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standardisation - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-12-22 08:43

2022-09-15 Thu

#4889. 『言語の標準化を考える』の編者が綴る紹介文,第3弾(高田博行氏) [gengo_no_hyojunka][contrastive_language_history][notice][german][standardisation]

 2日間の記事 ([2022-09-13-1], [2022-09-14-1]) に続き,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)について編者自らが紹介するという企画の第3弾(最終回)です.
 ドイツ語史が専門の高田博行氏による本書紹介文です.英語に慣れてしまうと気づかなくなってしまいますが,英語はなかなか「変な」言語であるという議論です.ご本人の許可をいただき,こちらに掲載致します.

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「ドイツ語史から見て英語史で不思議に思えること」

高田 博行


 言語はそれぞれ固有な構造をしていて,言語Aの話者から見ると任意の言語Bは常に「変な」言語に見えてきます.英語話者から見て,同じゲルマン系の言語であるドイツ語がどう変に見えるのかについては,マーク・トウェイン(1835~1910年)による古典的な見立てがあります.トウェインは,ドイツ,スイス,フランス,イタリアを旅したときの体験に基づいて Tramp Abroad(1880年,日本語訳『ヨーロッパ放浪記』彩流社 1999年)を書きましたが,その補遺のひとつとして The Awful German Language (「恐ろしいドイツ語」)というエッセイを残しています.トウェインは,ドイツ語のどこが「恐ろしい」と言っているのでしょうか.名詞に性があること(「木」は男性,「つぼみ」は女性,「葉」は中性なのはどうして?),名詞と形容詞の語尾変化が複雑であること,parenthesis 「括弧入れ」(大事な要素が文の最後に置かれるために,結果的に文全体が枠で囲まれるようになること.現在のドイツ語文法でいう「枠構造」のこと)のために語順が英語と大きく異なること,そして Unabhängigkeitserklärung「独立宣言」 のような長々しい複合語が遠慮なく作られることが,トウェインの言う恐ろしいドイツ語の正体のようです.
 英語の歴史からすると,名詞の性,そして名詞・形容詞の語尾変化については,英語が時間の経過のなかでいわば「無駄な部分」をそぎ落としていった結果,元来のゲルマン語に近いドイツ語の姿が変に見えるわけです.「括弧入れ」語順については,I think that his father will come to Japan next year.という語順で話す英語話者にとって,同じ文がドイツ語では I think that my father next year to Japan come will. (Ich denke, dass sein Vater nächstes Jahr nach Japan kommen wird.) という並び方になってしまうのは,たしかに反転した鏡像を見ているようで 気持ちが悪いというのも共感できます.これは,ドイツ語の独自の展開の中で枠構造という遠隔配置的な文法規則が形成され,最終的に17世紀に確定したものです.
 このような文法に関わる部分とは異なり,語彙に関わる面については人為的介入の余地がありえます.Unabhängigkeitserklärung 「独立宣言」という複合語が長く見えるのは,Unabhängigkeits-erklärung のようにハイフンを入れたり,Unabhängigkeits Erklärung のように分けて綴ったりすれば可視性が高まるのにそうはしないからです.しかし,このドイツ語の書法上の習慣(規則)だけが,複合語を長々しくする理由ではありません.そもそもドイツ語母語話者たちが長年にわたって,概念を言い表すときにラテン語やフランス語などから語を借用することなく,ドイツ語の造語力を信じて本来の(ゲルマン系の)ドイツ語で言い切ろうとしてきた取り組みの結果が,この複合語の長さを生んでいるのです.「独立宣言」という概念は,英語では declaration of independence のように,近世初期にラテン語から借用された語を用いて分析的に言い表されます.それに対して,ドイツ語の Unabhängigkeitserklärung はその構成部分がすべてドイツ語(ゲルマン系の語)から成り立っています.Unabhängigkeitserklärung は,un(英 un)「否定の接頭辞」+ ab(英 off)「下方へ」+ häng(英 hang)「垂れる」+ ig(英 y)「性質を表す形容詞を派生する接尾辞」+ keit(英 hood)「抽象名詞を派生する接尾辞」+ s(英 s)「語をつなぐ接合辞(本来は所有を表す)」+ er 「獲得・創造を意味する動詞を派生する接頭辞」+ klär(英 clear)+ ung(英 ing)「抽象名詞を派生する接尾辞」から成っています.「独立」を「垂れ下がるような性質ではないこと」のように,「宣言」を「広く明確にすること」のように説明的に表現しています.これはちょうど日本のかつてローマ字主義者が作成した漢語のやまとことば化の提案(福永恭助・岩倉具実『口語辞典 Hanasikotoba o hiku Zibiki』森北出版 1951年)に従うと,「独立宣言」は「ひとりだち いいたて」のように説明的で長くなるのと平行的だと言うこともできるでしょう.
 上に述べたように母語による語彙形成(造語)という意識的な取り組みが際立っているドイツ語史から見ると,なぜ英語は母語の要素による語彙形成を放棄したのかが大変に気になってきます.ノルマン・コンケスト(1066年)のあとフランス語語彙が生活の基本部分に深く入ってきたことで,ゲルマン系言語としての英語のいわば自意識が弱まったことが大きな英語史上の原因であると推測しますが,きっとその後の英語史の展開においても相応の理由があって現在のような語彙の構造になっているものと思います.ちょうど12月10日(土)に日本歴史言語学会で,日中英独仏の5言語について「語彙の近代化」をめぐって言語史を対照するシンポジウムを開催します.そのときにこのあたりのお話を,われらが堀田先生から伺えればと思っています.




 Mark Twain の「英語からみるドイツ語の変なところ」,高田氏の「ドイツ語からみる英語の変なところ」,それぞれお互い様のようなところがあって,おもしろいですね.「日本語からみる諸外国語の変なところ」であれば,無数に指摘できそうです.言葉が異なるのだから変に決まっているという側面はもちろんありますが,言葉のたどってきた歴史がそれぞれ異なっていたからこそ余計に変なのだ,という側面もおおいにあると思います.変である理由を探れるというのも,対照言語史のおもしろさと可能性ではないでしょうか.
 最後の部分で私の名前を言及していただきましたが,12月10日(土)午後に編者3名を含む日中英独仏の5言語史の専門家5名が集まり,日本歴史言語学会にてシンポジウム「日中英独仏・対照言語史―語彙の近代化をめぐって」を開催します(学習院大学でハイブリッド開催予定.案内はこちらです).
 シンポジウムでは,本書で扱った言語標準化と関連させつつも,独立して議論できるテーマとして「語彙の近代化」が選ばれています.上で高田氏が指摘している英独語の語彙の「行き方」の違いについても,何かしら議論することになりそうです.この問題について,私自身もじっくり考えてみようと思います.

 以上,3日間にわたり編者による『言語の標準化を考える』の紹介文を掲載してきました.ぜひ本書を手に取っていただければ幸いです.

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2022-09-14 Wed

#4888. 『言語の標準化を考える』の編者が綴る紹介文,第2弾(田中牧郎氏) [gengo_no_hyojunka][contrastive_language_history][notice][japanese][standardisation][notice]

 昨日の記事 ([2022-09-13-1]) に引き続き,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)について,編者自らが紹介するという企画です.第2弾は日本語史が専門の田中牧郎氏による本書紹介文です.ご本人の許可をいただき,こちらに掲載致します.

