A's X という表現の後で,B's X を意味するものとして,X が省略された B's という表現を用いるケースは近現代にも見られる.例えば,A's X and B's や A's X is better than B's のような構造だ.しかし,このような場合に,2つ目の要素 B に所有格の 's すらつけず,単に B とだけ述べる表現も,近代までは普通に見られた.例えば,A's X and B や A's X is better than B のような構造だ.これでは論理的に X と B を比べていることになり,おかしな構造といえばそうなのだが,現実には中英語から近代英語まで広く行なわれていた.
Jespersen (302) は中英語からの例として以下を挙げている.
・ His top was dokked lyk a preest biforn (like that of a p.) [Ch., A., 589]
・ Hys necke he made lyke no man. [Guy of Warw., 8054]
この構造は近代にも続くが,特に Shakespeare で多用されているという報告がある.Jespersen (302--03) が多くの例とともにこの見解を紹介しているので,引用しよう.
Al. Schmidt has collected a good many examples of this phenomenon from Shakespeare. He considers it, however, as a rhetorical figure rather than a point of grammar; thus he writes (Sh. Lex., p. 1423): "Shakespeare very frequently uses the name of a person or thing itself for a single particular quality or point of view to be considered, in a manner which has seduced great part of his editors into needless conjectures and emendations". I pick out some of his quotations, and add a few more from my own collections:---
・ Her lays were tuned like the lark (like the lays of the lark) [Pilgr., 198]
・ He makes a July's day short as December (as a December's day) [W. T., i., 2, 169]
・ Iniquity's throat cut like a calf [2 H. VI., iv., 2, 29]
・ Mine hair be fixed on end as one distract [2 H. VI., iii., 2, 318]
・ I know the sound of Marcius' tongue from every meaner man [Cor., i., 6, 27]
・ My throat of war be turned into a pipe small as an eunuch [ibid., iii., 2, 114]
歴史的には,上記の A's X is better than B の構造と並んで,現代風の A's X is better than B's もありえたので,両構造は統語的変異形だったことになる.問題は,上の引用でも触れられている通り,この変異が Shakespeare などにおいて自由変異だったのか,あるいは修辞的な差異を伴っていたのかである.もし 's という小さな形態素の有無が文法と文体の接触点となりうるのであれば,文献学上のエキサイティングな話題となるだろう.
・ Jespersen, Otto. Progress in Language with Special Reference to English. 1894. London and New York: Routledge, 2007.
現代英語で,ほぼ常に must と共起する,副詞としての needs の用法がある.must の含意を強めて「どうしても,ぜひとも,必ず」を意味する.例文を挙げよう.
・ He must needs come. (ぜひ来ると強情を張ってきかない.)
・ Needs must when the Devil drives. (背に腹は変えられぬ.)
・ A man needs must lie down when he sleeps. (人は眠るにはいやでも横にならなければならぬ.)
この needs の起源は古く,古英語に遡る.古英語の名詞 nēd (need) の属格形 nēdes に由来し,「必要で,必ず」を意味した.「#81. once や twice の -ce とは何か」 ([2009-07-18-1]), 「#723. be nihtes」 ([2011-04-20-1]) で触れた,副詞的属格 (adverbial_genitive) の用法である.中英語期の用例は,MED より nēdes (adv.) を参照.
だが,古英語には副詞的与格 (adverbial dative) の用法による nīede, nēade も同義で用いられており,これは中英語から近代英語にかけても nede, need などの形で存続し,OED によれば現代でも廃語とはなっていない.中英語期の用例は,MED より nēde(e (adv.) を参照.
それでも歴史的には,need は明示的な語尾をもつ属格由来の needs に,事実上,置き換えられることになった.needs について,14--15世紀には behoveth とも共起したが,14世紀以降には現代のように must (< ME motan) とのみ共起する傾向が強まった.それでも,AV. Gen. 19. 9 の This one fellow came in to soiourne, and he will needs bee a Iudge. (この人は来り宿れる身なるに,つねに士師とならんとす.)のように will との共起などもある.このような用法では,「頑固さ」が含意されると言われる.
現代英語では needs は共起制限の厳しい目立たない副詞と捉えられているが,実は,古英語期に発し,競合の時代をくぐり抜けてきた立派な古参である.
現代英語で「?のもの」を意味する所有代名詞は,1人称単数の mine を除き,いずれも -s が付き,yours, his, hers, ours, theirs のようになる (it に対応する所有代名詞が事実上ない件については,「#197. its に独立用法があった!」 ([2009-11-10-1]) を参照).端的にいえば,名詞の所有格および「?のもの」を意味する -'s を,代名詞にも応用したものと考えることができるが,一般化したのはそれほど古くなく,15世紀のことである.では,それ以前には,所有代名詞に相当する表現は何だったのだろうか.
古英語と中英語では,人称代名詞の所有格がそのまま所有代名詞としても用いられており,この状況は17世紀まで見られた.現代風にいえば,所有格の your, her, our, their などがそのまま所有代名詞としても用いられていたということだ.しかし,中英語では,所有代名詞として別の刷新形も現われ,並行して用いられるようになった.北部方言では,現代の hers, ours, yours, ours につらなる -s の付いた形態が,a1325 の Cursor Mundi に軒並み初出する.
一方,南・中部では -s ならぬ -n の付いた hern (hers, theirs) が早くから ?a1200 の Ancrene Riwle で現われ,後期中英語には hisn, yourn, ourn, theirn も現われた.この -n を伴う形態は,my/mine や thi/thine に見られるような交替からの類推と考えられる(1・2人称単数については,古英語より mīn, þīn に所有代名詞としての用法がすでに存在した).これらの -n 形は現代では方言に限定されるなどして,一般的ではない.
歴史的には,初期中英語の北部方言に現われた -s をもつ刷新形の所有代名詞が,15世紀に分布を広げて一般化し,標準形として現代英語に伝わったことになる.
現代英語には,標題のように数詞と単位が結ばれて複合形容詞となる表現がある.「#1766. a three-hour(s)-and-a-half flight」 ([2014-02-26-1]) でみたように,典型的には単位に相当する名詞は複数形をとらない.例外もあるが,普通には *a six-feet man や *a ten-miles drive とならない.なぜ複数形にならないのだろうか.
実は,この形は歴史的には複数属格の名残である.したがって,元来,当然ながら複数形だった.ところが,後に音韻形態変化が生じ,結果的に単数と同じ形に落ち着いてしまったというのが,事の次第である.
