hellog〜英語史ブログ

#4889. 『言語の標準化を考える』の編者が綴る紹介文,第3弾(高田博行氏)[gengo_no_hyojunka][contrastive_language_history][notice][german][standardisation][notice]

2022-09-15

 2日間の記事 ([2022-09-13-1], [2022-09-14-1]) に続き,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)について編者自らが紹介するという企画の第3弾(最終回)です.
 ドイツ語史が専門の高田博行氏による本書紹介文です.英語に慣れてしまうと気づかなくなってしまいますが,英語はなかなか「変な」言語であるという議論です.ご本人の許可をいただき,こちらに掲載致します.

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「ドイツ語史から見て英語史で不思議に思えること」

高田 博行


 言語はそれぞれ固有な構造をしていて、言語Aの話者から見ると任意の言語Bは常に「変な」言語に見えてきます。英語話者から見て、同じゲルマン系の言語であるドイツ語がどう変に見えるのかについては、マーク・トウェイン(1835~1910年)による古典的な見立てがあります。トウェインは、ドイツ、スイス、フランス、イタリアを旅したときの体験に基づいて Tramp Abroad(1880年、日本語訳『ヨーロッパ放浪記』彩流社 1999年)を書きましたが、その補遺のひとつとして The Awful German Language (「恐ろしいドイツ語」)というエッセイを残しています。トウェインは、ドイツ語のどこが「恐ろしい」と言っているのでしょうか。名詞に性があること(「木」は男性、「つぼみ」は女性、「葉」は中性なのはどうして?)、名詞と形容詞の語尾変化が複雑であること、parenthesis 「括弧入れ」(大事な要素が文の最後に置かれるために、結果的に文全体が枠で囲まれるようになること。現在のドイツ語文法でいう「枠構造」のこと)のために語順が英語と大きく異なること、そして Unabhängigkeitserklärung「独立宣言」 のような長々しい複合語が遠慮なく作られることが、トウェインの言う恐ろしいドイツ語の正体のようです。
 英語の歴史からすると、名詞の性、そして名詞・形容詞の語尾変化については、英語が時間の経過のなかでいわば「無駄な部分」をそぎ落としていった結果、元来のゲルマン語に近いドイツ語の姿が変に見えるわけです。「括弧入れ」語順については、I think that his father will come to Japan next year.という語順で話す英語話者にとって、同じ文がドイツ語では I think that my father next year to Japan come will. (Ich denke, dass sein Vater nächstes Jahr nach Japan kommen wird.) という並び方になってしまうのは、たしかに反転した鏡像を見ているようで 気持ちが悪いというのも共感できます。これは、ドイツ語の独自の展開の中で枠構造という遠隔配置的な文法規則が形成され、最終的に17世紀に確定したものです。
 このような文法に関わる部分とは異なり、語彙に関わる面については人為的介入の余地がありえます。Unabhängigkeitserklärung 「独立宣言」という複合語が長く見えるのは、Unabhängigkeits-erklärung のようにハイフンを入れたり、Unabhängigkeits Erklärung のように分けて綴ったりすれば可視性が高まるのにそうはしないからです。しかし、このドイツ語の書法上の習慣(規則)だけが、複合語を長々しくする理由ではありません。そもそもドイツ語母語話者たちが長年にわたって、概念を言い表すときにラテン語やフランス語などから語を借用することなく、ドイツ語の造語力を信じて本来の(ゲルマン系の)ドイツ語で言い切ろうとしてきた取り組みの結果が、この複合語の長さを生んでいるのです。「独立宣言」という概念は、英語では declaration of independence のように、近世初期にラテン語から借用された語を用いて分析的に言い表されます。それに対して、ドイツ語の Unabhängigkeitserklärung はその構成部分がすべてドイツ語(ゲルマン系の語)から成り立っています。Unabhängigkeitserklärung は、un(英 un)「否定の接頭辞」+ ab(英 off)「下方へ」+ häng(英 hang)「垂れる」+ ig(英 y)「性質を表す形容詞を派生する接尾辞」+ keit(英 hood)「抽象名詞を派生する接尾辞」+ s(英 s)「語をつなぐ接合辞(本来は所有を表す)」+ er 「獲得・創造を意味する動詞を派生する接頭辞」+ klär(英 clear)+ ung(英 ing)「抽象名詞を派生する接尾辞」から成っています。「独立」を「垂れ下がるような性質ではないこと」のように、「宣言」を「広く明確にすること」のように説明的に表現しています。これはちょうど日本のかつてローマ字主義者が作成した漢語のやまとことば化の提案(福永恭助・岩倉具実『口語辞典 Hanasikotoba o hiku Zibiki』森北出版 1951年)に従うと、「独立宣言」は「ひとりだち いいたて」のように説明的で長くなるのと平行的だと言うこともできるでしょう。
 上に述べたように母語による語彙形成(造語)という意識的な取り組みが際立っているドイツ語史から見ると、なぜ英語は母語の要素による語彙形成を放棄したのかが大変に気になってきます。ノルマン・コンケスト(1066年)のあとフランス語語彙が生活の基本部分に深く入ってきたことで、ゲルマン系言語としての英語のいわば自意識が弱まったことが大きな英語史上の原因であると推測しますが、きっとその後の英語史の展開においても相応の理由があって現在のような語彙の構造になっているものと思います。ちょうど12月10日(土)に日本歴史言語学会で、日中英独仏の5言語について「語彙の近代化」をめぐって言語史を対照するシンポジウムを開催します。そのときにこのあたりのお話を、われらが堀田先生から伺えればと思っています。




 Mark Twain の「英語からみるドイツ語の変なところ」,高田氏の「ドイツ語からみる英語の変なところ」,それぞれお互い様のようなところがあって,おもしろいですね.「日本語からみる諸外国語の変なところ」であれば,無数に指摘できそうです.言葉が異なるのだから変に決まっているという側面はもちろんありますが,言葉のたどってきた歴史がそれぞれ異なっていたからこそ余計に変なのだ,という側面もおおいにあると思います.変である理由を探れるというのも,対照言語史のおもしろさと可能性ではないでしょうか.
 最後の部分で私の名前を言及していただきましたが,12月10日(土)午後に編者3名を含む日中英独仏の5言語史の専門家5名が集まり,日本歴史言語学会にてシンポジウム「日中英独仏・対照言語史―語彙の近代化をめぐって」を開催します(学習院大学でハイブリッド開催予定.案内はこちらです).
 シンポジウムでは,本書で扱った言語標準化と関連させつつも,独立して議論できるテーマとして「語彙の近代化」が選ばれています.上で高田氏が指摘している英独語の語彙の「行き方」の違いについても,何かしら議論することになりそうです.この問題について,私自身もじっくり考えてみようと思います.

 以上,3日間にわたり編者による『言語の標準化を考える』の紹介文を掲載してきました.ぜひ本書を手に取っていただければ幸いです.

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