「#3157. 華麗なる splendid の同根類義語」 ([2017-12-18-1]) および「#4969. splendid の同根類義語のタイムライン」 ([2022-12-04-1]) で splendid とその類義語の盛衰をみてきた.類義語間の語義については互いに重なるところも多いのだが,そもそもどのような語義があり得るのだろうか.現在最も普通の形容詞である splendid に注目して語義の拡がりを確認しておきたい.
先月発売されたばかりの『ジーニアス英和辞典』第6版によると,次のように3つの語義が与えられている.
(1) 《やや古》すばらしい,申し分のない (excellent, great) || a splendid idea すばらしい考え / a splendid achievement 立派な業績 / We had a splendid time at the beach. ビーチですばらしい時を過ごした.
(2) 美しい,強い印象を与える (magnificent); 豪華な,華麗な || a splendid view 美しい眺め / a splendid jewel 豪華な宝石.
(3) 《やや古》[間投詞的に]すばらしい!,大賛成!.
splendid は,昨日の記事 ([2022-12-04-1]) でも触れたように,語源としてはラテン語の動詞 splendēre "to be bright or shining" に由来する.その形容詞 splendidus が,17世紀に英語化した形態で取り込まれたということである.原義は「明るい,輝いている」ほどだが,英語での初出語義はむしろ比喩的な語義「豪華な,華麗な」である.原義での例は,その少し後になってから確認される.さらに,時を経ずして「偉大な」「有名な」「すぐれた,非常によい」の語義も次々と現われている.19世紀後半の外交政策である in splendid isolation 「光栄ある孤立」に表わされているような皮肉的な語義・用法も,早く17世紀に確認される.このような語義の通時的発展と共時的拡がりは,いずれもメタファー (metaphor),メトニミー (metonymy),良化 (amelioration),悪化 (pejoration) などの観点から理解できるだろう.参考までに OED の語義区分を挙げておく.
1.[ 固定リンク | 印刷用ページ ]
a. Marked by much grandeur or display; sumptuous, grand, gorgeous.
b. Of persons: Maintaining, or living in, great style or grandeur.
2.
a. Resplendent, brilliant, extremely bright, in respect of light or colour. rare.
b. Magnificent in material respects; made or adorned in a grand or sumptuous manner.
c. Having or embodying some element of material grandeur or beauty.
d. In specific names of birds or insects.
3.
a. Imposing or impressive by greatness, grandeur, or some similar excellence.
b. Dignified, haughty, lordly.
4. Of persons: Illustrious, distinguished.
5. Excellent; very good or fine.
6. Used, by way of contrast, to qualify nouns having an opposite or different connotation. splendid isolation: used with reference to the political and commercial uniqueness or isolation of Great Britain; . . . .
つい先日,ゼミの学生と「クジラ構文」の発祥について議論になった.そのときは,調べてみる価値があるね,おもしろそうだね,と話していた.そもそも「クジラ構文」とは,いかにも日本の英語教育(受験英語業界)に特有の jargon ぽい.ある段階で不動の地位を得たのだろうなと思っていたのだが,導入したのは斎藤秀三郎先生の Practical English Grammar (1898--99) らしい.斎藤浩一著『日本の「英文法」ができるまで』の p. 112 に次のようにあった.前後の文脈も合わせて引用する.
つづく形容詞論,副詞論においても,従来の枠組みや形式規則群が踏襲されたうえで,これに含まれる個別表現の意味が重視された.例えば「不定」を表す certain や some, any の違いのほか,(a) few や (a) little の用法,さらには every, each, all, ever, always, since, ago, often, either, nearly, almost, still, same などの用法がその類義語と対比されるかたちで解説されたのである.
くわえて,例えば形容詞 other の用法と連動して,'one after the other' や 'one after another' などの表現が紹介されたことに象徴されるように,個々の表現に関連するイディオムや構文も大量に体系化されることになった.この結果,現代のわれわれにとってもなじみ深い 'would rather A than B' や 'no / not more /less than' をはじめ,'A whale is no more a fish than a horse is.', 'He saves what little money he earns.' といった定番の例文も導入された
日本の英文法史に燦然と輝くクジラ構文の登場である.
こうしたものを「定番構文」とくくってみると,改めてその具体性に驚く.暗記すべき1つの構文として目の前に現われるので,影響力が大きいのだ.「英語の規範文法」という概念こそ18世紀イングランドからの借り物だが,それ自体は大雑把で抽象的である.それを,斎藤秀三郎流の「イディオモモロジー」という装置に流し込むと,ミンチのように細かくされ,個々の具体的な「定番構文」となって出てくる.ここまで具体的な単位に落とし込まない限り,英語を母語としない学習者にとって「規範文法」などをまともに学ぶことはできないだろう.そんな日本人学習者の心理を汲み取って斎藤秀三郎が定式化した数々の「定番構文」の最も有名なものの1つ,それが「クジラ構文」なのではないか.
・ 斎藤 浩一 『日本の「英文法」ができるまで』 研究社,2022年.
「#1904. 形容詞の no と副詞の no は異なる語源」 ([2014-07-14-1]) でみたように,副詞の no の起源をたどると原義は "never" に近い.副詞の no といえば yes/no の no を挙げれば通りがよさそうだが,先の記事の例文で示したとおり,別の使い方もある.
例えば Their way of life is no different from ours. や I am no good at tennis. のような,特定の形容詞が叙述的に用いられる場合に,それを否定する副詞 no が用いられることがある.しかし,これはきわめて慣用的な例であり,どんな叙述形容詞を否定する際にも no が用いられるわけではない.
典型的な副詞としての no の用例は,形容詞の比較級と絡むものが多い.no better, no longer, no more などの例から,すぐに理解できるだろう.これらは実質的な意味としては as good, as short, as little と同等となる点が重要である.
no といえば no one, no problem, no way のように形容詞として用いられる場合があり,むしろ形容詞の比較級と結びつく副詞としての no の兼任については,言われてハッとする向きもあるかもしれない.しかし,この点でさらなる驚きをもって気づかされるのは,the というすぐれて形容詞(冠詞)的な語が,やはり形容詞の比較級とタッグを組んで「その分だけ」の意味で副詞的に用いられることとの平行関係である.詳しくは「#811. the + 比較級 + for/because」 ([2011-07-17-1]),「#812. The sooner the better」 ([2011-07-18-1]) を参照されたい.
このことに気づかせてくれたのは,Quirk et al. (§10.58) のきわめて短いコメントである.
Except for a few fixed phrases (no good, no different), the adverb no modifies adjectives only when they are comparatives (by inflection or by periphrasis): no worse, no tastier, no better behaved, no more awkward, no less intelligent. (Compare the positive with the: He is the worse for it.)
no と the は平行的なのか! この視点はありそうでなかった.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
英語の動詞 (verb) に関するカテゴリーの1つに定性 (finiteness) というものがある.動詞の定形 (finite form) とは,I go to school. She goes to school. He went to school. のような動詞 go の「定まった」現われを指す.一方,動詞の非定形 (nonfinite form) とは,I'm going to school. Going to school is fun. She wants to go to school. He made me go to school. のような動詞 go の「定まっていない」現われを指す.
「定性」という用語がややこしい.例えば,(to) go という不定詞は変わることのない一定の形なのだから,こちらこそ「定」ではないかと思われるかもしれないが,名実ともに「不定」と言われるのだ.一方,goes や went は動詞 go が変化(へんげ)したものとして,いかにも「非定」らしくみえるが,むしろこれらこそが「定」なのである.
この分かりにくさは finiteness を「定性」と訳したところにある.finite の原義は「定的」というよりも「明確に限定された」であり,nonfinite は「非定的」というよりも「明確に限定されていない」である.例えば He ( ) to school yesterday. という文において括弧に go の適切な形を入れる場合,文法と意味の観点から went の形にするのがふさわしい.ふさわしいというよりは,文脈によってそれ以外の形は許されないという点で「明確に限定された」現われなのである.
別の考え方としては,動詞にはまず GO や GOING のような抽象的,イデア的な形があり,それが実際の文脈においては go, goes, went などの具体的な形として顕現するのだ,ととらえてもよい.端的にいえば finite は「具体的」で,infinite は「抽象的」ということだ.
言語学的にもう少し丁寧にいえば,動詞の定性とは,動詞が数・時制・人称・法に応じて1つの特定の形に絞り込まれているか否かという基準のことである.Crystal (224) の説明を引用しよう.
The forms of the verb . . . , and the phrases they are part of, are usually classified into two broad types, based on the kind of contrast in meaning they express. The notion of finiteness is the traditional way of classifying the differences. This term suggests that verbs can be 'limited' in some way, and this is in fact what happens when different kinds of endings are used.
・ The finite forms are those which limit the verb to a particular number, tense, person, or mood. For example, when the -s form is used, the verb is limited to the third person singular of the present tense, as in goes and runs. If there is a series of verbs in the verb phrase, the finite verb is always the first, as in I was being asked.
・ The nonfinite forms do not limit the verb in this way. For example, when the -ing form is used, the verb can be referring to any number, tense, person, or mood:
I'm leaving (first person, singular, present)
They're leaving (third person, plural, present)
He was leaving (third person, singular, past)
We might be leaving tomorrow (first person, plural, future, tentative)
As these examples show, a nonfinite form of the verb stays the same in a clause, regardless of the grammatical variation taking place alongside it.
なお,英語には冠詞にも定・不定という区別があるし,古英語には形容詞にも定・不定の区別があった.これらのカテゴリーに付けられたラベルは "finiteness" ではなく "definiteness" である.この界隈の用語は誤解を招きやすいので要注意である.
・ Crystal, D. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 3rd ed. CUP, 2018.
昨日の記事「#4837. worth, (un)like, due, near は前置詞ぽい形容詞」 ([2022-07-25-1]) に引き続き,worth の品詞分類の問題について.Huddleston and Pullum (607) によると,まず worth が例外的な形容詞であるとの記述が見える.
As an adjective, . . . worth is highly exceptional. Most importantly for present purposes, it licenses an NP complement, as in The paintings are [worth thousands of dollars]. In this respect, it is like a preposition, but overall the case for analysing it as an adjective is strong.
では,Huddleston and Pullum は何をもって worth がより形容詞的だと結論づけているのだろうか.まず,機能的な特性として2点を指摘している.1つは,典型的な形容詞らしく become の補語になれるということ.もう1つは,(分詞構文的に)述語として機能できるということである.それぞれ以下の2つの例文によって示される,前置詞ではあり得ない芸当ということだ.
・ What might have been a $200 first edition suddenly became [worth perhaps 10 times that amount].
・ [Worth over a million dollars,] the jewels were kept under surveillance by a veritable army of security guards.
一方,比較変化および修飾という観点からみると,worth は形容詞らしくない.It was more worth the effort than I'd expected it to be. のような比較級の文は可能ではあるが,worth それ自体の意味について比較しているのかどうかについては議論がある.同様に,It was very much worth the effort. のように worth が強調されているかのような文はあり得るが,この強調は本当に worth の程度を強調しているのだろうか,議論があり得る.
もう1つ,精妙な統語論的な分析がある.worth が前置詞であれば関係代名詞の前に添えることができるが,形容詞であれば難しいと予想される.そして,その予想は当たっているのだ.
・ This was far less than the amount [which she thought the land was now worth].
・ *This was far less than the amount [worth which she thought the land was now].
上記を検討した上で総合的に評するならば,worth は典型的な形容詞とはいえず,前置詞的な特徴を持つものの,それでもどちらかといえば形容詞だ,ということになりそうだ.奥歯に物が挟まった言い方であることは承知しつつ.
・ Huddleston, Rodney and Geoffrey K. Pullum, eds. The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: CUP, 2002.
先日 khelf(慶應英語史フォーラム)内で,worth は形容詞か前置詞かという問題が議論された.歴史的には古英語の形容詞・名詞 w(e)orþ に遡ることが分かっているが,現代英語の worth を共時的に分析するならば,どちらの分析も可能である.
まず,「価値がある」という明確な語彙的な意味をもち,「価値」の意味をもつ対応する名詞もあることから,形容詞とみるのが妥当という意見がある.一方,後ろに原則として補語(目的語)を要求する点で前置詞のような振る舞いを示すことも確かだ.実際に,いくつかの英和辞書を参照すると,形容詞と取っているものもあれば,前置詞とするものもある.
一般に英語学では,このような問題を検討するのに prototype のアプローチを取る.典型的な形容詞,および典型的な前置詞に観察される言語学的諸特徴をあらかじめリストアップしておき,問題の語,今回の場合であれば worth について,どちらの品詞の特徴を多く有するかによって,より形容詞的であるとか,より前置詞的であるといった判断をくだすのである.
この分析自体がなかなかおもしろいのだが,当面は worth を,後ろに補語を要求するという例外的な特徴をもつ「異質な」形容詞とみておこう.Huddleston and Pullum (546--47) によれば,似たような異質な形容詞の仲間として (un)like と due がある.以下の例文で,角括弧に括った部分が,それぞれ補語を伴った形容詞句として分析される.
・ The book turned out to be [worth seventy dollars].
・ Jill is [very like her brother].
・ You are now [due $750]. / $750 is now [due you].
さらにこのリストに near も加えることができるだろう.
関連して「#947. 現代英語の前置詞一覧」 ([2011-11-30-1]),「#4436. 形容詞のプロトタイプ」 ([2021-06-19-1]),「#209. near の正体」 ([2009-11-22-1]) を参照.
品詞分類を巡る英語の問題としては,形容詞と副詞の区分を巡る議論も有名だ.これについては「#981. 副詞と形容詞の近似」 ([2012-01-03-1]),「#995. The rose smells sweet. と The rose smells sweetly.」 ([2012-01-17-1]),「#1354. 形容詞と副詞の接触点」 ([2013-01-10-1]),「#2441. 副詞と形容詞の近似 (2) --- 中英語でも困る問題」 ([2016-01-02-1]) などを参照.
・ Huddleston, Rodney and Geoffrey K. Pullum, eds. The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: CUP, 2002.
一昨日,YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の第42弾が公開されました.「英語の比較級・最上級はなぜ多様なのか?」と題して,英語の比較級・最上級の形式の歴史についてお話ししています.
英語を含む印欧諸語では日本語と異なり,形容詞や副詞に比較級 (comparative degree) や最上級 (superlative degree) といった「級」の文法カテゴリーがあります.比較・最上の概念が文法化 (grammaticalisation) されているのです.そのため英語では比較に関する語法や構文が様々に発達しています.
形式に注目しても,例えば比較級は -er 語尾を付けるもの,more を前置するもの,better や worse のように補充法 (suppletion) に訴えるものなど,種類が豊富です.
このように「級」については英語史・英語学的に論点が多いこともあり,hellog その他でもしばしば関連する話題に触れてきました.以下はこの問題に関心をもった方へのお薦め記事・放送です.より広く記事を読みたい方は comparison の記事群をどうぞ.
[ hellog 記事 ]
・ 「#3835. 形容詞などの「比較」や「級」という範疇について」 ([2019-10-27-1])
・ 「#3843. なぜ形容詞・副詞の「原級」が "positive degree" と呼ばれるのか?」 ([2019-11-04-1])
・ 「#3844. 比較級の4用法」 ([2019-11-05-1])
・ 「#4616. 形容詞の原級と比較級を巡る意味論」 ([2021-12-16-1])
・ 「#403. 流れに逆らっている比較級形成の歴史」 ([2010-06-04-1])
・ 「#2346. more, most を用いた句比較の発達」 ([2015-09-29-1])
・ 「#2347. 句比較の発達におけるフランス語,ラテン語の影響について」 ([2015-09-30-1])
・ 「#3032. 屈折比較と句比較の競合の略史」 ([2017-08-15-1])
・ 「#3349. 後期近代英語期における形容詞比較の屈折形 vs 迂言形の決定要因」 ([2018-06-28-1])
・ 「#3617. -er/-est か more/most か? --- 比較級・最上級の作り方」 ([2019-03-23-1])
・ 「#3618. Johnson による比較級・最上級の作り方の規則」 ([2019-03-24-1])
・ 「#4234. なぜ比較級には -er をつけるものと more をつけるものとがあるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-11-29-1])
・ 「#4442. 2音節の形容詞の比較級は -er か more か」 ([2021-06-25-1])
・ 「#4495. 『中高生の基礎英語 in English』の連載第6回「なぜ形容詞の比較級には -er と more があるの?」」 ([2021-08-17-1])
[ heldio & hellog-radio (← heldio の前身) ]
・ hellog-radio 「#46. なぜ比較級には -er をつけるものと more をつけるものとがあるのですか?」
・ heldio 「#97. unhappyの比較級に -er がつくのは反則?」
今日はクロスポスト的な記事で新味がなくてすみません.それでも意味変化 (semantic_change) の観点から大事な話題なので,こちらでも取り上げる次第です.
この2ヶ月ほど「Mond」という質問サイトにて,英語史に関連のある質問に回答するということを行なってきました.最近の質問として,次の興味深い問いが寄せられてきました.
凄い(すごい)という言葉には
・ぞっとするほど恐ろしい
・並外れている.たいそうな.
という2つの意味がありますが,後者の意味で主に用いられている印象です.英語や他の言語にも失われつつある意味を持つ単語はあるのでしょうか?
これは,まさに古今東西の言語に普遍的な意味変化のパターンに関する質問です.強意語 (intensifier) は,使われすぎると強意がすり減って逓減していくものなので,新たに強意を表わす表現が常に求められるのです.新たな強意語のソースは,いろいろとあるのですが,その典型の1つが「否定的な感情語」です.怖い,おぞましい,痛い,苦しい,というホラー用語は,どうしても強調語になりやすいのですね.それは,なぜか? 10秒ほど考えれば分かると思います.あの負の感情が10秒続いたら,ちょっと参りますよね・・・
上記の質問を受けて,こんな感じで回答しました.
とても身近でおもしろい指摘,ありがとうございます.「すごい」に2つの意味があるというのは,それぞれの用例をみれば明らかですね.例えば「すごい目つき」といえば「恐ろしい」の意味だとわかりますし,「すごい美人」といえば「並外れた」の意味だとわかります.この2つの意味をざっくり区別するならば,「恐ろしい」は感情の種類・質に関する意味で,「並外れた」は物事の程度・量に関する意味ということになります.歴史的には前者から後者が派生しているので,質から量への意味変化と言っておいてよいかと思います.
この「質から量への意味変化」というのは,かなり普遍的なようです.とりわけ「恐ろしい」「痛い」「ひどい」といった否定的な感情・知覚を表わす形容詞・副詞は,しばしば感情の質そのものよりも,その感情の程度の甚だしさが注目され,結果として単なる強調表現になり下がるということが,よくあるパターンのようです.
日本語の「恐ろしく優しい」「痛く感心した」「ひどく喜んだ」のような例から分かる通り,文字通りの否定的な質の意味で解釈すると,むしろ矛盾するような表現もありますね.すでに量の意味になり下がっているということだと思います.