古英語では,このような表現において単位を表わす名詞は複数属格に屈折し,それが主要部を構成する名詞を修飾していた.fōt と mīl の場合には,このままの単数主格の形態ではなく,複数属格の形態に屈折させて fōta, mīla とした.ところが,中英語にかけて複数属格を表わす語尾 -a は /ə/ へと水平化し,さらに後には完全に消失した.結果として,形態としては何も痕跡を残すことなく立ち消えたのだが,複数属格の機能を帯びた語法そのものは型として受け継がれ,現在に至っている.現代英語で予想される複数形 *six-feet や *ten-miles になっておらず,一見すると不規則な文法にみえるが,これは古英語の文法項目の生き霊なのである.
古英語の名詞の格屈折の形態が,このように生き霊となって現代英語に残っている例は,著しく少ない.例えば,「#380. often の <t> ではなく <n> こそがおもしろい」 ([2010-05-12-1]) で触れた whilom, seldom, often の語末の「母音+鼻音」の韻に,かつての複数与格語尾 -um の変形したものを見ることができる.また,alive などには,古英語の前置詞句 on līfe に規則的にみられた単数与格語尾の -e が,少なくとも綴字上に生き残っている.ほかには,Lady Chapel や ladybird の第1要素 lady は無語尾のようにみえるが,かつては単数属格語尾 -e が付されていた.それが後に水平化・消失したために,形態的には痕跡を残していないだけである.
以上,Algeo and Pyles (105) を参考にして執筆した.
・ Algeo, John, and Thomas Pyles. The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Thomson Wadsworth, 2005.
標題は「姓+名」の語順を当然視している日本語母語話者にとって,しごく素朴な疑問である.日本語では「鈴木一郎」,英語では John Smith となるのはなぜだろうか.
端的にいえば,両言語における修飾語句と被修飾語句の語順配列の差異が,その理由である.最も単純な「形容詞+名詞」という語順に関しては日英語で共通しているが,修飾する部分が句や節など長いものになると,日本語では「修飾語句+被修飾語句」となるのに対して,英語では前置詞句や関係詞句の例を思い浮かべればわかるように「被修飾語句+修飾語句」の語順となる.「鈴木家の一郎」は日本語では「鈴木(の)一郎」と約められるが,「スミス家のジョン」を英語で約めようとすると John (of) Smith となる.だが,「の」であれば,*Smith's John のように所有格(古くは属格)を用いれば,日本語風に「修飾語句+被修飾語句」とする手段もあったのではないかという疑問が生じる.なぜ,この手段は避けられたのだろうか.
昨日の記事「#2365. ノルマン征服後の英語人名の姓の採用」 ([2015-10-18-1]) でみたように,姓 (surname) を採用するようになった理由の1つは,名 (first name) のみでは人物を特定できない可能性が高まったからである.政府当局としては税金管理のうえでも人民統治のためにも人物の特定は重要だし,ローカルなレベルでもどこの John なのかを区別する必要はあったろう.そこで,メトニミーの原理で地名や職業名などを適当な識別詞として用いて,「○○のジョン」などと呼ぶようになった.この際の英語での語順は,特に地名などを用いる場合には,X's John ではなく John of X が普通だった.通常 England's king とは言わず the king of England と言う通りである.原型たる「鈴木の一郎」から助詞「の」が省略されて「鈴木一郎」となったと想定されるのと同様に,原型たる John of Smith から前置詞 of が省略されて John Smith となったと考えることができる.(関連して,屈折属格と迂言属格の通時的分布については,「#1214. 属格名詞の位置の固定化の歴史」 ([2012-08-23-1]),「#1215. 属格名詞の衰退と of 迂言形の発達」 ([2012-08-24-1]) を参照.)
原型にあったと想定される前置詞が脱落したという説を支持する根拠としては,of ではないとしても,Uppiby (up in the village), Atwell, Bysouth, atten Oak などの前置詞込みの姓が早い時期から観察されることが挙げられる.「#2364. ノルマン征服後の英語人名のフランス語かぶれ」 ([2015-10-17-1]) に照らしても,イングランドにおけるフランス語の姓 de Lacy などの例はきわめて普通であった.このパターンによる姓が納税者たる土地所有階級の人名に多かったことは多言を要しないだろう.しかし,後の時代に,これらの前置詞はおよそ消失していくことになる.
英語の外を見渡すと,フランス語の de や,対応するドイツ語 von, オランダ語 van などは,しばしば人名に残っている.問題の「つなぎ」の前置詞の振る舞いは,言語ごとに異なるようだ.
標題は過去と対比して「最近,近頃」を表す日常的な語だが,形態と意味を有意義に理解するためには,その成り立ちを知る必要がある.一見するところ now + a + days という語形成にみえるが,なぜこれが「最近,近頃」を意味するのだろうか.
起源を尋ねると,now は予想通り副詞の now で間違いないが,a は不定冠詞ではなく前置詞 on の弱形に,days は複数形ではなく単数属格形に由来する (cf. 「#81. once や twice の -ce とは何か」 ([2009-07-18-1])) .単数属格形に由来する days は,古英語からみられる古い表現であり,現在でも nights (夜中に)と対比して用いられるように,単独で副詞的に「日中に」 (in the daytime) の意で用いられてきた.単独で副詞的に用いられるのであれば前置詞 on (> a) の支えは必要ないはずだが,「#723. be nihtes」 ([2011-04-20-1]) でみたように,総合的な語法と分析的な語法が混合した "on days" に相当する表現も生じた.これら全体が合わさった "now on days" に相当する表現がイディオムとして頻繁に用いられるようになると,発音や綴字の上で nowadays が複合的に1語として認識されるようになったものと思われる.OED によると,†now on days や nowadays, また †adays,さらに単数属格語尾を伴わない nowaday などの関連する諸形態が14世紀末にこぞって初出している.MED より nou-a-daies (adv.) (Also nou-daies) と nou-a-day (adv.) も参照.
したがって,nowadays の -s は起源的には単数属格語尾ということになるが,現在の母語話者の直感では複数語尾とみなされているのではないだろうか.類義表現 these days からの影響なども考慮すると,その解釈が妥当のように思われる.これに関して OED は次のように述べている.
Adverbial use and adverbial phrases.
