[2011-05-15-1], [2011-08-24-1]に引き続き,標題の話題.両媒体の差異が絶対的なものではないことについては,[2009-12-13-1]の記事「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」で議論したが,一般的な理解としては,両者は対置されるとしておいて問題はないだろう.用語上の対立も,話し言葉と書き言葉,音声言語と文字言語,口頭言語と書記言語,口頭語と文章語,談話と文章など広く認められ,私たちの日常の意識のなかでも二つの媒体は明確に区別されている.
[2011-08-24-1]の記事で両媒体の特徴の違いを詳しく見たが,語用論的な特徴の指摘に偏っていたきらいがあるので,今回は言語形式上の特徴に焦点を当てて,差異を明らかにしたい.今回参考にしたのは『日本語概説』(204--06) で,日本語からの例を挙げるが,多くの項目は英語にもその他の言語にも対応するものが認められるだろう.
同著 (p. 206) でのまとめは,「話しことばがコミュニケーションのスピードと手軽さに優る社会生活上の利器であるならば,書きことばは高度な思想や深い文学的な妙味をつくりだす点に秀でた表現として,思索する人間の生活を支えている,と言えるであろう.」
メール,ツイッター,チャットなどの新種のコミュニケーションには,話しことばと書きことばの両方の特徴が混在しているといわれるが,上記の特徴を見比べてゆくと,確かにそのとおりだ.話しことばよろしく待遇表現には気を遣う側面もあるし,かといって互いに同じ場所にいるわけではないので,書きことばのように,指示語の使用は控えることが多い.文学的表現は必ずしも使わずとも,同音異義語や同音類義語を活用することはやぶさかではない.
・ 加藤 彰彦,佐治 圭三,森田 良行 編 『日本語概説』 おうふう,1989年.
昨日の記事「話し言葉と書き言葉 (2)」 ([2011-08-24-1]) の項目 (3) で,典型的にいって,書き言葉は話し言葉より分析的で論理的であると説明した.日本語であれ英語であれ標準的な書き言葉を身につけている者にとって,これは常識的に受け入れられるだろう.書き言葉のほうが正しく権威があるという文字文明のにおける直感は,論理的な思考を体現するとされる書籍,新聞,論文,契約書,法文書などへの信頼によっても表わされている.
文字の発明が人間の思考様式を変えたというのは結果としては事実だが,その因果関係,特に書き言葉の発展と論理的思考の発展の因果関係がどのくらい直接的であるかについては熱い議論が戦わされている.Kramsch (40--41) から引用する.
. . . as has been hotly debated in recent years, the cognitive skills associated with literacy are not intrinsic to the technology of writing. Although the written medium does have its own physical parameters, there is nothing in alphabet and script that would make them more suited, say, for logical and analytic thinking than the spoken medium. To understand why literacy has become associated with logic and analysis, one needs to understand the historical association of the invention of the Greek alphabet with Plato's philosophy, and the influence of Plato's dichotomy between ideas and language on the whole of Western thought. It is cultural and historical contingency, not technology per se, that determines the way we think, but technology serves to enhance and give power to one way of thinking over another. Technology is always linked to power, as power is linked to dominant cultures.
確かに,書き言葉のおかげで論理的思考が可能になったというのは全面的に間違いだとはいわないが,直接の因果関係を示すものではなさそうだ.書き言葉と論理的思考は互いに相性がよいことは確かだろうが,一方が必然的に他方を生み出したという関係にはないように思われる.両者のあいだに歴史的偶然のステップが何段階か入ってくる.引用にあるギリシア・アルファベットとプラトンの例で考えると,以下のようなステップが想定される.
