オガム文字 (ogham) は,アイルランド全域,ウェールズ,コーンウォール,マン島,そしてスコットランドの一部で4世紀以降中世に至るまで用いられた20文字からなるアルファベット文字体系の1種である.エトルリア文字(あるいはローマン・アルファベット)がガリア人の手を経由してこの地のケルト語話者に伝わって変形したものらしい.アイルランドへキリスト教が伝播し,独自のケルト・キリスト教が発達するあいだにも用い続けられた.系統的にはルーン文字 (runic) とも何らかの関係があるといわれている(「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1]) などを参照されたい).オガム文字という名前は,ルーン文字を作ったといわれるゲルマン神オーディン (Odin) に相当するアイルランド神オグマ (Ogma) に由来し,この詩と雄弁の神こそが考案者であると伝承されている.オガム文字で書き表されている言語はケルト語のほかピクト語 (Pictish) もあるようだが,現在知られている375点以上の碑銘のうち300点ほどはアイルランドの地で見つかっている.
オガム文字の字形は石(そして現存していないがおそらく木材)の角に刻みつけられた単純な幾何学的な斜線や点である.短い文章を刻むにも書写材料に長さが必要となるため,長文は書かれていない.字形の単純さは著しく,矢島はこの文字を「地球上でこれまで使われてきた文字のなかで,もっとも奇妙なもの」 (207) と評し,「この文字は,近代になってつくられたモールス信号とか,ある種の暗号の先駆者だったといってもよいように思われる」 (209) と述べている (cf. 「#1805. Morse code」 ([2014-04-06-1])) .
オガム文字の書字方向については縦に横に様々あるが,Encylopædia Britannica 1997 では "In many cases the ogham inscriptions run upward." とも言及されており,「#2483. 書字方向 (4)」 ([2016-02-13-1]) の話題と関連して興味深い.
Comrie et al. (188) より,字形のサンプルを示そう.
Comrie et al. (189) には,オガム文字の起源論について以下のように説明があった.
The origin of the script is uncertain. Some scholars have speculated that Ogham is based upon a secret finger-language of the Druidic priests, citing a medieval Irish manuscript in which such a finger-code is described. It has also been proposed that the script developed under the influence of the Latin or Greek alphabets and the Germanic runes .
ほかにオガム文字のサンプルや説明は,Omniglot: Writing Systems & Language of the World より Ogham alphabet にも詳しいので要参照.
・ 矢島 文夫 『解読 古代文字』 筑摩書房,1999.
・ Comrie, Bernard, Stephen Matthews, and Maria Polinsky, eds. The Atlas of Languages. Rev. ed. New York: Facts on File, 2003.
「#2427. 未解読文字」 ([2015-12-19-1]) の記事で触れたように,未解読文字の解読にはロマンがある.解読成功者の解読プロセスを紹介する書は一級のミステリー小説といってよく,実際に数多く出版されている.多くの文字体系を扱っており読みやすいという点では,矢島(著)がおすすめである.その目次を挙げると,雰囲気をつかめるだろう.
・ ロゼッタ石を読む
・ 古代ペルシアの楔形文字
・ ベヒストゥン岩壁の刻文
・ 楔形文字で書かれた「ノアの方舟」
・ シュメール文明の再発見
・ 古代の大帝国ヒッタイトの文字
・ シナイ文字とアルファベットの起源
・ エトルリア語の謎
・ 東地中海の古代文字
・ クレタ=ミケーネ文字の発見
・ 線文字Bと建築家ヴェントリス
・ シベリアで見つかった古代トルコ文字
・ 甲骨文字と殷文明
・ カラホト遺跡の西夏文字
・ 古代インディオの諸文字
・ インダス文字とイースター文字
・ ファイストスの円盤と線文字A
・ ルーン文字とオガム文字
・ 梵字の起源とパスパ文字
・ 最古の文字はどこまでたどれるか
・ 古代文字はいかに解読されるか
矢島 (234) は,最終章「古代文字はいかに解読されるか」で,現在までの世界の文字解読の歴史を4段階に分けている.
(1) 手さぐりの時代(一八世紀以前)
(2) ロマン主義の時代(一九世紀)
(3) 宝さがしの時代(二〇世紀前半)
(4) 科学的探究の時代(二〇世紀後半)
よく特徴をとらえた時代区分である.文字解読がロマンを誘うのは,それが否応なく異国情緒と重なるからだろうが,(2) の「ロマン主義の時代」の背景には,「ヨーロッパ大国の東方への視線,端的にいえば植民地主義競争」 (239) があったことは疑いない.Jean-François Champollion (1790--1832) のロゼッタ石 (Rosetta stone) の解読には仏英の争いが関わっているし,楔形文字解読に貢献した Sir Henry Creswicke Rawlinson (1810--95) も大英帝国の花形軍人だった.
(3) の時代は,世界的に考古学的な大発見が相次いだことと関係する.クレタ島,ヒッタイト,バビロニア,エジプト,中央アジア,西夏,殷墟の発掘により,続々と新しい文字が発見されては解読の試みに付されていった.
現代に続く (4) の時代は,前の時代のように個人の学者が我一番と解読に挑むというよりは,研究者集団が,統計技術やコンピュータを駆使して暗号を解くかのようにして未解読文字に向かう時代である.言語学,統計学,暗号解読の手法を用いながら調査・研究を進めていく世の中になった.もはや文字解読の「ロマン主義」の時代とは言えずとも,依然としてロマンそのものは残っているのである.
・ 矢島 文夫 『解読 古代文字』 筑摩書房,1999.
言語・文字と宗教の関係については,本ブログの様々な箇所で触れてきた (例えば「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1]),「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1]),「#1455. gematria」 ([2013-04-21-1]),「#1545. "lexical cleansing"」 ([2013-07-20-1]),「#1546. 言語の分布と宗教の分布」 ([2013-07-21-1]),「#1636. Serbian, Croatian, Bosnian」 ([2013-10-19-1]),「#1869. 日本語における仏教語彙」 ([2014-06-09-1]),「#2408. エジプト聖刻文字にみられる字形の変異と字体の不変化」 ([2015-11-30-1]),「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1]) などを参照) .
宗教にとって,文字には大きく2つの役割があるのではないか.1つは,聖典を固定化し,その威信を保持する役割,もう1つは,宗教を周辺の集団へ伝道する媒介としての役割である.前者が本質的に文字の保守性を強化する方向に働くのに対して,後者においては文字は必要に応じて変容することもある.実際,イスラム教では,イスラム地域でのアラビア文字の威信が高く保たれていることから,文字の前者の役割が優勢である.しかし,キリスト教では,むしろ伝道する先々で,新たな文字体系が生み出されるという歴史が繰り返されてきており,文字の後者の役割が強い.この対比を指摘したのは,「文字と宗教」 (103--27) と題する文章を著わした文字学者の矢島である.関連する部分を3箇所抜き出そう.
人間が文字を発明した直接の動機は――少なくともオリエントにおいては――経済活動と関係のある「記録」のためであったように思われるが,宗教との結び付きもかなり大きな部分を占めているような気がする.オリエントでは上記の「記録」の多くは神殿で神官が管理するものであったし,中国の初期の文字(甲骨文字類)は神命を占うという,広義の宗教活動と切り離せなかったからである.(p. 105)
キリスト教の思想は民族のわくを越えたものであり,その教えは広く述べ伝えられるべきものであった.その中心的文書である『新約聖書』(ヘー・カイネー・ディアテーケー)さえ,イエス・キリストが話したと思われる西アラム語ではなくて,より国際性の強い平易なギリシア語(コイネー)で記された.しかしキリスト教徒は必ずしもギリシア語聖書を読むことを強制されることはない.キリスト教の普及に熱心な伝道者たちが,次々と聖書(この場合『新約聖書』であるが今日では外典とか偽典と呼ばれる文書を含むこともある)を翻訳してくれているからである.その熱心さは,文字がないところに文字を創り出すほどであり,こうして現われ出た文字の代表的なものとしてはコプト文字,ゴート文字,スラヴ文字,そしてカフカスのアルメニア文字,グルジア文字がある. (pp. 110--11)
『コーラン』はイスラム教徒にとってアッラーの言葉そのものであるが,これがアラビア語で表わされたことから,アラビア語はいわば神聖な言語と考えられ,イスラム教徒にはアラビア語の学習が課せられることになった.こうしてイスラム教徒アラビア語は切っても切れないつながりをもつことになり,さらにはアラビア文字の伝播と普及が始まった.キリスト教が『聖書』の翻訳を積極的に行ない,各地の民族語に訳すためには文字の創造をも行なったのに対して,イスラム教は『コーラン』の翻訳を禁じ(イスラム圏では近年に至るまで公けには翻訳ができなかったが,今はトルコ語訳をはじめいくつか現われている),アラビア語による『コーラン』の学習を各地のマドラサ(モスク付属のコーラン学校)で行なって来た.そのために,アラビア語圏の周辺ではアラビア文字が用いられることになった.今日のイラン(ペルシア語),アフガニスタン(パシュトゥ語など),パキスタン(ウルドゥー語など)などのほか,かつてのトルコやトルキスタン(オスマン・トルコ語など),東部アフリカ(スワヒリゴなど),インドネシア(旧インドネシア語,マライ語など)がそれである. (pp. 124--25)
このように,文字の相反する2つの性質という観点からは,キリスト教とイスラム教の対比は著しくみえる.一見すると,キリスト教は開放的,イスラム教は閉鎖的という対立的な図式が描けそうである.しかし,わかりやすい対比であるだけに,注意しなければならない点もある.西洋史を参照すれば,キリスト教でも聖書翻訳にまつわる血なまぐさい歴史は多く記録されてきたし,イスラム教でも少なからぬ地域でアラビア語離れは実際に生じてきた.
言語と同様に,文字には保守性と革新性が本質的に備わっている.使い手が文字のいずれの性質を,いかなる目的で利用するかに応じて,文字の役割も変異する,ということではないだろうか.
・ 矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.
[2016-01-09-1], [2016-01-10-1], [2016-02-12-1] と書字方向の問題を扱ってきたが,「#2448. 書字方向 (1)」 ([2016-01-09-1]) で,異例中の異例として下から上への書字方向の例に言及した.これについて,昨日も引用した矢島 (199--200) が,もう1つの興味深い例と合わせて解説しているので,全体を引用しよう.
本文で書字方向として縦書き(上から下),横書き(左書きおよび右書き),それに特殊な例として渦巻き方向があることを述べたが,まさか下から上という縦書き方式があろう思っていなかったところ,そのような例を二つ発見したので,ここにつけ加えることにした.
その一つはいわゆる古代トルコ文字に関するもので,その解読のプロセスはドーブルホーファー著『失われた文字の解読』III(山本書店)七五?一〇九ページに詳しい.ここにはトムセンによる天才的な解読の出発点である,この文字体系の書字方向(右書き)の発見は述べられているが,実際にはこれが下から上へ刻まれている例があることは書かれていなかった.このことを知ったのは藤枝晃氏の『文字の文化史』(岩波書店)中の次の記述によってだった.
「十九世紀の末にロシアのトルコ語学者ラードロフが外蒙古を探検して この文字の石碑をいくつか発見したが 誰も読むことはできなかった.その内の最大の石碑は宰相キュル・テギンの墓碑で,片側に漢文,その裏にこの文字の文が刻ってあった.ラードロフの報告書を見て,デンマークの言語学者V・トムゼンが最初にこれを解読した.そこで判ったことは,この文字は右横書きなのだが,漢字と調子をそろえるために,右端から縦向きに刻ってあるので,一々の行は右の下端から上に向かって読まねばならない」(同書二〇二ページ).
横書きを縦書きに合わせるのならば,左上から下に(つまり字形を逆にして)書いてもよさそうなものだが,そしてじじつ有名な『大秦景教流行中国碑』(八世紀末頃)のシリア文字は上から下への縦書きに書かれているが,ここでの下から上へというのは奇妙な書き方をしたものである.
ところが,もう一つ,ごくふつうに下から上へ文字を書いている例が見つかった.北アフリカのベルベル人の一部が用いているティフナグ文字がそれで,古代のヌミディア文字の系譜を受けついでいる(この文字については筆者の「アフリカの文字――セム文明の投影」(月刊・「言語」別冊『アフリカの文化と言語』所収,大修館刊,を参照されたい).この文字が今日でも僅かながら使われていることは,森本哲郎著『タッシリ・ナジェール――遺跡との対話・2』(平凡社カラー新書)中にも書かれているが,このなかに岩壁に書かれたこの文字の写真が含まれている.これらを眺め,また他の文献をあたっているうちに,これらが下から上へ書かれていることに気づいたが,これは書き手が下方から,手のとどくだけ上方に書き,次にまた下方から書くことを示している.書き手によって身長は違うから,出発点を下端にしているわけで,半遊牧民のベルベル人の生活風景を連想させ,興味深い例であると言わねばならない.
下から上への書字方向が実用的に確立している例は,まずなさそうだが,上記の古代トルコ文字やティフナグ文字のような特殊な状況での事例はあるということになる.もしかすると曼荼羅などにも見られそうだが,たとえあったとしても特殊事情には違いない.原則として,言語に時間軸に沿った線状性 (linearity) があるのと同様に,書字方向には重力に依存する上から下という方向性があるといえるのではないか.
・ 矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.
・ 藤枝 晃 『文字の文化史』 岩波書店,1971年.1991年.
「#2448. 書字方向 (1)」 ([2016-01-09-1]),「#2449. 書字方向 (2)」 ([2016-01-10-1]) に引き続いての話題.矢島(著)『文字学のたのしみ』の第11章「アルファベット文字体系と書字方向」 (pp. 189--200) を読んだ.今回はアルファベットに限定するが,その書字方向の変遷を簡単に追ってみたい.
アルファベット文字体系の起源については,「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]),「#490. アルファベットの起源は North Semitic よりも前に遡る?」 ([2010-08-30-1]),「#1822. 文字の系統」 ([2014-04-23-1]),「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]),「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1]),「#1853. 文字の系統 (2)」 ([2014-05-24-1]),「#2398. 文字の系統 (3)」 ([2015-11-20-1]) などで見てきたが,今なお謎が多い.しかし,エジプト聖刻文字 (hieroglyph) が直接・間接の刺激を与えたらしいことは多くの論者の間で一致している.
エジプト聖刻文字の書字方向は,右書きあり,左書きあり,縦書きありと必ずしも一定していなかったが,普通には右書きが圧倒的に多かったことは事実である.左書きでは,右書きの際の文字が鏡写しのように左右逆転しており,対称性の美しさを狙ったものと考えられる.聖刻文字の右書きについて,矢島 (193) は「なぜ右書きが優勢であったかについては容易に答えられないが,一般的に言えば,右ききが多いこの世で,右手に持った筆記具で右から左へ記号をしるすことはきわめて自然な行為ではなかったかと思える.メソポタミアの楔形文字体系で左書きが行なわれたのは,はじめ縦書きだった書字方向が左に九十度回転した形で書かれるようになったためであり,はじめから左書きが生じたのではない」と述べている.ただし,人間の右利き優勢の事実は,左書きを支持する要因として持ち出す論者もいることから,どこまで説得力を持ちうるかはわからない.
さて,このエジプト聖刻文字と後のアルファベットを結びつける鍵となるかもしれない文字体系として,ビブロス文字がある.これは音節文字であり,書字方向は右書きだった.一方,アルファベットの元祖の1つではないかと目される原シナイ文字は,縦書きか左書きが多い,ななめ書きなどもあり,全般として書字方向は一定していない.
これらの後に続いたフェニキア文字では,エジプト聖刻文字やビブロス文字と同様に,右書きが実践された.これがギリシア人の手に渡り,そこで母音文字が付け加えられ,ギリシア文字が生じた.したがって,初期ギリシア語でも右書きが行われたが,その後どうやらヒッタイト象形文字に見られるような牛耕式 (boustrophedon) の段階を経て,左書きへ移行したらしい.この左右転換の契機について,矢島 (195--96) は次のように推測している.
フェニキア文字がギリシア語の表記のために借用された時期(前九世紀頃?)には,このギリシア文字の書字方向は多くは右書きであり,時にはブストロフェドンのような中間的な形式もあったが,その後の数世紀のあゆみのうちに左書きに定着した.その理由ははっきりしないが,フェニキア文字では母音を記さない方式であったから一単語の字数が少なく(平均三?四文字),左右どちらから書いても判読にあまり困難がなかったと考えられるのに対し,ギリシア文字では母音を表記するようになった単語の字数がずっと増えているので,ブストロフェドン方式をやめて左書き方式になったと言えるのではなかろうか.
ギリシア文字からアルファベットを受け取って改良したエトルリア人も,右書きを標準としながらも,例外的に牛耕式や左書きも見られることから,ギリシア人の混乱を受け継いだように思われる.さらに,ローマン・アルファベットでも多少の混乱が見られたが,紀元前5世紀以降は,ギリシアでもローマでも左書きが定着した.その後,ヨーロッパの種々の文字体系が,この書字方向を維持してきたことは周知の通りである.
一方,フェニキア文字までの西セム系文字の「由緒正しい」右書きは,その後もヘブライ語,アラビア語,アラム=シリア語などへ継承され,現代に至る.アラム文字経由で中央アジアへ展開したウイグル文字,モンゴル文字,満州文字も,右書きの系統を受け継いだ.ただし,南や東方面へ展開したエチオピア文字,インド系諸文字,カフカス諸文字(アルメニア文字,グルジア文字)など多くは左書きで定着した.
これまで触れてこなかった変わった書字方向として,「ファイストスの円盤」に認められる「渦巻き方向」もあることを触れておこう.この未解読の文字は,どうやら渦巻きの外から内へ読まれたらしい.具象詩などにも,渦巻き方向の例がありそうだ.ほかに,日本語の色紙や短冊のうえの「散らし書き」も例外的な書字方向といえるだろう.もっとも,このような妙な書字方向は,実用性というよりは美的効果を狙ったものと思われる.
・ 矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.