For adverbial use of an original genitive singular form, which was later probably apprehended as a plural, see DAYS adv. In prepositional phrases of the noun which occur in adverbial use, it is not always clear to what extent variants with final -s simply show the plural of the noun and how far they reflect the influence of DAYS adv. (especially in early use); compare by days at Phrases 1b(b), on days at Phrases 1d(b), ADAYS adv., NOWADAYS adv.
Beside the regular dative, an endingless dative form also occurs in Old English, especially in adverbial use; compare e.g. forms of TODAY adv.
では,単数属格形に由来する nowadays が,なぜ "these days" の意味をもつようになったのだろうか.語源に従えば本来の意味は "now in the daytime" ほどであり,adays の部分は now (今,現在)を限定して強める働きをしていた.つまり,時間の一地点としての「まさに今」を表す表現だった.ところが,「まさに今」の厳密性が使われ続けるなかで「強意逓減の法則」の餌食となり,「今を含む前後の範囲;最近,近頃」という緩い意味を発展させたものと考えられる (cf. 「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1]) や「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1])).現在の共時的な感覚としては nowadays における days の部分は these days と同列に複数として認識されているのだろうが,両表現の通時的な発展は形態的にも意味的にも異なることに注意したい.
英語史には,ある変化A→Bが起きた後B→Aという変化によってまた元に戻る現象が見られることがあり,故中尾俊夫先生はしばしばそうした現象をマザーグースの一節になぞらえて「ヨークの殿様」 (Duke of York) と呼ばれた.ヨークの殿様は大勢の兵隊を一度山の上に上げて,それから下ろす.結果を見れば事情は何も変わっていない.しかし,一見無意味に見えるその行動にも何か理由があったはずで,「英語史にそのような変化が見られるときにはその背後にどんな意味があるのか考えなさい.大きな真実が隠れていることがある.」というのが中尾先生の教えであった.
定冠詞を伴う二重属格構造に関する論文の出だしで,宮前 (179) が以上のように述べている.英語史のなかの "Duke of York" の典型例は,「#486. 迂言的 do の発達」 ([2010-08-26-1]) や「#491. Stuart 朝に衰退した肯定平叙文における迂言的 do」 ([2010-08-31-1]) でみた肯定平叙文での do 迂言法の発達と衰退である.16世紀に一度は発達しかけたが17世紀には衰退し,結局,定着するに至らなかった.ほかには,「#819. his 属格」 ([2011-07-25-1]) や「#1479. his 属格の衰退」 ([2013-05-15-1]) の例も挙げられる.
宮前が扱っている二重属格とは a knight of his や this hat of mine のような構造である.現代英語では *a his knight や *this my hat のように冠詞・指示詞と所有格代名詞を隣接させることができず,迂言的な二重属格構造がその代用として機能する.この構造の起源と成立については諸説あるが,a his knight という原型からスタートし,後期中英語に属格代名詞 his が後置され of とともに現われるようになったという説が有力である(宮前,p. 183).通常,古英語から中英語にかけての属格構造の発達では,属格代名詞が後置されるか of 迂言形に置換されるかのいずれかだったが,二重属格の場合には,その両方が起こってしまったということだ.
二重属格の発達は,14世紀半ばに a man of þair (a man of theirs) のタイプから始まり,名詞の所有者を示す an officer Of the prefectes へも広がった.100年後には,指示詞を伴う this stede of myne のタイプと定冠詞を伴う the fellys of Thomas Bettsons のタイプが現われた.しかし,この4者のうち最後の定冠詞を伴うもののみが衰退し,17世紀中に消えていった.
宮前は,この最後のタイプに関する "Duke of York" の現象を,Dという機能範疇の創発と確立によって一時的に可能となったものの,最終的には「意味的に定冠詞 the をもつ必然性がない」 (192) ために不可能となったものとして分析する.Dという機能範疇の創発と確立は,「#1406. 束となって急速に生じる文法変化」 ([2013-03-03-1]) で触れたように,属格とその代替構造の発達全体に有機的に関わる現象と考えられ,二重属格の発達もその大きな枠組みのなかで捉えるべきだという主張にもつながるだろう(cf. 「#1417. 群属格の発達」 ([2013-03-14-1])). *
一方,定冠詞タイプの衰退について,宮前は意味的な必然性と説明しているが,これは構文の余剰性と言い換えてもよいかもしれない.your car と端的に表現できるところをわざわざ迂言的に the car of yours と表現する必要はない,という理屈だ(宮前,p. 193).
"Duke of York" の背後にある大きな真実を探るというのは,確かに英語史の大きな魅力の1つである.
・ 宮前 和代 「英語史のなかの "Duke of York"」『生成言語研究の現在』(池内正幸・郷路拓也(編著)) ひつじ書房,2013年.179--96頁.
昨日の記事では「#1947. Swift の clipping 批判」([2014-08-26-1]) について見たが,Swift の同時代人である Joseph Addison (1672--1719) も,皮肉交じりにほぼ同じ言語論を繰り広げている.
Joseph Addison launched an attack on monosyllables in the Spectator (135, 4 August 1711):
The English Language . . . abound[s] in monosyllables, which gives an Opportunity of delivering our Thoughts in few Sounds. This indeed takes off from the Elegance of our Tongue, but at the same time expresses our Ideas in the readiest manner.
He observes that some past-tense forms --- e.g. drown'd, walk'd, arriv'd --- in which the -ed had formerly been pronounced as a separate syllable (as we still do in the adjectives blessed and aged) had become monosyllables. A similar situation is found in the case of drowns, walks, arrives, 'which in the Pronunciation of our Forefathers were drowneth, walketh, arriveth'. He objects to the genitive 's, which he incorrectly assumes to be a reduction of his and her, and for which he in any case gives no examples. He asserts that the contractions mayn't, can't, sha'n't, wo'n't have 'much untuned our Language, and clogged it with Consonants'. He dismisses abbreviations such as mob., rep., pos., incog. as ridiculous, and complains about the use of short nicknames such as Nick and Jack.
動詞の -ed 語尾に加えて -es 語尾の非音節化,所有格の 's,否定接辞 n't もやり玉に挙がっている.愛称 Nick や Jack にまで非難の矛先が及んでいるから,これはもはや正気の言語論といえるのかという問題になってくる.