(1) 紀元前1000年頃,ギリシア語に書き言葉(アルファベット)が伝えられた ([2010-06-24-1])
(2) 論理を重視するプラトン (427?--347?BC) の哲学がギリシアに現われた
(3) こうして偶然にギリシアで書き言葉と論理性が結びついた
(4) 両者は一旦結びつきさえすれば相性はよいので,その後はあたかも必然的な関係であるかのように見えるようになった
人類にとっての文字の発明 ([2009-06-08-1]) や,ある文化への書き言葉の導入は,歴史上常に革命的であると評価されてきた.例えば,[2010-02-17-1]の記事「外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」で取り上げたように,英語へはキリスト教伝来を背景にラテン語経由でローマン・アルファベットが,日本語へは仏教伝来を背景に中国語経由で漢字がそれぞれ導入され,両言語のその後の知的発展を方向づけた.しかし,文字の導入という技術移転そのものがその後の知的発展の直接の推進力だったわけではなく,アルファベットや漢字という文字が体現していた先行の知的文明を学び取ったことが直接の原動力だったはずである.文字はあくまで(しかし非常に強力な)媒体であり手段だったということだろう.「文字の導入はその後の知的発展にとって革命的だった」という謂いは,比喩として捉えておくのがよいのかもしれない.
このように考えると,昨日の記事の対立項 (3) の内容は,あくまで傾向を示すものであり,特定の時代や文化に依存する相対的なものであると考えるべきなのだろうか.
・ Kramsch, Clair. Language and Culture. Oxford: OUP, 1998.
話し言葉 (speech) と書き言葉 (writing) の対立についての話題は,[2011-05-15-1]の記事「話し言葉と書き言葉」などで取り上げた.また,両者の境は絶対的なものではなく,orality と literacy の特徴はある程度互いに乗り入れ可能であることについて,[2009-12-13-1]の記事「話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」で論じた.
しかし,話し言葉 (以降 S) と書き言葉 (以降 W) の対置は,W を習得している者にとっては,言語媒体の違いとして自明であるように思える.典型的な S (会話)と W (説明文章)のあいだにどのような特徴の差異があるのかについては,一度ゆっくり考えてみないとすぐには答えが出ないかもしれない.Kramsch (37--41) を参考に,7点の対立項を取り上げよう.
(1) S は一時的 (transient) だが,W は永続的 (permanent) である.
W のこの特徴により,W は S よりも大きな権威を帯びる.時空を超えて情報を蓄積・伝達することができるし,書かれている内容そのものも同様に永続的であるという幻想を抱かせるからである.
(2) S は追加的で感情的 (additive and rhapsodic) だが,W は整然と結束 (ordered and cohesive) している.
S では対話が交互の発話により積み上げ式に展開するが,対話という形式をもたない W でははじめから高度な結束をもった情報構造が求められる.S はその場で即興で,W はあらかじめ準備して,という差異とも関連する.
(3) S は社会性が強く交感的 (aggregative and phatic) だが,W は分析的で論理的 (analytic and logical) である.
S では話者間の雰囲気作りを目的とする表現が多くなるが,W では内容について分析し思考することに集中する表現が多い.
(4) S は余剰的 (redundant) だが,W は非余剰的 (non-redundant) である.
(1) の特徴ゆえに,S は話し手と聞き手に短期記憶を強いらざるをえず,誤解を避けるために繰り返しや言い換えが多用される.一方で,W はそのような短期記憶に配慮する必要がないので,むしろ余剰的であることを避ける傾向がある.
(5) S は文法的に緩んでおり語彙的に希薄 (grammatically loose and lexically sparse) だが,W は文法的に引き締まっており語彙的に凝縮されて (grammatically compact and lexically dense) いる.
S の「その場で即興で」という性質に対応して,S では後の修正を前提として文法的にも語彙的にも隙を作っておくのが適切である.一方で,W の「あらかじめ準備して」という性質に対応して,W では最初から隙を作らない密度の高い文章を作っておくのが適切である.
(6) S は人中心 (people-centered) だが,W は話題中心 (topic-centered) である.
S では話題そのものだけでなく聞き手の感情などにも配慮する必要があるが,W では話題を正確に伝達することに集中できる.
