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historical_pragmatics - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-09-19 08:56

2016-07-23 Sat

#2644. I pray you/thee から please [politeness][pragmatics][historical_pragmatics][speech_act][sociolinguistics][felicity_condition]

 「#2289. 命令文に主語が現われない件」 ([2015-08-03-1]) の最後に簡単に触れたように,初期近代英語での依頼のポライトネス・ストラテジーとしては,Shakespeare に頻出するように,I pray you/thee, prithee, I beseech you, I require that, I would that などがよく用いられた.しかし,後期近代英語になると,これらは特に口語体において衰退し,代わりに17世紀より散発的に現れ始めていた please (< if you please < if (it) please you) が優勢となってきた.依頼に用いられる表現がこのように変化してきた背景には,何があったのだろうか.
 この疑問については,please の成立に関する語順や文法化の問題として言語内的に考察しようという立場がある一方で,社会(言語)学や歴史語用論の観点から説明を施そうという立場もある.後者の立場からは,例えば,19世紀に pray が語感として強い宗教的な含意をもつようになったために,通常の依頼の表現としてはふさわしくないと感じられるようになった,という提案がある.
 Busse も歴史語用論の立場からこの変化の問題に接近し,この時期に焦点を話し手から聞き手へと移すというポライトネス・ストラテジーの転換が起こったのではないかと推測している.古い I pray you のタイプの適切性条件 (felicity condition) は「話し手が聞き手に○○をしてもらいたいと思っている」ことであるのに対して,新興の (if you) please のタイプでは,「話し手が聞き手に○○をしようという意図があるかどうかを訊ねる」ことであるという違いがある.後者の適切性条件は,Can/could you pass the salt? のような疑問の形式を用いた依頼にも見られるものであり,確かに I pray you などよりも現代的な響きが感じられる.
 Busse (31--32) はこの推測を次のようにまとめている.

Pragmatically, the redressed command and the question have in common that they ask for the willingness of the listener to do X (willingness on the part of the hearer being a felicity condition for imperatives to be successful). Yet, indirect requests with pray/prithee put the focus on the speaker and assert his/her sincerity: Speaker sincerely wants X to be done.

The diachronic comparison of requests with pray to those with please on the basis of the OED and the Shakespeare Corpus has led me to the assumption that the disappearance of pray in polite requests and the subsequent rise of please as a concomitant can be explained pragmatically. This is to say that at least in colloquial speech a shift in polite requests has taken place from requests that assert the sincerity of the speaker (I pray you, beseech you, etc.) to those that question the willingness of the listener to perform the request (please). . . .However, in more formal types of dialogue, verbs that express the speaker's sincere wish that something be done, such as I beseech, entreat, implore, importune, solicit, urge, etc. you still persist.


 もしこの変化が初期近代英語から後期にかけてのポライトネス・ストラテジーの大きな推移――話し手から聞き手への焦点の移行――を示唆しているとすれば,それは英語歴史社会語用論の一級の話題となるだろう.

 ・ Busse, Ulrich. "Changing Politeness Strategies in English Requests --- A Diachronic Investigation." Studies in English Historical Linguistics and Philology: A Festschrift for Akio Oizumi. Ed. Jacek Fisiak. Frankfurt am Main: Peter Lang, 2002. 17--35.

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2016-04-07 Thu

#2537. Jesus の語用化 [historical_pragmatics][pragmatics][taboo][interjection][swearword][invited_inference][subjectification][grammaticalisation]

 驚きや狼狽を表し,「ちくしょう,くそっ,なってこった」ほどと訳される間投詞としての Jesus がある.Godgoddamn などと同様の罵り言葉であり,明らかに宗教的な名前に起源をもつが,それが時とともに語用標識 (pragmatic marker) へと発展したものである.いうまでもなく元来 Jesus は神の子イエス・キリストを指すが,"Jesus, please help me." のように非宗教的な嘆願の文脈でもしばしば用いられたことから,祈り,呪い,罵りの場面と密接に関係づけられるようになった.その結果,単独で間投詞として用いられるに至り,この用法としては,もはやイエス・キリストを指示する機能はきわめて希薄である.ある特定の文脈で繰り返し用いられることにより,この語に当該の語用的な含意が染みついた語用化 (pragmaticalisation) の例である.以下,Jucker and Taavitsainen (134--38) に拠って,この現象を覗いてみよう.
 イエスの指示,嘆願における呼びかけ,そして間投詞としての Jesus の用法のグラデーションは,以下の例文により共時的にも感じ取ることができる (qtd. in Jucker and Taavitsainen 134).

 ・ I went through the motions, but I still prayed to Jesus at night, still went to church. (COCA, ABC_20/20, 2010)
 ・ Oh, Jesus please bless her. Here goes another one, little lady. (COCA, CNN_King, 1997)
 ・ He flicks on the TV. Nothing. Goddamn box. Not even plugged in. Jesus. He can't be prowling around looking for a socket. Shit. (COCA, Gologorsky, Beverly. The things we do to make it home, 1999)


 古英語でもイエスを指示したり,イエスに嘆願するのに Iesus の語が用いられていたが,宗教的な文脈に限られていた.しかし,中英語ではすでに非宗教的な文脈で用いられている.例えば,1377年には "Bi iesus, with here ieweles, howre iustices she shendeth." とあり,語用化の道,間投詞への道をすでに歩んでいることがうかがえる.語用化の前後で共通しているものは話者の運命を左右する何者かへの訴えかけであり,その者とは神だったり,上位の者だったり,運命だったりするわけだ.
 後期中英語より後では,罵り言葉としての Jesus の用法が明確になってくるが,それでも元来の用法との境目が曖昧な例は数多い.Jucker and Taavitsainen (136) は,曖昧な領域をまたぐこの語用化の道筋を誘導推論 (invited_inference) の観点から説明している.

