行なってきました.今回は khelf(慶應英語史フォーラム)主催の khelf-conference-2022 という小集会(←有り体にいえば夏の「ゼミ合宿」です)の一環として,立命館大学の岡本広毅先生をお招きしてのライヴ対談となります.
岡本先生とはすでに heldio で2度ほど対談しています.今度の「英語ヴァナキュラー談義」は,過去2回の対談(とりわけ2回目の対談)の延長線上にある議論ですので,ぜひ過去回を改めてお聴きいただければと思います.
・ 「#173. 立命館大学,岡本広毅先生との対談:国際英語とは何か?」 (2021/11/20)
・ 「#386. 岡本広毅先生との雑談:サイモン・ホロビンの英語史本について語る」 (2022/06/21)
そもそも「ヴァナキュラー」とは何かというところから始め,それが英語史上どのような意義をもつのか,なぜ今それを考える必要があるのか,など縦横無尽に雑談を繰り広げたいと思っています.関連して,以下の hellog 記事もご参照ください.
・ 「#4804. vernacular とは何か?」 ([2022-06-22-1])
・ 「#4809. OED で vernacular の語義を確かめる」 ([2022-06-27-1])
・ 「#4812. vernacular が初出した1601年前後の時代背景」 ([2022-06-30-1])
・ 「#4814. vernacular をキーワードとして英語史を眺めなおすとおもしろそう!」 ([2022-07-02-1])
岡本広毅先生は,11月25日より公開される映画『グリーン・ナイト』の字幕監修も担当されています.『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) の翻案作品ですが,この作品のヴァナキュラー性や字幕監修裏話なども含めてぜひお話しを伺いたいと思います.私も対談を楽しみにしています.本作品の映像制作・配給会社 Transformer および,特設ツイッターもご訪問ください.
khelf-conference-2022 では,上記対談の翌日9月21日(水)にも別の Voicy 生放送企画が予定されています.両日の生放送企画について詳しくはこちらの特設ページをご覧ください.また,両企画は以下でもご案内していますので是非お聴きください.
khelf-conference-2022 に関係する各種セッションについては,khelf 公式ツイッターアカウント @khelf_keio でも広報していますので,そちらもご覧ください.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow