「#2469. アジアの英語圏」([2016-01-30-1]) に引き続き,今回はアフリカの英語圏の人口統計について.Gramley (307, 309, 311) の "Anglophone Southern African countries", "Anglophone West African countries", "Anglophone East African countries" の表を掲載しよう. * *
country | significant UK contact | colonial status | independence | total population | English speakers | |
---|---|---|---|---|---|---|
percentage | total number | |||||
Botswana | 19th century | 1885 | 1966 | 1,640,000 | --38% | 630,000 |
Lesotho | protectorate | 1966 | 1,800,000 | --28% | 500,000 | |
Malawi | 1878 | 1891 | 1964 | 13,000,000 | --4% | 540,000 |
Namibia | 1878 | 1920 (S. Afr.) | 1990 | 1,800,000 | --17% | > 300,000 |
South Africa | 1795 | 1795 | 1910 | 47,850,000 | > 28% | 13,700,000 |
Swaziland | 1894 | 1902 (UK) | 1968 | 1,140,000 | --4.4% | 50,000 |
Zambia | 1888 | 1924 | 1953, 1964 | 13,000,000 | --15% | --2,000,000 |
Zimbabwe | 1890 | 1923 | 1953, 1980 | 13,300,000 | --42% | 5,550,000 |
Cameroon | 1914 | 1916 | 1960 | 18,500,000 | --42% | 7,700,000 |
Gambia | 1661, 1816 | 1894 | 1965 | 1,700,000 | --2.3% | 40,000 |
Ghana (formerly gold coast) | 1824, 1850 | 1874, 1902 | 1957 | 23,480,000 | --6% | 1,400,000 |
Liberia | USA 1822 | none | 1847 | 3,750,000 | --83% | 3,100,000 |
Nigeria | 1851 | 1884, 1900 | 1960 | 148,000,000 | --53% | 79,000,000 |
Sierra Leone | 1787 | 1808 | 1961 | 5,800,000 | --83% | 4,900,000 |
Kenya | 1886 | 1895, 1920 | 1963 | 39,000,000 | --9% | 2,700,000 |
Tanzania | 1880s | 1890, 1920 | 1961 | 42,000,000 | --11% | 4,000,000 |
Uganda | 1860s | 1888, 1890 | 1962 | 31,000,000 | --10% | 2,500,000 |
In most of these countries a kind of indigenization or nativization is currently taking place, a process in which the domains of the language are expanding and in which increasingly endonormative standards are becoming established for usages which were once stigmatized as mistakes. This is opening the way to wider use of English in creative writing and to the institutionalization of local forms in schools, the media, and government . . . . English may well still be far from being a language of the emotions among the vast majority of its users; indeed, the institutionalization of English may be making it ever more difficult for those without English to close the social gap between "the classes and the masses." All the same, English is more and more firmly a part of everyday linguistic experience.
これら "New Englishes" の使用に関する歴史社会言語学的な事情については「#1255. "New Englishes" のライフサイクル」 ([2012-10-03-1]) を参照されたい.また,アフリカの英語圏のいくつかの地域については,「#343. 南アフリカ共和国の英語使用」 ([2010-04-05-1]),「#412. カメルーンの英語事情」 ([2010-06-13-1]),「#413. カメルーンにおける英語への language shift」 ([2010-06-14-1]),「#514. Nigeria における英語の位置づけ」 ([2010-09-23-1]) で取り上げてきたので,そちらをご覧ください.Gramley の英語史概説書のコンパニオンサイトより,こちらの解説PDFファイルのなかの "colonial expansion into West Africa" の記事も有用.
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
英語のフランス語との付き合いは古英語最末期より途切れることなく続いている.フランス語彙借用のピークは「#2357. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計」 ([2015-10-10-1]) や「#117. フランス借用語の年代別分布」 ([2009-08-22-1]) で見たように1251--1375年だが,その後も,規模こそ縮小しながらも,借用は連綿と続いてきている.中英語以降の各時代のフランス語彙の借用については,「#1210. 中英語のフランス借用語の一覧」 ([2012-08-19-1]),「#1411. 初期近代英語に入った "oversea language"」 ([2013-03-08-1]),「#594. 近代英語以降のフランス借用語の特徴」 ([2010-12-12-1]), 「#678. 汎ヨーロッパ的な18世紀のフランス借用語」 ([2011-03-06-1]) を参照されたい.
今回は,現代英語におけるフランス借用語の話題を取り上げたい.Schultz は,OED Online を利用して,1900年以降に英語に入ってきたフランス語彙を調査した.Schultz がフランス借用語として取り出し,認定したのは,1677語である.Schultz の論文では,それらを14個の意味分野(とさらなる下位区分)ごとに整理し,サンプル語を列挙しているが,ここでは12分野それぞれに属する語の数と割合のみを示そう (Shultz 4--6) .
(1) Anthropology (11 borrowings, i.e. 0.7%)
(2) Metapsychics and parapsychology (11 borrowings, i.e. 0.7%)
(3) Archaeology (30 borrowings, i.e. 1.8%)
(4) Miscellaneous (46 borrowings, i.e. 2.7%)
(5) Technology (62 borrowings, i.e. 3.7%)
(6) La Francophonie (63 borrowings, i.e. 3.8%)
(7) Fashion and lifestyle (77 borrowings, i.e. 4.6%)
(8) Entertainment and leisure activities (86 borrowings, i.e. 5.1%)
(9) Mathematics and the humanities (92 borrowings, i.e. 5.5%)
(10) People and everyday life (154 borrowings, i.e. 9.2%)
(11) Civilization and politics (156 borrowings, i.e. 9.3%)
(12) Gastronomy (179 borrowings, i.e. 10.7%)
(13) Fine arts and crafts (260 borrowings, i.e. 15.5%)
(14) The natural sciences (450 borrowings, i.e. 26.8%)
20世紀のフランス借用語の特徴は何だろうか.1つは,Schultz が "the vocabulary recently adopted from French is characterized by its great variety, ranging from words related to everyday matters to highly specific terms in technology and science" (8) とまとめているように,意味分野の幅広さが挙げられる.食,芸術,自然科学が相対的に強いが,全体としてはマルチジャンルといってよい.ただし,マルチジャンルであることは中英語期のフランス借用語の特徴にも当てはまることから,これは英語史におけるフランス語彙借用に汎時的にみられる特徴といってもよいかもしれない.
注目すべきは,借用語のソースとして,標準フランス語のみならず,フランス語の諸変種やクレオール語なども含まれていることだ.カリブ諸島,カナダ,ルイジアナ,アフリカなどのフランス語変種からの借用語が少なくない.中英語期にも,中央フランス語のみならず,とりわけ初期にノルマン・フランス語 (norman_french) からも語彙が流入していたが,近代以降「フランス語」の指す範囲が拡がるとともに,借用元変種も多様化してきたということだろう.
現代世界の借用元言語としての英語を考えてみても,従来はイギリス標準英語やアメリカ標準英語がほぼ唯一の借用元変種だったかもしれないが,現在ではピジン語やクレオール語も含めた各種の英語変種が借用元変種となっている事実がある.それと同じことが,フランス語についても言えるということなのではないか.
・ Schultz, Julia. "Twentieth-Century Borrowings from french into English --- An Overview." English Today 28.2 (2012): 3--9.
「#1987. ピジン語とクレオール語の非連続性」 ([2014-10-05-1]) で,ピジン語とクレオール語に関するライフサイクル的な見方への懐疑論を紹介した.ライフサイクル的な見方とは,簡略化したピジン語が,母語話者をもつに及んで複雑化し,クレオール語となるという発展の仕方を想定するもので,いわば pidgin と creole を巡る伝統的な教科書風の記述に相当する.
しかし,ピジン語からクレオール語へ発展するという見方を採用するにしても,その途中段階を考慮に入れると,いくつかの種類を想定せざるをえない.現実には以下の3種類の経路が認められる (Jenkins 11 の図を改変).
この図は,ライフサイクル的に pidgin (あるいは jargon)という段階から creole へ至ることを前提にするにしても,creole 化という過程がどの中途段階からも起こり得ることを示している.また,creole 化を起こさずに jargon や pidgin の段階にとどまっている Type 0 という段階を,合わせて仮定してもよいかもしれないし,さらにほかのタイプもあり得るかもしれない.いずれのタイプが選ばれるかは,それぞれの段階における変種の言語的性質によるというよりは,それが使用されている社会における社会言語学的な状況によるのだろう.pidgin から creole に至る道程は種々別々であり,安易な一般化は難しいばかりではなく,creole 化の本質を見失わせることもあるかもしれない.
・Jenkins, Jennifer. World Englishes: A Resource Book for Students. Abingdon: Routledge, 2003.
「#1993. Hickey による言語外的要因への慎重論」 ([2014-10-11-1]) の記事で,近年,言語変化の原因を言語接触 (language contact) に帰する論考が増えてきている.言語接触による説明は1970--80年代はむしろ逆風を受けていたが,1990年代以降,揺り戻しが来ているようだ.しかし,近代言語学での言語接触の研究史は案外と古い.今日は,主として Drinka (325--28) の概説に依拠して,言語接触研究の略史を描く.
略史のスタートとして,Johannes Schmidt (1843--1901) の名を挙げたい.「#999. 言語変化の波状説」 ([2012-01-21-1]),「#1118. Schleicher の系統樹説」 ([2012-05-19-1]),「#1236. 木と波」 ([2012-09-14-1]) などの記事で見たように,Schmidt は,諸言語間の関係をとらえるための理論として師匠の August Schleicher (1821--68) が1860年に提示した Stammbaumtheorie (Family Tree Theory) に対抗し,1872年に Wellentheorie (wave_theory) を提示した.Schmidt のこの提案は言語的革新が中心から周辺へと地理的に波及していく過程を前提としており,言語接触に基づいて言語変化を説明しようとするモデルの先駆けとなった.
この時代は青年文法学派 (neogrammarian) の全盛期に当たるが,そのなかで異才 Hugo Schuchardt (1842--1927) もまた言語接触の重要性に早くから気づいていた1人である.Schuchardt は,ピジン語やクレオール語など混合言語の研究の端緒を開いた人物でもある.
20世紀に入ると,フランスの方言学者 Jules Gilliéron (1854--1926) により方言地理学が開かれる.1930年には Kristian Sandfeld によりバルカン言語学 (linguistique balkanique) が創始され,地域言語学 (areal linguistics) や地理言語学 (geolinguistics) の先鞭をつけた.イタリアでは,「#1069. フォスラー学派,新言語学派,柳田 --- 話者個人の心理を重んじる言語観」 ([2012-03-31-1]) で触れたように,Matteo Bartoli により新言語学 (Neolinguistics) が開かれ,言語変化における中心と周辺の対立関係が追究された.1940年代には Franz Boaz や Roman Jakobson などの言語学者が言語境界を越えた言語項の拡散について論じた.
言語接触の分野で最初の体系的で包括的な研究といえば,Weinreich 著 Languages in Contact (1953) だろう.Weinreich は,言語接触の場は言語でも社会でもなく,2言語話者たる個人にあることを明言したことで,研究史上に名を残している.Weinreich は.師匠 André Martinet 譲りの構造言語学の知見を駆使しながらも,社会言語学や心理言語学の観点を重視し,その後の言語接触研究に確かな方向性を与えた.1970年代には,Peter Trudgill が言語的革新の拡散のもう1つのモデルとして "gravity model" を提起した(cf.「#1053. 波状説の波及効果」 ([2012-03-15-1])).
1970年代後半からは,歴史言語学や言語類型論からのアプローチが顕著となってきたほか,個人あるいは社会の2言語使用 (bilingualism) に関する心理言語学的な観点からの研究も多くなってきた.現在では言語接触研究は様々な分野へと分岐しており,以下はその多様性を示すキーワードをいくつか挙げたものである.言語交替 (language_shift),言語計画 (language_planning),2言語使用にかかわる脳の働きと習得,code-switching,借用や混合の構造的制約,言語変化論,ピジン語 (pidgin) やクレオール語 (creole) などの接触言語 (contact language),地域言語学 (areal linguistics),言語圏 (linguistic_area),等々 (Matras 203) .
最後に,近年の言語接触研究において記念碑的な役割を果たしている研究書を1冊挙げよう.Thomason and Kaufman による Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics (1988) である.その後の言語接触の分野のほぼすべての研究が,多少なりともこの著作の影響を受けているといっても過言ではない.本ブログでも,いくつかの記事 (cf. Thomason and Kaufman) で取り上げてきた通りである.
・ Drinka, Bridget. "Language Contact." Chapter 18 of Continuum Companion to Historical Linguistics. Ed. Silvia Luraghi and Vit Bubenik. London: Continuum, 2010. 325--45.
・ Matras, Yaron. "Language Contact." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 203--14.
・ Weinreich, Uriel. Languages in Contact: Findings and Problems. New York: Publications of the Linguistic Circle of New York, 1953. The Hague: Mouton, 1968.
・ Thomason, Sarah Grey and Terrence Kaufman. Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics. Berkeley: U of California P, 1988.
ピジン語 (pidgin) とクレオール語 (creole) についての一般の理解によると,前者が母語話者をもたない簡易化した混成語にとどまるのに対し,後者は母語話者をもち,体系的な複雑化に特徴づけられる言語ということである.別の言い方をすれば,creole は pidgin から発展した段階の言語を表わし,両者はある種の言語発達のライフサイクルの一部を構成する(その後,post-creole_continuum や decreolization の段階がありうるとされる).両者は連続体ではあるものの,「#1690. pidgin とその関連語を巡る定義の問題」 ([2013-12-12-1]) で示したように,諸特徴を比較すれば相違点が目立つ.
しかし,「#444. ピジン語とクレオール語の境目」 ([2010-07-15-1]) でも触れたように,pidgin と creole には上記のライフサイクル的な見方に当てはまらない例がある.ピジン語のなかには,母語話者を獲得せずに,すなわち creole 化せずに,体系が複雑化する "expanded pidgin" が存在する.「#412. カメルーンの英語事情」 ([2010-06-13-1]),「#413. カメルーンにおける英語への language shift」 ([2010-06-14-1]) で触れた Cameroon Pidgin English,「#1688. Tok Pisin」 ([2013-12-10-1]) で取り上げた Tok Pisin のいくつかの変種がその例である.また,反対に,大西洋やインド洋におけるように,ピジン語の段階を経ずに直接クレオール語が生じたとみなされる例もある (Mufwene 48) .
クレオール語研究の最先端で仕事をしている Mufwene (47) は,伝統的な理解によるピジン語とクレオール語のライフサイクル説に対して懐疑的である.とりわけ expanded pidgin とcreole の関係について,両者は向かっている方向がむしろ逆であり,連続体とみなすのには無理があるとしている.
There are . . . significant reasons for not lumping expanded pidgins and creoles in the same category, usually identified as creole and associated with the fact that they have acquired a native speaker population. . . . [T]hey evolved in opposite directions, although they are all associated with plantation colonies, with the exception of Hawaiian Creole, which actually evolved in the city . . . . Creoles started from closer approximations of their 'lexifiers' and then evolved gradually into basilects that are morphosyntactically simpler, in more or less the same ways as their 'lexifiers' had evolved from morphosyntactically more complex Indo-European varieties, such as Latin or Old English. According to Chaudenson (2001), they extended to the logical conclusion a morphological erosion that was already under way in the nonstandard dialects of European languages that the non-Europeans had been exposed to. On the other hand, expanded pidgins started from rudimentary language varieties that complexified as their functions increased and diversified.
引用内で触れられている Chaudenson も同じ趣旨で論じているように,creole は語彙提供言語(通常は植民地支配者たるヨーロッパの言語)と地続きであり,それが簡易化したものであるという解釈だ (cf. 「#1842. クレオール語の歴史社会言語学的な定義」 ([2014-05-13-1])) .一方,pidgin は語彙提供言語とは区別されるべき混成語であり,その発展形である expanded pidgin は pidgin が徐々に多機能化し,複雑化してきた変種を指すという考えだ.つまり,広く受け入れられている pidgin → expanded pidgin → creole という発展のライフサイクル観は,事実を説明しない.実際,19世紀終わりまでは pidgin と creole の間にこのような発展的な関係は前提とされていなかった.言語学史的には,20世紀に入ってから Bloomfield などが発展関係を指摘し始めたにすぎない (Mufwene 48) .
creole が,印欧諸語の単純化の偏流 (drift) の論理的帰結であるという主張は目から鱗が落ちるような視点だ.Mufwene の次の指摘にも目の覚める思いがする."Had linguists remembered that the European 'lexifiers' had actually evolved from earlier, more complex morphosyntaxes, they would have probably taken into account more of the socioeconomic histories of the colonies, which suggest a parallel evolution" (48) .
Mufwene のクレオール語論,特に植民地史における homestead stage と plantation stage の区別と founder principle については,「#1840. スペイン語ベースのクレオール語が極端に少ないのはなぜか」 ([2014-05-11-1]) と「#1841. AAVE の起源と founder principle」 ([2014-05-12-1]) を参照されたい.
・ Mufwene, Salikoko. "Creoles and Creolization." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 46--60.
「#1780. 言語接触と借用の尺度」 ([2014-03-12-1]) と「#1781. 言語接触の類型論」 ([2014-03-13-1]) でそれぞれ見たように,言語接触の類別の1つとして contact-induced language change がある.これはさらに借用 (borrowing) と接触による干渉 (shift-induced interference) に分けられる.前者は L2 の言語的特性が L1 へ移動する現象,後者は L1 の言語的特性が L2 へ移動する現象である.shift-induced interference は,第2言語習得,World Englishes,基層言語影響説 (substratum_theory) などに関係する言語接触の過程といえば想像しやすいかもしれない.
この2つは方向性が異なるので概念上区別することは容易だが,現実の言語接触の事例においていずれの方向かを断定するのが難しいケースが多々あることは知っておく必要がある.Meeuwis and Östman (41) より,箇条書きで記そう.
(1) code-switching では,どちらの言語からどちらの言語へ言語項が移動しているとみなせばよいのか判然としないことが多い.「#1661. 借用と code-switching の狭間」 ([2013-11-13-1]) で論じたように,borrowing と shift-induced interference の二分法の間にはグレーゾーンが拡がっている.
(2) 混成語 (mixed language) においては,関与する両方の言語がおよそ同じ程度に与える側でもあり,受ける側でもある.典型的には「#1717. dual-source の混成語」 ([2014-01-08-1]) で紹介した Russenorsk や Michif などの pidgin や creole/creoloid が該当する.ただし,Thomason は,この種の言語接触を contact-induced language change という項目ではなく,extreme language mixture という項目のもとで扱っており,特殊なものとして区別している (cf. [2014-03-13-1]) .
(3) 互いに理解し合えるほどに類似した言語や変種が接触するときにも,言語項の移動の方向を断定することは難しい.ここで典型的に生じるのは,方言どうしの混成,すなわち koineization である.「#1671. dialect contact, dialect mixture, dialect levelling, koineization」 ([2013-11-23-1]) と「#1690. pidgin とその関連語を巡る定義の問題」 ([2013-12-12-1]) を参照.
(4) "false friends" (Fr. "faux amis") の問題.L2 で学んだ特徴を,L1 にではなく,別に習得しようとしている言語 L3 に応用してしまうことがある.例えば,日本語母語話者が L2 としての英語の magazine (雑誌)を習得した後に,L3 としてのフランス語の magasin (商店)を「雑誌」の意味で覚えてしまうような例だ.これは第3の方向性というべきであり,従来の二分法では扱うことができない.
(5) そもそも,個人にとって何が L1 で何が L2 かが判然としないケースがある.バイリンガルの個人によっては,2つの言語がほぼ同等に第1言語であるとみなせる場合がある.関連して,「#1537. 「母語」にまつわる3つの問題」 ([2013-07-12-1]) も参照.
borrowing と shift-induced interference の二分法は,理論上の区分であること,そしてあくまでその限りにおいて有効であることを押えておきたい.
・ Meeuwis, Michael and Jan-Ola Östman. "Contact Linguistics." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 36--45.
「#1841. AAVE の起源と founder principle」 ([2014-05-12-1]) と「#1850. AAVE における動詞現在形の -s」 ([2014-05-21-1]) で取り上げたが,AAVE (African American Vernacular English) とはアメリカ英語の1変種としてのいわゆる黒人英語 (Black English) を指す."Black" よりも "African-American" の呼称がふさわしいのは肌の色よりも歴史的な起源に焦点を当てるほうが適切であるから,"Vernacular English" の呼称がふさわしいのは,標準英語 (Standard English) に対して非標準英語 (Non-Standard English or Substandard English) と呼ぶのはいたずらに優劣が含意されてしまうからである.言語学的には AAVE という名称が定着している.
AAVE には,文法項目に限っても,標準英語に見られない特徴が多く認められる.全体としては,(主として白人によって話される)アメリカ南部方言や,カリブ海沿岸の英語を基とするクレオール諸語と近い特徴を示すといわれる.一方,イギリス諸方言に起源をもつと考えるのがより妥当な文法項目もある.具体的には以下に示すが,概ねこのような事情から,AAVE の文法的特徴とその起源を巡って2つの説が対立している.現在,アメリカ英語の変種に関する論争としては,最大の注目を集めている話題の1つといってよい.
1つ目の仮説は Creolist Hypothesis と呼ばれる.英語と西アフリカの諸言語とが混交した結果として生まれたクレオール語,あるいはそこから派生した英語変種が,AAVE の起源であるという説だ.これが後に標準英語との接触を保つなかで,徐々に標準英語へと近づいてきた,つまり脱クレオール化 (decreolization) してきたと考えられている.この説によると,アメリカ南部方言が AAVE と類似しているのは,後者が前者に影響を与えたからだと論じられる.AAVE に特徴的な語彙項目のなかには,voodoo (ブードゥー教), pinto (棺), goober (ピーナッツ)など西アフリカ諸語に由来するものも多く,この仮説への追い風となっている.
2つ目の仮説は Anglicist Hypothesis と呼ばれる.AAVE の特徴の起源はイギリス諸島からもたらされた英語諸変種にあるという説である.アメリカで黒人変種と白人変種が異なるのは,300年にわたる歴史のなかでそれぞれが独自の言語変化を遂げたからであり,かつ両変種の相互の接触が比較的少なかったからである.奴隷制の廃止後に南部の黒人が北部へ移民したあと,北部の都市では黒人変種と白人変種との差異が際だって意識され,それぞれ民族変種としてとらえられるようになった.
このように2つの仮説は鋭く対立しているが,起源を巡る論争で注目を浴びている AAVE の主たる文法的特徴を7点挙げよう.
(1) 3単現の -s の欠如.AAVE 話者の多くは,he go, it come, she like など -s のない形態を使用する.英語を基とするピジン語やクレオール語に同じ現象がみられるという点では Creolist Hypothesis に有利だが,一方でイングランドの East Anglia 方言でも同じ特徴がみられるという点では Anglicist Hypothesis にも見込みがある.関連して「#1850. AAVE における動詞現在形の -s」 ([2014-05-21-1]) も参照.
(2) 現在形における連結詞 (copula) の be の欠如.She real nice. They out there. He not American. If you good, you going to heaven. のような構文.連結詞の省略は,多くの言語でみられるが,とりわけカリブ海のクレオール語に典型的であるという点が Creolist Hypothesis の主張点である.イギリス諸方言には一切みられない特徴であり,この点では Anglicist Hypothesis は支持されない.
(3) 不変の be.標準変種のように,is, am, are などと人称変化せず,常に定形 be をとる.He usually be around. Sometime she be fighting. Sometime when they do it, most of the problems always be wrong. She be nice and happy. They sometimes be incomplete. など.(2) の連結詞の be の欠如と矛盾するようにもみえるが,be が用いられるのは習慣相 (habitual aspect) を表わすときであり,be 欠如の非習慣相とは対立する.不変の be 自体は他の英語変種にもみられるが,それが習慣相を担っているというのは AAVE に特有である.He busy right now. と Sometime he be busy. は相に関して文法的に対立しており,この対立を標準英語で表現するならば,He's busy right now. と Sometimes he's busy. のように副詞(句)を用いざるをえない.クレオール語では時制 (tense) よりも相 (aspect) を文法カテゴリーとして優先させることが多いため,不変の be は Creolist Hypothesis にとって有利な材料といわれる.相についていえば,AAVE では,ほかにも標準英語的な I have talked. I had talked. といった相に加え,完了を明示する I done talked. や遠過去を明示する I been talked. のような相もみられる.
(4) 等位節の2つ目の構造において助動詞のみを省略する傾向.標準英語では We were eating --- and drinking too. のように2つ目の節では we are をまるごと省略するのが普通だが,AAVE では多くのクレオール語と同様に are だけを省略し,We was eatin' --- an' we drinkin', too. とするのが普通である.
(5) 間接疑問文における主語と動詞の倒置.I asked Mary where did she go. や I want to know did he come last night. など.
(6) 存在文 (existential_sentence) に there ではなく it を用いる.It's a boy in my class name Joey. や It ain't no heaven for you to go to. など.
(7) 否定助動詞の前置.平叙文として平叙文のイントネーションで,Doesn't nobody know that it's a God. Cant't nobody do nothing about it. Wasn't nothing wrong with that. など.
1980年代までの学界においては Creolist Hypothesis が優勢だった.しかし,新たな事実が知られるようになるにつれ,すべてが Creolist Hypothesis で解決できるわけではないことが明らかになってきた.例えば,初期の AAVE を携えてアメリカ国外へ移住した集団の末裔が Nova Scotia (Canada) や Samaná (Dominican Republic) で現在も話している変種は,その初期の AAVE の特徴を多く保存していることが予想されるが,不変の be などの決定的な特徴を欠いている.これは,問題の AAVE 的な特徴が,AAVE の初期から備わっていたものではなく,比較的新しく獲得されたものではないかという新説を生み出した.
また,do を otherwise として用いる語法が AAVE にあるが,イングランドの East Anglia 方言にも同じ語法があり,これが起源であると考えざるをえない.AAVE の Dat's a thing dat's got to be handled just so, do it'll kill you. と East Anglia 方言の You lot must have moved it, do I wouldn't have fell in. を比較されたい.
現段階で妥当と思われる考え方は,Creolist Hypothesis と Anglicist Hypothesis は全面的に対立する仮説ではなく,組み合わせてとらえるべきだということである.それぞれの仮説によってしか合理的に説明されない特徴もあれば,両者ともに説明原理となりうるような特徴もある.また,いずれの説明も実際には関与していないような特徴もあるかもしれない.単純な二者択一に帰してしまうことは,むしろ問題だろう.
以上,Trudgill (51--60) を参照して執筆した.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
AAVE (African American Vernacular English) では,直説法の動詞に3単現ならずとも -s 語尾が付くことがある.一見すると,どの人称でも数でも -s が付いたり付かなかったりなので,ランダムに見えるほどだ.記述研究はとりわけ社会言語学的な観点から多くなされているようだが,-s 語尾の出現を予想することは非常に難しいという.AAVE という変種自体が一枚岩ではなく,地域や都市によっても異なるし,個人差も大きいということがある.
AAVE の現在形の -s の問題は,標準英語と異なる分布を示すという点で,この変種を特徴づける項目の1つとして注目されてきた.歴史的な観点からは,この -s の分布の起源が最大の関心事となるが,この問題はとりもなおさず AAVE の起源がどこにあるかという根本的な問題に直結する.AAVE の起源を巡る creolist と Anglicist の論争はつとに知られているが,現在形の -s も,否応なしにこの論争のなかへ引きずり込まれることになった.creolist は,AAVE の直説法現在の動詞の基底形はクレオール化に由来する無語尾だが,標準英語の規範の圧力により -s がしばしば必要以上に現われるという過剰修正 (hypercorrection) の説を唱える.一方,Anglicist は,-s を何らかの分布でもつイギリス由来の変種が複数混成したものを黒人が習得したと考える.Anglicist は,必ずしも現代の過剰修正の可能性を否定するわけではないが,前段階にクレオール化を想定しない.
私はこの問題に詳しくないが,「#1413. 初期近代英語の3複現の -s」 ([2013-03-10-1]),「#1423. 初期近代英語の3複現の -s (2)」 ([2013-03-20-1]),「#1576. 初期近代英語の3複現の -s (3)」 ([2013-08-20-1]),「#1687. 初期近代英語の3複現の -s (4)」 ([2013-12-09-1]) で取り上げてきた問題を調査してゆくなかで,AAVE の -s に関する1つの論文にたどり着いた.その論者 Schneider は明確に Anglicist である.議論の核心は次の部分 (104) だろう.
Apparently, the early American settlers brought to the New World linguistic subsystems which, as far as subject-verb concord is concerned, were characterized by two opposing dialectal tendencies, the originally northern British one using -s freely with all verbs, and a southern one favoring the zero morph. In America, the mixing of settlers from different areas resulted in the blended linguistic concord (or rather nonconcord) system, which is characterized by the variable but frequent use of the -s suffix . . ., which was transmitted by the white masters, family members, and overseers to their black slaves in direct language contact . . . .
ここには,「#1671. dialect contact, dialect mixture, dialect levelling, koineization」 ([2013-11-23-1]) や「#1841. AAVE の起源と founder principle」 ([2014-05-12-1]) で取り上げたような dialect mixture という考え方がある.その可能性は十分にあり得ると思うが,混成の入力と出力について詳細に述べられていない.確かに入力となる諸変種がいかなるものであったかを確定し,記述することは,一般的にいって歴史研究では難しいだろう.しかし,複数変種をごたまぜにするとこんな風になる,あんな風になるというだけでは,説得力がないように思われる.
また,"the originally northern British one using -s freely with all verbs" と述べられているが "freely" は適切ではない.イングランド北部方言における -s の分布には,「#689. Northern Personal Pronoun Rule と英文法におけるケルト語の影響」 ([2011-03-17-1]) で見たような統語規則が作用しており,決して自由な分布ではなかった.
さらに,Schneider は19世紀半ばより前の時代の AAVE についてはほとんど記述しておらず,起源を探る論文としては,議論が弱いといわざるをえない.
もちろん,上記の点だけで Anglicist の仮説が崩れたとか,dialect mixture の考え方が通用しないということにはならない.むしろ,すぐれて現代的な社会言語学上の問題である AAVE の議論と,初期近代英語の3複現の -s の議論が遠く関与している可能性を考えさせるという意味で,啓発的ではある.
・ Schneider, Edgar W. "The Origin of the Verbal -s in Black English." American Speech 58 (1983): 99--113.
この3日間の記事「#1839. 言語の単純化とは何か」 ([2014-05-10-1]),「#1840. スペイン語ベースのクレオール語が極端に少ないのはなぜか」 ([2014-05-11-1]), 「#1841. AAVE の起源と founder principle」 ([2014-05-12-1]) を含め,本ブログでは creole に関する話題を多く扱ってきた.特に中英語がクレオール語か否かに関して,「#1223. 中英語はクレオール語か?」 ([2012-09-01-1]),「#1249. 中英語はクレオール語か? (2)」 ([2012-09-27-1]),「#1250. 中英語はクレオール語か? (3)」 ([2012-09-28-1]),「#1251. 中英語=クレオール語説の背景」 ([2012-09-29-1]),「#1681. 中英語は "creole" ではなく "creoloid"」 ([2013-12-03-1]) の一連の記事を書いてきたが,つまるところこの問題はクレオール語とは何かという定義の問題に行き着く.
ショダンソン (126--27) によれば,クレオール語は,言語学的に,すなわち共時的な言語構造の記述によって定義することはできず,歴史・社会によって規定されるべき対象である.
クレオール語とは,十七・十八世紀のヨーロッパの植民地支配のもとで,大規模農業の発展によって大量の奴隷の導入が不可欠となり,それによってヨーロッパ語の次世代への継承のあり方が変化した社会,たいていは島から成る社会のなかで生まれた言語のことである.クレオール化は,植民地支配者のことばのさまざまな周辺的変種を新しく来た奴隷が自己流で身につけることから生じた.この近似的習得がいわば「かけ合わされる」ことによって,中心的モデルとの接触がしだいに失われ,ひいてはこれら周辺的言語変種の自立化をひきおこしたのである.
したがって,クレオール語は,クレオール語だけにあてはまり,しかもすべてのクレオール語にあてはまるような固有の構造的特徴をもっているわけではない.ヨーロッパの言語のあらゆる近似的変種(幼児ことば,学習者のいわゆる「中間言語」,簡易化された変種,など)は,クレオール語と似た再構造化の形式をそなえているけれども,それだからといって,これらの変種をクレオール語と呼ぶことはできない.クレオール語自体が,ヨーロッパ語の古い民衆的変種から生まれてきたことばであり,ヨーロッパ起源の多くの文法的・語彙的特徴をさまざまなかたちで保っているのだから,なおさらである.したがって,クレオール化をひきおこした社会史的・社会言語学的状況こそが,ほかにはみられない特徴なのであり,これがほんとうの意味でのクレオール語ならではの固有性をつくるのである.クレオール語が生まれなかった植民地がかなり多くあることだけでなく,(キューバやドミニカ共和国などのスペイン植民地のように)クレオール化がおこってもおかしくはなかったのに,(植民地社会の初期段階がながく続いたという)その土地特有の事情から,ヨーロッパ語がクレオール語を生み出すにいたらなかった植民地があることは,このことから明らかになる.