(7) S は文脈依存的 (context dependent) だが,W は文脈減少的 (context-reduced) である.
S では文脈がすぐ手近にあるので,それに頼る傾向がある.一方で,W は書いている時点での文脈が読むときには失われている(文脈の鍵が減少している)ことが多いため,文脈に依存しにくい.
対立項をブレストすれば,この7項目以外にもいろいろと出てくるだろう.実際に授業で何度かブレストしてみたが,おもしろかった.
・ Kramsch, Clair. Language and Culture. Oxford: OUP, 1998.
私は英語でも日本語でも Netspeak を常用してはいないが,インターネットという技術革新に伴う言語の新変種の誕生と発展には関心がある.[2011-07-01-1]の記事「インターネット時代は言語変化の回転率の最も速い時代」で論じたように,人類の言語変化の歴史は,今まさに新たな段階に入ったところである.Netspeak は現時点でその最先端を走っている変種であり,英語においても日々独自の表現が増殖している.
チャット,電子メール,そしてとりわけケータイメール (texting) の書き言葉に見られる特徴として,各種の省略記法がある.多くは,句を構成する各単語の頭文字をつなぎ合わせる頭文字語 (initialism) であったり,"2" や "4" をそれぞれ "to" や "for" に対応させるような判じ絵 (rebus) であったりする.ここには遊び心も入っているだろうが,何よりもケータイのキーパッド上で打数を減らせるという実用的な効果がある.Crystal (142--43) より,主要なものを記事の末尾に挙げた.
initialism 自体は英語では新しいことではないし,rebus もクイズでお馴染みだ.このような省略を広範に用いる英語の書き言葉変種が現われたということも,特に新しいことではない.例えば中世の写本も各種の省略符合に満ちている.省略の動機づけも,Netspeak と中世の写本の書き言葉のあいだに共通点がある.いずれも入力にかかる労力を減らしたいという欲求は同じであり,コスト削減(ネット上ではパケット料金,写本では高価な紙代)という動機づけも共通する.つまり,具体的な現われこそ省略符号か initialism かで互いに異なるが,動機づけは類似しており,書き言葉の歴史のなかで繰り返し例証されているものである.
そもそも書き言葉は,表意文字を rebus 的に応用したり,ギリシア文字より前の alphabet では対応する話し言葉に当然含まれていた母音を標示しなかったりと,読み手にある程度の解読作業を要求するものとして出発し,発展してきた([2010-06-23-1]の記事「文字の種類」を参照).Netspeak の書き言葉の変種は,一見革新的に見えるが,文字の当初からの性質を多分に受け継いでいるという点で,意外と保守的と言えるのではないか.
abbreviation | original phrase |
---|---|
afaik | as far as I know |
afk | away from keyboard |
asap | as soon as possible |
a/s/l | age/sex/location |
atw | at the weekend |
bbfn | bye bye for now |
bbl | be back later |
bcnu | be seeing you |
b4 | before |
bg | big grin |
brb | be right back |
btw | by the way |
cm | call me |
cu | see you |
cul8r | see you later |
cya | see you |
dk | don't know |
eod | end of discussion |
f? | friends? |
f2f | face-to-face |
fotcl | falling off the chair laughing |
fwiw | for what it's worth |
fya | for your amusement |
fyi | for your information |
g | grin |
gal | get a life |
gd&r | grinning ducking and running |
gmta | great minds think alike |
gr8 | great |
gsoh | good sense of humour |
hhok | haha only kidding |
hth | hope this helps |
icwum | I see what you mean |
idk | I don't know |
iirc | if I remember correctly |
imho | in my humble opinion |
imi | I mean it |
imo | in my opinion |
iou | I owe you |
iow | in other words |
iri | in real life |
jam | just a minute |
j4f | just for fun |
jk | just kidding |
kc | keep cool |
khuf | know how you feel |
l8r | later |
lol | laughing out loud |
m8 | mate |
nc | no comment |
np | no problem |
oic | oh I see |
otoh | on the other hand |
pmji | pardon my jumping in |
ptmm | please tell me more |
rip | rest in peace |
rotfl | rolling on the floor laughing |
