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spelling - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-07-16 09:59

2017-07-30 Sun

#3016. colonel の綴字と発音 [spelling][pronunciation][spelling_pronunciation_gap][dissimilation][silent_letter][folk_etymology][l][r]

 (陸軍)大佐を意味する colonel は,この綴字で /ˈkəːnəl/ と発音される.別の単語 kernel (核心)と同じ発音である.l が黙字 (silent_letter) であるばかりか,その前後の母音字も,発音との対応があるのかないのかわからないほどに不規則である.これはなぜだろうか.
 この単語の英語での初出は1548年のことであり,そのときの綴字は coronell だった.l ではなく r が現われていたのである.これは対応するフランス語からの借用語で,そちらで coronnel, coronel, couronnel などと綴られていたものが,およそそのまま英語に入ってきたことになる.このフランス単語自体はイタリア語からの借用で,イタリア語では colonnello, colonello のように綴られていた.つまり,イタリア語からフランス語へ渡ったときに,最初の流音が元来の l から r へすり替えられたのである.これはロマンス諸語ではよくある異化 (dissimilation) の作用の結果である (cf. Sp. coronel) .語中に l 音が2度現われることを嫌っての音変化だ(英語に関する類例は「#72. /r/ と /l/ は間違えて当然!?」 ([2009-07-09-1]),「#1597. starstella」 ([2013-09-10-1]),「#1614. 英語 title に対してフランス語 titre であるのはなぜか?」 ([2013-09-27-1]) を参照).
 さらに語源を遡ればラテン語 columnam (円柱)に行き着き,「兵士たちの柱(リーダー)」ほどの意味で用いられるようになった.フランス語で変化した coronnel の綴字についていえば,民間語源 (folk_etymology) により corona, couronne "crown" と関係づけられて保たれた.しかし,フランス語でも16世紀後半には l が綴字に戻され,colonnel として現在に至る.
 英語では,当初の綴字に基づき l ではなく r をもつ発音がその後も用いられ続けたが,綴字に関しては早くも16世紀後半に元来の綴字を参照して l が戻されることになった.フランス語における l の復活も同時に参照したものと思われる.18世紀前半までは古い coronel も存続していたが,徐々に消えていき現在の colonel が唯一の綴字となった.発音は古いものに据えおかれ,綴字だけが変化したがゆえに,現在にまで続く綴字と発音のギャップが生じてしまったというわけだ.
 しかし,実際の経緯は,上の段落で述べたほど単純ではなかったようだ.綴字に l が戻されたのに呼応して発音でも l が戻されたと確認される例はあり,/ˌkɔləˈnɛl/ などの発音が19世紀初めまで用いられていたという.発音される音節数についても通時的に変化がみられ,本来は3音節語だったが17世紀半ばより2音節語として発音される例が現われ,19世紀の入り口までにはそれが一般化しつつあった.
 <colonel> = /ˈkəːnəl/ は,綴字と発音の関係が複雑な歴史を経て,結果的に不規則に固まってきた数々の事例の1つである.

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2017-07-12 Wed

#2998. 18世紀まで印刷と手書きの綴字は異なる世界にあった [spelling][orthography][writing][printing][lmode][johnson]

 昨日の記事「#2997. 1800年を境に印刷から消えた long <s>」 ([2017-07-11-1]) の最後に触れたように,十分に現代英語に近いと感じられる18世紀でも(そして部分的に19世紀ですら),印刷と手書きは,文字や綴字の規範に関して,2つの異なる世界を構成していたといってよい.換言すれば,2つの正書法が存在していた(しかも,各々は現代的な意味での水も漏らさぬ強固な規範というわけではなかった).印刷はおよそ「公」であり,手書きは「私」であるから,正書法は公私で使い分けるべき二重基準となっていたのである.
 この差異が最も印象的に見られるのは,Johnson の辞書での綴字と,Johnson の私的書簡での綴字である.例えば,Johnson は辞書での綴字とは異なり,書簡では companiable, enervaiting, Fryday, obviateing, occurences, peny, pouns, stiched, chappel, diner, dos (= does) 等の綴字を書いている (Tieken-Boon van Ostade 42) .このような状況は他の作家についても同様に見られることから,Johnson が綴り下手だったとか,自己矛盾を起こしているなどという結論にはならない.むしろ,公的な印刷と私的な手書きとで異なる綴字の基準があり,それが当然視されていた,ということである.
 このような状況は,現代の我々にとっては理解しにくいかもしれないが,当時の綴字教育の現状を考えてみれば自然のことである.後期近代英語期には綴字の教科書は多く出版されたが,それは子供たちに印刷されたテキストを読めるようにするための教科書であり,子供たちが自ら綴字を書くことを訓練する教科書ではなかった.印刷テキストの綴字は,印刷業者によって慣習的に定められた正書法が反映されており,子供たちはその体系的な綴字を「読む」訓練こそ受けたが,「書く」訓練は特に受けていなかった.そのような子供たちが手書きで書簡を認める段には,当然ながら印刷テキストに表わされている正書法に則って綴ることはできない.しかし,だからといって単語をまったく綴れないということにはならないし,書簡の受け手に誤解されることもほとんどないだろう.
 そして,この状況は,綴字を学んでいる子供たちのみならず,文字を読み書きする大人たちにも一般に当てはまった.印刷と手書きの対立は,公私の対立のみならず,綴字を読む能力と書く能力の対立でもあったのだ.

 ・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.

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2017-07-11 Tue

#2997. 1800年を境に印刷から消えた long <s> [spelling][graphemics][grammatology][alphabet][printing][lmode][writing][orthography]

 18世紀の印刷本のテキストを読んでいると,中世から続く <s> の異字体 (allograph) である <<ʃ>> がいまだ頻繁に現われることに気づく.この字体は "long <s>" と呼ばれており,現代までに廃れてしまったものの,英語史の長きにわたって活躍してきた異字体だった.Tieken-Boon van Ostade (40) に引かれている ECCO からの例文により,<<ʃ>> の使われ方を見てみよう.

. . . WHEREIN / THE CHAPTERS are ʃumm'd up in Contents; the Sacred Text inʃerted at large, in Paragraphs, or Verʃes; and each Paragraph, or Verʃe, reduc'd to its proper Heads; the Senʃe given, and largely illuʃtrated, / WITH / Practical Remarks and Obʃervations


 見てわかる通り,すべての <s> が <<ʃ>> で印刷されているわけではない.基本的には語頭か語中の <s> が <<ʃ>> で印刷され,語末では通常の <<s>> しか現われない.また,語頭でも大文字の場合には <<S>> が用いられる.ほかに,IdleneʃsBusineʃs のように,<ss> の環境では1文字目が long <s> となる.
 しかし,この long <s> もやがて廃用に帰することとなった.印刷においては18世紀末に消えていったことが指摘されている.

Long <s> disappeared as a printing device towards the end of the eighteenth century, and its presence or absence is today used by antiquarians to date books that lack a publication date as dating from either before or after 1800. (Tieken-Boon van Ostade 40)


 注意すべきは,1800年を境に long <s> が消えたのは印刷という媒体においてであり,手書き (handwriting) においては,もうしばらく long <s> が使用され続けたということである.「#584. long <s> と graphemics」 ([2010-12-02-1]) で触れたように,手書きでは1850年代まで使われ続けた.印刷と手書きとで使用分布が異なっていたことは long <s> に限らず,他の異字体や異綴字にも当てはまる.現代の感覚では,印刷にせよ手書きにせよ,1つの共通した正書法があると考えるのが当然だが,少なくとも1800年頃までは,そのような感覚は稀薄だったとみなすべきである.
 long <s> について,「#1152. sneeze の語源」 ([2012-06-22-1]),「#1732. Shakespeare の綴り方 (2)」 ([2014-01-23-1]) も参照されたい.

 ・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.

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2017-05-18 Thu

#2943. 英語の発音と綴りが一致しない理由は「見栄」と「惰性」? [notice][spelling][spelling_pronunciation_gap][etymological_respelling][link]

 先日,「英語の発音と綴字の乖離」の問題について,DMM英会話ブログさんにインタビューしていただき,記事にしてもらいました.昨日その記事がアップロードされたので,今日はそれを紹介がてら,関連する hellog 記事へのリンクを張っておきます.記事のタイトルは,ずばり「圧倒的腹落ち感!英語の発音と綴りが一致しない理由を専門家に聞きに行ったら,犯人は中世から近代にかけての「見栄」と「惰性」だった.」です.こちらからどうぞ.
 最大限に分かりやすい解説を目指し,話しをとことんまで簡略化しました.簡略化するあまり,細かな点では不正確,あるいは言葉足らずなところもあると思いますが,多くの英語学習者の方々に関心をもたれる話題に対して,英語史の観点からどのように迫れるのか,英語史的な見方の入り口を垣間見てもらえるように,との思いからです.趣旨を汲み取ってもらえればと思います.かる?く,ゆる?く読んで「腹落ち感」を味わってください.
 さて,本ブログでは「英語の発音と綴字の乖離」問題について,spelling_pronunciation_gap の多くの記事で論じてきました.今回のインタビュー記事では,debt になぜ発音しない <b> があるのか,といった語源的綴字 (etymological_respelling) の話題を主として取り上げました.インタビュー中に言及のある具体的な事例との関係では,特に以下の記事をご覧ください.

 ・ debt の <b> の謎:「#116. 語源かぶれの綴り字 --- etymological respelling」 ([2009-08-21-1])
 ・ 中英語の through の綴字に見られる混乱:「#53. 後期中英語期の through の綴りは515通り」 ([2009-06-20-1])
 ・ 15世紀の through の綴字の収束:「#193. 15世紀 Chancery Standard の through の異綴りは14通り」 ([2009-11-06-1])
 ・ 発音と綴字が別々に走っていた件:「#2292. 綴字と発音はロープでつながれた2艘のボート」 ([2015-08-06-1])
 ・ 不規則性・不合理性を保つことに意味がある!?:「#1482. なぜ go の過去形が went になるか (2)」 ([2013-05-18-1])

 1時間ほどのインタビューで上手に話し尽くせるようなテーマではありませんでしたが,読者のみなさんがこの問題に,また英語史という分野に関心を抱く機会となれば,私としては目的達成です.

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2017-04-18 Tue

#2913. 漢字は Chinese character ではなく Chinese spelling と呼ぶべき? [grammatology][kanji][alphabet][word][writing][spelling]

 高島 (43) による漢字論を読んでいて,漢字という表語文字の一つひとつは,英語などでいうところの綴字に相当するという点で,Chinese character ではなく Chinese spelling と呼ぶ方が適切である,という目の覚めるような指摘にうならされた.

漢字というのは,その一つ一つの字が,日本語の「い」とか「ろ」とか,あるいは英語の a とか b とかの字に相当するのではない.漢字の一つ一つの字は,英語の一つ一つの「つづり」(スペリング)に相当するのである.「日」は sun もしくは day に,「月」は moon もしくは month に相当する.英語の一つ一つの単語がそれぞれ独自のつづりを持つように,漢語の一つ一つの単語はそれぞれ独自の文字を持つのである.であるからして,漢字のことを英語で Chinese characters (シナ語の文字)と言うけれど,むしろ Chinese spellings (シナ語のつづり)と考えたほうがよい.
 ときどき,英語のアルファベットはたったの二十六字で,それで何でも書けるのに,漢字は何千もあるからむずかしい,と言う人があるが,こういうことを言う人はかならずバカである.漢字の「日」は sun や day にあたる.「月」は moon や month にあたる.この sun だの moon だののつづりは,やはり一つ一つおぼえるほかない.知れきったことである.漢語で通常もちいられる字は三千から五千くらいである.英語でも通常もちいられる単語の数は三千から五千くらいである.おなじくらいなのである.それで一つ一つの漢字があらわしているのは一つの意味を持つ一つの音節であり,「日」にせよ「月」にせよその音は一つだけなのだから,むしろ英語のスペリングよりやさしいかもしれない.


 確かに,この見解は多くの点で優れている.アルファベットの <a>, <b>, <c> 等の各文字は,漢字でいえば言偏や草冠やしんにょう等の部首(あるいはそれより小さな部品や一画)に相当し,それらが適切な方法で組み合わされることによって,初めてその言語の使用者にとって最も基本的で有意味な単位と感じられる「語」となる.「語」という単位にまでもっていくための部品統合の手続きを「綴り」と呼ぶとすれば,確かに <sun> も <sunshine> も <日> も <陽> もいずれも「綴り」である.アルファベットにしても漢字にしても,当面の目標は「語」という単位を表わすことである点で共通しているのだから,概念や用語も統一することが可能である.
 文字の最重要の機能の1つが表語機能 (logographic function) であることは,すでに本ブログの多くの箇所で述べてきたが(例えば,以下の記事を参照),英語の綴字と漢字が機能的な観点から同一視できるという高島の発想は,改めて文字表記の表語性の原則をサポートしてくれるもののように思われる.

 ・ 「#284. 英語の綴字と漢字の共通点」 ([2010-02-05-1])
 ・ 「#285. 英語の綴字と漢字の共通点 (2)」 ([2010-02-06-1])
 ・ 「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1])
 ・ 「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1])
 ・ 「#2043. 英語綴字の表「形態素」性」 ([2014-11-30-1])
 ・ 「#2344. 表意文字,表語文字,表音文字」 ([2015-09-27-1])
 ・ 「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」 ([2015-11-11-1])
 ・ 「#2429. アルファベットの卓越性という言説」 ([2015-12-21-1])

 ・ 高島 俊男 『漢字と日本人』 文藝春秋社,2001年.

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2017-03-27 Mon

#2891. フランス語 bleu に対して英語 blue なのはなぜか [yod-dropping][vowel][spelling][french][mulcaster][sobokunagimon]

 3月17日付の掲示板で,フランス語の bleu という綴字に対して,英語では blue となっているのはなぜか,という質問が寄せられた.eu の転換がどのように起こったか,という疑問である.
 これには少々ややこしい歴史的経緯がある.古フランス語の bleu が中英語期にこの綴字で英語に借用され,後に2字の位置が交替して blue となった,という直線的な説明で済むものではないようだ.以下,発音と綴字を分けて歴史を追ってみよう.
 まず,発音から.問題の母音の中英語での発音は [iʊ] に近かったと想定されるが,これが初期近代英語にかけて強勢推移により上昇2重母音 [juː] となり,さらに現代にかけて yod-dropping が生じて [uː] となった(「#1727. /ju:/ の起源」 ([2014-01-18-1]),「#841. yod-dropping」 ([2011-08-16-1]),「#1562. 韻律音韻論からみる yod-dropping」 ([2013-08-06-1]) を参照).
 次に,ややこしい綴字の事情について.まず,この語は中英語では,当然ながら借用元のフランス語での綴字にならって bleu と綴られていた.しかし,実際のところ,<blew>, <blewe> などの異綴字として現われていることも多かった(MED bleu (adj.) を参照.関連して,「#2227. なぜ <u> で終わる単語がないのか」 ([2015-06-02-1]) も参照)).一方,現代的な blue という綴字として現われることは,中英語期中はもとより17世紀まで稀だった.Jespersen (101) が,この点に少し触れている.