英語からも類例がいくらでも挙がります.terrible/terribly の語幹は terror 「恐怖」と同一ですが,本来の「恐ろしい/恐ろしく」の意味で使われることは少ないです (ex. a terrible weapon 「恐ろしい武器」) .むしろ,程度の激しいことを示すだけの強調語として in a terrible hurry 「非常に急いで」のように使うことのほうが多いです.質から量への意味変化が生じたもう1つの例ですね.
ほかには amazingly, awfully, desperately, dreadfully, horribly, marvellously, sorelyなど感情に起因する副詞は,強調語になり下がる例が多いようです.
おっしゃるとおり,これらの語では,本来の質的な意味は希薄になってしまい,ほとんどの場合,量的な意味で強調語として用いられるに至ったのだと思います.
いずれの言語でも,並行的な現象が見られるというのは,たいへん面白いですね.ありがとうございました.
関連して,英語に関する話題ではありますが,筆者によるこちらの記事をご覧ください.
鋭い質問は学びの基本だと思います.よく答えるよりもよく問うほうが圧倒的に難しいです.もう1週間で新年度が始まりますが,とりわけ新大学生は大学生活のなかで「問う方法」こそを習得してください!
強意語に関しては,以下の記事や intensifier もご参照ください.
・ 「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1])
・ 「#1220. 初期近代英語における強意副詞の拡大」 ([2012-08-29-1])
・ 「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1])
・ 「#2190. 原義の弱まった強意語」 ([2015-04-26-1])
・ 「#4236. intensifier の分類」 ([2020-12-01-1])
一昨日の記事「#4652. any が「どんな?でも」を表わせるように either は「いずれの?でも」を表わせる」 ([2022-01-21-1]) でもすでに取り上げましたが,標記は目下私のゼミを中心とする khelf (= Keio History of the English Language Forum) メンバーの間で熱い議論の対象となっている問題です.
either は,2者のうちのいずれかを選ぶ「片方」の意味を表わすというイメージが強いと思いますが,実は「両方」の意味を表わすケースもあるという問題です.一種の contronym の例といえます.
『コンパスローズ英和辞典』の either より,それぞれに対応する語義1と語義2を引用しましょう.
--- (形)[単数形の名詞につけて]
(1) (2つ[2人]のうち)どちらか(一方)の;どちらの…でも,どちらでも任意の
Take either apple.|どちらかのりんごを取りなさい
You may invite either boy.|どちらの少年を招待しても結構です.
. . . .
(3) どちらの…も,両方の
There was a chair at either end of the long table.|長いテーブルの両端にそれぞれいすが置かれていた.
(語法)3の意味では特に side, end, hand など対を表わす名詞と用いるが, 次の例のように both(+複数名詞)や each(+単数名詞)を用いることも多い.both は「両方」を同時にまとめて,either, each は「片方」 ずつそれぞれを個別に捉える感じとなる
There were chairs at both ends of the long table.
There was a chair at each end of the long table.
either A or B という高頻度の相関表現がありますし,一般には (1) こそが either の原義だと捉えられていると思いますが,歴史的にみれば驚くことに (3) のほうが古いのです.OED によれば,(3) は古英語から普通に見られる語義ですが,(1) は中英語後期になってようやく現われる新参語義です.
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか.よく似た形態の outher という語とややこしい関係に陥ってしまったという事情があるようです.関連して「#945. either の2つの発音」 ([2011-11-28-1]) もご参照ください.
Any child can do that. という文は「どんな子供でもそれができる」の意を表わします.力点の置き方は異なりますが,基本的な意味としては All children can do that. とおよそ同等です.
平行的な例を挙げます.Either way will do. という文は「いずれのやり方でもうまく行きます」の意を表わします.力点の置き方は異なりますが,基本的な意味としては Both ways will do . とおよそ同等です.
特に2つめの either と both を用いた例文ペアが同義で用いられ得るというのは,なかなかの驚きではないでしょうか.というのは,私たちは either (A or B) と both (A and B) は対義表現であると信じ込まされてきたからです.しかし,この2つは文脈によってはむしろ類義表現というべきものになり得るのです.
either は,一般には2つあるものの「いずれか」「片一方」を意味すると理解されていますが,実は「いずれの○○でも(よい)」という関連する語義からは「○○の両方であっても(よい)」の解釈が生じ得ます.論理学の喩えでいえば,or には「排他的選言」 (exclusive disjunction) と「非排他的選言」 (inclusive disjunction) の両義があることに相当するでしょうか.
ということで,多少のニュアンスの違いはありながらも,either は both でパラフレーズできてしまうケースがあるのです.例えば,次の例を参照.
・ Unfortunately I was sitting at the table with smokers on either side of me.
・ Unfortunately I was sitting at the table with smokers on both sides of me.
この either vs both の意味論的緊張関係は,any vs all の緊張関係とパラレルです.前者は2つのものについて,後者は3つ以上のものについて,という違いがあるだけです (cf. Quirk et al. §6.61).言い換えれば,前者は意味論的に両数あるいは双数 (dual) の性質をもっているということです.
印欧語の数カテゴリーの重要なメンバーだった両数は,英語にも化石的な形ではありますが,所々に痕跡を残しています.both, either, neither, other, whether など -er をもつものが多いですね (cf. 「#3005. or の語源」 ([2017-07-19-1])) .
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
この素朴な疑問は私も長らくナゾだったのですが,最近ゼミの学生に指摘してもらう機会があり,改めて考え出した次第です.fire に派生接尾辞 -y を付すのであれば,そのまま *firy でよさそうなものですが,なぜ fiery となるのでしょうか.expire → expiry, mire → miry, spire → spiry, wire → wiry などの例はあるのですが,fire → fiery のタイプは他に例がないようなので,ますます不思議です.
暫定的な答え,あるいはヒントとしては,近代英語期に fire が1音節ではなく2音節で,fiery が2音節ではなく3音節で発音されたことが関係するのではないかと睨んでいます.
教科書的にいえば,中英語の [fiːr], [ˈfiː ri] は大母音推移 (gvs) を経て各々 [fəɪr], [ˈfəɪ ri] へ変化しました.長母音が2重母音に変化しただけで,音変化の前後でそれぞれ音節数に変化はありませんでした.
しかし,語幹末の r の影響で,その直前に渡り音として曖昧母音 [ə] が挿入され,それが独立した音節の核となるような発音が,初期近代英語期には変異形として存在したようなのです.要するに fi-er, fi-e-ry のようなプラス1音節の異形態があったということです.似たような音構成をもつ語について,その旨の報告が同時代からあります.Jespersen (§11.11)の記述を見てみましょう.
