「#1895. 古英語のラテン借用語の綴字と借用の類型論」 ([2014-07-05-1]) の記事で,後期古英語のラテン借用語は,英語化した綴字ではなくラテン語のままの綴字で取り込む傾向があることを指摘した.それ以前のラテン借用語は英語化した綴字で受け入れる傾向があったことを考えると,借用の類型論の観点からいえば,後期古英語に向かって substitution の度合いが大きくなったと表現できるのではないか,と.
さて,中英語期に入ると,英語の綴字体系は別の展開を示した.大量のフランス借用語が流入するにつれ,それとともにフランス語式綴字習慣も強い影響を持ち始めた.この英語史上の出来事で興味深いのは,フランス語式綴字習慣に従ったのはフランス借用語のみではなかったことだ.それは勢い余って本来語にまで影響を及ぼし,古英語式の綴字習慣を置き換えていった.主要なものだけを列挙しても,古英語の <c> (= /ʧ/) はフランス語式の <ch> に置換されたし,<cw> は <qw> へ, <s> の一部は <ce> へ,<u> は <ou> へと置換された.ゆえに,本来語でも現代英語において <chin>, <choose>, <queen>, <quick>, <ice>, <mice>, <about>, <house> などと綴るようになっている.これは綴字体系上のノルマン・コンクェストとでもいうべきものであり,この衝撃を目の当たりにすれば,古英語のラテン語式綴字による軽度の substitution など,かわいく見えてくるほどだ.これは,フランス語式綴字習慣が英語に及んだという点で,「#1793. -<ce> の 過剰修正」 ([2014-03-25-1]) で触れたように,一種の過剰修正 (hypercorrection) と呼んでもよいかもしれない(ほかに「#81. once や twice の -ce とは何か」 ([2009-07-18-1]) および「#1153. 名詞 advice,動詞 advise」 ([2012-06-23-1]) も参照).ただし,通常 hypercorrection は単語単位で単発に作用する事例を指すことが多いが,上記の場合には広範に影響の及んでいるのが特徴的である.フランス語式綴字の体系的な substitution といえるだろう.
Horobin (89) が "rather than adjust the spelling of the French loans to fit the native pattern, existing English words were respelled according to the French practices" と述べたとき,それは,中英語がフランス語を英語化しようとしたのではなく,中英語自らがフランス語化しようとしていた著しい特徴を指していたのである.
「#1208. フランス語の英文法への影響を評価する」 ([2012-08-17-1]) や「#1222. フランス語が英語の音素に与えた小さな影響」 ([2012-08-31-1]) で話題にしたように,フランス語の英語への影響は,語彙を除けば,綴字にこそ最も顕著に,そして体系的に現われている.通常,単発の事例に用いられる substitution や hypercorrection という用語を,このような体系的な言語変化に適用すると新たな洞察が得られるのではないかという気がするが,いかがだろうか.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
昨日の記事「#1883. 言語における性,その問題点の概観」 ([2014-06-23-1]) に関連して,英語では generic 'he' の問題,そしてその解決策として市民権を得てきている「#1054. singular they」 ([2012-03-16-1]) の話題が思い出される.singular they について,最近ウェブ上で A Linguist On the Story of Gendered Pronouns という記事を見つけたので紹介したい.singular they の例が Chaucer など中英語期からみられること,generic 'he' の伝統は18世紀後半の規範文法家により作り出されたものであることなど,この問題に英語史的な観点から迫っており,一読の価値がある.
しかし,記事の後半にある一節で,フランス語が中英語期の文法性の消失に部分的に関与していると示唆している箇所について疑問が生じた.記事の筆者によれば,当時のイングランドにおける英語と Norman French との2言語使用状況が2つの異なる文法性体系を衝突させ,これが一因となって英語の文法性体系が崩壊することになったという.もっとも屈折語尾の崩壊が性の崩壊の主たる原因と考えているようではあるが,上のような議論は一般的に受け入れられているわけではない(ただし,「#1252. Bailey and Maroldt による「フランス語の影響があり得る言語項目」」 ([2012-09-30-1]) や,中英語が古英語とフランス語の混成言語であるとするクレオール語仮説の議論 ##1223,1249,1250,1251 を参照されたい).
So what you really have is an extended period of several centuries in which many people were more-or-less proficient in both Norman French and Anglo Saxon, which in actual fact meant speaking the highly intermingled versions known as Anglo-Norman and Middle English. But words that belong to one gender in one language don't necessarily belong to the same gender in the other. To use a modern example, the word for "bridge" in French, pont, is masculine, but the word for "bridge" in German, ''Brücke, is feminine. If you couple this with the fact that people had begun to stop pronouncing altogether the endings that indicate a word窶冱 gender and case, you can see how these features became irrelevant for the language in general.
まず,当時のイングランドの多くの人が程度の差はあれ2言語話者だったということが,どの程度事実と合っているのかという疑問がある.貴族階級のフランス系イングランド人や知識階級の人々は多かれ少なかれバイリンガルだった可能性は高いが,大多数の庶民は英語のモノリンガルだった(「#338. Norman Conquest 後のイングランドのフランス語母語話者の割合」 ([2010-03-31-1]) および「#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉」 ([2011-02-17-1]) の記事を参照).英語の言語変化の潮流を決したのはこの大多数のモノリンガル英語話者だったに違いなく,社会的な権力はあるにせよ少数のバイリンガルがいかに彼らに言語的影響を及ぼしうるのか,はなはだ疑問である.
次に,「#1223. 中英語はクレオール語か?」 ([2012-09-01-1]) でみたように,一般にフランス語の英語への直接的な言語的影響は些細であるという説得力のある議論がある.語彙や綴字習慣を除けば,フランス語が英語に体系的に影響を与えた言語項目は数少ない.ただし,間接的な影響,社会言語学的な影響は甚大だったと評価している.それは,「#1171. フランス語との言語接触と屈折の衰退」 ([2012-07-11-1]) や「#1208. フランス語の英文法への影響を評価する」 ([2012-08-17-1]) で論じた通りである.
今回の性の消失という問題に対するには,フランス語によるこの間接的な効果,屈折語尾の消失を間接的に促したという効果を指摘するだけで十分ではないだろうか,
標題は「#790. 中英語方言における動詞屈折語尾の分布」 ([2011-06-26-1]) でも簡単に触れた話題だが,今回はもう少し詳しく取り上げたい.注目するのは,直説法の3人称単数現在の語尾と(人称を問わない)複数現在の語尾である.
中英語の一般的な方言区分については「#130. 中英語の方言区分」 ([2009-09-04-1]) や「#1812. 6単語の変異で見る中英語方言」 ([2014-04-13-1]) を参照されたいが,直説法現在形動詞の語尾という観点からは,中英語の方言は大きく3分することができる.いわゆる "the Chester-Wash line" の北側の北部方言 (North),複数の -eth を特徴とする南部方言 (South),その間に位置する中部方言 (Midland) である.中部と南部の当該の語尾についてはそれぞれ1つのパラダイムとしてまとめることができるが,北部では「#689. Northern Personal Pronoun Rule と英文法におけるケルト語の影響」 ([2011-03-17-1]) で話題にしたように,主語と問題の動詞との統語的な関係に応じて2つのパラダイムが区別される.この統語規則は "Northern Personal Pronoun Rule" あるいは "Northern Present Tense Rule" (以下 NPTR と略)として知られており,McIntosh (237) によれば,次のように定式化される.
Expressed in somewhat simplified fashion, the rule operating north of the Chester-Wash line is that a plural form -es is required unless the verb has a personal pronoun subject immediately preceding or following it. When the verb has such a subject, the ending required is the reduced -e or zero (-ø) form.
McIntosh (238) にしたがい,NPTR に留意して中英語3方言のパラダイムを示すと以下のようになる.
(1) North (north of the Chester-Wash line)
i) subject not a personal pronoun in contact with verb
North: i) | sg. | pl. |
---|---|---|
1st person | -es | |
2nd person | ||
3rd person | -es |
North: ii) | sg. | pl. |
---|---|---|
1st person | -e, -ø (-en) | |
2nd person | ||
3rd person | -es |
Midland | sg. | pl. |
---|---|---|
1st person | -en, -e (-ø) | |
2nd person | ||
3rd person | -eth |
South | sg. | pl. |
---|---|---|
1st person | -eth | |
2nd person | ||
3rd person | -eth |
North/Midland: i) | sg. | pl. |
---|---|---|
1st person | -eth | |
2nd person | ||
3rd person | -eth |
North/Midland: ii) | sg. | pl. |
---|---|---|
1st person | -en (-e, -ø) | |
2nd person | ||
3rd person | -eth |
「#941. 中英語の言語変化はなぜ北から南へ伝播したのか」 ([2011-11-24-1]) は,いまだ説得力をもって解き明かされていない英語史の謎である.常識的には,社会的影響力のある London を中心とするイングランド南部方言が言語変化の発信地となり,そこから北部など周辺へ伝播していくはずだが,中英語ではむしろ逆に北部方言の言語項が南部方言へ降りていくという例が多い.