In blue /iu/ is from F eu; in ME generally spelt bleu or blew; the spelling blue is "hardly known in 16th--17th c.; it became common under French influence (?) only after 1700" (NED)


 引用にもある通り,中英語では bleu と並んで blew の綴字もごく一般的だった.実際,[iʊ] の発音に対しては,フランス借用語のみならず本来語であっても,<ew> で綴られることが多かった.例えば vertew (< OF vertu), clew (< OE cleowen), trew (< OE trēowe), Tewisday (< OE Tīwesdæȝ) のごとくである.
 しかし,初期近代英語期にかけて,同じ [iʊ] の発音に対して <ue> というライバル綴字が現われてきた.この綴字自体はフランス語やラテン語に由来するものだったが,いったんはやり出すと,語源にかかわらず多くの単語に適用されるようになった.つまり,同じ [iʊ] に対して,より古くて英語らしい <ew> と,より新しくてフランス語風味の <ue> が競合するようになったのである.その結果,近代英語では argue/argew, dew/due, screw/skrue, sue/sew, virtue/virtew などの揺れが多く見られた(各ペアにおいて前者が現代の標準的綴字).そして,blue/blew もそのような揺れを示すペアの1つだったのである.
 このような揺れが,後にいずれの方向で解消したのかは単語によって異なっており,およそ恣意的であるとしか言いようがない.初期近代英語期に <ew> を贔屓する Mulcaster のような論者もいたが,それが一般に適用される規則として発展することはなかったのである.現代の正書法において blew ではなく blue であること,eschue ではなく eschew であることは,きれいに説明することはできない.
 さて,もともとの疑問に戻ってみよう.当初の問題意識としては,現代のフランス語と英語を比べる限り,<eu> と <ue> が文字転換したように見えただろう.しかし,歴史的には,<eu> の文字がひっくり返って <ue> となったわけではない.<eu> と関連していたとは思われるが中英語期に独自に発達したとみなすべき英語的な <ew> と,初期近代英語期にかけて勢力を伸ばしてきた外来の <ue> との対立が,blue という単語に関する限り,たまたま後者の方向で解消し,標準化して現代に至る,ということである.
 以上,Upward and Davidson (61--62, 113, 161, 163, 166) を参照した.

 ・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. 1954. London: Routledge, 2007.
 ・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.

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2017-03-15 Wed

#2879. comfortm の由来 [suffix][spelling]

 昨日の記事「#2878. comfortm の発音」 ([2017-03-14-1]) に引き続き,掲示板で寄せられた質問について.ラテン語接頭辞 com- は,後続する形態素の先頭が f の場合には,通常 con- に変化するはずではないか,という問題である.確かに conference, confident, configuration, confine 等々,ほとんどのケースで con- となっている.しかし,comfort(table) は例外となり,その他の例外も comfort に関連する語か,comfit (糖果),comfiture (糖果),comfrey (コンフリー,ムラサキ科ヒレハリソウ属の多年草)くらいのもので,非常に稀である.
 改めて接頭辞の語源について整理しておこう.原型たる com- はラテン語で "with, together" を意味する語 cum が接頭辞として用いられるようになったもので,ラテン語から直接,またフランス語から間接的に英語に入った.具体的な語のなかでは,末尾の m は音声上の同化により様々な現れ方を示す.通常は,b, p, m などの前では com- がそのまま現れるが,l の前では col- として,r の前では cor- として,母音および h, gn, w の前では co- として現れ,それ以外の場合には con- となる.しかし,例外は多く,comfort もその1つである.
 Upward and Davidson (142) は,この辺りのことを以下のように解説しているが,comfortcomfit については単に例外的と指摘しているのみで,その原因については述べていない.

Before B and P, OFr normally wrote CUM-: cumbatre 'to combat', cumpagnie 'company'. Although this was later altered back to the Lat COM- spelling, Eng retained the pronunciation related to CUM-, whence the /ʌ/ vowel of comfort, company, compass, etc.


In comfort and comfit, the CON- was altered in Eng to COM-: comfort < OFr cunforter < Lat confortare 'to strengthen'; comfit < ME confyt < OFr confit.


 さらに,comfort について Barnhart の語源辞典に当たってみると,古フランス語からの借用に関連してややこしい事情があるようで,綴字に関しても当初は con- だったが,後に英語側で com- へと変化したという指摘がある.

Probably before 1200 cunfort a feeling of consolation, in Ancrene Riwle; later confort (about 1200 and about 1280); borrowed probably through Anglo-French from Old French cunfort, confort, from earlier noun use derived from the stem of Latin cōnfortāre strengthen. Apparently the noun and verb were borrowed separately in English, though the noun replaced earlier Old English frōfor; however, it is possible that the later verb is from the noun. The phonetic change of con- to com- before f took place in English.


 Skeat の語源辞典でも,やはり英語において con- から com- へ変化したという事実しか記載されていない.

Though the verb is the original of the sb., the latter seems to have been earlier introduced into English. The ME. verb is conforten, later comforten, by the change of n to m before f. It is used by Chaucer, Troil. and Cress. iv. 722, v. 234, 1395. [The sb. confort is in Chaucer, Prol. 775, 7788 (A 773, 776); but occurs much earlier. It is spelt cunfort in Ol Eng. Homilies, ed. Morris, i. 185; kunfort in Ancren Riwle, p. 14.]


 中英語での異綴字の分布や古フランス語での綴字を詳しく調査してみない限り,comfortm の「なぜ?」には,これ以上迫ることはできなさそうである.
 なお,comfit の綴字については,『シップリー英語語源辞典』の confectionery の項に,意味的に comfort と緩やかに関連づけられたのではないかとの指摘がある.

 ・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
 ・ Barnhart, Robert K. and Sol Steimetz, eds. The Barnhart Dictionary of Etymology. Bronxville, NY: The H. W. Wilson, 1988.
 ・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.

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2017-01-29 Sun

#2834. wimminherstory [political_correctness][pronunciation_spelling][spelling][pronunciation][spelling_pronunciation_gap]

 標題の最初の語は woman の複数形 women を表わす PC 的な綴字である.従来の標準的な綴字では,woman/womenman/men からの派生であり,したがって副次的であるという含意を伴うために,それを改善すべくフェミニストが表音的な綴字を作り出したという経緯があった.現在でも主要な英和辞典には見出し語として挙がっているが,ほとんどの英英辞典では見出しが立てられていない.落ちぶれた一時限りの流行語,という扱いなのだろう.今では,歴史的な価値しか残っていない.
 同様に,history に対する herstory も,PC 史ではことのほかよく知られている.「フェミニストの観点からの歴史,女性の歴史」を指すが,やはり現在の英英辞典では扱われていない.
 Hughes (183) が,これらの語の歴史に関して解説を加えている.両語とも,すっかりこけにされてしまったものである.

Wimmin . . . attracted a lot of publicity in 1982--3 before going through the phases of satire and obsolescence prior to fading away. A similar feminist coinage was herstory, briefly institutionalized in the acronym "WITCH --- Women Inspired to Commit Herstory," in Robin Morgan's Sisterhood is Powerful (1970, p. 551). Jane Mills made this telling observation in her compendium Womanwords: "The rewriting or respeaking of history as herstory --- coined by some feminists in the 1970s --- is guaranteed to annoy most men, many women and almost all linguists" (1989, p. 118). Although the currency of herstory has declined, Elaine Showalter showed further creativity in her study Hystories: Hysterical Epidemics and the Modern Media (1997).


 wimmin について,PC 史の観点からは,上の引用に述べられているほかに言うべきことはないが,綴字の問題と関連して,もう少し議論を続けてみたい.この綴字改革(あるいは綴字操作?)の背景にある考え方は,冒頭に述べたように,<women> という綴字は否応なしに <men> を連想させてしまう.視覚的に韻を踏んでいる (eye rhyme) からである.両語の形態・意味的なつながりは,無視し得ないほどに明白である.
 ところが,発音は別の話だ.発音としては,むしろ /mɛn/ と /ˈwɪmɪn/ で韻を踏まない.つまり,発音を忠実に標記するような綴字に変えれば,両語の関係を見えにくくすることができる,ということになる.発音と綴字の乖離 (spelling_pronunciation_gap) は英語における悪名高い特徴だが,<wimmin> はまさにその特徴を逆手に取った pronunciation_spelling の技法の成果なのである.
 現代英語の綴字体系の基本方針が,表音性 (phonography) というよりも表形態素性 (morphography) にあることは,「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1]),「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1]),「#2043. 英語綴字の表「形態素」性」 ([2014-11-30-1]) などで見てきた通りである.端的にいえば,綴字は音より意味を表わすほうに重点を置くという方針だ.<wimmin> への綴字改革は,その裏をかいて,men との意味の連想を断つのに,その対立項としての表音重視をもってする,という戦略をとったことになる.綴字の担いうる表音機能と表形態素機能という文字論上の対立を,PC という社会言語学的な目的のために利用した例といえるだろう.綴字の政治利用の1形態と言ってもよい.PC がいかなる言語的な素材を戦略的に用いてきたか,その類型論を考える際に,<wimmin> はおもしろい例を提供してくれている.
 women の発音と綴字を巡る話題については,「#223. woman の発音と綴字」 ([2009-12-06-1]),「#224. women の発音と綴字 (2)」 ([2009-12-07-1]),「#246. 男性着は「メンズ」だが,女性着は?」 ([2009-12-29-1]),「#247. 「ウィメンズ」と female」 ([2009-12-30-1]) も参照.