The glide before /r/ was even before that time [= 1588 or †1639] felt as a distinct vowel-sound [ə], especially after the new diphthongs that took the place of /iˑ, uˑ/. This is shown by the spelling in some cases after ow: shower < OE scūr bower < OE būr . cower < Scn kūra . lower by the side of lour < Scn lūra 'look gloomy'. tower < F tour; cf. on flower and flour 3.49. Thus also after i in brier, briar, frier, friar, ME brere, frere; fiery, fierie, fyeri (from the 16th c.) for earlier fyry, firy. The glide-vowel [ə] is also indicated by Hart's phonetic spellings 1569: [feiër/ fire (as /heiër/) higher) . /meier/ mire /oˑer/ oar . [piuër] pure . /diër/ dear . [hier/ here (hie r, which also occurs, many be a misprint).
要するに,fire の形容詞形に関する限り,もともとは発音上2音節であり,綴字上も2音節にみえる由緒正しい firy もあったけれども,初期近代英語期辺りには発音上渡り音が挿入されて3音節となり,綴字上もその3音節発音を反映した fiery が併用されたということのようです.そして,もとの名詞でも同じことが起こっていたと.
ところが,現代英語の観点から振り返ってみると,名詞では渡り音を反映していないかのような fire の綴字が標準として採用され,形容詞では渡り音を反映したかのような fiery の綴字が標準として採用されてしまったように見えます.どうやら,英語史では典型的な(というよりも,お得意の)「ちぐはぐ」が,ここでも起こってしまったということではないでしょうか.
あるいは,意味上の「激しさ」つながりで連想される形容詞 fierce との綴字上の類推 (analogy) もあったかもしれないと疑っています.いかがでしょうか.
上の引用でも触れられていますが,flower と flour が,同語源かつ同じ発音でありながらも,異なる綴字に分化した事情と,今回の話題は近いように思われます.「#183. flower と flour」 ([2009-10-27-1]),「#2440. flower と flour (2)」 ([2016-01-01-1]),および 「flower (花)と flour (小麦粉)は同語源!」 (heldio) も参照ください.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.
昨日の記事「#4649. 可算名詞と不可算名詞の区別はいつ生まれたのか?」 ([2022-01-18-1]) と関連して,ゼミ大学院生が興味深い疑問を振ってくれたので,ここで考えてみたい.
通常,抽象名詞は不可算名詞として不定冠詞 a(n) を取らないが,形容詞で修飾される場合には具体性を帯び,不定冠詞を伴うことがあるといわれる.例を挙げれば,"Ours was a very happy marriage." "The book was a great success." のようなケースである.
一方,形容詞を伴っても原則として不定冠詞を取らない「頑固な抽象名詞」もある.院生が言及してくれた『ロイヤル英文法』 (93) を参照していみると,次の語が列挙されていた.確かに good advice, remarkable progress, bitter weather などと不定冠詞は取らない.
advice, applause, behavior, conduct, damage, fun, harm, homework, information, luck, music, news, nonsense, progress, weather, wisdom, work
この辺りの問題には合理的な説明を施すことは難しいようだ.Quirk et al. (§5.59)によると,不定冠詞が付き得る例文が3つ挙げられている.
Mavis had a good education.
My son suffers from a strange dislike of mathematics. <ironic>
She played the oboe with (a) remarkable sensitivity.
このようなケースで不定冠詞が付き得る条件ははっきりしておらず,あくまで次のような場合には付きやすいという緩い傾向が指摘できるにとどまる.
(i) the noun refers to a quality or other abstraction which is attributed to a person;
(ii) the noun is premodified and/or postmodified; and, generally speaking, the greater the amount of modification, the greater the acceptability of a/an.
標題が相当に難しそうな問題であることが分かってきた.
・ 綿貫 陽(改訂・著);宮川幸久, 須貝猛敏, 高松尚弘(共著) 『徹底例解ロイヤル英文法』 旺文社,2000年.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
昨日の記事「#4629. Shakespeare の2重比較級・最上級の例」 ([2021-12-29-1]) で,現代英語の規範文法では許容されない2重比較級・最上級が Shakespeare によって使われていた事例を見た.
それとは異なるタイプだが,現代では普通 more, most を前置する迂言形が用いられるところに Shakespeare では -er, -est を付す屈折形が用いられていた事例や,その逆の事例も観察される.さらには,現代では比較級や最上級になり得ない「絶対的」な意味をもつ形容詞・副詞が,Shakespeare ではその限りではなかったという例もある.現代と Shakespeare には400年の時差があることを考えれば,このような意味・統語論的な変化があったとしても驚くべきことではない.
Shakespeare と現代の語法で異なるものを Crystal and Crystal (88--90) より列挙しよう.
[ 現代英語では迂言法,Shakespeare では屈折法の例 ]
Modern comparative | Shakespearian comparative | Example |
---------------------- | ----------------------------- | ----------- |
more honest | honester | Cor IV.v.50 |
more horrid | horrider | Cym IV.ii.331 |
more loath | loather | 2H6 III.ii.355 |
more often | oftener | MM IV.ii.48 |
more quickly | quicklier | AW I.i.122 |
more perfect | perfecter | Cor II.i.76 |
more wayward | waywarder | AY IV.i.150 |
Modern superlative | Shakespearian superlative | Example |
---------------------- | ----------------------------- | --------------- |
most ancient | ancient'st | WT Iv.i10 |
most certain | certain'st | TNK V.iv.21 |
most civil | civilest | 2H6 IV.vii.56 |
most condemned | contemned'st | KL II.ii.141 |
most covert | covert'st | R3 III.v.33 |
most daring | daring'st | H8 II.iv.215 |
most deformed | deformed'st | Sonn 113.10 |
most easily | easil'est | Cym IV.ii.206 |
most exact | exactest | Tim II.ii.161 |
most extreme | extremest | KL V.iii.134 |
most faithful | faithfull'st | TN V.i.112 |
most foul-mouthed | foul mouthed'st | 2H4 II.iv.70 |
most honest | honestest | AW III.v.73 |
most loathsome | loathsomest | TC II.i.28 |
most lying | lyingest | 2H6 II.i.124 |
most maidenly | maidenliest | KL I.ii.131 |
most pained | pained'st | Per IV.vi.161 |
most perfect | perfectest | Mac I.v.2 |
most ragged | ragged'st | 2H4 I.i.151 |
most rascally | rascalliest | 1H4 I.ii.80 |
most sovereign | sovereignest | 1H4 I.iii.56 |
most unhopeful | unhopefullest | MA II.i.349 |
most welcome | welcomest | 1H6 II.ii.56 |
most wholesome | wholesom'st | MM IV.ii.70 |
Modern comparative | Shakespearian comparative | Example |
---------------------- | ----------------------------- | --------------- |
greater | more great | 1H4 IV.i77 |
longer | more long | Cor V.ii.63 |
nearer | more near | AW I.iii.102 |
Modern word | Shakespearian comparison | Example |
---------------------- | ----------------------------- | --------------- |
chief | chiefest | 1H6 I.i.177 |
due | duer | 2H4 III.ii.296 |
just | justest | AC II.i.2 |
less | lesser | R2 II.i.95 |
like | liker | KJ II.i.126 |
little | littlest [cf. smallest] | Ham III.ii.181 |
rather | ratherest | LL IV.ii.18 |
very | veriest | 1H4 II.ii.23 |
worse | worser [cf. less bad] | Ham III.iv.158 |
本ブログの以下の記事で書いてきたが,Shakespeare が most unkindest cut of all (JC III.ii.184) のような,現代の規範文法では破格とされる2重最上級(および2重比較級 (double_comparative))を用いたことはよく知られている.実際には,Shakespeare がこのような表現をとりわけ頻用したわけではないのだが,使っていることは確かである.