この問題に対して,Millar は Samuels 流の機能主義的な立場から,"conservative radicalism" という解答を与えている.例として取り上げている言語変化は,3人称複数代名詞 they による古英語形 hīe の置換と,そこから玉突きに生じたと仮定されている,接続詞 though による þeah の置換,および指示詞 those による tho の置換だ.
The issue with ambiguity between the third person singular and plural forms was also sorted through the borrowing of Northern usage, although on this occasion through what had been an actual Norse borrowing (although it would be very unlikely that southern speakers would have been aware of the new form's provenance --- if they cared): they. Interestingly, the subject form came south earlier than the oblique them and possessive their. Chaucer, for instance, uses the first but not the other two, where he retains native <h> forms. This type of usage represents what I have termed conservative radicalism (Millar 2000; in particular pp. 63--4). Northern forms are employed to sort out issues in more prestigious dialects, but only in 'small homeopathic doses'. The problem (if that is the right word) is that the injection of linguistically radical material into a more conservative framework tends to encourage more radical importations. Thus them and their(s) entered written London dialect (and therefore Standard English) in the generation after Chaucer's death, possibly because hem was too close to him and hare to her. If the 'northern' forms had not been available, everyone would probably have 'soldiered on', however.
Moreover, the borrowing of they meant that the descendant of Old English þeah 'although' was often its homophone. Since both of these are function words, native speakers must have felt uncomfortable with using both, meaning that the northern (in origin Norse) conjunction though was brought into southern systems. This borrowing led to a further ambiguity, since the plural of that in southern England was tho, which was now often homophonous with though. A new plural --- those --- was therefore created. Samuels (1989a) demonstrates these problems can be traced back to northern England and were spread by 'capillary motion' to more southern areas. These changes are part of a much larger set, all of which suggest that northern influence, particularly at a subconscious or covert level, was always present on the edges of more southerly dialects and may have assumed a role as a 'fix' to sort out ambiguity created by change.
ここで Millar が Conservative radicalism の名のもとで解説している北部形が南部の体系に取り込まれていくメカニズムは,きわめて機能主義的といえるが,そのメカニズムが作用する前提として,方言接触 (dialect contact) と諸変異形 (variants) の共存があったという点が重要である.接触 (contact) の結果として形態の変異 (variation) の機会が生まれ,体系的調整 (systemic regulation) により,ある形態が採用されたのである.ここには「#1466. Smith による言語変化の3段階と3機構」 ([2013-05-02-1]) で紹介した言語変化の3機構 contact, variation, systemic regulation が出そろっている.Millar の conservative radicalism という考え方は,一見すると不可思議な北部から南部への言語変化の伝播という問題に,一貫した理論的な説明を与えているように思える.
they と though の変化に関する個別の話題としては,「#975. 3人称代名詞の斜格形ではあまり作用しなかった異化」 ([2011-12-28-1]) と「#713. "though" と "they" の同音異義衝突」 ([2011-04-10-1]) を参照.
なお,Millar (119--20) は,3人称女性単数代名詞 she による古英語 hēo の置換の問題にも conservative radicalism を同じように適用できると考えているようだ.she の問題については,「#792. she --- 最も頻度の高い語源不詳の語」 ([2011-06-28-1]), 「#793. she --- 現代イングランド方言における異形の分布」 ([2011-06-29-1]),「#827. she の語源説」 ([2011-08-02-1]),「#974. 3人称代名詞の主格形に作用した異化」([2011-12-27-1]) を参照.
・ Millar, Robert McColl. English Historical Sociolinguistics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2012.
フランス語は英語の語彙や綴字には大きな影響を及ぼしてきたが,英文法に及ぼした直接の影響はほとんどないといわれる.「#1208. フランス語の英文法への影響を評価する」 ([2012-08-17-1]) で論じたように,間接的な影響ということでいえば,「#1171. フランス語との言語接触と屈折の衰退」 ([2012-07-11-1]) で取り上げた問題はおおいに議論に値するが,統語や形態へのフランス語の影響はほとんどないといってよい.数少ない例の1つとして,「#204. 非人称構文」 ([2009-11-17-1]) の記事でみたように,中英語期中の非人称動詞および非人称構文の増加はフランス語に負っていることが指摘されるが,せいぜいそれくらいのものだろう.
しかし,もう1つ,ときにフランス語からの文法的な影響として指摘される項目がある.One should always listen to what other people say. のように用いられる,不定代名詞 one である.これが,対応するフランス語の不定代名詞 on (< L homo) の借用ではないかという議論だ.最近では,Millar (126) が,次のように指摘している.
What is noteworthy about these large-scale French-induced changes is that they are dependent upon the massive lexical borrowing. Other structural changes not connected to this are limited (and also contested), such as the origin of the Modern English impersonal pronoun one in the ancestor of Modern French on.
OED の one, adj., n., and pron. によると,フランス語影響説は必ずしも妥当ではないかもしれない旨が示唆されている.
The use as an indefinite generic pronoun (sense C. 17), which replaced ME pron.2, MEN pron. in late Middle English, may have been influenced by Anglo-Norman hom, on, un, Old French, Middle French on (12th cent.; mid 9th cent. in form om ; French on; ultimately < classical Latin homō: see HOMO n.1), though this is not regarded as a necessary influence by some scholars.
C. 17 に挙げられている初例は,MED ōn (pron) の語義2からの初例を取ったものである.
a1400 (a1325) Cursor Mundi (Vesp.) 1023 (MED), Of an [a1400 Gött. ane; a1400 Trin. Cambr. oon] qua siþen ete at þe last, he suld in eild be ai stedfast.
Mustanoja (223--24) が,後期中英語における one のこの用法の発生について,まとまった議論を展開している.やや長いが,すべて引用しよう.
'ONE.' --- The origin of the one used for the indefinite person has been the subject of some scholarly dispute. Some grammarians believe that it developed from the indefinite one (originally a numeral . . .) meaning 'a person,' just as man expressing the indefinite person developed from man meaning 'a human being.' It has also been suggested that the one used for the indefinite person is in reality French on (from Latin homo), though influenced by the native indefinite one. This view, first expressed by R. G. Latham (The English Language, Vol. II, London 1855), has been more recently advocated by G. L. Trager and H. Marchand . . . . The case of those who maintain that one is a direct loan from French is, however, somewhat weakened by the fact that in the two earliest known instances of this use one occurs as an object of the verb and as an attributive genitive ('possessive dative'); one of these is doo thus fro be to be; thus wol thai lede oon to thaire dwelliyng place (Pall. Husb. v 181). The earliest examples of one as an indefinite subject are recorded in works of the late 15th century: --- he herde a man say that one was surer in keping his tunge than in moche speking, for in moche langage one may lightly erre (Earl Rivers Dicts 57); --- every chambre was walled and closed rounde aboute, and yet myghte one goo from one to another (Caxton En. 117). It is not until the second half of the 16th century that the use of one in this sense becomes common.
From all we know about the first appearance and the subsequent development of one expressing the indefinite person it seems that this use arose as a synthesis of native one and French on. This view is further supported by the fact that in Anglo-Norman the spelling un is used not only for the numeral un but also for the indefinite person, as in the proverb un vout pendre par compaignie.
標記の問題は,いまだ決着がついていない.
・ Millar, Robert McColl. English Historical Sociolinguistics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2012.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
一昨日の記事「#1779. 言語接触の程度と種類を予測する指標」 ([2014-03-11-1]) と昨日の記事「#1780. 言語接触と借用の尺度」 ([2014-03-12-1]) で,Thomason and Kaufman に拠って,言語接触についての異なる観点からの類型を示した.その著者の一人 Thomason が後に単独で著した Language Contact においても,およそ同じ議論が繰り返されているが,そこにはより網羅的な言語接触に関するタイポロジーが提示されているので示しておこう.Thomason は言語接触により引き起こされる言語変化の型を "contact-induced language change" と呼んでいるが,(1) それを予測する指標 (predictors) ,(2) それが後に及ぼす構造的な影響 (effects),(3) そのメカニズム (mechanisms) を整理している (60) ."contact-induced language change" 以外の言語接触の2つの型 "extreme language mixture" と "language death" のタイポロジーとともに,以下に示そう.