The expression is regularly used with both the original meaning of religious invocation and the invited inference that the speaker also wants to communicate a certain amount of surprise and annoyance, and, therefore, the invited inference becomes part of the coded meaning of the expression, while the original meaning is increasingly backgrounded.


 語用化の過程は,文法化 (grammaticalisation) や主観化 (subjectification) とも密接に関わっており,実際 Jesus の経た変化は,話者の感情を伝えるようになった点で主観化の例とみることもできる.また,嘆願の呼びかけとして文頭に現われやすいことが,文の他の要素からの独立を促し,間投詞化を推し進めたととらえることもできそうである.

 ・ Jucker, Andreas H. and Irma Taavitsainen. English Historical Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.

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2015-10-01 Thu

#2348. 英語史における code-switching 研究 [code-switching][me][emode][bilingualism][contact][latin][french][literature][borrowing][genre][historical_pragmatics][discourse_analysis]

 本ブログでは code-switching (CS) に関していくつかの記事を書いてきた.とりわけ英語史の視点からは,「#1470. macaronic lyric」 ([2013-05-06-1]),「#1625. 中英語期の書き言葉における code-switching」 ([2013-10-08-1]),「#1941. macaronic code-switching としての語源的綴字?」 ([2014-08-20-1]),「#2271. 後期中英語の macaronic な会計文書」 ([2015-07-16-1]) で論じてきた.現代語の CS に関わる研究の発展に後押しされる形で,また歴史語用論 (historical_pragmatics) の流行にも支えられる形で,歴史的資料における CS の研究も少しずつ伸びてきているようであり,英語史においてもいくつか論文集が出されるようになった.
 しかし,歴史英語における CS の実態は,まだまだ解明されていないことが多い.そもそも,CS が観察される歴史テキストはどの程度残っているのだろうか.Schendl は,中英語から初期近代英語にかけて,複数言語が混在するテキストは決して少なくないと述べている.

There is a considerable number of mixed-language texts from the ME and the EModE periods, many of which show CS in mid-sentence. The phenomenon occurs across genres and text types, both literary and non-literary, verse and prose; and the languages involved mirror the above-mentioned multilingual situation. In most cases Latin as the 'High' language is one of the languages, with one or both of the vernaculars English and French as the second partner, though switching between the two vernaculars is also attested. (79)

CS in written texts was clearly not an exception but a widespread specific mode of discourse over much of the attested history of English. It occurs across domains, genres and text types --- business, religious, legal and scientific texts, as well as literary ones. (92)


 ジャンルを問わず,様々なテキストに CS が見られるようだ.文学テキストとしては,具体的には "(i) sermons; (ii) other religious prose texts; (iii) letters; (iv) business accounts; (v) legal texts; (vi) medical texts" が挙げられており,非文学テキストとしては "(i) mixed or 'macaronic' poems; (ii) longer verse pieces; (iii) drama; (iv) various prose texts" などがあるとされる (Schendl 80) .
 英語史あるいは歴史言語学において CS (を含むテキスト)を研究する意義は少なくとも3点ある.1つは,過去の2言語使用と言語接触の状況の解明に資する点だ.2つめは,CS と借用の境目を巡る問題に関係する.語彙借用の多い英語の歴史にとって,借用の過程を明らかにすることは,理論的にも実際的にも極めて重要である (see 「#1661. 借用と code-switching の狭間」 ([2013-11-13-1]),「#1985. 借用と接触による干渉の狭間」 ([2014-10-03-1]),「#1988. 借用語研究の to-do list (2)」 ([2014-10-06-1]),「#2009. 言語学における接触干渉2言語使用借用」 ([2014-10-27-1])) .3つめに,共時的な CS 研究に通時的な次元を与えることにより,理論を深化させることである.

 ・ Schendl, Herbert. "Linguistic Aspects of Code-Switching in Medieval English Texts." Multilingualism in Later Medieval Britain. Ed. D. A. Trotter. Cambridge: D. S. Brewer, 2000. 77--92.

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2015-08-03 Mon

#2289. 命令文に主語が現われない件 [imperative][syntax][pragmatics][sociolinguistics][politeness][historical_pragmatics][emode][speech_act]

 標題は,長らく気になっている疑問である.現代英語の命令文では通常,主語代名詞 you が省略される.指示対象を明確にしたり,強調のために you が補われることはあるにせよ,典型的には省略するのがルールである.これは古英語でも中英語でも同じだ.
 共時的には様々な考え方があるだろう.命令文で主語代名詞を補うと,平叙文との統語的な区別が失われるということがあるかもしれない.これは,命令形と2人称単数直説法現在形が同じ形態をもつこととも関連する(ただし古英語では2人称単数に対しては,命令形と直説法現在形は異なるのが普通であり,形態的に区別されていた).統語理論ではどのように扱われているのだろうか.残念ながら,私は寡聞にして知らない.
 語用論的な議論もあるだろう.例えば,命令する対象は2人称であることは自明であるから,命令文において主語を顕在化する必要がないという説明も可能かもしれない.社会語用論の観点からは,東 (125) は「英語は主語をふつう省略しない言語だが,命令文の時だけは省略する.この主語(そして命令された人も)を省略する文法は,ポライトネス・ストラテジーのあらわれだといえよう」と述べている.関連して,東は,命令文以外でも you ではなく一般人称代名詞 one を用いる方がはるかに丁寧であるとも述べており,命令文での主語省略を negative politeness の観点から説明するのに理論的な一貫性があることは確かである.
 しかし,ポライトネスによる説明は,現代英語の共時的な説明にとどまっているとみなすべきかもしれない.というのは,初期近代英語では,主語代名詞を添える命令文のほうがより丁寧だったという指摘があるからだ.Fennell (165) 曰く,". . . in Early Modern English constructions such as Go you, Take thou were possible and appear to have been more polite than imperatives without pronouns."
 初期近代英語の命令や依頼という言語行為に関連するポライトネス・ストラテジーとしては,I pray you, Prithee, I do require that, I do beseech you, so please your lordship, I entreat you, If you will give me leave など様々なものが存在し,現代に連なる please も17世紀に誕生した.ポライトネスの意識が様々に反映されたこの時代に,むしろ主語付き命令文がそのストラテジーの1つとして機能した可能性があるということは興味深い.上記の東による説明は,よくても現代英語の主語省略を共時的に説明するにとどまり,通時的な有効性はもたないだろう.
 この問題については,今後も考えていきたい.