Addison にとっては不幸なことに,ここで非難されている項目の多くは後に標準英語で確立されることになる.しかし,Addison にせよ Swift にせよ切株や単音節語化をどこまで本気で嫌っていたのかはわからない.むしろ,世にはびこる「英語の堕落」を防ぐべく,アカデミーを設立するための口実として,やり玉に挙げるのに単音節語化やその他の些細な項目を選んだということなのかもしれない.もしそうだとすると,言語上の問題ではあるものの,本質的な動機は政治的だったということになろう.規範主義的な言語論は,たいていあるところまでは理屈で押すが,あるところからその理屈は破綻する運命である.言語論は,論者当人が気づいているか否かは別として,より大きな目的のための手段として利用されることが多いように思われる (cf. 「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」 ([2010-08-08-1])) .
なお,所有格の 's が his の省略形であるという Addison の指摘については,英語史の立場からは興味深い.これに関して,「#819. his 属格」 ([2011-07-25-1]),「#1417. 群属格の発達」 ([2013-03-14-1]),「#1479. his 属格の衰退」 ([2013-05-15-1]) を参照されたい.
・ Knowles, Gerry. A Cultural History of the English Language. London: Arnold, 1997.
「#47. 所有格か目的格か:myself と himself」 ([2009-06-14-1]) で再帰代名詞 -self の諸形態の起源を探ったが,その記事で論じたのとは異なる説もいくつかある.少し調べたところ,やや古い文献で現在はどのように評価されているのかわからないが,ケルト語の対応表現が関与しているのではないかという説があった.ケルト語の英語への影響を論じている Preusler (187) からの一節を引用する.
Im Altenglischen und noch überwiegend bei Shakespeare und in den heutigen Mundarten dient das einfache Personalpronomen als Reflexiv. Daneben kommt schon altenglisch Versärkung mit self vor, doch erst seit der ersten Hälfte des 13. Jh.s das Possessiv mit self. --- Das Kymrische kennt seit alters beides, my hun ich selbst neben fy hun mein selbst. Die Neigung zum Possessiv ist hier so stark, daß es sich in allen Personen durchgesetzt hat. --- Die Pluralformen zeigen auch den Plural von hun: ein hunain wir selbst usw.; im Englischen treten die Pluralformen erst seit der Mitte des 16. Jh.s auf.
この説では,1, 2人称の myself, yourself などの属格形の由来は説明されるかもしれないが,himself などで与格形が優勢となった経緯は説明されない.また,最後の部分で述べられているように,英語の複数形において -(e)s をもつ yourselves や themselves が初出するのは16世紀にかけてだが,ここにケルト語の関与があったと仮定するのであれば,なぜこの時期まで影響が遅延したのだろうかという疑問が生じる.この疑問は,ケルト語影響説の取りざたされる多くの項目に共通して投げかけられている疑問である.
言語接触という言語外的な要因ではなく,言語内的に説明する代表的な説としては,mē selfum -> mī self -> myself の音韻形態弱化説が挙げられる.『英語語源辞典』の self の項の説明を引用しよう.
OE self は代名詞的形容詞として名詞や代名詞に添えてこれを強める,形容詞変化をする語であった.とくに与格(対格を吸収)の人称代名詞が再帰的に用いられるとき添えられて,him selfum のような結合を見せることが多かった.12Cになると self- の語尾は,おそらく副詞と感じられるようになった結果,次第に脱落の傾向を見せ,やがて HIMSELF のように一語になり,もと God self といったところも God himself というようになった.一方 mē selfum, þē selfum は発音が弱まって mī self, þī self となり,さらに self が名詞と感じられて mi self, þi self (MYSELF, THYSELF) が生じたと考えられる.複数形が -selves (cf. OE wē selfe we ourselves) となるのも,self を普通の名詞のように変化させるようになった結果である.
・ Preusler, Walther. "Keltischer Einfluß im Englischen." Indogermanische Forschungen 56 (1938): 178--91.
・ 寺澤 芳雄 (編集主幹) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.
「#1554. against の -st 語尾」 ([2013-07-29-1]) や「#1555. unbeknownst」 ([2013-07-30-1]) などの記事に引き続き,-st 添加の話題.
amidst は,古英語 on middan に由来する中英語 amid に副詞的属格語尾 -es を付加して amiddes を作り,そこにさらに -t を付加した語形成である.amid の初例は ?a1200 の Layamon であり,amiddes は14世紀前半に初出している.中英語からの例は,MED の amid(de, amiddes (adv. & prep.) を参照.
-t を添加した amidst 系列については,OED の例文つき初出は "1565 T. Stapleton tr. Bede Hist. Church Eng. 66 Warme with a softe fyre burning amidest therof." であるが,amidest の綴字は15世紀から現われているようだ.その apheresis (語頭音消失)の結果と考えられる myddest が,名詞としてではあるがやはり15世紀に文証されており,amidst と相互に影響し合っていた可能性がある.興味深いのは,OED "midst, n., prep., and adv. の語義 C1 によると,14世紀に m が挿入された綴字ではあるが,mydmeste という形態が文証されることである.
1. In the middle place. Obs.
Only in first, last, and midst and similar phrases recalling Milton's use (quot. 1667).
[c1384 Bible (Wycliffite, E.V.) (Douce 369(2)) (1850) Matt. Prol. 1 In the whiche gospel it is profitable to men desyrynge God, so to knowe the first, the mydmeste, other the last.]
1667 Milton Paradise Lost v. 165 On Earth joyn all yee Creatures to extoll Him first, him last, him midst, and without end.
first, last, and midst という句が示すとおり,最上級の -st との連想(そして Coda での押韻)が作用していることがわかる.
-st の語尾音添加 (paragoge) を受けた against, amidst, amongst, betwixt, whilst などのあいだには,意味的に「間」や最上級と連想されうる要素が共有されているようにも思われるし,機能語としての役割も共通している.初出の時期も,-(e)s 系列も含めて,およそ中英語から近代英語にかけての時期にパラパラと現われている.微弱ながらも,何らかの類推 (analogy) が作用していそうである.
なお,現代英語における amid と amidst の使い分けについて,小西 (70) より記そう.両者ともに文語的だが,専門データベースによると前者のほうが12倍以上の頻度を示す.しかし,amidst はイギリス英語で好まれるという特徴がある.また,OED によると,"There is a tendency to use amidst more distributively than amid, e.g. of things scattered about, or a thing moving, in the midst of others." とある通り,amidst は個別的な意味が強いというが,これが事実だとすれば -st の音韻的な重さと意味上の強調とのあいだに何らかの関係を疑うことができるかもしれない.
-st 語尾音添加については,ほかにも[2013-07-29-1]の記事の末尾につけたリンク先の諸記事を参照.