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「日本語史における「統一化」「規範化」「通用化」」

田中 牧郎


 日本語史において,「標準化」や「標準語」というと,近代(19~20世紀)に展開された,政府による標準語政策が強く想起される(本書の11章で,田中克彦氏が論じている).私が執筆した第5章「書きことばの変遷と言文一致」においても,江戸時代までを標準化の前史と見て,言文一致が進む明治・大正期を標準化の時代と扱った.
 本書の第1章や,第6章・第7章などで取り上げられる,標準化を,「統一化」(言語の変種を統一していこうという動き),「規範化」(あるべき言語の形に統制していく動き),「通用化」(多くの人が通じ合える言語の形に共通化・簡略化していく動き)の3つに分ける見方を,日本語史にあてはめて,通史としての大きな流れを見出していこうという発想は,持ったことがなかった.
 しかしながら,本書の編集作業を通して,その枠組みから日本語史をとらえてみることもできるのではないかと考えるようになった.本書執筆中には十分整理ができず書けなかったその点について,少し記したい.
 「統一化」にあてはまりそうな出来事としては,まず,奈良時代(8世紀)に漢字による日本語表記法を編み出したこと,次いで,平安時代(10世紀)に仮名を発明して話し言葉に基づく日本語を自在に書けるようにしたこと,さらに,鎌倉時代(12世紀)までに,漢字と仮名を適度に交えて書く漢字仮名交じり文(和漢混淆文)を一般的なものにしたことが,指摘できる.この一連の「統一化」の過程で,外国語の文字だった漢字を自国語の文字として飼い慣らし,漢字から派生させた2種類の仮名(平仮名・片仮名)のいずれかと混ぜ用いる,日本語独自の表記法を確立させ,現代まで使われ続ける書き言葉のシステムを作ったのである.
 こうして作られた書き言葉を安定的に運用していくために,平安時代以降,漢字辞典(『色葉字類抄』『文明本節用集』など)や,実用文の模範文例集(『明衡往来』『庭訓往来』など)が盛んに編纂され,鎌倉時代以降には,仮名の使い方を論じる仮名遣い書(『仮名文字遣』『和字正濫鈔』など)も書かれるようになっていく.これらは,「規範化」の動きと見ることができ,その流れが,江戸時代までの日本語の書き言葉を高度に洗練させていく結果をもたらした.
 そして,「通用化」の出来事が,明治時代(19~20世紀)に進んだ言文一致運動による口語体書き言葉の確立である.国定教科書や出版・放送によって,国民各層に均質な日本語を広める動きや,日清・日露戦争や第一世界大戦で版図を拡大するなか植民地に日本語を広める動きが強まるのも,その流れを受け継いだものである.
 以上は,標準化の前史と扱った出来事(江戸時代まで)を「統一化」「規範化」,標準化(明治時代)と扱った出来事を「通用化」とする見方である.研究を進めれば,江戸時代以前にも「通用化」にあたる出来事を指摘したり,明治時代以降に「統一化」「規範化」にあたる出来事を見ることもできると予想され,それは,日本語史を立体的にとらえることにつながっていくと期待できる.




 ここでは,本書第7章「英語標準化の諸相――20世紀以降を中心に」(寺澤盾)で提示された英語標準化の3つの側面(統一化,規範化,通用化)を,日本語標準化歴史に当てはめてみるとどうなるか,というすぐれて対照言語史的なアプローチが示されていると思います.ある個別言語の歴史にみられるパターンやモデルを,異なる言語の歴史にも「あえて強引に」当てはめてみようとするところに,新たな気づきが生まれるということは,本書の企画段階から何度も経験していました.悪くいえば牽強付会,我田引水,引喩失義となり得ますが,ポジティヴにいえば豊かな創造性を生み出してくれます.もちろん編者たちの狙いは後者です.
 明日は第3弾をお届けします.

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2022-09-13 Tue

#4887. 『言語の標準化を考える』の編者が綴る紹介文,第1弾(堀田隆一) [gengo_no_hyojunka][contrastive_language_history][notice][hellog_entry_set][standardisation][variety][genbunicchi][notice]

 近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)について,本ブログや Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で,様々に紹介してきました(まとめてこちらの記事セットからどうぞ).

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 本書は,5言語の標準化の歴史を共通のテーマに据えて「対照言語史」 (contrastive_language_history) という新たなアプローチを提示し,さらに脚注で著者どうしがツッコミ合うという特殊なレイアウトを通じて活発な討論を再現しようと試みました.この企てが成功しているかどうかは,読者の皆さんの判断に委ねるほかありません.
 このたび高田博行氏(ドイツ語史),田中牧郎氏(日本語史),堀田隆一(英語史)の編者3名が話し合い,各々の立場から本書を紹介する文章を作成し公開しようという話しになりました.そして,公開の場は,お二人の許可もいただき,この「hellog~英語史ブログ」にしようと決まりました.結果として,英語(史)に関心をもって本ブログをお読みの皆さんを意識した文章になったと思います.
 今日はその第1弾として,まず堀田の文章をお届けします.



「標準英語は揺れ動くターゲットである」

堀田 隆一


 私たちが学習・教育の対象としている「英語」は通常「標準英語」を指す.世界で用いられている英語にはアメリカ英語,イギリス英語,インド英語をはじめ様々な種類があるが,学習・教育のターゲットとしているのは最も汎用性の高い「標準英語」だろうという感覚がある.しかし,「標準英語」とは何なのだろうか.実は皆を満足させる「標準英語」の定義はない.比較的よく参照される定義に従うと,外国語として学習・教育の対象とされている類いの英語を指すものとある.明らかに循環論法に陥っている.
 つまり,私たちは「標準英語」というターゲットが何なのかを明確に理解しないままに,そこに突き進んでいることになる.とはいえ「標準英語」という概念・用語は便利すぎて,今さら捨てることはできない.私たちは「標準英語」をだましだまし理解し,受け入れているようなのである.
 実のところ,筆者は「標準英語」を何となくの理解で受け入れておくという立場に賛成である.それは歴史的にも「揺れ動くターゲット」だったし,静的な存在として定義できるようなものではないと見ているからだ.「標準英語」は1600年ほどの英語の歴史のなかで揺れてきたし,それ自身が消失と再生を繰り返してきた.そして,英語が世界化した21世紀の現在,「標準英語」は過去にもまして揺れ動くターゲットと化しているように思われるのである.
 歴史を通じて「標準英語」が揺れ動くターゲットだったことは,本書の第6章と第7章で明らかにされる.第6章「英語史における「標準化サイクル」」(堀田隆一)では,英語が歴史を通じて標準化と脱標準化のサイクルを繰り返してきたこと,標準英語の存在それ自体が不安定だったことが説かれる.さらに同章では,近現代英語期にかけての標準化の様相が,日本語標準化の1側面である明治期の言文一致の様相と比較し得ることが指摘される.これは,言語や社会や時代が異なっていても,標準化という過程には何か共通点があるのではないか,という問いにつながる.
 第7章「英語標準化の諸相――20世紀以降を中心に」(寺澤盾)では,まず標準化を念頭に置いた英語史の時代区分が導入され,続いて「標準化」が「統一化」「規範化」「通用化」の3種類に分類され,最後に20世紀以降の標準化の動きが概説される.過去の標準化では「統一化」「規範化」の色彩が濃かった一方,20世紀以降には「通用化」の流れが顕著となってきているとして,現代の英語標準化の特徴が浮き彫りにされる.
 本書は「対照言語史」という方法論を謳って日中英独仏5言語の標準化史をたどっている.英語以外の言語の標準化の歴史を眺めても「標準語」は常に揺れ動くターゲットだったことが繰り返し確認できる.各言語史を専門とする著者たちが,脚注を利用して紙上で「ツッコミ」合いをしている様子は,各自が動きながら揺れ動くターゲットを射撃しているかのように見え,一種のカオスである.しかし,知的刺激に満ちた心地よいカオスである.
 冒頭の「標準英語」の問題に戻ろう.「標準英語」が揺れ動くものであれば,標準英語とは何かという静的な問いを発することは妥当ではないだろう.むしろ,英語の標準化という動的な側面に注目するほうが有意義そうだ.英語学習・教育の真のターゲットは何なのかについて再考を促す一冊となれば,編著者の一人として喜びである.




 明日,明後日も編者からの紹介文を掲載します.

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2022-08-02 Tue

#4845. Voicy で「言語の標準化」鼎談を生放送しました [voicy][heldio][gengo_no_hyojunka][contrastive_language_history][standardisation][notice]

 一昨日7月31日(日)の11:00~12:00に,表記の通り Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)の編者3名による対談生放送をお届けしました.
 事前にリスナーの方々よりいただいていた質問にも答える形で議論を展開しましたが,日曜日午前中にもかかわらず全体として48名の方々に生で参加いただきました.ありがとうございます.
 録音したものを,鼎談の翌朝に「#427. 編者鼎談第2弾『言語の標準化を考える』 ― 60分生放送を収録しました」として昨日公開しました.対照言語史的な風味の詰まった議論となりました.60分の長丁場ですので,ぜひお時間のあるときにお聴きいただければ幸いです.