ショダンソンは,クレオール語という用語は,歴史的に一度だけ生じた言語(群)を指す固有名詞に近いものであり,それに共通する言語的特徴によって抽象された普通名詞ではないと言っている.普通名詞として用いることは種々の誤解を招くおそれがある,と.この定義の上に立つとすれば,中英語はクレオール語かというような問いも,本質から見直されなければならないだろう.
・ ロベール・ショダンソン 著,糟谷 啓介・田中 克彦 訳 『クレオール語』 白水社〈文庫クセジュ〉,2000年.
アメリカのいわゆる黒人英語と呼ばれている英語変種は,学術的には African American Vernacular English (AAVE) と呼ばれている.AAVE の起源を巡ってはクレオール語起源説 (creolist hypothesis) とイギリス変種起源説 (Anglicist hypothesis) が鋭く対立しており,アメリカ英語に関する一大論争となっている.穏健派の間では両仮説を組み合わせた折衷的な見解が支持を得ているようだが,議論の決着は着いていないといってよい.AAVE とその起源を巡る論争の概要については,Trudgill (51--60) 辺りを参照されたい.また,Language Varieties の African American Vernacular English も参考までに.
昨日の記事「#1840. スペイン語ベースのクレオール語が極端に少ないのはなぜか」 ([2014-05-11-1]) で,植民地における homestead stage と plantation stage の区別が言語のクレオール化の可能性と相関しているという仮説を紹介した.この仮説は,AAVE が英語とアフリカ諸語とが混成したクレオール語に由来したとする creolist hypothesis と関わりをもち,Mufwene, Salikolo S. (The Ecology of Language Evolution. Cambridge: CUP, 2001.) がこの観点から論を展開している.Mufwene は,複数の言語変種が行われている植民地社会においては,最初の植民者たち (founders) ,正確にいえば最初の影響力のある植民者の集団の変種が優勢となるという founder principle を唱えた.ここで "founders" とは,新社会の中心にあってオピニオン・リーダーとして機能し,たとえ少数派となっても影響力を保持するとされる集団である.
さて,植民史の homestead stage においては,founders とはヨーロッパ語の標準変種を話す白人たちであり,plantation stage においては,白人からヨーロッパ語を学んだ非標準変種を話す監督係の黒人たちである.founder principle によれば,前者の段階が長ければ長いほどクレオール化は抑制され,逆に後者の段階が長ければ長いほどクレオール化が促進されることになる.この観点から,caribbean の各記事で話題にしてきたように,カリブ海地域では軒並み英語ベースのクレオール語が発生した一方で,北米本土ではAAVEを含めた英語諸変種においてクレオール的な要素が比較的薄いことは注目に値する.というのは,実際にカリブ海地域では plantation stage が長かったのに対して,北米本土では homestead stage が長かったからだ.Millar (166) は,Mufwene の議論を概説した文章で,次のように述べている.
Returning to African American Vernacular English, Mufwene essentially suggests that the plantation environments so crucial to the development of English creoles in the Caribbean were a relatively late feature in the history of African settlement in North America. On plantations, speakers of mainstream Englishes rarely interacted regularly with the slave population, meaning that new varieties of a creole type could develop unchecked. But for a large part of the seventeenth century (and into the eighteenth century in many places), African slaves in North America did not live on large plantations, growing cotton, tobacco or rice, depending on where the plantation was situated. Instead, most lived in much close proximity to their owners and, crucially, indentured servants, essentially temporary slaves of European --- normally English-speaking --- origin, on a much smaller farm. While there might be a number of slaves on the larger farms, the numerical preponderance of Africans associated with later plantations was nowhere in evidence. Mufwene terms this period the homestead stage.
This close proximity did not necessarily make the slaves' lives easier than they were later, but it did make it possible for Africans to learn the dominant language directly and continuously from native speakers in a way which fundamentally differs from the situation in which Africans found themselves in the large Caribbean plantations, where mainstream varieties of English were normally in short supply. It is likely, of course, that the primary influence on the evolving English of Africans during this period was not the language of the prosperous but rather of those with whom they had most contact; in particular, perhaps, the English of the indentured servants.
founder principle は,クレオール化のみならず,方言接触に関する話題にも関わる仮説としても期待できそうだ.方言接触については「#1671. dialect contact, dialect mixture, dialect levelling, koineization」 ([2013-11-23-1]) を参照.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
・ Millar, Robert McColl. English Historical Sociolinguistics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2012.
クレオール語研究には1つの大きな謎がある.スペイン語は英語,フランス語,ポルトガル語,オランダ語と並ぶ植民地支配の大言語だが,スペイン語ベースのクレオール語が異常に少ないという事実だ.数え方にもよるが,「#1531. pidgin と creole の地理分布」 ([2013-07-06-1]) では3つ,ショダンソン (31) は7つとしている.いずれにせよ,スペインが植民地支配の大国としてならしていた歴史を考えると,不思議なくらいにそのクレオール語は目立たない.例えば,同じイスパニョーラ島にあって,ハイチにはフランス語クレオールがあるが,ドミニカ共和国にはスペイン語クレオールはない.ジャマイカに英語クレオールがあるが,キューバにはスペイン語クレオールはない.
この謎を解く鍵は,近年クレオール研究において区別されるようになってきた,小農園社会 (homestead) の段階とプランテーション社会 (plantation) の段階との差にある.フランス植民地におけるクレオール語の発展について社会言語学に論考したショダンソン (89--90) は次のように述べている.
最初の段階において,黒人奴隷は主人の家庭と白人集団のなかにしっかりと組み込まれていたので,奴隷たちは白人との接触をつうじてフランス語を学んだ.ところが第二段階になると,白人と多数の黒人奴隷とのあいだにはもはや接触がなくなった.そこで黒人奴隷たちの手本となったのは,もはやフランス語そのものではなく,自分たちの教育係であり監督係であったクレオール奴隷の話すことば,フランス語になんとなく似たことばであった.
この点こそ決定的に重要なのである.おそらくここにおいてこそ,フランス語に対する自立化の過程がはじまったのである.黒人奴隷は彼らの言語習得のストラテジーを,白人の中心的な変種に向けてではなく,クレオール奴隷のそれ自体近似的な変種を目標としてはたらかせることとなった.しかも,自分たちの発話を白人の発話と対照させることも,さらには主人を身近にとりまく環境(いわゆる「クール」)のなかで暮らすクレオール奴隷の発話にひきあてることもできなかった.
けれども,通時的にみても共時的にみても,厳密な意味での断絶があったわけではない.というのは,通時的にみれば,植民地は小農園社会からプランテーション社会へとじょじょに移行していったのであり,しかもプランテーションは「小農園」を完全に駆逐したわけではなかったからである.また共時的にみれば,きわめてへんぴな土地の話してにとっては自分たちの発話をフランス語そのものと対照させる機会はめったになかったとはいえ,小農園社会でもプランテーション社会でも,中心にはフランス語がいすわる求心的なモデルが存在しつづけたからである.
では,スペイン語クレオールに関する謎に戻ろう.一般的にいえば,スペインは他の植民地支配国よりも,植民地の教育の普及に努めていたということはある.これは,クレオール語の発展を抑制する力にはなっただろう.しかし,これだけでは説明として不十分である.ショダンソン (96) は,ドミニカ共和国やキューバのようなスペイン植民地では,小農園社会からプランテーション社会への移行の時期が遅かったことが,謎の答えであるとしている.
クレオール化がおこらなかったのは,これら二つの島においては,小農園社会がきわめて長く続いたので,「ドミニカ風」や「キューバ風」のスペイン語ではあるにせよ,ともかくスペイン語が住民全体にいきわたるだけの時間があったからであると.つまり,これらの島では,プランテーション社会に移行する段階で奴隷が大量に導入されて,クレオール化の過程が生じることがなかったのである.
これらの植民地では,17--18世紀と長く小農園社会が続き,黒人人口が白人人口を上回ったのはようやく19世紀のことだった.
植民地における社会構造の違いが,基盤言語から heteronomous な変種が分化したのか,あるいは基盤言語から autonomous なクレオール語が発生したのかを左右するという仮説は,アメリカにおける黒人英語 (African American Vernacular English) の起源の問題にも応用されうる.これについては,明日の記事で.
・ ロベール・ショダンソン 著,糟谷 啓介・田中 克彦 訳 『クレオール語』 白水社〈文庫クセジュ〉,2000年.