・ 小西 友七 編 『現代英語語法辞典』 三省堂,2006年.
語源的には against は again から派生した形態だが,いったいこの -st 語尾は何なのだろうか.
古英語で,again は ongēan などの形態で副詞,前置詞(与格あるいは対格を支配する),接頭辞として広く機能していた.平行して,副詞を示す属格語尾語尾を伴った ongēanes などの形態も行なわれていた([2009-07-18-1]の記事「#81. once や twice の -ce とは何か」を参照).中英語になると,前置詞としての again は,異形 agains および後続の against とともに競合し始め,近代英語の標準語確立の過程で副詞としての機能に限定されてゆくこととなった.近代英語で前置詞としての標準的な地位を確立したのは,最も後発の against だった.
さて,again の直後の -(e)s の添加は,上述の通り,副詞化する属格語尾とされているが,さらなる t の添加はどのように説明されるだろうか.OED の against, prep., conj., adv., and n. の語源欄によると次のようにある.
The development of excrescent final -t . . . was probably reinforced by the fact that the word was frequently followed by te, variant of THE adj., and perhaps also by association with superlatives in -st; compare similarly AMONGST prep. 1a, AMIDST adv., BETWIXT prep.
『英語語源辞典』の記述も,OED に沿っているが,補足説明がある.
-t はおそらく最上級の -st と混同されたための添え字 (cf. AMIDST, AMONGST, BETWIXT), または agains þe → agains te → against(e) þe (cf. hwīls þat → whilst þat) となる異分析によるものか.この -st に終わる語形の最初の例は Layamon Brut の Otho 写本 (c1300) に aȝenest として見いだされる(Caligula 写本 (?a1200) では toȝines). Trevisa や1400年以降 London の英語では広く使用され,16C半には文語として確立した.again, against とも ModE -g- の綴りと発音は ON の影響を受けた北部方言による.
Brut からの初例は,MED ayēn(e)s (prep.) 1(b) より,"c1300 Lay. Brut (Otho C.13) 22476: He dude ase a wisman and wende a3enest [Clg: to3eines] him anon." である.
上記より,against の -st 添加については,(1) 最上級語尾 -st との類推,(2) 直後の定冠詞の語頭子音に関わる異分析,という説明が提案されてきたということである.同じ語尾添加の例として amidst, amongst, betwixt, whilst などがあるが,これらの初出時期,互いの機能的類似性,-st の有無による意味の相違,語末3子音連続の音韻論的意義などを考察して,総合的に迫るべき問題だろう.関連して,古英語 ongēan の類義語 tōgēan(es) に基づいて,-t の添加された形態が15世紀に toȝenes として初出していることも付け加えておく.
ほかに against における語尾音添加 (paragoge) については,「#739. glide, prosthesis, epenthesis, paragoge」 ([2011-05-06-1]) を参照.また,whilst については「#508. Dracula に現れる whilst」 ([2010-09-17-1]),「#509. Dracula に現れる whilst (2)」 ([2010-09-18-1]),「#510. アメリカ英語における whilst の消失」 ([2010-09-19-1]) を,betwixt については「#1389. between の語源」 ([2013-02-14-1]),「#1393. between の歴史的異形態の豊富さ」([2013-02-18-1]),「#1394. between の異形態の分布の通時的変化」 ([2013-02-19-1]),「#1399. 初期中英語における between の異形態の分布」 ([2013-02-24-1]) を参照.
・ 寺澤 芳雄 (編集主幹) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.
his 属格については「#819. his 属格」 ([2011-07-25-1]) で取り上げ,その英語史上の重要性を「#1417. 群属格の発達」 ([2013-03-14-1]) で論じた.
後者では,Janda と Allen の見解の違いに言及した.Janda は名詞句の前接語 (enclitic) としての -'s の発達を媒介した構造として,his 属格をおおいに評価したのに対して,Allen は歴史的な -es 属格の統語的な異分析 (metanalysis) により十分に説明されるとして,his 属格の関与を評価しない.両者の議論には一長一短あるが,his 属格が用いられるようになったある段階で異分析が生じたということは間違いない.
his 属格の出現と発達についてはさらに議論が必要だろうが,his 属格の衰退についてはあまり注目されない.his 属格は,古英語や中英語に萌芽が見られ,15世紀以降に盛んになり,17世紀まで存続したが,18世紀中頃までには廃れた.廃用となった背景には何があったのだろうか.
Janda (247--48) は,次のように論じている.
Though 'very rare in the North and infrequent in the rest of the country, [it] gains ground considerably in the 15th century and remains a popular means of expression right down to the 17th' (M:161). 'The use of his . . . as a sign of the genitive . . . had its widest currency in the sixteenth and seventeenth centuries' (P:196). Use of the construction declined gradually thereafter, so that it was virtually lost by the mid-eighteenth century. It has been conjectured that '[t]he pronoun form dropped out partly perhaps because of the antipathy of most stylists from the sixteenth century on to "pleonastic" or repetitive pronouns' (T:125)--and, in general, to any analyticity (periphrasis) in English where it diverged from Latin syntheticity. (247--48)
つまり,16世紀以降の文体論者が (1) his 属格のもつ冗長さを嫌い,(2) ラテン語のもつ総合性と対置される英語の分析性を嫌ったためではないかという.また,Janda は別の箇所 (250) で,-'s という表記上の慣例が確立すると,機能的にも,(h と母音の弱化による音節性の消失を通じて)音韻的にも等価な his 属格を分析的に解釈する契機が少なくなったのではないかという趣旨のことを述べている.文体的および音韻的な条件の組み合わせにより,his 属格よりも -'s のほうが圧倒的に好まれるようになったということだが,この仮説を受け入れるためには,いずれの条件についても詳細な検証が必要だろう.
・ Janda, Richard. "On the Decline of Declensional Systems: The Overall Loss of OE Nominal Case Inflections and the ME Reanalysis of -es as his." Papers from the Fourth International Conference on Historical Linguistics. Ed. Elizabeth C. Traugott, Rebecca Labrum, and Susan Shepherd. Amsterdam: John Benjamins, 1980. 243--52.
・ Allen, Cynthia L. "The Origins of the 'Group Genitive' in English." Transactions of the Philological Society 95 (1997): 111--31.
古英語の人称代名詞体系において,中性単数属格形は男性単数属格形と同じ his であり,これが中英語でも継承されたが,16世紀末にits が現われ,17世紀中に his を置換していった.この歴史について,「#198. its の起源」 ([2009-11-11-1]) で概説した.