 生放送の司会としての緊張感はありましたが,実のところたいへん議論を楽しめましたし,勉強になりました.今回の対談を通じて「言語の標準化」および「対照言語史」という話題のおもしろさが皆様に伝われば,と思っています.
 本ブログを講読している皆様も,ぜひ上記をお聴きいただいた上で,ご意見やご質問がありましたら,Voicy のコメント機能などを経由してコメントいただければ幸いです.

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 先日の7月28日(木)には「#4840. 「寺澤盾先生との対談 英語の標準化の歴史と未来を考える」in Voicy」 ([2022-07-28-1]) として,本書の執筆者の1人でもある寺澤盾先生とも対談しています.こちらの音声もぜひお聴きください.
 その他,この hellog でも本書に関連する記事を多く書いてきました.まとめてこちらからご覧いただければと思います.

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2022-07-28 Thu

#4840. 「寺澤盾先生との対談 英語の標準化の歴史と未来を考える」in Voicy [voicy][heldio][standardisation][elf][wsse][world_englishes][elf][gengo_no_hyojunka]

 目下,最も広く読まれている英語史の本といえば,寺澤盾先生の『英語の歴史―過去から未来への物語 』(中公新書)かと思います.
 このたび,寺澤先生(東京大学名誉教授,青山学院大学教授)に,この Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にご出演いただけることになりました! その実といえば,昨日,私が青山学院大学の寺澤研究室に押しかけて,お話をうかがったという次第にすぎないのですが(^^;; 1時間近くにわたる長編となりましたので,時間のあるときにゆっくりお聴きください! 収録中に青学の振鈴(賛美歌ベース)なども入り,貴重な音源となっています(笑).



 昨日の記事「#4839. 英語標準化の様相は1900年を境に変わった」 ([2022-07-27-1]) で紹介したとおり,寺澤先生には『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)の第7章に寄稿していただきました.
 今回の Voicy 対談も,前半はこの第7章に基づきます.ただし,後半は本書で触れていない発展編の議論となっています.日本人にとって,これからの英語学習・教育はどうあるべきか,21世紀の英語の標準化の目指すべき方向は何なのかについて,寺澤先生のご意見を伺いました.
 収録の前後を合わせて数時間,久しぶりに寺澤先生とおしゃべりさせていただきましたが,おおいにインスピレーションを受けて帰ってきました.本当に楽しかったです.寺澤先生,お付き合いいただきまして,ありがとうございました!

 ・ 寺澤 盾 『英語の歴史:過去から未来への物語』 中公新書,2008年.

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2022-07-27 Wed

#4839. 英語標準化の様相は1900年を境に変わった [gengo_no_hyojunka][standardisation][notice][variety][world_englishes]

 hellog では,この5月に大修館書店より出版された『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)について,たびたび広報しています.
 今度の日曜日,7月31日(日)11:00--12:00 には編者3人の対談が,Voicy にて生放送される予定です.事前の質問なども受け付けていますので,こちらの Google Forms よりお寄せください.詳細は「#4836. 7月31日(日)11:00--12:00 に生放送!『言語の標準化を考える』をめぐる編者鼎談第2弾」 ([2022-07-24-1]) をご覧ください.

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 本書では英語の標準化 (standardisation) の歴史を,6章と7章にわたって詳述しています.とりわけ7章では「英語標準化の諸相―20世紀以降を中心に」と題して,20--21世紀の英語の「標準化」,実質的には英語の世界的な「通用化」という私たちにとって直接関わりのある話題が議論されています.執筆者は寺澤盾先生(青山学院大学)です.
 この章の前半では,Norman Blake に依拠し,標準化を念頭に置いた英語史の流れが概説されます.そして,真骨頂の後半では,1900年以降の英語の標準化について,とりわけ現代と未来を見据えた英語のあり方について,Basic English, Special English, Globish, Nuclear English, World Standard Spoken English という具体的な「変種」を参照しながら議論がなされます.
 寺澤先生の議論の趣旨は,目安として1900年を境に英語の標準化のあり方が変容したということです.この年代以前の標準化は,書き言葉の「統一化」「規範化」というトップダウンの標準化が基本でした.一方,この年代以降は,話し言葉の「通用化」というボトムアップの標準化が進んできているということです.
 私自身が執筆した6章「英語史における「標準化サイクル」」と合わせて,今や世界的な言語となった英語の,広い意味での「標準化」について,様々な観点から議論が活性化してくるとおもしろいですね.

 ・ 寺澤 盾 「英語標準化の諸相―20世紀以降を中心に」『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著),大修館,2022年.

Referrer (Inside): [2022-07-29-1] [2022-07-28-1]

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2022-07-21 Thu

#4833. 『言語の標準化を考える』で考えた標準化の切り口 [gengo_no_hyojunka][standardisation][toc][typology]

 hellog でも何度か宣伝していますが,この5月に 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)が上梓されました.

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 私が執筆担当した箇所の1つに,第1章の「導入:標準語の形成史を対照するということ」の第2節「標準化の切り口(パラメータ)」 (6--15) があります.本書の出版企画につながった過去5年間の研究会活動のなかで検討してきた標準化のパラメータを列挙した部分です.小見出しがそのままパラメータに対応しているので,そちらを一覧しておきます.

2.1 統一化,規範化,通用化
2.2 標準化の程度
2.3 標準化と脱標準化
2.4 使用域
2.5 領域別の標準化とその歴史的順序
2.6 標準化のタイミングと要した時間
2.7 標準化の諸段階・諸側面
2.8 通用空間
2.9 標準化の目標となる変種の種類・数
2.10 標準化を推進する主体・方向
2.11 標準化に対する話者の態度
2.12 言語の標準化と社会の言語標準化


 時間をかけてブレストし,まとめてきたパラメータの一覧なので,対照言語史的に標準化 (standardisation) を検討する際のタイポロジーやモデルとして広く役立つのではないかと考えています.
 hellog では言語標準化の話題は standardisation の記事で頻繁に取り上げてきましたが,研究会での発表を念頭に作成した,英語の標準化の歴史についてのある程度まとまった資料としては「#3234. 「言語と人間」研究会 (HLC) の春期セミナーで標準英語の発達について話しました」 ([2018-03-05-1]) と「#3244. 第2回 HiSoPra* 研究会で英語史における標準化について話しました」 ([2018-03-15-1]) を参照ください.
 『言語の標準化を考える』の紹介についてはこちらの記事セットをどうぞ.とりわけ7月8日に音声収録した編者鼎談はお薦めです.本書の狙いや読みどころを編者3人で紹介しています.近々に編者鼎談第2弾も企画しています.本書について,あるいは一般・個別言語における標準化の話題について,ご意見,ご感想,ご質問等をこちらのコメントフォームお寄せください.第2弾で話題として取り上げられればと思っています.


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2022-07-11 Mon

#4823. 『言語の標準化を考える』の編者鼎談を公開しました [notice][gengo_no_hyojunka][standardisation][voicy]

 1週間前に「#4816. 今週末『言語の標準化を考える』の編者3人で対談します」 ([2022-07-04-1]) としてお知らせした通り,7月8日(金)に,新刊書 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年 の編者3人が顔を合わせ,本書を紹介する対談を行ないました.
 対談は音声収録し,7月9日(土)の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて公開しましたので,こちらでご案内します.「#404. 編者鼎談『言語の標準化を考える ― 日中英独仏「対照言語史」の試み』」です.対談本体の収録は約30分間で,本書の狙いや概要をじっくりご紹介できたかと思います.