英語史は文法の単純化 (simplification) の歴史であると言われることがある.古英語から中英語にかけて複雑な屈折 (inflection) が摩耗し,文法性 (grammatical gender) が失われ,確かに言語が単純化したようにみえる.屈折の摩耗については,「#928. 屈折の neutralization と simplification」 ([2011-11-11-1]) で2種類の過程を区別する観点を導入した.
単純化という用語は,ピジン化やクレオール化を論じる文脈でも頻出する.ある言語がピジンやクレオールへ推移していく際に典型的に観察される文法変化は,単純化として特徴づけられる,と言われる.
しかし,言語における単純化という概念は非常にとらえにくい.言語の何をもって単純あるいは複雑とみなすかについて,言語学的に合意がないからである.語彙,文法,語用の部門によって単純・複雑の基準は(もしあるとしても)異なるだろうし,「#293. 言語の難易度は測れるか」 ([2010-02-14-1]) でも論じたように,各部門にどれだけの重みを与えるべきかという難問もある.また,機能主義的な立場から,ある言語の functional_load や entropy を計測することができたとしても,言語は元来余剰性 (redundancy) をもつものではなかったかという疑問も生じる.さらに,単純化とは言語変化の特徴をとらえるための科学的な用語ではなく,ある種の言語変化観と結びついた評価を含んだ用語ではないかという疑いもぬぐいきれない(関連して「#432. 言語変化に対する三つの考え方」 ([2010-07-03-1]) を参照).
ショダンソン (57) は,クレオール語にみられるといわれる,意味の不明確なこの「単純化」について,3つの考え方を紹介している.
(A) 「最小化」 ―― この仮説は,O・イエスペルセンによって作られた.イエスペルセンは,クレオール語のなかに,いかなる言語にとっても欠かせない特徴のみをそなえた最小の体系をみた.
(B) 「最適化」 ―― L・イエルムスレウの理論で,彼にとって「クレオール語における形態素の表現は最適状態にある」.
(C) 「中立化」 ―― この視点はリチャードソンによって提唱された.リチャードソンは,モーリシャス語の場合,はじめに存在していた諸言語の体系(フランス語,マダガスカル語,バントゥー語)があまりに異質であったために,体系の節減が起こったと考えた.
しかし,ショダンソンは,いずれの概念も曖昧であるとして「単純化」という術語そのものに疑問を呈している.フランス語をベースとするレユニオン・クレオール語からの具体的な例を用いた議論を引用しよう (57--58) .ショダンソンの議論は,本質をついていると思う.
単純化という概念そのものが自明ではない.たとえばレユニオン・クレオール語の mon zanfan 〔わたしのこども〕という表現は,フランス語で mon enfant 〔単数:わたしの子〕と mes enfants 〔複数:わたしの子供たち〕という二つの形に翻訳することができる.これをみて,レユニオン語は単数と複数とを区別しないから,フランス語より単純だといいたくなるかもしれないが,別の面からみれば,同じ理由から,クレオール語の表現はもっとあいまいだから,したがってより「単純」ではないともいえるだろう!実際,「単純」という語の意味は,「複合的ではない」とも,「明晰」「あいまいでない」ともいえるのである.しかし,上の例をさらによく調べるならば,レユニオン語は,はっきりさせる必要があるときは複数をちゃんと表わすことができることに気がつく.その時には mon bane zanfan (私の子供たち)のように〔bane という複数を表わす道具を用いて〕いう.だから,クレオール語とフランス語のちがいは,一部には,もっぱら話しことばであるクレオール語がコンテクストの要素に大きな場所をあたえていることによる.母親がしばらくの間こどもをお隣りさんにあずけるとき,vey mon zanfan! 〔うちの子をみてくださいね〕と頼んだとしよう.このときわざわざ,こどもが一人か複数かをはっきりさせる必要はない.他方で,口語フランス語では,複数をしめすには,たいていの場合,名詞の形態的標識ではなく,修飾語の標識によっている.だから,クレオール語で修飾語の体系を組み立てなおしたならば,それと同時に,数の表示にも手をつけることになるのである.しかし,これは別の過程から来るとばっちりにすぎない.
この数の問題についての逆説をすすめていくと,レユニオン・クレオール語は双数をもっているから,フランス語よりももっと複雑だということにもなろう.事実,レユニオン・クレオール語では,何でも二つで一つになっているもの(目,靴など)に対し,特別のめじるしがある.「私の〔二つの〕目」については,mon bane zyé ということはできず,mon dé zyé といわなければならない.同様に「私の〔一つの〕目」といいたいときは,mon koté d zyé という.koté d と dé は,双数用の特別のめじるしである.したがって,mon bane soulie は,何足かの靴を指すことしかできないのである.
このような事情があるから,「単純化」ということばは使わないにこしたことはない.この語には〔クレオール語を劣ったものとみる〕人種主義的なニュアンスがあるし,機能的,構造的に異なる言語を比較している以上,事柄を具体的に解明するには,あまりに精密を欠き,あいまいだからである.「再構造化」といったほうがずっといい.「再構造化」という語のほうがもっと中立的であるし,他の多くの用語(単純化,最小化,最適化)とことなり,明らかにしようとしている構造的なちがいの原因を,偏見の目で判断しないという利点がある.
上の最初の引用にあるイエスペルセンの言語観については「#1728. Jespersen の言語進歩観」 ([2014-01-19-1]) を,イエルムスレウについては「#1074. Hjelmslev の言理学」 ([2012-04-05-1]) を参照.
・ ロベール・ショダンソン 著,糟谷 啓介・田中 克彦 訳 『クレオール語』 白水社〈文庫クセジュ〉,2000年.
2つの言語が混成するときには,大多数のピジン語やクレオール語がそうであるように,いずれかの言語の貢献率が顕著に高くなる.上層言語 (superstrate) や語彙供給言語 (lexifier) という用語,あるいは英語ベースのピジン語という表現が示すように,通常はいずれの言語が主であるかは明らかである.しかし,まれなケースでは,ほぼ半々に混じり合って,どちらが主たる言語が判然としない "dual-source" というべき混成語がある.「#1683. Pitkern」 ([2013-12-05-1]) は,非常にまれな dual-source creole の例として挙げられるだろう.ほかに,dual-source pidgin や dual-source creoloid とみなすことのできる言語が存在する (Trudgill, Sociolinguistics 182--83) .
1917年までノルウェー最北部で交易の言語として話されていた Russenorsk は,dual-source pidgin の例と考えられる.Russenorsk はロシア語とノルウェー語の語彙要素がほぼ半々に混成した言語で,単純化した体系を有していた.この言語は,1917年にロシア革命によって両国の交易が断たれると廃れていったが,ロシア語とノルウェー語の話者のみならずサーミ語,フィンランド語,オランダ語,ドイツ語,英語の話者にも用いられ,lingua franca として機能していた.Russenorsk は,dual-source pidgin であることに加え,植民地という状況下ではなく交易のために発達したヨーロッパ語どうしのピジン語としても希有の存在である.Russenorsk は,例えば次のように用いられた (Trudgill, Glossary 114) .
Kak ju vil skaffom ja drikke te, davaj på sjib tvoja ligge ne jes på slipom.
'If you will eat and drink tea, please on ship your lie down and on sleep'
一方,カナダに起源をもち,現在ではアメリカの North Dakota 北部の一部地域で話されている Michif (or Metsif or Métis) は,dual-source creoloid の例である(creoloid については「#1681. 中英語は "creole" ではなく "creoloid"」 ([2013-12-03-1]) を参照).もととなった2つの言語は,フランス語と北米先住民の Algonquian 語族の言語 Cree である.フランス語の "mixed" に相当する Michif の名前は,19世紀にカナダの毛皮交易を通じてフランス語を話す男性と Cree を話す女性とが混血して生じた民族の名前にもなっており,連邦政府による抑圧と抵抗の歴史を経てきた.Michif は言語的にはそれほど単純化しておらず,名詞句はフランス語の特徴である性の一致を示す一方,動詞句は Cree の複雑な形態論の特徴を保持している (Trudgill, Sociolinguistics 183--84) .話者数が少なく,存続が危ぶまれている先住民言語の1つである.