書写材料の話題について,「#2456. 書写材料と書写道具 (1)」 ([2016-01-17-1]) と「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) で取り上げた.今回は,書写材料としての紙に注目したい.
紙が人類の文化に甚大な影響を及ぼした偉大な発明であることは,衆目の一致するところである.紙の発明は,後漢書の記述に基づいた従来の見解によれば,元興元年(105年)に,蔡倫が麻のボロなどを用いて紙を作り,時の皇帝和帝に捧げたのが最初と言われてきたが,近年の発見と研究によれば,前漢の紀元前170年頃にはすでに紙が作られていた.それでも,蔡倫は,製紙技術の大成者としていまだ歴史に名前を残すには値するだろう. *
その後,紙は1世紀中に日本にもたらされたと考えられるが,日本における最初の製紙は,高句麗の僧曇徴により技術がもたらされた610年(推古18年)のことだと言われる.一方,製紙技術がシルクロードを経由してヨーロッパ世界へ伝わったのは,蔡倫より千年以上後の12世紀以降のことである.具体的には,1144年に,ムーア人の支配していたスペインのハチバで初めて紙が作られ,そこからフランス,オランダ,ドイツへと北上したほか,1274年には別途地中海経由でイタリアのファブリアノへ製紙法が伝えられた. *
小宮 (113) は「製紙産業における四大発明」として,(1) 105年,蔡倫による紙の発明(正確には上記の通り製紙技術の大成),(2) 1798年,フランス人ルイ・ロベールによる抄紙機の発明,(3) 1844年,ドイツ人ケラーによる木材パルプの発明,(4) 1807年,ドイツ人イリッヒによる内添えサイジングの発明,を挙げている.
その使い勝手の良さから,書写材料としてだけではなく,包装材料(段ボール,包装紙など)や吸収材料(トイレットペーパーなど)としての用途もあり,その種類も古代から現在まで増え続けてきた.
次に,紙のもっている性質に移ろう.小宮 (3) は以下の8点を挙げている.
・ 薄く,平ら,軽くて,適当な強さをもち,折ったり,曲げたり,接着したり,切るなどの加工がしやすい.
・ 水や液体を吸収するので,書いたり,印刷がしやすい.
・ 無害であり,燃やすことが出来る.
・ 土に埋めれば容易に分解してしまう.
・ 熱にたえる.
・ 他の材料に比べ値段が安い.
・ 原料が再生産可能な植物繊維である.
・ 使用した紙は再生紙として再利用しやすい.
小宮 (3) は「人間の発明した素材でこれほど多くの特性をもったものは紙の他にない」と続け,紙のすぐれていることを指摘している.古来,書写材料は,粘土板,パピルス,石,骨,帛(絹布),木簡・竹簡,バイラーン(貝多羅葉;インド,タイ,ミャンマーのパルミラ椰子の葉),羊皮紙,タパとアマテ(無花果や楮の樹皮),通草紙(台湾の通脱木の随)など様々なものが用いられてきたが,それらと比べて,紙が様々なすぐれた性質を程よくもっていることは間違いない.紙は,この2千年間,書写材料の王者であると言ってよい. *
・ 小宮 英俊 『紙の文化誌』 丸善,1992年.
昨日の記事 ([2016-01-17-1]) に引き続き,標題のトピックを.
書写材料と書写道具の問題について,ルネ・ポノによる『コミュニケーションと言語』から引用している文章(「銅と蝋と絹」という題名で矢島が和訳したもの)を,ジャン (148--50) に見つけた.以下,引用する.
銅と蝋と絹
何の上に?
たとえば,パピルス(エジプト),亜麻布(エジプト),粘土板(メソポタミア),大理石(ギリシア),石(メソポタミア),銅(インド),羊の皮(死海沿岸),鹿の革(メキシコ),白樺の樹皮(インド),竜舌蘭(中央アメリカ),竹(ポリネシア),アガラック(沈香)の靱皮(インド),椰子の葉(インド),木(スカンディナビア),絹(中国,トルコ),象牙(オータン),蠟板(エジプト,西ヨーロッパ)…….
何を使って?
当然,どういう素材に書きつけるかによって,筆記具も異なってくる.葦ペン,筆(パピルスや動物の毛),鉄筆,へら,羽ペン…….
素材と筆記具が変わると,各文字も変わる.たとえば,ここに二人の男がいて,文字の体系をつくりあげようとしているとする.その場合,パピルスに葦のペンで書いた男と,粘土板に鉄筆で書いた男とでは,文字もまったく異なったものになることは容易に推察できるだろう.
それどころか,その二人が同じ手本を写した場合でさえ,結果は似ても似つかないものになるだろう.ある一定の時が経過すると,素材の性質に変化が起こり,筆記具の残した線もその影響を受ける.そうすると元の文字と筆写した文字はかけ離れたものになる.同一の人物が同一の写本を筆者した文字どうしでさえ,同じことが起こる.
素材の種類は様々だ.ガラス,骨,鉛,羊皮紙,そしてもちろん紙.すべて,ある時期に重要な役割を果たした素材であることはまちがいない.それはなぜか.たしかに,記号の形態は初期の素材と筆記具によって決まることが多いが,その後の発展の過程もたいへん重要な要素だからだ.その中ですべてが見直されることもありうる.
たとえば,紙が主流になったとき,あるいは羽ペンの持ち方が変わったとき,それは様式の変わり目ではあるが,新たな文字体系が出現したわけではない.しかし,慣れていない目にはまったく新しい文字に見えてしまうほど,書体が変化することもあるだろう.
要するに,文字の側に立っていえば,どこからどこまでが素材にかかわる部分なのかはたいへん微妙な問題なのだ.その素材がまったく新たに発明されたものなのか,改良につぐ改良でまったく様変わりしたものなのか見極めることは難しい.
輝かしい碑銘を残した民族は多い.しかし,現代まで残ったそれらの碑銘を見て,そのほかの書体が使われていなかったとは誰も言えない.碑銘に残された書体は,書記が普段使っていた書体を,たまたま石という素材に合わせて変化させたものなのではないか.そして日常的に使われていた書体は,朽ちやすい素材に書かれていたため,すべて失われたのではないかと考えることもできるからだ.
文字についての考察は多々ある.しかし,「なぜ,ある言語と文字が跡形もなく消え去ったり,かろうじて小さな遺跡の中に残っているだけなのに,一方では,堅牢な素材に刻まれ,時と季節の繰り返しに耐え,現代まで手付かずのまま残っている言語と文字があるのか」と問うとき,新たに考案された素材であれ,改良された素材であれ,素材そのものについての知識を持つことは,必要かつ欠くべからざるものと言えるだろう.
私はこれまで,書写材料や書写道具の変化や発展は,しばしば個々の字形,字体,書体の変化にはつながるかもしれないが,文字体系そのものの変化を引き起こすわけではないだろうと考えていた.しかし,上の議論にもあるように,非体系的な変化と体系的な変化の境目は,案外不明瞭なのかもしれないと思い直した.
また,歴史言語学や考古学の観点からみた材料や道具の重要性は,それによって文字の現存可能性が半ば決まってくるという点にあるとの指摘は本質的であり,納得させられた.この点については,「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]) と「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」([2015-11-11-1]) で引いたように,「文字が地上のどこに生まれたかなどと詮索するのはむなしいことである.ある社会が象徴的事物を描きつつ一連の物質的記号を残そうとし,媒体を選び,そこに表記する,こういった社会がある限り文字出現の地点はどこにもあるのである.いくつもの社会が原始的媒体(洞窟壁画)とか保存不能の媒体(粘土以外のもの)を選択したと思われる」という見解を思い起こさせる.
現代の電子社会においても,書記言語(をデジタル化したデータ)の媒体が,フロッピーディスク,光磁気ディスク (MO),光ディスク (CD, DVD, BD) などへと変化してきた.媒体によって寿命年数が異なるという問題は,昔も今も変わっていないということだろう.
・ ジョルジュ・ジャン 著,矢島 文夫 監修,高橋 啓 訳 『文字の歴史』 創元社,1990年.
書記言語とは,文字という視覚に訴えかける痕跡により,ことばを表すものである.そのためには,痕跡を残す材料と道具が必要となる.例えば,砂と指,石と鑿,紙とペン,ディスプレイとキーボードは,それぞれ書写材料と書写道具である.古今東西,書記言語のために様々な材料と道具が用いられてきた.阿辻 (40--42) を引用する.
世界各地の古代文明で書写材料として使われたもののうち,よく知られているものには石や粘土板,木や竹を削った札(木簡・竹簡),それにパピルスなどがあり,他に特殊なものとして亀の甲羅や動物の骨,象牙,青銅器,あるいは蠟板(四角い木の枠内に蠟を流し固めたもの)などがあった.
これらの最後に,紙が登場した.キリスト紀元前後に中国で発明された紙は,やがて長い年月をかけて世界中に伝播し,もっとも便利な書写材料として使われるようになった.紙はそれまでのあらゆる素材を淘汰し,世界を席巻した.近頃では紙に文字を書くかわりに,電子技術を使ってコンピュータにつながったブラウン管に文字を表示する方法がよく使われるようになった.しかしそれでも,大多数の人々が日常生活の中で接触する文字は,書籍や新聞・雑誌など紙の上に印刷されたものであり,現在もまだ基本的に紙の時代が続いているといえる.