LANGUAGE CONTACT TYPOLOGIES: LINGUISTIC RESULTS AND PROCESSES
1. Contact-induced language change
A typology of predictors of kinds and degrees of change
Social factors
Intensity of contact
Presence vs absence of imperfect learning
Speakers' attitudes
Linguistic factors
Universal markedness
Degree to which features are integrated into the linguistic system
Typological distance between source and recipient languages
A typology of effects on the recipient-language structure
Loss of features
Addition of features
Replacement of features
A typology of mechanisms of contact-induced change
Code-switching
Code alternation
Passive familiarity
'Negotiation'
Second-language acquisition strategies
First-language acquisition effects
Deliberate decision
2. Extreme language mixture: a typology of contact languages
Pidgins
Creoles
Bilingual mixed languages
3. A typology of routes to language death
Attrition, the loss of linguistic material
Grammatical replacement
No loss of structure, not much borrowing
predictors は,「#1779. 言語接触の程度と種類を予測する指標」 ([2014-03-11-1]) で挙げたものをもとに拡張したものである.effects の各項は,言語項が被ると考えられる論理的な可能性が列挙されていると考えればよい.mechanisms とは,言語変化が生じている現場において,話者(集団)に起こっていること,広い意味での心理的な反応を列挙したものである.
現実にはこれほどきれいな類型に収まらないだろうが,言語接触に関わる大きな見取り図としては参考になるだろう.
・ Thomason, Sarah Grey and Terrence Kaufman. Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics. Berkeley: U of California P, 1988.
・ Thomason, Sarah Grey. Language Contact. Edinburgh: Edinburgh UP, 2001.
2言語間の言語接触においては,一方向あるいは双方向に言語項の借用が生じる.その言語接触と借用の強度は,少数の語彙が借用される程度の小さいなものから,文法範疇などの構造的な要素が借用される程度の大きいものまで様々ありうるが,古今東西の言語接触の事例から,その尺度を類型化することは可能だろうか.
この問題については,「#902. 借用されやすい言語項目」 ([2011-10-16-1]),「#903. 借用の多い言語と少ない言語」 ([2011-10-17-1]),「#934. 借用の多い言語と少ない言語 (2)」 ([2011-11-17-1]) ほかで部分的に言及してきたが,昨日の記事「#1779. 言語接触の程度と種類を予測する指標」 ([2014-03-11-1]) で引用した Thomason and Kaufman (74--76) による借用尺度 ("BORROWING SCALE") が,現在のところ最も本格的なものだろう.著者たちは言語接触を大きく borrowing と shift-induced interference に分けているが,ここでの尺度はあくまで前者に関するものである.5段階に区別されたレベルの説明を引用する.
(1) Casual contact: lexical borrowing only
Lexicon:
Content words. For cultural and functional (rather than typological) reasons, non-basic vocabulary will be borrowed before basic vocabulary.
(2) Slightly more intense contact: slight structural borrowing
Lexicon:
Function words: conjunctions and various adverbial particles.
Structure:
Minor phonological, syntactic, and lexical semantic features. Phonological borrowing here is likely to be confined to the appearance of new phonemes with new phones, but only in loanwords. Syntactic features borrowed at this stage will probably be restricted to new functions (or functional restrictions) and new orderings that cause little or no typological disruption.
(3) More intense contact: slightly more structural borrowing
Lexicon:
Function words: adpositions (prepositions and postpositions). At this stage derivational affixes may be abstracted from borrowed words and added to native vocabulary; inflectional affixes may enter the borrowing language attached to, and will remain confined to, borrowed vocabulary items. Personal and demonstrative pronouns and low numerals, which belong to the basic vocabulary, are more likely to be borrowed at this stage than in more casual contact situations.
Structure:
Slightly less minor structural features than in category (2). In phonology, borrowing will probably include the phonemicization, even in native vocabulary, of previously allophonic alternations. This is especially true of those that exploit distinctive features already present in the borrowing language, and also easily borrowed prosodic and syllable-structure features, such as stress rules and the addition of syllable-final consonants (in loanwords only). In syntax, a complete change from, say, SOV to SVO syntax will not occur here, but a few aspects of such a switch may be found, as, for example, borrowed postpositions in an otherwise prepositional language (or vice versa).
(4) Strong cultural pressure: moderate structural borrowing
Structure:
Major structural features that cause relatively little typological change. Phonological borrowing at this stage includes introduction of new distinctive features in contrastive sets that are represented in native vocabulary, and perhaps loss of some contrasts; new syllable structure constraints, also in native vocabulary; and a few natural allophonic and automatic morphophonemic rules, such as palatalization or final obstruent devoicing. Fairly extensive word order changes will occur at this stage, as will other syntactic changes that cause little categorial alteration. In morphology, borrowed inflectional affixes and categories (e.g., new cases) will be added to native words, especially if there is a good typological fit in both category and ordering.
(5) Very strong cultural pressure: heavy structural borrowing
Structure:
Major structural features that cause significant typological disruption: added morphophonemic rules; phonetic changes (i.e., subphonemic changes in habits of articulation, including allophonic alternations); loss of phonemic contrasts and of morphophonemic rules; changes in word structure rules (e.g., adding prefixes in a language that was exclusively suf-fixing or a change from flexional toward agglutinative morphology); categorial as well as more extensive ordering changes in morphosyntax (e.g., development of ergative morphosyntax); and added concord rules, including bound pronominal elements.
英語史上の主要な言語接触の事例に当てはめると,古英語以前におけるケルト語,古英語以降のラテン語との接触はレベル1程度,中英語以降のフランス語との接触はレベル2程度,古英語末期からの古ノルド語との接触はせいぜいレベル3程度である.英語は歴史的に言語接触が多く,借用された言語項にあふれているという一般的な英語(史)観は,それ自体として誤っているわけではないが,Thomason and Kaufman のスケールでいえば,たいしたことはない,世界にはもっと激しい接触を経てきた言語が多く存在するのだ,ということになる.通言語的な類型論が,個別言語をみる見方をがらんと変えてみせてくれる好例ではないだろうか.
日本語についても,歴史時代に限定すれば中国語(漢字)からの重要な影響があったものの,BORROWING SCALE でいえば,やはり軽度だろう.しかし,先史時代を含めれば諸言語からの重度の接触があったかもしれないし,場合によっては borrowing とは別次元の言語接触であり,上記のスケールの管轄外にあるとみなされる shift-induced interference が関与していた可能性もある.
・ Thomason, Sarah Grey and Terrence Kaufman. Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics. Berkeley: U of California P, 1988.
昨日の記事「#1778. 借用語研究の to-do list」 ([2014-03-10-1]) で,Thomason and Kaufman の名前に触れた.彼らの Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics (1988) は,近年の接触言語学 (contact linguistics) に大きな影響を及ぼした研究書である.世界の言語からの多くの事例に基づいた言語接触の類型論を提示し,その後の研究の重要なレファレンスとなっている.英語史との関連では,特に英語と古ノルド語との接触 (Norsification) について相当の紙幅を割きつつ,従来の定説であった古ノルド語の英語への甚大な影響という見解を劇的に覆した.古ノルド語の英語への影響はしばしば言われているほど濃厚ではなく,言語接触による借用の強度を表わす5段階のレベルのうちのレベル2?3に過ぎないと結論づけたのだ.私も初めてその議論を読んだときに,常識を覆されて,目から鱗が落ちる思いをしたことを記憶している.この点に関しての Thomason and Kaufman の具体的な所見は,「#1182. 古ノルド語との言語接触はたいした事件ではない?」 ([2012-07-22-1]) で引用した通りである.(とはいえ,Thomason and Kaufman への批判も少なくないことは付け加えておきたい.)
Thomason and Kaufman は,言語接触の程度と種類を予測する指標として,以下のような社会言語学的な項目と言語学的な項目を認めている.
(1) (sociolinguistic) intensity of contact (46)
a) "long-term contact with widespread bilingualism among borrowing-language speakers" (67);
b) "A high level of bilingualism" (67);
c) consideration of population (72);
d) "sociopolitical dominance" and/or "other social settings" (72)
(2) (linguistic) markedness (49, 212--13)
(3) (linguistic) typological distance (49, 212--13)
Thomason and Kaufman は,基本的には (1) の社会言語学的な指標が圧倒的に重要であると力説する.言語学的指標である (2), (3) が関与するのは,言語干渉の程度が比較的低い場合 ("light to moderate structural interference" (54)) であり,相対的には影が薄い,と.