Michif と同様に2言語が完全に融合している現象は language intertwining と呼ばれ,非常に稀だが,他にも Copper Island Aleut と呼ばれる言語がもう1つの例とされる (Trudgill, Glossary 28) .これは,Eskimo-Aleut 語族の Aleut とロシア語の混成語で,話者は2,000人を数えるほどといわれる.語彙と名詞句の形態論は大方 Aleut に由来するが,統語論と動詞句の形態論は大方ロシア語であるという intertwining ぶりを示す.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
英語変種や英語話者を分類・整理するモデルは,「#217. 英語話者の同心円モデル」 ([2009-11-30-1]) で示した Kachru による古典的な同心円モデルを始めとして,様々なモデルを model_of_englishes の各記事で紹介してきた.今回は,Gramley (177) に示されていた,英語の社会言語学的な地位と標準性・非標準性という2つの軸を組み合わせた2次元モデルを紹介しよう.以下は,"A two-dimensional model of English showing status variation (ENL, ESL, EFL, Pidgin and Creole English) as well as GenE and traditional dialects" とラベルの貼られた図式を再現したものである.
この図の水平軸には,Kachru の同心円がフラットに展開されている.ENL が中央に位置し,垂直軸との交点にあることは,この変種の威信の象徴である.その左右の隣には ESL と EFL が配され,さらに外側には Pidgin English や Creole English が置かれている.PE や CE が周辺に置かれているのは,言語的には英語から独立しているものの,歴史的,社会的には英語と関連づけられるからである.
垂直軸の表わすものについては議論の余地があるが,ここでは標準的な度合いを表わすものと考えられている.上端がもっとも標準的で,下端がもっとも非標準的ということになる.上下ともに末端は複数に分岐しており,標準英語にも非標準英語にも多数の変種があることが示されている.特に非標準変種は,General English の範囲外にあると考えられている伝統的な方言 (traditional dialects) とも近縁であることが示されている.
全体として,上に行けば行くほど顕在的権威 (overt prestige) が強く,教育と結びつけられた変種であるという解釈になる.逆に,下に行けば行くほど,潜在的権威 (covert_prestige) が強く,末広がりで互いの変異も大きい.
ピジン語やクレオール語の位置づけ,非標準変種と伝統的方言の関係などいくつかの点ではよく考えられているが,全体としては直感的にとらえにくいモデルのように思われる.例えば,Kachru の同心円モデルがフラットに水平軸に展開されていることの意味がよくわからない.垂直軸には標準・非標準というラベルを貼ることができるが,この水平軸にはどのようなラベルを貼ればよいのだろうか.また,このモデルは静的である.英語変種の収束と発散が同時進行している現代英語を記述するのには,「#414. language shift を考慮に入れた英語話者モデル」 ([2010-06-15-1]) や「#1106. Modiano の同心円モデル (2)」 ([2012-05-07-1]) のような動的なモデルがふさわしいように思われる.
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
「#444. ピジン語とクレオール語の境目」 ([2010-07-15-1]) の記事で,pidgin の creole の区別が程度の問題であることをみた.一方で,pidgin も creole も,「#1671. dialect contact, dialect mixture, dialect levelling, koineization」 ([2013-11-23-1]) で話題にした koiné とともに,lingua_franca として機能しうることを,「#1391. lingua franca (4)」 ([2013-02-16-1]) の記事で確認した.そこでは,lingua franca は,trade language, contact language, international language, auxiliary language, mixed language など複数の種類に区別されるという議論だったが,Gramley はこれらの用語の指示対象の間に異なる関係を想定しているようだ.Gramley (219) はピジン語とその関連用語との区別を,contact, marginal, mixed, non-native, reduced という5つのパラメータを用いて以下のように示している.
contact | marginal | mixed | non-native | reduced | |
---|---|---|---|---|---|
trade jargon | yes | yes | yes | yes | yes |
pidgin | yes | yes | yes | yes | yes/no |
lingua franca | yes | yes | no | yes/no | yes |
koiné | yes | no | yes | no | yes/no |
dialect | no | yes/no | no | no | no |
creole | no | no | no | no | no |
昨日の記事「#1688. Tok Pisin」 ([2013-12-10-1]) を受けて,南西太平洋地域のピジン語とクレオール語の話題.関連諸言語の分布図を,Gramley (220) の地図を参考に示してみた.
ここに挙げられているピジン語やクレオール語は歴史的に関連が深く,言語的にも近い.いずれも英語を上層言語 (superstrate language) 及び語彙供給言語 (lexifier) とする混成語で,実際にいずれも語彙の8割前後は英語ベースである.Mühlhäusler を参照した Gramley (220) の表によると,ヴァヌアツの Bislama (「#1536. 国語でありながら学校での使用が禁止されている Bislama」 ([2013-07-11-1]) を参照), パプアニューギニアの Tok Pisin, ソロモン諸島の Solomon Pijin の3ピジン語でみると,語種分布は以下の通りである.
English | Indigenous | Others | |
---|---|---|---|
Bislama | 90% | 5 | 3 (French) |
Tok Pisin | 77 | 16 | 7 (German etc.) |
Solomon Pijin | 89 | 6 | 5 |
英語ベースのピジン語 (pidgin) としておそらく最も知られているのは Tok Pisin だろう.多言語国家 Papua New Guinea の事実上の国家語として用いられており,lingua_franca として機能している.新聞,ラジオ,テレビ,辞書,文法,聖書などの言語として採用されており,話者により積極的な社会言語学的評価を付されている.第2言語として400万人により話されており,第1言語としても5万人の話者がいる.後者の母語話者の存在は,Tok Pisin がクレオール語化 (creolisation) を始めていることの現れでもある.
New Guinea は,Greenland に次いで世界で2番目に大きな島である.政治的には西半分のインドネシア領 Irian Jaya と東半分の Papua New Guinea (PNG) に分かれる.島全体としてみれば使用されている言語は1,000に及び,PNG だけに限っても,「#401. 言語多様性の最も高い地域」 ([2010-06-02-1]) で見たとおり,830言語を数える.言語多様性指数としては,世界最高値を示す国である.この超多言語地域が lingua franca を持ち始める契機となったのは,19世紀にヨーロッパの植民地主義列が介入したときである.Samoa, Vanuatu, Queensland など,オセアニア地域のプランテーション契約労働者が各地を往来したこと,孤立していた言語共同体が孤立を維持できなくなったことが,lingua franca の発生を促した.結果として,PNG の土着語から発生したピジン語 Hiri Motu や,英語ベースのピジン語 Tok Pisin が広がっていった.
オセアニア地域のピジン語の発達については不明の点も多いが,Australia 経由で広がった系列 (ex. Australian Pidgin English, Roper river Creole, Cape York Creole) と,Vanuatu (the New Hebrides), the Solomon Islands, Queensland, Fiji を経て Papua や New Guinea へ広がった系列が区別される.19世紀,この地域では,New England の捕鯨,メラネシアのビャクダン交易,中国の食材としてのナマコ採取,Queensland や Fiji での綿花やサトウキビのプランテーション,Samoa でのコプラのプランテーション,トレス海峡 (the Torres Strait) での真珠採取などが,経済と労働の推進力となっていた.初期の Tok Pisin は,これらの経済活動を通じて Bislama (「#1536. 国語でありながら学校での使用が禁止されている Bislama」 ([2013-07-11-1]) を参照), Solomon Islands Pidgin, Torres Straits Creole などと接した帰国労働者によって PNG に広まっていったとされる.
上述のように,Tok Pisin は英語ベースの(すわなち英語を lexifier とする)ピジン語である.標準英語と比べれば,音韻,文法,語彙などあらゆる部門において確かに簡略化されているが,一方で独特な規則をもつ.言語体系としては,英語とは異なる言語といって差し支えないだろう.Gramley (239--40) に掲載されている Tok Pisin で書かれた文章のサンプルについて,標準英語の対訳つきで見やすく作り直したものをこちらのPDFで用意した.その他,Tok Pisin については以下のサイトも参照.
・ 「#463. 英語ベースのピジン語とクレオール語の一覧」 ([2010-08-03-1])
・ Ethnologue: Tok Pisin
・ Tok Pisin -- Pidgin / English Dictionary
・ Tok Pisin Translation, Resources, and Discussion
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
イングランドの航海士・探検家の William Bligh (1754--1817) は,James Cook (1728--79) の南洋の最終航海にも付き従った腕利きの船乗りだった.西インド諸島のプランテーション経営者より,奴隷用の食料としてのパンノキを確保する方法を探るよう求められ,1787年12月,Bligh は海軍の科学調査船バウンティー号 (HMS Bounty) の船長として Tahiti への航海に出た.船上の指揮や天候等の幾多の困難の末,1788年10月に Tahiti に到着した.数ヶ月の滞在の後,1789年4月4日にイングランドへの帰路についたが,船員の無能に腹を立てることの多かった Bligh に対して,長年の右腕であった航海仲間 Fletcher Christian (1764--c1790) が,4月28日,9人の仲間とともに反乱を起こした.世に知られる "Mutiny on the Bounty" である.Bligh と18人の船員はボートで海に流されたが,Bligh は不屈の精神で翌年イングランドにたどりつく.一方,バウンティー号に残った Christian 一行は,Tahiti に戻るが,その後現地の男女数名を引き連れて,Tahiti の南東へ2000キロ以上も離れた Pitcairn Island へたどり着き,船を焼き払って小さな植民地を設立した.その後20年弱の詳細は不明だが,1808年,アメリカの捕鯨船によって彼らの子孫が島で生き延びていることが発見された.