 今回の鼎談の前に,一般の方々より専用のメッセージフォームを通じて,本書やそのテーマに関連してご意見,ご感想,ご質問等を寄せていただいていました.鼎談中に,そちらのメッセージを参照しながら議論を展開する予定でおり,その準備もしていたのですが,思いのほか本書紹介のみで多くの時間を費やしてしまい,そこに至らずに終了してしまいました.
 そこで,詳細は未定ですが近日中に第2回編者鼎談を開催することになりました.今回の第1回鼎談をお聴きになり本書(のテーマ)に関心を持たれた/高められた方におかれましては,こちらのメッセージフォームを通じて,ぜひご意見,ご感想,ご質問等をいただければと思います.いただいたコメントを第2回鼎談に活かせればと考えています.
 本書と関連して,これまでも以下の通り情報を発信してきました.あわせてご訪問ください.

 ・ hellog 「#4776. 初の対照言語史の本が出版されました 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』」 ([2022-05-25-1])
 ・ hellog 「#4784. 『言語の標準化を考える』は執筆者間の多方向ツッコミが見所です」 ([2022-06-02-1]) を参照されたい.
 ・ hellog 「#4794. 英語の標準化 vs 英語の世界諸変種化」 ([2022-06-12-1])
 ・ hellog 「#4816. 今週末『言語の標準化を考える』の編者3人で対談します」 ([2022-07-04-1])

 ・ heldio 「#361. 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』の読みどころ」
 ・ heldio 「#363. 『言語の標準化を考える』より英語標準化の2本の論考を紹介します」
 ・ heldio 「#397. 言葉のスタンダードとは何か? --- 『言語の標準化を考える』へのコメントをお寄せください!」

 ・ YouTube 「堀田隆一の新刊で語る,ことばの「標準化」【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル # 28 】」「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」より)

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2022-07-06 Wed

#4818. standard の意味変化 [terminology][oed][standardisation][semantic_change][prestige]

 昨日の記事「#4817. standard の語源」 ([2022-07-05-1]) に引き続き,OED より standard という語に注目する.今回は,英単語としての standard がたどった意味変化の軌跡をたどりたい.  *
 昨日見たように,standard が初期中英語に初出した際には「軍旗」を意味していた.この語義は現在でも残っている.その後,15世紀になると「度量衡の基本単位,原器」の語義(OED では A. III 系列の語義群)が発達した.アングロノルマン語やラテン語ですでに発達していた語義のようで,英語としてもこれを借りたということらしい.OED では,次のように説明がある.

The senses of branch A. III. originally arose in Britain. The first of these senses, denoting a legal weight or measure (see A. 15) is attested slightly earlier in Anglo-Norman and Latin than it is in English; compare (in this sense) post-classical Latin standardus (frequently from 13th cent. in British sources), Anglo-Norman estandard (a1280 as estaundart); this use may be a development of the sense 'military flag or banner' (see sense A. 1), with the royal standard taken as the symbol of royal authority, e.g. to impose the legal norms (compare also later sense A. 4).


 この引用の後半部分が示唆的である.「軍旗」と「原器」の共通点は「王権の象徴」であることだという.
 そして,いよいよ言語に関わる standard の語義,つまり「標準語」が登場するが,時期としては驚くほど遅く1904年が初出である.OED の語義23とその初例を引用する.

23. A language variety of a country or other linguistic area which is by convention generally considered the most correct and acceptable form, esp. for written use. Cf. sense B. 3d.
. . . .
   1904 Life 18 Feb. 167/1 Each one of these variations in tone and pronunciation is bound to give us some day a conglomerate which will not be pure in inflection or pronunciation unless we have a single, spoken standard, to which all who call themselves educated will seek to conform.


 ただし,上記は「標準語」を意味する名詞としての初例であり,言語を形容する形容詞「標準的な」の語義についていえば,B. 3d の語義として1世紀早く1806年に初出している.

d. Designating a language variety of a country or other linguistic area which is by convention generally considered the most correct and acceptable form (esp. for written use), as in Standard English, Standard American English, Modern Standard Arabic n., etc.
   A standard language variety is often associated with or prescribed in various ways by formal institutions, including government, language academies, and education and national media.

   1806 G. Chalmers in D. Lindsay Poet. Wks. I. 141 The Scottish dialect was formed, as the various dialects of England were formed, by retaining antiquated words and old orthography, while the standard English relinquished both, and adopted novelties.


 「軍旗」「原器」からの流れを考慮すると,言語に関する「標準(語)」の語義発達の背景には,「国王の権威に支えられた唯一の正しい規範」「国民が拠って従うべき決まり」といった基本義が括り出せそうである.もしこの意味変化のルートが正しいとすれば,言語についていわれる standard は,当初,単なる「標準」というよりも,トップダウン色の強い「規範」に近い語感を伴っていたのではないかと疑われる.否,当初ばかりでなく,現代でも状況によっては「規範」の匂いがプンプンしてくるのが standard の語感だろう.
 関連して,「#4777. 「標準」英語の意味の変遷 --- 「皆に通じる英語」から「えらい英語へ」」 ([2022-05-26-1]) も参照.

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2022-07-05 Tue

#4817. standard の語源 [etymology][latin][french][terminology][oed][standardisation][pchron]

 近刊書,高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年の紹介と関連して,ここしばらくの間,言語の標準化 (standardisation) について議論する機会が多くなってきている.しかし,そもそも standard の語源は何なのか.これまで hellog で取り上げてきたことがなかったので,今回注目してみたい.
 OED で standard, n., adj., and int. を引いてみると,語形欄,語源欄,語の比較言語学的事実,そして語義記述に至るまで詳細な情報が与えられていることに圧倒される.これを読み解くだけでも一苦労だ.日々英語という言語と格闘している OED 編者たちの,この語への思い入れの強さが,ひしひしと伝わってくる.彼らにとって standard は様々な意味で「重い」単語なのだろう.  *
 standard は古仏語からの早い借用語で,英語での初出は12世紀半ばのことである.中英語の最初期の文献とされる The Peterborough Chronicle (pchron) の The Final Continuation より,1138年の記述のなかで「軍旗」の意味で初出する.

?a1160 Anglo-Saxon Chron. (Laud) (Peterborough contin.) anno 1138 Him [sc. the king of Scotland] com togænes Willelm eorl of Albamar..& to [read te] other æuez men mid fæu men & fuhten wid heom & flemden þe king æt te Standard.


 古仏語/アングロノルマン語の estandart, standarde を借用したものということだが,このフランス単語自体の語源に諸説あり,事情は複雑なようである.OED の語源欄より引用する.

Origin: A borrowing from French. Etymons: French standarde, estandart.
Etymology: < Anglo-Norman standarde, Anglo-Norman and Old French estandart, Old French estendart (Middle French estandart, estendart, French étendard) military flag or banner, also as a (fortified) rallying point in battle (c1100), (figuratively) person worth following (c1170), upright post (a1240), large candle (a1339, only in Anglo-Norman), of uncertain origin, probably either (a) < a West Germanic compound with the literal sense 'something that stands firm' < the Germanic base of STAND v. + the Germanic base of HARD adv., or (b) < classical Latin extendere to stretch out (see EXTEND v.), or (c) < a Romance reflex of classical Latin stant-, stāns, present participle of stāre to stand (see STAND v.) + Old French -ard -ARD suffix.


 3つの語源説が紹介されているが,(a) 説をとれば,西ゲルマン語の stand + hard がフランス語に入り,これが後に改めて英語に入ったということになる.また,原義の観点からいえば「直立しているもの」か「伸びているもの」かという2つの語源説があることになる.

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2022-07-04 Mon

#4816. 今週末『言語の標準化を考える』の編者3人で対談します [notice][gengo_no_hyojunka][standardisation][link]

 私も編著者として関わった近刊書,高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年について,hellog, heldio, YouTube で何度かお知らせしてきました.