木簡や紙のような書写材料とは別に,これらの素材に文字を記録するために使われた道具も,古今東西まちまちであって,実にバラエティにとんでいる.たとえば現在の私たちの周囲を見まわしても,ペンやボールペン,鉛筆など日常的によく使われるおなじみのもののほかに,お習字の稽古や熨斗袋に文字を書く時には毛筆を使うし,看板にペンキで文字を書く時には刷毛を使う.最近ではとんと見かけなくなったが,かつての学校では試験問題の印刷などにガリ版がよく使われた.あれは鉄筆という尖った針状のペンで文字を書いていた.
アルファベットで文章を綴る欧米では,タイプライターが文章表記での必需品であった.これはもともと日本人にはなじみの薄い道具だったが,しかし最近ではこれから発達したコンピュータのキーボードが,日本でもきわめて普遍的な文房具になりつつある.
このコンピュータ(ないしはワープロ)を使っての文章表記をめぐっては,日本では賛否両論がいまだにかまびすしい.しかし欧米ではタイプライターを使って文章を書くのはきわめてありふれた行為であって,現在のワープロも,要するに伝統的なその方式にコンピュータによる編集機能を加えたものだといえる.文字を書く道具はこれまでにも各書写材料がもつ条件に合わせて次々と開発されてきており,コンピュータによる文章表記も,人類が太古の昔から繰り返してきた行為の一種にすぎないと考えるべきであろう.
文字という痕跡を残す「書記」には,主として3種類が認められる.それは,(1) 刻みつける,(2) インクなど有色の液体を塗る,(3) コンピュータなどで画面上に映す,である.砂などに指で文字を記すというのは最も原始的な方法だったと思われるが,立体的にくぼみをつけるという点では「刻みつける」の仲間ととらえたい.ほかには,一般的ではないが,大文字焼,人文字,花火や飛行機雲による文字など,立体的な書記もある.(3) のような電子的な書記に関して,最近ではキーボードに限らずスマホやケータイの文字盤から入力するものも普及してきたし,マイクによる音声入力も可能となってきたので,これは新たな書写道具,あるいは書写方法と呼んでしかるべきだろう.
いうまでもなく,これらの書写材料・道具は,人類の科学技術の発達とともに移り変わってきた.そのヴァリエーションの広さは,聴覚に訴えかける音声言語には比較するものがないのではないかと思われる.音声言語においては,機械的に合成した言語音の使用,人工喉頭の援用,口笛言語 ([2012-10-29-1]) のような "surrogate" などが考えられるが,ヴァリエーションは決して広くない.
(後記 2016/02/14(Sun):矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.の「印刷術と文字」 (pp. 129--47) にて,矢島 (132) が「書く」とは別の動作として印章や後の印刷に連なる「押す」という動作について指摘している.)
・ 阿辻 哲次 『一語の辞典 文字』 三省堂,1998年.
「文字体系」「書記体系(書記法)」「表記体系(表記法)」という用語は,論者によって使い方が異なるが,私は以下のように考えたい.現代の日本語表記でいえば,そこでは平仮名,片仮名,漢字,ローマ字という独立した「文字体系」が区別される.それぞれの文字体系に関しては独自の「書記法」があり,例えば仮名では仮名遣いが,漢字では常用漢字の使用や熟字訓に関する規範がある.また,文字体系の使い分けや送り仮名の規則など,複数の文字体系の混用に関する標準的な決まりごとがあり,それは日本語の「表記体系」と呼びたい.
この辺りの問題,特に「文字体系」と「表記法」という用語の問題について,河野・西田 (pp. 179--82) が対談している.以下は,西田の発言である.
日本語の文字体系という問題に入りますけれども,まず,文字体系と表記法というのは別の問題だと思うのですね.表記法というのは,どういうふうに日本語を書き表わしているかということです.一方,文字体系というのは,たとえば仮名は仮名で一つの文字体系をもっている.漢字は漢字で一つの文字体系をなしている.ローマ字はローマ字で別の一つの文字体系をもってる.ですから,日本の場合だと,そういう文字体系を混用しているところに特徴があるわけですね.その混用していることをどう考えるかという問題だと思います.
表記法の問題であれば,たとえば今の仮名遣いがそれでいいのか,どういうふうに改良したらいいのかという問題になってきて,これは面倒なことになりますから,あまり個人的な意見をいうのはちょっとむずかしいと思いますので,文字体系が混用されていることをどう考えるかという問題として取り上げたいと思います.
そうすると,日本語の表記には少なくとも三つの文字体系を覚えなければいけない.三つというのは,漢字と仮名――片仮名・平仮名ですね――それからそれに付随してローマ字です.三つの文字体系を覚えなければいけないというのは,記憶に対して非常に負担になるということは一応あるわけですが,それを除いて,三つでも四つでも誰でも記憶できるのだということで考えた場合には,非常に便利ではないかと思うのですね.
文字体系の混用といっても,どの場面にどの文字を使うかが,習慣的にかなりの程度に決まっている.たとえば漢語からきたものは漢字で書く.それから日本的な文法的要素は仮名で書く,欧米からきた借用語は片仮名で書く.そういう,だいたいの配分のようなものが決まっていて,その上で混用されているということになると思います.
たとえば漢字がわからなければ仮名で書いておけばいいわけで,これは非常に便利なことだろうと思います.ほかの言語では,おそらくこのように混用している言語というのは非常に少ない,あるいはほとんどないのではないか.必ずしもそうとはいえないかもしれませんが,そのことはあとでまたちょっと触れたいと思います.
文字の混用はどういう意味があるかといいますと,日本語を書くときに,漢字を使うか,仮名を使うかという選択があった場合に,どちらの文字を使えばより効果的かの一つの判断に立って使っているわけだと思います.漢字の中でも,どの漢字を使うか,たとえばヨロコブには「喜」を使うか,あるいは「慶」を使うか,はたまた「悦」を使うか,これは一つの判断によって決めているわけなんで,そういう文字の選び方は,その文字がもっている本来の価値と付加価値というんですか,その言葉を表記するためにいろいろな人が使っているうちに,自然に付加された価値によっている.それは単に言葉を表記している,意味を表記しているとか,発音を表記しているとか,そういうものだけじゃなくて,歴史の流れの中でそれにプラスされてきた別な価値が生きてくる.その付加価値をどう判断しているかということになると思うのですね.
ですから,字形のもつ価値以外のものは,別に研究していく必要があると思います.
また片仮名を挿入することがどういう意味をもつかということですね.付加価値についての調査はあまりされていないと思うのです.それから複数の文字体系の使用の問題ですが,例えば中国の場合,普通みな漢字だけを使っていると思うわけですけれども,実はそうじゃなくて,拼音文字といわれるローマ字表記が併用されている.もう少し遡った段階では,注音符号という文字が使われていた.ですから,必ずしも文字体系がすべて漢字だけであるとはいえないと思いますね.
このように,とりわけ日本語の表記法の特徴は,ことばを書き記す際に,使用する文字体系やその混用の様式を,書き手がある程度主体的に決められるという点にある.
関連して「#2391. 表記行動」 ([2015-11-13-1]),「#2392. 厳しい正書法の英語と緩い正書法の日本語」 ([2015-11-14-1]),「#2409. 漢字平仮名交じり文の自由さと複雑さ」 ([2015-12-01-1]) を参照されたい.
・ 河野 六郎・西田 龍雄 『文字贔屓』 三省堂,1995年.
コンピュータを用いた文字の表記は,英語でも日本語でも,今では当たり前である.しかし,コンピュータが現在ほど普及する前には,我が国ではコンピュータによる日本語表記について,喧々囂々の議論がなされていた.その議論の一部はいまだ有効のように思われる.阿辻 (105--07) は,1998年当時,書き手の主体性という問題へ注意を喚起している.
文章とは自分で書くものであり,機械が書いてくれるものではない,という当たり前の事実だけは,絶対に忘れてはならない.日本語の表記に関して今もっとも要求されているのは,文字を書く人間の主体性の確立なのであって,そのためにも文章を書く人間の自覚の重要さを強調する必要がある.
これからの二一世紀にむけて,日本語を平仮名や片仮名(あるいはローマ字書き)中心で書こうとする主張が唱えられることはおそらくありえない.現在すでに六三〇〇字あまりの漢字がコンピュータで処理でき,しかもこれからの日本の発展の中枢に,コンピュータが位置することは確実である.つまりこれからの漢字は,コンピュータの進化と離れては,みずからの存在を主張できないのである.
もちろん二一世紀になっても,手で書かれた文字は頻繁に使われるだろうし,書道の作品も大量に制作されつづけるだろう.それらはおそらく人類の歴史と共に,永遠に存在しつづけるにちがいない.しかし少なくとも論文や研究報告,あるいはビジネス文書,それに書籍や雑誌などでの日本語は,執筆の段階でコンピュータとの付き合いを離れてはありえない.そしてもっとも大事な問題は,コンピュータが出してくる日本語をそのまま二一世紀の日本語とするのではなく,日本人自身が二一世紀の日本語を作っていかなければならない,ということなのである.