・ 「#195. Shakespeare に関する Web resources」 ([2009-11-08-1])
・ 「#3615. 初期近代英語の2重比較級・最上級は大言壮語にすぎない?」 ([2019-03-21-1])
・ 「#3619. Lowth がダメ出しした2重比較級と過剰最上級」 ([2019-03-25-1])
では,Shakespeare は他のどのような2重比較級・最上級を使ったのか.Crystal and Crystal (88) が代表的な例を列挙してくれているので,それを再現したい.
[ Double comparatives ]
・ more better (MND III.i.18)
・ more bigger-looked (TNK I.i.215)
・ more braver (Tem I.ii.440)
・ more corrupter (KL II.ii.100)
・ more fairer (E3 II.i.25)
・ more headier (KL II.iv.105)
・ more hotter (AW IV.v.38)
・ more kinder (Tim IV.i.36)
・ more mightier (MM V.i.235)
・ more nearer (Ham II.i.11)
・ more nimbler (E3 II.ii.178)
・ more proudlier (Cor IV.vii.8)
・ more rawer (Ham V.ii.122)
・ more richer (Ham III.ii.313)
・ more safer (Oth I.iii.223)
・ more softer (TC II.ii.11)
・ more sounder (AY III.ii.58)
・ more wider (Oth I.iii.107)
・ more worse (KL II.ii.146)
・ more worthier (AY III.iii.54)
・ less happier (R2 II.i.49)
[ Double superlatives ]
・ most boldest (JC III.i.121)
・ most bravest (Cym IV.ii.319)
・ most coldest (Cym II.iii.2)
・ most despiteful'st (TC IV.i.33)
・ most heaviest (TG IV.ii.136)
・ most poorest (KL II.iii.7)
・ most stillest (2H4 III.ii.184)
・ most unkindest (JC III.ii.184)
・ most worst (WT III.ii.177)
このなかで more nearer の事例はおもしろい.語源を振り返れば,まさに3重比較級 (triple comparative) である.「#209. near の正体」 ([2009-11-22-1]), および「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」より「near はもともと比較級だった!」をどうそ.
・ Crystal, David and Ben Crystal. Shakespeare's Words: A Glossary & Language Companion. London: Penguin, 2002.
形容詞の原級 (positive degree) と比較級 (comparative degree) の意味論的な関係は一見すると自明のようにみえる.以下の (1) と (2) を比べてみよう.
(1) John is tall.
(2) John is taller than Peter.
原級を用いた基本的な文 (1) から,比較級を用いた応用的な文 (2) が二次的に派生されたかのようにみえる.しかし,事はそう簡単ではない.(1) はジョンは文句なしに背の高いことが含意されるが,(2) ではジョンはピーターより長身だが,二人ともさほど背が高くないケースにも使える.換言すれば,(1) の主題はジョンの絶対的身長であるのに対し,(2) の主題はジョンの相対的身長である.(2) は (1) から単純に派生されたものではなさそうだ.
次に,形容詞 tall の原級の意味に注目してみよう.上で (1) はジョンの絶対的身長を主題としていると述べたが,よく考えてみると,これも疑わしい.というのは,「背が高い」という性質は絶対的に規定されるものではなく,あくまで相対的に規定されるものだからだ.(1) が意味していることは,ジョンが平均的な人(あるいは大多数の人)よりも背が高いという事実であり,そこには比較が暗黙裏に持ち込まれているのである.同様に「象は大きい」「ネズミは小さい」も,それぞれ話者である人間のサイズを暗黙の基準としており「象は(人間よりも)大きい」「ネズミは(人間よりも)小さい」ほどを含意していると考えられる.
すると,tall の基本的な意味から taller の応用的な意味が二次的に派生されるというストレートな見方は改めなければならくなる.むしろ逆に taller の意味こそがプリミティヴであり,tall はそこから二次的に派生された意味であると理解しなければならなくなるだろう.まさに逆転の発想だ (Klein 2) .
しかし,意味論的に taller のほうが tall よりも基本的であるという見方は,直観に著しく反する.英語を含めた多くの言語で形態論的に無標なのは比較級ではなく原級のほうであり,実際「原級」という用語がこのことを示唆している (cf. 「#3843. なぜ形容詞・副詞の「原級」が "positive degree" と呼ばれるのか?」 ([2019-11-04-1])).
一見して何も問題がなさそうな tall と taller を巡る意味論が,思いのほか込み入っていることに気づくだろう.
・ Klein, Ewan. "A Semantics for Positive and Comparative Adjectives." Linguistics and Philosophy 4.1 (1980): 1--45.
今期の大学院の授業では Bennett and Smithers 版の The Land of Cokaygne を読んでいる.14世紀の写本に残る中英語テキストで,パラダイスの情景を描くパロディ作品である.パラダイスなので,いろいろとおもしろい描写があるのだが,建物が食べ物でできているというくだりがある.現代では童話などにもお菓子の家というモチーフがあり,いかにも甘そうなのだが,少なくとも中世イングランドでは甘いお菓子というわけではなさそうで,描写を眺める限り,肉や魚のパイだとか腸詰めだとか,どちらかというと塩気のある食べ物からなる建物の描写が目立つ.好みはあるだろうが,酒飲みには,こちらのほうがツマミとしておいしそうに読める.
