「#5576. 標準語の変遷と方言差を考える --- 日本語史と英語史の共通点」 ([2024-08-02-1]) で紹介した,今野真二氏による『日本語と漢字 --- 正書法がない言葉の歴史』(岩波新書)より.以下の序章での洞察は,実に傾聴に値する (6) .
本書においては「日本語の歴史」を,変化していないこと,一貫していると思われることの側からよみなおすことを試みたい.「日本語の歴史」の中で一貫していること,それは漢字によって日本語を文字化し,漢語を使っていることだ.
したがって,本書は「漢字・漢語」という「定点」を設定し,その定点から「日本語の歴史」を照射してみると何が見えてくるかを述べることを目的としていることになる.「何が見えてくるか」というと「漢字・漢語」が「日本語の歴史」の中でどう使われてきたか,ということを観察するように思われるかもしれない.もちろんそうした観察はしっかりする必要があるが,そうした観察をいわば超えて,「漢字・漢語」がどのように日本語という言語そのものの内部に入り,日本語に影響を与えてきたか,というところまで述べたい.
文字である漢字が日本語という一つの言語にそんなに影響を与えることがあるのか,と思われるかもしれないが,それがあった,ということを述べていきたいと考えている.
このように個別言語史を記述する際の視座として文字を基本に据えるというのは,ありそうでないことである.現代の言語学も言語史も不均衡なほどに音声を重視するからだ.
しかし,こと言語史に関する限り,過去の言語状態を知るためのメディアは,ほぼもっぱら文字だったことに注意する必要がある.とすれば,言語史を定点観測で記述するに当たって,その「定点」に文字を据えるのは自然のはずだ.使用されている文字種が歴史を通じて比較的安定しているような言語にあってはとりわけ,文字ベースの言語史というものは十分に構想し得る.さらにいえば,著者の述べるとおり,「言語のなかの文字」という外から内への目線ではなく,「文字からみる言語」という内から外への目線をもてば,新鮮な洞察が得られるに違いない.
上記の引用の「日本語」を「英語」に,「漢字・漢語」を「スペリング」に読み替えても,かなりの程度通用するのではないだろうか.
・ 今野 真二 『日本語と漢字 --- 正書法がない言葉の歴史』 岩波書店〈岩波新書〉,2024年.
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