ruok | are you OK? |
sc | stay cool |
so | significant other |
sol | sooner or later |
t+ | think positive |
ta4n | that's all for now |
thx | thanks |
tia | thanks in advance |
ttfn | ta-ta for now |
tttt | to tell the truth |
t2ul | talk to you later |
ttytt | to tell you the truth |
tuvm | thank you very much |
tx | thanks |
tyvm | thank you very much |
wadr | with all due respect |
wb | welcome back |
w4u | waiting for you |
wrt | with respect to |
wu | what's up? |
X! | typical woman |
Y! | typical man |
yiu | yes I understand |
電子メールにおいて日本語の顔文字は (^_^)V や (>_<) などの直立体のものが多いが,対応する英語の smiley あるいは emoticon は左回りに90度傾けたものが普通である.Crystal (132) より,ジョークも含めて例を列挙しよう.広く一般的に用いられているのは,せいぜい最初の2つくらいである.
Basic smileys | |
:-) | pleasure, humour, etc. |
:-( | sadness, dissatisfaction, etc. |
;-) | winking (in any of its meanings) |
;-( or :~-( | crying |
%-( or %-) | confused |
:-o or 8-o | shocked, amazed |
:-] or :-[ | sarcastic |
Joke smileys | |
[:-) | User is wearing a Walkman |
8-) | User is wearing sunglasses |
8:-) | User is wearing sunglasses on head |
:-{) | User has a moustache. |
:*) | User is drunk |
:-[ | User is a vampire |
:-E | User is a bucktoothed vampire |
:-F | User is a bucktoothed vampire with one tooth missing |
:-~) | User has a cold |
:-@ | User is screaming |
-:-) | User is a punk |
-:-( | Real punks don't smile |
+-:-) | User holds a Christian religious office |
o:-) | User is an angel at heart |
contronym について[2010-11-14-1]の記事で話題にしたが,その例の1つに literally がある.英語の四方山話しサイト The Web of Language のこちらの記事に "A literal paradox" としておもしろく紹介されている.literally という語はたいてい "figuratively" に用いられるという皮肉だ.
なるほど,確かに次のような例文では,体が物理的に爆発したと解釈する「文字通り」の読みは普通あり得ず,比喩的に「激昂する」の読みしかあり得ない.
When I told him the news he literally exploded.
多くの辞書では,このような比喩的な意味での literally の用法は誤用か,少なくとも非標準的な用法とされている.例えば OED では,literally の 3b の語義に次のようにある.
b. Used to indicate that the following word or phrase must be taken in its literal sense.
Now often improperly used to indicate that some conventional metaphorical or hyperbolical phrase is to be taken in the strongest admissible sense.
学習者用英英辞書では規範的な態度の強度はまちまちのようで,老舗の Oxford や Longman ではこの用法は後のほうの語義で触れられており比較的周辺的な取り扱いだが,比較的新興の Cobuild, Cambridge, Macmillan では第1語義として大々的に(?)取り上げられている.
literally のこの用法は規範的には難ありとされるが,遅くとも19世紀前半から確認されており,現在の口語では広く用いられている.他に例を挙げてみよう.
- It literally rained cats and dogs.
- I literally jumped out of my skin.
- The views are literally breath-taking.
- I was literally bowled over by the news.
- Steam was literally coming out of his ears.
上の例文のいずれにおいても「文字通りに」と和訳できることから分かるように,日本語の「文字通りに」も literally と同様の意味の曖昧さを示す.「文字通りに」も文字通りに用いられることはあまりなく,比喩的に用いられることが多いのである.