その57行目に Fluren cakes beþ þe schingles alle と見える.「屋根板はすべて小麦粉の cakes である」という文だが,ここで2点指摘したい(以下,大学院生の講読担当者の解釈にも負っている).まず,ここでは cakes とあるが現代的な甘い「ケーキ」というよりは,それほど甘くもないかもしれない普通の「パン」を意味するように思われる.MED の cāke n. によると,第1語義は "A flat cake or loaf; also, an unbaked cake or loaf" とある.甘くないとも明記されてはいないが,現代人が期待する甘さではないだろうというのが私の見立てである.
次に Fluren に注目するが,これは小麦粉を意味する flour の形容詞形である.現代英語では *flouren は廃語となっており,普通は floury や floured が用いられる.英語史を通じても,名詞に対して -en 語尾を取るこの形容詞は稀のようで,MED でも OED でも,このテキストのこの箇所が唯一例となっている.MED の flouren adj. より,以下の通り.
?c1335(a1300) Cokaygne (Hrl 913)57 : Fluren cakes beþ þe scingles alle.
この -en 語尾とはいったい何か.これは「#1471. golden を生み出した音韻・形態変化」 ([2013-05-07-1]) で解説したように,素材や材質を表わす形容詞を作る接尾辞 (suffix) -en である.印欧語族の接尾辞のなかでも相当に古いものようで,ラテン語 -īnus,ギリシア語 -inos,サンスクリット語 -īna などにも同根辞を探り当てることができる.英語でも中英語期まではそこそこ生産的な接尾辞だったようだが,近代英語期以降は名詞がそのまま形容詞的に用いられるようになるという革新があり,-en による形容詞の語形成は衰退した.現在でも使われるものとして earthen, golden, wheaten, wooden, woolen などが挙げられるが,今回の *flouren は上記の例が唯一例のようで,しかも現代まで生き残っていない.
小麦粉のパンの屋根板であれば十分においしそうではあるが,甘さはさほど期待しないほうがよいのかなと思いつつ,当該の行を十分に賞味した.
・ Bennett, J. A. W. and G. V. Smithers, eds. Early Middle English Verse and Prose. 2nd ed. Oxford: OUP, 1968.
NHKラジオ講座「中高生の基礎英語 in English」の9月号のテキストが発売となりました.連載している「英語のソボクな疑問」も第6回となりましたが,今回の話題は「なぜ形容詞の比較級には -er と more があるの?」です.
これは素朴な疑問の定番といってよい話題ですね.短い形容詞なら -er,長い形容詞なら more というように覚えている方が多いと思いますが,何をもって短い,長いというのかが問題です.原則として1音節語であれば -er,3音節語であれば more でよいとして,2音節語はどうなのか,と聞かれるとなかなか難しいですね.同じ2音節語でも early, happy は -er ですが,afraid, famous は more を取ります.今回の連載記事では,この辺りの複雑な事情も含めて,なるべく易しく歴史的に謎解きしてみました.どうぞご一読を.
定番の話題ということで,本ブログでも様々な形で取り上げてきました.連載記事よりも専門的な内容も含まれますが,こちらもどうぞ.
・ 「#4234. なぜ比較級には -er をつけるものと more をつけるものとがあるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-11-29-1])
・ 「#3617. -er/-est か more/most か? --- 比較級・最上級の作り方」 ([2019-03-23-1])
・ 「#4442. 2音節の形容詞の比較級は -er か more か」 ([2021-06-25-1])
・ 「#3032. 屈折比較と句比較の競合の略史」 ([2017-08-15-1])
・ 「#2346. more, most を用いた句比較の発達」 ([2015-09-29-1])
・ 「#403. 流れに逆らっている比較級形成の歴史」 ([2010-06-04-1])
・ 「#2347. 句比較の発達におけるフランス語,ラテン語の影響について」 ([2015-09-30-1])
・ 「#3349. 後期近代英語期における形容詞比較の屈折形 vs 迂言形の決定要因」 ([2018-06-28-1])
・ 「#3619. Lowth がダメ出しした2重比較級と過剰最上級」 ([2019-03-25-1])
・ 「#3618. Johnson による比較級・最上級の作り方の規則」 ([2019-03-24-1])
・ 「#3615. 初期近代英語の2重比較級・最上級は大言壮語にすぎない?」 ([2019-03-21-1])
・ 「#456. 比較の -er, -est は屈折か否か」 ([2010-07-27-1])
形容詞・副詞の比較 (comparison) の話題は,本ブログでも様々に扱ってきた.現代英語でも明確に決着のついていない,比較級が -er (屈折比較)か more (句比較)かという問題の歴史的背景については,「#2346. more, most を用いた句比較の発達」 ([2015-09-29-1]),「#2347. 句比較の発達におけるフランス語,ラテン語の影響について」 ([2015-09-30-1]),「#3032. 屈折比較と句比較の競合の略史」 ([2017-08-15-1]),「#3617. -er/-est か more/most か? --- 比較級・最上級の作り方」 ([2019-03-23-1]),「#3703.『英語教育』の連載第4回「なぜ比較級の作り方に -er と more の2種類があるのか」」 ([2019-06-17-1]),「#4234. なぜ比較級には -er をつけるものと more をつけるものとがあるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-11-29-1]) などで取り上げてきた.
短い語には -er 語尾をつけ,長い語には more を前置きするというのが原則である.しかし,短くもあり長くもある2音節語については,揺れが激しくてきれいに定式化できない.実際,辞書や文法書をいろいろ繰ってみると,単語ごとにどちらの比較級の形式を取るのか普通なのかについて記述が微妙に異なるのである.今回は,ひとまず LGSWE の §7.7.2 を参照して,2音節の形容詞について考えてみたい.
2音節の形容詞がいずれの比較級の形式を採用するかは,その音韻形態的構成に大きく依存することが知られている.-y で終わるものについては,-er が普通のようだ.例を挙げると,
angry, bloody, busy, crazy, dirty, easy, empty, funny, gloomy, happy, healthy, heavy, hungry, lengthy, lucky, nasty, pretty, ready, sexy, silly, tidy, tiny
-y で終わる形容詞ということでいえば,何らかの接頭辞がついて3音節になっても,比較級に -er をとる傾向がある (ex. unhappier) .英語史の観点からは,250年ほど前には状況が異なっていたらしいことが注目に値する (cf. 「#3618. Johnson による比較級・最上級の作り方の規則」 ([2019-03-24-1])) .