Baugh and Cable (243--44) によれば,後期中英語から初期近代英語にかけて,中性単数属格形の his の代用品として,its 以外にも様々なものが提案されてきた.聖書にみられる two cubits and a half was the length of it や nine cubits was the length thereof のような迂言的表現 (「#1276. hereby, hereof, thereto, therewith, etc.」の記事[2012-10-24-1]を参照),Shakespeare にみられる It lifted up it head (Hamlet) や The hedge-sparrow fed the cuckoo so long, / That it had it head bit off by it young (Lear) のような主格と同じ it をそのまま用いる方法,Holland の Pliny (1601) にみられる growing of the own accord のような定冠詞 the で代用する方法などである.
しかし,名詞の属格として定着していた 's の強力な吸引力は,人称代名詞ですら避けがたかったのだろう.おそらく口語から始まった its あるいは it's (apostrophe s のついたものは1800年頃まで行なわれる)の使用は,16世紀末に初例が現われてから数十年間は,正用とはみなされていなかったようだが,17世紀の終わりにかけて急速に受け入れられていった.例えば,17世紀前半では,欽定訳聖書 (The King James Bible) での使用は皆無であり,Shakespeare の First Folio (1623) では10例を数えるにすぎなかったし,John Milton (1608--74) でもいささか躊躇があったようだ.しかし,John Dryden (1631--1700) ではすでに his が古風と感じられていた.
Görlach (86) も,17世紀に入ってからの its の急速な受容について,次のように述べている.
The possessive its . . . is the only EModE innovation; his, common for neuter reference until after 1600 . . ., did not reflect the distinction 'human':'nonhuman' found elsewhere in the pronominal system. This is likely to be the reason for the possessive form it . . ., which is found from the fourteenth century, and the less equivocal forms of it or thereof, which are common in the sixteenth and seventeenth centuries . . . . But its . . . obviously fitted the system ideally, as can be deduced from its rapid spread in the first half of the seventeenth century.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.
・ Görlach, Manfred. Introduction to Early Modern English. Cambridge: CUP, 1991.
近代英語以降の apostrophe s は,名詞につく屈折接尾辞とみなすよりは,名詞句につく前接語 (enclitic) とみなすほうが正確である.というのは,the king of England's daughter のような群属格 (group genitive) としての用法が広く認められるからである.apostrophe s は,語に接続する純粋に形態的な単位というよりは,語群に接続する統語的な単位,すなわち接語 (clitic) とみなす必要がある.
しかし,apostrophe s の起源と考えられる -es 語尾は,中英語以前には,確かに名詞につく屈折語尾だった.それが名詞句へ前接し,群属格を作る用法を得たのはなぜか.その契機は何だったのか.英語史でも盛んに議論されてきた問題である.
一つの見方 (Janda) によれば,群属格への発展の途中段階で「#819. his 属格」 ([2011-07-25-1]) が媒介として作用したのではないかという.この説を単純化して示せば,(1) 属格語尾 -es と人称代名詞の男性単数属格 his とが無強勢で同音となる事実と,(2) 直前の名詞句を受ける代名詞としての his 属格の特性との2点が相俟って,次のような比例式が可能となったのではないかという.
king his doughter : king of England his doughter = kinges doughter : X
X = king of Englandes doughter
しかし,Allen はこの説に同意しない.PPCME2 やその他の中英語テキストを走査し,関与するあらゆる例を検討した結果,his 属格が媒介となって群属格が生じたとする見解には,証拠上,数々の無理があるとする.Allen は,とりわけ,"attached genitive" (歴史的な -es 属格)と "separated genitive" (his 属格)との間に,統語環境に応じての分布上の差がないことを根拠に,中英語の his 属格は "just an orthographical variant of the inflection" (118) であると結論する.
では,群属格の発達が his 属格を媒介としたものではなかったとすると,他にどのような契機がありえたのだろうか.Allen はその答えとして,"the gradual extension of the ending -es to all classes of nouns, making what used to be an inflection indistinguishable from a clitic" (120) を提案している.14世紀末までに属格語尾が一律に -(e)s を取り得るようになり,これがもはや屈折語尾としてではなく無変化の前接語と捉えられるに至ったのではないかという.また,最初期の群属格の例は,The grete god of Loves name (Chaucer, HF 1489) や þe kyng of Frances men (Trevisa's Polychronicon, VIII, 349.380) に見られるような,出自を示す of 句を伴った定型句であり,複合名詞とすら解釈できるような表現である.これが一塊と解され,その直後に所有を示す -(e)s がつくというのはまったく不思議ではない.
さらに Allen は,16世紀後半から現われる his 属格と平行的な her 属格や their 属格については,すでに-(e)s による群属格が確立した後の異分析 (metanalysis) の結果であり,周辺的な表現にすぎないと見ている.この異分析を,"spelling pronunciation" ならぬ "spelling syntax" (124) と言及しているのが興味深い.
Allen の結論部を引用しよう (124) .
A closer examination of the relationship between case-marking syncretism and the rise of the 'group genitive' than has previously been carried out provides evidence that the increase in syncretism led to the reanalysis of -es as a clitic. There is evidence that this change of status from inflection to clitic was not accomplished all at once; inflectional genitives coexisted with the clitic genitive in late ME and the clitic seems to have attached to conjoined nouns and appositives before it attached to NPs which did not end in a possessor noun. The evidence strongly suggests that the separated genitive of ME did not serve as the model for the introduction of the group genitive, and I have suggested that the separated genitive was an orthographic variant of the inflectional genitive, but that after the group genitive was firmly established there were attempts to treat it as a genitive pronoun.
Allen は Appendix I にて,Mustanoja (160) 等がhis 属格として挙げている古英語や中英語からの例([2011-07-25-1]で挙げた例)の多くが疑わしい例であると論じている.
なお,群属格については,Baugh and Cable (241) にも簡単な言及がある.
・ Janda , Richard. "On the Decline of Declensional Systems: The Overall Loss of OE Nominal Case Inflections and the ME Reanalysis of -es as his." Papers from the Fourth International Conference on Historical Linguistics. Ed. Elizabeth C. Traugott, Rebecca Labrum, and Susan Shepherd. Amsterdam: John Benjamins, 243--52.
・ Allen, Cynthia L. "The Origins of the 'Group Genitive' in English." Transactions of the Philological Society 95 (1997): 111--31.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.