英語の literally でも日本語の「文字通りに」でも,この表現が letter (ラテン語 littera に由来)「文字」と結びついているのがおもしろい.話し言葉に基づく「発言通りに」や「口にした通りに」ではなく,書き言葉に基づく「文字通りに」という表現となっているのは偶然の一致だろうか.
いや,これは偶然ではあるまい.一般に文字をもつ社会では,書き言葉が話し言葉よりも「えらい」ものと見なされている([2011-05-15-1]の記事「話し言葉と書き言葉」を参照).その理由の1つは,文字に付されたものは永続性があり不変性があると感じられるからだろう.文字のこの不変性により,文字に付された語句には本来性,無謬性,由緒正しさといったオーラがまとわりつく.話者はある表現を「文字通りに」という副詞で限定することによって,その表現のもつ意味の純粋さ,正真正銘さをアピールしているのではないか.ここで「発言した通りに」と限定しても,それほどの説得力をもたないのではないか.
literally がこのような経緯で発展してきた語であるのならば,当の literally の意味が文字通りの意味でなくなってきているというのは,何とも皮肉な意味変化である.
[2009-06-08-1]の記事「言語と文字の歴史は浅い」では,人類のあゆみにおいて言語の歴史がいかに浅いかを示した.今回は,タイムスパンを地質学的次元にまで引き延ばし,地球のあゆみ46億年における人類と言語の歴史の浅さを強調したい.直感でとらえられるように,46億年を1年間というスケールに縮めて表現してみた.
1秒は約146年に相当する.大晦日は黄色表示にし,秒単位まで示した.人類の誕生は600万年前,ホモサピエンスの誕生は20万年前,言語の発生は10万年前とする説をもとに計算してある.より詳しい表はこのページのHTMLソースを参照.
月日(時分秒) | 出来事 |
---|---|
01/01 | 太陽と地球が生まれる |
01/08 | 月ができる |
01/16 | 海ができる |
02/17 -- 03/04 | 巨大ないん石が地球に落ちて海が蒸発,その後ふたたび海ができる |
03/04 | 最古の生命があらわれる |
05/30 | ???????????????????????í????????????????? |
06/24 -- 07/09 | この間のどこかで,大規模な氷河時代 |
07/17 | 真核生物(細胞の中の遺伝子が膜で包まれている生物)が登場 |
08/02 | ヌーナ超大陸ができる |
09/27 | 多細胞生物が発展 |
09/27 -- 10/29 | ロディニア超大陸の時代 |
10/30 -- 11/13 | この間のどこかで,大規模な氷河時代 |
11/14 | エディアカラ生物群が登場 |
11/19 | 無せきつい動物の種類が爆発的に増える |
11/25 -- 11/27 | 植物の上陸 |
11/30 | 昆虫が登場 |
12/11 | ペルム期末期の大量絶滅 |
12/15 -- 12/26 | 恐竜の繁栄 |
12/26 | 白亜紀末期の大量絶滅 |
12/31 12:34:26 | 人類の誕生 |
12/31 23:37:08 | ホモサピエンスの誕生 |
12/31 23:48:34 | 言語の発生 |
12/31 23:58:03 | ラスコーの壁画 |
12/31 23:59:18 | 印欧祖語の時代 |
12/31 23:59:22 | インダス文字の起源 |
12/31 23:59:23 | エジプト文字の起源 |
12/31 23:59:25 | メソポタミア文字の起源 |
12/31 23:59:36 | 漢字,ヒッタイト文字の起源 |
12/31 23:59:42 | マヤ文字,古代ペルシャ文字の起源 |
12/31 23:59:44 | 古代インド文字の起源 |
12/31 23:59:48 | 英語の起源 |
12/31 23:59:56 | 近代英語の始まり |
ラテン語で uerba uolant, scripta manent 「話し言葉は飛び去り,書き言葉は残る」と言われるとおり,話し言葉は録音されない限り一瞬で音波として流れ去ってしまうが,書き言葉は石板,羊皮紙,紙などの媒体が存続する限り有効である.