一方 -ly で終わる形容詞は揺れが激しいようで,例えば early の比較級は earlier が普通だが,likely については more likely のほうが普通である.ほかに揺れを示す例としては,
costly, deadly, friendly, lively, lonely, lovely, lowly, ugly
などが挙げられる.同じく揺れを示し得るものとして,以下のように弱音節で終わる2音節の形容詞も挙げておこう.
mellow, narrow, shallow, yellow; bitter, clever, slender, tender; able, cruel, feeble, gentle, humble, little, noble, simple, subtle; sever, sincere; secure, obscure
両方の形式で揺れを示しているということは,一方から他方へと乗り換えが進んでいるということ,つまり変化の最中であることを(確証するわけではないが,少なくとも)示唆する.両形式の競合・併存はかれこれ1000年ほど続いているわけだが,いまだに結論が見えない.
・ Biber, Douglas, Stig Johansson, Geoffrey Leech, Susan Conrad, and Edward Finegan. Longman Grammar of Spoken and Written English. Harlow: Pearson Education, 1999.
標題は breath-taking や man-made の類いの複合形容詞を指す.第2要素として現在分詞をとる「N + V-ing 型」と過去分詞をとる「N + V-ed 型」の2種類がある.名詞と分詞になっている動詞との統語意味論的関係にはどのようなものがあるのだろうか.大石 (100--01) を参照し,各々の型について例を挙げる.合わせて,OED より初出年を括弧内に付す.
[ N + V-ing 型 ]
(1) N が V の目的語となる例
breath-taking (1840), man-eating (1607), fact-finding (1833), habit-forming (1899), time-consuming (1600), English-speaking (1798); self-defeating (1812), self-sacrificing (1654), self-respecting (1597)
(2) N が表面化していない前置詞の目的語となる例(以下では関与する前置詞を補う)
ocean-going [across] (1854), fist-fighting [with] (1950), law-abiding [by] (1839)
[ N + V-ed 型 ]
(3) "V-ed by [at, in, with] N" とパラフレーズできる関係(以下では関与する前置詞を補う)
moth-eaten [by] (c1400), self-taught [by] (1586), man-made [by] (1845), home-made [at] (1547), country-bred [in] (1620), star-spangled [with] (1600)
例を眺めてみると,複合形容詞の要素となる名詞と動詞(分詞)の統語的関係は,緩く多様であることが分かる.換言すれば,複合形容詞は,統語的に展開されたフレーズと比べると,要素間の意味関係が明示的でないともいえよう.もちろん,そのような明示性を多少犠牲にしつつ形式としてのコンパクトさを獲得していることこそが,複合形容詞の存在意義なのだろうとは思う.
今回取り上げたタイプの複合形容詞の歴史的な発生に関しては,上記例の初出年を眺める限り,近代英語のものがほとんどである.より早い中英語期から用いられている類例はどれだけあるのだろうか,探してみたくなった.
・ 大石 強 『形態論』 開拓社,1988年.
品詞 (part of speech = pos) というものは,最もよく知られている文法範疇 (category) の1つである.たいていの言語学用語なり英文法用語なりは,文法範疇につけられたラベルである.主語,時制,数,格,比較,(不)可算,否定などの用語が出てきたら,文法範疇について語っているのだと考えてよい.
英語の形容詞(および副詞)という品詞について考える場合,比較 (comparison) という文法範疇が話題の1つとなる.日本語などでは「比較」を文法範疇として特別扱いする慣習はなく,せいぜい格助詞「より」の用法の1つとして論じられる程度だが,印欧語族においては言語体系に深く埋め込まれた文法範疇として,特別視されることになっている.私はいまだにこの感覚がつかめていないのだが,英語学において比較という文法範疇が通時的にも共時的にも重要視されてきたことは確かである.
比較はまずもって形容詞(および副詞)の文法範疇ということだが,ある語が形容詞であるからといって,必ずしもこの範疇が関与するわけではない.本当に形容詞らしい形容詞は比較の範疇に適合するが,さほど形容詞らしくない形容詞は比較とは相容れない.逆に見れば,ある形容詞を取り上げたとき,比較の範疇に適合するかどうかで,形容詞らしい形容詞か,そうでもない形容詞かが判明する.これは,とりもなおさず形容詞に関するプロトタイプ (prototype) の問題である.
Crystal (92) が,形容詞のプロトタイプについて分かりやすい説明を与えてくれている.
The movement from a central core of stable grammatical behaviour to a more irregular periphery has been called gradience. Adjectives display this phenomenon very clearly. Five main criteria are usually used to identify the central class of English adjectives:
(A) they occur after forms of to be, e.g. he's sad;
(B) they occur after articles and before nouns, e.g. the big car;
(C) they occur after very, e.g. very nice;
(D) they occur in the comparative or superlative form e.g. sadder/saddest, more/most impressive; and
(E) they occur before -ly to form adverbs, e.g. quickly.
We can now use these criteria to test how much like an adjective a word is. In the matrix below, candidate words are listed on the left, and the five criteria are along the top. If a word meets a criterion, it is given a +; sad, for example, is clearly an adjective (he's sad, the sad girl, very sad, sadder/saddest, sadly). If a word fails the criterion, it is given a - (as in the case of want, which is nothing like an adjective: *he's want, *the want girl, *very want, *wanter/wantest, *wantly).
A B C D E happy + + + + + old + + + + - top + + + - - two + + - - - asleep + - - - - want - - - - -
The pattern in the diagram is of course wholly artificial because it depends on the way in which the criteria are placed in sequence; but it does help to show the gradual nature of the changes as one moves away from the central class, represented by happy. Some adjectives, it seems, are more adjective-like than others.
形容詞という文法範疇について,特にその比較という文法範疇については,以下の記事を参照.
・ 「#3533. 名詞 -- 形容詞 -- 動詞の連続性と範疇化」 ([2018-12-29-1])
・ 「#3835. 形容詞などの「比較」や「級」という範疇について」 ([2019-10-27-1])
・ 「#3843. なぜ形容詞・副詞の「原級」が "positive degree" と呼ばれるのか?」 ([2019-11-04-1])
・ 「#3844. 比較級の4用法」 ([2019-11-05-1])
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. Cambridge: CUP, 1995. 2nd ed. 2003. 3rd ed. 2019.
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