そのためにはどうしたらいいのか.それは決して難しいことではない.単に,文章を書くのはほかでもなく私たち自身であり,コンピュータではないのだという,きわめて当然の事実を,各人がしっかりと自覚すればいいのだ.コンピュータが処理する日本語に関する種々の機能はまことに日進月歩であって,どんどん高機能化している.最近では文法的な解析ができると標榜するものまであって,「仮名漢字変換」という機能は,たしかに非常に便利なものである.しかしコンピュータが画面上に出してくる文章に対して,なんの吟味も検討も加えず,それに安易に引きずられてしまうと,人間ではなくコンピュータが書いた文章ができあがる.筆やペンを使って手書きで文章を書いていた時に,言葉を丁寧に一つずつ選んでいた状況が,機械を前にしてキーボードを使って書いても,同じように実現されなければならないのである.日本語に対する各人の感性が,今ほど重要視される時代はない.
これは,「#2391. 表記行動」 ([2015-11-13-1]) で示した図で考えれば,「表記主体」たる書き手が「表記手段」たるコンピュータの上位にあるのが当然であり,前者が後者に従属することがあってはならないということである.現在,コンピュータによる仮名漢字変換や語法チェックなどの機能は実に便利であり,私たちも日々お世話になっていることは疑い得ないが,書き手はその利便性を享受しながらも,最終的には校正者であり編集者であり決定者であるという自覚をもっていなければならない,ということだ.
英語をコンピュータで書くときも同様である.スペルチェックや文法チェックはありがたいが,ときに余計なお世話だと思うことはある.余計なお世話,との感覚がまるでなくなるとしたら,そのときこそ,書く主体としての人間がコンピュータに乗っ取られる瞬間だろう.
・ 阿辻 哲次 『一語の辞典 文字』 三省堂,1998年.
昨日の記事 ([2016-01-09-1]) に引き続いて,書字方向について.世界の主たる書字方向を整理すると,次のようになる.これは西田 (242) の図を参照したものであり,書字方向の各タイプについては私が便宜上適当な呼称をあてがった.
I. 横書き型 II. 縦書き型 │ │ ┌─────┬───┴───┬──────┐ ┌────┴────┐ │ │ │ │ │ │ (a) (b) (c) (d) (a) (b) 左横書き 右横書き 右左横書き 左右横書き 右縦書き 左縦書き (牛耕式) (牛耕式) 4 3 2 1 1 2 3 4 1 ───→ ←─── 1 ←─── 1 1 ───→ │ │ │ │ │ │ │ │ 2 ───→ ←─── 2 2 ───→ ←─── 2 │ │ │ │ │ │ │ │ 3 ───→ ←─── 3 ←─── 3 3 ───→ │ │ │ │ │ │ │ │ 4 ───→ ←─── 4 4 ───→ ←─── 4 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
書字方向とは,文字を書き進めてゆく向きである.英語では,左から右へと横書きで書き進めて行き,行末に来たら下に行移りして,再び左から右へと書き進める(=左横書き).日本語は英語と同様に横書きもできるが,伝統的には縦書きであり,その場合には上から下へと文字を書き連ね,行移りは右から左へと展開する(=右縦書き).このように普段使い慣れている文字体系については,その書字方向がいかにも自然なもの,必然的なものに感じられるが,これらは伝統的な習慣にすぎない.特定の書字方向が直感されるほど普遍的でないことは,古今東西の様々な例をみれば分かる.
横書きから見てみよう.現在でもアラビア語,ヘブライ語,シリア語などは右から左へと書字を進める右横書きを採用している.ヨーロッパでも,古くは初期ギリシア語や初期ラテン語の碑文などに見られるように,右横書きが行われていた.おもしろいのは牛耕式 (boustrophedon) と呼ばれる書字方向で,これはある行を右から左へ書いたら,次行は左から右へというように交互に逆方向に書き進める方式だった.牛耕式はエジプト聖刻文字,初期ギリシア語,古代小アジアの象形文字などに見られ,鳥などをかたどった象形文字の字形は,典型的に行の向きに応じて左右反転するという特徴があった.ギリシア語やラテン語における右横書きから左横書きへの転換の背景には,より古い段階の牛耕式において,いずれの方向も可能であったという事実が関係していたと思われる.
次に,縦書きについて.縦書き文字の代表選手は,いうまでもなく漢字である.日本,韓国,モンゴル,ベトナムなど漢字に影響を受けた東アジアの文化圏でも,伝統的に縦書きの慣習が採用されてきた.殷墟から発見された漢字の祖型といえる3千数百年前の甲骨文字でも,すでに縦書きが採用されていたが,行移りに関しては,1枚の骨の上ですら,左方向と右方向の両者が確認される.なぜこのように異なる方向の行移りが行われていたのかは詳しく分かっていないが,阿辻 (34)によれば「ただ総じていえば,甲骨文字では骨や甲羅などの記録媒体の周辺部に書かれる文章は外側から内側に行が進み,逆に中心部に書かれる文章では行が内側から外側に進んでいく傾向があるようだ」.しかし,甲骨文字とほぼ同時代の金文では右縦書きが採用されており,これ以降,現在に至るまで漢字文献は右縦書きが基本となっている.この書字方向の定着について,阿辻 (36) は次のように解説している.
行が右から左に進むようになったのは,おそらく竹簡(ちっかん)や木簡(もっかん)のような幅の狭い素材に文字を書き,それを何本も並べて紐で綴じた原始的な書籍の形態に由来するのだろう.何枚もの札をならべて紐で綴じる場合,右利きの人間なら当然,最初の札が一番右端にくるように綴じるはずだ.木簡・竹簡からやがて紙の巻き物に変わっても,紙を右方向に繰り出すのだから,文字を書いた行も右から左に進むこととなった.
とはいっても,漢字の影響を受けたウイグル文字,モンゴル文字,満州文字で,漢字とは逆の左縦書きが採用されている例があるし,屋名池 (49) によれば,幕末から明治にかけての左綴じ洋学書の序文や凡例では日本語でも左縦書きが実践された.
縦書きについて,非常に珍しい事例として,下から上へ書かれる文字がある(阿辻,pp. 37--38).北アフリカで半遊牧生活を送るベルベル人の一部が用いるティフナグ文字というもので,今でも岩壁の碑文などにわずかに残っているという.書き手が下から上へ手を伸ばして刻んでいったものであり,届かない高さになると,行を変えて再び下から書き上げていくということらしい.書き手の背の高さまでおよそ計測できるのがおもしろい.上から下という方向性は重力の影響下に生きる人類にとってほぼ普遍的かと思われたが,それすらも反例があったということである.世界は広い.
最後に,縦書きと横書きを併用できる日本語,中国語,ハングルなどは,古今東西,非常に珍しい文字体系であることに触れておきたい.ほかにもエジプト聖刻文字,梵字,彝文字では縦横両方の書字方向が可能だったが,現代世界で常用されているという点では,日本語のような書字方向の慣習は,きわめて珍しいと言わざるをえない.
書字方向は,当然のことながら,時間軸に沿って1次元的にしか進み得ない線状性 (linearity) に縛られた口頭言語にとっては無縁の話題であり,空間上に展開される書記言語だからこそ論じられる問題である.書字方向は,文字論における「統字論」における重要なトピックであることを言い添えておきたい.関連して,「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1]) の記事において触れた,エスカルピの指摘する書記言語の図像的機能も参照.
・ 阿辻 哲次 『一語の辞典 文字』 三省堂,1998年.
・ 屋名池 誠 『横書き登場―日本語表記の近代』 岩波書店〈岩波新書〉,2003年.
世界における言語の数について,あるいは言語の数を数えるという問題について,「#270. 世界の言語の数はなぜ正確に把握できないか」 ([2010-01-22-1]),「#274. 言語数と話者数」 ([2010-01-26-1]),「#1060. 世界の言語の数を数えるということ」 ([2012-03-22-1]),「#1949. 語族ごとの言語数と話者数」 ([2014-08-28-1]) で話題にしてきた.言語の数というときには,普通,口頭言語が念頭に置かれているが,書記言語ということでいえばどうだろうか.つまり,文字体系の種類は世界にいくつあるのだろうか.関連する話題は「#1277. 文字をもたない言語の数は?」 ([2012-10-25-1]) で扱ったが,今回,改めてこの問題について考えてみたい.
明らかなことは,文字体系の数は(口頭)言語の数よりも圧倒的に少ないということである.具体的な言語の数については諸説あるが,現代世界で行われている言語に限って,とりあえず約7000あると想定しよう.文字体系の数についても,参考資料によって多少のばらつきはあるが,阿辻 (7--8) によれば,400種類くらいが認められるとされる.ただし,この数は,現代世界に行われている文字体系の種類というよりも,文字の発生から現在に至るまでの古今東西に行われてきた文字体系の総数と解釈すべきである.つまり,この数には,すでに廃用となったエジプト聖刻文字や楔形文字なども含まれるし,種々の未解読文字 (「#2427. 未解読文字」 ([2015-12-19-1])) も含まれる.