 ・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.
 ・ 東 照二 『社会言語学入門 改訂版』,研究社,2009年.

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2015-04-05 Sun

#2169. 日本語における「女性語」 (3) [gender_difference][gender][japanese][discourse_analysis][historical_pragmatics][sociolinguistics][linguistic_ideology]

 「#1905. 日本語における「女性語」」 ([2014-07-15-1]),「#1915. 日本語における「女性語」 (2)」 ([2014-07-25-1]) に引き続いての話題.先の2つの記事では,日本語の女ことばの起源と発展について,日本語史で伝統的に言われてきたことに基づいて記述した.しかし,中村はジェンダー論,歴史談話分析,歴史社会言語学の立場から,従来行われてきた女ことばの歴史記述に異議を唱え,女ことばは各時代に特有の言語イデオロギー(「#2163. 言語イデオロギー」 ([2015-03-30-1]))により形成されてきたと主張する.
 例えば,室町時代の女房詞を女ことばの起源とする伝統的な見解について,中村は疑念を表明している.「女性たちが使ってきた言葉づかいは多様なので,多様な言葉づかいが自然にひとつの「女ことば」を形成することは考えにくい」 (50) とあるように,女房詞は後世の女ことばの数多くあるルーツの候補の1つではあるが,それが単独かつ直接に女ことばへ発展していったわけではないという.そもそも,女房詞の属性には,女性に使用されるということだけでなく,宮中で使用されるという社会階級に関する側面も含まれている.むしろ,後者に力点を置けば,女房詞は女ことばというよりは階級方言と呼ぶほうがふさわしい.もともと階級方言に近かった言葉遣いのいくつかを,後に女性一般の規範的な言葉遣いのなかへ意図的に取り込むことによって,徐々に女ことばが形成されてきたと考えられる.
 中村は,時代ごとの女ことばの発展の背景にはいつも政治的・倫理的な側面があったと主張し,それに支えられ,それを支えている言語イデオロギーの正体を次々と暴いていく.明治期の標準語策定における女ことばの排除,言文一致運動と翻訳文学に駆動された女ことばの創出,女子教育の高まりとともに却って女ことばに付加されるようになったセクシュアリティの含蓄,戦中の礼賛されるべき美しき日本語の伝統としての女ことば,戦後の自然な女らしさを発露するものとして捉えられた女ことば,等々.
 中村の提起する数々の言語イデオロギーを要領よくまとめることができないので,中村自身の結論を引用したい (227--29) .

 本書では、女ことばという理念が、西洋やアジアとのグローバルな関係や、都市と地方、中流階級と労働者階級、近代と伝統、未来と過去などのさまざまに対立する社会過程の中で、「女らしさの規範」「西洋近代との親和性」「セクシュアリティ」「天皇制国家の伝統」「家父長制の家族制度」「日本文化の優位性」「日本語の伝統」などの意味づけを与えられることで形成されてきたことを見てきました。
 鎌倉時代から続く規範の言説によって女性の発言を支配する傾向が、江戸時代の女訓書に列挙された女房詞という具体的な語彙によって強化され、「つつしみ」や「品」となって現代のマナー本にも見られるような女らしさとの結びつきが強調されるようになったこと。
 明治の開国後、近代国家建設の過程で必要となった国語理念を、男性国民の言葉として純化させるために、そして、女子学生を西洋近代と日本を媒介する性的他者とするためにも、「てよ・だわ」など具体的な語と結びついた女学生ことばが広く普及したこと。
 戦中期には、アジアの植民地の人々に日本語を教えることで皇国臣民にする同化政策や家父長的な家族的国家観に基づいて女性も戦争に動員する総動員体制を背景に、女ことばが天皇制国家の伝統とされ、家父長制の象徴である「性別のある国語」が強調されたこと。
 戦後には、占領軍によって男女平等政策が推進され、天皇制や家父長制が否定される中で、女ことばを自然な女らしさの発露として再定義する言説が普及し、女ことばには、日本の伝統を象徴することが期待されるようになったこと。
 その過程で、「女の言葉」は、近代国語を純化させる否定項として、帝国日本語の伝統として、常に「日本語」や「日本」との関係で語られ続けてきました。日本語に「女ことばがある」と信じられているのは、いつの時代にも女の言語行為について語る言説が可能になり、意味を持ち、普及するような政治経済状況があったからです。この意味で、女ことばの歴史を知ることは、女だけにかかわる事象というよりも、日本語がなぜ今ある形をしているのかを理解する上で、欠くことのできない作業だと言えるのです。


 非常に手応えのある新書だった.

 ・ 中村 桃子 『女ことばと日本語』 岩波書店〈岩波新書〉,2012年.