文字をもつ社会においては,書き言葉はその持続的な性質ゆえに話し言葉よりも高い地位を与えられてきた経緯がある.書き言葉をもつ現代の言語共同体でも,文書のほうが口頭よりも正式で有効なものとして優遇される.書かれると「えらく」なるのである.
しかし,言語学の研究対象は第一に話し言葉 (speech) であり,書き言葉 (writing) の関心は二次的である.昨日の記事 [2011-05-14-1] で,言語学が記述を規範に優先させることについて話題にしたが,同様に言語学は話し言葉を書き言葉に優先させるのが大原則である.この優先づけは,以下の通り,話し言葉のほうがより根源的で本質的であることに基づく.
・ ヒトの言語は,話し言葉として発生した.書き言葉の歴史は非常に浅い.([2009-06-08-1]の記事「言語と文字の歴史は浅い」を参照.)
・ 個体発生を考えても,幼児はまず話し言葉を習得する.習得に関して,話し言葉は常に書き言葉に先立つ.
・ 話し言葉の能力はヒトという種に先天的だが,書き言葉は常に後天的に学習される.
・ 過去にも現在にも,文字をもたない言語のほうが文字をもつ言語よりも多い.
言語学における話し言葉の優位性について,昨日と同様,Martinet から拙訳とともに引用する.現代社会における書き言葉の重要性を指摘した直後の段落である.
Ceci ne doit pas faire oublier que les signes du langage humain sont en priorité vocaux, que, pendant des centaines de milliers d'années, ces signes ont été exclusivement vocaux, et qu'aujourd'hui encore les êtres humains en majoriteé savent parler sans savoir lire. On apprend à parler avant d'apprendre à lire : la lecture vient doubler la parole, jamais l'inverse. L'étude de l'écriture représente une discipline distincte de la linguistique, enore que, pratiquement, une de ses annexes. Le linguiste fait donc par principe abstraction des faits de graphie. Il ne les considère que dans la mesure, au total restreinte, où les faits de graphie influencent la form des signes vocaux.
このことゆえに,人間の言語の記号は優先的に音に関するものであること,何千年ものあいだ言語の記号はもっぱら音であったこと,今日でも人類の大半は読めなくとも話せることを忘れることがあってはならない.人は読むことを覚えるまえに話すことを覚える.読むことが話すことを追い越すようになるのであって,決してその逆ではない.書き言葉の研究は,実際上は言語学の付属分野の1つではあるが,独立した1分野を表わしている.したがって,言語学者は原則として書記法の事実を捨象する.書記法の事実は,全体として限られた範囲において,それが発音される記号の形態に影響を及ぼす範囲においてのみ考慮の対象となる.
一般言語学の観点からは,上記の話し言葉優位の原則に異存はない.しかし,英語史の観点からは,よく斟酌した上でこの原則を理解する必要がある.英語史など歴史言語学の分野では,むしろ最後の「書記法の事実は,全体として限られた範囲において,それが発音される記号の形態に影響を及ぼす範囲においてのみ考慮の対象となる」の部分が重要である.残された文字を通じてしか往時の言語を復元できない歴史言語学においては,音声重視とだけ言っていられない現実があり,文字と音声の関係の考察がとりわけ重要となる.実際に,近年の中英語研究では,発音と綴字の関係の詳細な洗い直しが始まっている.文字について一家言もっている日本人の出番では,と密かに思っているが,どうだろうか.
・ Martinet, André. Éléments de linguistique générale. 5th ed. Armand Colin: Paris, 2008.
ノルマン征服によりイングランドの公用語が Old English から Norman French に切り替わった.イングランド内で後者は Anglo-French として発達し,Latin とともにイングランドの主要な書き言葉となった.ノルマン征服後の2世紀ほど,英語は書き言葉として皆無というわけではなかったが,ほとんどが古英語の伝統を引きずった文献の写しであり,当時の生きた中英語が文字として表わされていたわけではない.中英語の話し言葉を映し出す書き言葉としての中英語が本格的に現われてくるには,12世紀後半を待たなければならなかった.それまでは,イングランドの第1の書き言葉といえば英語ではなく,Anglo-French や Latin だったのである.