Pitcairn はこの事件に先立つ1767年に英国船によって発見されていたが,当時は無人だった.人が住み始めたのはこの事件がきっかけであり,現在,島民のほとんどが「反乱者たち」の末裔である.Pitcairn は,19世紀にはアメリカとオーストラリアの間の捕鯨基地として機能したが,1856年に人口過剰を解消すべく島民の一部が現在のオーストラリア領 Norfolk Island へ移住した.
現在も,英領 Pitcairn と豪領 Norfolk Island では,反乱事件とその後の経緯で生じた creole である Pitkern が話されている.英語とタヒチ語が完全に入り交じった混成語である.どちらの言語が基盤であるか分からないほどの混成ぶりであり,"dual-source creole" の例と言われる.Norfolk Island における creole は,英語の影響を受けて post-creole 化している.Trudgill (183) の記述を引用しよう.
Pitcairnese, the language of the remote Pacific Ocean island Pitcairn, is a dual-source creole which is the sole native language of the small community there. The Pitcairnese are for the most part descendants of the British sailors who carried out the famous mutiny on the Bounty and Tahitian men and women who went with them to hide on Pitcairn from the British Royal Navy. Their language is a mixed and simplified form of English and Tahitian (a Polynesian language) . . . . Pitcairnese also has speakers on Norfolk Island, in the Western Pacific, who are descended from people who resettled there from Pitcairn. On Norfolk Island, the language is in close contact with Australian English, and is consequently decreolizing (in the direction of English, not Tahitian). We can therefore describe it as a dual-source post-creole.
両地域の詳細については,CIA: The World Factbook より Pitcairn Islands および Norfolk Island を参照.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
「#1223. 中英語はクレオール語か?」 ([2012-09-01-1]),「#1249. 中英語はクレオール語か? (2)」 ([2012-09-27-1]),「#1250. 中英語はクレオール語か? (3)」 ([2012-09-28-1]),「#1251. 中英語=クレオール語説の背景」 ([2012-09-29-1]) を受けて,もう少し議論の材料を提示したい.直接この問題に迫るというよりは,2言語の混合という過程とピジン化 (pidginisation) という過程とをどのように区別するかという問題を考察したい.
混合の前後に連続性が見られず,"the drastic break" (Görlach 341) があると判断される場合にはピジン化といってよいと考えるが,Trudgill (181--82) も Afrikaans を取り上げて同趣旨の議論を展開している.
Interestingly, there are some languages in the world which look like post-creoles, but which are not. These are varieties which, compared to some source, show a certain degree of simplification and admixture. We do not, however, call these languages creoles, because the extent of the simplification and admixture is not very great. And we do not call them post-creoles because they have never been creoles --- which is in turn because they have never been pidgins! Afrikaans, the other major language of the white community in South Africa alongside English, used to be considered a dialect of Dutch . . . . During the course of the twentieth century, however, it achieved autonomy . . . and now has its own literature, dictionaries, grammar books, and so on. Compared to Dutch, Afrikaans shows significant amounts of regularization in the grammar, and a significant amount of admixture from Malay, Portuguese and other languages. It still remains mutually intelligible with Dutch, however. The crucial feature of Afrikaans is that, although it is now spoken by some South Africans who are the descendants of people who spoke it as a non-native language --- hence the influence from Portuguese, Malay and so on --- and who undoubtedly therefore spoke a pidginized form of Dutch/Afrikaans, the language was at no time a pidgin. In the transition from Dutch to Afrikaans, the native-speaker tradition was maintained throughout. The language was passed down from one generation of native speakers to another; it was used for all social functions and was therefore never subjected to reduction. Such a language, which demonstrates a certain amount of simplification and admixture, relative to some source language, but which has never been a pidgin or a creole in the sense that it has always had speakers who spoke a variety which was not subject to reduction, we can call a creoloid.
標準オランダ語に比べれば,Afrikaans には確かに単純化や規則化がみられる.また,マレー語,ポルトガル語などから言語項目の著しい借用がみられる.しかし,だからといって pidgin だとか creole だとか呼ぶわけにはいかない.というのは,Afrikaans には間違いなく歴史的な連続性があるからだ.各世代の話者は,単純化や接触を経験しながらも,途切れることなくこの言語変種を用いてきたし,接触言語と合わせて即席の便宜的な言語を作り出したという痕跡もない."the drastic change" はなかったのである.では,この言語を何と呼ぶのか.Trudgill は,新しい用語として "creoloid" が適切ではないかと主張する.
この "creoloid" という用語は,中英語にもそのまま当てはめられるだろう.古英語と古ノルド語との接触は,creole を生み出したわけではなく,あくまで creoloid を生み出したにすぎなかったといえる.なぜならば,古ノルド語との接触は古英語以来の言語変化の速度を速めたが,あくまで自然な路線の延長であり,連続性があったからだ.同趣旨の議論として,「#1224. 英語,デンマーク語,アフリカーンス語に共通してみられる言語接触の効果」 ([2012-09-02-1]) も参照.
・ Görlach, Manfred. "Middle English --- a Creole?" Linguistics across Historical and Geographical Boundaries. Ed. D. Kastovsky and A. Szwedek. Berlin: Gruyter, 1986. 329--44.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
昨日の記事「#1679. The West Indies の英語圏」 ([2013-12-01-1]) で示唆したように,西インド諸島の言語事情は,歴史的な事情で複雑である.近代における列強の領土分割により,島ごとに支配的な言語が異なるという状況が生じ,島嶼間の地域的な連携も希薄となっている.独立国家と英米仏蘭の自治領とが混在していることも,地域の一体性が保たれにくい要因となっている.全体として,各地域では旧宗主国の言語が支配的だが,そのほかに主として英語やフランス語をベースとしたクレオール諸語(「#1531. pidgin と creole の地理分布」 ([2013-07-06-1])),移民の言語も行われており,言語事情は込み入っている.以下,Encylopædia Britannica 1997 の記事を参照してまとめる.
クレオール語についていえば,Jamaica における英語ベースのクレオール語がよく知られている.Jamaica では,ラジオ放送,小説,詩,劇などでクレオール語が広く使用されており,しばしば標準英語は不在である.場の雰囲気により,クレオール語と標準英語とのはざまで切り替えが生じることも通常である(Jamaican creole の具体例については,Jamaican Creole Texts を参照されたい).Jamaica に限らず,脱植民地化を経た the Commonwealth Caribbean でも,一般に英語ベースのクレオール語が重要性を増している.
フランス語ベースのクレオール語使用については,Haiti が典型例として挙げられる.Jamaica の場合と同様に,Haiti でもクレオール語が広範に使用されており,実際に大多数の国民が標準フランス語を理解しない.「#1486. diglossia を破った Chaucer」 ([2013-05-22-1]) で Haiti における diglossia について触れたように,クレオール語は,上位変種の標準フランス語に対して下位変種として位置づけられるものの,実用性の度合いでいえばむしろ優勢である.一方,Guadeloupe や Martinique の仏領アンティル諸島では,フランス本国の政治体制に組み込まれているために,標準フランス語の使用が一般的である.
スペイン語ベースのクレオール語は,Cuba, Puerto Rico, the Dominican Republic などの主要なスペイン地域においては発達しなかった.ただし,Aruba, Curaçao, Bonaire など蘭領アンティル諸島では Papiamento と呼ばれる西・蘭・葡・英語の混成クレオール語が広く話されている.Puerto Rico では,帰国移民により,アメリカ英語の影響を受けたスペイン語が話されている.
移民の言語としては Hindi, Urdu, Chinese が行われている.奴隷制廃止後に,契約移民としてインドや中国からこの地域にやってきた人々の言語である.話者の多くは,それぞれの地域における支配的な言語へと徐々に同化していっている.例えば,Trinidad and Tobago では国民の4割がインド系移民だが,彼らの間で Hindi や Urdu の使用は少なくなってきているという.言語交替が進行中ということだろう.
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