 ・ Hughes, Geoffrey. Political Correctness: A History of Semantics and Culture. Malden, ML: Wiley Blackwell, 2010.

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2016-12-23 Fri

#2797. floccinaucinihilipilification [spelling][word_formation][latin][neo-latin][lexicology][phonaesthesia][sound_symbolism]

 最長の英単語について,「#63. 塵肺症は英語で最も重い病気?」 ([2009-06-30-1]),「#391. antidisestablishmentarianism 「反国教会廃止主義」」 ([2010-05-23-1]),「#392. antidisestablishmentarianism にみる英語のロマンス語化」 ([2010-05-24-1]) の記事で論じてきた.もう1つ,おどけた表現として用いられる標題の単語 floccinaucinihilipilification を知った.『ランダムハウス英語辞典』では「英語で最も長い単語の例として引き合いに出される」とある.
 OED の定義によると,"humorous. The action or habit of estimating as worthless." とある.「無価値とみなすこと,軽視癖」の意である.
 語源・形態的に解説すると,ラテン語 floccus は「羊毛のふさ」,naucum は「取るに足りないもの」,nihil は「無」,pilus は「一本の毛」を意味し,これらの「つまらないもの」の束に,他動詞を作る facere を付加して,それをさらに名詞化した語である.ラテン語の語形成規則に則って正しく作られている語だが,あくまで英語の内部での造語であるという点では,一種の英製羅語である(関連して「#1493. 和製英語ならぬ英製羅語」 ([2013-05-29-1]) も参照).
 OED によると,初出は1741年.以下に,2つほど例文を引用しよう.

1741 W. Shenstone Let. xxii, in Wks. (1777) III. 49, I loved him for nothing so much as his flocci-nauci-nihili-pili-fication of money.
1829 Scott Jrnl. 18 Mar. (1946) 39 They must be taken with an air of contempt, a floccipaucinihilipilification [sic, here and in two other places] of all that can gratify the outward man.


 なお,発音は /ˌflɒksɪnɔːsɪˌnɪhɪlɪˌpɪlɪfɪˈkeɪʃən/ となっている.12音節,27音素からなる長大な1単語である.12の母音音素のうち,8個までが前舌後母音 /ɪ/ であるということは,「#242. phonaesthesia と 遠近大小」 ([2009-12-25-1]) で論じた phonaesthesia を思い起こさせる.小さいもの,すなわち無価値なものは,音象徴の観点からは前舌後母音と相性がよい,ということかもしれない.

Referrer (Inside): [2023-01-29-1]

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2016-09-29 Thu

#2712. 初期中英語の個性的な綴り手たち [eme][me_dialect][manuscript][orthography][spelling][standardisation][scribe][ormulum][ab_language][spelling_reform]

 英語の綴字標準化の歴史は,後期ウェストサクソン方言で標準的なものが現われるが,ノルマン征服後の初期中英語にはそれが無に帰し,後期中英語になって徐々に再標準化の兆しが芽生え,初期近代英語期中に標準化が進み,17--18世紀に標準綴字が確立した,と大雑把に要約できる.この概観によれば,初期中英語期は綴字の標準がまるでなかった時代ということになる.それはそれで間違ってはいないが,綴字標準とはいわずとも,ある程度一貫した綴字慣習ということであれば,この時代にも個人や小集団のレベルで実践されていた形跡が少数見つかる.よく知られているのは,(1) "AB language" の綴字, (2) Ormulum の作者 Orm の綴字,(3) ブリテン史 Brut をアングロ・フレンチ版から翻訳した Laȝamon の綴字である.
 (1) "AB language" の名前は,修道女のための指南書 Ancrene Wisse を含む Cambridge, Corpus Christi College 402 という写本 (= A) と,関連する聖女伝や宗教論を含む Oxford, Bodleian Library, Bodley 34 の写本 (=B) に由来する.この2写本(及び関連するいくつかの写本)には,かなり一貫した綴字体系が採用されており,しかも複数の写字生によってそれが用いられていることから,おそらく13世紀前半に,ある南西中部の修道院か写本室が中心となって,標準綴字を作り上げる試みがなされていたのだろうと推測されている.
 (2) Orm は,Lincolnshire のアウグスティノ修道士で,1200年頃に,聖書を分かりやすく言い換えた書物 Ormulum を著わした.現存する唯一のテキストは2万行を超す韻文の大作であり,それが驚くほど一貫した綴字で書かれている.Orm は,母音の量にしたがって後続する子音を重ねるなどの合理性を追究した独特な綴字体系を編みだし,それを自分の作品で実践したのである.この Orm の綴字は,他の写本にも類するものが発見されておらず,きわめて個人的な綴字標準化の事例だが,これは後の16世紀の個性的な綴字改革論者の先駆けといってよい.
 (3) Laȝamon は,Worcestershire の司祭で,13世紀初頭に韻文の年代記を韻文で英語へ翻訳した.当時すでに古めかしくなっていたとおぼしき頭韻 (alliteration) や,古風な語彙・綴字を復活させ,ノスタルジックな雰囲気をかもすことに成功した.Laȝamon は,実際に古英語にあった綴字かどうかは別として,いかにも古英語風な綴字を意識的に用いた点で特異であり,これをある種の個人的な綴字標準化の試みとみることも可能だろう.
 以上,Horobin (98--102) を参照して執筆した.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.

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2016-09-26 Mon

#2709. tomorrow, today [etymology][punctuation][conversion][spelling][word_formation][distinctiones]

 昨日の記事「morn, morning, morrow, tomorrow」 ([2016-09-25-1]) で tomorrow の語源に触れたが,今回はこの語と,もう1つ語形成上関連する today について探ってみよう.
 tomorrow の語形成としては,前置詞 to に「(翌)朝」を表わす名詞 morrow の与格形が付加したものと考えられ,すでに古英語でも tō morgenne という句として用いられていた.その意味は,昨日の記事で解説したとおり,すでに「明日に」を発展させていた.中英語では,morrow のたどった様々な形態的発達にしたがって to morwento morn が生じたが,現在にかけて,前者が標準的な tomorrow に,後者が北部方言などに残る tomorn に連なった.本来,前置詞句であるから,まず副詞「明日に」として発達したが,15世紀からは品詞転換により,名詞としても用いられるようになった.
 「#2698. hyphen」 ([2016-09-15-1]) で簡単に触れたように,元来は to morrow と分かち書きされたが,近代英語期に入ると to-morrow とハイフンで結合され,1語として綴られるようになった(それでも近代英語の最初期には『欽定訳聖書』や Shakespeare の First Folio などで,まだ分かち書きのほうが普通だった).ハイフンでつなぐ綴字は20世紀初頭まで続いたが,その後,ハイフンが脱落し現在の標準的な綴字 tomorrow が確立した.
 today についても,おそらく同様の事情があったと思われる.古英語の前置詞句 tō dæġ (on the day; today) が起源であり,16世紀までは分かち書きされたが,その後は20世紀初頭まで to-day とハイフン付きで綴られた.名詞としての用法は,tomorrow と同様に16世紀からである.
 tomorrowtoday は発展の経緯が似ている点が多く,互いに関連づけ,ペアで考える必要があるだろう.