では,なぜ文字体系の種類は口頭言語の種類よりも圧倒的に少ないのだろうか.最も簡単に答えるならば,すべての口頭言語が対応する書記言語をもっているわけではないから,ということになる.「#41. 言語と文字の歴史は浅い」 ([2009-06-08-1]),「#748. 話し言葉と書き言葉」 ([2011-05-15-1]) などで示したように,書記言語の発生は口頭言語の発生よりもずっと遅れている.歴史上,口頭言語を欠く人類社会はなかったが,書記言語を欠く社会は多く存在してきた.
実際,比較的高度な文化をもっていながら,文字をもたなかった社会もある.南アメリカ大陸に栄えたインカは高度な文化を展開したが,少なくとも今のところは文字と呼べるような媒体は発見されていない.また,アイヌの人々も,長期にわたる素朴ながらも力強い文化を享受し,ユーカラのような長編叙事詩を育みながらも,それを表記する文字をもたなかった(阿辻,p. 8).
ただし,対応する文字体系を欠く口頭言語の母語話者集団からなる社会が,必ずしも無文字社会とは限らないという点に注意したい.もしその社会が多言語社会であり,第2言語として文字体系をもつ言語を使いこなし,その言語による読み書き教育を受けていれば,それは明らかに有文字社会である (cf. 「#1494. multilingualism は世界の常態である」 ([2013-05-30-1]),「#1608. multilingualism は世界の常態である (2)」 ([2013-09-21-1])) .
もう1つの理由は,書記言語は,言語の境界を越えて,さらに時空を越えて,拡散しやすいということがある.楔形文字,ローマン・アルファベット,キリル文字,漢字などの歴史的な拡散や分布を考えてみれば分かるとおり,それらの主要な文字体系は,たやすく異なる言語へ応用され,超域的に用いられてきた.つまり,1つの文字が複数の言語を表記するのに用いられるのが普通なのである.口頭言語も文化ではあるが,書記言語は一層のこと文化的な人類の発明であり,それほど重要な価値を帯びたものが,周辺地域へ広く伝播しないはずもない.
本ブログでは,話し言葉と書き言葉の各々の特性について,「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1]) の下に張ったリンク先の記事などで,様々に議論してきた.書き言葉あるいは書記言語のもう1つの特徴として,その媒体たる文字体系が口頭言語の境界を越えて伝播しやすく,コピーされやすいという性質があることを,ここで指摘しておきたい.
・ 阿辻 哲次 『一語の辞典 文字』 三省堂,1998年.
昨日の記事「#2431. 書き言葉の自立性に関する Bolinger の議論」 ([2015-12-23-1]) で,Bolinger の視覚的形態素 (visual morpheme) という用語を出した.それによると,書記言語の一部には,音声言語を媒介しない直接的な表形態素性を示す事例があるという.Bolinger (335--38) は現代英語の正書法の綴字を題材として,いくつかの種類に分けて事例を紹介している.説明や例を,他からも補いながら解説しよう.
(1) 同音異綴語 (homonyms) .例えば,"Sea is an ocean and si is a tone, as you can readily see." という言葉遊びに見られるような例だ.ここでは文脈のヒントが与えられているが,3語が単体で発音されれば区別がつかない.しかし,書記言語においては3者は明確に区別される.したがって,これらは目に見える形で区別される形態素と呼んでよい.おもしろいところでは,"The big clock tolled (told) the hour." や "The danger is safely passed (past)." のように,単語対の使い分けがほとんど意味の違いに結びつかないような例もある.
(2) 綴字の意味発達 (semantic evolution of spellings) .本来的には同一の単語だが,綴字を異ならせることにより,意味・機能を若干違えるケースがある.let us と let's,good and と good などがその例である.gray と grey では,前者が She has lovely gray eyes. などのように肯定的に用いられる傾向があるのに対して,後者は It was a grey, gloomy day. などのように否定的に用いられるとも言われる.check/cheque, controller/comptroller, compliment/complement なども類例ととらえられるかもしれない.なお,Hall (17) は,この (2) の種類を綴字の "semantic representation" と呼んでおり,文学ジャンルとしての fantasy と幻想としての phantasy の違いや,Ye Olde Gifte Shoppe などにおける余剰的な final_e の効果に注目している (cf. 「#13. 英国のパブから ye が消えていくゆゆしき問題」 ([2009-05-11-2]),「#1428. ye = the」 ([2013-03-25-1])) .(1) と (2) の違いは,前者が homonymy で,後者が polysemy に対応すると考えればよいだろうか.
(3) 群集 (constellations) .ある一定の綴字をもつ語群が,偶然に共有する意味をもつとき,その綴字と意味が結びつけられるような場合に生じる.例えば,行為者接尾辞 (agentive suffix, subject suffix) の -or は,adjustor, auditor, chancellor, editor, mortgagor, sailor, settlor, tailor などに示唆されるように,-er に比べて専門性や威信の高さを含意するようである (see 「#1748. -er or -or」 ([2014-02-08-1])) .また,接尾辞 -y と -ie では,後者のほうが指小辞 (diminutive) としての性格が強いように感じられる.このような事例から,音声言語における phonaesthesia の書記言語版として "graphaesthesia" なる術語を作ってもよいのではないか.
(4) 視覚的な掛詞 (visual paronomasia) .視覚的な地口として,収税吏に宛てた手紙で City Haul であるとか,意図的な誤綴字として古めかしさを醸す The Compleat Military Expert など.「海賊複数の <z>」 ([2011-07-05-1]) や「#825. "pronunciation spelling"」 ([2011-07-31-1]) の例も参照.
(5) 綴字ではなく句読点 (punctuation) を利用するものもある.the dog's masters と the dogs' masters は互いに異なる意味を表わすし,the longest undiscovered vein と the longest-undiscovered vein も異なる.「#1772. greengrocer's apostrophe」 ([2014-03-04-1]) も,この種類に数えられるだろう.
以上の "visual morpheme" は,いずれも書記言語にのみ与えられている機能である.
・ Bolinger. "Visual Morphemes." Language 22 (1946): 333--40.
・ Hall, Robert A., Jr. "A Theory of Graphemics." Acta Linguistica 8 (1960): 13--20.
書き言葉の自立性について,直接的には「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1]) とそこに張ったリンク先の記事や「#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2)」 ([2015-09-23-1]) で取り上げてきた.今回は,書き言葉が話し言葉という媒体 (medium) から十分に独立しているということについて,Bolinger (333) の視覚的形態素 (visual morpheme) に関する論文からの引用を通じて,主張したい.
The fact that most writing is the graphic representation of vocal-auditory processes tends to obscure the fact that writing can exist as a series of morphemes at its own level, independent of or interacting with the more fundamental (or at least more primitive) vocal-auditory morphemes. Recognition of visual morphemes is also hampered by the controversy, not yet subsided, over the primacy of the spoken versus the written; the victory of those who sensibly insist upon language as fundamentally a vocal-auditory process has been so hard won that any concession to writing savors of retreat. Yet, so long as a point-to-point correspondence is maintained, it is theoretically possible to transform any series of morphemes from any sensory field into any other sensory field, and keep them comprehensible; the only condition is that contact with the nervous system be maintained at some point. More than theoretically: it is actually done for the congenitally deaf-and-dumb reader of Braille, who 'reads' and 'comprehends' with his finger-tips. Just as here is a system of tactile morphemes existing with no connexion (other than historical) with the vocal-auditory field, so there is nothing unscientific in the assumption that a similarly independent visual series may be found.
とりわけ "the victory of those who sensibly insist upon language as fundamentally a vocal-auditory process has been so hard won that any concession to writing savors of retreat" と述べているところは,何ともうまい言い回しだ.世間一般では,書き言葉は,その威信や信頼ゆえに,話し言葉よりも上位に位置づけられることが多い.一方,近代言語学では,その一般の見方に対して,むしろ言語の基本は音声であるという主張が辛抱強くなされてきたのであり,その結果,言語学者にとっては悲願だった話し言葉の優位性の言説が,アカデミックな世界では確立されてきた.ところが,世間一般と言語学者の考え方がこのように鋭く対立しているところに,まさに言語学者サークルの限られた一部からではあるが,書き言葉の自立性という,ある意味では世間一般の通念に歩み寄るかのような見解が提示されているというのだから,話しは厄介だ.
すべからく,話し言葉と書き言葉の役割を,過不足なく,どちらにとっても不利のないように,ありのままに評価し,それを言語学者にも非言語学者にも提示すべきだと考える.学界の現状としては,いまだ書き言葉の扱いは不当である.
Bolinger の論文の結論は以下の通りである (340) .熟読玩味したい.
1. Visual morphemes exist at their own level, independently of vocal-auditory morphemes. Even a perfect phonemic transcription would, if used for communication, immediately become a system of visual morphemes. In modern English, education has made the visual system part of the public domain, so that it exhibits some evolutionary tendencies unsecured to vocal-auditory morphemes.
2. In the implicit reactions of literate people, eye movements combine with other implicit movements. There is as good reason to posit eye movements as the physiological correlate of 'thinking' and 'understanding' as there is to posit laryngeal movements as such a correlate.