 ・ hellog 「#4776. 初の対照言語史の本が出版されました 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』」 ([2022-05-25-1])
 ・ hellog 「#4784. 『言語の標準化を考える』は執筆者間の多方向ツッコミが見所です」 ([2022-06-02-1]) を参照されたい.
 ・ hellog 「#4794. 英語の標準化 vs 英語の世界諸変種化」 ([2022-06-12-1])
 ・ heldio 「#361. 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』の読みどころ」
 ・ heldio 「#363. 『言語の標準化を考える』より英語標準化の2本の論考を紹介します」
 ・ heldio 「#397. 言葉のスタンダードとは何か? --- 『言語の標準化を考える』へのコメントをお寄せください!」
 ・ YouTube 「堀田隆一の新刊で語る,ことばの「標準化」【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル # 28 】」「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」より)

 5月に本書が上梓された後,編者3人で内輪のお祝いのために集まろうと話していました.来たる7月8日(金)にようやくその機会を得られることになり,せっかくなのでその折りに「言語の標準化」や「対照言語史」を巡って自由に鼎談し,その音声を収録しようということになりました(後日 Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて公開する予定です).
 そこで,金曜日の編者鼎談の前に,英語,日本語,その他の個別言語,あるいは言語一般に関心をもつ hellog 読者の皆さんから,ご質問,ご意見,ご感想などをお寄せいただければと思います.こちらのフォームよりお願い致します.
 本書を手に取ったことのある方,すでに読んだという方は実際には少ないかと思いますので,特に本書の内容を前提とせずに「言語の標準化」や「対照言語史」というキーワードから思いつくアイディアや質問等を自由に投げていただければと思います.本書をすでに読んでいただいた方には,本書のご感想などをいただけますと嬉しいです.ちなみに,編者3名はそれぞれドイツ語史,日本語史,英語史を専門領域としています.鼎談では,例えば次のような事項を念頭におしゃべりしたいと思っています.

 ・ ことばの標準化って何だろう?
 ・ 標準英語はいつできたの?
 ・ 日本語の「標準語」と「共通語」は違う?
 ・ 「対照言語史」って聞き慣れないけれど,いったい何?
 ・ ○○語と△△語の標準化の似ている点,異なる点は?
 ・ 本書のレイアウト上の売りである「多方向ツッコミ」とは?
 ・ 本書の出版企画の母体となった研究会で行なってきたこととは?

 一昨日の heldio より「#397. 言葉のスタンダードとは何か? --- 『言語の標準化を考える』へのコメントをお寄せください!」でも,同趣旨の案内を差し上げています.よろしければお聴きください.



 ・ 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著) 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年.

Referrer (Inside): [2022-07-11-1]

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2022-07-02 Sat

#4814. vernacular をキーワードとして英語史を眺めなおすとおもしろそう! [vernacular][terminology][standardisation][prestige]

 先日,立命館大学の岡本広毅先生と Voicy で雑談をしました.6月21日に「#386. 岡本広毅先生との雑談:サイモン・ホロビンの英語史本について語る」と題して公開しましたが,会話のなかで浮上してきた vernacular というキーワードに焦点が当たり,実質的には vernacular を巡るトークとなりました.



 それ以後,vernacular という用語のもつニュアンスをもっと深く探ってみたいと思い,調べ始めています.ここ数日の hellog でも「#4804. vernacular とは何か?」 ([2022-06-22-1]),「#4809. OEDvernacular の語義を確かめる」 ([2022-06-27-1]),「#4812. vernacular が初出した1601年前後の時代背景」 ([2022-06-30-1]) の記事を書いてきましたが,vernacular は,英語史の観点からも,中世の諸方言,初期近代のラテン語との相克,現代の世界英語 (world_englishes) の議論へとつながり得る,射程の広い概念だなあと思うようになりました.
 vernacular について英語史上の関心から有用な文献は,岡本氏ご自身による論文です.「中世の英語文学とヴァナキュラーとしての歩み:チョーサー,地方語,周縁性」を教えていただき,拝読しました(岡本さん,ありがとうございます!).世界英語の話題から説き起こし,英語史と中世英文学史を概観した後で,チョーサーの英語観へと議論が進んでいきます.
 66--67頁より以下の1節を読み,「ヴァナキュラー」の観点から英語(史)を捉えてみると新たな発見がありそうだと思いました.

 「ヴァナキュラー」を巡る意味の拡張・転用は,時代や価値観の変遷をみる上で興味深い.ウェルズ恵子はヴァナキュラー文化について,「たとえ過去の文化を扱っていても,その分析は必ず現在の文化を知るための鍵になる.ヴァナキュラー文化は権威の箱に収まることなく連続し,変化しながら生き続けているもの」(vi)と述べる.ヴァナキュラー文化の理解には歴史的考察と変化に対する柔軟な姿勢が望まれよう.また,小長谷英代はヴァナキュラー研究の有用性について,「〈ヴァナキュラー〉の語感にともなう意味の多義性,特に土地との連想や周辺的なもの,雑多なもの,劣位のものといった否定的なニュアンスの奥行きが,近代思想・学問の主流や正統に軽視・無視されてきた文化,社会,歴史の文脈に光をあてる手がかりとなっている」(2018, 221)と指摘する.
 英語は「権威の箱」に収まることなく変化し生き続け,「否定的なニュアンスの奥行き」を追求してきた言語である.約1500 年に及ぶ英語の歩みは〈周縁〉から〈中心〉,〈地方〉から〈世界〉へと至る一ヴァナキュラー言語の躍進の軌跡といえよう.英語の現状からすれば意外に映るが,それは元々ヨーロッパ北西で話されていた一地方語に過ぎなかった.


 現代の世界諸英語の大半は確かに「権威の箱」に収まっていませんが,一方,標準英語 (Standard English) はその箱に収まっています.言語と権威 (prestige) や言語の標準化 (standardisation) を論じるあたっても,vernacular という視点は役に立ちそうです.
 関連して,本日公開した Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」「#397. 言葉のスタンダードとは何か? --- 『言語の標準化を考える』へのコメントをお寄せください!」もお聴きください.

 ・ 岡本 広毅 「中世の英語文学とヴァナキュラーとしての歩み:チョーサー,地方語,周縁性」『立命館言語文化研究』33.3,2022年.65--83頁.

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2022-06-18 Sat

#4800. Lingua Franca Core への批判 [world_englishes][lingua_franca][elf][lfc][elt][standardisation][language_planning]

 昨日の記事「#4799. Jenkins による "The Lingua Franca Core"」 ([2022-06-17-1]) で Lingua Franca Core (LFC) を導入した.LFC が提示された背景には,世界英語 (world_englishes) の時代にあって,世界の英語学習者,とりわけ EFL の学習者は,伝統的な英米標準変種やその他の世界各地で標準的とみなされている変種を習得するのではなく,ELF (= English as a Lingua Franca) や EIL (= English as an International Language) と称される変種を学習のターゲットとするのがよいのではないかという英語教育観が見え隠れする.世界の英語話者人口のおそらく半分以上は EFL 話者であり,その点では LFC を尊重する姿勢は EFL 学習者にとって「民主的」に見えるかもしれない.
 しかし,LFC に対して批判的な意見もある.LFC も,伝統的な英米標準変種と同様に,単なる標準であるにとどまらず,規範となっていく恐れはないかと.規範の首を古いものから新しいものへとすげ替えるだけ,ということにならないだろうか.本当に民主的であろうとするならば,そもそも言語学者や教育者が人為的に「コア」として提示するということは矛盾をはらんだ営みではないか,等々.
 Tomlinson (146) は,LFC のようなものを制定し「世界標準英語」の方向づけを行なおうとする行為は "arrogant" であると警鐘を鳴らしている.

But, are we not being rather arrogant in assuming that it is we as applied linguists, language planners, curriculum designers, teachers and materials developers who will determine the characteristics of a World Standard English? Is it not the users of English as a global language who will determine these characteristics as a result of negotiating interaction with each other? We can facilitate the process by making sure that our curricula, our methodology and our examinations do not impose unnecessary and unrealistic standards of correctness on our international learners, and by providing input and guiding output relevant to their needs and wants. But ultimately it is they and not us who will decide. To think otherwise is to be guilty of neo-colonist conceit and to ignore all that we know about how languages develop over time.


 標準か規範かを巡るややこしい問題である.関連して「#1246. 英語の標準化と規範主義の関係」 ([2012-09-24-1]) を参照.

 ・ Tomlinson, Brian. "A Multi-dimensional Approach to Teaching English for the World" English in the World: Global Rules, Global Roles. Ed. Rani Rubdy and Mario Saraceni. London: Continuum, 2006. 130--50.