Referrer (Inside): [2016-09-27-1]

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2016-05-30 Mon

#2590. <gh> を含む単語についての統計 [statistics][spelling][grapheme][pronunciation][spelling_pronunciation_gap][digraph][gh]

 標記について,辻前が,Jones の English Pronouncing Dictionary (12th ed.) を用いて,<gh> を含む固有名詞,派生語,複合語を除いた90語を対象とした調査を行なっている.以下に,辻前 (145--46) が結論部で整理して示している数字を示したい.

1. Spelling について

(1) Digraph 'gh' の位置による分類

語頭にある語6 (7%)
語中にある語19 (21%)
語尾にある語 (-t を含む)65 (72%)

    語頭に 'gh' がくる語はすべて gh [g] 音である.

(2) 母音字による分類

- ough(t) を含む語2973
-igh(t) を含む語24
-augh(t) を含む語10
-eigh(t) を含む語10
その他17 


2. Sound について

(1) 'gh' 音による分類

gh [g] 音語14 (16%)
gh [f] 音語10 (10%)
gh-mute 語62 (70%)
その他の音4 (4%)

   'gh' [g] 音語は不必要に作られたか,借用語である.正規の変化によるものとしては [f] 音語が一割ある外はほとんど黙字であるといえる.

(2) gh-mute 語の分類

[-ait] となる語2554
[ɔːt] となる語19
[-eit] となる語10
その他の音8 

   正規の音声変化が立証されるとともに,この点で 'gh' digraph と母音との関係が密接であったことに注目すべきであろう.

(3) 音節による分類

単音節語68 (76%)
2音節語19 (21%)
3音節語3 (3%)

   'gh' word は単音節で frequency の高い基本語が多く,逆に多音節語はほとんどが特殊な輸入語である.


 結論としては,<gh> を含む単語では,thoughthought のような単語が最も典型的である.7割ほどが,単音節語であるか,語尾に問題の2重字をもつか,無音に対応するかである.
 <gh> に関連する話題として,「#15. Bernard Shaw が言ったかどうかは "ghotiy" ?」 ([2009-05-13-1]),「#210. 綴字と発音の乖離をだしにした詩」 ([2009-11-23-1]),「#1195. <gh> = /f/ の対応」 ([2012-08-04-1]),「#1902. 綴字の標準化における時間上,空間上の皮肉」 ([2014-07-12-1]),「#1936. 聞き手主体で生じる言語変化」 ([2014-08-15-1]),「#2085. <ough> の音価」 ([2015-01-11-1]) などの記事も参照.

 ・ 辻前 秀雄 「Digraph 'gh' 発達に関する史的考察」『甲南女子大学研究紀要』第4巻,1967年.128--47頁.

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2016-05-11 Wed

#2571. Horobin の綴字に対する保守的な態度 [spelling][orthography][spelling_reform][hel_education]

 本ブログで何度も取り上げてきた英語綴字の歴史を著わした Horobin は,著書の最終章の終わりにかけて,綴字改革への反対論を繰り広げている.綴字史を総括しながら著者が到達するのは,まさに学者的な保守主義である.Horobin はつくづく中世英語研究者であり(言語の)歴史研究者なのだなと感じ入った.とりわけ,それがよく読み取れる部分を2箇所引こう.

Etymological relicts like these have a further function in making visible the linguistic richness of the language and its varied history, thereby maintaining a closer relationship with texts of the past. While silent letters like those in knight are unhelpful for modern learners of English, they do enable us to retain a link with the language used by Chaucer, and before him by the Anglo-Saxons. When English speakers turn to Chaucer they may find much unfamiliar, but they will not be thrown by the line 'A knyght ther was, and that a worthy man' thanks to our preservation of the medieval spelling. Historical spellings like this preserve that link with the past, as well as standing as a monument to the language's history.
   The English language has come into contact with numerous other languages throughout its history, all of which have left their mark, to a greater or lesser degree, on the language's structure, spelling, and vocabulary. To remove the idiosyncrasies that they have contributed to our spelling system would be to erase the evidence of that history. Our spelling system could be likened to a cathedral church, whose origins lie in the Anglo-Saxon period, but whose structure now includes a Gothic portico added in the Middle Ages, a domed tower added in the Early Modern period, and a gift shop and café introduced in the 1960s. The end result is an awkward mixture of architectural styles which no longer reflects the builders' original plan, nor is it the ideal building for the bishop and his clergy to carry out their diocesan duties. But, in spite of these practical limitations, it would be hard to imagine anyone suggesting that the cathedral be demolished to allow the rebuilding of a more functional and architecturally harmonious modern construction. Quite apart from the practical and financial costs of such a project, the demolition and reconstruction of the cathedral would erase the rich historical record that such a building represents. (Horobin 249)

Finally, there seems to me another reason for resisting any attempts to reform English spelling, and retaining traditional spellings, silent letters and all: such spellings are a testimony to the richness of our language and its history. This argument is harder to defend as it has no practical purpose, although it does help to maintain a connection between our present-day language and that of the past. Modern English speakers would surely find it more difficult to read the works of Chaucer and Shakespeare if our spelling system was to be radically reformed. Silent letters are silent witnesses to pronunciations that have since been lost, but which continue to be preserved in a spelling system that boasts a long and rich heritage. (Horobin 251--52)


 1つめの引用で,現代英語の綴字を大聖堂になぞらえている比喩が秀逸である.両引用に共通するのは,現代英語に対する保守的な態度が,著者のイギリスの歴史と文学遺産に対する敬意と愛慕に基づいていることだ.著者本人も認めるように,この議論には確かに実用的な長所はないように思われる.しかし,なにか著者の強い使命感のようなものが感じられる.英国でも,日本でも,そして世界中で教養科目の軽視が叫ばれるなか,著者のこの主張は傾聴すべきと考える.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.

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2016-05-05 Thu

#2565. なぜ人々は正しい綴字にこだわるのか? [spelling][orthography][prescriptive_grammar][language_myth][spelling_reform]

 現代英語について,標準的な正書法にこだわる人々は多い.英語綴字の歴史を著わし,本ブログでたびたび取り上げてきた Horobin は,このように綴字に対する保守的な態度が蔓延している現状について論じている.だが,標題に挙げたように,そもそもなぜそのような人々は正しい綴字にこだわるのだろうか.この問題に関する Horobin の見解が凝縮されているのが,次の箇所である (pp. 228--29) .

Why is correct spelling so important? Throughout this book I have tried to show that standard English spelling comprises a variety of different forms that have developed in an erratic and inconsistent manner over a substantial period of time. We must therefore discard any attempt to impose a teleological narrative upon the development of English spelling which would argue that our standard spelling system is the result of a kind of Darwinian survival of the fittest, producing a system that has been refined over centuries. We have also seen that the concept of a standard spelling system is a relatively modern one; earlier periods in the history of English were able to manage without a rigidly imposed standard perfectly well. What is more, informal writing, as in the letters and diaries of earlier periods, has often allowed more relaxed rules for spelling and punctuation. So why should it be different for us? I suspect that one reason is that spelling is the area of language use that is easiest to regulate and monitor, and thus the area where users come under the strongest pressure to conform to a standard. Older generations of spellers have considerable personal investment in maintaining these standards, given that they themselves were compelled to learn them. As David Mitchell confesses in his Soapbox rant against poor spellers, 'I'm certainly happy to admit that I do have a huge vested interest in upholding these rules because I did take the trouble to learn them and, having put that effort in, I am abundantly incentivized to make sure that everyone else follows suit. The very last thing I want is for us to return to a society where some other arbitrary code is taken as the measure of a man, like how many press-ups you can do or what's the largest mammal you can kill'. But is correct spelling more than simply a way of providing puny men with a means of asserting themselves over their physically more developed peers?