一方,ノルマン征服後のイングランドの話し言葉といえば,変わらず英語だった.フランス人である王侯貴族やその関係者は征服後しばらくはフランス語を母語として保持していたと考えられるし,イングランド人でも上流階級と接する機会のある人々は少なからずフランス語を第2言語として習得していただろう.しかし,イングランドの第1の話し言葉といえば英語に違いなかった ( see [2010-11-25-1] ) .
このように,ノルマン征服後しばらくの間は,イングランドにおける主要な話し言葉と書き言葉とは食い違っていた.12世紀後期において,イングランド人の書き手は普段は英語を話していながら,書くときには Anglo-French を用いるという切り替え術を身につけていたことになる.逆に言えば,12世紀後期までには,Anglo-French の書き手であっても主要な話し言葉は英語だった公算が大きい.Lass and Laing (3) を引用する.
By the early Middle English period, four generations after the Conquest, the high prestige languages in the written/spoken diglossia (though distantly cognate) were 'foreign': normally second and third languages, formally taught and learned. By the late 12th century it is virtually certain --- except in the case of scribes from continuingly bilingual families (and we do not have the information that would allow us to identify them) --- that none of the English scribes writing French were native speakers of French (though some may of course have been coordinate bilinguals). It is certain that none were native speakers of Latin, since after the genesis of the Romance vernaculars in the early centuries of this era it is most unlikely that there were any.
当時のイングランドの状況を日本の架空の状況に喩えてみれば,普段は日本語で話していながら,書くときには漢文を用いる(ただし中国語での会話は必ずしも得意ではないかもしれない)というような状況だろう.
12世紀後期イングランドにおける話し言葉と書き言葉の diglossia 「2言語変種使い分け」あるいは bilingualism については,Lass and Laing (p.3, fn. 3) に多くの参考文献が挙げられている.
・ Lass, Roger and Margaret Laing. "Interpreting Middle English." Chapter 2 of "A Linguistic Atlas of Early Middle English: Introduction.'' Available online at http://www.lel.ed.ac.uk/ihd/laeme1/pdf/Introchap2.pdf .
英語で記された現存する最古の文は,金のメダルに Anglo-Frisian 系のルーン文字 ( the runic alphabet ) で刻まれた短文である.1982年に Suffolk の Undley で発見された直径2.3cmの金のメダル ( the Undley bracteate ) に刻まれており,年代は紀元450--80年のものとされる.西ゲルマンの Angles, Saxons, Jutes らが大陸からブリテン島へ移住してきた時期に,かれらと一緒に海峡を渡ってきたものと考えられる.メダルの画像と説明は,The British Museum のサイトで見ることができる.
兜をかぶった頭の下で雌狼が二人の人間に乳を与えている.明らかに伝説のローマ建国者 Romulus と Remus の神話を想起させる図像だ.メダルの周囲,弧の半分ほどにかけてルーン文字が右から左に刻まれている.全体が3語からなる短い文で,語と語の区切りは小さな二重丸で示されている.ローマ字で転写すると以下のように読める.
( u d e m ・ æ g æ m ・ æg og æg )
= gægogæ mægæ medu
= ?she-wolf reward to kinsman
= This she-wolf is a reward to my kinsman
上のような試訳はあるが,詳細は分かっていない.特に最初の語 gægogæ は意味不明であり,怪しげな音の響きからして何らかの呪術的な定型句とも想像され得る.
これが,約1500年後に世界で最も重要となる言語の,現存する最古の記録である.