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2015-02-02 Mon

#2107. ドイツ語の T/V distinction の略史 [german][politeness][euphemism][t/v_distinction][personal_pronoun][historical_pragmatics][honorific][face][iconicity][solidarity]

 英語史における2人称代名詞に関する語用論的問題,いわゆる T/V distinction の発達と衰退の問題は,t/v_distinction のいくつかの記事で取り上げてきた.今回は,高田に拠ってドイツ語の T/V distinction の盛衰の歴史を垣間見たい.
 ドイツ語史は,T/V distinction について回る「敬意逓減の法則」の好例を提供してくれる.現代ドイツ語の du/Sie の2分法は,紆余曲折の歴史を経て落ち着いた結果としての2分法であり,ここに至るまでには,とりわけ近代期には複雑な段階を経験してきた.17--18世紀には,人々は相手を指すのにどの表現を使えばよいのか思い悩み,数々の2人称代名詞に「踊らされる」時代が続いていた.社会語用論的に不安定な時代と呼んでよいだろう.以下は,高田 (145) のまとめた「ひとりの相手に対するドイツ語古称代名詞の史的発達」の表である(少々改変済み).上段にある代名詞ほど,相手の社会的身分が高い,あるいは自分と疎遠な関係にあることを示す.

T/V Distinction in the History of German

 この表は,ドイツ語史において2人称単数代名詞の敬称がいかに次々と生み出されてきたかを雄弁に物語っている.ゲルマン語の段階では,古英語などと同様に,2人称単数代名詞としてはT系統の形態が1つあるにすぎなかった.古英語の þū に対応する du である.この時代には王に対しても召使いに対しても対等に du のみが用いられていた.
 9世紀後半になると,2人称複数代名詞であった Ihr が敬意を表す単数として用いられ始めた.これ自体は,「#1126. ヨーロッパの主要言語における T/V distinction の起源」 ([2012-05-27-1]) や「#1552. T/V distinction と face」 ([2013-07-27-1]) で触れたように,英語史やフランス語史にもみられた現象であり,しばしば権力と複数性との写像性 (iconicity) により説明される.ただし,ドイツ語史では英語史に比べてかなり早くにこの用法が現われたことは注目すべきである.こうして9世紀後半に始まった du/Ihr の2分法は,11世紀までには普及し,社会的な権力や地位,すなわち power というパラメータを軸に16世紀まで存続した.
 16世紀になると長期にわたって安定していた du/Ihr の2分法が崩れ始めた.Ihr の敬意が逓減し,社会的な地位の高くない人にまで使われるようになった.その代替手段として der Herr, die Frau といった人物名称が用いられ始めたが,繰り返し使われるにつれて,これらの名詞句を受ける3人称単数代名詞 ersie それ自体も呼称として用いられるようになった.ここに至って,新たな Er/Sie, Ihr, du の3段階システムができあがった.
 18世紀に入ると,ドイツ語の呼称代名詞は「迷路」に迷い込んだ.その頃までには,高位の人に冠する称号として Eure Majestät (陛下)や Eure Ehre (閣下)や Eure Gnaden (閣下)のように,「威厳」「名誉」「恩寵」などの抽象名詞(たいてい女性名詞)を付す呼称が発達していた.これらの女性抽象名詞を前方照応する形で,3人称女性代名詞 sie が用いられていたが,これはたまたま3人称複数代名詞と同音だったために,後者にも敬称の機能が移った.ここに至って,Sie, Er/Sie, Ihr, du の4段階システムが成った.
 18世紀後半には,4段階システムにおける最上位の Sie ですら敬意逓減の餌食となり,指示代名詞の複数形 Dieselben が新たな最上位の敬称として生み出され,5段階システムを形成した.ただし,Dieselben は前方の名詞と照応する形でしか用いられなかったし,書き言葉に限定されていたために,一般化することはなかった.
 だが,世紀の変わり目に向けて,呼称代名詞をめぐる社会語用論の混乱は収束に向かう.最も古く,最も低位の du に「友情崇拝」 (Freundschaftskult) という社会的な価値が付され,積極的に評価されるようになってきたのだ.du に positive politeness の機能が付されるようになったといってもよいし,社会的階級あるいは power に基づく呼称体系から人間関係あるいは solidarity に基づく呼称体系へと移行したとみることもできる (cf. 「#1059. 権力重視から仲間意識重視へ推移してきた T/V distinction」 ([2012-03-21-1])).19世紀以降,du の役割の相対的な上昇と,細かな上位区分の解消により,現在あるような du/Sie の2分法へと落ち着いてゆき,ドイツ語は近代の社会語用論的な迷路から脱出することに成功した.
 ドイツ語史の関連する話題としては「#185. 英語史とドイツ語史における T/V distinction」 ([2009-10-29-1]) と「#1865. 神に対して thou を用いるのはなぜか」 ([2014-06-05-1]) でも触れているので,そちらも参照されたい.

 ・ 高田 博行 「敬称の笛に踊らされる熊たち 18世紀のドイツ語古称代名詞」『歴史語用論入門 過去のコミュニケーションを復元する』(高田 博行・椎名 美智・小野寺 典子(編著)),大修館,2011年.143--62頁.

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2014-10-22 Wed

#2004. ICEHL18 に参加して気づいた学界の潮流など [academic_conference][historical_pragmatics][icehl]

 2014年7月14--18日にベルギーのルーベン (KU Leuven) で開催された ICEHL18 (18th International Conference on English Historical Linguistics) に参加してきた.私も "The Ebb and Flow of Historical Variants of Betwixt and Between" というタイトル (cf. ##1389,1393,1394,1554,1807) でつたない口頭発表をしてきたが,それはともかくとして英語史分野での最大の国際学会に定期的に参加することは,学界の潮流をつかむ上でたいへん有用である.先日,学会参加を振り返って英語史研究の潮流について気づいた点を簡易報告としてまとめる機会(←駒場英語史研究会)があったので,その要点を本ブログにも掲載しておきたい.いずれも粗い分析なので,あくまで参考までに.