言語変化あるいは文法変化の速度については speed_of_change の各記事で取り上げてきたが,ほとんどが言語変化の遅速に関わる社会的な要因を指摘するにとどまり,理論的には迫ってこなかった.「#621. 文法変化の進行の円滑さと速度」 ([2011-01-08-1]) で,言語を構成する部門別の変化速度について,少し論じたぐらいである.
生成文法では,子供の言語習得に関わるメカニズムと Primary Linguistic Data (PLD) とよばれる入力の観点から,共時的に文法変化が論じられてきた.この議論の第一人者は Lightfoot である.Lightfoot は2006年の論文で長年にわたる持論を要約している.
Changes often take place in clusters: apparently unrelated superficial changes occur simultaneously or in rapid sequence. Such clusters manifest a single theoretical choice which has been taken differently. If so, the singularity of the change can be explained by the appropriately defined theoretical choice. So the principles of UG and the definition of the cues constitute the laws which guide change in grammars, defining the available terrain. Any change is explained if we show, first, that the linguistic environment has changed and, second, that the new phenomenon . . . must be the way that it is because of some principle of the theory and the new PLD. (42)
引用の第1文に,言語変化においては,関連する変化が束となって同時にあるいは急速に生じる,とある.別の引用も示そう.
[I]f grammars are abstract, then they change only occasionally and sometimes with dramatic consequences for a wide range of constructions and expressions; grammar change tends to be "bumpy," manifested by clusters of phenomena changing at the same time . . . . (27)
この論文のなかで,Lightfoot は,can, may, must などの法助動詞化 (auxiliary_verb) が,関与する多くの語において短期間に生じ,16世紀初期までに完了したこと,do-periphrasis ([2010-08-26-1]) が18世紀に生じたこと,この2つの一見すると関連しない英語史における文法変化が,V-to-I operation という過程の消失によって関連づけられることを論じる.また,英語史における主要な問題である格の衰退と語順の発達の関係について,split genitive, group genitive, of による迂言的属格,-'s の盛衰を例にとり,格理論を用いることで一連の文法変化が関連づけて説明できると主張する.
「束となって」「急速に」というのが,Lightfoot の言語変化論において最も重要な主張の1つである.この点でおそらく間接的に結びついてくるのが,語彙拡散 (lexical_diffusion) だろうと考えている.語彙拡散においては,関連する項目が「束となって」少なくとも拡散の中間段階においては「急速に」進行するといわれている.Lightfoot の言語変化理論と語彙拡散は,世界観がまるで異なるし,扱う対象も違うのは確かだが,"clusters" と "bumpy" という共通のキーワードは言語変化の生じ方の特徴を言い表わしているように思えてならない.
・ Lightfoot, David W. "Cuing a New Grammar." Chapter 2 of The Handbook of the History of English. Ed. Ans van Kemenade and Bettelou Los. Malden, MA: Blackwell, 2006. 24--44.
for the nonce (さしあたって,当座は;当分)という句がある.The team is called "the Lions," at least for the nonce. のように使われる.この表現には,定冠詞 the のかつての屈折形の名残がみられ,語源的に興味深い.
現在の形態に直接につながる初例は,1200年くらいの作とされる Ormulum において forr þe naness として現われる.第3語の語頭の n は,直前の定冠詞の初期中英語での単数与格屈折形 þen の語末の n が異分析 (metanalysis) されたものであり,語幹の一部と再解釈されて現在に至っている.かつての単数与格屈折語尾が意外なところで化石的に生き残っている例である.
この句は,形態的にも意味的にも現代英語でいう *for the once に対応するかのように見えるが,歴史的には第3語を once あるいは one's ([2009-07-18-1]の記事「#81. once や twice の -ce とは何か」を参照)に相当する初期中英語の属格に基づく表現に直接由来すると解するには難点がある.OED によれば,属格形は確かに間接的には関与するだろうが,この句は,むしろ古英語に見られる to þam anum や その初期中英語版 to þan ane などと比較されるべき,one の与格を含む表現として始まったのではないかという.後に定着した属格形は,与格形が置換されたものと考えられる.置換の理由としては,「一度」を意味するのに属格に由来する anes, ones と並んで,与格に由来する ane, ene も用いられたことから,両者の交替が自然だったのではないか.
中英語では,異分析が生じる前の形態と生じた後の形態が共存しており,MED には ōnes (adv.) の語義5と nōnes (n.(1)) の語義1の両方に,この句が登録されている.後者によれば,現在に伝わる「臨時に」と「当座は」の語義のほかに,強意語として "indeed" ほどの語義や,韻律的な埋め草としての意味の希薄な用法があると記載されている.強意あるいは埋め草としての例を,Bliss 版 Sir Orfeo (Auchinleck MS, ll. 51--56) から引こう.
Þe king hadde a quen of priis Þat was y-cleped Dame Heurodis, Þe fairest leuedi, for þe nones, Þat miȝt gon on bodi & bones, Ful of loue & of godenisse; Ac no man may telle hir fairnise.
句として以外にも,nonce には「臨時の」という形容詞としての用法がある.名詞とともに一種の複合語を形成して,言語学の術語として nonce-word (臨時語),nonce-form (臨時形)などと使う.この用法の初例は,OED の編纂者 James Murray が1884年に OED 初版の説明書きに用いたときである.
1884 N.E.D. Fasc. 1, p. x, Words apparently employed only for the nonce, are, when inserted in the Dictionary, marked nonce-wd.
OED にこの旨が詳しく記載されているのだから,OED による自作自演の用法といってよいだろう.
・ Bliss, A. J., ed. Sir Orfeo. 2nd ed. Oxford: Clarendon, 1966.
昨日の記事「#1214. 属格名詞の位置の固定化の歴史」 ([2012-08-23-1]) で,中英語における被修飾名詞に対する属格名詞の位置の固定可について見たが,前置であれ後置であれ,属格名詞そのものが同時期に衰退していったという事実を忘れてはならない.属格名詞を用いた A's B の代わりに B of A というof による迂言形が発達し,前者を脅かした.この交替劇は,大局から見れば,総合から分析へ (synthesis_to_analysis) という英語史の潮流に乗った言語変化である.
Fries (206) に与えられている表は,古英語から中英語にかけて3種類の属格(前置属格,of 迂言形,後置属格)がそれぞれどの程度の割合で用いられれたかを示す統計値である.これをグラフ化してみた.