3. In view of the close integration of the 'language organization', it is probably necessary to revise the dictum that 'language must always be studied without reference to writing'. This in no way detracts from the value of that dictum as applied to all languages at some stage of their development and to largely literate speech communities today; it is merely a recognition of a shift that has taken place in the communicative behavior of some highly literate societies.
4. If it is true that the residue of language after the vocal-auditory is subtracted has provided a redoubt from which attacks could be made on linguistic science, then an appreciation of visual morphemes by both parties to the controversy may prove a step in the direction of reconciliation.
・ Bolinger, Dwight L. "Visual Morphemes." Language 22 (1946): 333--40.
「#2408. エジプト聖刻文字にみられる字形の変異と字体の不変化」 ([2015-11-30-1]),「#2412. 文字の魔力,印の魔力」 ([2015-12-04-1]),「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1]) の記事で,文字体系の保守性について議論した.しかし,身近なところで考えてみれば,日本語の表記体系こそ保守的ではないだろうか.確かに,「#2386. 日本語の文字史(古代編)」 ([2015-11-08-1]) や「#2387. 日本語の文字史(近代編)」 ([2015-11-09-1]) で歴史を振り返ったように,日本語の表記体系は様々な変化を経てきたことは事実であり,その意味では「保守的」といえないかもしれない.しかし,やや特殊な位置づけにあるローマ字は別としても,漢字,平仮名,片仮名という3つの文字体系を混合させた表記体系の歴史は,その費用対効果の悪さにもかかわらず,約千年間続いている (cf. "[The writing system of Japanese is] too expensive a cultural luxury for any people in the present age" (qtd. Gardner 349 from Boodberg 20)) .明治以降,ローマ字化 (romanisation) の機運も生じたが,結果的に改革はなされずに混合的な表記体系のまま現在に至っているのである.
この日本語表記体系の保守性は,特にアルファベット文化圏の目線から眺めると異様に映るのかもしれない.日本語(の漢語)のローマ字による翻字 (transliteration) 方法を提案した書籍に対する書評を読んでみた.著者も評者もアルファベット文化圏で育った人物のようであり,その目線からの日本語表記体系の評価は,それを常用し当然視している者にとっては,むしろ新鮮である.
例えば,評者 Gardner は明治期にローマ字化の改革が失敗したことを,英語における綴字改革の成功した試しがないことと比較している.これは,文字体系の保守性という一般的な議論に通じるだろう.". . . societies formed to advocate the use of romanization for Japanese . . . fared little better than societies for the reformation of English spelling" (349).
しかし,とりわけ日本語ローマ字化の失敗の理由を挙げているくだりがおもしろい.Gardner は,(1) 漢字を芸術の対象とみる傾向,(2) 漢字を使いこなす能力を規律,勤勉,権威の象徴とみる傾向,(3) 漢字の表語性の価値を認める傾向,(4) 大量の同音異義語の弁別手段としての漢字の利用,を理由として挙げている.(1) と (2) は文字をめぐる社会文化的な要因,(3) と (4) は言語学的・文字論的な要因といえるだろう.それぞれを説明している部分を Gardner (349) より引用したい.
The passive resistance to romanization draws much of its strength from the high regard for writing as an art. The point is difficult for a westerner to grasp, but good calligraphy is considered as much an index to a man's character as his appearance.
The acquisition of reading and calligraphy represents an investment of long hours of exacting discipline and endless memory work. Why should a statesman, a businessman, or an ordinary citizen---much less a scholar---accept easily the idea of throwing away this proud achievement in order to learn a foreign system that he will read haltingly at first and in which his handwriting will scarcely be distinguishable from a schoolboy's?
[The pronouncement is frequently heard] that the character cannot be separated from the word, or even that the character is the word. The Japanese feel that the understanding of a literary passage would somehow be impaired if the complex reaction to the characters were not brought into play.
Strongest of all is the firm conviction on the part of many Japanese that because of the enormous number of homonyms that exist in the technical and semi-learned language, this would be confusing or unintelligible if reduced to romanization.
日本語の表記体系を外側から,とりわけアルファベットに慣れ親しんでいる者の視点から眺めると,その非常な保守性に気づくことができる.
・ Gardner, Elizabeth F. "Review of UCJ: An Orthographic System of Notation and Transcription for Sino-Japanese. By Peter A. Boodberg. (University of California Publications in East Asiatic Philology, Vol. 1, No. 2, pp. 17--102.) Pp. iii, [86]. Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 1947." Language 26 (1950): 346--55.
アルファベット (alphabet) あるいは単音文字の文字体系としての卓越性について,多くの言説がなされてきた.数十年前まで,特に西洋ではアルファベットは文字の発展の頂点にあるという認識が一般的だったし,現在でもそのように信じている者は少なくないだろう (cf. 「#1838. 文字帝国主義」 ([2014-05-09-1])) .
合理性,経済性,分析性という観点からいえば,アルファベットは確かに音節文字よりも,表語文字よりもすぐれているとはいえるだろう.しかし,そのような性質が文字の果たす機能のすべてであるわけではない.むしろ,「#2344. 表意文字,表語文字,表音文字」 ([2015-09-27-1]),「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」 ([2015-11-11-1]),「#2401. 音素と文字素」 ([2015-11-23-1]) の記事などで繰り返してきたように,私は,文字の本質は表語機能 (logographic function) にあると考えている.それでも,アルファベット卓越論は根強い.
文字体系としてのアルファベット卓越論は,優位に西洋文化優勢論に発展しうる.西洋社会は,アルファベットを採用し推進したがゆえに,民主主義や科学をも発展させることができたのだ,という言説だ.しかし,これは神話であるにすぎない.この問題について,ロビンソン (226--27) は次のように議論している.
アルファベットは民主主義の発展に不可欠だったとよくいわれる.識字率を大いに高めたからだと.また,現代社会に於ける西洋の勝利,とくに科学分野での成功は,いわゆる「アルファベット効果」に負うところが大きいともいわれる.なぜなら西洋と中国を比較すると,科学はどちらでも発達したが,西洋では分析的な思考が発達し,例えばニュートンやアインシュタインのような人物が輩出して中国をはるかに引き離す結果となった.そういう分析的な思考は,単語が1字1字に分解されるアルファベットの原理によって育まれたというのだ.簡単にいえば,アルファベットは還元主義的な思考を育て,漢字は全体論的な思考を育てるということになる.
初めに述べた民主主義とアルファベットについての意見には,一片の真実がありそうだ.だがアルファベットが民主主義の発展を助けたのだろうか,それとも,人々に芽生えた民主主義を求める気持ちがアルファベットを誕生させたのだろうか?〔中略〕古代エジプト人は早くも紀元前第3千年紀,母音記号のないアルファベットを知っていた.しかしそれを使おうとはせずに,たくさんの記号を使ってヒエログリフを書くことを選んだ.これは彼らが自分たちの政治体制に,民主主義の必要性を感じていなかったということなのか?
科学の発展をめぐる二つめの意見は,おもしろいが誤りだ.中国の文字がそのあまりの複雑さのために,読み書き普及の妨げになったというなら話はわかる.しかし分析的な思考が得意かどうかといった深い文化的傾向を,漢字が表語的な文字だということに結びつけるのはばかげている.インド?ヨーロッパ語族の人々が叙事詩を書くということと,牛乳を飲むという事実を結びつけるようなものだろう.中国人は牛乳を飲まないから叙事詩を書かないのだと.ある優れた中国研究者は,皮肉をこめてこれを「牛乳食効果」と読んでいる.文化的な深い違いを論じるには,その文化全体を見なければならない.それがどんなに重要そうでも,文字がどうかといったほんの一面だけを見ても仕方がない.結局のところ重力や相対性理論を理解したニュートンやアインシュタインなら,たとえ漢字で教育を受けていても,いやエジプトのヒエログリフやバビロニアの楔形文字であったとしても,学ぶべきものは学んだに違いないのである.
また,ロビンソンは別の箇所 (265)で民主主義の問題について次のようにも述べている.
アルファベットと識字能力と民主主義の同時代的な関係も,一見もっともらしいけれど,評価するのは難しい.確かに文字が覚えやすければ,多くの人が習得でき,その人々が社会的な問題に明るくなれば,それに関与したり,何らかの役割を求めるようになるかもしれない.だから確かに今日の民主主義国家の教育政策は,読み書きの能力向上に重点をおき,非識字は進歩の遅れだというのが常識になっている.とはいえ識字の問題には,読み書きのたやすさ以外にも,ひじょうに多くのことが関係している.経済,政治,社会や文化の状況なども,識字能力と民主主義が根付き成長していくには,それに好都合でなければならない.古代エジプトに根本的な社会構造の変化が起きなかったこと,あるいは古代ギリシアにそれが起きたことを,たんにヒエログリフとアルファベットの違いから説明することはできないだろう.それは今日の日本の識字率の高さを,その世界一複雑な文字のせいにはできないのと同じくらい明白なことである.
文字論という分野がもっと認知され,理解されない限り,標題の言説は今後も繰り返されるのかもしれない.
・ ロビンソン,アンドルー(著),片山 陽子(訳) 『文字の起源と歴史 ヒエログリフ,アルファベット,漢字』 創元社,2006年.