(1) Plenary talks

 1. Robert Fulk (Indiana University, Bloomington)
  English historical philology past, present, and future: A narcissist's view
 2. Charles Boberg (McGill University)
  Flanders Fields and the consolidation of Canadian English
 3. Peter Grund (University of Kansas)
  Identifying stances: The (re)construction of strategies and practices of stance in a historical community
 4. María José López-Couso (University of Santiago de Compostela)
  On structural hypercharacterization: Some examples from the history of English syntax

(2) Rooms

 ・ Code-switching & Scribal practices
 ・ Discourse & Information structure
 ・ Dialectology & Varieties of English
 ・ Grammaticalization (Noun Phrase)
 ・ Grammaticalization (Verb Phrase)
 ・ Historical sociolinguistics
 ・ Lexicology & Language contact
 ・ Morphology & Lexical change
 ・ Phonology
 ・ Pragmatics & Genre
 ・ Reported speech
 ・ Syntax & Modality
 ・ VP syntax

(3) Workshops

 ・ Cognitive approaches to the history of English
 ・ Early English dialect morphosyntax
 ・ Exploring binomials: History, structure, motivation and function
 ・ (De)Transitivization: Processes of argument augmentation and reduction in the history of English

(4) 研究発表のキーワード

 以下は、ICEHL18での講演、個人研究発表、ワークショップでの発表、ポスター発表を含めた166の発表(キャンセルされたものを除く)の内容に関するキーワードとその分布を整理したもの.キーワードは、各発表につきタイトルおよび(実際に参加したものについては)内容を勘案したうえで、数個ほど適当なものをあてがったもので、多かれ少なかれ私の独断と偏見が混じっているものと思われる.

           syntax (48)  ********************************************************
                ME (38) ********************************************
              ModE (30) ***********************************
                OE (27) *******************************
             genre (23) **************************
        pragmatics (22) *************************
            corpus (16) ******************
        morphology (14) ****************
grammaticalisation (13) ***************
         semantics (13) ***************
      construction (12) **************
      dialectology (12) **************
         discourse (10) ***********
  sociolinguistics ( 8) *********
        lexicology ( 7) ********
        inflection ( 6) *******
         phonology ( 6) *******
           contact ( 5) *****
          modality ( 5) *****
            deixis ( 4) ****
        derivation ( 4) ****
        manuscript ( 4) ****
        stylistics ( 4) ****
    code-switching ( 4) ****
           Chaucer ( 3) ***
         cognitive ( 3) ***
      grammatology ( 3) ***
            scribe ( 3) ***
            Caxton ( 2) **
         etymology ( 2) **
        generative ( 2) **
      lexicography ( 2) **
               OED ( 2) **
         phonetics ( 2) **
            runics ( 2) **
     Scots_English ( 2) **
  subjectification ( 2) **
           variety ( 2) **
  American_English ( 1) *
  Canadian_English ( 1) *
     Irish_English ( 1) *
         diffusion ( 1) *
     evidentiality ( 1) *
            gender ( 1) *
       methodology ( 1) *
           metrics ( 1) *
        onomastics ( 1) *
       preposition ( 1) *
   standardisation ( 1) *
          typology ( 1) *

(5) 研究発表者の所属研究機関の国籍

 のべ研究発表者(1発表に複数の発表者という場合もあり)の所属機関の国別の分布.日本勢も健闘しています!

           Germany (34) ***************************************
            Poland (18) *********************
           England (17) *******************
       Switzerland (15) *****************
           Belgium (13) ***************
             Japan (13) ***************
       Netherlands (13) ***************
          Scotland (11) ************
           Finland (10) ***********
             Spain (10) ***********
                US ( 9) **********
            Norway ( 5) *****
            France ( 4) ****
           Austria ( 3) ***
             Italy ( 3) ***
            Canada ( 2) **
           Hungary ( 2) **
            Sweden ( 2) **
          Bulgaria ( 1) *
            Greece ( 1) *
         Hong_Kong ( 1) *
               UAE ( 1) *
           Ukraine ( 1) *
             Wales ( 1) *


 (4) と (5) の情報をまとめてタグクラウドで表現.

ICEHL18 Keywords in Tag Cloud

(6) 学会の潮流など気づいた点

 ・ ここ数年の傾向として,従来のコアな研究分野 (syntax, morphology, etc.) に加え,pragmatics, corpus, grammaticalisation, construction, sociolinguistics, contact などの関心が成長してきている.とりわけ,「historical sociopragmatics の研究を corpus で行う」という際だった潮流が感じられる.
 ・ ワークショップとして組まれていたということもあるが,cognitive, grammaticalisation, modality にみられる認知的なアプローチも着々と地歩を築いている(直近数回のICEHLでは意外と目立っていなかったという印象).
 ・ generative は減少してきているものの,持続.
 ・ 上記の潮流や流行がある一方で,伝統的な研究分野 (dialectology, phonology, manuscript, Chaucer, etc.) は盤石・健在.
 ・ 「周辺的」な分野 (varieties of English, code-switching, runics, onomastics, standardisation, etc.) も多種多様にみられ,英語史分野の学会として最大であるがゆえに(?)"inclusive" という印象を新たにした.なお,日本人発表者の間でも発表内容は多種多様.
 ・ 師匠と弟子によるチーム研究発表という形式は以前からあったが,それ以外にも複数名(しばしば多国籍)による研究発表が多くなってきている.コーパス編纂に共同作業が不可欠であることや,そのようなコーパスを基盤にした研究書の出版が多くなってきていることとも関係しているか?多国籍グループ研究が成長してきている印象.
 ・ ワークショップの試みはICEHLではおそらく初のもので,cognitive のような広いものから,binomials のようなピンポイントのものまであり,充実していた様子.
 ・ コーパス使用は完全に定着し,過半数の研究(7〜8割方という印象)が何らかのコーパス使用に基づいていたのではないか.近代英語に関しては COHA や Google Books Ngram Viewer などの巨大コーパスで大雑把に予備調査し,そこから問題を絞り込むというスタイルがいくつかの発表で見られた.
 ・ 個人的には4日目(7月17日)の午前中の "Lexicology & Language contact" 部屋の人称代名詞関連3発表が刺激的だった.特に Lass & Laing のコンビによる,she の起源という積年の話題に決着をつけんという意気込みがものすごく,今回私が出席した発表のなかではオーディエンスの入りも最多で,質疑応答と議論も非常に活発だった.
   - Lass, Roger & Laing, Margaret (University of Edinburgh): On Middle English she, sho: A refurbished narrative
   - Alcorn, Rhona (University of Edinburgh): How 'them' could have been 'his'
   - Marcelle Cole (Leiden University): Where did THEY come from? A native origin for THEY, THEIR, THEM.