 綴字は言語について人々が最も保守的になりがちな領域であるという主張には,おおいに賛成する.この事実は書き言葉の特徴と不可分である.書き言葉は話し言葉と違って,「見える」し,いつまでも「残る」媒体である.水掛け論がそうであるように,話し言葉であれば言った言わないのごまかしが利くかもしれないが,書き言葉では物理的な動かぬ証拠が残ってしまうだけにごまかせない.書き言葉でも,文法や語法などは語の綴字よりも評価のターゲットとするには大きく抽象的な単位であり,槍玉に挙げる(あるいは賞賛する)には語の綴字というのが手っ取り早い単位なのだ.良きにつけ悪しきにつけ,綴字は評価に対して無防備なのだ.
 もう1つ,「オレは学校で苦労して綴字を覚えた,だから息子よ,オマエも苦労して覚えよ」論も,わからないではない.理解できる側面がある.だが,これは Horobin にとっては,肉体的マッチョ論ならぬ,同じくらい馬鹿げた知的マッチョ論と見えるようだ.この辺りの問題は世代間・時代間の不一致という普遍的な現象と関わっており,全面的な解決はなかなか難しそうだ.この問題と関連して,慣れた正書法から離れることへの心理的抵抗という要因もあることは間違いない.「#2087. 綴字改革への心理的抵抗」 ([2015-01-13-1]) や「#2094. 「綴字改革への心理的抵抗」の比較体験」 ([2015-01-20-1]) も参照されたい.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.

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2016-04-27 Wed

#2557. 英語のキラキラネーム,あるいはキラキラスペリング [spelling][onomastics][orthography][personal_name]

 現代の日本語による人の命名に関して,キラキラネームが数年来の話題となっている.これには発音としては伝統的な名前でありながら強引な当て字で表記するものもあれば,そもそも伝統的ですらない日本人名を漢字(や記号)で表記するものもある.その是非を巡って様々な意見があることは周知の通りだが,そのような名前を付ける名付け親は,子供の個性化の手段であると一様に主張する.
 個性化ということであれば,西洋の英語文化圏のほうが進んでいるのではないかと想像されるが,実際にキラキラネームに相当するものは近年よくみられる.しかし,様相はやや異なるようだ.Horobin (225) の記述をみてみよう.

The idea of a personalized orthography is also apparent in the recent phenomenon of giving children names with non-standard spellings. Often such names remain phonetically identical to their traditional spellings, but changes in spelling are used to endow them with a unique identity. While many popular names already have variant spellings, such as Catherine, Katherine, Kathryn, others have only recently developed alternative forms. Parenting websites are littered with helpful suggestions of ways of respelling traditional names to give 'funky' alternatives, such as Katelyn, Rachaell, Melanee, Stefani. Discussion boards record lively debates between those in favour of such personalizations, and those for whom such 'incorrect' spellings are complete anathema.


 英語のキラキラネームについて特徴的なのは,発音としては伝統的な名前を採用しているが,表記(綴字)をいじっているという例が普通であり,そもそも非伝統的な種類の名前はあまり選択肢に入ってこないということだ.また,日本語ではもともと読みの複雑な漢字という文字体系を利用して「当て字」という方法に訴えるのに対して,英語では原則として表音文字であるアルファベットを用いて,綴字によって非標準的な個性化を目指すにとどまる.英語のキラキラネームとは,およそキラキラスペリングと言い換えてもよい程度のものである.
 日本語の漢字に比べれば,英語のスペリングの発音からの逸脱度はたかがしれている.英語ではキラキラスペリングを用いても,基準点としての伝統的な名前が何であるかの判別はずっと容易だ.その点では,キラキラスペリングによる命名者は案外保守的ともいえるかもしれない.というのは,結局のところ,そのような命名者は標準英語綴字の正書法に基づきながら,それを発展的に応用しているにすぎないとも考えられるからだ.
 人の名前だけでなく商品やサービスの名前に新奇さを与えるために異綴りを用いるという傾向も,平行的に考えることができる.Horobin (226) は,これについて次のように述べている.

An important feature of many such novel spellings is that they should be easily understood as an alternative spelling of a particular standard English word, so that the product or service to which it relates is clear.


 人名にせよ商品・サービス名にせよ,英語では非標準綴字を使いこそすれ,それで非標準発音を表すことはほとんどないという点に注意する必要がある.あくまで名前の音声的実現は社会に広く共有される標準的,慣習的なものにとどまるのである.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.

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2016-04-16 Sat

#2546. テキストの校訂に伴うジレンマ [editing][owl_and_nightingale][manuscript][spelling][punctuation][evidence]

 現代の研究者が古英語や中英語の文書を読む場合,写本から直接読むこともあるが,アクセスの点で難があるので,通常は校訂されたエディションで読むことが多い.校訂されたテキストは,校訂者により多かれ少なかれ手が加えられており,少なからず独自の「解釈」も加えられているので,写本に記録されている本物のテキストそのものではない.したがって,読者は,校訂者の介入を計算に入れた上でテキストに対峙しなければならない.ということは,読者にしても,校訂者が校訂するにあたって抱く悩みや問題にも通じていなければならない.
 校訂者の悩みには様々な種類のものがある.The Owl and the Nightingale を校訂した Cartlidge (viii) が,校訂に際するジレンマを告白しているので,それを読んでみよう.

The presentation of medieval text to a modern audience---even leaving aside the question of emending obvious errors or obscurities in the extant manuscripts---inevitably faces the modern editor with a dilemma. The conventions of spelling, punctuation and word-division followed by the scribes have to be modernized to some extent in order to produce a reasonably accessible text for readers accustomed to the different conventions now current---but how much modernization is actually compatible with editorial fidelity to the text as it survives in the manuscripts? For example, neither surviving manuscript of The Owl and the Nightingale provides punctuation of a kind expected by a modern reader (except very occasionally) and units of sense are generally marked quite naturally by the metrical structure. It is only reasonable that modern punctuation should be inserted by the editor of a medieval literary text, but the effect of this is that the edited text often makes syntactic links much more explicit than they are in the medieval copies. Thus, even punctuation is not just a matter of presentation, but also, potentially, an act of interpretation. Recent editors of medieval texts have generally agreed that the editor should be prepared to punctuate, but once intervention has begun, even at this fairly minimal level, it is impossible to claim that the text has been handled wholly "conservatively". The problem is that editorial conservatism is not a matter of a choice between various absolute principles (and fidelity to them), but a scale that stretches from an absolute conservatism at the one end (which could only be achieved in a facsimile---if at all), through changes to word-spacing, capitalization, punctuation, spelling-reforms of various kinds, morphological regularization, alterations in syntax---and so to the point, at the other end, at which the "edition" is not an "edition" at all, but a translation into modern English. The challenge is to determine the point along the scale of editorial intervention that yields the greatest gain, in terms of making the text accessible to a modern readership, in exchange for the smallest loss, in terms of fidelity to the presentation of its medieval copies.


 ここで Cartlidge が吐露しているのは,(1) オリジナルの雰囲気や勢いを保持しつつも,(2) 現代の読者のためにテキストを読みやすく提示したい,という相反する要求の板挟みについてである.(1) のみを重視して,まったく手を入れないのであれば,写本をそのまま写真に撮ってファクシミリとして公開すればよく,校訂版を出す意味はない.また,(2) のみを重視するのであれば,極端な場合には意訳なり超訳なりに近づく.そこで,校訂版の存在意義を求めるのであれば,校訂者は (1) と (2) のあいだで妥当なバランスをとり,ある程度手を入れたテキストを提示する必要がある.だが,「ある程度」の程度によっては,たとえ句読法1つの挿入にすぎないとしても,それは校訂者の特定の解釈を読者に押しつけることになるかもしれないのである.校訂者によるほぼすべての介入が,文献学的な解釈の差異をもたらす可能性を含んでいる.
 editing という作業は,テキストの presentation にとどまらず,すでに interpretation の領域へ1歩も2歩も踏み込んでいるということを,校訂版を利用する読者としても知っておく必要がある.
 この問題と関連して,「#681. 刊本でなく写本を参照すべき6つの理由」 ([2011-03-09-1]) ,「#682. ファクシミリでなく写本を参照すべき5つの理由」 ([2011-03-10-1]) の記事を参照.