. . . it is the sociolinguistic history of the speakers, and not the structure of their language, that is the primary determinant of the linguistic outcome of language contact. Purely linguistic considerations are relevant but strictly secondary overall. (35)
その前提の上で,Thomason and Kaufman は,(3) の2言語間の類型的な距離について次のような常識的な見解を示している.
The more internal structure a grammatical subsystem has, the more intricately interconnected its categories will be . . . ; therefore, the less likely its elements will be to match closely, in the typological sense, the categories and combinations of a functionally analogous subsystem in another language. Conversely, less highly structured subsystems will have relatively independent elements, and the likelihood of a close typological fit with corresponding elements in another language will be greater. (72--73)
Thomason and Kaufman は,他の指標として話者(集団)の社会心理学的な "attitudinal factors" にもたびたび言い及んでいるが,前もって予測するのが難しい指標であることから,主たる議論には組み込んでいない.だが,実際には,この "attitudinal factors" こそが言語接触には最も関与的なのだろう.著者たちもよくよく気づいていることには違いない.
・ Thomason, Sarah Grey and Terrence Kaufman. Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics. Berkeley: U of California P, 1988.
2つの言語が混成するときには,大多数のピジン語やクレオール語がそうであるように,いずれかの言語の貢献率が顕著に高くなる.上層言語 (superstrate) や語彙供給言語 (lexifier) という用語,あるいは英語ベースのピジン語という表現が示すように,通常はいずれの言語が主であるかは明らかである.しかし,まれなケースでは,ほぼ半々に混じり合って,どちらが主たる言語が判然としない "dual-source" というべき混成語がある.「#1683. Pitkern」 ([2013-12-05-1]) は,非常にまれな dual-source creole の例として挙げられるだろう.ほかに,dual-source pidgin や dual-source creoloid とみなすことのできる言語が存在する (Trudgill, Sociolinguistics 182--83) .
1917年までノルウェー最北部で交易の言語として話されていた Russenorsk は,dual-source pidgin の例と考えられる.Russenorsk はロシア語とノルウェー語の語彙要素がほぼ半々に混成した言語で,単純化した体系を有していた.この言語は,1917年にロシア革命によって両国の交易が断たれると廃れていったが,ロシア語とノルウェー語の話者のみならずサーミ語,フィンランド語,オランダ語,ドイツ語,英語の話者にも用いられ,lingua franca として機能していた.Russenorsk は,dual-source pidgin であることに加え,植民地という状況下ではなく交易のために発達したヨーロッパ語どうしのピジン語としても希有の存在である.Russenorsk は,例えば次のように用いられた (Trudgill, Glossary 114) .
Kak ju vil skaffom ja drikke te, davaj på sjib tvoja ligge ne jes på slipom.
'If you will eat and drink tea, please on ship your lie down and on sleep'
一方,カナダに起源をもち,現在ではアメリカの North Dakota 北部の一部地域で話されている Michif (or Metsif or Métis) は,dual-source creoloid の例である(creoloid については「#1681. 中英語は "creole" ではなく "creoloid"」 ([2013-12-03-1]) を参照).もととなった2つの言語は,フランス語と北米先住民の Algonquian 語族の言語 Cree である.フランス語の "mixed" に相当する Michif の名前は,19世紀にカナダの毛皮交易を通じてフランス語を話す男性と Cree を話す女性とが混血して生じた民族の名前にもなっており,連邦政府による抑圧と抵抗の歴史を経てきた.Michif は言語的にはそれほど単純化しておらず,名詞句はフランス語の特徴である性の一致を示す一方,動詞句は Cree の複雑な形態論の特徴を保持している (Trudgill, Sociolinguistics 183--84) .話者数が少なく,存続が危ぶまれている先住民言語の1つである.
Michif と同様に2言語が完全に融合している現象は language intertwining と呼ばれ,非常に稀だが,他にも Copper Island Aleut と呼ばれる言語がもう1つの例とされる (Trudgill, Glossary 28) .これは,Eskimo-Aleut 語族の Aleut とロシア語の混成語で,話者は2,000人を数えるほどといわれる.語彙と名詞句の形態論は大方 Aleut に由来するが,統語論と動詞句の形態論は大方ロシア語であるという intertwining ぶりを示す.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
イングランドの航海士・探検家の William Bligh (1754--1817) は,James Cook (1728--79) の南洋の最終航海にも付き従った腕利きの船乗りだった.西インド諸島のプランテーション経営者より,奴隷用の食料としてのパンノキを確保する方法を探るよう求められ,1787年12月,Bligh は海軍の科学調査船バウンティー号 (HMS Bounty) の船長として Tahiti への航海に出た.船上の指揮や天候等の幾多の困難の末,1788年10月に Tahiti に到着した.数ヶ月の滞在の後,1789年4月4日にイングランドへの帰路についたが,船員の無能に腹を立てることの多かった Bligh に対して,長年の右腕であった航海仲間 Fletcher Christian (1764--c1790) が,4月28日,9人の仲間とともに反乱を起こした.世に知られる "Mutiny on the Bounty" である.Bligh と18人の船員はボートで海に流されたが,Bligh は不屈の精神で翌年イングランドにたどりつく.一方,バウンティー号に残った Christian 一行は,Tahiti に戻るが,その後現地の男女数名を引き連れて,Tahiti の南東へ2000キロ以上も離れた Pitcairn Island へたどり着き,船を焼き払って小さな植民地を設立した.その後20年弱の詳細は不明だが,1808年,アメリカの捕鯨船によって彼らの子孫が島で生き延びていることが発見された.
Pitcairn はこの事件に先立つ1767年に英国船によって発見されていたが,当時は無人だった.人が住み始めたのはこの事件がきっかけであり,現在,島民のほとんどが「反乱者たち」の末裔である.Pitcairn は,19世紀にはアメリカとオーストラリアの間の捕鯨基地として機能したが,1856年に人口過剰を解消すべく島民の一部が現在のオーストラリア領 Norfolk Island へ移住した.
現在も,英領 Pitcairn と豪領 Norfolk Island では,反乱事件とその後の経緯で生じた creole である Pitkern が話されている.英語とタヒチ語が完全に入り交じった混成語である.どちらの言語が基盤であるか分からないほどの混成ぶりであり,"dual-source creole" の例と言われる.Norfolk Island における creole は,英語の影響を受けて post-creole 化している.Trudgill (183) の記述を引用しよう.
Pitcairnese, the language of the remote Pacific Ocean island Pitcairn, is a dual-source creole which is the sole native language of the small community there. The Pitcairnese are for the most part descendants of the British sailors who carried out the famous mutiny on the Bounty and Tahitian men and women who went with them to hide on Pitcairn from the British Royal Navy. Their language is a mixed and simplified form of English and Tahitian (a Polynesian language) . . . . Pitcairnese also has speakers on Norfolk Island, in the Western Pacific, who are descended from people who resettled there from Pitcairn. On Norfolk Island, the language is in close contact with Australian English, and is consequently decreolizing (in the direction of English, not Tahitian). We can therefore describe it as a dual-source post-creole.
両地域の詳細については,CIA: The World Factbook より Pitcairn Islands および Norfolk Island を参照.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
「#1223. 中英語はクレオール語か?」 ([2012-09-01-1]),「#1249. 中英語はクレオール語か? (2)」 ([2012-09-27-1]),「#1250. 中英語はクレオール語か? (3)」 ([2012-09-28-1]),「#1251. 中英語=クレオール語説の背景」 ([2012-09-29-1]) を受けて,もう少し議論の材料を提示したい.直接この問題に迫るというよりは,2言語の混合という過程とピジン化 (pidginisation) という過程とをどのように区別するかという問題を考察したい.
混合の前後に連続性が見られず,"the drastic break" (Görlach 341) があると判断される場合にはピジン化といってよいと考えるが,Trudgill (181--82) も Afrikaans を取り上げて同趣旨の議論を展開している.