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2014-10-19 Sun

#2001. 歴史語用論におけるデータ [historical_pragmatics][methodology][genre][medium]

 昨日の記事「#2000. 歴史語用論の分類と課題」 ([2014-10-18-1]) で,歴史語用論を巡る様々な見方を紹介した.歴史言語研究の他の多くの部門と同様に,歴史語用論もかつての言語,とりわけ話し言葉を可能な限り正確に記述することを目指している.もっとも,歴史語用論は,媒介が話し言葉であれ書き言葉であれ,ジャンルが会話であれ,私信であれ,劇であれ,それぞれを1つの特有の談話 (discourse) として,独立した研究対象とすることを推進してきたのであり,必ずしも話し言葉の復元にこだわっているわけではない.とはいえ,歴史語用論でも,話し言葉の復元が重要な課題の1つであることにはかわりない.
 では,事実上書き言葉を通じてしか過去の言語のありようを知ることのできない歴史語用論を含む歴史言語研究では,そこからどのようにして話し言葉に関する情報を抽出することができるだろうか.書き言葉に埋め込まれている話し言葉の要素を取り出すためには,まず両者の関係に関する理解と理論が必要である.よく知られている理論の1つに,「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」 ([2009-12-13-1]) で取り上げた Koch and Oesterreicher による「遠いことば」 (Sprache der Distanz) と「近いことば」 (Sprache der Nähe) に関わる図式がある.日記,新聞記事,講演,インタビューなど各種の談話が,書き言葉(文字)と話し言葉(音声)の関係のなかでそれぞれどの辺りに位置するのかを示したモデルである.これにより,話し言葉に近い書き言葉が反映された談話を選び出すことができる.
 Jucker and Taavitsainen (23) に,Jucker の提案するもう1つのモデルが示されている."Data in historical pragmatics: The 'communicative view'" と題された図の概要を再現する.

                              ┌─── monologic ──── books, poems
Genuinely written data  ───┤
                              └─── dialogic  ──── letters, pamphlets

                              ┌─── retrospective ──── reports, protocols (e.g. legal); in diaries
                              │
                              │                       ┌── in narratives or poetry
                              │                       │
Written representations ───┼─── fictional ───┼── in academic texts
of spoken language            │                       │
                              │                       └── drama
                              │
                              │                       ┌── in conversation manuals
                              └─── prospective ──┤
                                                       └── in language textbooks

 大区分の1つ目 "Genuinely written data" は,返答のない monologic と,返答のある,したがって(書き言葉とはいえ)対話の体をなす dialogic とに分かれる.dialogic のうち,特に私信 (private letters) は擬似的な対話を再現しており,始めと終わりの挨拶に加え,中盤には話し言葉に近似した私的なコミュニケーションが反映される可能性が高く,資料としての価値が高い.
 大区分の2つ目 "Written representations of spoken language" は,話し言葉を推し量る資料としての価値がさらに高いとされる.まず,"retrospective" なテキストは,多少なりとも忠実に話し言葉が書き言葉のなかに再現されていると期待される.次に "fictional" なテキストは,登場人物間の対話が話し言葉を再現する貴重な資料となる.例えば賢い老人と愚かな若者の掛け合いによる知恵の文学は長い伝統をもつが,読者を引き込む話し言葉の魅力に満ちている."fictional" のなかでも劇は,歴史語用論において特別な地位を占めてきた.それは,劇においては発話の環境が詳しく同定できるからだ.どのような社会的立場の者がどのような状況で発話しているか,発話内行為 (illocution) や発話媒介行為 (perlocution) は何かなど,特定できることが多い.最後に,"prospective" なテキストは,規範的な対話を教える教科書や教本に現われるテキストである.
 テキストの種類により,話し言葉が反映されている程度や質は異なっているが,それぞれの特徴を慎重に考慮することによって,話し言葉を適切に抽出し,歴史語用論における資料として有効に用いることができる.

 ・ Koch, Peter and Wulf Oesterreicher. "Sprache der Nähe -- Sprache der Distanz: Mündlichkeit und Schriftlichkeit im Spannungsfeld von Sprachtheorie und Sprachgeschichte." Romanistisches Jahrbuch 36 (1985): 15--43.
 ・ Jucker, Andreas H. and Irma Taavitsainen. English Historical Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.

Referrer (Inside): [2015-08-15-1]

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2014-10-18 Sat

#2000. 歴史語用論の分類と課題 [historical_pragmatics][pragmatics][history_of_linguistics][philology]

 「#545. 歴史語用論」 ([2010-10-24-1]),「#1991. 歴史語用論の発展の背景にある言語学の "paradigm shift"」 ([2014-10-09-1]) で,近年の歴史語用論 (historical_pragmatics) の発展を話題にした.今回は,芽生え始めている歴史語用論の枠組みについて Jucker に拠りながら略述する.まずは,Jucker (110) による歴史語用論の定義から([2010-10-24-1]に挙げた Taavitsainen and Fitzmaurice による定義も参照).

Historical pragmatics (HP) is a field of study that investigates pragmatic aspects in the history of specific languages. It studies various aspects of language use at earlier stages in the development of a language; it studies the diachronic development of language use; and it studies the pragmatic motivations for language change.