Referrer (Inside): [2022-07-01-1]

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2022-06-13 Mon

#4795. 標準英語,世界英語,ELF の三すくみモデル [standardisation][world_englishes][elf][lingua_franca][elt][model_of_englishes]

 昨日の記事「#4794. 英語の標準化 vs 英語の世界諸変種化」 ([2022-06-12-1]) で取り上げたように Standard English か World Englishes かという対立の根は深い.とりわけ英語教育においては教育・学習のターゲットを何にするかという問題に直結するため,避けては通れない議論である.Rubdy and Saraceni は,この2つの対立に EIL/EFL という第3の要素を投入した三すくみモデルを考え,序章にて次のように指摘している (6) .

Towards simplifications: the teaching and learning of English
While an exhaustive description of the use of English is a futile pursuit, with regard to the teaching and learning of English in the classroom such complexities have necessarily to be reduced to manageable models. The language of the classroom tends to be rather static and disregardful of variation in style and register and, more conspicuously, of regional variation. One of the main issues in the pedagogy of English is indeed the choice of an appropriate model for the teaching of English as a foreign or second language. Here 'model' refers to regional variation, which is the main focus in the whole volume. In this sense, the choice is seen as lying between three principal 'rival' systems: Standard English (usually Standard British or Standard American English), World Englishes, and EIL/ELF (English as an International Language/English as a Lingua Franca).


 ここでライバルとなるモデルとして言及されている Standard English, World Englishes, ELF は,それぞれ緩く ENL, ESL, EFL 志向の英語観に対応していると考えられる(cf. 「#173. ENL, ESL, EFL の話者人口」 ([2009-10-17-1])).
 Standard English を中心に据える英語教育は,ENL 話者(とりわけ英米英語の話者)にとって概ね有利だろう.歴史的に威信が付されてきた変種でもあり「ブランド力」は抜群である,しかし,英語話者全体のなかで,これを母語・母方言とする話者は少数派であることに注意したい.
 World Englishes は,主に世界各地の非英語母語話者,とりわけ ESL 話者が日常的に用いている変種を含めた英語変種の総体である.ESL 話者は英語話者人口に占める割合が大きく,今後の世界における英語使用のあり方にも重要な影響を及ぼすだろうと予想されている.昨今「World Englishes 現象」が注目されている理由も,ここにある.
 ELF は,非英語母語話者,とりわけ EFL 話者の立場に配慮した英語観である.英語は国際コミュニケーションのための道具であるという,実用的,機能的な側面を重視した英語の捉え方だ.ビジネス等の領域で,非英語母語話者どうしが英語を用いてコミュニケーションを取る状況を念頭に置いている.理想的には,世界のどの地域とも直接的に結びついておらず,既存の個々の変種がもつ独自の言語項目からも免れているという中立的な変種である.EFL 話者は英語話者全体のなかに占める割合が最も大きく,この層に訴えかける変種として ELF が注目されているというわけだ.しかし,ELF は理念先行というきらいがあり,その実態は何なのか,人為的に策定すべきものなのかどうか等の問題がある.

 日本の英語教育は,伝統的には明らかに Standard English 偏重だった.近年,様々な英語を許容するという World Englishes 的な見方も現われてきたとはいえ,目立っているとは言いがたい.一方,英語教育の目的としては ELF に肩入れするようになってきているとは言えるだろう.

 今回の「三すくみ」モデルは,3つの英語観のいずれを採用するのかという三者択一の問題ではないように思われる.むしろ,3種類を各々どれくらいの割合でブレンドするかという問題なのではないか.

 ・ Rubdy, Rani and Mario Saraceni, eds. English in the World: Global Rules, Global Roles. London: Continuum, 2006.

Referrer (Inside): [2022-07-01-1]

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2022-06-12 Sun

#4794. 英語の標準化 vs 英語の世界諸変種化 [world_englishes][standardisation][notice][function_of_language][sociolinguistics][gengo_no_hyojunka]

 現在,英語の世界的拡大に伴って生じている議論の最たるものは,標題の通り,英語は国際コミュニケーションのために標準化していく(べきな)のか,あるいは各地の独自性を示す英語諸変種がますます発達していく(べきな)のか,という問題だ.2つの対立する観点は,言語のもつ2つの機能,"mutual intelligibility" と "identity marking" にそれぞれ対応する(cf. 「#1360. 21世紀,多様性の許容は英語をバラバラにするか?」 ([2013-01-16-1]),「#1521. 媒介言語と群生言語」 ([2013-06-26-1])).
 日本語を母語とする英語学習者のほとんどは,日本語という盤石な言語的アイデンティティを有しているために,使うべき英語変種を選択するという面倒なプロセスをもってアイデンティティを表明しようなどとは考えないだろう.したがって,英語を学ぶ理由は第一に国際コミュニケーションのため,世界の人々と互いに通じ合うため,ということになる.英語が標準化してくれることこそが重要なのであって,世界中でバラバラの変種が生じてしまう状況は好ましくない,と考える.日本に限らず EFL 地域の英語学習者は,おおよそ同じような見方だろう.
 しかし,世界の ENL, ESL 地域においては,自らの用いる英語変種(しばしば非標準変種)を意識的に選択することでアイデンティティを示したいという欲求は決して小さくない.そのような人々は,英語の標準化がもつ国際コミュニケーション上の意義は理解しているにせよ,世界各地で独自の変種が発達していくことにも消極的あるいは積極的な理解を示している.
 はたして,グローバルな英語の議論において標題の対立が立ち現われてくることになる.この話題に関するエッセイ集を編んだ Rubdy and Saraceni は,序章で次のように述べている (5) .

The global spread of English, its causes and consequences, have long been a focus of critical discussion. One of the main concerns has been that of standardization. This is also because, unlike other international languages such as Spanish and French, English lacks any official body setting and prescribing the norms of the language. This apparent linguistic anarchy has generated a tension between those who seek stability of the code through some form of convergence and the forces of linguistic diversity that are inevitably set in motion when new demands are made on a language that has assumed a global role of such immense proportions.


 言語の標準化 (standardisation) とは何か? 標準英語 (Standard English) とは何か? なぜ英語を統制する公的機関は存在しないのか? 数々の疑問が生じてくる.このような疑問に立ち向かうには,英語の歴史の知識が武器になる.というのは,英語は,1600年近くにわたる歴史を通じて,標準化と脱標準化(変種の多様化)の波を繰り返し経験してきたからである.21世紀に生じている標準化と脱標準化の対立が,過去の対立と必ずしも直接的に比較可能なわけではないが,議論の参考にはなるはずだ.また,英語を統制する公的機関が不在であることも,英語史上で長らく論じられてきたトピックである.
 言語の標準化を巡っては,近刊書(高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年)を参照されたい.同書の紹介は「#4784. 『言語の標準化を考える』は執筆者間の多方向ツッコミが見所です」 ([2022-06-02-1]) の記事とそのリンク先にまとまっている.

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 ・ Rubdy, Rani and Mario Saraceni, eds. English in the World: Global Rules, Global Roles. London: Continuum, 2006.

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2022-06-02 Thu

#4784. 『言語の標準化を考える』は執筆者間の多方向ツッコミが見所です [standardisation][contrastive_language_history][notice][youtube][voicy][gengo_no_hyojunka][genbunicchi]

 昨日「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の第28弾が公開されました.「堀田隆一の新刊で語る,ことばの「標準化」【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル # 28 】」です.



 私も編著者の一人として関わった近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』について YouTube 上で紹介させていただきました.hellog,および Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」でも,この数日間で紹介していますので,そちらへのリンクも張っておきます.