19世紀前半にローマ字を参考に作られた2種類の表音文字がある.いずれもアメリカ先住民の言語を表記するのに考案された音節文字だ.
1つめは,チェロキー・アルファベットと呼ばれる文字である.これは,チェロキー族 (Cherokee) のセコイヤ (Sequoyah; 1760--1843) が,母語であるイロクォイ語 (Iroquoian) を表記するために1821年に考案したもので,「アルファベット」と呼ばれこそするが,実際には音節文字 (syllabary) である.85の記号により,6つの母音,22の子音,200ほどの音素群や音節を表わす.セコイヤは英語を知らなかったが,英語話者の開拓者と接触するなかで,母語を表記する文字体系を作ろうと思い立った.当初は表語文字の考案を目指していたが,数千の記号が必要となることを知って諦めざるをえず,音節文字の考案へと転向した.はじめ文字の種類は200近くあったが,最終的には85文字へ絞った.字形はギリシア文字やヘブライ文字の影響も受けつつラテン文字を基礎としているが,与えられている音価はラテン語や英語などとはまったく異なる.
チェロキー文字が提案されると,それは数年のうちに多くのチェロキー族の人々によって習得された.まずは発祥地 North Carolina で,さらに1830年以降はチェロキー族の多くが移住した Oklahoma でも用いられることになった.1827年には,チェロキー文字はボストンでデザインされた活字により印刷・出版されもした.やがてチェロキー族の90%がこの文字を読めるようになったというから,民族の識字率向上に相当の効果があったことになる.チェロキー文字は後に衰退したが,私信,聖書翻訳,インディアンの医学的記述などには残ったものがある.また,近年,復活の試みもなされているようだ.以下にその文字表を示そう(Comrie et al. 206; ロビンソン 224--25 も参照).
一方,19世紀半ばに James Evans なる宣教師が,カナダ西部で行われていたアルゴンキン語群 (Algonquin) に属するクリー語 (Cree) を表記する文字を考案した.基本的には12組の音節文字だが,語尾に現われる短子音を綴ることもできた.1833年までに,この言語と文字により聖書翻訳がなされた.また,同じ文字は Choctaw, Chippewa, Slave などのアメリカ先住民の言語を表記するのにも用いられた.クリー文字もチェロキー文字と同様に,民族の識字率の向上に訳だったようだ.以下に,Comrie et al. (205, 207) より文字表を示そう.
両文字体系については,Omniglot: Writing Systems & Language of the World より Cherokee language, writing system and pronunciation および Cree syllabary, pronunciation and language も要参照.
・ ロビンソン,アンドルー(著),片山 陽子(訳) 『文字の起源と歴史 ヒエログリフ,アルファベット,漢字』 創元社,2006年.
・ Comrie, Bernard, Stephen Matthews, and Maria Polinsky, eds. The Atlas of Languages. Rev. ed. New York: Facts on File, 2003.
昨日の記事「#2424. digraph の問題 (2)」 ([2015-12-16-1]) では,二重字 (digraph) あるいは複合文字素 (compound grapheme) としての <th> を題材として取り上げ,第2文字素 <h> が発音区別符(号) (diacritical mark; cf. 「#870. diacritical mark」 ([2011-09-14-1]) として用いられているという見方を紹介した.また,それと対比的に,日本語の濁点やフランス語のアクサンを取り上げた.その上で,濁点やアクサンがあくまで見栄えも補助的であるのに対して,英語の <h> はそれ自体で単独文字素としても用いられるという差異を指摘した.もちろん,いずれかの方法を称揚しているわけでも非難しているわけでもない.書記言語によって,似たような発音区別機能を果たすべく,異なる手段が用意されているものだということを主張したかっただけである.
この点について例を挙げながら改めて考えてみたい.短母音 /e/ と長母音 /eː/ を区別したい場合に,書記上どのような方法があるかを例に取ろう.まず,そもそも書記上の区別をしないという選択肢があり得る.ラテン語で短母音をもつ edo (I eat) と長母音をもつ edo (I give out) がその例である.初級ラテン語などでは,初学者に判りやすいように前者を edō,後者を ēdō と表記することはあるが,現実の古典ラテン語テキストにおいてはそのような長音記号 (macron) は現われない.母音の長短,そしていずれの単語であるかは,文脈で判断させるのがラテン語流だった.同様に,日本語の「衛門」(えもん)と「衛兵」(えいへい)における「衛」においても,問題の母音の長短は明示的に示されていない.
次に,発音区別符号や補助記号を用いて,長音であることを示すという方法がある.上述のラテン語初学者用の長音記号がまさにその例だし,中英語などでも母音の上にアクサンを付すことで,長音を示すという慣習が一部行われていた.また,初期近代英語期の Richard Hodges による教育的綴字にもウムラウト記号が導入されていた (see 「#2002. Richard Hodges の綴字改革ならぬ綴字教育」 ([2014-10-20-1])) .これらと似たような例として,片仮名における「エ」に対する「エー」に見られる長音符(音引き)も挙げられる.しかし,「ー」は「エ」と同様にしっかり1文字分のスペースを取るという点で,少なくとも見栄えはラテン語長音記号やアクサンほど補助的ではない.この点では,IPA (International Phonetic Alphabet; 国際音標文字)の長音記号 /ː/ も「ー」に似ているといえる.ここで挙げた各種の符号は,それ単独では意味をなさず,必ず機能的にメインの文字に従属するかたちで用いられていることに注意したい.
続いて,平仮名の「ええ」のように,同じ文字を繰り返すという方法がある.英語でも中英語では met /met/ に対して meet /meːt/ などと文字を繰り返すことは普通に見られた.
また,「#2423. digraph の問題 (1)」 ([2015-12-15-1]) でも取り上げたような,不連続複合文字素 (discontinuous compound grapheme) の使用がある.中英語から初期近代英語にかけて行われたが,red /red/ と rede /reːd/ のような書記上の対立である.rede の2つ目の <e> が1つ目の <e> の長さを遠隔操作にて決定している.
最後に,ギリシア語ではまったく異なる文字を用い,短母音を ε で,長母音を η で表わす.
このように,書記言語によって手段こそ異なれ,ほぼ同じ機能が何らかの方法で実装されている(あるいは,いない)のである.
昨日の記事 ([2015-12-15-1]) に引き続いての話題.現代英語の二重字 (digraph) あるいは複合文字素 (compound grapheme) のうち,<ch>, <gh>, <ph>, <sh>, <th>, <wh> のように2つめの文字素が <h> であるものは少なくない.すべてにあてはまるわけではないが,共時的にいって,この <h> の機能は,第1文字素が表わす典型的な子音音素のもつ何らかの弁別特徴 (distinctive feature) を変化させるというものだ.前舌化・破擦音化したり,摩擦音化したり,口蓋化したり,歯音化したり,無声化したり等々.その変化のさせかたは一定していないが,第1文字素に対応する音素を緩く「いじる」機能をもっているとみることができる.音素より下のレベルの弁別特徴に働きかける機能をもっているという意味においては,<h> は機能的には独立した文字というよりは発音区別符(号) (diacritical mark; cf. 「#870. diacritical mark」 ([2011-09-14-1]) に近い.このように機能としては補助的でありながら,体裁としては独立した文字素 <h> を騙っているという点が,あなどれない.
日本語の仮名に付す発音区別符号である濁点を考えよう.メインの文字素「か」の右肩に,さほど目立たないように濁点を加えると「が」となる.この濁点は,濁音性(有声性)という弁別特徴に働きかけており,機能としては上述の <h> と類似している.同様に,フランス語の正書法における <é>, <è>, <ê> などのアクサンも,メインとなる文字素 <e> に補助的に付加して,やや閉じた調音,やや開いた調音,やや長い調音などを標示することがある.つまり,メインの音価の質量にちょっとした改変を加えるという補助的な機能を果たしている.日本語の濁点やフランス語のアクサンは,このように,機能が補助的であるのと同様に,見栄えにおいてもあくまで補助的で,慎ましいのである.
ところが,複合文字素 <th> における <h> は事情が異なる.<h> は,単独でも文字素として機能しうる.<h> はメインもサブも務められるのに対し,濁点やアクサンは単独でメインを務めることはできない.換言すれば,日本語やフランス語では,サブの役目に徹する発音区別符号というレベルの単位が存在するが,英語ではそれが存在せず,あくまで視覚的に卓立した <h> という1文字が機能的にはメインのみならずサブにも用いられるということである.昨日に引き続き改めて強調するが,このように英語の正書法では,機能的にレベルの異なるものが,形式上区別なしに用いられているという点が顕著なのである.
なお,2つの異なるレベルを分ける方策として,合字 (ligature) がある.<ae>, <oe> は2つの単独文字素の並びだが,合字 <æ>, <œ> は1つの複合文字素に対応する.いや,この場合,合字はすでに複合文字素であることをやめて,新しい単独文字素になっていると見るべきだろう (see 「#2418. ギリシア・ラテン借用語における <oe>」 ([2015-12-10-1]),「#2419. ギリシア・ラテン借用語における <ae>」 ([2015-12-11-1])) .
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