 一見すると雑多な話題,従来の主流派言語学からは「ゴミ」とすら見られてきたような話題を,歴史的に扱う分野ということになる.歴史言語学は,研究者の関心や力点の置き方にしたがって,方向性が大きく2つに分かれるとされる (Jucker 110--11) .Jacobs and Jucker の分類によれば,次の通り.

 (1) pragmaphilology
 (2) diachronic pragmatics
   a) diachronic form-to-function mapping
   b) diachronic function-to-form mapping

 まず,歴史語用論の「歴史」のとらえ方により,過去のある時代を共時的にみるか (pragmaphilology) ,あるいは時間軸に沿った発達を,つまり通時的な発展をみるか (diachronic pragmatics) に分けられる.後者はさらに,ある形態を固定してその機能の通時的な変化をみるか (diachronic form-to-function mapping),逆に機能を固定して対応する形態の通時的な変化をみるか (diachronic function-to-form mapping) に分けられる(記号論的には semasiology と onomasiology の対立に相当する).
 上記の Jacobs and Jucker の分類と名付けは,Huang が "European Continental view" あるいは "perspective view" と呼ぶ語用論のとらえ方を反映している.そこでは,語用論は,言語能力を構成する部門の1つとしてではなく,言語行動のあらゆる側面に関与するコミュニケーション機能として広く解されている.この流れを汲む歴史語用論は,文献学的な色彩が強い.
 一方,Huang が "Anglo-American view" あるいは "component view" と呼ぶ語用論のとらえ方がある.そこでは,語用論は,音声学,音韻論,形態論,統語論,意味論と同等の資格で言語能力を構成する1部門であると狭い意味に解される.この語用論の見方に基づいた歴史語用論の下位分類として,Brinton のものを挙げよう.ここでは,歴史語用論は,言語学的な色彩が強い.

 (1) historical discourse analysis proper
 (2) diachronically oriented discourse analysis
 (3) discourse oriented historical linguistics

 (1) は,過去のある時代における共時的な談話分析で,Jacobs and Jucker の pragmaphilology に近似する.(2) は,談話の経時的変化を観察する通時談話分析である.(3) は,談話という観点から意味変化や統語変化などの言語変化を説明しようとする立場である.
 上に述べてきたように,歴史語用論にも種々のレベルでスタンスの違いはあるが,全体としては統一感をもった学問分野として成長してきているようだ.逆にいえば,歴史語用論は学際的な色彩が強く,多かれ少なかれ他領域との連携が前提とされている分野ともいえる.特に European Continental view によれば,歴史語用論は伝統的な文献学とも親和性が高く,従来蓄積されてきた知見を生かしながら発展していくことができる点で魅力がある.
 しかし,発展途上の分野であるだけに,課題も少なくない.Jucker (18) は,いくつかを指摘している.

 ・ 学問分野としてまだ若く,従来の分野の方法論と競合するレベルに至っていない
 ・ 欧米の主要言語や日本語を除けば,他の言語への応用がひろがっていない
 ・ 研究の基礎となる,ある言語の歴史的な speech_act の一覧や discourse types/genres の一覧などがまだ準備されていない
 ・ 研究の基礎となる,"the larger communicative situation of earlier periods" が依然として不明であることが多い

 歴史語用論は,有望ではあるが,まだ緒に就いたばかりの分野である.
 語用論に関する European Continental view と Anglo-American view の対立については,「#377. 英語史で話題となりうる分野」 ([2010-05-09-1]),「#378. 語用論は言語理論の基本構成部門か否か」 ([2010-05-10-1]) も参照.

 ・ Jucker, Andreas H. "Historical Pragmatics." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 110--22.
 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

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2014-10-09 Thu

#1991. 歴史語用論の発展の背景にある言語学の "paradigm shift" [historical_pragmatics][pragmatics][history_of_linguistics][corpus]

 「#545. 歴史語用論」 ([2010-10-24-1]) で紹介したように,近年,歴史語用論 (historical_pragmatics) が勢いを増している.ここ数年の国際学会の発表や出版物のタイトルを見ていても,その影響力が増してきていることは疑いえない.2013年に英語歴史語用論の入門書を著わした Jucker and Taavitsainen は,この勢いを言語学の "paradigm shift" によるものと位置づけている.その "paradigm shift" は,以下の6点に要約される (5--9) .

 (1) From core areas to sociolinguistics and pragmatics
 (2) From homogeneity to heterogeneity
 (3) From internalised to externalised language
 (4) From introspection to empirical investigation
 (5) Renewed interest in diachrony
 (6) From stable to discursive features

 逆にいえば,この6つの潮流の行き着く先を眺めると,そこに歴史語用論や歴史社会言語学があるといった風の箇条書きである.歴史語用論学者の手前味噌という気味もないではないが,ここ四半世紀の言語学の潮流をよく言い表しているとは思う.この6点を強引に手短にまとめれば,近年の言語学では「外部化された言語実体の多様性,通時的な振る舞い,あるいは談話に対する社会的・語用的な関心が高まってきており,経験主義的な研究方法が重視されるようになってきた」ということになるだろう.さらに私的に短縮していえば「言語の揺らぎへの関心の高まり」である.
 上の6つの潮流は互いに密接に関係し合っており,その扇の要に位置している部品として(特に歴史的な)電子コーパスを指摘しておくことは重要だろう.コーパスを歴史語用論の研究に応用することは必ずしも容易ではないが,事例研究は着実に増えてきているし,その方法論も開発されてきている.
 この分野の発展には,おおいに期待したいところである.というのは,"English historical sociopragmatic" なる分野の興隆は,伝統的に日本の中世英語研究が目指してきた "English philology" の再発展へとつながるはずだからだ.一皮むけた英語文献学を見るべく,英語歴史語用論も学んでいく必要がある.