Interestingly, there are some languages in the world which look like post-creoles, but which are not. These are varieties which, compared to some source, show a certain degree of simplification and admixture. We do not, however, call these languages creoles, because the extent of the simplification and admixture is not very great. And we do not call them post-creoles because they have never been creoles --- which is in turn because they have never been pidgins! Afrikaans, the other major language of the white community in South Africa alongside English, used to be considered a dialect of Dutch . . . . During the course of the twentieth century, however, it achieved autonomy . . . and now has its own literature, dictionaries, grammar books, and so on. Compared to Dutch, Afrikaans shows significant amounts of regularization in the grammar, and a significant amount of admixture from Malay, Portuguese and other languages. It still remains mutually intelligible with Dutch, however. The crucial feature of Afrikaans is that, although it is now spoken by some South Africans who are the descendants of people who spoke it as a non-native language --- hence the influence from Portuguese, Malay and so on --- and who undoubtedly therefore spoke a pidginized form of Dutch/Afrikaans, the language was at no time a pidgin. In the transition from Dutch to Afrikaans, the native-speaker tradition was maintained throughout. The language was passed down from one generation of native speakers to another; it was used for all social functions and was therefore never subjected to reduction. Such a language, which demonstrates a certain amount of simplification and admixture, relative to some source language, but which has never been a pidgin or a creole in the sense that it has always had speakers who spoke a variety which was not subject to reduction, we can call a creoloid.
標準オランダ語に比べれば,Afrikaans には確かに単純化や規則化がみられる.また,マレー語,ポルトガル語などから言語項目の著しい借用がみられる.しかし,だからといって pidgin だとか creole だとか呼ぶわけにはいかない.というのは,Afrikaans には間違いなく歴史的な連続性があるからだ.各世代の話者は,単純化や接触を経験しながらも,途切れることなくこの言語変種を用いてきたし,接触言語と合わせて即席の便宜的な言語を作り出したという痕跡もない."the drastic change" はなかったのである.では,この言語を何と呼ぶのか.Trudgill は,新しい用語として "creoloid" が適切ではないかと主張する.
この "creoloid" という用語は,中英語にもそのまま当てはめられるだろう.古英語と古ノルド語との接触は,creole を生み出したわけではなく,あくまで creoloid を生み出したにすぎなかったといえる.なぜならば,古ノルド語との接触は古英語以来の言語変化の速度を速めたが,あくまで自然な路線の延長であり,連続性があったからだ.同趣旨の議論として,「#1224. 英語,デンマーク語,アフリカーンス語に共通してみられる言語接触の効果」 ([2012-09-02-1]) も参照.
・ Görlach, Manfred. "Middle English --- a Creole?" Linguistics across Historical and Geographical Boundaries. Ed. D. Kastovsky and A. Szwedek. Berlin: Gruyter, 1986. 329--44.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
Ross (179) によると,言語共同体を開放・閉鎖の度合いと内部的な絆の強さにより分類すると,(1) closed and tightknit, (2) open and tightknit, (3) open and tightloose の3つに分けられる(なお,closed and tightloose の組み合わせは想像しにくいので省く).(1) のような閉ざされた狭い言語共同体では,他の言語共同体との接触が最小限であるために,共時的にも通時的にも言語の様相が特異であることが多い.
閉鎖性の強い共同体の言語の代表として,しばしば Icelandic が取り上げられる.本ブログでも,「#430. 言語変化を阻害する要因」 ([2010-07-01-1]), 「#903. 借用の多い言語と少ない言語」 ([2011-10-17-1]), 「#927. ゲルマン語の屈折の衰退と地政学」 ([2011-11-10-1]) などで話題にしてきた.Icelandic はゲルマン諸語のなかでも古い言語項目をよく保っているといわれる.social_network の理論によると,アイスランドのような,成員どうしが強い絆で結ばれている,閉鎖された共同体では,言語変化が生じにくく保守的な言語を残す傾向があるとされる.しかし,そのような共同体でも完全に閉鎖されているわけではないし,言語変化が皆無なわけではない.
では,比較的閉鎖された共同体に起こる言語変化とはどのようなものか.Papua New Guinea 島嶼部の諸言語の研究者たちによると,閉鎖された共同体では,言語変化は複雑化する方向に,また周辺の諸言語との差を際立たせる方向に生じることが多いという (Ross 181) .具体的には異形態 (allomorphy) や補充法 (suppletion) の増加などにより言語の不規則性が増し,部外者にとって理解することが難しくなる.そして,そのような不規則性は,かえって共同体内の絆を強める方向に作用する.このことは「#1482. なぜ go の過去形が went になるか (2)」 ([2013-05-18-1]) で引き合いに出した accommodation_theory の考え方とも一致するだろう.補充法の問題への切り口として注目したい.
閉鎖された共同体の言語における複雑化の過程は,Thurston という学者により "esoterogeny" と名付けられている.この過程に関して,Ross (182) の問題提起の一節を引用しよう.
In a sense, these processes, which Thurston labels 'esoterogeny', are hardly a form of contact-induced change, but rather its converse, a reaction against other lects. However, as they are conceived by Thurston their prerequisite is at least minimal contact with another community speaking a related lect from which speakers of the esoteric lect are seeking to distance themselves. Thurston's conceptions raises an interesting question: if a community is small, and closed simply because it is totally isolated from other communities, will its lect accumulate complexities anyway, or is the accumulation of complexity really spurred on by the presence of another community to react against? I am not sure of the answer to this question.
"esoterogeny" の仮説が含意するのは,逆のケース,すなわち開かれた共同体では,言語変化はむしろ単純化する方向に生じるということだ.関連して,古英語と古ノルド語の接触による言語の単純化について「#928. 屈折の neutralization と simplification」 ([2011-11-11-1]) を参照されたい.
・ Ross, Malcolm. "Diagnosing Prehistoric Language Contact." Motives for Language Change. Ed. Raymond Hickey. Cambridge: CUP, 2003. 174--98.
Fennell の英語史概説書の冒頭に近い「1.2 Language Change」 (pp. 3--7) を日本語で要約する機会があった.言語変化の原因についての概論である.せっかくなので,それを本ブログにも掲載しておく.
なぜ言語が変化するのか,その理由は様々である.第1に,言語は動的な内的構造を有しており,内的な原因で変化する.第2に,言語は,言語接触に伴う基層言語効果などとして現われる,話者の不完全な習得ゆえに変化する.
次に,なぜ人々はいつも同じ話し方をするわけではないのかという問いがある.言語学者は,すべての子供が言語習得に関して平等であり,どの言語でも習得できる能力をもっていること,また同じ調音器官により同じ種類の言語音を発する能力をもっていることを前提としている.しかし,音の発生にはわずかな変異がいつでも存在するのである.`sh' を `th' に近い音として発するものもいれば,`r' を `w' や `l' に近い音として発するものもいる.また,個人の語彙選択をみてみると,意識するにせよしないにせよ,ある語をとりわけ好んだり,頻用したり,特別に用いたりする.この個人的な変異こそが変化の種なのである.もしかすると,ある発音や語法が威信をもっており,仲間の話者がおそらく無意識にその威信を求めて話し方を変えるということがあるかもしれない.私たちはみな,話し相手と連帯を強めようと思えば相手に合わせた話し方をするし,距離を置きたいと思えば話し方にも距離を置くものである.社会心理学ではこれを「言語的応化」と呼んでいるが,これが個人的で一時的な現象ではなく,空間的にも時間的にも拡がれば,言語変化へと発展しうるだろう.
言語が変化するもう1つの理由は,話者が,移民や征服などを通じて他言語の話者と接触するからである.場合によっては,もとの言語が完全に征服者の言語に屈し,「置換」されることがあるかもしれない.あるいは,並存したとしても両者の間に政治的な序列ができるかもしれない.両集団が親密に接触しているのであれば,言語間の影響も大きい可能性がある.反対に,両集団が文化的・物理的に分離していれば,互いの言語的影響はほとんどないだろう.
支配的な言語とそれ以外の言語との間に接触はあるが,言語的な共通項がない場合には,当座しのぎの接触言語が発達するかもしれない.この言語は,当初は簡略化された言語体系をもつにすぎず,変異しやすく,必ずしもすべてのコミュニケーション上の機能を果たしえないだろう.この段階の言語をピジン語と呼ぶ.このピジン語が数世代かけて形態と機能を整えて安定に向かい,母語として用いられるようになると,クレオール語と呼ばれる段階へ発展したことになる.このような言語は,社会状況が安定し,主流派社会の権力が強まるにつれて,しばしば支配的な言語のほうへ接近してゆき,結果としてポスト・クレオール連続体と呼ばれる言語変種の連続体が生じることが多い.そこでは,比較的単純化したままの「下層」変種,より支配的な言語に近い「中層」変種,さらに「上層」変種が共存しているが,上層変種ですら国家標準変種とは異なる特徴を備えていることに注意したい.