 ・ hellog 「#4776. 初の対照言語史の本が出版されました 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』」 ([2022-05-25-1])
 ・ heldio 「#361. 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』の読みどころ」
 ・ heldio 「#363. 『言語の標準化を考える』より英語標準化の2本の論考を紹介します」

 本書の最大の特徴は,共同執筆者の各々が,それぞれの論考に対して脚注を利用してコメントを書き合っていることです.各執筆者が自らの論考を発表して終わりではなく,自らが専門とする言語の歴史の観点から,異なる言語の歴史に対して一言,二言を加えていくという趣旨です.カジュアルにいえば「執筆者間の多方向ツッコミ」ということです.この実験的な試みは,本書で提案している「対照言語史」 (contrastive_language_history) のアプローチを体現する企画といえます.上記 YouTube では「(脚注)でツッコミを入れるスタイル」としてテロップで紹介しています(笑).
 具体的にはどのようなツッコミが行なわれているのか,本書から一部引用してみます.まず,田中牧郎氏による日本語標準化に関する論考「第5章 書きことばの変遷と言文一致」より,言文一致の定義ととらえられる「書きことばの文体が,文語体から口語体に交替する出来事」という箇所に対して,私が英語史の立場から次のようなツッコミを入れています (p. 82) .

【英語史・堀田】 17世紀後半のイングランドの事情と比較される.当時,真面目な文章の書かれる媒介が,ラテン語(日本語の文脈での文語体に比せられる)から英語(同じく口語体に比せられる)へと切り替わりつつあった.たとえば,アイザック・ニュートン (1647--1727) は,1687年に Philosophiae Naturalis Principia Mathematica 『プリンキピア』をラテン語で書いたが,1704年には Optiks 『光学』を英語で著した.この状況は当時の知識人に等しく当てはまり,日英語で比較可能な点である.もっとも日本の場合には同一言語の2変種の問題であるのに対して,イングランドの場合にはラテン語と英語という2言語の問題であり,直接比較することはできないように思われるかもしれないが,二つの言語変種が果たす社会的機能という観点からは十分に比較しうる.


 一方,私自身の英語標準化に関する論考「第6章 英語史における『標準化サイクル』」における3つの標準化の波という概念に対して,ドイツ語史を専門とする高田博行氏が,次の非常に示唆的なツッコミを入れていてます (p 107) .

【ドイツ語史・高田】 ドイツ語史の場合も,同種の三つの標準化の波を想定することが可能ではある.第1は,騎士・宮廷文学(1170~1250年)を書き表した中高ドイツ語で,これにはある程度の超地域性があった.しかし,この詩人語がその後に受け継がれはせず,14世紀以降に都市生活において公的文書がドイツ語で書き留められ,さらにルターを経て18世紀後半にドイツ語文章語の標準化が完結する.これが第2波といえる.第3波といえる口語での標準化は,Siebs による『ドイツ舞台発音』 (1898) 以降,ラジオとテレビの発達とともに進行していった.


 従来,○○語史研究者が△△語について論じている△△語史研究者の発言にもの申すということは,学術の世界では一般的ではありませんでしたし,今でもまだ稀です.しかし,あえてそのような垣根を越えて積極的に発言し,謹んで介入していこうというのが,今回の「対照言語史」の狙いです.いずれのツッコミも,謙虚でありながら専門的かつ啓発的なものです.本書を通じて,新しい形式の「学術的ツッコミ」を提案しています.ぜひこのノリをお楽しみください!

 ・ 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著) 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年.

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2022-05-26 Thu

#4777. 「標準」英語の意味の変遷 --- 「皆に通じる英語」から「えらい英語へ」 [standardisation][prestige][sociolinguistics][variety][swift]

 昨日の記事「#4776. 初の対照言語史の本が出版されました 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』」 ([2022-05-25-1]) で紹介した編著書では,英語の標準化について2本の論考が掲載されている.1つは寺澤盾先生(青山学院大学)による「第7章 英語標準化の諸相 --- 20世紀以降を中心に」で,もう1つは拙論の「第6章 英語史における『標準化サイクル』」である.
 そもそも「標準英語」 (Standard English) とは何かという根本的な問題については私もいろいろ考え続けてきたが,いまだによく分かっていない.以下の記事などは,その悩みの足跡ともいえる.

 ・ 「#1396. "Standard English" とは何か」 ([2013-02-21-1])
 ・ 「#3499. "Standard English" と "General English"」 ([2018-11-25-1])
 ・ 「#1237. 標準英語のイデオロギーと英語の標準化」 ([2012-09-15-1])
 ・ 「#3232. 理想化された抽象的な変種としての標準○○語」 ([2018-03-03-1])
 ・ 「#4277. 標準語とは優れた言語のことではなく社会的な取り決めのことである」 ([2021-01-11-1])
 ・ 「#1275. 標準英語の発生と社会・経済」 ([2012-10-23-1])
 ・ 「#1228. 英語史における標準英語の発展と確立を巡って」 ([2012-09-06-1])

 本来,標準英語とは「皆に通じる英語」ほどを意味する用語から始まったと思われるが,歴史の過程でいつのまにか,威信 (prestige) が宿り社会言語学的な手垢のついた「えらい英語」という地位にすり替わってしまったかのように思われる.「標準」の意味が,中立的なものから底意のあるものに変容してしまったのではないか.おそらく,この変容の生じた時期の中心は,後期近代英語期から現代英語期にかけてだろう.
 この変容を,Horobin (73--74) は Jonathan Swift (1667--1745) から Henry Cecil Wyld (1870--1945) への流れのなかに見て取っている.

   The application of the adjective standard to refer to language is first recorded in the eighteenth century, a development of its earlier use to refer to classical literature. A desire to associate English literature with the Classics prompted a wish to see the English language achieve a standard form. This ambition was most clearly articulated by Jonathan Swift: 'But the English Tongue is not arrived to such a degree of Perfection, as to make us apprehend any Thoughts of its Decay; and if it were once refined to a certain Standard, perhaps there might be Ways found out to fix it forever' (A Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue, 1712). By the nineteenth century, the term Standard English referred specifically to a prestige variety, spoken only by the upper classes, yet viewed as a benchmark against which the majority of native English speakers were measured and accused of using their language incorrectly.
   The identification of Standard English with the elite classes was overtly drawn by H. C. Wyld, one of the most influential academic linguists of the first half of the twentieth century. Despite embarking on his philological career as a neutral observer, for whom one variety was just as valuable as another, Wyld's later work clearly identified Standard English as the sole acceptable form of usage: 'It may be called Good English, Well-bred English, Upper-class English.' These applications of the phrase Standard English reveal a telling shift from the sense of standard signalling 'in general use' (as in the phrase 'standard issue') to the sense of a level of quality (as in the phrase 'to a high standard').
   From this we may discern that Standard English is a relatively recent phenomenon, which grew out of an eighteenth-century anxiety about the status of English, and which prompted a concern for the codification and 'ascertaining', or fixing, of English. Before the eighteenth century, dialect variation was the norm, both in speech and in writing.


 Horobin は他の論考においてもそうなのだが,Wyld 批判の論調が色濃い.この辺りは本当におもしろいなぁと思う.

 ・ Horobin, Simon. How English Became English: A Short History of a Global Language. Oxford: OUP, 2016.

Referrer (Inside): [2022-07-06-1]

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2022-05-25 Wed

#4776. 初の対照言語史の本が出版されました 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 [notice][standardisation][contrastive_linguistics][contrastive_language_history][gengo_no_hyojunka][toc]

 様々な言語における標準化の歴史を題材とした本が出版されました.

 ・ 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年.

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 私も編著者の1人として関わった本です.5年近くの時間をかけて育んできた研究会での発表や議論がもととなった出版企画が,このような形で結実しました.とりわけ「対照言語史」という視点は「海外の言語学の動向を模倣したものではなく,われわれが独自に提唱するもの」 (p. 4) として強調しておきたいと思います.例えば英語と日本語を比べるような「対照言語学」 (contrastive_linguistics) ではなく,英語「史」と日本語「史」を比べてみる「対照言語史」 (contrastive_language_history) という新視点です.
 この本の特徴を3点に絞って述べると,次のようになります.

 (1) 社会歴史言語学上の古くて新しい重要問題の1つ「言語の標準化」 (standardisation) に焦点を当てている
 (2) 日中英独仏の5言語の標準化の過程を記述・説明するにとどまらず,「対照言語史」の視点を押し出してなるべく言語間の比較対照を心がけた
 (3) 本書の元となった研究会での生き生きとした議論の臨場感を再現すべく,対話的脚注という斬新なレイアウトを導入した

 目次は以下の通りです.