David Crystal も初めて見たときに涙を流して感動したというこのメダルについては,Crystal による解説(動画)と関連記事もお薦め.The British Library で11月12日から来年4月3日まで開かれている英語史展覧会 Evolving English: One Language, Many Voices の呼び物の1つです.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002. 181.
英語の variety を決めるパラメータの一つに medium 「媒体」があることは,[2009-12-10-1]の記事で述べた.人間の言語の主要な媒体としては,話しことば ( speech or spoken language ) と書きことば ( writing or written language ) の二種類がありうる.前者は聴覚に,後者は視覚に訴えかけるのを特徴とする.視覚に訴えかけるもう一つの媒体として,[2009-07-16-1]で触れた「手話言語」 ( sign language ) があるが,今回は議論から外す.
従来,話しことばと書きことばは明確に対置されてきた.このブログで何度か取り上げている発音と綴字の乖離の問題も,話しことばと書きことばが独立した存在であり,ときに相反することすらあることを例証している.また,聴覚依存か視覚依存かという区別は,物理的・生理的に明確な区別であり,この対置は自然のことのように思われる.
しかし,言語コミュニケーションの送り手と受け手の間の関係が近いか遠いかという「コンセプト」の観点からすると,話しことばと書きことばの境は必ずしも明確でないことに気づく.例えば,講演の言語は口頭でなされるが,書きことばに匹敵する「遠いことば」 ( Sprache der Distanz ) である.逆に,チャットは文字を通じてなされるが,話しことばに匹敵する「近いことば」 ( Sprache der Nähe ) である.Koch and Oesterreicher は medium と concept を掛け合わせた以下のようなモデルを提唱した.(以下の図は,高田氏の改変を私がさらに改変したものである.)
このモデルは,(英語)歴史言語学の方法論に示唆を与えてくれる.過去の言語を復元しようとする営みにおいて最大の壁は,話しことばの証拠を直接に得ることが難しいことである.レコーダの出現以前の話しことばを復元するには,現在にまで残っている書きことばの資料を手がかりにして間接的に話しことばを復元するという方法しか残されていない.だが,Koch and Oesterreicher のモデルで明らかなように,書きことばでも話しことば性の高い variety は存在する.そのような書きことば variety に依拠することで,過去の話しことばに接近することが可能ではないか.話しことばと書きことばの対立は,従来いわれてきたほど絶対的なものではないと考えられる.
・ 高田 博行 「歴史語用論の可能性 --- 甦るかつての言語的日常」 『月刊言語』386巻12号,2009年,68--75頁.
・ Koch, Peter and Wulf Oesterreicher. "Sprache der Nähe -- Sprache der Distanz: Mündlichkeit und Schriftlichkeit im Spannungsfeld von Sprachtheorie und Sprachgeschichte." Romanistisches Jahrbuch 36 (1985): 15--43.
数百万年に及ぶ人類の歴史の中では,言語の発生はかなり最近のことであるし,文字の発生はさらに最近である.
約50万年前に Homo erectus から Homo sapiens が分かれたが,頭蓋骨の形状から,彼らは言語を話さなかったようだ.約10万年前から,頭蓋骨の形状が現代の我々のものに類似してきたようで,恐らく言語の発生もこのくらいだろうと考えられる.一方,文字の発生は,現在確認されている最も古いもので,ようやく5500年ほどを遡れるくらいである.
上記の人類史の観点から,主だった古代文字の年代を時系列に整理してみよう.
出来事 | 約?年前 |
---|---|
人類の発生 | 5,000,000? |
Homo erectus の発生 | 2,000,000 |
Homo sapiens の発生 | 500,000 |
言語の発生 | 100,000 |
インダス文字の起源 | 5,500 |
エジプト文字の起源 | 5,300 |
メソポタミア文字の起源 | 5,100 |
漢字の起源 | 3,500 |
ヒッタイト文字の起源 | 3,500 |
マヤ文字の起源 | 2,500 |
古代ペルシャ文字の起源 | 2,500 |
古代インド文字の起源 | 2,250 |
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