 ・ Jucker, Andreas H. and Irma Taavitsainen. English Historical Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.

Referrer (Inside): [2014-10-18-1]

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2010-11-04 Thu

#556. The Uniformitarian Principle [historiography][historical_pragmatics][uniformitarian_principle]

 歴史言語学において,かつて生じた言語変化の過程や原因を解釈し説明するときに,現在生じている言語変化の過程や原因を参照するということが一般的に行なわれている.証拠の乏しい過去の言語変化を記述するときには,現在の言語変化に関する知識に頼る以外には仕方がないからである.このように仕方がないので,歴史言語学に限らず歴史を扱う諸分野では,過去を説明するのに現在をもってするという方法論は広く受け入れられている.これは,斉一論の原則 ( the uniformitarian principle ) と呼ばれている.
 しかし,斉一論は哲学的には問題をはらんでいる.過去と現在の状況が大枠については同じであることを示唆する経験的な裏付けは相当にあるが,それが未来にわたっても同様に続いてゆくことを保証する本質的な基盤はないからである.過去に起こった出来事を扱う分野に関与している以上,斉一論について一度考える必要があると思い,少し調べてみた.
 歴史社会言語学 ( historical sociolinguistics ) の草分け的な存在である Romaine は,その方法論は斉一論であると明言している.

The working principle of sociolinguistic reconstruction must be the 'uniformitarian principle'. In other words, we accept that the linguistic forces which operate today and are observable around us are not unlike those which have operated in the past. Sociolinguistically speaking, this means that there is no reason for claiming that language did not vary in the same patterned ways in the past as it has been observed to do today. (122--23)



 歴史言語研究の根本的な方法論として,斉一論をより強く押し出しているのが Lass である.Lass によれば,斉一論には General Uniformity Principle と Uniform Probabilities Principle とがある.

General Uniformity Principle
No linguistic state of affairs (structure, inventory, process, etc.) can have been the case only in the past. (28)

Uniform Probabilities Principle
The (global, cross-linguistic) likelihood of any linguistic state of affairs (structure, inventory, process, etc.) has always been roughly the same as it is now. (29)


 斉一論はもちろん突飛な発想ではなく,19世紀後半には多くの分野で常識の一部だった.言語研究者でも,Whitney などは次のように発言している.

The nature and uses of speech . . . cannot but have been essentially the same during all periods of its history . . . there is no way in which its unknown past can be investigated, except by the careful study of its living present and recorded past, and the extension and application to remote conditions of laws and principles deduced by that study. (24 as quoted in Lass 28)


 斉一論は言語や言語変化の原理は過去も現在も大枠において違いがないとする考え方だが,一方で小枠においては違いが見られることを前提としている.そもそも,歴史言語学者は言語が変化するものであることをいちばんよく知っている人種であるから,小枠が時代とともに変化することは暗黙の前提としているはずである.では,大枠と小枠の境はどこにあるか.そこが難しいので,斉一論の議論も難しい.
 Lass によると,それは現時点での "the best of our knowledge" で判断するよりほかあるまい,という結論である.General Uniformity なり Uniform Probabilities なり,現在の言語学の知識の粋に頼って,よりありそうな過去を再建していくということしかできないだろうという.むろんそこには誤りが付きものであるという前提で.
 Lass (29) が述べているとおり,多くの場合 "the best of our knowledge" は "the best of my knowledge" ということになるので,歴史英語学や英語史の研究に携わる身としては,まずは現代の英語学や言語学をしっかり学ばないといけないなと改めて思った次第である.歴史は現在の視点の投影である,とも言うし.

 ・ Romain, Susan. Socio-Historical Linguistics: Its Status and Methodology. Cambridge: CUP, 1982.
 ・ Lass, Roger. Historical Linguistics and Language Change. Cambridge: CUP, 1997.
 ・ Whitney, W. D. Language and the Study of Language: Twelve Lectures on the Principles of Linguistic Science. New York: Charles Scribner, 1867.

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2010-10-24 Sun

#545. 歴史語用論 [pragmatics][historical_pragmatics]

 歴史語用論 ( historical pragmatics ) は1990年代半ばに興った今をときめく言語学の学際的な領域である.歴史言語学,語用論はもちろんのこと,コーパス言語学,談話分析,文学とも切り離せない.2000年には Journal of Historical Pragmatics の刊行が開始され,順調に研究が積み重ねられてきている.
 歴史語用論の定義は,Taavitsainen and Fitzmaurice によれば,以下の通りである.

A provisional and fairly neutral definition of historical pragmatics could be that historical pragmatics focuses on language use in past contexts and examines how meaning is made. It is an empirical branch of linguistic study, with focus on authentic language use in the past. (13)


 歴史言語学 ( historical linguistics ) と語用論の出会いは,両者の発展の必然的な帰結である.歴史言語学は,言語変化の理由を問うなかで言語の variation の重要性に気付いてきた.variation は実際の言語使用の事例のなかに観察されるものであるから,経験主義的な研究,近年ではコーパス言語学的研究が主流となってきている.一方で,語用論 ( pragmatics ) は,話し言葉とそれを取り巻くコンテクスト ( context ) の経験主義的な観察を重視してきたが,分野の発展とともにコンテクストの範囲を話し言葉のそれからから書き言葉のそれへと広げてきた.その範囲はついに歴史的な書き言葉へも広がり,ここに経験主義的な方法論で一致する歴史言語学と語用論の出会いが果たされることとなった.

 ・ Taavitsainen, Irma and Susan Fitzmaurice. "Historical Pragmatics: What It Is and How to Do It." Methods in Historical Pragmatics. Ed. Susan Fitzmaurice and Irma Taavitsainen. Berlin: Mouton de Gruyter, 2007. 11--36.

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