 ・ Cartlidge, Neil, ed. The Owl and the Nightingale. Exeter: U of Exeter P, 2001.

Referrer (Inside): [2018-10-24-1]

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2016-04-11 Mon

#2541. throughwrought などが音位転換でない可能性 [metathesis][phonetics][spelling]

 口が滑るなどして単音や音節の位置が互いに交換される音位転換 (metathesis) の過程は,音変化のメカニズムの1つとしてよく知られている.「#60. 音位転換 ( metathesis )」 ([2009-06-27-1]) を始めとして,metathesis の記事で扱ってきた.英語史からの典型的な例として through の音位転換が挙げられる.「#55. through の語源」 ([2009-06-22-1]) で記した通り,古英語 þurhur が位置をひっくり返したことから,現代の through の原型が生まれたとされている.
 しかし,Samuels (17) は,これは必ずしも純粋な音位転換の例ではない可能性があると指摘する.

. . . the order of /r/ and a vowel may be reversed, as in L. *turbulare > Fr. troubler, OE þridda > third, OE þurh > through, Sc. dial. /mɔdrən/ 'modern'; this may amount to no more than insertion of a glide-vowel and misinterpretation of the stress (OE worhte > worohte > wrohte 'wrought', þurh > þuruh > ME þorouȝ > through).


 なるほど,過程の入出力をみればあたかも音位転換が起こったかのようだが,worohteþuruh のように r の両側に母音字が現われるような綴字が文証されるのであれば,1つではなく複数の過程が連続して生じたとする解釈も捨て去ることはできない.Samuels は,問題の r の後に母音が渡り音として挿入され,その後に強勢位置がその母音へと移ったという可能性を考えているが,これはもっと端的には,r の後に新たな母音が挿入され,続いて前の母音が消失したという2つの連続した過程といえるだろう.
 Samuels は新しい解釈の可能性を示唆しているにすぎず,特に強く主張しているわけではない.また,渡り音の挿入を想定しにくい古英語の ascian > axianfiscas > fixas のような例には,同解釈は適用できないだろう.したがって,音位転換という過程そのものを疑うような意見ではない.それでも,確かに文証される綴字の存在に配慮して,定説とは異なるアイディアを可能性として提示する姿勢には,ただ感心する.
 through の綴字については「#53. 後期中英語期の through の綴りは515通り」 ([2009-06-20-1]),「#193. 15世紀 Chancery Standard の through の異綴りは14通り」 ([2009-11-06-1]) を参照.wrought については「#2117. playwright」 ([2015-02-12-1]) を参照.three/third に関しては「#92. third の音位転換はいつ起こったか」 ([2009-07-28-1]),「#93. third の音位転換はいつ起こったか (2)」 ([2009-07-29-1]) を参照.

 ・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.

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2016-04-10 Sun

#2540. 視覚の大文字化と意味の大文字化 [punctuation][capitalisation][noun][writing][spelling][semantics][metonymy][onomastics][minim]

 英語における大文字使用については,いくつかの観点から以下の記事で扱ってきた.

 ・ 「#583. ドイツ語式の名詞語頭の大文字使用は英語にもあった」 ([2010-12-01-1])
 ・ 「#1309. 大文字と小文字」 ([2012-11-26-1])
 ・ 「#1310. 現代英語の大文字使用の慣例」 ([2012-11-27-1])
 ・ 「#1844. ドイツ語式の名詞語頭の大文字使用は英語にもあった (2)」 ([2014-05-15-1])

 語頭の大文字使用の問題について,塩田の論文を読んだ.現代英語の語頭の大文字使用には,「視覚の大文字化」と「意味の大文字化」とがあるという.視覚の大文字化とは,文頭や引用符の行頭に置かれる語の最初の文字を大文字にするものであり,該当する単語の品詞や語類は問わない.「大文字と大文字化される単語の機能の間に直接的なつながりがな」く,「文頭とか,行頭を示す座標としての意味しかもたない」 (47) .外的視覚映像の強調という役割である.
 もう1つの意味の大文字化とは,語の内的意味構造に関わるものである.典型例は固有名詞の語頭大文字化であり,塩田はその特徴を「名詞の通念性」と表現している.意味論的には,この「通念性」をどうみるかが重要である.塩田 (48--49) の解釈と説明がすぐれているので,関係する箇所を引こう.

 大文字化された名詞は自己の意味構造の一つである通念性を触発されて通念化する.名詞の意味構造の一つである通念性が大文字という形式を選んで具視化したと考えられる.ここが視覚の大文字化とは違う点である.名詞以外の品詞には大文字化を要求する内部からの意味的及び心理的要求が欠けている.
 名詞は潜在的に様々な可能性を持っている.様々ある可能性の内,特に「通念」という可能性を現実化し,これをひき立てて,読者の眼前に強調してみせるのが大文字化の役割である.
 しからばこの通念とはいかなる概念であるのであろうか.
 通念は知的操作が加わる以前の名詞像である.耳からある言葉を聴いてすぐに心に浮ぶイメージが通念である.聴覚映像とも言えよう.したがって,知的,論理的に定義や規定を行う以前の原初的,前概念が通念である.
 通念には二つの派生的性質がある.
 第一に通念は名詞に何の操作も加えない極めて普遍的なイメージである.ラングとしての名詞の聴覚映像と呼ぶことが出来る.名詞の聴覚映像のうち万人に共通した部分を通念と呼ぶわけである.したがって名詞は,この通念の領域に属する限り,一言で,背景や状況を以心伝心の如く伝達することが出来る.名詞のうちによく人口に膾炙し,大衆伝達のゆきとどいているものほど一言で背景や状況を伝達する力は大きい.そこで,特に名詞の内広い通念性を獲得したものを Mass Communicated Sign MCS と呼ぶことにする.
 MCS は一言で全てを伝達する.一言でわかるのだから,その「すべて」は必ずしも細やかで概念的に正確な内容ではなく,単純で直線的なインフォメーションに違いない.
 第二に通念は MCS のように共通で同一のイメージを背景とした面を持っている.巾広い共通の含みが通念の命である.したがって通念の持つ含みは,個人的個別的であってはならない.個人にしかないなにかを伝達するには色々の説明や断わりが必要である.個人差や地方差が少なくなればなる程,通念としての適用範囲を増すし,純度も高くなる.したがって通念は常に個別差をなくす方向に動く.類と個の区別を意識的に排除し,類で個を表わしたり,部分で全体を代表させたりする.通念は個をこえて 類へ一般化する傾向がある.
 通念の一般化や普遍化がすすむと,個有化絶対化にいたる.この傾向は人間心理に強い影響を及ぼす通念であるほど,強い.万人に影響を与えられたイメージは一本化され,集団の固有物となる.
 以上をまとめると,通念には,大衆伝達性と,固有性という二つの幅があることになる.


 通念の固有性という側面は,典型的には唯一無二の固有名詞がもつ特徴だが,個と類の混同により固有性が獲得される場合がある.例えば,Bible, Fortune, Heaven, Sea, World の類いである.これらは,英語文化圏の内部において,あたかも唯一無二の固有名詞そのものであるかのようにとらえられてきた語である.特定の文化や文脈において疑似固有名詞化した例といってもいい.曜日,月,季節,方位の名前なども,個と類の混同に基づき大文字化されるのである.同じく,th River, th Far East, the City などの地名や First Lady, President などの人を表す語句も同様である.ここには metonymy が作用している.
 通念の大衆伝達性という側面を体現するのは,マスコミが流布する政治や社会現象に関する語句である.Communism, Parliament, the Constitution, Remember Pearl Harbor, Sex without Babies 等々.その時代を生きる者にとっては,これらの一言(そして大文字化を認識すること)だけで,その背景や文脈がただちに直接的に理解されるのである.
 なお,一人称段数代名詞 I を常に大書する慣習は,「#91. なぜ一人称単数代名詞 I は大文字で書くか」 ([2009-07-27-1]) で明らかにしたように,意味の大文字化というよりは,むしろ視覚の大文字化の問題と考えるべきだろう.I の意味云々ではなく,単に視覚的に際立たせるための大文字化と考えるのが妥当だからだ.一般には縦棒 (minim) 1本では周囲の縦棒群に埋没して見分けが付きにくいということがいわれるが,縦棒1本で書かれるという側面よりも,ただ1文字で書かれる語であるという側面のほうが重要かもしれない.というのは,塩田の言うように「15世紀のマヌスクリプトを見るとやはり一文字しかない不定冠詞の a を大書している例があるからである」 (49) .
 大文字化の話題と関連して,固有名詞化について「#1184. 固有名詞化 (1)」 ([2012-07-24-1]),「#1185. 固有名詞化 (2)」 ([2012-07-25-1]),「#2212. 固有名詞はシニフィエなきシニフィアンである」 ([2015-05-18-1]),「#2397. 固有名詞の性質と人名・地名」 ([2015-11-19-1]) を参照されたい.