 まえがき
 第1部 「対照言語史」:導入と総論
   第1章 導入:標準語の形成史を対照するということ(高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一)
   第2章 日中英独仏 --- 各言語史の概略(田中 牧郎・彭 国躍・堀田 隆一・高田 博行・西山 教行)
 第2部 言語史における標準化の事例とその対照
   第3章 ボトムアップの標準化(渋谷 勝己)
   第4章 スタンダードと東京山の手(野村 剛史)
   第5章 書きことばの変遷と言文一致(田中 牧郎)
   第6章 英語史における「標準化サイクル」(堀田 隆一)
   第7章 英語標準化の諸相 --- 20世紀以降を中心に(寺澤 盾)
   第8章 フランス語の標準語とその変容 --- 世界に拡がるフランス語(西山 教行)
   第9章 近世におけるドイツ語文章語 --- 言語の統一性と柔軟さ(高田 博行・佐藤 恵)
   第10章 中国語標準化の実態と政策の史話 --- システム最適化の時代要請(彭 国躍)
   第11章 漢文とヨーロッパ語のはざまで(田中 克彦)
 あとがき




 hellog でも言語の標準化の話題は繰り返し取り上げてきました.英語の標準化の歴史は確かに独特なところもありますが,一方で今回の「対照言語史」的な議論を通じて,他言語と比較できる点,比較するとおもしろい点に多く気づくことができました.
 「対照言語史」というキーワードは,2019年3月28日に開催された研究会にて公式に初めてお披露目しました(「#3614. 第3回 HiSoPra* 研究会のお知らせ」 ([2019-03-20-1]) を参照).その後,「#4674. 「初期近代英語期における語彙拡充の試み」」 ([2022-02-12-1]) で報告したように,今年の1月22日,ひと・ことばフォーラムのシンポジウム「言語史と言語的コンプレックス --- 「対照言語史」の視点から」にて,今回の編者3人でお話しする機会をいただきました.今後も本書出版の機会をとらえ,対照言語史の話題でお話しする機会をいただく予定です.
 hellog 読者の皆様も,ぜひ対照言語史という新しいアプローチに注目していたければと思います.

 ・ 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年.

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2022-04-13 Wed

#4734. メディア社会は英語の書記体系をどう変えるか? [writing_system][spelling][orthography][sociolinguistics][standardisation]

 英語の書記体系を題材に「社会言語学」してみたらどうなるだろうか.Coulmas の論文は,そのような試みである.
 新しいメディアやコミュニケーションの発達,そしてそれに伴う言語行動パターンの変化により,近い将来,英語の書き言葉はどのように変化していくのだろうか.誰にとっても未知の領域ではあるが,Coulmas (271-72) が論点をいくつか挙げている.

 ・ The admittance of spell checkers and electronic dictionaries in ever-lower grades at school could alter public attitudes toward the importance of spelling.
 ・ By virtue of easy access to materials in other languages and automatic translation software, language contact in the written mode has acquired a new dimension.
 ・ Non-native written English text is made public on an unprecedented scale.
 ・ Communities of vernacular writing are more easily formed. To what extent is this potential actually exploited?
 ・ More people partake in word play (Leetspeak, Lolcat) and Internet memes like Doge.
 ・ Non-standard and loaded spellings (e.g., imagiNation, a book title prior to Scotland's independence referendum) and cacography (wot? magick, marshall law) can gain currency in ways unimaginable only a generation ago (by 'going viral'). The exposure of the reading public to text on the Internet that has not gone through the traditional filters has grown exponentially. Will this have an effect on what is considered Standard English?
 ・ The authority the written word was traditionally accorded could be undermined and the grip of norm-preserving institutions (i.e., school, government printing offices, newspapers, dictionaries) on the language could weaken as a result.
 ・ New forms of writing practices evolve as the new media take hold in society. The handwritten CV is already anachronistic, while it is becoming more common for employers to screen job applicants' social media pages. At the same time, digital literacy is becoming ever more important for any employment and full participation in society.

 Coulmas の挙げている論点から浮かび上がってくるのは,世界中のメディア空間においてますます多くの非標準的な英語表記が飛び交うことにより,従来の標準的な書記からの逸脱が進行するのではないか,という近未来像だ.もちろん他に論点はあり得るし,標準からの逸脱に抵抗する力学も何らかの形で作用するに違いない.一度ゼミなどで議論するにふさわしい話題とみた.

 ・ Coulmas, Florian. "Sociolinguistics and the English Writing System." The Routledge Handbook of the English Writing System. Ed. Vivian Cook and Des Ryan. London: Routledge, 2016. 261--74.

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2022-03-19 Sat

#4709. Strang は ESL の「標準英語」も認めていた [world_englishes][model_of_englishes][esl][standardisation]

 昨日の記事「#4708. 世界英語の静的モデルの形成 --- Strang, Quirk et al, Kachru」 ([2022-03-18-1]) で見たように Quirk et al. や Kachru による有名な3つの同心円モデルの前身として,Strang による3区分モデルがあったという.Strang は構造主義言語学に基づいた英語史の名著の1つであり,私も何度か読んできたが,世界英語の分類に関する記述の箇所はさほどマークしていなかったようで,私にとってなかなか新しい発見だった.
 Quirk et al. のいう ENL, ESL, EFL は,Strang の区分では A, B, C-speakers に対応する.まずは,その説明部分を引用する (Strang 17--18) .

At the present time, for instance, English is spoken by perhaps 350 to 400m people who have it as their mother tongue. These people are scattered over the earth, in far-ranging communities of divergent status, history, cultural traditions and local affinities. I shall call them A-speakers, because they are the principal kind we think of in trying to choose a variety of English as a basis for description. The principal communities of A-speakers are those of the UK, the USA, Canada, Australia, New Zealand and South Africa. There are many millions more for whom English may not be quite the mother tongue, but who learnt it in early childhood, and who lived in communities in which English has a special status (whether or not as an official national language) as a, or the, language for advanced academic work and for participation in the affairs of men at the international, and possibly even the national level. These are the B-speakers, found extensively in Asia (especially India) and Africa (especially the former colonial territories). Then there are those throughout the world for whom English is a foreign language, its study required, often as the first foreign language, as part of their country's educational curriculum, though the language has no official, or even traditional, standing in that country. These are the C-speakers.


 ここまでは Quirk et al. と比べても,ほとんど同じ記述といってよい.しかし,Strang (18--19) は続く議論において,A-speakers のみならず B-speakers の共同体も,各々の「標準英語」を発展させてきたと明言しているのである(Quirk et al. はこの点に触れていない).

. . . we know that American English is different from British English and within the two, US English from Canadian, Boston from Brooklyn, Southern, Mid-Western or West Coast, or Edinburgh from Liverpool, Leeds or Newcastle. These examples introduce us to an important principle in the classification of varieties. In fact, in all the communities containing A- and B-speakers a special variety of English has developed, used for all public purposes, Standard English. By and large, with rather trivial exceptions, this kind of English is the same wherever English is used, except in one area of its organisation --- the accent, or mode of pronunciation. Different accents characterise the spoken standards of say, England, Scotland and the USA. In England special status is accorded to an accent characterised by its having no local roots, namely RP. Communities with only C-speakers are characterised by having no fully developed indigenous Standard so that they model themselves largely on the Standard (including accent) of one of the major English-speaking communities.


 Strang は,ENL と ESL を,それぞれ標準変種を発展させたという共通点においてまとめあげたが,Quirk et al. はこの観点をスルーした.そして,Quirk et al. がスルーしたこの観点を,後に Kachru が再び取り上げ,Strang 流の理解へと回帰した.そういうことのようだ.

 ・ Strang, Barbara M. H. A History of English. London: Methuen, 1970.
 ・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Grammar of Contemporary English. London: Longman, 1972.
 ・ Kachru, B. B. "Standards, Codification and Sociolinguistic Realism: The English Language in the Outer Circle." English in the World. Ed. R. Quirk and H. G. Widdowson. Cambridge: CUP, 1985. 11--30.

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