Sir William Jones (1746--94) は,言語学の世界ではいわずとしれた存在である.比較言語学の端緒を開いたのみならず,近代言語学の祖ともされる.彼のキャリアを振り返ろう.
Jones はウェールズ系の家系のもとにロンドンに生まれた.生まれながらの語学の天才というべきで,ヨーロッパの近代諸語はもちろん,オックスフォード大学に入ってからは東洋の諸言語にも親しんだ.大学でアラビア語やベルシア語を学ぶと,1771年にはペルシア語文法書 Grammar of the Persian Language を著わしたほどである.
経済的理由から法律家を志し,1783年に法律家としてインドに赴任.カルカッタの上級裁判官となった.インドでは現地の学者についてサンスクリット語を学ぶなど東洋学を究めようとし,マヌ法典をはじめとする多くの文学作品を翻訳するなど,ヨーロッパにおけるインド学の礎を築いた.『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』の二大叙事詩の翻訳やサンスクリット語文法書の執筆などの構想も抱いていたようで,その学術的な野望たるや,実に遠大だった.
このように個人的に学術研究に没頭する一方,Jones はアジア協会 (Asiatic Society of Bengal) を設立し,自ら会長ともなった.Jones は1786年2月に協会設立3周年記念の際に "On the Hindu's" と題する講演を行なったが,これこそ言語学史上に残る,インスピレーションの塊というべき名講演となった.「#282. Sir William Jones,三点の鋭い指摘」 ([2010-02-03-1]) でその一部を引用したが,伝説的というべき講演である.そこで,Jones は,ギリシア語やラテン語のような西洋諸語とサンスクリット語という東洋語が同起源であること,そしてそこにゴート語,ケルト語,古代ペルシア語も加えてよいだろうと指摘すらしたのである.本人は,これが後の比較言語学という新分野の誕生と発展につながるだろうということは思ってもみなかった.実際,Jones はこの8年後に他界するまで,この仮説を実証しようとした形跡はない.
Jones より前の1767年に,フランスのインド宣教師 G. L. Coeurdoux が同主旨の私信をパリのアカデミーに送っていた.しかし,Coeurdoux の仮説は言語学的な発想から出されたというよりは,キリスト教的な一元論に基づいたものであり,言語学の発展にとって本質的な提案ではなかった.
以上,『英語学人名辞典』と The Oxford Companion to the English Language に依拠して執筆した.活動期の一部重なるもう1人の影響力のある英語史上の人物として「#3087. Noah Webster」 ([2017-10-09-1]) も参照.
・ 佐々木 達,木原 研三 編 『英語学人名辞典』 研究社,1995年.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
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