 ・ 塩田 勉 「Capitalization について」『時事英語学研究』第6巻第1号,1967年.47--53頁.

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2016-03-22 Tue

#2521. 初期中英語の113種類の "such" の異綴字 [spelling][eme][laeme][corpus][scribe][me_dialect][representativeness]

 昨日の記事「#2520. 後期中英語の134種類の "such" の異綴字」 ([2016-03-21-1]) に続き,今回は初期中英語コーパス LAEME で "such" の異綴字を取り出してみたい (see 「#1262. The LAEME Corpus の代表性 (1)」 ([2012-10-10-1])) .この語は,初期中英語では形容詞,副詞,接続詞として用いられ,形容詞の場合には屈折もするので,全体として様々な形態が現われる.アルファベット順に一覧しよう(かっこ内の数値は文証される頻度).

hsƿucche (1), schilke (1), schuc (3), scli (1), scuche (1), sec (1), secc (1), secche (1), sech (2), seche (1), selk (1), selke (1), shuc (1), shuch (1), siche (1), silc (1), silk (3), sli (1), slic (5), sliik (1), slik (3), slike (1), slk (1), sly (1), soch (5), soche (1), solchere (1), suc (2), sucche (2), such (51), suche (1), suecche (1), suech (1), sueche (1), sueh (1), sug (1), suic (1), suicchne (1), suich (12), suiche (3), suilc (14), suilce (1), suilch (1), suilk (1), suilke (2), sulch (1), sulche (1), sulk (1), sulke (1), suuche (1), suweche (1), suwilk (1), suyc (1), suych (4), suyche (1), svich (2), sƿche (1), sƿic (3), sƿicche (1), sƿich (1), sƿiche (14), sƿichne (1), sƿilc (30), sƿilch (22), sƿilche (1), sƿilcne (1), sƿilk (14), sƿillc (10), sƿillke (2), sƿi~lch (1), sƿlche (1), sƿuc (4), sƿucch (1), sƿucche (4), sƿucches (1), sƿuch (1), sƿuche (1), sƿuchne (1), sƿuilc (1), sƿulc (8), sƿulce (1), sƿulche (9), swch (1), swecche (1), swech (1), sweche (2), swich (5), swiche (1), swics (1), swil (1), swilc (5), swilce (1), swilk (2), swilke (2), swilkee (2), swlc (1), swlch (1), swlche (1), swlchere (1), swlcne (1), swuche (2), swuh (1), swulcere (1), swulch (3), swulchen (1), swulchere (1), swulke (1), swulne (1), zuich (10), zuiche (14), zuichen (3), zuych (10), zuyche (2)


 大文字と小文字の区別はつけずに,合計113種類の綴字が文証される.そのなかで頻度にしてトップ5の綴字を抜き出すと,such, sƿilc, sƿilch, sƿilk, sƿiche となり,この5種類だけで全用例369個のうち131個 (35.5%) を占める.
 昨日の後期中英語からの134種類と合わせ,重複綴字を減算すると,中英語全体として247種類の異綴字があることになる.使用した方言地図やコーパスも必ずしも網羅的ではないので,これは控えめな数値と思われる.例えば,MEDswich (adj.) に掲げられている異綴字を加えれば,種類はもう少し増えるだろう.

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2016-03-21 Mon

#2520. 後期中英語の134種類の "such" の異綴字 [spelling][lme][lalme][corpus][scribe][me_dialect][frequency]

 「#53. 後期中英語期の through の綴りは515通り」 ([2009-06-20-1]),「#219. eyes を表す172通りの綴字」 ([2009-12-02-1]) に引き続き,英語史における著しい綴字の変異について.今回は,異綴字の種類の多さに定評のある(?) "such" を取り上げる.
 「#1622. eLALME」 ([2013-10-05-1]) で紹介した,後期中英語の方言地図 LALME の改訂・電子版 eLALME において,Item List 10 が "such" を扱っている.この一覧から異綴字を抜き出すと,不確かな例を除いて少な目に数えても,以下の134種類が挙がる(かっこ内の数値は文証される頻度).

asoche (1), aswyche (1), schch (1), schech (1), scheche (3), schiche (1), schoche (1), scht (1), schuc (1), schuch (3), schuche (4), schut (1), schute (1), sclik (2), sclike (1), sclyk (2), sclyke (2), scoche (1), scwche (1), sech (8), seche (39), sewyche (2), shich (1), shiche (1), shoch (1), shoche (1), shuch (5), shuche (3), shych (1), sic (6), sic- (1), sich (53), siche (101), sick (1), sɩͨh (1), sik (1), sik- (1), sike (2), silk (3), sli (1), slieke (1), slik (10), slike (26), slilk (2), slkyke (1), slyk (13), slyke (26), soch (12), soche (60), souche (3), sowche (2), soyche (1), squike (1), squilk (2), squylk (1), sqwych (1), sqwyche (1), sswiche (1), suc (1), succh (1), sucche (5), such (242), suche (375), suchee (1), sucheȝ (1), suchet (1), sucht (1), suchte (1), suech (4), sueche (6), suhc (1), suhe (1), suich (9), suiche (7), suilk (6), suilk- (1), suilke (3), suilkin (1), sulc (1), sulk (4), sulke (2), sutche (1), suth (1), suuch (1), suuche (1), suuech (1), suueche (1), suych (13), suyche (15), suylk (7), suylke (6), svche (1), sviche (1), swc (1), swch (7), swche (4), swech (19), sweche (48), swelk (4), swhiche (2), swhilke (2), swhych (2), swhyche (1), swic (2), swich (77), swiche (84), swichee (1), swilc (3), swilk (76), swilke (45), swilkes (1), swisɩͨhe (1), swlk (1), swlke (1), swuch (3), swuche (2), swych (56), swyche (65), swyeche (1), swyk (1), swyke (1), swyl (1), swylk (62), swylke (35), swylle (1), syc- (1), sych (23), syche (67), syge (1), syk (4), syk- (1), syke (5), sylk (3), sylke (2)


 方言の別を度外視して頻度の統計を取ると,トップ10が suche, such, siche, swiche, swich, swilk, syche, swyche, swylk, soche である.トップの2種類 suchesuch は現代英語を見慣れている者にとって,十分常識的にみえるだろう.実際,この2種類だけで617例が文証され,総1867例のほぼ3分の1を占める.また,トップの10種類だけで,ほぼ3分の2を占める.したがって,異綴字がこれだけ多くあるからといって,そのまま完全なる混沌に等しい,ということにはならない.このような事情は,中英語期に多種類の綴字が認められる多くの語について認められ,混沌のなかにもある程度の秩序らしきものがが宿っているといえる.そうだとしても,当時の書き手と読み手にとってはやはり不便な状況だったに違いない.この点については,「#1311. 綴字の標準化はなぜ必要か」 ([2012-11-28-1]),「#1450. 中英語の綴字の多様性はやはり不便である」 ([2013-04-16-1]) で論じた通りである.
 初期中英語や近現代の諸方言形を調べれば,もっと異綴字の種類は増すだろう.出典は失念したが,数え方にもよるものの,500種類ほどという数字を見かけたことがある・・・.

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