しかし,言語接触は,いつも言語変化の必要条件あるいは十分条件であるとはかぎらない.むしろ,分離することによって言語変化が引き起こされることも多い.例えば,英語が17世紀にアメリカにもたらされると,いくつかの理由でイギリス英語から分かれていった.まず,もたらされた英語は,複数の移民の波によって,複数の方言としてもたらされたからである.次に,それは地理や政治形態の新環境,既存の様々な言語との接触により,変化を遂げた.さらに,特にアメリカ独立後のことだが,イギリス英語の基準とは異なる方向へ言語的分岐を経た.そして,アメリカには唯一の言語規範がなかったために,それぞれの地域に威信のある変種が生まれたのである.
上記のような言語変化論には単純化のきらいがあることに注意されたい.大多数の言語変化には,多様な理由があるものである.例えば,アメリカ英語がイギリス英語から分岐した理由には,他言語との接触もあり,黒人英語 (AAVE) ではこの分岐の程度は大きい.しかし,標準英語においては,他言語からの影響は比較的僅少でり,概ね語彙項目に限られる.
これまで述べてきた言語変化の要因は言語外的なものだったが,言語内的な要因もあるようだ.好例の1つは,英語が文法機能を果たすのに形態上の語尾に依存する総合的な言語から,語順に依存する分析的な言語へ移行した例である.構造的には,これは英語史における最大の変化だろう.この変化が生じた理由は言語内的である.印欧語では語のどこにでも落ちえた強勢が第1音節に落ちるようになり,屈折語尾の曖昧化と消失が生じたのである.こうして文法機能は屈折語尾に代わり語順が担うようになり,上記の類型的な大変化が起こった.そもそも強勢の変化を引き起こしたものが何なのか,言語外的な理由だったのか,誰にもわからない.しかし,いったん強勢の変化が起こったあとは,それは一連の内的な変化を引き起こしたのである.
言語内的な変化の別の例として,Iウムラウトと呼ばれる古英語を含む北西ゲルマン語群に生じた音変化がある.ゲルマン祖語で強勢音節に後続する無強勢音節に [i] や [j] があった場合,強勢音節の母音が前寄りあるいは高めになるという変化である.beran と bireþ,mūus とmys を参照.この変化の原因も,言語内的な要因以外には考えられない.
言語内的な変化のもう1つの例は,1500年以降の do の一般動詞から助動詞への変化だろう.この変化により,do は原義を失い,疑問文や否定文を構成するという文法的な機能語へと発展した.このような変化は「文法化」と呼ばれる.
do の変化の例は,歴史的にある構造と結びついていた機能が別の構造と結びつけられるようになったという意味で,「再分析」の例と呼んでもよいかもしれない.英語の形態論では,再分析の下位区分としての「異分析」の例が豊富である.例えば,naddre, napron, noumpere は,前置される不定冠詞 an との間で異分析が生じた結果,adder, apron, umpire の語形が生まれた.反対に,an ewt が a newt と異分析されたというような例もある.これも言語内的な変化といえるだろう.
言語変化の原因をまとめると,(1) 地理的な分離と接触,(2) 新旧の諸現象(社会環境)の接触,(3) 不完全な習得,(4) 基層言語効果,(5) 社会的な威信の要因がある.
一方,言語内的な要因としては,(1) 調音の容易化,(2) 類推作用,(3) 再分析,(4) ランダム性がある.
Fennell は言語変化の原因として,言語内的要因と言語外的要因を区別しているが,そのなかに変異 (variation) の議論を差し込んでいる.これらを合わせると,「#1466. Smith による言語変化の3段階と3機構」 ([2013-05-02-1]) で言語変化の3機構として言及した (1) variation, (2) systemic regulation, (3) contact がここでも出揃ったことになる.Fennell は,社会言語学的な英語史を謳っているので,当然ながら variation と contact をとりわけ重視する姿勢がうかがえるが,基本的にはこの3点セットで英語史における言語変化を論じようとしているといえるだろう.
・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.
Glasgow 大学の Jeremy Smith 先生がいつも述べている,言語変化の3段階と3機構について.
まず,3段階から.どの言語変化も必ず経る3段階がある.「#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞」 ([2010-01-27-1]) で少し触れたのだが,それは (1) potential for change, (2) implementation, (3) diffusion である.ソシュール言語学の立場から厳密にいえば,(1) は言語変化の前段階であり,(2) の段階で初めて「言語変化」と呼ぶことができる.Smith 先生に直接語ってもらう (7) .
The distinction may be made between potential for change, implementation (itself including triggering or actuation) and diffusion. The potential for change exists when a particular speaker or group of speakers makes a particular linguistic choice at a particular time; implementation takes place when that choice becomes selected as part of a linguistic system; and diffusion takes place when the change is imitated beyond its site of origin, whether in terms of geographical or of social distribution. Strictly speaking, the first of these phenomena is not to be included as part of the typology of change. The continual flux of living languages means that new variant forms are constantly being created in a given linguistic state. However, these variants are not themselves linguistic changes; rather, they constitute the raw material which is a prerequisite for linguistic change. A linguistic change happens only when a particular variable is selected and a systemic development follows. In that sense, language change begins with implementation; when implementation of potential for change is for some reason triggered in a linguistic system, then we can speak of a linguistic change. The diffusion of the phenomenon within a particular speech-community is, it is held here, a further process which can be counted as part of the particular change involved; it may, of course, itself have further effects.
次に,言語変化の3機構だが,これは言語変化が引き起こされる3条件と理解してもよいだろう.(1) variation, (2) systemic regulation, (3) contact の3つである.(1) variation は,音,形態,統語,意味などあらゆる言語項目には複数の variants が用意されており,実現されるのはその中のいずれかであるという考え方に基づいている.variants 全体の守備範囲は variational space と呼ばれ,毎回の実現はその範囲のなかで異なりうる.しかし,無制限に異なりうるわけではない.そこには (2) systemic regulation 体系の規制が働いており,制限が設けられているのである.だが,(1) と (2) ですべてが調整されるほど,言語は単純なものではない.言語(共同体)は真空には存在せず,周囲の言語(共同体)との関わりのなかで存在している.常に必然的に (3) contact の状況があるのであり,静的な体系にとどまってはいられない.
以上の3条件の相互関係は複雑だが,Smith 先生のことばでまとめると次のようになる (49) .
The three mechanisms of linguistic change distinguished above --- variation, systemic regulation, contact --- are not to be taken as totally separate causes of the phenomenon; rather, they interact in complex and, except in the most general terms, practically unpredictable ways to produce dynamic change in the history of a given language. To sum up the argument so far: new variants are produced, and are imitated through contact; but they are constrained by the changing intra- and extralinguistic systems of which the are a part.
最近は言語変化論も様々な立場から様々な枠組みが提示されているが,Smith 先生の論は,単純化されているものの(単純化されているから?),よくまとまっていると思う.
・ Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.
近代言語学史において悪名高い言語学派,ソビエト言語学の領袖 Nikolaj Jakovlevič Marr (1864--1934) の学説とそのインパクトについて,イヴィッチ (72--76) および田中 (196--212) に拠って考えてみよう.
Marr のあまりに個性的な言語学は,グルジアの多言語の家庭に生まれ育ったという環境とマルクス主義のなかに身を置くことになった経緯に帰せられるだろう.若き日の Marr は非印欧諸語の資料に接することで刺激を受け,言語の起源や諸言語の相互関係について考えを巡らせるようになった.Marr の学説の根幹をなすのは,言語一元発生説である.Marr は,すべての言語は sal, ber, jon, roš という4つの音要素の組み合わせにより生じたとする,荒唐無稽な起源説を唱えた.加えて,すべての言語は時間とともに段階的に高位へと発展してゆくという段階論 (stadialism) を唱えた.この発展段階の最高位に到達したのが印欧語族やセミ語族であり,所属の不明な諸言語(バスク語,エトルリア語,ブルシャスキー語などを含み,Marr はノアの方舟のヤペテにちなみヤフェト語族と呼んだ)は下位の段階にとどまっているとした.さらに,1924年にマルクス主義を公言すると,Marr は言語が階級的特性を有する社会的・経済的上部構造であるとの新説を提示した.こうして,Marr の独特な言語学(別名ヤフェティード言語学)が発展し,スターリンによって終止符を打たれるまで,30年ほどの間,ソビエト言語学を牽引することになった.
Marr は,欧米の主流派言語学者には受け入れられない学説を次々と提示したが,その真の目的は,比較言語学の成功によって前提とされるようになった言語の系統,語族,祖語,音韻法則といった概念を打ち壊すことにあった.これらの用語に宿っている民族主義や純血主義に耐えられなかったのである.Marr は,言語の段階的発展は,諸言語の交叉,混合によってしかありえないと考えていた.言語における純血の思想を嫌った Marr は,ソ連におけるエスペラント語運動の擁護者としても活躍した.