Post-positive genitive | 'Periphrastic' genitive | Pre-positive genitive | |
---|---|---|---|
c. 900 | 47.5% | 0.5% | 52.0% |
c. 1000 | 30.5% | 1.0% | 68.5% |
c. 1100 | 22.2% | 1.2% | 76.6% |
c. 1200 | 11.8% | 6.3% | 81.9% |
c. 1250 | 0.6% | 31.4% | 68.9% |
c. 1300 | 0.0% | 84.5% | 15.6% |
「#132. 古英語から中英語への語順の発達過程」 ([2009-09-06-1]) と昨日の記事「#1213. 間接目的語の位置の固定化の歴史」 ([2012-08-22-1]) に引き続き,Fries の研究の紹介.今回は,属格名詞が被修飾名詞に対して前置されるか後置されるかという問題について.
c900--c1250年の発展について,次のような結果が得られた (Fries 205) .
c. 900 | c. 1000 | c. 1100 | c. 1200 | c. 1250 | |
---|---|---|---|---|---|
Genitive before its noun | 52.4% | 69.1% | 77.4% | 87.4% | 99.1% |
Genitive after its noun | 47.6% | 30.9% | 22.6% | 12.6% | 0.9% |
屈折語尾によらず,人称代名詞の属格形を並置して所有を示す his-genitive という独特な用法が,古い英語で知られている.用例は古英語から見られる.Mustanoja (159) が挙げている次の古英語からの例では,Enac his cynren は "Enac's posterity" の意を表わす.
we gesawon Enac his cynren (Ælfric Num. xiii 29)
このような用法の動機づけは理解できる.固有名詞は一般名詞と異なり明確な屈折語尾を取らないのが普通であり,属格を明示したい場合には,人称代名詞の属格を用いるのが便利だからだろう.属格以外にも,格を明示したい場合に,対応する人称代名詞の格形を並置するという例は古英語にいくらでもあった( he Ninus, hym Olofernus など).
中英語でも,his 属格の用例はいくつも見つけられる.Mustanoja (159) に挙げられている数例を示そう.
- þe cnapenchild hiss shapp (Orm. 4220)
- Hengest his sone (Lawman B 16772); þat wes Hengest sune (A)
- Loth his eldeste sone (Lawman B 23248)
- ine Winchestre his toun (Lawman B 19630); Winchastre tun (A)
- Felyce hir fayrnesse (PPl. B xii 47)
- sche hadde be kyng Alexandre his lemman (Trev. Higd. I 155)
- þe whiche kyng his prayers to God þat day were moche worthy (Trev. Higd. VI 349)
- Gwenayfer his love (Lawman B 22247)
- at þare ditch his grunde (Lawman B 1589)
最後の2例は,his に先立つ名詞がそれぞれ女性,無性を指示する点で特異である.例からもわかるように,Lawman B と Trevisa による Higden の Polychronicon のテキスト(両方とも南西方言)では用例が多いが,それ以外では15世紀までこの構造は稀である.15世紀以降になると,この構造は頻度を高め,17世紀まで存続する.なお,女性を指示する名詞に後置される her 属格は少ないながらも例証されるが,複数形に対応する属格の例 *her や *their はない.
中英語の his 属格の起源には諸説ある.
(1) 古英語の所有の与格 (possessive dative) の特殊構文に基づく類推.例えば,her Romane Leone þæm papan his tungan forcurfon (OE Chron. an. 797) では,所有の与格 þæm papan がかかってゆく tungan が his による修飾をも受けている.
(2) his はその弱形 is が属格語尾 -es, -is と同形となるので,属格語尾が語幹から切り離されたものと解釈できるのではないか.
(3) 古英語にも上掲の Enac his cynren のように対応する構文があったことから,分析的な表現を用いる傾向が中英語以降に継続・発展したものと考えられるのではないか.
(4) フランス語の対応する表現 (ex. pour escaper de Deu sen ire [Gilles de Muisis i 20]) の影響.しかし,フランス語でも用例は多くない.
Mustanoja (161--162) は,(4) は排除しながら,(1), (2), (3) の組み合わせ説を支持している.
英語史の全体的な傾向,総合から分析 (synthesis to analysis) への潮流を考えれば,his 属格の発生と発展はまったく驚くべきことではないだろう.むしろ,なぜ近代英語期に廃れていったのか,そちらの問題のほうが興味深い.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
昨日の記事[2009-11-10-1]で,人称代名詞 its の用法について触れた.そこに挙げた Shakespeare (First Folio ed.) からの引用では,its ではなく it's という綴字が用いられていることに気づいただろうか.First Folio 版を全体としてみると,apostrophe ありの it's が9例,なしの its が1例,確認される.当時は it's のほうが頻度が高かったことになる.
apostrophe の有無は別として,そもそも its が所有代名詞として使われるようになったこと自体が,比較的あたらしい.its の初例は16世紀末であり,それ以前の古英語・中英語の時期は,his が用いられていた.この his は,[2009-09-29-1],[2009-10-25-1]でみたように,由緒正しい三人称単数中性の形態であり,三人称単数男性 his の転用というわけではない.同様に,歴史的には him は三人称単数男性の与格形であるとともに三人称単数中性の与格形でもあった.
だが,中英語期に,文法性 ( grammatical gender ) が廃れて自然性 ( natural gender ) が名詞・代名詞のカテゴリーとして確立してくると,男性(人)と中性(非人)のものとで同じ代名詞の形態が共有されていることに違和感が生じてくる.実際に,Chaucer の代名詞体系 [2009-10-25-1] では,古英語で中性与格形だった him は姿を消している.そして,近代英語期にずれこみはしたが,違和感解消の圧力は,中性属格形だった his にも及んだ.中性の his を置き換えたのは,it という主格形に名詞の所有格語尾として定着していた -s を付けようという単純な発想に基づいて作られた its だった.
中性としての him や his の消失・置換のほかにも,人と非人の区別を明確にしようという圧力は,先行詞に応じて関係代名詞 who と which を使い分けるようになった過程にもみられる.これも,近代英語期に生じた過程である.
以上の背景で its は16世紀末に現れ,17世紀中にはほぼ確立した.しかし,初期の綴字である it's も19世紀初まで散発的にみられたし,誤用として現在にまで根強く残っている.it is や it has の省略形としての it's と,代名詞の所有格の its は,発音が同じこともあり,現在でも英語母語話者にとって最もよく間違えられる綴字の一つである.このよくある間違いについてはこちらの記事も要参照.
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