1950年,スターリンが直々に言語学に介入して,軌道をマル主義言語学から,比較言語学を前提とする欧米の正統な言語学へと戻した.通常の言語学史では,Marr の時代にソビエト言語学は狂気の世界にあったと評価している.しかし,田中は Marr をこう評価しているようだ.言語の民族主義や純血主義を徹底的に否定した Marr の態度とそこにある根本思想は,解放の学としての(社会)言語学の目指すところと一致する,と.
解放の学という見方については,「#1381. "interventionist" sociolinguistics」 ([2013-02-06-1]) を参照.
・ ミルカ・イヴィッチ 著,早田 輝洋・井上 史雄 訳 『言語学の流れ』 みすず書房,1974年.
・ 田中 克彦 『言語学とは何か』 岩波書店〈岩波新書〉,1993年.
印欧語族の語派解説シリーズ (see indo-european_sub-family) の第4弾.今回は,Baugh and Cable (27--28) と Fennell (26) により,アルバニア語派 (Albanian) の解説をする.
アルバニア (Albania) はバルカン半島の西岸,ギリシャの北西に隣接する国である.アルバニア語はこの語派の唯一の構成員であり,主としてアルバニア国民300万人のほとんどに話されているが,他にもコソボ,マケドニア,ギリシャ,南イタリア,シチリア,トルコ,米国にも話者をもち,言語人口は総計750万人ほどと推計される.アルバニア語の方言は,首都 Tirana 付近を境に北部の Gheg と南部の Tosk(公用語)に大別されるが,近年は方言差は縮まってきているという.Ethnologue より,Albanian を参照.
この言語(語派)の歴史については,かつてギリシャ語派に誤って分類されていたほどであり,知られていることは多くない.というのは,最古のテキストが15世紀の聖書翻訳に遡るにすぎず,なおかつその時点ですでにラテン語,ギリシャ語,トルコ語,スラヴ諸語の語彙要素が多分に入り交じっているからだ.とりわけラテン語(やロマンス諸語)からの借用は語彙の過半数を占め,現代英語に比較されるほど,その混合の度合いは甚だしい.「#934. 借用の多い言語と少ない言語 (2)」 ([2011-11-17-1]) で話題にした通り,アルバニア語と英語は「借用に積極的な言語 "Mischsprachen" (混合語)」としての共通項がある.
古代にこの地域で話されていたイリュリア語 ( Illyrian) の後裔とする説もあるが,根拠には乏しい.
以上の通りアルバニア語(派)については多くの記述が見つからないのだが,本ブログでは言語接触等の観点からアルバニア語に何度か言及してきたので,そちらへの参照を示そう.「#934. 借用の多い言語と少ない言語 (2)」 ([2011-11-17-1]),「#1150. centum と satem」 ([2012-06-20-1]),「#1314. 言語圏」 ([2012-12-01-1]).
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.
・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.
英語とエスペラント語の共通点は何か.言語的には,分析的であるとか,ロマンス系言語の語根をもつ語彙が多いとか,個々の言語項目について指摘することができるだろうが,大づかみに共通点を1つ挙げるというのは難しい.社会言語学的にいえば,単純である.いずれの言語も lingua franca である,ということだ.英語とピジン語の共通点,スワヒリ語と俗ラテン語の共通点にしても同じ答えである.
[2012-04-17-1], [2012-04-18-1], [2012-04-19-1]の記事で lingua franca という用語について調べたが,社会言語学的な見地からこの用語と概念にもう一度迫りたい.Wardhaugh (55) によれば,UNESCO が lingua franca を "a language which is used habitually by people whose mother tongues are different in order to facilitate communication between them" と定義している.この定義では,その言語が通用する範囲の広さについては言及していないので,小さな共同体でのみ用いられているような言語も上の条件を満たせば lingua franca ということになる."used habitually" も程度問題だが,緩く解釈すれば,上の段落で挙げた言語は確かにいずれも lingua franca の名に値するだろう.
lingua franca はいくつかの種類に分けることができる (Wardhaugh 56) .
(1) 西アフリカのハウサ語や東アフリカのスワヒリ語のように交易目的で用いられる "trade language"
(2) 古代ギリシア世界における koiné (コイネー)や中世ヨーロッパにおける俗ラテン語のように諸方言が接触した結果としての "contact language"
(3) 英語のように国際的に用いられる "international language"
(4) Esperanto ([2011-12-15-1]) や Basic English ([2011-12-13-1]) のような補助言語(人工言語)たる "auxiliary language"
(5) カナダの小共同体で話されている,クリー語の文法とフランス語の語彙を融合させた,民族的アイデンティティを担った Michif のような "mixed language"
ほかにも上記の定義に当てはまる言語を挙げれば,地中海世界の交易共通語となった Sabir,世界の各地域で影響を誇る Arabic, Mandarin, Hindi の各言語,19世紀後半に北米 British Columbia から Alaska にかけて広く通用した Chinook Jargon などがある.
・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
Bloomfield (46) はアメリカを代表する構造言語学者だが,名著 Language では,歴史言語学や社会言語学が扱うような話題についても驚くほど多くの洞察に満ちた議論を展開している.感銘を受けたものの1つに,「コミュニケーション密度」 (the density of communication) への言及がある.「#882. Belfast の女性店員」 ([2011-09-26-1]) の例が示唆するように,「弱い絆で結ばれた」 ("weakly tied") 社会では,言語革新が導入されやすく,推進されやすいという傾向がある(関連して[2012-07-19-1]の記事「#1179. 古ノルド語との接触と「弱い絆」」も参照).これは,近年の社会言語学において言語変化を説明する力学として注目されている概念だが,Bloomfield は早い段階でその基本的なアイデアをもっていたと考えられる.
Bloomfield のいう "the density of communication" は,巨大なカンバス上の点と線により表わされる.点として表現される個々の話者が互いに無数の矢印で結びつき合い,言語共同体のネットワークを構成しているというイメージだ.
Every speaker's language, except for personal factors which we must here ignore, is a composite result of what he has heard other people say. / Imagine a huge chart with a dot for every speaker in the community, and imagine that every time any speaker uttered a sentence, an arrow were drawn into the chart pointing from his dot to the dot representing each one of his hearers. At the end of a given period of time, say seventy years, this chart would show us the density of communication within the community. Some speakers would turn out to have been in close communication: there would be many arrows from one to the other, and there would be many series of arrows connecting them by way of one, two, or three intermediate speakers. At the other extreme there would be widely separated speakers who had never heard each other speak and were connected only by long chains of arrows through many intermediate speakers. If we wanted to explain the likeness and unlikeness between various speakers in the community, or, what comes to the same thing, to predict the degree of likeness for any two given speakers, our first step would be to count and evaluate the arrows and series of arrows connecting the dots. We shall see in a moment that this would be only the first step; the reader of this book, for instance, is more likely to repeat a speech-form which he has heard, say, from a lecturer of great fame, than one which he has heard from a street-sweeper. (46--47)
太い線で結束している共同体どうしが,今度は互いに細い線で緩やかに結びついており,全体として世界がつながっているというイメージは,社会言語学者の描く "social network" (Aitchison 49) の図そのものである.
ところが,歴史言語学の立場から見てより重要なのは,Bloomfield が上の引用の直後に,カンバスに対して垂直な軸である通時態をも思い描いていたという事実である.
The chart we have imagined is impossible of construction. An insurmountable difficulty, and the most important one, would be the factor of time: starting with persons now alive, we should be compelled to put in a dot for every speaker whose voice had ever reached anyone now living, and then a dot for every speaker whom these speakers had ever heard, and so on, back beyond the days of King Alfred the Great, and beyond earliest history, back indefinitely into the primeval dawn of mankind: our speech depends entirely upon the speech of the past. (47)
話者は,同時代に生きている他の話者とのつながりのみによって言語を体験しているわけではない.年上世代の話者により言語的な影響を被った経験があるだろうし,その経験の痕跡は自らの言語に少なからず反映されているだろう.同様に,自らが年下世代の話者に言語的影響を及ぼしていることもあるだろう.点と点を結ぶ線はカンバスに対して垂直に過去へも未来へも伸びてゆき,古今東西のすべての点がネットワーク内のどこかに位置づけられることになる.
共時態と通時態の区別は方法論上必要だろうが,Bloomfield のカンバスの比喩に照らせば,両者の間に明確な境界がないとも考えられる.両者の区別については,「#1260. 共時態と通時態の接点を巡る論争」 ([2012-10-08-1]) ,「#866. 話者の意識に通時的な次元はあるか?」 ([2011-09-10-1]) ,「#1025. 共時態と通時態の関係」 ([2012-02-16-1]) ,「#1040. 通時的変化と共時的変異」 ([2012-03-02-1]) ,「#1076. ソシュールが共時態を通時態に優先させた3つの理由」 ([2012-04-07-1]) ほか,diachrony の各記事を参照.
・ Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984.
・ Aitchison, Jean. Language Change: Progress or Decay. 3rd ed. Cambridge: CUP, 2001.
言語変化を説明する仮説の一つに,基層言語影響説 (substratum_theory) がある.被征服者が征服者の言語を受け入れる際に,もとの言語の特徴(特に発音上の特徴)を引き連れてゆくことで,征服した側の言語に言語変化が生じるという考え方である.英語史と間接的に関連するところでは,グリムの法則を含む First Germanic Consonant Shift や,Second Germanic Consonant Shift などを説明するのに,この仮説が持ち出されることが多い.「#416. Second Germanic Consonant Shift はなぜ起こったか」 ([2010-06-17-1]) ,「#650. アルメニア語とグリムの法則」 ([2011-02-06-1]) ,「#1121. Grimm's Law はなぜ生じたか?」 ([2012-05-22-1]) などで触れた通りである.
この仮説の最大の弱みは,多くの場合,基層をなしている言語についての知識が不足していることにある.特に古代の言語変化を相手にする場合には,この弱みが顕著に現われる.例えば,グリムの法則を例に取れば,影響を与えているとされる基層言語が何なのかという点ですら完全な一致を見ているわけではないし,もし仮にそれがケルト語だったと了解されても,その言語変化に直接に責任のある当時のケルト語変種の言語体系を完全に復元することは難しい.要するに,ある言語変化を及ぼしうると考えられる「基層言語」を,議論に都合の良いように仕立て上げることがいつでも可能なのである.母語の言語特徴が第二言語へ転移するという現象自体は言語習得の分野でも広く知られているが,これを過去の具体的な言語変化に直接当てはめることは難しい.
Jespersen と Bloomfield も,同仮説に懐疑的な立場を取っている.彼らの批判の基調は,問題とされている言語変化と,そこへの関与が想定されている民族の征服とが,時間的あるいは地理的に必ずしも符合していないのではないかという疑念である.民族の征服が起こり,結果として言語交替が進行しているまさにその時間と場所において,ある種の言語変化が起こったということであれば,基層言語影響説は少なくとも検証に値するだろう.しかし,言語変化が生じた時期が征服や言語交替の時期から隔たっていたり,言語変化を遂げた地理的分布が征服の地理的分布と一致しないのであれば,その分だけ基層言語影響説に訴えるメリットは少なくなる.むしろ,別の原因を探った方がよいのではないかということだ.
だが,基層言語影響説の論者には,アナクロニズムの可能性をものともせず,基層言語(例えばケルト語)の影響は様々な時代に顔を出して来うると主張する者もいる.Jespersen はこのような考え方に反論する.
I must content myself with taking exception to the principle that the effect of the ethnic substratum may show itself several generations after the speech substitution took place. If Keltic ever had 'a finger in the pie,' it must have been immediately on the taking over of the new language. An influence exerted in such a time of transition may have far-reaching after-effects, like anything else in history, but this is not the same thing as asserting that a similar modification of the language may take place after the lapse of some centuries as an effect of the same cause. (200)
Jespersen の主張は,基層言語影響説には隔世遺伝 (atavism) はあり得ないという主張だ (201) .同趣旨の批判が,Bloomfield でも繰り広げられている.
The substratum theory attributes sound-change to transference of language: a community which adopts a new language will speak it imperfectly and with the phonetics of its mother-tongue. . . . [I]t is important to see that the substratum theory can account for changes only during the time when the language is spoken by persons who have acquired it as a second language. There is no sense in the mystical version of the substratum theory, which attributes changes, say, in modern Germanic languages, to a "Celtic substratum" --- that is, to the fact that many centuries ago, some adult Celtic-speakers acquired Germanic speech. Moreover, the Celtic speech which preceded Germanic in southern Germany, the Netherlands, and England, was itself an invading language: the theory directs us back into time, from "race" to "race," to account for vague "tendencies" that manifest themselves in the actual historical occurrence of sound-change. (386)
近年,英語史で盛り上がってきているケルト語の英文法への影響という議論も,基層言語影響説の一形態と捉えられるかもしれない.そうであるとすれば,少なくとも間接的には,上記の批判が当てはまるだろう.「#689. Northern Personal Pronoun Rule と英文法におけるケルト語の影響」 ([2011-03-17-1]) や「#1254. 中英語の話し言葉の言語変化は書き言葉の伝統に掻き消されているか?」 ([2012-10-02-1]) を参照.
基層言語影響説が唱えられている言語変化の例としては,Jespersen (192--98) を参照.
・ Jespersen, Otto. Language: Its Nature, Development, and Origin. 1922. London: Routledge, 2007.
・ Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984.
話し言葉において生じていた言語変化が,伝統的で保守的な書き言葉に反映されずに,後世の観察者の目に見えてこないという可能性は,文献学上,避けることのできないものである.例えば,ある語が,ある時代の書き言葉に反映されていないからといって,話し言葉として用いられていたかもしれないという可能性は否定できず,OED の初出年の扱い方に関する慎重論などは至る所で聞かれる.確かに大事な慎重論ではあるが,これをあまりに推し進めると,文献上に確認されない如何なることも,話し言葉ではあり得たかもしれないと提起できることになってしまう.また,関連する議論として,書き言葉上で突如として大きな変化が起こったように見える場合に,それは書き言葉の伝統の切り替えに起因する見かけの大変化にすぎず,対応する話し言葉では,あくまで変化が徐々に進行していたはずだという議論がある.
中英語=クレオール語の仮説でも,この論法が最大限に利用されている.Poussa は,14世紀における Samuels の書き言葉の分類でいう Type II と Type III の突如の切り替えは,対応する話し言葉の急変化を示すものではないとし,書き言葉に現われない水面下の話し言葉においては,Knut 時代以来,クレオール化した中部方言の koiné が続いていたはずだと考えている.そして,Type III の突然の登場は,14世紀の相対的なフランス語の地位の下落と,英語の地位の向上に動機づけられた英語標準化の潮流を反映したものだろうと述べている.
. . . if we take the view that the English speech of London had, since the time of Knut, been a continuum of regional and social varieties of which the Midland koiné was one, then it is easier to explain the changes in the written language [from Type II to Type III] as jerky adjustments to a gradual rise in social status of the spoken Midland variety. (80)
似たような議論は,近年さかんに論じられるようになってきたケルト語の英語統語論に及ぼした影響についても聞かれる(例えば,[2011-03-17-1]の記事「#689. Northern Personal Pronoun Rule と英文法におけるケルト語の影響」を参照).古英語の標準書き言葉,Late West-Saxon Schriftsprache の伝統に掻き消されてしまっているものの,古英語や中英語の話し言葉には相当のケルト語的な統語要素が含まれていたはずだ,という議論だ.英語がフランス語のくびきから解き放たれて復権した後期中英語以降に,ようやく話し言葉が書き言葉の上に忠実に反映されるようになり,すでにケルト語の影響で生じていた do-periphrasis や進行形が,文献上,初めて確認されるようになったのだ,と論じられる.
しかし,これらの議論は,文献学において写本研究や綴字研究で蓄積されてきた scribal error や show-through といった,図らずも話し言葉が透けて見えてしまうような書記上の事例を無視しているように思われる.写字生も人間である.書記に際して,完全に話し言葉を封印するということなどできず,所々で思わず話し言葉を露呈してしまうのが自然というものではないだろうか.
話し言葉が,相当程度,書き言葉の伝統に掻き消されているというのは事実だろう.書き言葉習慣の切り替えによって,大きな言語変化が起こったように見えるという事例も確かにあるだろう.しかし,書き言葉に見られないことでも話し言葉では起こっていたかもしれない,いや起こっていたに違いないと,積極的に提案してよい理由にはならない.一時期論争を呼んだ英語=クレオール語の仮説と近年のケルト語影響説の間に似たような匂いを感じた次第である.
・ Poussa, Patricia. "The Evolution of Early Standard English: The Creolization Hypothesis." Studia Anglica Posnaniensia 14 (1982): 69--85.
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